2018年12月9日日曜日

物流の世界史を読む。(5)

イギリス議会での航海法の決議 https://www.landofthebrave.info/navigation-acts.htm
「物流は世界史をどう変えたのか」(玉木俊明著・PHP新書/2018年1月)のエントリー第5回目。今日は、近世から近代にかけての蘭・英のヘゲモニーについて、まとめて整理しておきたいと思う。
9.オランダはなぜ世界で最初のヘゲモニー国家になれたのか
10. パクス・ブリタニカはなぜ実現したのか

オランダが、最初のヘゲモニー国家(ここでは、経済面でのスタンダードを獲得した国の意味である。オランダの方式が中心となり、これに逆らうと経済的不利益を被ることになる。)となった。後の蘭東インド会社に目がいきがちだが、実はオランダはバルト海の穀物貿易でヘゲモニーを獲得するのである。ヨーロッパの人口は16世紀初頭に8100万人ほどだったが、17世紀初頭には1億400万人に増加。穀物の需要が増した。ポーランドの穀物を地中海を含むヨーロッパ中に運び、オランダは物流の中心となったわけだ。

これに対し、ピューリタン革命時のクロムウェルの時代、1651年に『航海法』を制定する。イギリスとの貿易においては自国船以外を認めないという保護海運政策である。アダム=スミスをして「航海法は、歴代のイギリス政府がとった最も賢明な政策」と言わしめた。この航海法で、イギリスは自国船を増やし、200年ほどで21倍もの船舶総トン数を誇るようになる。国家が、貿易活動そのものを管理するシステムを構築し、20世紀初頭には、総トン数で世界の船舶の半分をイギリスが占めるようになる。イギリスにとって、産業革命は大きな飛翔となったが、蒸気船による海運業の利益が、イギリスをオランダを抜いてヘゲモニー国家としたというわけだ。

…クロムウェルという人物は、決して好印象で語られないことが多いようだ。フランス革命でルイ16世がギロチンにかけられたことは超有名だが、クロムウェルはそれ以前に国王チャールズ1世を処刑している。ちなみにウィキで確認したら、この「航海法」は議会が、クロムウェルが遠征中に可決している。同じカルバン派のオランダと、クロムウェルは対立することに批判的だったと言われる。(イギリスのピューリタンもオランダのゴイセンも同じカルバン派で呼称が異なるだけである。)”クロムウェルの航海法”などというと、少し違うわけで、このあたりも歴史の面白さだと思う。

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