2015年6月30日火曜日

今回の世界史B 期末はタイヘン。

明日から1学期の期末考査である。2単位の世界史B(普通科なのに2年間で4単位)というのは異常だ。(私はいつもいつもカリキュラム編成の後転勤してきたので、えらい目にあっている。笑)今回の世界史の範囲は、通常の2倍ある。西ヨーロッパの中世と近世である。今回のねらいは、中世の社会構造(自由な個人=封建領主と不自由な共同体=農奴)という単純な二元論的ピラミッドが、近世の若干複雑な社会構造ピラミッド(封建領主の中で勝ち組と負け組が生まれ、そのトップに専制君主が立つ。農奴との間に独立自営農民や商人階層が生まれてくる)に変化するのだが、それぞれの関連を見ながら、生徒に歴史の面白さを実感させることである。

こう書くと簡単だが、様々な歴史のアイテムが登場する。三圃式農業、大開墾時代、レコンキスタ、十字軍、都市の発達と貨幣経済の発達、貨幣地代と独立自営農民、ペスト、ピピンの寄進、カールの戴冠、カノッサの屈辱、ルネサンス、メディチ家の教皇レオ10世、ルターとカール5世、ドイツ農民戦争、アウグスブルグの和議、カルヴァン、エンリケ航海王子、大航海時代、教皇分界線、スペイン=ハプスブルグ家、ヘンリー8世の離婚、メアリー1世とフェリペ2世の結婚、エリザベス1世の復讐…。ホント、莫大な内容である。

どこかの予備校のCMではないが、なぜそうなっていったのかという意味を問いたい。今回も勉強用のプリントには力を入れた。入れてあげないとえらいことになりそうだったからだ。頑張れ、教え子たち。

追記(7月2日):今日試験がありました。昨日は結局、大勢の生徒が詰めかけて、1組の教室で、4時間ほど補習三昧。くたくたになりましたが、これも嬉しい悲鳴です。

2015年6月29日月曜日

日経 「4つのガクリョク」

松本紘氏http://space.rish.kyoto-u.ac.jp/
people/matsumot/matsumot.htm
日経の「私の履歴書」は、前京大総長で、現理化学研究所所長の松本紘氏の執筆が続いている。もうすぐ終わるのだが、登校するウィークデーは毎日読ませていただいた。私などが評価するのはおこがましいが、すばらしい科学者であるとともに、組織にとっても極めて有為な方である。何度もエントリーしたい逸話もあったのだが、今日書かれていた4つのガクリョクについて記しておこうと思う。

松本氏がおっしゃる4つのカクリョクとは、所謂「学力」、前頭葉の力で人の気持ちを感じ取り思いやる能力である「額(ヒタイ:ガク)力」、何事も楽しめる能力「楽(ガク)力」、そして、対話のコミュニケーション能力「顎(あご:カク)力」である。社会で成功する人は、この4つのガクリョクが優れているのだという。

…なるほどなあと思うのだ。いくら学歴があり、教養もある優秀な人でも、人間関係がちゃんと築けて、常に前向きな人でないと社会で成功しないということである。
…最近文科省は、国立大学で人文科学系の学部を縮小し、自然科学系の学部を重視する、という指針を示したらしい。自然科学のトップリーダーの言は、(自然科学系の)単に学力があるだけではいけない、と言われているように読める。人文科学や社会科学系の教養の重要性を再認識すべきだとも読めるのだ。「額学」も「楽学」も「顎力」も、そういう人文科学系のリベラル・アーツの知識・知恵に由来することが多いからだ。

2015年6月28日日曜日

現代アフリカ経済論 学習ノート9

http://daruyanagi.jp/entry
/2012/11/13/015607
「現代アフリカ経済論」(北川勝彦・高橋基樹著・ミネルヴァ書房/昨年10月15日発行)で学んだ内容のエントリー第9回。今日は第4章からピックアップしたブログに記録しておきたい内容をエントリーしたい。

所得順位に比べ人間開発順位の低い国
アフリカ52カ国中、32カ国がマイナスになっている。この差が大きいのは、赤道ギニア(-91)、ボツワナ(-56)、南ア(-44)、ガボン(-40)、アンゴラ(-38)など。これら平均所得が高い国では、人間開発が置き去りにされていることがよくわかる。

ペティ=クラークの法則とアフリカの鉱業
開発経済学的に、アジアの開発はひとつのモデルであるが、産業構造的にはまず製造業の発展が経済成長を牽引し、第三次産業へと比重が移行する。これがペティ=クラークの法則であるが、アフリカ全体では、各産業の比率変化は緩慢である。特徴的なのは鉱業のGDP比率が製造業よりはるかに高い国が多いことである。(スワジランドだけは例外的に製造業比=40%が高い。)

土地の収奪
アフリカは人口急増中ではあるが、一部の地域を除いて未だ人口密度は低い。表土も一般的に肥沃ではないが、農地に転用可能な未開発の土地も残されていると考えられている。その新たな開発は巨額の資本を必要とし、アフリカの小規模農家には困難な事業であることが多い。その一方で外国資本による土地の買収と開墾が進められている。それらはしばしば政府や政治家との不明瞭な取引や土地の囲い込みによる農民の在来の権利を剥奪を伴うために「土地の収奪」との異名をつけられアフリカ内外から批判や危惧を招いている。

鉱業の「飛び地」的発展と「モノエクスポート」
鉱業は製造業などと比べて、それぞれの国でも他の産業から孤立した「飛び地」的発展をしやすい。多国籍企業による技術と生産設備のパッケージが持ち込まれ、その国の技術の発展や設備の現地生産を促すことはあまりない。雇用創出率が低いのである。しかも、鉱業生産の盛んな国の多くは「単一産品への輸出の偏り」(=モノエクスポート)で、国際市場に左右される。

負の脱工業化
構造調整政策を通じて、アフリカ各国では、輸入代替工業(繊維・靴・飲料など消費財の国内生産)が大打撃を受けた。以後、自由貿易化の中で製造業は低迷を続けている。これを「負の脱工業化」と呼ばれている。とはいえ、スワジランドとモーリシャスは例外である。

…およそ知っている話が多いのだけれど、開発経済学で呼ばれている事象の名称は初めて目にしたものもあったのでエントリーしてみた。またまたオリジナルテキストのバージョン・アップが必要になるなあ、と思う。

2015年6月27日土曜日

現代アフリカ経済論 学習ノート8

世界全体で見てもアフリカの経済成長率はなかなかのもの
http://sky.geocities.jp/to9sen/0-00-nyua03.html
久しぶりに「現代アフリカ経済論」(北川勝彦・高橋基樹著・ミネルヴァ書房/昨年10月15日発行)で学んだ内容のエントリー第8回。第4章は、「アフリカ経済の現状とその質」について述べられている。なにより、この書の素晴らしさは、豊富な最新資料なのだが、章の最初に描かれた概説がすばらしい。私は、これまで多くのアフリカ経済の本を読んできたが、おそらく最もコンパクトにアフリカの経済について要旨をまとめた一文だと思う。そのままエントリーしておきたい。

アフリカ諸国の経済は、近年大きく変化している。北アフリカ諸国と南アフリカに生産が偏っているという特徴は変わらないものの、高度に成長する国が現れ、21世紀には多くの国で成長率が人口増加率を上回るようになり、アフリカ全体としても経済成長率が向上した。ただ、各国の間のの格差は拡大し、国内的にも不平等があり、絶対的な貧困は減少しつつも広く残っている。そして多くの国で人間開発が置き去りにされている。アフリカにおける経済成長率の上昇の要因のひとつは、新興国経済の発展を主因とする国際市場の需要に応えた鉱業生産の拡大である。一部の国では鉱業が経済全体に占める比率が急速に拡大している。その反対に、多くの国では製造業の成長率は相対的に低く、その比率は停滞・縮小している。産業全体に占める農業の構成比はゆるやかに縮小しているが、1990年代に比べればその成長率は改善し、広範な国での経済成長率の上昇を支えている。このような成長率の改善にもかかわらず、アフリカ全体の農業の生産性は世界的には低く、上昇の程度も小さい。またアフリカの農業には地域的な大きな違いがあり、大規模な商業農家が主体の南部アフリカと自給的な小規模農家が主体の東アフリカでは、土地生産性の推移にも大きな違いがある。鉱業の雇用吸収力も低く、しばしば生産の拡大の効果は広い範囲の人々には及ばない。アフリカでは、多くの人々がインフォーマルな経済活動に従事し、あるいは失業・半失業の状態にある。鉱産物・農産物への依存を脱却するためには、教育・保健医療、インフラストラクチャーの整備など政府の役割に期待されるところは大きいが、国民との間に希薄な経済関係しかもたないという政府のあり方は本質的には変わっていない。

なお、各国の2000年から2010年のGDPの平均成長率(全体の平均は4.7%)と人口増加率を比べた資料がある。興味深い資料だ。55カ国のうち、人口増加率より低い国は、10カ国にすぎない。これらの国とGDP成長率は以下のとおり。
ギニアビサウ(1.3%)、コートジボワール(1.1%)、リベリア(1.0%)、中央アフリカ(0.9%)、エリトリア(0.9%)、コモロ(2.0%)、ソマリア(統計なし)、南スーダン(統計なし)、ジンバブエ(-4.7%)、マダガスカル(2.6%)。だいたいが、国内の混乱が指摘される国が多い。極めてガバナンスの影響が大きいわけだ。

2015年6月26日金曜日

LINEの話を聞きに出張した日

5限目の世界史Bの授業を2限目に振り替えてもらって、午後から出張に出かけた。府立高校で行われた人権教育のセミナーに出席してきたのだ。LINEの会社の方が様々なことを語っていただき、府立高校の2年生3000人のアンケート報告を聞いたのだ。生憎の雨だったが、貴重な話を聞くことができた。

私は未だにガラケーを使っている。最大の理由はスマホの字が小さいのと、メールを送るのに今より不便そうだからだ。それに、電車に乗っている際に目に入る多くの人々がスマホに熱中している光景も好きではない。どうも一線を画していたい、というのが本音なのでである。

ところが生徒のほとんどがスマホを使っている。大阪府立高校のアンケートでは94%だった。そのうち、LINEの使用者は89%だという。おそらく本校でも同様か、それ以上ではないかと思う。

教師サイドから見ると、このLINEの存在はずいぶん気になるところなのである。とにかく長時間LINEをしている生徒が多い。アンケートによると、3時間以上LINEをしている生徒が50%もいる。しかも、様々な問題が指摘されている。面と向かっての対話ではない上に、短い文章のやり取りが誤解を生みやすい。聞くと、LINEでは送ったメールを相手が読んだかどうかわかるらしい。だから、返信がなかったり遅かったりすることが軋轢を生んだりするようだ。意外に気にならない生徒が多いというのが事実らしいが…。また写真にはGPS機能がついていて、その投稿によって不利益を被るという指摘もある。この辺も十分教えていただけた。

LINEの会社の方でも、そういった問題をよく認識していて様々な使い方の提案をしている。実際、小中学校向けのワークショップも体験する機会(私はそれを覗いていたにすぎないが…。)もあって、なかなか有意義だった。いかに、生徒たちのコミュニケーション能力とシミュレーション能力を高めるか、というのが課題だということが、よくわかった次第。

2015年6月25日木曜日

毎日 ケニアの訓練兵寝返り報道

ケニア・イシオロの街並み https://www.travelblog.org/Photos/2533233
久しぶりに毎日新聞にアフリカの大きな記事が載っていた。とはいえ、あまりいい話ではない。ケニアでソマリアの過激派アルシャバブに対抗するための訓練された若者が多く寝返っているという話だ。概要は、以下の通り。

2010年頃からケニア政府は秘密裏に、中部のイシオロ周辺で約15ヶ月ケニア軍関係者の下で志願してきた若者に対テロ訓練を行い、ソマリア南部に転戦していた。訓練兵の多くは、ソマリ系の人々で月額$600の給与を約束されていたが、実際には7ヶ月間の戦闘で支払われたのは28000シリング。(日本円で35000円程度である。したがって、命をかけながら約束の100分の1くらいしか報酬が与えられていないことになる。)ケニア当局も給与などの約束が履行されなかったことを示唆している。ケニア紙によれば、過去1年で40人の若者が消息を絶っており、多くはアルシャバブに参加した疑いがあるという。実際訓練を受けた者は、ウィキリークスの米国の外電公電によると2000~4000人、インタヴューを受けた20代の元訓練兵によると約6000人に及ぶ。

記事を送ってきた服部記者が、このイシオロでルポしている。若者たちはアルシャバブのことをサッカーチームのアーセナルと呼び、「あいつは最近アーセナルに入ったみたいだ。」と話す。当然貧困がアルシャバブの勧誘を容易にしている。メルー人の元キリスト教徒の若者も、アルシャバブに参加したという報告もされている。一方で、ケニア全体でソマリ系の人々の疎外感は高まっている。ナイロビではソマリ系へのIDカード発行が滞っており、職務質問も頻繁に行われている。彼らの当局への不信も根強い。

…何度か書いたが、ケニアは多民族社会である。以前、友人のピーター・オルワ氏に、「彼はキクユ人、彼はカレンジン人。」などとと教えてもらったが、あまりその差が解らなかった。きっとケニアの人々なら、その差はわかるのだろう。しかし、我々でもソマリ系の人々は特別なので見分けつく。女性などは極めて美人が多い。(笑)だからこそ、大変だと思う。ケニアでは、例の大統領選でひとモメあったが、およそ民族間の大きな対立が抑えられてきた。ここにきて、ソマリ系が窮地に立たされているように思う。ピーターも言っていたが、普段おとなしいケニア人でも興奮すると、信じられないくらい凶暴になる、と。(ピーターも強盗に襲われ、その犠牲になったのだが…。)間違っても、ソマリ人をこれ以上孤立させないことだ。そもそも、政府の無計画な対テロ戦略が招いた不幸である。

2015年6月24日水曜日

縞模様のパジャマの少年を観る。

http://www.men-at-work.jp/archives/1441
妻のホロコースト映画鑑賞が続いている。今日は「縞模様のパジャマの少年」という映画をいっしょに見た。これまた、全く救いのない映画だった。もしかしたら観てみようと思われる方もあるかもしれないので、あまり詳しくエントリーするのもどうかと思うけれど、これまでと違う視点でホロコーストを描いている。

主人公の少年は8才の少年である。父親はSSの上級将校である。家族をつれて強制収容所の所長となって赴任する。友人の全くいない少年は冒険好きで、収容所までたどり着き、同じ年齢のユダヤ人少年と友人になる。無垢な少年は家庭教師に歴史の授業でユダヤ人の悪口を聞くが、彼にはそういう「分別」は無関係である。母の「分別」による強い希望でベルリンに帰ることになるのだが、ユダヤ人少年と彼の父を探す約束をして、囚人服を身にまとい収容所の中に入り込むのである。最後は、悲劇的という形容では表せないほどである。ナチのシェパードによって、その居場所がわかるのだが…。

このストーリーは、フィクションだが、調べてみると収容所の所長が実際家族をつれて赴任した例はあるらしい。家族は、SSのやっていたことはあまり知らされていなかったらしい。それにしても、救いのない映画だった。1ヶ月後に実際、収容所に立った時、これらの心象が一気に湧き上がるだろうことは想像に難くない。

朝日 フランスの壮大な偽善

http://blog.goo.ne.jp/minamihikaru1853/
e/72dbcbbb483a85bb13fc5c62b477fd2d
フランスのリベラシオン紙のコラム「ピケティ・コラム」が今日の朝日新聞朝刊に掲載されていた。政教分離と不平等についてのコラムだ。なかなか示唆に富んでいたので、以下私なりの要約をエントリーしておきたい。

フランスはしばしば、宗教に関して平等で中立である国家モデルであるかのように振舞ってきたが、実際には問題は複雑である。国家は、ほかの分野でもそうだが、その国ならではの壮大なストーリーを描きがちで、それは集団としての運命に何らかの意味付けをするためには欠かせない。同時にそれは、偽善を覆い隠すことにもつながりがちである。

だから、フランスは宗教に関して「中立的で、寛容で、他の信仰に対して敬意を払う模範的な国である。」と世界に向けて示そうとする。「特定の宗教を優遇することはない。」「大統領が聖書に手を手に乗せて宣誓するのは我が国のことではない。」しかし、フランスでは宗教的あつれきの末、カトリック宗教学校が一斉に公営化された。またカトリックの宗教教育のために週1日学校を休日にした数少ない国のひとつである。(1882年~1972年までは木曜日、以降は水曜日。)この休日は、部分的に通常授業の日に戻されたばかりだ。

既存のカトリックの私立学校は多大な補助を受けているが、他の宗教の私立学校を新設するための条件は明らかにされていない。イスラムの学校の開校を求める動きの中で大きな緊張が起こっている。

政教分離とは、宗教をひとつの主張として、他の多様な主張と同様に、それ以上でもそれ以下でもないように扱うことではないか。信条と言っても良い。だから他の信条と同様に、それを風刺したり、馬鹿にしたりすることもできる。もちろん、一方で言葉や服装を通じてその信条を主張することもできる。

しかしながら、最もあきれるフランスの偽善は、イスラム系やイスラム教徒の若者が現在ひどい就職差別を受けている実態を認めようとしないことだ。パリ第1大学のマリーアンヌ・バルフォール氏による一連の研究はその実態を冷徹に示している。彼の調査方法は簡単だ。何千もの求人情報(中小企業の経理職などの典型的な求人)に対し、偽りの履歴書を送る。イスラム教徒と思える名前で、最高レベルの教育を受けたという経歴で、反応を調べる。返信の確率は絶望的であった。任意の大企業を対象にした研究成果よりもはるかに否定的であった。法的な手段で差別を封じ込める手段が最も一般的かもしれないが、自国の壮大なストーリーや周囲の事なかれ主義に惑わされて想像力を失ってはならない。

…フランスの宗教事情は、移民以外は、ほぼカトリック教徒であることは知っていた。しかし、宗教教育のための休日の話は、初めて知った。すごいな。私は、そもそもフランスが宗教的に寛容だとは思っていなかったので、このコラム、ちょっと意外だった。カトリックという語は「普遍」を意味する。そのフランク王国以来の中華意識と相まって、(トルコをイメージしたクロワッサンをつくるくらい)特にイスラムには排他的なのかもしれない。そんな感想をもった次第。

2015年6月23日火曜日

SONY デンスケの思い出

この黒いデンスケを持っていたのです。
我が家は、鳥獣保護区の里山のすぐ近くにある。朝などは、野鳥がさえずっているし、夜には虫が鳴いている。私はこういう鳥や虫には詳しくないので、どういう種類なのかは知らない。

とはいえ、こういう自然の音を身近に聞ける幸せを感じている次第。ふと、こういう音、昔ならデンスケを担いで取っていたかもしれないなあと思ったのだ。デンスケというのは、SONYのテープデッキである。高校から大学時代私は専らステレオにつないで、拓郎や陽水のテープを再生してくれていた。

マイクを2本繋ぐか、ステレオ録音できるマイク(一応持っていた。)をさして野外録音も可能なモデルだった。私の人生を振り返っても所持していた様々なモノの中で、最贅沢な機器であった。結局、スッコーンと欲しいと言った後輩にあげてしまったのだけれど…。

今はカセットテープで録音すること自体が、極めてアナログであるが、もし今も身近にあれば、きっと豊かな生活になるような気がする。思えば、昔の機材はなかなかデザインも優れていて、哀愁を呼ぶ。久しぶりにWEBで検索したが、特にあの頃のSONYの機材はいい。今は、そういう物欲もすっかり枯れてしまったけれど…。

2015年6月22日月曜日

日経 ニジェール大統領のお願い

ンジャメナの街並み
https://www.flickr.com/photos/varlamov/9614486031
日経に訪日中のニジェール大統領のインタヴューが載っていた。ボゴハラムの暴挙に業を煮やした周辺5カ国は7月末にも合同軍を編成するという。5カ国とは、チャド湖を取り巻く、ナイジェリア、ニジェール、チャド、カメルーンそしてベナンである。個別の作戦では掃討できないという判断らしい。日本にもテロ対策や経済政策で支援を求めている。

ところで、カメルーンでは、先日女性のブルカ着用が禁止された。衣装の中に爆弾を隠した自爆テロが多発したためで、首都ンジャメナでは33人が死亡している。このンジャメナに5カ国合同軍本部をつくる予定だ。

積極的平和主義という奇妙なコトバが語られている昨今、日本政府はニジェール大統領のお願いにどう答えるのだろう。

2015年6月21日日曜日

アウシュビッツ博物館案内を読む

現地でガイドをお願いする中谷剛さんの「新訂増補版 アウシュビッツ博物館案内」(凱風社/12年8月発行)を読んでいる。例によって妻が先に読んで、私に回ってきた。息子夫婦も行くまでに読みたいとのことで、「イスラエルに送るから早く読んでや。」と言われている。(笑)

とりあえず第1部を読破した。中谷さんの文章は読みやすいのでサクサク進む。第一部は、「オシフィエンチムで」と題された数篇のエッセイ風の文章である。アウシュビッツがあるポーランドはドイツとソ連に挟まれ、近現代史だけでも複雑な歴史を持っている。ユダヤ民は、それ以前迫害の少なかったこの地に多く移り住んでおり、ワルシャワ人口の30%、クラクフの20%を占めていた。WWⅡでは、独ソ不可侵条約によって、両者によって分割占領されるはめになる。ポーランド人にとって、ユダヤ民は隣人であるとともに、ナチスから迫害される人々であり、ソ連を支持する共産主義者と写っていた。同時にポーランド人自身も迫両者から害される立場であった。その体験者の話も交えて、貴重な情報が書かれている。

こんな地に残されたアウシュビッツである。戦後の復興期も社会主義政権時代も、かなり危機に追い込まれていく。それが冷戦終了後、西側の支援もあって、また歴史の真実もようやく調査されるようになって、世界遺産の博物館としての体をなしてきたという歴史が、様々な面から語られている。

国際青少年交流の家というのが近くにあって、様々な国の若者が集い、収容所内の清掃や草刈をしているとのこと。ドイツの若者も多く、フォルクスワーゲンが支援スポンサーとなっているという話だった。

あまり詳しくエントリーすることは止めよう。この本、是非多くの若者に読んで欲しいと思うからだ。いよいよ第2部・第3部は、アウシュビッツ・ミュージアムの案内となる。一気に読めそうだ。

2015年6月20日土曜日

非仏語圏アフリカの自由貿易地域

このところ、日経や毎日新聞には、アフリカの記事が少ない。私が見逃した記事がないか探していたら、超重要な記事を発見した。朝日のデジタル版「アフリカ26カ国、自由貿易地域設立へ」である。6月12日付であるから、長い間見逃していたことになる。
http://www.asahi.com/articles/ASH6C62GYH6CUHBI034.html

このデジタル版の記事では、エジプトから南アまでの巨大市場ができるかもしれないとあるが、具体的に26カ国とはどこかは解らない。もう少し調べると、chaina.comで「東南部アフリカ共同市場」「南部アフリカ開発共同体」「東アフリカ共同体」の3組織の統合を図るものらしいことがわかった。
http://japanese.china.com/news/world/329/20150611/393848.html

これで判明した。
東南部アフリカ共同市場(エジプト・リビア・コモロ・ジブチ・スーダン・エリトリア・エチオピア・ケニア・ウガンダ・ルワンダ・ブルンジ・コンゴ民主共和国・ザンビア・モーリシャス・ジンバブエ・マダガスカル・マラウイ・セイシェル・スワジランド)19カ国。
南部アフリカ開発共同体(上記にダブってない国:ボツワナ・ナミビア・南ア・レソト・モザンビーク・アンゴラ・タンザニア)7カ国。
実はこれで全部。26カ国である。東アフリカ共同体(ケニア・ウガンダ・ルワンダ・ブルンジ・タンザニア)は、すでに上記2つに全て入っている。だから、China.comの記事は親切すぎるかもしれない。

要するに、ソマリア以外の旧イギリス・ポルトガル・イタリア・ベルギーを旧宗主国とする、アフリカの東半分、非フランス語圏(マダガスカルが入っているけど…。)の26カ国だということだ。これから、各国で批准が始まることになる。ちなみに、この地域は6億2500万人をカバー、GDPの58%を占めるという。

…この自由貿易地域、決して悪いことではない。そもそもアフリカ諸国の独立前から、汎アフリカ構想が語られていたことを考えれば、遅いくらいである。アフリカ各国の多くは、市場としては小さすぎるほど分割されているのも、開発経済学が指摘するところ。ただ、経済統合が進むと、かなり格差が開くのではないかという懸念もある。新たな争いのもとになられば良いが…。

2015年6月19日金曜日

NHKのコント番組にハマる

カッツ・アイ
最近、ハマっているTV番組がある。木曜日のNHK、PM10:00からの「LIFE」というコント番組である。ただ単純に面白いだけでなく、タイトルにあるようになにか人生を表現している。内村光良(ウッチャン)を中心に、毎回同じメンバーで、コントをするのだが、さすがNHK。セットがリアルでなかなか豪華である。

単発のコントもあるが、シリーズものもある。宇宙人総理というナンセンスな設定は、毎回楽しみにしている。(昨日はなかったけど。)

鉄仮面シリーズも好きである。なぜか鉄仮面をかぶっている青年。鉄仮面ゆえにコンビニに入れてもらえないとか、人生の悲哀が表現されている。この鉄仮面、なかなか哲学的だ。

不思議な魅力があるのが、カッツアイ。キャッツアイのパロディだが、母と娘が「割愛」という言葉で逃げるポーズが、毎回面白い。(画像参照)

…NHKがこういう番組をつくっていることには意外性があるが、民放よりはるかに品があると私は思っている。笑いをとるためのコント故に毒がないとは言えないが、なかなか面白い。

http://www.nhk.or.jp/life/index.html

2015年6月18日木曜日

新書 ニュルンベルグ裁判を読む。

妻は、私の横でまた「聖なる嘘つき」というホロコーストの映画を見ている。古い映画らしく、今のTVのサイズに合わないので、下の字幕が全部読めない。ワルシャワのゲットーの話らしい。英語だが私のリスニング能力ではきついので、途中で見るのをやめて、エントリーしている次第。(笑)

今日も息子宛にホロコーストの本がアマゾンから送られてきた。(息子夫婦は現在もイスラエルにいるが、私たちのポーランド行に合流することになった。)向こうで手渡すことになると思うが、我が家のベクトルは完全にポーランドに向いている。

私といえば、中公新書の「ニュルンベルグ裁判」(アンネ・ヴァインケ著/板橋拓巳訳本年4月25日発行)を読んでいる。ニュルンベルグ裁判は、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いた国際軍事裁判である。もちろん以前から知っているが、どうしても日本の東京裁判の方に目がいっていまい、これまできちんと読んでいなかった。この際、読んでおこうと思ったのだ。

当然、東京裁判より早く始まっているので、東京裁判でも使われた平和に対する罪や人道に対する罪といった概念の話が出てくる。ただ、その背景は極めて複雑である。米・英・仏・ソの立場は微妙に違う。もちろん主導したのは米国だが、英国は最初、裁判などせずナチ指導部を全員死刑にすべしなどという立場をとっていたし、ソ連はカチンの森の虐殺をナチの仕業にするよう動くし、フランスもヴィシー政権下でナチに協力した負い目があるから、歯切れが悪い。

…少し前、妻と「黄色い星の子供たち」というフランスでのユダヤ人迫害の映画も見た。少しだけ救いのあるホロコースト映画だった。フランスという洗練された土地柄もあったと思うが、ヴィシー政権下のフランス官憲もナチ同様の罪を犯していることは確かだ。

この本は、ゲーリングやルドルフ・ヘスなどを裁いた、いわゆるニュルンベルグ裁判だけでなく、その後の米国占領下で行われた医学者や法学者などを裁いた12の継続裁判についても書かれている。著者はドイツ人の中堅の研究者で、訳者はその信頼性は高いと訳者のまえがきで評しているのだが、P54まで読み進んで、一気に興が削がれた。

…「脱褐色の煉獄」という表現が出てくる。褐色のナチの制服を連想させる地獄から脱出する煉獄を意味するとあり、なかなか面白いと思った瞬間、次の文字が目に飛び込んできた。煉獄とはダンテの『新曲』からの比喩である。…?ダンテの新曲?神曲ではあるまいか。訳者と編集者と中央公論社の知性を根底から疑うよう誤植である。あーあ。

2015年6月17日水曜日

「灰の記憶」を見る。

妻は、このところポーランド・アウシュビッツ行きを控えて、ホロコーストの勉強に余念がない。DVDを借りてきてどんどん見ている。今日は、「灰の記憶」という映画を見ていた。今回のエントリーは、その内容についてエントリーするので、見る予定のある方は、読むのを止めていただきたいと思う。

この映画は、アウシュビッツの近くにあるビルケナウ収容所の実話である。運ばれてくる同胞を、音楽を演奏して迎え、衣服を脱がせ、ガス室に送り、その後女性の髪の毛を剃り、焼却炉で焼くという一連の流れを行っていたコマンドと呼ばれた男たちの話である。

この非人間的な物語は、ドイツのSS(親衛隊)のヒムラーが行っていた人体実験に関わっていたユダヤ人医師の手記を元にしている。コマンドたちは、これらの非人間的な任務の代償として生き延びていた。だが、彼らの生き延びる意味とは何だったのだろう。彼らは、軍需工場で働かされている女性コマンドから火薬を入手し、暴動を起こし焼却炉の爆破を目指す。

この物語のタイトル「灰の記憶」は、ガス室で生き延び、医者とコマンドに助けられた少女の「記憶」である。彼女も結局暴動の後、ナチに殺されるのだが、それまで一言も話さなかった彼女の声で「灰」として語りかける。そこにこの映画の全てが凝縮されている。

幾度となく、残酷な処刑のシーンが続く。全くといっていいほど救いのない映画である。だが、ホロコーストの実体はまさに救いがないので当然であるのだが…。

2015年6月16日火曜日

日経 マグナカルタ 800年

日経に小さな記事が出ていた。昨日15日で、イギリスの大憲章=マグナカルタが成立して800年なんだそうだ。マグナカルタは言うまでもなく、ジョン王の悪政に対して、貴族たちが認めさせた「法の支配」の原点である。

細かいことをここで解説する気はない。それより、この記事で今の日本で最大の関心事となっている安保法制が、違憲だという憲法学者3人の意見が表面化したことで、日本にも民主主義の意味が問われ始めていることを改めて意識した次第。

何度かブログでエントリーしているが、日本の民主主義は勝ち取ったものではない。敗戦後与えられたものだ。欧米とはかなり社会構造が違うとはいえ、民主主義の歴史は、権力との闘争の歴史であるといってよい。憲法はそのシンボル的な存在であり、権力を制限することがその趣旨である。これは、欧米的民主主義の普遍的なスタンスだ。3人の日本を代表する憲法学者たちが、違憲だと述べたのはこの普遍的なバランスを壊すのか?という問いかけだと私は認識している。

私は、今回の安保法制、アメリカのアジアでの戦争に、日本も状況次第では参加できるんだぞ、というブラフ(脅し)であると思っている。もしかしたら小競り合いはあるかもしれないが、このグローバル化した新帝国主義の時代、国の存立をかけた戦争は起こらないという確率は非常に高いと思う。とはいえ、この法案のために平和を国是とする世界でも希な国家・日本が被る不利益は大きい。何より、憲法をないがしろにする民主主義の破壊は見逃せないと思う。ジョン王よ、そんなにやりたいのなら、憲法改正の発議だろう、というのは正論である。おそらくは、大阪のジョンのように国民投票で否定されると思うが…。

ともあれ、願わくは、この安保法制論議、日本の民主主義の深化につながればと思う。

2015年6月15日月曜日

中谷氏の岩波ブックレットを読む。

国際理解教育学会・弾丸ツアーのお供にしたのは、実は岩波のブックレットだった。(6月13日付ブログ参考)アウシュビッツの日本人ガイド・中谷さんの「ホロコーストを次世代に伝える」である。岩波のブックレットは薄いので、こういう時のお供には最高だ。もちろん、ポーランド行き・中谷さんのガイドの予約が取れた直後にアマゾンで注文したものだ。妻が先に読んで、私にバトンタッチしてくれた。

中谷さんの人柄がよくわかった1冊である。中谷さんの書かれた「アウシュビッツ博物館案内」という単行本も注文してあるので、近々読めると思う。このブックレットは、その前段階である。ところで、意外な話がこのブックレットに載っていた。日本の英米への宣戦が、ホロコーストに大きな影響を与えたのではないかということだ。それは、ナチにユダヤ人等の民族浄化を急がせた歴史的経過があるということであるらしい。

また、中谷さんは、本書の中で、「ユダヤ民」という語を使っている。ポーランド人、ドイツ人という表現をされながら、ユダヤ人に対しては、ディアスポラによる国籍の多様性を含んでいるのかもしれない。ともかくも、単行本の到着を楽しみにしている次第。

2015年6月14日日曜日

国際理解教育学会 ’15 東京

国際理解教育学会研究発表大会の会場 中央大学
昨夜はPM11:20に夜行バスで立川北口へ向かった。高速京田辺の乗り場は物悲しく、しかも3列シートなのに太ったのかどうも寝苦しかった。AM7時前に、立川駅北口に到着した。すぐさまタバコ。だが、駅前は禁煙ゾーンらしく、各所に設けられた喫煙所へ。(笑)久しぶりにマクドで朝食をとった。どうも食いだおれの大阪人としては、東京の食に未だに疑いをもっているので、絶対安全マグドナリゼーションの平均性をチョイスしたわけだ。(東京人のみなさんゴメンナサイ。)ここから多摩モノレールで中央大学に向かう。面白い駅で、南向きに左が明星大学、右が中央大学になっている。毎度のことながら、早く着きすぎた。そして例年のごとく、年会費を支払い、パワーポイントの準備にかかる。研究発表は毎回2人目だ。(笑)

大学で購入したミネラルウォーター
今回は、久々にアフリカ三部作だった。最初はTさんというJ大のグローバル教育センターの方だった。日本人のアフリカのイメージの考察で、中学生・中学校の教員(社会・英語)のもつ地図感覚(世界地図におけるアフリカの位置など)や、イメージする語彙や、教科書におけるアフリカの項目の変化など、なかなか地道だが興味深い内容だった。ガーナを中心にアフリカをかなり回っている方なのに、こういう基礎的な研究をされているのだった。司会をしていただいたO先生から、「問題はこの研究成果をどう活かすかですね。」との指摘。…するどい指摘だと私は思った次第。

私の方は、いつもながら大阪的な笑いをとりながら、まずまずの出来。発表も7回目ともなると、20分という発表時間をうまく活かせるようになった。あまり多くを語りすぎるといい発表にならないのだ。今回は、事前学習(生徒にじっくりとアフリカ開発経済学を講義)を行ったうえでの、ゲーム性を高めたSDゲームだったが、生徒が裏技を発見し、ホテルや農地開発ばかりで増やしてポイントを上げることになってしまった。生徒自ら、こんな国はあかん、と言わしめたことが成功かもしれないという結論であった。途中、私の開発経済学のレベルの高さ(レイディングやオランダ病など)もちょっと伝えた。これがわかる聴衆の先生方も多く、うれしかった。O先生からは、「HDIなどの学びは如何。」という質問を受けた。当然、センの貧困論からHDIについては、人間の安全保障も含めてしっかり指導していると回答した次第。O先生にうなづいていただきちょっと誇らしい。

三部作のラストは、S大のU先生で、大御所である。三部作といってもスケールは極めて大きな話である。宇宙船地球号プログラムをつくりグローバルイシューの学びを推進され、最近はこれをグローカルイシューの学びへと推し進めておられる。ブルキナファソやタンザニアで、「水」についての環境教育を行っているという報告だった。意外にもタンザニアの小学校には生徒全員のPCがあったり、さらにブルキナの小学校でも国全体の水資源について考える授業が行われていたりした。私にはかなりの驚きであった。

…とりあえず、朝の研究発表を終えて下阪の途についた。予定どうり、斎藤哲夫の歌でなじみの吉祥寺で昼食を取った。東京のラーメンがどんなもんか食べてみたのだ。案外うす味でいけたのだった。(笑)大昔、私がまだ小学生の頃、東京タワーの近くで食べた醤油のなかに浮かんでいた「うどん」とはだいぶ違っていた。(笑)帰りは新幹線。たった2時間強で京都に着いた。京都駅で買った妻へのお土産の駅弁は、私のもあわせてすこぶる美味であった。やっぱり、関西味バンザイである。

<斉藤哲夫の吉祥寺 70年代の名曲一度聞いてみてください。>
https://www.youtube.com/watch?v=QQaOeFOwb-w

2015年6月13日土曜日

隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン

昨夜は、前々任校でお世話にななったK先生の退職記念の会があって、遅くなった。なつかしい先生方が大勢集まり有意義な時間を過ごしたわけだ。K先生は当時若手だった我々の兄貴分という存在であり、よく怒られた。(笑)今は、私より後輩が校長、教頭、指導主事などに出世していたりして感無量である。だが、この会では当時のままの年功序列だったのが可笑しい。

さて、今日は今読んでいる本のエントリーを少し。妻が読んでいた本だ。「隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン」(小岸昭著/人文書院・2002年10月発行)である。妻は、長崎に行って以来、隠れキリシタンに興味があるようで、息子がアマゾンに注文し未読の本を見つけ読んだらしい。私自身は隠れキリシタンにはほとんど興味がない。しかしユダヤ人の話なら強い興味がある。

妻が、やたら「マラーノ」という言葉を発するようになった。マラーノとは豚という意味であるが、カトリックの弾圧を恐れてキリスト教に改宗したユダヤ教徒(新キリスト教徒)を意味するコトバである。

専門書なので、そう簡単には読み進めない。この本の冒頭にデリダのことが出てくる。デリダというのは、そのうちセンター試験・倫理に出ると私が確信しているフランスのポストモダンの哲学者である。彼もマラーノらしい。オランダの屋根裏の哲人・スピノザの話も出てくる。彼がユダヤ系であることは有名。

ところで、昨日はサウナ風呂のような教室で、大航海時代の話をしていたのだが、レコンキスタを終えたカトリックの新興国スペインとポルトガルで、海外進出に大いに貢献したユダヤ人やマラーノが異端審問で殺されている話が出てくる。かのザビエルが、本国にいた時代には異端審問に加わった証拠を著者は執拗に追っている。さらに画家のゴヤが、宮廷画家からリタイアした後、加害者の視点からこのマラーノに対する異端審問の絵をかなり描いていることもわかった。

なかなか濃い本なのである。今夜、東京・立川に旅立つ。体調は万全ではないし、残念ながらこの本は決して軽くないので、東京には連れて行かないつもりだ。

2015年6月11日木曜日

指差し会話帳 ポーランド編

ポーランド行きが決まって、これだけは手に入れておきたいと思ったのが、指差し会話帳である。

私は一度だけ、これを使ったことがある。ブルキナファソに行った時、1泊したパリで使ったのだ。フランス人の中華思想はなかなかのもので、本国では(きっと知っているはずだが)英語を使わない。パン屋に入っても英語では「ワカリマセーン」という感じ。空港やホテル、タクシーなどは英語を使ってくれるが、一般人は全然ダメである。とはいえ、道端のカフェで、コーヒーの一杯ぐらい飲みたい。ユネスコ本部のすぐそばのカフェで、学校(前任校)の図書館で借りた指差し会話帳フランス語編で、なんとか注文できたのだった。(笑)カフェのおやじは大笑いしていた。

旅に出ると、偶然の出会いが面白い。私はひとり旅が多かったので、そういう経験が豊富である。だが、いくらなんでも英語が通じないと不可能である。前回のイスラエル旅では、息子がほとんどヘブライ語で通訳してくれたというか、ガイド役だったというか、そういう経験を積めなかった。ポーランドの人々は、あまり英語を介さないらしい。ならば、これしかないのだ。

この指さし会話帳、どんどんとスマホのアプリ化が進んでいるようで、いかにもアナログでレアなポーランド語編は、すでに品切れ、再版の予定もなさそうだった。アマゾンの中古本では、新刊の値段をかなり上回っていた。価格は正直だ。意を決して貴重な中古本を購入した次第。今回の旅では、バンバン使いたいと思っている。

2015年6月10日水曜日

mundi アフリカの記事を読む。

JICAの広報誌が「mundi」という名前に変わって久しい。本校に送られてくると、私のもとに届くようになっている。ありがたいことである。このところ、「アフリカ留魂録」という名のブログなのに、アフリカ関連のエントリーが少ない。新聞記事を毎日ウォッチしているのだが、なにせ少ないのだ。

それで、久しぶりに最新の6月号からいくらか拾ってみた。何より、1ページ目にギニアの首都コナクリから50kmほど離れたコヤ市でカアカ橋という工事現場での記念写真が載っている。エボラ渦の関係で、日本の関係者は退避したらしいが、現地スタッフは今日もラジオ体操をして資材を厳重保管しながら待っているそうだ。いい話である。

今回の特集は「観光・世界遺産」である。エチオピアのシエミン国立公園は、放牧などの影響で危機遺産リストに登録されてしまった場所だ。そこを新たなエコツーリズムで立て直そうというプロジェクトが行われているらしい。ここでしか体験できないことを発掘していくんだそうだ。これもいい話である。

マラウイの一村一品運動(OVOP)は有名だ。バオバブ・オイルを作る村があって、首都リロングウェにアンテナショップをつくるほどになっているそうだ。このオイル、ビタミンEが豊富で、食用だけでなく美容にもいいらしい。

モザンビークでは、海沿いのイニャンバネ州でティンビラ(木琴)祭りで盛り上がっているそうだ。観光客にも好評で、伝統ある音楽が新たな雇用を生み出すための協力が進められているとのこと。

こういう、アフリカの「いい話」が嬉しい。

2015年6月9日火曜日

アフリカSDゲーム2014報告準備

国際理解教育学会の研究発表大会まで、1週間をきった。世界史Bの授業を、通常の2倍の速度で進めていることもあって、疲れが溜まっているのか、なんとなく発表準備が進まないまま今日まできてしまった。

さすがにヤバイ。ということで、今日は授業以外の時間、できるだけ職員室唯一パワーポイントの作成ができる共有PCの前で、発表資料作成に勤しんでいた。共有だから気を使う。30分ずつちょこちょこと作成するしかない。

ところで、わたしの机上には2台のPCがある。1台は私用のIBM。ここにはパワーポイントを入れてあるが、ネットにつないでいないので、(マイクロソフトに承認されていないので)、見ることはできても、作成はできない。もう1台の方は、上から与えられているPCだ。ここにもパワーポイントが入っているが、USBも使えないし、たとえ授業で使うにしても、鎖で繋がれているのでPC自体持って行って使えない。まったくアホかという代物である。何のためにパワーポイントを入れているのか、税金の無駄使いだとしかいえない。(怒)で、結局、学校でパワーポイントを作成するには、その共有PCしかありえないのである。

今日は、一気に進んだ。共有PCを独占して他の先生方に申し訳ないが、そうも言ってられない。(笑)明日、もう1日あれば、なんとかなりそうである。

2015年6月8日月曜日

日経 CO2をメタンに変える話

メタンガス(CH4)
日経の科学技術面に、静岡大学の福原長寿教授と触媒メーカーのキャラーが、CO2を高速で燃料ガス(メタン)に変える技術を開発したという記事が載っていた。直径数mm長さ25cmのアルミ細管の内側に触媒となるニッケルのナノ粒子を含ませた多孔資材料を塗布し、これを束ねてパイプにするらしい。一方からCO2と水素の混合ガスを流して加熱すると、内部で化学反応し、他方でメタンガスが出る。

直径2mmのパイプで実験すると、1.5ccを変化させたそうで、収率は9割と高く、大量処理も可能。このCO2と水素でメタンをつくるという事は以前から知られていたが、これまでは効率が悪く実用化の目処はたたなかったらしい。

今回の静岡大の技術は、CO2と水素ガスを触媒のニッケルにうまく接触させる工夫がうまくいき、大幅に高速化が可能だという。今後共同開発先を募り、プラント検証を行っていくそうだ。

…こういう科学記事は、いつも書いているが、完全文系の私は、メタンがCH4だったことも忘れていた。(笑)どうのこうのと評論などできない。でも、ESDで環境問題も関わっている私にとっては、大きな朗報だと感じる。これからまだまだ時間がかかるかもしれないが、地球規模で広まればと、素直に思うのだ。

2015年6月7日日曜日

地球の歩き方「ポーランド」

地球の歩き方の評判は、昔から今ひとつである。これまで何冊買っただろう。おそらく20冊以上は買っている。単なる読み物としてはいいが、実際現地に行ってみて「地球の迷い方」であるという評価もある。世界は常に変化しているのだから、ここに書かれていることが全て正しいわけではない。私は、いかにここの情報を取捨選択するかにかかっていると思っている。

昔、ロス空港からダウンタウンまでは治安が悪いので絶対利用してはならない、と書いてあった。だが、そのままサンディエゴに向かうのでユニオン駅に直通の地下鉄が便利だと判断した。たしかに治安の悪い地域を走ったし、ヘビ男に遭遇(本年4月21日ブログ参照)したが、極めて危険というほどではなかった。地球の歩き方としては、「安全です。」と書く事こそが冒険であるからだ。

今回のポーランド行きに際して、どうしようかと思っていたが、妻と相談して結局買うことにした。両替やタクシー代、入場料などはあくまで目安と考え、現地に行くまでの楽しみを増やすための読み物と割り切るといいと思うのだ。現地で使うのは地図のみ。(笑)これも間違いが多かったりするが…。

今回の地球の歩き方の利用で、最も価値的だと思ったのが、アウシュビッツ収容所の有名な日本人ガイドの中谷さんと(地球の歩き方にメールアドレスが明記されていたので)連絡がついたことだ。妻とも話していたのだが、英語のガイドは、正直なところ辛い。今回のポーランド行きは、教師生命のテンカウント中の私にとって観光というよりもユダヤ研究の最終章みたいな旅である。最大の目的地であるアウシュビッツでは写真を撮りまくって、パワーポイント教材をつくるつもりだ。そのための出資は惜しくない。

「ソハの地下水道」を見る。

妻が見たかったDVDは、「ソハの地下水道」というポーランド映画だった。昨夜共に見ながら調べてみたら、ワルシャワゲットーの話ではなかった。当時はWWⅡ・ナチスドイツ支配下のポーランドであるものの、現在ではウクライナ領内にあるリヴィウの話である。

アカデミー賞外国語監督賞ノミネート作品。なにより、これは実話である。ゲットーのユダヤ人たちは、地下水道への逃げ道を確保していたが、ポーランド人の地下水道の管理に携わっていた小悪党ソハに発見され、恐喝される。そして、ドイツ軍のゲットーへの襲撃。ソハは、地下水道に逃げ込んだユダヤ人を、最初は金目当てで彼らを援助することになる。

この地下水道でのユダヤ人の、様々な葛藤、生への執念が凄い。様々な困難が襲うが、金銭を超えた人道的なソハの援助によって最終的に生き延びる。解放され、ソハによって、マンホールから突然出てきたユダヤ人たち。驚く近所の人々たちに「俺のユダヤ人だ。」と誇らげに叫ぶソハに小悪党の面影はない。ソハ自身は、その後交通事故で亡くなる。ユダヤ人を救ったから罰を受けたと言われたが、ソハと妻は他のユダヤ人を救ったポーランド人6000人とともに表彰を受けている。
http://instytut-polski.org/event-archives/archives-film/1073/
…私が最も印象に残ったシーン。彼らが潜んでいた地下水道から、カメラが上に向かう。ちょうどそこはカトリック教会(彼らはそれを知っていて見つからないように静かにしていた。)で、聖体礼儀(イエスの体と血をパンとぶどう酒として与えられる) が行われているところ。着飾った子供たちが、平たいせんべいのようなパンを口に入れてもらっていく。この対比には凄みがある。

…WWⅡの頃の東欧のどうしようもなく暗い雰囲気や、アシュケナジの置かれていた立場などが、克明にイメージできた。ポーランドに行く前に見ておいてよかったと思う。そして「人間は神を利用してまでお互いを罰したがる。」という最後のテロップが、この映画の全てを物語っているように感じた次第。

2015年6月6日土曜日

"PLANES"をDVDで見る。

https://plus.google.com/u/0/11820
8417165028274433/posts/XZ8ExQSkqj6
先日妻が、DVDを借りるというので付き合った時、私も以前から見たかった「プレーンズ」を借りることにした。もうすでに、次作プレーンズ2のDVDも出ているので、今更なのだが…。私の知っている情報は、大好きなGeeBeeが出るというくらい。(13年12月19日ブログ参照)

ところが、見てみると、これがなんとも魅力的な映画だったのだ。ネブラスカ州の農薬散布機が主人公。彼をサポートするのが、意外にもFAUー1Dコルセアであった。GeeBeeはメキシコの覆面レスラーっぽくて、最初悪役だと思ったのだが、最大の友人であったし、レースに女性機も参加していて、日本のヒコーキだったりする。名前もサクラ。(笑 ただし、これは調べてみると日本版のみらしい。アメリカ版ではカナダ機の設定だとか。この辺のサービス精神もごりっぱである。)世界一周レースは意外に、恋あり、友情ありだったのた。あまりストーリーについてバラすのは悪趣味なのでこれくらいにしておきたいが、意外な展開と、アメリカ映画らしい結末となっていて、やはりエンターテーメントとしてさすがだと思った次第。

DVDには、監督の制作裏話もあって、これも実に面白かった。彼の父親がコルセアに乗っていたのだそうだ。2人の息子と航空博物館を訪れ、「スロットルを引くんだ。」なんてやっているのを見て、サンディエゴの航空博物館を思い出した。C1輸送機の操縦席で、じいさんが、孫に操縦を教えていたのに出くわしたのだ。微笑ましい感じだが、昨日のエントリーを引きずると「ピラミッドのある世界」そのものである。(笑)アメリカなんだよなあ、と思う。監督自身も実際P51に乗ったりして、プロペラ機の細かい動きを懸命に学んだそうだ。実際、空母にも取材している。あ、バラしてしまった。
バラしてしまったので書いてしまうが、この空母、この映画で実にいい味を出してくれている。「ピラミッドは、できれば、ない世界の方がいい。」と思っている私なのだが、航空ファンとして、またエンターテーメントとしては大いに魅力的に描かれていたと思うのだ。

2015年6月5日金曜日

中田考氏最新刊より 「田中真知」

http://whatever-free.net/c2014-6-19.html
中田考氏の最新刊を読み終えた。昨日も少し書いたけれど、この本は田中真知氏が構成していたのだ。あとがきには、田中真知氏と中田考氏のつながりや、その考え方・人柄の解説がなされている。

面白かったのは、「もし宇宙人が地球にやってきたら、イスラムではどのように対応するのか?」という問いに、中田氏はこう答えた。「まず宇宙人が食べれるか食べれないかを判断します。」そのときは冗談だと思った田中氏だが、エジプト人のメイドさんが、幼い息子に動物図鑑を見せながら「これは食べられる。これは食べられない。」と言って教えていたのに遭遇する話だ。イスラム的な枠組みでものを見るというのはそういうことらしい。

田中氏はこう中田氏を評する。「中田さんのイスラームは、ことさら寛容を強調して西洋の価値観に歩み寄ろうとするような物分りの良い世界ではない。むしろ、イスラームは他の宗教とは決して分かり合えない、価値観を共有できないところから始まる。しかし、その視点がなければイスラムが形骸化してしまう、そんな根っこのようなものに彼はふれているのだと感じた。中田さんの説くカリフ制は、イスラム世界の内部に抱え込まれた西洋をアンインストールし、人や物や国家や国境という枠組みに縛られることなくオープン化していくダイナミックな理想主義だ。」

この田中真知氏の解説のタイトルは、「ピラミッドのある世界とない世界と」である。アニメ映画「風立ちぬ」で登場するカブローニが二郎に「君はピラミッドのある世界とピラミッドがない世界と、どちらが好みかね?」と聞くシーンから取られている。その前提で、中田氏の唱えるカリフ制は「ピラミッドのない世界」だと田中氏は結んでいる。

…この田中真知氏の言う「ピラミッド」、実に深い。私も中田考氏のイスラム観・カリフ制のことを知れば知るほど、まさにそうだと思う。この謎解きは、是非本書を読んで確認して頂ければと思う。

2015年6月4日木曜日

中田考氏最新刊より 「タキーヤ」

http://www.usmessageboard.com/
threads/taqiya-muslims-are-
allowed-to-dissimulate-lie-about
-islamic-beliefs-to-promote-islam.403494/
中田考氏の最新刊「私はなぜイスラム教徒になったのか」(太田出版/5月25日発行)をほぼ読み終えた。残るは田中真知氏のあとがきだけである。(あのアフリカ本の作家である田中氏と中田考氏がエジプトで旧知の仲であったとは大きな驚きだ。)さて、終わりの方に「タキーヤ」という語が出てくる。これは、「シーア派とスンナ(スンニ)派の共存は可能か」という興味深い話の中に出てくるアラビア語である。

中田氏は、この両者が教義上で和解することは非常に困難だと言う。互いにカーフィル(不信仰者)と見なしているからである。それでもなんとか共存してきたのは、シーア派が数の上でマイノリティであったし、勢力的にかなわなかったからである。しかし、イラン革命後、シーア派が力をつけ勢いが着実に増している。シリア内戦後はアサド政権がイランとレバノンのシーア派に軍事的に依存しており、さらにこれまでシーア派のコミュニティが存在しなかったエジプトやインドネシアでも存在を主張し始めて流血の争いが起こっている。

中田氏は、スンニ派内の伝統派と復古派(サラフィー主義)の対立を収め、マジョリティとしてシーア派を従属するカタチでしか平和はないと考えている。シーア派の中心的存在である十二イマーム派には、「タキーヤ」という教義がある。「危害が加えられるおそれがあるときに信仰を隠すこと」である。シーア派では初代イマーム、アリーの時代を除いて、常に為政者から迫害されてされてきた故である。スンニ派が一つにまとまれば、さすがにかなわないから、十二代目の隠れイマームが再臨するまで、教義的に正当なタキーヤを行ってもらうことで共存を図るというのが最も現実的な手立てだというわけだ。

スンニ派もシーア派も互いに相手が異端であるという教義は変えられない。しかしキリスト教ヨーロッパの宗教戦争のような殲滅戦を起こすことなく共存してきた。現在シリアやイラクで起きているような、いきなり相手を殺してしまうような状況は、近年の異常な状況であるというわけだ。

…なるほどと思う。シーア派の「タキーヤ」という教義があること自体が実に興味深い。妻が、今「隠れユダヤ教徒(マラーノ)」の本を読んでいて、少し聞いてみたのだが、ユダヤ教徒は、火炙りか改宗かを迫られ、自己の意思で新キリスト教徒になったらしい。シーア派の「タキーヤ」とはずいぶん違う。

2015年6月3日水曜日

日経 経済教室「疲韓」の背景

韓国のGDP成長率 http://kankoku-keizai.jp/blog-entry-26454.html
日経の経済教室、今日は「国交正常化50年日韓の未来」というテーマて、神戸大の木村幹教授の論文が載っていた。私は、地球市民であることをスタンスにしており、当然反ナショナリズムの立場なのだが、メデイアが時々「韓国疲れ」という語彙で表現する反日外交には、思わずため息をついてしまうこともある。この論文では、その韓国外交の背景について書かれていて、なかなか勉強になった。モーニングで読んだ後改めて日経を買い求めたくらいである。備忘録的に少し紹介しておきたい。論文の要旨はおよそ次のようなものである。

6月23日が日韓基本条約が締結されて50年になる。最近の日韓関係の関係悪化だけが問題なのではない、より重要なのはこの条約によって打ち建てられた「日韓基本条約体制」に対する両国の理解が全く異なることだと、木村氏は論じられている。

日本では従軍慰安婦問題などをはじめとする日韓間の植民地支配の「過去」を巡る問題は少なくとも「法的」にはすべてが解決済みとされている。それに対し韓国ではこの見方は共有されていない。より具体的には従軍慰安婦、原爆韓国人被害者、サハリン残留人問題の3点については日韓基本条約締結過程では念頭に置かれていなかった、らち外にあるという立場なのである。

80年代までの韓国政府はこれらを解決済みという立場をとっていた。韓国政府に変化が見られるのは92年以降である。この「安定」を崩した原因は何か?それは、韓国の日本依存度が大幅に交代したことにある。50年前条約締結時の韓国の1人あたりGDPは$100にも満たない途上国であり、経常収支も大幅な赤字であった。北朝鮮との分断下、建材的にも軍事的にも日本の協力なしには国家を維持することさえ困難だった。故に、国交正常化交渉の過程でも、自らの要求水準を大幅に下げなければならなかったのである。この基本条約は当時の非対称な日韓関係不本意にも押し付けられたもので、当初から不満を抱えていた。にもかかわらず、その後80年代までこの体制に甘んじていた理由は、この非対称的な関係がしばらく継続していたからにほかならない。

今日の状況の背後には、かつての垂直的な関係にあった日韓関係が、国際環境の変化と韓国自身の経済成長により水平的な関係に移行しつつあるからである。日本の1人あたりのGDPは現在世界27位。韓国は31位である。両国の軍事費を巡る状況は韓国がGDP3%弱。日本は1%で固定されている。GDPの格差が1対3以下に縮小すれば、韓国が意図的に軍事費の割合を下げない場合、金額ペースで日本を上回ることになる。両国の人口比は現在1対3より接近しているから、「その日」は韓国の1人あたりGDPが我が国を上回る前に訪れる。

重要なのは、我々が、こうした前提で韓国との関係を考えることができないことである。強大化する中国に加えて、「大きくなった韓国」をいたずらに敵に回すことは控え目に言って得策ではない。

…この論文のタイトルは、「水平的関係踏まえ対応を」となっている。なるほど、こういう見方があったのかと私は膝をうったのだ。要するに韓国が言いたいことが言える状況になったから、というわけだ。こういうことって、我々の日々の人間関係においてもあると思うのだ。

2015年6月2日火曜日

急にポーランド行きが決まる。

LH741便はB747ー400らしい。
http://4travel.jp/travelogue/10632377
一昨日の夜に、某旅行社のフィンランド航空利用のポーランド・フリープランツアーをメールで申し込んだ。(5月31日付ブログ参照)まあ、我が夫婦らしく突然決めたわけで、すでにかなり航空券が予約され、満席になっていた。メールの返信によるとKLM航空利用ならOKという話だった。うーん。KLM…。(KLM関係者の皆様ごめんなさい。)KLMは座席が狭いので辛いのだ。しかもワルシャワ発が朝の6:00だという。うーむ。きつい。

休憩時間に直接旅行社に携帯で連絡を取った。担当者は、「ルフトハンザの座席状況も見てみます。」と言ってくれた。ルフトハンザなら、マイルも貯まるし、私の経験上からも座席も広く文句はない。で、空いている日が見つかったのだ。あと2席だけだという。こういう時は決断の早さが勝負である。「それでいきます。予約してください。」「取りました。」と、いうわけで、本来なら、このツアーはフィンランド航空かKLMで設定されていたのだが、ルフトハンザ利用というちょっと特別なプランになったのだった。

一応ホテル(ワルシャワ3泊・クラクフ3泊)も鉄道料金もついているので、比較的安く行けることになったわけだ。関空から久しぶりにフランクフルトに飛ぶ。ワルシャワへのトランスファーは1時間25分。ワルシャワからは朝10:25発だ。フランクフルトのトランスファーは1時間15分。まあまあである。長ければ長いで、フランクフルト市内にまた出ていこうかと思っていたので、ちょっと残念でもある。以前南アから着いたフランクフルトでは、トランスファーの時間が長かったので、英語付きの2時間市内ツアーに参加したのだが、カナダ人のおばさんと台湾のおねえちゃんと参加して、なかなか面白かったのだ。(笑)

と、いうわけで、今夏、妻とポーランドに行くことになりました。妻の体調だけが心配ですが…。

2015年6月1日月曜日

中田考氏最新刊より 「ワクフ」

イスラエル・アッコーのモスク http://4travel.jp/travelogue/10608665
中田考氏の最新刊「私はなぜイスラム教徒になったのか」(太田出版/5月25日発行)の中で、「ワクフ」という語の話が出てくる。イスラムのモスクは、寄進者が土地を購入し、建設費を負担し、神に奉献し、所有者の移転を永久に凍結するのだそうだ。したがって、モスク建設は基本的に個人の寄進によるものだといえる。スルタンやカリフのような権力者が寄進することはあっても、基本的にはあくまで個人。中央集権的な組織とはかかわらない。慈善事業のために寄進された財産や建物や土地は「ワクフ」と呼ばれ、イスラム経済において大きな位置を占める。ワクフは「止める」という意味で、ワクフとなった土地の所有権は永遠に本人に停止される。だからいったん建設されたモスクは壊すことができないわけだ。

近代以前はイスラム世界の土地は半分位がワクフであったのだが、近代になりイスラム世界が国民国家システムの中に取り込まれると、ワクフの国有化が進む。ワクフが国有化されるということは宗教が国家の管理下に入ったということになる。自立性が失われてしまうのだ。エジプトにはワクフ省という役所があり、そこに登録されていない人は説教も禁じられ、説教の内容を役人がチェックすることもあるとのこと。

ただし、シーア派のイランではワクフの国有化がうまくいかなかった。当時のパーレビ国王もワクフの国有化を実現し、宗教を骨抜きにようとしたのだが、ワクフの管理権をもつウラマー(イスラム学者)たちが断固として抵抗し守り抜いた。イラン=イスラム革命が成功したのはワクフの国有化がなされず宗教の力が維持されたことが大きな理由の1つらしい。

…こういう専門的な話は、とても高校の学習内容では出てこない。実に勉強になった。この政教分離という概念も、そもそもキリスト教的な問題である。やはり、世界史学習における一神教の重要性は動かしがたい。