2010年6月30日水曜日

広報パンフレット完成の日に


5月から心血を注いできた本校の中学生用のパンフレットが、ついに印刷されて納入された。明日から広く大阪中の中学校に配布されることになる。と、いうわけで、我がブログにもやっと掲載が可能となった。4月30日付のブログで、すでにこのパンフレットの基本コンセプト等については触れているので、とにかく見てていただければと思う。<表紙は本校の航空写真/見開きで左に国語科の国語辞典/右に英語科の英和辞典/裏表紙は、”地球市民を育む”というコピーに変わった国際交流>


さて、今日はすこぶる眠い。昨夜のW杯日本VSパラグアイ戦を、延長戦、そして最後のPK戦まで見ていたからである。昨日は、下校の時I先生に「サッカーファンとして、今度は絶対見て下さいよぉ」と言われた。見るのは当然である。毎日、デンマーク戦を生で見ていないことをなじられているのだから。(笑)ところで、パラグアイ戦、死闘だった。ハーフタイムにもI先生とメールのやり取りをしたが、「しんどい試合やのぉ」というのが精一杯である。あそこまでセカンドボールを拾われては…。

昔、JICAの高校生セミナーでパラグアイの女性消防士さんと対話したことがある。本校のテーブルに来てくれて生徒とワイワイ話した。えらい”べっぴんさん”だった。と、いうわけで私のパラグアイのイメージはすこぶる良い。その後、彼女が帰国しただろうと思われる頃、首都アスンシオンで大火災があった。彼女はレスキューの技術を学びに来日していた。活躍できたのだろうか、無事だろうかとずいぶん心配したのを思い出すのである。


ところで、今日はOGが3人もやってきた。1人は今年国語科を卒業したK大学で比較宗教学をやっている、仮想世界ゲームではW地域の政党主だったOGである。立ち上げたNPOの話やハンブルグ行きの話、18日の仮想世界ゲームの実施の話などで盛り上がった。結局、18日はアシスタントで来てくれることになった。心強い。(朝、学校のPCに大阪の某国立大学付属高校から参加連絡があった。幸せである。40人は十分そろいそうである。)もう2人は一昨年度の卒業生。レポートの相談を受けた。「文明」と「野蛮」、欧米的なこの立てわけについて論じる。正直、期末試験を4つも作らねければならない多忙な時期ではあるが、それを念頭においても、あまりある至福の時である。こういった話をできるのは、本校の教員であるからこそである。

2010年6月29日火曜日

子供嫌いのアメリカ文化


 街場のアメリカ論という文春文庫を読んでいる。ちょっとばかし胡散臭そうなアメリカ論なのだが、著者の知的水準と筆力で読ませてくれる。この内田樹という人、神戸女学院大の教授らしい。アメリカが専門ではないのだが、(十分専門的知識があると思うが…)いや専門でないからこそ語れるアメリカ論だという。なかなか面白い。池上彰的「そうだったのか」の対極にあるアメリカ論かもしれない。

 私が特に面白く読ませてもらった箇所をちょっとだけ書くと、『アメリカン・ヒーロー(スーパーマン・バットマン・スパイダーマン)は、理解されない。』特殊な能力をもつ白人男性が、スーパーな本性を見せることを禁じられ市民的な偽装生活を送ることを余儀なくされおり、どういうわけか活躍しても誤解される。このイメージは、国際社会の中のアメリカ人の投影であるとの著者の見解。面白い。

 アメリカというより、『欧米では古来、子供は悪である』と見られていたこと。人間は罪深いものであり、子供最もその原始の姿に近いゆえに矯正されるべき者、あるいは親の所有物という観念を、アブラハムのイサク生贄の話や、チャーリーとチョコレート工場などの映画から説く。なるほど。そういえば、アブラハムのイサクの話にもなんら逡巡がない。チョコレート工場の映画は先日TVで見て、あまりにガキどもがかわいくないので、私は途中で見るのをやめた経験がある。面白い視点である。

 一方で、アメリカと日本の関係を見事なねじれ現象で説いている。右翼が日米安保を堅持しつつ自主憲法制定を主張し、左翼は日米安保破棄を訴えながら、憲法9条を守れと戦う。まさにねじれている。最近は、安保破棄、自主憲法制定などという右翼らしい右翼も出てきたみたいだけど…。勝谷誠彦のことやが…。

 こういう様々な角度から論じる評論を読んでいると、まだまだ勉強が足りないなあと思うのである。でもまあ、アメリカ人にこの視点から討論したとすると、絶対喧嘩になると私は思うなあ。

2010年6月28日月曜日

40人を集める


 さてさて、久しぶりに仮想世界ゲームのことを書こうと思う。いよいよ今週の土曜日から日本国際理解教育学会で東京である。すでに先日の土曜日、50部の資料は刷り上がっている。全32Pで両面印刷なので大変だった。結局A4で800枚くらいの量である。これを東京まで運ぶとなるとしんどい。ボーナスの小遣いを愚妻に前借りして、キャスター付きの小さめのスーツケースっぽいのを日曜日に購入した。パワーポイントなどプレゼンの準備も終わっている。東京の安宿も手配した。
 
 それより問題なのが、18日の本校で行う仮想世界ゲームである。各校からメールが帰ってきたが、今朝の時点では、府立のS高校4、S高校9、S高校1という現状だった。ありゃーイニシャルが、みんなS高校である。(笑)M高校からは残念ながら…という返事。国立高校からはまだだが、これは、いよいよ本校生をかき集めねばと思っていたのだが、夕方になって生徒の進路相談を受けていたら、I先生が「外線が入ってますよぉ」と言ってくれた。「どこから?」と聞くと、京都の国立高校からだった。慌てて電話口に出ると、なんと「十数人も希望者がいるのですが…」との話だった。狂喜乱舞である。ありがたい!飛び上がった。これで完全に40人のメドがたった。今本校生で声をかけているのは、7名。後はなんとかなりそうである。

 日曜日の学会の発表の最後は、「他の学校の生徒を集め18日に、仮想世界ゲームを実施する予定です。」という内容である。やっぱり、最後は一念である。

2010年6月27日日曜日

本校硬式野球部への賛歌


 今朝新聞を読んでいると、夏の甲子園予選・大阪大会の組み合わせが載っていた。本校の野球部はくじ運が良かったのか、2回戦からの出場で、府立M高校と私立Y高校の勝者との対戦になっていた。19日、住之江球場での対戦である。<今日の画像はその住之江球場である。>私は、あんまり野球に詳しくない。しかも得意ではない。とはいえ、硬式野球部というのは異論もあろうが、やはり特別な存在に思える。良い、悪いは別にして全てのチームの選手の名前が新聞に掲載される。(バレーやサッカーやバスケットなどを熱心に指導されている先生方は、この差を快く思っていない事が多い。)なにか不祥事があると大きく扱われるし、高校のクラブ活動の中では最もメジャーなのである。小規模校で、しかも男子が少ない学校なのに、硬式野球部があるのは不思議である。
 本校は、本当に良い学校だと思うが唯一の欠点は、グランドが”ない”に等しいということである。詳細に言えば、あるのだが、徒歩5分かかり、猫の額のようなグランドで、テニスコートが4面とれるかどうかしかない。しかも同じ市立のH商業高校との共有である。そんなグランドで硬式野球部は練習している。したがって、内野の守備練習はともかく、外野フライなどノックできない。グランドが使えない日は、校内でトスバッティングをしているが、普通でも狭い校内である。なんとバドミントン部のお古のシャトルをトスしている。キャッチボールも出来ない。でも、彼らは、きちんとユニフォームに着替えて毎日練習しているのである。

 前任校のI工業高校の野球部は強かった。野球をするために学校に来ていた生徒が多かった。私のいた15年間ではさすがにプロに行った生徒はいなかったが、社会人野球や韓国プロ野球に行った生徒も出た。よく甲子園出場校が出場が決まった後、大阪にきて練習試合を申し込んできた。東北地方の有名校でD選手の出身校T高校に4対2で負けたとか、S高校とは4対3だったとか、『絶好のかませ犬』だったらしい。昔々私が学年主任をしていた時、ベスト16まで進んだことがある。藤井寺球場まで応援にいった。”野球部が強い”ということは、嬉しいことである。一度、凄いコールドゲームを見たことがある。相手のチームはかなり弱かった。四球、盗塁の連続とヒットの嵐で打者一巡。一年生が我々の前で声をからして応援していたが、かわいそうなくらい点が入り、いちいち踊りまくって歌いまくっている。「おい、もう休んだらどうや。」と言ったら「いえ、先輩に怒られますから。」とのこと。笑った。彼らは心では「えーかげんにしてくれぇ」と思っていただろう。結局1回が終った時点で10点以上の差がついた。相手校への配慮か、前任校の監督は一気に選手を変えた。と、いってもやはり強いので、あと5点くらい追加したと思う。「やれやれ、ヒドイ試合だった。」と生徒に祝福もせず帰ったことを記憶している。

 と、いうわけで、本校に赴任してからも、試合と授業や補習が重ならなければ、出来るだけ応援に行くようにしてきた。ところが、本校の野球部は、当然のことながら弱いのである。外野フライが飛ぶたびに、目を覆いたくなる。内野ゴロをうまく処理できた時は大拍手である。”勝つ”というより、アウトを取ることが拍手の対象になる。エラーが当たり前のシチェーションである。まさかこんなに差があると思っていない一般生徒は、最初こそ期待の声援や拍手を送っているが、だんだん母性本能のみで拍手を送るようになる。ヒットなど出た時は、優勝したような歓声に包まれるのである。あれは赴任2年目の万博球場だったと思う。ちょうど前述の前任校の時経験した”ヒドイ試合”になったことがある。前任校の監督には、サムライとしての情けがあったが、本校が対戦した相手校にはなかったようで、大阪大会歴代第2位の記録のコールドゲームとなった。私は、勝者と敗者と全く違う立場で、このような”ヒドイ試合”を見たことになる。
 でも、彼らは今日も『野球』をやっている。それが、バドミントンのシャトルであっても、ひたすらスキルアップを目指している純真な姿は、レベルこそ違え強豪校と同じである。頑張れ、…本校野球部! 

2010年6月26日土曜日

姉妹校交換留学説明会


 今日の大阪は1日中雨で、湿度の高い1日だった。今日は土曜日だが、姉妹校の交換留学の説明会があるので出勤した。本校には教室棟4Fに、”多目的室”という名の普通教室2室分のスペースに最大160名が入って座れるような部屋がある。国語科の特別講義(大学の先生や、小説家、アナウンサー、落語家など様々な方が生徒に講演する。年間かなりの回数が行われる)や英語科の外務省講演会(外交官が年1回来て様々な話をしてくれる)、国際交流部の仕事でいうと研修旅行や修学旅行の説明会、さらに学年全体を集めることも可能な部屋である。今日は、保護者の方にも出席いただくので、この部屋を使わせていただいた。
 
 姉妹校との交換留学は本校の特色の1つである。毎年優秀な生徒をアメリカのU校<今日の画像はU校のスクールバスの画像である。>やオーストラリアのMW校に送っている。だが、そのハードルはなかなか高い。また交換留学経験者は本校の顔でもある。様々な時に協力してもらうことになる。先日行われた英語科のスピーチコンテストでも、留学体験談を話したし、オープンキャンパスなど受験生の前で話すこともある。選抜時には、学力だけでなく人物面も重視している。

 今日の説明会には結局1・2年生と保護者が約30組集まっていただいた。今年の留学生の枠は8名である。正式なエントリーは来週からである。さて、どうなるか。朝に玄関ロビーに掲示しておいた”多目的室はこちらですという案内”は、たった1日で”ふにゃあ”となっていた。凄い湿気である。ご足労いただいた保護者の皆さまに、改めて感謝したい。

追記:リンクしている「アフリカのニュースと解説」で、『アフリカ非在住者のブログ・リンク集』として私のブログを紹介していただきました。ありがたく思います。

2010年6月25日金曜日

リリ~君の第一次・合格を祝す


今日は非常にメデタイ日であった。結局昨晩は”日本vsデンマーク戦”を見ずに寝た。朝起きて、ニュースで3つのゴールシーンを見た。モーニングをとっていると、携帯にメールが来ていることに気付いた。I先生からである。なんど着信時間は今朝の4時台である。「寝てる場合とちがいまっせ。」…彼は見てたのだ。くやしかった。本田や遠藤のゴールを生で見ていたら、鳥肌が立っただろう。職員室に入ると、I先生はヒヒヒと笑った。何も言わなくともわかる。私の失態である。悔しいが、とにかく日本が勝った。メデタイのである。

 さらに、今日は同じ市立のO高校から、A先生が国際交流の件で来られていた。ゼロから国際交流を立ち上げるのは難しい。本校の新旧国際交流担当がレクチャーしたようだが、だいじょうぶだろうか?ところで、A先生の名前は以前から私の耳にも入っていた。JICAの教員研修旅行・タンザニア行きに応募していたのである。今日挨拶をして聞くと、見事合格したらしい。いやあ、メデタイ!タンザニアである。黄熱病の注射の件や、お土産はティンガティンガ(タンザニアの絵画)がいいですよ、などと話していた。かなり羨ましい。

 そしていよいよ本題である。本校OBであり、JICA大阪の高校生セミナー本校1期生である”リリ~君”が、見事にJOCVの一次試験に合格した。超メデタイ!朝、YAHOOのメールボックスに、リリ~君のメールが来ていることを知った。学校では開けられないので、自宅でメールを見た。予想どおり合格の知らせだった。次は面接である。彼の想いを十分ぶつければ合格は間違いないだろう。私の夢のひとつがかなう時が近づいてきた。いやあ、メデタイ!と、いうわけで、今日の画像は、リリ~君に送るJOCVという画像である。

2010年6月24日木曜日

剰余価値は教師にも該当するか


 ガーナが決勝トーナメントに進めてメデタイ。私の体調も薬が減って快調な1日であった。さて、現代社会の授業では、このところ経済の基礎として、経済学説をひとまとめしている。商業資本、産業資本、金融資本の話から、古典派経済学、ケインズの修正資本主義、新自由主義、それに一応教養としての社会主義…。前回の授業では、唯物史観の話をしていた。今日は、剰余価値説である。<と言うわけで、今日の画像はカール・マルクスさんの登場である。>前回の授業の最後に、私はアメリカのいろんな州のカープレート・コレクションを社会科準備室から持ってきた。私の宝物である。アリゾナ、ノースカロライナ、サウスダコタ、デラウェア、そいてアイオワなどの色とりどりのカープレートに生徒は盛り上がる。このプレートをセリにかけてみる。中には「3000円!」という声もかかった。「素敵だけどお金を出す気はない。」という生徒もいた。そう、それでいいのだ。商品の価格は、価値なのである。人によって価値観は異なる。まあいい具合で価格が決定するわけだ。これが、高校生に、剰余価値説を教え、理解させるコツである。
 では…と、ラーメン屋をやるとしよう。オーナーは誰にしようか?君。(ちょっとハーバード大学みたいである。)誰を店長にする?彼。いいねえ。アルバイトを雇おう。誰が良い?彼。いいねえ。といった調子で、説明を加える。さて、ラーメン屋をする資本としてオーナーに500万円ほど出してもらおう。店長には道具屋筋に行っていろいろ買ってきてもらおう。鉢やスープ鍋…。麺はどうする?ストレート麺ね。と、いるものを黒板に書きだしていく。Gは最初に投じたお金だ。Wは商品。さて、ラーメン1杯いくらにする?「750円」の声に、「高い!」との声。あわてて600円に下がった。(笑)さて、この麺、スープ、鉢、これらをなにもしないままでおくと価値はあるかな?600円で買うかな?皆、いらないという。では、ラーメン一丁!として出てきてこその600円だな。全員頷く。GからWになる間に価値が生まれたよね。みんな頷く。誰が価値を作ったのだろう?「店長」の声。G’は売上だ。WとG’は等しい。G’-Gが剰余価値だが、要するにに儲けである。この儲けは誰が生んだのだろう。もう皆わかっている。店長とアルバイトだ。付加価値をつけたのだからラーメンが600円の価値になったのだ。では、この儲けは誰のもの?オーナーのものである。店長やアルバイトには入らない。だって、600円の中に人件費も入っているのだから。これをなんというか?さすが、国語科である。『搾取』という語彙を簡単に答えてくれる。そして、話はマルクスの人間観に持っていく。マルクスは労働こそが人間性を最も発揮できると考えたが、反対に労働が人間性を『疎外』していることを説いていく…。

 ちょっと長くなったが、今日の授業はこんな感じだった。さて、今日は来年6月に教育実習にくるOGが面接にやってきた。K大学政策創造学部の3回生。2年生の時は私が担任だった。来年は日本史を教えたいと言う。たまたま今年は私が教科主任になので面接担当だ。いろいろ話を聞いていると、政策創造学部に進学した理由は、私の地球市民への熱意だったらしい。今、アジアの開発について研究しているという。嬉しい。無茶苦茶嬉しい。教師として、人間性を実現できた瞬間でもある。マルクス氏のいう『疎外』は、教師という職業にはあてはまらないのだろうか?
 …私は教師こそが生徒にとっての最大の教育環境だと信じている。そう信じ実践する”一念”(5月27日付ブログ参照)が人間性の実現の鍵を握っていると思う。
 私は大阪市の教員であり、私企業ではないので剰余価値説はあてはまらないように思うが、少なくとも私の労働は給与以上の労働なのだろうか?
 …私は給与以上の労働をしていたいと思っている。それが、教師の矜持である。だからこそ人間性を実現出来るのだ、と信じたい。
 今日は、久々にOGに会い嬉しい話を聞いたのと体調が良いので”美学”に色どられたブログになってしまった。ちょっと恥ずかしい。

2010年6月23日水曜日

ガーナの積極性に期待する!


 ワールドカップも、第一次予選の通過決定国が、ボチボチ出てきた。私の応援するアフリカ勢は、すこぶる厳しい状況である。開催国南アが敗退…。最後にチーム事情がボロボロだったとうはいえ、強豪フランスに勝ったのが、せめてもの慰みである。あのマンデラ大統領誕生下での、ラグビーW杯開催、そして優勝という快挙は再現できなかった。カメルーンも、ナイジェリアも沈んでしまった。コートジボアールも絶望的である。北朝鮮がポルトガルにあんな負け方をするとは…。10点くらいとらないと予選突破できない。アルジェリアはサブ=サハラ・アフリカではないので除外すると、残るはガーナのみになってしまった。

 ガーナはおもしろい国だ。ガーナ人といっても様々なエスニックグループに分かれているのだが、マジョリティは、ガ族とアカン族である。彼らは、アフリカでは商売人のイメージが強い。内戦が終わってちょっと治安が回復したら、ガーナ人が商売にくるというのは有名だ。(中国人も来るらしい。)ガーナの人々は、そういう意味で、ものすごく積極的である。ジンバブエから、南アのプレトリアに帰る夜行バスの中で、ガーナ人と隣り合わせになった。背広を着たいかにもビジネスマンであった。彼は、アカン族だった。彼と話をしていると、斜め前に座っていた民族衣装を着た男が、おれもアカン族だ。と声をかけてきた。彼らは、私を挟んだまま、アカン語で話し出した。しかし、途中で英語に変わったので、何を話しているのかが解った。アフリカの未来についてであった。背広氏は開発を進めることが重要だと主張し、民族衣装氏はアフリカの伝統を守ることがそれよりも重要だと主張していた。やがて、彼らの論争は私を巻き込み、最後は民族衣装氏の独演会になっていく。(アカン語から英語に変わったのは、おそらくアカン語にない語彙を英語で語っているうち、全部英語になったのだと推測する。アフリカの中等教育が、英語やフランス語で行われている理由はそこにある。)貴重な体験だった。おそらく、ブルキナべなら、このような話題には黙ってしまうだろう。ケニア人もあまり語りたがらない。彼らは、従順で素朴な人々が多い。ところが、ガーナ人は前へ前へと話を勧めていく。

 ガーナは、アフリカの年に先駆けて独立した。この辺もお国柄かもしれない。そう、今回のW杯、アフリカ勢が決勝トーナメントに残らないのは、あまりに悲しい。前へ!前へ!是非とも勝ち残って欲しいものだ。

追記:今日は午後の授業がなかったので、英語科のスピーチコンテストもあったのだが、後半休をいただいて病院に行って来た。薬の副作用で低血糖状態もここ何日か続いたからである。血液検査をして、血糖値もすぐ測ってもらった。110…。”糖尿病の範囲”ではあるが、比較的低かった。で、血糖値を下げる薬を2種類から1種類のみに、それも少量のものに変えてもらった。これでちょっと様子を見るみたいである。ちょっと嬉しい。愚妻はすでに、これで安心してガバガバと食べるのでは…と危惧している。私は愚妻という釈迦の手の平に乗っているである。

2010年6月22日火曜日

リリ~君へのアフリカからの回答


 OBのリリ~君の新しいブログが面白い。面白いというより、彼の真面目な研究日誌のような様相を呈している。今日は、彼のブログを読んでの感想を書いておきたい。 
 彼の21日づけのブログにこうある。ドミニカ共和国のJOCV(理学療養士として来て欲しい青年海外協力隊)への要請についてである。『解剖学も生理学も基礎医学と呼ばれ、文字通り、医学の基礎なのです。基礎がしっかりしていれば、それを応用していけば先に進むことができます。ドミニカ共和国のこの要請で書かれている「養成機関が成熟していない」というのは、基礎を教えることができていないのか、応用を教えることができていないのか? 基礎医学を教えるのは、理学療法士の知識では上っ面だけになる危険があります。医師でなければいけません。理学療法への応用はもちろん理学療法士が行うべきものです。なので、基礎ができていないのか、応用ができていないのかで、解決策が非常に異なってくるという事です。』
 私は、ドミニカ共和国へ行ったことは当然ないのだが、もしかしたらブルキナファソの教育事情が役に立つかもしれない。ブルキナファソで、JICAのプロジェクト、SMASSE(理数科教育推進事業)の現場を視察する幸運に恵まれた。お世話になったIさんが、JICAの理数科教育専門家やスタッフを呼び私の歓迎パーティーを開いてくれたからだ。実際に視察に来てくださいという話になったのである。で、行ってみた。ちょうど、小学校のベテラン教員に対して、算数の授業を専門家が教えていたところだった。ブルキナには、三角定規やコンパスなどがない。新聞紙を切って、同じ直角三角形をいくつも作っていた。さて、問題。円を4分割したい。どうすればよいか?なんと、彼らは考え込んでいたのである。日本の小学校低学年レベルの話である。これは、一般の教員の、さらに上の校長の、そのまた上の役職(地域の学校を統括する立場の教員)なのである。彼らには、円は360度である。直角三角形は30度、60度、90度で構成されているという”知識”は当然ある。だが、経験知が極めて少ないのである。<今日の写真はその時の模様>私はびっくりした。確認しておきたい。ブルキナの人々を私は断じて軽蔑しているわけではない。教育環境が劣悪ならば、解るものも解らないのである。日本は、インフラ整備より、コンパスや三角定規や分度器を全ての途上国に支援するべきだと思う。
 おそらくリリ~君は、私の紀行文『ブルキナファソ留魂録』をすでに読んでいるはずなので、このことを知っていると思う。さて、ドミニカ共和国の教育事情はどうなのだろうか。ブルキナほどひどくは無いにせよ、おそらく基礎的な部分が、様々な教育環境の不備ゆえにおろそかになっているのではないかと私は推察するのである。
 JICAの専門家の方々が、様々な途上国を渡り歩きながら、我々の想定を超えるような現実を見てきたと口々に言われていた。りり~君もきっと、そういう現場に遭遇することがあると思う。彼は、真剣に思索してくれている。それが嬉しいし、この思索があってこそ、とんでもない現場を切り開く力になるのでは、と期待している。がんばれ!地球市民!

2010年6月21日月曜日

U校帰国に想う


U校帰国の日である。月曜日も授業が4時間あるタイトな日なのだが、朝から帰国に向けての準備に走った。昼休み、共に最後の食事をして、5時間目が始まるまでに学校を立つ予定だ。気持ちよく、そして生徒たちには、授業に遅れないように…複雑な任務である。結局多くの先生方の協力もあってうまく出立できた。
 B先生とハグである。「大阪市は10年でしょ。次は会えますか?」「おそらく無理だと思います。」としか私は答えれなかった。B先生は、日系の血が入っていて、アメリカ人でありながら日本的な要素を強く感じる人だ。4年前に自宅にステイした時も、うちの愚妻の手料理を気にいってくれた。愚妻もB先生のことは気にいっていて、今もよくB先生のモノマネをする。「イイですね。」これがB先生の口癖である。おそらく、もう会えないだろうと思う。バスに向かう時、「毎回、涙がでますね。」と言っていた。ああ、いい国際交流だなと思う。
 10月に、英語科の2年生が研修旅行で、U校へ行く。その時は、4年前にホームステイしたミラー先生にお土産をたくそうと思う。ミラー先生は先日退職されたらしい。ああ、またアイオワの、あのリスが遊ぶミラー先生宅の近くの小道を散歩したいなと思うのである。

 ホストの生徒たち、そして家族の皆様、お疲れさまでした。多くのホスト生は、涙をふき、感傷に浸る間もなく明後日のスピーチコンテストに向け、特訓を再開した。…本校はこういう…学校です。(笑)

2010年6月20日日曜日

カルザイと抹茶ロールケーキⅡ


 今日のブログは、昨日に引き続き愚息とカルザイ大統領の対話集会の話である。このニュース、昨日NHKTVで、6時すぎと8時ごろ流れたらしい。らしいと言うのは、私も愚妻も見ていないのである。愚息本人に旧友から、我が家に義姉から連絡が入ったのでわかった次第である。そう、愚息がTVでインタビューを受けていたのである。

 日本を訪れているアフガニスタンのカルザイ大統領が、きょう、京都市の大学で大学院生との対話集会に出席し、「日本の人たちの貴重な援助は、政府として効果的に使いたい」と述べました。対話集会は、京都市上京区の同志社大学で開かれ、大学院生などおよそ100人が参加しました。はじめに、カルザイ大統領は「アフガニスタンは、経済の発展やインフラ整備などが大きく進んだ。特に大学に通う女子学生がおよそ4割となるなど、教育の面で大きく前進した」と述べました。また、日本政府が予定している日本円で4500億円にのぼる財政支援について「日本の人たちの貴重な援助を政府として、効果的な事業に使いたい」と話しました。続いて質疑応答が行われ、大学院生が「両国の文化の交流についてどう思うか」と質問すると、カルザイ大統領は「1000年以上前から日本とは仏教を通して長い交流がある。また、互いを尊敬しあうなど、多くの共通点があると思う」と答えていました。また、19日午前に広島を訪問したことを受けて、カルザイ大統領は、核兵器について「原子力は有効なエネルギーになりうるが、核兵器は、資源を無駄にし、環境も汚すもので、どの国にとっても助けにはならない」と述べました。参加した、男性の大学院生は「気さくな人柄で、真摯に質問に答えてくれた姿が印象に残った。ふだんは学べない貴重な経験ができた」と話していました。

 これは、NHK京都支局の記事である。この最後のコメントした”男性の大学院生”こそ愚息であるらしい。どうやら、愚息の質問は、この記事には挿入されていない。愚息は、最初アラビア語で丁重な挨拶をして、カルザイ氏をうならせた後、英語で顔色が変わるような質問をしたらしい。それで、終了後マスコミが取り囲んだというわけだ。(笑)
 
 同志社大学というところは、以前ブログにも書いた(3月20日付)が、懐の深い大学である。総長はきっと笑って許したのだろう。愚息は、来年担当教授と共にアフガンに行くらしい。おいおい、大丈夫か?京風の抹茶ロールケーキでも、お土産に持って行った方がいいぞ。

2010年6月19日土曜日

カルザイと抹茶ロールケーキ


今日の大阪は日中は曇天で雨が降らなかった。U校の生徒もホスト生徒もホッとしているだろうと思う。おそらくUSJに行った家族が多かったんじゃないかと思うのである。さて、我が家はというと、愚息が昨夜はかなり遅く帰ってきた。バイクも駐車場が閉まったのでおいたままらしい。
今日は、同志社大学にカルザイ・アフガニスタン大統領が来るらしい。(だいぶ前から知っていたが、警備上の問題もあってブログには書けなかった。)その学生との討論会に行くと言うので、京阪の枚方市駅まで送っていくことになったのである。イスラムの専門である愚息は、英語かアラビア語で質問をするよう担当教授から指示されているらしい。何を聞けばいいのか、難しいところだ。

 愚息を送って、愚妻は「せっかくだから、スーパーに寄って、こんにゃくゼリーを買いに行こう。」というのである。そこのスーパーにしか売っていないこんにゃくゼリーがあるらしい。そういえば、先日学校に持って行かされた。たしかにうまいし、カロリーもゼロに近いのだが、…悲しい。ちょうど父の日セールで、ステーキや焼き肉やケーキや、私にはかなり『毒』なものが店頭に並んでいた。私がそれらを見つめるたびに、愚妻は、「病気やねんで!」と一喝するのであった。さて、帰ろうとしたら、店内のコーヒーショップが良いにおいを運んできた。ショーウィンドーに、クリームがかかった京風抹茶ロールとコーヒーのセット710円とある。愚妻はロールケーキが大好物である。私も喫煙したかったし入ることにした。そのセット1つとアイスコーヒーを注文した。なんと上に乗っているクリームはソフトクリームだった。おいしそうである。愚妻が、「ちょっとだけ食べえな。」と言ってくれた。…極めておいしかった。

 さて、愚息はカルザイ大統領に、どんな質問をしたのだろうか。まさか「京風の抹茶ロールケーキはご賞味になりましたか?」ではないと思うが…。

追記:クッキーさん、読者登録本当にありがとうございます。嬉しいです。できるだけ毎日更新できるよう頑張りたいと思います。

2010年6月18日金曜日

RゴールドとPスイッチ


 今日は授業が1・2限、5・6限と4時間授業のタイトな金曜日である。今日の私の最大の仕事は、放課後のU校歓迎会の段取りである。歓迎式典が中止になったので、両校のプレゼントの交換などセレモニーを第一部として行うことになったのである。空き時間に、せめてもの設営として、「拡大君」という機械でA4判のU校のロゴ・J-HAWKSをA1判以上に拡大した。なかなかいい。生徒会も折り紙を使った設営を作っていて、ちょうどうまくいったのである。さて、セレモニーでの両校のプレゼント、本校からはB先生のリクエストで、小皿のセット(桐の箱入り)である。U校からは、かの「マディソン郡の橋」を描いた油彩画(当然額入り)であった。生徒からヤンヤの喝采である。面白かったのU校生徒のスピーチである。日本や大阪や本校で気になったものを3人で次々とテンポ良く述べてくれた。たこ焼き、お好み焼き…などに交じって『リアル・ゴールド』が入っていて大笑いした。本校の自動販売機にある清涼飲料である。このところ売り切れが続いていた。U校生徒が飲みまくっていたのだった。どうやら、B先生が、”これがおいしい”と言ったかららしい。さらにU校のアトラクション。なんと『ピタゴラスイッチ』のパロディーだった。先生スイッチ(本当はパパやおじいさんに子供がスイッチを入れて、様々なリクエストをするのだが、B先生がリクエストに答える趣向だった。)も大うけ。カフェテリアに満員の生徒たちから大拍手。最後は『アルゴリズム体操』だった。2回目は本校の生徒たちも入って大盛り上がりだった。
 第2部は、生徒会のビンゴ大会。満員でみんなワイワイやっていた。いいなあ、若いうちにこんな経験をするのはと、当事者ながら思ってしまう。最後の片付けまで手伝ってくれた生徒たちと、本校の階段を使って記念撮影をした。<本日の画像は、この時のものである。>
 昨日遅くまでかかってプリントした京都観光の写真をクリアファイルに入れて、U校生徒たちに渡した。非常に喜んでくれたので、こちらも嬉しい。飛行機のトラブルで1日予定がつぶれ、タイトなJAPAN TOURだったが、出来る限りのことをしてあげれたように思う。残りはこの週末をホストと過ごし、月曜日の昼には本校を出て関空に向かう。良い週末を…と思うのだが、雨が強そうである。

2010年6月17日木曜日

J-HAWKS、低血糖と戦う


 昨日の京都の疲れが取れず、ひさしぶりに血糖値を気にする1日であった。新しい薬はよく効くのだが、副作用が出るらしい。土曜日にその副作用である「低血糖状態」になったので、汗が出ると、またか?と心配になる。あの時は立っていることさえ億劫だったので座りこんでしまったのである。
 今日もU校の仕事である。私は国際交流部の広報でもあるので、国際交流通信のU校特集を出さねばならないのである。もう明日の金曜日は歓迎パーティーなので、その結集のために明日の朝には配りたい。1時間目に、正門や、WELCOMの垂れ幕をバックに、U校生徒の集合記念写真を撮る。これと京都でのスナップを中心に、B4判の全生徒配布版を2時間ほどで作成した。さらに金閣寺での記念写真を中心にしたA4判、これはU校生徒へのおみやげ用カラー版として再構成した。こういう作業をしていると、デザインの仕事の合間に授業がある、といった感になる。今日も多忙であった。U校生徒は、今日は海遊館へ観光、放課後は茶華道部と筝曲部での日本文化体験の日であったが、職員会議もあって、I先生にお願いして、直接の対応は1時間目の撮影が中心の日だった。
 職員会議後、全校生徒の国際交流部通信とカラー写真印刷のA4判をプリントし終えた。今日も下校は7時となった。かなり、ぼーっとしていたのだが、PiPiは忘れなかった。(笑)今日の画像は、U校のロゴの中でもレアな「J-HAWKSの雨で試合がなかったよー版」である。明日は雨らしい。ちょっと心配である。

2010年6月16日水曜日

日頃の行いと”ブルーのシャツ”


 本校生とU校生徒の日頃の行いが良いのだろうか。U校の京都観光は、一滴の雨も降らずに無事終了した。午後からは、晴天となり暑いくらいであった。メデタシ!メデタシ!である。本日の付き添いはF教頭先生と私とU校のB先生である。生徒は本校・U校11名ずつ計25名の団体で、ちょっと小さめの観光バスで長堀通から出発した。雲が立ち込める”あいにく…”といった天候だったが、すでに生徒はガンガンに盛り上がっていた。
 高速道路に入ってから、出発前に国際交流部のY先生が言った「日頃の行いが良いので今日は雨が降っていいない」という言葉についてサバイバルイングリッシュで話す。日本の仏教的発想は、実は根底に私=宇宙(コスモスと表現した)、宇宙=私というアイデアを持っている。これはインドから来たアイデアである。仏教とは、ブッダが説いた教えという意味と、ブッダになるための教えという意味がある。では、ブッダとは何か?ブッダは宇宙の法を悟った人間である…などとかなり哲学的な話をした。U校生徒も一生懸命聞いてくれた。てなわけで、三十三間堂に到着である。私の話がきいたのか、(笑)やっぱり世界遺産の1000体の菩薩像が凄いのか、みんな真剣に見学…である。

 さらに清水寺へ。舞台で記念撮影。<今日の上の画像参照>どっかのTVクルーにインタビューされたり、<画僧参照>真っ暗な穴に入ったり、石の間に入ったり、金属の棒を持ち上げたり(B先生が一番気合いが入っていた。)、滝の水を飲んだりといろんな体験をした。さて、坂を下りて、食事やお土産を見ながら、八坂神社まで自由行動。もちろんホストの本校性はU校生が迷わないように責任をもたせた。無事全員集合したところで、金閣寺へ。

 金閣寺は、まさに青空のもと、やっぱり見事に美しい。実は私は京都で学生時代下宿していたのだが、52歳になって初めて本物の金閣寺を見た。(笑)バスの出発まで少し時間をとった。抹茶味のソフトクリームが、U校生に受けていた。帰りの高速も混むこともなく、最新式のカラオケを楽しんだ。U校生が日本語の歌を歌うのにびっくりした。エグなんとかの曲や、嵐?”となりのトトロ”やエヴァンゲリオンの歌も飛び出した。B先生も、”なだそうそう”やビートルズを生徒と熱唱である。<画像参照>いやあ、楽しかったデス。

 今日は、B先生はブルーのU校ロゴのポロシャツ姿であった。私もそれに合わせてU校のロゴの入った同じブルーのTシャツ姿で付き添った。2人とも良く目立つ。迷わず八坂神社で集合できたのは、その”ブルーとU校のロゴ”のおかげかもしれない。

2010年6月15日火曜日

直木三十五の秘密


アーバンデール高校の生徒の世話をしながら、今日はもうひとつ重要な仕事があった。空堀かるた絵の製作委員会である。放課後、このプロジェクトの市役所の担当者と地元の協議会会長さんが本校にこられ、我が美術部の様々な質問に答えていただたのである。今回の「空堀かるた」は、様々な地名が出てきて、生徒たちは美術講師のT先生と共に、フィールドワークを重ねてきた。それでもわからない地名や言葉もあったので、会長にご足労いただいたというわけだ。

 直木三十五は、この空堀が生んだ作家である。彼は年齢に従って名前を変えていたらしい。直木三十、直木三十一というふうにである。友人にええかげんにせいと言われて三十五で落ち着いたとか…。面白い話も聞けた。私はほとんどT先生におんぶに抱っこであるので、出来るだけ黙っていたが、ふと第三者的に本校生(我が美術部だが…)を見ていて、ああいい高校生だなと思ってしまった。

 昨日は1日中修羅場で、そのうえカメルーン戦を最後まで見ていたし、かなり疲れている。明日は京都へアーバンデールのみんなを連れていく。天候は良くないようだが、素晴らしい思い出の1日にしたい。 

2010年6月14日月曜日

やっと…来たぁぁぁぁぁ!


本校の姉妹校アーバンデール高校の訪問団が1日遅れでやっと到着した。本来なら昨日の夕方4時に到着し、今日は朝から歓迎式典の予定だったのだが、デルタ航空の機材の関係でデ・モイン(U校のあるアイオワ州)からメンフィスで足止めされ、さらにシアトルで足止めされ1泊、さらに2時間ほど遅れて関西空港についたのが夕方6時前であった。聞くだけでしんどい話である。こちらは歓迎式典も明日の保健関係の日程からキャンセルとなり、せっかく設置した日章旗と星条旗をはずし、椅子を片付け…プログラムの修正、ホームステイをしてくれる家庭への延着連絡と、まさに修羅場の1日であった。国威交流の部長であるY先生が、関空に出向いたのが4時。結局急遽チャーターしたバスで本校に着いたのが夜の8時前であった。

 U校のB先生と久しぶりの再会である。クタクタだろうが、笑顔で握手。ナイスガイなのである。<今日の画像は、U校の校舎の窓から眺めるアイオワの風景。但し秋の写真である。>

 急いで学校を後にした。結局PiPi(下校の際のカードの打刻)を忘れた。

2010年6月13日日曜日

アフリカを背負うエトー万歳!


 いよいよカメルーン戦が近づいてきた。NHKスペシャルで、カメルーンのエトーの特集をやっていた。凄い男である。アフリカ人に対する差別的な観客に対して、抗議しピッチを去ろうとし、ブラジルの黒人系のロナウジージョがまた「兄弟、お前が出るならおれも出る。」と言わしめ、敵チームの黒人選手から「その意思をゴールで示すべきだ。」との言に答えたという逸話。なんとも凄い。彼のアフリカ人としての誇り。素晴らしい。私は絶賛したいと思う。

 アフリカへ行くと、サッカーのユニフォームが普段着のようになっている。アフリカではサッカーは”日常”なのである。小さい子供が大人用のユニフォームを着て歩いている姿は微笑ましい。エトーの活躍するTVも食堂でみんな見ていた。わかる。あの感じだ。なつかしい。嗚呼アフリカに戻りたい!と思う映像だった。

 ジンバブエへ行くバスで、途中からマラウイのおっさんが横に座ったことがある。おっさんといろいろ話した中にサッカーの話題もあった。「マラウイはサッカーは盛んなのか?」「当然盛んだ。だが、マラウイは貧しすぎてナショナル・チームも弱い。」「なるほど…。ではカメルーンやガーナやコートジボアールみたいになかなかなれないのか?」「先立つものはカネだ。強くするにはカネがかかる。」アフリカの中で、W杯に出ることは、そういう意味でも国力みたいなことが左右するのである。当たり前のことだが、これも現実である。

 経済大国日本。その中で育ったサッカー少年の日本チーム。それに比べればはるかに不利な中で、自分の道を切り開いてきたアフリカのチーム。この格差はいかんともしがたい。ところで今日の”ハーバード白熱教室”は、愛国心と正義というテーマで、今日も面白い討議が行われていた。私は日本を応援すべきだが、やはりカメルーンに予選を突破してもらいたい。アフリカを背負って、歴史を作って欲しい。だから、両チームとも素晴らしい攻防で、できれば引き分けて欲しいと願っているのである。

追伸1:りり~☆の部屋のりり~君が、「国際協力師を目指して」という新しいブログを立ち上げたので、さっそくリンクしました。是非寄ってみてあげて下さい。
追伸2:本日到着予定の姉妹校、米国・アーバンデール高校の訪問団が、飛行機の関係で到着がまる1日ずれることになりました。朝”鍼”を打ってベットで寝ている時に、Y先生より連絡がありました。(笑)今週もイロイロありそうです。

2010年6月12日土曜日

W杯である。呪術師も忙しい。


 南アで歴史的なW杯が開幕した。南ア大統領が、これは南アフリカでのW杯ではなく、”アフリカ”のW杯であると言ったことを、私はたとえそれが政治的な発言であったにせよ、嬉しい。あのジンバブエのムガベが首都ハラレに大画面の応援会場を設定したとか。たとえそれが政治的なパフォーマンスであったにせよ、良いことだと思う。新聞には、これを機会に様々なアフリカの報道がなされている。たとえそれが一時的な流行であったにせよ、悪いことではない。ただ貧困やマイナスイメージのものが多い。アフリカにこれまで関心をもってこなかった一般の記者なら、そうならざるを得ないのかもしれないが…。すくなくとも、アフリカの人々への親愛の情がにじみ出る報道を期待したいところである。

 さて、何かの番組でカメルーン戦に呪術師がナショナルチームに同行しているとの報道があった。私は、たしかにあり得るし、なかなか楽しいと思った。また、南アでも様々な呪術師が南アやアフリカ各国の勝利を祈祷しているとのこと。なるほど、なるほどと私は思った。アフリカでは、こういった伝統的呪術がまだまだ盛んである。誤解をおそれずにいうと、日本における神社での勝利祈願のようなものである。あまり興味本位にセンセーショナルに報道して欲しくは無い。今日は、その事を強く訴えたい。


 <今日の画像は、ヨハネスブルグの呪術用品の店である。ちょっとレアな写真である。入った時私もかなり衝撃を受けた。>アフリカの呪術は、精霊の降臨というシャーマニズムが多い。これを野蛮だなどと決めつけて欲しくは無い。病気の快癒を願い、悪霊を祓うのが「白魔術」と呼ばれるものである。まあ”北斗の拳”的に言えば”シュウ”になる。この能力は裏を返せば「黒魔術」になる。病気を起こす、悪霊を入れ込むわけである。実は、これはアフリカ各国では、公的に禁止されている。「黒魔術」を行ったり、依頼しすることは犯罪行為なのである。ところで呪術に使用するアイテムは、かなりアフリカ的で興味深い。動物の頭蓋骨とか、よくわからい香料とか、様々なアイテムが今日の画像の店では売られていた。私は、もう単純に興味深かったし、関連の本も少し読んだ。ブルキナでも、やはりこういう呪術への信頼は高く、Iさんの話によると、村の入り口にひょうたんが置いてあったりするそうである。荒熊氏によると、アフリカの文化人類学を研究している人々の中で、呪術研究者はマジョリティだそうである。

 重ねて言っておきたい。日本だって幕末に島津斉彬の息子を、お由良(父斉興の側室、久光の母)が呪詛したとか、まことしやかに語られている。呪術は決して野蛮でもなんでもない。一つの文化である。ばっさりと切り捨てるのはやめて欲しい。それはアフリカの文化への欧米的先進国の高慢ちきな”上から目線”である。

2010年6月11日金曜日

イベントは「人」づくりである


今日は本校の体育祭であった。本校は、グランドはあることはあるが猫の額のような面積であり、しかも他の同じ市立高校と共有なので、自前のグランドで体育祭を開催することができない。そこで場所を移して行うのである。今年は大阪市中央体育館であった。名前ほど大阪の中央にはない。港区の朝潮橋にある。<今日の画像参照。外から見ると緑に覆われた古墳のような建物である。>私の感覚から言うと、普段グランドがなく、体育も体育館ばっかりなので、体育祭ぐらい太陽のもとでやった方がいいと思うのだが、女子生徒や女性教員からは、紫外線の関係で、存外好評である。梅雨の時期でもあるし、運営上もそのほうがいいということらしい。

 今日、新校長が最後の挨拶でこう言っておられた。「はじめて、予行なしの体育祭を経験しました。」なるほど…。そういえば、普通は体育祭の前に、予行をやって行進練習や招集の確認をするものである。本校では、ちょっとだけ事前に体育館で生徒会や体育祭実行委員の方で行進の体形を確認するだけである。長年本校にいると、予行がないのが当たり前になっていて忘れていた。新校長は「予行せず、あれだけちゃんとやれるという本校の生徒に感動しました。」とのこと。そういえばそうだなあと思う。

 私が本校に赴任した初年度、私は『用具係』であった。障害物競争のバットやマットや網や、リレーの順位の旗やバトンやアンカーのタスキなどを用意し、会場に運び、当日は設置する係である。体育祭の実行委員会で用具係になった生徒を集め、初顔合わせをした時のことである。3年生の生徒が私のもとに来て、自己紹介をし、「私がキャップです。進めさせてもらっていいですか?」と言ってきた。私が了承すると、彼女はテキパキと全員を指名し、自己紹介させた。次に、進行係から事前に入手していた競技種目をメンバーに割り当てていく。私が驚いたのは、その時すでに彼女が全員の名前を覚え、ニックネームで呼びながら決めていたことである。本当に驚いた。すごい指導力である。

 当日も彼女に好きなようにやらせた。適当にアドバイスをしながら、しんどい仕事だけ手を出した。やがて体育祭が終わり、トラックに荷物を積み、学校に戻ると、用具係全員が校門で我々を笑顔で出迎えてくれた。3年生からテキパキと指示が出され、用具が元の位置に運ばれていった。凄い学校に来れたもんだ…。私はそう思った。

 あれから9年。あんな凄い3年生はもういないかもしれないが、生徒の心根はそう変化していないと思う。それが伝統なのであろう。マイノリティである男子の「野郎会」も、今年も期待を裏切らない素晴らしい演技を見せてくれた。本校のA~D組で縦割りに構成される”団”のアピール、要するにダンス・パフォーマンスなのだが、これも素晴らしい出来であった。これらは、全く生徒の自治能力で創造されている。これはかなりのイベント運営能力を要求されるものである。これらが、きっちりと成立していることが嬉しい。

 ずいぶんと教員も退職したり転勤したりして変わった。生徒の能力を最大限引き出すこと、自由に責任を持たせてやることが特別教育活動(業界用語で、生徒会の自治やクラブ活動、行事などを意味する)の重要なポイントであるという私の信念は変わらない。イベントは「人づくり」なのである。生徒が成長すればいいのだ。結果はあとから付いてくるのである。形だけ整っても、イベントで教員の指導が入りすぎると「人」は育たない。最近様々な面で、徐々にそうなってきているのでは、と危惧するのである。

2010年6月10日木曜日

松下村塾という言霊


 今日は日本史Bで「尊王攘夷運動の系譜」をテーマに話していた。尊王攘夷運動自体は、下級武士たちの”市民革命的な”現状打破への渇望という潜在エネルギーが、水戸学の論理を中心に大流行したと見るのが私の立場である。もうひとつ大きな系譜がある。それは、関ヶ原以来反幕府・したがって親天皇であった長州の流れである。水戸学のようなロゴスを伴わないパトス的な長州の尊王思想は、吉田松陰によって「狂」という常識を脱した行動主義へと昇華されていく。その舞台は、かの松下村塾である。

 ところで…「松下村塾」という固有名詞には、まぎれもなく『言霊』が宿っていると私は思う。私は吉田松陰という人には、極めて稀な純粋無垢の魂を感じる。教師にとって、ある意味で非常に重要な資質かもしれない。人を引き付けるものは、ロゴスではなくパトスだと私は思う。吉田松陰のパトスは、そういう凄みをもっていると思うのである。彼の尊王攘夷は、そういった意味で、上記の下級武士たちの現状打破への野心とは一線を画している。だからこそ、大きな力を後世に残したのではないか。

 教師をしていて、こういう純粋なパトスを感じる教師に出会うことがある。一番わかりやすいのはクラブ指導に熱心に取り組んでいる教師群である。その純粋なパトスが、選手との強烈な繋がりを生む。私は運動が苦手だし、クラブ人間ではなかったので、こういう教師がうらやましい。

 しかし、私の中にも「松下村塾」の言霊、”純粋なパトスによる人育て”(とでも表現しておこうか)は厳然と存在する。それは「地球市民」を育てること。さらにその中から「国際協力に繋がる人材を輩出すること」である。

 <今日の画像は、南ア・プレトリアのバックバーカーズ(安宿)である。>この宿で、私は慶応大学の女子学生と出会った。彼女は、卒論のためエイズの調査をしにアフリカに来ていた。慶応大学という大学はやはり凄いのである。優秀な彼女のため旅費を全額補助していた。彼女は言う。「エイズをこの世界から失くすことが私のライフワークなのです。」と。ガーナ、ケニア、そして南アの保健省を周り資料集めをしていたのである。就職もドイツの医薬品メーカー(もちろんエイズ系の)に内定しているという。さらりと言ってのけた彼女に、私が育てたい「地球市民」を見たのである。帰国後、生活指導部長などという似合わないポストにあった私は、始業式で全校生徒に彼女の話をした。以来、機会があれば、彼女のような人材を輩出する努力を重ねてきた。これは全く”純粋なパトス”である。私の中の”吉田松陰”が、どんな労苦もいとわない姿勢を崩させない。JICAのセミナー、R大学高校生論文大賞、国際関係や政策科学系のAO入試、国際理解教育関係のセミナーや会合、学会発表への取り組み、そしてもちろん一期一会の授業や指導…やれることは全てやってきた。これらは、私にとって全く苦でない。

 私は本校の中に「松下村塾」をつくってきた。そして数多くの生徒を、尊王攘夷の志士ならぬ国際協力の志士に育てようとしてきた。私の高杉晋作や伊藤俊輔(博文)は必ず出てくる。あの慶応の女子学生のような人材が必ず出てくる。今はまだ学生であったり、その途上であるかもしれないが、必ず出てくる。これは確信であり、その確信こそが教師であることの至福である。

2010年6月9日水曜日

叢裏鳴虫 Ⅳ


今朝、職員室のパソコンをつけたら、YAHOOのニュースで以下のような記事が載っていた。昨日の私のブログを読んでいただいた方はピン!と来られると思う。

菅内閣「基本方針」、官僚との連携打ち出す6月9日0時10分配信 読売新聞

菅内閣は8日夜、首相官邸で初閣議を開き、政権運営の「基本方針」を決めた。「脱・官僚依存」を掲げた鳩山政権で、官僚との連携の悪さが指摘されたことを踏まえ、官僚との連携を打ち出した。

方針は5項目で、〈1〉政権交代の原点に立ち返り、信頼回復に邁進(まいしん)する〈2〉経済・財政・社会保障の一体的立て直しに取り組む〈3〉各閣僚は省益にとらわれず、一体となって取り組む〈4〉行政の無駄遣いを根絶し、行政の透明化を推進する〈5〉政務三役と官僚は、緊密に意思疎通を図り、一体となって真の政治主導による政策運営に取り組む――としている。 最終更新:6月9日0時10分

佐藤優氏が、『今回の鳩山・小沢の問題は「国策捜査」であり、官僚と政治家との権力闘争である。』と言っていることを菅民主党中枢は認識していて、このままではヤバイと官僚に歩み寄ったのだ、と私は思う。
ちょうど、今日は日本史Bのプリントを作っていた。すると笑えるのである。譜代大名的官僚と尊王攘夷派的政治家の立場は完全に逆転しているが、幕末の歴史的事件と重ね合わせると、次のようになる。
長い官僚の支配にメスを入れようとした小沢は、井伊直弼のように桜田門外の変で打ち取られた。後を継いだ菅=安藤重正は、さすがに小沢流の官僚への弾圧(安政の大獄)のような強硬手段は打てない。とりあえず和解し、公武合体政策を取ろうとするのである。まあ、安藤も坂下門外の変で命からがら生き延びたが責任を取って辞任する羽目になるのだが…。<本日の画像は桜田門外の変。見事に官僚は小沢と鳩山の首を打ち取って、事業仕分けや国会答弁禁止令、事務次官等会議の廃止の仇をうったわけだ。>
私は別に民主党の味方でも官僚の味方でもない。だが、佐藤優氏の視点には敬服せざるを得ないということである。さてさて、これから先どうなるのであろうか。さっそく某大臣の事務所問題が出てきたようである。官僚の攻撃は決して緩んではいない。

2010年6月8日火曜日

叢裏鳴虫 Ⅲ


 今日、管内閣が発足した。まあ前首相の目を覆うような迷走からは脱したわけである。マスコミは、それよりも新政権が小沢元幹事長のカネ云々の問題を脱したかという点で、人事を検討し騒いでいる。私も、生理的に小沢という政治家が好きではない。自民党・田中派・竹下派以来、金丸元副総裁の秘蔵っ子であったのに、金丸が検察に負けてから一切の連絡を絶った。そういう人情の機微のなさが好きではない。またその政治手法もかなり強引で好きではない。

 とはいえ、今回の鳩山・小沢の辞任劇について、マスコミの流す情報に、どうも納得がいかない自分がいる。佐藤優氏の「国家の自縛」を読んだからである。6月2日のブログで、この本についてふれたが、こんな”あとがき”の長い文庫本は初めてである。本編の約半分が”文庫本あとがき”なのであった。2日の時点では、まだ全部読んでいなかったのでびっくりした。このあとがきに何が書かれているのかというと、小沢元幹事長の元秘書である石川議員が、政治資金規制違反で告訴、逮捕され、小沢もまた取り調べを受けた件、すなわち「小沢のカネ」の問題について述べられているのである。ズバリ、佐藤優氏は、この件を『国策捜査』だと言っている。石川議員と連絡を取り合い、彼を応援し、石川議員が、小沢元幹事長の「階段」(起訴・逮捕の前段階となること)にならぬよう適切なアドバイスをしていたのだった。私は、佐藤優氏と鈴木宗男氏の件は、まさしく『国策捜査』だと考えているし、石川・小沢の件もそう判断する根拠が多すぎるのである。

 何故検察は、小沢を狙ったのだろうか?佐藤優氏は、『誰が日本国家を支配するのかという権力闘争だと見る。検察官を含む官僚は、国家を支配するのは司法試験や国家公務員試験のような難解な試験に合格したエリートだと考えている。官僚は国民に対して忠誠を誓っていない。官僚は口には出さないが、国民のことを無知蒙味な有象無象と思っている。国民から選ばれた国会議員は、無知蒙味の塊くらいにしか思っていない。民主党は官僚支配の打破を本気で考えている。官僚から見ると、これは思いあがりである。こんな状況を放置しておくと日本国家は内側から崩壊してしまうと憂いているのである。小沢や鳩山は、自民党の有力議員と同じくらい金権体質が染みついている。しかし馬鹿な国民にはそのことが見えない。それならばよく見えるようにしてやろう、というのが検察の発想である。』と述べている。

 たしかに、ス―パーコンピュータ研究の仕分けの時、レンコン?議員が「なぜ世界1ではならないんですか?世界2じゃだめなんですか?」と言ったのをTVで見た時、私は「民主党の国会議員は、そんなこともわからないのか?」と後ろにコケそうになった。(そんな中身がスカスカの人物が行政刷新大臣をやるらしい。私もちょっと官僚の”味方”になりそうである。)

 もっと佐藤優氏の「小沢論」にも踏み込んで書きたいが、目が疲れてきた。今日はここまでにしておきたい。

2010年6月7日月曜日

億万長者はハリウッドを殺す


「体調を整える1週間にしたいと思うのである。」と昨日結んだわりに、今日もかなり体調がきつかった。薬もちゃんと飲んでいるのだが、1・2時間目の地理Aも4時間目の日本史Bもかなりきつかった。薬の副作用の低血糖かもしれない。ところが、7限目の現代社会はがぜん絶好調であった。(何故だろうか?全く不思議だ。)
 今日の現代社会は、経済の基礎で独占資本主義の話である。カルテル・トラスト・コンツェルンと黒板に書いた後、ふっと「ロックフェラー」の話をすることにした。(私はあまり授業計画は立てない。その場のアドリブで授業をするのである。今、教育実習生が来ているが、こんなことは絶対真似しないように指導するべきだと思っている。)「ロックフェラー」は、アメリカの石油王である。といっても石油精製で財をなした。油田を持っていたわけではない。初期の石油産業で、精製業に目をつけたとこは非凡であるが、後発の精油所に圧力をかけ、価格カルテル、さらには鉄道会社を巻き込んで『アナコンダ』というニックネームがつくほど買収工作をおこない多くのトラストを形成した。さらに公正取引委員会に独占だと批判されるや、「スタンダード・オイル」という持ち株会社を設立、コンツェルンを形成した。これらの話は、今日の画像にある広瀬隆の”億万長者はハリウッドを殺す”に詳しい。思い出すままに具体的な話をすることで、みんな熱心に聞いてくれた。なんか教室の一体感を感じるいい授業だった。

 私が初めて渡米した夜、ボルチモアの高速道路を走るバスから”EXSON”の文字が見えた。当時世界最大の企業であったロックフェラー系の石油会社のガソリンスタンドの看板である。私は、あの時「アメリカに来たのだ!」と一番感激した。このロックフェラーにしても、J・Pモルガンにしても、”悪”のスケールが違う。そんな話をしていたら、チャイムが鳴った。次回は、いよいよケインズの修正資本主義である。

 ところで放課後、今日の授業を受けた生徒が質問にきた。ロスチャイルドとロックフェラーの結びつきについて教えて欲しいとのこと。200人委員会の話である。こういう話は広瀬隆の本に詳しい。「億万長者はハリウッドを殺す」や「赤い楯」を勧めた。但し、私はこう忠告した。「広瀬隆の本の内容は無茶苦茶面白いけれど、おそらく最も文章の下手な作家やでぇ。」

2010年6月6日日曜日

南アに流入するジンバブエ移民


 今日のNHKスペシャル「アフリカンドリーム」は、南アに流入するジンバブエ移民の話だった。今南アは国際競争力をつけるために、安価で良質なジンバブエ移民の無制限の流入を認めている。パスポートなしでも難民扱いでOKである。ムッシーナという国境の町が出てきた。懐かしい。私はプレトリアから夜行バスでこの国境を越えたのだった。国境の店(食料品や飲料を売るドライブインらしきレンガ作りの建物)は見覚えがあった。中国からの輸入に対抗するには、アフリカNo1の工業国・南アとして、ジンバブエとの経済格差を利用するしかないとのこと。1人あたりでのGDPで$5824と$375という較差は世界でも類を見ないらしい。公用語も同じ英語だし、ジンバブエのショナ人は、素直で働き者で本当にいい人たちが多い。<今日の画像は、ジンバブエ行きの夜行バスで世話になったショナ人の行商のおばさん。彼女のことはまたいずれ書こうと思う。今頃、どうしているのだろう。>

 今やジンバブエは、完全に経済崩壊している。ショナ人やンデベレ人が南アに脱出するのは当然だし、ヒューマニズム的にも許されることだと私は思う。ただ問題は、南アの低所得者との問題である。やはり予想どおりの排斥運動が起こっている。今はまだ政府が後ろ盾でになっているが、政府が手のひらを返した時が、もっと心配だ。イボワールの奇跡と言われたコートジボアールとブルキナファソと同様になるかもしれない。経済不況になると、揉める可能性がある。ジンバブエとブルキナファソ、どうして”良い人たち”がいつも犠牲になるのであろう。そんなことを思い起こさせた番組であった。

 久しぶりにアフリカのことをブログに書いた。やはりアフリカはいい。ジンバブエからトラックに乗り南アを目指す人々の瞳には希望の輝きがあった。涙が出る。

追記:金沢のT先生より、メールでコメントをいただいた。私の体調不良について、ずいぶんとご心配をおかけしたようである。ありがたく思うとともに、出来るだけ運動しようと思った次第。今週は金曜日が体育祭。来週のの月曜日には、姉妹校がやってくる。体調を整える1週間にしたいと思うのである。

2010年6月5日土曜日

ブログ更新中断の長い言い訳


 昨日は、さすがに過労でブログを更新できなかった。いつものように5時30分起き。愚妻も過労ぎみで、珍しく起きれなかった。見送りなし。(非常に珍しい。)1時間目日本史B。井伊直弼の生涯を語る。逆境があればこそ、修羅場に強かったわけで…汗だくの講義。(低血糖かなあ?)2時間目倫理演習。ウパニシャッド哲学を語る。こちらは4人の気楽な授業。3・4時間目は、放課後の第1回修学旅行説明会の準備である。3年生にプレゼンテーションをしてもらうので、プロジェクターの準備やら、案内板の掲示やら…。何度も4階まで行ったので、かなり運動した。昼食はハムサンドのみ。昼休みは、その会場の多目的室の掃除担当の1年生を使って椅子の整備である。クーラーをつけてないので、密室で汗だく…。5・6時間目は現代社会。アダム=スミスの神の見えざる手やリカードの比較優位説の説明である。これまた汗だく。この1週間ミネラルウォーターなしでは授業が出来ない。そうそう、最近3Bでは教卓の上には、「トリビアの泉のへ~ボタン」がいつも置いてある。ある生徒がいつも置いてくれている。ありがたいというか…。プレッシャーというか…。面白いことを言うと押すのであるが、余裕がなくあまり活用ができなかった。

 授業が終わっていよいよ修学旅行の説明会である。保護者同伴で16:00開始である。国際交流のY先生やI先生に手伝ってもらいながら、受付である。保護者同伴であるし、その時その時の中国への様々な反応も微妙であるので気を使う。司会は当然私である。学校長の挨拶から始まる。1人の生徒が保護者を待っていて遅れて入ってきた来た。学校長の挨拶の途中であり、しかもその前を遠慮なく横切って席に着き、さらに自分の座るべき席が間違っていたことに気づきさらに移動した。カチン!と私の指導スイッチが入ってしまった。次のプログラムに進む前に、これを指摘し毅然と指導を入れた。(学校長にも担任のO先生にも、後でお礼を言われた。あそこで最高責任者の学校長が怒ってはまずいし、私が言うしかないのである。保護者の中でも私の指導に”ウンウン”とうなづく姿がチラホラであった。本校はちゃんとした学校なのである。)私は生徒には、出来るだけ自由にさせてやりたいのだが、ケジメには実にうるさい。最初ざわざわしているのを、保護者も含めて、きちっと挨拶をして始めた。最近、教育界において、こういうあたりまえのことが行われなくていいるように思う。自由の意味を履き違えているような気がする。さて、なんとか無事に説明会が1時間ジャストで終了。後片づけを終えたら6時である。<今日の画像は、今回私が初めて修学旅行のプログラムに入れた北京の歴史地区胡同:フートンである。>
 
 携帯が鳴った。本校の元教頭で、今は某校の校長になったF先生からである。今日は久しぶりに、立ち飲み屋で再開することになっているのである。本校で生物を教えていた某高教頭になっている熱血のS先生も来る予定である。さらに今年転勤したM先生も合流して2時間半、立ちっぱなしで飲んだ。(と、いってもビール2杯で私は致死量に近くなったので、ウーロン茶に変えたが…。)F校長の学校に、A先生と言う英語の先生がいて、JICAの教員派遣研修旅行に応募しているとか。タンザニア行きである。同志的な先生がいることに感激した。7月18日の仮想世界ゲームに”行かせる”から、人脈を作ってやって欲しいとのこと。嬉しくお受けした。A先生とお会いするのが楽しみだ。

 帰宅したら、足がパンパンである。2時間半も立っていたのである。シャワーを浴び、中華粥を食べてから、愚妻が30分ほどマッサージをしてくれた。ふくらはぎと足裏。あまりの痛さに悶絶した。

 今日はというと、朝5時に一度目が覚めた。足がつったのと体内時計が働いたのと両方であろう。もう一度寝たら12時だった。さらに午睡眠を3時間半もした。昨日、ブログ更新が出来なかった言い訳…ずいぶんと長くなってしまった。

2010年6月3日木曜日

授業の横道/ボストンの茶会船


 現代社会の授業は、経済に突入した。経済の定義だとかをやった後、商業資本や産業資本の話におよんでいる。ふと、授業が横道にそれて(いつものことだが…。)、「東インド会社」の話になった。授業時間も残り少ないし、一発笑わせて終わることにした。ボストンにある茶会船博物館の話である。ボストンは、言うまでもなくアメリカ独立戦争の聖地である。フレンチ=インディアン戦争の戦費を本国イギリスがしぶったことから話は始まる。で、イギリスは戦費調達に、「茶」に課税してそれを賄うことにした。ヘービースモーカーの私にとって、煙草が1箱1000円になるようなものである。といって笑わせる。(これはあまり笑いごとではない。)頭にきた植民地人は、東インド会社の船に積まれた「茶」をインディアンを装って川に放り投げるのである。
 さて、この時と同型の船が今もボストンにある。<今日の画像参照>もちろんレプリカであるが、入場するとインディアンの羽をくれる。当時、私はアメリカ史に詳しくなかったので、「?」だった。後から、ジイサン・バアサンの集団が入ってきて、羽を頭につけ「WAOOOH!」などと盛り上がっている。この辺が実にアメリカである。当時の服装をしたスタッフ(彼の頭にはバッハとかモーツアルト風のカツラが乗っかってあった。)が、当然英語で、当時の植民地人風のアジテーションを始める。ジイサン・バアサンはやんやの喝采である。やがて、ジイサンが、このアジテーションを受けて、歴史にしたがって、茶箱を川に投げ捨てた。ちょっとびっくりしたのである。しかし茶箱にはロープがついていて、いちいち引き上げては、他のジイサンが投げる。また引き上げるという、なんとも子供じみた趣向なのだが、面白い。こういう体験型の博物館はアメリカらしい。私は大好きだ。授業では、この話をちょっと大げさにアレンジして話した。大爆笑である。最後の本当のオチは、本校の生活指導室(今は半分生徒会室だが…)に、このボストン茶会船を描いた絵が飾ってあることである。3年生ともなれば、一度は入ったことのある部屋である。何人かは、机を叩いて「ヘー!」と言ってくれた。ほとんどチャイムと同時であった。

 ところで、本校は全校で12クラスしかない小規模校である。職員室には、生徒の出欠が記される黒板がある。誰が欠席か、遅刻か、あるいは保健室で休んでいるか、一目瞭然である。ある生徒と放課後玄関で出会った。「今日、体調が悪かったようやなあ、大丈夫か?」と聞くと、「先生の授業があるから早退せず最後までいました。今日の授業も面白かったです。」という返事が返ってきた。心からありがたいと思うとともに、一期一会の授業、多少血糖値が高くても頑張っていこうと思った次第である。

2010年6月2日水曜日

叢裏鳴虫 Ⅱ


 今日は、時間休を2時間もらって、病院にいってきた。急性の糖尿病の薬をもらってきた。(今日のフラフラ感は幾分マシだったけれど…)と、いうわけでウィークデーなのにかなり早いブログ更新である。
 3時限目がおわって帰ってくると、我が国の首相が辞任したということで、ワイワイ言っていた。幹事長とのW辞任だという。まあ、あれだけ信頼を失くすと当然であろうと誰もが思う。昼休みにALTが隣でこの件を討議していた。もちろん英語なので細かいところまでは、はっきりわからないが、よく首相の変わる国だと言っていたようである。みんなで順に過去にさかのぼって総理の名前を言い合っていた。(彼らは親日派であるし、かなり詳しい。驚いた。)

 同じ社会科のU先生と話していて、私は「K副総理が主軸に動くだろうが、もし民主党が本気でこの低迷を抜け出そうと戦略を練るのなら私は、H総務大臣を立てるだろう。」と述べた。理由は簡単である。過去の傷がないことと賞味期限、さらに”選挙の顔”としての問題である。K副総理は年金スキャンダルを起こした過去があるし、ついこの前、財務大臣として質問を受けた時、経済学の基礎の基礎、「乗数効果」の意味が解らなかった。最低である。国民はバカではない。O外務大臣は、真面目で堅そうだが、イメージが暗い。参議院選挙の顔になれるだろうか?一度郵政総選挙では大敗北している。M国土交通大臣も、N厚生労働大臣も、期待された割に大した功績をあげていない。反対に脱官僚といいながら、うまく扱われているといった感が強い。そんな中で、可もなく不可もないが、イメージが良いのがH総務大臣である。

 そう言いつつ、こんな理由でもし総理を選ぶのであれば、民主党のポピュリズム(大衆迎合主義)、ここに極まれりだと思う。(個人的にH総務大臣は嫌いではないが…)小選挙区制になってから、この得体のしれない”人気”とか”選挙の顔”とかが、大いに幅をきかすようになった。選挙に勝つため、出来ないことを口にし、不信を増大していく。「ポピュリズムは、もうええで。」と言いたくなるのである。

 今、佐藤優の「国家の自縛」(扶桑社文庫)を見つけて読んでいる。(今年の4月10日発行)ここに様々な視点が書かれていて面白い。これから先、チビチビと小出しにブログで紹介しつつ、私のコメントをしようかなと思っている。

2010年6月1日火曜日

岩波新書は教材研究の友


今日も血糖値の高い1日だったが、ありがたいことに授業が2時間だけだったので教材研究の余裕があった。現代社会の方は「経済学の基礎」的な分野に突入する。U先生のプリントを元にオリジナル化する。今日はケインズの理論をちょっぴり深めに…。一方日本史Bも江戸幕府の積極的開国論と消極的開国論などをプリント化していた。倫理や地理は、ちょっと傲慢な言い方になるが目をつぶっていても授業ができるが、政治経済をきちっと教えるとか、受験に使わなくても日本史Bともなるとそうはいかない。

 今日のブログで紹介するのは、岩波新書の「シリーズ日本近現代史①幕末・維新」である。決して新しい新書ではない。(2006年11月)たまたまU先生がこのシリーズの⑩「日本の近現代史をどう見るか」を読み、勧めてくれたのである。主なるテーマは、江戸幕府の外交政策が案外頑張っているだという点。特に、日米和親条約や修好通商条約で、外国人の「遊歩範囲」を狭く設定しぬいた事を大きく評価している。これによって日本の産業が外国人商人の進出を阻んだとしている。それ以外にも今まで知らなかった細かな、しかし重要な事項がちりばめられている。うーん、無知の知である。様々な事項について細かいので、良き教材研究の”友”となった。思えば、幕末維新関係の本はあほほど読んだが、日本史Bとしてまとめあげていくのはかなり難しい。

 朝廷、幕府、水戸、薩摩、長州、会津、土佐、肥前、越前、会津、宇和島、それに芸州や尾張といった歴史も、個性も大きく異なるキャラクターをいかにわかりやすく、様々な歴史的事件の中で説明するかが、問われる。まるでオペラの音楽監督のような心境である。私自身楽しもうと思う。

追記1:中間試験を終え、R大学高校生論文大賞への取り組みが再開された。これもまた楽しみ。
追記2:空堀かるた絵製作委員会も再開された。美術科講師のT先生が熱心に指導していただいている。ありがたや~。私も1枚くらい描きたい、とちょっとだけ思っている。
追記3:”7・18/仮想世界ゲームin本校”の方も着実に人集めを進めている。「一念」で集めるしかない。