2011年12月31日土曜日

来年のアフリカ経済展望から

WEBニュースで、2012年のアフリカ経済の展望が掲載されていた。なかなか興味深い記事だったので、これを紹介して、本年最後400回目のエントリーとしたい。
来年度のサブ・サハラ=アフリカ全体の経済成長率予想は、5.75%。本年度の見込みは5.25%だから、さらなる成長が見込めるわけだ。成熟してきた南アフリカ共和国では先進国向けの自動車生産が主要産業になっており、先進国の経済停滞がネックらしい。だが、他の国々は、資源セクター以外ではまだまだグローバリゼーションの大きな影響を受けていない故に、内需の拡大による経済成長が見込まれる。投資筋も、アフリカを手あかの付いていない希望の大陸と考えているようで、投資熱も高まるとの予想だ。しかも、西アフリカの中心国コートジボワール、最大の人口をかかえるナイジェリア、背資源大国のコンゴ民主共和国(WEBではコンゴ共和国と誤記されている)などで、本年中に大統領選挙が終わったことで、混乱が一段落し、投資の絶好期との見方があるわけだ。
東アフリカでは、ソマリアの大飢饉が、食料の高騰を招いていて不安要素があるが、ウガンダ、タンザニアなどで新たな資源の発見・探索が進んでいる南アフリカでは先日も紹介したアンゴラ経済が引き続き好調だろうとの予想。さらに同じく元ポルトガル植民地であるモザンビークの海底ガス田はかなり有望で、さらなる発展の可能性が高いとのこと。
http://www.morningstar.co.jp/portal/RncNewsDetailAction.do?rncNo=608434

投資がアフリカに集まりだし、先進国のひも付きの国際協力から脱皮して、少しでも持続可能な開発が進むことを率直に喜びたい。ますます各国のガバナンスがその命運を握ることになるだろう。デモクレイジーを排し、レントをうまく使えば、徐々にアフリカ3(貧困層)が減少するはずだ。
一方で、逆説的な幸運-グローバリゼーションから周縁化されていたこと-によって、内需が伸びるだろうという予測に、苦笑せざるを得ない。

話が一気に飛躍するが、オバマ大統領が大統領選挙で苦戦しているようだ。民衆は経済政策がうまくいっていないと批判するが、このグローバリゼーションの巨大な潮流の中で、誰が、このクレイジーなマーケットを飼いならすことができるのだろう。日本でも消費税論議で、ぐちゃぐちゃになっている。政治家が倫理観を失い、無私でないがゆえに迷走する今の社会を憂う。

昨日、日本の最高の頭脳を競うというクイズ番組を見た。結局東大の医学部生が、京大医学部生を破ってチャンピオンになったが、ああいう優秀な頭脳をいかに有為に使うかが、アフリカでも、欧米でも、そして日本でも政治家に問われているような気がする。

2011年12月30日金曜日

今年この1冊 2011

このところ、今年この1冊はなんだったろうかと思案していた。毎日新聞でもすでに様々な識者の記事(毎日新聞は1人3冊ずつ挙げているのだが…。)も出ている。今年もいろいろ読んだが、候補は4つ。私がこのブログに書いた順に挙げると、「風をつかまえた少年」(1月13・14日付ブログ参照/2010年11月20日第1刷だが…)、「はしごを外せ」(6月11・12日付ブログ参照)、「都市を生き抜くための狡知ータンザニアの零細商人マチンガの民族誌」(6月26日・7月2日・3日・5日付ブログ参照)、そして「世界一大きな問題のシンプルな解き方」(7月18日・21日付ブログ参照)である。

この他にも、「遊動民」を始めとした京大関係ののアフリカ本もたくさん読んだ。京大公開講座の関係で、地域研究や民族学的な視点がどっと私のアフリカ研究に入り込んできた1年でもあった。また近代化とはなにかという個人的興味から、近現代史、特に天皇にまつわる文庫本をかなり読んだ。一応、これらは発行年月日がかなり過去であったり、文庫本であったりするので最初から選外としたい。で、上記の4冊になるのである。

この4冊のうち、小川さやかさんの「都市を生き抜くための狡知ータンザニアの零細商人マチンガの民族誌」は、サントリー文芸賞を受賞した。(12月14日付ブログ参照)だから、私などがわざわざ今年この1冊に選ぶ必要性もないと思ったりする。(笑)
長年勉強している開発経済学のスタンスから見ると、「世界一大きな問題のシンプルな解き方」は、その取り組みは大きな勉強になったし、「はしごを外せ」も先進国の経済発展の歴史を開発経済学の視点で問い直した力作だと思う。

しかし、国際理解教育をライフワークと決めた私にとっては、昨年度末発行という”掟やぶり”をしても「風をつかまえた少年」を推したい。マラウイの少年の家族や故郷を思う気持ち、学びへの渇望感、それを乗り越えるアフリカ的な取り組みなど、素晴らしいノンフィクションだと思う。高校生にも十分読めるのも良い。この本を読みながら、奈良教育大学に現役合格した前任校のOB
のG君との思い出もある。

さてさて、来年はどんな本と出合えるのだろう。楽しみである。

2011年12月29日木曜日

ソマリアと「坂の上の雲 最終回」

こんなWEBニュースを発見した。2009年ソマリアの首都モガディシュに展開するアフリカ連合軍内で、『昔日本でもよく見られた病気』が大量集団発症したという記事だ。それは、『脚気』である。治安の極度に悪い地域で軍の供給した食事だけで過ごしていた兵士だけに見られたと言う。要するに日清・日露戦争時、軍が兵士に玄米ではなく白米を食べさせようとした”せめてものはからい”によって生じたビタミンB不足と同様だったらしい。
http://kenko100.jp/news/2011/12/28/01

「脚気」…NHKの「坂の上の雲」でも日清戦争の回だったか、軍医の森鴎外が登場したりして、近代戦争の悲惨さを見事に訴えていたように思う。そして、その「坂の上の雲」の最終回が先日ついに放映された。正直、最終回は見事な期待はずれだった。それまでが良かっただけに、がっくりである。(視聴率もかなり低かったらしい。)私は、司馬遼の作品は大好きだ。ただ、「翔ぶが如く」「坂の上の雲」については若干疑問もある。新聞連載された長い作品故に、何度も同じ内容の繰り返しがあったりするし、作品の趣旨が後半に微妙にずれていったりするからだ。

「跳ぶが如く」には、何度も桂小五郎(すでに木戸孝允)の神経質で粘着質な「精神」への批判が出てくるし、トータルに見ると、大久保と西郷の維新後の物語のように思われるのだが、結局西郷は凄い人物だが、参謀格の桐野利秋の無謀さの犠牲になったという西南戦争の「悲劇」というハナシに変化するように私は感じた。「坂の上の雲」も日本と言う近代国家たらんと奮闘していた小さなアジアの国を3人の青春群像に合わせて描いていたものと理解するが、後半はまさに「詳説・日露戦争記」となり、しつこく旅順攻略戦の乃木軍参謀長・伊地知幸介を(「翔ぶが如く」西南戦争時の)桐野利秋以上にボコボコに書いている。(笑)…ちなみにNHKドラマでは、この辺は見事に演出されていた。

長編小説だから、描くシチエ―ションによってはそのポリシーがブレたりするのは仕方ないだろうし、新聞連載だから、何度も同じことを書かねばならないこともあるだろうが、大作家・司馬遼だからこそ、そういう私の思いも生まれてしまうのだろう。

特に、「坂の上の雲」は、読み方が難しい。多くの「坂の上の雲」批判本は、「日露戦争までの日本はよかった。その後はダメになった。」という司馬史観への批判が中心である。薄氷の勝利(というか、ロシアの自滅的な退却戦略と日英同盟と通信網の発達による日本の戦略勝ち)だった日露戦争以降、軍部が自信過剰になり傲慢になっていった故に無謀にも日中戦争から太平洋戦争に突入したのだという史観である。ノモンハンに陸軍兵士として参戦した体験をもつ司馬遼の史観のもとで当然「坂の上の雲」は書かれている。陸軍、特に乃木の第3軍に厳しいのは、そういうところがある。しかし、一方で明治の軍人や日露戦争を美化(日本が巻き込まれた防衛戦争であるという主張)しているという一面は否定できない。

こういう批判があるところに、NHKはどう「坂の上の雲」をドラマ化するか。私は楽しみにしてた。およそ、最終回までは、バランスがよかった、名作だと思っている。司馬遼の原作に忠実なわけではないが、明治の雰囲気(近代国家にならんとひたすら奮戦しているある種の楽天主義)をよく表現していたし、日露戦争を基本的に美化しているようにも見えなかった。反戦的な、兵士の死を慮る表現も多かった。クライマックスの日本海海戦も、CGでうまく表現していたと思う。

ただ、日本海海戦はもう少し複雑である。作戦参謀秋山真之が主人公ならば、その戦術をもう少し詳しく海図ででも示してよかったし、兄の秋山好古が、コサック騎兵を破ったと何度もオープニングで言う限り、機関銃を騎兵に装備させた新進性をもっと丁寧に示してもよかったのではないか。

要するに最終回は、ぼやけたのだ。特に二人の死をイメージさせるシーンは必要だったのだろうか。「龍馬がゆく的な青春群像」に仕上げるのら、前述のように秋山兄弟の活躍をきっちり描いて日露戦争に薄氷の勝利を収めたところで終わればよい。

司馬史観批判をさけて「反戦」に仕上げるなら、好古が退役後の校長時に軍事教練を極力少なくさせるシーンや最後には宗教に没頭した真之をもってくればいい。

「司馬史観をつらぬく」なら、前半あれだけ名演技をさせた小村寿太郎のポーツマスでの戦いを最後にきっちりと描き、それを理解できない民衆と、日本全体が増長してく姿を描けばいい。

最後の最後で、NHKのドラマの方は腰砕けのようになってしまった。残念である。これも時代世相を映し出しているのだろうか。ソマリアの脚気のニュースを見て、いつか書こうと思っていたNHKドラマ「坂の上の雲」批判を一気に書いてしまったのだった。<今日の画像は自宅近くの”土手の上の雲”である。>

2011年12月28日水曜日

「崩御と即位」を3/4読む

仕事納めの今日は、一日中教材研究する予定だった。新年4日からのたった1人の2年生のための世界史Bの進学補習と、先日書いたスティグリッツの経済学入門を読み進めるつもりだったのだが、机上を掃除してから、ちょっと休憩のつもりで文庫本を読み始めたら止まらなくなった。で、結局ひたすら文庫本を読み、4分の3くらいまで読んでしまった。新潮文庫の新刊で、保坂正康の『崩御と即位-天皇の家族史』である。
この本、日本の近現代史における天皇制について興味をもっている私としては、はずせない新刊だったのだ。ちなみに、3年生の政治経済は、アフリカ開発経済学の講義が終わったので、憲法をやるつもりだ。何故日本国憲法第1章は「天皇」なのか。それをひたすら追求するつもりだ。すでに数回分のプリントは出来上がっている。そういう意味では3学期の教材研究の一環でもあるのだが…。

この『崩御と即位-天皇の家族史』は、大正天皇の崩御から昭和天皇の即位、次に昭和天皇の崩御から今上天皇の即位、明治天皇の崩御から大正天皇の即位と続いている。最後は、まだ未読ゾーンで、孝明天皇の崩御と明治天皇の即位の話である。

例によって、興味深い歴史的秘話が満載である。いくつか拾い出したい。

大正天皇の病状悪化に伴い、牧野伸顕(大久保利通の二男・吉田茂の舅・麻生元首相の曾祖父にあたる)と西園寺公望が昭和天皇を摂政とするのだが、この動きに大正天皇の侍従武官だった四竈(しかま)孝輔は、不忠との思いをいだき、これが軍部に伝播し、5.15事件、2.26事件の時彼らが標的となったらしい。…単に当時の政治の中枢にいたというだけではなく、こういう風評的な機微が軍内部で広まっていたというのが怖い。

大正天皇の皇后である貞明皇后は、凄い女傑なのは知っていたが、昭和天皇を始め、四人の皇子の伴侶選びに、歴史的な配慮を行ったという事実がある。昭和天皇には、薩摩藩島津忠義の七女の久邇宮俔子紀の長女を、秩父宮には会津藩松平容保の四男松平恒夫の長女を、高松宮には徳川慶喜の孫を、三笠宮には高木正得(河内丹南藩主の子で昆虫学者・昭和天皇の入江侍従長の義理の兄にあたる)の二女を結婚させたらしい。…天皇家というのは、まったく山口昌男の言うブラックホール的な存在だと再認識した次第。

大正天皇の崩御の二時間後に皇室典範に則って、昭和天皇はすぐ即位した。三種の神器のうち剣と璽(国璽と御璽)を受け取った。…我々の想像よりかなり素早い。もちろん、昭和天皇の際も素早く行われた。公人たる天皇の立場は、我々には思いもよらない。

明治天皇は、元始祭・新嘗祭・神武天皇祭など賢所で自ら神事を行うのだが、やむおえず御代拝を行う際、必ず体を清め、白の御召と緋の袴に着替えて御座所で端然と座って代拝の者と同じ心理状態になっていたらしい。代拝の者が復命すると初めて洋服に着替えたという。…天皇の神事については、それなりの知識もあったが、明治天皇の神事に厳格な姿勢は、政治面でも同様で「天皇」の勤めを全うすることに全精力を費やして、やがて突如として倒れられるのである。確かに大帝であった。

大正天皇は、漢詩を多く残している。かなりの腕前であったらしい。漢詩の師は、現二松学舎大学の創立者で三島中州である。…どうも大正天皇は歴史的評価低いようだが、違う認識をこの本は与えてくれそうである。

まだ出て間もない文庫本であり、完読していないので、本書の骨子と私の感想は次の機会としたい。少し重いけれど、なかなか読みごたえがあるノンフィクションである。

2011年12月27日火曜日

アフリカの宗教のせめぎ合い

ChristianTodayというWEBが、「キリスト教は今やアフリカの宗教に」というタイトルで、米ワシントンに本拠を置く「ビュー・リサーチ・センター」の調査報告を載せている。2400もの国勢調査等の情報をもとに、全世界の『キリスト者』と自認する人の数を産出したという。
これによると、2010年の世界総人口69億人中、『キリスト者』は21億8000万人(32%)であったらしい。その大陸別分布をみると、欧州25%、南北アメリカ37%、サブ・サハラ=アフリカ24%、アジア・オセアニア13%である。欧州中心だった『キリスト者』が、かくも全世界的になり、世界の3分の2の国家の大多数が『キリスト者』であるとしている。
次に『キリスト者』の教派別内訳で見ると、カトリックが50%、プロテスタント各派が37%、オーソドックス(正教会)が12%、モルモン教やエホバの証人など新宗派扱いされている教派1%だという。

サブ・サハラ=アフリカでは、”歴史的な宣教活動”と”アフリカ住民による固有のキリスト教運動”の結果、10人のうち6人が『キリスト者』(1910年時点では10人に1人)となっているという。昨日ブログでふれたナイジェリアでは8000万人が『キリスト者』で、宗教改革の始まったドイツよりプロテスタントが多い状況だそうだ。
http://www.christiantoday.co.jp/article/3931.html

私は、『キリスト者』ではないし、この結果を分析できるほどの者ではない。ただ、様々な資料によると、こういう宗教分布では各派の和が総数を超えることも多々ある。特にアフリカの場合、伝統的宗教の影響が強いので、かなり重なっているのではないかと推測している。

一方で、私はこんな感想も持っている。ブルキナでは、韓国の『キリスト者』の青年団ともいうべき真っ赤なTシャツを着た若い人々と到着した空港で一緒だった。彼らは、長時間イミグレで待たされたあげく、突然ゴスペルを歌いだしたのだった。なかなか上手かった。(後に彼らはワガ郊外の村にテントを張り、子供たちに支援活動をしていたと聞く。あまりの暑さに多くの病人が出たとか…。)また、おとなしいスイスのオジサン・オバサンの『キリスト者』ボランティア団体の人とも一緒だった。英語ができるオニイサンがブルキナの状況を私に熱く語り出したりしたのだった。そういうわけで、『キリスト者』の団体の国際協力の熱意に少々驚愕したことがある。
こういう草の根の国際協力が、『キリスト者』拡大に貢献しているのかもしれない。

2011年12月26日月曜日

ナイジェリアの「ボコ・ハラム」

このところ、ナイジェリアの治安状況が悪化している。クリスマス礼拝を狙ったイスラム原理主義組織のテロが中心である。このイスラム原理組織、『ボコ・ハラム』と呼ばれている。WEBで調べると、ボコは、ナイジェリア北部に多いハウサ人の言葉で「西洋式の非イスラム教育」を意味している。ハラムはアラビア語で「罪」を意味しており、2つの言語が合体して「西洋の教育は罪」という組織名になるらしい。
ナイジェリア北部はイスラム圏で、南部はキリスト教圏である。民族も異なる。先日購入した「ラルース地図で見る国際情勢」には、この民族と宗教分布について、北部のムスリムのハウサ人、南東部のキリスト教徒のイボ人、南西部のヨルバ人は両宗教に分かれてるとある。このうち、石油資源に恵まれた地域に居住していたイボ人は、1967年に始まるビアフラ内戦を起こした。当時の首都はヨルバ人の多いラゴスで、南西部にあった。これはポールコリアーの言うように、宗教的な問題ではなく純粋な経済格差による紛争である。その後、ナイジェリアの首都は中央部のアブジャへ移動した。おそらくは、これらの民族融和を狙ったものと推測される。

ナイジェリアは、サブ・サハラ=アフリカで最も人口の多い大国である。石油収入も多く、インフラ整備や海外投資が進み、開発の真っただ中にある。最近のモバイル販売数でもアフリカNO1である。首都が変わったとはいえ、最も開発が進んでいる地域は、ギニア湾に面したラゴスを中心とした南西部である。

このボコ・ハラム、「ナイジェリアのターリバーン」と呼ばれている。ナイジェリア北部の各州で、シャリーア(イスラム法)の導入を訴えて武装闘争を行っている。今朝の毎日新聞の記事を良く見ると、このクリスマス礼拝テロは、北部の町、また南部との境界線上に起こっているようである。

ボコ・ハラム
彼らにとって、ナイジェリア南部の開発が進み、北部との経済格差が広がることを危惧しているに違いない。一方で、それらの開発が欧米の資本、さらには中国の資本で行われ、反イスラム的であるとの認識があるのだろう。サブ・サハラ=アフリカのイスラム圏は南下を続けている。イスラムがそういう経済格差や反欧米的な想いの受け皿化しているのかもしれない。

今回のテロは、そういう背景の中で、北部に住む少数派のキリスト教徒への粛清の意味があるのだろうか。

これらを遠い日本から非難することは容易である。だが、私はふとこんな事を考えた。尊王攘夷を唱えた下級武士を彷彿とさせると。紛争の罠は、貧困が根底にある。そこに宗教的なイデオロギーが結びつく時、正義とか大義が生まれる。暴力的な行為を容認するわけではない。ただ、ほんの150年前まで日本でも同じような状況だったということを確認しておいてもいいのではないかと思った次第。

2011年12月25日日曜日

スティグリッツの経済学を読む

先週の木曜日に、3年担任のF先生とある件について相談していたところ、スティグリッツの「入門経済学」という本(かなり分厚いテキストである。)を私が読んで生徒に教授することになった。購入したのはF先生である。さっそく、この3連休に自宅に持って帰って読んでいるのだが、意外に面白い。

この本、スティグリッツが書いた、経済学を学ぼうとする大学生のためのテキストである。マクロ経済とミクロ経済について、アメリカ人らしく様々な具体的例を引きながら解説している。私は経済の専門家ではないので、恥ずかしながらスティグリッツというノーベル経済学賞を受けた有名な経済学者を知らなかった。で、WEBで調べたのだが、やはりというか、ユダヤ系である。ノーベル賞受賞に結びついた業績は「情報の非対照性」の理論に対するスクリーニングについてのものらしいのだ。本書を読み進めるうちにそういう理論も登場するだろうと思う。

こういう勉強は、絶対役に立つ。この機会を与えてくれたF先生に感謝である。さてF先生も、中国史の専門家で院を出て修士から高校教師になった人だ。だから、たとえ専門外でもやはり知的好奇心は健在である。私は、大学を出てすぐ採用されたので、22歳から高校教師をしているが、今になって、院に行きたいな、などと思っている。高校教師はそういう、少なくとも意識の上では大学との境界人であるべきだとも思っている。学びたいと言う欲望は、なにより生徒に良い影響を与えるはずだからだ。

追記:結局G君の待つ奈良教育大学には行けなかった。ユネスコ部の部長さんが合うのを楽しみしてくれていたとのこと。次回は是非ゆっくりお会いしたいと思う。

2011年12月24日土曜日

ラルース地図で見る国際関係

先日、手に入れた「ラルース地図で見る国際関係」という本について、少しだけ書いておきたい。”ラルース”というのは、フランスの百科事典をつくった出版社の名前であるようだ。著者のイヴ・ラコストは、1929年モロッコのフェス生まれの地理学者らしい。フランスの地政学の第一人者でWEBで調べたところ、日本では「低開発諸国」という新書も出しているらしい。彼がモロッコ生まれの白人なのか、モロッコ人でフランス国籍をもつ人なのかはわからない。なぜこんなことこだわるかと言うと、この本を貫く地政学が、イスラムの動向を主軸に置いているからである。

この本によると、アルジェリアに居住していた100万人のフランス人を「ピエ・ノワール」(黒い足)というそうだ。モロッコ生まれの著者が、そういう環境におかれた人物であるとすると、フランスの国益とイスラムの植民地の人々の間に存在して下ことになる。敏感になるのも頷ける。

移民としてあるいは難民としてヨーロッパに押し寄せる人々の中には、東欧だけでなく、マグレブ諸国(チュニジア・アルジェリア・モロッコ)やアフリカ系の人々も多い。この事情についてもかなり詳しい。これも、この本で知ったことだが、ドイツには、トルコ人が多いのは知っていたが、その多くがクルド人だという事実だった。

クルド人は、トルコからイラク、イランに居住する民族で、独立運動を行っている。国境線で分断された民族だ。イラクではキルクークと言う油田地帯近くに居住していて、フセインが弾圧していたことでも有名だ。日本では、ドイツ=トルコ人移民が多いとだけの情報が流れているが、実はクルド人と言われてしまうと、なるほどと手を打ってしまう。

書評と言う形で、この本を紹介するのは難しい。ただ面白い地図が多いので重宝しそうだし、前述のような今まで得れなかった情報を発掘できそうで楽しみである。

追記:明日の奈良教育大学のユネスコスクール教育実践研究会に参加できなくなってしまった。メールで参加申し込みしたのだが、うまく届かず、申し込み締め切りの20日を過ぎてからメールボックスを開けて発見したのだった。あーあ。G君、Y先生御免なさい。

2011年12月23日金曜日

「東條英機 処刑の日」を読む2

天皇誕生日である。陛下も78歳になられた。ご高齢にもかかわらず、公務に励んでおられる姿に秋篠宮様ではないが、ある程度皇太子殿下に振られてもいいのではと私も思う。しかし、陛下が無私の存在であられるがゆえに、内面で自らを突き動かす大きな力が働いているのではないかと私は考えてしまう。
その大きな力について、この「東条英機処刑の日」が回答を与えている。そう、今日が、東条英機をはじめとしたA級戦犯処刑の日である。正確には、昭和23年12月23日零時1分30秒に、巣鴨プリズンの特設の処刑場で土肥原、東條の絞首刑が執行され、次々に7人が深夜の露と消えたのである。東條英機処刑の日は天皇誕生日である。

猪瀬の文庫本「東条英機処刑の日」は、そのそも「ジミーの誕生日」という単行本を文庫化したものである。<本日の画像参照>「ジミー」とは、戦後学習院で英語の授業時に当時の皇太子・現陛下がつけられた呼び名であり、前述(12月16日ブログ参照)のようなミステリー的展開のキーワードである。『ジミーの誕生日の件、心配です』という子爵夫人の日記に記された「件」こそ、このことだったのである。

この本の解こうとするミステリーとは、GHQによって設定された3つの歴史的事実の符合である。
A級戦犯28人の起訴が昭和21年4月29日。東京裁判の開廷が5月3日であり、そのちょうど1年後新憲法が施行される。そして、A級戦犯の処刑が12月23日。

日本の天皇制は、GHQのプラグマティックな占領政策の効率重視によって守られたといってよい。天皇制を残すほうが、はるかにマッカーサーにとって都合がよかったのだ。しかし、世界的な天皇の戦争責任批判から、天皇を守るためには、東京裁判という場で、天皇を輔弼していた指導者に全ての戦争責任があることを証明する必要があった。それが東京裁判であり、昭和天皇の誕生日に、A級戦犯の起訴した。凄い謎かけである。裁判の間に、象徴天皇制を第一条に据えた日本国憲法を日本政府に認めさせ、東京裁判開廷1周年の日に施行。そして天皇の責任を全て背負ったA級戦犯には、皇太子の誕生日を設定する。

昭和から平成へと時間が流れる中でも、天皇家には、そういう戦後日本再生のための深い闇が楔のように打たれているのだった。おそらく、昭和天皇は、皇太子の誕生日を心から祝えなかったのではないかと推察する。同時に自己の誕生日もである。無私に生きた昭和天皇も、無私に生きる今上天皇も、自分の誕生日の裏側に日本再生のための暗闇を内在していたのだった。

私は、この昭和天皇の戦争責任についてはあるともないともいえないと考えている。大日本帝国憲法を普通に読むと天皇主権で強大な権力をもっているように読めるが、同時に内閣が天皇を輔弼し、政治的責任をとるとある。伊藤博文の奇妙な安全装置が存在すると同時に、山縣有朋の統帥権という危険な暴力装置も存在した。構造的な欠陥が旧憲法にはある。昭和天皇は、2.26事件を始め軍部がお嫌いだったようだ。山縣の天皇制軍事国家は、軍部の片思いだったのである。

新憲法で、はからずも天皇は「権力」から本来の「権威」に復帰した。そのためにA級戦犯という人柱が必要だったのだ。この儀式は、天皇と皇太子の誕生日に合わせて行われた。この事実、教科書に書かれてもいいと私は思ったりする。誤解のないように申し述べたいが、私は改憲派でもないし、護憲派でもない。親米派でも反米派でもない。日本の近現代史は、天皇制という国体を抜きには語れないということを教えてもいいのではないかと思うのだ。

だからこそ、天皇は無私の存在として、日本に存在する。猪瀬直樹は、ミカドの肖像以来、山口昌男の周縁論的な天皇論を支持している。全てのことを飲み込む巨大なブラックホール。猪瀬は、天皇制を山口昌男と「ミカドと世紀末」の中でそう論評している。私も猪瀬と同様の立場にあるといってよい。

私は、陛下がご高齢にもかかわらず、被災地を7週連続で訪問され、被災者の方々を激励されたことに、「天皇」の姿を見る。昭和天皇の背負われたあいまいな戦争責任を贖罪するために沖縄や世界各地を訪問された姿に「天皇」の姿を見る。日本の悲しみも喜びも全てを飲み込むブラックホールたる「天皇」の姿をみるのである。…陛下のご健康とご長寿を心からお祈りしたい。

2011年12月22日木曜日

上田馬之介氏の逝去を悼む

我々の年代は、プロレス全盛期に青春を過ごした。アントニオ猪木率いる新日本プロレス派と、ジャイアント馬場率いる全日本プロレス派に分かれて、大いに盛り上がっていたのだった。(ちなみに国際プロレスという第三の団体もあって、「気合いだ!」のアニマル浜口はここにいた。)週刊の少年漫画誌でも、格闘モノ(空手バカ一代や四角いジャングル、プロレススーパースター列伝など)が、バンバン連載されていた。

私は新日本プロレス派で、アントニオ猪木は、当然ヒーロー中のヒーローである。坂口征二は地味だが強かったし、ドラゴン藤波や長州力(小力ではない!)、タイガーマスク(佐山聡)などのカールゴッチの伝統を受け継ぐストロングスタイルにして、華麗で演出に凝ったプロレスを手に汗を握って見たものだ。(古舘伊知郎は、今でこそ上から目線のニュースキャスターだが、独特の語り口で新日本プロレスを盛り上げていたアナウンサーだった。)

このころの悪役も凄かった。タイガー・ジェット・シンは、ほんとエゲツナイ奴で、場外乱闘で尖ったサーベルを振り回した。力道山以来の悪役はガイジンという日本的プロレスの原則を、新日本プロレスで体現していたのだった。そこに登場したのが、今日訃報を聞いてショックを受けた上田馬之介である。日本人なのに金髪。今ではそんなに驚かないが、当時としては画期的なスタイルだった。タイガー・ジェット・シンが、サーベルなら、馬之介は”竹刀”である。その姿がなんとも魅力的だった。日本人悪役第一号である。その後、マサ斎藤など日本人の悪役レスラーが出てきたり、日本人同士の対決(私は、藤波と長州の対決が一番だと思う。)、また単なる悪役ではなく、本当に強いスタンハンセンやハルクホーガンなどが出てきたりして、次々に話題を盛り上げていったのだった。まさに全盛期だった。やがて、猪木とブッチャーが戦ったり、馬場のところにスタンハンセンが出たりと、新日と全日が混ざっていってから、私はプロレスをあまり見なくなった。新日と全日の妙味が混ざることで、魅力を失ったように見えたのだった。

下の左端が桜五郎
今日の上田馬之介氏の訃報は、全盛期のプロレスを思わず思い出させてくれた。妻に、その話をすると、「え?桜五郎が死んだの?」と言った。この会話がわかる読者は少ないと思う。昔、『1・2の三四郎』という漫画があって、作者の小林まこと氏が、おそらく上田馬之介をモデルにしただろうと思われるキャラクターが桜五郎なのだ。そっくりである。主人公の東三四郎のプロレスの師匠の名前である。小林まこと氏も私同様、上田馬之介氏が大好きだったと推測する。主人公の三四郎と同じくプロレスラーになった大阪弁の親友の名前も、西上馬之介である。小林まこと氏は、今日の訃報をどういう想いで聞かれたのだろう。

我々の世代に、青春の大きな思い出を残してくれた上田馬之介氏のご冥福を心から祈りたい。

2011年12月21日水曜日

アカシアがアフリカ農業を救う

ファイドヘルビア・アルビダ
ナショナル・ジオ・グラフィックニュースの12月19日版で、『アフリカの気候変動 柔軟な水戦略が鍵』というのがあって、一読してみた。イギリスの地理学者の話らしい。要するに、地域、地域で農家の状況を見極めながら、水戦略を練らねばならないということらしい。この問題に関しては、「世界一大きな問題のシンプルな解き方」(7月18日・21日付ブログ参照)の中で、すでに十分提言されている。安価な貯水池の作り方やその実践も描かれていいる。決して目新しい話ではなかった。残念。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20111219001&expand&source=gnews

ところが、このアフリカ関係のナショナル。ジオ・グラフィックの過去のニュースで面白いものをみつけた。2009年9月4日付なので、”ニュース”とはいえないだろうが、私は有為だと思うので記しておきたい。それが、今日のタイトル『アカシアがアフリカの農業を救う』である。

ナイロビに本拠をおくアグリフォレストリーセンターの所長が、アフリカの農地の生産性向上には、アカシアの木の一種であるファイドヘルビア・アルビダが有効だと言う。長期にわたって、窒素の供給源になり、化学肥料を使わなくても土地生産性があがるらしい。この木はサブ・サハラ=アフリカなら大抵育つらしい。農地にこの木を植えておくだけでいいらしい。しかもCOP15でも話題になったという。こういう自然な方法は、いい。恥ずかしながら私はこの事実を知らなかった。故マータイさんもお勧めのこの方法、どんどん進めてほしいものだ。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=38531700&expand#title

2011年12月20日火曜日

校内球技大会(冬季)なのだ。

2年生のドッジボールの試合
相変わらず、金正日総書記死去の話で世界は揺れているが、今日も全く関係ない話を書きたい。今日は2学期最後の特別活動行事、校内球技大会の日である。グランドでドッジボール、第一・第二体育館でそれぞれバスケットボールが行われた。私の主担行事でもあるので、昨日も生徒会の生徒と準備に走り回っていたのだった。後期の生徒会は前述(11月2日付ブログ参照)のようにたった4人である。うーん人出が足りない。今朝も6時に家を出て、7時15分には学校に着いた。(もちろんモーニングに寄った。)すでに生徒会会長は来ていて、ボーッとしていた。聞くと4時から起きていて緊張しているのだと言う。緊張しすぎて、体操服の夏服しかもってこなかったとか。おいおい大丈夫か?(笑)野球部が7時30分からドッジボールのライン引きを開始してくれた。大騒ぎで準備である。

球技大会は、いろいろなドラマを生みながら進んでいく。慣れない仕切りで生徒会の新役員は大変だったが、なんとかやり終えた。貴重な体験をしたと思う。グランドで行われた3年生の表彰式が終わった後、2年生の野球部に頼んでいた防球ネットの片づけを、何も指示していないのに3年生の野球部がさも当然に片づけていく。2年生の主将が体育館から駆け付けてくれた時には全部終わっていた。この辺、さすがである。主将には、「来年こんな感じでよろしく。」と言うと、ニヤッと笑って「ハイ。」

最近、体育会系の発想について考えている。本校のように強い運動部では、メンタル面が重要らしいことが、だんだんわかってきた。怒鳴られ、我を抑えられ、理不尽な練習を強いられることもある。それが、ここぞといった時に試合で発揮されるらしい。当然、仕事を頼んで嫌な顔ひとつしない。なるほどと思う。

個性尊重、自己主張を大切にしてきた前任校でのスタンスとは、ある意味180度違う。私自身は、責任ある行動さえとれれば、何事も自由に出来る方がよいと思ってきた。『人間は自由の刑に処せられている。』というサルトルのアフォリズムを常に口にしてきた。さてさて、体育会系的理不尽とどうアウフヘーベンするか…。じっくり考えているところである。

うーん、やっぱり、…ハリネズミかな。(笑)

2011年12月19日月曜日

ウガンダの『デジタル・ドラム』

北朝鮮の金正日総書記が死去したらしい。これから先どうなるか、注視したいところだ。で、私のブログは、そういう事に全く関係なく、ユニセフのウガンダでの取り組みのニュースが入ったので、さっそく紹介したいと思う。
ユニセフは、ウガンダで、ドラム缶にセットされた2台のコンピュータを設置する活動をしている。電力はソーラー発電でまかない、メンテナンスは現地雇用でまかなっているとか。コストは1個$6000、維持費は$2000。これを100個ウガンダに設置し、子どもの教育や情報共有の場にするとか。

なかなか面白いアイディアである、と私も思う。知的な刺激を受けた青年や子どもたちが、学ぶ意欲をもてるという可能性が広がるのが大きなメリットである。識字率向上や、農業などの商品価格の情報収集などにも大きな効果があるかもしれない。

とはいえ、全部が全部いいことではないかもしれない。最近はそう考えることも多くなった。ユニセフの行っているひとつの社会実験と私は捉えている。もし、結果が良いと出たならば、他の国々にも一気に増やしてほしいと思う。
http://greenz.jp/2011/12/15/degital_drum/

2011年12月18日日曜日

ボーナスで電子ブロックmini

我が家では、パートナーである妻に、結婚した23歳の時以来、家計の全てを任せている。どれくらい自分が給料をもらっているのかとか、ボーナスがいくら入ったとかは、私の知るところではない。たしか10何年前、「お父さん、ついにボーナスが大台に乗りそうやでえ。」とパートナーが言ったのだが、それから給料が下がり始め、もはやそういう期待はないらしい。(笑)
と、いうわけで、ボーナスが出た。毎年、1万円くらい「ボーナスやで。」と特別にパートナーがくれる。宴会代や出張など予定外の出費は申請さえすればもらえるので、まあホントに純粋に、何にでも使える小遣いとなる。50歳をこえて、1万円くらいもらっても、結局普段はちょっと手が出なかった高価な本を買うくらいだ。若い頃あった”物欲”はほとんどない。これでいいと思っている。

今日は梅田に用事があったので、K屋書店によって、5800円+税というアホほど高い本を買った。以前から欲しかったヴィジュアル版ラルース地図で見る国際関係(イヴ・ラコスト著 猪口孝監修 大塚宏子訳 原書房11年9月10日初版)である。もう1冊買った。大人の科学マガジンVol32電子ブロックminiである。3800円+税。K屋のカードを使って、2冊でちょうど1万円ちょい。

地図で見る国際関係の方はまた、ブログで紹介するとして、今日はこの電子ブロックについて書きたい。私が小学生高学年から中学生だった頃、学研がこの電子ブロックというのを発売していた。プラスチックの正6面体のブロックを組み合わせて、電気回路をつくるという学習機材だった。ブロックの上部には回路が書かれており、ラジオをつくったり,ウソ発見器をくつったりできた。ただ、無茶苦茶高かったので、親に欲しいなどと言えるようなモノではなかった。要するに高根の華。あこがれの商品だった。

当時は、技術家庭という教科で実際にハンダごてを駆使して真空管ラジオを作ったが、私は下手くそで、結局スイッチを入れたら『ビー!』と鳴って、2度と音は出なかった。(このころから私は典型的文系である。)そんな時代の、まさに画期的かつ先端的な商品だったわけだ。今回の大人の科学の付録についているミニ電子ブロックでも50種類の実験ができるらしい。あこがれの電子ブロックをついに手に入れたわけだ。年末年始はこれで、子供のころにもどって遊ぼうかなと思っている。

YouTube電子ブロックmini紹介:同年代の方はきっと欲しくなるはず。

2011年12月17日土曜日

行かずに死ねるか!続編を読む

私は、沢木耕太郎をはじめとして、蔵前仁一や下川裕治などのバックパッカーの旅行記に目がない。地理の教師でもある私は、教材研究の貴重な宝庫だと思っている。本屋で文庫本を見つけると、すっと手が出てしまう。そんな貧乏旅行作家の中で、『行かずに死ねるか!』という自転車で世界一周した旅行記は、大きな印象を与えた本だ。その続編を先日見つけて、読み終えた。(最後まで読むのが惜しくてずっと置いていたのだった。)タイトルは、「いちばん危険なトイレといちばんの星空」-世界9万5000km 自転車ひとり旅Ⅱ(石田ゆうすけ 幻冬舎文庫22年7月発行)である。

この本は、著者が82カ国を7年半かけて回った中で、まことに個人的に様々なカテゴリーの中から世界一を選んで書かれたエッセイである。本人もそれが普遍的でないことを何度も述べている。著者の文章は決して名文とはいえないが、普段着っぽくて肩が張らず私は好感をもっている。いくつか印象に残った部分を紹介したい。アフリカ好きの私としては、どうしてもアフリカの話に偏傾することをお許しいただきたい。

タイトルにもなっている世界一危険なトイレとは、ブルキナファソのトイレらしい。小さな村の食堂のトイレ。それは日干し煉瓦で三方を囲っただけの穴もないものだった。しかも排泄物の痕跡もない。開始直後、ドスドスドスという重い足音が近づくのだ。なんと巨大な豚である。しかも普通の豚の2倍はある巨体に長い牙。実行中、石を投げると言うディフェンスが必要。終了直後、突入した豚は…。

ブルキナファソはムスリムが多いが、豚(アルジェリアのらくだ)を食べることは以前このブログでも書いた。(10年7月27日付参照)著者が食べた屋台の豚肉は、上記の理由により凄い匂いがしたそうな。ちなみに、私が食べた”アルジェリアのらくだ”は、アメリカの豚の本場アイオワ州のスペアリブと同じくらい美味しかったのだが…。

ガーナの屋台料理で、ぶっかけメシといっていい『リソース』は、残念ながら世界一メシがまずい国に登場する。なんでもパーム油が悪く、油粘土みたいな匂いで、吐きそうになるのを大量の唐辛子の辛さが脳天を炎上させるのだそうだ。ガーナ人にはものすごくよくしてもらったので、何度も申し訳ないと記されている。で、アグラのチョコレートハウスというビルの喫茶店のアイスココアは絶品だとか。これを試すだけでもガーナを訪れる価値ありとのこと。

なるほど。私も西アフリカ特有のぶっかけメシ何度かブルキナでいただいた。正直、あまり旨いものとはいえない。でもミレットのいくら食べても空腹感が去らないメシよりはいいかも。

著者の一番好きな場所は、ブラックアフリカなんだそうだ。ケープタウンからなかなか離れられず、「この地の引力はなんなのだろう」と思ったと書かれている。少し引用したい。
『テントを張って、褐色の大地に沈む夕陽を見ていると、これまで感じたことのない心の平穏を味わうことがある。体の底にこびりついていた汚れがはぎとられていくような錯覚がある。風が吹き、サバンナの草原が揺れ、動物の群れが草をはみ、人々が屈託なく笑い、裸の子どもたちが褐色の大地を走って追いかけてくる。そしてそんなものたちを包みこんでいる、透明感にあふれた空気。それらがすべてがアフリカではやさしく感じられた。』

いい。著者の言う『透明感あふれた空気』という表現がいい。自転車に乗って世界を回ると、そういう『空気』を肌で感じれるのだと思う。前作『行かずに死ねるか!』と合わせて、お勧めの1冊である。

2011年12月16日金曜日

「東条英機 処刑の日」を読む

猪瀬直樹の文庫本が出たのを新聞広告で見て、すぐ購入した。文春文庫の新刊である。猪瀬直樹は、『ミカドの肖像』以来、かなり読んできた。この本は、あとがきに「昭和十六年夏の敗戦」の後篇であると書かれている。これも読んだ。(本ブログの常設ページ 「学生時代に1tの本を読め!」参照)

昨日だったか、本校の校長生徒のと国語力向上法の話をしていた時、こんなことを言っておられた。「高校時代、いろんな評論家の文章を書いて書いて、書きまくったら、何人かの評論家の文体を会得した。(天声人語を)書かせると言うのは、やっぱり有効やなあ。」何を隠そう、校長は国語の先生である。猪瀬直樹は、校長の言われるような文体には大きな特徴はないが、構成が複雑だという特徴がある。ぽーんと話が飛ぶのだ。だが、最後には、それらが繋がっていく。あるアイテムがあって、それをもとに歴史をひも解くと言ったミステリーの趣がある。

実は、この本もそういう歴史ミステリー的要素が強いので、あまり内容を書かない方が良いと思うのだ。ただ、この本は、前述の「昭和十六年夏の敗戦」の後篇だというだけあって、敗戦後の天皇と東條にまつわる話である。ただし主人公は、アメリカのGHQであり、マッカーサー、ホイットニー、そしてケーディスである。ここでは、現代史の教材として面白い話をいくつかメモ風に書いておきたい。

マッカーサーが厚木に着いた時、芝居がかったポーズ(例のサングラスにコーンパイプ)をとったが、内心はかなりビビっていたこと。戦場でも丸腰の元帥が拳銃を所持していた。というのも、当時の米軍は1200人。3万人の日本兵が、厚木から横浜までの沿道に銃剣を備えた完全武装で背を向けてて彼らの移動を警護したからだ。…わかる気がする。かなりの冒険的行動だ。

降伏文書調印のため隻脚の重光外相が戦艦ミズーリの艦上に登った際、水を欲し、所望した。しかし、アメリカ軍はそれにを冷たく拒否した。(戦争に)負けると言うことはそういうことなのだ。同行した外交官加瀬俊一は、「彼らの視線は鋭い矢となって、皮膚をつらぬき、肉を裂き、骨を刺すのを感じた。」と書いている。「式は終わった」とマッカーサーが素っ気なく言った瞬間、頭上に400機ものB29の大編隊が空を覆い、さらに1500機の航空母艦搭載機が続いた。またマッカーサーは、サインの時、マックの文字をホイットニー准将のペンを、アーサーの文字を妻のペンを使った。(彼の息子はアーサーと言い、息子に与えるつもりだったようだ。)…私はヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館で降伏文書のレプリカを購入したことがある。その裏にこのような秘話があったとは…。

日本国憲法は、マッカーサーの占領政策をうまく運ぶため、またプラグマティックな政治的判断であることは有名だが、彼は憲法草案のために骨子になるべき3点の指示を出している。①天皇制は世襲で良い。ただし法律で役割を限定する。主権は国民にあると明記すればよい。②戦争と戦争権を放棄する。これは私のアイデアではない。首相の幣原喜重郎が言い出したのだ。(幣原は旧軍を恐れていた。2・26事件の時殺されると思い、雪の中鎌倉まで逃げた。それ以上に恐れていたのは天皇である。…とはホイットニーの思索。)③あらゆる形の封建主義は廃棄されること。…これに関してはコメントしにくい。うーんと唸るばかりである。

この草案をもってホイットニー、ケーディスら米側4名が、外相官邸を訪れている。吉田外相と白州次郎、松本烝治らが迎えた。急に憲法草案持ち込まれ、もし日本政府が承認しなければ、GHQが直接提示すると述べ、日本側に読ませている間の10時10分、B291機が外相公邸の上空を凄い爆音を響かせて低空で飛び去る。庭で待っていると、白州がやってきて、彼らの真意を探ろうとした。ホイットニーは凄いジョークを飛ばす。「我々は戸外で、原子力の起こす暖(太陽の熱)を楽しんでいる。(We are out here enjoying the warmth of atomic energy.)」…凄い恫喝である。善悪を超えてアメリカらしい話だ。

タイトルの東条英機が、東京裁判の判決で絞首刑にされた日、それはもうすぐである。その日またブログで、この話題の続きを書きたいと思う。

2011年12月15日木曜日

奈良教育大の教育実践研究会

朝早くに、奈良教育大学に行っている前任校OBのG君からメールがあった。高校時代履修していない物理や数学を、教授に個人教授してもらっているらしい。(前任校は文系の学校なので、理科は生物と化学のみ。数学も数Ⅲなどない。)理科の教師を目指すには、自学自習しかないわけで、頑張っている様子。またユネスコクラブというのが出来たらしく、明日香へ文学踏査(おそらくWHE:世界遺産教育の実習的なプログラムだと思われる。)に参加したとか。なかなか充実した大学生活を送っているようである。で、メールの後半は、奈良教育大学で行われるイベントの紹介だった。当日は受付か案内役をしているだろうとのこと。…なるほど。

いずれ、理数科教師として国際協力に挑みたいという大志を胸に、着実に実践に移してくれているようだ。嬉しいねえ。ホント嬉しいねえ。

ところで、今日もいつもの本校の近くの公園で喫煙していた。桜の木が紅葉し、そして来春にむけてすでに落葉してしまった。公園の主役はまっ黄色に輝くイチョウに変わり、そのイチョウもパラパラと落葉して、公園に黄色い絨毯が敷き詰められたようになっている。なかなか美しい。
この公園には、早朝からテニス部がランニングをし、放課後は陸上部や野球部がランニングするアスファルトの敷かれた全長500mほどの遊歩道がある。その上にもイチョウの落葉が風に揺れている。風情はあるが、誰かがこれを取り除かねばならないのだろう。ちょうど、私が喫煙している時、大阪市の公園局の作業員さんが、その作業に来ていたのだ。何故解ったかと言うと、なんか…『優しい光景』に出会ったからだ。
イチョウの葉があふれる遊歩道を、杖をつきながら、ゆっくりと歩むおじいさん。その後ろに軽のバンが、トロトロと動いているのだ。クラクションを鳴らすわけでもなく、そのおじいさんの歩みを邪魔すまいと、ゆっくりゆっくりと近づいてくる。やっと、おじさんが遊歩道に沿って曲がったので、車は、スピードはそのままで私の前を通り、作業を開始する場所に着いたみたいだ。おじさんも、ようやく自分の後ろに車がいたことに気づいたようだ。運転をしていた作業員さんに、向かって帽子を上げた。作業員さんは、すでに黙々と作業を開始している。なんの、あたりまえのことですやん、と言うように。

大阪市は、これから激動するであろう。効率化も大事かもしれないが、こういう『優しい光景』が無くなっていくのではないか、と私は危惧している。G君に、いや全ての教え子諸君に望みたい。地に足をつけて、こういう『優しい光景』を演出できる我々でありたい、と。国際協力と言っても、地球市民といっても、こういう感性が何よりも大事ではないか。

帰宅後、奈良教育大学のHPにアクセスしてみた。国際理解教育学会の知人の名前も載っていたりして、こりゃあ行かねばならない、と思った次第。
http://www.nara-edu.ac.jp/ADMIN/SOUMU/unesco111225.pdf

2011年12月14日水曜日

小川さんの学芸賞受賞を祝す

朝日新聞 WEBニュースより
このところ、急にアクセス数が増えた。一昨日は262、昨日は366もあった。150くらいが我がブログの最近の平均アクセス数なので、不思議だったが、やっと謎が解けた。小川さやかさんの『都市を生き抜くための狡知-タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』が、サントリー学芸賞を受賞して、朝日新聞の「ひと」に紹介されたようなのだ。それで、我がブログの「タンザニアのマチンガの話」シリーズ(6月26日・7月2日・3日・5日付ブログ参照)にアクセスが急に増えたということらしい。

小川さやかさん、サントリー学芸賞受賞本当におめでとうございます。

以前、ブログにも書いた(3月22日付)が、私は小川さんの講演を大阪梅田の道祖神の会議室で聞いたことがある。聴衆はたった4人だったが、古着屋のインフォーマルセクターの話は無茶苦茶面白かった。しかもその後ブルキナでお会いした同じ都市の文化人類学を専攻されている荒熊さんが、小川さんと懇意だということで、さらに親近感をもった。もちろん、私が足繁く通っている京大のアフリカ地域研究資料センターの研究員ご出身でもある。そういうトリニティな関係もあって、私なりに『都市を生き抜くための狡知-タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』を手に入れ、つらつら微管を傾け、いろいろと思う事を書いたのである。

もちろん現場の高校教師の個人的なブログであるから、稚拙であることは承知している。多くの方の目にふれたことは嬉しいが、恥ずかしい想いもある。ふと、気がつくと丸2年、725件の投稿をしている。アフリカの話だけで、254件の投稿をしてきた。思い出話だけでなく、最近はアフリカ本や、新聞や雑誌から得た情報に、自分なりの考えも付記しながら、様々なバリエーションで書いている。

今日、職員室でK先生と、またまた生徒の学力をいかに伸ばすかという話をしていた。K先生が、学習トレーニングの本を持ってきて、いかに長文から、その趣旨を素早く得るかという話になった。なるほど、文章を一文字ずつ追うのではなく、『塊』として認識する能力を伸ばすトレーニングらしい。同じ文節が羅列してある中から、違った文章を探したりするものだった。頭の中で画像として、文節を認識するのだそうだ。
そういえば、私はこのブログのおかげで、毎日そんなトレーニングを積んでいるような気がした。頭の中で、元になる情報に知らず知らず、頭の中で赤線を引き、重要な部分を『塊』として認識しているような気がする。

気軽に始めたブログだが、今では私にとって重要なものになっている。それは、自己研さんであるとともに自己トレーニングでもあるのだった。教師は、生徒にとって最大の教育環境であると私は信じている。まず教師が自分を鍛えるところから、生徒の学力も伸びるのではないだろうか。そんなことを、小川さんの受賞を喜びつつ考えていたのだった。

2011年12月13日火曜日

COP17にアフリカの格言を

Angelique Kidjo
先日の朝日新聞「私の視点」に、アンジェリーク・キジョーというベナン出身の歌手(彼女は2010年度ユニセフ国際親善大使である。)がCOP17について書いていた。なかなかいい記事だったので残しておいたのだ。COP17は終わったが、ちょっと紹介したい。一応趣旨をまとめてみた。

『私の好きなアフリカの格言があります。「象はどのように食べる?」。…答えは「一口ずつ」。』

この格言をCOP17に関わる人々が思い起こす必要がある。気候変動問題はあまりに大きく複雑すぎて、食卓にあがった象のように、どこから手をつけてよいか分らず、変化をもたらすことが不可能に思えるが、一歩ずつ前進することが大切ではないか。

まずは前菜。気候変動は現実のものであり、合意を先延ばしにできないこと、たしかも人類共通の問題であること、正義の問題であることの認識が重要。気候変動の最前線に立つ人々は、バングラディシュの洪水で浸水した平野に暮らす農民であり、ジンバブエの乾いた土地でどうにか生き延びようとする農民である。

次にメーンディッシュ。各国政府は排出削減に対する合意する行動。大幅に早急に削減しなければならない。先進国は野心的に、残りの国もそれぞれの目標をかかげなければならない。

さらにデザート。京都議定書を基盤とした新たな枠組みに関する合意。既存の枠組みから後退するのではなく、拘束力の最も強い法的な合意で危機に立ち向かわねばならない。

最後に、支払い。金融取引に非常に低い税を課す方法や、国際的な船舶・航空機よる排出に公正な炭素税を導入する革新的な選択もある。COP16で設置が決まった「緑の気候基金」の新たな資金源を絶やしてはならない。

毎日新聞WEBページより
COP17では、とりあえず2020年には先進国・途上国・京都議定書不参加の米中印など全ての国が参加して新たな枠組みがつくられることになった。
正直、私には二酸化炭素の削減が、バングラディシュやジンバブエの人々を本当に救えるのかよくわからないのだ。
COP17の報道を見ていると、マクロな立場で国益がぶつかりあっているという印象でしかない。環境に対して最も物分かりのよさそうなEUも、排出量取引市場の確保を狙ったとしか見えない。所詮、人間の業(カルマ:ごう)のような醜さを感じてしまう。

とはいえ、アンジェリーク・キジョーさんの言うように、マクロな問題もミクロな問題も、一口ずつ、一歩ずつ、困難でも対話を重ねていくしか方法はない。私たちは、日本人であり、ベナン人であり、アメリカ人であり、中国人であるかもしれないが、同時に地球市民であるのだから。

2011年12月12日月曜日

エッセイ集 『アフリカで育つ』

先日のNPO法人「アフリック・アフリカ」での講座の時に、『アフリカで育つ』というエッセイ集を買い求めた。国際センターの中ではそういう販売行為はできないらしいので、外に出て支払いを済ませた。と、いっても100円であるが…。この冊子は京都府国際センターの21年度の国際活動団体支援育成事業の助成を受けているからこんな価格で配布してくれるらしい。

12人の執筆者のエッセイは、いずれもお産や子育て、子供の成長とそれを支える家族や地域の人々の姿を描いている。本校卒業生の溝内さんも「サファリ中」というタンザニアの子供たちが、田舎からダルスへと向かうという旅行(これが、スワヒリ語の本来の意味である。)の話を書いている。なかなか面白かった。12編、みんな面白いのだが、1編だけこのブログで紹介しようと思う。「名前を呼んでくれた小さな友人」という山野香織さんのエッセイだ。

エチオピア西南部のコンタという農耕民族の小さな村で調査をした時、イタファルという2歳くらいの子供に山野さんが出会う。大人たちは、山野さんのことをアムハラ語の香りを意味する「シッタ」とあだ名で呼ばれていたのだが、子供たちは「ファレンジ」(白人)としか呼んでくれない。そんな中唯一「シッタ」と呼んでくれたのが、イタファルだったのだ。彼女はいつも山野さんのそばにいて、村の定期市で買い物に行くときも、その小さな足で懸命についてくる。1年後再び村を訪れた際、そして3度目に訪れた際、イタファルはどんどん成長していく。そんな話である。
今回は、山野さんのページをクリックで拡大すれば、十分読めるくらいの大きさでスキャンして掲載させていただくことにした。是非とも本文を読んでみていただきたいと思う。

私にも、デニッサというブルキナのIさんのところで出会った小さな女の子との関わりがある。あれからどれくらい成長したんだろうか。元気なんだろうか。そんなことを考えつつ…。

2011年12月11日日曜日

来年の京大アフリカ研公開講座

先日、京大のアフリカ地域研究資料センターのHPをチェックしたら、来年度の公開講座の予定が書かれていた。1月から、8月だけあけて9月まで、計8回。アフリカ研究最前線『出会う』というテーマである。いやあ、嬉しいなあ。しかも、かなり面白そうだ。

1月不思議な植物エンセ―テに出会う
2月暮らしを守る女性の知恵に出会う
3月無文字社会の文字に出会う
4月ゴミをまく人々に出会う
5月手仕事の世界に出会う
6月牧畜社会の戦争と平和に出会う
7月都市の「商人」に出会う
9月アフリカの紛争と共生の問題に出会う

なんと初回は、センター長の重田先生のお話である。まさに豪華ラインナップ!しかも超面白そうな話である。ナミビアの麻薬的な根っこで、空腹を満たす植物があることをTVで見て知っている(名前は失念した。)が、同じような植物の話なんだろうか。ほんと今からワクワクする。

ところで、本校の教頭と、金曜日公園で喫煙しながら、いろいろ話をしていた。教員は常に外に目を向けて、自分を高める努力が必要と。でないと、傲慢になりやすい。様々な意見や学びを消化していけないと成長できない。全く同感である。

昨日も、アフリック・アフリカの講座で、京大の方に「あ、こんにちは!」と声をかけていただいた。来年の公開講座の話も出た。鬼が笑おうと、来年も皆勤で月イチ京大を楽しみたいと思う次第。

2011年12月10日土曜日

アフリカ理解講座 子育て論

NPO法人アフリック・アフリカのアフリカ理解講座に、妻と行ってきた。先日(12月3日付ブログ参照)少し書いたように、京大のアフリカ地域研究資料センターの若手研究者が中心になって設立されたNPOである。場所は京都駅ビルにある京都府国際交流センターである。
テーマは、『アフリカのパパ・ママから学ぶ』というアフリカの子育て論だった。さすが、お母さんが多い。聴衆の中で男性は私を含めて3人(?)だった。

講師は、3人。ヒビテ・テスファイエさんというエチオピア人ジャーナリストの女性。高田明さん(京大アフリカ地域研究資料センター准教授)。それに西崎伸子さん(福島大学准教授:京大アフリカ地域研究資料センター出身)。

アフリカに学ぶ子育て…3人のお話をまとめてみると、要するに、親族や近所で、小さい子供が、年長の子供に自然に育てられる社会構造がある、ということだろうか。日本の都市部ではほぼ崩壊している構造である。

ヒビテさんは、夫の仕事の関係で日本に滞在していると伺ったので、おそらくアフリカ1(マーケティングでいう所得階層のトップ)に属する女性なのだろう。エチオピアの地方都市出身と伺ったが、およそ驚くような話ではなかった。実は、私はエチオピアの事はあまりよく知らない。サブ・サハラ=アフリカの国の中でも単性論のエチオピア正教で、使用言語もアムハラ語。私は、エチオピアにもアフリカ的一夫多妻制があるのか、興味があったのだがそういう話は出なかった。だた育児のサポートで、お姉ちゃんや祖母、叔母、あるいはお手伝いさんのサポートがあるとのこと。「?」お手伝いさん?まあ、アフリカ1ならありうるかと思った。だから、正直なところ、なんとなくしっくりこなかったのだった。

高田さんの話は、ナミビアのクン(いわゆるブッシュマンと呼ばれる人々に属する民族グループの1つ)では、極めて密接な母子関係の後、子供集団の中で社会性や狩猟採集民族としてのスキルを得るという話や、乳児を立位で保持することで、運動能力を高めるとの話もされた。なかなか面白かった。

西崎さんは、現在福島大学で教えておられる。震災とt問題の中、小学生の娘さんをこの夏、保養(被曝線量を減らすために、有効だそうだ。)ということで調査がてらボツワナに連れて行ったそうだ。すると、サンというこれもブッシュマンと呼ばれる人々に属する民族グループの1つだが、その子供たちが、うまく集団に誘いれてくれた体験を話された。社会が子供を育てるというアフリカの構造は、今放射線龍に悩む福島から見れば、素晴らしいと感じるとも。今回の震災で、国や行政は有効な手が打てていない。結局自分たちでネットワークをつくるしかないと。

開発が進み、近代化し、ガバナンスが良くなり、民主主義が成熟し、豊かになるということが、子供を育てにくくしているのではないか。私はそんな事を考えてしまう。エチオピアでもナミビアでもボツワナでも、おそらく地域コミュニティにおける各家庭の価値観は大差ないはずである。エチオピアでは正教的な価値観と民族的な道徳観は確固としたものであろうし、クンやサンの村でも確固とした社会観や道徳観があるはずである。

それに対して、日本は乳児や幼児の死亡率はアフリカよりはるかに低いが、もっと病的な幼児虐待などが社会問題化しているように特に都市部での地域的連帯は崩壊しつつあり、各家庭の価値観も道徳観もバラバラである。こんな日本で、社会が子供を育てるというのはかなり困難になりつつあるといっていいだろう。西崎さんの実体験に裏打ちされた、子育てのネットワークづくりの必要性は、その社会構造の再生という意味合いをもつ。

ヒビテさんは、エチオピアでは、父親が最近子育てに参加していると誇らしげに紹介した。伝統的な子育て方式が変化し始めている。たしかにジェンダーという面からは良いことなのだろうが、私は決して手放しで喜べない話であると思う。グローバリゼーションはこんなところにも顔を出す。

2011年12月9日金曜日

天声人語を久しぶりに読む

先日、ひょんなことから生徒の国語力を上げるにはどうすればいいかという話題が職員室でのぼった。ある先生が、「天声人語を毎日書かせるという方法があるそうですよ。」「天声人語ノートというのがあるらしい。」などと盛り上がったのだった。今朝、モーニングに行くと、日経がない。他の客が読んでいるようだ。で、仕方なく学校でも読める朝日新聞を手に取った。そうそう、話題の天声人語…。と、ホント久しぶりに読んでみた。今日の天声人語は、住友生命が募った創作四字熟語で綴る今年の総括といった内容だった。

年中行事さながらに、今年もまた総理大臣(宰相)が交代した。5年で6人の体たらくに皮肉をこめて「年々宰宰」。住友生命が募った年の瀬恒例の創作四字熟語に、特別な年となった2011年を振り返る作が多く寄せられた▼東日本大震災は未曽有の被害をもたらした。夏には大型台風も襲い「天威無法」を見せつけられた。首都圏は交通ストップで「帰路騒然」。原発事故で多くの人が避難を強いられ、「帰郷村望(そんぼう)」の思いで年を越す▼だが災いの中、人は助け合い、励まし合った。「福幸(ふっこう)支援」のために内外から多くの「愛円義援」が届いた。人だけではない。岩手県陸前高田市の奇跡の一本松は「一松(いっしょう)懸命」に立ち続ける。神々しい姿に「願晴(がんばれ)東北」のエールを聞く▼不足して知ったのは電気のありがたみ。関東一円は「計欠(けいかく)停電」にあわてた。迎えた夏。電気食いのエアコンに代えて、うちわの風、緑のカーテンに涼を求め、「電考節夏」で猛暑をしのいだ。次には冬の節電が待つ▼政治は今年も頼りなかった。「賢泥鰌来(けんどじょうらい)」の野田政権が船出したが、賢い?泥鰌は国民に語らず、代わって大臣や官僚が「舌禍繚乱(りょうらん)」のお粗末ぶり。TPPでは「参否農論」真っ二つ。「欧州憂慮(ユーロ)」の経済危機も年を越す▼明るい話を忘れてはいけない。世界に誇る「才足兼美」のなでしこジャパン。各賞を総なめの輝きだ。2位じゃだめ、と奮起したスパコン「京(けい)」が計算速度でお見事「世界最京(さいきょう)」に躍り出た。熱あるところに、花が咲く。

なかなか面白い。これだけで国語の現代文の問題になるような気がする。これをノートに写すには30分くらいかかるらしい。集中力とともに、文章の構成力や語彙の豊富さなど小論文の能力が上がるのだという。ちょっと納得した。しかも時事問題を始め様々な知識も自然と入ってくるだろう。

ところで、私が自宅で購読している毎日新聞は「余録」。面白いことに、世界史Bのギリシアの授業とで話した黄金のリンゴの話から始まる。そして、オリンポスの神の名をとったオリンパスのリンゴは「中枢部分がくさっていた」という話になり、大正製紙の話とからめて企業への不信の払拭を問うていた。これもなかなかいい。

来春、1年生の担任になったら、天声人語や余録を書かせるという試み、生徒にやらせようかな。コラムの意味を聞いてくる子がいたら、これまた嬉しい。…そう、『熱のあるところに花が咲く。』

追記:11月15日付ブログで読者の皆さんにお願いした大阪日日新聞の元気大賞2011、おかげ様で本校のなぎなた部が大賞に選ばれたようです。ご協力いただいた皆さんにお礼申し上げます。ありがとうございました。

2011年12月8日木曜日

真珠湾70周年の日に

真珠湾攻撃から70周年である。私自身はハワイに行った事はないのだが、アメリカ本土の航空博物館に行くと必ずと言ってよいほど、『リメンバー・パールハーバー』コーナーがある。あまり気持ちの良いものではない。少なくともそこでは、いつまでも日本はアメリカの敵国である。何度かこのブログでも書いて来たが、「過去を水に流す」のはあくまでもジャパニーズ・スタンダードである。

昔々私がまだ小学生だった頃、『トラ・トラ・トラ』という真珠湾攻撃を史実に忠実に描いた映画が上映された。見に行った先はOS劇場。今はもう死語になった”シネラマ”の大画面で見た。当時OS劇場という梅田の映画館は大阪No1の映画館であり、経済的に裕福ではなかった我が家では、オールナイトの特別料金で親父と2人で見に行った記憶がある。つまり、昼間仮眠をとり、徹夜で見て、朝帰りしたのだった。私のヒコーキ好きはこの辺がルーツである。

今から思えば、親父は海軍出身で、私を海軍的に育てたような気がする。「早飯・早グソ芸のうち」というのが口癖だったし、海軍(親父は航空整備兵だった。)の話を良く聞かされた。海上自衛隊の護衛艦の見学にも連れて行ってくれた。しかし、私が年齢を重ねるうちに、そういう親父のスタンスを批判的に見るようになった。私の年代は、シラケ世代の先頭であり、同時に左翼運動世代の尻尾くらいにあたる。私は学生時代は左翼ではなかったが、それ以上に右翼が嫌いだった。そんな年代だったといえるだろう。

だから、真珠湾攻撃は日本帝国主義の成せる愚行であり、東条はその首謀者であり、天皇には戦争責任があると、若干左翼シンパ的に感じていた。私たちの年代では、それがマジョリティだった。しかしながら、そんな私も50歳を過ぎて、それなりに現代史を学ぶ中で、真珠湾攻撃は、アメリカのオレンジ作戦に見事に嵌められた結果ではないかと思っている。誤解しないでいただきたいが、アメリカもまた対中政策で戦略的に国益を追求した結果であるとも考えている。歴史を善悪をもって見ていくと独善に陥りやすい。様々な立場の本を読んで自分なりの考えを持つようになるには、どうしても時間がかかる。

ちょうど今、NHKニュースで、ハワイの記念館では、当時の日本の状況も展示し、戦争の悲惨さを伝えながら、互いへの憎しみを生まない展示へと変化しているとの報道が流れた。アメリカの単純な正義意識は、そう変わらないような気もするが、とにかくジャパニーズ・スタンダードがアメリカで認められた。私はこの事実を歓迎したいと思う。

一地球市民としては、戦争は、あくまで国益のぶつかりあいであることを確認したい。国益を超克する地球市民は戦争を是としない。これが、50を過ぎて得た私なりの結論といえようか。そんなことを考えていた真珠湾70周年の日であった。

2011年12月7日水曜日

朝日新聞の「オピニオン」から

12月1日付けの朝日新聞のオピニオンに、佐伯啓思京大教授の興味深いインタヴューが載っていた。現在の日本の民主主義への深い洞察である。ブログで紹介したかったのだが、例のハシズムについて、私は筆を置くと書いたので御蔵入りさせていたのだ。しかし今日、例の教育条例案に文科省が「法に抵触する」との見解を出したことだし、私の意見を記さないという条件で、このインタヴュー記事の紹介(引用)をしたいと思う。(ちょっとズルイか…笑)

『今の日本の政治には、2つの潮流がある。1つは閉塞感を打破するため、既得権益を壊し、全てを一新しようとする流れ。もう1つは構造改革や政権交代が結果を出せなかった反省から、少しずつ地道に変えていこうとする流れである。』

『ポピュリズムは、大衆の求めているものを与えると言う事で支持を集める。名古屋の河村市長はポピュリズムだが、大阪都構想は別に大衆が求めているものではない。まず自分が人気を獲得して、大衆をうまく乗せ、自分のやりたいことを実現させてしまう。大衆を喜ばせるんじゃなくて、大衆を扇動するデマゴーグに近い。小泉首相の場合は郵政民営化という目的がはっきりしていたが、大阪都構想は何をやりたいのかはっきりしない。目的ではなく手段である。市議会が反対するから、役人が働かないから大阪はダメなんだというだけで、府と市を再編して将来の大阪をどうするのかという具体的なビジョンがない。権力そのものを自己目的化しているんじゃないか。』

『「独裁」が必要と語る新市長は民主主義から逸脱しているという批判があるが、むしろ民主主義が新市長を生みだした。もともと民主主義には非常に不安定な要素が埋め込まれている。民意といっても1人ひとりの意見や利害は違う。選挙や多数決で集約しても必ず不満が出て来る。民主主義が進み、民意を反映しようとすればするほど、政治は不安定になる。その場合、人々の不満の解消のためには、何か敵を作って叩くのが一番早い。必然的な結果である。民意がストレートに政治に反映すれればするほどいい民主主義という理解そのものが間違っていたんじゃないか。』

『古代ギリシャの時代から民主主義は放っておけば衆愚政治に行き着く、その危険をいをかに防ぐかというのが政治のテーマだった。だから近代の民主政治は、民意を直接反映させない仕組み(間接民主制や二院制・官僚制)を組み込んできた。』

『日本では公務員がバッシングといった薄っぺらいかたちで官僚システムを攻撃してきた。政府が民意に極端に左右されないようにする仕組みが失われ、平板な民主主義が出来上がってしまった。』

『グローバル化によって政治が解決すべき問題が複雑になりすぎた。そういう状況では、国内の民意を政治に反映するという単純な民主主義は根本的にうまくいかない。いつまでたっても問題が解決しないので、民意の不満が高まり、政治批判や官僚批判が出てくる。しかも政治家がテレビ出演し、支持率調査が頻繁に行われて、政治が人気によって左右されるようになった。国民の政治意識の高まりを伴わないまま、民意の反映を優先しすぎたために、非常に情緒的でイメージ先行型の民主主義が出来てしまった。』

最後に、インタヴューアーの尾沢智史氏の「取材を終えて」の引用。
『当選を決めた後の記者会見で、新市長は「民意を無視する職員は去ってもらう」と言い切った。(中略)その民意が佐伯さんの言うように、民主主義を崩壊させかねない危険をはらむものだったとしたら…。アメーバのようにつかみどころのない「民意」の正体は何なのかを考えさせられた。』

2011年12月6日火曜日

「ハリネズミ」と『覇気』

昔々、私がまだ新任教師だった頃、今はもう退職された先輩教師から、「教師はなあ、ハリネズミなんや。」と指導された。おそらく、私はまだ若く、生徒との距離感があまりに近いと感じられたのだろう。教師と生徒の距離感は、ハリネズミのように、普段はハリを閉まっていていいが、ここぞ一発の時は、パッと開けれて、距離をとることが重要だという指導だと思う。

ベテランと呼ばれるようになって、今はその指導の意味がよくわかる。私はどっちかというと、物分かりのいい性善説で動く教師であると自分を分析している。ただ生徒には、譲れない一線があって、責任感のない行動は大嫌いだし、TPOに応じたケジメや礼儀を生徒に平然と強要する。そのときは、思いっきりハリネズミ化する。

今日は3年生の武道科・体育科の授業は、期末考査前の普通科との進度調整で自習にしていた。なんとなく生徒と雑談していたのだが、生徒もそういう感覚で私を見ていることが解った。本校は、体育科の先生方は、一様に生徒に恐れられている。そういうオーラがあるという話になった。あまり私にはないオーラである。生徒によると、私には何でも話やすいというオーラがあるそうだ。ちょうど反対らしい。常にハリネズミのハリを立てていて、時折ハリを鎮めるのか。常はハリを収めていて、時折ハリを立てるのか違いみたいだ。

ところで、生徒と話していて、「『覇気』をもっていたら凄いですよね。」ということになった。『覇気』というのは、漫画ワンピースで、主人公のルフィが身に付けた力で、何も手をださず、気だけで相手を倒せる技だ。気功の凄いやつといった方がいいかと思う。ひと睨みで、生徒が沈黙するような『覇気』。いいなあ。と、しょうもない話をしていたのだった。

とはいえ、私はそういう『覇気』を若干持っていると思っている。そういえば、何度か無意識に使っていたように思う。こんなことを日々考えながら、来春の担任への想いを膨らませているのだった。

2011年12月5日月曜日

開発経済学の「社会実験」

ホットドッグ+卵+ホットおかわり+Good service+日経=500円
このところ、朝のモーニングで日経を読むことが多い。一般紙にない思わぬ記事があったりして重宝している。その日経、今日はわざわざコンビニで買い直した。『経済教室 エコノミクストレンド』で、澤田東大准教授が執筆した「開発経済学 深化の原動力」という記事をとっておきたかったのだ。私にとっては無茶苦茶面白い記事だった。ちょっと、要約して見ると…。

開発経済学は、構造政策(輸入代替工業化政策など)の失敗で一時期衰退したが、近年「開発経済学革命」と呼ばれるほど深化している。現在、世界の経済学けん引するMIT(マサチューセッツ工科大学)やハーバード大学、エール大学では最も人気のある研究分野である。多くの若手研究者が次々に論文を発表している。中でも、「社会実験」によるエビデンス(証拠・根拠などの意)に基づいた政策形成という大きな潮流の出現したことが大きい。

MDGs(ミレニアム開発目標)の中でも普遍的な初等教育の推進は大きな位置をしめる。だが、MDGsでは具体的な政策手段は揚げられていない。就学年数を延ばすのに有効な政策は何なのか。そこで社会実験の活用が期待されるのである。

これまでの社会実験の成果を上げてみると、①メキシコなどで行われたCCT(貧困者への生活保護給付にあたって、子供の就学を条件にすること)②ケニアで行われた寄生虫駆除(虫下し)薬の投与③ドミニカ共和国で行われた、小学校最終学年の生徒を対象に、高卒・大学卒の平均賃金に関する正確な情報提供などが挙げられる。(その他ケニアでは無償学校給食の提供や制服配布なども実験されている。)

①のCTTは急速に普及したが、コスト面では大きくかかるようだ。②の虫下し薬の投与はなんと平均24%欠席が減少したが、コストは就学年数を1年延ばすのに$3.5しかかかっていない。③の情報提供では、平均教育年数が0.2~35%延びたという。

もちろん、国によって効果の差異があること(外的妥当性)や、③の情報提供が全国展開された際、効果が薄くなる(一般的均衡効果)などの問題はあるのだが、いずれにせよ、就学行動と政策の間の内部構造を解明する構造モデルを推定していこうという、いわば政策というインプットと効果というアウトプットの間にあるブラックボックスの内部を明らかにする研究が現在進んでいるのである。

京大の島田先生が勧めておられる「脆弱性」の研究(2月19日付ブログ参照)なども、この流れの中にあるのだろうと思ったりする。JICAの論文などを見ても、そういう政策と効果には徹底したモニタリングが行われている事は知っていた。この記事を読んで、これらの話がぱあっーと結びつき、目の前が開けたのだった。

ともあれ、私は教育の推進のために「虫下し薬が大いに役立つ」という事実に驚いた。本校が参加できなかったJICA大阪の高校生セミナー、テーマは「途上国の教育」である。前任校のU先生からメールがあった。前任校は参加できるそうだ。(よかった。よかった。)「何か知っておいた方がいい事ってありますか?」という質問に、「今日の日経を読むといい。」と答えたのだった。

2011年12月4日日曜日

ザンビアの竹自転車 ZMBikes

アフリカに関係する商品の話題を2題紹介したい。WEBでザンビア製のフレームが竹という変わった自転車を発見した。この自転車の注文購入で40人の現地雇用が実現できるらしい。私は自転車はど素人なので、果たして竹製のフレームというのは大丈夫なんだろうかと考えてしまうが、VTRなどをみると十分強度がありそうだ。この自転車に乗ることで、「ザンビアを支援する」というストーリーが生まれるというのは、私もいいなと思ってしまう。
http://japan.internet.com/busnews/20111204/1.html
http://www.zambikes.com/

しかも、なかなか格好いい。ZAMBIKESというネーミングもいい。サドルの下のアフリカのマーク(ザンビアの位置が白抜きになっている)もいい。$1250というのが、安いのかどうか全くわからないけど…。

一方、これは私にも手が届きそうな商品。アフリカの太鼓シャンベをデザインモチーフとしたデスクトップスピーカーである。これは国際協力とは全く関係ないが、7000円くらいらしい。ノートパソコン派の私には無用だが、シャンベが大好きな私としては大いにそそられる。写真の右側のスピーカー、シャンベの太鼓の皮の部分がスイッチ&ボリュームらしい。いいデザインだと思う。
http://www.phileweb.com/news/audio/201111/29/11507.html

追記:30人目の読者登録をしていただけました。久美子 矢野さんです。大変ありがたいです。どしどしコメントを入れてください。これからもよろしくお願いします。

「貧困の僻地」バナナの話

昨日エントリーした曽野綾子の「貧困の僻地」の中で、カメルーンの600km奥地に行く話がある。5人の保安警察車の分隊を正規に契約して雇ったそうだ。彼らはカラシニコフ、ピストル、手榴弾などで武装した職業軍人だった。曽野綾子は、ケチな性分(と自分で言っている)故に、日当を出発時に半分、首都に帰りついた時に半分払うと言う条件で契約した。その彼らが、残りの金を少し払って欲しいと言いだした。軍人たちは規律正しい好青年だったので了承したのだが、彼らが金を使う場所はない。不思議だったのだが、その答えは帰路に判明した。彼らの車は、途中の町や村で停、バナナを房ごと買っていたのだった。間もなく警察車の荷台はバナナで人間の姿が見えなくなってしまったという。バナナの値段は都市部とこうした地方ではひどく違う、安く買って帰れば奥さんたちが喜ぶのだろう。曽野綾子は、こう書いている。『私は彼らがバナナの陰に座っているのを見て、バナナは弾よけにはならないだろう、などと考えていた。』

どこでも同じようなものが買える制度を持つ国家には僻地がない。曽野綾子は、ここから、民族語や貧困による教育の問題を論じていく。近代国家論である。体験に裏付けられていて、なかなか鋭い。

もうひとつ、この本でカトリック曽野綾子のアラブ観を表した個所を紹介しておきたい。イラクのフセインと復讐についての話なのだが、そのまま引用しておきたい。『私は聖書で「隣人」という概念を教えられた。隣人への愛は、聖書の中で何度も繰り返し、強くうたわれていることである。「愛」が聖書の基本である。一神教は復讐を勧めるなどと書いている日本人の哲学書や宗教評論家がいるが、聖書には全くそんなことが書かれていないので、私は驚くほかない。イエスはユダヤ教徒であった。従って彼が生きていた時代は、旧約的ユダヤ社会であった。その中で「隣人」に当てられている言葉は「レア」というヘブライ語で、これを理解しないことには、当時の人々の感覚、ひいては現在のイスラム教徒が持続して持っている「レア」=隣人は、同宗教、血の繋がりだけを意味する。日本においては、昔の隣組も隣人であった。同じ村に住めば、喧嘩をしていることはあっても一応隣人である。少なくともそういう顔をするのが常識であった。隣人のほとんどは他人で婚姻関係もなく、宗教もさまざまである。しかしそれでも隣人である。しかしアラブにおいては、そんなことはない。』

「正しくったって間違えていたってどっちでもいいのだ。おまえの兄弟を支持しろ」等というアラブの格言をあげて、アラブの人々は、この「レア」的隣人の感覚で今も生きていることを曽野綾子は主張している。
なるほどなあ。コトバ、特に、翻訳されたコトバの裏にある世界観を知らねばならないという典型的な話である。

2011年12月3日土曜日

ウガンダの純国産電気自動車

Uganda's electric car is super cute
先ほどNHKの海外ネットワークで、ウガンダの大学が開発した国産の電気自動車の話題が報道された。なんと針金で、車体のデザインを決め、シャシも自分たちで一から溶接、苦難に苦難を積み上げて造られたものらしい。充電で80kmの走行が可能、最大速度は100kmとか。2人乗りだけれど、なかなかデザインもいい。明るいライトグリーンで塗装されていて、私は最初量産されたものだと勘違いしたくらいである。大統領も試乗したりして、なかなか盛り上がっていた。

なにより、環境問題が今アフリカを襲っている。電気自動車製作の『志』となったのは、その環境問題への危機感だったとか。なんとか、この電気自動車を活かしてビジネス化できないものだろうか。千里の道も一歩からである。日本も苦難の道を積み重ねて今の自動車産業を築いた。ウガンダの学生たちの自信あふれる顔を見て、それも夢ではないと思った次第。

一方、同じウガンダの電気のない村で、ソーラーのカンテラが普及している話も報道されていた。私が感じ入ったのは、NGOからこのソーラーカンテラのメンテナンスを学んだ女性が活躍していることである。ケニアに行った時学んだ驚きのひとつは、スワヒリ語にはメンテナンスという語彙がないことだった。いくら新しい技術が導入されても、メンテナンスのシステムがなければ根付かない。彼女はハンダ付けも出来て、購入した人々から頼りにされているという。素晴らしいことだ。

このところ、アフリカのマイナスな話が続いたけれど、なんか凄く嬉しくて、予定外の1日3回目のエントリーをした次第である。
http://www.nhk.or.jp/worldnet/
http://www.grist.org/list/2011-11-25-ugandas-electric-car-is-super-cute

「貧困の僻地」アフリカの出産

曽野綾子の「貧困の僻地」を読んだ。前作の「貧困の光景」と合わせて、彼女が日本財団(ボートレースの収益を様々な公益に還元する法人)の会長として、国際協力の現場に出向いた際の話がエッセーとしてまとめられている。元は新潮+45の連載であり、日本財団という我々の世代から見ると、右に属するスタンスと、カトリックの熱心な信者である彼女のスタンスも明確で、かなりズバッと書かれている。

さきほどのエントリーで、「NPOアフリック・アフリカ」の『アフリカの子育て』についての講演会に行くことを書いたが、この本の中では、マダガスカルのアンブィナオリナという僻地で遠藤さんというカトリックのシスター(修道女)が働く産院での話が出てくる。授業でも語りたい話(既にMDGsの妊産婦の項で語ったが…)をここで少し引用してみたい。

『患者はそれこそ、人生のあらゆる苦難を背負っているような人たちだった。救急車などというものはないから、陣痛が始まってから難産になると何時間もかかって戸板に寝かされて未舗装の道を山坂超越えて運ばれてくる産婦もいる。私が滞在したわずか二週間ほどの間に、未熟児で生まれてきた赤ん坊もいたし、死産のケースもあった。マダガスカルではお産の後で、白砂糖をお湯で溶いたものを飲ませたり、卵を与えたりするのが習慣らしいのだが、母親のお産に付き添ってきていたまだ四、五歳の幼女が「うちはお砂糖がないの」と言っていたことを思い出す。家族が卵を持ってくるとシスター遠藤は必ず褒めてやっていた。1日1ドルの収入もない人たちが、当時でも一個500円もした卵を産婦に食べさせるのは、家族の思いやりと赤ん坊の誕生を喜ぶ思いからであった。当時でも日本では、人工妊娠中絶が年間数十万件の単位で行われていたであろう。中絶の理由は「経済的」なものである場合が多いが、この豊かな日本で、経済的な貧しさで子供が生めないという理由が通るのである。』『十何番目の子供でも、両親にはこの子を「待っていた」という笑顔がある。待たれている子は、それだけで幸福だ。生命が宿ったことを迷惑に思い、不運と嘆かれ、ついには存在を許されずに中絶させる日本の胎児たちと比べると、貧しい両親の間に生まれるマダガスカルの赤ん坊たちは、親の慈しみを全身に受けた「愛されている赤ん坊」なのであった。』

ここは素直に、アフリカに学び、日本の豊かさとは何なのかを問いたいところである。
何故このように書くかというと、ロボラ(ジンバブエではそう呼ぶ、買婚とも揶揄されることもある男性優位のアフリカの結婚システム)では、女性の立場が低い。また子供(特に女の子)は親の所有物視するとい伝統の問題も無視できないのだ。また乳幼児死亡率の高さも関係しているだろう。

とはいえ、やはり曽野綾子の指摘するところは正しいと私は思う。アフリカの『あたりまえ』は、日本が失い、カネでは取り戻せないものだ。

本校柔道部OBとタンザニア

本校3年生の武道科の中でも、柔道部の連中はなかなか面白い。外部から見れば、いかつい連中なのだが、私は可愛がっている。そんなこともあって柔道部顧問で彼らの担任でもあるW先生と親しい。先日、食堂で昼食を共にしていて、私がアフリカを研究していて、いつか柔道をアフリカで教えるような生徒を作りたいと言ったら、2007年に発行された柔道雑誌からのコピーをもってきてくださった。なんと、本校柔道部OBで、すでにタンザニアに行った人がいるのだと言う。しかも2度驚いた。そのOBは、私が公開講座に通っていた京大のアフリカ研の博士課程在学中なんだそうだ。

そのOB、溝内克之さんという。京都文教大学の文化人類学に進んで、在学中にJOCVとしてタンザニア派遣され、モシの警察学校で3代目の柔道指導者となった。さらに驚いたのは、ザンジバルの島岡さん(「我が志アフリカにあり」という本で有名な強烈な個性をもった人物だ。私は逢ったことはないが、本を一読するだけで、その人格の凄さを実感してしまう。)ともJOCV中に対抗試合をして繋がりをもっていた。帰国後、大学を卒業して、海外協力隊協会に所属、京大大学院アジア・アフリカ地域研究科に入学。在タンザニア日本大使館に勤務したこともある。現在、京都文教大学で非常勤講師としてスワヒリ語を教えていたりするそうだ。

W先生からいただいた記事には、JOCV当時の苦労がこんな風に書かれている。『平日朝2時間、昼3時間、夕2時間の授業に加え、学生有志を募り、夜間練習も開いた。日替わりで集まる10人ほどの学生と月明かりのもと練習した。道場の蛍光灯は、晩になると学校全体の電気使用量が増え、電圧が下がるために役を果たさなかった。熱心な学生と月明かりに映えるキリマンジャロを背景にしての練習、日本では味わえない経験だった。』いいなあ。目に浮かぶようだ。是非合って話をしたい。

ところで溝内克之さんのことを調べていて、溝内さんも会員の「アフリック・アフリカ」というNPOの存在を知った。注目していこうと思う。で、さっそく12月10日の京都府国際交流センターのアフリカ理解講座に参加することにしたのだった。エチオピアの女性ジャーナリストに聞く「アフリカの子育て」がテーマである。

2011年12月2日金曜日

釜山HLF4の成果文書

先日(11月30日ブログ参照)エントリーした釜山のHLF4の報道は、かなり少ない。私は、かなり重要なニュースだと思っているのだが、残念至極である。自宅で取っている毎日新聞にはなにも載っていなかった。ちなみに日本経済新聞は、国際面の小さな記事だが『中国やインドなど新たな援助国と先進国が開発援助の効果向上を目指した行動原則をある程度共有することで合意した。先進国はひも付き援助の解消加速や、3~5年間の援助支出計画を可能な限り2013年までに公表することでも一致した。』と報道している。(今朝はモーニングで読めなかったのでコンビニで買い求めた。)

意外に大きく報道したのが、朝日新聞。このHLF4の報道は、日経と違ってこの1回でまとめたようだ。おおむね私が先日書いたような会合の説明の後、こう報道している。『中国とインドは当初、消極姿勢をみせた。このため「先進国が時間をかけて作った決まりにすぐ従うことはできない」(中国政府関係者)という主張にも配慮。新興国にとって援助の改革目標は「自主的な取り組みとする」との文書を加えた。背景には、中国などがアジアやアフリカで展開する援助で「本国から労働者を連れてきて、地元には技術移転や能力向上をもたらさないし、その効果にも関心がない」(日本の外交官)などの懸念がある。文書は企業や財団、NGOなどを新たな途上国支援の担い手(パートナー)と位置付け、同様の取り組みを求めた。』とあった。(学校の新聞をコピーしておいた。)

実は、私が知りたかったのは成果文書の詳しい内容だったのだが、WEB上では、外務省のHPで成果文書のポイントだけ記してあった。
①国際社会の開発目標を達成するため「主体性の尊重」「成果重視」「幅広いパートなーシップ」「援助の透明性と相互説明責任」などの共通の原則に合意。
②上記の目標を達成するため「カントリーシステム(途上国の制度)の活用」「ジェンダー平等化の加速」「アンタイド(援助がひもつきでないこと)化の加速」「透明性・予測性の促進」「援助の拡散・断片化の抑制」「脆弱国における持続的開発」等について合意。
③「三角協力・南南協力」「民間セクター」「汚職対策」「気候変動基金」など開発分野での幅広い協力の重要性について確認。
④釜山後のモニタリング体制として、「効果的開発協力のためのグローバル・パートナーシップ」を設置し、モニタリング指標等を今後策定。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/seimu/nakano/hlf4.html

要するに、中国やインドなど新興国も、とにもかくにも「主体性を尊重」するという条件付きながらMDGs実現に向かって貧困削減に向かうという原則に合意したわけだ。中国のアフリカとの関係を考慮に入れた”アンタイド化の加速”とは、まさに外交文書らしい表現だ。

こういう国際間の取り決めは、かなりの労力が必要だ。おそらく水面下で様々な折衝が行われたのだろう。地球益と国益の狭間で、関わった方々の苦労も大変だったろうと思う。地球益で動いているNGOの方々には大きな不満が残ったことだろうが、これが現状である。ベストではないだろうが、少しでもMDGs進展のためになるならば良しとせねばなるまい。

JICA高校生セミナー不参加報告

高校生セミナー2010の様子
今日の昼休み、JICAの高校生セミナーに参加予定の女子生徒が職員室にやってきた。担任のF先生が大喜びして、私にマルのサインを送ってきた。彼女の第一志望のK女子大学合格の報告だった。彼女は、私のアフリカ開発経済学講座(正確には政治経済の授業だが…)の最優等生である。これで、参加する3年生全員の進路が決定した。後は、JICAからの書類を待つだけだなと思っていたら、放課後にJICA大阪から電話があった。

結論から述べると、30校を超える応募があり、本校はその選にもれたのだという電話だった。もちろん先着順でないことは知っているが、気合いをいれて速攻で参加申し込みをしたのに大変残念である。私にしては、かなりねばったのだが、駄目だった。電話の内容は、私がセミナー常連の教員であるがゆえに、セミナー運営の内実にせまる、かなりぶっちゃけたものだったので、ここでは書けない。ただ、最近のセミナーでは、大阪の常連校がかなり占めてしまっていることはいがめない。私は転任したてで、本校は常任校ではなく初参加だが、国際理解教育をやり始めた先生方に経験してもらうのもいいのだろうと思い直したのだった。

好事、魔多し。あーあ。参加予定だった生徒には、2月のワンフェスに連れて行ってあげようと思う。せめてチャイでも奢ってあげようかな。

2011年12月1日木曜日

コートジボワール前大統領の罪

Laurent koudou Gbagbo
昨年行われたコートジボワールの大統領選挙で、敗北を認めず居座り続け、3000人以上の犠牲者を出す混乱を引き起こしたバグボ前大統領が、ハーグの国際刑事裁判所に逮捕されたというニュースを、今朝の日本経済新聞の国際蘭の小さな記事で知った。昨日の釜山HLF4のニュースもそうだが、日経の情報量は多い。

さて、このコートジボワールのバグボ前大統領、人道に対する罪で逮捕されたらしいが、まだ彼の支持者も国内には多く残っていて、この逮捕が、議会選挙を控えてさらなる混乱を呼ぶ可能性があるといわれている。先日コンゴの大統領選のエントリーで述べたように、アフリカの民主主義はまだまだ未熟であるかもしれない。まだまだ混乱が続くかもしれない。だが、我々は、欧米的「上から目線」ではなく、あくまでも「パートナー」として見ていくべきだと思っている。

国際刑事裁判所の主任検察官は、「権力維持のために罪を犯す全ての者に対する警告だ。」と述べている。ファシズムを撃退した欧米的価値観こそが普遍であるという、上から目線をちょっと感じてしまう。たしかに、自らの権力維持のために暴力を使うことは、悪だと私は思う。コートジボワールのような悲劇が二度と起こらないことにこしたことはない。しかし、我々の歴史をひも解くと、そのような価値観が確立されたのは、WWⅡ以降のことではないのだろうか。それまでの、歴史では欧米は平気でそういう暴力装置を稼働させてきた。

人道に対する罪というのは、『国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為』とある。特に独裁的権力の暴走に対する罪であるように私は感じるのだが、全部が全部裁かれているわけでもない。特に大国の過去に関しては動きがあるわけでもない。

バグボを国際刑事裁判所で裁くことは、当然の成り行きであろう。しかし、裁く方に、絶対的正義があるというのは違うのではないか。あくまで、政治的なものでしかないと私は思うのだ。

勝てば官軍。力のあるものが正義。国際社会のルールは、デモクレイジー同様、相変わらずの弱肉強食であるように感じる次第。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE7B000W20111201