2018年12月31日月曜日

大晦日に血糖値の話

赤ラインは普段の帰路 青ラインは買い物遠回りコース
毎日、アトランダムな時間に血糖値を計るようになって1ヶ月である。最初の頃は、17.2とかいう数字だった。これは、日本の病院の血糖値に直すと×18で、309などという入院レベルだった。それが12月16日以降、帰宅時のバス停3つ前で降りて坂道を歩いて帰るようになってから、ガクンと落ちた。インフォデーの日は手伝いでちょっと肉体労働もしたので、5.5 という数値になり、日本では99という平常値にまで落ちたのだった。(12月17日付ブログ参照)以来、学校のあるときは、同じように帰りに歩くようにしている。すると少なくとも一桁に落ちる。しかし、甘い物や果物をたくさん食べると上がる。これまでで、唯一二桁の日は23日の日曜日。夕食前に計ったが、11.1あった。(日式だと199.8)この日は昼食が14:00と遅くなり(坦々麺)、食後にコンドのジムで自転車を漕いだのだが、夕食前(18:50)では、あまり下がらなかった。ジムで自転車を漕ぐことは2回試してみたが、やはり歩く方が効率が良い。

最近は、Dマーケットで牛乳などを買い、負荷をつけたザックを背負いながら遠回りして返ることもある。このところ、涼しい風が吹く曇天の日が多いので、汗だくにはならないけれど、なかなか効果があるように思う。今日もそうしてきた。

ともあれ、血糖値が以前より下がっていることは間違いなさそうだ。何より、夜に足がつることもなくなったからだ。妻の食事療法ならびに厳しい注意喚起で、糖分摂取は多少なりとも抑えられている。しかも、すぐ数値に表れるのが怖いところだ。(笑)

まずは、健康第一である。私はマレーシアの生活を気にいっている。少しでも長く滞在できるようにしたいと思っている。そのためには、…歩くしかない。(笑)しかしそれもだいぶ慣れてきた。(追記:17:35に計ったら、4.5という数値=日式で81=空腹時の正常値が出た。)

皆様、よいお年を。こちらマレーシアは、大晦日などと言う雰囲気は全くありません。きっとカウントダウン後に花火が打ち上げられるくらいだと思います。

2018年12月30日日曜日

TPP 6/11本日発効す。

http://blog.livedoor.jp/pacco303/tag/%23australia
TPPが30日の今日、発効した。アメリカが抜け、11ヶ国となったTPPのうち、日本・メキシコ・オーストラリア・ニュージーランド・シンガポール・カナダが批准を終えているので、6ヶ国でまずスタートするとのこと。残るベトナム・ブルネイ・チリ・ペルー、そしてマレーシアも年度内に批准を終える予定。さっそく、果実や野菜が無関税になるそうだ。オーストラリアからの米や小麦も無関税になるらしい。あのパース近郊で見た広大な小麦畑が、さらに開拓されて農地化されていくことになるのだろう。

自由貿易は、平和構築のために不可欠であると私は思っている。この5か国+後に参加する6ヶ国をいれると5億人規模の自由貿易圏となるらしい。日本はさらにEUとのEPAの発効も近い。日本は、脱・米国式保護主義の立場を鮮明にしているわけである。混迷の続く世界経済であるけれど、一方でアマルティア=センのいう「市場を飼い慣らす」知恵がますます求められているように思う。

PBTの話(84) J君の質問

https://www.cookdoor.jp/
dtl/1060031760/imagelist/
来年に入ると、私大の私費留学生入試が始まる。彼らは航空機やホテルの手配なども自分でしなくてはならない。なかなか大変である。昨夜、J君から、LINEで質問のメールが来た。まずは、関西の交通についての質問。ネットでJRのチケットが買えるらしい。ただ関西なら、”イコカ”を渡日後に購入し、チャージするのがいいだろうと答えた。京都の大学を受けるので、京都市バスも使える。

もう一つ、意外な質問が来た。「お勧めの料理店はありますか?」関西在住の皆さんならどう答えるだろう。私は、即座に「餃子の王将」と答えたのだった。「京都には、たくさん(店舗が)ある。日式(日本風)中華料理店。焼き餃子がうまい。」ちなみに、マレーシアは、水餃子や揚げ餃子が中心であり、おそらく初体験になるはずだ。王将には、京都王将と大阪王将があり、メニューや味も少し違うのだが、そこまでの解説はさけた。
すると、京都滞在は2日くらいで、4日間大阪に滞在するらしい。「大阪のおししい料理店を探しているのですが。」という質問が来た。大阪在住のみなさんはどう答えるのだろう?

http://mametan802.blog105.f
c2.com/blog-entry-1091.html
私は、こう答えた。「(餃子の王将は)大阪にもある。大阪には力餅という、うどん屋が多い。肉カレーうどんはかなりうまい。赤飯と合う。」そう、とっさに「力餅」が出てきたのだった。おそらくは保護者とともに渡日するのであろう。もっと高級な店を答えるべきだったかもしれないが、大阪の味は庶民の味である。最後に、こう答えた。「まぁ大阪ならどこでもうまい。」

J君の返信については、あえて書かない方がいいと思う。極めて肯定的な返事であった。

J君への追伸:大阪のお好み焼き屋は、「ぼてじゅう」や「きんた」といったメジャーなチェーン店もうまいが、汚くて古そうな店でもうまい。たこ焼きは、個人の嗜好と経験値で計るしかないのでなんともいえない。意外に差が大きいのがラーメン屋。私は「天下一品」のこってり味が好きだが、これも個人差がある。(試験直前には食べない方が良い。)日本では、醤油・味噌・塩・豚骨のスープ4種類。麺も様々。板面(ペンミー)は、「きしめん」というのがあるが、関西では少数派。

2018年12月29日土曜日

現時点で韓国の問題を考えるⅦ

1963年のクーデター
https://matome.naver.
jp/odai/2139881922314
725701/2139902031444754103
ネット上では、ネトウヨさんたちの嫌韓大合唱が続いている。例の海上自衛隊機へのロックオン問題である。そんな中で面白い記事を見つけた。重村智計教授の「レーダー照射していないー韓国が嘘の上塗りを続ける理由」である。
https://ironna.jp/article/11556

内容を要約すると、このレーダー照射は最高司令官たる大統領の命令でしかあり得ないことであり、もし将校や艦長や海軍首脳らがこれを指示したとすれば指揮命令権の否定であり、韓国では、クーデターと見なされる。したがって(保身のためには)照射していないと言い続けるしかない、というものだ。

ところで、12月初旬に、韓国軍の情報将校がセウォル号の遺族を違法調査したとして取り調べを受け、飛び降り自殺した事件があった。この事件は、韓国軍の上部に大きな衝撃を与えたとらしい。政権が変わるごとに保守派と左派の権力争いに巻き込まれることに嫌気がさしているようだ。文政権になってから、米軍を激怒させた北朝鮮との宥和的軍事政策のことも尾を引いているようで、クーデターが起こる土壌などない、とは言えないのも事実のようだ。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/12/07/2018120780107.html

韓国軍は、クーデターの記憶(朴政権はクーデターによって成立した。)があるだけに、ソウル方面への後方移動は禁止されているという。各部隊には、ソ連のように政治将校が配置されているのだという。

幸い私は、重村教授の記事を読んで知ることが出来たが、こんな韓国の特殊事情を我々日本人は知るよしもないし、言ってしまえば「そんなの関係ねぇ。そんなの関係ねぇ。」の世界である。こういう自分の非を認めず、しかも嘘の上塗りをする行為は、日本人が最も忌み嫌うものだ。そして何より、自衛隊員の生命がかかわっていた問題である。日本政府も、世論を背景に引けないだろう。この問題(他の問題もだが)、ソフトランディングはかなり難しい。

これで、さらに文政権が揺らぎ、退陣へと繋がることを、米・日の政府は願っているに違いない。米軍は本気で韓国から撤退することも考えているようである。そうなれば、半島は危機にさらされる可能性が高くなる。自業自得と言えばそれまでだが、日本も決してただではすまないわけで、なんとも迷惑な話である。

最後に、何度も書いているが、在日の韓国人の人々は、このような特殊事情下の「嘘の上塗り」とは全く無関係である。こういう軍事に関わる問題は、ナショナリズムを否応なく刺激する。同胞の知性を信じたい。私の在日の教え子や友人とは全く無関係である。

2018年12月28日金曜日

在馬日本大使館の注意喚起

在マレーシア日本大使館 http://mitskin.cocolog-nifty.com/kin/2015/12/post-6213.html
さきほど、在マレーシア日本大使館から、注意喚起のメール入った。在留日本人の1人である私にも、たびたび注意喚起のメールが送られてくるが、野党のデモがあるので近づくなとか、ボルネオ島での治安の話とか、あまり関係ない情報が多い。だが、今回はちょっと違う。

「12月に入り大使館とKL日本人会に、同じ筆跡で書かれた不審な書簡が届きました。」
「差出人不明のの書簡には、日本人に対する脅迫に当たるメッセージが書かれていたため、各施設を管轄する警察署へ届出を行うとともに、マレーシア国家警察本部に対しても情報提供を行ったところです。」

さらに続いて、警察によれば、現在のところ日本の権益に対する具体的な情報は把握されていないが、在留邦人には、差出人が不明な小包や書簡などの郵便物に注意されたし、何かあれば警察・大使館に連絡されたし、という内容が記されていた。

我がPBTは、KL日本人会にある。なんとも気味の悪い話であり、併設の日本人幼稚園の園児やうちの学生も気をつけねばなるまい。(幸いにも今はスクールホリデー中ではあるが…。)仲良しで人の良いセキュリティの人々にも大いに迷惑をかけることは必定である。

「日本人に対する脅迫に当たるメッセージ」が、何語で書かれていたかは明確ではないが、親日的なマレーシアで、このような脅迫を行うとは…。およその見当はつかないこともないが、全く不愉快極まりない話である。こちらにまで飛び火してきたのか…。

東京からT先生来馬(3)

Y先生のマレーシア滞在も最終日である。最終日、14:40発のエアアジアで帰国するので、午前中にわがPBTをご案内することにした。いつもお世話になっているK先生が、ご多忙な中カフェまで連れて行って頂いて、日本語教育についてお話頂いた。日本語教育に興味を持っているT先生としては、大いに勉強になったと喜んでもらえた。

その後、空港まで送迎した。妻と3人で最後の昼食を取り、帰国の途についた。
初めての海外旅行は、短かったけれど、十分楽しんでもらえたように思う。次は是非家族と共にマレーシアに来たいと言ってくれたので、こちらも嬉しい。

もっと時間があれば、マラッカやペナンにも足を伸ばせたのだが、それは次回のお楽しみということで…。昨年末は、金沢のT先生の来馬が突如中止になってしまったので、残念だったが、今年はなんとか無事に対応できたことを喜んでいる。金沢のT先生のリベンジにも期待を寄せて…。

2018年12月27日木曜日

東京からT先生来馬(2)

ブルーモスクを、よく似た案内所と共に撮ってみた。
T先生の滞在機関は短いので、今日1日で、最も価値的な場所を見せたかった。T先生の希望は、ピンク・ブルー・アイアンのモスクのどれかは見たい、とのことだったので、最初の構想では国立モスク+イスラム美術館だったのだが、ブルーモスク+Kompleks Taman Seni Islam Antarabangsaという モスク近くの博物館に変更した。シャーアラムからKLに750番のバスでパサセニに戻ってきたのは、2時前になっていた。なまこ石けんを娘さんにも買うことになったので、もういちどセントラルマーケットへ。売り子さんが昨日買ったのを覚えていたのが凄い。(笑)さあ、そこから、残る体力を考えながら、とにかくマスジットジャメ駅へ。KLCCに向かうはずが、間違ったようで「SOGO」(日本のそごう百貨店である/今は日本的なものは名前だけになっている。)が見えてきた。あわてて降りたのだが、ツインタワーの写真も撮れたし、私が飲ませたかった「マンゴースス」も飲めたのでノープロブレムである。最後はまたまた歩いてパサセニから650番で、T先生はミッドバレー、私たちはタマンデサに戻ったという1日だった。

妻の言。「やっぱり、大きさで威圧されるのは、ブルーモスクやで。」たしかに、T先生は大興奮していた。…大きいことは良いことだ。初めて訪れるモスクとしては、刺激が強すぎるかもしれないが…。ガイドのおばさまもいい方で、比較的分かりやすい英語だった。日本人が多いからか、日本語の単語を多用されていた。驚いたときのマレーシア語と日本語は同じなんだそうだ。(笑)
Kompleks Taman Seni Islam Antarabangsa
もうひとつの長い名前の博物館は、ムハンマドの一生を展示していた。なかなか面白かった。展示方法もかなり工夫されていた。靴を脱いで展示物を見て歩くのも初めての経験だ。ムハンマドの一生だものなあ。カーバ神殿の3D展示は驚かされたし、ヒラ-の洞窟で、天使ガブリエルの声を聞くコーナーには苦心の跡があったし、野外にわざわざムハンマドの生家も作られていた。(ガイドのオジサンの英語は少しわかりにくかったけれど、極めて人柄のいい方だった。)さらに、イスラムの習字の展示もあり、書道も心得ているT先生はこちらに大感動していた。「シンメトリーは美しい。イスラム文化は凄い。」とはT先生の言。そう言って頂くと、連れてきたこちらも嬉しい。
カーバ神殿の3D展示 凄い。
ヒラ-の洞窟展示 天使ガブリエルから…
「RM5の幸せ」とは、私のマンゴースス(マンゴージュースの牛乳わり)を、沢木耕太郎風に表現した言である。今日は、曇天だったがやはり、美味い。日々の糖尿病対策を忘れるほどの美味。と、まあ今日も1日よく歩いたのだった。(笑)

2018年12月26日水曜日

東京からT先生来馬

古くからの友人のT先生が、今朝マレーシアに到着した。初の海外旅行であるそうだ。2泊3日という短期間だが、楽しんで頂くために妻といろいろ行程を考えていた。最終日は、PBTを案内する予定である。

今日は、エクスプレスで到着したT先生をKLセントラル駅でキャッチした後、一度ミッドバレーのホテルに案内して荷物をあづけた。それから、お粥の朝食を取り、バスとモノレールを使ってブキッビンタンへ。地下鉄でパサセニに向かい、中華街へ。ここで定番のエコノミーライスの昼食。道教とヒンドゥー寺院を見た後、セントラルマーケットへ。650番のバスで、我が住処に寄って貰い、タマンデサを散策、スーパーやフードコートを見た後、650番のバスでホテルに戻り、ミッドバレーのメガモールを案内したという行程。昨日は深夜便だったし、かなり引っ張り回したので疲れただろうと思う。

とはいえ、見るもの聞くものが初体験で、大いにエキサイトな1日だったと思う。今晩はゆっくり睡眠をとってもらいたいところである。T先生の口から、沢木耕太郎の「深夜特急」の話が出てきた。中華街で値切っていた時である。外国旅行とは、こういうものだろうという概念が、沢木耕太郎によって形成されていて、それを追体験する様は、まさに私の初外国旅行であったアメリカ行と同じである。(笑)

ちなみに、T先生は私へのお土産に、沢木耕太郎の新刊本「銀河を渡る」を重いのに持ってきて頂いた。なによりのお土産である。ありがたい限りだ。

2018年12月25日火曜日

クリスマスの日に。

ミッドバレー・メガモールのセンターコートにはサンタクロースが…。
私は、ブディストなので、クリスマスとは無関係である。ムスリムの多いマレーシアでも無関係な人々が圧倒的なのに、マレーシアは今日は祝日である。
商業施設はこれ幸いとセールを行い、盛り上がっている。凄い人出だった。明日、東京から友人のT先生が来るので、電球(2つも切れていたので…。)を買いにミッドバレーに夫婦で行ってきた。50%引き、75%引きと書かれていると、つい財布のひもも緩みがちだが、結局必要なもの以外は買わずに帰ってきた。(笑)

帰宅後、運動もかねて、タマンデサのショップロットにおいしい食パンを買いに出かけた。対応してくれたのはマレー系の女性だったのだが、「メリークリスマス」と言われて、ビックリした。(笑)マレーシアは、多民族社会である。他の宗教に対しては、距離を置きつつも寛大である。ところが、良く観察してみると、我がコンドミニアムのツリーにも、ミッドバレーのツリーにも十字架はない。この辺が、マレーシアの節操であり、決して無制限ではないわけだ。面白いなと思う。

ところで、2019年の干支は猪。中華系では猪は「豚」になる。さすがに、ムスリムの忌避する最大の動物である。今年の戌もムスリムが嫌う動物なので、商業施設における正月のデコレーションでは、かなり控えめだったが、来年はそれ以上に配慮するのではないかと思う。ちなみに酉年は凄いデコレーションで、びっくりしたのだが…。

2018年12月24日月曜日

現時点で韓国の問題を考えるⅥ

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日韓関係は好転するどころか、さらに悪化している。日本海での韓国海軍によるロックオン事件である。真偽のほどはおそらく謎のまま終わるような気がするが、韓国は自国の非を認めようとしない。わかりやすいウソをついていることは素人にもわかる。実は、こういう行為は、日本人の最も嫌悪するところである。すでに両国は、短期間の間に修復不可能な地点まで、来てしまったような気がする。

ネトウヨの人々は、「憲法第9条があるから、完全に舐められている」「次やったら攻撃すると言うべきだ」とか「断交!断交!」とか、まるで布団を叩く引越オバサンのように、ネット上で騒いでいる。正直なところ、私もひどい話であると思う。

ここにきて、日本の頼みの綱であるアメリカが頼りにならない事に、私は大きな危惧を抱いている。シリアからの撤退は、中東に於けるアメリカの影響力をかなり失うだろうし、イランがイスラエルに攻め込む可能性もずいぶん高くなった。(リンク集にあるオリーブ山便りに詳しい。)この決定も、トルコのエルドアン大統領との電話中に、周囲との協議もなしで決めたらしい。信じられない軽率さだ。トルコは、クルド人の勢力に危機感を抱いていて、まさにアメリカはクルド人を裏切った格好になっている。アメリカ・ファーストの軍事費削減は、世界戦略を無視した大統領閣下の不動産業的な商売のやりとりの延長線上にある。韓国からも米軍は撤退する可能性は高い。日本はますます窮地に立たされるだろう。しかも、大統領閣下を止める者がいない今、支持率拡大のために何をするかわからない。

これだけ日本を怒らせた韓国に、何かあったとき、日本は支援するのだろうか?隣国の大統領閣下もまた、米国大統領閣下と同類と言わざるをえまい。

最後に、何度も述べているが、在日韓国人の人々と、半島の反日教育に犯された人々を同類と見なすことは間違っている。在日の教え子諸君、友人諸氏に告ぐ。強い心で、半島の人々と同じではないことを主張すべきだ。これだけナショナリズムが高揚するとさすがに危険だ。歴史がそれを教えてくれる。

2018年12月23日日曜日

今年この1冊 2018

山塞企業の模造品スマホと本物 https://chinese-homepage.com/modules/d3blog/details.php?bid=189
今年のこの1冊は、「その日暮らしの人類学ーもう一つの資本主義経済ー」(小川さやか著/光文社文庫・2016年7月)に決まりである。日本人会の無人古書コーナーで、他にも良い本に多く巡り会ったが、日本で購入した比較的新しいアフリカの研究書であることがまず理由の1つ。もう一つは、現在の米中貿易戦争を読み解く鍵を与えてくれていることである。

アメリカの大統領閣下の対中国貿易戦争のきっかけは、先端IT技術の模造品への危機感である。山塞企業を野放しにする中国はけしからんというわけである。先進国が進めるグローバル経済にとって、これは当然ながら正義であろう。この本は、下からのグローバル化をタンザニアの都市零細商人の目と、中国の模造品市場から解き明かしている。

資本主義の発展は、脱テリトリー化(資本および労働が土地との結びつきを失い、商業取引という別の空間に持ち込まれること)と、国家によるテリトリー化と商業取引の規格化(商取引の正当性を裏付けるための規格・基準の策定、特定の商法を事実上排除するための規格・基準の策定)という2つの弁証法的な動きにより生じた。(引用されているこの文章は、ドゥルーズとガタリの議論を参考にしているらしい。)
こうしたフォーマルなシステムから押し流された、似て非なる領域がインフォーマルな領域であり、その日暮らしと海賊的な領域が潜んでいる。(P203~204)

…ドゥルーズ・ガタリの哲学における脱コード化は、見事な預言だったわけだ。アメリカ大統領閣下には、おそらく理解不可能な論議ではなかろうか。閣下の主張する正義は、構造的暴力を伴う。即ち圧倒的な経済格差が、途上国には存在する。しかし彼らは、インフォーマルな領域で模造品を手に入れることが可能になった。模造品であるとはいえ、スマホの機能を安い価格で享受できている。このことを悪であると決めつけることには、議論があるだろう。

…開発経済学が、このインフォーマルな領域を認めるか否かは、私にはわからない。ジェネリックの薬品が国際的に認められたこととは、開発された時差などの状況は異なる。(ジェレリック薬品は開発から時間が経ち、開発者は十分な利益を得た後で認められたが、スマホは、即座に模倣される。)かなり分が悪いことはたしかだ。

…このグローバル資本主義経済の脱コード化、インフォーマルな資本主義をどう理解すればいいのか、先進国の構造的暴力を伴う「正義」から切り捨てるのはたやすいが、論議するに値する重大事であると私は思う。

2018年12月22日土曜日

現大統領閣下は何者なのか?

http://time.com/5303844/
donald-trump-king-cover/
久しぶりにアメリカ大統領閣下のことをエントリーしようと思う。ホワイトハウス内で要となってきた最大の「大人」・マティス国防長官が2月に辞任するそうだ。その辞表も公開された。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39229940R21C18A2000000/

シリアからの撤退を三軍の長である大統領閣下が独断で決定した。国防長官は「世界の警察・アメリカ」は否定しつつも、同盟国との関係を重視することに努めてきたようだが、イラン、NATO、アフガンなどの問題で対立。辞任に追い込まれたようだ。大統領閣下を押さえ込むだけの「大人」は、もういなくなり、大統領閣下の思うがママに進む可能性が高くなった。日本にとっても、北朝鮮・中国、そして韓国とまで軍事的な問題が起こりつつある昨今、大きな懸念材料である。

ところで、先日読んだ「米中論」(田中宇著:光文社新書/2002年6月)。少し古い本なのだが、アメリカの政治を中国との関係で説いている。アメリカの歴代政権は、親中国の資本家と、かのアイゼンハワーが指摘した産軍複合体(軍事産業とCIA・軍が戦争を通じて自己の権力や冨を拡大しており、アメリカの国益とは別の動きを見せているとアイクは退任時に述べている。)のせめぎ合いが続いてきた、とある。

WWⅡから見れば、親中国の代表は何と言っても、F・ルーズヴェルト。トルーマンもその後に続くだろうが、冷戦の開始とともに、アイクを悩ませた産軍複合体の力が強まる。ケネディは民主党で完全な親中国資本家派である。(彼の父親は、大恐慌時前に株を売り抜けて大儲けし、F・ルーズヴェルトの大統領選支援を行い、英国大使になっている。)しかし、キューバ危機やベトナム内戦激化などの国際情勢下にあって、産軍複合体を押さえ込むことはできなかったようだ。彼の暗殺については様々な真の容疑者候補が挙げられているが、産軍複合体もその中のひとつである。(当然ながらこの暗殺事件は謎に包まれたままである。)副大統領でケネディの後を継いだジョンソンはベトナム戦争に本格的介入を行った。(一方で公民権運動を受け、黒人差別解消に一肌脱いでいる。)かなり、産軍複合体の影響力下にあったといえるだろう。その後のニクソンは共和党ながら、親中国派に担がれ、やっと当選できた。米中の国交回復は彼の手で行われたが、産軍複合体の陰謀?でウォーターゲート事件で辞任することになる。その後も親中国資本家対産軍複合体の戦いは続いたと言われている。

…この考察は正しいと思われる。(様々な国際情勢の変化があるので)以後の大統領をステレオタイプ的に色分けはできないが、アメリカ政治の一つの視点であることは間違いない。さて、現大統領閣下である。彼は、反中国で、反産軍複合体なのだろうか?全く読めない。親中国なら、今の貿易戦争は何だ?ということになるし、先端情報技術を護る行動なら、長い目で見て資本家側だとも言えなくもない。世界の紛争地域から米軍を引き上げている姿からは、反産軍複合体ともいえるが、F35を売ることには熱心だ。とはいえ、今回の国防長官の辞任に見られるように、世界的な構想をもっているとはとても思えない。

…現大統領閣下は何者なのか?ただの…。

2018年12月21日金曜日

PBTの話(83) EJUスコア

我が住処から見たある日の夜明け
EJU(日本留学試験)の結果が来た。私にとっては4月からの総決算の日でもある。朝からF40Aの学生諸君がやってきて、自分でスコアを開けるのが、PBTの伝統である。

今回クラスで15人が受験したのだが、日本語は世界平均245点/400点に対し、クラス平均が317点。私の教えた総合科目は、世界平均123点/200点に対し、142点であった。

日本語の方は、11人が300点を超えた。最高点は364点。担当の先生方からも満足の笑みが溢れたのが嬉しい。総合科目は、私が目差した140点クリアーが、8人。最高点は189点。184点と続く。EJUの直後にみんなが口を揃えて、「難しかったです~。」と言っていたわりには、カントではないが、Das ist gut.と言うところである。

進路指導上の変更は無し。それぞれが志望校に向かって新たな戦いを始める。私としては、ちょっと肩の荷が下りたわけだが、面接指導や小論文指導にも関わりながら、全員の合格を祈っていく日々の始まりでもある。

2018年12月20日木曜日

PBTの話(82) 卒業式 2018

恒例の卒業生の歌 なかなかのクオリティだった。
F40私費生の卒業式である。本格的な受験を控えての卒業式であるし、EJUの結果もその後届いたので、明日またみんなが来る。なんとなく奇妙な感じではある。とはいえ、卒業式であるので、当然ながら感慨無量である。昨年もそうだったが、いつも学生諸君が自立し、成長した姿を再確認できる場である。今年の最後を飾った卒業生の歌は、「手紙」。男女の混声合唱で、しかもコメントが入る演出もあって、実に見事だった。ピアノ担当もしながらみんなをまとめたJ君やB組のT君らの労を心から労いたいと思う。「人生、イロイロ、島倉千代子」(いろんな人間がいるということ。それを知るのが人生であるの意。)である。

今年も我がクラスから答辞の学生を出した。L君である。温和でまじめな彼が、聴衆を沸かせた。それが嬉しいし、大きな経験を積んだと思う。最優秀の学生も出せた。J君である。さらに皆勤の学生が2名。K君とEさん。さらにラザク奨学金をYさんが頂けることになった。昨年は、スーパー優秀だったI君が皆勤以外全て独占した格好になっていたが、今回は多くの学生に栄誉が与えられた。このことが、F40Aを象徴しているような気がする。表彰されなかった学生の中にも多くの人材が育っていたし、F38Aとはまた違う意味で、いいクラスだったと思う。
ちょっと見にくいが、黒板にS先生への感謝のコトバを書いて記念撮影
最後のHRで、記念写真を撮った。お世話になったK先生やH先生も交えてまず撮った後、4月まで担任をして頂き、今は東京におられるS先生への感謝を込めて黒板に記した上で写真も撮った。こういう人情の機微を最後に教えることができたように思う。

そうそう、今回の卒業式では、「理想に生きることをやめた時、青春は終わる」という私の座右の銘を言わなかった。というより、(忘れてしまって)言えなかった。健康面で不安をもっているからかもしれない。来年からは、あと1年、あと1年と踏ん張りながらの教師生活になるような気がする。理想に生きることはやめるつもりはないが、無意識層で、「青春」というコトバを使うには、ずいぶんと弱気になっている自分を再発見した次第。文集の原稿には、やっぱり座右の銘を書くつもりだが、なんとなくフィットしなくなった自分がいることはたしかだ。

ともかくも、卒業式に関わって頂いた、来賓の皆様、PBTの教職員、保護者の皆さん、そして式場作りをして頂いた日本人会のワーカーさん、全ての方にあらためて感謝をしたいと思う。一人の力は小さなものだ。多くの人々の力を結集することで、大きな力となる。人間は傲慢であってはならない。このこともF40Aのみんなに伝えておきたいことである。

2018年12月19日水曜日

現時点で韓国の問題を考えるⅤ

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54941
在米の韓国の人々が、旭日旗を想起させるという理由で、CA・LAの公立学校の壁画の撤去を求めていた問題。全米からの批判を浴びて市当局は撤去の決定の撤回を余儀なくされたという。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55009

当然の話なのだが、まだ自由の国アメリカの理性は健在だったというわけだ。
まず、この学校の名前にもなっているJFKの肖像画を描いた著名な画家が、「この学校の生徒も教師も壁画を残したいと言うことを知った。もしこの壁画を撤去するのなら、私の壁画も撤去してもらいたい。自分の作品に誇りを持っているが、芸術を守り、一人の同僚を守るためなら、自分の絵を撤去してもらうしかない。」とメールを教育委員会に送ったことが発端らしい。

さらに、教育・言論の自由を求めるNGOが動いた。ヘレンケラーが創設したACLU、全米の学校長が名を連ねるAASAである。「この壁画を撤去することは、学校で学ぶ生徒達が多様な考え方や見解に接するアクセスを一方的に査定し、許可不許可を決める公共の圧力に屈する危険な前例をつくりかねない。」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54941

儒家のカイコンプレックスから、韓国独自の「物語」を反日教育の中で熟成した結果生まれた、物語の中で生きている人々への、至極まともな見解であると私は思う。アメリカもかなり、その異常性について認識を深めたように思う。

私は、ネトウヨではないし、批判をして喜んでいるわけではない。しかし、いつまでもこのような物語の中で生きていては、世界の中で孤立するに違いないと思う。日本国際理解教育学会で、何度かお会いした韓国の国際理解教育学会の先生方の、自国への憤懣を思うと胸が痛む。

2018年12月18日火曜日

PBTの話(81) 古典落語?

日本人会の無人古本コーナーで、「古典落語」(興津要編:講談社学術文庫/2002年)を見つけた。もちろんRM1(今日のレートなら26.89円)である。ちなみに定価1250円。21編の江戸落語が収められている。

明烏から始まり、目黒のさんま、時そば、芝浜、寿限無、らくだ、子別れなど、江戸落語にはあまり縁のない私でも知っているような落語も多く、いつかマレー系国費生の授業でも使えるかもしれない、と思ったのだ。

今年のF42の国費生の反応は、まだ日本語・初級を終わった段階なのに、なかなか良い。こちらも、難しい単語を使えない分、パワーポイントの画像を見せながら、簡単な英語やパフォーマンスを駆使しているので、こちらの熱意が伝わるらしい。この辺は、日本もマレーシアも関係ない。いやマレーシアの方が、内容が新鮮なのでよけい伝わるのかもしれない。今、各都道府県の紹介しているが、岩手県の「わんこそば」や群馬県の草津温泉の「湯もみ」の画像でクイズ形式にしたり、福島原発では、東北大震災の体験談などを語っている。

今日の2回目の授業の最大のポイントは、日本の四季、その無常観みたいな話である。桜吹雪などというコトバに、皆興味津々である。なかなか授業をしていても楽しいのである。私が楽しまなければ、学生が楽しいわけがない。教師は最大の教育環境である。

2018年12月17日月曜日

PBTの話(80) InfoDay

毎年恒例のインフォデーの日である。一昨日からKLCCやミッドバレーで行われた留学フェアから、引き続きPBTに大学や専門学校の方が来られて、一般の方、本校の1年生などが集まり、様々な情報を集めるというイベントである。F40Aの学生諸君も通訳として、多くのブースに配置されて頑張っていた。私はというと、昨年お世話になった大学や、今年お世話になる大学の先生方にご挨拶をして名刺を配っていた。(名刺はこんな時以外使う時がない。笑)

ところで、土曜日に病院に行って、血糖値の数値が異常に高いことが判明した。先日エントリーしたが、マレーシアの血糖値の値は日本とは違う。日本は100が基準値だが、マレーシアの数値は「×18」すると、日本の数値になると教えて貰った。たとえば、17.2なら×18=309.6となる。ゲゲゲ。入院か、インシュリンを打つハメになりそうな数値だ。私が、昔々こんな血糖値が出て、糖尿病正規軍となり、大騒ぎになったのだった。これは極めてヤバイのである。

いろいろ考えたが、食事面は妻に任すとして、とにかく運動しなければならない。できるだけ歩こうと決意した。昨日は、診察券の予約の月(1月なのに12月になっていた。)が間違っていたので、書き直してもらいに夕方に病院まで往復した。往復で20分。ゆるい坂道なのでけっこうな運動になる。すると、夕食前に計ると、7.6に下がっていた。おおお。日本の数値に直すと136.8である。十分に糖尿病正規軍の数値ではあるが、これまで同じ夕食前で平均で17~20だったので、大変化である。

で、今日は、650番のバスに乗らず、同じ600番台のバスで、タマンデサにはいる道の手前のバス停で降りて、歩いて帰ってきた。病院よりもう少し距離がある。約15分なのだが、坂道を登る。しかもスコールが来そうだったので早足で汗をかきかき帰ってきた。で、計ってみると5.5だった。日本の数値に直すと99。これは正常値ではないか。効果テキメンとは、まさにこのことである。なんか嬉しい。そんなインフォデーな1日だったのだ。
…ちなみに、今日から夕食は「お粥」になった。

2018年12月16日日曜日

NY中華街の林則徐の銅像

https://ourlifeisajourney.net/2015/02/chinatown-nyc/
先日読み終えた「米中論」(田中宇著:光文社新書/2002年発行)に面白い話が載っていた。最後のエピローグの章に、ニューヨークの中華街に立っている「林則徐」の銅像があるらしい。(上記画像参照)
林則徐と言えば、アヘン戦争のきっかけを作った人物であることは、ちゃんと世界史を学んだ日本の高校生なら周知の人物だ。つまり、欧米列強に強烈に楯突いた人物である。これが、中華街とはいえ、NYのアッパータウンに堂々と立っているというのが、ある意味凄い。この土台の下には、英語と中国語で「麻薬取り締まりの世界的先駆者」とあるそうだ。道行くアメリカ人は、麻薬に悩むNYにふさわしい銅像だと思ってしまうだろう。しかし、「林則徐」を知っている中国人が見れば、NYの中国人は、愛国心を忘れていないと感心するという。中国人の巧みな思考で、アメリカとの友好と自国の尊厳を両立している、と著者は感じたという。…なるほどである。

この新書は、国際情勢を読み解くには、15年以上前の本なので、米中の関係性について書かれてはいるものの、かなり古く感じるのはやむを得ない。だが、このような面白い話がいろいろ載っていて勉強になった。

さて、銅像と言えば、ガーナの首都アクラのガーナ大学に設置されていたガンジーの銅像が撤去されたとAFPが伝えている。なんでも、ガンジーは「インド人がアフリカ系の黒人よりはるかに優れている」と記した文章があるそうで、この動きはマラウイなどアフリカ諸国にも拡がりを見せているようだ。
http://news.livedoor.com/article/detail/15746058/

銅像というものは、複雑である。全ての人が納得できるような銅像というものはなかなか無いようである。最近は、太陽の光の壁画にさえ嫌悪感を感じる人もいるようで…。そこまでいくと、さすがにオカシイというのが、国際的な常識であろうと思う。

2018年12月15日土曜日

韓国の歴史教科書の話

https://jp.wsj.com/articles/SB10171014995452453472504581168050556874660
先日、たまたま「大世界史」(池上彰・佐藤優/文春文庫)を日本人会の古書コーナーで見つけた。ちょっと再読してみようと思って、例によってRM1で購入し、拾い読みしていたら、韓国の歴史教科書のことが出てきた。佐藤優の言。

中国や北朝鮮は、社会主義国なので、唯物史観に添って書かれてある。(日本の歴史教科書も、下部構造の変化が上部構造を変化させるというスタンスである。)だが、反共国家の韓国はそういう歴史観がない。「テロリスト史観」で貫かれ、「我が国の先達はここまで追い詰められ、テロをせざるを得なかった」と延々綴られている。だが、伊藤博文を暗殺した安重根の扱いは意外に小さく、1923年に天皇の暗殺を企てた朴烈、台湾で日本の皇族を刀で襲った「義挙」を行った趙明河、1932年天皇の馬車に爆弾を投げた李奉昌の方が扱いが大きい。伊藤博文は首相であるが、天皇や皇族など、より大きな玉を狙った者がたとえ失敗しても偉大だとされている。(高等学校 韓国史/志学社)
文明国において、テロによって現状を打破する試みを褒め称えることは通常考えられない。しかし韓国は「恨」の文化といわれるように、教科書も怒りに突き動かされてつくられている。

今日、島根県の中学校に、41通の竹島教育を批判する葉書が届いたというニュースが流れた。教育関係者の端くれとしては、なんともやりきれない話だが、こういう事実に即した歴史教育を受けていない教師とそれを再生産されている児童生徒は哀れである、としか言えない。https://snjpn.net/archives/84488

先日も書いたが、韓国は、儒家のカインコンプレックス(同じ東アジア・儒教圏の中で韓国は兄、日本は弟であるのに、弟の方が何かにつけ優位で、一時は併合された歴史がある故に、長幼の「礼」に反しているという感情を意味する。11月27日付ブログ参照)がある上に、「日本の植民地となって苦しんだ。」という『物語』を作って、その物語の中に生きているように思う。

まだまだ勉強不足だが、調べてみると、韓国併合は、欧米のえげつない植民地支配とは、かなり違う。私は、インフラや社会基盤の整備・近代化と共に、特に教育面で大きな貢献をしていると思う。識字率を大いに向上させていることは、欧米とは全く違う。(植民地支配では、被支配者は無学の方が都合が良いからだ。)ところが、韓国の場合、民族語の朝鮮語を必須としており、朝鮮半島の開発を進めるための教育だったことが明らかだ。あるいは、教育の整備を国民皆兵を狙ってかと思ったが、意外にも彼らが兵士として参加したのは戦争がかなり進んでからのことで、しかも(日本人に比べ)圧倒的に少数であるし、士官学校に学んだ人々もいたようだ。イギリスがインド兵やケニア兵を戦争で大動員したのとは全く違う。優遇とまではいかないが、様々な権利面でも比較的よくやっているように思われる。(あくまで欧米と比較しての話。日本も当時は人権などはかなり酷かったわけで…。)さらに、日本の国民として国会の議席を選挙で有した者もいるようだ。

おそらく、韓国の人々は、そういう併合時の事実を知らない(教えて貰っていない)だろうし、国交回復後の日本のODAなども知るまい。自分たちの作った「恨」の『物語』の中で生きているわけだ。島根県の中学に送られてきた葉書の件はこういう背景があると理解した上でも、この件は国際的に見てかなり『異様』だと、言わざるを得ないと私は思う。

何度も主張するが、在日韓国人の人々は、こういう『物語』の中で生きているわけではない。日本の教育の中で、事実をちゃんと認識している。半島の人々とは、はっきり区別して欲しい。韓国の異様さを批判することは、もうこの時点では当然かもしれない。しかし、在日韓国人の人々を同列に扱うことはおかしい。私は重ねて主張したい。私は、今回の韓国問題に関係のない、多くの在日の教え子や知人を護りたいと願っている。

2018年12月14日金曜日

マサイは戦闘民族?

マサイのルカ君
https://rocketnews24.com/2018/12
/13/1151288/
今年の4月15日に、マサイの本を購入したことをエントリーした。当然ながらすでに読破しているのだが、エントリーするタイミングを逃したままだった。なぜなら、私は一時期、マサイの文化に凝ってだいぶ調べたことがあったので、周知の話が多かったからだ。これは、と思ったのは、ケニア警察とマサイが衝突した話。所有地をめぐっての話なのだが、マサイを怒らせない方が良い。

ケニアで、かのピーター・オルワ氏(昨日のブログ参照)がこんなことを言っていた。「ケニアが独立戦争を起こしたとき、その中心はマジョリティのキクユ人だった。その後、キクユの代表としてケニヤッタ大統領(今の大統領の父親にあたる。)が生まれた。だけど、もし、マサイが立ち上がっていたら、マサイから大統領が生まれたハズだ。なぜなら、彼は最も強いから。」うーん。記事によると、ケニアの警察もかなり腰が引いていたらしい。マサイは、ケニアの戦闘民族なのだ。(笑)

ところで、昨日、新しいマサイの記事が出ていた。ルカ君が、パスポートなしで外国に行けると言っている話だ。実は、これもすぐ謎解きができる。ケニアとタンザニアには、当然国境があるが、マサイは移動が自由だ。なぜなら、昔からのマサイの土地に国境線が引かれたわけで、どちらの政府も戦闘民族マサイと争う気がないからなのだ。しかも、ここは、両国の国立公園でもある。ケニア側は、マサイマラという名前で、タンザニアはセレンゲティという名前だ。この2つの国立公園は実は1つなのである。
https://rocketnews24.com/2018/12/13/1151288/

久しぶりに、アフリカの話をエントリーした。このトコロ、月に1・2回に減っている。故ピーター・オルワ氏が、「センセイ、アフリカヲ忘レテハ、ダメネ。」と、この前の夢で言っているようだ。(笑)

2018年12月13日木曜日

”Janbo bwana”な夢のお話

故ピーター・オルワ氏
2003年 ナクルにて
一昨日の夢の話を、今日はエントリーしようと思う。なにかのイベントで、私はシャンベ(アフリカの太鼓である。)を探していて、結局、関西空港で買った(今自室にある)ミニチュアのシャンベ(直径10cm・高さ20cmほどしかない。)しか見つからず、これを叩きながら、ケニアの代表的な歌「Janbo bwana」を歌い出すのだが、歌詞が途中から出てこない、困ったなあと思ったら、スーツ姿の今は亡きピーター・オルワ氏(2003年JICAの高校教師のケニア研修旅行時のコーディネーター:オリンピックメダリストでもありボクサーでもあり、本も書いているし、サントリーのCMソングを歌う歌手でもあり、日本語が堪能で旅行業も手がけていた。)を観客の中に発見し、彼を舞台上に呼び出して、いっしょに歌い、そして大きなシャンベを叩いてもらい、安心したという夢だった。

この「Janbo bwana」、長いこと歌っていなかったので、本当に歌詞を少し忘れていた。
https://www.youtube.com/watch?v=vUrVeRGo5IM

この夢、私の無意識下を知る上で、どういう意味があるのだろうか。先日、F40Aで哲学の最終講義をしていて、フロイドの時、「夢判断」について少し話していた。ちょうど日本人会の無人古書コーナーに、(フロイドの弟子である)ユングの研究者が書いた「夢の事典」(鞭羊子著:日本文芸社/平成13年発行)があった(当然RM 1の価格である。)ので購入し、次の授業時に、実際に夢判断の臨床をやったりしていたのだった。ちょっとユングの話もしたはずである。

で、私の夢をこの「夢の事典」で調べてみた。該当する項目はあまりなくて、「太鼓」くらいである。太鼓は自己主張の手段のひとつだ、と書いてある。自己主張をしたいことを示しているらしい。そう言えば、このところ授業以外では、自分を常に抑えているような気もする。一方、同姓の友人は、ユング心理学では、「シャドウ」というらしく、隠された自分の姿を暗示しているらしい。ピーター・オルワ氏が夢に登場したことをどう判断すればいいのだろうか。この所、マレーシアや韓国・米国・中国などのアジア情勢に思考が向いている。アフリカのことを忘れているのではないか?という自己の無意識内での葛藤が現れたと見るべきなのかもしれない。

2018年12月12日水曜日

PBTの話(79) D組の礼拝

https://seekerselite.com/benefits-of-reciting-surah-al-fatihah-the-opening/
1限目は、F42・D組の二度目の授業だった。パワーポイントを使うので、早めにプロジェクターを設置しに行ったら、みんな礼拝をしていて驚いた。とはいえ、これはモスクやスラウ(礼拝所)で行う日に5回の礼拝ではなく、D組が独自に教室で任意に行っているものらしい。もちろん、全員がキブラの方向に向かっているわけではなく、前を向いていた。

もちろんアラビア語なので、クルアーンのどの章を読んでいるのかはわからない。後半は、音韻をつけていたので、まるで賛美歌のように聞こえた。最後にアーミーンと言ったようにきこえたので、第一章ファーティハ「扉」だったのかと思う。ん?「扉」の章は最初に読むはずなのだが…。よくわからない。JPA生は、試験の前などにもみんなで輪になって祈りを捧げる。この任意の礼拝、実に興味深い。

もう一度、礼拝についても、きっちりとした理解をしておこうかな、と思う。敬虔な学生も多いようだし。その時は彼らが先生、私が生徒である。(笑)

2018年12月11日火曜日

PBTの話(78) F42 初授業

今年の1年生、F42は文系4クラス体制なので、私もF42のJPA生(マレー系の国費生)の授業を受け持つことになり、昨日から授業が始まった。例年は、相棒のT先生がこの時期、地理を担当していただくのだが、4クラスともなると、社会科教員2名で、私費2クラス・国費2クラスを分担しなければならない状況下に置かれたわけだ。12月といえば、国費は日本語初級を終えたあたり。日本語能力から言えば、EJUを目差した総合科目の文章や語彙にはとうてい追いつかない時点。私は、これまで4月からしか教えた経験がない。まさに今まで経験していない未知の領域なのだが、体当たりでやることにした。
自己紹介の後、マハティール首相が、マレー系学生が中華系やインド系の学生に比べて学力の差があり、それを嘆いて涙するという話(2017年4月5日付ブログ参照・上記画像参照)をした。以前から、最初にこの話と、先日の20周年パーティーで出会ったOBの話(日本留学後、日本国内で働き、現在は帰国し、日系企業で会社のために働く人材を苦労しながら育てているOBの話である。)をしようと考えていた。
ただ、これらの話は、理解して貰わねば意味がない。Googleの翻訳アプリに、文章を入れ、英訳した。それをパワーポイントの画像と共にWordに入れ込んだ。テキストに英文を入れたのは、初めてである。(笑)日本語の補完として役立ったようである。

ともあれ、昨日のD組も、今日のE組も、真剣に受け止めてくれた。もちろん自己紹介の中では、面白い話もたくさんしたし、まずは順調な船出といところか…。彼らとは、さ来年の1月まで付き合うことになる。なかなか良い学生たちだ。これからが実に楽しみである。

2018年12月10日月曜日

現時点で韓国の問題を考えるⅣ

https://twitter.com/polandball_bot/status/913376233081073669
12月24日は、大変なクリスマスイブになりそうである。例の徴用工と韓国が名付けた問題で、弁護士が新日鉄住金の資産差し押さえをするという発言に、日本政府は強攻策をとらざるを得ない状況になった。どういう措置がとられるかはわからないが、大きな破局点になる可能性が高い。文政権は、かなり分裂症気味である。当事者能力はあるのだろうか。同時に米国が軍事費負担の大幅増を請求しているし、米韓同盟も危うい。韓国経済もかなり厳しいようで、支持率はかなり下がってきた。しかも、米中の経済戦争はファーウエイ問題も巻き込んで、ぐちゃぐちゃになってきた。

様々な評論が世に出ているが、面白い視点だなと思ったのは、佐藤優の、韓国は無意識にこの日韓条約破棄を不平等条約だと信じているのではないか?という視点である。

日本が結ばされた、幕末の不平等条約を想起させるのだが、これは、韓国の人々が、反日教育で構築した「物語」であると私は思う。国立外交院の趙氏の言などは、その最たるモノだ。「国際法も変わった。」などという主張は、まさに「物語」。その形而上学的な(実証できない)発言には、あきれかえってしまう。これは一般人の発言ではない。一国の外交のプロの発言である。
http://news.livedoor.com/article/detail/15708115/

冷静に歴史を見ていくと、「日韓併合・植民地支配」という言葉のもつシニファは、かなり悪印象だし、そのシニフェの実態は、そのシニファの印象とはかなり違うようだ。GHQの元職員のYouTubeを見ると、日本統治下の韓国は、インフラ整備、法整備、識字率の向上など、台湾統治以上の近代化を進めている。
https://www.youtube.com/watch?v=MV0BqYhqhyE&t=8s
これはあくまで、数字上の話かもしれないし、統治された人々の感情は複雑だったかもしれない。しかし、理性的に見れば欧米のやってきた植民地支配とは、かなり性格を異にするようだ。しかも日本と国交を再開した後のODAの額も相当なものだ。これらの事実を韓国の人々は反日教育の中で全く知らされてはいまい。教育に携わる者としての実感…教育とは本当に怖ろしいものだ。彼らは、まさに「物語」の中で、別の言い方をすると、反日「神話」の中で生きているように思う。
http://zarutoro.livedoor.biz/archives/51828714.html
戦前の日本では、教育勅語で一般には天皇の赤子としての教育がなされた。軍人も又しかり。しかし、高級官僚は東大で天皇機関説を学び、日本の国体の意味を教わり、その物語から脱皮することになっていた。昭和初期の軍部の台頭は、その「物語」から抜け出すことのない軍人と抜け出した官僚の戦いであり、結局、日本は「物語」化して滅んだ。韓国も又、同様の誤りを犯すのだろうか。

いずれにせよ、何度も主張しているように、私の最大の危惧は韓国の反日「物語」の外にある在日韓国人への批判・中傷である。確認したい。日本で教育を受けた彼らは、反日「物語」の外にある。儒家のカインコップレックス(11月27日付ブログ参照)も持っていない。冷静に判断し、韓国本土の人々と冷静に区別するべきである。在日の韓国人の教え子達や友人のことを思うと、いたたまれない。わが同胞の知性と理性を信じたい。

2018年12月9日日曜日

物流の世界史を読む。(5)

イギリス議会での航海法の決議 https://www.landofthebrave.info/navigation-acts.htm
「物流は世界史をどう変えたのか」(玉木俊明著・PHP新書/2018年1月)のエントリー第5回目。今日は、近世から近代にかけての蘭・英のヘゲモニーについて、まとめて整理しておきたいと思う。
9.オランダはなぜ世界で最初のヘゲモニー国家になれたのか
10. パクス・ブリタニカはなぜ実現したのか

オランダが、最初のヘゲモニー国家(ここでは、経済面でのスタンダードを獲得した国の意味である。オランダの方式が中心となり、これに逆らうと経済的不利益を被ることになる。)となった。後の蘭東インド会社に目がいきがちだが、実はオランダはバルト海の穀物貿易でヘゲモニーを獲得するのである。ヨーロッパの人口は16世紀初頭に8100万人ほどだったが、17世紀初頭には1億400万人に増加。穀物の需要が増した。ポーランドの穀物を地中海を含むヨーロッパ中に運び、オランダは物流の中心となったわけだ。

これに対し、ピューリタン革命時のクロムウェルの時代、1651年に『航海法』を制定する。イギリスとの貿易においては自国船以外を認めないという保護海運政策である。アダム=スミスをして「航海法は、歴代のイギリス政府がとった最も賢明な政策」と言わしめた。この航海法で、イギリスは自国船を増やし、200年ほどで21倍もの船舶総トン数を誇るようになる。国家が、貿易活動そのものを管理するシステムを構築し、20世紀初頭には、総トン数で世界の船舶の半分をイギリスが占めるようになる。イギリスにとって、産業革命は大きな飛翔となったが、蒸気船による海運業の利益が、イギリスをオランダを抜いてヘゲモニー国家としたというわけだ。

…クロムウェルという人物は、決して好印象で語られないことが多いようだ。フランス革命でルイ16世がギロチンにかけられたことは超有名だが、クロムウェルはそれ以前に国王チャールズ1世を処刑している。ちなみにウィキで確認したら、この「航海法」は議会が、クロムウェルが遠征中に可決している。同じカルバン派のオランダと、クロムウェルは対立することに批判的だったと言われる。(イギリスのピューリタンもオランダのゴイセンも同じカルバン派で呼称が異なるだけである。)”クロムウェルの航海法”などというと、少し違うわけで、このあたりも歴史の面白さだと思う。

2018年12月8日土曜日

鄭和の大艦隊 記録焼失の話

11月30日付の『物流の世界史を読む。(2)』で、明の大艦隊が遠征し、一時期中国が海洋進出した話を少しエントリーした。有名な鄭和の大艦隊である。今、読んでいる「米中論」(田中宇著:光文社新書/2002年6月、これも日本人会の無人古書コーナーでRM1で手に入れた本だ。)に、関連の面白い内容があったので、今日はこのことをエントリーしておきたい。

世界一周というとマゼラン(というより、彼は途中死んでいるので、その部下)だが、英の元海軍将校の調査によると、鄭和の艦隊の一部が、新大陸はおろか、オーストラリアや南極にいたる地点に達していたらしい。(残存する航海記録に、彼らが使っていた六分儀で割り出していた位置を確認したとのこと。)この鄭和の大艦隊の、造船技術や航海術はるかにヨーロッパより進んでいたらしい。膨大な航海記録ならびに訪問地の記録があったはずだが、それらはほとんど失われ、遠征の100年後には中国は鎖国同然になる。

この歴史の謎には、儒家と宦官の権力闘争があったらしいのだ。鄭和は、色目人(元朝で漢人の上位にたったペルシャ・トルコ系のムスリム)の宦官であった。永楽帝は、宦官の支持を得て皇帝になっている。鄭和は、その宦官のトップであったらしい。海外進出は、宦官の勢力拡大に繋がっていた。これに対抗したのが、内政重視派の儒家で、永楽帝の死後、勢力を盛り返す。儒家は、宮廷の保管庫にあった膨大な10度にわたる鄭和の大艦隊の記録や文物に放火するという謀略を行ったという。というわけで、記録はほとんど消失したし、中国は海外進出を取りやめ、内政重視・朝貢貿易の再開に向かうわけだ。

…歴史は面白い。私は長い間社会科の教師をやっているわけだが、世界史は専門ではないので、このような初歩的な(?)事実でさえ、面白いと思う。へー、なるほど、こう繋がるのか、という発見こそ知の喜びである。いつまで経っても、知の喜びを追い求めたいものだ。今大学で学んでいる教え子諸君にも、そういう知の喜びを伝えたいと思う。

PBTの話(77) 今年も研究発表

杉原千畝組の結論 千畝役のJ君の胸には名前がまだついている。
EJUが終わり、日本語の授業では、恒例となった研究発表の準備が進んでいて、昨日の授業最終日の2限目から4限目に5組が発表した。お題は、今年も日本の偉人である。担当のT先生と私が相談して決めた。イチロー、緒方貞子、葛飾北斎、杉原千畝、本田宗一郎の5人である。何度か書いているが、今年のF40Aクラスは、経済・経営に進む学生が少ない。芸術系を志望する学生もいて、「葛飾北斎」が入ったわけだ。
葛飾北斎組のパワーポイントの完成度は極めて高かった。
昨年もなかなか良い発表だったが、今年は、パワーポイントが使える設定だったので、さらにグレードアップした印象をもった。特に、葛飾北斎組のパワーポイントは極めて完成度が高かったと思う。杉原千畝組は、彼の生涯を寸劇風に熱演したのだが、その背景としてうまくパワーポイントを使っていたと思う。本田宗一郎組もうまく使っていた。私が大笑いしたのは、タイトルに、国産自動車工場への見学の際、HONDAのTシャツを着てきて話題になったL君(9月入学ですでに日本にいる。)が登場したのだ。イチロー組は少し不利だったかなと思う。マレーシアは野球がほとんど知られていないので説明が難しい。緒方貞子組も、緒方さんへのインタビューという意外な演出(インタビューアーが教室の後方から質問する)を見せてくれた。これもなかなかウケた。

結局、寸劇の熱演が認められ、杉原千畝組が優勝したとのことだった。ともかくも、全員が、熱心に取り組み、クオリティもなかなか高かったので、私は大いに満足している。
研究発表に先立つ1限目、SDGsの討議中
ところで、1限目はAクラスの最終受業。SDGsを語り、今のマレーシアの問題を問うた。2人から4人へと討議を進めたが、(2限目からの準備も考えて)結局時間切れで結論は出なかったけれど、大いに盛り上がった。Bクラスは、最終金曜日の5限目で45分しか時間がなかったので、討論が盛り上がっている中、終了したのだった。(笑)

2018年12月6日木曜日

了解道中膝栗毛

職員室で、最近日本の若者言葉で「了解」の意味で、「了解道中膝栗毛」という語彙が流行っているらしいという話が出た。知的でなかなか面白い新語だ。十返舎一九だな。

ソシュールは「言葉を生み出すことで人間となった。」という意味のことを言っている。まさに、ソシュールを紹介するのに使える。そんなことを考えていたら、ふと浮かんだ。漫才のナイツが「YAHOO」を「ヤホーで調べました。」という鉄板ネタがある。これは、見事なデリダ的な脱構築である。既成の概念をずらすことで笑いをとっているわけだ。フーコーの権力が「知」をつくるという「知は力なり」も、グーグルマップの元・GPSやインターナット、さらにレーザー光線開発から生まれた電子レンジなどの好例が浮かんだりした。

ところで、さっそく妻からの「(日本人会のTという店で)牛乳と卵買ってきて下さい。」に「了解道中膝栗毛」と返信したら、今日の画像が帰ってきた。(笑)うちの妻のLINEスタンプのセンスはなかなかのものだと思うのだが…。

2018年12月5日水曜日

血糖値を毎日計っているが…。

我がコンドから見たタマンデサの街/エントリーの内容とは関係なし
さて、健康上の話。先日エントリーした血糖値を計る機械にようやく慣れてきた。妻に、針を刺して貰っているが、なかなか痛い。(笑)朝は時間との戦いだし、まさか仕事中にはできないので、帰宅後すぐ、夕食前に3日連続で計っている。

ところで、こちらの機械は日本と違っている。日本ならたとえば120とかいう三桁の数値である。低血糖の時は100以下だったりするが…。これくらいは長年、糖尿病と付き合っているので知っているが、こっちでは二桁と小数点なのだ。

一昨日、18.4、昨日20.6、今日19.7…。日本のように×10すればいいのか?それだとかなり高くてヤバい。次の診察時にわかると思うのだが不安である。

ところで、前回の診察時に体重を量った。なんと72kgだった。あこがれの70kg台ではあるが、喜んで良いのかどうか…。かなり筋肉が落ちているようだ。「髀肉の嘆」の反対ですな。

とにもかくにも、血糖値をはかるようになって、糖分の多い食品や飲料を避けようという意識が強く働くことは間違いがない。

2018年12月4日火曜日

PBTの話(76) 今年も哲学講座Ⅱ

西洋哲学史・最後の哲学者デリダ https://www.youtube.com/watch?v=opr9jb1xtSk
哲学講座も、今日で一応西洋哲学史は、構造主義・ポスト構造主義で終了した。今年は、ヘブライズムをかなり詳しく歴史の前にやったので割愛し、心理学の話などを多く入れながら、ソシュール、フロイド、レヴィ・ストロース、フーコー、ドゥルーズ、デリダと講じてきた。我がクラスでは、かなりの手応えを感じたのだった。私の理解や経験値にもよるのだろうが、おそらく今までで最高の出来だと思う。

なんどか書いているが、今年の文系クラスは、あまり経済や経営といったビジネス志向ではなく、教養学部や人部系の学部、社会学部、国際関係、芸術系などを志望している学生が多いのだ。中華系の学生が多いのだが、PBTの歴史の中でも異質らしい。(笑)だから、と言ってはなんだが、反応が良いので、大いに盛り上がりながら、余計な話もたくさんしたのだった。

こういう知的な部分での教師としての満足は、なかなか味わえないと私は思う。とりあえずは、大学の教養課程で、哲学・倫理学・宗教学・心理学などを履修するうえで役には立つと思うのである。明日からは、+αということで、中国思想と仏教もやっていく予定。今年は、6月に国際理解教育をほぼ終了しているので、最後にSDGsを語り、マレーシアの課題は何かを考えさせようかなと思っている。

2018年12月3日月曜日

物流の世界史を読む。(4)

https://www.pinterest.com/
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昨日に続き、「物流は世界史をどう変えたのか」のエントリー。
8.東インド会社は何をおこなったのか について。

英の東インド会社は1600年創設。蘭の東インド会社は1602年創設。ただし、蘭は東インド貿易に関わるいくつかの会社を英に対抗して統合したわけで、蘭の方が早いともいえる。東インドは、ヨーロッパから遠く、何か問題が生じた時にいちいち本国に問い合わせていたのでは間に合わない。そこで国家のようなモノをつくり、軍隊によって商業活動を保護し交易を促進させようとしたものである。つまり、独自に行動できたわけだ。1623年、蘭が英の商館員を殺害するという事件が起こり、以降、英は東インドから撤退し、インドを根拠地とし、オランダはインドネシアを本拠として棲み分けが行われる。

英欄の東インド会社では私的な貿易商人としての活動が認められていた。この私的な利益を求めて東インド会社の社員となる者も多く、先発のポルトガル人や、さらに陸路にもネットワークを持つアルメニア人とも共同した。蘭東インド会社は18世紀には約2万人の社員がいたが、貧困ゆえに活路を求めてやってきたドイツ人が増えていく。両東インド会社は、貿易の独占だけでなく領土経営にも手を出すが、蘭は英との競争に敗れ、18世紀末に解散する。英の東インド会社はそれより早く(1857年)解散するが、それは本国がインドの直接統治に乗り出したからである。これは、蒸気船と電信の発達で、東インド会社がなくとも直接統治が可能になったからである。

意外なことに、ポルトガル人は18世紀になっても、東インドの交易で力を持っていた。故国の国力は落ちたが、カトリックの反宗教改革という宗教活動は、日本での活動のようには、東インド地域では重視されず、現地の金貸しを利用しつつ、中国や日本との中間商人として生き延びていたらしい。

大航海時代を経験し、航海技術に長けたヨーロッパ船が、中国が海禁政策を取っていたが為に、東インドの交易の主力になっていく。いつしかイスラム船は後退していたわけだ。こうして香辛料を蘭が、インドの綿製品を英が担当してヨーロッパに主に運ぶようになる。軍事的に優位だったことが最大の原因ではないわけだ。

2018年12月2日日曜日

物流の世界史を読む。(3)

http://d.hatena.ne.jp/
Hyperion64+universe/20161022
「物流は世界史をどう変えたのか」(玉木俊明著・PHP新書/2018年1月)の書評第3回目のエントリーである。

6.地中海はなぜ衰退し、バルト海・北海沿岸諸国が台頭したのか 

言うまでもなく、地中海は、古代から中世にかけて先進地域だったわけだが、近世・近代には衰退してしまう。その理由を、本書では物流から説いている。これが、なかなか面白い。まずは、「塩」の問題。バルト海は日照時間が短いので、海水の蒸発が進ず、塩分濃度が低い。よって塩を手に入れれない地域だった。一方、地中海は、水の流入が少なく、気温が高く乾燥しているため塩分濃度が高い。故に、塩の輸出地となり、バルト海と結ばれた。
この塩を得るために、バルト海地方では、造船にまつわる資材を、英欄などの西欧諸国に輸出した。「タール」、索具としての「亜麻や麻」、「木材」、碇や釘に使われる「鉄」などである。バルト海沿岸は、森林資源に恵まれ、再生可能な気候であったからだ。しかし、地中海は交易の歴史が長く、フェニキア人以来、沿岸の木材を伐採したため、禿山が多い。そう、地中海沿岸は森林が再生できる地ではなかったのだ。(うーん、レバノンの国旗を連想させる。既に無いのに杉がデザインされている。画像参照)この差は後に造船業に大きな影響を与える。

バルト海・北海地域では、造船業が発達し、イギリスの石炭もエネルギー源として使われていく。地中海は、奴隷によるガレー船が主であったので、時代に合わなくなったといえる。金融面でも、イタリアは銀行制度を発達させたが、為替や貸し付け・投資機能は発展したものの、預金を集め企業に融資する金融仲介機能は発達しなかった。(ヨーロッパで金融仲介機能が発達するのは19世紀。)イギリスは、18世紀にはイングランド銀行が国債を発行するようになる。(以前「国債の歴史」のこと少しをエントリーした。2017年10月7日付)このような事は、経済規模の小さいイタリアの都市国家には不可能なことだった。保険業もイタリアで生まれたが、当時の交易ビジネスは、1つの会社が永続的に行うわけではなく単発的だったので、保険業も確率論を元にしてはいなかった。(19世紀には西欧で、確率論に基づいた保険業が成立する。)

イタリアを中心とした地中海の海運業の没落は、そのシステムが近代に追いつかなかったと見るべきなのであろう。近代以後のイタリアが世界史では、あまり大きな役割を担っていないのは、こういう遠因があるということか。最近では、EU内でも経済が不調な国の総称PIGSの1つとなってしまった。PIGSは全て南欧の国々である。永年の地中海沿岸の森林破壊のことを考えるに、いかに「持続可能な開発」というテーゼが重要かを再確認した次第。

MVへ検査装置を買いに行く。

病院で昨日購入するように言われた検査装置を買いに、ミッドバレーに出かけた。タマンデサに売っていると言うことだったのだが、薬局を探すのが面倒だったのだ。(笑)本体はやはりRM100というところだが、附属の消耗品(打つ針や血液を移す紙、それに消毒紙)なども含めて、RM140というところ。地下1階の薬局で、詳しく使用方法などを教えてくれた。(もちろん英語だが…。今日は妻も横にいたので…。)
ミッドバレーメガモール・センターコートのデコレーション
ノースコートのデコレーション
せっかく夫婦で、ミッドバレーに出たので、食事して、おいしいパンや、ハラルの安いピザなどの買い物をして帰ってきた。メガモールは、12月に入って、がぜんクリスマスセールモードである。面白いのは、イスラム教徒のマレー系の人々も、クリスマスのデコレーションを楽しんでいることで、この辺のゆるやかさがマレーシアの良さなんやなあと思うのである。

2018年12月1日土曜日

タマンデサ病院に行ってきた。

通院と同じ時間帯にTTDIに行っていた妻が買ってきたミニパイナップル。
なかなかの美味である。
今日は前から指定されていた通院の日である。朝9時が予約の時間。今日は、血糖値を簡易的に計るマシーンで計るところから始まった。結果は158である。私にとっては通常かな?と思う数値だが、いつものインド人の先生は、「うーん。朝食はとってないよね。」と確認してきた。「水だけです。」と答えたのだが、「今日は糖尿病の専門医がいるか
ら、見て貰おう。」と言い出した。で、担当の看護婦さん(彼女もインド系だ。)に詳しく説明してくれた。この看護婦さん、超親切な人である。専門医が今、入院患者を回っているとのことで、「待たせるけど…ごめんね。」と言ってくれた(と思う)。専門医の先生が戻ってきた。(彼もインド系だが、北部のインド系であるようだ。肌が白い。)この先生も実に親切で、私の英語力に合わせて、ゆっくりとしゃべってくれる。(20%くらいは理解できた。笑)問診の後、ベッドに寝かされ、聴診器で体中の音を確認し、目の具合や足の状態なども見てくれた。

で、結論は2つ。私の薬の飲み方が間違っていたこと。朝食後1錠、別の薬を夕食後1錠だと思っていたのだが、朝の1錠は夕方も飲まなければいけなかったらしい。どうりでたくさん余っていた。(笑…ではすまないかも。)それと、今朝計ったように、毎日いつでもいいから1回血糖値を計るようにと言われたのだった。思わず、「(その機械は)ハウマッチ?」と聞いてしまった。意外に安くRM100くらいらしい。病院で購入できると思っていたら、外部で購入するらしく、「タマンデサで手に入るよ~。」とは、わざわざ付いてきてくれた看護婦さんの言である。

スクールホリデー直後の今週は、かなり疲労の溜まった1週間だった。気合いの入ってしまう哲学史を講じていたし、進路指導の雑務や気苦労も絶えなかった。そんな状況下の通院。優しく対応していただけたが、英語でまたまた疲れたのだった。(笑)

アルメニア難民を救う蘭教会

オスマントルコ時代、アルメニア人は
ジェノサイドでヨーロッパに逃れた
https://twitter.com/cetine58/
status/843492150457372673
CNNのサイトで、妻が興味深いニュースを発見し、教えてくれた。オランダ・ハーグにある教会が、亡命を却下され国外退去を命じられたアルメニア人家族をかくまい、800時間以上礼拝を続けているという。オランダの法律では、宗教儀式中は警察が教会に入れない故である。最初は秘密裏だったらしいが、今や数百人の聖職者・ボランティアが協力しているらしい。警察も外で待機はしていないとのこと。但し監視は続いているようだ。
https://www.cnn.co.jp/world/35129423.html

…ちなみに、ステレオタイプ的に考えると、この教会はカルヴァン派(オランダではゴイセンと呼ばれている。)の可能性が高い。アルメニア人は、はるかに古い伝統をもつアルメニア正教徒だということになる。同じキリスト教でもその教義の差は大きい。こんなことを言うとクリスチャンに怒られそうだが、普通、ゴイセンは、予定説に立つので、アルメニア人を救うというのは、ちょっと意外な感もある。キリスト教の説く隣人愛は、文字通り受け止めないほうが無難である。でないと歴史上数多い宗教戦争を説明できない。

…比較宗教学の徒としては、かなり意外なのだが、礼拝を行うことで、国外退去の執行を阻止しているという事実は、実に興味深い。このアルメニア人家族も2010年からオランダにいるそうで、子供は学校にも通っていたという。詳細は不明だけれど、このCNNのニュースが様々な人権関係のNGOなどに波及を呼び起こす可能性が強いだろうと思う。注視していきたい。

2018年11月30日金曜日

物流の世界史を読む。(2)

https://yutakarlson.blogspot.com/
2009/12/blog-post_10.html
「5.なぜ中国は朝貢貿易により衰退したのか」について今日はエントリーしようと思う。
東南アジアのイス-ラーム化が進んだ14世紀後半から、中国の人口は2世紀間にわたって増大する。東南アジアの製品に対する需要は、明の永楽帝の大遠征後、非常に大きくなり、東南アジアの交易は発展する。しかし、永楽帝の後は中国の海運業は発展せず、主役にはなれなかった。

15世紀末になるとマラッカが重要拠点になる。インド洋からのダウ船と東南アジアのジャンク船の結節点となる。米・砂糖・魚・綿織物が、胡椒・樟脳・香辛料・白檀・中国製の磁器、絹、貴金属と交換された。東南アジアと北東アジアの結節点は琉球で、16世紀後半まで続き、その後衰退してしまう。だが、南洋日本人町の生成に繋がったらしい。

さて、中国は伝統的に唐代から朝貢貿易を行ってきた。民間貿易を行った時代もあったが、基本的に朝貢貿易のシステムを維持する。中国が世界で最も一番豊かな国であり、自国船を使うことによって得る利益など考える必要がないほど豊かな国だったといえる。

ところで、明代の一乗鞭法、清代の地丁銀制という税制は、銀を必要とする。16世紀にポトシ銀山が発見され、大量の銀がスペインによって中国に運ばれる。メキシコ西岸のアカプルコからフィリピン経由が最も重要で、マニラで絹と銀が交換された。ポルトガルも、インドのゴアからマカオへ銀を運んだ。さらに、スペイン経由でロンドン・アムステルダムに送られた銀が、英欄の東インド会社経由で送られた。中国が必要とした銀は、スペインの手中にあった、というか委ねた。これは信じがたいほどの物流システムの軽視である。朝貢貿易と銀の流通が、清代の中国の没落をまねくわけだ。

…なるほどである。この後中国はアヘン戦争で没落の一途をたどることになる。

2018年11月29日木曜日

物流の世界史を読む。

「物流は世界史をどう変えたのか」(玉木俊明著・PHP新書/2018年1月)を読んだ。オーストラリア行きの機内で読むために、読むのをずっとセーブしていたのだが、往路で早くも読み切ってしまった。
タイトルにあるとおり、「物流」から世界史を見た内容である。なかなか新鮮な内容の世界史の本である。普通、世界史を鳥瞰する場合、下部構造から見ることも多いのだが、この本の内容は、下部構造の中心的な概念である生産力ではなく、あくまでその動きというか、貿易による利益、または輸送力(特にに艦船)さらにはその輸送力を支える資源といった点からも説いている。今日のトコロは、その目次だけでも紹介しておこうかと思う。

1.フェニキア人はなぜ地中海貿易で繁栄したのか
2.なぜ東アジアはヨーロッパに先駆けて経済発展したのか
3.イスラーム王朝はいかにして国力を蓄積したのか
4.ヴァイキングはなぜハンザ同盟に敗れたか
5.なぜ中国は朝貢貿易により衰退したのか
6.地中海はなぜ衰退し、バルト海・北海沿岸諸国が台頭したのか
7.喜望峰ルートは、アジアと欧州の関係をどう変えたか
8.東インド会社は何をおこなったのか
9.オランダはなぜ世界で最初のヘゲモニー国家になれたのか
10. パクス・ブリタニカはなぜ実現したのか
11. 国家なき民は世界史をどう変えたのか1-アルメニア人
12. 国家なき民は世界史をどう変えたのか2-セファルディム
13. イギリスの「茶の文化」はいかにしてつくられたのか
14. なぜイギリスで世界最初の工業化(産業革命)が生じたのか
15. アメリカの「海上フロンティア」とは
16. 19世紀、なぜ西欧とアジアの経済力に大差がついたのか
17. 社会主義はなぜ衰退したのか

…いづれ、この中から、いくつかに絞って、エントリーしていくつもりである。

2018年11月28日水曜日

PBTの話(75) 今年も哲学講座

ルネ・デカルト
https://fineartamerica.com
/featured/rene-descartes-
caricature-gary-brown.html
EJUが終わって、今年も哲学講座をしている。我がクラスは、今日の時点で、(ヘブライズムを割愛できたので)デカルトの第二証明(神の存在証明)まで終わった。ぐっと、西洋哲学史的なところだ。

毎年、EJUが終わると、私は西洋哲学史を講じている。マレーシアではこのようなカリキュラムはないらしく、新鮮に受け止めてくれている。ところで、中華系の学生の多くは中国思想もあまり知らない。マレー系の学生はイスラム教学は当然知っているが、それ以外は知らない。私が、在マレーシアの日本の大学進学の準備教育機関(PBT)にいて、こういう哲学を教えることは、それなりに意味のあることだと思うところである。

今日もちょっと、昨日エントリーした「儒家のカインコンプレックス」について話したら、仁・義・礼の意味はある程度理解できた学生達が、日本と韓国の相違を「カインコンプレックス」(兄弟間の葛藤:カインの名は旧約聖書に由来。)という表現で、十分に理解してくれた。しかも一瞬で、この表現に大いに納得してくれた。この知的レベルの高さが非常に嬉しい。

明日は、おそらくカントのアプリオリな認識形式をやることになると思う。講義内容のレベルは高いが、十分ついてきてくれるF40Aの学生達の日本語力を誇りに思う次第。