2022年3月31日木曜日

コロナ禍のアフリカは今

道祖神からまた「DoDo World News」が送られてきた。(久しぶりの発行らしい。)コロナ禍でも、アフリカに渡航することが可能になったようでツアーを徐々に再開とのこと。ケニア、セネガル、ウガンダの渡航事情について特集されていた。

まずは、ケニア。ケニアはワクチン接種を2回受けていないと入国できないようだ。パスポート、ビザに加え英文のワクチン接種証明書(市町村に申請して1週間ほどかかるらしい)、出発72時間前の英文PCR検査陰性証明書の準備が必要であるとのこと。その上で、PANABIOというサイト上に書類をアップロードし、QRコードを入手する必要があり、渡航前に旅行者健康調査フォームをWEB上で記入し、またQRコードを入手。計3つのQRコードが必要でスマホは必需。十分な充電が必要との注意書きもあった。イミグレでは、上記2通の証明書のチェック、QRコードの読み込みがあり、その後は通常どうりとのこと。入国にはそんなに時間はかからないらしい。

ちなみに、現在ケニアに行くには、エミレーツ、カタール、エチオピア航空が主になるらしい。証明書の提示を義務付けているホテルやショッピングモールもあるらしいが、「コロナはもう終わった」という人も多く、2月末の時点では30~50人くらいの感染率らしい。日本に帰国する際には、72時間前以内にPCR検査陰性証明書が必要だが、病院に行かずともホテルやロッジで検体を行い、結果をメールで送ってくれるサービスが多く始まっているという。さすが、東アフリカの観光ハブ国である。

次に西アフリカのセネガル。エールフランス、エミレーツ、エチオピア航空が主となるようだ。セネガル渡航には、旧来からの黄熱病予防接種証明書に加え、セネガル到着5日前の英文PCR検査陰性証明書(担当者は前日にクリニックで検査、3時間後にメールで受け取ったという。:仏文ではなく、英文というのがありがたい話。プリントアウトしておくほうがいいとのこと。)が必要。エチオピア航空はこれまで韓国の仁川空港経由だったが、期間限定のアジスアベバ直行便となっているらしい。

セネガル到着後は、白い服を着た検査官がいるものの、証明書をちらっと見せるだけであるらしい。公共交通機関や2名以上で車に乗る時は、マスク着用のルールはあるものの、ダカールではマスク着用者は10%程度。セネガルも2月末で20人程度。帰国に際しては、同様の72時間前のPCR検査陰性報告書(日本の厚労省指定の書式)が必要だが、事前手配さえしておけばホテルに検査スタッフが来て翌日に届けてくれるそうだ。ちなみに日本のパスポート所持者は、ビザのいらない国である。

さらにウガンダ。PCR検査陰性証明書を準備していたものの、チェックは全くなし。(担当者の渡航直前に廃止、かんたんな健康質問書を提出したのみだという。)ウガンダは、マラリアや周辺国のエボラ熱などの感染症対策の実績があり、どんな感染症でも自ら判断できるらしい。ウガンダの感染率は1日50人程度、帰国前日にホテルに民間の検査機関のスタッフが来てくれ、夕方には日本政府のフォーマットの陰性報告書を持ってきてくれたそうだ。

ところで、帰国後の日本の対応。成田で同じ飛行機の乗客はグループになり待機。陰性証明書の所持、厚労省のアプリをインストールするかなどの質問に答え、入国後の待機ルールについて誓約書に署名。その先で陰性証明書と記入した書類のチェックがあるそうだ。スマホ必携で、持っていない場合レンタルさせられる。スマホでQRコードを読み込み質問票に入力。さらに検体検査。壁にレモンや梅干しの絵があるそうだ。(この辺は、かゆいところに手が届く日本らしさかな。)検査終了後、アプリのチェック、MYSOS(入国者健康居所確認アプリ)の設定や操作のレクチャー。(スタッフがスマホが苦手な人のため設定してくれるらしい。)サイドの書類チェックの後、検査結果待ち。パスポートに個別の番号が貼られ、アナウンスがあればようやく入国検査。この間3~4時間…。

3回のワクチン接種証明書があり指定国(注)以外からの帰国なら待機なし、していない場合でも自宅待機期間は最短3日(自主検査が必要)から7日だそうだ。自宅までは公共交通機関の利用は可であるらしい。

注:厚労省によるコロナ水際対策指定国・地域は、かなりの数がある。(イギリスやアメリカ、オーストラリア、インド、ロシア、韓国など)幸い、マレーシアは入っていなかった。https://corona.go.jp/news/pdf/mizugiwataisaku2_20220217.pdf

…まさに、行きは良い良い、帰りは怖いという感じである。アフリカの観光国は頑張っているな、というのが感想である。

…私はアフリカはもちろん、当分海外に出る予定はないが、気になるのは、そろそろ入国できそうなマレーシアのL君のことである。成田で、こんな目に合うのかと思うと可愛そうだし、心配でならない。

倫理の参考書も蔭山

先日、倫理の参考書がアマゾンから届いた。政経にあわせて同じ代ゼミの蔭山本である。

これまでの哲学史についての経験値は十分あるが、青年期の心理や現代の倫理的諸問題については、正直あまりやってこなかったので、あってもいいな、ということで注文した。政経と同様良き解説書である。

倫理を真剣にやるのは国公立志望で政経より倫理を選択した生徒、さらに旧帝大志望者は、政経と合わせて倫理政経になる。バリバリの受験指導になるので、穴はないほうがいい。今回は青年期や現代の諸問題もできるだけ触れようと思っている。

4月に入ったら、使っている教科書も解るだろうし、その教科書準拠でプリント作成するつもりだが、政経同様、一問一答集も入っており、なかなか重宝しそうである。

2022年3月29日火曜日

ウクライナ 戦争広告代理店

https://www.afpbb.com/articles/-/3396780
昔々、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の時、外相がアメリカに助けを求めに来た。アメリカの広告代理店がまず、きれいなスーツを脱がせ、いかにも侵略を受けている国の外相だというふうにイメージチェンジをしたという。その上で、TV番組で民族浄化というキーワードを使い、アメリカ人好みの悪玉と善玉という二元論的な構図を定着させた。これにより、セルビアはヒールとなり、敗北したとされる。これは、名著「戦争広告代理店」に書かれていた内容である。

今回のウクライナも見事にそれを行っている。ゼレンスキー大統領の服装は、常にスーツではない。焦げ茶色の地味なTシャツやジャンパーのような衣装で全世界に発信している。彼は元はコメディアンであったと言われる。まさに善玉を演じる絶妙なスタイルである。

アメリカではパールハーバーの話題を出して支援を訴え、フランスでは自由平等博愛の共有を訴え、ドイツではWWⅡの同国の罪を呼び戻し、ウクライナ支援によって再び恥じ入る必要がなくなるよう訴え、スタンディングオベーションを受けたらしい。

日本では、チェルノブイリとフクシマの共通の歴史に言及している。どこかにライターがいるのだろうが、これまた背後の戦争広告代理店の存在を彷彿とさせる。もし、そういう背後がなければまさに異能の政治家であり、うまくやっているな、と思うが、何か得体のしれない背後を感じたりするのは私だけだろうか。

ところで、WWⅡのきっかけとなったナチのポーランド侵攻は、そもそも元ドイツ領であったダンツィヒの帰属とポーランド回廊についての交渉がそもそもの始まりで、ポーランドは、英仏の軍事的バックアップを受けて強気に出た。まさか、ソ連からも侵攻されるとは思っても見なかったし、英仏はドイツと戦ったが、ポーランドの安全保障は反故にしたし、ソ連にも攻撃をしなかった。元ポーランド大使の言である。今回のウクライナ戦争と、なんか似ていないだろうか、というわけである。

…相変わらず双方のプロパガンダが報道されている。我々は冷静にこの戦争を見なければならなし、日本の現状をも考えながら思索する必要があると私は思う。

三崎高校離任式’21

25日の予定だった三崎高校の離任式が、今日29日に延期になって、FacebookでLIVE中継された。三崎高校は、なんといっても準僻地校なので、人事においてはいろいろと難しいところがあるのだろうと思われる。

愛媛県は、教頭先生は2年間、新任教員は3年間という慣例があるようで、ある程度は予期していた人事だった。コロナ禍で、残念ながら生徒も卒業生も各教室からLIVEを見ていたようだが、大阪にいる私も拝聴できたのは不幸中の幸いであった。

退職・転勤される先生方のご多幸とご健勝を祈りつつ。

2022年3月27日日曜日

私家的世界史的現状分析

https://www3.nhk.or.jp/news/special/ukraine/
ウクライナ戦争は、意外にと行ったら失礼だが、ウクライナが頑張っているようだ。ロシアの短期戦で首都キエフを落とすという戦略は失敗に終わっている。西以外の北・東・南から包囲しているものの、制空権を握ることが未だできていないのが苦しい。

これまでの世界史の一般論から見れば、侵攻する側の補給路が絶たれると苦しい。しかも長期戦になれば経済制裁を受けているロシアはインフレのために一般人の生活が苦しくなり、厭戦気分が拡がるだろう。(だからプーチンは反戦・厭戦的世論を抑えにかかっているわけだ。)

これまでソ連時代を含めロシアが侵攻したのは、戦後で見るとハンガリー動乱・プラハの春・アフガン侵攻などである。ハンガリーもチェコもワルシャワ条約機構内での出来事であり比較的うまく行った。アフガンに関しては、ワルシャワ機構外であり、苦戦を強いられ、国力を疲弊させ撤退した。世界第二位の軍事大国という看板をもってしても、かなりの勝算がなければ成功しないわけだ。ウクライナはソ連崩壊後のCISでありながら、特に西部では民族主義が強い。

ウクライナの民族主義は、中世以来のロシアとの歴史的軋轢があって、かなり強い。アフガンでもムスリムの聖戦意識が強かったし、チェチェンとの内戦でも同様、士気の高さは戦争において意外に大きい。もしキエフが陥落したとしても、大統領もしくは側近が亡命政府をたて、ゲリラ戦が展開されるだろう。それくらい民族主義が強固だ。

日露戦争でも、第一次世界大戦でもロシアは、革命で戦争を停止した。第一次ロシア革命、ボルシェビキのロシア革命であるが、その基盤に民衆の生活困窮や政権への不満の鬱積があった。第一次世界対戦以後は総力戦となり、戦争は国力を疲弊させるというのは歴史的法則である。また軍内部で非戦意識が高まれば歴史は動く(キール軍港から始まったドイツ革命等)というのも歴史的法則である。今回も鍵を握っているのは、民衆と軍ではないかと私は思う。

ところで、民衆の不満が鍵を握っている、といえば中国共産党政府もそろそろ破局点を迎えるのではないか、と感じている。そういったニュースが中国語圏では流れている。経世済民を忘れた中国共産党は各地で暴動に近い反抗を受けている。(日本ではほとんど報じられていないが、かなり末期的症状である。)コロナ対策で、閉じ込められ餓死者が出たとか、失業者が増え、明日をもしれぬ国民がこのまま黙っていないのではないか。中国史は、政権(王朝)が天命によって滅ぶ時、こういった民衆の反乱が起こるという法則がある。(=易姓革命)だからこそ、法輪功は大弾圧されたのだと思われる。中国史的に見て、宗教組織は中国の政権では最も危険な存在である。思えば、大弾圧を受けているチベットの人々もウィグルの人々もそれぞれ宗教的な統一性がある。

…正直なところ、これからどうなるのか全くわからない。ただ、世界史的に見ると、独裁国家と言えど、民衆が鍵を握っていることだけは確かだ。

政治経済の参考書は蔭山

さて、世界史Bをやらないでよくなったわけで、今日のエントリーは、政治経済の参考書の話。代々木ゼミナールの蔭山氏の参考書を使う予定である。この参考書は共通テスト対策用である。2年生で政治経済をやると聞いているから、まずはこれで十分。3年生になって、関学以外の関関同立を政治経済で受験するという生徒には、さらに詳細な参考書/問題集がいるかもしれなが、それは1年後のことだし、3学期に紹介すればいいと思っている。日本史や世界史をやめて政治経済を受験するのも一つの方法である。経済学部なら数学という手もある。このへんは各人の受験戦略にまかせたい。私としては、共通テストで倫理と同様、90点を目指せることを目標にしたいところだ。

この本は、講義形式でなかなかわかりやすい。しかも時事問題や一問一答までついていて重宝できそうだ。倫理の方は参考書なしでいいと思っていたのだが、同じ著者で倫理もあったので、またまたアマゾンの古本を注文しておいた。(もちろん配達先の住所変更をしておいた。)

ちなみに、問題集は山川の「共通テストへの道シリーズ」。政治経済も倫理も第2版をすでに用意してある。過去問から各単元ごとに問題を集めてくれているので使いやすい故である。

…ところで引っ越しの整理、妻がひたすら動いているが、留守中に置かれた息子夫婦の荷物もあって、なかなか進まない。我が自宅は、息子夫婦の倉庫と化していたのであった。(笑)私の荷物の整理は、息子夫婦が来る火曜日以降になりそうだ。

2022年3月26日土曜日

6年ぶりのアフリカの風

もう大阪支店はなくなったが、アフリカ旅行専門の道祖神の古い情報誌(2019.10)が、家を整理していて見つかった。きっと息子が取っておいてくれたのだろう。しかも特集は、知人である荒熊さんの「ブルキナファソのディープな食の世界」である。イイネ!である。ちょうど荒熊さんが「ブルキナファソを喰らう」を出したくらいの頃であるようだ。久しぶりにアフリカにどどっと触れた。

この後、世界はコロナ禍に突入していく。ネットで道祖神はどうなったのか調べてみたら、国内の日帰り旅行(バードウォッチング等)で旅行業をなんとか継続しているようだ。アフリカのフェアトレードの商品なんぞも販売していた。経営の厳しさが伝わってくる次第。頑張ってほしい。

ところで、大阪に帰ってきたのだからと、京大のアフリカ地域研究資料センターにアクセスしてみた。公開講座がちょこちょこ行われている。うーん、また行きたいなあ。

だんだん6年前に戻っていく。思えばマレーシアでは、イスラム教や開発独裁の政治体制などに興味がわき、だいぶ勉強した。四国最西端では、学校の地域共創に役立てればと、地域経済学をかじりだした。こうして大阪に戻ってみると、ライフワークのアフリカ開発経済学の存在が頭をもたげてくる次第。

…アフリカの風が6年ぶりに吹いてきた。

2022年3月25日金曜日

ラム肉とドラゴンフルーツ

https://www.bikebros.co.jp/catalog/1/127_6/
大阪に戻って3日目。運転免許の住所変更と妻の原付バイク購入の日となった。伊方町でバイクを運転することはちょっと厳しい。三崎だけならまだしも、他の地区や八幡浜市に行くのは、やはり車でなければ厳しい。と、いうわけで、マレーシア時代も含め大阪の自宅にバイクを置いたまま6年間。もちろん動かないし、それまでに10年近く乗っていたので、そもそも買い替える必要があったのだ。妻の所望はYAMAHAのバイクだったのだが、これまで世話になったバイク店がもうやめておられたので、少し離れたバイク店に向った。そこはHONDAのみだったのだが、誠実そうな店だったので、妻もHONDAで納得したようだ。知らないうちに原付バイクも、排ガス規制のこともあって水冷・4サイクルになっていた。私も若干乗る機会もあるので、黒にしたとのこと。枚方では、買い物などでバイクは必需品なので、我が中古の軽である愛車とほぼ同額だが新車故にやむを得ない。(笑)

ところで、このバイク店に寄るために、道を挟んだところにある業務スーパーに駐車した。当然店内に入って買い物をしたのだが、今日の買い物で特筆すべきは、ラム肉とドラゴンフルーツである。四国ではあまりラム肉は売っていなかった。実は私はラム肉が好物で、マレーシアではよく食べていたのである。さらにドラゴンフルーツも売っていた。大好きな赤ではなく白だが、きっとラム肉を食した後に合うだろうということで購入した。狙いどうりだった。(笑)

…まだまだ荷物の整理は続いている。

2022年3月24日木曜日

祝 サッカーW杯出場

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211012/k10013304041000.html
日本代表がW杯出場を決めた。2-0でオーストラリアを「破ったようである」。というのは、この6年間TVなしの生活が続いているので、WEBで刻々変わる状況を調べて知った次第。

昔は、LIVEで一生懸命応援していた。後輩のI先生とメールで「〇〇の動きが悪い」とか「GOOLーーー!」とか、やり取りしながらTVで見ていたのだが…。野球もいいし、ラグビーもいいし、サッカーもいい。自分自身ではうまくできないけれど、熱くさせる力をスポーツは持っている。

三崎を出る際、早めに挨拶をしに来てくれたY君は、卓球の全国選抜大会に出場して、3人組の予選で一勝一敗で2位、決勝進出はならなかったらしい。とはいえ、全国大会での1勝。…凄いな。直前に足を痛めて心配したが、よく頑張ってくれたと思う。

卓球も、サッカーも、紙一重の差が勝敗に結びつく。それはメンタルであったり、フィジカルであったり、テクニックであったり。ともかくも、日本はW杯に今回も出場できた。バンザイである。

…やっぱりTV欲しいな。(笑)

風車+551/(御座候)

https://4travel.jp/dm_shisetsu/11250096
13時に引っ越し屋さんが来てくれて、搬入はテキパキと進んだ。その後は町役場ならぬ市役所である。昨日の書類の中に住民票の提出という事項があった故、急いで住民票を入れその証明が必要になったのである。地域おこし協力隊の定め故、これまで2年半、伊方町民であったわけだが、短期間の空白を経て枚方市民に戻ったわけである。

枚方市役所まで車を走らせたが、うーん都会である。昨日まで車があまり走っていない三崎にいたという事実が信じられないほどの異空間である。その後京阪枚方市駅の1Fで、「風車」(かざぐるま:ちなみに伊方町の瀬戸地区にはふうしゃというレストランがある)のタコヤキを購入。ここのタコヤキは実に美味い。さらに、「551の蓬莱」で、豚まん(大阪では肉まんとは言わない。)を購入した。これは大阪の誇りとも言うべきモノである。そう言えば、マレーシアからの一時帰国のときも、関空に着くやいなや、この2つが浮かんだ。(本当は、これに「御座候」という粒あんの太鼓焼きが入るのだが、血糖値の関係で完全NGなのであった。)

https://tabelog.com/osaka/A2707/
A270702/27045364/dtlphotolst/smp2/
まだ血糖値は高そうだ。このところ忙しくて計っていなのだけれど300近くあるかもしれない。疲れていると階段などで恐怖を感じるほどふらつくこともあるので、当分糖分をとれないと自覚している。嗚呼、下手な洒落で「御座候」。

6年ぶりに帰ってきました

マレーシアに3.5年、四国最西端・三崎に2.5年の間、留守にしていた大阪・枚方に昨夜帰ってきました。朝9:30過ぎに、さかい引越センターが来られて、プロの技を見せてもらいながら引っ越しが進み、11:00前に教職員住宅を出発、本庁によって住宅の鍵を渡したあと、4月から私と入れ替わりで赴任していただくI先生(私より以前から塾の非常勤講師:ボランティアをしていただた方です。)に町長室で再会、その後海沿いに車を走らせ、伊予ICから高速に入り、松山道・高松道・淡路島・中国道・近畿道・第2京阪道を通り自宅まで。渋滞もほとんど回避できました。たった20万円で購入した軽の愛車もさすがに疲れたと思います。(当分、みきゃんデザインの愛媛ナンバーで大阪を走る予定です。)

しかしまあ、妻はよく働きます。引っ越しは大イベントです。休む暇なく掃除や片づけをしています。休憩していたのは帰路の車の中くらい。帰宅後も動き回っていました。もう引っ越しするのはやめてあげようと思った次第です。

帰宅すると、4月からの契約書が届いていました。

2022年3月21日月曜日

SPECIAL THANKS 三崎

明日、インターネットが使えなくなる。今日のうちにマレーシアの時同様、”SPECIAL THANKS三崎版”を記しておこうと思う。実は、「広報いかた」という町の情報誌にも同じタイトルで書いたのだが、おそらく5月に町内に配布されるはずである。

まずは、町長・教育長をはじめとした町役場の皆さん。町教委事務局長はKさんからAさんに代わった。Kさんには、いろいろとお世話になった。今は地域振興課長になっておられる。いつも体調を気遣っていただいた。Aさんは三崎の八幡神社の宮司でもあり、三崎高校OBで、よく学校に来ていただいた。Facebookもよく見ていただいていた。三崎支所の皆さんにも年末年始開塾でお世話になった。町見郷土館のTさんには、最初からお世話になった。地域おこし協力隊の各位にもお世話になった。…町の関係者に深く感謝申し上げたい。

三崎高校の教職員の皆さんは昭和の薫りがする教職員集団である。若手教員を管理職、ベテラン、中堅の先生が育てていくという空気が素晴らしい。小規模校で教材研究が大変だし、校務分掌も1人3つという激務で、これに月2回ほどの寮担当で泊まることもあり、私の住む教職員住宅にも22時15分に点呼に来なければならない。もちろん、全国レベルとなっている地域創生の仕事もあるわけだ。少人数で若手が多いからなんとかなっているのだろうと思う。地域創生の中心者T先生と、地域創生をやりたくて三崎に来たというK先生は、今や藤子不二雄で、どちらが担当しているのかわからないくらい仕事をこなしている。このお二人は私が知る教師の中でも、スーパーマン型である。さらにスーパーな音楽のO先生がいる。彼女の演出力はかなりのもので、文化祭の民俗芸能や吹奏楽を見事に動かしている。広報ではH先生。私が来た時の3クラスから今春の6クラスにした大功労者である。その他にもいい先生がいっぱいいる。事務長先生もこれまでの経験から見ても三指に入る熱心な方だったし、管理作業員さんも寸暇を惜しんで広い校内を管理されていた。…そして、昨年度の学校長K先生は、私の知る限り最高の学校長だったと思っている。生徒と共に持久走を走る学校長を初めて見たし、理と情両方に長けておられた人格者であった。 …三崎高校の教職員の皆さんの益々のご健勝を祈りたい。

先日もお世話になった同窓会長が、昨年の文化祭で校歌の合唱コンクール後、OBOGの保護者の皆さんを舞台にあげられ、校歌を歌うよう指示された。(画像参照)三崎高校で感動したことは多いのだが、この時が一番であった。PTA会長は、寮の食事を引き受けられている。並大抵のことではない。お二人共、影に日向に三崎高校のために頑張っていただいている。心から感謝申し上げたい。さらに、三崎高校を支えていただいているNPOの方々、塾のために遅いバス運行をしていただていたAさん、Sさんにも大変お世話になった。三崎高校の関係者の皆さんにも心から感謝したい。

出前塾でお世話になった伊方町内の三中学の先生方、私が講師をさせていただいた2度の研修会に来ていただいた小中学校の先生方、特に研修会に深く関わっていただいたA教頭、N先生、M先生。ありがとうございました。

私と妻の体調を守っていただいたK医院の皆さん。K先生には本当にお世話になった。愛車の健康を回復してくれたMモータースの皆さん、住宅前の畑をされているご夫婦には、野菜や枇杷もたくさんいただいた。近隣の皆さんにも気軽に挨拶をしていただき感謝している。三崎のローソンの店長には、来て間もない頃、三崎高校のポスターを張っていただいたし、閉塾後、牛乳を買いに寄ると棚になくてもすぐ対応してくれたスタッフにも御礼を述べたい。また伊方町地域おこし協力隊・公営塾のFacebookにイイネを毎回送っていただいた地元の方・保護者の方にも感謝申し上げたい。

そして最後に、我が未咲輝塾の優秀な三講師と、三崎高校の生徒諸君に、SPECIAL THANKS!である。

…伊方町三崎は、生粋の大阪人である私の故郷になった。

受験の世界史B 研鑽ー58

世界史Bの教材研究を進めてきたが、先日連絡があり、私は倫理と政経のみの担当になったようである。倫理と政経なら、目をつぶって教えることができる。(政経はちょっと薄目を開ける必要があるかな。)ホッとした一面、気が抜けたのも事実。中古本とはいえ、かなりの数の世界史の参考書や問題集を購入したのだが…。(笑) まあ、今回の研鑽は無駄にはならないと思う。

文系は4クラスらしいので、3年生でやる倫理は共通テスト対策に絞れる。旧帝大は、共通テストでは、倫理/政経という教科になるが、やる内容は同じ。共通テストを受けない完全私大受験クラスは消化試合になるか、推薦入試で勝負する生徒にとっては必死でやりそうで、前者後者どちらかになりそうだ。

政経は2年生であるらしい。政経は、世界史・日本史組から政経受験(すべての大学で受験できるわけではない。)に変更する生徒にとっては、共通テスト以上の内容を付加する必要がある。まあ、世界史よりははるかに暗記量は少ないが、理解度は世界史以上に求められるし、時事問題も関係する。ただ2年生なので、時間的に余裕もあるし楽しくやれそうだ。ディベートもやろうかな。

どちらも、早めに準備したいが、使う教科書がわからないと進められない。三崎での仕事も完全に終わったので、早く切り替えたいところだ。

2022年3月20日日曜日

真空管で聴く親愛なるQに捧ぐ

https://jp.mercari.com/item/m88358895527
同窓会長のN氏宅に昨夜行ってきた。私の惜別の会である。以前から何度かお誘いを受けていたのだが、初めて訪問させていただいた。

驚いたことに、N氏は同学年(昭和32年5月生まれ/私は33年3月)であった。三崎高校時代はブラックリストに載っていたそうだ。それは、ギターをやっていたからだという。国道197号線などなく、八幡浜から船でPAを運んでコンサートをやっていたらしい。凄い。広島の大学に行ったのは、表向き家業を継ぐためだが、実は「広島フォーク村」に出入りするためで、専門の電気関係の資格は一切取らず、普通免許だけだったとか。そんなN氏から出た名前が、加川良。真空管のアンプに年代物のスピーカーで、「親愛なるQに捧ぐ」のLPをかけていただいた。偶成。こがらしえれじい。夕焼けトンボ。靴紐むすんで。鎮静剤。こもりうた。そして下宿屋…。

さすがに大阪ではギターを弾いていてブラックリストにのることはなかったが、同世代故に音楽の趣味は完全に一致である。何年経とうとも歌詞を覚えている自分に驚いた。

三崎の最後に素晴らしい時間を過ごさせていただいた。心から感謝である。ちょっとエビスビールを飲みすぎた。

2022年3月18日金曜日

三崎高校公営塾 最後の日

いよいよ、公営塾塾長として最後の日を迎えた。朝から終業式前に「離任式」をしていただいた。学校長から是非とのお誘いをいただき、お受けしたのだが、コロナ禍のためにオンラインでのスピーチになった。その後に入試の合格発表もあるので、できるだけ簡素にさせていただいた。これで、私が三田学園にお世話になることも公になったわけだ。

ずっと気になっていたことは、みさこうDAY以来、事情があってNさんへの倫理の講義が中断したままになっていたことである。あと中国思想と西田哲学だけはやっておきたかったのだが、残念である。

とはいえ、卒業生のO君Uさんも雨の中わざわざ来てくれ、昨年度の卒業生のKさんも来てくれた。それぞれ長く話した。ありがたいことである。そうこうしていると、2年生の生徒、バス通学の生徒から色紙をもらった。いろんな惜別の品もいただいた。

塾の講師という存在は、正教員とは明らかに違うと私は思っている。サポート役に徹してきた。学校との連携上、一歩引いて要望に全て答えてきたが、こちらから要望は出さなかった。この微妙な立場故に、このような良き思いをするとは夢にも思わなかった。まるで担任である。ありがたいことであある。

最後のサプライズは、我が講師陣からの記念品贈呈だった。年齢の格差から、うまく行っているのかどうかわからないときも正直あった。しかし、そのような杞憂は最後に消えた。家に戻り、その品は私が欲しかった「みきゃんのネクタイ」であった。嬉しいなあ。松山の高島屋まで行って買ってきてくれたようだ。

もちろん、先生方や事務所にご挨拶にいった。全員とご挨拶できなかったのは残念だが、仕方がない。管理作業員さん(愛媛では用務員さんというらしい)にご挨拶できなかったことが悔やまれる。陰の仕事をされている人を大切にするのが私の心情なのだが、今日は雨で強風なので姿が見えなかったのである。

最後に下校のバスを見送った。ボーイスカウトの三本指の敬礼を1年生男子が返してくれるのも最後である。旅館の女将稼業もこれで終わりである。雨の日も風の日も2年間毎日見送ってきた。しんどいなあと思うこともあったが、やりきれたことに満足である。

そんな最終日。お世話になった方々にひたすらメールもさせていただいた。感謝の1日であった。

2022年3月17日木曜日

三崎を去る直前の朗報

四国最西端・三崎高校での勤務も、いよいよ残すところ明日1日となった。今日は、明日の終業式に参加せず、栃木県に向かう卓球部の顧問・T先生がわざわざ惜別に来ていただいた。これからの三崎高校の展望などを教えていただいた。ご健勝を祈りたい。その後、全国大会に出場する選手である2年生のY君と、其の練習相手として同行する1年生のK君も挨拶に来てくれた。ありがたいことである。栃木で、ひと暴れしてきて欲しい。

さて、今日最大に嬉しかったことは、コロナ禍で、D大学に入学しながら、ずっと2年間マレーシアに閉じ込められていたL君が、ようやく来日の目処がたったことである。うまくいけば、4月上旬に来日とのこと。状況次第だが、できるだけ早く会いたいと思っている。

長かった。本人が一番苦しんだだろうが、私もずっと心配していた。彼は大学院にまで進むつもりだろうから、この2年間を是非払拭して欲しいと思っている。

…いやあ、朗報、である。三崎を去る直前に舞い込んだ朗報。

2022年3月16日水曜日

ウクライナのホロドモール

https://www.youtube.com/watch?v=guT9DHjo3-Q&t=356s&ab_channel=HaranoTimesOfficialChannel
ウクライナの民族主義が強い理由として、ホロドモールという1932から3年にかけての大飢饉がある。これはスターリンによる飢餓ジェノサイドであった。このホロドモールについてのドキュメンタリー動画がYou Tubeで公開されている。(約18分)

この動画配信元は、前回紹介したオデッサの悲劇と同じである。オデッサの悲劇はロシア系住民からの視点だが、これはウクライナの民族主義が強まった原因がスターリン=ソ連=ロシア側にあることを証明するものである。全く反対の立場からそれぞれを配信しているわけで、信用できるチャンネルだと私は思う。

…ところで、スターリンは、ロシア帝国内のグルジア人を出自としながらも、「民族問題とレーニン主義」という著作で知られている。民族問題を忌み嫌う資質が本来的にあり、特にウクライナに対する敵愾心が強かったようだ。まあどうみてもトンデモナイ奴なのだが…。

…ソ連がロシアに変わろうとも、ウクライナ人のDNAには、こういった歴史が焼き付いているようだ。今回の問題を考える上で重要な資料になるだろうと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=guT9DHjo3-Q&t=464s&ab_channel=HaranoTimesOfficialChan

2022年3月15日火曜日

Final event アフリカに学ぶ

三崎高校は小規模校なので、融通無碍なところがあって、急遽今日がみさこうDAY(部活なし・私服登校・チャイム無しの日)に変更になった。以前から、予定されていた木曜日に最後のイベントをすつつもりで用意していたのだが、昨夜あわてて校内に貼ったポスターを修正し、クラスマッチ(校内球技大会)後の表彰式後も呼びかけた。

最後の私のイベントは、ライフワークである「アフリカに学ぶ」である。このイベントに合わせて、キットカットを買ってあった。1・2年生の受験前にもう渡す機会はないが、この機会を通じて渡すつもりであった。やはりファイナルであるし、思い入れもある。幸い、1年生を中心に9人が集まってくれた。

本当の豊かさとは何か。私は、ストレスのない、自殺者ゼロのアフリカの話をした。特にブルキナファソで涙ながらに見た、あの重い荷物を積んだっ坂道を汗だくで登る人々の行列を「i't natre.」と言ったガイドのオマーンの言葉は私のアフリカ考に大きな影響を与えた。私はこの英語を「あたりまえのこと」と訳した。彼は、続けた。「私もああいう仕事をかつてしてきた。驚くことではない。」このアフリカに宿る精神を生徒に伝えたい。アフリカの人々のために私にできることは、これしかない。

2022年3月14日月曜日

ウクライナ戦争で現在解る事

https://news.yahoo.co.jp/articles/485295e9b83ea9bafca49cade311cff59fec3dda/images/000
ウクライナ戦争について、今現在解っていることは、ロシアは北京オリンピックとパラリンピックの合間にウクライナに侵攻し、キエフを占拠し、NATOに参加表明している現政権を打倒することであったようだ。ハンガリー動乱、プラハの春の同様の発想である。

しかしながら、ウクライナ人の強硬な反発を読み違えたようで、圧倒的に押しつぶす予定が狂い、パラリンピック開催時に間に合わないどころか、かなり苦戦を強いられているようだ。最大の誤算は制空権を握れなかったこと。ウクライナは固定レーダーは破壊されたものの、移動式レーダーは生きているという。制空権を得ていない戦車軍団は、様々な対戦車兵器によって苦戦を強いられているようで、欧米から対戦車兵器が支援されているのも大きい。なにより、ウクライナ人の士気が高い。義勇兵も駆けつけている。

ロシアは完全にヒールになってしまっている。経済的にもかなり追い詰められている。さて、ロシアはどう対処していくのだろう。そして日本は…。読めないのがもどかしい。

2022年3月13日日曜日

地域おこし協力隊の収録

14日の月曜日は、地域おこし協力隊の最後の仕事をする予定である。昨年度は伊方町の協力隊員が本庁で、地元の皆さんを呼び報告会を開いた。しかし今年度は、コロナ禍の関係で開催できていない。そこで、八西テレビに隊員ごとに録画してもらい、ケーブルテレビで流そうではないかという結論になった。その収録が行われるのである。各隊員10分のスパンである。未咲輝塾の講師は私を入れて4名だが、1人5分で計20分にしてもらった。

この2年半、地域おこし協力隊の一員であったのだが、正直なところ違和感を禁じえない。まず、地域おこし協力隊員は、赴任地で起業・永住することを想定している。しかし公営塾の講師は、私塾が成り立たないような地域ゆえに赴任している。よって、そこで起業せよと言われても困る。(この状況を打破した人物を1人だけ私は知っている。ただ、彼は大阪で私塾を経営していた経歴があり、地域の信頼も厚く、小中学生を対象とした塾を開業した。)任期が終わったら去るしかないのが普通だ。

これまで、コロナ禍が言われ出すまでは、町内のイベントにも参加、協力してきた。しかし、今年度は昨年度15回も実施した出前塾も1回だけで、三崎高校の存続・発展ために頑張っているが、地域おこしに多大な成果を上げているとまではいえない。(昨年度は、小中学校の研修の講師を2回務めたが、今回それを収録時に言うつもりはない。)また、正直なところ、毎月の集まりでも、語られている内容の次元が異なるので違和感があり、沈黙していることが多い。もうひとつの違和感は、他の隊員は個人で動いているが、我々はチームである。比較的勤務時間の自由度がある他の隊員とは状況が違うし、全く同じように扱われると、違和感が膨張する。

今回の収録に対しても私は全体で10分くらいで良いと思っている。でも20分というスパンなので、私は一切自分のことは語らず、三崎高校と塾のことを統括的に話すことになった。チームの役割としては妥当だと思う。他の3講師には来年度のこともあるので、各自のやっていることを紹介してもらおうと考えている。

2022年3月12日土曜日

K前校長との最後の邂逅。

昨日、三崎高校では文科省の地域協働推進校のコンソーシアムが行われた。3年間の総まとめの会合なのだが、コロナによる設定日時の遅れや自営業の方にとっては年度末であり、伊方町議会も開催中の関係で、NPOの代表の方々や役場関係にも欠席者がおられ、少しさみしい会合となった。いままで一言も発しなかった私だが、今回は意見を求められ、発言の機会もいただいた。昨年の文化祭で行われた郷土芸能を、町内各地で是非披露願いたいという趣旨である。地元生がリードし、県内外の生徒も協力して素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。きっと、地域の方々も喜んでいただけると思う。問題はコロナ禍であるが…。
私にとっては、正直なところ、コンソーシアムには県教委に行かれた前校長K先生が来られるので、4月からの報告ができることが最大の楽しみであった。これまで、数多くの校長に仕えてきたが、K先生はその中でも突出した素晴らしい校長であった。生徒への話でも切り口が違う。塾のことも連携に心を砕いていただいたし、生徒とともに持久走大会で走られたり、また情にもあつい方であった。

開会前、さっそくご挨拶申し上げたら、惜別の意を込めて、記念品を渡された。まさに想定外のことで驚き、また感激した。閉塾後、開封したら愛南町の真珠をあしらったネクタイピンであった。すぐさま、御礼のメールを送らせていただいた次第。ほんと人情の機微に長けた方である。K校長の1年間、まあ私も色々と苦労したし、相談にも乗っていただいた。また三崎高校をユネスコスクールにする構想を打ち明けたが、現状では担当者が忙しすぎて無理であることを告げられ、大いに落ち込んだが、そういう全てを含んでの今回のことなのであろうと思う。

K先生との邂逅はおそらく、昨日が最後と思うが、私の長い教員生活の中でも、指おりの「人物」であることは間違いがない。K先生は、いずれ愛媛県の高校教育を背負って立たれるだろうと思う。益々のご健勝をお祈りしたい。

受験の世界史B 研鑽ー57

https://japan-top.sakura.ne.jp/youkihi.html
韋后の企みを阻止した李隆基が6代皇帝となり玄宗(在位712-756)となる。27歳で即位した玄宗は唐中期の繁栄をもたらした。武則天時代に頭角を現した官僚とともに、朝3時には起き、午前中いっぱい官僚が持ってくる書類を決済するという皇帝の仕事を(宦官や外戚の進出を阻むため)30年も続けた。(=開元の治)しかし、さすがの玄宗も政治への熱意を失い、息子の妃であった楊貴妃に溺れてしまい、腐敗が進行してしまう。

755年安史の乱が起こる。安史とは安禄山史思明の意である。安禄山は、北京の北方の節度使の長官で、中期以後、羈縻政策がうまくいかなくなった故の辺境防備の軍団(全部で10設置:兵は傭兵)で、民政も司っていた。安碌山の父はイラン系のソグド人、母は突厥人。6ヶ国語に堪能で通訳から出世し、楊貴妃とつながりを持っていた。しかし、楊貴妃の一族の宰相、楊国忠と非常に仲が悪かったので、彼に讒言されることを恐れていた。三地域の節度使を兼任していた安禄山はその軍事力を使い失脚から免れるために反乱を起こした。15万の反乱軍は進軍を続け、洛陽、756年長安を占領。玄宗は、長安を逃れ四川方面に向け落ち延びたが、親衛隊が玄宗に楊貴妃を殺すように迫り側近に絞殺させることになる。玄宗は責任をとって退位し、息子の肅宗(しゅくそう)が即位し、ウィグル人に援助を要請した。一方安禄山は新政府を立て皇帝になったものの、政治能力もなく大混乱になる。失明し、全身皮膚病となり自暴自棄になったので息子に殺される。その息子も史思明に殺される。史思明も安禄山同様の男でその息子に殺される。その息子には反乱軍をまとめる力量もなく、763年、ウィグル軍に滅ぼされた。

この9年間の戦乱で、華北の農民は逃げ出し、均田制が崩壊、均田農民は没落して小作農(=佃戸:でんこ)化する。佃戸は貴族とは関係のない新興地主階級のもとにあり、租庸調制も崩れた。そこで、唐朝は、楊炎(ようえん)の検索で、両税法(夏と秋に銭納)を実施、また塩の専売制を強化し、財政を補った。府兵制も募兵制に変え、節度使を各地に配置した。節度使が反乱を起こしたら他の節度使が鎮圧するシステムだが、投稿してきた元反乱軍の武将が節度使になったので、等への忠誠心は乏しく自立化(命令の無視や納税の無視)していく。ただ江南地方は大運河を使って唐に納税していたので生命線となった。

安史の乱で税制や兵制を改革して延命した唐だが、最後の打撃を与えたのは、黄巣の乱(こうそう:874年-884年)である。黄巣は、塩の密売人で、専売制の強化で軍が投入され追い詰められ反乱を起こしたのが始まり。都市を攻撃しながら移動を続け、流賊と呼ばれた。江南もその被害を受け、流民を吸収し数十万の勢力となり、長安を占領、黄巣は皇帝に即位し、南北朝以来の貴族をことごとく黄河に投げ入れて虐殺し、貴族の家系は絶えたと言われている。唐朝は、軍事力がなかったので黄巣軍の武将に帰順を呼びかけ官位官職を与えることにした。これが功を奏し唐に有力武将が寝返り形勢が逆転、黄巣は自殺して反乱は終わった。

しかし、中国全土の節度使は軍閥化し、唐朝は形骸化、907年開封の節度使・朱全忠(黄巣軍の元武将)が唐を滅ぼし、後梁を建国した。開封は大運河と黄河の合流地点であるが、中国全土を支配する力などなく、黄河流域をかろうじて勢力範囲としただけで、各地域の節度使が次々に建国、五代十国と呼ばれる分裂時代に入る。

2022年3月10日木曜日

受験の世界史B 研鑽ー56

https://xn--mprwb863iczq.com/%E6%AD%A
6%E9%9F%8B%E3%81%AE%E7%A6%8D/
随末期は、各地に農民や随の高官などが反乱を起こし混乱していたが、これを収拾したの随の将軍であり、武川鎮軍閥出身で楊堅より格が上の家の出で元同僚、煬帝とはいとこ同士(母が鮮卑族貴族で姉妹)という李淵(りえん)であった。よって、随の官僚や軍人に抵抗なく受け入れられ、随の統治組織をそのまま引き継いで、が成立した。(616年)

事実上の建国者で二代目皇帝となった李淵の次男・李世民(りせいみん:後の太宗)は中国史上三本指に入る名君とされている。その治世は貞観の治と呼ばれる。(多分に大運河による経済的恩恵も大きい)太宗は、随の均田制・租庸調制・府兵制を引き継ぎ、これに法的な整備を加えた。律令格式である。中央官制は、三省六部制で、三省は、中書省(ちゅうしょ)・門下省(もんか)・尚書省(しょうしょ)である。中書省は皇帝の意を受けて法令を文書化し、門下省は南北朝以来の名門貴族がそれを審査し拒否権をもっていた。(名門貴族が官僚機構に完全に取り込まれたとも見える)門下省の審査を受けた法令は尚書省に属する六部吏部(りぶ:官僚の人事)、戸部(こぶ:財政)、礼部(れいぶ:教育と官僚登用試験)、兵部(へいぶ:軍事)、刑部(けいぶ:司法)、工部(こうぶ:土木建築)に送られた。

対外政策では、臣従してきた周辺諸民族の長に、地方官の役職を与え、都護府(とごふ)という役所に監督させるという実質的に自治を認める緩やかな支配(=羈縻政策:きび/馬や牛をつなぐ紐の意)を行った。

続いて、唐中期の武韋の禍について。第三代の高宗は高句麗を滅ぼしたが、優柔不断な皇帝だった。彼の皇后が、武后(もともとは父太宗の後宮にいた)で、百官の前で判断に困ると背後の簾の奥にいる武后の進言を聞いていたという。高宗の死後、実験を握ったのは武后で、息子の中宗(在位683ー684)を立てるが意に沿わなかったので退位させ、さらに睿宗(在位684-690)を立てる。しかし気に入らず、ついに自らが皇位につく。中国史上唯一の女帝武則天(在位690-705)の誕生である。国号も李から武に変わったのでに変えられた。一般に武則天は則天武后と呼ばれるのだが、これは彼女の帝位を認めたくない立場からの呼び名である。彼女の政治に対しては、北周ー随ー唐と続いてきた支配者集団は非協力的であった。鮮卑系の軍人でも南朝の貴族でもない故である。そこで、武則天は、中央だけで実施していた官僚試験を地方に拡大し、自分に従う新官僚集団を形成した。また1000人を超える貴族やその家族への粛清も実施、最晩年には中宗が再び即位した。しかし今度は中宗の后のが中宗を毒殺、末子の殤帝(しょうてい)を傀儡として、次に自ら即位して実権を握ろうとしたが、李隆基(後の玄宗:第9代皇帝)が政変を起こし、その父である睿宗(えいそう:高宗の八男・第5代・第8代皇帝)が再び即位した。

…久しぶりに武韋の禍を再研鑽した。教えた記憶はあるが、これを教えたのはいつだったか。思い出せないほど昔である。

2022年3月9日水曜日

受験の世界史B 研鑽ー55

https://www.recordchina.co.jp/pics.php?id=79256
このところ多忙で、世界史の研鑽が止まっていた。今日は、随のことをエントリー。ネタ本はやはり「なぜ?がわかる世界史」である。

随は、北魏にルーツがある。辺境に置かれた軍団が6つあり(六鎮)、その中の一つ、武川鎮(ぶせんちん)が、北周の支配者軍団となり北周の外戚・楊堅(後の文帝)が589年南朝の陳を滅ぼし、中国の統一を実現した。南朝も北斉も華南の貴族文化に侵され軟弱化していたのに対し、楊堅の妻は鮮卑族の有力貴族出身であり、楊堅自身は漢民族であったとしても実質的には鮮卑貸していたと思われる。

ここからは受験用語的になるが、随の土地・税制度は、北魏の伝統を次いで、均田制租庸調(穀物・労働力・特産品)制をとり、均田農民には兵役を課していた。これを府兵制といい、随王朝は、豪族に頼らない軍事力を持つことになった。官僚登用制度は選挙制(後の科挙:宋代から)の採用が始まったが、官僚はやはり貴族が多く、ただこの貴族は地方官にはなれなくした。豪族的な要素をなくし、徐々に王朝(=皇帝)権力に依存させていった。

南朝が江南(長江より南)に開発した農業地域を北部(首都は西安の近く大興城:だいこうじょう)と結ぶ大運河(杭州→北京近郊:1500km)を建設、以後の中国の発展に大きく寄与した。

文帝の死後、あとを継いだのが煬帝(帝をだいと読むのは貶める意)で評判が悪い。人民を徹底的に酷使し、女性までかりだした。また高句麗遠征でも多くの戦死者を出し、恨みを買ったのである。

随は冊封体制(さくほう:周辺国との形式的な君臣体制)をとり、東突厥なども臣従したのだが、高句麗は、東突厥と同盟を結び随に対抗しようとした。612年第1回高句麗遠征が行われるが大敗。翌年の第2回遠征では後方支援の大臣が反乱を起こして撤兵。随の政権内部の乱れが表面化し、全国各地で遠征への不満が爆発し民衆の反乱が起こり、第3回を実施するも反乱でそれどころではなく、高句麗は形だけの幸福をしたが、実質的には敗北した。618年、親衛隊長に煬帝は暗殺され、随は滅びた。

607年小野妹子が遣隋使として、聖徳太子の有名な国書「日のいずるところの…」を渡すが、これは対等の立場を表しており、冊封体制にそぐわない。これは、高句麗の仏僧で太子の師であった慧慈が、倭が髄と同盟を結ぶことを止めたのではないかという仮説を著者は紹介している。この話、なかなか面白い。

2022年3月8日火曜日

ウクライナに露製戦闘機送付?

http://m3i.nobody.jp/military/ef2000menu.html
ウクライナに、ポーランドなどロシア製の戦闘機を送り、その補充は欧米製の戦闘機を良い条件で譲るというニュースが流れている。真意の程や実現性はわからないが、今回のウクライナ戦争の真実が透けて見えたような気がした。

たしかに、ウクライナに米国製のF16やF18(F22やF35は送ることはないだろうと思う)、あるいはユーロファイター・タイフーンやダッソー・ラファールを送ってもすぐに運用できるわけがない。ロシア製のミグやスフォーイならすぐ運用できる。一面では現実的な選択のように見える。問題は、その補填である。NATOとしては、装備の統一性が進むという利点もあるが、結局のところ、欧米の軍需産業が大儲けするという話ではないか?

結局誰がこのウクライナ戦争で得をするのか?この戦争の真実が透けて見えるというのはそういう意味である。今回のウクライナ戦争では情報戦が繰り広げられ、見えにくいのだが、このニュースが実現すれば、何かが明らかになる気がする。

https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-usa-aircraft-idJPKBN2L507G

2022年3月7日月曜日

春季講座 西洋哲学史


5日間の自宅勤務と休日が開けて、今日から塾が再開である。18日に終業式があり、私はそこまで。
そんな中、2年生のⅡ型(進学コース)文系のNさんに倫理の講義を始めた。来年倫理で共通テストを受けたいとのこと。三崎高校のⅡ型文系は3年で履修なので、完全な先取りの実質10日間の受験対策である。予備校の春季講座といったところか。(笑)

毎日2時間程度で少なくともエキスは伝えることはできる。マレーシアPBTで作った西洋哲学史+αを使って、今日は3つのコンフリクトと、ギリシア哲学をやった。明日は、一神教、明後日は近代哲学に入ってカントまでという感じ。興味を持っていて、しかも理解が早い生徒なのでどんどん進める予定だ。私としても、最後の最後だし、楽しんでやっている。

2022年3月6日日曜日

三崎上空の爆音と私

三崎に来て2年半。いつからだろうか。プロペラ機の爆音が住まいや学校で 毎日のように聞こえるようになった。岩国基地に向かう米軍機に違いない。三崎はその通り道である。

私同様、航空ファンの妻が調べると、KC-130J スーパー・ハーキュリーズだとよく言っていた。17:40 、今日は雲ひとつない晴天で久しぶりに機影を見ることができた。

確認すると、予想どうり沖縄の嘉手納基地から岩国基地への飛行していた。

https://www.flightradar24.com/33.24,132.15/10

米軍の動きと、ウクライナ、あるいは中国と台湾の問題と関係あるのかはわからないが、なにか嫌な感じがする。

しかしまあ、米軍機は我が物顔に、自由に飛んでいる。日本の空はアメリカの領空であるといってよい。今回のウクライナの問題でも、完全にアメリカの子分だ。コロナ禍のワクチン問題も同様。

米軍機の爆音を聞いて、いつもそんなふうに考える今日此頃なのである。

2022年3月5日土曜日

PCを弄って気分転換

新しいPCが入ったが、これはあくまで通勤&授業用。やはりDELLのPCが主体になる。4月からも頑張ってもらわないと困るのでDELLのパソコンも気分を変えるために、You Tubeを見ながら、いろいろと弄っている。

特にパソコンを早くするためのアプリ削除(最大の削除は市販のウィルスセキュリティーをアンインストールして、Windowsセキュリティーに任せたこと)や、ブルーアイ防止のために夜間用ディスクトップにした。

そしてGoogle Chromeのデザインを変え、様々な拡張アプリを設定したことなどである。入れたのは、AdBlocck、 Bity、Black Menu for Google、get memoなど。どれぐらい私に役立つかはわからないけれど、気分が高揚したことは間違いない。しかもこれは、新しいPCにも同期している。

長いこと、DELLはただのツールにすぎなかったのだが、愛着が湧いてきたのであった。

2022年3月4日金曜日

2014 オデッサの悲劇

You Tubeに、2014年のオデッサの悲劇のドキュメントがアップされていた。様々な情報が入り乱れているが、オデッサ在住のロシア系市民がウクライナ人に虐殺されている内容である。

https://www.youtube.com/watch?v=1EZay_KOxJE

これを見ると、ウクライナ人の民族主義者、ロシア系の分離主義者、どちらが善でどちらが悪であるのかわからない。昨日も述べたが、アメリカ的な善悪二元論は実に危険だと思う次第。

2022年3月3日木曜日

国連 ロシア非難決議 考

https://www.afpbb.com/articles/-/3392932
いろいろな情報が入り乱れており、ウクライナ問題、いや戦争と言ったほうがいいのだろうが、今日は現時点ではっきりしている情報(国連のロシア非難決議)をもとに今考えていることをエントリーしたい。

本日の国連総会でロシアへの即時撤退を求める非難決議を賛成141カ国、反対5カ国、棄権35カ国、(無投票12カ国)で可決した。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/united-nations_jp_62201364e4b0a7b54cd909c1

反対した5カ国は、ロシア、ベラルーシ、北朝鮮、シリア、そしてエリトリア。       

…当事国であるロシアとあとの3カ国は当然である。エリトリアは、エチオピアから分離独立した紅海沿岸の国で、難民を大量に出しているこれも独裁国家である。独裁国家へのシンパシーだろうか。なんとなく理解できる。共通点はそもそも西側から非難轟々故に怖いものなしである。ここに、中国とイランが入っていないのは、さすがに反対票は…という逡巡があったのだと思われる。

棄権は、中国、インド、アルジェリア、アンゴラ、アルメニア、バングラディシュ、ボリビア、ブルンジ、中央アフリカ共和国、コンゴ、キューバ、エルサルバドル、赤道ギニア、イラン、イラク、カザフスタンキルギス、ラオス、マダガスカル、マリ、モンゴル、モザンビーク、ナミビア、ニカラグア、パキスタン、セネガル、南ア、南スーダン、スリランカ、スーダン、タジキスタン、ウガンダ、タンザニア、ベトナム、ジンバブエ。

無投票は、アゼルバイジャン、ブルキナファソ、カメルーン、エスワティニ、エチオピア、ギニアビサウ、モロッコ、トーゴ、トルクメニスタンウズベキスタン、ベネズエラ。

賛成国は、多いので割愛。

…まず注目したいのは、元CIS諸国(下線のある国)。反対したのはベラルーシのみ。棄権はアルメニア、カザフスタン、キルギス。無投票はアゼルバイジャン、トルクメニスタン、ウズベキスタン。賛成はウクライナ、モルドバ、ジョージア(旧グルジア)。ロシアと関係の深いCISとしては、棄権もしくは無投票が無難なわけだ。ジョージアは、親西欧反ロシア姿勢が明確なので賛成は当然。モルドバは、中立的な立場であるが、国内に親ロシアの沿ドニエストル共和国を抱えているため、今回は反ロシアという態度を明確にしたといえるだろう。

…棄権している国では、過去にソ連時代から(経済支援・軍事支援も含めて)影響を受けてきた左派政権だった国が多い。欧米諸国とロシアを天秤にかけた結果、賛成票まで踏み込めなかったのだろう。中国、インド、アンゴラ、ボリビア、キューバ、エルサルバドル、モザンビーク、ニカラグア、ベトナムなどである。赤道ギニアなどは、エリトリアよりちょっとマシくらいの独裁国家だし。ジンバブエも今やはっきりと反欧米を掲げれなくなったわけだ。無投票というのは、国連総会欠席国と見るべきだろう。ブルキナファソはクーデター後と金鉱爆発で大変なんだろう。ベネズエラもは経済破綻で反米を言っている状況ではないのだろう。またラオスは中国に経済支配され外交権を奪われたような気がする。

…賛成国で意外なのが、ミャンマー軍事政権。かのリビアも賛成に回っている。過去にNATOに痛い目にあったセルビアもである。内戦の収まらないソマリア、そして支援してくれているイランが棄権してるのにイエメンが賛成票である。

…国連の決議の票を見ると、利害の計算のみで投票されたように思う。まあ外交というのは国益を重視するのは当然といえば当然なのだが、特にEU側(中立国の誇りを持っていたが徐々にNATOに寄りだしたスェーデンも含めて)は、ウクライナに武器を贈り支援しているが、SWIFTでは、及び腰(全てのロシアの銀行のドル決済を禁じたわけではない)である。ロシアのガス供給の余裕をもたせているようだ。ロシア国内では、ルーブルが大下落し民衆はパニックにはなっているが、肝心の経済中枢は生き延びているようだ。(最終兵器として全面禁止を残した二段階)戦略かもしれないが、深いところでEUは、経済的損害をできるだけ回避しょうともくろんでいる。結局、出来レースなのかという疑念がある。

愛国心に燃え、老いも若きも女性まで命がけで戦っているウクライナの人々の安全が第一ではないのではないのか。戦争とは、かくも残酷なものである。このところ世界史を研鑽していて思うのは、国家間の戦争において、(親族・知人にとっては重くとも、不特定多数の)ヒトのイノチほど軽いものはないということだ。

…あるアフリカに深く関わっている人物のYou Tubeで、戦争反対という前提で、批判を恐れずに言えばという前置きがあって、「今回のウクライナ戦争は白人が被害者であるということで大きな問題になっているのではないか?」という意見があった。確かに、アフリカの様々な紛争は無視され続けてきた。ルワンダの時も、ウガンダのときも。あのソマリアで米軍が引いて以来、報道も支援も今回の規模の何百分の1ではないか、という主張だ。アフリカ・ウォッチャーである私もそういう視点に対して同感である。

…マスコミは、大いに悲惨さを垂れ流している。プロパガンダも未確認情報も垂れ流している。何が正しくて、何が悪なのか。アメリカは、こういう善悪二元論的思考が大好きだが、ロシアだけが悪だとは私は思わない。決議案に賛成票を投じた側も悪、棄権した国も悪なのではないだろうか。とにもかくにも、早期に平和を回復して欲しいのだが、残念ながら平和学ではその反対(紛争仲裁は双方が疲れるまで待て)のセオリーが主流である。

2022年3月2日水曜日

受験の世界史B 研鑽ー54

3日・4日は、県立高校の入試で、本日2日はその準備日である。三崎高校の先生に聞くと、大阪同様の準備が行われるようで、県教委まで入試問題を取りに行き、使われる教室は整備され、封鎖される。私も大阪でイヤというほどやってきた。準備日・入試当日は当然、塾は開塾できない。

というわけで、この3日間自宅勤務日である。そんな朝、郵便局からまたまた購入した世界史の参考書が送られてきた。「世界史用語マルチ・トレーニング」(もちろん古本)である。

このマルチ・トレーニングは、1つの単元が3つに分かれている。①基礎的な用語・それにプラスする用語が文章化され整理してあるた文章編 ②地図で地名を定着化する地図編 ③年表で整理した年表編 となっていてこれはなかなかスグレモノで使いでがありそうだ。

授業をする側としては、理解させることと、暗記すべきことをいかに定着化させるかということが重要である。未だどういう世界史の授業をすることになるかわからない。演習形式になったとしたら、この本は良き相棒になりそうだ。

2022年3月1日火曜日

卒業式の日に

3月1日は、今年も卒業式である。今年の3年生には共に過ごした時間も長く、思い入れもある。コロナ禍のため、昨年は遠慮してFacebookのLIVEを見たが、今年は最後だし、会場で参加させていただいた。

来賓席には、町長、教育長、同窓会長、PTA会長。三崎に来て2年半。それぞれ懇意にさせていただいている。石の上にも3年とはよく言ったもんだと思う。

今回の卒業式はかなりオーソドックスだった。思い出の詰まったビデオの上映もなく、在校生は昨年同様、FacebookのLIVEで参加。昨年は、卒業生は退場する時、ZOOMを使って在校生が拍手を送っていたが、今年はなし。と、思っていたらサプライズ。3年生の教室は3階なのだが、1年生の教室のある1階廊下には1年生がズラリ。見ると3階の渡り廊下には2年生が並んでいた。しかも、吹奏楽部の生演奏で校歌が流れている。その中を3年生が感涙しながら歩み、階段を上がり、渡り廊下でも歩んでいく。来賓も校長室へ下がる足を止めて、この様子をじっと見ておられた。いい学校だと…。

最後の最後に在校生の温かいサプライズ。卒業式で泣けるのは教師の醍醐味である。

今年も卒業生の塾生たちが挨拶に来てくれた。卒業アルバムに、今年もまた「理想に生きることをやめた時青春は終わる」と書き込んだのだった。

*三崎高校のFacebookの最後の最後、1:58:00くらいからその様子が見れます。

https://www.facebook.com/%E6%84%9B%E5%AA%9B%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E4%B8%89%E5%B4%8E%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1-1088148851361061/?modal=admin_todo_tour