2019年4月30日火曜日

平成最後の日に

今日はいよいよ平成最後の日である。マレーシアにあっても、日本人会という小世界に勤務している関係で、平成最後の日という感覚は強い。マレーシアの学生も、平成という元号や令和という元号に大きな関心を抱いている。日本にあればもっと強いかもしれない。

ところで、日本人会のセキュリティーも、今日で入れ替えが行われる。元号に合わせて、というわけではないだろうが、私がPBT(当時はIBT)に務めて以来、ずっと同じメンバーであった。マレーシアの規則では、セキュリティの仕事につくのは、マレー系もしくはネパール系であることが条件である。ネパール系が入っているのは、グルカ兵として、ちょうどヨーロッパのスイス兵同様、その強さへのイギリス植民地的信頼だろうと思う。

セキュリティーの玄関のボスと話していて、「彼はネパール人だ。」と教えて貰ったときに、「グルカなんだ。」と私が言ったら、彼がたいそう喜んで握手を求めて来たのを思い出す。この玄関のボスは、私がマレーシアでホテルに一泊して、早朝に散歩がてらに初めて日本人会を探し出した時、「明日から、ここに務めるんだ。」と言ったら、握手を求めて来て、大いに喜んでくれたのを思い出す。

入学式や卒業式、あるいはオープンキャンパスの時など、彼らは機敏に動いてくれた。英語はかなりのマングリッシュで、30%くらいしか判らないのだけれど、コミュニケーションは十分に取れていたと思う。「長い間、ありがとう。」とセキュリティのトップと玄関のボスと今日は館内で握手した。他のメンバーとも一人ひとり握手した。

…そんな平成最後の日であったのだ。

最後になってしまったが、今上陛下・皇后陛下におかれては、長らく日本という国を背負って頂いて、日本国民の一人として、大変ありがたく思っている次第。大きな荷を下ろされ、これからも少し軽めのお立場で見守って頂きたいと思う。
皇太子殿下におかれては、新たな日本の象徴として、今上陛下の歩まれた道を、さらに深めていただければ、と思う。

2019年4月29日月曜日

PBTの話(25) 経済分野のPP2

2コマ半の授業の合間、ずっと経済分野のパワーポイントを作っていた。ようやく、金融政策まで来たところ。経済分野を無理矢理視覚的に表すのは、やはり難しいが、なんとかカタチになったような気がする。

私の金融政策の講義は、マネー・ストックを基本に置く。インフレ・デフレ対策として、マネー・ストックの預貯金への対応が、政策金利政策だが、貯蓄する消費者の問題もさることながら、企業への融資で生まれる信用創造の増減が重要だ。これに、国債などの公開市場操作(売りオペと買いオペの話)が登場する。ここの大きなポイントは、日銀が主語の売り・買いオペであることだ。金融政策は、財政政策と共に、EJUでも極めて重要な箇所である。

2019年4月28日日曜日

デリダの「ゼロ記号」

Jacques Derrida
//www.youtube.com/watch?v=c3InSc0sFnw&app=desktop
「社会学史」の備忘録のアトランダム的つづきである。デリダの「ゼロ記号」について。無性にこの「ゼロ記号」という概念に面白さを覚えたからだ。社会学史の文脈を超えた話なのだが、面白い。構造主義には必ず中心がある。レヴィー=ストロースの親族システムのように、構造の中の諸要素の配置を規定し、構造を統合させるような中心。ところで、言語を構成する言語記号は、全てが対等ではない。その中心となる記号があり、それを「ゼロ記号」と呼ぶ。

連合赤軍の事件を扱った映画を例に著者は、「ゼロ記号」を説明している。彼らが、総括という名のリンチを行う際に発せられた「共産主義の地平では」というシニファンがそれである。銭湯に入った、薄く化粧をした、などの行為を批判する際に使われた。この「共産主義」が、連合赤軍の組織の構造の中心に置かれた特権的な記号である。しかも、この共産主義とは何か、誰一人明確には言えなかった。シニフェなきシニファンであり、これが「ゼロ記号」である。デリダによれば、このゼロ記号が付加されることで、構造がまさに構造として成立する。著者によると、「画竜点睛」、これで構造の中の要素の全ての意味が決定される。デリダの用語ではこれを「シュプレマン」(英語だとサプリメント)というそうだ。

この話は、レヴィー=ストロースへの批判のひとつとして、本書でかなり後に登場するのだが、私は大きなインパクトを受けた。身の回りにある「ゼロ記号」を探してみるのも面白い。こういう訓練が、関学のH君の言っていた「社会学的な眼」を鍛えるのかもしれない。

2019年4月27日土曜日

「ホッブズ問題」・「ルソー問題」

https://www.youtube.com/watch?v=x_K8kuzlu10&app=desktop
「社会学史」(大澤真幸著/講談社現代新書)の備忘録をぼちぼちエントリーしようと思う。とりあえずは、ホッブズ・ロック・ルソーの社会契約論三人衆について。(彼らの思想の詳細については省略。)パーソンズは社会学に於ける「社会秩序はいかにして可能か」という問題を「ホッブズ問題」と名付けた。ホッブズは、功利主義的人間観の純粋なカタチであるが、極めて無神論的なスタンスであるといえる。それに対して、ロックの抵抗権は、神がバックアップしてくれるという前提にたっている。したがって、ホッブズの方が、論理的には首尾一貫性があると、著者はゲーム理論をだして論証している。
また、ホッブズの理論を突き詰めていくと、法(秩序のある状態)とは、普遍化された犯罪である(法の中に犯罪が内在している)ということになる。後世、ベンヤミンという社会学者がこのことを言っているのだが、ホッブズ問題は、現代の社会学理論につながる伏線となっているようだ。

ルソーもまた、社会学史から見ると大きな存在である。ルソーの一般意志は、全体意志(多数決)とどう違うのか?たとえば、日本に原発が必要か?について国民投票するとして、自分は電力会社に勤めているから自分の利益に繋がる、あるいは原発のお陰で自治体に金が下りていて自分の利害に繋がるというような私的利害と独立したところで、投票しなければならない。その上で、一般意志は成り立つ。後世のロールズは「無知のベール」と呼ぶ。私的利害からの無知の必要性を説いているわけだ。
ルソー的な感覚がある、と著者は言う。スタロバンスキーという人のルソー論に「透明と傷害」というのがあって、要するに、ルソーは透明かつ直接的なのである。逆に言うと不透明なであったり間接的であったりするコミュニケーションは嘘が入り込む、よくないというのがルソーの直感である。ルソーの理想的な自然状態は、透明な共同体で、「社会秩序はいかにして可能か」という命題がそもそも成立しない。これは、後世のカッシーラーが「ルソー問題」と読んだ問題でもある。これで、ルソーはももすごくリベラルだとも解釈できるし、同時に全体主義を正当化しているともとれるという解釈上の大問題である。

…なるほど。高校の倫理や政経で教える基本的な知識としての社会契約説の話とは、かなり違う深い内容で、私は実に面白かった。社会学の徒・L君やH君はどうかな?

日本の10連休という難問

ウズベク語の講座の写真
いよいよ本日から、今上天皇が御退位、皇太子が御即位され、令和へと改元する流れの中で、日本の10連休が始まった。マレーシアにある私にとっては、まさに遠い国の話である。
ところが、5月1日はマレーシアもメーデーで休日である。在馬日本大使館より、皇太子御即位のレセプションがあるとのことで、PBTにも御招待の案内が届いた。だが、ちょうど、前任校より、お世話になった英語のY先生がマレーシアに来られていて、この日は以前からKLをご案内する予定が入っていたので、私は不参加を決め込んだのだった。(日本大使館は足の便が悪いし、スーツ着用なので、どっちみちご辞退申し上げたと思う。)心の中で、今上陛下への長年の御礼と、一昨年KLでお会いできた皇太子殿下のご健勝をでお祈りするつもりだ。

ところで、この日本の10連休、日本の人々にとっては、どう過ごすか難問であるらしい。我が息子夫婦の京都のカフェでは、なんと10日間連続の、ヘブライ語講座とペルシャ語講座を行うらしい。私などは、なんと無謀な取り組みと思ったのだが、満員で募集を打ち切ったらしい。意外である。3月に開店したのに、すでに、ツィートには、1000を超えるフォロワーがいるようだ。ウズベク語やクルド語の講座などもやっているらしい。マイナーな地域の文化サロン的なカフェなのだが、盛況らしい。実にありがたい話である。
https://twitter.com/finjan_kyoto?lang=ja
この10日間を、マイナーな語学を学んで有意義に過ごすという、凄い取り組みのお話。

2019年4月26日金曜日

断水騒動とトップアップ

http://flyingdoya.com/malaysia/2016/01/07
水曜日から3日間、KLの広い地域で断水するという情報が入った。3日間も断水するなどという話は日本では聞いたこともない。我が家でも妻が、水をあちこちに貯めて大忙しだった。コンドなので、ある程度は大丈夫だと思っていたが、結局一切断水しなかった。(笑)嗚呼、マレーシアである。

さて、最近我が夫婦のスマホのトップアップ(毎月RM30入金する必要がある)は、ミッドバレーの隣にあるビルで、機械で妻が電話番号を入力・入金する手はずになっている。電話会社の比較的大きな店である。その店が、今日無くなっていたらしい。妻が激怒していた。これもまた嗚呼マレーシアである。ありがたいことに、タマンデサにもその電話会社の小さな店が出来ているので、明日買い物ついでに行く予定にしている。まあ、なんとかなるのがマレーシアである。(笑)私はこういうマレーシアが大好き。

2019年4月25日木曜日

PBTの話(24) 日本近代史

Eクラスは、今日で日本近代史が終わった。Dクラスも明日終わる予定だ。面白いのは、国費生がかなり日本史に興味をもっていたことである。日本史の超概説で、天皇制が続いている事、平安時代くらいから天皇は「権力」から「権威」へと移行することなどを教えた。織田信長や、豊臣秀吉、徳川家康なども、天皇の権威で統一をはかろうとした事。源氏は清和天皇、平氏は桓武天皇と、天皇の嫡子から派生したことを述べたりした。ドラえもんのしずかちゃんは源氏の末裔であることなどがウケた。(笑)征夷大将軍の意味などを教えて授業が終わったら、「織田信長はなぜ一向一揆を弾圧したのでしょうか?」という質問がきた。おお。なかなかディープな質問である。意外に、日本史に詳しい。ちょっと驚きである。「篤姫のことをもっと教えて下さい。」といった質問もあった。嬉しい悲鳴だ。

総合科目のシラバスは、基本的に近代史なのだが、私の授業の大きなテーマは、なぜ日本は植民地にならなかったか?である。幕末の状況をまず語る。マレー系の学生なので、江戸幕府・徳川将軍家をマラッカ王国に喩え、スルタンの小国林立を藩に喩えた。これは分かりやすいらしい。しかも日本は資本主義がガラパゴス的に発達していたし、教育程度が高く、識字率も高かったことを述べた。さらに生麦事件など武士の強さ、教養、武士道などを教えておく。薩英戦争でイギリスと雄藩が繋がることも教えておいた。戊辰戦争の戊辰の十二支の意味も、マレー系は中華系と共生しているので理解できる。(笑)武士道の話は、山岡鉄舟の駿府行き、あるいは明治天皇の教育係として、最後に死に様などで理解を深める。意外に、ワンピースのゾロの話(船長のルフィを護って痛みをクマから受ける話)が武士道の理解を深めたようだ。あの手この手で説明しているわけだ。

これらの話が、後に繋がる。武士道を翻訳した新渡戸稲造のファンだったセオドア・ルーズベルトが、日露戦争の仲介に動くし、日本海大海戦で東郷の足下が靴のカタチに乾いていた話、そのロシアに勝った東郷がトルコで人気であること。これはクリミア戦争に結びつく。戊辰戦争も、人気優先・勝つ戦争にしか参加しなかったナポレオン三世の治世であったことが英仏の対立にまで及ばなかったことなど、これまでの学習と様々に結びついていく。こういうことを国費生に気づかせたいと思っている。

不平等条約で関税自主権がなかったことは、自由貿易・保護貿易でも総括する。トップに君臨したイギリスは、アダム=スミスとリカードが自由貿易の理論でリードしたのは当然。フランスは、一時保護貿易に走り、工業化を図る。ナポレオン戦争後の大陸封鎖論である。ドイツもビスマルクの保護貿易政策で工業化を図る。アメリカは、米英戦争で図らずも保護貿易化し、商工業地域の北部が勝利する。日本は、最初から自由貿易化、すなわち工業化しにくい状況におかれたわけだ。

不平等条約の改正のため、岩倉使節団が欧米に向かい、近代国家論を認識して帰ってくる。この民主主義、資本主義、国民国家=国民皆兵のビンゴが日本の目標と成るわけだが、イギリスやフランスと違い、国身国家化から始めるわけだ。しかし、大日本帝国憲法と帝国議会の開設でビンゴしたのに、不平等条約(内実的な植民地化)は改正してもらえなかった。結局、日清戦争、日露戦争で勝利して、列強の一員になる。まさにサバイバルゲームであったわけだが、その後は自信過剰に陥っていくわけだ。同じアジア人として、この日本の歴史をどう思うか?と尋ねた。マレー系の学生は、WWⅡでイギリスを打ち破ったことに好意的である。まあ、この先は以後の世界史をやってからかなと思う。

2019年4月24日水曜日

Problem Based Learning

https://www.teachhub.com/pbl-classroom-management-approach
PBL(Problem Based Learning)という教育方法が近年脚光を浴びているようだ。ルーツは、デューイだから、決して新しいわけではないが、三重大学や新潟大学、小樽商科大学などで実践されているらしい。今、訳あって、このPBLについていろいろと調べている。

問題解決学習と言う方がわかりやすい。ESDでも、この手法は採られている。私のオリジナルな教材では、昔々実践した「私のPRSP(貧困削減戦略文書)」がこれにあたる。アフリカの途上国を選び、どういった開発が必要か考えさせる学習であった。当然ながら、一からその国の情報を集め、政策を考えなくてはならない。もちろん正解はないわけだ。

PBTでも、講義形式ではなく、たとえばこれからのマレーシアをどうするか、SDGsをもとに考えさせたりした。これも正解はない。しかし、様々な知識を得てからでなく、そのプロセスとグループ内での討議が重要であるとPBLは説く。教師はファシリテーターとして、アドバイスはするが、正解らしきことに導くわけではない。

なかなか面白い学習法なのだが、今考えているのは、世界史や日本史、地理、公民といった教科指導の中で、そういった正解のない設問である。こっちの方がなかなかの難問だ。ディベートなら、いくつでも浮かぶのだが…。

2019年4月21日日曜日

ダマンサラの商店街で考えた事

所用があって、セランゴール州のダマンサラのショップ・ロット(商店街)に妻と出かけた。KLの近郊で、車で20分~30分というところ。なかなか賑やかで個性的で、大きなショップロットだった。

ところで、日本は「法の下の平等」という憲法の重要な規定以外に、「上級国民」と呼ばれる概念があるらしい。先日、東京で交通事故を起こし死傷者を出しながら、逮捕されず任意で取り調べられている官僚出身の80を過ぎた高齢者がいるとのこと。一方、今日は神戸でも64歳のこれまで無事故のバス運転手が同様に交通事故を起こし死傷者を出し、すぐ逮捕された。おそらく、国会で大きな問題とされると思うが、いつから日本には、このような差が生まれたのだろうか。ちょっと聞いたことがない。

法の下の平等関連としては、先週アイヌ新法が参議院で可決され、「先住民族」の地位が確立された。喜ばしい限り。こういう問題はあまり日本では評価・報道されないようだが、ESDの立場からは、大きな前進だと思う。
一方、ネット上では、隣国への様々な批判が、在日の人々へ飛び火しているようで、以前から私が危惧している状況にある。隣国が、極めて閉塞感に苛まれ、受験戦争、就職難、財閥支配の経済などのはけ口としての反日運動が起こっているという評論を読んでいると、日本も又、同様の閉塞感から、在日の人々へのヘイトが噴出しているように感じる。在日の教え子や友人は、どういう日々を送っているのだろうかと、実に心配である。

マレーシアにあって、日本に比べて「法の下の平等」も「言論の自由」についても、少しばかり違う社会構造の中で暮らしてみると、こういう日本の社会について冷静に眺めることができる。グローバル・スタンダードは、多民族国家であり、それぞれが民族間の問題を抱えている。日本は、単一民族国家のカテゴリーに分類されるだろうが、多民族国家同様民族問題も、また同胞内の階級問題をもかかえているということになる。マレー系、中華系、インド系や白人が行き交うショップ・ロットでそんなことを考えていた。

2019年4月20日土曜日

「社会学史」を読む。

大澤真幸氏の「社会学史」(講談社現代新書)が無茶苦茶面白い。この本は、社会学の歴史、すなわち社会学とは何かという命題を考える、社会学を社会学している本である。すなわち、社会学というのは、自らの学問の歴史を分析することが学問になりうる存在であるわけだ。

このところ、朝のバスの時間が遅くなったようで、毎日30分ばかり待たされる。その間に読んでいるので、だいぶ読み進むことが出来た。この本の備忘録もつくりたいが、おそらく莫大なエントリーになってしまいそうだ。4月は、マレーシア連邦憲法についてまとめたので、エントリー数が増えすぎた。この反省からスパンを長くしながら、忘れた頃に徐々にエントリーしようと思っている。この本に登場する人物は、かなり多い。

アリストテレスに始まって、グロティウス、パスカル、ホッブズ、ロック、ルソー。サン=シモン、コント、スペンサー、そしてマルクス。フロイド、デュルケーム、ジンメル、そしてマックス・ウェーバー。そして今はパーソンズまで来ている。この後、フーコーも登場する予定である。教え子諸氏には、要するに私の倫理(あるいはEJU後の哲学講座で示した)社会のコンフリクトに関係する哲学者群である。

実はかなり哲学的な思索を必要とする本である。一応社会科教師としての私はの専門は「倫理」のなので十分読むことが出来るが、まだまだPBTのF38・F40の諸君には、日本語としては難しいかもしれない。だが、社会学の専攻者には是非一読して欲しい本だ。最初はわからなくても、何度も読むうちにわかってくる。学生時代に何度か読み直すことになるような一冊だと思う。

この歳になって思うのだが、教師は10教えるのに少なくとも、教える内容を20理解していないと学生にはわかりにくいと思う。歳をとるとともに自分自身の勉強も進んで30,40,50と様々な知識や経験が蓄積され、教えることに自信と喜びがさらに増していく、そんなことを思わせる本だ。おそらく、この本に書かれている逸話は紹介しても難解な内容を授業で説くことはないと思う。それでいい、でも知っていると授業に深みが出る、そんな本なのである。

追記:訳あって、最新のアフリカ開発経済額テキストv7.04を常設ページに載せることにしましたが、ページ数が多く結局、DropBoxに保存、クラウドを利用して見て頂けるようにしました。特別に興味のある方は、メールをいただくとGmailで添付・送付するように努力したいと思います。

2019年4月19日金曜日

PBTの話(23) 諸国民の春

先日、授業で7月革命の話をしていた時のことだ。諸国民の春という語を黒板に書いた。すると、すぐ質問がきた。「~の春というのはどういう意味ですか?」「アラブの春と関係ありますか?」うむうむ。良い質問である。ところが、よく考えてみると、夏夏夏夏ココ夏のマレーシアには春がない。説明にはなかなか時間がかかったのだった。(笑)

ところで、先週ミッドバレーで、桜餅のストラップを購入した。春と言えば、サクラであり、桜餅である。60を過ぎて、ザックに桜餅をぶら下げるのも、かなりお茶目であるが、春のないマレーシアでこういう遊びもしてみたい気分なのだ。(笑)ちなみに、発売元は大阪平野区の松野工業株式会社だが、メイド・イン・チャイナである。

さて7月革命・諸国民の春といえば、パリが発祥である。昨日のノートルダム大聖堂の火災に対して、凄い額の再建のための寄付金が集まっているらしい。これに対して、昨年来経済格差を訴えてパリでデモをしている人たちから、石と人間とどっちが大事なのかという批判が強まっているらしく、またパリは燃えさかるのかもしれない。パリはバイオレンスが歴史的な伝統となっている街であることを改めて感じる次第。

また、このノートルダム大聖堂、単なるカトリックの大聖堂というだけではないようで、なかなかミステリアスだ。どうもフリーメイソンやイルミナティとも関係が深いという噂もある。妻とそんな会話をしているのだった。まあ、変な夫婦である。

2019年4月18日木曜日

PBTの話(22) 経済分野のPP

developer.cybozu.co.jp/akky/2013/06/corporate-states-of-america/
パワーポイント教材は、昨年だいぶ作った。歴史分野・政治分野・国際関係分野。今年になって地理分野をつくり、そして経済分野に今、かかっている。経済分野は、最も作成しにくいと考えている分野で、ゆっくりと作っている。まずタイトルに、アメリカの州別の企業ロゴを入れた地図を使うことにした。企業の説明をするからである。この地図、きっと学生にウケけるだろうと思う。

もちろん私も全部の州の企業を言い当てれるわけではない。西からスターバックス(WA)、ナイキ(OR)、アップル(CA)、ベストウェスタン(AZ)、ドクターペッパー(TX),スーパーエイトモーテル(SD)、ハーレーダビットソン(WI)、キャタピラー(IL)、ゼネラルモータース(MI)、タバスコ(LA)、フェデックス(TN)コカ・コーラ(GA)、ハーシーズ(PA)などが目につく。もちろん知らない企業も多い。
https://icedivider.com/img/2014/11/inc_map_of_japan.jpg
かなり拡大できます
せっかくなので、日本の都道府県別の企業地図もあったので使うことにした。
ところが、日本列島にすると意外に見にくいのである。北海道のニトリと六花亭が目立つ。(笑)宮城はアイリスオーヤマ。新潟は亀田製菓。茨城はケーズデンキ、千葉はイオン、長野はエプソン、静岡はヤマハ、愛知はトヨタ、岐阜は西濃運輸、滋賀はメンソレータム、京都は任天堂、兵庫はカワサキ、広島はマツダ、山口はユニクロ、高知はカメラのキタムラ、そして、大阪はパナソニック。こっちは、マレーシアの学生にわかるだろうかと思うが…。親日国のマレーシアでは、日本の方がわかるかもしれない。

2019年4月17日水曜日

PBTの話(21) 政策学を語る。

https://www.bookdepository.
com/Otto-Von-Bismarck-Kimberly-
Burton-Heuston/9780531212783
PBTで4年目になるが、授業の方は円熟してきたように思う。パワーポイントを使って、私費生より1ヶ月日本語学習が遅れている国費生相手に、理解をしてもらいながら進めて行けているように思う。今年の国費生は、わからない時はわからないという表情をしてくれる。(務めてそういう風にするように指導しているのだ。マレー系の学生は、特に素直で従順な学生が多い。わからなくてもわかったような顔をする。)

今日は、ナポレオン3世とビスマルクの話が中心だった。私は、世界史上でこの2人を政治家としてはかっている。もちろん戦争は名誉ある権利であるという時代であることを認めた上での話であるが…。ナポレオン3世は、叔父の名前と人気だけがたよりの、いわばポピュリストのはしりのような人物だが、フランスの産業革命を推進し、貧困層への配慮もしている。ちょうど良い機会なので、「政策学」とは、こういう学問であるということも授業で交えた。国費生は、マレーシアの将来のためには、経済学や経営学、そして政策学に進むのが好ましいと思っている。ことある事に進学指導もしているわけだ。ビスマルクの鉄血政策は、イベント(ビスマルクの場合戦争だが…)で組織固めをするという意味合いがある。こういう戦略を立てる政治家はやはり凄い。保護貿易しかり、最下層へのアメと鞭の政策もしかり、対仏外交政策しかり。

保護貿易などは、単に世界史的な事実だけでなく、マレーシアが国産車政策を立ち上げる話などもした。また領域国家などは、マレーシアのスルタン国家が林立していた時代の話もした。こういうマレーシアの歴史と結びつけることも、さらに理解を深めれるようだ。

2019年4月16日火曜日

ユネスコスクールのこと。

市立札幌平岸高校の
ユネスコスクール認定式
http://www23.sapporo-c.ed.jp/
hiragishi/index.cfm/1,98,21,html
ユネスコスクールのことを昨日ちょっと書いた。調べてみると、ずいぶんユネスコスクールが増えている。私がユネスコスクールの件で動き始めた頃、大阪では国立1校、府立1校、私立1校しかなかった。その後、府立高校がどどっと増えたことは知っていた。今も思うと残念でならない。当然ながら市立高校は未だ1校もない。M高校は、ユネスコスクールにふさわしい学校だったのだが、トップの無理解と、様々な校内の問題もあって実現できなかったのだ。M高校は、統廃合の対象になっているとの噂が当時からあった。だからこそ、早く文部省認定のユネスコスクールにしてしまい、統廃合から護りたかったのだが…。

特に驚いたのが、北海道の高校でユネスコスクールが増えていたことだ。おそらく、北海道教育大学の影響だと思われる。国際理解教育学会の理事の先生がESDの実践を勧めておられる故かと思う。高校だけで18校とは凄い。懐かしい地名の学校が並んでいた。
遠軽、清里、斜里、礼文、羅臼、留辺蘂、阿寒…。これらの学校はそれぞれの地域の特色を活かしてESDの実践をしているようだった。他の札幌などの大都市圏の高校もかなり頑張っていた。画像にある市立札幌平岸高校は特に活発に教育実践をしていると思う。

ユネスコスクールのESDの理念が、これからの地球市民をつくっていく。私が今、PBTでやっている教育実践も当然それに添っているわけで、「ひとり・ユネスコスクール」といえるかもしれない。と、ちょっと自分を慰めているのであった。

2019年4月15日月曜日

児玉源太郎と私のこと。

今、何冊もの本を併読している。その中で、ふと「天辺の椅子」(古川薫著/文春文庫)の児玉源太郎についてエントリーしたくなった。日露戦争の陸戦での大功労者である。作者の古川薫氏は、山口県出身で郷土史家的な作家であるそうだ。もちろん、日本人会の無人古書コーナーのRM1本である。この小説、実に面白い。郷土史家ならではの、詳細な幼年時から青年期の話が、妙に私に響いたのである。

児玉源太郎は、長州閥に入るが、支藩徳山藩の出身である。下級武士ではないが、尊攘派と俗論派の争いに巻き込まれ、一家の長を殺され、あわや敵討ちをしなければならないような境遇に置かれる。しかし、戊辰戦争に下士官として参加、軍人生活の一歩を踏みだす。西南戦争では、熊本城を本拠とする鎮台の参謀となる。西南戦争の激戦地であるが、農民主体の国軍が、薩摩の猛攻撃に耐えたことが、西南戦争の勝利の分かれ目となった。その時の参謀である。彼は、司令の谷干城の、歴史ある熊本城は堅牢であるとの言に不信感を持つ。現実主義者で天性の軍略家である児玉にとって、熊本城の天守閣は無用の長物であった。薩摩軍の砲撃で天守閣が炎上でもしたら、農民主体の国軍の士気は崩れると判断したのだ。この小説では、児玉が本丸(天守閣)に放火する設定になっている。もちろん、備蓄米や重要書類はうまく運び出すのだが…。調べてみると、これは今でも謎のままらしい。たしかに児玉放火説は理に合っている。

さて、児玉源太郎が、長州の本藩ではなく支藩の出身であったことは、なんとなく、私の人生を今振り返ると、その悲哀のようなものに共感できる。この藩に対比できるものは、学歴社会の中で、出身大学のような気がした。国公立大学出身でも有名私立大学出身でもない私にはそういうバックはない。ただ、大阪市の高校教師になれたのは、大阪市立の高校出身者であったことで、府立に対抗して市立出身者を採用しようではないかという時の流れが味方したように思う。まあ、支藩出身・下士官候補生といった児玉の境遇に近いモノを感じるのだ。

児玉源太郎の家庭の不幸についても同様で、私の父親は年少より優秀だったが、貧困家庭だった故に職工学校しか学歴がない。長く町工場に勤めながら、国家資格で唯一学歴不問だった中小企業診断士の試験を突破した。もちろん独学で、経営学や工学を勉強した人だ。この資格、かなり人気の資格で難関である。しかし、だからこそ、中小企業診断士となってから、人一倍の野心が頭をもたげたのだろう。児玉の家人のように、背後から襲われるようなことはなかったが、結局薄幸の人生だったように思う。

なんだか、そんな共通点を感じていたのだった。私はもちろん、児玉源太郎のような大人物ではない。私の功と言えるものがあるとすれば、教え子とのたくさんの絆しかない。
功と呼ぶにふさわしかどうかはわからないが、私はある功を逃している。大阪市立の高校で、ユネスコスクールをつくるという夢である。私にとっては、極めて重要なライフワークだったが、夢破れたのだ。これが、ついに首相になれなかった児玉と、ほんの少しだけダブる。
そうだ、私はユネスコスクールをつくることを断念したのだ。で、私は途上国の為、少しでも役に立てればと考えてマレーシアに飛び込んだのだった。今日は、そんなことを考えていた。

小説はあまり読まない私が、この本にはまっているのは、そういう得体の知れない共感なのかもしれない。

2019年4月14日日曜日

現時点で韓国の問題を考える14

https://www.mag2.com/p/news/393922
先日の米韓首脳会談は大方の予想以上に悲惨な結末だったようだ。しかも、韓国経済はかなり弱体化している。世界的に経済が低迷していることもあるが、韓国内の外資がかなりのスピードで引き上げられている。日本の韓国の貿易に対しての慎重な書類対応は制裁というより、国連決議に添った慎重なモノに変化しているらしく、それだけでもかなりの遅延や負担を与えているようだ。先日の関大のK君のVISA申請の遅れも、そんな隣国への対応のあおりを受けたのかもしれない。このままだと日本が本気で制裁をする前に、カタストロフィーするのかもしれない。

ところで、私は今、両国の歴史学者が、日韓併合の歴史的事実について、実証できる文書をもとに、論争するオープンな機会をもつべきだと考えている。日韓併合に於ける日本の政策は果たして植民地支配と呼べるものなのか?世界的なスタンダードと比較しながら、正確な史実をもとに科学的、学問的、理性的な判断を両国の歴史学者が行うことが何より必要だと思う。しかも密室ではなく、両国民にオープンな議論をして欲しい。

併合はいかにして始まったのか?徴用工はあったのか?従軍慰安婦は強制連行されたのか?戦犯企業は存在したのか?新一万円札の渋沢栄一が併合時で果たした役割、竹島の領土問題も含めて、学術的に結論を出すべきだ。第三国の専門家が参加してもいい。あくまで、科学的な議論であり、(感情的になりがちで、思い違いも多いであろう)証人なども参加する必要はない。政治的なあるいは感情的な論議とは全く別の議論である。両国のマスコミも、あくまで論争の経過を伝えるだけでいい。

このような議論を行えば、少なくとも理性的な隣国の人々は、自国の歴史教育の間違いを認識できるだろう。これを感情的に受け入れない人々も当然いるだろうが、何もしないよりははるかにマシだ。公的な外交交渉で、こういう機会を持つ方がいいが、おそらく韓国は、これから行われる可能性が高い国際司法裁判所への提訴に、大方が乗ってこないだろうと予測している。わざわざ負けることがわかっているからだ。よって、このような歴史学の論争の機会を提案しても政府としては乗ってこない可能性が高いだろう。だから民間レベルでもいい。

近代史では、多くの文書が残されている。古代や中世、あるいはスターリン時代や金日成の隣国ではあるまいし、西側に属しているのならば、韓国の歴史学者が、このような論議を拒否することは韓国の近現代史の自己否定でしかないと私は思う。隣国の学者にとっても、最重要な価値は「真理」であることを信じたい。

2019年4月13日土曜日

Touch'n GOカードを購入。

来週から、キャッシュでバスに乗れなくなると言う情報を受けて、KLセントラルまで、カードを買いに行ってきた。駅ではなく隣接のNU(マレーシア語で新/読み方はニューである)セントラルというモールの3F(日本で言う4F)にある。
本当は、ラピッドカードが欲しかったのだが、結局、タッチンゴーという、関西で言えばICOCAのようなカードを買った。バスだけでなくモノレールや電車、駐車場や高速道路にも使えるカードである。カード代はRM10で、2年間有効、夫婦共々、RM50分入れた。スタッフは、英語が不如意なので、最初観光客だと思ったみたいだ。(笑)
これまでは、キャッシュで乗ると、上の画像にあるようなペーパーを受け取っていた。本のシオリに使ってきたのだが、もう貰うこともないなと思うので、最後の1枚をパチリ。早速、帰りのバスで使ってみたが、なかなか緊張するのであった。(笑)

2019年4月12日金曜日

「ブルキナファソを喰う」Ⅱ

サヘルの村で、ソルガム用の鍬を魅せるガイドのオマーン
書評の続きである。荒熊さんの「ブルキナファソを喰う!」には、「食」の話以外に、研究者としてのさまざまなエピソードが載っている。これがまた面白い。ワガドゥグで、荒熊さんを助けてくれるラスタマンとの邂逅や、ストリートチルドレンとの関わり、他の研究者とのつきあいなど、興味深い話が満載である。
中でも、本来ブルキナでやるはずのワークショップがテロの発生で出来なくなって、セネガルに移行する話など、実に大変だったであろうと推察する。話が詳細であればあるほど緊迫感があって、読み物としても、大変面白い。コラムとしても俊逸であった。…ちょっと上から目線の言い方になりましたがが、荒熊さん、スミマセン。

さらに、コラムに町さんの名前が登場していた。町さんは私にとってはNGO「緑のサヘル」のスタッフで、ブルキナのひつじと山羊の見分け方を教えて頂いた好青年である。その町さんについて京大の大学院生と記されていた。すでに院生だったのか、私との出会いの後に京大に進まれたのかは不明だが、もしアフリカ地域研究だったら、さらに私と縁が深い。もう長いこと、京大の市民講座に行っていない。(そういえば、荒熊さんとも地球研時代に市民講座でお会いしたことがある。)町さん、実に懐かしいなあと思った次第。

ちょっとだけ、荒熊さんの奥さんの話が出てくる。マラリアにかかった荒熊さんが、日本でプリンを食べる話だ。こそっと、コラムの最後に書かれている。この本は、こういうディテールに凝っているので嬉しい。

ブルキナ情報も実に素晴らしい。特に歴史の部分は、なかなか専門的な内容なので、大いに勉強になった。

最後にあとがきの事。この本は荒熊さんのブログを定期的に読んでいたT氏が、「ブログを本にまとめてみないか?」というお誘いから始まったとのこと。羨ましいかぎり。そのブログとは私のリンク集にある「赤提灯~俺とアフリカとドラゴンズ~」である。私は古くからの読者である。…私にも「青天の霹靂」が来ないかな。(笑)

荒熊さん、実に面白かったです。ありがとうございました。アフリカに興味のある方に、お勧めの1冊と、自信を持って勧めます。

追記:関西大学のVISAが最も遅かった。いよいよ正真正銘、ラストとなったK君が渡日した。すでにメールで科目登録は済んでいるとのことで安心したが…。グッドラックやで。

2019年4月11日木曜日

「ブルキナファソを喰う」

ブルキナファソのゴロン・ゴロンの家畜市にて
荒熊さんの「ブルキナファソを喰う!」を読み切った。意外に時間がかかったのは、さっと読むのが惜しかったからである。懐かしいブルキナファソでの食べ物について、詳しく書かれた本である。私が一番好きなのが、プレ・クスクス。もちろん荒熊さんと当時のNGOの主・Iさんと共に郊外の村で食べた。あの頃、Iさんは郊外の村で孤児院を作り、農業開発にも着手していた。そういう思い出も含めて、本当に美味かった。

練乳がたっぷり入ったネスカフェ(コーヒー)でいただくプランスパンも、実に美味である。朝の国道沿いの露店で、Iさんとともにとった最初の朝飯がこれだった。赤土の路肩。行き交う車の排気ガス。アフリカを十分に感じながら、元フランス植民地の味を堪能した。この国道では、夜、ひたすら山羊の肉を食べた記憶がある。荒熊さんとNGOの近くの露天に買いに行ったアチャケも美味かった。サヘルに向かう街でも、ソルガムを食したが、残念ながら「ト」ではなかった。全く空腹を満たせなかった記憶がある。私は、食道楽ではないので、この辺の記憶が薄い。

この本の中には、様々な西アフリカの食の紹介がある。開発経済学的に面白いと思ったのは、セネガルの米事情である。セネガルは落花生栽培に特化するという宗主国フランスの政策で、食料作物の商業化が進まず、同じフランス圏の仏領インドシナから米が流通したという。ミレットやソルガムといった雑穀は食するのに手間がかかるので、都市化の影響もあり、ますます米食が進んだようだ。現在のセネガルの米自給率は3割ほど。1人あたりの米輸入量では世界一であるが、これは粒が割れた破砕米が主流である。そもそも値段の高い全粒米はフランス本国へ送られていたことが主因だが、この破砕米のほうが、落花生のソースに合うという、荒熊さんの文化人類学的考察が面白い。

同じような開発経済学的というか、農業経済的な話に、ゴマの件を挙げたい。ブルキナファソは、日本へのゴマの輸出が盛んで、ナイジェリア・タンザニアに次ぐ第三位の輸入元である。しかし、ブルキナファソではあまりゴマを使った料理がないし、ソルガムやメイズの畑の縁にそっと植えられている程度らしい。基本的に換金作物であるという論があるのはもっともで、3リットルのトマト缶分で2500セーファーフラン(約500円)くらいだという。ただ価格変動が大きいらしい。荒熊さんの考察では、ゴマは、落花生油より香りに対して存在感が薄いから、あまり食されないのではないかとのこと。さらに、ゴマは呪術的な需要もあるそうだ。ジニ(精霊)の好物らしいのだ。本書では、実際の呪術のケースも載っていて、実に面白い。
…書評、本日はとりあえずここまで。

2019年4月10日水曜日

バス友 Tさんの忠告

https://www.asiatravelnote.com/2017/06/19/myrapid_tng_card.php
今朝、650番のバスをいつもどおり待っていたら、バス友のTさん(中華系)が話しかけてきた。私がキャッシュ(RM1)でバスに乗っているのを当然知っていて、「来週からカードでないと乗れなくなるよ。」と教えてくれたのだ。学校でも、たしかに650番のバスにそういうお知らせが貼ってあったとH先生。うーん、英語は読まない主義なので知らなかった。
バスにはもう3年乗っているが、いつも私はキャッシュ。理由は簡単で、カードの反応が悪くて、乗るときも降りるときも、四苦八苦している乗客を何度も見てきたからだ。(最近はかなり少なくなった。)

だが、もう否応無しで、カードを使わねばならないことになったわけだ。カード自体は、KLセントラル駅まで買いにいかなかればならないようだ。土曜日に妻と行こうと思う。トップ・アップ(入金)は、近くのコンビニやGSでできるそうだ。

2019年4月9日火曜日

ビワ?マンゴー?クンダン。


先日、妻がTTDIというマーケットで、初めて見るフルーツを買ってきた。ビワのような外観で、妻は本当にビワだと思って購入したらしいが、味はマンゴーだった。(種もマンゴーの小さいものだ。)調べてみると、クンダンというフルーツで、旬の時期が短いらしい。私は、かなり気に入ったのだが、妻によると、小さいし皮を剥くのが大変らしい。

3年マレーシアに住んでいるが、まだまだ発見がある。ちなみに、先日スペイン産の柿も買って食べてみた。韓国産よりはるかに美味しい。おそらく日本でスペイン産の柿を食することはないだろうと思う。こういう美味しい発見は実に嬉しい。

2019年4月8日月曜日

PBTの話(20) 授業再開

一時帰国とスクールホリデーがあったので、2週間ぶりの授業となった。久しぶりに、2.5コマは、なかなかきつかった。(笑)とはいえ、いよいよ、歴史分野のEJUの試験範囲に突入である。最初に、京都のオマール氏のお墓の画像をJPA生に魅せておいた。新たな意識づけである。みんな、真剣に見てくれた。改めて、「市民革命」に突入であるが、どうしても政治用語が出てくる。ひとつひとつ丁寧に説明していく。漢字を分析して説明すると、理解が進む。英語などで一発で説明するのもいいのだけれど、漢字の意味から推測することが日本語力を向上させると思うのだ。
ところで、今回は、マレーシア連邦憲法を読破した故に、マレーシアの政治体制を例に出して、立憲君主制なども話した。法の支配の例としては、マレー人エリートであるJPAには有効だと思う。マレーシアの国王には、行政権があるが、首相の助言で動かれるという話はわかりやすいようだ。君臨すれども統治せず。名誉革命後のテーゼもしかりである。

2019年4月7日日曜日

マレーシア連邦憲法を読む 19

https://www.imagenesmy.com/imagenes/malaysiaball-polandball-malaysia-3a.html
第12部<一般測および雑則>で、重要なのはあと159条<憲法改正>だと思われる。原文と趣意を交えて記しておきたいと思う。
「(1)本条の下記の諸規定および第161E条(サバ・サラワク州の地位に対する保護規定)を条件として、本憲法の諸規定は連邦法律により改正することができる。(原文)」
憲法改正法案は、総議員の3分の2が必要である(3)。以下の①~⑥は、総議員の3分の2の規定から除外される(4)。①市民権の諸規定②公務員の誓言・証言の形式③上院議員の選出と退任規定(①~③は第三部と付則にある)④連邦法と州法の関係(74条)⑤特定事項に関する連邦の立法権(76条)⑥サバ州・サラワク州の特殊な地位(161A条)

以下の項目は、憲法改正には、統治者会議の合意なしには可決されない(5)(6)。
⑦いわゆる(国語、ブミプトラ政策、統治者の権威と地位などの)疑問を呈することを禁ずる『微妙な問題』(10条4)⑧統治者会議(38条)⑨非常事態において国会の権限の中で第10条4にふれた議員の保護の除外(63条4)⑩州における統治者・知事の序列(70条)⑪州憲法の保障(71条4)⑫非常事態において州議会の権限の中で第10条4にふれた議員の保護の除外(72条4)⑬マレー語が国語(152条)⑭ブミプトラ政策(153条)

憲法の改正については、長年与党UMNOが議席の3分の2を持っていた関係で、京大の資料(1996年現在)で、31回も改正されていることがわかる。中でも、ラーマン初代首相時代に、マレーシア連邦結成、シンガポールの分離などで改正が行われていること、第2代ラザク首相時代に1969年5月13日事件を受けて、上記の⑦を中心に大きな改正がなされたことは特筆に値するだろう。

第13部<暫定的・過渡的諸規定>第14部<統治者宗主権等の除外規定>第15部<最高元首および統治者に対する訴訟>があって、付則が13まで続くが割愛。とりあえず、『マレーシア連邦憲法を読む。』はこれで一区切りついたわけだ。

マレーシア連邦憲法を読む 18

https://polandball.cc/comic/sad-history-of-singapore/
さて、第153条である。<マレー人およびサバ州、サラワク州の原住民のための公務員、諸許可の割当の留保>というのが正式な条名である。この条は(1)~(10)計12項あるが、これは、極めて重要な条文なので、原文のまま記しておこうと思う。同じような文節が繰り返されるが、各項は微妙に違う事を規定している。そこで、重要と思われるところは太字にしてみた。
「(1)最高元首は、本条の諸規定に従い、マレー人およびサバ州とサラワク州の原住民の特別な地位、およびその他の種族の正当な利益等を守ることを、自己の責任とする。(2)最高元首は、本憲法中のいずれにもかかわらず、第40条*および本条の諸規定を条件として、本憲法および連邦法律にもとづく自己の職務を、以下の諸規定を行うために必要な方法で、遂行するものとする;マレー人およびサバ州・サラワク州の原住民の特別な地位を守ること;公務員(州の公務員は除く)の職、または連邦政府が与える奨学金学校給費、その他教育上あるいは訓練上の特権、あるいは特別の施設など、また連邦法律により何かの取引または事業の運営あるいはライセンスが必要な場合は、同法および本条の諸規定を条件として、かかる許可あるいはライセンスなどにつき、最高元首自らが、合理的と見なす割合をマレー人およびサバ州、サラワク州の原住民のために留保することを保証すること。(3)本条の(2)に従って、公務員の職、奨学金、学校給費およびその他の教育あるいは訓練上の特権、あるいは特別の施設などをマレー人およびサバ州、サラワク州の原住民にも留保することを保証するため、最高元首は、本憲法の第10部が適用されるいずれの委員会、あるいは以上のような奨学金、学校給費またはその他の教育上あるいは訓練上の特権、または特別の施設などの交付を取り扱ういずれかの当局に対しても、当該目的に必要とされるような一般指示を与えることができる。かくして同委員会あるいは当局はこの指示に正しく従うものとする。(4)最高元首は本条の(1)~(3)に従い、本憲法および連邦法律にもとづく自己の職務を遂行するに際し、何人からも、そのものが保持する公務職、あるいは同人が享受している奨学金、学校給費あるいはその他の教育上あるいは訓練上の特権、あるいは特別の施設等の継続を奪い去ることはできないものとする。(5)本条は第136条*の諸規定を損なうものではない。(6)現行連邦法律により、何らかの取引または事業の運営に許可あるいはライセンスが必要とされる場合、最高元首は自らが合理的と見なすかかる許可あるいはライセンスの割合をマレー人およびサバ州、サラワク州の原住民に留保するために、必要とされる方法で当該法律にもとづくその職務を遂行することができ、あるいは同様にして必要とされる一般指示を、かかる許可もしくはライセンスの交付を当該法律にもとづき取り扱う当局に対して、与えることができる。かくして当局はこの指示に正しく従うものとする。(7)本条におけるいかなる規定も、何人かに帰属し、また享受あるいは保持されている権利、特権、許可あるいはライセンスを剥奪し、あるいは剥奪を正当化するように作用するものではない。あるいはまたかかる許可もしくはライセンスの更新拒否を正当化したり、あるいは何人かの相続人、後継人、もしくは譲受人に対する許可もしくはライセンスの更新あるいは交付が、事の通常の成り行きからして、適切と思われるにもかかわらず、その交付拒否を正当化したりするよう作用するものではない。(8)本憲法中のいずれにもかかわらず、いずれかの連邦法律によるいずれかの許可、もしくはライセンスがいずれかの取引または事業の運営に必要とされる場合、同連邦法律はかかる許可もしくはライセンスの一定の割合をマレー人およびサバ州、サラワク州の原住民のために留保するよう規定することができる。しかし、かかる法律は、このような留保を目的とする場合ー(a)何人かにすでに帰属し、あるいは享受され、あるいは保持されている権利、特権、許可またはライセンスをも剥奪したり、またその剥奪を正当化したりはしないものとする;あるいは(b)何人に対してもかかる許可またはライセンスの更新や交付が法の他の規定に従い、事の通常な成り行きからして合理的にと思われるにもかかわらず、その許可やライセンスの更新を拒否したり、当該人の相続人、後継者または譲受人に対して許可やライセンスの交付を拒否することを認めない。あるいは何人かが自己の企業と共にその企業を運営するための譲渡可能なライセンスうを譲渡することを妨げないものとする;あるいは(c)過去になんらかの許可またはライセンスを必要となかったような取引または事業を誠実に運営していたものに対し、法律の実施後同じ取引または事業の運営のための許可またはライセンスの交付を拒否することは、認められない。あるいはその後においてかかるものに対するかかる許可またはライセンスの更新を拒否したり、あるいはかかるものの相続人、後継人、あるいは譲受人に対する許可またはライセンスの更新または交付がその法に従い、事の通常の也付きからして合理的と思われるにもかかわらず、これらの交付を拒否することは認められない。(8A)マレーシア教育証書あるいはそれに相当するもの以上の教育を授ける大学、専門学校およびその他の教育機関において、これらの学校の運営に責任を有する当局の提供する学生の定員数が、これに資格を有する入学希望者より少ない場合、最高元首が本条によりマレー人およびサバ州、サラワク州の原住民のため、自ら合理的と考える入学者数の割合を留保すべく必要とされている指示を、当局に与えることは、本憲法のいずれにもかかわらず、合法とする。かくして当局はこの指示に従って正しく従うものとする。(9)本条のいかなる規定も、マレー人およびサバ州、サラワク州の原住民に対する留保目的のためめだけに、事業あるいは取引を制限する権限を、国会に対し与えるものではない。(9A)本条において、サバ州、サラワク州に属する「原住民」という表現は161条Aに述べる意味をもつものとする。(10)統治者を有するいずれの州の州憲法も、本条の諸規定に相当する(必要な修正を加え)規定を作ることができる。

*第40条の規定:最高元首は、内閣の助言により行動すること
*第136条の規定:連邦の公務員において同格にあるものは、人種を問わず雇用の諸条件に従い、公平に扱われるものとする。
*161条Aの規定:(6)(7)に詳しい規定とエスニック名が挙げられている。

極めて長いエントリーになったが、これがマレーシアのブミプトラ政策の根幹となる:条文である。マレーシア憲法は、各条文も項目も長く複雑な故に日本のような小中高の憲法教育は無理だなと思った次第。

マレーシア連邦憲法を読む 17

マレー語のスクールバス
第12部は<一般則および雑則>であるが、極めて重要である。第152条と第153条があるからである。これは原文のまま記しておこうと思う。

第152条<国語>「(1)国語はマレー語とし、その綴り字は国会で定める。ただし(a)何人も、その他の言語の(公用目的以外の)使用、教授、学習を禁止されない。また(b)本項は連邦内のマレーシア人以外の種族の言語の使用・研究を維持しようとする連邦政府あるいは州政府の権利を妨げるものではない。(2)本条(1)の諸規定にもかかわらず、ムルデカデー以降の10年間、およびその後国会がこれについて規定するまでの間は、国会の上下両院、およびすべての州議会等において、またその他すべての公用目的に英語を使用することができる。(3)本条(1)の諸規定にもかかわらず、ムルデカデー以降の10年間およびその後の国会がこれについて他に規定するするまでの間ー(a)上下両院に上程されるすべての法案および修正法案また(b)全ての国会法および連邦府の発布する補助的諸立法等は英語にするものとする。(4)本条(1)の諸規定にもかかわらず、ムルデカデー以降の10年間およびその後も国会がこれについて他に規定するまでの間、連邦裁判所の全ての手続きは英語によるものとする。ただし、法廷および双方の弁護士が同意すれば、証人の供述証言が英語に翻訳されかつ記録される必要はない。(5)本条(1)の諸規定にもかかわらず、国会が、これについて他に規定するまでの間、下級裁判所の全ての手続きは証言取り調べを除き、英語によるものとする。(6)本条において「公的目的」とは連邦あるいは州いずれの政府の目的をも意味し、また公共当局の目的をも含むものである。」

要するに、連邦憲法では、マレー語を国語としつつも、英語が使用されることを各公共機関で許しているわけだ。このことは、わがPBTの学生たちにも大きな影響を与えているし、外資がマレーシアに進出する際の大きなメリットにもなっていることは論を待たない。ちなみに、画像にあるように、マレー語の表記は英語から拝借しているものでも、BUSがBASになっていたりして、少し違うので面白い。

2019年4月6日土曜日

私家的(街場の)平成論

私家的平成論を、書き終えました。内田樹先生の「街場の平成論」に私が勝手に参加したものです。平成の時代を前後30年から考えようという主旨に添って書いています。もちろん市井の社会科教師の小論ですからたいした内容ではありませんが、PBTの卒業生を中心に社会科学の徒に一読してもらえればと思います。私のブログの右の「ラベル」の下にある「常設ページ」からアクセスできます。

マレーシア連邦憲法を読む 16

マレーシア警察博物館
第10部は、<公務>である。132条から148条まで、軍務、司法・法務、警察、教職などの公務員規定が詳細に載っているが、割愛。

第11部は<破壊活動、組織暴力、および大衆に有害な行動と犯罪に対処する特別権限と非常事態権限>という、日本国憲法には見られない規定である。以下その要旨である。
第149条は、<破壊活動、公共秩序に有害な行動に対処する立法>、第150条<非常事態の布告>第151条<予防拘禁に関する制限>と続く。この中で、第150条について、すこし見ていきたい。非常事態布告は最高元首が、発生を認めれば発生前でも宣言できる。(1)(2)。この非常事態に最高元首は『勅令』を発することができ、これは国会法と同等の強制力をもつ。(2ABC)。この勅令は国会に上程され、国会が決議により無効とすることで効力は停止される(3)。非常事態時の行政権は州法権内のいずれの事項にも及ぶ(4)。非常事態時の国会は必要な法律を作ることができる(5)。非常事態時の勅令・国会で決議した法のいかなる規定も連邦憲法・サラワク憲法と矛盾していても無効とはならない。(7)非常事態布告かが効力を失う日から6か月を経れば、勅令や国会で決議した法は効力を失う。
さらに、こんな規定が目にとまった。「(6)(5)は、イスラム教やマレー人の慣習のいかなる事項、もしくはサバ州・サラワク州における原住民の法や慣習のいかなる事項に関しても国会の権限を拡大するものではない。」

ちなみに日本の非常事態宣言に類似する制度としては、災害対策基本法に基づく災害緊急事態の布告と警察法に基づく緊急事態の布告がある。いずれも内閣総理大臣が発する。

マレーシア連邦憲法を読む 15

 連邦裁判所/アイアンモスクの近くにある
これでやっと第9部<司法>までやってきた。第121条から131条まであるのだが、なかなか解りにくい。ここは、「2017マレーシアハンドブック(マレーシア日本人商工会議所)」やJETROの資料を参考に記した方がよいと判断した。
まず、司法権の問題、特に違憲立法審査権にあたる条項は第128条にある。「(1)連邦裁判所は、権限の行使を規定する法定原則に従い、次の事項を決定する権限を持つ。なおかかる権限は他のいかなる裁判所にも認められない。(a)国会あるいは場合により州立法府が、自己に立法権のない事項に関する規定を定めることを理由に、同規定を盛り込む法律をつくることが無効であるかどうかを問う問題および、(b)州と州の間との、その他あらゆる問題に関する紛争。(原文)」ここでいう『連邦裁判所』とは、第121条(2)に規定されている日本の最高裁判所にあたるもので、「連邦中で完全な強制力と効力をもつもの」という表現がある。違憲立法審査権は、日本や米国と違い、この連邦裁判所のみが保持しているといえる。
憲法に記されている裁判所は上級裁判所のみである。①連邦裁判所(Federal Court)②上訴(Court of Appeal 京大の原文では控訴と訳されている:下級裁判所にも控訴裁判所が存在するので、ハンドブックの訳を当てはめることにする。)裁判所③高等裁判所(High Court)の3種で、ヒエラルキーがある。(周知のとおり、日本では、最高裁のみが上級裁判所である。)連邦裁判所と上訴裁判所はプトラジャヤにある。高等裁判所は、半島部のマラヤ高等裁判所と、サバ・サラワク州の高等裁判所があり2つ存在する。(と憲法にはあるが、裁判件数の増加で現在20か所にあるそうだ。ちなみに死刑を課す可能性のある刑事裁判の第一審は高等裁判所。)

憲法にはないが、下級裁判所については重要なので、ハンドブックを参考に記しておく。下級裁判所には①控訴裁判所(Sessions Court)②治安判事裁判所(Magistrates Court)、③18歳未満のものを扱う少年審判所(juvenile Court)がある。また、サバ・サラワク州には、原住民の法律・慣習に関する事案を扱う原住民裁判所(Native Court)がある。

したがって、死刑の可能性のある刑事裁判でも、高等、上訴、連邦の三審制が成立すると推測される。下級裁判所にも高等裁判所まで三審制のように上げることは可能なようである。と、いうより高等裁判所には上訴管轄権があり、下級裁判所の審理を取り上げてもよいようだ。マレーシアの司法制度はヒエラルキーが明確である。

この憲法ならびに連邦法による司法体系とは別に、イスラム教の家族法に依る訴訟を管轄するシャリーア法廷(Syariah Court)が各州の統治者の下に置かれている。
さらに、統治者に関する訴訟を扱う特別裁判所(Special Court)が設置される。

JETROの以下の資料は、裁判所名の日本語訳が異なるがかなり詳細で有為なものだと思う。イギリスの裁判所制度を基礎に、いかに歴史的変遷をしてきたかも記されている。
file:///C:/Users/User/Downloads/KKC019800_009.pdf

2019年4月5日金曜日

マレーシア連邦憲法を読む 14

http://finance.lifeplan-japan.net/index.php?%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%B5%8C%E6%B8%88
第7部は<財政規定>である。第96条から第112条まで。面白いのは、マレーシア憲法では、予算という訳語が使われていない。日本で言う歳入は「統合基金」(連邦と州それぞれ)と訳されている(第97条1)。イスラム教の歳入であるザカート、フィトラー、バイトゥマルの規定もあって、州法、直轄区は連邦法の下にある(第97条3)。予算にあたるのは、支出法案と訳されており、前述の統合基金より支出される(第100条)。当然ながら補正予算=支出法案も認められている(第101条)。年度財政報告を行うのは最高元首で、日本で言う年度末に行われるが、かなり細かい規定である(第99条)。少し意外に思ったのは、第98条(3)の支出の説明の中で、「債務とは利子、減債基金支払、債務の返済あるいは…。(後略)」とあったことだ。イスラム教が国教とはいえ、近代国民国家である。利子の支払いはグローバル・スタンダードなのであるから、当然と言えば当然であるが…。また連邦国家として、国家財政評議会が設置されている(第108条)。ここで州の財政との調整が図られる。州への交付金(日本で言う地方交付税交付金に近い)は、人頭交付で算定するが、人口減があっても前年度の90%を下回らないことを保障している(109条)。また、各州は、当該州に産出する錫(ちょっと時代を感じてしまう。)あるいはそれ以外の鉱物に関わる輸出税の10%を州税(日本で言う地方税)を得るという規定がある(第110条)。また財政においても、サバ州・サラワク州への特別規定が112条のABCDと最後に書かれている。半島部が、この2州にはかなり気を使っているのがよくわかる。

第8部は<選挙>で、第113条から第120条まであるが、連邦も州も小選挙区制をとること(第116条・第117条)くらいが重要であると思われるが、以下割愛。

マレーシア連邦憲法を読む 13

https://polandball.fandom.com/wiki/Malaysiaball
第6部は連邦と州の関係である。
第1章<立法権の配分>で、第73条<連邦法律および州法律の範囲>第74条<連邦法律および州法律の主たる対象>で特に記すべきことはない。第75条<連邦法律・州法律との矛盾>では、当然ながら連邦法律の優先、州法律は矛盾のかぎり無効と記されている。第76条~79条は割愛するが、連邦国家における州との関係性の規定が続く。連邦国家というのは、なかなか大変だ。
第2章は<行政権の配分>第80条と第81条に記されているが、およそ立法権同様である。
第3章は<財務負担の分担>第82条には、その管轄による支出分担が記されている。
第4章は<土地>で第83条から91条まである。なかなか細々とした規定が載っている。中でも注目すべきは、第89条の<マレー人の保留地>である。ムルデカデー直前において「マレー人の保留地:ブミプトラに対する譲渡のために保留された土地(6)」は、かなり護られている。保留地であることをひっくり返すには、立法議会の出席議員の2/3以上の議決が必要である(1)(a)(b)。さらに、非マレー人が所有している、あるいは権利や利権をもつ土地をマレー人の保留地としては認めないものの(4)、様々な条件がそろえばで州政府は、マレー人保留地と公布することができる(2)(3)とある。
第5章は<国家開発>で第92条のみ。この開発計画とは、天然資源の開発、改良あるいは保護、利用あるいは地域の雇用手段の増大に対する計画(3)を意味する。ここで得られる連邦が受け取る所得は、第一に資本準備・運営費、第二に連邦負担金への払い戻しに使われ、残金を開発地域の州への支出とする(4)(5)(6)。
第6章は、<連邦による調査、州への助言および州活動の監査>これは割愛。
第7章は、<国家地方自治評議会>第95A条。重要だと思われるのは、地方自治を扱う法案(連邦も州も)この評議会にはかることを義務づけている(5)。この評議会は投票権のある委員長は閣僚、委員は統治者あるいは知事の任命した各州の1名の代表、連邦政府任命の10名以下の代表で構成される(1)(2)。
第8章は<サバ州・サラワク州への適用>これはかなり複雑な内容になってる。これも割愛。以上駆け足の第6部の連邦と州の関係。

M君のモザンビーク派遣

https://www.bbc.com/japanese/47689193
M高校の教え子で、JOCVでドミニカ共和国に行ったこともあるM君が、今夕、モザンビークに国際緊急援助隊の医療チーム二次隊の一員として派遣されることになったそうで、先ほど成田に向かう新幹線の中からメールをもらった。モザンビークのサイクロン被害は、マラウイ、ジンバブエにも被害をもたらし、700名以上の死者と数百人の行方不明者、それ以上の傷病者が出ていて、しかもコレラの感染者も出ているらしい。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press6_000572.html

彼の専門は、理学療法士で、1月に国際緊急援助隊の訓練もすでに受けている。(彼のブログ『理学療法士の国際協力事情』http://lily-international-cooperation.blogspot.com/2010/06/blog-post.htmlの2019年の投稿に詳しい。)今や、国際協力に関わる理学療法士として、日本を代表するほどの専門家に成長したわけだ。実にうれしいではないか。実に誇らしいではないか。

とはいえ、今や世界的な被災地である。アフリカは普段でも食事のチョイスは限られている。その中できちんと栄養を取り、万全の態勢で臨んでほしいという(医療の専門家に甚だ失礼な話だが)老婆心も私にはある。彼は、英語はもちろん、ドミニカ共和国でスペイン語も操っていたので、スペイン語に近いポルトガル語もなんとからるはずだ。コレラの状況(コレラの予防注射は2回しかも半年置いてのはずだ。)も含め、現地がどういう状況か、特にマレーシアにある私にとってはわからない。彼の活躍と健康と安全、そして無事帰国の報を待つのみである。頑張れ、M君。

2019年4月4日木曜日

この広告はおかしい。

このところ、マレーシア連邦憲法のエントリーが続いているので、ちょっと軽い話題をと思う。ここ3日間ほど、妻のミッションを受けて、休み時間にミッドバレーに買い物(牛乳から始まって、イオンのトップヴァリューの白だし、和風だし、純米料理酒)に行っている。その帰り道に発見した看板。どうもバックにあるのはサクラと日本のお城のようである。まずは、この画面をよく見て欲しい。(拡大可能。)なんかオカシイのである。
オカシイのは、こちら。わかるだろうか?
彼女が持っている地図である。最初、鹿児島の地図かと思ったが、縦長の湖が見える。どうみても日本の地図ではないのである。
きっと合成されたものだと思うけれど、それにしてもヒドイぞ。とはいえ、ポケットWiFiを持っていくのがサクラが満開の日本だというのはよくわかる気がする。マレーシア人は日本大好き、サクラ大好きなのである。
ところで、YouTubeによると、ケダ州では、中華系の人々による戦争中の日本兵を英雄扱いした碑文に批判が出て、英雄を兵士と書き換えるそうだ。まあ、英雄はさすがに持ち上げすぎかなと私も思う。KLでは、マレー系も中華系も親日度に違いはないのだけれど…。

マレーシア連邦憲法を読む 12

https://www.nna.jp/news/show/1788770
第4章 連邦立法府の続きである。
第56条は<上院の正副議長>について。第57条は<下院の正副議長>についてである。両院の違いは、上院の副議長が1名なのに対し、下院は2名であること。下院では、議員でない者が議長になりうるし、その職を保つことで1議員になれること、などが挙げられる。
第58条は<両院正副議長の報酬>について。第59条は<議員の誓言>について。第60条は<最高元首の演説>について。これらは割愛する。
第61条は<内閣および法務長官に関する特別規定>である。趣意は、閣僚(副大臣・政務次官を含む)は他方の院の議事に参加する権利があること。ただし他方の院での投票権はない。両院とも法務長官あるいは閣僚の1人を当該の院の議院でなくとも委員会の委員に任命することができることなどが書かれている。
第62条は<国会議事手続き>である。これによると、出席議員の2/3(ムルデカデー以前のマレー人保留地の扱い、選挙区割りの変更の扱い)、総議員の2/3(憲法改正の手続き)などの場合を除き単純多数で議決することが記されている。
第63条は<国会の特権>で、これは日本国憲法第51条に極めて近い内容である。
第64条は<議員の報酬>第65条は<上院および下院の書記>で割愛。

第5章は立法手続きである。第66条<立法権の行使>には、立法権は両院が議決し(1)、最高元首が同意し国璽を押して(4)行使されることが書いてある。法案は、上下両院のいずれも法案を提出が可能(2)で、他院に送られる。(3)ただし、法案が最高元首に提示されても30日たっても国璽が押されない場合でも法律となる。(4A)とある。
第67条<法案上程の制限および課税・支出を含む改正法案の提出>には、課税に関する法案は、大臣のみによる上程・動議提出となること(1)、その制限(2)が示されている。
第68条<下院議会のみが議決した法案に対する元首の同意>ここには下院の優位が記されている。ここで、「金銭法案」という語彙が登場するが、基本的に税金や統合基金、連邦の債務にかかわるような法案(6)であるようだ。日本の予算案同様に、下院の議決が優先される(1)。その他の法案も上院の合意がないあるいは修正案が可決された場合、その会期内だけではなく、最高元首に提出されれる(2)(3)(4)。ただし、憲法改正は適用外である(5)。

第6章は<財産、契約および訴訟に関する連邦の権限>で、第69条「(1)連邦はいかなる種類の財産に関してもこれを取得、保持および処分し、かつ契約を結ぶ権限を有する。(2)連邦は訴訟を起こし、かつ起こされることができる。(原文)」とある。したがって、連邦政府が前首相の財産を差し押さえたのは、合法であるといえるわけだ。

マレーシア連邦憲法を読む 11

マレーシアの国会議事堂
第4章は連邦立法府である。
第44条は<国会の構成>「連邦の立法権は国会に付与される。国会は最高元首および上院議会、下院議会として知られる2つの院により構成される。(原文)」
第45条<上院議会の構成>2003年の改正での趣意は以下の通り。定員70名、任期は3年。このうち44議席については最高元首が任命し、残りの26議席を13州の州議会がそれぞれ2名ずつ選出。再任は1回のみ可能。
第46条<下院議会の構成>これも2003年と2006年の改正後での趣意。定員222名。任期は5年。

第47条<国会議員の資格>「連邦に居住する市民は何人も(a)30歳以下でなければ、上院議員の資格を有する。(b)21歳以下でなければ下院議員の資格を有する。」おもしろい表現である。で、第48条は<国会議員の欠落事項>によって資格を失っている場合はダメである。この第48条は、かなり詳細である。意外なのは(1)(c)有給の職を保持している場合という規定がある。第49条は<両院議員兼職に対する禁止規定>第50条は<欠落による欠員、同意のない指名、任命の禁止>第51条は<議員の辞任>第52条は<議員の欠席>ここで面白いのは、両院とも6か月間院の許可なく全ての会期に欠席する場合、同院はその議席を欠員とすることができるとのこと。第53条は選挙管理議員資格剥奪の決定>第54条は<上院の欠員および臨時欠員>上院では、上院議長が欠員と定めた日から60日以内に充足することになっている。(訳者の補足で)下院の場合は、解散まで2年以内である時、与党が影響があると通知すれば充足され、選挙委員会が通知を受領した日から60日以内に充足される。…かなり与党有利な話である。

第55条は<国会の召集、停会および解散>これはなかなか興味深い。「(1)最高元首は時々国会を召集し、一会期の最終日と次の会期の初日に定められた日との間に6か月を経過させないものとする。(原文)(2)最高元首は国会を停会あるいは解散させることができる。(3)国会は期前解散しないかぎり最初の間開会日より5年継続し、その後に解散する。(4)国会が解散する場合は、解散の日から60日以内に総選挙を行う。また国会は、その日から120日を超えない日に召集されるものとする。(5)国会で未決の法案は、国会の停会を理由にしては廃案としない。(後略)(原文)」
…何より日本と違うのは、(5)で、この文面からは『審議未了廃案』がないということである。これも与党にとってありがたい話である。

マレーシア連邦憲法を読む 10

昨年5月の総選挙 http://www.malaysia-magazine.com/news/30585.html
第3章は<行政府>である。三権分立が徹底した日本国憲法に対して、マレーシア憲法は、同じ議員内閣制ながらも、旧憲法(内閣の輔弼)に近いような気がする。

第39条<連邦の行政権>「連邦の行政権は最高元首に付与され、かつ連邦法、あるいは第2付則の諸規定に従い、最高元首あるいは内閣あるいは内閣の任ずるいずれかの閣僚によって行使されるものとする。しかし国会は法律により行政機能を他のものに与えることができる。(原文)」
第40条<助言にもとづく最高元首の行動>「(1)最高元首は、(中略)別に規定される場合を除き、内閣あるいは内閣の一般的権限のもとに行動する一大臣の助言に従って行動する。(後略)」…付加された(1A)にはさらに「最高元首が助言に従い、助言にもとづき、助言を考慮して行動する。」と、くどいほど規定されている。(2)最高元首は、首相の任命、議会解散の要請に対する同意の保留、統治者らの特権、地位、爵位、および位階のみに関する統治者会議の開催要求およびかかる会議におけるあらゆる行動などに関しては自己の自由判断により行動できる。
第41条<軍の最高指揮>最高元首が連邦軍隊の最高司令官とされる。
第42条<恩赦等>これは割愛。

第43条<内閣>「(1)最高元首は、自己の職務の遂行に際し、自己に助言を与える内閣を任命する。(2)内閣は下記に従い任命される。(a)最高元首は自己の判断において、下院議会議員の過半数の信任を得そうな下院議員を、内閣を主宰する首相として任命する;また(b)最高元首は首相の助言にもとづき両院の議員のうちからその他の大臣を任命する;しかしもし国会の解散中に任命が行われる場合は解散直前の下院議員であったものが任命される。しかしこうして首相に任命されたものが、もし新しい下院議員でなく、またその他いずれの場合においても下院議員でも上院議員でもない場合は、当該人は新国会の開始後はその職を続けられないものとする。(3)内閣は国会に対して集団的に責任を負う。(4)もし、首相が下院議員の過半数の信任を失い、しかも最高元首が同首相の要請にかかわらず国会を解散しない場合、首相は内閣の辞表を提出する。(5)(4)を条件として、いずれかの大臣の任命が首相の助言にもとづき最高元首により取り消されない場合これら首相以外の閣僚は最高元首の嘉みする間、その職を保持するものとする。ただしいかなる大臣も辞職することができる。(原文)以下割愛」

…(2)にあるように、日本との大きな相違は、国会(下院)の首相の指名選挙が行われないことであろうと思う。『下院議員の過半数の信任を得そうな議員を』というあいまいな表現になっているが、最高元首には指名権はない。任命権のみである。また、日本における『内閣不信任』は同じだが、解散か総辞職かは憲法上最高元首の判断にゆだねられていると理解できる。とはいえ、前述の『輔弼』という語が蘇ってくる。

第43A条<副大臣>第43条B<政務次官>第43条C<政治秘書>は割愛。

…ところで、昨年5月の選挙で、野党のマハティール氏が、野党勝利の暁には投票日の翌日・翌々日を休日とすると宣言し、実際野党が勝利したので休日になった。日本国憲法に慣れた私としては、未だ国会で指名選挙も行われず、首相任命もされていなのに、公約が実行されたことが不思議であった。憲法を詳細に見ていくと、おそらくは、最高元首の行政権が行使されたのであろうと思われる。事実上の次期首相であるマハティール氏の助言(輔弼?)を受けたという『塩梅』(あんばい)になっていたのだと思う。これで納得できたのだった。

2019年4月3日水曜日

マレーシア連邦憲法を読む 9

現最高元首
さて、第4部は<連邦>で、マレーシアの政治規定となる。第1章は最高元首の規定。
第32条は<最高元首とその配偶者>である。(1)~(4)の要旨は、以下の通り。
連邦内の何人より上位に位するYang di-Pertuan Agongと呼ばれる最高元首を置く。最高元首の配偶者は元首に次ぐ上位に位する。この最高元首は5年を任期に統治者会議によって選出される。最高元首は何時でも辞任できるし、統治者会議は解任することもできる。

第33条<連邦の副元首>要旨は以下の通り。最高元首の空位期間、病気、連邦内不在その他何らかの理由でその職務が遂行できない時、代行する副元首が統治者会議で選出される。

第34条は<最高元首、有罪の場合の職務停止><最高元首の執務不能、その他>第35条は<最高元首とその配偶者の王室費、および副元首の報酬>第36条<国璽>第37条<最高元首の就任宣誓>と続くが割愛。

第2章は、すでに何度か登場している<統治者会議>についてである。
第38条「(1)統治者会議(Majlis Raja-raja/Confernce of Rulere)を置く。
(2)統治者会議は次の機能を遂行する。(a)最高元首および副元首の選出(b)宗教的行事、儀式あるいは式典などの連邦全体への拡大に関する賛否の表明(c)法律に対する同意あるいは同意の保留。また本憲法にもとづき統治者会議の同意を必要とし、または同会議との協議によりまたは協議後に行われるべき任命について助言を与えること。(d)本憲法182条(1)にもとづく特別裁判所の、委員の任命、(e)本憲法第42条(12)にもとづく特赦・刑罰の執行延期・猶予の下賜、もしくは判決の差し戻し・一時延期・減刑、または国家的政策(たとえば移民政策などの変更)の諸問題およびその他の同会議が適切と思う何事についても討議することができる。
(3)この会議が国家的諸事につき討議する際は、最高元首は首相の、またはその他の統治者および知事・各州首相の陪席を得るものとする;かかる討議は、内閣の助言に従う最高元首、および各州政府内閣の助言に従うその他の統治者および知事などの遂行する機能のひとつとする。
(4)統治者の特権、地位、爵位、あるいは位階に直接影響を及ぼす法律は、いずれも統治者会議の同意なしには可決されない。
(5)統治者会議は第153条にもとづく行政活動に影響を及ぼすような何らかの政策変更が行われる前には、協議をうける。(原文)」

…この後、(6)統治者会議の委員の自己の自由判断にゆだねられる事項の列挙と(7)(2)の(b)はサバ・サラワク州には及ばないことが描かれている。(1)(d)の182条(1)にもとづく特別裁判所とは、最高元首や州統治者が訴追された時に開かれる裁判所を意味する。第42条(12)は、統治者の一族の訴追に関する場合を意味している。特に重要だと思われるのは、(3)の規定である。マレーシアは立憲君主制の政治形態をとっているが、最高元首ならびにこの各州の統治者(スルタン)の統治者会議はかなり形式的なもので首相や各州の首相・知事などの助言に従うと明記されている。基本的には、日本の象徴天皇制や英王室のような『君臨すれども統治せず』に近い。ただ、(4)にあるように、スルタン制は、この統治者会議の同意なしには変えれないシステムになっており、しかも(5)153条の行政活動(すなわちマレー人優遇政策のブミプトラ政策)が変更されるときは、統治者会議で協議すると決められている。ブミプトラ政策変更のハードルは極めて高いと言える。

マレーシア連邦憲法を読む 8

KLの国立モスク
第11条は<宗教の自由>である。日本国憲法では第20条にあたるが、似て非なるところがある。それは、マレーシアはイスラム国家であることである。「(4)州法、およびクアラルンプルとラプアンの連邦区に関する場合の連邦法は、イスラム教を信仰する人々に対するいかなる宗教の教義、信仰の伝播をも管理もしくは規制することができる。(原文)」という条項である。要するにイスラム教徒に対して他の宗教からの布教・改宗を禁じているわけだ。また、(5)には宗教の自由は認めるが『公共の福祉』的見地から一般法に反する行為は認めないことも記されている。ターバンを巻いているシーク教徒がバイクを運転する際、ヘルメットを被っているのを私はこの3年間見たことはないのだが、規制しようと思えば(カナダのように)できるのだと解釈できる。

第12条は<教育に関する権利>である。日本国憲法では第26条にあたるが、およそ内容は違う。国民の権利といういうよりは、宗教・人種などの差別は行わないという法の下の平等を謳っている。しかし(2)で「(前略)連邦や州がイスラム教の諸機関を設立・維持し、もしくは設立・維持を支援すること、あるいはイスラム教教育機関を供与支援し、かつその目的に必要な費用を負担することは、合法とする。」とある。つまり、国教たるイスラム教は別格だということである。また、日本国憲法にある『教育を受けさせる義務』については、「(4)(前略)18歳以下のものの宗教はその両親あるいは後見人が定める。」とあるだけで、これも宗教の規定に近い。

第13条は<財産権>である。日本国憲法では第29条にあたり、大きくは違わない。

第14条から第31条までは、第3部<市民権>である。単一民族国家で、しかも植民地からの独立という歴史をもたない日本国憲法には規定がない。この憲法ではかなり詳細な規定がなされているが、割愛する。

マレーシア連邦憲法を読む 7

http://sakurajadehouse.com/?p=44094
マレーシア連邦憲法のエントリーを続ける。第9条は<追放の禁止および移動の自由>についてである。詳細については割愛する。次の第10条は<言論・集会・および結社の自由>で、日本国憲法の第21条に相当する。この連邦憲法の中でもかなり重要位置にあるので詳細にエントリーしたい。

「第10条(1)本条の(2)、(3)および(4)を条件として(a)あらゆる市民は言論・表現の自由に対する権利を有する。(b)すべての市民は平和的にかつ武器を持たずに集合する権利を有する。(c)すべての市民は結社の権利を有する。(原文)」

…この(2)(3)(4)の各項の条件であるが、(2)は前述の「治安・他国との友好関係・公共秩序・道徳等」のいわゆる日本で言われる『公共の福祉』である。(3)は、結社の権利に関して「労働あるいは教育に関係するいかなる法律によっても、制限をかすことができる。(原文)」と記されてある。ということは、労働組合や国の意に反した教育活動に制限をかけることが可能なわけである。
さて、最大の論点は(4)である。これは、以前エントリーした『マレーシアの社会再編と種族問題ーブミプトラ政策20年の帰結ー』(堀井健三編:研究双書/1989年)に、1971年3月3日に国会で決議された改正によるものである。
「第10条(4)(2)の(a)にもとづき、連邦あるいはそのいずれかの地域の治安あるいは公共の秩序を守るため制限を課すにあたり、国会は、本憲法の第3部、あるいは第152条、第153条あるいは181条の規定により確立され、あるいは保護された、いずれかの事項、権利、身分、地位、特権、宗主権、あるいは大権等について、法律に指定されるそれらの履行に関する以外の面で疑問を呈することを禁ずる法律を議決することができる。(原文)
…この条文の中の、第三部とは、市民権。第152条はマレー語の国語としての地位。第153条はマレー人の特権。第181条はスルタンの権威と地位をそれぞれさしている。これらを『敏感問題』(sensitive issues)として議会と国民の批判の対象から除外し、公開での議論が禁止されたわけだ。
…したがって、マレーシアの言論・表現・集会・結社の自由は、欧米的な尺度から見ると極めて制限されたものに見える。だが、3年もマレーシアに住んでいると、この第10条が、少なくとも平和的多民族共生を支えていると思えるのだ。

2019年4月2日火曜日

内田樹 「憲法について」

内田樹先生の『憲法について』という講演録が面白い。かなり長いので今回は要約はしない。憲法について、私のスタンスは護憲派でも改憲派でもない。元公立高校社会科教師としては、至極当然ながら、極めて中途半端なのであるが、内田先生の言わんとされていることがよくわかる。先日エントリーした敗戦比較論とも共通した視点である。
http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html

護憲派の人々は、戦中派だったり戦後の混乱を知っている人々が多い。当然左翼思想も強かった。私が教職に就いたのは1980年である。当時の教職員組合は今よりはるかに強かった。大阪市立の高等学校の組合は、代々木が握っていて、社会党系の解放同盟とは対立関係にあった。私は、政治的には社共どちらの支持者でもなかったが、新任の頃は正直なところドグマチックなスターリニズムの被害を受けた経験もある。で、転勤した工業高校では、組合から抜けさせてもらった。ちょうど当時の組合長のS先生が、この工業高校出身の中学時代の親友Tの担任であることがわかり、私も大いに可愛がっていただけたからだ。当時としては、”非組”になるというのはかなりの覚悟が必要で、実にラッキーであった。先日帰国時に会ったU先生などには、超極秘事項であった。S先生から若い先生には内緒やでと重々口止めされていたのである。

何をいいたいのかというと、護憲派の左派の世代との格差である。私などは紛無派(70年頃の学園紛争を経験していない世代)で、シラケ世代の初期にあたる。新人類の前の世代である。「戦争を知らない子どもたち」というジローズの歌(あまり好きではないけれど)がYoung Oh!Oh!というTV番組ののせいで染みついていると同時に、井上陽水の「傘がない」や吉田拓郎の「晩餐」も染みついているスキマ世代といってもいいかもしれない。後輩のU先生などは、さらにその後ろの世代で左翼の洗礼を受けていないのだ。結局のところ、内田先生のこの講演を理解するには、こういうバックボーンがないと”わかりにくいんやよなあ”と言いたいのである。

F40Aの社会科学系の学生諸君には、かなりハードルは高いけれど読んでみて欲しいところだ。今日、いよいよラストランナーのJ君がE君の待つ日本へ旅立った。

一時帰国/平成日本の閉塞感

大阪・京橋のとり料理店にて
27日は、夕方から3年ぶりに弟分のU先生と会った。工業高校で長く共に仕事をして、その後M高校で再会した社会科教師の仲間である。彼とは、遠慮無く、また忌憚のない討論が出来る。萩本欽一氏ではないが、彼の社会情勢をキャッチするアンテナは常に何本も立っていて、こちらも勉強になる。今は、大阪市立のSという総合高校で学年主任をしている。

5時間にもおよぶ対話の中で、私が最も聞きたかったのは、日本の現状を彼がどう見ているかということだった。マレーシアにある私は、今の日本の真の姿が見えにくい。ニュースやYouTubeでは、ネトウヨさんの嫌韓情報だけが流されていて、危機感をつのらされるばかりだからだ。彼は、端的にこう言った。「人口減による閉塞感ですね。」「ゆとりがないので、韓国に対しても過激に反応する輩が生まれている。」…なるほど。大阪市の教育現場にあって、この3年でも大分変化があったようだ。大阪市の専門学科(M高校の英語科やM工業高校、B商業高校など)は、今年軒並み定員割れをしていて、すでに時代から取り残されていると彼は感じている。その時代とは、二分化された階級社会的な閉塞感なのだという。高度経済成長期にもてはやされた理念はすでに完全になくなっているのに、変化に対応していないのが原因だという。優秀な生徒は志もあり、克己心も旺盛だが、その他の生徒はカースト化され、未来への希望は自己の現能力に正比例したものになっている。進学先を見ても、それは明らかである。何をしたいのか、将来への夢は?と問うても彼らは答えようがない。そういう閉塞感…。

「大正末期に似ていると思いますねえ。」これが彼の結論といえるだろう。彼の分析はおそらくかなりの部分であたっているのだと私は思う。こうして、肝胆照らして語り合える仲間がいるのは幸せなことだ。

これで、一時帰国の予定は一応終わったことになる。本当は、前任校・H高校ののOB・OGと会いたかったのだけれど、彼らはちょうど卒業、就職の多忙な時期に重なってしまったので、今回は遠慮した。その他にも会いたかった友人や卒業生もたくさんいるのだが、一週間弱という短い一時帰国だったので、残念ながら連絡を遠慮した次第である。

一時帰国/卒業生とカラオケ

ニュースキン社の窓から大阪を望む
一時帰国中の京都行きの翌日、26日のことを記しておきたい。この日は、前から楽しみにしていたF38AのOB・OGとカラオケに行く約束をしていた日だ。その前に、妻からおつかいを頼まれていた。待ち合わせ場所の京橋のひとつ先の駅にあるニュースキン社でサプリメントを購入するというオペレーションである。ここに行くのは何年ぶりだろうか。24階から眺める大阪の街もなつかしい。さて、帰路にエレベーターに乗ったが、ふと「G」がないのに気づいた。マレーシアの1Fは「G」で、1は日本で言う2Fなのである。そこに「G」を探す自分がいて、ちょっと非日常を感じるのだった。(笑)

中国語の歌を熱唱中
予定どおりOB・OGが集まった。2週間前に連絡したので予定がついたのは3人だけだったが、私は嬉しい。さっそくカラオケに行った。中国語、英語、日本語の曲が次々と出てくる。みんな、なかなか上手い。サザンの「真夏の果実」の中国語版や漢詩の韻を踏んだ曲など、実に新鮮だ。(昔中国通のK老師が漢文は中国語で発音して、韻の美しさを楽しまねばなりませぬと言っておられたのを実感した。)そうそう、隣国の日本で問題になったグループの歌も出てきた。英語の方は、歌詞がかなりストレートで卑猥であったぞ。たしかに品位がない。同じ卑猥でも、私の歌ったRCの「雨上がりの夜空に」の品位を見習うべきだ。(笑)
カラオケの後、昔懐かしい喫茶店・バンガードでコーヒーを飲んだ。なかなか注文を取りに来ないと思っていたら、セルフサービスだったことを完全に忘れていた。(笑)

この1年、3人ともいろいろとあったようだが、それぞれ自立して頑張っていた。K君の寮生活の話が傑作だった。タイのお姫様みたいな子と同室で、トイレ掃除まで一人でやっていたとか。(笑)今度は、モンゴルの子とアパート住まいらしい。生きる力みたいなものを感じた次第。F40Aの学生諸君も何事があってもくじけず頑張って欲しいものだ。

2019年4月1日月曜日

一時帰国/息子夫婦のカフェ

京都市北区に息子夫婦がカフェを開いたので、行ってみた。大宮通りと今宮通りの交差点のすぐ西にある。(地下鉄北大路駅から、大宮通りに出て西に15分ほど。)かなり変わったカフェで、トルココーヒーとチャイと雑貨がウリである。先日、トルコやアルバニア、ルーマニアなどで仕入れをしてきたので、店内はそういう雑貨で溢れている。
本もあるが、ほとんど息子の蔵書で、ヘブライ語やアラビア語の本もあってディスプレイに等しい。(もちろん、日本語の本も多いけれど…。)ウードを始めとした中東の楽器も並んでいる。全く変な店なのである。そうそう名前はフィンジャン(finjan:トルココーヒーの用具の名前)である。
あまり金儲けをめざしているわけではなく、極めて限定された客層を相手にしているようだ。ここを拠点に、アラビア語やヘブライ語の講義や、中東楽器などの指導をしてくそうだ。先日も京大のフランス語の詩の朗読会が行われたり、イスラム法学者の講演会が行われたりと、文化サロン的な場所を提供しているらしい。

以下、住所や連絡先など詳しく紹介してくれている記事と、店の公式ツイッター。
http://osumituki.com/hack/kyotokanko/cafe/118677.html
https://twitter.com/finjan_kyoto?lang=ja

ところで、知らぬうちに、日本に置いてきた私のモノも店内にあった。トイレには、イスラエルで手に入れた取っ手が2つの手洗い用のウォッシュカップがあったし、私のキッパ(ユダヤ教徒の毛糸の帽子)2つもあったぞ。大事な教材なのだが…。
まあ、もし敬虔なユダヤ教徒が来たら使うだろうけど…。

最新の妻の情報では、店内に置いている楽器が売れたそうだ。立笛とサズ(ウードの小さいもの)。かなり高価なものらしい。ふーん。開店後、意外に良い滑り出しらしい。

一時帰国/オマール氏の墓へ

戦時中マレーシアから、南方特別留学生として来日したラザク先生(ご子息はPBTの最高顧問で、私費生に奨学金を出して頂いたりして、大変お世話になっている。)の友人で、原爆症で京都で他界したサイド・オマール氏のお墓にまいることが、今回の一時帰国の目的の1つだった。ちょうど息子夫婦のカフェがようやく開店したので、彼らの都合に合わせて、3月25日の月曜日に京都に向かった。

オマール氏のお墓は、叡電一乗寺駅から東山に向かう圓光寺という禅寺にある。途中、宮本武蔵ゆかりの地があったりして、なかなか趣のある所だ。なぜこの寺にあるかというと、遠くマラヤから留学に来て被爆した彼の死を悼んだ篤志家によってここに移されたからである。
宇高雄志氏の「南方特別留学生ラザクの戦後」によると、終戦後ラザク先生らは京都の国際学友会に身を寄せていたが、体調を崩したオマール氏は8月30日京大病院で賢明な治療を受けたが死亡した。神戸モスクの関係者も立ち会って、南禅寺にあった市営墓地に埋葬された、とある。その後、この圓光寺に移されたわけだ。
墓の前には武者小路実篤の碑文がある。『オマール君 君はマレーからはるばる日本の廣島に勉強しに来てくれた それなのに君を迎えたのは原爆だった 嗚呼實に實に残念である 君は君の事を忘れない日本人あることを記憶していただきたい 武者小路実篤』
墓はイスラム様式。横向きになった氏の顔の方向は西ではあるが、キブラではなさそうだった。そんなことが気になったが、整然と並んだ日本の墓地故に仕方のないことだったのだろうと思われる。

…合掌。ともあれ、オマール氏の墓の存在を知って以来の念願がかなった。そんな私を京都の早咲きの桜が迎えてくれたのだった。