2012年4月30日月曜日

関越道のバス事故に想う

昔バイトしていたA交通バス
このGWは近隣校で行われたラグビーの試合を見に行ったくらいで、ひたすら養生していた。そんな中最も気になったのは、関越道で起こったバスツアーの悲惨な事故についてである。

先日の京都亀岡の事故が、知育によって得るはずのきちっとシミュレーション能力を持たない男が、自己の欲望のままに無免許で一晩運転していねむりを起こしたという犯罪性の高い許せない事故であるのに対して、ある意味全く異なると思うのだ。

今回のバス事故。構造改革による価格優先、競争優先の犠牲だと直感した。バスの運転手さんもこき使われている。昔々、大学1回生の頃、A交通という観光バスのバイトをしていた。運転手さんもいろいろだったが、自分の腕に「命」を預かっているという自負というかプライドがあった。時々、クライアントからご祝儀が出た。運転手さん9、バイトの私1という割合だった。もちろん少ないなどと私は思わなかった。クライアントに直接接し、気持ちよく乗ってもらうのは私の役目。全ての責任は運転手が負うという矜持から、直接クライアントに話しかけたりしない。そういう世界だったのだ。

それが、最近はなにからなにまで運転手だ。荷物の出し入れ、挨拶、気遣い。経費削減とはいえ、運転手さんの矜持もくそもない。

私たちが運転手に求めているのは、安全走行と時間どうりの走行であって、サービスの良さではない。価格競争の「安かろう、悪かろう」が、最も顕著に出てしまった気がするのだ。

お亡くなりになった方々のご冥福と怪我をされた方々のご回復を祈ると共に、責任ある運転手への無慈悲な批判だけは勘弁してあげてほしいと私などは思うのだ。

2012年4月29日日曜日

ラグビーの試合に行ってきた3

今日の写真は失敗作デス
久しぶりにラグビーの試合を見に行ってきた。新学期になって、初である。昨日1日安静にしていたので、体調も良い。なにより会場校が近いのがいい。10:00キックオフだったが、TVのワンピースの放送を見終わってから、バイクに乗って、ベンチに着いたら10:10だった。

今回の対戦相手は、合同チームである。最近ラグビー人気が落ちてきたのか、花園に3チームも出場できる高校ラグビー王国・大阪でも、本校のような単独でチームを組めない学校がけっこう多いようである。「合同チームだったら練習も不十分だろうし、勝てるだろう。」と思っていたのだが、顧問のM先生によると、「(前回の他校との対戦の結果を見ると)なかなか手ごわそうです。」とのことだった。

私がベンチに座った時点では、0対0だった。すでに応援に来ておられた事務のY先生によると、「惜しい攻撃が何回かあったのだが、相手にうまく守られた。」とのこと。と、いうわけで、相手もなかなかやるらしいことがはっきりしたのだった。

でもやっぱり合同チームは不利だ。一人ひとりの力があったとしても、ラグビーほどチームワークが重要なスポーツはない。前半、やはりその差が出てきた。本校が、3トライ・1ゴールを挙げたのだ。うん、うん、頑張っている。ところで、後ろに中年のオジサン2人がいて、本校のチームを大声で叱咤激励している。「タテに出んかい。」「早くボール回せ。」凄い。的確なアドバイスだ。(笑)実は、うちの顧問のM先生も、かなり怖いのだが、試合ではあまり吠えない。このオジサンたちの方が試合の時は怖い。

後半もあと少しというところで、トライが決まった。女子マネージャーが「あと5分でーす。」と叫んだ。すると、後ろのオジサンが「あと30分!」と吠えた。「お前らにはそれくらでいい。」私は大笑いした。オジサンたちは、一生懸命なのだろう。本校のラグビー部を心から応援してくれているのだ。もっともっと点を取っていいやろ。まだまだやれるはずだ。その30分というコトバにそれを感じたのだ。選手もその意気に応じようとしたのか最後に、もう1トライ、自陣のピンチから一気にタテに走って繋ぐ。まさに我がベンチを過ぎて、あと1mというところまで走って繋いで、走って…、激しいタックルに逢いノッコンして、ノーサイドの笛が鳴ったのだった。結局29対7で勝利した。

M先生の言葉が聞こえる。「今日は勝たしてもろた。でも小さなミスが次の試合では大きな勝負どころになるかもしれん。しっかり反省して次に備えよう。」「ハイ。」間髪いれずの返事が良い。

追記:今日の写真は見事な失敗作で、シャッタースピードの設定を間違ってしまった。愛機G12はデジカメなので、途中で確認すればよいものをバシバシ撮って、家に帰ってぶっとんだ。(笑)すこし画像加工ソフトで暗めにしてみた。私もしっかり、次に向かって反省したい。

2012年4月28日土曜日

ジンバブエの観光VISA

先日、妻が阿倍野のパスポートセンターに行ってきた。彼女のパスポートはすでに失効していたからである。息子や夫はやたら海外に出ているが、妻は国内に残っていたのだ。で、私もパスポートを確認しようとしたのだが、行方不明である。あるべき場所になくて、大騒ぎになったのだ。結局、海外時のグッズの中に財布とともに入っていた。前回の中国修学旅行帰国時は凄い発熱でボーとしていたからだと思う。アホほど人民元札が出てきた。

ふふふ。もう気付かれた読者もいるかもしれないが、今夏は旅立つことが決まったのだ。ところでイスラエル入国時、スタンプを押してもらうと、そのパスポートではシリア(まあ行くこともないと思うけど…)などには行けなくなる。かといって押さず、別紙にしてもらうのもなんだし…。微熱が続く今日、そんなことを考えていたのだった。

ところで、わたしの持つパスポートには、アフリカの観光VISAが、3つ押してある。ケニアとジンバブエとブルキナファソである。(南アはVISAはいらない。)最も思い出深いのがジンバブエのVISAである。これだけは自分で収得したからだ。南アから深夜バスで陸路国境を越えた。泊まるところなど決めてないし、少し入国審査官ともめたのだ。(笑)「君の泊まるところが決まっていないとVISAを発行できない。」と強弁するので、旅行人のガイドブックを見せて「じゃあ、ここに泊まる予定だ。そんでええやろ。」とやり合った。今また「同じように行けるか?」と聞かれたら、ちょっと自信がない。このところ急速に歳をとった気がする。

今度は、妻と2人ゆっくりと行こうと思っている。海外での経験は私の方が当然あるが、体力的にもしかっり度も妻が上である。しかもイスラエル国内では息子夫婦が完全サポートしてくれる。英語すらしゃべらなくてもいいかもしれない。(…それはさすがに面白くない。)半日で良いから、1人自由行動の時間を設定してもらおうと思う。うーむ。バックパッカーの血がさわぐぞ…。またちょっと熱が…。

2012年4月27日金曜日

微熱おじさん

アメーバ・ピグライフの私
このところの夕方の微熱(37℃ちょい)は続いていて、なんとか今週は乗り越えたものの、腰や足がかなり痛い。

先日、NHKの「ためしてガッテン」が、私の症状に近い内容だったので、妻に「目をそらさず、現実を見るのだ。」と言われてしまった。冷え、静脈瘤、動脈硬化、糖尿病…。うーん。妻は隣でガッテン、ガッテンと手を打っていた。やれやれ。

何回か書いたが、妻は東洋医学を独学で、施術法をH城鍼灸院で学んでいる。(要するに鍼の神様の技術を盗んでいるのだ。)私があまりに痛い、痛いというので、ついに本物の鍼を打つと言いだした。身体の表と裏に腰から足にかけて、何本か打ってくれた。さらにマッサージ。ウゲゲ。アイテテテ。

とは言うものの、ずいぶんと楽になったのだった。誤解のないように願いたいが、これは妻の趣味でもある。もちろん鍼を打つ相手は、自分と私だけである。(笑)

明日からの三連休は、ゆっくりと養生しようと思っている。

追記:Werei君、34人目の読者登録ありがとう。くれぐれも他の生徒には極秘でお願いしたい。でないと、思い切ったことが書けないからねっ。

2012年4月26日木曜日

ヤクルト・タフマンを飲む。

南スーダン情勢が悪化していたり、サハラ砂漠の地下に帯水層が見つかったりと、アフリカの話題もあるのだが、今日も学校での日常について書こうと思う。

さきほど体温を測ったら、やっぱり37℃を越えていた。うーん、「微熱おじさん」状態が続いている。今日は、1・2限、5・6限という4時間授業の日だった。合間の授業のない3・4限は、ドイツの三十年戦争について教材研究をして、プリントを作っていた。これが終わると一気に疲れが襲ってきたのだ。妻のつくってくれたお弁当をたべると、頭をかかえてじっとするしかない。

ところで、本校には毎日ヤクルトの販売員さんがやってくる。昨年は全く買ったことがなかったのだが、今年になってよく買うようになった。だいたい「ヤクルト・ミルミル大人用」。100円。なんとなく身体にいいのではないかと思ってのことである。昨日は、あまりに疲れていたので、「なにか元気になるの、ある?」と聞くと「タフマンがあります。」とのこと。要するに栄養ドリンクらしい。130円。今日は、さらにその上の「タフマン・スーパー」をもらった。180円。

そもそもこういうドリンクは、価格への信仰で価値が決まるようなものだと思う。昨日は1時間くらい元気になったので、今日は2時間分頑張れるだろう。(笑)周りの担任の先生がたも大笑いされていた。実際、私はドリンクの価格の効用を信じているので、まさにそうなったのだった。信じる者は救われるのである。

勤務時間が終わって、いつもの公園で喫煙していたら、「もう若くはないんやで。」と学校長に言われた。そうだよなあ。新任の頃、私くらいの年齢のベテラン教師を見て、あんなになるなんて想像もしていなかった。(笑)「無理せんときや。」と言われたのだった。

とはいえ、「理想に生きるのをやめた時青春は終わる。」が私の絶対的スタンスである。「青春」なのであって、「朱夏」でも「白秋」でもないのだ。多少の無理をするのが青春ではないだろうか。明日も飲もうかな。…ヤクルトタフマン。

2012年4月25日水曜日

一斉検診なのだ。

今日は「一斉検診」の日である。本校は8クラス×3学年である。一気に新年度の保健関係の検査をやってしまう。なにせ生徒数が多いので待ち時間も多い。我が1年1組は、例によって何でも一番先である。まずはクラス写真。それまでに保健カードに名前等を書かせなければ。みんな集中する時は一瞬で集中し、スラスラと書いていく。私はこういう訓練が大事だと思う。

その後、黒板に板書したとうり動いていくのだが、クラス写真に行く前に、こう話した。「今日は、保健委員や体育委員を中心に各自が責任ある行動を取って欲しい。クラス代表は委員をちゃんとサポートすること。さらに全員が予定を頭に入れていて、さらにクラス代表をサポートせよ。貴重品は、今日だけ会計が男女別に管理してあげてほしい。さらに待ち時間にHR委員がHR合宿の部屋割り等を順序良く進めてくれ。責任をもって考えて、最高の行動をとるように。今日は、中学生から高校生になる日である。えーかぁ?」「ハイ。」

で、様子を見守っていると、見事にやりこなしてくれていた。時間を無駄にせず、みんなやっている。嬉しいなあ。嬉しい。

視力検査は担任が待ち時間に自教室でやることになっている。「先生、また熱あるんじゃないですか。」「うーん。」「みんなでやるか?」「やりたい者?」元気な男子が4人も手を挙げた。「よっしゃまかす。」とやり方を説明。男子の1番バッターはかなり目が悪い。みんな驚く。眼鏡をかけるとOK。なんか、無茶苦茶盛り上がったのだった。(笑)あとは、待ち時間をうまく使って自分たちでやってしまった。(笑)

一斉検診といえど、新入生にとっては責任感を養う重要なイベントとなりうる。だんだん自分のクラスになっていくのがわかる。嬉しいなあ。でも、気合いが入りすぎているのかな。また微熱が出てしまった。最後の挨拶の後女子生徒に「お大事に~」と言われてしまった。(笑)

2012年4月24日火曜日

秋田商高「環境の達人講座」

秋田市RASICA本部のカフェ
昨日、今日と無理がたたったのかちょっと熱っぽかった。(と、いうわけで昨日はエントリーできなかったのである。)昼休み、近くの公園で喫煙していても、うーん、関節が痛いぞ。思わず木のベンチに横たわってみた。関節は痛いが身体をのばして気持ちいい。目を開くと真上に若葉が綺麗に茂っている。道を走る車の音。鳥の鳴き声も数種聞き分けられる。うーん。いいなあ。

先日紹介した「高校生のための地球環境問題入門」には、『環境の達人』と呼ばれるNGOの講座の話が出てくる。そこで、こんなワークショップが行われる。自分の好きな場所に座って、耳をすますのだ。シートに、聞こえてくる音のイメージを書く。風、鳥の声、人工的な音。言葉やイラストではなく、自分なりのイメージで記号化するのである。私もJICAの高校生セミナーで体験したことがある。この時は、ファシリテーターからあまり詳しい説明はなかった。今回の本の中で、その意味を知ったのだ。

『環境と言う字について、環境の「境」は「境目」。「環」は「輪」や「周り」という意味。したがって、「環境」とは、ある「境目の輪、周り」という意味になる。何の境目なのだろうか?人間の住む場所を「人間圏」と定義すると、それと自然との「境目」ということになる。つまり、環境問題とは、人間が中心の、人間の目線の話になる。』

『5分間(ワークショップで)耳を済ませた時、実は皆さんは、人間圏の内側からこの環境の境目の方つまり自然側の方に移動した。つまり我々は人間圏とその周りの自然を行き来している。環境を考える時、この感覚が非常に重要。』

うーん、なるほどと思ったのだ。で、体調の悪さもあったのだが、自分でひさしぶりにワークショップをしていたわけだ。(もちろん記号を書くシートはなかったけれど…。)人間圏から自然にアクセスしてみた。大都会大阪の中でも、様々な鳥がいて、風の音もいい。今度生徒に、このワークショップをやってみようかな。

ところでその後、保健室で体温をはかったら37.7℃もあった。ちょうど3年生でインフルエンザがはやっているとのこと。さっそくマスクを強制的に付けられた。「6時間目は授業せず、早めに帰ってくださいね。」と言われてしまった。一気に現実の人間圏にもどってしまったぞ。(笑)

追記:自宅に戻ってまた体温をはかると平熱にもどっていた。とはいえ、今日は風邪薬を飲んで早めに寝ようと思うのだ。明日はクラス写真もあるし、休めない。気合いで治す。(笑)

2012年4月22日日曜日

秋田商高の地球環境問題入門

少し前、秋田市立秋田商業高校のO先生に、「高校生のための地球環境入門」を贈呈という形で送っていただいた。秋田商業高校は、昨年大震災直後に行かせていただいたユネスコスクールで、素晴らしいESDの実践をされている学校だ。この本は、高校生のための入門シリーズでは、「国際理解」「アフリカ理解」「国際連合」に次ぐ4冊目ということになる。秋田商業高校と私の関わりについては、以下のブログを参照願いたい。11年1月29日付、同3月19日・20日・21日付、同6月30日付。

現在のところ、半分程度読んたのだが、昨日、京都で秋田料理を食べに行った関係で、我慢できなくなったので、この本の紹介をしようと思う。…なんのこっちゃ。

まず秋田商業高校の環境問題に関する実践が報告されていた。学校全体としては、秋田県内の食材を使用した商品を企画、開発、販売する活動が、生徒会の主導で「グルメグランプリ」として行われている。2年目からは他校も参加して、AKISHOPという商業高校らしい教育実践の中で実際に行われている。要するに、『地産地消』を推進しているわけだ。身近な環境問題として、素晴らしい取り組みだと私は思う。「地産地消」は、輸送に必要なガソリンを減らす(フードマイレージ)大きな取り組みの一つだ。環境問題では、”自分たちに出来ること”をよく強調するが、大阪の高校生には想像も出来ない取り組みだ。素晴らしい。

ユネスコスクール班の取り組みも面白い。いろいろな取り組みをしているのだが、身近なことから大きく拡がったのが”黒板で使われ捨てられるチョーク”プロジェクト。グループ名は「結」(ゆい)。
プロジェクトその1:もう使えない小さくなったチョークを集め、粉末にして乾燥させ再生させようというのだ。面白いのは、白のチョークだけでなく黄色や赤色のチョークもあるので、再生されたものは『肌色のチョーク』になること。書き心地は問題ないらしい。水の配分が難しいらしい。…なるほど。O先生の感想では、緑の黒板に肌色の字。なかなか新鮮だったとか。(笑)
その2:チョークの粉末をグリーン・カーテンの肥料としてつる植物を植えたという。秋田市環境部から秋田県地球温暖化防止活動推進センターを通してヘチマやアサガオの苗を譲りうけたという。夏休みも毎日水をやったのだが、若干栽培時期や日当たりに問題があって、期待どうりには成長しなかったらしい。(私は秋田商業高校の地元の行政やJICA,NGOなどとの連携のうまさにいつも感心してしまう。)
その3:国外との「結」の実践として、秋田のNGO・RASICAのスタディーツアーに参加。例の肌色チョークも持参していったが、ネパールの学校の教室はホワイトボードで、リサイクル法を伝授しようと張り切っていたのに残念という結果だったらしい。O先生のコメントが素晴らしい。『開発途上国に対する自分たちの「思いこみ」に気づかされる結果になりました。』

さらにRASICAと連携して大震災の被災地(宮城県石巻市)へ15回のべ44人の生徒がボランティアとして活動。生徒の「行きたい」という強い熱意が実ったのだという。この体験を前述のAKISHOPで市民の前で報告も行っている。凄いなあ。環境問題というロジックの学習ではなく、様々な試行錯誤を行いながら、実際のアクションに移っているところが凄い。とても全て紹介できないが、今回はここまで。次回は「環境の達人講座」の紹介をゆっくりしたいと思うのだ。

2012年4月21日土曜日

京大 DE エチオピアコーヒー

前から楽しみにしていた「日本ナイル・エチオピア学会創立20周年記念 公開シンポジウム」に、妻と一緒に行ってきた。『エチオピアのコーヒーをたのしむ』と題されて、学会の方と私たちのような一般人も参加してのシンポジウムだった。会場の後方半分は、パネル展示やコーヒー関係、エンセ―テ関係の展示になっていたこともあって、一般の参加が多かったのか、最初から満員御礼状態だった。

”Coffeagraphy”という写真で見るコーヒーのプレゼンテーションで開会した。語りは、いつも挨拶してくれる中村さんだ。彼女の研究地域もエチオピアだったはず。重田先生の挨拶、駐日エチオピア大使の祝辞と続いた。大使もエチオピアの大学で教えていた学者さんらしい。この学会の会員でもあるそうだ。そういうことに、私などは素直に感激するのだ。さらにこの学会を古くから支援してきた企業の会長さんの祝辞もあった。若い研究者を支援されているらしい。うちの息子も、今は国の支援で研究者生活をしており、今度は某企業の奨学資金の選考にエントリーしているらしいことを妻から聞いたばかりだ。こういう人文系の研究は、大体カネにならない。ありがたいことだよなあと、これまた私は素直に感激するのである。

さて、セレモニーに続いてアジスアベバ大学の先生の『遺伝学からみたコーヒー』という講演があった。当然英語でのプレゼンテーションである。アムハラ語なまりの英語。いいよなあ。レジュメも英語なのだが、スクリーンに日本語版と講演内容の趣旨が映されるのでなんとか理解できる。ただいつもの公開講座のようにはいかない。ただ気になった言葉が出てきた。「前適応」という生物学の言葉である。「コーヒーはエチオピアからの贈り物」と言われ、原産地として有名だが、このエチオピア原産のアラビカは、他のコーヒー種と異なり、二倍体から四倍体になったそうで、その要因として使われた言葉だ。調べてみて、なんとなく理解したような、していないような。完全文系の私には難解だ。まあ、「コーヒー=エチオピア原産」ということを、証明する講演だったのだと思う。(間違っていたらスミマセン。)

休憩では、コーヒーセレモニーの実演もあった。私は毎回公開講座でごちそうになっている。コーヒーにうるさい妻に言わせれば、かなり濃いそうだ。後味はかなりいいとのことだった。(笑)申し訳ないが私は、とにかくコーヒーだったら嬉しいので…。

後半は若手の伊藤義将(京大アフリカ地域研究資料センター研究員)さんの、「森のコーヒー」という発表。内容を概説すると、エチオピアの南政部の高原地帯、1300mから1800mの標高の湿潤山地林(年間降水量1500mm~1800mm、年平均気温20℃~26℃、年間最低気温4℃、最高気温40℃)でコーヒーは生育するという。現在エチオピアのコーヒー生産の50%は、私有地である「森」で収穫されているということである。コーヒー農家が、植えたものではなく、自然にある野生の『森のコーヒー』であるという点が面白い。この森に、所有者の家族、所有者の親戚を中心に、村の友人や全く無関係の周辺地域から集まってくる若者たちが、ルールに従って採集するのだという。そのルールとはヤクトとオモロ人の現地語でいう所有者と採集者で利益を50%ずつ折半すること。もうひとつは、同じくチルというコーヒーの木の下草の刈り取りなどの自然への手入れ(日本で言う里山化のような感じを受けた。)である。

私は「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」の中で、エチオピアの農業について、「アフリカの農業は、教科書で定説になっているようなプランテーションではない。」ことを書いている。なにより、主食となっている穀物生産が農業の中心であることを統計資料をもとに説いているのだが、はからずも、伊藤さんの講演はそれを裏付ける内容だった。この「森のコーヒー」、収穫量が不安定なのだ。あくまで、穀物生産が中心で、採集者にとっては現金を稼げるチャンスではあるものの、所有者と関係の深い人々以外は、毎回同じ森に行くわけではないらしい。サイドビジネスという感じなのだ。非常に面白かったのだが、レジュメが要旨のみだったので残念。いつか、公開講座でもやっていただければありがたいと思うのである。

最後にエチオピアのコーヒーを商う企業人である宇田川遼一さんのBOPビジネスの話があった。学術的なシンポジウムとは異質の話だったが、なかなか面白かった。その後、妻とひさしぶりに三条河原町で食事した。秋田の郷土料理。いやあ、充実した京都の午後だったわけだ。

2012年4月20日金曜日

5分に1回笑わせる「倫理」

桜の花びらが散った後にさく水仙 本校正門前で
新学期2週間目。我が1年1組は順調に学校に馴染んできているように思う。現代社会(というより『倫理』である。)の授業も、我がクラスで3回行った。先週金曜日が水曜日授業だった関係で今週は月・火・金・木・金となったからだ。クラスの生徒の名前もほぼ覚えたので、授業では名前を読んで発問できるのが嬉しい。(…まだ他のクラスの生徒の名前はクラス代表くらいしか覚えていない。申し訳ないことだが、50を過ぎてかなり記憶力が鈍っている。)

『倫理』は、毎回のことだが、3つのコンフリクトの話から始まる。私の『倫理』の授業を受けたOB・OGなら、きっと懐かしい「腸チフス」の話(10年4月13日付ブログ参照)で笑いを取る。次の時間は、「エディプス神話」を語るのだ。大抵かの有名な”なぞなぞ”の答えを知っている生徒がいる。ちょっと心理学的な話題も挿入する。エディプスコンプレックスの解説もするのだ。3回目の授業では、「神話」と「哲学」の相違を教える。比喩的表現から明確なロゴスとしての言語的な表現へ。実は、この部分は、本校生というより、中学3年生に毛がはえたくらいの新入生にはかなり難解であると私は思う。

そこで、今回はこんな教え方をした。たとえば、「桃太郎」の話。あの話は何を言いたいのだろう。桃がドンブラコ~と流れてくる。かなりでかい桃。よく浮かんでいるよなあ。(笑)桃を切ったら桃太郎が出てくる。よく怪我をしなかったもんだ。(笑)で、子分をつれて鬼退治。そんなに鬼は悪い奴なんだろうか。宝物をどっさり取ってくる。これって強盗ちゃうんか?(笑)「浦島太郎」の話も同様に茶化す。
人それぞれで、これらの話の捉え方が違うのではないか、と問いかけるのだ。はっきしないよなあ。生徒は笑いながら頷く。それに対して、タレスは「万物は水である」とはっきり言っている。これが哲学なのだが、まだ難しいと思う。で、ヴィトゲンシュタインやデリダで使う話を大放出した。「男は(    )である。」と、黒板に書いて、さあ(    )に入る言葉や文章を入れてみよう、と女子に聞いてみる。「子供」「単純」…おいおい。教室は大爆笑である。元気な男子を名指しして、「おーい、お前のこと言われているぞ。」またまた大爆笑。こういうふうにして、はっきり言い切ることが哲学の始まりなのだと教えるのだ。ちなみに、前任校も含めて様々な回答があった。今も面白いと思うのは、「筋肉」とか「遺伝子が足りないもの」とか。私なら、「やさしさ」と答えるが…。「こら、引くな。」これまた大爆笑だった。

この後、落ち着いてアルケーの説明をして、タレスやアナクシマンドロス、アネクシメネスの話になる。彼らの『水気』や『カオス的なるもの=ビッグバン的な見方』『空気=気』など、古代人の直感があながち大きく外れていないことも面白可笑しく語るのだ。『気』の説明には、ドラゴンボールのカメハメ波や元気玉の話なんかもする。我がクラスでは盛り上がりすぎて、ピタゴラス学派の話が少し中途半端になってしまった。(笑)ピタゴラスの宗教団体の戒律も面白いのでなかなか盛り上るのだ。5月のHR合宿では、ピタゴラス学派のように、起きる時は布団を人間の形にしてから出るように、などと言うと、これまた大爆笑だ。次回は、ヘラクレイトス、パルメニデス、エンペドクレス、そしてデモクリトスと話が進んでいく。パルメニデスは高校の教科書には出てこないことが多い。難解だからだが、彼の存在論を語らねば、エンペドクレスが語れない。さらに挑戦の日々が続く。

2012年4月19日木曜日

快刀乱麻で南ア経済を斬ると…

だいぶ前に『ハーバードの「世界を動かす授業」』(リチャード・ヴィトゥー著/徳間文庫)という本を買ってちょこちょこ読んできた。新学期で疲れているのだろうか、通勤電車で読んでいても、すぐ睡魔が襲うのでなかなか読破できなかったのだった。というわけで今日やっと読み終えたのだ。

この本は、ハーバードのビジネススクールで、講義されている国際経済の授業内容が記されている。おおいに勉強になる本である。世界中から集まるビジネス・エリートを相手に、縦横無尽に様々な国家の戦略について語り、国を背負っている学生に論争を挑んでいくという、凄い授業スタイルをとる大先生らしい。こういう講義、さぞかし面白いだろうなあと思う。

勉強になったことはいろいろあるのだが、今回のエントリーでは、南アについて書かれた部分について感じたことを書きたい。昨日エントリーしたBRICSの話、ちょっと前まではBRICsであった。世界に影響を持ってきた新興国に南アが入り、”s”が”S”になったのだ。
私の「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」でも、南アは一応サブ・サハラ=アフリカのテリトリーに入れているのだが、あまり触れていない。他の国々と経済規模が違いすぎるからである。実際、南アのフリーウェイを走ったりすると、ここはカリフォルニアではないか?と思うほどである。

この本では、南アをメキシコとともに「挟まって身動きがとれない国」という概念で捉えている。低付加価値商品で中国に勝つことが出来ず、高付加価値商品で日本やシンガポールと競うこともできない。マレーシア、トルコ、ラテンアメリカ諸国と一緒で挟まってしまっていると表されているのだ。
GEAR(マンデラ政権下の成長・雇用および再分配と呼ばれたマクロ経済開発戦略)、さらにはBEE(ムベキ政権下の黒人への経済権限付与)について解説した後、南アの問題点を指摘していく。南アは自分たちが何が得意とする部門は何なのかを考える必要があり、何らかの方法で差別化をしなければならない。犯罪をなくせば、南アの観光業は世界一になるに違いない。鉱産資源も恵まれているが、利用できれば、の話であると手厳しい。何より、そういう戦略に集中し国民が一生懸命働かなければ、グローバリゼーションの中で生き延びれないというのだ。
『南アの新しい市民にどれくらい勤労意欲があるのか、はっきりわからない。彼らは何年もの間、働くことではなく権利を得ることばかり考えてきた。前進するためにには働けなければならないし、学校に通わなくてはならない、という考え方に適応するのは難しいだろう。』と、大先生は、全く忌憚なくおっしゃるのだ。

うーむ。なるほど…と思う。凄い。アメリカの資本主義の祖・ピューリタンの大精神で、”快刀乱麻”というところか。グローバリゼーションは、アメリカ化という一側面がある。勝ち抜くにはそういう発想が必要なのだろう。誠に面白いが、これこそがが「正義」だと言う勇気は私にはないのだった。

2012年4月18日水曜日

BRICSの世銀と世銀総裁選

世銀総裁候補 オコンジョイウェアラ
毎日新聞の「水説」に『BRICS銀行』という潮田道夫専門編集委員のコラムが載っていた。BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南ア)の5カ国が自分たちだけで国際金融機関を作ろうとしているという話だ。世界銀行・BRICS版と言っていい。

ちょうど、世銀(世界銀行)の総裁選挙が行われたばかり。世銀は、先日韓国系アメリカ人のキム氏を新総裁に選んだばかりである。ダートマス大学の学長でWHOの局長としてアフリカのエイズ問題に取り組んだ実績をもっている人物だ。そもそも世銀の総裁はアメリカ人と決まっていて、選挙が行われたことはなかった。ところが今回はナイジェリア財務相のオコンジョイウェアラ氏らが出馬、途上国が、先進国主導の世銀運営に異を唱えたわけだ。で、アメリカはウォール街からでなく、アジア系で、しかも国際協力の実績をもつキム氏で融和を図ったように見える。

水説コラムによると、BRICSの方は、そう簡単にうまくいきそうにないらしい。BRICSの中でも中国の資金力が圧倒的で、インドなどは仲間に対して警戒感を露わにしているという。(今でも中国は世銀なみにアフリカに資金をばらまいている。)まあ、BRICSも一枚岩ではないわけだ。

この世銀総裁選とBIRICSの動きで、言えることは、アメリカの威信の低下というか、コラムの表現を借りれば『米国の覇権の終わりの始まり』ということになるだろう。さらにコラムでは、『BRICSが試みているのは、次の金融大崩壊を生き残るための具体策作り』だという視点である。ここでも、日本の政治家の戦略の無さ、スケールの小ささを指摘している。…なるほどと、唸るしかないのが悲しい。

2012年4月17日火曜日

南スーダンでPKO駐屯地空爆

スーダン軍のスホーイ30型戦闘機
暗澹とした気持ちになるニュースが、日経の朝刊に出ていた。先週は新学期だったこともあって、学校の話ばかりエントリーしていたのだが、アフリカでは、スーダンと南スーダンが大モメにモメていたいたのだ。帰属が不明確なまま分離独立した油田地帯をめぐって戦闘が激化しているらしい。しかも、最新ニュースでは、スーダン軍が国境地帯に展開する国連のPKOの駐屯地に空爆を行い、死者はなかったものの発電設備などに被害が出たようだ。実際は南スーダンの政府施設を狙っての爆撃だったようだが、「スーダン軍が国連PKO駐屯地を空爆」という見出しは、あまりに刺激的すぎる。

もちろん日本の自衛隊は、はるかかなたの首都で活動しているので何の被害もないわけだが、またやおら論争が起こるかもしれない。

この紛争、国際社会にも責任がないとはいえない。油田の帰属が不明確なまま見切り発車で南スーダンは独立したからだ。なんとなく南スーダンがベビーフェイスで、スーダンがヒール扱いされていくのだろうか。マスメディアには正確で慎重な報道をお願いしたい。

たしかに鉱産資源はGDPを底上げするのに有効だが、その扱いを誤ると一気に紛争の罠にはまる。スーダンも南スーダンも冷静に判断すべきなのだが、平和学では一度戦いだしたら、様子を見てどちらかが疲れるのを待つのが上策とされる。国連のPKO軍も紛争地帯から撤退するかもしれない。

うーん。ほんと暗澹たる気分である。暴力で未来は拓けない。

2012年4月16日月曜日

ルワンダ大統領の「コトバ」

ルワンダ カガメ大統領
4月9日に東京新宿の教会でルワンダ大虐殺の犠牲者を追悼する式典が開催された。今年で18回目だそうで、東アフリカの大使館関係者が集まったそうだ。

最後に在日本ルワンダ大使は、カガメ大統領の第16回記念式典でのスピーチを引用したそうだ。
『我々の未来を創るのは、我々自身である。外部からの支援は、我々の努力の補完にしかならない。我々や我々の青年や子供に、誰もやらない。彼らは、強さと誇りに見合った良い教育と良い政治を受けるべきだ。我々はルワンダ人で、アフリカ人で、そうであることが幸福であらねばならない。』

なんと、自信に満ちたコトバであろうか。私は久しぶりに本物の政治家の、勇気を与えるコトバを聞いた気がする。一部の人間を敵に回しての品位のない悪口、はたまた胆力の無さを露呈するような軽率なコトバ、大局ではなく政局から出てくる言い争い。マスメディアで目にしたり耳にする日本の政治家のコトバのなんと低レベルなことか。日本の政治家は、カガメ大統領のスピーチに学ぶところが大である。

2012年4月15日日曜日

京大公開講座4月の追記

鳥取大学乾燥地研究センターのHPより
昨日の京大の公開講座のエントリーで、書ききれなかったことが2つある。今日はそのことを書きたいと思う。大山先生が首都大学東京時代に書かれた論文「西アフリカ・サヘル帯における市場経済化の進展と砂漠化問題」をWEBで発見した。この論文こそ、昨日の講義のほとんど全てが書かれているようだ。
http://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/member/thesis/Oyama2010-hosei.pdf

昨日書ききれなかった事の1つは、大山先生が言われていた「現在行われている砂漠化対策」への批判である。論文(以下のWEBページ2P目)の中で、『ニアメ(ニジェールの首都)の国際空港に着陸しようとする飛行機の機内からも、植林地や浸食防止対策の施工面積が近年、急速に拡大している様子がうかがえる。しかしその施工方法には違和感をおぼえるkともある。』『現在の砂漠化防止対策は高価な資材、多大なエネルギーと資金を必要な技術開発をめざすものが多いという指摘もある。』

…実際にどんな砂漠化対策が行われているのかを調べてみた。日本語のWEBページでは、鳥取大学の乾燥地研究センターのページに詳しく載っていた。一読したが、なるほどと思わせるものだった。
http://www.geocities.jp/soil_water_mitchy11/favorite.htm

大山先生が論文で指摘されているのは、ここで解説されている『砂丘固定技術』なのだろうか。一方、国(環境省)の砂漠化対策については、「砂漠化対処条約」(UNCCD)をもとに、様々な対策を行っているようだ。アフリカでは、伝統的な知識・在来技術を活用した取り組みを行っているようだ。これも、なかなか面白かった。
http://www.env.go.jp/nature/shinrin/sabaku/
http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=11246&hou_id=9612

大山先生は、グローバル経済の浸透、市場経済の定着という社会変化の中で、農村から都市へ栄養分が移動し、都市と農村の物質循環の欠如が起こっていると指摘されている。(この表は昨日の講座のレジュメでも掲載されていた。)これこそが、砂漠化の原因であると書かれている。この視点こそが重要な問題なのではないか。単に莫大な資金や技術を使いインフラ的な対策をうつ外科的な対処法ではなく、生態系全体から見た内科的な対処であるといえよう。凄い視点だ。

もうひとつ、書ききれなかったこと。それは、このアフリカでの地域研究の視点が、全世界的な都市と農村の物質移動と関わることである。砂漠化はサヘルが最も顕著だが、全地球的に砂漠化が進んでおり、それは同時に世界の穀倉地帯であるということである。大山論文には次のようにある。『生態系の物質循環のなかに歳を位置付けないかぎり、世界各地で進行する砂漠化問題の解決、都市と農村の持続性を追求していくのは困難である。』

…もし、アフリカの「知恵」が世界を救うなら、こんな素晴らしいことはないではないか。ワクワクする話である。

2012年4月14日土曜日

京大アフリカ研'12公開講座4月

ちょっと花冷えの京大稲森財団記念館
新学期の疲れがたいぶ残っているようで、京阪特急内では爆睡してしまった。しかも今日はかなり早く着いたので、前から見たかった稲森財団記念館1Fで京大学術調査隊の記録映画『カラコルム』を見ていたのだが、またちょっとウトウトしたのだった。(ちょっと申し訳ない気持ちである。)と、まあ最悪の状況下で、今日は公開講座に参加したわけだ。

ところが、今日は大山修一先生の講座である。私は昨年の大山先生の講座(昨年6月18日付ブログ参照)に大いに感激したので、楽しみにしていたのだ。大山先生の研究は、開発経済学的な視点をもった地域研究だからである。また、VTR等を使っての解説もあって面白い。
今回のテーマは『ゴミをまく人びとに出会う』-サヘル(サハラ砂漠南縁)にあるニジェールの話である。深刻なサヘルの砂漠化、その原因については様々に語られてきた。しかし現地で生活する人々がどう対処しているのかについてはあまり語られていない。

まずは、ニジェールの現状や調査地のダンダグン村の様子をもとに、砂漠化のメカニズムついて教えていただいた。サヘル地域は、そもそも「アレノソル」と呼ばれるアフリカ三大劣悪土壌の1つ、南からの強風で風化の進んだ石英砂を主体にした有機物や有機窒素、リン酸浮含有量の少ない土壌なのだ。良い土というのは、土と土が様々な生物によって、空気や水、また根が入りやすい適度な空間をもちながらひっついている団粒構造だそうだが、ここの土は砂の割合が80%もあり、粘土質は5%の単粒構造なんだそうだ。
回ってきて手に取った「押し鍬」
しかもこの地域では雨季には極めて強い雨が降る。そのため土が撹拌され軽い粘土質やシルトが上に押し上げられ膜(表面被殻)をつくる。この膜は水を浸透させない。…私もブルキナで経験したが、雨が降ると、一気に街が洪水のような感じになった。わかる、わかりますよぉ。そこで、村では雨季には、男性がくそ暑い中でこの表面被殻を鍬で破壊し、水を浸透しやすいようにするそうだ。その鍬(押し鍬)を実際に見せていただいた。…これもブルキナ北部の畑で私は見たことがある。耕すにしては浅いよなあと、その時は感じたのだが、非常に合理的な作業だったわけだ。これも、わかる。わかりますよぉ。(この辺、講座終了後で大山先生と話をさせていただいたのだが、実際に現場に行かないと実にわかりにくい話だということで一致したのだった。)
さて、村では、主にミレットを栽培しているのだが、状態の良い土地をKasa、連作によって養分が抜けた状態の土地をLeso、セメント状に固結したFokoと現地語のハウサ語で呼ぶ。この最も農耕が困難なFokoに、彼らは、家畜の糞や家から出たゴミをまくのだ。これはTakiと呼ばれ、着古された衣類やゴムサンダルまで含まれる。調査をしてみると、Fokoは強酸性で栄養がないのだが、Takiは栄養が豊富で、しかも弱アルカリ性でちょうど中和されるそうだ。…凄い生きる知恵である。

京大HPより Fokoに撒いたゴミの後
大山先生は、都市のゴミを持ってきてさらにFokoに撒いてみてはどうかと考えられた。村の長老から実験地2.7ha(元牧草地で当然Fokoである。)を預かり、実験・調査したところ、ゴミを撒いたところに種も撒いていないのに草が生えてきた。そこに、村の家畜が草をはみにくるようになったのだ。
面白いのは、彼らは、ゴミに交じったプラスチックや金属なども撒く。そのほうが重しになったり、砂がたまったりするので良い、問題ないとしている。(見た目は、我々日本人にはギョッとするのだが、現地ではあまり違和感はない。これも実際行ってみないとわからないと言う点で大山先生と一致したのだった。)しかし、調査によって家庭から離れた場所で、臭素や鉛、クロムなどの重金属が検出されたとのこと。都市のゴミ採集した103か所のうち5か所という少ない数値だが、都市から得るゴミは、家庭から出された直後の有機物のゴミを使用することが望ましいという結論に達したそうだ。ゴミは、20kg以上入れると効果的なことも判明した。ゴミは山のように置いておくと、飛砂が溜まり、団粒構造が形成され、シロアリが住みつき、粘土などを持ちあげてくれることがわかった。しかもシロアリの造る穴が雨水を浸透させているらしい。しかも、前述のようにpHが強制され、栄養分が添加されるという。

ところで大山先生は重要なことを質問会で語られた。調査した村人がハウサ人であること。私の知るハウサは、商業に秀でた人々だ。(荒熊さんからの受け売りであるが…)ハウサは「人も自然も動くものだ。」と言う。西アフリカは東アフリカと違って競争原理が強い。働くことが美徳だと信じるハウサは生きるための糸口を見つけると猛烈に動く。このゴミを使ったサヘルの土壌改造は、そういうハウサの美徳によって、あちこちで行われるようになっているのだという。一方、共生しているおっとりしたザルマの人々にはまだ広まっていないのだという。面白い。

また講座の最初に「これはアフリカだけの話ではない。」とも言われた。農村から都市へと栄養分が移動し、都市でそれらは喪失されていく。エネルギーや環境問題から見た時、これは大きな損失である。もう少し時間があれば、日本の現状をもっと語り、大山先生は、きっとこう言われたのではないかと思うのだ。「日本がアフリカに学ぶことは、たくさんあるのです。」

帰りの京阪特急では寝れなかった。講座会場の後方に置かれていたイッツ・フリーの大山先生の論文のコピー2通をむさぼるように読んでいたからだ。いやあ、眠気を覚ますような良い話を聞いた。私の「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」新ヴァージョンに是非とも書き入れたい話だった。(重田先生の紹介によると)京大アフリカ研究者第四世代代表の大山先生、本当にありがとうございました。おおいに勉強させていただきました。

2012年4月13日金曜日

女子生徒の『男気じゃんけん』

『黒団』 結団式
昨日書いたが、今日は水曜の時間割で、5限目が団活動(総合学習の時間)、6限目がLHRである。3年生が頻繁に連絡を取ってきてくれる。「黒団」は第二体育館に集合であった。見に行くと、すでに全員が着替えて5分前集合していた。集中的な集合・移動指導が完全に花開いたようだ。(笑)団長から結団の挨拶があり、親睦を深める為にドッジボールをすることに決まっていた。3学年3クラスが等しく2チームに分かれ、バスケットのコートを使ってのゲームだ。

わが1年生1組の男子は臆することなく、楽しんでいた。運動能力の高い生徒が多いことを改めて認識させられた。ボールのスピードが尋常でない。(笑)おいおい、女子にそんなボールを当てるなよ。

ゲームを十分楽しんだ後、団の幹部が紹介された。ここでも一発ギャグが飛び出して、1年生はすっかり高揚したようだ。次のLHRの時間でもそれは持続していた。男女のクラス代表を中心に、クラス役員を決めるのだが、彼らの判断で自薦のみで多くの委員を決めていくことにしたようだ。1順目、黒板に書かれた委員のポストの3分の1くらいが埋まった。2順目、3順目。いくつかのポストが埋まらない。元気な運動部系男子連中がワイワイ騒いで男子を他薦してくれたので、男子は全て決定した。うむ。なかなか美しい。こういう体育会系のノリは本校らしくて良い。問題は女子のポスト。クラス代表も一生懸命やってくれたし、最後に残った文化祭の担当は、仕方がないので口出しをした。「まだ何にも決まってない女子、起立。」おとなしい子たち4人だ。「じゃんけんできめるぞぉ。」というわけで、じゃんけん。すると、1人の生徒が勝った。「よっしゃ、決定。」「?」みんなびっくりしている。私のセリフは、「男気じゃんけん。」(とんねるずの番組で、清原とかバナナマンが、じゃんけんに勝ったら道の駅で買い物するゲームだ。)教室は、大爆笑で、勝った生徒も苦笑してOK。

なんとなく、こうして笑いに包みながらクラスを動かしていく。昔から『微笑みのファシスト』との称号を生徒にもらっているのもダテではない。(笑)もちろん、選ばれ方はどうあれ、自分に課せられたポストに対して「責任ある行動」を取ることを指導した。大爆笑の後だったが、みんな真剣に聞いてくれた。うむ。自分のクラスに成長していくのが実感できるのだ。教師として、こんな充実感はない。

と、いうわけで、120%の全力疾走で駆け抜けた1週間が終わった。学校や近隣の公園、そして地元の桜はまだ、雨にもマケズ綺麗に咲いてくれている。なんか、この一週間のご褒美をもらったような気分だ。

2012年4月12日木曜日

「1組」故の諦観。

5月にHR合宿で行くことになる「大山」の雄姿
新入生4日目。今日は、レントゲン撮影が5時間目にあるのが新学期らしい日程である。「1組」は何でもトップなので、生徒も担任も大変である。(笑)
13:10に集合と保健室から言われていたのだが、あえてさらにその5分前集合とした。ちょうど5時間目は男女とも2組と合同で体育である。男子は教室、女子は更衣室で着替えるので、女子には12:55には教室を退去するよう指示しておいた。ちょっとかわいそうだが、でないと男子が着替えれない。(笑)入学式以来、「1組」だということで、全ての行動が早め早めなので、クラス内には諦観ともいうべき暗黙の了解が生まれている。 昼休みが大幅に削減されて、 かなわんなあと思っているはずだ。(笑)

私も気になったので、10分前に行って待っていたら、ちゃんと5分前には集合完了。この業界では、「鉄は熱いうちに打て」という指導上の法則がある。なんとか今のところうまく行っているようだ。

ところで、今朝も朝8:00には校門に立ち、生徒たちを迎え、1・2時限目は授業で立ちっぱなし。昼休みも前述のとおりバタバタ走り回っていた。5・6限目も授業で立ちっぱなし。放課後も雑務を終えて、クラブ活動を始めている生徒の顔を見に、野球部やサッカー部や空手部やダンス部などの練習を見たくて校内をウロウロしていたのだった。

「もう若くはないのだ」と無理やり気付かされた。今回同じ「黒団」として団活動を盛り上げるべく3年5組担任のM先生と、職員室で冷コーヒーを入れた紙コップを持ちながら談笑していたら、ボロッと落としてしまったのだった。幸い残り少なかったので大事には至らなかったが、ズボンや床の上にコーヒーが拡がった。(笑)疲れがだいぶ溜まっているようだ。

とはいえ、校内を歩いていても、今日初めて授業をした1年生に笑顔を挨拶されたり、今回教えれない3年生に「世界史は先生じゃなくて悲しい。」と言われたりすると、やっぱり嬉しい。ついつい、自分の体力を考えず頑張ってしまうのだった。あと1日。激動の1週間も一休みである。しかも明日は、来週から1年武道科・体育科が野外活動のキャンプに出るので、団活動とLHRを確保するために、水曜日の時間割に振り替えである。正規の授業は1時間だけだ。ちょっとだけ楽ができそうである。そのかわり来週は地獄の「4時間授業」5連発になるが…。

労を厭わず、笑顔で、あと1日頑張ろうと思うのだ。

2012年4月11日水曜日

団抽選で本校の伝統注入。

我がクラスの団抽選の瞬間
新入生にとっては3日目である。今日は、朝から芸術科の授業。本校では、普通科らしく、美術・工芸・書道・音楽の4教科が選択できる。我が1組は2組と合同で分かれて受講する。それぞれの授業が行われる教室は、昨日事前に探検するよう伝えておいた。口で言うより、自分で確認するに限ると私は思う。3限目は男子は保健、2組の男子と合同授業だ。女子は体育。それぞれ、座席の移動の準備や、体育の行われる場所の確認など、細かな指導が必要である。体育委員は、担当教員に指示を聞きに行くことになっている。細かなことだが、こういう指示をしてあげなければ、大混乱する。担任自身のシミュレーション能力が試される。

5・6限目は、昨年私がびっくりした団抽選と新入生歓迎会である。これまで、本校の尋常でない礼儀指導で、辟易としていた生徒たちが、異様な雰囲気にびっくりしていた。3年生が仮装して入場してくるのだ。あまりの落差に、目がテンになっている。一応事前に『ヨシモト化すること』を解説しておいたのだが、かなりショックだったようだ。凄い熱気である。3年生の『ヨシモト的一発ギャグ』の連発に、それまで暗かったり、硬かったりした表情が、変わっていくのが面白い。それまで、講堂で緊張ばかり強いられてきた彼らが開放され、ワイワイとみんなで楽しんでいた。なかなかいいもんだ。

いよいよ、3年、2年の団の色が決まって、1年生がクジを引く番になってきた。体育科7組、8組がまず引く。すると、7組全員が立ち上がり、上級生がやるのと同じパフォーマンス(「イロイロ、何色?」と全員で掛け声をかけるのだ。)をやりだした。オイオイ。そんな1年生いないぞ。しかも、抽選者が一発ギャグまでかましたのだった。8組も同様に上級生のまねをして頑張っている。1組の抽選者は、か弱い女子生徒である。彼女はかなりプレッシャーとなったはずだ。すると、男子生徒が突如代役をかってでてくれたようだ。わが1組も体育科に負けず、全員で起立して掛け声をかけることになった。私が、クラス代表の男子に、「お前が最初の掛け声をかけてやれ。」と言ったのだ。出会って3日目の我がクラスが、見事に団結して盛り上げてくれた。(笑)彼らは、無理やり被っていた猫を脱がされたのだった。(笑)

後からわかったことだが、7組の担任は本校体育科OBで、こういう団活動を始めた時の初代の総団長。その内に秘めた団活動への思いが学年全体を動かしたのだった。

我が1組は、黒団となった。団を引っ張る3年生は、最も元気な5組だ。2年生は、今朝も激励に行った柔道部が多い武道科の6組。なかなか面白い団活動になりそうだ。

新入生歓迎会も大いに盛り上がって、クラスにもどると、雰囲気が一変していた。明日の予定を伝え、「返事は?」と呼びかけると、「ハイ」という大きな声と笑顔が返ってきた。いいぞ。いつもは礼儀正しく、羽目をはずす時は本気ではずす。本校の伝統が注入された1日だった。

2012年4月10日火曜日

超過激な1日だったのだ。

玄関横のフェニックス。ニンジンみたい。
朝、6時すぎに家を出た。JR学研都市線は人身事故の関係で遅れていた。結局乗れたのは6:49の区間快速。すでに満員だった。その後はまさに残酷物語である。前の駅から乗ってきた本校生とくちゃぐちゃになって放出駅にたどりついた。朝から試練の1日だった。

今日から新入生がバンバン自転車登校してくる。と、いうことで生活指導の先生方を手伝う。大きな声で挨拶。自転車のステッカーの確認。思わず顔がほころぶ。とはいえ、電車でも正門前でも立ちっぱなしである。ちょいと足が痛い。(笑)

1・2時間目は、離任式+対面式+LHR。我がクラスの生徒が代表して対面式の挨拶をした。内容を全て暗記しての挨拶だった。なかなかたいしたもんだ。LHRでは、自己紹介や職員室の入り方のシミュレーション、クラス費の回収、ステッカー代の回収。さらにクラス代表や、体育委員、明日の団抽選のメンバーなどの選出。自転車操業で、必要なコトを伝授していく。

3・4限目は授業。今年の時間割は凄い。4時間授業の日が4日間もある。授業の少ない水曜日も総合学習とLHR、学年会を入れると3時間、おまけに世界史Bの補習。ははは。笑うしかない。今日のような日こそ空いていてほしいところだが、見事3・4限は授業が詰まっていた。初めての1年生は武道科6組へ。渾身の授業をして汗だくになった。3年生は、元気な男子が固まっている5組へ。

簡単な昼食を取って、5・6限は、オリエンテーション+個人写真撮影+LHR。予鈴のベルが講堂への移動というハードスケジュール。我がクラスは、クラブの勧誘で、大騒ぎになっていた。(笑)今日提出の諸書類やらゾウキンを集めて、掃除の当番の話をしてLHRはやっと終了した。

教室の掃除を手伝い、職員室に戻るとすでに4時前である。ここから、クラス費の徴収確認、4種類の書類の整理である。予想外にちゃんと集まっていた。最後に学級日誌にコメントを書きこみ、ふと時計を見ると今日も7時を回っていた。

ははは。超過激な1日だったのだ。最前線の教育の現場、政治家が考えているほど、決して楽ではないのである。当然ながら明日の朝も笑顔で校門に立とうと思っている。

今日の画像は、エントリーとあまり関係がない。管理作業員さんが苦労して刈上げた玄関横のフェニックスである。まるでニンジンみたいになっていて、私は可愛いと思っている。

2012年4月9日月曜日

入学式なのだ。

入学式の朝 7:40頃 自転車置き場から
ついに今日は入学式である。本校内では今日が新担任の発表であるので、ブログでもはっきりと書けなかったわけだが、いやあ…嬉しい。

朝から教室を3年生の力も借りて整備した。黒板の上の『責任ある行動』の文字に、3年生は「いいなあ。」を連発していたのだった。うんうん、気合いが入っている。本校の入学式は、例によって2年生全員の合唱から始まる。(昨年4月8日付ブログ参照)舞台狭しと8列ほどの段になって2年生が拍手する中、新入生を連れて入場した。1組なので、最初の入場だ。2年生も笑顔で拍手してくれている。(後のクラスだと、さすがに彼らも疲れて笑顔がなくなるのだった。)なかなかいいものだ。私は目立つことはこの齢になってあまり好まないのだが、なんか誇らしい。5年ぶりだもの。

生徒にも保護者にも、最初のLHRでいろいろと言いたいことがあったのだが、だいぶ疲れておられたようなので、大きく割愛した。ふと、気付くと『責任ある行動』の話もしないままだった。(笑)まあ、いいか。と思えるのが年季というものだろう。

様々な雑務に追われていたが、明日はさっそく授業があるので、その準備にかかったのは17:00を過ぎてからだった。プリントは早くから準備していたものの、印刷と解答などを書きこむことはまだだった。おいおい。もう19:30。とんでもない1日だったわけだが、幸せを感じるのである。

寒い日々のおかげで、桜がこんなに綺麗な入学式は初めてだ。3年間、苦労を厭うまいということか、と感じたりするのであった。

2012年4月8日日曜日

アフリカ武器事情について

今朝のエントリーで、ソマリアの石油や天然ガスの収益(レント)が、暫定政府に流れ込み、それがまた武器輸入の財源となることを危惧することを書いたのだが、MIYAさんの『アフリカのニュースと解説』(3月27日付記事)では、アフリカの小型武器問題を取り上げておられる。なかなかいい資料なのでこの際、是非とも紹介したいと思う。
http://let-us-know-africa.blogspot.jp/

ここで取り上げられる小型武器とは、通常兵器の中の1人で扱える小火器(AK-47:ロシア製のカラシニコフ突撃銃や、対空・対戦車ランチャーなど)や、数名で運搬・使用可能な軽火器(機関銃)、弾薬および爆発物(手榴弾や地雷など)をさしている。

アフリカに限定した場合、ストックホルム平和研究所の2011年度の資料では、武器の貿易については、以下のようである。
1.輸出上位国:ロシア、米国、フランス、スウェーデン、オランダ
2.輸入上位国:モロッコ、アルジェリア、エジプト、ウガンダ
3.ロシア→アルジェリア、フランス・米国→モロッコの貿易が顕著
4.南アとナイジェリアは武器輸出国でもある。
5.別の統計資料からは、中国とウクライナが武器市場でシェアを拡大していることが判明している。
6.統計には出てこない不法取引が行われている可能性が強い。

2010年軍事費統計では、アフリカのトップ10は、①アルジェリア②南ア③アンゴラ④モロッコ⑤ナイジェリア⑥ケニア⑦チュニジア⑧ナミビア⑨ボツワナ⑩カメルーンの順になる。

私の研究対象(というと大げさだが)は、サブ=サハラ・アフリカ地域なので、この地域に限定して私の推測コメントを記しておきたい。アルジェリアからサヘル諸国(マリやニジェールなど)へAK-47がかなり流れているようだ。AK-47は、乾燥した砂漠地帯で非常に重要な分解掃除が非常に簡単で、慣れれば少年兵でもこなすことが可能だ。しかも模造品が大量に作られていることが知られている。それらが、中国やウクライナ製である可能性が高い。また中国は火薬発明の母国らしく花火から手榴弾、地雷も安価に大量生産していると聞く。
また、統計に登場する国は、ある程度豊か(アンゴラ・ナミビア・ボツワナ・カメルーン)か地域でそれなりに覇を体現(南ア・ナイジェリア・ケニア)している国だ。実際に扮装を抱えている国では、統計など不可能なのだろうし、安い中古や模造品が流通しているに違いない。サブ=サハラ・アフリカの武器問題の焦点はココだ。

MIYAさんは、コメントの中で、先のTICADで日本が武器問題に積極的に関わるだろうことについて、またその関わり方についても書かれている。私は、MIYAさんの意見に大筋賛成である。武器輸出で手を汚していない日本だからこそ出来ることがあると思う。国際的な武器輸出停止や削減のイニシャティブを取っていくべき立場だろう。(かなり難しいと思うが…。)
またMIYAさんの言われる通り、カネで物事を動かすのではなく、人間を派遣していく気の長い取り組みが必要だと私も思う。それにはかなりのリスクを伴うので、警官や自衛官にしか出来ない話だ。ただ、今の政治家にそんな派遣の責任をとって、実行できる者はいるのだろうか。例の大臣に到底そんな責任感も胆力もあると思えないし、与党の元首相が勝手にイランに行くようなトンチンカンをする国ですぞ。日本自体が今、世界から不信の目で見られているはずだ、と私は思っているのである。

まずは、TICADで焦らず各国のニーズを聞いて、調査を重ね、長期的な戦略で臨むことしかできないのではにだろうか。短慮で無責任な政治家に踊らされて、ある日突然ハシゴをはずされたら、警官も自衛官もやってられないと私は思ってしまうのである。どこかの音楽家(交響楽団)も、何の落ち度もないのにある日突然クビになる時代である。

ソマリアの超資本主義的な話

紛争が続くソマリアで、暫定政府の成立を見込んで欧米の資源獲得競争が始まっているようである。そもそも内戦前から調査が始まり、石油や天然ガスの埋蔵が確認されていたらしい。当時の政府と契約を結んでいたという。

この動きをどう見るか。リスクを承知でカナダ系の石油会社が北部で操業を開始したというが、おそらくカナダに本社があるのは間違いないだろうが、経営実態は多国籍企業だと思われる。他の石油資本の先駆けとして、カナダという国際的には好意をもって迎えられる国の名を使っているのではないかと、邪推してしまうのだ。まあ、先進国の石油メジャーが打ったジャブと見るべきだろう。イランの問題や中国・インドなどのエネルギー需要の急増を見据えて、チャンスと見たのか。あるいはアフリカで膨張する中国の石油戦略への欧米が打った楔なのか。

ソマリアの治安問題は、まだまだ解決されていない。解決のための福音となるのか、さらなる混迷をもたらすのか。石油による資本流入が、内乱の武器購入に使われないことを祈るのみである。ソマリアの資源開発は、まさに両刃の剣。いずれにせよ、極貧に苦しむソマリアの人々は、全く蚊帳の外。アンゴラのように、少しずつソマリアの人々に資源の恩恵が還元されるようになるまでには、あと何年かかるのだろうか。ため息をつくのであった。ふー。

http://www.asahi.com/international/intro/TKY201204060634.html

2012年4月7日土曜日

『緑のサヘル』と広範囲干ばつ

緑のサヘルHPから
WEBのNHKニュースによると、サヘル地域(サハラ砂漠南縁地帯)で、ここ10年で最大の範囲で干ばつが拡がっているという。1500万人が食糧不足に陥り、東アフリカの飢餓以上の被害になる可能性があると言われている。私は、非常に心配している。マリ、ニジェール、チャドを中心にブルキナファソなど最貧国が集まっている地域でもある。

ブルキナファソには、『緑のサヘル』というNGOがあり、私が訪問した時、Iさんの紹介で、JOCV出身のMさんという現地調整員の方とお会いしたことがある。ストロングスタイルの国際協力士だった。(奥さんはムチャ別嬪のブルキナべである。)昨日、私のブログのリンクに奈良教育大のユネスコクラブのHPを追加したので、ついでといってはなんだが、『緑のサヘル』も先ほど追加した。なかなか興味深いHPである。スタッフ紹介などちょっとユーモアにあふれている。
http://sahelgreen.org/sahel/

こういう大干ばつに対しては、人間の安全保障という観点から、国連などの国際機関の支援が緊急避難的に重要になる。だが、それだけでは持続可能性がない。緑のサヘルは、砂漠化そのものに対抗しようとしているわけだ。ほんと頭がさがるのである。まさに国際協力の最前線である。私のやっていることは後方支援も後方支援で、申し訳なくなるくらいだ。

しかも、ニジェールでもマリでも治安の悪化が重なってきている。私には、こういう事実を生徒に語ることしかできないが、それもまた重要なことだと思うのだ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120407/k10014282121000.html

2012年4月6日金曜日

奈良教育大ユネスコクラブ

奈良教育大学 キャンパス
新学期直前の1日である。職員会議があって、いっぺんに様々な情報が降りてきた。新学期の細かな日程、時間割、清掃当番…。ぐちゃぐちゃになりながら1日を過ごしたのだった。

ところで、前任校のOBの奈良教育大学のG君から、ユネスコクラブが結成され、HPもできたことを知らせるメールが届いた。HPや新聞、ブログなどを覗いてみた。なかなか面白そうである。http://nueunescoclub.web.fc2.com/index.html

ESDを理論だけに終わらせるのではなく、実際にボランティアとして十津川の道普請をやったり、世界遺産の奈良の魅力を発掘したり、映画の上映会をしたりと、学生時代にしかできないような手作り感もあって、羨ましいかぎりである。

G君は、最近南スーダンからの留学生とも話したらしい。うーん。私はまだ南スーダンの人とは話したことがない。こうして教え子は私を越えていく。また嬉しからずや。
メールを交換したら入部あつかいするというG君。その強引な営業方針。また嬉しからずや。(笑)

さっそく、私のブログのリンクに入れようと思うのである。

2012年4月5日木曜日

「大山」日帰り出張はキツイで

昨日は、ひさしぶりにブログの更新ができなかった。と、いうのも鳥取県の『大山』まで日帰り出張して、疲れきっていたからだ。一昨日は、全国的に春の嵐というより暴風雨であった。本来は一昨日が出張予定日だったのだが、1日延期することになったのだった。

大山のあたりは、雪がまたどっと降って、雪道を踏みしめての出張となった。こういう慣れない運動は、あまり鍛えていない筋肉には極めてキツイ。昼からポカポカ天気で、ジャンバーも脱ぎ捨てることが出来たのが不幸中の幸いというべきだろうか。

ところで、今日は世界史Bの補習の日だったのだ。本来は昨日その準備に十分時間をとる予定だったのだが、出張で大きく予定が狂ってしまった。中国史の『宋』と『元』が講義範囲だった。宋は十分用意ができていたが、モンゴル帝国と元の部分はもう少し準備したかった。で、重い足取りで学校へ向かったのだった。

先日エントリーした「新しい世界史へ」という視点も話しておきたかった。『宋』は中国の歴代王朝の中でも文治主義でかなり異質だし、資本主義はヨーロッパが生みだしたということをくつがえす例としても面白いところだ。『元』もまた歴代中国王朝というよりは、中国全土がモンゴルの植民地化した時代といったほうがわかりやすい。受験的には、チンギス=ハンの4人の息子の人間関係を中心に語らないと、モンゴル帝国の汗国の流れがわかりにくい。まあ、なんやかんやで2時間語っていたのだった。受講しているたった1人のA君は熱心に聞いてくれたのだが、あーしんど。

様々な新学期への雑務もこなしながら、クタクタになって帰宅した。H城鍼灸院に行く羽目になったのは言うまでもない。(笑)

2012年4月3日火曜日

羽田正「新しい世界史へ」を読む

先日、本校の図書館に頼んでいた岩波新書が届いた。羽田正東大教授の『新しい世界史へ』である。このサブタイトルが『-地球市民のための構想』とある。是非とも読まねば…と思ったのだ。最初に告白しておかねばならない。図書館で借りた本なので、綺麗に読まねばならない。線も引けないとういうのは苦痛だ。(笑)まして、学術書である。かなり浅い書評になると思う。

この本で、羽田先生が言われているコトを極言すると、「このグローバル化した世界の中で、地球市民を育成するためには、全世界共通の世界史をつくっていくべきである。」ということになる。
我々は(当然私も含めてであるが…)、日本の高校教育で学んでいる世界史が正しいと思っている。たとえば、フランス人も日本の教科書に書かれているような歴史を学んでいると無意識に思っている。ところが、フランスの歴史教科書(フランスには、日本のような国史と世界史の区別がない。)には、フランク王国のことなど書かれていないのだ。これには驚いた。もちろんフランス地域中心の歴史なので、日本のことは日露戦争でやっと登場する。日本のファッション大好きのフランス女子たちは、そういう日本に対する歴史認識を持っているわけだ。私の書庫には、中国の文革後の歴史教科書があり、日中の歴史認識の違いは知っていた。しかし世界各国、それぞれ大きく違うのだ。もし世界中の地球市民を自称する人々が一堂に会したとしても、そういう意味で、どうしても大きなズレが生じるのである。このことに対する危機感が、この新書を貫いているといってよい。

そもそも、イスラームの歴史を研究していた羽田先生は、「イスラム世界」というコトバで地理的・文化的にくくるコト自体を強く批判されている。当然、「ヨーロッパ世界」という概念も批判的だ。世界史を、様々な地域の集合体と捉え、こういうジグソーパズルのピースのようなくくり方をすると、どうしても特定の地域から見た、それぞれの世界史のデザインが生まれるだと言われている。
しかも、世界的に見ても、「ヨーロッパ中心史観から自由ではない」と羽田先生は批判する。これは、全くその通りで、現場の教師としても大きく頷かざるを得ない。民主主義、資本主義、国民国家、近代科学技術といったものが、西ヨーロッパで生まれ発展し、帝国主義によって世界的に普及しててきたことは事実である。本校の3年生の世界史Bも、一気に大航海時代からスタートということになっている。ルネサンス、宗教改革とほぼ同時期の大きな歴史的流れをやって、絶対主義から近代国家の誕生へと続くのだ。

アフリカの開発経済学を考える上でも近代国家論からの視点は必要だと私は思っている。だが、たしかに、そういった視点から見ることが絶対ではない。最近、そういうことを考えている。

P164に次のようにある。『新しい世界史は、むろん単に「ヨーロッパ」と「非ヨーロッパ」の区別をなくすためだけに構想されるものではない。現代世界において重要とされる価値がどのようにして生み出されてきたかを語り、人間社会の未来に向けての展望を示すべきものであるべきだ。兼原信克は「戦略外交原論」で現代地球社会において人々が持つべき重要な価値として次の五つを挙げている。①法の支配②人間の尊厳③民主主義の諸制度④国家間暴力の否定⑤勤労と自由市場。現行の世界史ではしばしば「ヨーロッパ」がこれらの諸価値のすべてを生みだしたとされ、「非ヨーロッパ」との区別が強調される。しかし、それは「ヨーロッパ」人の見方である。兼原も強調しているように、世界各地、特に日本や中国の過去を予見なしに振り返ってみると、用いられている言葉こそ異なるが、これらの価値とほぼ同様の内容を持つ概念が論じられ、その実現が図られていたことがわかる。新しい世界史では、積極的にそれらの例を取り上げ、過去から現代に至るまで、人間がどのようにこれらの価値を追求してきたかを紹介することを心がけたい。』

なんとなく私が実感していたこと。それが上記の文章に凝縮されていた。

2012年4月2日月曜日

JICA大阪センターへの鎮魂歌

JICAから、今年も開発教育関係の案内や教師海外派遣研修旅行の募集のお知らせが送られてきた。ありがたいことである。私はすでにJICAからケニアに行かせてもらったので、教員海外派遣研修旅行の案内は、「誰かいい人がいたら紹介たのみます。」という意味合いなのである。うーん、誰がいいかなと考えながら、封筒を見たら、『JICA関西』となっている。この冬の高校生セミナーに参加した前任校のU先生から、JICA大阪国際センターが閉鎖されるかもしれないという話を聞いていた。

そうか、ついに…というのが正直な気持ちだ。JICA兵庫国際センターがJICA関西という名前に変わり関西一円のセンターとなるようだ。実はJICA兵庫の方が後からできたので新しい。それで兵庫を残したのだと思う。

JICA大阪国際センターには以前も書いた(11年3月29日付ブログ参照)が、私は深い思い入れがある。二度と行けないのかと思うと実に寂しい。前任校での国際理解教育の実践は、JICA大阪とともにあったと言って過言ではない。徹夜でディベートの準備をしていた生徒たち。2階の喫煙エリア。図書館やコンピュータルーム。初期のころよく使った体育館。朝のワークでセンターの周囲を散策したこともあった。各国の民族衣装コーナーや、数多くの研修員さんと話したエスニックなレストラン。そしてそっと覗いたムスリムの研修員さんのための礼拝室。

財政危機や民主党の「2番じゃだめなんですか」というような幼稚な仕分けの波をかぶったのだと思うと、心が痛むのである。これからの教育は、地球市民をつくらねばだめなのだ。そのための重要な拠点が失われたといってよい。今の日本、なにかがおかしい。私はそう思ってしまうのだった。

追記:昨日の島岡さんのエントリーに莫大なアクセスがあった。TVの効果というのは凄いんだなあと改めて思う。今現在、最初のエントリーに507件、次のエントリーに293件。でもリアクションもコメントも全くなし。なんだか、マスメディアの空虚さみたいなものも感じてしまうのだ。

2012年4月1日日曜日

タンザニアの革命児 島岡氏2

先ほどエントリーした番組は、エイプリルフールにふさわしい番組だった。1つ目のウソは、TV番組欄の品のない宣伝文句にふさわしくない真面目な内容だったこと。2つ目のウソは、番組表は④としてあるのに、島岡氏の内容は最後だったこと…である。

島岡氏の漁業、重機運送業、貿易業、ティンガティンガなどの実業面から雇用を生もうとする地道な戦いが、彼のパーソナリティーを伝えながらなかなかうまく描かれていた。もちろん、柔道の話も出てきた。島岡氏が、今何故、こういう番組で紹介されることを是としたのか。彼が最後に行っていたコトバにあるように思う。「島岡強が死んだとしても、『志』は生き続ける。」日本の若者へのメッセージだったのではないか。

カメルーンでバカ(ピグミー)の人々を見守るシスターや、カンボジアでHIVの手助けをしている女性やタイで読書の喜びを伝えようとしているICU(国際教養大学)出身の全盲の女性など、様々な異国での戦いを見て、彼女たちも同様の『志』を日本の若者に伝えたいという想いを感じた次第。

ただ残念だったのは、CMの多さである。特に明日の大家族の番組の宣伝で、何度も見せられ、そいて聞かされた「こども、こども、こども~こどもが増えると…食費がかかるよ~。」という魚の歌を替え唄を歌う母親のCMなど、この番組の内容を全く台無しにする興ざめたものだった。TV東京の関係者には、その点を伝えたい。こういう真面目な番組には、それなりのCMを設定すべきだと思う。少なくとも番宣なら融通がきくはずだ。(怒)

さて、今日の毎日新聞第二面の『時代の風』に、西水美恵子元世銀副総裁のコラムが載っていた。女史は「マンドの軌跡に思う」と題して、パキスタン南西のマンド村にある小学校から高校までの一貫校である女学院の話を書いている。女子教育などもってのほかだった地域で長老が尽力して造られた学校である。「良母は千の教師に勝る」それが村の男衆を説得したコトバだった。またこの長老は西水女史に、「1人の男の子に授ける教育は、1人の人間を教育する。1人の女の子に授ける教育は未来の世代をも教育する。」という南アジアの諺を諳んじたという。…おそらくイスラームの諺ではないかと私は思う。勉学に励む娘たちは、兄弟の学習意欲を挑発するどころか、非識字を恥じる父母にも読み書きを教えた。村の識字率はあっという間に上昇し、衛生状態や栄養不良の改善を伴い、労働生産性の向上に直結したという。教育格差の改善は経済格差を打ち負かしたのだ。

今回の番組も、日本女性のタフさ、凄さを実感させるものだった。ところで、最後に島岡氏の話にもどりたい。父親の教えの話も番組では出てきたが、彼の父親が日本人としてはめずらしいムスリム(イスラーム教徒)であること、もちろん彼がムスリムであることは伝えていなかった。前のエントリーで書いた島岡氏の人格の秘密というのは、このことである。彼が番組中、ずっとムスリム的なターバンや帽子を被っていたことは、そういう意味合いも含まれていると思う。

タンザニアの革命児 島岡氏

島岡強という人がいる。タンザニア、ザンジバル島に渡り、柔道を現地の青年に教えている人だ。「我が志アフリカにあり」という著作を書いた島岡由美子は奥さんである。この本は、島岡氏に出会い、結婚しアフリカに渡っていくまでを描いている。とにかく、この島岡氏、破格の人物である。詳細は是非、奥さんの著作を読んでほしいところだが、最後の最後に、その人格の秘密が開かされる。(びっくりしたというか、なるほどというか…。)

私がこの本を読んで感動したのは、島岡氏の父親のセリフだ。「アフリカで革命を起こすのに、お前は学歴や技術を必要とするのか(趣意)。」と一喝するのだ。全くの徒手空拳で南アフリカのアパルトヘイトをぶち壊しに行こうとするのだが、そのアパルトヘイトが終わってしまう。結局革命家にはならなかったが、タンザニアのサンジバルで柔道を裸一貫から教えて、アフリカにいる日本人の中でも異彩を放っている人なのだ。彼を支援するNGOのブースも毎回ワンフェスに参加している。

何故急に島岡氏の話をエントリーしたかというと、今晩、テレビ大阪(全国的にはテレビ東京系列だろうか。)で、18:35から放映される『世界の秘境・辺境で…”がんばる日本人!”』という、非常にクサイ(大阪弁でダサイの意)タイトルの番組があり、その④に、「タンザニアに25年!弟子2000人”革命児”と呼ばれる男」というTV番組表の文字を発見したからである。だいたい、『!』を連発するTV番組に、ロクなものはない。私は『!』を使う事を極力避けているし、見るのも好きではない。品格の問題だと思うのだ。

島岡氏が、このような番組の取材に応じた、というのは意外だ。ブルキナのIさんは、ホント最高の好々爺であるが、島岡氏は決して本を読む限り好々爺ではないのだ。『情熱大陸』といったシリアスなドキュメンタリーならわかるのだが、こんな過大宣伝的バラエティー的番組にはふさわしくないと、私は思っている。

見ようかな。あえて見ないでおこうかな。