2010年7月31日土曜日

大乗仏教の方程式を省くなかれ


 今日は倫理の補習であった。英語の補習が1コマ目にあったので、やむを得ず3コマ、4.5時間でインド哲学から仏教をやった。インド哲学は、ウパニシャッド哲学が中心となる。輪廻・業などの思想は、「日本翻訳多層文化」の中でも、ベース中のベースである。また”梵我一如”という宇宙との一体化も、私は日本のアイデンティティと化していると思っている。川端康成がノーベル文学賞を取った時の記念講演『美しい日本の私』こそ、この象徴的な言霊である。インドは面白い。柳田聖山の「禅思想」という本に、行き倒れの死体をひたすら見つめるサンニャーシン(出家修行者)の話が出てくる。生徒にインドを理解させるのには最適である。ヨーガの話もいろいろする。基本的に宇宙との一体感を求めて修業するのがヨーガである。”人間は空を飛べるか”という、私の滑らない話シリーズもある。昔先輩がインドのマハラジャに、空を飛ぶ修行者を見に連れて行ってもらった話である。広大な草原に隠れた先輩は、オレンジ色の袈裟をきた修業者集団が、すごいスピードで走り去るのを見せられる。別に空を飛んでないではないか!とマハラジャに言うと、彼らが駆け抜けた後を見せてくれた。すると草原で見えなかっただけで、向うまで20mはあろうかという断崖絶壁があり、実際に彼らは向うに去っていく。彼らは、自分を動物に同一化し、「私はインパラ~」とか「私はチーター」とか、精神的に同一化するので飛べるのだという。いわゆるマントラ・ヨーガである。インドは面白い。…『我は梵なり』
 仏教は定義から入る。仏陀が説いた教え、仏陀となることを説く教えという2つの定義がある。この仏陀、ゴーダマ・シッダルタたる釈迦という義と、三世十方の諸仏の義がある。しかしながら、共に最高の真理である法(ダルマ)を悟った人間であることを強調する。で、釈迦の生涯。出産の話から四門出遊の話やアーラダ・カーラマ、ウドラカ・ラーマプトラの話やスジャータの話など面白い話は満載である。初転法輪での四諦八正道は、センター・スキルである。かなり詳しく具体的に話すことで理解を深める。さらに、センターには出ないけれど、四法印(諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静)を説く。雪山童子の無常偈(いろは歌の元ネタ)なども教える。さらに、「縁起(因縁)」特に十二縁起を教え込み、四諦とともにこれらを解析しながら関連を考えさせるのである。こんなことは、センター試験では絶対出ない。だが、仏教が非常に論理的な構造を持っていることを体験的に学習することの意味は大きい。
 さらに、仏教の発展を上座部・大衆部など歴史的な南伝仏教・北伝仏教についても語る。なんぼでも面白い話は出てくる。さて、ここで、やっとこさ今日の本題である。
 
 センター試験では、竜樹(ナーガルジュナ)の「空」については問われることがある。これは大乗仏教の根本思想である。教科書などでは、結局他が割愛されているので、高校生からすれば暗記して終わりである。私は、そういう教え方はしたくない。結局のところ、空という「存在論」なのである。とくに人間の精神・心は「空」という有でも無でもない存在の仕方をしているのである。大事なのは、この竜樹の思想を、世親が「唯識」で発展させ、分析したことである。(ここまで普通、高校では教えない。)人間の心の構造を、目・耳・口・鼻・触といった五識、これに意識を加えた六識(これは六根などとも呼ばれる。六根清浄の六根である。)を最上部とし、この下に未那識という無意識層、阿頼耶識というさらに深部の無意識層などに分析した。フロイドもユングもまっ青である。ここに、最終兵器、馬鳴が登場する。<今日の画像、大乗起信論の著者である。>馬鳴(めみょうと読む)は、この世親の唯識の最深部に仏の因が内蔵されていると説いたのだ。これを如来蔵(にょらいぞう)という。実は、この如来蔵という思想こそが、大乗仏教の根幹なのである。ところで中国は現実的な国である。教相判釈という各宗派の法論対決を行い、仏教の宗派チャンピオンを決定した。それが、法華経を中心にすえた天台宗なのである。法華経には、方便品第二で、十如是が説かれ、先ほどの心の「空」性を如是性として捉え、さらに肉体など色を如是相として「仮」として捉え、これらがうまく結合している様を「中」、如是体として捉える。これを『空・仮・中の三諦』というのだが、ここに大乗仏教の存在論の完成をみるのである。だから、法華経はすごいということになっている。法華経の面白い話もする。法華経の七譬から、”無量宝珠の譬え”である。長者の家に古い友人が遊びにくる。何事もうまくいかないと愚痴をこぼす。酒や食事で歓待した長者は彼に何でも願いがかなうという無量宝珠をあげようとするのだが、彼は酔いつぶれてしまう。そこで彼の襟にその無量宝珠を縫い付けておいた。長者は翌朝用事のため早く家を出る。友人は襟に気付かずに長者の家を辞す。数年後さらに苦しんだ姿で現れた友人に、長者は驚き、なぜ無量宝珠を使わなかったのかと尋ねる。彼の古びた襟に無量宝珠はちゃんとあったのに…。この無量宝珠こそ、人間(凡夫)の心の奥底に内蔵された「仏」なのである。まさに『如来蔵』を説いているのである。
 この空ー唯識ー如来蔵という大乗仏教の方程式が解らないと、なぜ最澄が天台宗を唐から学び、比叡山に戒壇を設立しようとしたのかが解らない。さらに、この天台宗の、”仏を念ずるという修業”から易行(たやすい修業)として発展した唱名念仏(浄土宗や浄土真宗)の流れが生まれ、同じく天台の禅定波羅密という修業から生まれた禅宗が生まれ、密教を入れた天台宗を批判する形で日蓮宗が生まれ…といった鎌倉新仏教の流れが解らないのである。日本の仏教は、本来人間は仏なのだという大乗仏教のスタンスに立っているのだ。たしかに高校生には難しいかもしれないが、5分に1度笑わせながら教えることは可能である。

 長くなった。先日、昨年度まで本校”首席”だった某養護学校教頭のM先生(と言っても私の舎弟だ!)からメールがあり、ブログで”倫理のセンター試験への道”を紹介するなら、「センター試験の点数がおもしろいほどとれるシリーズ」の紹介もしてくださいよ。と言って来た。そもそもこのシリーズは、M先生が数学の参考書として生徒に紹介していたものなので、愛着があるらしい。私は中身はともかく表紙が気に入らない。が、せっかくなので画像も入れて紹介しておきたい。表紙は最低、中身は現在のところ最高の参考書である。数学のシリーズもね!

2010年7月30日金曜日

8校合同仮想世界ゲームⅢ


今朝も家を出たら、携帯がブルブル震えた。例の高速道路のおかげで家中だとメールが着信しないのである。4人のOBやOGからのメールだった。中でも今は某中学の国語の教師をしているO君(彼は私が本校に来た時の3年生である。リリ~君の1年上にあたる。)からの「元気ですか?」という猪木のようなメールには笑えた。その謎は次のOGのメールで解けた。先日結婚したKさん(O君の3年下。彼女も地理Bの弟子であり、JICAセミナー参加者である。)が全くの偶然で同じ中学校に勤めているらしい。ちょうど入れ替わりの国語科の先輩・後輩である。ふとしたことからそれが判り、私が共通の話題になったというのだった。O君には是非、このブログに来るよう指導しておいた。(笑)

 ところで、今日は1日中、学校のPCに向かって、8校合同仮想世界ゲームの資料を整理していた。今日は、各地域のセッションごとの飢餓数・失業数・増加した農園数、持ち株数、現金総額、1人あたりのGDP(現金に株を合わせた資産)などをエクセルでグラフ化する作業をしていた。さらに社会心理学的な側面から見たそれぞれの地域の帰属性や仮想世界全体への帰属性、自己満足度などを集約し、そのうち後者2つをグラフ化していた。地道な肩のこる作業である。これが午前中の作業。午後からは、各セッションでの個人報告書をひろい、状況を良く表しているものをピックアップして記録していく。

 この個人報告書の解析、これが面白い。第1セッションだけでも十分面白い。N地域は最初かなり個人的に動いていたようで、食糧チケットの価格がバラバラである。25~8simというすごい価格差である。<本日の画像はN地域の生徒諸君。>E地域では、あーでもない、こーでもないと取り組み方を協議しているうちに時間が来てぎりぎりに食料チケットを手に入れたようだし、S地域では喧嘩が起きるかと思うような議論があったらしい。W地域はほぼ市場価格が決定し、20simで食料チケットを購入し、15simで労働チケットを売っている。おいおい、それは持続可能な価格ではないぞ!

 解析しながら、私は1人笑っていて、国際交流部長のY先生に不気味がられた。ゲームを手伝ってくれたU先生が来て、しばし考察談義が行われる。いつもながら冷静・沈着。最高のパートナーである。私は典型的B型なので、こういう自分のテリトリーの仕事にはパラノな集中力と根気を発揮する。結局全てのセッションの解析を終えた。いやあ、楽しい。実施報告書が完成したら、改めてブログで発表したいと思う。
 明日は、センター倫理補習・集中講義第2回目である。インド哲学から仏教を講義する。ガンバロー!

2010年7月29日木曜日

白雪姫コンプレックス考


 このところ、児童虐待のニュースが多い。ホント、日本はどうなるのか?教職にある者として若干の責任を感ずるのだが、主たる原因は学校教育ではなく、その多くは家庭教育の問題だといえる。「親」になる資格がないのではと思ってしまうような”コドモな親”の存在を知るたび、やるせない。
 浅田彰が昔々、「スキゾキッズの冒険」だったかで、「エディプスの三角形」の崩壊を予告していた。まさにそのとおりになった。「エディプスの三角形」とは、フロイドがギリシア神話のエディプス神話から導き出した「男の子は父親を憎み、母親と結婚したいという欲望をもっている。」というエディプス・コンプレックスをもとに、社会の在り方を伝授する父親と愛情で人とのコミニケーションを伝授する母親と子供の距離を三角形に見立てたものである。父親と母親と子供の距離で構成される三角形…これが歪だと教育的には問題がおこってくる。この話、有名なのだが、他の先生方はあまりご存じない。教師として必須の心理学的素養だと思うのだが…。とにかく、父親は母親化し、母親は子育てよりも大事なものをもつようになった。たとえば、運動会での父親のビデオ撮影。我が家には、小学校時代の運動会の息子を写したビデオや写真すらない。(当時、ビンボーだったこともあるが…。)父親はやさしければいい、というのもではない。また、電車などで化粧に時間をかけていることが明確な母親をよく見かける。幼児を連れていることが多い。
 「白雪姫コンプレックス」という心理学の本がある。この冒頭に小児科医の話が載っているのだが、夜間診療で、発熱で幼児を連れてくる母親像が変わったというのである。昔はとにかく慌てて駆けつけたという感じだった。下駄とサンダルを左右で履いていたり、服装も寝間着のままだったり…。ところが、最近は口紅をつけ、身なりが整っているのだと言う。発熱で泣き叫ぶ我が子を横に、口紅を塗る母親…。想像するだけで怖いではないか。
 この白雪姫コンプレックスとは、グリム童話の白雪姫から導き出されたものである。グリム童話は本当にあった話を童話化している。白雪姫は、魔女が毒りんごで姫を殺そうとする。実はこれは母が娘を殺した実話から来ている。つまり、児童虐待の話なのである。どうも、この虐待は母から子へ、そのまた子へと連鎖するらしい。深層心理に刻みつけられた白雪姫コンプレックスは、子が母(父)になった時、爆発する。
 嗚呼。こしてみると学校教育の出来ることは、知育・体育のみに絞られるのだろうか。ますます複雑化するストレス社会。学校カウンセラーの導入も図られているが、「人権」やら「社会的責任」やら「マスコミ」やら「官僚制」やら、様々なシバリが、我々教師を無力化していくように感じるのである。
 せめてもの試みに、私はこういう心理学を生徒に教えるようにしている。知っている方が知らないよりマシだろうという現場的発想である。

追記:今日のブログは書き込み通算200回目の記念すべきブログである。100回目は意識せずに通り過ぎてしまった。おそらく3月16日の「JEWYORKな話その1」ぐらいだと思う。

2010年7月28日水曜日

English ! We are Japanese!


 今日はダラダラとブログを書きたいと思う。(ブログの文章のスタイルがコロコロ変わる方が面白いと私は思っている。)いつもどうり学校へ行くと、F教頭が待ち構えておられて、中国の修学旅行の書類が届かないと怒っておられた。そうなのだ。何度も委員会に電話していただいているのだが、計画書の承諾が届かない。よって、実施申請書が書けないのである。特に事務の担当のMさんが旅行社と正式契約を結べないので、困っているのだ。校長先生も巻き込んで、朝からみんなで怒っていた。そんな中、私は冷静に実施申請書を30分で仕上げた。そこへ教頭宛にメールが来た。委員会は送ったと言っている。また全員が怒った。とはいえ、6月1日付で送ったという証拠のメールを手に入れた。さっそく実施申請書に日付を入れて校長印を押した書類を3部作った。教頭は、相手を傷つけず、しかし現場は怒っているぞという書類を添付して送付したらしい。後は笑顔で、中学校訪問に行かれた。国際交流の仕事は、決して華やかな仕事ではない。気苦労が90%というところである。
 
 この事件の後はひたすら仮想世界ゲームの基礎資料づくりに励んでいた。セッションごとの個人報告書を掘り起こしながら、様々な項目の数値を入れていく。途中U先生も手伝ってくれた。地道な作業である。作業に疲れたら、スモーキングタイムである。今日は少し曇っていたので不快指数はあるが、強い日差しで私の”ラード”がとけるよりはマシである。ほぼ完成したら勤務時間が過ぎていた。高校展に向けて、50号の油彩を書いている美術部の生徒も下校したことだし、さあ帰ろうと思ったら…。

 地下鉄松屋町駅の近く<今日の画像参照>で、若い外人のオネエサン2人が地図を広げて困っている風である。ちょうどバレー部の1年生で、私の地理Aを選択している生徒が、声をかけようか明らかに悩んでいた。「早くメイ・アイ・ヘルプ・ユーしたらんかい。」と言うと、観念したようで声をかけた。(笑)しかし1年生なので、うまく聞き出せない。仕方がないので、サバイバルイングリッシュ炸裂である。オネエサンたちは「京橋まで行きたい。」と言う。いっしょに駅に降りた。しかしオネエサンさんたちは、結局泊まっているホテルに近い大正まで行くことになったのであった。好都合である。生徒と同じ方向だった。「生徒たちは英語を一生懸命勉強しているから大丈夫だよ。」と言ってエスコートを命令した。ところで、「君たちどこから来たの?」と聞くと「ロンドン」だという。なるほど、イングランド人なのだ。「私たちは、日本人だよ。」と言って一発笑わせてから私は京橋行きに乗りこんだ次第である。なんのこっちゃ。

2010年7月27日火曜日

アルジェリアのらくだは旨いぞ


先日ブルキナの荒熊氏よりコメントをいただいた。荒熊氏は、ワガドゥグのストリートチルドレンの研究の為、コーラン学校の聞き取り調査に入っておられる。で、今回その研究の為にムスリムになられたらしい。<詳細は右下リンクの「赤提灯~俺とアフリカとドラゴンズ~」を参照>虎穴に入らずんば虎児を得ず。…凄い。うちの息子(これも妻と同様、ブログでは”愚息”と敬称していたのだが、どうも理解が得られないので以後フツーに記すこととする。)の専門の1つはイスラームであり、ムスリムの友人も多い。かなり入信を勧められたようだが、「豚肉が好物なので…」と固辞してきたらしい。

 ところで、ブルキナのムスリムは豚肉を食べるのである。<今日の写真は、その証拠写真である。I氏の孤児院近くの店で焼いた豚を調理する様子。>これがまた旨いのである。I氏や荒熊氏とバクバク食べたのを思い出す。というわけで、ブルキナでは、息子の台詞は固辞の理由にはならないのである。彼らは豚のことを、「アルジェリアのらくだ」と称する。豚ではないのである。なんという”ええかげんさ”であろうか。しかも豚を食する彼らは自分の宗派を”オーソドックス”と称している。この話を聞いた時、私は大笑いした。もちろん、ブルキナの全てのムスリムが、”アルジェリアのらくだ”を食するわけではないらしい。

 でもまあ、大変である。荒熊氏のブログにはその奮闘ぶりが記されており、マラリアにかからないか心配している。文化人類学のフィールドワークは凄いのである。ホント頑張ってください。

 ところで、今日OGのN君が来て、大学のEnglishコミュニケーションの授業で、ブルキナのことを10分プレゼンしましたと報告してくれた。授業で見せたブルキナの写真や私の話をメモしてあったそうで、好評だったそうだ。本校では、ブルキナはメジャーな国なのである。何と言っても私がブルキナに旅して1年、職員室の手洗い場に、じゃがいものようなブルキナの石鹸がまだ置いてあるのだ。…だが手が荒れると評判で、ほとんど減っていない。 

2010年7月26日月曜日

B級日帰バス旅行を評す


 今年は、アフリカに行けないのである。と、いうわけで”妻”とB級日帰バス旅行に出かけた。最近”愚妻”と私がブログに書いていることが様々な方面から漏れ伝わり、愛妻家の私としては尊称のつもりなのだが誤解を生んでいるようなので無難な”妻”としておくことにする。重ねて言っておくが、私は愛妻家である。結婚記念日をずっと忘れたままで、妻が絶対教えてくれないけれど、その一点を除いて、完全無欠な愛妻家なのである。(今日の文章は妙に宮田珠巳風になっている。)
 さて、今日のコースは枚方発である。リリ~君の勤める某医大付属病院のヨコから出発した。函館山スキー場に天上の楽園があり、そこで”ゆり”を見て、さらに伊吹山にも天上のお花畑があるので、そこで高山植物を見て、地上に降りて地味に”梅花藻”を見るというツアーであった。旅行会社はH交通社である。(他の旅行社も同じようなコースを設定していた。カルテルなのだろうか?パクリなのだろうか?)H交通社にはオマケがついていて、近江牛ステーキ、メロン、季節の野菜1kg、よもぎもち、ソーダ飴…。なんか最後のソーダ飴付きというのが、B級で味わい深い。昼食は近江牛づくしの定食。(これはかなり本物だった。)これで価格は、なんと驚きの7990円である。うむ、価格の-10円で7000円台キープというのも卑屈で良いのである。

 ゆり園は、見事に中途半端に咲いていた。<本日の画像参照。私の写真の腕が良いのか、かなり咲いているように見えるが…>楽園というには寂しい。笑えたのは、食事をとった関ヶ原である。レストランの前にこんな石碑があった。<2枚目の画像参照>キャッチコピーのパクリとしても、かなり低レベルである。日本人としてやっていはいけない限界ぎりぎりのブラックユーモアである。
 と、いうわけで伊吹山くらいは、何とかして欲しかったのである。が、9合目までハイウェイで行けて高山植物を見れるというのは、いかがなものであろうか。一応日本百名山なのだが…。とはいえ私は死ぬかと思うくらい汗をかいた。登山道には石ころが多く、かなりの苦労があった。これにはまいった。高山植物には罪は無い。自然に咲いていていい。季節に合わせて咲けばいい。
 一番よかったのが、最後の米原市・醒ヶ井の街である。”梅花藻”という藻の花も地味であるが、街もB級観光地としてかなりの上位に来ることは間違いない。街を自然に流れ、生活に密着した清流。古い洋館風の郵便局、薬局の前におわしますサトちゃん人形とサトコちゃん人形。(私は初めてサトちゃんのメスの人形を見た。)素晴らしい。「暑いし、もうええわ。どうせ…」と思わせ、カメラを持って行かせなかった力と、後で後悔させる力。まさに特B級である。<http://www.maibarashi.jp/参照>
 妻は、楽しんでくれたようだ。私は愛妻家である。常に窓側を妻に譲る。ところで、今日の私のバス車中の睡眠支配率は、80%を超えていたのである。(笑)

2010年7月25日日曜日

横綱の矜持に”あっぱれ”


 横綱白鵬が、大鵬の連勝記録を更新して3場所連続全勝優勝した。凄い快挙である。ところが、リアルタイムの放送もなく、表彰式も寂しい。全て相撲協会をめぐる野球賭博云々によるバッシングの結果である。最近の日本社会は、大切なものを失っているように思われる。マスコミが強大な世論形成の力となっているが、マスコミの識見は、所詮商業主義に立脚している。売れる新聞・雑誌、視聴率の上がる番組が重要でり、”正義面”をした怪物がマイノリティの意見を押しつぶしていく。

 大相撲と賭け事や暴力団は関わりが深いらしいことは、素人でもわかる。相撲協会は本場所以外にも巡業を行っており、地方の様々な組織と関わる。もちろん私は暴力団を弁護するつもりはないが、そういうものだと思う。マスコミも解っていながら、手の平を返したように”正義面”を振りかざし、これでもか責め立てる。ニュースとしては過激な方がウケる。これに世論が動かされる。ホント、日本はどうかしていないか。

 相撲のマンガでも、賭け事や暴力団との関わりが出てくる。「のたり松太郎」では、頻繁に賭け事のシーンが出てくるし、阿久津という弟弟子の関連で暴力団の話も出てくる。「ああ播磨灘」でも、結局玄海組の組長が播磨灘を徹底的に支援する話が出てくる。これらのマンガは決してマイナーなものではない。マスコミの誰か、なんかクレームをつけたのであろうか。<http://hakaiya.com/20100617/diary-398参照>

 亡くなって8年になるが、うちの母親は、大相撲が好きだった。亡くなる前の5年間は脳梗塞で意識が戻らなかったので、大好きな相撲中継が見れなかった。場所が始まると、母親がTVをを見れないことが悲しかった。もし母親が生きていれば、どんな理由があろうともTV中継を望んだに違いない。おそらく全国で、そういう老人が多いのではないかと思う。ずいぶん寂しい想いをされたのではないか。

 そんな異常な場所でありながら、全勝で横綱の矜持を貫いた白鵬。私は理由など付けずに、純粋に”あっぱれ”を挙げたい。来場所は、全国のファンに千代の富士の記録に迫る姿を生で見せてあげて欲しいと、これまた理由など付けずに要望したいと思うのである。

2010年7月24日土曜日

センター試験への道


今日は土曜日である。今年の3年生は地理Bの選択者が誰もいない困った学年である。(笑)故に、今夏の補習は「倫理」だけである。しかも倫理の授業を今年は失くしてしまった。ならば、と集中講義的にやることにしたのである。毎週土曜日連続で、大単元ごとに一気にやっていしまうのである。授業ごとの復習をしなくても良いし、そもそもセンター試験を受けたい生徒主体ゆえに、一気に進めるのである。今日は15人ほどの生徒を相手に、イントロダクションとギリシア哲学全般をやった。
 ミネラルウオーターを持ち込み、4コマ。1コマ90分なので計6時間である。50過ぎの私にはかなり過酷であるが、慣れた教科なのであまり疲れない。問題は、6時間立っていたということだ。足がパンパンである。休憩時間も煙草を吸いにいっても熱波の中で立ったままである。全く、どうにかならんのであろうか…。

 <今日の画像は、私のお勧めの問題集「センター試験への道」である。赤本では、単元ごとの問題になっていないので、この問題集は非常に重宝する。この問題集を3回やれば90点突破はほぼ間違いない。>そういえば、本校に赴任した年から、個人教授したりしながら倫理を受験する生徒を応援してきた。ここ何年かは90点突破者を毎年出している。国公立受験で倫理を使い勝利した生徒も赴任以来毎年出している。今年も頑張ろうではないか。足の疲れくらいなんじゃいな、と思い直すのであった。

2010年7月23日金曜日

南北貿易ゲーム外伝

 今日は3年生の1学期最後の授業である。(3年生だけ授業日数の関係でまだ1学期が続いている。)現代社会では、昨日B組、今日A組と南北貿易ゲームを行った。1月19日以来である。(1月19日付ブログ参照)前回は英語でやったが、国語科であるし、日本語でやったのである。(意外に英語でやりましょうという生徒が多かった。ただし過半数にはならなかったけど。)今回の特徴は、世界巨大銀行(先進国や途上国のつくる商品を確認し、購入するのが最大の役目)の2人(したがってA組・B組あわせて4人)に、様々な提案をさせてみた。これが案外面白い。保険を各国に呼び掛けて、何かアクシデントが起こった時に備えさせるとか、供給の限界を設定するとか、途上国の技術力を試すコンベンションをやろうとか、様々な提案がなされた。もちろん使えない提案も沢山あったけど、普段脇役に徹する彼らにゲームに対して提案を考えさせるのはいいことだと思った次第。

 さて、今日はA組のT先生に参加してもらった。若いだけに生徒も大いに喜んだ。じゃんけんでT先生の獲得競争をさせたら、なんと男子ばかりの”中国”チームがGETした。労働力が増えた分有利なのだが、結局、その中国が最下位だった。理由はひとつ。長方形の商品ばかり作っていて、供給過多になり、世界巨大銀行から買い取りが中止されてしまい、そのまま終了してしまったのだった。(笑)「市場を見誤った。」とは、仮想世界ゲームにも参加した男子の弁である。T先生は、しきりに「おもしろいですねえ。」と感心されていた。こうして、多くの先生方に国際理解教育の現場を体験してもらうことが大事なのである。
 さて、このA組の中には、仮想世界ゲームの体験者が男子の彼を含めて4人もいる。(B組は1人)南北貿易ゲームの10倍難しい仮想世界ゲームをやって、その後に初めて南北貿易ゲームをやった高校生は日本全国広しといえども彼らだけではないか。そんなことを考えていた今日の私であった。

追記:授業後、姉妹校留学生の二次試験があり、また3年ぶりに東京在住のOGが来てくれたりした後、2時間ほど時間休をいただき、枚方に帰った。H鍼灸院とNクリニックをはしごした。疲れがピークだそうだ。納得。血糖値の検査値は92。血糖値を下げる薬は停止された。さあ、明日は倫理の補習連続4コマ(実質6時間授業となる。)シリーズの開幕である。

2010年7月22日木曜日

姉妹校交換留学生試験


 昨日は、実は妻と某ホテルのグリルに行って、腹いっぱいステーキを食べて、それこそ胃腸薬のお世話になるほどであった。と、いうわけで、結局ブログを休止するはめになったのである。要するに食いすぎでブログが書けなかったのである。(笑)胃腸薬が効いて、今日は快調である。今日は今日で、U先生と仮想世界ゲームの打ち上げをして遅くなった。

 では、本題である。昨日は、本校の姉妹校留学生試験の第一次試験日で、筆記試験と面接が行われたのである。筆記試験は、英語60点(リスニング含む)と日本語の作文20点、日本の文化と歴史の試験20点の計100点である。(ちなみに私の担当は日本の文化と歴史の試験である。)これに加えてグループ面接である。内容に関しては、万が一のことがあるので公にできないが、かなり厳正な試験である。私の仕事は、採点と面接官、集計など多岐にわたる。毎回面接をしていて思うのだが、いい子が多い。交換留学生に志望するくらいの生徒だから当然だが、毎回新たな発見がある。

 今日は、その結果発表であった。アメリカ・オーストラリア共、かなりの競争倍率である。うちの子の偉いところは、周囲を見渡して合格していようと落ちていようと、大人の対応をするところにある。これはもう伝統といってよい。入学して間もない1年生でも、その伝統を守る。いつもながら感じ入るのである。一次試験合格者は明日第二次試験。保護者同伴の面接試験である。私は、今度は面接官ではないが、一次試験以上にりっぱな態度で校長先生にぶつかってほしいものだ。こうして本校の姉妹校留学生は創られていくのである。<今日の画像は本校玄関の世界時計と、姉妹校であるアメリカのU校から贈られたU校オリジナルTシャツを集めたのキルトである。>

2010年7月20日火曜日

髪の毛ソーラーと”もどかしさ”


 話は18日の朝に遡る。5時台であったと思う。偶然見ていたNHKで、ネパールの青年の話をやっていたのである。ミランという名のトリニティ・カレッジに学ぶ物理学の学生の話だった。彼は、髪の毛でソーラーパネルを作ると言う凄いことをやっていた。なんでもメラニン色素が電気を起こすそうである。
 彼は、小さいころから道具を作るのが好きで、村の水場で水車を回し、電気を起こしたんだとか。当然優秀だったわけで、両親が「腎臓を売ってでも」と応援してくれ、今大学生になれたのだという。ちょうど仮想世界ゲームの直前にこんな番組を私は見たわけだ。後で調べるとアジアンスマイル「未来を灯(とも)せ!髪の毛ソーラー~ネパール カトマンズ~」http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2010-07-19&ch=11&eid=19226というBSの番組をほぼ時間つぶし的に朝に流していたのだった。
 仮想世界ゲームのふりかえりの中で、私はこの番組について述べた。なんと生徒が1人とN女子大付属のM先生も見ていたのだった。私は、今回のゲームで、途上国の”気持ち”先進国との”埋めれない溝”みたいなものをちょっとでも実感して欲しかった。私は貧困をいつもアマルティア=センの潜在能力を発揮できない状況だと定義して授業を進めている。ミラン君は、両親の献身的な努力で今を掴んでいる。この力がなければ、このような素晴らしい発明もなかったに違いない。

 私は、ふとケニアで視察したジョモ=ケニヤッタ大学の理工学部を思い出した。理系の学部にしてはあまりに装置類が少なく閑散としていた。そのケニアが理系教育においてはアフリカでもトップクラスであり、ブルキナファソなどとは比べるべくもない先進地域だと知った。この格差。南南の較差も大きいのである。

 ネパールの様子も同様であった。ミラン君の能力が、ネパールの為に途上国のためになれば素晴らしいと思うし、生かしてくれるような「ガバナンス」を期待したいところである。…が、難しい。このような”もどかしさ”こそが”現実の貧困”なのである。今日ゲームに参加した生徒とちょっと話した。彼らはそういう”もどかしさ”にゲーム中、直面したという。それでこそ仮想世界ゲームは成功なのだと思う。

2010年7月19日月曜日

8校合同仮想世界ゲームⅡ


昨日の8校合同仮想世界ゲームについて、アウトラインを今日は書いておきたいと思う。朝7:30に着き、最終の”ふりかえり用紙”を作り印刷する。前日、あれだけ準備していたのに、大事な最後の書類をつくるのを忘れていたのである。(笑)そうこうしていると、手伝ってくれている弟分のU先生も到着。彼とは、前任校で、ほぼ10年間近くイベントの仕事をしてきた。いわゆるツーカーである。私の考えていることを先読みして動いてくれるので本当に助かるである。生徒たちもやってきた。それぞれ受付業務のスタンバイである。煙草を買い忘れたのでローソンに行ったら、S高校の生徒と会った。前回のJICAセミナーで私の指導グループだった子だ。参加してくれて本当に嬉しい。スタッフ志願をしてくれた昨年の仮想世界ゲームOGも助っ人を連れて登場。現役の後輩たちが引きしまる。(笑)次々と参加者が来校してくれる。結局時間通り始めることが出来た。開会の挨拶、付き添いの先生方の自己紹介、パワーポイントによるゲームの説明と進んで、U先生にアイスブレーキングをしてもらった。<左上の画像は受付用の案内、右下は会議室にてのU先生のアイスブレーキング中の写真である。>である。

 時間どうり、教室棟5階のゼミ室へ移動した。さっそく開始である。地域によって部屋が別々なのは当然初めてなので、進行係としてもとまどう。どんどん時間が過ぎていく。結局3セッションを終ってヘトヘトになった。進行係のいる廊下は空調もないのである。U先生が、美術室の扇風機を事前にセッティングしてくれていた。この辺がイベント修業10年の貫録というものである。昼食休憩を1時間。教員で打ち合わせも行う。意識の高い先生方なので本当にありがたい。
 後半のセッションに入る。予定どおり第5セッションで環境問題が起こり、世界全体で300simを集める大騒ぎとなった。ところで環境団体を立ち上げていたのは、本校の唯一2年生から参加のM(7月10日付ブログ参照)であった。必死で資金を集めている姿に、たいしたもんだと思った。

 結局、環境問題は、第6セッション開始前には、彼女は生徒主たちの献身的な動きでレベル4で停まった。サイコロで、1~4が出たら環境問題がまた発生し、5なら回避、6ならもう一度振り直しとなった。進行係としては環境問題発生のプランを用意していたのだが、政党主やMを呼んで、公開でサイコロを私が振った。練習では2ばかりだったのに、本番では”5”が出た。歓声。さらに各地域に歓声が拡大していった。これでよかったのだと思う。
 第7セッションは、会議室へ戻り説明をした後、人気投票。ふりかえり。生徒主体で言いたいことも言ってもらった。先生方もコメント。記念撮影。<昨日のブログ参照。>みんな笑顔で、名残惜しそうに写真を撮りあったり、メルアドを交換したり。JICA大阪の高校生セミナーの世界が本校に現出したのであった。
 この合同仮想世界ゲームの詳細は、この夏休みをかけて諸書類を整理しながらまとめる予定である。

2010年7月18日日曜日

8校合同仮想世界ゲームⅠ


 3月のJICAセミナーで種をまいた合同仮想世界ゲーム。無事に大成功で終ることができました。大阪・京都・奈良の国立大学付属校3校と国際学科系(大阪南部・堺・大阪市内の3校)の府立高校3校、それにWITHから参加の私立S高校、そして本校を合わせて8校計41名の参加を見ました。先生方も10名集まっていただき、お世話をいただきました。(出張扱いもない全くのボランティア的付き添いです。)また、本校OGと、同じ文学部の学生さんも急遽手伝っていただき、運営上大きな力になってもらいました。(これも全くのボランティアでした。)
 内容については、明日以降改めてふれるとして、今日はただただ感謝の一言に尽きます。感無量です。いい生徒たちと楽しく、有意義な1日をすごせました。このブログ上から改めてお礼を申し上げます。
 

2010年7月17日土曜日

仮想世界ゲームⅩ


 今日は朝8時ごろからいよいよ明日に迫った合同仮想世界ゲームの準備をしていた。重要な準備がたくさん残っていたのである。10時の時点で、JICAのセミナーに参加した3年国語科の4人が次々と準備に参戦してくれた。準備の中核をなすものは、①すでに前日にカラー印刷した名札の名刺サイズ切り取り、これをネームタグへ挿入する。②本校生徒用のレクチャーならびに予備として用意するマニュアルの印刷・製本。③食料チケットをはじめとした諸カードの印刷と切り取り。④前回使用した紙幣の再収集と、プレーヤーの名を入れた小封筒への先進地域・途上地域別挿入などである。それぞれが、手間のかかる仕事である。文句ひとつ言わずコツコツとやってくれている。ありがたいこである。<今日の画像は、その準備の段取りを示した黒板。いつもは出欠記録用の黒板である。その下には入試で使用するカゴに各地域別の様々な封筒や書類などが収められている。>

 昼食休憩をはさんで、さらに英語科の生徒が参戦してくれた。⑤会議室の設営・パワーポイントでの説明のための準備を中心に手伝ってもらい、U先生やWITHからの参加呼びかけにこたえてくれたS高校のP君と2年生も参加してゲームの説明である。説明後は、会場の清掃。使うゼミ室はもちろん、廊下からトイレまで清掃をしてくれた。<画像は、明日を待つゼミ室の様子である。>
 いつもながら、本校性の素晴らしさを感じるのである。今日と明日だけ私が担任だといったS高校のP君(あだ名である)もよく馴染んでくれた。初めて合う仲間なのだが、若いということは素晴らしい。すぐに仲良くなれる。明日もいろんなドラマが生まれるのだろうと思うと、疲れも吹っ飛ぶのである。
 結局手伝い生徒にお疲れさんの茶話会(国際交流部長のY先生がお菓子を指し入れてくれていた。気持ちが本当にありがたい。)を終え、解散した後、最後に名簿の印刷などをしていると6時前になった。近くの高津神社で筝曲部とブラバンが演奏することになっている。疲れていたが、前回の仮想世界ゲーム進行係のOGで筝曲部のOGでもあるY君にメールすると、E党党首のOBもリサーチ係のOGもみんな来ているとの返事。彼らの顔を見てさらに元気が出た。(もちろん現役の演奏もよかったが…)さて、”松屋町の打ち上げ花火”いよいよである。

2010年7月16日金曜日

中岡慎太郎にもっと光を


 18日の仮想世界ゲームのことで用意が大変なのだが、授業もしているわけで、今日はちょっと短編ブログになると思うけれども、中岡慎太郎のことにふれたい。(かなり奇妙な長いセンテンスになってしまったが、ちょっと味があると思うのでそのままにしておく。)1学期の期末考査も終ったのに、まだ薩長同盟のところなのである。(笑)生徒は喜んでくれているので、まあいいとしよう。なんか今日の日本史Bは、坂本龍馬ばかりが薩長同盟を演出したと言われているが、中岡慎太郎も頑張ったのだという話で終ってしまった。そういえば、前回は坂本龍馬の支援者であるグラバーはどうやらフリーメーソンらしいという話からフリーメーソンの”まとも”な解釈をしているうちに1時間過ぎてしまった。今回も同様で、坂本龍馬が薩摩藩をバックにしており薩摩側から同盟を進めたのに対し、中岡慎太郎は長く長州と行動を共にし、三条実美の陪臣でもあったわけで長州の信頼が厚かったことなどを語っているうちに1時間たってしまったのだった。
 中岡慎太郎は、坂本龍馬の陰にかくれて評価が低すぎるように思うのだが…。2人は同時に暗殺される。龍馬の最後の言葉は、暗殺者が謡を歌って立ち去って行ったのを聞いて、「豪気じゃのう」という意味の言葉を発したとされるが、これもちょっとだけ長生きした中岡の証言である。
 …あるのである。こういう”星”というものが…。それもまた面白い。

 完全にベッケンバウアー(別件の意味)なのだが、H鍼灸院に行って来た。またまた心拍数が”早い”そうである。”疲れ”は全身に及んでいるそうで、たいそう痛い鍼を左足の親指の付け根あたりに打ち込まれた。でもそのおかげか、ちょっと楽になった。明日は1日中準備である。あの1刺しで、カラダの方はなんとかなりそうである。

2010年7月15日木曜日

松屋町で、打ち上げ花火


 本校の最寄駅は、地下鉄松屋町駅である。大阪では「まっちゃまち」と呼称する。玩具類の問屋が多いところである。3月はひな人形、5月は端午の節句にあわせて鯉のぼりや武者人形、それが終ると”花火”が、駅構内のディスプレイを飾る。<今日の画像は、そのうちのひとつ。是非拡大して見ていただきたい。この”飛び魚”という打ち上げ花火、いかほどで、またどんな花火なのか、どうも気になるのである。>

 今回の18日の合同仮想世界ゲームは、私にとって大きな「打ち上げ花火」である。私は、この5・6年間本校をユネスコスクール(旧名ユネスコ協同校)にしようと考え、行動してきた。O教育大付属高校I校舎のI先生の講演を聞き感銘を受けたからである。その時、国立・府立・私立の3校で、中国や韓国、フィリピンやタイと国際理解教育を推進するネットワークを作られていた。市立の本校が参加すればビンゴではないか。付き合いの深い、N女子大付属もユネスコスクールである。いつでも書類送るからねと言われて久しい。その後、大阪のユネスコスクール・ネットワークが、高校生国際会議というのを開催した。上記の4カ国に北欧の国も参加しての盛大なものであった。共に参加した本校生が言った言葉を忘れない。「先生、なぜ私たちは討論の場に参加できないの?」今回参加してくれる府立S高校は、すでに文部科学省に申請中で、会議のテーブルについていた。…私は、その時言葉を濁すしかなかった。

 私の本校での勤務もカウントダウンが始まっている。本校はついにユネスコスクールに手を挙げれなかったが、その本校を会場として、O教育大付属高校もN女子大付属も府立S高校も参加してもらい、仮想世界ゲームというアクティビティを行うのである。私は、感無量である。どんな困難や苦労があろうとも成し遂げておきたい。この意義を本当に解ってくれる人は極めて少ないだろうし、私の美学が過度な告知を抑えているので本校の歴史の片隅にも載らないと思う。
 でもそんなことはどうでもいい。私が本校に赴任してから、本格的に国際理解教育に目覚めて、成し遂げられなかったユネスコスクールの夢を違う形で1日だけ実現するのである。まさに打ち上げ花火なのだ。

2010年7月14日水曜日

ユニクロにエールを送りたい


昨日の毎日新聞の夕刊で、”ユニクロ”がバングラディッシュのグラミン銀行と共同でソーシャルビジネスを行うという記事を見た。今日、学校で、社会科の弟分のU先生とこの件について語り合った。「次はアフリカですかね?」とU先生が言うので、「アフリカ2、さらにアフリカ3(3月8日付ブログ参照)に進めていって欲しいよね。」と答えた。「どうやら$1くらいで衣料品を販売するらしいですよ。」U先生は隣に座っている英語のT先生とも、そんな話題で盛り上がっていたんだそうだ。U先生もT先生も、JICA大阪に来てくれたり(3月26日付ブログ参照)、ワンフェス(2月7日付ブログ参照)に来てくれたりと、本校における国際理解教育・ESDの大いなる理解者なのである。ちょっと嬉しい。以下は”マイコミジャーナル”さんからの記事の転送である。
http://journal.mycom.co.jp/news/2010/07/14/023/index.html


U先生は現代社会や地歴の授業で、T先生は英語の授業で、きっと話題にしてくれるのであろう。体系づけた国際理解教育もいいけど、こういう時事問題に敏感に反応することも大切だと思うのである。<今日の画像はグラミン銀行・マイクロファイナンスのミーティングの様子>

2010年7月13日火曜日

帷子の辻・王将のエンザーキ


 18日の合同仮想世界ゲームを目指して、コツコツと準備をしている。もちろん授業もあるし、試験の結果を評価にしなければならない。国際交流部の仕事もある。それらをコツコツと進めた1日であった。ふと、こんなことを思い出した。
 昔々、学生の頃、私と食事をしていた先輩に、「お前は、定食でも1つ1つ片付けるように食べるんだなあ。」と言われたことがある。私は同時に幾種類ものことができないタチなのではないか?と指摘してくれたのである。なるほど…。人間学というか、何というか…。私は、例えば京都王将のエンザーキ(鳥の唐揚げのことであるが、帷子ノ辻店ではちゃんと中国語で注文しなければ、通とはみなされないのである。)と餃子の定食なら、唐揚げを食べて、次に餃子、野菜も少しなどという食べ方をせず、まず餃子を平らげてから、唐揚げ、最後に野菜といった食べ方をしていたのである。(もちろん白飯はその間に食するのだが…)

 以来、私の食事のスタイルは、…結局そう変わらなかった。(今でも愚妻に時々叱られる。)とはいえ、同時に様々な事が出来るというか、簡単にスイッチを入れ変えれるようにはなった。ある先輩から、こう自慢されたのである。「俺はある本を読んでいて、次に違う本を読んで、また元の本に戻ってもすぐ頭の中のスイッチが切り替わるので問題ない。すぐにそれまでの記憶がONになる。同時に3冊や4冊の本が読めないとロクなもんにはならん。」「これは自己修練である。お前にも出来る。」「本だけでなく全ての事に、スイッチをつけるのだ。10個ぐらい同時にON・OFF出来て一人前やな。」これは本当だった。そう意識することでまあ容易ではないが出来るようになった。
 若いころ、私は様々なイベントに関わってきた。10個どころか20個も30個もスイッチの必要な時期もあった。だが、そういう修羅場が私を鍛えてくれたのだろう。大抵のイベントなら怖くない。要は、同時に物事を考えれるようになったからである。もう少し正確に言うとスイッチの切り替えが無茶苦茶早くできるようになったからである。頭の良さというよりは、修練である。
 
 食事を見て、私の欠点をいち早く指摘してくれた先輩、「お前にもできる」と修練を課すことを勧めてくれた先輩に今ながら感謝しているのである。だが、やっぱり食事のスタイルはそう変わってはいない。上記の画像のエンザーキなら絶対トマトが最後だ!私はトマトが嫌いなのである。(笑)

追記:リリ~君の第二次試験、新幹線での停電もあったりして帰りは大変だったようですが、とにかく試験と面接自体は無事乗り越えたようです。英語の試験はきっと合格者のレベルを決め、後の語学訓練の材料にするために、わざと難解な問題も入れてあったのでしょう。私がJICAの出題係の職員なら絶対そうします。手や声がふるえて緊張していたことがバレても問題ありません。緊張させる為にやってるんですから。ますます合格発表が楽しみになってきました。 

2010年7月12日月曜日

南アフリカW杯に何するねん


マンデラ氏が決勝戦に顔をだしたらしい。開幕戦こそ、ひ孫が交通事故に合い欠席したが、とりあえず彼が競技場に姿を現すことで、我々はアフリカ開催の事実を実感し、喜びを感じることができる。

アフリカ初開催となるW杯も、ついにスペインの初優勝で幕を下ろした。ガーナのベスト8がせめてもの慰みであるが、その決勝戦の最中ウガンダで爆破テロが起こった。ソマリアのイスラム原理主義でアルカイダに忠節を誓っている組織の犯行だとニュースが伝えている。やりきれない話である。ウガンダがAU(アフリカ連合)としてソマリアに派兵していることへの制裁であるとか。W杯を楽しんでいる彼らに何の関係があるのか?爆破直後の写真<わざわざYAHOO/UKまで飛んで借用してきた。>を見ると、アフリカで見慣れたプラスチック製のイスが見える。きっと地ビールをやりながら、ワイワイやっていたのだろう。あまりに悲しすぎる。被害者もそうだが、きっと被疑者も貧困に耐えきれずイスラム原理主義にのめり込み、命をかけて犯行におよんだのだと私は思う。

貧困だからこそ、潜在能力を発揮する場が提供されないからこそ、また教育がなされないからこそ、テロは起こるのである。めでたきアフリカW杯の最終日に起こったこの事件、あまりに悲しすぎるではないか。

毎日新聞の今日の夕刊によると、マンデラを迎えた競技場には、ヨーロッパ人の姿ばかりで、アフリカ人は少なく、彼を迎えるにはあまりに盛り上がりに欠けたものだったらしい。実に気に入らない。(まあオランダ人にしたら、アパルトヘイトの何十%かは彼らの背中に十字架を負わせているから…。またスペイン人にしてみても南米の黒人たちへの贖罪は終わっていると思えないし…。)こういう過去を払拭できる最高の機会だったのではないか。

南アW杯は終わった。だが、この大会を開いた事実こそが、新生アフリカの新しいスタートラインとなって欲しいものだ。たとえどんな困難があろうとも…。私は応援するぞぉ。

2010年7月11日日曜日

”アフリカ学入門”を推す


今日は参院選であり、モメにモメた大相撲名古屋場所の初日であり、W杯決勝の日なのだが、全く関係なく書評を書きたい。国際理解教育学会の受付周辺に集まっていた関係図書コーナーの中で1冊だけ買い求めた、東京外国語大学の舩田(ふなだ)クラーセンさやか準教授編集のアフリカテキストである。
 7月10日発行になっているので、(手に入れたのは4日だが…)最新刊である。内容については、無茶苦茶専門的ではなく、あまりに簡単ではなくテキストとしてはちょうど良いレベルである。パラパラめくっていて、「あ、いいな。」と思った次第。おそらく大学で、アフリカの地域研究や開発経済学を学ぶのにちょうど良いレベルかと思う。私の「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」の新規バージョン作成に役立ちそうである。基本的な歴史の分野(現代アフリカの歩み)やアフリカ貧困・開発論、さらにアフリカ紛争論や食料安全保障論、教育論、保険・衛生論、ジェンダー論となかなかラインナップもいい。
 表紙が若干ポップなので、もっとラフな感じの本かと思いきや、中身が濃い。<今日の画像参照>さて、この編者の舩田クラーセンさやか準教授のHP、かの「アフリカのニュースと解説」ブログで、アフリカ非在住者のブログ紹介ページで私のブログの上に方にあった。http://afriqclass.exblog.jp/「アフリカ教育関連情報」という名前である。荒熊氏も参加したという奈良のアフリカ学会のこととかも載っていて、なかなか面白い。勝手にリンクさせていただくことにする。
 今頃、リリ~君が東京のJICAに着いたころであろう。落ち着いて自然体で面接を受けてほしいものだ。

2010年7月10日土曜日

研修旅行第1回説明会にて


 昨日のことである。リリ~君を迎えての面接練習前の話である。期末考査の最終日で、その後英語科2年生の「研修旅行」の説明会があった。非常にヤヤコシイ話になるのだが、本校では国語科は全員中国にいく。これは「修学旅行」である。他校と同じ扱い。英語科は今年はアメリカに全員行く。(来年はオーストラリアである。)全員連れて行くのだから、感覚としては修学旅行なのだが、行政上は「研修旅行」となる。他校で春季、あるいは夏季に希望者を募って連れていく研修旅行扱いの全員版なのである。こんな全員をアメリカやオーストラリアに連れていく公立高校は大阪では本校だけであろう。ともあれ、国語科同様海外に連れ出すわけだから、パスポートの申請の説明やら、いろいろとあるので保護者に来ていただき説明会を行うのである。国際交流部のメインの仕事の1つである。私は中国担当なので、実際には行かないが、説明会の司会担当である。<本日の画像は、本校の管理棟と教室棟を結ぶ渡り廊下から中庭を見た写真である。(昨年の夏、EFでの撮影)>

 おもしろいことに生徒だけだと授業中など静かなのだが、保護者同伴だと、どうしても相談したりしてザワザワする。毎年そうだ。まして期末考査終了後で生徒は解放感に満ち溢れている。ここぞと言う時以外は、まあいいかと司会の私は思っていたのだが、旅行会社の説明がくどく長かった。ちょっとダレたのである。その後演壇に上ったのは、私のブログ3日連続出場となるS先生である。”養護教諭から”ということで、はしかの件などを説明されていたのである。と、その時、急にある生徒から手が挙がった。?…。質問にしては唐突なタイミングである。彼女、下の名前をとってMとしよう。この冬オーストラリアの交換留学に行った生徒なので私も良く知っている。U校のホームステイでも世話になった。しかも今回の仮想世界ゲームに唯一2年生から参加させる生徒でもある。
 Mは、「みなさん、もうすこし静かにしていただけませんか。私はS先生の話をきちんと聞きたいのです。」とはっきり言った。おお、久しぶりである。昔、こういう生徒が本校にはいた。学年をまたいだ講演会などでも上級生が下級生を叱ることもあった。

 S先生の後司会に立った私は、Mに「ナイスタイミングだった。」と言った。「長くなっているが、ケジメをつけて聞く時に聞いていないと海外では大変なことになるで。」とちょっとユーモアも交えて次に繋いだのであった。担任の先生も、Mを褒め称えていた。そう、久しぶりに昔の英語科生を見た感じだ。その直後、本物の昔の英語科生・リリ~君と会ったけど…。(笑)

追記:本校HP(ブログのリンクの最下段)のトップ、更新の”アーバンデール高校が来日しました”をクリックすると、私の作った”国際交流部通信”が出てきます。担当のI先生が速攻で更新していただいたのですが、やっと委員会経由で一般公開されました。(ちなみに右上のBOXが空白になっていますが、毎回発行日を手書きで入れる欄です。)よかったら見てみて下さい。他にも体育祭や英語科のスピーチコンテストのいい写真、国語科通信なども見ることができます。やっぱり、良い学校だよなあ…と思ってしまいます。

2010年7月9日金曜日

リリ~君への面接アドバイス


 今日は、リリ~君がJOCVの面接に備えて指導をしてほしいというので、久しぶりに会ったのである。彼は非常に優秀なので、十分に準備をしていた。さすがである。まずは、基本的なことの確認。面接は4対1で行われるらしい。ならば必ず質問者に向かって応対することが肝要である。質問の意図を明確に把握し、それにぶれないで答えること。答えに窮しても、「ちょっと考えさせて下さい。」と言って短時間思索すのは良い。黙ってしまうのが最も良くない。(彼が黙ってしまうとは思えないが…。)
 こういう入試でも入社試験でも、質問のセオリーはある。まずは、その人柄を掴むための質問。一番多いのが志望動機である。これはどんな面接でもまずは聞く。内容を作文し、それを暗誦する場合が多い。なんか不自然のようだが、真面目に面接に臨んでいることがわかるので可。要するに真面目さを問うているのである。ふいにどうでもいいことを聞くこともある。たとえば、自宅から面接会場までどのような経路で来ましたか?などという質問。これは、多くの情報をどれだけ早く、正確に把握できるかを問うているのである。まあ頭のキレを問うような質問である。これはリリ~君には不要だったので言わなかったが、愛読書や趣味なんかを聞く場合もある。回答はどうでもいいのである。(愛読書で合否を決めるのはかなり問題がある)これも、アイデンティティのかたまり具合を見る質問。即答できればいい。
 次に決意のほどを見る質問。たとえばリリ~君の場合、希望する任地以外のところに行けますか?という質問。即答が正解である。ここで唸っているようだとペケがつく。リリ~君はかなり任地を分析しており、その第一希望から第三希望までの順位づけの理由を問われても十分大丈夫だった。120%準備している。それ以外の任地についても、きちんと自分の答えを用意していた。JOCVの場合、任地の状況がすこぶる悪いこともある。理学療養の設備が不十分なところもあるので、その質問をしたところ、自分の身体1つで対応するという答えだった。マイ打腱器1つもってどこへでも…なるほど。(今日の彼のブログに詳しい→国際協力師への道・理学療法士がいく参照)回答としては最高点である。また、JOCVから帰ってからのことも聞いてみた。彼は、”専門家”(JICAの専門家とは、院卒業以上の学識を持ち、単なる技術協力ではなく政策決定にも参加するような専門職)となるため、さらに自分のスキル向上を目指すという回答だった。これも最高の回答である。
 もう教えることもないので職員室に戻ったら、筋肉マニアのY先生がなんとか関節についてリリ~君に質問があると言う。保健室でリリ~君の仕事ぶりを見る。保健室のS先生と偶然保健室にいた生徒と私の3人は、2人の会話に???であった。なんと肩のマッサージでなんとか関節が良くなるのだと言う。たいしたもんである。Y先生も「腕をあげたなあ」と感慨ひとしおであった。
 近くの喫茶店でお茶をしばいて(関西弁のスラングである)別れた。8月10日の発表が今から楽しみである。<今日の画像は、彼に贈る南太平洋の風景である。>
 

2010年7月8日木曜日

薬を持ってくるのを忘れた日


 今日、モーニングの時焦ったのである。いつも持ち歩いている血糖値の薬一式の袋を自宅に忘れてきたのだった。中でも食前に1錠飲む薬がないと、見事に血糖値が上がる。食後に軽い目の薬を飲むのだが、当然それもない。私は、断腸の思いで決意した。今日は昼食を抜こう。血糖値が上がって苦しい目にあうより、空腹を選択したのである。幸い、今は期末考査期間中で授業は無い。試験監督はあるが、カロリー消費は極めて低いはずである。とはいえ、あまりの空腹にY先生の机上におわしますバナナ1本の供養を受けたのであった。このバナナ、例のきたなシュランのお土産である。(4月9日のブログ参照)息をついた私は、そのまま下校まで頑張ったのであった。

 先日左目がなったと思ったら、今日は右目がメバチコになった。気持ち悪いのである。汗が目に入ったのかなと思う。目薬をもらいに行ったら、保健室のS先生に「糖尿病になると、メバチコになりやすいらしいですよ。」とズバリ言われてしまった。グサ!グサ!グサ!

 とにかく今日は、ひたすら期末考査の採点に勤しんだ。現代社会、地理、日本史B…。今日の3時間目に最後の倫理の試験も終わり、採点の日々は続く。採点の時、教師は不思議な心理状態に置かれる。出来が悪いと不満だし、さりとて100点を取られるのはイヤなのである。こんな作業を30年やってきた。(笑)

 最近の生徒は、ゆとり教育なのか基本的な知識を欠如している。応用力が極めてない。塾がないと勉強できないなどという不思議な台詞をはく生徒もいる。自分から学ぶという力が不足しているようである。あ!何度言われても、暴飲暴食と運動不足の解消をしてこなかった私も、薬がないと生きていけないなどという不思議な台詞をはいている。あちゃー。

2010年7月7日水曜日

梅棹忠夫氏の逝去を惜しむ


 梅棹 忠夫氏が先日他界された。私はもちろんお会いしたこともない。『文明の生態史観』は、名著であることも知らず、なんとなく本屋で手に入れて読破した。昔々のことである。西欧と日本の共通点、特にイギリスとの共通点などの視点に目からウロコだったことを記憶している。<今日の画像は、その『文明の生態史観』の有名な模式図である。>また梅棹 忠夫氏は、万博公園にある民俗学博物館の初代館長というか創設者でもある。私は「みんぱく」が好きで、よく行く。うちの学年の遠足でも連れて行った。日本の博物館の中でも一級のものであると思う。(ただし、レプリカが多いのが悲しい。)
 「みんぱく」を使って国際理解教育を行う取り組みもよく行われている。異文化理解や日本の民俗学の成果を知り、生徒に興味付をおこなうためには素晴らしい場所である。梅棹 忠夫氏の偉大な業績である。

 昨日、仮想世界ゲームの考案者、名古屋大学の広瀬先生からメールをいただいた。ドイツから帰国してすぐ返信していただいたようである。感激である。18日には是非ともお迎えしたかったが、他のミッションがあるそうで、今回は来ていただけないとのことであった。残念だが、仕方がない。良い報告書を作り、お届けしたいと思うのである。

 このブログの最初の読者であり、アフリカの都市の文化人類学研究者、荒熊氏が日本を脱出し現在パリであるそうだ。これからブルキナのワガに向かい、またワガのストリートチルドレンや、ムスリムとのフィールドワークをされるのであろう。

 このところ、研究者=理論と、現場=実践の関わりについて考えることが多かった。こうしてみると、どちらがどうのこうのという問題ではないと思う次第である。うまく止揚することが重要なのだと痛感したのであった。

追記:どうも一昨日のコメントの機能がおかしい。今日見ると今度は哲平さんのコメントが消えているのである?!”ダッシュボード”(このブログの私用の編集機能のページ)には、私の3度も入れたコメントと会わせて4通入っているのだが…。哲平さん、すみません。コメント、どんどん入れて下さい。
追記の追記:あれ?!入ってる?!私の同じようなコメントも、じゃまくさいのでそのままにしておきます。

2010年7月6日火曜日

JICA地球広場


学会の帰りに、JICAの地球ひろばに寄ってきた。近々ここで、リリ~君がJOCVの2次試験を受けるということもあり、また”アフリカのサッカー特集やってます”というポスターが広尾の街のあちこちにあったこともあり、さらに聖心女子大学のすぐ近くだったこともあり、行くことにしたのである。
<本日の写真はその展示内容の一部である。…是非拡大して見て下さい。>様々なアフリカの文物をうまく展示してあり、また様々なアフリカの問題を”小中学生”に紹介するという感じの展示だった。きっと小中学生なら、大いに盛り上がるに違いない。またこの展示の案内係の方がたくさんいて解説をしてくれる。聞くと、こういうボランティアがあるのだそうだ。JICAのやることには、ソツがない。こういった形で国際協力にふれてもらう、というのはいい。大学生らしい女性が近寄ってきてくれて解説しようとするのだが、何も言いだせない。申し訳ないけど私の方が詳しい。なんかそんなオーラが出ていたのだろう。彼女が小学生相手に説明しているところを見たいなと思った次第。

ところで、ガーナが呪術師の祈りもかいなく、カトリックのウルグアイに負けてしまった。(もっと正確にガーナは”アングリカン:英国教会”もいると思うけど…)PKって恐ろしい。アフリカでのW杯、全アフリカ人の夢をもう少し長く見させてほしかった。ケニアでもジンバブエでもブルキナでも、食堂や雑貨屋のTVは道から見える。子供たちはダブダブのサッカーのユニフォームを着て目を輝かせて応援していたんだと思うと泣けるのである。

追記:昨日のブログの哲平さんのコメントに答えているのですが、3回やってもうまく入りません。哲平さん申し訳ありません。ここに、コメントしておきます。『若いころに自分の肉体の限界を知ることは重要です。私も昔は3日くらい徹夜しても平気でした。…今は悲惨ですが。エゴグラム、おそらくCPとAが高いのではと思います。また書きますね。K大にくるスティーブンス氏は動物愛護の専門家らしいですが、イルカの映画の話がでるのでしょうか。』

2010年7月5日月曜日

国際理解教育学会にてⅡ


昨日の続編である。まず第1日目のシンポジウムの件である。「国際理解教育の理論と実践をつなぐ」という分科会に参加した。他に「学習領域をつなぐ」「学校と外部をつなぐ」といった分科会があったのだが、友人のM先生とY先生が記録報告の担当だったので、何も考えずこちらに参加した。要するに、昨日少しふれた大学(院)での研究と現場の教師の実践がどう繋がっていくのかというシンポだったわけだ。最初に日本大学の渡辺淳教授から発表があった。この先生、どこかで…と見ていたら、昔大阪国際交流センターで行われたアメリカを題材にした国際理解教育教材のセミナーの中心になられていた先生であった。私は、そういう過去の因縁もあり先生の話を面白く聞かせていただいたが、いかんせん長くなり、1時間という分科会のタイム・バランスが崩れてしまった。ワークショップ的に臨席の方と話すという趣向もわずか5分では…。都立K高校のN先生と少し話したのだが、もっと時間が欲しい。分科会内での討論も時間がなく、なんだか消化不良だった。とはいえ、この理論と実践をつなぐという国際理解教育学会の特色の”私なりの理解”は、私の発表時に活かせてもらった。

第2日目の発表の時、私は最初に「私は現場で実践している高校教師です。あまり難しい教育方法論はありません。研究者の先生方どうぞお手やらかに。」と関西弁でやってウケた。(笑)発表後の質疑応答でも「何故インターネットで知ったこの仮想世界ゲームを実践しようと思われたのですか?」と聞かれたので、「面白そうやし、ESDの教材として使えんとちゃうかと思ったんで…すみません、現場はこんなもんです。」と答えたら、ウケた。(笑)発表は、パワーポイントを使い、まあまあの出来だったと思う。わりと好評だった。

ところで、同じ「開発教育」のカテゴリーで発表した先生方の感想をちょっと述べたい。まず広島大学大学院出身のY市立中学校の先生は、国際理解教育の様々な方法論の中であまり検討がなされていない、外部招へいについて、具体的にはJICAの出前授業について発表された。ご本人もアフリカでJOCV経験者である。素晴らしく緻密な教育学的な方法論から導かれた結論だった。広島大学関係の先生方はいつも緻密だという印象を受ける。だが、申し訳ないがそれだけである。結論は私の経験知から生まれる直感と全く同じだった。まあ、教育学の研究というのはそういうものなんだろうなあと思った。(研究者の皆さん、スミマセン)
私の次にJ教育大学の若い院生君が、エンパワーメントについて発表した。私はかなり期待していたのだが正直、中身がない。私は初めて質疑応答で手を挙げた。「フィールドワークに行きましたか?」否という回答にガッカリした。私は、「途上国の現状を見ずして、途上国を語るなかれ。私はブルキナで経験した彼らのことを整然とした理論として語ることはできない。涙でしか表現できない。」と攻撃してしまった。長野県のH先生という小学校の先生が、さらに続けて批判した。H先生はJICA教員研修でマラウイに行ったという。ストリート・チルドレンの学習のため、小学生に実際に路上で寝ること、食べることを体験させたというすごい人だ。実践が理論を完全に凌駕したのである。
さらに、拓殖大学のI教授が、パレスチナ紛争のシリアスゲーム(かなり現実に近いPCゲーム)を教材として大学で参加型学習を行ったことを報告した。凄いインパクトである。賛否両論の質疑応答となった。
最後に、”意欲と学力の低い”高校生に対する開発教育ワークショップと題して、K県立高校のO先生が発表された。このタイトルに、ある定時制高校の先生がガブっとかみついた。これも賛否両論。凄い質疑応答の嵐である。
司会をされていたF先生が、他の分科会では6人発表のところもあり、若干時間もあるので討論会を提案された。いやあ、なかなか白熱した論議となったのである。H先生はは、シリアスゲームの存在自体を否定された。これを擁護する院生も登場、激論になった。司会のF先生は、私の仮説世界ゲームもシリアスゲームもかなりの危険性をもっていることを指摘された。私もこれには納得した。でも現場と理論のぶつかり合い、面白かったなあ。ちなみにJ教育大学の若い院生君は、熱心に討論をメモし、次に備えていた。良い顔をしていたのである。私は名刺を渡し、いつでも実践記録とか送りますよ、力になりますよと激励した。すると担当教授がそばに居られ会釈を受けた。恐縮した。若いのだから、失敗をおそれず頑張って欲しい。

と、いうわけで非常に意義深い学会の2日間だったのである。<今日の画像は”広尾”の街角の写真。曇っていてわかりにくいが、夜にはこの道の向うに脇役化している東京タワーが見える。>

2010年7月4日日曜日

国際理解教育学会にてⅠ


 さきほど東京聖心女子大学で行われていた日本国際理解教育学会から帰宅した。昨日は、朝の新幹線で東京・広尾まで出て、午後のプログラム、佐藤学東京大学教授の20周年記念基調講演会を聞き、シンポジウムと総会、懇親会に参加した。今日は、午前中私の研究発表があり、他の4名の発表者とともにさらに臨時討論会のような時間も過ごせた。午後からもプログラムがあったのだが、後のことを考えて、JICAの地球ひろばを少し見学してから下阪したというわけだ。<今日の画像は、宮代ホール、佐藤教授の講演前の学生さんたちによるジャズ風スタンド・バイ・ミー演奏の様子>

 印象に残ったことを少し書いておきたい。この日本国理解教育学会は、大学の”教育学”の先生方や院生などの研究者が中心であるが、私たち現場の教師は決してマイノリティ扱いされていない。研究サイドの方々は現場での実践を知りたがっているし、私たち現場も理論を求めている。しかも、”国際理解教育”という分野は実に幅が広い。
 今回の研究発表の分科会に付けられたテーマをつらつら挙げてみる。①ESD②異文化理解教育③多文化共生④国際交流⑤学校における国際理解教育⑥東アジアの国際理解教育⑦平和教育⑧開発教育⑨シティズンシップ教育⑩コミュニケーションだぶっているものもあるし、分類が難しく⑤などは様々な研究をまとめたもののようである。ちなみに私の発表は”開発教育”のカテゴリーになっていた。開発教育とは、途上国の問題を扱う教育という意味の用語で、どちらかというと外務省が使ってきた言い方である。”仮想世界ゲーム”を主催者の先生がそう判断されたのだろう。私としては、現場の教師が胸をはって堂々と実践を語り、批評を受けたり、反論したりすることが、大きな意味を持っていると思うのである。もちろん皆教育に携わる人間なので、その辺は案外ソフトである。そして日本中に人脈も広がる。

 東大の佐藤先生の講演は、大変興味深いものであった。国際理解の日本的特質とは、翻訳的な近代化の中で、植民地化、自己植民地化(欧米化)、逆植民地化というトライアングルの中で作られた歴史的呪縛なのだという話。グローバリゼーションの進展と、近代の教育が国民国家的統合・産業社会形成の人材育成という使命から新しい方向性を模索している状況など、大変勉強になったのである。気さくなお人柄で、日本の教育学界のトップだとは見えないような方だった。(失礼な言い方だが、これは最大級の賛辞である。)

 今日の分科会でも、素晴らしい先生方と出会えた。かなり長くなるので続きは明日にしようと思う。お許しいただきたい。

追記1:D女子大のF先生の元に送りだしたOG(2月6日ブログ参照)が、東京の学会に来ていた。昨年の学会はD女子大学で行われ、そのスタッフだったし、私の研究発表も聞きにきてくれた。”あれから1年やね”と新幹線から思い出したようにメールしたら、なんと聖心女子大構内で今年も合うことが出来た。やっぱり嬉しいものだ。
追記2:N教育大学のT先生にご挨拶を申し上げていたら、どうやらOBが、T先生の授業を受けている可能性が高いことがわかった。これも嬉しい。ESDを学んだOB/OGが教育界に羽ばたく姿を思い浮かべるのである。
追記3:明日書いてもいいのだが、分科会で知り合った長野県の小学校のH先生は、現在Y市立大学で国際関係をやっておられるらしい。ここにもOBがいる(5月9日ブログ参照)。もしかしたら知っているかも…とのこと。なんか我が担任クラスである元3年C組との素晴らしき”人脈の糸”を感じた2日間でもあった。

2010年7月2日金曜日

切れば血が出る氷の刃

 今日もすこぶる多忙であった。日本史Bでは、第一次長州征伐の裏側の話に熱が入ったし、倫理演習では大乗仏教の哲学/竜樹の中観、世親の唯識、馬鳴の如来蔵などを語った。これが案外生徒には面白いらしくいい授業だった。現代社会ではA・B組とも微妙に期末考査まで1時間だけ残ったので、エゴグラムという心理学の基礎講座をやった。両クラスともバカ受けだった。期末考査をとりあえず3教科分印刷した。放課後は、休んでいた生徒と約束していた補習、さらに質問に、どどっと生徒が来て、最後の仕上げはR大の論文大賞の添削となった。本校は、良いことも多いが、仕事の量も半端でないほど多い。(笑)

 エゴグラムのこと等はまたいずれ書くことにして、今日は朝一番のNHKニュースで見た話について書きたいと思う。それは、NYCの囲碁の話である。ヒロシマで被爆した方が、NYCに囲碁のセンターを作り、囲碁を広めながら、平和への想いを囲碁に託したのだという話だった。おそらく、ニュースに出ていた女性アナウンサーも囲碁をやったことがないのだろう。コメントに真実味がなかった。このブログを読んでいただいている方の多くも「何故、囲碁で平和?」と思われているに違いない。

 私は、前任校で進路指導部にいたことがある。昔はのどかなもので、放課後は暇があれば、囲碁を教えてもらっていた。多くの有段者の先生がおられて、初心者の私にも手とり足とり教えていただけた。結局ものにならなかったようで、あまり上手くない。(3月5日付ブログ参照)だが、このNYCの囲碁センターの話はよく理解できる。囲碁というのは、極めて簡潔に言ってしまうと陣取りのゲームである。黒白、どちらが囲った面積(目という単位になるが…)が広いかを競うのである。私の囲碁の師匠はI先生という機械科の先生であった。I先生は、碁盤を広く見て自分の陣地を少しだけ多めにするように指導された。全部自分のものにしようなどと考えてはいけない、と。
 さて、当時進路指導部に就職の書類が頻繁にくるようになると、毎年臨時のアルバイトみたいな形で、元理科の実習助手を定年退職されたいた”おじいちゃん先生”が来られた。達筆で、手書きで書類を作るのが仕事だった。私の囲碁の相手をよくしていただいた。おじいちゃん先生は、ぶつぶつ言いながら石を置いていく。その決め台詞が、「切れば血の出る氷の刃…!」であった。(笑)
 私が置いた石を”切る”のである。無理をして私の陣地を破る時の台詞である。囲碁で「死活」という言葉がある。私の陣地に攻撃を仕掛ける合図なのだ。結局私の陣地は守りが弱く、みんな死んでしまうことが多かった。実はI先生は、そういう囲碁がお嫌いだった。穏やかに、どうぞそこは差し上げますよ、でもここは私に下さいね。といった碁を打つのである。

 わかっていただけただろうか。囲碁は、そういうメンタルなゲームなのである。囲碁で平和を感じ取って欲しいというヒロシマの方の想いは、I先生の囲碁に通じるものがある。もちろん、プロの棋士などは厳しい「切れは血の出る氷の刃」で闘う。しかし言葉通り、”切れば必ず血がでる”のである。ある程度囲碁を楽しめるようになると、囲碁がメンタルなゲーム故に平和に通じる、という事は解るのである。囲碁で平和教育もいいなあと思った私だが、囲碁を指導するには下手くそすぎるようである。

追記1:明日は、東京の日本国際理解教育学会研究発表大会に出席します。おそらくブログの更新は出来ないように思います。ご了承下さい。
追記2:s.homaniさん、読者登録ありがとうございます。コメントもしてくださいね。(申し訳ない、今日気づきました。)

2010年7月1日木曜日

リメンバー7月1日 in 枚方


今日は7月1日、我が学研都市線津田駅に集まるタクシー全てが、”禁煙車”となる日である。このところ、血糖値関係は順調なのだが、多忙故の疲労からか、帰宅にタクシーを使うことが多くなった。今週なんか3/4という頻度である。小遣いのほとんどがタクシー代に消えていく。で、私は健康のこともあるし、禁煙車となることだし、もうタクシーはやめようと決意したのである。ところが、JR西日本の中でも最低の路線である学研都市線がまたやってくれた。今日も試験づくりなどをやっていて、京橋を出たのが8時である。住道でやっと座れた。が、四条畷の手前で突然停車。なんでも藤坂あたりに線路に入った馬鹿がいたようで、安全確認のために停車したらしい。おまけに四条畷で、乗っていた電車は急遽京橋に折り返し運転となり、我々は普通に切り替えられた快速に強制的に移らされた。今日は、学会に持っていく資料800枚を学校から持って帰るために荷物も多い。やれやれである。

 という長い言い訳があって、”禁煙車”タクシーに乗って帰ってきた。くそっ!と思うのだが、どっちみち煙草がきれていたので、吸えるはずもなく…とほほである。

 とにかく、喫煙者としては、この集団ヒステリックな状況に異議を唱えたい。まるで、アメリカの禁酒法である。禁酒法は見事に失敗した。欲望をも含めた人間理解を、単なる観念的にとらえて正義づらした禁煙原理主義者は、いつか悔い改めることになると私は思う。あの禁酒法を推進し、結局敗北した連中のように。