2015年10月31日土曜日

神戸の大英博物館展を見に行く

妻が「どこか、行こう。」と前々から言っていた。愛妻家というか恐妻家というか、私はこの言に弱い。で、妻の第一希望の神戸市博物館「大英博物館展」に行ってきた。この展覧会、大英博物館の比較的小さな展示物を100紹介し、世界の歴史を綴ろうというカタチをとっている。

http://www.roomie.jp
/2015/03/243035/
とにかくたくさんあったので、何が一番良かったかと問われると困るのだが、古代ではウルの箱、ガンダーラの仏像もよかった。中世ではカール5世が教皇に送ったメダルなどが印象に残る。そんななかでも、近現代の部のモザンビークの「銃器でつくられた母像」(画像参照)が一番。以前民博で武器で作った彫刻展をやっていたのだが、見逃したゆえだと思う。

大英帝国というのは、凄い財力と収奪力を持っていたことが今更ながらわかる展示会だったのだった。やはり、現地に行ってみたいと、ロゼッタストーンのレプリカを見ながら思ったのだった。

ちなみに帰りの通路で、101点目に、いくつかの現代の品の中から推薦するコーナーがあって、私は「母子手帳」に一票を入れた。(14年8月30日付ブログ参照)

さてさて、今日の神戸はハロウィンの仮装をした家族がいたり、大丸百貨店には、謎のメノラー(ユダヤ教の燭台)のフラッグがかかっていたり(妻が発見して、何故だろうと騒いでいた。)して、ちょっと違う感じだ。その後、妻の希望で、北野のモスクに行くことになった。私も久しぶりである。相変わらず、入場は自由。ちょうど、マレーシアのムスリムの方を中心に、見学者相手の座談会のようなものをやっていた。「豚を食べない理由」を雑食で、汚れているということを、「科学的?」に解いておられたのだが、私と妻は、「神定法だから。」でいいのではないか、と内心思っていた。変に日本人に理解してもらおうと無理している感じがした次第。さらに、神戸シナゴーグまで歩いた。こちらは、当然入れそうな雰囲気はない。(笑)

坂を下りて三宮にもどろうとしたら、外国食品の専門店があって、妻はメイプルシロップと乾燥ポルチーニ茸を買った。特に、ポルチーニ茸はなかなか手に入らないモノらしい。まあ、妻が喜んでくれれば、それで良いのである。そんな一日だった。

2015年10月30日金曜日

ムガベ大統領にノーベル賞?

http://www.johncoxart.com/2009/03/
今朝の日経を読んでいて、極めて悪い冗談だと、後ろにのけぞってしまった。ジンバブエのムガベ大統領に、中国のノーベル賞といわれる孔子平和賞は送られることになったらしい。なんでもアフリカの平和に貢献したとか。(AUの議長に無理やりなったからかな?)

そもそも、この孔子平和賞も、本物のノーベル賞が中国の反体制作家に送られたことに腹を立ててつくられたモノ。贈る方も贈られる方もタイガイ(関西弁で極めてふざけた・おかしな)な話だ。いやあ、世の中何が起こるかわからない。

で、ムガベは辞退したのだという。どうせなら、喜んで受けると、さらに面白かったかもしれない。

日経 難民の経済効果に着目

http://www.rsc.ox.ac.uk/
日経の「経済教室」は、3日連続で「難民にどう向き合う」と題して、小論が掲載されていた。一昨日は常連の喫茶店が休みの日で読んでいないが、昨日、今日と読んだ。中でも、昨日のオックスフォード大難民研究センター主任研究員・小俣直彦氏の「経済効果の視点に着目を」という論文がなかなか勉強になった。今日は、この論文についてエントリーしたいと思う。

EUの大半の国は自国への難民受け入れを「エコノミック・バーデン(経済負担)」の拡大に繋がるという懸念から反発、または極めて消極的な姿勢をとっている。しかし、本当にそうなのか?小俣氏が所属する難民研究センターが今年4月に米テキサス州に存在する難民の経済活動について調査したところ、地域経済に重要な貢献を果たしていることが確認されたという。米国には毎年7万人の難民が移住し、テキサス州は5000人を受け入れている。同州では複数のエチオピア難民が、エチオピア料理店を立ち上げ、食材を現地業者から購入し、現地米国人を雇用している。またネパール、ミャンマーからの農民が携帯電話工場に勤務し貴重な労働力となっている。当然、難民たちは家賃を払い、税金も他の住民と同様に納めている。州の難民受け入れ関係者も、この経済貢献についてえ十分に認識しており、同州が受け入れに寛容な理由となっている。

オハイオ州のクリーブランド市は同市在住の4500人の難民の経済効果を試算。興味深いのは、彼らが独自にビジネスを立ち上げる傾向が強く、現地人から雇用を取り上げているわけではないということである。難民の家計と難民が起業した企業の支出の合計は、難民支援のための公的支出を大幅に上回っている。また難民がもたらす直接・間接の雇用創造は12年時点で500人だという。

オーストラリアのビクトリア州の畜産。農業を主産業とするニル市では、10年~14年に200人のミャンマー難民が受け入れられ、5年間で約50億円の経済効果を挙げていると算出された。ニル市は人口減のため労働力不足に悩まされていたが、畜産・農業のスキルをもつ難民の多くが同産業に従事して、大きく成功した例である。

ただ、米国・オーストラリアの研究報告は、年民が経済貢献を果たす段階に至るまでは一定の時間が必要であることを示唆している。ニル市の時系列的調査では、10年には$90万だったが、14年には$1200に達している。クリーブランド市でも同様で、移行期間中は受け入れ側のコストが集中するが、その期間を過ぎると難民は社会に適応し、独立した経済活動を営み、地域経済に組み込まれていくという。EU諸国が懸念する「難民=受け入れ国の経済負担増加」という見方は、中長期的に見れば、根拠が希薄だといえるのである。

日本は「難民受け入れを拒絶している国」として世界的に知られている。しかし、これらの研究報告は日本でも適用可能なはずだ。構造的な労働力不足の問題を抱える日本は、400万人と言われるシリア難民を受け入れることが強く望まれる。ただ、日本は大規模な難民受け入れ経験が乏しい。受け入れシステムを整備、強化することが必須で、とりわけ難民が経済自立できるような支援体制の確立が欠かせない。

この点、テキサス州の三位一体の支援制度が参考になる。1つ目は政府・自治体・およびNGOによる援助。移住当初の住宅の提供、語学研修、仕事が見つかるまでの経済手当の提供など異国での生活を立ち上げる支援も含まれる。2つ目は、地域の企業やコミュニティーによる支援。テキサス州では、州政府と企業が密接な協力体制を築いている。企業が求める人材とのマッチングだ。3つ目は難民自身の自助努力である。

難民受け入れは本来、人道支援である。経済的利益とは切り離して議論すべきだ。ただ「バーデン・シェアリング(負担の分担)」といわれるように、難民の経済資質を重視し、経済活力の源泉となるという視点が必要である。

…長くなったけれど、極めて示唆に富む内容だと私は思う。

2015年10月29日木曜日

朝日 メルケル首相 揺らぐ足元

http://blog.goo.ne.jp/from_syria/e/5d1e39cd57d81f29d3942363afb93c2c
久しぶりにモーニングで朝日新聞を読んでいたら、メルケル・ドイツ首相の記事が出ていた。現在、メルケル氏の支持率が急落しているらしい。

10月も半ばになって、ベルリン市内の難民登録センター周辺は、順番を待つ数百人でごった返していた。基本6℃。氷雨の下多くが傘を持たずに寒さに震えていた。「赤ん坊が熱を出しそうだ。丸一日待っているが、限界だ。」シリア東部から戦禍を逃れてきた数学教師は怒りをあらわにした。9月だけで30万人が入国した。政府は今年度80万人が難民申請すると予測している。だが、現場では混乱が広がっている。職員約150人がフル回転で対応にあたるが、空前の申請数に全く追いつかず、難民の多くが施設周辺で夜明かしする事態に。9月下旬には、失望したイラク人男性が上層部から飛び降り自殺を図ろうとして大騒ぎになった。

受け入れを担う地方政府は「こんな事態に対応できる社会はありえない。」(バイエルン州首相)と反発。メルケル氏の与党キリスト教民主同盟の支持率は低下し、地方政府の与党代表も難民支援を批判しだした。9月の世論調査では、難民急増を「驚異に感じる」と答えた人は51%、「そう思わない」の47%を上回った。首相の支持率も54%で前月より9ポイント減。この4年間で最低になった。だが、批判の高まりにも「スイッチを急に切り替えれない」と述べている。

ところで、昨日一昨日とエントリーしている「大世界史」には、ドイツの章がある。佐藤優によると、WWⅡの敗戦時、ソ連は、(例の地政学的発想で緩衝地帯をつくるため)ドイツに無条件降伏を求めなかった。東ドイツは社会主義化されるが、複数政党制にしてナチ党も国民民主党という名前で生き残らせた。テクノクラートを生かす道を選んだのである。現在のネオナチは東ドイツから出ているのは当然かもしれない。統一後、ドイツの左翼党は第三党になっているが、東ドイツの社会主義統一党の流れをくむ党でトロッキストも合流しているらしい。旧西ドイツでは共産党は非合法だったが、現在のドイツの方がマルクス主義の影響が強くなっている。これが、現在のドイツの知られざる一面である。

意外と東ドイツの影響が強いわけだ。さらにメルケル首相は、ハンブルク生まれだが、父親がルター派の牧師で、ベルリンの壁ができた後も、教会人事は東西共通で、父親は東ドイツに残った数少ない牧師であった。よって東ドイツで育っている。社会主義統一党の青年組織に普通入らない牧師の子だったメルケルは入っている。ロシア語も上手い。東西統一後、メルケルはキリスト教民主同盟に入党している。アメリカは、メルケルに対し、疑念を持っていて盗聴していたのではないかとも言われている。

…こうしてみると、メルケル氏はなかなか謎に満ちている人物だ。とはいえ、私は難民のために頑張って欲しいと思うのだ。

2015年10月28日水曜日

ウクライナのフィンランド化?

カレリア地方
実は、今日もウクライナから、同じエントリーに88回のアクセスがあった。「ノースカロライナのアミーゴ」という前任校のALTの話だ。これは、ウクライナの方からのメッセージだとしか思えない。実はイスラエル在住の息子は、エレサレムの治安の悪化のこともあって、ウクライナかベラルーシにいる。チェルノブイリのダークツアーに参加するらしい。どっちもどっちであるという意見もあるかもしれないが、絶対的にウクライナの方が安全であると思う。

さて、昨日エントリーした「大世界史」には、ウクライナについても述べられている。佐藤優はもちろんロシアの専門家であるから、ロシアの新帝国主義については詳しい。EUとロシアの緩衝地帯としての東欧がどんどんEUに飲み込まれていくことに、ロシア・プーチン政権は神経を尖らせているというのはよくわかる。佐藤優によると、最近のプーチンの打つ手は、かなり雑で、大統領職に飽きがきているのではないかという。

ここで、フィンランド化という言葉が出てくる。日本ではフィンランドは北欧の国のひとつ。携帯のノキアやムーミンというイメージが強いが、第二次世界大戦では敗戦国となる。1948年、ソ連と友好協力相互援助条約を結んでいる。独立を維持し、社会主義国とならないかわりにソ連との協力を明言する。WWⅡではソ連と二度戦火を交えた結果、南カレリア地方を奪われ、40万人以上の難民が発生した。しかも戦後も領土返還要求すらしていない。94年にEUに加盟したものの、NATOには加盟していない。

ウクライナも、フィンランド化を余儀なくされるのではないか、というのが佐藤優と池上彰の対談での結論である。たしかに、EUもアメリカも、シリア難民や中国進出など、様々な問題が噴出している中、ウクライナを助けてくれる状況にはないのが現実である。

映画「ホテル・ルワンダ」の中でも、結局先進国は、虐殺が続くルワンダを助けなかった。それどころか、ホテルから観光客やマスコミなどの白人だけを脱出させるシーンが出てくる。これが国際社会の残酷な真実なのかもしれない。

2015年10月27日火曜日

佐藤優と池上彰の「大世界史」

先日、日経に「大世界史-現代を生き抜く最強の教科書-」(佐藤優と池上彰対談/文春新書・本年10月20日発行)の広告が出ていた。さっそく手に入れて読んでいる。この本、実に面白い。超新刊だし、あまり内容をバラしてはいけないと思うのだが、ブログを見ている方にも読んでもらいたいので、意外な話を中心に私的に小出しにして、宣伝したい。(笑)

佐藤優のアラブの春についての考察:アラブの春には民主主義をつぶす機能しかなかった。むしろ、アラブの分裂に乗じて、非アラブのイランとトルコが帝国として自らの影響力を拡大するチャンスと思い始め拡張主義的政策をとっている。

池上彰のトルコ観:エルドアン大統領は、気分はもうスルタン。イスラム化政策を強力に進め、大学で女性のスカーフ着用を解禁。22時以降の酒の販売を禁止。言論弾圧も激しい。毒物による暗殺をかなり恐れている。近代化を推進した軍をかなり恐れているようだ。

佐藤優のトルコ観:トルコの情報機関は中央アジアを非常に重視している。トルコにとって、ペルシャの後方にある中央アジアやウィグルと「チュルク族」という共通認識をもっている。

佐藤優のギリシア観:19世紀にイギリスとロシアのグレートゲームの中で恣意的にギリシアは作られた。オスマン帝国を解体するための一環である。黒海沿岸に住んでいたギリシア人(彼らは自己意識があった。)が、オスマン帝国内のキリスト教徒のミレット(共同体)に入っていた「オスマン帝国内のギリシア正教徒」に、お前たちは由緒正しいギリシア人なのだと働きかけをさせ、イギリスがバックについて独立戦争に参加させた。1900年ぶりのギリシア復活である。DNA鑑定をすればトルコ人と変わらない。アナトリアにいた正教徒とギリシアにいたムスリムをアナトリアに移す住民移動を行って人造王国をつくった。王はドイツのバイエルンから王子を連れてきたが腐敗していたのでデンマークから王を連れてきた。

…などと実に刺激的である。今日はトルコにまつわる話を中心に挙げてみた。トルコの選挙結果が楽しみではある。

2015年10月25日日曜日

ホテル・ルワンダを見る。

久しぶりに「ホテル・ルワンダ」をDVDで見た。昔々前任校時代に梅田で試写会で見て以来である。Mさんの人権講演会で図らずも、ルワンダ虐殺の話が出てきた。(23日付ブログ参照)柔道の熱心な教え子が、その経験者であった話で、生徒もかなり衝撃的だったようだ。また、中立性を重視するあまり、住民の安全を守れなかったPKOの過去の最大の汚点だという毎日新聞の記事(24日付ブログ参照)もあった。

ルワンダのこの悲劇は、そもそもドイツや(WWⅠ後は)ベルギーの支配装置としての民族規定によって起こっている。ツチ人もフツ人も、現在では民族的に差異はないというのが定説である。長く支配層とされたツチ人へのジェノサイドが起こったわけだ。

このホテル・ルワンダには、残酷な虐殺シーンはない。主人公の最高レベルのホテルは、難民が押し寄せる。支配人の主人公はできる限りのことをやり遂げる人間ドラマでもある。

現在のルアンダは、奇跡的な復興を遂げている。ツチとフツの間に生まれた大きな亀裂も徐々に埋まっているという。

…今、人権学習の教材作りで、壁にぶち当たっている。ホロコーストの紹介やアウシュビッツ・ビルケナウ収容所の画像も見せたうえで、「そして今」という画面で止まったままなのである。ルワンダの虐殺は、まさにジェノサイド。ホロコーストに繋がる悲劇である。同様の「今」といえば…と、考え続けているところなのである。

…先ほどのTVニュースで、トルコの大統領選の投票に集まったトルコ人とクルド人が取っ組み合いのケンカとなったという。クルド…。彼らもまた共生を否定された人々なのである。中央アフリカやナイジェリアでは、キリスト教徒の人々が、共生を否定され殺されている。ミャンマーのロヒンギャの人々も、ウクライナ東部のウクライナ人も、共生を否定されているといってよい。日本でも、ヘイトスピーチの問題がある。また、オキナワやフクシマの問題もある。

…共生とは、いかに困難なことなのだろうと思わずにはおれない。一方で、今日の夕方、「世界をひらく僕らの一歩」という番組の中で、第1期の協力隊員の方や多くのJOCVの活躍が紹介されていた。さらに全盲の女性がフィリピンで、NGOのスタッフとして活躍する姿が紹介されていた。彼女の「共生」への信念は、感動的で素晴らしく強固なものだった。

あれも現実。これも現実。またまた悩んでしまうのである。

ラグビーの試合に行ってきた12

試合直前 全員で気合を入れる
ラグビー部の試合に行ってきた。予選リーグのブロックを勝ち抜いて、今日は府立I高校との対戦である。場所は府立S高校。ここは公立なのに芝のグランドである。

同じ公立だし、決して勝てない相手ではない。ところが、試合開始早々2トライを取られてしまった。なんか雰囲気に飲まれているような感じがする。高校ラグビーの試合にしては、次の試合に強豪が出ることもあり、観衆も多い。(本校の3年生もたくさん応援に来ていた。)

とはいえ、本校の方がフォワードは強い。ドンドン押し、ぶつかっていく。調子が出てきたようだ。反対に相手校はバックスがいい。なかなかの走力でかき回す。本校のミスもいくつか出て、結局公立同士の戦いは、34対17で負けてしまった。ラグビーの試合にも、あそこで守れば、あるいはあそこを攻め切れれば…というシーンがある。それを本校のフィフティーンは逃してしまったのだった。

しかし、ここまで登ってきたのだ。去年はここまでこれなかった。3年生は最後の試合だったけど、おおいに胸をはっていいのではないかと思う。今年は、私の体調不良もあって、ラグビーの試合に2回しか行けなかった。3年生の涙を見ていると、なんとか今日駆けつけることができてよかったなあと、思うのだ。

2015年10月24日土曜日

毎日 アフリカのPKO事情

マリのPKO部隊 http://mainichi.jp/select/news/20151023k0000m030100000c.html
昨夜は久しぶりに、千原せいじのアフリカ行のTVを見た。ガボンはさすが産油国。かなり豊かであることを実感した。とはいえ、相変わらずアフリカの田舎にスーツケースで行く演出は、せいじの芸風とともに無粋で不愉快。

ところで、昨日の毎日・朝刊には、アフリカのPKO事情を紹介する比較的大きな記事が2つ載っていた。毎日新聞の反安保法案キャンペーンの一環だと思われるが、極めて重要な示唆が含まれていると思う。

まずは2面のマリでのPKO。トンブクトゥ(隊商の基地として有名な都市だ。)で任務に就いているのはブルキナの兵士である。13年以降、50人以上の兵士が、パトロール中に待ち伏せ攻撃などで死亡している。数台の装甲車でパトロール中は無線のやり取りで、常に状況報告がなされ、炎天下兵士の肌は、緊張で汗ばむそうだ。平和維持と住民保護が任務だというPKOの理念はテロリストには届かない。テロリストが望むのは、平和や法の秩序ではなく混沌状況だと司令官。PKOに敵はいないと建前を述べたあと、(現実には)敵が誰かわからない、とも。住民からも、政府軍が攻撃を受けても中立の立場をとるPKOに対して反感が高まっている。北部のガオでは、反国連を掲げる住民のデモとPKO要因が衝突、住民3人が死んだという。

もうひとつは8・9面の「試練の国連(上)」という特集記事で岐路にたつPLO戦略につて、南スーダンの状況が報じられている。ここには日本の自衛隊も参加している。13年12月政府と反政府勢力の戦闘が始まり、避難民が国連関係、自衛隊の宿営地にもなだれ込み、「比較的穏やか」という現地情勢は一変した。道路補修などの活動地域に向かうどころか、難民キャンプのようになった宿営地の運営、管理に労力をさかれてしまった。他のPKO部隊も本来の仕事である治安維持のパトロールが十分にできていないのだという。今年8月両派は停戦合意したが、PKO部隊は、情報収集用の無人機と戦闘ヘリを導入することになったそうだ。市民とPKO要員を守るために抑止能力が必要だという。

PKO史上最大の汚点は、1994年のルワンダ大虐殺。PKOは中立的立場に終始、約100日間で80万人が殺害されたのである。これを教訓に住民保護を重視。だが、マリや中央アフリカなどではPKO要員に犠牲になる例が続発、7年連続で死者100人を突破した。

PKOは、これからリビアやイエメン、シリアへも派遣がありうると推測される。テロ対策は安保常任理事国の利害が一致する数少ない分野である。彼らの思惑で派遣が決定される。それが現実だという。

…国連=善、PKO=正義の味方だというスタンダードは、厳しい現実の中で、大いに揺れている。私は、積極的平和主義という、美麗美句がどうも信用できないのである。

2015年10月23日金曜日

人権講演会のアンケート集計

木曜日の昨日は授業が1時間という日で、なにか仕事をこんをつめて出来る日である。先日のM氏の人権講演会のアンケートの集約を一気に行い、今日終了した。月曜日に配布予定である。アンケートはこれまでの本校で行われたものをもとにしてあるので、まず全体として5段階評価(良かったとか普通とか。)を行う。さらに今回は最も印象に残った話を書いてもらった。そして全体の感想となる。(10月4日付ブログ参照)

各クラスから集まったアンケートを学年と男女別計4冊に分けた。今回は、2年生がアンケート不参加だったので、1・3年分である。とはいえ、計16クラス分ある。(笑)その4冊を全体評価で分類、集計する。予想通り、生徒の評価は高かった。

印象に残った話は、各学年・男女とも、Mさんの柔道指導に熱心についてきた生徒の話である。彼はなぜ熱心なのか?それは彼がルワンダ虐殺の被害者で家族を殺された経験からきていたという悲惨な話である。生徒にとって、柔道は武道であるとともにスポーツである。ルワンダ人の彼にとっては、柔道は自分の身を守るための切実な手段であったわけだ。これもアフリカの現実である。

また、タンザニアの人々は学校で「体育」を教えてもらっていないという事も多かった。準備体操をしたら、とんでもないアクションをして流血した生徒もいたという。運動部が多い本校では、この話も衝撃的だったようだ。

およそタンザニアの貧困や柔道場の話、JOCVとしての苦労話や高校時代の話など8種類に分類した上で、4冊をそれぞれ集計してみたが、大きな違いは見られなかった。

全体の感想も、私から見ていいもの、興味深いものを集めてみた。ただ、自分は日本に生まれて幸せであるという「悪意のない」感想も多く見られた。これはどうしようもないところの素直な感想であるが、(M氏も同感だと思うのだが…)こういう感想を持たせるために、アフリカの話をしたくない。アフリカから学ぶことはいっぱいある。日本は豊かだからアフリカより優れているわけではない。私は、そう思っている。

とはいえ、M氏の講演は、生徒に大きなインパクトを与えていただいたようだ。これをいかに引き継ぐか、それは私の役目である。

2015年10月22日木曜日

ウクライナからの大量アクセス

本来エントリーすべきことがあるのだが、今日はちょっと視点を変えて…。ブロガーは世界各国に発信されていることは周知のとおりなのだが、今日は何故かウクライナの方がどどどっと閲覧していただいたようだ。先日は急にロシアの方が多かった。こういうことが判るのもブロガーの妙味である。ただ、その理由については全く不明だが…。短時間に80回のアクセスがあったようだ。それも2つのエントリーに集中している。

ツイッターか何かで紹介されたのだろうか、とも推測する。私はあまりそういう追跡をしたことがないし、アクセスが多いのはありがたいことだと、そのままにしている。(笑)

ウクライナ…。私の前任校の地理の教え子が、大阪外大の入試で最後の最後滑り込んだことがある。翌年から阪大になるので、凄くラッキーな話なのだが、暗い表情で相談に来た。「先生、第1外国語は、ロシア語に規定されているんです。」「ほう。ロシア語なあ。難しいやろな。」「正直、ロシアには全く興味がないんです。」「うーん。でも、ロシア語ができたら、旧ソ連地域のことがやれるぞぉ。」「?」「ウクライナとか、ベラルーシとか、カザフスタンやウズベキスタンなど、案外やってみると言語も拡がるんとちゃうか。」「なるほど、そう考えるとちょっと面白そうですねえ。」「あんまりメジャーではないが、それが強みになるかもしれんで。」

そんなことを話した記憶がある。彼は今、どうしているのだろうか。

追記(10月23日18:28):教え子でブロガーのLily君にもウクライナからの大量アクセスがあったそうだ。推測だが、ウクライナのブロガーが、ロシアのシリア空爆などでウクライナの問題から世界の目をそらしていることに危機感をもって、アクセスしているのかもしれない。たしかに月間人気2・3位のエントリーにそれぞれ50、30とアクセスされている。なんかアクセス数を増やすのが機械的な感じもする。ウクライナ問題にも注目してエントリーしていこうかな、と思った次第。

2015年10月21日水曜日

「禍機」(かき)というコトバ

中公文庫の「自由と秩序-競争社会の二つの顔-」(猪木武徳著/本年9月25日発行)を読んでいる。猪木氏は経済学者で、2001年に中公叢書として発行されたものである。解説の政治学者・宇野重規氏が「英知の書である。」と、まず書いているように、時の流れがあっても、その中身は、すこぶる濃厚である。

第5章の「視野の短期化と公共の利益」を読んでいて、面白いコトバを発見した。「禍機」(かき)というコトバである。戦前期に米国で活躍した比較法制史の大家朝河貫一氏が、権益優先の当時の日本外交を批判した警世の書で用いたコトバらしい。猪木氏は、その禍機とは、「ますます我々の視野は短期化してきた」ということだ、と述べている。

最初に森林経済学の話が出てくる。森林は林産物を供給するだけでなく、洪水や山崩れの防止に役立ち、良質な水を供給し、地球温暖化を防止するといった重要な公益機能をもっていることが指摘されても、森林全体がどんな「禍機」にさらされているかを議論しようとする空気は薄い。「林業白書」に目を通すようになって、現下の日本社会、あるいは世界経済の抱える「禍機」が、森林の直面する問題と似ているのではないかと感じるようになった。と、ある。

時間と資本の関係を示す端的な例が木材生産である。ところが、経営者の時平(time horizon)が短くなってくると、林業の長期的利益が危うくなり、森林の本来の機能全体が完全に失われてしまうということになりかねない。日本の森林が抱えている問題はいくつもあるようだが、そのどれもが、この「視野の短期化」という点に関わっている。

…この後、猪木氏の視点は人材育成と評価の問題、乱暴な短期資本の問題、研究開発の体制、専門家の供給体制などに及んでいく。なかなかの「英知」である。

…教育現場から見れば、教諭ではなく常勤講師の先生方が増え、非常勤講師の先生方が講義時間数による給与体系になって、各先生方は個々に大いに努力されているにも関わらず、様々な問題が起こっている。全く視野の短期化の弊害だと言って良いと思う。さらに高校入試制度の度重なる改変も、現場を大きく混乱させている。

…今教育現場は、まさに「禍機」にあるというのが私の実感だ。そのうち、横浜のマンションのような事態(普遍的な正義への背反行為)が教育界にも起こるのではないかという危惧を覚える。何が最も重要なのか。それは生徒が幸福になるための教育である、ということを確認しておきたい。

2015年10月20日火曜日

世界史Bで初モノ・ランゲージ

http://www.uni-watch.com/2015/08/25/sports-teams-license-plates/
久しぶりにモノ・ランゲージ(実際にモノを見せることでいろいろ考えさせるワークショップの技法)を世界史Bでやってみた。中間考査を返却した後で、アメリカの歴史を教えているのだが、まず独立時の13州を紹介している。その際、車のナンバープレートを見せてみたのだ。今、学校に置いてあるプレートは、州コードでいうとIA、AZ、NC、SD、UT、FL、AL、DE(アイオワ・アリゾナ・ノースカロライナ・サウスダコタ・ユタ・フロリダ・アラバマ・デラウェア)である。NCとDEは13州の中に入る。

生徒は始めて、アメリカのカープレートを見たようで、大いに盛り上がった。(2013年の総合的学習以来だ。)世界史で使うとすると、DEのプレートは価値が高い。THE FIRST STATEと書いてある。これは、独立時に最も早く加盟を州議会で批准したゆえである。大陸会議のことも教えるので、なかなかいい。

サウスダコタのプレートには、バックにマウント・ラッシュモアの図案が描かれている。ワシントン、ジェファーソン、リンカーン、S・ルーズベルトの顔が掘られている。これも、独立宣言を起草したジェファーソンの話で、いかにアメリカ国民に人気があるかを語るのに使える。ちなみに、$2札も、ジェファーソンであるし、DCにも記念館がある。ワシントンに次ぐ、あるいはリンカーン($5札。DCに記念館あり。)に並ぶ、人気三本指の大統領であるといってよい。

実は、世界史Bで、こういうモノ・ランゲージをしたのは始めてである。意外に使えることがわかった。

ところで、州コードや地名を教えていると、フランスが支配していたミシシッピ沿いのルイジアナの「ルイ」、メリーランド州の「メアリー」など、世界史をやったが故に、「おお。なるほど。」という感覚が生徒に生まれていることがわかった。地理とはまた違う面白さがあることも発見した次第。

2015年10月19日月曜日

ノーベル経済学賞の(略)学説

今回のノーベル経済学賞を受けたアンガス・ディートン氏は、スコットランド・エディンバラ生まれでケンブリッジ大学の出身だが、プリンストン大学に現在所属していることもあってアメリカ国籍も持つ経済学者であるそうだ。今日の日経・朝刊で、その学説が解説されていた。ちょっと興味があるので、高校生にもわかるくらいのレベルでエントリーしておきたい。

ディートン氏は消費行動を、これまでの統計結果を鵜呑みにせず、詳細にやり直すことで、消費行動と貧困、福祉の関連を解き明かしたのだという。AIDS(Aimost Ideal Demand)という需要モデルを開発したらしい。要するに、消費行動を分析して、豊かであるほど健康を維持できているという、極めてフツーの結論が導き出されたのだという。エンゲル係数というこれまでの消費における食費の割合をもって貧困度をはかるモデルに代わるものであるらしい。

ディートン氏の業績は、開発経済学にも繋がるもので、特にインドの消費行動をかなり調査したらしい。世銀のスタッフとしても、世界の貧困問題にコミットしている学者でもある。今回の経済学賞の候補には、もうひとり有力候補がいたらしい。彼の方は先進国の問題を主に分析していたようで、どうやら、ストックホルムは、その点でディートン氏に軍配を上げたのでは?という推測もされていた。

…ディートン氏の主著・「大脱出」(英語のタイトルとしては、映画「大脱走」と同じ。この映画で結局脱出できなかった者を意識したタイトルらしい。)という本のことも紹介されていた。amazonで調べると、売り切れで、中古本の方が高価であった。(笑)安ければ読みたいと思ったのだが、途上国への政策提言については、少ないページ数しかないそうで、やめた。(笑)

…SDGSが国連で発表され、これからのグローバルな問題を考える上で、ディートン氏のモデルはなんらかの影響を与えるものになりそうな気もするが…。

2015年10月18日日曜日

毎日 アンゴラとジンバブエの記事

ジンバブエの象の映像
http://blog.livedoor.jp/paru_nyu/
archives/1244089.html
まだ子猫のチューチューが、ソコにいるような気がする。もう片付けられたゲージのあった方向をつい向いてしまう。いくら寂しい、寂しいと言っていても仕方がないので、エントリーを再開しようと思う。今日は、毎日新聞で、久しぶりに2題、アフリカのの記事が載っていたので紹介したい。17日(土)の夕刊である。

まずは、アンゴラが化学兵器禁止条約に加盟したとのニュース。現在OPCWに加盟していない国は、南スーダン(11年に独立したばかりなのでまだ加盟していないといったほうがいいだろう。)、イスラエル、エジプト、北朝鮮の4カ国となったらしい。OPCWが、13年にノーベル賞を受賞後、加盟を明言していたという。

…アンゴラは、長く内戦が続いていた国だが、未加盟だったとは意外。それだけアンゴラ政府のガバナンスがようやく落ち着いてきたということだろうか。ちなみに、イスラエルでは、防毒マスクが常備されている。常時戦時中体制の国ゆえ、カタチだけCPCWに加盟しても無駄だと考えているのだと思われる。(シリアやイラクは化学兵器を使用した形跡があるようだ。)あらゆる危機を想定しているイスラエルは、加盟していないことも無言の武器に変えているといえる。

もうひとつの記事は、ジンバブエの国立公園の巨像が、政府から狩猟許可を得たドイツ人観光客によって殺されたという。この象は南部のゴナレゾウ国立公園で牙が54kgもある50歳を越す象で、観光団体からは「国家の宝」として保護すべきだったと嘆いている。7月にも、米国人医師が、人気のライオン「セシル」を殺し、狩猟をめぐる激しい議論が起こったばかりのことである。

…ドイツ人観光客が支払った狩猟許可は6万ドル(約720万円)だという。誰のポケットに入ったのだろう。

…TVで、ボツワナのオカバンゴの映像を見ながらエントリーした。久しぶりにアフリカにどっぷり浸かってみた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151017-00000005-jij_afp-env

2015年10月17日土曜日

黒い子猫の里親を辞す

猫じゃらしで遊ぶ
午後2時。ボランティアのOさんが来宅されて、チューチューを引き取っていかれた。

この2週間、一所懸命世話をして、慣れるように努めてきたのだが、トライアル期間では無理だったし、この先の展望が開けなかったからだ。朝から、チューチューの大好きなやわらかいキャットフードを何種類もあげた。

だが、昨日も抱っこしようとしたら、爪を立ててゲージに逃げていってしまった。

チューチューが大好きな猫じゃらし
Oさんによると、チューチューは、保護された時はそんなに人見知りをしなかったらしいのだが、兄弟猫(ゲリP君とOさんは呼んでおられる。その名のとおり、下痢気味で未だ里親探しができないらしい。)と衛生上の理由で離された時から、ちょっと人間不信になったのではないかと自ら反省しておられた。

私たち夫婦には、ちょっと難しい子だったのかもしれない。Oさんに、反対にご迷惑をかけてしまった。申し訳ない思いでいっぱいだ。ゲリP君と再会できて、チューチューが喜んでくれればいいのだが…。チューチューの幸せを願うばかりである。

とはいえ、寂しい。空のゲージが悲しい。ただただ、ボーッとしている私であった。

2015年10月16日金曜日

中間考査は、近代国家論なのだ。

中間考査の対策プリントより
中間試験の最終日である。私の世界史Bの試験は今日、最終日であった。今回の範囲は18・19世紀を中心とした近代史である。イギリス・フランス・ドイツの民主主義、資本主義、国民国家の発展過程を追いながら、近代国家の成立を説くことに集約した。本校の世界史Bは、B科目と言いながら3年生は、2単位しかない。世界史の面白さを残しながら骨子を説いていく。

イギリスの民主主義は、マグナカルタという法の支配の伝統をまず教えてから、チューダー朝後のピューリタン革命・名誉革命の流れをしっかりと教えた。権利の請願、権利の章典、さらには君臨すれども統治せずのハノーバー朝の成立まで。これに資本主義の成立過程を、囲い込み運動と自由な賃金労働者の輩出と、東インド会社によるインド綿製品輸入が与えた影響・綿製品輸入禁止法案による原料輸入・綿織物工業の発展からくる産業革命の進展を語った。これで、一応イギリスの話は終わる。

次に、フランス革命とナポレオンの話になる。ここは、できるだけわかりやすく、今日の画像にあるように、ヨーロッパの社会構造(上部に自由な個人、下部に不自由な共同体)を何度も示しながら説明する。フランス革命といえば、人権宣言だが、最大のポイントは、三部会以来の制限選挙から普通選挙に変化するところだ。革命を潰そうとする諸外国との対外戦争に対して、普通選挙を行い、不自由な共同体の人々を自由な個人へと昇格させたわけだ。ギリシア・ローマ以来、戦争は自由な個人の階級の仕事である。世界初の普通選挙はそういう深い意味あいを持つ。普通選挙で躍進したジャコバン派は、彼らに土地を分け与え、同時に徴兵制を実施する。これが、国民皆兵=国民国家の道を開いていく。これをさらに推し進めたのがナポレオンである。革命の輸出を行う解放軍としてのフランスナポレオン軍が、やがて国益に走って大陸封鎖令を出してから衰退に向かっていく。社会類型で見ると、フランス国民の下に、支配した諸国を不自由な共同体としたといえる。

同時にナポレオンは資本主義の発展の元を作り、甥のナポレオン三世の下でのさらなる発展につながっていく。とはいえ、現実は山あり谷あり。7月革命や2月革命と諸外国への影響も含めながら、フランス革命の影響を説いていく。生徒には、スマホをいっぺん使ったら、もうスマホのない生活は考えられんやろ。自由や平等というものはそういうスマホのような感覚だというと生徒にも具体的でわかりやすい。

最後にドイツの発展について語る。神聖ローマ帝国以来の領邦国家から、ビスマルクはいかに統一国家に持っていったか。それは鉄血政策という戦争によるものである。平和日本から見ると、奇異な感じがするが、当時の戦争は、最後まで殺るか殺られるかではなく、野生動物のテリトリー争いのようなもので短期間で終わっていたこと、さらに本校の団活動を例に出して、イベントによる団結の具体例をひいた。この例はわかりやすかったようだ。戦争は、当時、悪でもなんでもない。(命のやり取りをも含んだ)イベントだと考えたほうがわかりやすい。プロイセンが勝利した普仏戦争が、今回の範囲の最後の歴史的事実となった。

最後に総論である。結局、イギリスでもピューリタン革命、フランス革命はもちろん、民主主義は、ドンパチによって、獲得されたものだ。欧米では、自由や権利は、自ら獲得するものであったことを、アメリカで体験した抵抗権の話(10年8月7日付ブログ参照)で確認する。民主主義というのはそういうものだ。しかもこれは、国民皆兵=国民国家の成立と大きく結びついている。

イギリス・フランス・ドイツ、普仏戦争終了時点では、それぞれの進展の度合いはどうか、生徒に考えさせてみた。また、日本史とリンクさせると、国民国家化を最優先したドイツ(プロイセン)の影響がいかに強いかがわかる。皆、頷いていた。こういう問いかけは社会科教師として最も嬉しい。

この時点では、イギリスがトップ。フランスが肉薄。だが、ドイツが後ろからダッシュしてきて、フランスに猛タックルした、という感じである。で、次の予告。「この後、一気に三者をGDPで抜いていく新しい国が出てくる。さてどこかな?」「アメリカですかあ?」正解。次はアメリカの話だ。WWⅠは、保護貿易による各国の利害がぶつかり合う。経済の話抜きでは語れない。

意外にだらだらと教えるよりコンパクトながらも、重要なコトを教えれたような気がする。加藤先生の「武器としての社会類型論」(昨年10月7日付ブログ参照)、なかなか使えるのである。さて、試験の結果やいかに?である。

2015年10月15日木曜日

イスラエルの惨事を深く危惧する。

エレサレムの中央バスステーション
イスラエルの状況がひどい。オリーブ山便りというブログを夫婦で読み、この悲惨な状況を危惧している次第。

パレスチナ・アラブ人の少年たちが、洗脳され無差別にユダヤ人を襲っているようだ。銃の乱射だけでなく、突然ナイフで刺すという原始的なテロ行為が頻発しており、ついにイスラエル軍が動員されたようだ。テロ行為におよんだ犯人の「家」も破壊するという、徹底した治安対策をとっているようで、イスラエル政府のスタンスが断固としたものであることが、よくわかる。なお、中央バスステーションでのテロ行為の記事が、10月15日付で出ているが、ここは3年前、死海やナザレに向かったところで、私たちにも馴染みの深い場所だ。

…実際に現地に立ったことのある私たちからすれば、イスラエル政府の対応を全く理解できない、ということはない。敵地の真ん中で生きながらえるために手段は選ばない、そういう国である。ただ私が悲しいのは、純粋なアラブの少年たちが洗脳によって、これまでの、祖父の代から続く憤懣を容易に爆発させていることだ。

…ユダヤ人もムスリムも神によって定められた法によって生きている。理性的な判断を必ずしも必要としない。欧米的な(すなわち、人定法であるキリスト教世界の)価値観で、安易にその善悪を判断するのは控えたいと思うのだが…。それにしても悲しい。決して遠い世界の話ではない。

オリーブ山便り:http://mtolive.blog.fc2.com/ 

2015年10月14日水曜日

毎日「水説」 従属を嫌った暗殺者

http://culture.loadshow.jp/
topics/elser-13minutes/
毎日の今日の朝刊、「水説」は、今週公開される「ヒトラー暗殺、13分の誤算」の主人公・家具職人のゲオルク・エルザーについてであった。彼は1939年、WWⅡ開戦直後、ミュンヘンの演説会場で手作りの時限爆弾を仕掛けヒトラーの暗殺を計画したが失敗した人物である。

当然ながら無差別殺人の爆弾テロ犯であり、非難されるべきではあるが…と論説委員の中村秀明氏は前置きしつつ、エルザーはなぜ独裁者を殺さねければならなかったのか、と問いかけを行っている。

主人公の住むドイツ南部の小さな町でも、自由にものが言えない息苦しさが漂い、ナチス支持者とそうではない者の「分断」が生まれる。影響されやすい子供の言動も変わった。異論を挟む者、障がいを持った者、ユダヤ人と親しくする者への差別と排除が公然と始まる。エルザーが臨時で働く工場でも戦車生産が進んだ。

誰に言われたわけでもなく、自らの目と頭で大きな危険を察知し、誰にも相談せず1人で動いた。無力だからと諦めたり、誰かがなんとかしてくれるだろうと任せたりしなかった。(環境平和学の鳥飼東海大教授による映画のパンフレットの解説より)

彼は収容所で5年以上過ごし、敗戦直前に銃殺され、歴史から消された。後にユダヤ人絶滅計画の中心者となる秘密警察局長は、「お前は何の罪もない人間を殺したんだ。」と激しく責め立てたが、現在のメルケル首相は「戦争を防ぐために自らの意思に従って行動した。」と賛辞を送った。

監督のヒルシュピーゲル氏は、面白いことを言っている。「日本人にはしっかり考えて欲しい。というのも、日本もドイツと同じように、言われたことに流れに従属してしまう国民性だから。どんどん問いかけをし、何も考えずに受け入れることはやめよう。」

結びは、こうある。「守りたいものは何か。大切にするものは何か。それを阻むものに、どう立ち向かうか。多くのことを問いかける映画である。」

…なかなか示唆に富んだ「水説」であった。私自身は、先日の安保法案といい、原発の問題といい、沖縄の問題といい、マイナンバー制といい、そして現場も含めて、反知性的な権力者による「従属」を押し付けられているように感じている。せめてブログで自分の問いかけを発信していきたいと思うのだ。

2015年10月13日火曜日

黒い子猫の里親になる(8)

妻の猫じゃらしに、猫パンチ
チューチューは、正直なところ、まだまだ慣れてくれているとは言い難い。でも、先日猫じゃらしを買ってきて、遊べるようになった。チューチューは、猫じゃらしが大好きなようだ。

昨日などは、20分間ぐらい興にのっていた。(こっちも大分疲れたけど…。)休憩して、さあ、寝室に上がろうとしたら、またニャーと鳴いた。「トイレ」と聞こえたので、見てみると、おお。

で、さっそく綺麗にしてあげたのだった。ガレージから戻ると、またニャーと鳴いた。「今度は何?」「お水かね?」どうも違うようだ。ゲージを開けると、いつものように警戒しながら出てきた。猫じゃらし希望らしい。(笑)また少し遊んだ。

昨夜は少し寒かった。妻が石油ストーブを持ってきたり、暖かカイロを二枚貼り付けた布袋を一番下のダンボールに入れて、「ここは温かいから、ここで寝るんやでぇ。」

とはいえ、全然抱っこはできない。また左目がおかしいので、目薬を入れようとしたら大暴れしたのだった。なんとか入れ終わったと思ったら、ゲージに一目散。うーん。

2015年10月12日月曜日

日経 カズ「歴史が動くステップ」

http://tamenal.com/20243
先週の金曜日の日経に、カズ(三浦知良氏)の「サッカー人として」というコラムが載っていた。隔週金曜のコラムである。この日の日経朝刊は、モーニングで読んだ後、ローソンで改めて購入したものだ。先日のEUの「経済教室」をエントリーするためである。日本ラグビーW杯3勝、しかし予選敗退というニュースを聞くにおよんで、極めて示唆に富んだ話だと思う。

カズが今回書いているのは、日本ラグビーのことである。サッカーもカズが1990年ブラジルから帰国した当時は、W杯に行くと言っても協会内ですら間に受けてくれなかったという。一国レベルの盛り上がりの必要性を感じたとカズは書いている。89年のW杯アジア一次予選。ホームのインドネシア戦は9000人しか入らない西が丘サッカー場だった。アウェーは8万人を集めていた。日本は経済大国でもサッカーへの関心はそんなものだった。社会現象を起こさなければ歴史は切り開けない。そして歴史が動くときは段階というものがある。92年夏の日本代表オランダ合宿の取材に訪れたメディアは2社だけ。それがその夏、ダイナスカップ優勝、アジアカップ優勝で、W杯予選の合宿では150人。自分を取り巻く社会の意識が変わっていく感覚をよく覚えているという。

「うん、日本のサッカー、いいね。」と声をかけてきたサウジの選手は、93年のW杯予選の時には話しかけてこなくなった。敵と見なし始めてくれたんだ。温かい目で応援されるうちは第一段階。本当に強くなると憎まれる。韓国の金鋳城という選手は90年代初頭アジア最終手選手を競う中だったが、2002年のW杯、神戸のラーメン屋でばったり会った。「ミウラ、頑張っているなあ。」暖かく抱き合ったのを思い出す。10年の月日が敵同士をたたえ合う仲にしてくれた。そんな段階を迎えられるのもいいよね、と結ばれている。

…私がラグビーを観だしたのは、同志社大学や釜石、さらに神戸製鋼が頑張っていた頃である。ただ、サクラを胸につけた日本代表は全く世界に通じなかった時代である。南アに勝ったというのは、ホント、誰が言ったか知らないが、クリリンがフリーザに勝つようなものである。凄い快挙なのだ。サッカーで言えば、日本代表がドイツに勝つような、いやそれ以上なのである。さらに、サモア・アメリカと勝ち、3勝するなんて考えられないことである。まさに歴史が切り開かれたのである。だが、まだまだ。褒められているようでは、とカズは愛情を込めて、日本ラグビーにエールを贈っているわけだ。私は、気持ちよく読ませてもらったのだった。日本開催のラグビーW杯、楽しみだ。

アフリカ音楽の本を読む。

「はじめまして!アフリカ音楽」(ムクナ・チャカトゥンバ著/yamaha・本年9月20日発行)を先週読んだ。CD付きで、文章自体は多くないので、通勤電車の読書で2日間、ほとんど一気読みである。私はもちろん、アフリカ音楽は大好きである。安物だけどジャンベを持っている。もちろん上手く叩けない。(笑)ただ、故ピーター・オルワ氏のビデオなどを見て、およその叩き方は知っている。だから、全然叩けないというわけではない。

著者のムクナ・チャカトゥンバ氏は、昨年逝去した、コンゴ人民共和国出身のパーカッショニストである。比較的裕福な家庭に育った氏は、ルバ人である。叔父はルバのパーカッショにストで、太鼓の叩き方を氏にのびのびと教えてくれたという。

太鼓の叩き方のコツは、腕の力は全く使わず、手首だけ、手の自然な重みを上手に生かすことだという。音は指先から出て行く、腕はもちろん、手でさえ指の支えにすぎないと書いてあった。うーん。言うはやすく…だなあ。

ルバ人の故郷は、南部であるが、幼年期に首都のキンシャサに移り、氏は、様々な民族の音楽に触れることができた。コンゴ人やロケレ人、サカタ人、ヤカ人、モンゴ人、バンバラ人…どの民族のリズも好きだった氏はこれらを吸収していくのだ。さらに、コンゴ動乱の関係で、キューバ音楽が入ってくる。氏はこれも吸収していく。CDには、そんな各民族のリズムが収録されている。これは、なかんか貴重なものだと思う。
リビングストン滝(コンゴ川下流) http://congotravelandtours.com/bas-congo-wild-west-livingstone-falls-and-river-rapids/
意外に知らなかったことが書かれていた。コンゴ民主共和国の首都・キンシャサとコンゴ共和国の首都・ブラザビルがコンゴ川の両岸にあり、ブダペストみたいになっていることは知っていた。が、その先に、リビングストン滝(30あまりの急流部・落差280m)があって、ここで海運がストップしていることを、恥ずかしながら初めて知った。なんとなく両首都は、川港だが、そのまま海に繋がっている(海運が可能である)と思っていた。キンシャサからマタディ港(河口から160kmで大きな船でも上ってこれる。)まで鉄道が伸びているらしい。案外、コンゴ民主共和国のことは知らなかったわけで大反省である。

2015年10月11日日曜日

ユネスコ拠出金問題について

http://meguro-unesco.info/about.html
ユネスコの世界記憶遺産に、南京虐殺の資料が認定され、日本政府筋が、拠出金(アメリカが支払い停止している関係で、10.83%で第一位・任意拠出金を含めると昨年度は57億円)を一時凍結するというニュースが流れた。

たしかに南京事件で30万人が虐殺されたという中国の主張は、かなり眉唾モノであると私も思う。中国では、何より政治が優先されており、欧米や日本と価値観が違う。政治的な利用だという、一部政治家の主張もよくわかる。南京事件は東京裁判でかなり、被害者数などがかなり誇張されている可能性が高いそうだ。とはいえ、当時の様々な事情(東京裁判が単なる政治ショーであったという批判にも耳を傾ける必要があると私も思う。)があるにせよ、少なくとも国際社会で承認されてしまったものである。この東京裁判の資料が引用されているようで、これを現在覆すということは難しいとも思う。確認しておくが、私はこの資料が、記憶遺産登録されるのは賛成できないと思っている。もう少し日中で精査して、双方が納得できる世界の記憶遺産にふさわしいものにする必要があると思うのである。

とはいえ、拠出金云々という日本政府の対応は、極めて反知性的だ。ユネスコは、日本が最初に戦後国際社会に復帰するきっかけともなった国際機関である。戦後日本が進めてきた、教育・文化などの分野で国際貢献するためにも、今も特別な位置を占めていると思うのだ。

妙なナショナリズムで軽率な行動をとるべきではない。金で動く世界など、少なくともユネスコの目指す世界ではない。

http://www.sankei.com/politics/news/151010/plt1510100015-n1.html

ホロコーストの人権学習教材(2)

3連休である。先のシルバーウィークでコンをつめて作った人権学習のパワーポイント教材作成の続きをしている。前回は、自分で撮影したビルケナウ収容所の写真を貼り付けるところまでであった。

今日の作業では、現地の書店で購入した、アウシュビッツービルケナウ「あなたの立っているところ…」という写真集をスキャンして使用することにした。これは、当時の写真が撮られた場所と全く同じ現在の写真を見開き2Pで載せている写真集である。(当時の写真は、エレサレムのヤド・ヴァシェム所蔵のものらしい。)当時の雰囲気を伝えるのには、格好の写真集である。幸い、無断転載を禁ずと書いていない。(ちなみに日本語版の翻訳は、日本人ガイドの中谷さんである。)

現在の写真の上に、アニメーションで当時の写真を重ね合わせるというカタチで作ってみた。なかなかいい。

ここから、現代の課題と結びつけていきたいところだ。じっくり思案しながら作業を進めたいと思う。

2015年10月10日土曜日

黒い子猫の里親になる(7)

黒猫のチューチューは、今日は極めて大人しい。昨晩、ブログを更新したあと、妻が早めに3階の寝室に上がった。すると、チューチューが(少し小さめの声で)鳴き出した。外に出たいのだろう。ゲージを開放してやると、こそっと出てきて、居間を探索し始めた。上に登れるところを探している。しかし、諦めてはゲージに戻ってくることを繰り返した。なかなか見ていて面白い。

十分堪能したところで、ゲージを閉めた。すると、その晩は初めてゲージの中で暴れることもなかった。賢いぞ、チューチュー。えらいぞ、チューチュー。

土曜日の今日も同様にしてやろうとゲージを開けたのだが、出てこない。風邪を引いているのかなあ。ずっと静かにしている。食事もウンチも普通なのだが、ひたすらおとなしくしている。と、いってもやっぱり慣れてきたという感じでもない。うーん。猫は不思議だ。

日経 経済教室 EUとギリシア

プラトン
http://www.karakusam
on.com/platon.html
昨朝の日経の経済教室は、東大の特任教授・村田菜々子氏の「試練続く欧州(下)難民対応、国境浮き彫りに」と題してのものだった。なかなか示唆に富む内容だったのでエントリーしておきたい。

今年のギリシア観光客は、例年1位のドイツ人が、デモで悪玉にされたのを嫌ったようで、イギリス人が第1位らしい。イギリスは、ギリシア独立戦争の時、詩人バイロンが身を投じた。そのひそみに倣うように観光でギリシアを救おうとしているように見える。ギリシア近現代史を理解する鍵は、欧州の助力なしには存立しえなかったという事実である。裏を返せば、ギリシアは欧州にとって見捨てることができなかった国であるといえる。欧州文明の源であり、オスマン帝国に暮らすキリスト教徒であり、救うべき存在だったわけだ。WWⅡ後、政府軍と共産軍の内戦となり、チャーチルやトルーマンは政府軍を支援、西側陣営に属した。1981年、経済発展が不十分だったギリシアはポルトガルやスペインに先駆けてEC(欧州共同体)に加盟した。ジスカールデスタンは「プラトンの前にドアが閉ざされることはない。」と語り、加盟に賛成をしたという。

…「叩けよ、さらば開かれん。」というのはプラトンの言葉とされる有名なコトバだが、新約聖書にあるらしい。

このギリシアの加盟は、70年代半ばの特に南欧の共産主義勢力(ユーロコミュニズム)の台頭の中、ECが経済だけでなく、政治面(民主主義を基盤とする方向性)での結束を図る必要性に迫られていたことと関係する。ギリシアを加盟させることで、ECの政治的アイデンテティを表明したのだ、という。「プラトン」は民主主義という政治理念を手土産にECに加盟したわけだ。

先のギリシアの財政危機については、欧州の精神的故郷という思いが表明されることはまれであった。欧州が救くおうとしたのは、ギリシアではなくユーロという通貨であり、EUという組織である。ユーロはEU統合のシンボルである。経済への配慮より政治的思惑が先行している。

ユーロ導入にあたり、発展の度合いの異なる加盟国がいかに経済成長をもたらすのか、金融危機発生時にどう対処するのか、さほど深い議論なしに導入された。ユーロ圏内の財政規律は、現在ほとんど守られていない。政府債務残高60%以内でなければならないが、平均92%である。ギリシアは177%と突出しているが、ドイツでさえ75%である。ユーロが、政治統合のシンボルであることの証左である。

EU統合の理念は、もうひとつ域内のヒトとモノの移動の自由がある。この理念が今年になって急増した難民の波に揺さぶられている。EUには、ダブリン協定(難民は最初に足を踏み入れた加盟国で難民申請し、その責任を負う。)がある。ギリシアは、今年9月までの海路で到着した難民52万人中39万人が上陸している。ギリシアには、1920年代にトルコとの住民交換で110万人の難民を受け入れた歴史がある。この記憶が反映しているのか、経済危機にあるギリシアに留まる心配はないと計算しているのか。9月22日の会議でEUは12万人の難民受け入れ数の配分を発表した。東欧諸国の反発の中、ギリシアとイタリアには割り当てはなかった。

国ごとの難民割り当ては、失くなった国境が再び現れようとしていることを意味しないか。

ギリシアの財政危機には「欧州の連帯と責任」が語られることはなく、難民問題には繰り返し語られている。これは、EUの硬直化を表しているのではないか。

…この小論、実に面白い。ユーロ導入に際しての詳細な金融シミュレーションがされず、導入したという事実が凄いし、現在のギリシア金融危機と難民配分問題は、EUの統合の現実の二側面を表しているという視点。授業に活かしたいところ。うーん、3学期の最終授業くらいにになるなあ。

2015年10月9日金曜日

黒い子猫の里親になる(6)

先週、行く予定だった糖尿病の1ヶ月ごとの検診に行ってきた。車で迎えに来てくれた妻に、猫のチューチューの昼間の様子を聞いてみた。我が家は3階建てなのだが、各部屋の扉と窓をきちっと閉めた上で、昨日今日とチューチューを放し飼いにしてみたらしい。ゲージの中だけだと退屈だし、運動をさせようと思い立ったのだという。各部屋には居間を始め危険地帯もあるので、そういうカタチをとったそうだ。

チューチューは、3階の窓(もちろん閉まっている)のところでじっとしていたらしい。昨日は妻が階段を昇っていくと、慌てて飛び降り、階段で躓き、落下しつつももちなおし、一階の玄関まで降りていったらしい。そして下駄箱の下に隠れたままだったという。家庭内野良猫になっては困るので、無理やり出してキャリーバッグに入れたら、怒ったらしい。妻の好意は、チューチューに通じなかったわけだ。今日は、玄関の下駄箱に一直線だったという。(笑)ずっと隠れていたらしい。

昨晩も夜はガタガタと暴れていたようだ。朝、またまた鳴きだした。私はチューチューの鳴き声が好きだ。可愛い。ただ、5時台という早朝なので、さすがに近所迷惑である。だから、「シー。」と子供に言うようにすると、鳴き声が小さくなった。チューチューは賢いのである。褒めてあげた。

まだまた、いきなり近づくと「シャー。」と威嚇してくる。病院から帰ってから時間をかけて話していると、ゲージの一番下、破れたカーディガンを入れたダンボールに入ってきたので、久しぶりにスキンシップした。抱っこは嫌がるが、ダンボールに入ったままなら触らせてくれる。

明日で、チューチューが来てから1週間になる。2週間のトライアル期間の半分が過ぎた。

2015年10月8日木曜日

本校OB・Mさんの人権講演会

ここ5日間連続で、黒猫チューチューの話をエントリーしてきた。今日は久しぶりに学校の話題である。昨日、長い間準備してきたOBのMさんの人権講演会が開催された。5・6時間目を使い、Mさんのパワーポイントでの講演とアンケート記入というカタチで実施した。

ちなみに、体育祭の雨天順延の関係で、先週のLHRがぶっ飛んだので、修学旅行間近の2年生はアンケートは免除して、部屋割りなどの討議にあてることになった。座席も、前から3年ー1年ー2年というカタチにした。ちょうと先週のフィナーレと同じ座席である。混乱も少ないし、先に2年生が退場でき、LHRの時間を少しでも確保できるというアイデアである。

せっかくなので、8人の団長にも協力してもらった。挨拶の合図も集合点呼も全て生徒に任せた。さらに講演の後、OBであるMさんへのお礼として、全員で校歌を斉唱してもらうことにしたのだ。Mさんと初めてお会いした時、後輩に是非自分の活動を伝えたいと言われていた。母校愛の強い方なので喜んでいただけたと思う。

今回の講演は、MさんのタンザニアでのJOCVとしての体験が中心だった。生徒のアンケートを見ても、意外な展開、たとえば、誰も生徒が集まらない中1人で稽古していたことや、準備運動で負傷したこと、整列ができなかったことなど、苦労話がやはり印象に残ったようだ。

また熱心に稽古するルワンダ青年の話がでてきた。彼はツチとフツのルワンダ大虐殺の体験者であったこと。この話に衝撃を受けた生徒も多かった。

中間試験間近なので、アンケートの整理はほとんど出来ていない。ちょっとパラパラと見ただけなのだが、みんな熱心に先輩の話を聞いていたようで、嬉しい。保護者の方も、人権委員さんを中心に参加していただいたが、最後の団長8人を中心にした校歌斉唱には大変感動したという声も多かった。まずは、大成功だったと言っていいと思う。

Mさん、本当にありがとうございました。

2015年10月7日水曜日

黒い子猫の里親になる(5)

今朝は、チューチューのウンチの処理から始まった。朝の5時すぎである。ウンチを処理するのも楽しい。何といっても初めてのウンチである。入れ替えたご飯もちゃんと食べ始めたし、水も飲んだ。相変わらず、夜は暴れたようだし、朝はニャーニャーと鳴き続ける。

ゲージを開けて様子を見ていたら、素早くTV台の方に行ってTVの上部に飛び乗った。TVは薄型なので足元がおぼつかない。滑り落ちて、ゲージに一目散でもどっていった。危険地帯なので、叱らなければならないのだが、ニャーニャー鳴いているのは、やはり外へ出て高いところに登りたいのだとわかった。猫は高いところにいて、敵の侵入にそなえるらしい。(妻の言)

今日は、一階の書庫に妻が連れて行ったそうだ。本をガリガリするかなと思ったらいが、本棚が高すぎて登れず本と本の間で隠れていたらしい。

3階のベランダから隣の飼い猫が入ってきた時は、キャリーバッグに入れてわざわざご対面させたんだとか。かなりビビっていたらしく、ゲージに戻ってから文句を言ってるようにニャーニャー鳴いていたらしい。(笑)

とはいえ、やはりなかなか慣れてくれないのだ。なんか今度は左目が涙目になっているような気がする。風邪が治ってないのかなあ。心配だ。

2015年10月6日火曜日

黒い子猫の里親になる(4)

黒猫チューチューは、昨日今日と、ちゃんと食事してくれている。まだまだ警戒心が強いけれど、やはり可愛い。妻が、また夜にガタガタしてるので、見に行って、部屋の電気をつけたら凄く威嚇したそうだ。妻は、びっくりしたらしい。

なかなか慣れてくれないのだけれど、右目も大分回復してきた。写真は、ピンクのフワフワ袋に入って 抱かれたまま撮った写真。あと何枚か撮ったのだけれど、うまくいかない。チューチューは写真が嫌いなようだ。

今朝もニャーニャーと長い間鳴いていた。猫語が分かればいいのにと、つくづく思う。何を伝えたいのだろう。離ればなれになった兄弟のことかな。水が欲しいのかな。もっと外に出して欲しいのかな、などと想像するしかできない。

昨日は少し遠慮して、抱っこしなかったのだけど、今日は思い切り抱っこしてやった。逃げ出したけど…。(笑)

2015年10月5日月曜日

黒い子猫の里親になる(3)

昨夜も、我が黒猫のチューチューは、ゲージ内で暴れていたようだ。よほどのストレスなのだろう。ボランティアのOさんのメールによると、兄弟猫とゲージを分けたときも、鳴き続けたんだという。なんか、気持ちがわかる。寂しかったんだろう。まして、今や完全に孤独である。

朝起きてゲージを見るとトイレ用の砂などが大分散らかっていた。それを掃除して、減っていない餌に大好物らしいマグロのどろっとしたのを入れてみた。すると、チューチューは、少しだけだけれど食べたのだ。いやあ、嬉しい。初めてチューチューが餌を食べてくれた。

さらに外に少し出してあげたら、凄い勢いで鳴きだした。朝6時前の話である。だが、私は初めてチューチューの鳴き声を聞いたのだった。いやあ、可愛い。(ちょっと近所迷惑だが…。)

帰宅後、餌はさらに減っていた。妻に聞くと、おしっこもしたらしい。ちょっと安心したのだった。

ゲージの中でげづくろいする姿を見せてくれたりするのだが、まだまだ警戒心は取れていなようだ。

チューチューの写真を撮るのは(右目も完全ではないし、ゲージの中の暗いところにいるので)まだまだ難しい。で、今日の画像は夕食のシチューでごまかそうと…。(笑)

2015年10月4日日曜日

黒い子猫の里親になる(2)

日本ラグビーが歴史的なW杯2勝目をあげたり、本校野球部が秋季大会で大阪T高校に負けベスト8で終わってしまったり、首相が国連の記者会見で、見事に反知性的な回答をしたり、エントリーすべきコトは多々あるのだが、今の私と妻の最大の問題は、黒猫チューチューである。

昨日、我が家に来たチューチューは、あれから食事をしていないのだ。昨夜はストレスからか、息子の部屋やその後入れられたゲージの中で大暴れしたのだった。(私は爆睡していて全く知らなかった。)

なかなか慣れてくれないのが、辛いところであるが、それよりもまず、食事をとって、トイレをして欲しいのである。何度か目を拭いたり、目薬を入れたりしているのだが、それ以外はじっとしている。

画像は、チューチューのゲージ。一番下のダンボールの中で固まっている。うーん、可愛そうだ。どうしたものか…。

<首相の反知性的記者会見・常任理事国になれるはずがない。>
http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/30/abe-refugee_n_8219324.html

2015年10月3日土曜日

黒い子猫の里親になる

右目が痛そうなので、初回は
OさんのHPの写真をお借りしました。
だいぶ前から、猫を飼いたいと思っていた。先日、妻と話をしていて急遽、飼おうということになった。夏のポーランド行もそうだが、だいたい我が家は、こういうふうに物事が決まる。(笑)なんとなくペットショップで買うのは、違和感があったので、もらい猫をしようとWEBを調べていたら、同じH市内で、野良猫が生んだ黒ネコ君(3ヶ月・去勢、ワクチン接種済)を育てているOさんという方のページにたどりついた。メールでやりとりをしつつ、先日お見合いをしたのだった。動物を保護しつつ、命を守っていこうとするボランティアのOさんには頭が下がる思いだった。そして、いよいよ今日から2週間のトライアル開始である。

かなり臆病な子で、最初抱いてもドラえもんのように耳がペチャッとなった。かなりビビっている証拠らしい。妻と代わる代わる抱っこしていたら、わりと素直に抱っこさせてくれたし、耳もピンとたつようになった。これならなんとか大丈夫だと思い、里親になった次第。

最初は猫ゲージも用意して、何度も抱っこしたりしながら慣れていくようにするほうがいいとのこと。早速、ゲージや、ハッモックや、トイレや食事・水などのグッズを星の数をたよりにamazonで一気に買い求めたのだった。

猫の名前は前々から決まっている。古い米製アニメのドラ猫大将の仲間「チューチュー」である。

実はチューチューはOさん宅でたくさん飼われている猫たちに、風邪をもらったようで、左目が涙目になっている。可愛そうだ。(Oさんから詳しく病状も聞き、目薬も預かった。)Oさんが帰られて、とにかくゲージに入れた。しばらくして、外に出したら、TV台のヨコの狭いスペース(アンテナ線やコードがあって、居間の最も危険地帯)に隠れてしまった。大分、説得したのだが、動きそうにない。「家庭内野良猫」になられては困るので、ちょっと無理して引っ張り出した。すると、今度はどこに隠れるのかと思ったのだが、ゲージに帰ってじっとしている。

かなり緊張しているんだろうなあ。妻は猫を子供の頃飼っていたので、いろんなことをよく知っている。猫は、犬みたいに叱ったりしてはいけないらしいので、気長に慣れるのを待つ我が家だった。

2015年10月2日金曜日

佐藤優 超訳 小説 日米戦争

佐藤優の「この国が戦争に導かれる時 超訳 小説 日米戦争」(徳間文庫カレッジ/本年7月15日初版)を読んだ。実に面白かった。大正期の大衆娯楽小説である樋口麗陽の「小説 日米戦争未来記」を現代的に読めるように”超訳”したものである。

小説の内容をバラしたいところだが、やめておこうと思う。なかなか意外な展開を見せて、小説としても面白かった。佐藤優がわざわざ、この「小説」を蘇らせたのは、現在の反知性主義への反駁である。宇野弘蔵氏と仏文学者・河盛好蔵の対談(宇野弘蔵「資本論に学ぶ」)の中で、「社会科学としての経済学はインテリになる科学的方法、小説は直接我々の心情を通してインテリにするものである。自分は今こういう所にいるんだということを知ること、それがインテリになるということだ。経済学は我々の社会的位置、小説は自分の心理的な状態を明らかにする。(小説を)読んでいて同感するということは、自分を見るということである。」

…だからこそ、『小説』を超訳したのだという。

現在の反知性主義的な政治を象徴する話が「解題」に出てくる。今日の帰宅時に読んでいて、後ろにコケそうになった話をエントリーしておきたい。社会全体としての知的体力の地盤沈下の例として、外務省幹部で内閣官房副長官補(事務次官級)K氏が、早稲田大学での講義をまとめた「戦略外交原論」という大著があるのだが、散々な内容である。

『名誉革命によって頑迷なジェームズ2世を追放して大陸からオランダのオレニエ公を迎えるという事態に発展した。英国貴族議会は、王位に就けたとはいえかつての宿敵であるオランダ領主を兼ねた新英国王の権威に厳しい制約を課し、マグナ・カルタを作成した。』

…凄い間違いである。おそらく、私の世界史の教え子でも間違いを指摘できる。名誉革命は1688年、マグナカルタ制定は1232年。佐藤優の指摘では、「明治維新(1868年)の結果、御成敗式目(1232年)が制定されたというぐらいの間違い」である。(笑)安倍政権のブレーンで、社会的にエリートと言われている人間が、この程度のレベルであることが信じられない。(きちんとした活字になっていることが凄い。ワセダの大学生も拝聴し、書籍化の中で編集者も校閲者も見逃している。)

佐藤優は、ロシアのことわざで「魚は頭から腐る」をあげている。社会や組織が腐敗していく時には、まずトップ、エリート層から腐ってくるという意味らしい。さらに安倍政権の最大の問題は、内閣そのものが反知性主義に犯されていることであるとして、首相経験のある副総理の言を挙げている。
『(戦前のドイツの)憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね。』

…ナチス憲法などあるわけがない。信じられないほどの反知性主義である。佐藤優は、この反知性主義の蔓延に、(TPP問題などで)反米機運が吹き荒れれば、まさに小説を書いた樋口が懸念した熱狂が生じるだろうと。まさに、佐藤優がこの本を表した理由がそこにある。

…小説自体も面白かったし、佐藤優の解説も興味深かった。おすすめの文庫本である。

2015年10月1日木曜日

なぎなた部 I先生の満月ポン

本校は、何といっても、なぎなた部で全国的に有名である。I先生というレジェンドな先生が、おられるのだ。近畿総体、和歌山国体と、専門競技のお仕事で半年間留守にされていた。

で、10月になった今日から復帰されたのだった。その際に、本校の先生方に「ご迷惑をおかけしました。」と、満月ポンを配っておられて、私もいただいた。なぎなたのイラストが入っていてなかなか可愛い。

隣席のM先生は鹿児島出身で、「満月ポンって、どんなお菓子ですかぁ?」と聞いてきた。「?」大阪人としては意外な発言だった。職場で大笑いになった。「ラスクみたいなお菓子ですかぁ?」「うーん。醤油味。」「?」と、いうわけで、早速開けて食べていた。(笑)まあ、我々が初めて鹿児島のカルカンを食べるようなものである。

10月である。昨日やっと雨にたたられた体育祭(前半しか実施できなかった。)の団アピールだけ実施できて、文化祭と合わせてフィナーレまで終えた。一気に中間考査へ向けて学校が落ち着いてきた、…ように思う。

ちょうど、年度で言えば半分過ぎた。来週は、人権講演会も控えているし、教務の仕事もいろいろとある。昼休みは考査後に始まる総合的学習の(希望が多かった講座の)抽選会。また府内の全中学校に「体験入学」の案内を送付するという仕事もあったりする。印刷。封筒入れ、切手貼り。教務の仕事は、地道だが、間違いは許されない。

意外に忙しいのである。