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2023年2月28日火曜日

大晴天の卒業式

学園の106期生の卒業式。立派な「小寺(校祖の名を取っている)ホール」にて挙行されました。大晴天の一日。久しぶりに3年生の顔を見て大満足。小論文などの個人的指導で関わった生徒たちも、職員室に来てくれて、ありがたいかぎり。心配していた超難関私大・W大を受験していた生徒とも合格を祝う握手ができました。

本来なら、今頃は梅田に向かい、八幡浜行の夜行バスに乗るところですが、断腸の思いで断念しました。卒業式のハシゴが出来ず残念です。三崎高校の卒業生、ごめんね…。

2023年1月30日月曜日

AI &トロッコ問題

https://atmarkit.itmedia.co.jp/ait/articles/2011/25/news010.html
「答えのない世界に立ち向かう哲学講座」にあるディスカッションのテーマで、最も扱いにくいだろう問題は、「トロッコ問題」である。上の画像にあるように、暴走するトロッコが来る。線路が分かれているのだが、メイントラックには5人がいて、サブトラックには1人がそれぞれ線路上にいる。この暴走トロッコをどちらのトラックに行かせるべきかという倫理的なジレンマがトロッコ問題である。小中学校で、一部の子供に心理的不安を与えたらしく、問題になったとか。たしかにちょっと恐ろしい問題である。

このトロッコ問題、やがては訪れるであろう「自動運転車」の解決すべき最大の問題である、とMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究者がと発言し、注目されている。自動運転車のトロッコ問題は、前方にタンクローリー車が横転してしまった場合で、車の左側に子供が、右側では老人がそれぞれ横断中。そのまま前進するとタンクローリに衝突し、左にハンドルを切れば子供が、右にハンドルを切れば老人を轢いてしまうという状況下で、自動運転をどうプログラミングするか、という問題なのである。さらに、子供が自分の子供であった場合や、老人が上司であった場合、あるいは子供も老人も3人グループである、など様々な追加条件を想定するそうだ。車の購入者であるという立場を離れると、MITの「モラルマシン」のアンケート結果では、最大多数の最大幸福という功利的原則を選ぶらしい。

シンギュラリティ(技術的特異点)仮説というのがあって、2045年にAIが人間の知能を超えるらしい。かのホーキング博士が「いつの日か、自立するAIが登場し、とてつもない速さで自己改造を始めるかもしれない。生物学的進化の速さに制限される人間が対抗できるはずもなく、いずれ追い越されるだろう。」と述べている。このAIは、相互に結ばれた巨大なネットワーク知能となり、一つの機械を壊したところでどうにもならないといわれている。

…今日のエントリーはここまで。ところで、今日は首都圏の国立超難関校に挑む3年生に前期試験の世界史の指導、来年超難関私大に挑む2年生の相談にも応じた。学園に来てレベルの高い授業をしているが、こういう関わりができることに大きな喜びを感じている次第。

2023年1月29日日曜日

「探究の授業」を考える。

先日、学園の食堂で、社会科の若い先生に声をかけられた。「探究の授業について、」だった。高校の社会科は大きな転換点を迎えている。思考を重視したワークショップ的な授業が求められている。共通テストも、そのベクトルで作成されている。現場では、試行錯誤が続いているのである。

今読んでいる「答えのない世界に立ち向かう哲学講座」は、倫理の思考トレーニングにはかなり役立ちそうである。本編では、AIの問題、生命倫理(バイオサイエンス)の問題、さらに資本主義の終焉が叫ばれる中で、その先を思考するといった講座の様子が描かれている、

問題は、この講座の対象はビジネスパーソンであることである、高校生ではない。とはいえ、参考になることは間違いがない、たとえば、AIの答えのない問題。Iが進歩し、たとえば自動車の完全自動運転となった時の責任は、製造会社にあるのか、使用していた人間にあるのか、はたまたAIそのものに責任があるのか。AIを法的に法人のような概念で取り扱うのか、人間並みにするのかなど、面白いが複雑な論議がなされていく。

浦沢直樹の漫画に『PLUTO』というのがある。手塚治虫の『地上最大のロボット』のリメイク版で、アトムもウランも出てくるが、ドイツの刑事ロボット・ゲジヒトが主人公で描かれている。このゲジヒトは、アトム同様AIによって人間同様に思考する。(もちろん計算スピードは比べ物にならないが…。ここではロボットの権利が認められている。ただし、人間を殺さない、というプログラミングがされている。そういう一面からは二級市民的な法が施行されている。AIが進歩し、ロボットと共存する未来社会を作者は設定しているわけだ。現実には、この論議は進んでいない。

さて、図書館への返却までに、少しずつこの本の「探究の授業」に役立ちそうな内容をエントリーしておこうと思う。

2023年1月26日木曜日

JR 昨日の後遺症

今朝の通勤に昨日の後遺症が出ることは十分予想できた。それで、1本早い、しかも快速で三田に向かったのだが、学園到着は30分ほど遅れた。通常だったら、2時間目から始まる授業に間に合わなかったかもしれない。

今日は、尼崎駅の手前の鉄橋(画像参照:神崎川橋梁/google map)で21分間(車内アナウンスによる)止まった。最初は信号待ちというアナウンスだったが、東海道線はどんどん隣の線路を走っていく。JR貨物まで走っていたぞ。不可解な停車だった。途中で、「2番線ホームに入れるよう、駅側と交渉中」というアナウンスが流れた。2番線はそもそも東西線から宝塚線に行くいつもののホームである。まったく意味がわからない。JRへの不信感は高まるばかりだ。

他の私鉄(京阪や阪急、近鉄や南海)では、昨日も朝から運転をしていた。JRだけがこの”体たらく”であると言われても仕方がないだろう。未だに評判が悪い国労や動労以来の組合の問題もあるのだろうか。JRは私鉄のようで私鉄でない、ベンベン。

2022年12月8日木曜日

12月はSANTA駅

通勤で利用している神戸電鉄の三田駅に、「12月はSANTA駅」という看板が掲げられている。神戸電鉄はなかなか粋なことをしている。そもそも運転席にマスコットを置いているし…。(笑)

先日の朝は、凄い霧の朝だった。JR武田尾駅くらいから霧が出ていて、JR三田駅さらには、学園まで霧に覆われていた。美しい紅葉もそろそろ落ちきってしまいそうな12月である。「三田の冬は寒いですよ。」と先生方に脅かされている。(笑)

*是非、画像を拡大してみてみてください。

2022年12月2日金曜日

W杯 スペイン戦勝利に驚く。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221201/k10013910191000.html
W杯スペイン戦は、今日の夕方4時からだと勘違いしていた。授業でサッカー部の生徒と話をしていて、「朝4時からでしたよ。2-1で逆転勝利しました。」「ええええっ」という感じで、日本代表の勝利&決勝リーグ進出を知ったのだった。信じられない話だ。映像で、追いついたゴール、逆転のゴールを見た。両方ともホント、紙一重のゴールである。

夕食時に、ヨーロッパをひたすら旅しているYouTuberで、今はドーハに滞在している「しげ旅」を見た。生で、ドイツ戦とスペイン戦を見た感動と緊張はすごいだろうなあ。それと同時に、コスタリカ戦の敗戦は、どれだけ落ち込んだだろうと胸を熱くした次第。

https://www.youtube.com/watch?v=GR0GH30mLxM&ab_channel=%E3%81%97%E3%81%92%E6%97%85

見事にすべての予想を裏切っての一位通過である。クロアチアも強豪だが、どうなるかわからない。やっぱ「苔の一念」やで。日本のサムライは…。

2022年11月8日火曜日

紂王と妲己

http://kazatomidori.web.fc2.com/fox/01.html
久しぶりに授業の話をエントリーしようと思う。倫理の授業で、朱子学・陽明学・古学さらに国学とかなり早いスピードで授業を進めていた。古学の系譜の中で、荻生徂徠の古文辞学に、先王の道というのがある。ちょっと世界史を選択している生徒に聞いてみた。「孔子」は何時代?「春秋です。」その前は?「周です。」その前は?「殷です。」その前は?「夏です。」この辺はさすが進学校である。すっと出てくる。荻生徂徠の言う「堯・舜」というのはさらにその前の神話時代の王の名で、孔子が理想とした君主である。

ところで、国学の本居宣長は古事記伝を著した。古事記のほうが日本書紀より優れていることを記しているのだが、中国の易姓革命的記述は日本書紀には見られるが、古事記にはない。つまり漢意(からごころ:外来思想の意味)がないわけだ。ここで易姓革命について質問してみた。まだ黒板(正確にはホワイトボードだが…)に殷も周も書いてある。「殷と言えばとんでもない王がいたが、誰?」これはさすがにすっと出て来ない。だが、世界史が得意そうな生徒に当ててみると、「紂王です。」と出てきた。全クラスで答えてくれた。うむ。いいぞ。ではその奥さんは?「妲己です。」これはさすがに文系クラスの中において超優秀と言われている生徒のみ答えれたのだったが…。おお。よく出たなあと感心した。出たところで易姓革命を語る。世界史組はよくわかっているが、日本史組はあまり知らない。

高校の世界史も日本史もかなり内容が濃いので、選択制になっているが、専門化しすぎて両者に倫理を教えるのにはちょっと難儀する。近代哲学史は世界史組有利、日本思想史は日本史組有利。両者共にある程度知っているのが理想である。今の1年生から歴史基礎(世界近代史+日本史近代史)と地理基礎がそれぞれ2単位で必修になったのだが…。

2022年11月4日金曜日

サクラサク 2022.11.4

https://photonorichan.kyo2.jp/e527198.html
朝、学園に着くなり小論文指導をしている女生徒が私を訪ねてきた。D大合格の報であった。面接入試で合格したので、小論文指導は必要なくなったのだが、指導を続けて欲しいとのこと。嬉しいねえ。

昼休みには、また小論文指導をお願いしたいという生徒が現れた。MARCHの一角、経営学部だそうだ。経営学部の小論文指導は初めてである。これまでのテーマを来週持参するとのこと。これを見て、類推し、どんな模擬問題を作ろうか、今から楽しみである。

こうして依頼されることは、それだけ信用してくれているということである。ありがたいことだと思う。

2022年11月3日木曜日

サッカー部 準決勝

我が学園サッカー部はインターハイに続き、全国選手権を目指して、ユニバーシアード記念競技場で、県大会準決勝の日である。相手は、野球でも有名なH学園。

実力は伯仲していた。しかし後半にゴール前の混戦から1点を奪われた。その後も攻め続けたのだがおよばず負けてしまった。サッカーは時間が決まっているので、勝っていると時間稼ぎをするのは常套手段だが、自ボールのコーナーキックで、ボールを何人かで囲うという時間稼ぎを相手校は2回もしていた。ルール上は問題はないだろうが、なんとも後味が悪い。これが学園側がおこなったとしても私は憤慨していただろう。質実剛健の校訓に反するからだ。

なんども惜しいシーンがあった。フリーキックがバーを叩いたときは、前にいるサッカー部員たちとともに頭を抱えた。教え子たちは奮闘していた。いいプレーも度々あった。勝負はまさに時の運である。3年生にとっては最後の試合。青春の輝きを今日も見せてもらった。ありがとう。

ところで、先日超難関私大に合格した三崎高校と縁のある生徒も応援に来ていて、新世紀リーダー塾でともに頑張ったR君が難関国立大学に合格したことを伝えてくれるようにとの報告を受けた。Facebookが閉じられていて心配していたのだが、よかった、よかった。

…これで学園が勝っていれば、と思うのは貪婪というものかと思う。

2022年11月1日火曜日

サクラサク 2022.11.1

https://www.keio.ac.jp/ja/news
/2008/kr7a43000000rrbi.html
PBT、三崎高校と新世紀リーダー塾繋がりのある学園の生徒が、今日東京の超難関私大の入試でサクラが咲いた。

1学期から小論文や口頭試問の対策を頼まれて、私も真剣に対応してきた。4月に私が来ることを唯一、事前に知っていた生徒である。その彼と関わり、共に頑張ってきた。なにより本人の努力の賜物だが、ほんと学園に来させていただいて良かったと思う。

くしくも合格発表の時間は、私の倫理の授業の時間と重なっていた。これも奇遇としか言いようがない。(笑)休み時間になって、三年生の職員室で、本人は祝福を受けていた。私にも担任の先生を始め多くの先生方から、感謝の言を頂いた。ありがたいことである。彼には大きな志がある。東京で大いに学び、実現して欲しいものだ。

2022年9月11日日曜日

SDGsの包摂的という語彙

SDGsが国連から発表され、その直後、外務省の作成した和訳を読んで絶望的な気持ちになったことを思い出す。直訳的で、MDGsを良く知っているつもりの私でもかなり意味不明の文章だった。あれから7年。様々な機会でSDGsを説いているのだが、高校生以上に対しては、やはり17のゴールの説明や関わりだけでSDGsを教えた気になってはいけない、ターゲットを読ませたい、というのが私の持論だ。

画像にある「質の高い教育をみんなに」というのは、後に意訳されたゴールのタイトル。下の二行が本来のタイトルである。このゴールの中にターゲットがそれぞれ書かれている。SDGsのターゲットも、最初の和訳当時よりはいくらか読みやすくはなっているが、いくつかの難解語が登場する。

その最たるものが「包摂的」という語句である。広辞苑といいたいところだが、とりあえずwebkioで検索すると、『1.一定の範囲の中に包み込むこと 2.論理学で、ある概念が、より一般的な概念に包み込まれること。特殊が普通になる関係。例えば、動物という概念は生物という概念に包接される。』となっている。

この包摂的という語彙はゴール内容やターゲット内容にかなり登場する。それだけSDGsの基本概念に関わっているわけで、私は最近、包摂的とは「No one left behind.」(誰ひとり取り残さない)という意味だと教えている。SDGsの理想主義的な決意というか提唱なのだが、極めて重要な概念である。

先日、ある3年生に「No one left behind.」を訳してみてと言ったら、「誰も置き去りにしない」と、受験英語では100点満点の和訳をしてくれた。さすがである。

2022年8月28日日曜日

自由貿易のデメリットは何か?

https://www.youtube.com/watch?v=uJfL6ucbRxg&ab_channel=%E7%B5%8C%E6%
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2年生の政経は経済分野に入る。先日プリントを用意していたのだが、まずはアダム・スミスからフリードマンまでの経済思想になる。その後、一気にリカードの比較生産費説に触れることにした。リカードは言うまでもなくイギリスの経済学者である。アダム・スミスとともに、当時世界の工場として君臨していた母国の国益のために、比較生産費説=要するに自由貿易をした方が生産性が向上するという証明をしたわけだ。

関税をなくし、自由貿易をすると互いに儲かる。比較優位の生産物に特化すべきだという主張は正しい。ただ、自国の工業化発展のためには、必ず保護貿易化が必要で、いつまでもイギリスだけを工業国にしておく訳にはいかない。保護貿易を訴えたドイツの経済学者のリストは不遇をかこったが、優秀な為政者であるナポレオンもビスマルクもそう考えた。

自由貿易の利点は、生産性だけではない。WWⅡの太平洋上で、ドイツの攻撃をなんとか凌いでいたチャーチルと参戦前のF・ルーズヴェルトが、戦後世界は自由貿易体制であるべきだと結論付けた。この辺のアングロサクソンの深い洞察には恐れ入る。各国が、貿易で繋がっていれば、自国も経済的被害を受けるが故に戦争を回避できるだろうという想定は正しい。(実際には、ウクライナ戦争など、この想定を上回る事態が起こっているのだけれど。)そういう意味で、IMFも世界銀行も、現在のWTOの存在意義はあるといってよい。

しかし、と私は思う。社会科学というのは、一定の方向からだけではなく、違う方向からの視点も必要だ。今回の授業では生徒にそれを問いたいと思う。すなわち、自由貿易のデメリットは何か?という問いである。

それは、西ヨーロッパ諸国が、イギリスに対抗して保護貿易を行った時期に自国の工業を育成したことである。これには、かなりの資本蓄積や技術蓄積と自由な賃金労働者の存在が不可欠である。しかるに、途上国にはそういう保護貿易の時間を与えることなく、自由貿易を強要した。特にIMFと世銀の責任は重い。IMFの短期、世銀の長期融資には、自由貿易体制の堅持姿勢が必要で、工業化を進めさせない、原料供給地という植民地的構造を護るという先進国の構造的暴力だといっていいだろう。運良く、海外資本の進出で工業化が進んだマレーシアをはじめASEAN諸国もある。しかし、私のフィールドであるサブサハラ=アフリカ諸国では、完全にその芽を摘まれてしまった。こういう話もしてみようかと思う。もしかしたら、開発経済学の道に進む生徒が生まれてくるかもしれない。

2022年8月21日日曜日

結局「美しい日本の私」

夏期講習の日本思想編。第1講は日本古来の思想+国学、第2講は儒家:江戸期の朱子学とそのアンチテーゼとしての陽明学と古学、第3講は日本の仏教のオリジナル化・天台を中心に鎌倉仏教、第4講は日本思想史で最も高校生が理解に苦しむだろう西田幾多郎を中心に、という構成でプリント化した。きっちりと時間配分ができそうにはないので、最後に演習問題も入れて先ほど完成した。

さて、最大の難関は、西田幾多郎の哲学である。今回は、まず世界に禅を広めた鈴木大拙を導入にした。何といっても西田と鈴木は友人で、ともに臨済禅を極めた「在家」である。(そもそも臨済は不立文字である。出家には「禅と日本文化」を出版すること、まして英語で、はできない。笑)さて、鈴木大拙は、西洋哲学的な主観や個体を否定し、「無分別の分別」という概念を、日本的霊性という宗教意識で補充しつつ深めている。鎌倉以降、浄土系の思想と禅思想が、慈悲と智慧をそれぞれ代表して日本的霊性を生み出しているとしている。

浄土系と禅。他力と自力の見事すぎる矛盾だが、ふと、私は、川端康成のノーベル賞受賞講演「美しい日本の私」の翻訳に助力したコペンハーゲン大学留学中の藤吉慈海氏を想起した。藤吉氏はこの両者を修していた珍しい学者である。川端の講演には、道元、明恵(鎌倉期の華厳宗の僧で昨年の共通テストで出題された。)、一休などの思想や国学的な様々な要素が散りばめられている。まさに鈴木の言う「日本的霊性」である。

さて、西田幾多郎も、西洋哲学的な主観による客観の分析・認識を否定する。こちらは「無分別の分別」とは言わず「主客未分」である。問題はやはり「純粋経験」である。主観が客観を認識する寸前、刹那の”もののあはれ”であり、我を忘れる感覚といってよい。西田は仏教用語を一切使わないのだが、天台の一念三千論の縁覚界に近い。西田は、この純粋経験こそ自己の本質で人格を形成するという。この純粋経験のある抽象的・観念的・形而上学的な場所は、「絶対無」である。この絶対無の場所で、「絶対的矛盾的自己統一」がなされるわけだ。対立を無化する、こうなれば、一念三千論では仏界というしかない。西田は、絶対無の場で善の人格を形成せよと言うわけだが、平たく言えば、禅定によって、悟り、宇宙と一体化せよと言っているに等しい。
禅は(座禅を組むだけでなく)一般生活をも含むとされているので、こんな風にも考えられる。煩悩即菩提。受験生はできればやりたくない受験勉強を、煩悩に動かされながらやっている。この煩悩こそ、勉めて強いる本質であるわけで、決して悪くない。そう、この対立は「絶対的矛盾的自己統一」と言えなくもない。

…まあ、結局のところ高校生には、第1講の和辻哲郎の時に紹介した「美しい日本の私」の「の」という助詞の捉え方が一番わかり易いと思うのである。ここから西田哲学も紐解く事が可能だと思う。

2022年8月18日木曜日

本田由紀氏の「教育社会学」

L君から先日贈呈された『古市くん、社会学を学び直しなさい!』(光文社新書)を読んでいる。社会学というのは、対象が広いし、その考察方法も様々である。この本は日本の著名な社会学者12人に社会学について改めて教えを乞う対談というカタチをとっている。著者の古市憲寿氏は、東大の博士課程に学ぶ院生だがTVで社会学者を名乗っているそうだ。(我が家にはTVがないので、どういう人物か私は知らない。笑)

今日は小論文指導があったので、通勤時間に教育社会学の本田由紀氏との対談を読んだ。本田氏は東大出身だが、教育への怒りを持っているそうだ。以下本田氏の意見の要約。

受験戦争や管理教育の本質は今も変わっていない、偏差値で輪切りにし、垂直の評価軸を設け、上からランキング化しながら、過度な受験戦争への反省から「人間力」や「コミュニケーション能力」といった新たな評価軸が設けられたが、人間の価値を他者と比較して相対化し、序列化する点では変わらない、学力という垂直軸の隣に、もう一つ名を変えた垂直軸が立てられたにすぎない。また、「非認知能力」(IQなど数値化できる認知能力以外の就学前に身につける人間力)の問題もますます重要である。ここには特に教育に対する経済格差が顕著に現れる。

また日本の教育自体が、企業に就職するための教育であること。仕事は、正規雇用による年功賃金のもとで、家族に給料を届ける役割を担い、家族は得た収入を、子供に高学歴や社会的地位を得させるための膨大な教育費へ投じる。そして教育は新規学卒一括採用の名のもと、若い労働力を仕事の世界へ送り出すことを担う。この循環(本田氏によると戦後日本型循環モデル)は、すでに回らなくなっているのだが、望ましい生き方に関する価値観や規範、発想はこの古いモデルに準拠してしまっている。そのために、循環モデルからこぼれ落ちて苦しむ人が増えている。

教育に対して意識の高い生徒なので、小論文指導の格好の教材となった。ちなみに生徒は著者の古市憲寿氏を知っていた。(笑)…いやあ、やられた。

2022年8月16日火曜日

夏期講習 倫理 の準備

今週の木曜日から、夏期講習(倫理)が始まる。先日少し日本思想は面白くないと感じている話を記した。やたら漢字の暗記が多くて、日本史が好きでない私としては苦手分野ではある。なかなか準備が進まなかったが、昨日今日と、追い詰められて(?)ようやく見えてきた。

今回も、日本の思想の重層性(日本古来の思想/儒教/仏教/近代思想)を最初にやるのだが、先日エントリーした和辻哲郎の「間柄」から話を進めることにした。和辻の原典(倫理学)やプリントの記述から、前述の4つの重層性のどれに最も関係が深いかを考察してもらおうと思う。

考察1:モンスーン型風土が生んだ共同存在が「間柄」という倫理思想の基盤にある。これはどれと最も関係が深いか?

考察2:『倫理は人間の共同存在をそれとしてあらしめるところの秩序・道』と原典にあるが、この発想の根底にある思考形式は、どれと最も関係が深いか?

考察3:「間柄」は「単なる人でもないし単なる社会でもない。」こういう思考形式はどれと最も関係が深いか?

考察4:『ここに人間の二重性格の弁証法的統一が見られる。』と原典にあるが、このロジックはどれと最も関係が深いか?

正解は、1が日本古来の思想、2が儒教、3が仏教、4が近代思想である。我々は、こういう多層性の中でチョイスしながら思考しているということを理解して欲しいと考えている。

日本古来の思想については、国学とリンクした。国学は普通もう少し後にするのだが、この方が理解しやすいだろうと思うし、柳田国男と折口信夫も最後に交えた。

儒学についても、朱子学を復習しながら、どう日本的なオリジナル化がなされているかを整理した。林羅山の存心持敬は、居敬窮理の言い換えである。っ上下定分の理も名分から導かれたオリジナル、三徳(智・仁・勇)も『中庸』を朱子が注釈したものをあえてピックアップした感じである。

この朱子学へのアンチテーゼが、中江藤樹の陽明学と、山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠の古学である。古学の方は、徐々に専門的になっていくのが面白い。孔子孟子に帰れというのが素行、中国古代語を習得し正しく研鑽せよというのが仁斎、さらに孔子らが参考にした堯・舜の時代の探究にまで進んだのが徂徠。

長い間、思案していたが良い講義ができそうだ。後半は、日本仏教と西田幾多郎を中心に近代思想をやるつもりである。西田哲学は、禅がわからないと理解できない。鈴木大拙も入れようかなと思ってきた。

2022年7月29日金曜日

民主主義の問題とはなにか?

来週から政治経済の夏期講座が始まる。今日は、小論文指導と夏期講座の準備で久しぶりに学園に行ってきた。(先週は、自宅でひたすら教材研究をしていた。)政経なので、やはり話題になるのは、民主主義と資本主義である。民主主義の問題点と現在の新自由主義のグローバリゼーションの問題点について最終的に触れていく予定である。直接的に共通テストと関係ないかもしれないが、今年の新カリキュラムから始まっている「公共」という公民教科の改革点は、生徒が調べ、思索していく姿勢の育成であるから、意義は十分にあると考えている。

チャーチルの有名な言。「これまでも多くの政治形態が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にもできない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態という事ができる。これまでに試みられてきた民主主義以外の政治形態を除けば、だが。」イギリス人らしいアイロニーに満ちた表現で、さすがノーベル文学賞受賞者ともいえるが…。

民主主義は、ギリシアの民主政以来、衆愚政治に陥る危険性がある。ロックが抵抗権を唱え、ルソーが特殊意思ではく一般意志を唱えても、民主主義にはポピュリズムの罠が常に潜んでいるし、議論に時間がかかるというマイナス面もある。また、民主主義のパートナーとして表現の自由が保障されたマスコミが必要だが、このところ完全に信用を失っている。

最近、あまり話題に出したくない、醜悪な政治的暴露が多い。あのアメリカ大統領選挙以来、何を信用していいのかという不信感が生まれたし、プロパガンダ合戦の様相が、あらゆる情報にあらわれている気がする。小論文指導で、今日は生徒とそんな話をしていたのだった。憲法改正案について課題を出していたのだが、今週はいろいろな疑惑が出てきて実際大学側も出題しにくい状況になっている。幸い、時事問題にも精通している生徒なので、共感しながら話が弾んだ。3時間半ほど、私も充実した時間を過ごせたのだった。

2022年7月7日木曜日

野球部の練習を見る

期末考査に入った。夏の大会を目指しての野球部の練習を見に行ってきた。学園には、中学の野球場と高校の野球場がある。(凄い。)昔は甲子園に出たこともある伝統ある野球部なのだが、このところサッカー部に押され気味だそうだ。高校から入学する生徒も1クラスあって、もちろん野球がやりたくてくる生徒もいるらしいが、なんといっても文武両道の学校なので成績上のハードルが高くて、野球が上手いだけではなかなか入れないらしい。

前置きはさておき、今日も熱中症に注意という感じだった。採点を途中で止めて、高校の野球場へ初めて足を運んだ。ちょうどマシンを使っての打撃練習中で、外野三方向に2人ずつ守備練習も兼ねて守っていた。H高校なら、もっと人数がいるのだが、こちらは悠々と練習していた。さすがは私立なのである。ノックをしているかなと期待していたのだが、30分ほど見ていたが今日は打撃練習中心だった。

文武両道と口で言うのは簡単だが、やっている生徒は大変だ。だが、人生のこの時期にしかやれない経験なのだと思う。私などは、運動が苦手で思いもよらなかったが、人生全体で考えるとやっておく価値は十分にあると今になって思う。頑張れ3年生。文武両道、質実剛健。

2022年6月27日月曜日

きかんしゃトーマス展

https://www.city.tamba.lg.jp/site/bijyutukan/thomas.html
今日たまたま2年生の職員室に行く用事があって行った時に、廊下に「きかんしゃトーマス展」のチラシがあった。5月14日に始まり、7月24日まで開催しているらしい。面白そうなのでもらってきたのだが、場所が遠い。丹波市立植野記念美術館…。

おもしろそうだし、行ってみたいなと思うのだが、氷上という地にあるらしい。JRだと福知山線でよく目にする篠山口(大阪駅から快速が走っている)のまだまだ向こうである。大阪から高速バスで3時間ほど、自家用車でもそれくらいはかかりそうだ。

帰宅後、妻に見せたが、あまりの遠さにお許しは出なかった次第。でもちょっとあきらめきれない。様々な絵本の原画や、ジオラマなども展示されているらしい。もし、行ける方があれば…。

2022年6月14日火曜日

教育格差という問題

https://gooddo.jp/magazine/poverty/educational_inequality/
ある生徒と、教育格差の問題についてこのところ話ている。まず、教育格差と聞いて私が思い浮かべるのは、空間的な問題と経済的な問題である。

三崎で地理を教えていて最も驚いたのは、交通の単元で、貨物列車の存在を優秀な理系の生徒が知らなかったことである。次の時間、急いで画像を探しパワーポイントで見せた思い出がある。三崎の最寄りの駅は八幡浜駅であるが、この線にはコンテナを満載した貨物列車は通らない。そりゃあ、知るはずがない。このような空間的な格差が存在する。都市問題などでも実感した。反対に都会の人間は地方の過疎問題などは教科書上のことでしかない。どっちもどっちなのだが、インターネットの普及は、このような空間的な教育格差をある程度埋めてくれているような気もする。

一方、経済的な問題による教育格差という視点もある。私は商業高校や工業高校、進学校や体育系の普通科、さらにはマレーシアの日本語学校、四国の小規模校などを経験してきたが、およそ家庭の経済力は、その後の進路に大きく影響を与えていることは間違いない。ヤスパースの哲学ではないが、本人の努力次第でなんとかなる場合もあるが、限界状況と呼ぶにふさわしい状況も合った。特に、私立の大学に進学するにはそれなりの経済力が必要である。

この経済格差が教育格差につながっていることについて、貧困をなんとかしないといけないと、純粋な高校生は考えている。そのための方策を今、二人三脚で探し出そうとしているのである。

2022年6月6日月曜日

倫理の授業のハードルを上げる

https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-husserl-idee-phaenomenologie/
学園の生徒達のレベルが高いので、かなりハードルを上げての倫理の授業をしている。たとえば、ヘーゲルでは、人倫について、カントとの相違なども「社会のコンフリクト」のスタンスで論じたり、マルクスの唯物史観を下部構造と上部構造から、日本史Bや世界史Bとの関連で論じたりしている。ウンウンと頷いたり、盛んにメモを取ってくれたりしているのが嬉しい。ヘーゲルの理性の狡知などを教えるのは久しぶりである。これらは、共通テストを受験しない生徒にとっては難解だし端折ることが多かったのだ。

ニーチェの永劫回帰も教えるのは久しぶり。ここでは、キリスト教やヘーゲルの歴史観が直線的であることに対してのアンチテーゼとして教えたり、無神論的な実存主義(ハイデッガー・サルトル)の思想の根底に、フッサールがいることなども、かなりレベルが高い。フッサールはユダヤ系であり、先日エントリーしたようにユダヤ教の伝統としての全てを批判的に見る精神が、現象学を生み出した。デカルトは、神の存在証明をしたゆえに物体の存在証明をした。これに対してのフッサールのスタンス(無神論的なあまりに無神論的な)として理解すると比較的容易に説明できるのである。

ユダヤ教・キリスト教の概念をきっちりやっておいてよかったし、教科書にないデカルトの神の存在証明をやっておいてよかったと思うのである。倫理の授業はこれまでの教師生活の集大成と言えそうだ。