2010年8月31日火曜日

さあ9月。祭りの季節だ。

 異常な8月も終わりである。明日から平常授業となる。酷暑はまだ続くらしいが、とにかく9月である。学校の方は、文化祭まであと20日となった。ちらほらとその熱気がゲリラ的に襲ってくる。私は、文化祭のようなイベントが大好きな教師である。本校は進学校であり、必ずしもその方面に熱心ではない。生徒が優秀なのでまかせきりが善であるという見方が強い。私は、本校生の場合、ちょっとアドバイスするだけで十分だと思うが、常々イベントで「人」を育てるという教師の本分を決して忘れてはならないと思っている。

 今日の画像は、私が2年生の担任だった時、文化祭の舞台発表とアメリカ研修旅行でのU校との交流をリンクさせたミュージカル「OZの魔法使い」の最終場面である。私が、生徒諸君に要望したのは、文化祭とアメリカ研修旅行をリンクさせることという一点だけだった。どうせなら素晴らしいものを創り上げて欲しかった。

 そこで、オリジナルの”イベント・マニュアル”を作った。イベントは人づくりであること。人が育てばイベントは成功であること。次に台本づくりのポイント。基本ポリシーと各シーン、台詞のコンセプトの一致こそが良い台本であること。さらに技術的なポイント。舞台の音響と照明、舞台クルーの動き云々。

 私が彼らにしてあげたのは、基本的にはこれだけ。後はおまかせ定食であった。とはいえ、じっくり観察しアドバイスを求められた時はちゃんと答えたつもりである。いやあ、凄いクラスだった。ガンガン進めていくし、ガンガンアドバイスも求めてくる。予想をはるかに超えたいいミュージカルだった。ただ、意外だったのは、文化祭での最後の「オーバー・ザ・レインボー」は日本語の3部合唱だったことだ。よく知らなかった私はビデオを回しながら「あれ?」と思っていた。しかしアメリカでの最終公演では、全て英語に変わっていた。音楽室で、3部合唱の練習を見ていると、彼らの底力を感じた。あくまで本気なのである。3台のピアノがフル回転していた。 文化祭は終わっても、アメリカ公演へOZは進化を続けていたのだった。そこがまた嬉しい。

 文化祭では、表に出るメンバーも脇役も、大道具も小道具も、裏方もそれぞれが”責任ある行動”に徹してくれた。私には十分だった。彼らは受験でも大きく成長したが、この2年生の文化祭でも大きく成長したと思っている。

 担任はいい。担任にとって生徒は夢のモナドである。

2010年8月30日月曜日

南ア・ダイヤモンド鉱山見聞記

 1年生の地理Aでは、今アフリカ全体の地誌、中でも鉱産資源の話になっている。ダイヤモンドの話は、生徒もかなり熱心に聞いてくれる。南アに行った時、バックパッカーズ主催のダイヤモンド鉱山見学ツアーに参加したことがある。参加者は私1人で、ヨハネスブルグ近郊の鉱山のある街に下ろされた。後に、南アのご夫婦が、別のルートで参加して、結局3人で、鉱山を回ったのだった。最初はビデオで、ダイヤモンドの成り立ちを学んだ。まるで地学の時間である。(当然、全部英語だったので、なんとなく無事理解した。)その後、鉱山内を連れ回された。アパルトヘイト時代、黒人労働者への監視が厳しく、ダイヤ原石でもポケットにでも隠しもって出ようとしたなら殺されるような恐ろしい鉱山だったはずだ。ところが、私の行った鉱山は比較的明るい職場といったイメージだった。

 ちょっと拍子抜けしたのだが、最後にこの鉱山で取れたダイヤモンドの展示館に連れていかれた。たしか、ミッシェルという名のオバサンが担当だった。フランス系?という印象が名前を覚えているきっかけである。彼女の首からぶら下げたカードがキーになっているようで、5か所くらいのチェックを通り、やっとこさ展示室に入れた。そこには、直径5cmくらいのでかいダイヤモンドが展示してあった。ルパン三世が狙いそうなダイヤである。私は、ミッシェルおばさんに「このダイヤ、だいたいいくら位ですか?」と価格を聞いた。おばさんは、「あなたはいくらだと思う?」と反対に質問してきた。「わかなない。」と言うと、「あなたがつけた値段から交渉が始まるのよ。」と、要するに価格のつけようのないモノだと言ったのだった。なるほど。

 まさに欲望の穴といった感じのホールを見ていると、気が遠くなる。このダイヤモンド鉱山、そんなに有名ではないと思うが、それでもホールの直径は100mはあった。ミッシェルおばさんによると、深さは200m以上だとか。凄い。

 最近は、デ・ビアーズを押しのけ、ボツワナ政府がダイヤモンド市場の中心に躍り出ている。アフリカ人の手に資源を取り戻し、そのレントを上手く活用しているボツワナは大したもんだ。井戸の私有化など、若干経済格差を是認しながらも、ガバナンスはうまくいっている。反対に、今南アは、ジンバブエからの難民雇用問題や公務員ストなど様々な問題が噴出している。それでもなお、ダイヤモンドのレントをめぐり、少年兵まで作ってあらそったシオラレオネやリベリアよりはましである。時として、ダイヤは人間の在り方さえ覆してしまうのである。人間の欲望とは、おそろしいものだ。

2010年8月29日日曜日

OKRA:nkramaに想う

 この夏、妻がプランターでオクラの栽培をしている。花は朝に一瞬咲いてすぐしぼんでしまう。何度か見たが、カメラに収めれたのは今回が初めてである。
 オクラは、そもそも英語である。英名okraの語源はガーナで話されるトウィ語 (Twi) のnkramaかららしい。エチオピア原産との説もある。我が家にも、身近なアフリカとの関連があるわけで、ちょっと面白いではないか。
 
 私が初めてオクラを食べたのは、実はNYCのハーレムツアーの昼食のソウルフードである。北米には、西アフリカの黒人奴隷が運んだようである。ソウルフードは、南部の黒人の料理だから、オクラがでたのであるが、それまで、私は日本で食べたことがなかった。オクラには鰹節がつきものである。そもそも、私は鰹節が大嫌いである。だからオクラも苦手だったのである。妻は、オクラが大好きで、軽く焼いて鰹節と醤油をかけてうまそうに食べる。(このあたりは私には理解不可能である。ソウルフードはトマト煮込みだったので食べれた。)

 そんなオクラだが、花はなかなか美しい。すぐしぼんで実になっていく。まさに、実になるための通過儀礼にすぎない。人生もそんなものかもしれない。花の時期は一瞬で、実こそ大事。私が長く関わっている高校生や大学生の時期が、人生では花にあたるのかもしれない。そう考えれば、高校教師は、様々な美しい花を観察し続けれる稀有な存在かもしれない。オクラの花から、そんなことを考えていた。

2010年8月28日土曜日

トーゴの世界遺産を考察する

 今朝偶然に、トーゴの世界遺産クタマクをNHKで見ることができた。『世界遺産への招待状』という番組である。特異な住居(タキヤンタ)で文化遺産となっているクタマクは、ブルキナの南側の地域にあたる。ブルキナに多いモシの人たちと分離して現在のトーゴ北部に住み着いたらしい。(この辺は謎だそうだ。)
 少しNHKのWEBから引用させていただく。「彼らの住居タキヤンタは“大きな円筒形の円周部分に小さな円筒形”を配置させた複雑な構造で、他のどこにも見られないものです。円筒が複数あるのは、家畜のための円筒、穀物を保存するための円筒、キッチンや寝室など、生活のいろいろなものを仕切りつつも合体させるための知恵だといいます。また、タキヤンタには先祖の霊が共に暮らすとされ、中を明るくしてはならない、足音をたてないなどしきたりがあります。」

 タキヤンタについて書かれた他の資料を調べると、「タキヤンタは人体の構造を表しているとされ、正面から見ると、入り口は口、窓は眼、石臼は歯、穀倉は胃、外壁の模様は女性が装飾の意味で皮膚に施す傷を模したものです。」などと書かれている。なかなか面白い。後世のキリスト教やイスラム教に染まらず、独自のアニミズムの世界を守っているがゆえに、世界遺産として認定されたようだ。

 番組を見ていて、いくつか気になった部分がある。最初にメインキャラの村人に質問するシーン。彼は、こう答えた。「今食事中なのだが…。」いい。こういう”矜持”がいい。日本のマスコミは何様のつもりであろう。かなり取材交渉も難航したという。何故取材にくるのか?彼らには別に何のメリットもないはずだ。どうも視線が高い。村の女性が即興の歌を歌う。テントで寝起きするTVクルーを猿扱いした歌だ。いい。そういうのがいい。これらのしっぺ返しが、成人の儀式の際に現れる。クタマクの成人の儀式は、大人たちが鞭で撃ち合うのをタキヤンタに潜む新成人に聞かせるものだ。他の部族との争いを想起させることで自覚を促すのである。さて、しっぺ返しである。この村に来た親戚が、神聖な儀式を汚すものとしてTVクルーを襲うのである。車で逃げ出したクルーは、隣村でなんとか儀式を撮影する。要するに、世界遺産のビッグネームも、NHKの大義名分も彼らには全くの無価値であったことだ。実はこの事が私には小気味よかった。

 WHE(世界遺産教育)を私もやっている。何年か前の奈良教育大学での国際理解教育学会(この時私はまだ会員ではなかった。)でその存在を知った。単に世界遺産について学ぶだけでなく、その世界遺産を通して学ぶ、あるいはその世界遺産の在り方を学ぶなど、様々な角度から学ぶのだが、今回のTV番組は、世界遺産という”ビッグネーム自体”を根底から考えさえるものだったと私は勝手に解釈したのだった。ユネスコの世界遺産といっても、所詮欧米の価値観の押しつけなのだろうか。

2010年8月27日金曜日

看護師さんのウガンダ訪問記


 昨日、残り物と北海道のフルコース中(昨日のブログ後半参照)に妻からH鍼灸院で知り合った看護師さんがウガンダの孤児院を援助しているらしいことを聞かされた。「井戸を掘るのに$700くらいかかるの?」と聞かされた。私は「うーん。」とはぐらかした。「お父さんがいたら、カンパすると思ったから2000円渡しておいた。」私は「?!」と、さらにはぐらかしたのである。ちょうど釧路湿原のノロッコ号がTV画面に映っていたところだった。

 実は、私は国際協力、NPOやNGOとかの活動には、極めてシビアに見ることにしている。と、いうのもただ単に支援したから有効というわけではないからである。昨日の段階では、”はぐらかす”しかなかったのである。で、今日も暑かったし、またまたまた妻が駅まで迎えに来てくれた。近所の腰の悪いご老人をH鍼灸院に連れて行った帰りであった。すると、例の看護師さんが連続で来院しておられたらしい。ウガンダの訪問報告書なるもの(A4判7枚パソコンのカラー印刷で、タイトルは『大阪のおばちゃん2人ウガンダ訪問報告書』)を妻が昨日のカンパのお礼にもらってきたのだという。

 さっそく読んでみた。内容を要約すると、昨年イタリア人が中心になってウガンダのキボガ県(ウガンダ中部にある)に孤児院を建設した。現在11人の子供が共同で暮らしている。生活費はイタリア人サポーターが$25/月を送金しているが、7/11人分しか集まっていない。3人のイタリア人無償ボランティアが交代で泊まり込み、$30/月で現地女性を食事・洗濯・掃除スタッフとして雇っているらしい。
 さらにお二人は、現地のホストファミリー(おそらく孤児たちの世話をしてくれている家族)を訪問されている。また首都カンパラの支援生徒(これも孤児なのかは不明)を訪問されている。

 これを書かれたAさん、Uさんは、おそらくウガンダのような底辺国を初めて訪問されたと推測する。素朴な現状への驚きともっと何かをしなければという息吹が強く伝わってくる。わかる。実際に五感で感じなければわかならいアフリカの現実がそこにあるからである。

 この報告書だけで、これからもカンパを継続するか、判断することは難しい。でも、普通の「大阪のおばちゃん」がウガンダを訪問しなんとかしようと走り回っておられる姿は『地球市民』として尊いと思う。率直に頑張ってほしい。ただ、井戸に関しては、じっくりと地質調査を行い、カンボジアなどで報告されているヒ素の含有率などを確認したうえで行う方がいい。『人間の安全保障』をしようとして、反対にそれを脅かす結果にならないために。また、もっともっと現地の雇用やスキルアップを、対等なパートナーシップをもって行うことが今、国際協力・開発の分野では最も重要視されている。現地のイタリアーノが、このことをどれくらい深く理解しているかまでは判らない。

 私の知る限り、アフリカでこのような実践をしているのは、ブルキナのI氏と、ケニアで活動する”CanDoアフリカ”である。じっくりとこのウガンダの話、見守っていきたいと思った次第。

2010年8月26日木曜日

3つのフルコースを満喫した日

 今日は、OG4人とOB1人が里帰りしてきた。それぞれ、私に報告や相談事があるとのことで、夏風邪もなんとか回復し、体調万全で迎えたのであった。いやあ、喫茶店では、いろんな地名が出てきた。まずは、フランスである。近く、1年ほど渡仏し留学するOGの話。さらにベトナム。個人でボランティアとしてハノイに行くという報告。彼女たちには、バックパックの選び方や防犯の方法などを伝授した。さらに、カナダに留学したOGの話や、エジプトのカイロのピラミッドの清掃ボランティアに行っているOGの話など、海外に雄飛する話には事欠かない。一方で、宗教学のゼミで四国にお遍路するOGの話も聞いた。彼女は先日8校合同仮想世界ゲームを助けてくれたOGの先輩にあたる。K大の比較宗教学の徒である。さらに、韓国に明後日出発するOGも駆けつけて報告してくれた。先に台湾にも行ったらしい。親日的な台湾の人々と反日的な朝鮮半島の対比につて語りあう。OBの方は、OG軍に押されっぱなしであった。昔からだが…。(笑)彼は、公民科と地歴科の教員免許のことで相談に来ていたのだった。この夏、剣道四段を取ったとの報告を受けた。これには、さすがのOG軍も、きっと長いものさえ持てば強いんだと感心したらしい。ただし、後ろ姿を見るとスキだらけのようだ。(笑)

 なんとも、嬉しい1日であった。本校の卒業生は海外に雄飛し、自分の将来の夢のため様々な自己投企をしているのだった。対自存在から対他存在へと、つぎつぎ飛翔していく。私は、そのための名誉ある捨石である、などと思ったりする。

 ほどよく疲れて帰宅した。妻がまたまた迎えに来てくれた。今日の夕食は昨日買いながら食べれなかった「しょうゆ味のたこ焼き」とおとつい食べ損ねた「揚げそば」、「茹トウモロコシ半分」、3日前から作り置きしてあった「ゆでたまご」、さらにB級バスツアーのお土産でまだ残っていた「桃」の”フルコース”である。これで、我が家の冷蔵庫は十分整理できたハズだ。全て私の大好物である。

 残り物のフルコースが始まったのが、7時30分ごろ。ちょうどNHKでは、北海道・サロベツ原野の無人駅のことをやっていた。いいなあ。サロベツ。なつかしい。夫婦であーだ、こーだと北海道の話をしていた。終ったので、妻が珍しくTVのリモコンをいじりだした。TV大阪で、またまた北海道を空から旅する番組に行きついた。釧路から知床岬までの道東の旅。またまたなつかしい。釧路湿原。標茶、弟子屈となつかしい地名が続く。摩周湖や屈斜路湖、そして知床。妻は、羅臼岳の大ファンである。かなり喜んでいた。なんか、北海道のフルコースである。<今日の画像は妻の大好きな羅臼岳の画像である>

 今日は、卒業生の報告のフルコースを味わい、残り物の大好物のフルコースを味わい、なつかしい北海道と妻との語らいのフルコースをいただいた。捨石にはもったいない1日だったように思う。感謝である。

2010年8月25日水曜日

ボノと露大統領歓談記事に怒る

 毎日新聞の夕刊(大阪の第3版)を読んでいたら、南アの公務員大規模ストの下にこんな記事が載っていた。今日は、この件について、久々に渾身の怒りのブログを書きたいと思う。
新聞の記事をそのままここに書きうつすのも癪なので、同じ毎日新聞系列のWEBの毎日JPを引用したい。『ロシアのメドベージェフ大統領は24日、南部ソチの公邸でアイルランドの人気ロックバンド「U2」のボーカリスト、ボノさんと会い、好きなロック音楽やエイズ撲滅活動などについて歓談した。ロシア国営テレビによると、大統領はジーンズにネクタイなしの普段着姿で、ボノさんと屋外のテーブルでお茶を飲み、海辺を散策。好きなロックバンドについてボノさんが「わたしは『レッド・ツェッペリン』の長年のファンですが、あなたは『ディープ・パープル』のファンですよね。この対立を克服しないと」と冗談を言うと、大統領は「いや、レッド・ツェッペリンも好きですよ」と笑って答えた。』 だいたいここまでが毎日新聞の夕刊に載っていた分。

これだけだと、「そうか、メドベージェフは、ディープ・パープルが好きだったのか。一般・ピープルだな。」というような宮田珠巳風の感想になってしまう。自慢じゃないが、私はU2の音楽を聞いたことは無い。ボノ氏といえば、国際協力というか、開発経済学というか、そういう世界では最も熱心に活動している世界的芸能人の1人である。ジェフリー・サックスの「貧困の終焉」の単行本の帯に称賛の言葉を入れていたので、私は名前を知っているのだ。ロシアの大統領と歓談したのなら、何か言ってるはずだと、毎日JP(WEB)を見ると、さらに追加している記事がやっぱりあった。

『大統領は、ボノさんの音楽は「世代と世代を結び付ける」と述べ、貧困撲滅運動に取り組むボノさんを称賛。ボノさんは大統領に、エイズ撲滅への協力を要請した。ボノさんは25日のモスクワでのコンサートのため訪露した。(共同)』

実は、この最後の部分が大事なのではないか。ロシアの大統領が、『天国への階段』と『ハイウェイ・スター』のどちらが好きかなどという話題は面白いが、どうでもいい。スポーツ新聞的大衆迎合のゴシップ記事にすぎない。おそらく、ロイターから共同通信に流れ、配信した時点で毎日新聞の紙面の関係で、後ろの部分を割愛したと推測する。ここからは、さらに私の邪推だが、毎日新聞の編集部は、ボノ氏の国際協力に対するそういう側面を熟知していなかったのではないか。ボノ氏がロシアの大統領と会って、貧困撲滅のためにロシアも協力しろと言わないわけがない。後ろをカットしても、面白い記事で読者は喜ぶとでも思っているのだろうか。毎日新聞のこの記事、読者を馬鹿にしているといか言いようがない。さらに、産経のWEBのニュースも、わざわざ、レッドツェッペリンとディープパープルに、さらにリンクできるようにしている。馬鹿か!おまえら!と言いたいところだが、ここはおさえておきたい。http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100825/erp1008251026001-n1.htm

嗚呼。日本のマスメディアこそ、知の貧困である。せめて新聞くらいと思っていたのだが。新聞も紙面という物理的拘束の前には、簡単に文章を長短しうる生き物であることを再確認した次第。赤瀬川源平の『鏡の町皮膚の町 ー新聞をめぐる奇妙な話ー 』(筑摩書房 1976)を思いだした。
産経のWEBニュースにいたっては、ホント三流紙である。エイズの問題にこそ、リンクしてこそ、ジャーナリズムの良心ではないのか。 WEBのニュースは紙面の制限がない。だからこそゆるせない。

嗚呼。やってられへん!どこに真のジャーナリズムがあるのか!と言いたい。ところで、全く蛇足ながら私は、レッド・ツェッペリンより、ディープ・パープルが好きな一般・ピープルである。

2010年8月24日火曜日

処暑と夏風邪、東南アジア

 昨日は、「処暑」であった。朝夕涼しくなるハズなのだが、一向に涼しくならない。我が家の1台しかないクーラーも近年稀な活躍を見せている。で、一昨日の夜、クーラーをかけて寝ているうち、夏風邪をひいたようである。始業式に出ていると、妙に体中の関節が痛い。保健室で体温を測ってみると、37.6℃あった。まあ微熱だが、仕事をしていてもミスの連続であった。こらあかんと、成すべきことだけして、振替の半休を取って帰宅した。妻が車で迎えに来てくれ、昼食はまだだというと、夕食の予定にしていた「キムチ鍋」を出してくれた。汗をいっぱいかいて、薬飲んで休めという指示である。なるほど。食欲はもう一つだったが、キムチ鍋は大好物だし、ガツガツ食べて寝た。と、いうわけで、昨日はブログが書けなかったのである。<本日の画像は、そんな夏の夕焼け。自宅近くで撮影したもの。>

 今朝体温を測ると、36℃台だった。ただし、夕方から寝ていたので、寝すぎで頭が痛い。授業は、昨日も今日もちゃんとやったが、せき込んだりしたら頭にガンガン響く。クーラーによる”夏風邪”といういうものに久しぶりにかかったのである。これも今年の酷暑のなせるわざかもしれない。

 ところで、ピーター会(JICAのケニア教員視察旅行のメンバー)の府立M高校のM先生が、この夏ラオスに自校の生徒を引率して行ってこられたらしい。アセアン諸国との交流事業らしい。詳細は、携帯に入ったメール故に、添付の報告書が読めないので不明だが、私はどうも東南アジアは苦手である。暑さと湿気の混合ダブルスは、身体が受け付けない。(やっぱり太っているからかなあ。)他のメンバーのメールは「うらやましー。」とみんな書いているのだが、私は生徒と行ったことは、すごくうらやましいけど、ラオスだろうが、カンボジアだろうが、東南アジアはどうも苦手である。ちなみに、私の東南アジア体験はバンコク空港とシンガポール空港に乗り継ぎのためいただけである。シンガポール空港は、屋外が喫煙スペースだった。深夜だったが、まとわりつくような湿気と熱気で、辟易としたことを覚えている。

 嗚呼、酷暑である。今回の円高同様、どうにもならんのかなあと思う次第。

2010年8月22日日曜日

唐突にディマクコンダを語る


 唐突だが、”ディマクコンダ”について書こうと思う。山田耕平氏という村落開発協力のJOCVが、マラウイで、エイズ撲滅のために作った曲である。かなりまえに、今はもうないブロードキャスターというニュース番組で紹介されて、その時見た私は衝撃を受けた。村落開発協力というJOCVのカテゴリーは、特にスキルを要求しないものである。山田耕平氏は、そんな中でエイズで次々亡くなる村人のために、自分は何をなすべきかを考え、現地語でエイズ撲滅のための歌を作ろうと考えた。それに他のJOCVが協力して生まれたのが、”ディマクコンダ(愛してるよ)”という歌であり、これがビデオ化されたのである。この曲、マラウイで、テレビ・ラジオで放映・放送され大ヒットした。ビデオの中には、エイズのカウンセリングセンターも登場する。おそらく、エイズ防止キャンペーンとしては、多大な効果を生んだと思われる。

 この山田耕平氏、私はお会いしたことがある。何年か前のJICA大阪の高校生セミナーにゲストとして呼んでもらうように強く要望したのである。何といっても元JOCVである。セミナーに来てくれて、講演をしてくれた。予想通りの気さくな好青年であった。記念撮影もした。本校にも呼びたかったが、結局、機会を逃してしまった。

 その年のワンワールド・フェスティバルだったか、生徒と大阪国際交流センターを回っていると、JICA大阪に来ているマラウイの研修員さんが登場した。ワンフェスの企画で、”研修員さんと話そう”というもので、派手なプラーカードをボランティアが持っていた。なんと、そのボランティア、本校のOGで元バレー部・元生徒会長・元体育の教育実習生のK君であった。(私が本校に赴任した時の3年生だから、某中学校国語科教諭のO君と同輩、理学療法士のリリ~君の1年先輩にあたる。)奇遇にお互いびっくりしたのだが…。私が、マラウイの女性に、例のサバイバル英語で挨拶した後、”ディマクコンダ”を口ずさんだら、研修員の女性はそれに合わせて踊りだし、私もそれに合わせたことがある。超・盛り上がってしまい、K君も同行していた現役生徒も「恥ずかしいからやめてください!!」と懇願したことがある。私は、この”ディマクコンダ”が、マラウイに完全に浸透していることを確認したのであった。

 ホントいい歌である。DVDでは、日本語の訳がついているので、DVD版がお勧めである。アフリカの話をする際、このDVDを生徒に見せる。何度見ても私は胸が熱くなるのである。さて、2学期、地理の1年生にまた見せようかな。

2010年8月21日土曜日

3種類のZEN


 夏休みの土曜日全コマ倫理補習シリーズも最終戦である。今日は、日本文化の特徴から、奈良仏教・平安仏教・鎌倉仏教とやって、中国思想へリンク、孔子・孟子・荀子、朱子、陽明学と…儒家をやって、老荘思想。再び日本思想にもどって、古学、国学、その他の近世思想と、計プリント14枚分をやり通した。ふっー。仏教は3週間前に重要な部分をやってあるので、その復習も兼ねて。中国思想は、センター・スキルを中心に。案外よくでる日本近世思想も。というわけで、なんとか近代日本思想以外はおよそカバーしたのである。

 今日の補習で、まあ一番面白い話は、禅の話かもしれない。日本の禅宗には、栄西の臨済宗と、堂元の曹洞宗、それと隠元の黄檗宗がある。私は、臨済禅と黄檗禅を経験したことがある。曹洞禅も知っているので、これらを比べてみると、それぞれ三者三様である。臨済禅は、禅を組んでいると、前にこっちを向いた他者が見える。要するに対面しているわけだ。曹洞禅は、反対に壁に向かって座る。つまり、前は壁である。黄檗禅は、他者の後ろ姿が見えるのである。黒板に図で示すとよくわかる。で、生徒の質問。「どれがいちばん怖いですかねえ。」要するに、”ケンサク”でシバかれるのが、どれが一番怖く感じるだろうか?という質問らしい。「やっぱり曹洞禅かなあ。見えないし、いつくるかわからんし。」「なるほど…。」しかし、と私は思った。他者がシバかれているのを見るのも、そして一歩一歩近づいてくる恐怖もなかなかのものであると…。

 「一か月ありがとうございましたっ!」という声で補習は終わった。毎週1回だったが、極めて濃い時間だったと思う。

2010年8月20日金曜日

MW校訪問団受け入れ説明会


 月曜日が始業式であるが、学校はバタバタしていた。明日から英語科の1年生のセミナーである。明日は学校で授業開始、日曜日をはさんで、月曜日からは滋賀の方で2泊3日の英語漬けの日々である。英語科の先生方はその準備で大わらわである。一方、我が国際交流部も、今日はオーストラリアの姉妹校マウント・ウェヴァリー・セカンダリーカレッジ(長いのでMW校と記す。)の、訪問団の来日を控え、ホームステイの準備開始である。酷暑の中、23組の生徒と保護者に来ていただき、Y先生よりスケジュールやMW校生徒のプロフィールなどを配布、説明があった。<今日の画像は、その案内掲示である。最近、Wordのすかしに凝っていている。U校のJ-howksに比べて、MW校のキャラはユニコーン。デザイン的にも、もうひとつであるので、豪州の地図的国旗にしたのだった。>

 ところで私の方も3日休んだおかげで仕事が溜まっていた。(笑)まずは、8校合同仮想世界ゲームに参加いただいた各校宛に、お礼と関係資料のCD-Rを入れて送付した。さらに、明日の補習のプリントを印刷した。本校の印刷室は、完全密室である。サウナのようであった。これに、今日のMW校受け入れ説明会の準備と、日中交流団に参加する生徒への連絡、暮れの親交会幹事長として宴会場の予約等々、結局1日中走り回っていたのだった。ふー。

 おまけに、妻に頼まれて、地下鉄を途中下車してサプリメントを買って帰るというおまけまでついていた。(笑)暑い。重い。妻にメールを入れたら、駅まで迎えに来てくれた。最近は、酷暑で妻も参っている。料理人を自負する彼女であるが、この暑さでキッチンに立つのはすこぶる苦痛らしい。息子もいないことであるし、結局外食になった。2日連続である。昨日は”大阪王将”の五目そばと餃子だったが、今日は”きん太”のお好み焼きであった。クーラーのきいた場所で、晩餐。プチ贅沢である。ささやかな幸せである。うーん、小市民。(笑)

 ところで、イェルサレムは、摂氏44℃になったそうだ。(息子からのメールによる。)

2010年8月19日木曜日

アフリカの月


『アフリカの月』という古い歌がある。KUROちゃんという西岡恭造の奥さんの作詞で、大塚まさじが歌っている。事実上の夏休みの終わり、この曲を聞きながら、H鍼灸院に行ってきた。
   
古い港町流れる 夕暮れの口笛 海の匂いに恋したあれは 遠い日の少年

酒場じゃあ 海で片足 失くしたおいぼれ 安酒に 酔って唄う 遠い想い出

俺が旅した 若いころは よく聞け若いの 酒と女と ロマン求めて 七つの海を 旅したもんさ

母さんは 言うけど『船乗りはやさぐれ 海に抱かれて 年とり あとは さみしく死ぬだけ

僕は夢見る 波の彼方の 黒い大陸 椰子の葉かげで 踊る 星くず見上げる 空には アフリカの月

古い港町流れる 夕暮れの口笛 海の匂いに恋した あれは 遠い日の少年


 なんとなくけだるく、そして旅愁あふれる曲である。私が聞いているのは、KUROちゃんを歌うという彼女の追悼アルバム2枚組である。今日は、なんとなく、この曲を紹介したかった。(もし、よかったら、YOUTUBEで大塚まさじのライブがあるので聞いてみて下さい。)この歌詞をどう読むか、それは、その時々の気分。幼稚園以来、1回の休みもなく「(学校の)夏休み」を過ごしてきた私だが、なんだか今回は酷暑のせいもあって、なんとなくけだるい。まあ、たまにはこんな気分のブログの書き込みがあってもいいかな…と思ったりする。

追記:さきほどメールBOXを開くと、名古屋大学のH先生よりメールをいただいていた。ESDのための仮想世界ゲーム(高校生版)をどんどん進めていって欲しいとの嬉しいご許可をいただいた。けだるいという気分がまたまた吹っ飛んで、さらに高いハードルを越えようという気になったのであった。

2010年8月18日水曜日

妻のカンは当たったのだった


 ”夏休み”妻孝行第三弾。またまた日帰りのバス旅行。妻は、前回のバス旅行で、かなり腰が痛かったらしく、あまり気乗りしない様子で「中止にならんかなあ」などという発言をしていた。いやあ、見事に妻のカンは当たったのだった。
 今回のB級ツアーは、天の橋立でにぎり寿司やソーメンや甘エビを食べた後、フルーツ(メロン・桃・巨峰)の食べ放題、さらに城崎温泉で入浴、またまた出石を回るツアーだった。もちろんお土産付き。メロン、桃、パイナップルなど10種類のフルーツ(メロンが大きいのは嬉しいが、無茶苦茶重い。)である。もちろん格安のツアー料金である。<今日の画像は、志賀直哉ではないが…城崎にて>
 
ところが、このツアー、旅行社(我が中国修学旅行の今年の担当になっている)には何の落ち度もないのだが、今まででホント最低であった。我々の後ろに4人の老女がいたのだが、彼女らの騒音のような会話がうるさくて、拷問のようだった。途中、あまりのことに注意したが、食事の後騒音は再開し、その後バカらしくて黙っていたが、とにかく非常識な老女たちである。妻も、廻りの方々もうんざりしていた。ホント、最低であった。

 妻は、「もうバスツアーは堪能した。もうええわ。」とあれほど好きだった旅行社のパンフレット熟読も辞すかまえである。私は、ここで考えた。やはり価格というものは、そのリスクも抱え込んでいるものだということである。昔、J旅行社で尾瀬に行った。かなり高かったが、それなりのメンバーが集まっており、今日のような非常識な場面はなかった。しかし、こういう格安のツアーであればあるほど、こういうリスクが起こりうる。今まで比較的ラッキーだったからかもしれない。C旅行社のツアーなどは、添乗員が非常識で二度とパンフレットを我が家では開封していない。やっぱり、”カネ”なのである。

 もうこういうリスクはこりごりだと思うのは、それだけ私も妻も齢を重ねたということだろうか。来年の結婚30周年の旅行計画について、カネを惜しむまいとバス中の理不尽な騒音の中でヒソヒソと相談していた我々であった。

2010年8月17日火曜日

酷暑お見舞い申し上げます


 酷暑の夏である。夏季休業も終盤である。今日、明日と夏季特別休暇をとっている。明後日は土曜日の振替休日で、最後の夏休みらしい3連休である。明日は、妻とまたまたB級日帰りバス旅行である。(笑)ところが、これだけ暑いと妻も楽しみではないらしい。我が家には、一応寝室にだけクーラーがあるが、余程の事がないとONになることはない。山の中腹に位置するので、そもそも1・2℃低いし、涼しい風が吹いてくるからである。ところが、今年は、一度付けたら癖になってしまった。
 で、なにか涼しくなるような画像は無いかと探してみたら、昨年の中国修学旅行の際に、CanonEFで取った『頤和園』の芸術写真(?)があった。この日は、無茶苦茶風が強く、生徒と震えていたのだった。

 そういえば、昨日は学校で、10月の修学旅行のために「しおり」の作成をしていた。今秋も付き添いで北京である。ついに日本が中国にGDPで抜かれたという報道もあった。実際北京を歩くと、さもあらんという熱気である。今年は、写真にある頤和園と明の十三陵をはぶいて、胡同(フートン)を見学コースに入れた。それとともに、出来るだけホーム・ヴィジットでの交流の時間を増やす予定である。なお、使用航空会社は、JALからANAに変更になった。

 夏季休業期間も今週いっぱいで、来週は授業である。昔を思えば、今の教育現場のなんと余裕のないことだろう。地球全体の酷暑とともに、何かおかしいと思うのである。

2010年8月16日月曜日

8校合同仮想世界ゲームⅤ


 8校合同仮想世界ゲームの実施報告書(A4/20ページ)と、『“ESDのための仮想世界ゲーム(高校生版)”構想について ―ESDのベクトルを明確にすることで、高校生向けに再構築する試み-』という小論(A4/8ページ)を一応脱稿した。今日の画像は、その小論の核心部分である。<当然拡大できます。>
 私は、名古屋大学のH先生の作られた仮想世界ゲームの自由な構造がたまらなく好きである。そもそも社会心理学のデータを取る為のゲームであるから、様々な葛藤やジレンマを想定しているのは当然である。しかし、だからこそ非常にリアルな疑似体験が可能になる。私の本意は、こういう疑似体験を生徒にさせたいのである。しかしながら…。
 先日の国際理解教育学会で、いつもお世話になっているD女子大学のF先生から、ディスカッションの席でこういう指摘を受けた。ちょうど私の後にT大学の教授がリアルなコンピュータゲーム(パレスチナ問題を扱っている)を使った国際理解教育の実践報告を発表された。私の仮想世界ゲームと会わせ、このようなリアルな教材についての賛否両論の討論が進んだ後の話である。「この仮想世界ゲームは非常に自由度が高い故、ある種の危険性をもつのではないか。特に葛藤を生徒に過度に与えることは教材としては問題がないということはない。」…なるほど。たしかに、F先生の「ひょうたん島問題」という有名な国際理解教育の教材 には、このような葛藤は生まれないよう細心の工夫がなされている。
 結局、私は、授業形態の実施と集中講義形式の実施の経験を踏まえ、次のように結論付けたのである。高校生が、個人主体でこの仮想世界ゲームを行うことは難しい。(食料チケットの国際価格など、かなりの差があり、ゲームの安定性を欠いた。)親しい友人同士のグループ主体は、かなり葛藤が増幅されるので、8校合同のような初めて合うプレーヤーによるグループ主体が望ましい。できるかぎり、ゲームの進行とと共に生まれる葛藤を抑えるために、この仮想世界ゲームに、明確な目標とゴールを設定する。
 それは、先進国グループも、途上国グループも持続可能な開発を目指すという目標であり、先進国は単に富を蓄積するのではなく、仮想世界を経済成長させるとともに、途上国と共生できるようパートナーシップを発揮し、持続可能な開発に最も貢献したチームを勝ちとする。また途上国は、経済格差を乗り越え、先進国の協力をうまく得ながら開発を進め、1人あたりのGDPを増やし、途上国と同レベル1人100simのレベルまで上げることを大目標にする。この目標を達成すれば企業を設立できる。もちろん、最も開発された途上国が勝ちとなる。ここに、従来の仮想世界ゲームの環境問題も治安の問題も当然起こってくる。さらにルールが増え、難しくなったように思えるが、食料チケットの価格の目安(先進国10sim以上・途上国10sim未満)も予め決めたうえで、十分な事前学習を行い、経済成長をある程度保障しておいた上で行いたいと思っている。ならば、ゲームの目標が明確な分、グループで討議しながら進めやすいのではないかと考えている。
 かなり熟慮した内容なので、是非この新仮想世界ゲームを実施したいと考えている。またまた自分で高いハードルを作ってしまった。でもやってみたい。生徒諸君が何を得ることになるか、非常に楽しみである。

2010年8月15日日曜日

カワセミを見た日


 昨日の朝のことである。いつもどおり6時すぎに、自宅から駅へ山を下りて行った。(といってもずっと住宅地である)近くにはため池があるのだが、なにか青い宝石のような鳥が止まっているのが見えた。飛び立つ時に、くちばしの形からカワセミだと解った。
 さらに、20mほど歩くと、大きなサギが前に降りてきた。もちろん、私もびっくりしただ、サギの方がもっとびっくりしたようで、住宅の屋根に、ふわっと優雅にとまった。
 サギは、時折見かけないことも無いが、カワセミは初めてである。なんかラッキーであった。こんな近くでカワセミを見るとは。

 私は、昔カワセミを見たことが1度だけある。それも日本ではなく、ケニアのナイバシャ湖である。アフリカの大地溝帯の構造胡の1つで、有名な観光地でもある。私はバードウォッチャーと呼べるほどの者ではないが、朝は急ぎながらも、自然の変化を感じながら歩くことにしている。駅から電車に乗れば、後は、もう自然という文字が抹消されてしまうくらいのビル街の狭間に到着する。

 ところが、そんな大都会にある本校は管理作業員さんの努力もあって、近隣でも唯一緑を保持している場所である。こんなところに…という都会の自然が箱庭のように生きていたりする。私が煙草をよく吸う所(もちろん学校敷地外である)には、敷地内から桜の木が茂っていて、煙草を吸っていると上から、鳥のフンや食べカスが落下してくる。鳥の巣がある時もあり、巣から落ちた赤ん坊を戻すために脚立を出して四苦八苦した思い出もある。

 自然。それがたとえ広大な大自然でなくとも、やはりいいもんだ。

2010年8月14日土曜日

典子は今、対他存在


 今日の倫理の補習は、昨日最後に書いたように現代哲学である。この30年間、目をつぶって授業ができるくらい、何度も何度も教えてきた。生の哲学や実存主義は特に教えていて面白い。中でも私はサルトルが好きである。
 倫理の授業で、浜村淳化して映画を使って教えるのは、キリスト教の本質を教えるエレファントマン(5月20日付ブログ参照)と、このサルトルだけである。サルトルの即自存在、対自存在、対他存在を教えるのに有効というより、監督の松山善三が、サルトルをこういう形で描こうとしたのだ、と思える映画が、『典子は今』である。

 古い映画である。サリドマイドで、生まれつき両腕が短く、後に失踪する父に切断を承諾され、その後母と共に障害を乗り越えてきた典子さんの話である。最初に彼女が何でも器用に両足でするのに驚かされる。スイカを切ったり、ミシンを使ったり…。サルトルは、あるがままの姿を”即自存在”と説く。もし、自分が両腕がなかったらどうか。生徒に質問する。誰もが彼女のように障害を乗り越えると声に出せない。そう、私は両腕がない、だから何もできない。と彼女は即自存在として人生を放棄することも可能だったのだ。
 しかし、彼女は母親のきびしくも温かい愛情にささえられ、”自己投企”したのである。だから障害を越えて様々なことを両足でできるようになったのである。これが、”対自存在”である。彼女は高校を卒業し、熊本県庁に入る。映画は、満開の桜の下で胴上げされるシーンがある。私は最初見た時、これで終わり、めでたしめでたしかと思った。だが、映画はここからが本番なのである。
 熊本県庁にも入り、障害者としての自分を忘れるくらい頑張っていた典子さんは、通勤のバスが急停車し、吊皮を持てないが故に転倒する。この事件で、自分が障害者であることを再発見した彼女は、同じサリドマイドの障害をもつ、広島のペンフレンドに1人で会いに行こうと決意する。1人で行くことは容易ではない。だが、それをやり遂げるのである。ところが、その友は失恋を苦に自殺した直後だったのである。憔悴した母と兄に対面した典子さんは、自分の存在自体が彼らを励まし、再起させることを知る。ここで、典子さんは最高の両足によるパフォーマンスを見せてくれる。マンドリンを弾くのである。マンドリンは難しい。弦が8本ある上に、常にピックを強く握りビブラートさせねばならない。本当にすばらしい。私は感動した。兄のギターとセッションする。これは泣ける。母親が木魚でパーカッションするのが笑える。泣いて笑って、そして泣ける。(この曲は典子は今のメインテーマである。)

   心に夢をだいて たどった旅路に
    あなたと出会った 浜辺のひろさよ
   誰かが訪ねていた 明日の世界は
    ひとりひとりがもつ あこがれのはじまり
   友達 愛のかたち しあわせ ひとりひとり
    たがいに手をさしのべ 明日を語り合おう 
http://www.asahi-net.or.jp/~kx8y-hgmt/midi/norikoha.htm

 最後に、兄が、典子を誘う。「典子、泳ぐぞっ」まるで死んだ妹に命令するように。両腕のない典子さんが着衣のまま、瀬戸内海を兄と共に泳ぐ姿をヘリが追う。次第に高度を上げていく。感動のラストシーンである。対自存在から、さらに典子さんが”対他存在”へと自己投企した姿である。

 生徒に”浜村淳”しながら、こう問いかける。「この『典子は今』というタイトル、変じゃないか?まだな何か言葉が続くような気がしないか?」 …そう、『典子は今、対他存在』

2010年8月13日金曜日

感性の高校展。Das ist gut.


 今日は朝から、天王寺美術館へ出張していた。大阪の公立高校の美術部の作品が一堂に会す『高校展』の会場当番にあたっていたのである。2時間ほど連続で4つある展示室を歩き回っていた。明日は、4コマ6時間立ちっぱなしで倫理の補習だというのに…これはつらい。足がパンパンである。
 今回の高校展は、例の空堀のかるた絵の関係もあって、「無理するな」という指示を出していた。と、いうわけで、3年生が2点、2年生、1年生が1点ずつ、計4点の油彩のみという本校の陣容である。通常はもっと多い。とりあえず、毎年1点くらいは奨励賞という緑のテープを張ってもらえる賞をいただいている。この賞は、「なかなかいいではないか。よく書き込んでいる。高校生にしてはデッサン力も確かである。」といった感じの賞であるが、そんなに乱発されるわけではない。今年も、本校では唯一3年生の部長のNさんが受賞した。去年も猫の絵で奨励賞をもらっているので、猫シリーズで2年連続である。めでたい。受験もあるし、無理せんように言ったのだが、やはりやりきりたい、とのことであの熱風吹きすさぶ美術室で、1人頑張って描いていた。私が見に行くと、だいたい彼女が描いている。で、ちょこっとアドバイスをするのである。一応私も油彩は経験者であるし、デッサンの技術も磨いた者であるし、美的センスもあると信じている。今回は、デッサンの不自然さを何点か指摘したこと、網棚に赤めのタコでも置いた方が収まりが良いとアドバイスした。私はなかなかおもしろい、良い作品だと思っている。タイトルは『最後の猫が見た世界』である。

 今回もおおっ!という作品がたくさんあったが、私の一押しは、西淀川高校の彫塑である。レインボーカラーの立体カエル。とくに理由は無い。まさに感性がビビビッときただけである。写真では見にくいが、中央に白いカエルがいて、そこだけ、下にオタマジャクシがぶら下がっている。何を訴えているのか。高校生の作品なので、おそらくそのほうがおもしろいんじゃないかといった感性のような気がする。(ちゃんとしたコンセプトがあったらごめんなさい。)高校展を見て歩いていると、そういう高校生の感性の豊かさ、発想の豊かさを感じるのである。それが楽しい。

 明日は倫理補習。現代哲学の講義である。マルクス、生の哲学、実存主義、ベルグソン、ヴィトゲンシュタイン、構造主義、フーコー、ドゥルーズ、デリダ…。さらにはフランクフルト学派、ハーバーマス、今一番人気のロールズまで語ることになる。問題は…やはり、足の痛みである。

2010年8月12日木曜日

私感/ルワンダの大統領選


 今日のasahi.comによると、ルワンダのカガメ大統領が圧倒的得票率で再選されたとあった。
 『ルワンダで9日に大統領選があり、中央選挙管理委員会は11日、現職ポール・カガメ大統領(52)が、約93%の圧倒的な得票で2期目の当選を果たしたと発表した。任期は7年。順調な経済成長の維持と、強権的と批判される政治手法の改善が2期目の課題となる。 今回、カガメ氏のほかに3政党から3人が立候補したが、いずれもカガメ氏の与党・ルワンダ愛国戦線と連携する政党の所属。カガメ氏と対立する野党候補らは手続きの不備を理由に出馬を認められず、大統領選は出来レースと見られてきた。 ロイター通信などによると、11日の選管発表後、首都キガリのバスターミナルで手投げ弾が爆発し、7人が負傷。反対勢力による犯行の可能性がある。 カガメ氏は、1994年に少数派民族ツチなど80万人が犠牲になった大虐殺の後、反政府勢力を率いて多数派民族フツ系の政府を倒し、実権を掌握。00年に暫定大統領に就き、03年の大統領選で選ばれた。資源は少ない国だが、IT化を推進するなど基盤整備を進めて投資を呼び込み、08年に国内総生産(GDP)の成長率11.2%を記録するなど、高い経済成長を維持してきた。【アンタナナリボ(マダガスカル)=古谷祐伸】』

 4月6日のブログで、カガメ大統領が、ディアスポラと呼ばれる欧米で教育を受けたツチ人で、見事なガバナンスを実現、大虐殺事件を乗り越えて、フツ人とともに経済成長著しいことを紹介したNHKの番組のことについて書いた。ルワンダは実に頑張っている。しかし、記事を読むと、ポール・コリアーのデモクレイジー理論(1月28日付ブログ参照)が、ルワンダにもあることが証明されているようである。
 正直、ちょっとがっかりであるが、よくよく考えてみると、近代化(これは国民国家を手に入れ、民主主義と資本主義を受け入れる欧米化の過程とあえて定義する)が推進された日本の幕末・維新でも、様々な暴力的テロが起こってきた。簡単に、誰もが近代化を受け入れることは不可能だと、歴史は語っている。ルワンダは、私の中では、アフリカの優等生である。資源のない、エスニック対立のある、内陸国。不利な条件の中頑張っている国である。この大統領選挙で、投資に陰りが見えることが最も恐ろしい。アフリカのデモクレイジーを長い目で見るべきだと思うとともに、期待大のルワンダには、次の選挙はこういう批判の出ない選挙にしてもらいたいものだと思うのである。

 今、仮想世界ゲームをESD理解のためのものに再構築しようと、頭の中で奮闘している。開発経済学をゲーム化する無謀な試みだが、少しでもバランスの良いものにしたい。持続可能な開発を目指す先進国。彼らは経済成長を進めながら、南北問題や環境問題のジレンマに挑む。一方で経済的格差を最初からつけられた途上国。なんとか生き延びる中で、先進国の協力も得ながら、1人あたりのGDPを増やす。そんなゲームのゴールを今考えている。ルワンダは、仮想世界ではなく、現実世界の途上国のゴールのモデルの1つである。頼んますわ!カガメ大統領!

2010年8月11日水曜日

رمضان ‎(ラマダーン)が来た!


今日の毎日新聞の夕刊によると、ラマダーンが始まったらしい。私には直接関係がないのだけれど、このたび研究のためムスリムになった荒熊氏はどう対応されるのだろうと心配している。昨年のブルキナでは、アチャケとかクスクスとか、美味しい現地食を私と共にパクついておられたし、デニッサ(Iさんのところのお手伝いさんサンドリンの娘)に、トントン・メタボ(メタボおじさん)と呼ばれていた。メタボは現地語ではなく所謂メタボリックのメタボである。(笑)いや、笑いごとではない。私は、研究のためとはいえ、ラマダーンに耐えることはできない絶対的な自信がある。
このイスラームの断食、日の出前と日没後は食事を摂ることが可能である。しかし日中は断食である。この事実すら日本ではあまり知られていない。最近ムスリムも多く日本に在住してきたのだし、一般の人々においても是非とも必要な異文化理解だと思うのである。

ちなみに、息子は今、イェルサレムのヘブライ大学にいる。どこに居を置いているのか私は知らないが、アラブ人街が定宿だと聞いている。ならば、このラマダーンの中に置かれていることになる。

何冊かラマダーンの最中にイスラーム圏を旅した人の文章を読んだことがあるが、肌で感じた体験は無い。 ホント、百聞は一見に如かずなのである。最近血糖値が下がって、一安心しているので、つい食べ過ぎることもある。このラマダーン、1日だけでもちょっとやってみようかな…と、一瞬脳裏をかすめたが、絶対無理なのでやめておく。神聖な行をちゃかしてはいけない。

追記:リリ~君の派遣先がドミニカ共和国に決定したそうです。メールがきました。スペイン語を学ぶことになります。いいなあ。ドミニカ共和国。私もいろいろ調べてみたいと思います。

2010年8月10日火曜日

祝!リリ~君JOCV合格


 リリ~君合格のメールを本日受け取った。いやあ、本当に嬉しい。ESDをやっていて、その夢の1つが、かなった。私から見て、リリ~君は、比較的おとなしい性格であるのだが、内に秘めた情熱と、極めて優秀な頭脳の持ち主である。きっとJOCVで、いろんなことを得てくれると思うのである。で、今日はリリ~君の合格に贈るブログとしたい。昨日、”付ききる”ということを書いたのだが、思いのほかコメントをいただいた。今日は、どんな人に”付ききる”のがいいのかという私感を述べたい。
 
 まず、最初に述べたいのだが、リーダー像というのは様々である。よく学生時代、三国志や竜馬がいくなどの登場人物を挙げて論じ合ったものだ。論じる側も様々な性格を持っている。だから、これでなければならない!という定命法的なものはない。自分に合った先輩を選べばいいのだ。凄い人でも、周波数の合わない人もいる。リリ~君なら、リリ~君に合う周波数の凄い先輩を見つければいい。仏教の言葉に「眷属」という言葉がある。きっとどこか似ているところがあるはずだ。それは、比較的おとなしいのに、内に秘めた情熱を感じるとか、真理を求める姿勢とか、ヨーヨーが上手いとか。(笑)

 ただ、こんな人だけはあかんで!というのはある。もちろん私感だが…。それは、責任をとろうとしない輩である。失敗や問題があるとそれまでええかっこをしていたのに逃げ出す。理屈をこねて自分の責任を認めない。地球市民の対蹠点にあるような人間はだめ。私は数多く見てきた。きちんと責任を取ろうとする人間は、教師でもそう多くない。
 もうひとつは、人情の機微を持たない輩である。人の痛みや苦しみをわかろうとしない人間は、付ききる価値がない。人間として下の下である。いくら才能があろうと、人は付いていけない。

 だから、リリ~君が、この人は付ききって何かを得れそうだ(周波数が合う)と思ったら、付ききってみればいい。ダメだったらやめたらいい。(このダメだなと思う理由がだいたい上記の2点なのだ。)それだけである。私は幸い、そういう先輩に多く恵まれた。

 Sさんという学生時代に世話になった先輩は、かなりわがままだった。バイト代が入ったと、夜中にたたき起こされて焼そばを食べにいかされたり。これは結局ハンバーガーショップ事件となった。(5月21日付ブログ参照)いつもボロクソに斬られていた。だが、Sさんの心にくいまでの人情の機微を知った行動には未だに頭が上がらない。お袋の葬儀の際も直立不動でお迎えした。忙しいのに、留守電話1本で駆けつけて下さった。私を育てようという想いが伝わってくる人には逆らえない。結局、”一念”なんだよなあ。

 だから、リリ~君は不安に思うことはない。”付ききる”先輩を探すということを意識するだけでいい。どこかに、きっといるよ。明日わかる赴任先、楽しみだねぇ。<今日の画像は、リリ~君の新出発を祝って、ブルキナの真っ赤な熱帯のラトソル土の道である。>

追記:Yuko Azuciaさん、読者登録、本当にありがとうございます。嬉しいです。インドネシア語をやっておられるとか。気軽にコメントをいただければと思います。これからもよろしくお願いします。

2010年8月9日月曜日

好々爺?昔話を語る。


 昨日、リリ~君のブログを読んでいるとpeer educationについて書いていた。 私も英語で言われるとちょっと汗ばむけれど、要するに学校現場などで、リーダーの生徒を育成し、彼らに自分の指導を他の生徒に言ってもらうように導く指導法だと私は解釈した。国際協力師として、途上国へ出向く彼にとっても、パートナーの育成等に絡んで、非常に重要な問題なので、ちょっとコメントは入れたのだけれど、改めて本ブログでこの問題について書きたいと思ったのである。
 
 この方法論は基本的に間違っていない。生徒には様々なタイプがあり、特にリーダーシップという点から、向いている生徒と、(今は)向いていない生徒がいる。(ここでいうリーダーシップとは、統率力とでも訳した方がいいかもしれない。責任感があり、動じず自分の意見が言える。その発言に影響力といったパワーを意識する語彙である。)若いころ、商業高校で私は一生懸命クラスでリーダーを育成した。幸い、そういう才能のある生徒が多くいて、生徒会活動や文化祭などで、懸命に人育てに励んだものだ。当時の商業高校では、進学する生徒など皆無で、実社会が求める人材は、私の育てようとする人材とほぼ同義語であったし、彼らリーダー群と私の関係は、おたがいオジサン・オバサンになった今も続いている。

 ところで、そのリーダーを養成できたのは、なにがしらのロジックがあり、そのマニュアル通りに指導したから養成できたわけではない。私は、学生時代にいい先輩方に巡り合って、その先輩のようになりたいと強く願い、”付ききった”からなのである。この”付ききった”という語彙がなんとも説明しがたい。その先輩が何を考えているのか、考え抜いて、そのようにを実行する。と言ったらあまりに辞書的な言い方かもしれない。私が”付ききった”先輩方というのは、大体私を見切ってくれた。何を考えているのか即座に指摘されてしまうのである。私の欠点をずばり指摘してしまう、そんな恐ろしい先輩であった。しかも、人情の機微に敏感ときている。私は、先輩方につききり、自分もそうなれるように心がけたつもりである。この時、先輩ならどう動くだろうか…常に自問自答しながら教師をやってきた。 
 
 付ききったという「因」が、付ききってもらえるという「果」を生む。当然の理である。昔々、私が勤めていた商業高校で、リーダース・キャンプという生徒会の行事が大阪市立の伊賀キャンプ場で行われた。そのキャンプファイヤーを担当していた時の事である。夜に備えて、薪を組み、近くの木から矢を落として点火できるように生徒たちと仕掛けをした。他の生徒たちは飯盒炊爨でカレーを作っていた。「さて、大体OKだし、食事をとろか。」と解散宣言をした。私もカレーを食べていた。すると、ポツ。ポツ。雨粒が落ちてきた。私はとっさにファイヤーにブルーシートをかける必要を感じ、カレーを食べるスピードを速めた。「ありがと、おいしかったで。」と食器を渡し、立ちあがろうとすると、他の班で食べていた生徒が私の動きをじっと見ていたらしい。走ってきて、こう言ったのである。「ブルーシートですねっ!」2人でファイヤー場につくと、さらに他のメンバーが「ブルーシートはどこですかあ。」とダッシュしてきた。
 
 ちょっと偉そうに聞こえるかもしれないが、人を動かす、人を育てるというのは、そういうことのような気がする。ロジックでも、マニュアルでもない。自分の”付ききる人”を見つけること。その人の発想や動きを自分のものとすること。見抜かれたから、見抜ける。付ききったから付ききってくれる、という単純な因果の中に、大事なことがあるような気がするのである。
 そう言えば、最近は好々爺になってしまって、生徒を見ぬけても、ズバッと斬るようなことはしなくなった。出来すぎの生徒に囲まれてしまっているかなと思う。まあ、斬らなくとも、優しいコトバで十分見抜かれていることは判ってくれているようである。私は幸せな教師であると思う。
 様々なリーダー像についても、いずれ改めて述べることにしたい。長くなった。今日はここまで。

追記:ブルキナファソの首都ワガドゥグで洪水が発生したようです。(荒熊氏のブログより)昨年9月よりはマシだったようですが、Iさん、荒熊氏、そしてJICAはじめ、お世話になった皆さん、そして親愛なるブルキナべのみんな、頑張ってください。特に保健的な問題が心配です。

2010年8月8日日曜日

ケニアの憲法改正・国民投票

 毎日新聞によると、ケニアで憲法改正の国民投票が行われ、大統領権限などが縮小されるようである。以下WEBでの記事。

ケニアで実施された新憲法制定の是非を問う国民投票で、同国選管は5日、賛成が過半数に達したことを受け、新憲法案の承認を宣言した。ケニアは07年末の大統領選で部族間対立を生み、1000人以上が犠牲になった暴動以降、国際社会から安定化を切望されており、民主化促進に向けたステップとなりそうだ。 英植民地支配からの独立後の63年12月に公布された現行憲法は、繰り返しの改正の末に大統領の権限が拡大、批判が相次いでいた。新憲法は、国会を2院制に改編し、大統領権限への監査機能を導入。地方分権の強化や市民権の拡大が盛り込まれている。 選管によると、国民投票は5日夜時点で賛成約67%、反対約30%で、「承認要件を満たした」とした。有権者は約1240万人、投票率は約71%だった。
新憲法承認を受け、キバキ大統領は「新憲法は新たな発展につながる。国民が団結して新たな国家づくりを始めよう」と演説した。 新憲法制定への国民投票実施は08年2月、安定化に向けて旧与野党間で交わされた連立政権の合意事項に盛り込まれていた。 <画像は大統領選の時の画像だと思われる。>

アフリカの開発経済学をかじっていて、いつも最終的に落ち着くのは、ガバナンスの悪さである。私が初めて足を踏み入れたアフリカであるケニアは、ブルキナやジンバブエから見ると、はるかにHDIが高く、インフラの整備が進んでいるわけだが、前回の大統領選では、見事にポール・コリアーの『デモクレイジー』(1月28日付ブログ参照)を実現させた。今回の憲法改正は、その後始末だといっていい。
私の会ったケニアの人々は、素朴で従順な人々が多かった。あの混乱の中からケニアが再生することを心から願うとともに、西部や北部の乾燥地帯の干ばつに早く手をうってほしいものだ。

ところで、ガバナンスの悪さはなにもアフリカだけのことではない。最近の日本を見ていると、自分の足元に火がついているような気になるのである。

2010年8月7日土曜日

マグナム44と抵抗権


昔、世界の殺人首都と呼ばれたデトロイト。<本日の画像はミシガン州・デトロイトのダウンタウン。>そこで私は銃を撃った経験がある。 今日の倫理補習で、そんな”滑らない話”をした。
今日の予定は、ルネサンスから近世・近代の西洋哲学史である。またまた4コマ・6時間。ベーコン・デカルトからヘーゲルまで。(5月8日付の長ーいブログで、内容については記しているので今日は割愛。)それにプラスして、社会契約論のホッブズ・ロック・ルソーと功利主義のベンサムとJ.S.ミルをやった。銃の話は、最後の1コマ、ロックの説明の時にで登場する。ロックは、ホッブズのように自然状態を『万人の万人に対する戦い』といった北斗の拳と捉えていない。むしろ、理性的で平和な状態だという。ただし、自由や権力を国家に預けていることは同じである。で、ロックは言う。もし、自らの自然権を侵されるようなことがあれば、国民は、抵抗し、あるいは革命を起こす権利がある。

昔々…デトロイトにサムさんという在日経験20年のおっさんがいました。彼は銃が大好きで、現地ガイドをしながらも時々銃を撃っています。そこに日本からのゲストがやってきました。彼らは銃を撃ってみたいと言う。サムさんは急いで手配しました。ダウンタウンの銃刀店の地下の射撃場です。リボルバーとオートマチック、そしてマグナム44が用意されました。暴発して死んでもOKという書類にサインし、ゴーグルと防音のためのヘッドフォンをつけて、さあ射撃です。元気いっぱいのおっちゃんがマグナム44を手にとりました。そしておもむろにトリガーを引くと…。なんと眼前が真っ赤になったのです。ダーティ・ハリーではそんなシーンはありませんが、現実には火薬の爆発の威力は凄いものでした。私もたいがい驚きました。マグナム44を私は撃つのをやめ、普通のリボルバーにしました。案外射撃の才能があることを知りました。のび太君くらいはうまいみたいです。
さてさて、帰りのバンの中、あるご婦人が質問しました。「なあ、サムさん。アメリカは銃が多いやろ。そのおかげで犯罪も多いやんかあ。なんで銃が自由なん?」さて、その返答やいかに?

生徒諸君の答えは、「自分の身を守るため」というのが圧倒的に多い。想定内である。私もそう思っていた。しかし、サムさんの答えはこうだった。「もし、州政府や連邦政府が、私の自由を侵害しようとしたときに、銃がなければ戦えないじゃないですか。」というものだった。凄い。…抵抗権。私はその時、鳥肌が立った。アメリカ人は、自分の自由を銃で勝ち取った。その権利を一部州や連邦政府に委任している。しかし一度その自由を侵されたら、立ちあがる気慨を持っているのである。アメリカ人にとって、自由というのは勝ち取るものであって、与えられるものではない。

ホントは、さらに日本人の甘い自由観について語りたかったが、さすがに4コマ目。疲れた。また機会があれば話すつもりである。さて、こうしてみれば、ロックの抵抗権…十分わかりやすいと思うのだが…。

2010年8月6日金曜日

8校合同仮想世界ゲームⅣ

 ところで、仮想世界ゲームの実施報告書はほぼ完成した。今日は自宅のプリンターで、参加生徒全員のふりかえりをスキャンしていた。PDFで保存するつもりがJPGになっていた。…まあいいか。実施報告書をまとめていて、思った事がある。今回の仮想世界ゲームの基本ポリシーは、初めて出会う他校生とプレイすることで、しがらみを断ち、個人として主体的に取り組んでもらうことであった。確かに、個人として動いていたようだ。ただ、農園主などが、かなり高値で食料チケットをバラバラで売っていたので、市場価格がなかなか安定しなかった。大学生なら、常識的に食料チケットより労働チケットの方が価格が高くなると判断するだろうが、それさえ危うかった。今回の8校の偏差値はかなり高いと言ってよいだろう。ただし、1年生・2年生も多く含まれているので、そのあたり”高校生”なのである。
 
 ”高校生”だから、もうすこしこのゲームの最大の良さだと私が思っている可塑性を減退させても、ESD的なベクトルを持たせるべきではないか。というのが、先日のU先生との討論の眼目である。私は昨日も箕面の温泉につかりながら、そのことをずっと考えていた。なにも、この大学生向けの社会心理学の葛藤を生むゲームを”高校生”がきちんとやりとげれなくともいいのである。”高校生”らしいゲームを新たに創造すべき段階に来ているのかもしれない。

2010年8月5日木曜日

箕面を味わいつくす

みんなで守ろう緑の箕面  昨日から、箕面に行っていた。福利厚生のポイント(私はくわしく解らない。)で、妻が箕面観光ホテル一泊を申し込んでいたのだった。まあ、夏季休を使って妻が満足するのであれば、何処だっていいので愛車で1時間ほどかけて行ってきた。”箕面”といえば、70年代関西フォークの雄、加川良の「南行きハイウェイ」というアルバムにあるムチャ長い歌『ホームシックブルース』である。この中に「みんなで守ろう緑の箕面」というフレーズがある。私と妻は、このフレーズをすぐに連想した。だから、箕面に行くといえば、緑あふれる国定公園の”箕面の滝”である。小学校の遠足以来である。ここには猿もいて、弁当を食べる時には緊張したもんであった。しかし、今は猿は野生に帰り、いなかったし、滝はあんなに下の方にあるとは思わなかった。駐車場からだいぶ下ったので、登りが大変だった。汗でTシャツがグダグダになった。

箕面ふれあい街歩き  せっかくだから、箕面の街をブラブラ歩くことにした。NHKの世界ふれあい街歩きのイメージである。といっても暑いし、発見したのは「ロボットの米屋さん」という意味不明の店くらいで、ふれあいはほとんどなかった。まあ当たり前である。結局商店街でぶっかけうどんを食べてから、ホテルに向かった。箕面にはスパーガーデンという巨大な浴場があって、プールもボウリング場もあった。小学生時代はあこがれのリゾート地であったのだが…。 <拡大すると、ロボットがよく見えますよぉ。>


大阪のダウンタウンを一望する  観光ホテルでは、8階の一番奥の「喫煙室」に宿泊した。喫煙者をよくもまあこんな奥の奥に泊めるもんだ。かなりむかついたのだが、展望は最高である。大阪の東側・生駒山から見たことはあるが、北側から見るのははじめてかもしれない。それに、大阪にこんなに高層ビルが建っていたとは驚きである。目をこらすと、大阪ドームや南港のけったいなゴミ焼却場の煙突まで見える。下には、阪急電車の箕面駅があり大阪空港を発着する飛行機も良く見える。なかなか見ていてあきない。ベランダに佇み、夜景も楽しんだ。そうそう、ここのホテルの大浴場もお湯がトロトロでよかったし、夕食の懐石料理も美味であった。<これは今朝撮影したもの。拡大すると、これまたよく見えます。>

大衆演劇のディープな世界  今日は、例のホテルの隣のスパーガーデンに行ってみた。(フロントに招待券をもらっていたのだった。)小学校の頃のあこがれのリゾートは、かなり老朽化しており、スーパー銭湯などと比べ、かなり見劣りする大浴場だった。こんなだったかな…?と寂しくなる。しかしさすがは緑の箕面である。なぜか大浴場にクワガタムシがいたり、露天風呂にムカデがでたり。(ムカデはおっちゃんたちが湯で流し、見事に事なきを得た。)

 で、風呂からあがって、さて帰ろうかと思ったら、大衆演劇の美川麗士というのが来ているらしい。まさか無料で見れるとは思わなかった。(予約席という名のかぶりつきは500円だった。結構埋まっていた。10人くらい?)舞台の前は、広いイベントホールとなっていて、周囲に店が立ち並んでいる。和洋定食、たこやき、喫茶、おでん、ぎょうざ、ソフトクリームなんでも売っている。決して暴利をむさぼる価格ではない。ほんのちょっと高いかな、でもええやんか…くらいの値段である。風呂上がりのじいちゃん・ばあちゃんはきっとビールとなんか食うぞ。絶対。わが夫婦も結局、妻が焼そば(500円)を食べ、明石焼き(400円)を二人で食べ、中休みにおでん6品(計660円)を食べた。しかも、ここの店のスタッフは、席(番号のついた6人くらい座れる円卓テーブルである)まで、出前してくれる。カネを落とすように出来ている。感心しきりである。肝心の大衆演劇の中身の方もよかった。『俺は用心棒』という題の演劇は、まさに義理人情をコンセプトに、笑いあり、涙あり、剣劇あり。B級好きの私は、またまた期待していなかった分、十分に楽しんだ。歌謡ショーの最後まで見てしまった。(笑)この大衆演劇の世界、文化人類学的にも、社会学的にも、経営学的にもかなりの濃い研究アイテムと見た。私はやる気は無いけど…。なんかハマっている方々の気持ちもわからいではないと思った次第。妻と今度は『大西ユカリと新世界』を見に行こうかという話になった。昨日は、ブログをお休みしたけど、まあ箕面を味わいつくした2日間だったかなと思うのである。 

2010年8月3日火曜日

春一番に誘われモスクを想う


 今年は倫理の補習を土曜日に集中講義でやっているので、今日はその振替休日であった。こういう日は例によってH鍼灸院に行く。愛車のMDは、久しぶりに西岡恭造であった。『春一番』…。妻のお気に入りの曲であり、昨夏はこのMDを良く聞いた。この曲を聞いていて、ああ1年前はブルキナファソにいたんだと、ちょっと感傷的になった。サヘルへの旅。この曲が私の脳裏でずっとかかっていた。
 と、いうわけで今日のブログは、ブルキナのBANIという村の、モスクについて書きたい。ブルキナに行く前、私は「世界遺産の中で、どこに行きたいか?」と問われれば、「マリのジュンネのモスク」と即座に答えてきた。日干しレンガと泥で補修された西アフリカ独特のモスクである。ところが、一回り小さいかもしれないが、ブルキナにもよく似たモスクがあったのである。全く期待していなかったのでムチャ感激した。
 ストロングな太陽の下(もと)、人気(ひとけ)のないモスクを案内してもらった。(同行メンバーは4月14日付ブログ参照。)素晴らしいモスクだった。以下私の紀行文「ブルキナファソ留魂録」からの引用。
 
 車を降りた瞬間、うぉっー!という感じの暑さだった。日本の太陽とは別物の真っ赤な太陽である。美空ひばりが、もしこの砂漠の太陽の下なら、『恋の季節なの~』などと気楽に歌えないだろうと私は思った。(ギャグがかなり古くて生徒には使えそうもない。)これが、砂漠の太陽である。
砂地をサンダルで進む。干乾びた村の壁は、日干し煉瓦。触ってみる。書物上の知識では判らない。実感が大切だ。まさに「百聞は一見に如かず」である。モスクは、素晴らしいものだった。村のモスクだとは到底思えない。ミナレットの高さは、40mもあるという。村のガイド氏が、モスクの中に異教徒である私を誘ってくれる。もちろん、素足が基本だが、サンダルを脱いで、靴下はそのままでいいとのこと。モスク内は砂地だった。思い出したように開いている窓の光だけが、モスク内の明かりである。灼熱の外に対して中は思いのほか涼しい。ガイド氏は、ミフラーブの撮影も許可してくれた。その後、真っ暗な階段室を上り、屋上に連れ出してくれた。真っ青な空。土色のモスク。そして砂漠の太陽。ガイド氏とオマーンの通訳によると、このモスク はいくつもの棟やミナレットがあり、上空から見ると、祈りの形になっているのだという。キブラの方向を見ると、なるほど右手・左手というふうに別のミナレットが遠望できるのである。なかなかのものである。さすがジュンネのモスクには、大きさではおよばないが、どうしてどうして立派なアフリカン・モスクである。

 遠望のできる岩山からの帰路、あることに気がついた。このモスクの「礼拝用個人絨毯」は、なんと羊やヤギの皮だったのである。…砂地に家畜の皮を轢いて礼拝するのである。最後に一つだけ質問した。
「女性の席はどこか?」天井はむちゃくちゃ高いこのモスクだが、作りは平屋である。私が生徒をよく連れて行く神戸のモスクは2階席が女性用となっている。それで聞いたのだが、「後ろの3列までが、女性用だ。」というのが回答だった。なるほど左右に分かれて礼拝するのではなく、前後に分けるのか。案外、想定内の回答であった。(女性蔑視であると即断するのは、異文化理解を妨げるのである。)車に乗り込むとき、何かおかしい。さっき岩山に上った時、サンダルの足首に固定するところが切れてしまったのだ。歩くのに支障はないが、ナイロビの想いがつまったサンダルである。なんと、モスクの視察で、「諸行無常・諸法無我」を感じることとなったのであった。

 壊れたサンダルは、2月15日付ブログ”ナイロビの水虫”で、靴が履けなくなった私がナイロビのBataで買ったものである。以来、海外に出る時愛用していた。<今日の画像は当然BANI村のモスク/CanonEFで撮影したものである。>嗚呼。アフリカ…行きたいなあ。

2010年8月2日月曜日

Right! Right! Right!


 Right…今日のブログのテーマは「右」である。先週『聖書の名画はなぜこんなに面白いのか』(井出洋一郎/中経の文庫)を読んでいて、なるほど!と手を打った。この本は、タイトルの如く、旧約聖書(すなわちユダヤ教典としての)ならびに新約聖書の記載事項を西洋美術を鑑賞する上で必要な基礎知識としてコンパクトにまとめた文庫本である。今年はもう現代社会でヘブライズムをやってしまった。それが残念だと思うくらいの『授業の種』であった。
 さて、上記の絵を見ていただきたい。ルーブル美術館にある『キリストの磔刑』という絵である。見事に右と左が善と悪に区別されている。キリストの右側は、ヨハネ(聖母マリアのことをイエスに託されたヨハネ)が祈り、聖母マリアが悲しみ、他のマリアが聖母を支えている。左が悪で、ローマの隊長や兵士が、イエスの服を誰のものにするかルーレットでくじを引いている。共に磔になった泥棒も右の者は正面を向いてキリストを正視しているのに、左はそっぽを向いている。しかも右の泥棒には日が当っているのに、左は山影で暗くなっている。
 そう、英語の右、Rightの語源は、文字通り『正しい』なのである。あまりの単純な言霊に私は驚いたのであった。知っているようで知らない話。所詮私も”先生”などと言われていても無知の知なのである。やはり”先生”と呼ばれるのは30年やっても恥ずかしいし、”傲慢”の危険な匂いがする。…と、自戒するのであった。

2010年8月1日日曜日

朝からfromマダガスカル


昨日は、倫理の補習で疲れているのに、アホみたいに長いブログを書いていた。さすがに今日はゆっくり寝た。といっても起きたのは7時である。まあ5時台に起きるいつもよりは寝坊したのだが…。何気なくTVをつけて思い出した。”ペンギンズ”を教育テレビでやっている。久しぶりに見た。東京での国際理解教育学会の時安ホテルで見て以来である。別に大笑いするわけではないが、この”ペンギンズfromマダガスカル”、私は好きである。なんとなく大げさなスパイ大作戦風の隊長を中心にドラマが展開される。本来の映画のマダガスカルでも不思議なキャラクターだったペンギンズ。脇役がこういう形でスポットを浴びると言うのもいい。
 結局、睡眠不足で昼間、我が家にしては珍しくクーラーをつけて夫婦そろって昼寝したのである。妻も最近胃が痛くなったり、腰が痛くなったり、不眠症ぎみだったりと体調がすぐれない。ますますH鍼灸院のお世話になる我が家なのである。今日は、脳天に一発鍼が入った。まるで、”グリーン・マイル”の映画のように病気の邪気が出た感じ。と、いうわけで明日からの仕事に備える日曜日なのであった。