2023年8月18日金曜日

戦争の勝敗について

https://mangadedokuha.jp/blog-column001/
興味深いYou Tubeがあった。超有名なナポレオン時代のプロイセンのクラウゼヴィッツの戦争論を元に海上自衛隊元幹部がゆるやかに戦争の勝敗について論じているチャンネルだ。今回は、戦争について、以下のように、最後にまとめられた内容を元に、考えていこうと思う。

①戦争は相手に暴力で言うことを聞かせることが目的で行われるので、目的を達成したら勝ち、達成できない場合負けとなる。政治的目的を達成するための手段が戦争なので、相手にこちらの要求を飲ませる講和を結ばせるのがわかりやすい勝利、出来なければ負け。

②戦争に勝利するには敵の継戦能力か継戦の意思のどちらかを奪って講和を結ぶ必要があり、継戦能力を完全に奪うとう言うのは難しいため、継戦の意思を打ち砕く手段として継戦能力を減らすことになりやすい。そのためには敵の重心を砕くのが効果的だが、重心は相手によって異なるため、敵の軍隊を撃破する、首都などを占領する、政治的指導者を捕縛するなどは手段に過ぎず、どれがどの程度有効になるかは相手次第である。

③戦争は人間が行う行為である以上、人間の精神というのは重要な要素だが、継戦の意思はお互いの要求に対する価値で変動し、お互いがどう思っているのかは難しく、結果として軍事力の限界を見誤りやすい。どうしても自分に都合のいいように解釈してしまうのは古今東西変わりない。

…①について。戦争とは我が意志を強要するために行う力の行使である。戦争は政治的行為であるばかりではなく、本来制作のための手段であり、政治交渉の継続であり、他の手段を持ってする政治的交渉の遂行である。戦争には達成すべき目的があって行われる。戦争は政治の一部であり政治に従属する。戦争の継続それ自体が目的化してしまった事例も過去には存在する。先日からエントリーしてきた加藤陽子氏の「それでも、日本人は戦争を選んだ」では、日清・日露戦争については、政治に従属していたように思われる。しかし、満州事変・日中戦争・太平洋戦争においては、必ずしもそうとはいえない。軍部は、日中戦争時、軍事費予算の7割ほどを来るべき米英欄への準備にあてていたという資料が残っている。政党政治が機能しなくなっていたわけだが、テロを恐れた政治の無責任と言われても仕方がない。

…②について、この「重心」という概念はクラウゼヴィッツの概念で、絶対的な強みあるいは弱点、要件といったものが重心である。政治の中枢が首都で動かせない場合なら首都の占領、独裁国家であればトップの人物、同盟国の軍事力が自国を上回っていた場合、同盟国の軍隊こそが重心となる。国民国家成立以前は、非常にわかりやすかったが、モスクワ占領を重心と勘違いしたナポレオンのロシア遠征の失敗以後、非常に分かりにくくなっている。普仏戦争のナポレオン三世の捕縛などはあったが…。(笑)

…③について、日中戦争での日本の蒋介石や胡適らの継戦意思の読み違え、あるいはF・ルーズベルトの無条件降伏強要、トルーマンの原爆投下といった日本の継戦意思の読み違え、ベトナム戦争でのベトナムの継戦意思の強さの読み違えと反戦運動の勃興といった米国内の継戦意思の変化なども、例に挙げられるだろう。

この内容を元に、現在の状況についてさらに思索を深めたいと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=5cztkzCw0yM&ab_channel=%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%9F%E5%B0%91%E4%BD%90%E3%81%AE%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 

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