2023年8月31日木曜日

反日のブーメラン

https://news.yahoo.co.jp/articles/fd5eaa327041ad7f0d49121c18efcca8dc6f92be/images/000
中国政府が、フクシマ原発の処理水問題に、難癖をつけ様々なプロパガンダを大々的に流している。長年の反日教育で、ゼロ記号となった反日感情が、様々なトコロで暴発している。日本大使館、日本人学校、日本料理店…。そして日本からの業界類輸入禁止措置。日本への観光渡航の禁止も噂されている。国際的には、韓国とは共闘できるかもしれないが、完全に独り相撲である。

フクシマの放射能測定値や東京の測定値は極めて低い数値であるが、ガイガーカウンターで、中国国内の測定を測ってみようとした輩もいたようで、中国のほうがはるかに値が凄く、日本どころではないという、実に無惨な数値が出てしまい、大慌てし、SNSで拡散中である。中国の建築物には放射性物質が混入されているのだろうか。様々なマンションでそういう結果出ているようで、これはその不動産価値を一気に押し下げる。ただでさえ、借金経済・不動産バブル崩壊で経済が傾いているのに、さらに追い打ちをかけているようだ。

また海産物が危ないという話が、中国の水産業や関連企業を窮地に追い込んでいる。自分で自分の首を絞めているとしか言いようがない。京セラもついに中国から撤退を決めたようだ。まさに自業自得のブーメランである。

2023年8月30日水曜日

レヴィナス&アーレント

レヴィナスとアーレントは、共にユダヤ人哲学者である。2学期の倫理の授業で触れるつもりである。(というよりここまで手が回らなかった。笑)この2人を理解するには、およそ、ユダヤ教の知識、ホロコーストの知識、さらにフッサールとハイデガーの哲学の理解が必要である。まあ、高校生の受験科目としての倫理としては、レヴィナスは「顔」、アーレントは「公共」といった関連語句で十分かもしれないのだが…。

レヴィナスは、リトアニア生まれで小さい頃から正統派ユダヤ教徒として育っている。環境的にもユダヤ人が多く、バリバリである。ナチが政権を握った頃には、フランスにいて、やがて帰化し、仏軍の独語・露語通訳として招集され、捕虜として収容所に入る。この間に、家族や親戚は全て殺されている。

一方、アーレントは、ドイツのユダヤ人名家出身だが、教養人の両親はユダヤ教コミュニティには参加していない。幼い頃は親しいラビの影響でシナゴーグにも行っていたが、義務としてキリスト教の日曜学校にも行っていたようである。ホロコースト時には、アメリカに亡命している。

レヴィナスは、フッサール、ハイデガーに学んでいる。フッサールはすでにこの頃すでに老成しており、後任教授のハイデッガーの存在と時間に魅せられている。だが、レヴィナスは、ユダヤ人としてのアイデンティティの面からこの2人に裏切られている。フッサールはユダヤ人だったが、プロテスタントに改宗。ハイデッガーはナチ党員となり、大学総長に出世した。レヴィナスの哲学は、正統派ユダヤ教徒として戦後この2人を乗り越えるカタチで生まれる。

アーレントは、フッサールやヤスパースなどに学び、若きハイデガーの不倫相手であった。彼女の哲学は、戦後、社会哲学に向かう。次第に、ユダヤ人という殻は薄れていく。特に雑誌に連載された「エルサレムのアイヒマン」は、アイヒマン裁判の傍聴記録だけでなく、裁判の正当性(人道に対する罪の是非、アルゼンチンに隠れていたアイヒマンをイスラエルの秘密警察が国外に拉致した主権侵害など)を問い、さらに、ソ連のカチンの森虐殺事件やヒロシマ・ナガサキの原爆投下などにも触れている。よって、ユダヤ系の人々からの批判が強い。

レヴィナスがホロコーストによって、全てを失った経験に由来する(フランス語の)イリヤは、主語のない存在の意味で、高校倫理の範囲を超えているのだが、ちょっと触れる予定。この現象学的な語句に最も近いこれまでに教えた哲学用語を問いかけるつもり。答えは”das Man”(世界内存在ででてくる”ひと”)である。ただし、イリヤは存在すべてを指すので同義語ではないのだが…。ヒントとして、ハイデガーの名を挙げれば出るかもしれない。

ホロコースト批判とくれば、高校倫理では、何と言ってもフランクフルト学派である。第一世代のホルクハイマーやアドルノ。社会哲学者としてのアーレントは、ナチだけでなくソ連のスターリズムも全体主義としてくくっている。しかし、人間の活動という公共性に期待する結論は、第ニ世代のハーバーマスに近い。これまた不思議なのだが…。ちなみに、ハーバマスは教える価値はあまりないと私は思っている。

2023年8月29日火曜日

BRICS+に エチオピア加盟

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC-Rastafarian-color-%E3%82%A8%E3%83%81%E3%82%AA%E3%83%94%E3%82%A2-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AB/dp/B09VTB5YDQ?th=1
先日のBRICSの首脳会議で、BRICS+(=ブラス)としてサウジアラビアとイラン、UAE、エジプト、アルゼンチン、エチオピアの6カ国の加盟が決定した。共通通貨はまだのようだが、ドル決済を行わないということが決まったようだ。産油国の加盟によって、世界経済に与える影響は極めて大きい。これは当然予想されることである。

ところで、BRICSの元の国々が、エチオピアを加盟させたことにも大きな意味があると私は考えている。エチオピアは、経済力や軍事力などは他のBRICS+には到底及ばない。資源もない高原の国だ。しかしエチオピアは、ブラックアフリカを代表する国である。(エジプトは、ホワイトアフリカ=アラブ人世界の国であってアフリカを代表するとは言えない。)何度か言及しているが、ブラックアフリカで、長く独立と長期政権を保ってきた特別な国で、非常にリスペクトされている国である。ブラックアフリカにおける半植民地主義文化運動”ラスタ”はエチオピアの国旗の色(これはジャマイカのレゲエ音楽のテーマカラーでもある)の赤・黄・緑を使っている。(画像参照)すなわち、ブラックアフリカ諸国の象徴として加盟することになったのではないかと私は考えている。

もちろん、中国には、携帯電話のアンテナを国内全域に建設してもらい中国製の電話機を使う(国民はどうかわからないが、少なくとも政府関係者は)親中国である。また1974年に長年続いた帝政が軍のクーデターで廃止されたが、当時のソ連の影響下で半衛星国と呼ばれた時代もあるくらい親露国でもある。今だに、エリトリア問題をはじめ様々な紛争を抱えているので、ロシアのワグネルも関わっているだろうことは想像に難くない。よって、今回のエチオピアの加盟は想定内の話だと言えるわけだ。

2023年8月27日日曜日

大谷翔平投手 靭帯損傷の事

https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/08/10/gazo/20230810s00001007250000p.html
先日、大ショックを受けた。大谷君がレッズ戦で先発しながら、2回で緊急降板し、右腕の靭帯損傷していることが判明した。エンゼルスの対応への批判(なぜ休養させなかったのか、なぜ精密検査を受けさせなかったのか等)が相次ぐ中、以降も本人の希望でDHとして出場、塁打を量産している。

投手としては長期離脱もやむなし、FA寸前で自らの価値が下がった(と、いっても本人は契約金=金銭に全く執着していないと思われる。)というのに大谷君自身は、遠征のバッグにグラブを持ってきているし、ベンチで以前と変わらぬ笑顔を振りまいており、悲劇性を払拭しようとしている。ただ、今日のメッツ戦での勝利のハイタッチは、左手で行っている。

良くも悪くも、本人の意思を貫かせてくれるのがエンゼルスのようだ。二刀流での活躍も、そういう土壌であるからこそ可能になったのだし、大谷君自身が全てを自分の責任と腹をくくっているのだろう。まさにサムライである。

あれほどの活躍をして、内心では嫉妬している選手もいるだろうが、絶対悪く言われないのは凄い。改めて大谷翔平という人物の凄みを感じる。

この事態後、すぐエントリーしようか思ったのだが、少し様子を見てからと思った。彼ならきっとこの新たな逆境を乗り越えてくれるに違いない。このレッズ戦、メッツ戦を見てそう信した。

是非共有したい You Tube

妻がまた良いYou Tubeを紹介してくれた。おそらくどこかの中学校の体育祭。クラスごとの大縄跳びに参加していたムスリムの女子生徒が、暑さからか倒れた時の様子である。

彼女はヒジャブを被り、長袖・ズボンで参加していた。服装規定から、おそらくシャフィーイー学派の女子生徒であろうと思う。映像の途中、おそらく彼女の出身国の言語で様子をテロップで流している。(画像参照)アルファベットなので、マレー語かインドネシア語のように思う。(グーグル翻訳で確認したが、結局どちらかわからなかった。語彙と文法はほとんどど同じだし、外来語が英語かオランダ語という相違らしいので。)

私がいたマレーシアでは、ムスリムの女性は、顔と手首、足首以外、髪の毛も含めて家族以外の男性に見せることはないし、直接触れあうこともタブーである。

競技が終わった瞬間、クラスの女子生徒たちが、女性の教員に救護されている彼女を取り囲んだ。おそらく、ヒジャブを外し髪の毛を男性に見せることがムスリムにとって、宗教的に恥辱であることを事前に学んでいたのであろう。男性教員・男子生徒も担架を運んでくるが、その輪の中には入らない。

国際理解教育における異文化理解とはこうあるべきものだという見本のような映像であった。

日本にはこういう異文化へのリスペクトが自然に存在する。ムスリムだけでなく、肌の色への違いによる差別も他国に比べ極めて少ないということも日本を訪れた人々の声としてある。これは、日本の美徳の一つだろう。異文化に対しては極めて寛容かつ同胞以上に親切である。

ともあれ、この映像、読者の方々と共有をしたいので、URLを残しておきたい。https://www.youtube.com/watch?v=cuK2ps2DFYA&ab_channel=%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E2%85%A1

蛇足だが、中国が、自国の原発のことを差し置いて、フクシマ原発の処理水放出について、非科学的・非合理的・悪意のこもった批判と日本の海産物輸入禁止を声高々に叫んでいる。以前から批判をしている韓国もそれに同調するだろう。こういう狭隘な隣国にまで、寛容すぎるのはいかがなものかと思ってしまうのだけれど…。

2023年8月26日土曜日

GIジョーが欲しかった話

https://nest.campussick.best/index.php?main_page=product_info&products_id=4937
ちょっと無理矢理感があるが、ジャイナ教の重要な教義「不所有」つながりである。先日、You Tubeで「子供の頃欲しかったが手に入らなかったモノ」を紹介するというバラエティをたまたま視た。私の子供時代は、あまり裕福ではなかった。しかし一人っ子だったので、両親はそれなりに買い与えてくれた。しかしながら、高価過ぎて絶対言い出せなかったモノもある。それが、「GIジョー」である。

当時は、リカちゃん人形などが女子の必須アイテムであったのだが、それではと、男子用にアメリカから輸入されたのが、様々な兵士を着せ変えできる「GIジョー」であった。陸軍の兵士がメインだが、空軍のパイロットなんかもあって、実に奥深い。

ニューヨークに行った時、ある店のウィンドウ内に当時のGIジョーを発見した。もう大人になっていたし、グレジットカードも持っていたので、触手が動きそうになった。たしか$150くらいだったと思う。クレジットは後で明細書が妻の目に触れるのでぐっと我慢したのを覚えている。(ARMYショップでも、ガスマスクが欲しかったが、同じく$100以上したと思う。同様の理由で我慢した。)これらのモノは、まったく生産性がない。ただただ所有欲を満足させるだけだ。(笑)

昭和の子供としては、今は新しいものも出回っているようだが、やはりビンテージと呼ばれる紙の箱入りの輸入品が素敵だと思う。(笑)結局欲しかったモノとして終わるのは間違いない。

2023年8月25日金曜日

ジャイナ教のブックレットⅢ

神戸 北野町のジャイナ教寺院
http://blog.livedoor.jp/tkaratsu/archives/51227058.html
「ジャイナ教徒は何か」(上田真啓)のエントリー第3回目。本日は主に在家信者について。ジャイナ教には、大誓戒と小誓戒という、出家と在家の護るべき戒律の違いがある。当然出家者の大誓戒は、在家信者の緩やかな小誓戒より、完全な形をとる。最も大きな差は「不所有」で、不必要なものの所有は許されないとはいえ、出家より圧倒的に所有が許されている。

在家信者は、現世の幸福や来世において良い境涯に生まれ変わることを目的にしている。不殺生を始めとした5つの誓い以外に、追加の7つの誓いがある。3つの徳戒と4つの学習戒と呼ばれるものである。内容に関しては時代や派の違いはあるが、その徳戒のうちの「方位に関する誓戒」は移動の制限である。これはむやみに移動し生き物を害することがないようにというもので、「不殺生」に繋がっている。学習戒には「布施に関する誓戒」があり、出家修行者への托鉢/布施に主に関係する。

仏教でも上座部などでは盛んに在家が出家に托鉢/布施を行う。在家が功徳を得る宗教行為であることは共通しているが、ジャイナ教の布施には「不殺生」が貫かれている。出家者は托鉢で命を繋いでいる。白衣派では、1日2回、夜明けから日没の間(暗いと不殺生戒を犯す可能性がある)に、予想や計画なしにランダムに歩き回り、集団が逗留している場所に戻ってから分配する。托鉢で得る食材は、家族の食事が終わった後の時刻の「余り物」でなければならない。(=托鉢の偶発性)豪雨、強風時や空中に虫が多数飛んでいる時は托鉢にでかけない。

在家信者は、托鉢/布施の際、世俗的欲望や怒り、高慢、欺瞞、貪欲などの激情のない状態で行うこと。出家に適切な敬意と適切な時間に施すこと。その出家に施しものが適していること。施す価値のある者に適切に施すこと。などの戒律があるが、何より、「生命体としての価値を完全に取り除かれた物」だけを口にしなければならない。食の規定としては、自然死したものを含む肉類、蜂蜜、いちじく類の果物、酒類、ろ過されていない水以外にも、無数の微生物がいるとされる「葉のもの、湿った食材、発酵食品、腐敗した食材」そこから新たな生命が生まれる「玉ねぎ、大根などの根菜類、イモ類」多くの種を持つ「ザクロ、ナス、トマト」なども食べない。ただし、インド文化の緩やかさもあって、各家庭で様々であるようだ。

グジャラート州にヒンドゥー教徒として生を受けたマハトマ・ガンジーとジャイナ教徒の関係は深い。危惧する母親に酒と情勢に手を出さないと誓わせ、英国留学を後押ししたのがペチャルジー氏というジャイナ教徒であり、帰国後、ラーイチャンド氏というジャイナ教徒に多大な影響を受け、自らの思想を形成したとされる。…後のガンジーの独立運動での非暴力主義は、ジャイナ教の影響が強いだろう。

…不摂生というジャイナ教の根本戒律はかなり徹底されている。このことで「業」(=カルマ)が減少していき、やがて解脱し輪廻から開放されるという考えは、仏教にたしかに近い。実に興味深い宗教であるわけだ。最後に、地理B的な考察。在家の人々は、「不殺生」故に農業は出来ないし、商工業者となったが「不所有」と「布施」だから、ジャイナ教寺院は実に豪華でもあるし、多額納税者としてもインドを支えている。

2023年8月24日木曜日

ジャイナ教のブックレットⅡ

httpszatsugaku-circle.comjainism 
httpslightbluefashionista.comjainismtempleindelhi
「ジャイナ教徒は何か」(上田真啓)のエントリー第2回目。本日は主に出家信者について。沙門であったマハーヴィーラの生き方がジャイナ教徒の理想である。輪廻からの解脱を果たすのが最終的な目的であるが、修行の実践が解脱という結果を生む因果関係には、「業」に関する特殊な理論が結び付けられている。ジャイナ教では、「業」は非常に微細な物質であり、ジーヴァと呼ばれる霊魂の中に入り込み付着すると考えられている。ジャイナ教の世界観は、この世はいくつもの階層からなる巨大なビルのような代物で、人間がちょうど真ん中あたりの階層にいる。それより上は天界、下は地獄。「業」の付着の度合いで生まれ変わるごとに階層を上下しつつ輪廻を重ねていると考えられており、シーヴァに一切「業」が付着していない状態に戻すと、最も高い場所に移動でき輪廻から解脱できるという。これが出家の意義である。

ところで空衣派(画像の右)は裸形を解脱の必要条件としている。また聖典群の正当性や女性の解脱を認めていない。このブックレットでは、主に白衣派(画層の左)の出家行者について詳細にレポートしている。まず出家の儀式は、すでに出家した修行者によって一定の儀式が執り行われる。ただし、派やコミュニティによって様々である。出家の儀式後は断食と教義、出家者のルール、行うべき日課などを学ぶ期間が6ヶ月続き、この間は托鉢に出向くことはない。この間決意が固ければ最終の出家式を受ける。出家者は、不殺生(生き物を傷つけない)について細心の注意をはらい、不所有(物の執着を無くし所有しない)、遊行(寺院に定住せず雨季の4ヶ月間以外は裸足で徒歩の放浪を行う)、禁欲(異性に対する執着を捨てる:異性に対してはものの受け渡しも一度地面に置くか、投げてもらうという徹底ぶりである)を実践する。…つづく

2023年8月23日水曜日

ジャイナ教のブックレットⅠ

風響社のアジアを学ぼうというブックレットは、短くて読みやすい。1階の書庫でたまたま「ジャイナ教とは何か」(上田真啓著)を見つけた。昔々、大阪市立の高校の社会科研究会で、神戸のジャイナ教の寺院を見学に行ったこともあって、属性もある。不殺生で有名なインドの宗教(人口の0.3%)であり、東部のクジャラート州などに多い。高校の社会科では世界史でちょこっとだけ登場する。

今回はその基本的な側面のみを期しておきたい。ヒンドゥー教との最大の相違点は、(仏教同様)ヴェーダ聖典の権威を否定していることである。ジャイナ教という呼び名はジナ(仏教でいうブッダに意味は近い:マハーヴィーラという歴史的人物が、釈迦同様に出家し解脱したとされる。また仏教に三世十方の諸仏が存在するように、彼を含めて24人のティールタンカラ/解脱者が存在する。)から来ている。沙門(出家して修行し解脱を目指す)という共通点もある。仏教における比丘・比丘尼、優婆塞・優婆夷という出家・在家と、それぞれ男女の、同様の区別もある。

ちなみに、ジャイナ教には、白衣派と空衣派に大別できる。それぞれに、尊像崇拝肯定派と否定派がある。白衣派と空衣派の最も大きな相違は、出家者が白衣を着るのか、空衣(全裸)かという点で、両派とも在家は、(安心してください。)他のインド人同様の格好をしている。(笑)…つづく。

2023年8月22日火曜日

新課程と「倫理」の終焉

私の高校時代は、今の「倫理」は「倫理社会」と呼ばれていた。ちょうど新卒で教師になった時に、「現代社会」という教科ができた。面接の時、ある女子学生が「新しい現代社会を教えたい。」などと発言していたのを思い出す。まあ、倫理と政経を足して2で割ったような教科である。ただこの頃は4単位の学校もあったはずだ。その後、社会科は地歴科と公民科に分けられ、それでも公民科は、倫理や政経あるいは現代社会が必須科目であった。長いこと、実業高校にいたので受験科目云々については詳しくない。

問題は、この2年生から始まっている新課程である。今の3年生までは、地歴(地理・世界史・日本史)と共に、難関国公立大学は、倫理・政経という2科目を共通テストで課している。倫理・政経ではなく、倫理、政経、現社など公民1科目単独で受験できる国公立大学も多い。ところが、新課程で現代社会は「公民」と名を変え、2単位で必須かつ共通テストでは、倫理もしくは政経と組むカタチで受験科目となった。(地歴も、地理基礎、歴史基礎が必須かつ共通テストの受験科目となった。)要するに、共通テスト受験生の負担は、大きくなったといえる。

思考を重視するという文科省のポリシーは悪くはない。ただ、限られた時間の中で受験科目でありながらこれらを全て消化することは不可能に近い。どうしても受験科目である以上制約を受ける。もちろん、共通テストも(社会科に限って言えば)少なくとも読み込む文章量がかなり増え、難化したのは間違いない。

何より私が痛感するのは、倫理の比重が以前よりかなり軽くなったことである。私が学校経営者の立場なら、「公民」は1年か2年で履修し、3年の文系生徒は、倫理もしくは政経を選択科目とするだろう。文系の生徒は、法学や経済学、経営学など志望の生徒が多いので、政経を選択する方がいいだろう。すると倫理を選ぶ生徒は、十中八九、少数派となる。

私は、倫理が専門である故に、実に悲しい状況に映る。地歴科目を理解するのにも、倫理がカバーできる範囲は大きい。(宗教学を含め)哲学はやはり学問の王である。こういう国際標準の教養を身につける場が、受験システムの関係で失われることを深く憂慮するのだ。新課程に押しつぶされ、終焉と読んでも差し支えのない「倫理」という科目が、次の新課程で再興することを期待したい。

2023年8月21日月曜日

社会科教師残酷物語

このところ、社会科教師であることに良心的辛さを感じている。端的に言ってしまうと、歴史や政経などの教科書や資料集などに書かれていて、教えるべきとされている内容が嘘なのではないか、という疑念を拭い去ることが出来ないのである。特に、マスコミの偏向で、事実が隠されていることが明白である。SNSの情報には、都市伝説としてかなり胡散臭いものも有るけれど、リテラシーをきちっとしていれば、少なくともマスコミよりは信じることができるものが多い。先日から、日本の近現代の戦争について、また戦争の勝敗論について学んできたが、事実であることだけを抽出して考察してみたが、この内容をストレートに授業に活かすことはかなり難しい。進学校ならば尚更である。

”社会科教師、見てきたような嘘を言い”というフレーズがあるが、そもそも教科書に書かれていることが嘘だったとしたら、やってられない。まさに社会科教師残酷物語である。

2023年8月20日日曜日

アメリカの黙示録

https://www.youtube.com/watch?v=C__O7v3GKvw&t=635s&ab_channel=%E8%
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ウクライナ紛争を主導している梅田民主党政権は、極左的な政策でアメリカ国内でも崩壊を演出している。最も顕著なのが、サンフランシスコなどで話題になっている$950までの万引きや小切手の偽造は微罪で、ほとんど警察も動かないという法令だ。民主党の基盤である大都市、特にカリフォルニアは治安が悪化し、富裕層が逃げ出しているという。シリコンバレー銀行の件もこの事実に由来する。こういう事実は、西側・日本のメディアは報じない。民主党支持者の多い太平洋沿岸の大都市・ロスだけでなく、ニューヨーク、ボストン、シカゴなどがサンフランシスコ同様にゾンビシティー(ドラッグの規制が緩んでおり、ゾンビのような廃人が増加中)になる可能性が高い。また、行き過ぎたアファマーティブ・アクションでは、航空機のパイロットや医者などで、黒人優先や女性優先が進んでいる。

正直、先の梅田が勝ったとされる大統領選挙以来、アメリカの恥部が露わになってきている。日本の議員の政治資金規制も真っ青の、様々なNGOやNPOなどを通じて金を受け取る汚職まみれの議員と、ワシントンD.C.に資金を集めるための様々なコンサルティング会社を持つ高級官僚。まさに、ドゥルーズのモダンを表す、(クラインの壺の社会)コードの如き、貨幣の支配がアメリカを牛耳っているわけだ。アメリカの”民主主義”は間違いなく貨幣が支配している。

近々トラさんが4回目の訴追を受けるらしいが、その際重要な演説をするという情報も流れている。それは、アメリカの黙示録となるかもしれない。私はブディストなので、別にトラさんを「屠られた子羊」だとは信じていないのだが…。

2023年8月19日土曜日

ウクライナ紛争を事実から見る

https://s.japanese.joins.com/JArticle/152037?sectcode=A20&servcode=A00
加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」や昨日のYou Tubeなどから、世界の現状、就中、ウクライナの紛争(両者とも宣戦布告したわけではないので戦争と呼ぶにはふさわしくない。)を、はっきりわかっている事実だけを元に考えてみたい。

2014年にロシアはクリミア半島を編入した。東部のドンバス地方で親露派分離勢力を支援対立・紛争が起こっていた。…この辺の国家を正当化できる宗教の相違や歴史的な相違も考慮に入れなければならない。

2021年ウクライナ:ゼレンスキー大統領がクリミア奪還後のウクライナ再統合方針を定めた大統領令が発布され、NATOとの合同軍事演習が開始された。…この紛争の鍵は、NATO加盟を欲するウクライナと、EUへのルサンチマンを抱えるロシアの対立と大きくは指摘できる。

2022年、2月18日、梅田アメリカ大統領がロシアのウクライナ侵攻を決断したと確信していると延べた。24日、プーチンが特別軍事作戦を開始すると演説。攻撃開始。ロシア側は国連憲章第51条の集団的自衛権の行使を主張。ゼレンスキーは戒厳令と総動員例に署名。…ロシアより先にアメリカが、この戦争を主導しているように見えるのは私だけだろうか。

これ以後の戦闘の内容については、プロパガンダではないかと疑われる事もありそうなのでふれない。

…事実として確認できること。①ウクライナの利権に、梅田大統領の息子(一家)が絡んでいたこと。②戦争屋の国務次官のビクトリア・ヌーランドがウクライナ紛争以前後に深く関わっていたこと。③NATOによるウクライナへの軍事支援が続いていること。④ロシアは、モスクワなど戦時下とは思えないほど普通の生活が行われていること。(=ロシアへの経済封鎖の影響は少ないこと)などである。

…ウクライナが被害者と西側ではみなされているが、①②より、アメリカがこの紛争を欲していたことは容易に想像できる。③の軍事支援で戦車や戦闘機を送ってもすぐに使いこなせる訳では無いし、NATOの兵員が付加れていることも容易に想像できる。よって、この紛争は、事実上NATOがウクライナの名を借りて、ロシアと戦っていると思える。④のロシアへの経済制裁は、反対にEU諸国の分裂を招き、世界的には西側対BRICSの政治経済的な対立の構図を作り出している。

…さて、この紛争の「重点」(昨日のブログ参照)はどこか。キーウ(キエフ)の占領やゼレンスキーの拘束といったことは問題にならないのではないか。すでに、ウクライナの主力は消耗しており、NATOの外国人兵力がロシア軍と対峙しているようである。(当然公式な発表や西側メディアにはそのような報道はない。)継戦能力は、NATO次第、アメリカ次第といったところである。ロシアとして、これらを全て駆逐するのは容易ではない。しかし、ポーランド国境にかなりのNATO軍が集結している情報がある。NATOは、これまで実際には関与(軍事援助という詭弁)しながらも、集団安全保障体制という伝家の宝刀は抜いていない。ポーランドとベラルーシ、ロシアが戦うことになれば、宝刀が抜かれる可能性は大きいし、そうなればロシアとしては戦術核(SLBMなどの戦略核ではない)を使用する可能性もある。戦術核使用の可能性は、NATO側にもある。戦術核と言っても、ヒロシマ・ナガサキの3倍以上の威力がある。継戦能力を奪う手段として使われるという悪夢を否定することは出来ない。まさに、ゼレンスキーは蒋介石のような立場であるわけだ。ここまで戦闘が長引くと、講和条件でも互いに引けないだろうし、さらに泥沼化していく可能性が高い。プーチンの国内の支持は硬い、またBRICSやイラン、アラブ諸国、アフリカ諸国もロシア支持を強めている。アメリカの政権が倒れることしか解決策はないのだろうか。

…こんな時に、我が日本国の首相は、対中の安全保障に大きく関係する米日韓の首脳会議に出席した。これまでの外交において、秘密協定が多く結ばれていた歴史があった。韓国の政権が保守派に変わったとはいえ、今回どんな密約がかわされたかという疑念が頭をもたげる。

2023年8月18日金曜日

戦争の勝敗について

https://mangadedokuha.jp/blog-column001/
興味深いYou Tubeがあった。超有名なナポレオン時代のプロイセンのクラウゼヴィッツの戦争論を元に海上自衛隊元幹部がゆるやかに戦争の勝敗について論じているチャンネルだ。今回は、戦争について、以下のように、最後にまとめられた内容を元に、考えていこうと思う。

①戦争は相手に暴力で言うことを聞かせることが目的で行われるので、目的を達成したら勝ち、達成できない場合負けとなる。政治的目的を達成するための手段が戦争なので、相手にこちらの要求を飲ませる講和を結ばせるのがわかりやすい勝利、出来なければ負け。

②戦争に勝利するには敵の継戦能力か継戦の意思のどちらかを奪って講和を結ぶ必要があり、継戦能力を完全に奪うとう言うのは難しいため、継戦の意思を打ち砕く手段として継戦能力を減らすことになりやすい。そのためには敵の重心を砕くのが効果的だが、重心は相手によって異なるため、敵の軍隊を撃破する、首都などを占領する、政治的指導者を捕縛するなどは手段に過ぎず、どれがどの程度有効になるかは相手次第である。

③戦争は人間が行う行為である以上、人間の精神というのは重要な要素だが、継戦の意思はお互いの要求に対する価値で変動し、お互いがどう思っているのかは難しく、結果として軍事力の限界を見誤りやすい。どうしても自分に都合のいいように解釈してしまうのは古今東西変わりない。

…①について。戦争とは我が意志を強要するために行う力の行使である。戦争は政治的行為であるばかりではなく、本来制作のための手段であり、政治交渉の継続であり、他の手段を持ってする政治的交渉の遂行である。戦争には達成すべき目的があって行われる。戦争は政治の一部であり政治に従属する。戦争の継続それ自体が目的化してしまった事例も過去には存在する。先日からエントリーしてきた加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」では、日清・日露戦争については、政治に従属していたように思われる。しかし、満州事変・日中戦争・太平洋戦争においては、必ずしもそうとはいえない。軍部は、日中戦争時、軍事費予算の7割ほどを来るべき米英欄への準備にあてていたという資料が残っている。政党政治が機能しなくなっていたわけだが、テロを恐れた政治の無責任と言われても仕方がない。

…②について、この「重心」という概念はクラウゼヴィッツの概念で、絶対的な強みあるいは弱点、要件といったものが重心である。政治の中枢が首都で動かせない場合なら首都の占領、独裁国家であればトップの人物、同盟国の軍事力が自国を上回っていた場合、同盟国の軍隊こそが重心となる。国民国家成立以前は、非常にわかりやすかったが、モスクワ占領を重心と勘違いしたナポレオンのロシア遠征の失敗以後、非常に分かりにくくなっている。普仏戦争のナポレオン三世の捕縛などはあったが…。(笑)

…③について、日中戦争での日本の蒋介石や胡適らの継戦意思の読み違え、あるいはF・ルーズベルトの無条件降伏強要、トルーマンの原爆投下といった日本の継戦意思の読み違え、ベトナム戦争でのベトナムの継戦意思の強さの読み違えと反戦運動の勃興といった米国内の継戦意思の変化なども、例に挙げられるだろう。

この内容を元に、現在の状況についてさらに思索を深めたいと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=5cztkzCw0yM&ab_channel=%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F%E5%B0%91%E4%BD%90%E3%81%AE%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 

2023年8月17日木曜日

太平洋戦争:エピローグ

加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」第5章:太平洋戦争と割愛していた序章の内容から、これまで読んだ本になかった新しい発見を最後にエピローグとして記しておきたい。

天皇の戦争責任と大きく関わる統帥権について。この統帥権成立には山縣有朋が強く関わっている。西南戦争夜の翌年、この近衛砲兵隊が給料への不満から起こした竹橋騒動と、自由民権運動が軍隊内に波及しないよう、政治から軍隊を隔離するという発想から来ている。参謀本部長になった山縣は軍令は参謀本部長の管知するところとの規則を定めた。これが帝国憲法における天皇の統帥権に繋がっていくのだが、山縣は西南戦争において、軍事面でも政治面でも大きな影響力を持った西郷を念頭に、国家のためには、軍事面と政治面の指導者を分けたほうが安全だと考えたようだ。しかし、外交と軍事が緊密な連携をとれないという厄災をも生んだと著者は述べている。(序章)

太平洋戦争当時の情報統制について。地方によっては戦死者名が新聞の地方版に載っていたが、それらを合計することはできないようになっていたし、海外からの短波放送も通信社や新聞社、国の機関に限られており、傍受できなかった。(天皇ご自身は短波で情報を得ておられたようである。)しかし、株式市場では、1945年2月あたりから軍需関連ではない民需関連株が上がっている。また壊滅的な被害を受けた船舶関連株が上昇している。これは、投資筋が戦争が終わるという見通しをもっていたという証拠である。まあ、株式市場が開いていたということ自体が驚きであるが…。(太平洋戦争)

終戦時、200万人が満州にいた。満州への開拓移民は、長野県の例で、多い村で18.9%。養蚕地帯で、アメリカ向けの生糸生産が世界恐慌で大打撃を受けた地域ほど多く、他の作物への転業がうまくいった地域は少ないそうだ。国や農林省が1938年から満州分村移民募集を始めた。これは村ぐるみの移民をすれば助成金を出すというしくみ。県の拓務主事などが熱心に誘い、結果的に引揚げ時に多大な犠牲者を出したという。中には助成金で人命に関わる問題を用意に扱う国や県に反対した見識のあった村長もいたらしい。(太平洋戦争)

最後に、アメリカの歴史家:アーネスト・メイの「歴史の教訓」によると、F・ルーズベルトが、日独伊に対して無条件降伏以外認めなかったのは、WWⅠの時、ウィルソンが提案した14か条をドイツが受託し休戦したが、講和会議で英仏の反対を受け、ドイツに休戦に応じなければよかったという強い不満感情を一貫して持たすに至ったという歴史的教訓であったという。ソ連がWWⅡ後にアジアに影響力を増すことは容易に予期できたはずだと、カー氏は批判的だ。(序章)…ちなみに、大恐慌へのニューディール政策だけでは、有効需要に対応しきれず戦争による軍需でアメリカ経済が持ち直したのも事実である。

…日本の近代史における戦争について、いろいろ記してきた。それは、そのまま現在に繋がる。ブログ上でこれからじっくり考えてみたいと思っている。

2023年8月16日水曜日

太平洋戦争:水深12mを克服す

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
/qa/question_detail/q13165004413
加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」第5章:太平洋戦争で、これまで読んだ本になかった新しい発見を備忘録的に記しておきたい。

開戦時の日本国民の意識。後の東大総長・南原繁「人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ」当時の日本とアメリカの経済格差(GDPで12倍)を日本の当局は特に隠そうとはしなかった。物的な国力差を克服するのが大和魂と国民をまとめ扇動していた。南原は正気の沙汰ではないと感じていたようだ。東大で中国文学を専攻していた竹内好は、中国を相手とする泥沼のような”弱いものいじめ”のような戦争ではなく、強い英米との開戦に感動している。このような安堵感のような思いが、身が引き締まるとか明るいとかいった庶民の日記に多数見られるそうだ。

陸軍は当初、ソ連侵攻を念頭に置いていたが、1940年の時点で、蒋介石への英米の軍事支援ルートを叩くために、すでにドイツの傀儡政権となっていたヴィシー政権の北部仏印に進駐する。ここから南進論が広がる。しかもアメリカが、迅速に在米日本資産凍結と石油の対日全面禁輸を行った。この影響もあって日中戦争が長引いているので、戦争継続のために南方に求める必要があるというわけだ。

真珠湾攻撃についてかなり専門的な逸話が記されている。高度100mから魚雷を投下すると水面下60mくらい沈み、その襲撃でスクリューが稼働、深度6mくらいで進み、吃水線下6mの火薬庫あたりで爆発する。真珠湾は水深12m。米海軍は安心しきっていたようだが、海面スレスレに飛行し、そっと魚雷を投下する技術を3ヶ月の訓練で身につけた海軍航空隊に奇襲攻撃を受けてしまう。

…真珠湾攻撃の雷撃の技術的な話は面白かったが、この本には、アメリカの対日戦略であるオレンジ作戦やF・ルーズベルトのロブスター捕獲の話(深い檻の奥まで誘い込む)などは出てこない。このシリーズの最初に触れたように、著者は太平洋戦争開戦の主体は、あくまで日本だと見ているような気がする。交通事故の保険裁定ではないが、私は五分五分、悪くても六・四(六が日本)のような気がする。

2023年8月15日火曜日

8.15に加藤陽子を読み終える

加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」第5章:太平洋戦争を読み終えた。太平洋戦争については、これまで何冊本を読んできただろう。最大のポイントは、あれだけ国力差のあるアメリカに、何故戦いを挑んだのか、という後世から視た疑念だ。このエントリーでは、まず俯瞰的な話。

本書では、これまでとは違う角度でこの疑念に答えようとしている。最も印象的だったのは、昭和天皇は開戦にかなり抵抗したらしいが、開戦派軍部が使った説得は、大坂冬の陣。和議の際、豊臣は徳川堀を埋められ、夏の陣で滅亡したという歴史を説いていることである。この”堀を埋められる”というのがミゾで、開戦せずに豊臣のように滅びるか、七割から八割の緒戦の勝利に賭けるかという論であったそうだ。

この七割から八割の”緒戦の勝利”は、真珠湾やシンガポールなど実際にあったわけだが、これで日本は戦争を終結させることは出来なかった。それには、10月までにドイツがソ連を降伏させることが絶対必要であったが、冬将軍を味方につけたのはソ連だったし、イギリス侵攻も結局できなかった。アメリカは、真珠湾後、海軍力と航空兵力を大量に整える。最悪の楽観的な見込み違いとなったわけだ。

ところで、ドイツは、大恐慌後中国への最大の武器輸出国であったが、WWⅡが始まるとそれが止まった。中国の蒋介石は英米の武器援助(アメリカのパイロット付きの戦闘機も含まれる)を熱望し、手に入れている。共産党はソ連が当然ながら武器援助している。12月9日、蒋介石は満を持して日本に宣戦布告している。(日中戦争時には宣戦布告をしていない。)前述の胡適の読みどおり(米ソを中国に引き込む:本当はソ連も蒋介石は味方にしたかったはずだ。)になったわけだ。

…今回の画像は、以前作ったパワーポイントである。もしまた使う場合があれば、この中国の状況も視野にいれて改善しなければならないと思う。

2023年8月14日月曜日

日中戦争:日本切腹中国介錯論

加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」第4章:満州事変と日中戦争についてののエントリー/後編である。

1928年、ついに普通選挙法が施行された。当時の国民の約半数が農民で、3回選挙があったが既成政党は農民に冷淡であった。農村漁村の疲弊の救済は最も重要な政策と断言したのは軍部だった。統制派の永田鉄山が軍務局超時代に、「国防の本義と其強化の提唱」という陸軍パンフレットを作っている。エリートや熟練工は、兵士に徴兵検査は受けても召集されず、兵士の供給は農村が主だったことが大きい。パンフレットでは、WWⅠのドイツの敗戦の原因は、思想戦による国民の戦意喪失、革命思想の台頭と分析、国民を組織する重要性を説いている。これは政党政治では駄目だということが延長線上にある。さらにソ連の重工業化による国力増強が最大の脅威と考えた。ここでまた国家安全保障の理念が出てくる。来るべき航空戦に備え、華北地域を国民党政府の支配から切り離し対ソ連の安全圏を確保しようと考える。一方、満州や華北との交易が落ち込んだ華中の経済力が落ち込み、日本の対中貿易は悪化していた。これを中国の日本製品ボイコットとプロパガンダして、国民には悪感情を煽っていく。

さて。北京大学教授で、対日開戦時に駐米大使だった胡適は、実に優れた切れ者で野村吉三郎などひとたまりもなかっただろう論客であった。日中戦争開始前の1935年、「日本切腹中国解釈論」を唱える。中国は、アメリカとソ連の力を借りなければ救われない、日本が今あれだけ思うまま振る舞えているのは、アメリカの海軍増強、ソ連の第二次五か年計画がそれぞれ完成していないからで、日本もそれがわかっている。故に日本は中国に戦争を仕掛けてくるだろう。まずはに正面から引き受けて2・3年間負け続けるべきだ。そうすれば米ソが土俵にあがってくる、日本は自滅の道を歩んでいる、中国はその介錯をするのだ、という趣旨である。

…結果さえよければ、いくら民衆が戦死し不幸になろうとも、それが正義という、アメリカでデューイにじっくりとプラグマティズムを学んだ哲学者らしい論である。

この胡適と1938年に論争したのが、汪兆銘(国民党のNo2だったが日本の傀儡政権を南京に作った人物)で、胡適の言うようにしたら、中国はソビエト化してしまうと反論した。これもまた1949年に実現する。とにかくも、中国は日本軍によって常識的には降伏する状態であったが、戦争をやめなかったのである。これが日中戦争の本質であるようだ。…現在の世界を考える時、決して過去の話ではない、と私は思う。

満州事変:リットン調査団

https://japolandball.mira
heze.org/wiki/%E6%BA%80
%E6%B4%B2%E5%9B%BD
加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」第4章:満州事変と日中戦争についてののエントリー/中編である。 

蒋介石は、当時中共の討伐(南昌)の真っ最中で、国民党広東派とも戦っていた。日本と協調外交すればば、双方から売国奴批判を受けると判断、また張学良が対日交渉を始めるのも警戒し、公理に訴えるため満州事変を国際連盟に委ねた。で、派遣されたのがリットン調査団である。大恐慌後イギリスは、中国のことはもう日本に任せたい、という想いがあったようだ。背景には賠償金を巡るドイツとの対立で手一杯。リットン調査団にはそういう背景がある。

調査団の委員長は、英の元インド総督の息子でベンガル知事だった植民地経営に詳しいリットン伯爵。米からはキューバ占領統治とボリビアとパラグアイの国境紛争仲介の経験があるマッコイ少将。仏から天津やベトナムに駐屯していた植民地の軍事関係に詳しいクローデル中将。独のシュネー博士は対戦前の東アフリカ総督で植民地政策の専門家。伊からは老練な外交官のアルドロバンディ伯爵。これがリットン調査団の顔ぶれである。

報告書は、意外に経済面では日本に好意的であったが、意図が異なる軍にとっては満足できるものではなく、流石に連盟規約違反、不戦条約違反などとは書かれていないが、合法的な自衛の範囲を超えていおり、満州国建国(1932年3月建国)は民族自決の結果生み出されたものではない、と記されていた。吉野作造は、この報告書をヨーロッパ的正義の常識と評している。が、日本国内の世論は、大恐慌の影響もあり、”どれほど苦しくとも不正はするまい”という常識や余裕が失われ、調査書が完成する前に衆院で満州国承認決議を全会一致で可決している。軍部を恐れての勇ましい発言も出ていた。

連盟脱退の時の外相は内田康哉で、強硬策をとれば中国の融和派(蒋介石も含む)が折れると踏んでいた。天皇や内相の牧野伸顕はこれを不安視していたらしい。全権大使だった松岡洋右も同様で、イギリスなどの(日本の連盟脱退を避ける)仲介の労を電報で訴えている。しかし、内田の策を陸軍が潰した。張学良軍のいた熱河省に侵攻したのである。海軍の大秀才・斎藤首相がこれは大問題である、と気づく。陸軍は満州国内での軍事行動と見ていたが、連盟は満州国を認めていないので、熱河省は明らかに中国領土であり、条約違反になる。連盟規約の第15条と第16条には「国交断絶にいたる虞(おそれ)がある紛争が発生した時は、当然他の連盟国に対し戦争行為をなしたるものとみなす」となっており、こうなると万事休すである。除名+全連盟国の敵=経済制裁となる前に、総会で勧告案が提出された場合、脱退という決断が閣議でなされたのだった。これが連盟脱退のプロセスである。…受験の日本史では、とてもここまで講じることは出まい。

満州事変:満蒙は生命線?

満鉄とくればアジア号である https://globe.asahi.com/article/12609241
加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」第4章:満州事変と日中戦争についてののエントリー/前編。 満州事変は、1931年に起こされ、日中戦争は1937年に起こったと、著者は動詞に区別をつけている。この相違を認識しながら、まず満州事変について。

まずは満州事変の基本的な事。関東軍は、関東州(大連・旅順)とロシアから割譲された中東(=南満州)鉄道の保護を目的とした軍で、兵力は約1万だった。当時、満州(東三省:遼寧省・吉林省・黒龍江省)を支配していたのは張学良であり、兵力は19万。関東軍特務機関が、張への反乱を工作し、華北に精鋭11万を連れて留守にしている隙に、張作霖(張学良の父)爆殺事件を起こしたのである。日露戦争後、日本は南満州、ロシアは北と分割支配する秘密条約を結んでいた。さらに北京の東経116度27分より東の内蒙古も、秘密協定に追加された。(西は当然ロシア支配)その後に、清朝が倒れ、さらにロシア革命が起こる。

中国新政権との間で、これまでの条約で議論が噛み合わないグレーゾーンについて両者の条約の解釈の違いが浮き彫りになる。しかも日露の満州分割は、秘密協定であり英仏米などの列強の認識にはなかった。そこで、既成事実を集積する。外務省と陸軍、商社が一体になって急いで鉱山開発やインフラの整備に投資、「特殊権益」を創設していく。1926年の満蒙投資総額は14億20346685円(当時の金額:内85%が政府関連出資)で、なにか事が起これば国家の望む方向に人々は動くことが容易に想像できる。実際、当時の日本人の満州に対する感覚は、事変前でも東大生の9割が武力行使容認だったというアンケートが残っている。松岡洋右(当時代議士)が事変の9ヶ月前に、幣原喜重郎外相(浜口雄幸内閣)の協調外交を批判し、「満蒙は我が国の生命線である」と演説した。これは世の中を席巻すようなフレーズであったわけだ。

ところで、満州事変を画策した石原莞爾はWW1後のドイツ留学で、これからの戦争について経済封鎖を乗り越える必要性を説いた。満蒙支配は来るべきソ連やアメリカとの戦争に備えるためのもの。国民間の中国の条約不履行(満蒙は条約で日本の権益が認められているのに、イチャモンをつけてきている)とは違う観点であった。ここに、1929年の世界大恐慌が起こる。生活苦にあたって、満蒙は生命線という認識が国民間に広がり、これを関東軍は見逃さなかったのである。

1931年9月、事変が起こる。この時、兵力で圧倒的不利だった関東軍は朝鮮軍に越境を要請、これは完全に統帥権侵犯である。しかし内閣(若槻銑十郎内閣:幣原外相と井上蔵相は反対したが…)は弱腰だった。三月事件をはじめ、後には十月事件5.15事件など、軍部による圧力が急激に増していたのである。

2023年8月13日日曜日

また枚方日本一の酷暑39.2℃

先日の39.8℃の画像 https://topics.smt.docomo.ne.jp/
article/tenkijp/nation/tenkijp-24420
このところ、夜も30℃を下回らない日が続いている。私の住んでいる枚方市は何度目かの日本一の暑さになった。扇風機の風があたってないとどうしようもない。こんな酷暑は人生初である。日本の夏はどうかしてる。嗚呼、マレーシアが懐かしい。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20230813-OYT1T50173/

WWⅠ:山東問題をめぐって

青島駅 ドイツ租借地の残り香 https://4travel.jp/os_shisetsu/10417602
WWⅠとくれば、総力戦である。実際に1000万人の死者と2000万人の傷病者が出た。対して日本では青島攻略での戦死傷者は1250人であった。加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」第3章:第1次世界大戦についてののエントリー。

列強の植民地獲得の動機は、貿易上の利益、キリスト教の布教、国内の人口過剰や失業問題のはけ口として等があったが、日本の場合は、スタンフォード大のマーク・ピーティ教授が指摘する安全保障上の利益が中心であった。WWⅠ後の山東半島のドイツ権益(というよりも膠済鉄道が重要だった。中国の内戦への介入が、青島へ上陸すれば一気に容易になる故。)、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島、旧来の台湾、1910年の韓国併合をあわせて、海上輸送のルートを確保しているわけだ。

https://binmin.tea-nifty.com/blog/2008/06/post_50cb.html
日本の参戦を強く押したのは大隈内閣の外相・加藤高明で、長く日本の先生であったドイツに宣戦布告することを元老・山縣有朋は躊躇していた。日英同盟が参戦の理由とされているが、最も対中貿易量が多かったイギリス自体はかなり警戒的だったらしい。日本が参戦すればが中国への影響力を増すであろうと懸念した。また南洋諸島の領有は、アメリカにも脅威を与えた。(=ウォー・スケアー:根拠のない怖れ)英米は参戦には反対しなかったが、対中国の問題で強く自制を求めてきており、それが国会でバレ、主権侵害ではないか大騒ぎとなったし、またパリ講和会議でも米中は山東問題について排日的な議論を進め、北一輝に「排日の泥を投げつけられる」と評されている。報道主任として参加した松岡洋右は、「山東問題は批判されても仕方がない、二十一箇条の要求を袁世凱に叩きつけて(本来はドイツから取り上げ、中国に返還する約束だったのに領有した)山東に関する条約を無理やりにでっち上げた。」と真っ当な苦悩を手紙に書いている。近衛文麿も、「所詮力の支配が鉄則であり、日本が提出した人種平等案は実力不足故に否決された」とぼやいている。

このパリ講和会議では、ウィルソンの理想主義が喧伝されがちだが、大揉めに揉めた山東問題で、英仏米で立場が異なっていた。アメリカ(ウィルソン)は中国の主張を容認したが、仏のクレマンソーは、戦後の植民地分割について、日仏英伊露の間でお互いに認め合うという1917年に結ばれた秘密条約(露→ソ連が暴露)を持ち出した。ちょうど地中海の警備に日本が出てきたときに結んだもので、「日本が欲しいといったものにイエスと言わなければならない関係である。」と言い、英語のできない彼はその後一言も発しなかった。(いわゆる聞く耳を持たない態度である。)英のロイド=ジョージは、「(1917年の)ヨーロッパは大変苦しい状況で、日本は助けてくれた。中国への同情は疑う余地はないが、一度交わした協定は、思い通りにならなかったから破いてしまうような紙切れではない。」中国代表の反論をさえぎって「もしドイツが勝利者であったなら、ドイツが世界の支配者になっていた。中国もドイツの支配下になっている。アメリカは、まだこの当時ドイツに対抗する準備はできていなかった。」これには、ウィルソンも中国代表も黙るしかなく、日本の山東領有は是認されたらしい。

国家改造という視点で見ると、日清戦争後は普通選挙が必要という程度でいわば点。日露戦争後は実業家の議員などによる経済的運動で、いわば線。しかし、WWⅠ後は、パリ講和会議に自費で参加した少壮政治家やジャーナリストの影響もあって面に拡大したのである。欧米と日本の政治制度や社会制度の差を実感した彼らは、大きな危機感を持ったのだ。普通選挙や労働組合の公認、地主優遇の税制を改革、朝鮮・台湾など新領土の統治の刷新、既成政党の改造といった要求が出てきた。

その最も大きな分水嶺は、1918年、元老・山縣有朋は反対していた政党内閣(原敬内閣)を容認したことではなかったか。

2023年8月12日土曜日

日露戦争:門戸開放と増税

日露戦争の経過については、司馬遼を読みこんでいるので、日清戦争より私ははるかに詳しい。とはいえ、第3軍の乃木=西郷、伊地知=桐野という図式で描かれているので、すこし眉唾だが…。

加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」第2章:日露戦争についてののエントリーを続ける。当然ながら、戦史的な側面より、当時の国際情勢や国内状態の話が中心である。知らなかった逸話だが、ニコライ2世の戴冠式に李鴻章を招いて、どうやらとんでもない額の賄賂を送ったらしい。(クレムリン宮殿にはダイヤモンド庫を始めとしたお宝が今もあり、著者は実際に見たそうである。)その直後、露清防敵相互援助条約(対日攻守同盟)という密約を交わしている。さらに東清鉄道(中東鉄道:黒竜江省からウラジオストクを結ぶ)の敷設権を露仏の銀行に与え、さらに下関条約の賠償金援助の担保として、ロシアは旅順・大連の25年間の租借権と東清鉄道のハルビンから旅順・大連までの支線の敷設権を獲得する。この鉄道は、山縣有朋が恐れていた事態で、シベリア鉄道は中国国内を通らないので日本の国防上すぐには脅威にならず安心していたのが、まさにの悪夢となった。一方、義和団の乱の時、ロシアはチャンスと見て、段階的に撤退するという条件をつけて黒竜江沿岸を占領した。清ではロシアについていって大丈夫なのかという疑念が起こるが、1901年当事者の李鴻章は死去してしまう。義和団の乱は終わってもロシアは撤退しないという状況に、イギリスは、日本と日英同盟を1902年に結ぶ。(実は、イギリスは当時南アのボーア戦争で苦戦していたのだ。)

国内に目を向けると、民党はこの日英同盟をロシアに自制を求めるものだと冷静に受け止め、しかも大海軍国と同盟を結んだのだから海軍の軍艦製造は必要なくなり、地租を上げる必要もなくなった、と歓迎した。日英同盟が日露戦争の引き金となったという論は間違っている。最近の研究では、支配層や国民の大部分は厭戦的だったようだ。東大と学習院大の七博士が、シベリア鉄道の開通前までに開戦すべきという意見書を出したのは1903年6月。参謀本部が七博士の意見に同意するのは10月。元老の山縣も伊藤も非戦論だった。(開戦は1904年2月だから、かなり開戦論に傾くのに時間がかかっている。)

当時ロシアは、ポーランド、フィンランド、エストニアなどが反抗しており資金面で日本と戦争する力がないと、日本政府は考えていた。しかし、ロシアの政治状況が変わってきていたと故という新資料からの研究が進んでいるそうだ。ウィッテ蔵相やクロパトキン陸相といった極東問題に詳しい人々が失脚し、ベゾブラーゾフ一派が韓国をとってしまえば大連・旅順は安泰という日本が安全保障上最も嫌がる策を講じてきたのである。よって、現在の研究では、ロシアの方が戦争に積極的だったというのが結論になっているとのこと。

事実上は韓国を巡る安全保障上の問題だったのだが、イギリス・アメリカが本気になって日本を応援してもらうための大義が必要だった。それは満州の門戸開放となる。世界的な大豆の産地をロシアに握られ、北京への影響力を増すことは他の列強にとって死活問題であった。(満州をロシアが取れば、鉄道運賃や関税で自国有利にすることは見えていた。)アメリカは、日露戦争の前に、イギリスが日清戦争前に行ったように条約の改訂を行う。これは、満州の門戸開放を行うというプロパガンダでもあった。これで、日本は戦費を集めやすくなった。

…日露戦争は、随分前に第0次世界対戦だというエントリーをした。(2012年7月27日付ブログ参照)英米は日本についたが、フランスは、東清鉄道で銀行が共同出資しており、鉄道公債の回収ができなくなるので及び腰ながらロシアを応援することになる。ドイツビスマルク失脚後で、ヴェルヘルム2世はドイツにロシアの目が向かないように黄禍論を唱えていた。フランスよりロシアに金を貸している。中国は、中立の立場をとるが、日本と協調して門戸開放してもらった方がよいと考えていたようで、義援金を送ったりしている。袁世凱が上海銀2万両を送っている。しかも戦場においては中国側が諜報活動に協力的だったという。

戦後のポーツマス条約で、日本は賠償金を取れなかった。戦時中の桂内閣は戦費のために外債を大量に発行し、ものすごい増税を行った。地租は2倍になったし、個人の勤労所得が増えたので営業税や所得税が直接税として1903年には、非常特別税法のため同じ額をもう1回払わされている。しかも賠償金が入らず、7割増の税がかされることになる。ちなみに、戦前の1900年に山県内閣は、選挙法を改正して、10円納税者にまで選挙権を引き下げ選挙権者が98万人に増えた。しかもその後の増税で、158万人に増え、政治家の質も地主から経営者や銀行家が増えた。山縣内閣は、日清戦争語の産業の発達を担う商工業者のため都市部での選挙区の区割りを変えたり、被選挙権の納税資格(15円以上)を撤廃したりしていた。この選挙権保有者の増大が日本国内では大きいと著者は言う。もちろん、日本は国際的に公使館しか置けなかったが大使館となり、目に見える形で国の格が上がった。1911年には念願のの条約改正がなり、日清戦争ではアジアからの独立、日露戦争では、列強からの独立が達成されたわけだ。

2023年8月11日金曜日

日清戦争:華夷思想と民党

https://aucview.aucfan.com/yahoo/b1043318211/
♪煙も見えず雲もなく風も起こらず波立たず鏡のごとき黄海は…。これは、黄海の海戦を歌った”勇敢なる水兵”という軍歌の冒頭である。田河水泡の漫画”のらくろ”は、これを別の歌詞でのらくろの歌として載っている。(上記画像:のらくろ漫画全集に載っていたので、後世のアニメではない。)日清戦争というと私はこの軍歌を思い出す。

加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」第1章:日清戦争についてののエントリーを続ける。まず印象的な話に、華夷思想(中国は朝貢貿易のように、従属国を従えていたので、列強からすれば、安全保障的には、中国を通せば安価に進出が可能な制度と捉えられていた。ベトナムや朝鮮と貿易をしたければ武力に訴える必要がなく、中国と話をつければよかった。)の変化がある。新疆のイリ地方でヤクーブ・ベクがロシアの援助を受けつつ新国家を作り上げてしまった。ここは華夷秩序内であるという認識が李鴻章にはある。そこで、ロシアには中国領土の一部を割譲してイリ条約を結んだ上で、武力で新国家を潰した。この中国の変化が重要で、朝鮮への態度も変えていく。1881年、朝鮮・ベトナムを直轄下に置くことにしたのである。当時の日本は、朝鮮と日朝修好条規という不平等条約を締結しており、李王朝内では日本寄りの改革を進めていたが、親清国派が力を得る。(壬午事変)1884年甲申事変が親日派にょっておこされるが、清軍が鎮圧、袁世凱を送り込み、日本とは天津条約を結ぶ。陸軍のトップだった山縣有朋は、この中国の華夷思想の変化に早くから気づき、1880年には軍備拡張において、日本も負けていられないと上奏している。1885年、福沢諭吉が「脱亜論」を発表する。これは、大アジア主義だった福沢は、「西洋人がこれに接するの風に従いて処分すべきのみ」(朝鮮の親日本派を使って進出することは不可能になったので、清を討ってから進出するしかない。)と記されていた。

民権論者(帝国議会では過半数を占める民党:立憲自由党+立憲改進党)は、この頃、意外にも山縣や福沢と同じような東アジア認識を持っていた。15円以上の納税者であるゆえに、地租軽減を主張し反政府的であったが、条約改正については危機感をつのらせてきた。日本の独立ということに強い気持ちがあったようだ。

さて、1893年(日清戦争の1年前)、(立憲自由党から自由党に改称した)板垣退助は、2種類の新聞を発行していた。知識階層には「自由党報」、(選挙権のない)民衆には「自由燈」(じゆうとうと読ませることを計算して自由の”ともしび”)である。民衆には面白おかしく煽っている文章で、(列強に属国とされてしまう)無気無気力の奴隷根性を批判し、好戦的であった。

ところで、まだ政党を基盤とする議院内閣制ができる前で、藩閥政治が政府のポストを独占していた。福沢は、当選が日本の勢力下に置かれれば政党員は新天地でポストを取ったらどうかと言う。実際、その後台湾総督府や日露戦争後朝鮮総督府も出来て、数千人規模の新しいポストができた。民党からすれば、これはおいしい話であった。一方で、地租増税に反対だった民党は、政府に経費節減を強いた。当時は、今より遥かに議会が予算の額を決めることが可能だった。(帝国憲法64条)この歳出での余剰金・2600余万円が、5ヶ月間の軍費(弾薬や軍艦など英米に支払う必要があった。)となった。足尾銅山で有名な立憲改進党の田中正造は日露戦争には反戦・非戦論の立場だったが、日清戦争は違い、賛成しており、民党の軍費を支弁したのは民党の成果だと年賀状に書いている。

最後に、元海援隊の陸奥宗光外相の話。陸奥は、「我が政府の廟算(びょうさん)は外交にありては被動者の地位を取り、軍事にありては常に機先を制せんとした。」(外交では日本は仕方なくこうせざるをえなかったという受け身のかたちをとります。けれど軍事においては着々と準備します。)という台詞を吐き、東学党の乱がおさまり、清軍も明日には引き上げようかという時に、海軍陸戦隊430名をソウルに入場させ、さらに一週間以内に陸軍を4000名仁川に上陸させている。この1ヶ月後に日清戦争が始まるのだが、陸奥は日本と清で朝鮮の実効性のある改革をしようと提案、改革が着手されるまでは日本は軍を引かないと言い、清とやりあった。イギリスは、ロシアが南下することを嫌がり、日本の背中を押す。日英通商航海条約を締結、条約改正に大きく舵を切ってきた。日清戦争は、帝国主義の代理戦争という意味合いも強い。実は、イギリスも下関条約でさらに4つの都市が開かれ、他の列強も貿易上の利を得ることになる。

日清戦争の死者は陸軍が13488人、海軍90人、傷病者は、陸軍が285853人、海軍が197人。清と朝鮮の死者数はは3万人と見積もられている。日英通商航海条約で、領事裁判権の廃止、関税自主権の原則回復がなされ、当時の日本の予算が約1億円であったのでその3倍以上の2億両(三国干渉での遼東半島還付金を含めると3.6億円)の賠償金と台湾を得た。アジアの盟主としての意識が国民に生まれながらも、三国干渉に屈した政府は民意が反映されていない、もし日露戦争が起こったら徴兵されるのは選挙権のない民衆であり、普通選挙運動が起こってくる、というわけだ。

2023年8月10日木曜日

序:敗戦国は社会契約が変わる

https://www.irasutoya.com
/2017/02/blog-post_89.html
加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」についてののエントリーを続ける。この書は、序章から第5章までで構成されている。序章は、日本近現代史を考えると題された総論的な内容。以後、第1章は日清戦争、第2章は日露戦争、第3章は第一次世界大戦、第4章は満州事変と日中戦争、第5章が太平洋戦争となっている。

かなり内容が濃いので、印象に残ったり、勉強になった部分をできるだけ抜書きしたいところだけれど、どうしても無理がある。本日は,序章の内容について最も重要だと思われる点だけ記しておきたい、

それは、戦争に負けると、それまでの社会契約が変わる、ルソーの言によれば「戦争とは相手国の憲法を書き換るもの。」ということである。WWⅠ・WWⅡのドイツ、湾岸戦争後のイラク、そして、WWⅡの日本が最もわかりやすい例となるだろう。歴史学も社会科学である限り、法則性を重視するのは当然。おもわずなるほどと膝を打ったのであった。

この序章には、様々な伏線が書かれていいるが、おいおい次章以降に重ねていきたいと思う。

2023年8月9日水曜日

ナガサキの日に加藤陽子を読む

東大の日本近現代史の教授・加藤陽子氏の「それでも日本人は戦争を選んだ」(新潮文庫)を読んでいる。学園の夏期講習の時からだから、少し時間がたっているが、重要事項が多いので再読しながらエントリーしていこうと思う。

この本は、神奈川の私立栄光学園での2007年の年末から5日間の講義録である。対象が中学と高校1・2年生の歴史研究部の生徒である。そもそもは、朝日出版社の企画だったとのこと。ここに私は少し引っかかった。何故なら、加藤陽子氏の政治的な立ち位置が、日本近現代史にとって極めて重要な視点だからだ。で、この内容を紹介する前に、加藤陽子氏の政治的な立ち位置を探ってみたい。

東大の教養部時代は第二外国語はロシア語、右寄りの伊藤隆氏が指導教授。199年以降山川出版社の詳説日本史の執筆に携わる。ただし、かなりの困難さを感じ、この講義を行ったという。小泉政権下で公文書管理委員会委員、国立公文書館の調査検討会議委員などを歴任、上皇陛下が天皇在位中に、保坂正康・半藤一利とともに歴史談義で招かれている。一方で、安倍政権下では特定秘密保護法に反対し、立憲デモクラシーの会の呼びかけ人の一人となった。2020年の日本学術会議新会員候補であったが、菅首相に任命を拒否された6人の一人でもある。山川の詳説日本史では、師の伊藤に代わり南京事件などについては、大幅に加筆され、左翼歴史家という批判もある。(師の伊藤隆氏は、新左翼に回帰したとも述べている。)

というわけで、簡単に結論づけるわけにもいかないのだが、私より2学年下なので、どっちかというと左翼系であると見える。(何度か書いたが、私達の年代は、当時ほぼ殆どの学生が左翼にシンパシーを持っていた。)

こういう認識を持って読むことは、近現代史と戦争に関わる内容なので特に必須であると私などは思う。だから、何なんだと言われると困るが…。(笑)

2023年8月6日日曜日

ヒロシマの日に緑十字機の話

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8F%E3%82%BB%E3%82%AC%E3%83%AF-G4M1
昨夜、妻がYou Tubeに面白いドキュメンタリーがあると教えてくれた。終戦記念日は1945年8月15日だが、前日に御前会議でポツダム宣言受諾を決定、玉音放送があった日である。ただし、これは全世界に受諾を宣言しただけであって、正式な終戦は、ミズーリの艦上で行われた降伏文書への調印の日、9月2日である。実際問題として、連合国と正式な降伏文書等のやりとりを行う必要があったわけだ。実際問題として、ソ連は侵攻を止めず、千島列島を占拠し、留萌と釧路を結ぶ線で区切られた北北海道を占領するつもりであったし、アメリカも第三・第四の原爆投下を予定していた。日本は、すぐにでも正式に武装解除を行い、無抵抗を示す必要があった。早くしないと北海道が失われてしまう危機にあったわけだ。

8月15日は「日本のいちばん長い日」として、陸軍青年将校のクーデター未遂事件が有名だが、海軍でも厚木航空隊が、武装解除に反旗を翻した。この厚木こそ、米軍先見隊、マッカーサーを向かい入れる超重要地であった。(この対処は海軍軍人でもあった高松宮殿下が説得に向かい、必要とあれば直接天皇と謁見させてもよいと言われたそうで、302海軍航空隊を説得。解任された司令官は納得せぬままマラリアで行動不能となり、海軍病院に連れて行かれた。)

マッカーサーより、機体を白く塗装し、緑の十字をつけた機体(緑十字機)で沖縄・伊江島まで代表団を輸送し、正式な降伏についての調整をフィリピンで行うとの命令が来た。この緑十字機の飛行は、まさに苦難の連続で時間との戦いであった。厚木が反旗を翻しているので、木更津から出発し、迂回せざるを得なかったし、1番機は故障していたが、最優秀の機長ゆえなんとか着陸できた。ここから一行は米軍機でマニアに向かう。決死の覚悟で臨んだ一行だったが、無事伊江島に帰還。急ぎ夜間飛行で木更津に向け飛び立った。しかし燃料が足りずエンジンが停止し、静岡の鮫島海岸に不時着。これもほぼ満月の月明かりと機長の力量によるものである。その後近隣の協力と浜松陸軍飛行場より、東京・調布に無事到着した。

まさに苦難の連続であった。このYou Tubeは素晴らしい出来である。

https://www.google.com/search?q=%E7%B7%91%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%A9%9F&rlz=1C1QABZ_jaJP1003JP1003&oq=%E7%B7%91%E5%8D%81%E5%AD%97&aqs=chrome.1.69i57j69i59j0i512l8.9053597j1j15&sourceid=chrome&ie=UTF-8#fpstate=ive&vld=cid:207663c0,vid:K7moZHr0Kg4

ちなみに、この日本の降伏文書のレプリカを、昔ヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館で購入した。こういうレプリカが販売されていることが、不思議でもあり、腹立たしくもあり、複雑だったが教材として購入したことを覚えている。

2023年8月5日土曜日

猛暑にあたって水泳の話。

https://store.descente.co.jp/arena/feature/interhighschool_2023/

学園から、いろんな競技にインターハイに出場している生徒がいる。今年は北海道開催だそうで、付き添いの先生方も大変だ。いつもお世話になっているY先生に、教えている水泳部の生徒のことを聞いたら、近畿4位(180cmを超える巨体の大阪府の3選手以外では1位)という逸材だった。身長では差があるが、全国でぜひ頑張って欲しい。

これだけ暑いとプールにでも行きたくなる。先日、学研都市線で子供たちが浮き輪を持って乗っていた。そんなはことを妻と話していて、思い出したのだが、プールに入ったのはマレーシアのコンドで入って以来になる。(それも正月の元旦だった。笑)

私は運動が苦手で、今まで運動で注目を浴びたのは、1回しかない。中学の時に、クラス別の水泳大会があって、背泳で学年一(6クラスだけど)になっただけだ。なぜか背泳だけは速かった。飛び込まなくていいし、不思議にスイスイ泳げたのだった。

そんなことを回想するほどの猛暑が続いている。

2023年8月4日金曜日

史上最も酷い”なおエ”

https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/202308030000088.html
大谷翔平選手が先発し、マリナーズ相手に④回を無得点に抑えた。1回エラーでピンチもあったが最大限の投球で乗り切った。しかし、右手の中指が痙攣したらしく降板。ただ、DHとしては出場を続けた。

1回目の打席はヒット、2回目の打席は四球、3回目の打席は2アウトでランナーもいないので申告敬遠。凄いのは、ここで完璧な盗塁をしたことだ。これが次のバッターのヒットに繋がり、激走得点する。まるでMLBの時の2塁上でチームを鼓舞したような感覚だ。痙攣を乗り越えチームのために、疲労をものともせず走る姿は、まさにサムライ・大谷翔平である。続くバッターもタイムリーで逆転。さらに8回の打席では、40号本塁打。凄すぎる。…だが、3対1で迎えた9回満塁ホームランを打たれてエンゼルスは逆転負け。

”なおエ”は今までにもたくさんあったけれど、おそくら最も酷い”なおエ”だろうなあ。大谷君のコメントはそれでも前向きであったが…。

2023年8月2日水曜日

哲学マップを読む。5

哲学的思考図式Ⅳは、「流動性の肯定」と題され、マルクス、フロイト、ニーチェの3人が挙げられている。1960年代になって「思想の三統領」と呼ばれるようになったらしい。マルクスは、それまで哲学者が視野に入れはしていたものの、人間の精神や理性に従属するものと考えられていた生産活動に光を当て、フロイトは、それまで理性の対立物として排斥されていた狂気が万人の意識や理性、人格の奥深くに存することを明らかにした。それに比べて、ニーチェは特に新たな領域へと手を広げたわけではない。にも関わらず他の2人を上回る衝撃を与えたのは、ニーチェの描き出した思考図式が、従来の哲学的思考を根本から転覆させるメタ理論的性格を持つからで、ギリシア以来の「哲学」そのものの否定で「反哲学」と言われる。

ニーチェの著者の捉え方は、①ニヒリズム②永劫回帰③力への意思の三局面から整理できるとしている。高校の倫理の教え方の順序とは少し異なるので、実に興味深い。

善や正義、真理、美などはすべて価値あるもの、追求し、実現すべきものとされている。こうした価値にはそれを勝ちたらしめている根拠、すんわち神とかイデアのようにこの世の外にあるものに与えられる。このような考えをニーチェは「二世界説」と呼び、現実の背後にあるまるで後光のような世界を「背後世界」と呼び、これは誤りであるとした。善悪は、現実世界内部の心理的社会的メカニズムによって生まれる。こんな寓話が紹介されている。「あるところに、富み、かつ平和を好む部族があった。そこに好戦的な部族が攻め入り、全てを奪い去ってしまう。破れた部族はどう考えるか?彼らは何一つ落ち度がない自分たちをひどい目に合わせた相手を悪い奴らと呼ぶだろう。それに比べて、何も悪いことをしていない自分たちは善い人である。こう考えれば、武力や知恵で太刀打ち出来ない相手に、せめて道徳的に勝つことができ、心理的優位に立てる。こうした弱者の強者に対する妬みや怨念=ルサンチマンこそが、善悪の期限である。」よって、弱者が自分たちの尊厳を守るために発明したのが善悪である。あたかも家畜の群れが密集し肉食獣の攻撃から身を守るように、弱者は身を寄せ合い、自分なりの尺度をつくり、一度浸ってしまうとルサンチマンは快い。道徳はこのような奴隷道徳であり、正義や禁欲などの他の価値についても言えるとする。すべての価値はルサンチマンによるものだから、価値はない。価値というものの価値を否定するのがニヒリズムである。こうして善悪の根拠たるイデアや神はお役御免となる。”神は死んだ”のである。

ニヒリズムは、全ての価値は欺瞞に過ぎないとし否定的な機能しかもたない。では何らかの建設的なビジョンはないのか?ネガティブとポジティブの間をつなぐのが、永劫回帰である。永劫回帰とはすべてが永遠の繰り返しで、結局良くもならないし悪くもならない故に何も変化しないということである。この事実のもとに、恐ろしさに怯えず、背を向けるでもなく、その事実を飲み込める存在が超人である。

超人にとって、全ては様々な力が相克しあう力への意志の所産である。プレートがぶつかり合ったり、パンの上で赤カビと青カビが勢力を広げようと拮抗している状態、大国同士が国境線をめぐって争っている状態など、複数の勢力が勢力範囲を広げようとしている状態、これこそがニーチェの言う力への意思であり、主体は存在しない。

著者は言う。超越的実体を否定し、全ての差異が諸力のせめぎあいよって生まれる流動性を肯定するニーチェの洞察は、陰に陽に現代哲学の基軸になっている。その意味でこれを哲学的思考図式Ⅳと呼ぶことができる、と。

ロシア・アフリカ会議 2023

https://academic-accelerator.com/encyclopedia/jp/burkina-faso
サンクトペルブルグで、7月27~28日にロシア/アフリカ会議が開催された。8月のBRICS首脳会議に先立って行われ、食料の安全保障が大きな話題で、6カ国に食料の無償提供が示された。西側のマスコミは、かなり批判的なので、参加国を在野のアフリカウォッチャーの目からみたいと思う。ロシア語で検索して、ロシア語のウィキから調べがついた次第。

アフリカ全54カ国のうち大統領が参加したのは、エジプト、セネガル、南ア、エリトリア、ブルキナファソ、ジンバブエ、マリ、中央アフリカ共和国、ウガンダ、ブルンジ、コンゴ共和国、リビア、モザンビーク、カメルーン、ギニアビサウ、コモロ、ルワンダの17カ国。総理大臣の参加国は、アルジェリア、エチオピア、タンザニア、モロッコ、モーリタニアの5カ国。アンゴラ、ペナン、ガボン、ガンビア、ギニア、ジブチ、ザンビア、コンゴ民主共和国、コートジボワール、マダカスカルなどは副国家元首や閣僚。マラウイ、ナミビア、ナイジェリア、セイシェル、ソマリア、スーダン、南スーダン、トーゴ、チュニジア、チャド、赤道ギニア、エスワティニもさらに大使などが参加したようだ。

不参加だったのは、ケニア、リベリア、レソト、シエラレオネ、モーリシャス、カーボベルテ、ニジェール、サントメ・プリンシペとボツワナである。

https://ru-m-wikipedia-org.translate.goog/wiki/%D0%A1%D0%B0%D0%BC%D0%BC%D0%B8%D1%82_%D0%A0%D0%BE%D1%81%D1%81%D0%B8%D1%8F_%E2%80%94_%D0%90%D1%84%D1%80%D0%B8%D0%BA%D0%B0_(2023)?_x_tr_sl=ru&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

今世界の最大の話題は、貿易決済によるUSドルの排除である。このBRICSの方針に、アフリカ諸国がどう反応するのか…。不参加国のうち、ニジェールは先日欧米派の大統領が排除されたクーデターがあったばかりで、不参加となったのは間違いない。モーリシャスとボツワナは、アフリカで最も成功している国である。親欧米国といってよい。リベリアもアメリカ奴隷が建国した国だし、シエラレオネもイギリスが奴隷のために建国した国である。ケニアは微妙な立場だ。タンザニアなどは過去に社会主義化した時期もあるが同じスワヒリ語圏でありながらずっと自由主義陣営に属している。カーボベルテも西側諸国の観光地で生きている国だし、サントメ・プリンシペもカカオの生産で西側諸国との繋がりが強い。レソトは、非同盟中立主義だし、繊維縫製工業が近年発達して西側との関係も深い。こういう不参加国の産業構造にも関連しているように思う。

ところで、この会議でのブルキナファソの大統領(クーデターで政権を握った30代の軍人大統領)の演説は見事だったらしい。You Tubeによると、「アフリカにとってロシアは家族だ。それは同じ歴を持っているから。世界をナチズムから開放するために多大な犠牲を払った。ブルキナファソは新植民地主義に直面している。我々はテロリズム(=新植民地主義)に屈しない決意をした。我々アフリカの国家元首は、帝国主義者が糸を引く度に踊る、操り人形をやめなければならない。昨日、プーチン大統領はアフリカに穀物を送ると発表した。我々は非常に喜んでいる。彼に感謝する。しかし、次の会議までに、私達は食料を自給できるようにしなければ、次回は参加してはならない。」なんと、素晴らしい演説であることか。ブルキナのNPO事務所で語り合った経済学を大学で修め、祖国を憂いていたあの若者は今頃大興奮していることだろうと思う。ただ、この食料自給こそがアフリカ再生のネックである。言うは易し、実現には大変な労力を伴う。だが、やるしかないのである。頑張れ、イブラヒム・トラオレ大統領。

https://www.youtube.com/watch?v=bWkgDgIH3zk&t=911s&ab_channel=%E5%8F%8A%E5%B7%9D%E5%B9%B8%E4%B9%85THEWISDOMCHANNEL

2023年8月1日火曜日

哲学マップを読む。4

哲学的思考図式Ⅲはいうまでもなく、カントである。カントの哲学は、諸物や宇宙の存在を前提とした上で、それをどうやって認識するのか探るのではなく、およそこれらの存在者が存在者として成立するための条件を探る哲学となった。これを「超越論的哲学」と呼ぶ。あえて、カントの先天的認識形式については触れないが、こういう視点ははじめって知った。高校倫理では、大陸合理論とイギリス経験論を批判して、認識論としてまとめたという理解で十分だと思う。面白いと思ったのは、カント以後のドイツ観念論の記述である。

カントにおいては、人間の活動分野ごとに異なった原理が機能する。純粋理性批判における対象の認識には、感性と悟性、実践理性批判における倫理的実践においては実践理性、判断力批判においての美的判断は感性によって起動する理性が無限を把握し、それを埋めていく想像力(構想力)が終着点を見いだせない時に「崇高」が経験されると行った具合である。コンピュータの例を著者は引いて、ワープロソフトやインターネット閲覧ソフトは与えられても、OSのないコンピュータのような状態だと言っている。これを批判する形で、フィヒテは、そのOSを絶対的自我としたし、シェリングは「客観」に求めたというわけだ。この例え話は実にうまいと思う。