2022年6月6日月曜日

倫理の授業のハードルを上げる

https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-husserl-idee-phaenomenologie/
学園の生徒達のレベルが高いので、かなりハードルを上げての倫理の授業をしている。たとえば、ヘーゲルでは、人倫について、カントとの相違なども「社会のコンフリクト」のスタンスで論じたり、マルクスの唯物史観を下部構造と上部構造から、日本史Bや世界史Bとの関連で論じたりしている。ウンウンと頷いたり、盛んにメモを取ってくれたりしているのが嬉しい。ヘーゲルの理性の狡知などを教えるのは久しぶりである。これらは、共通テストを受験しない生徒にとっては難解だし端折ることが多かったのだ。

ニーチェの永劫回帰も教えるのは久しぶり。ここでは、キリスト教やヘーゲルの歴史観が直線的であることに対してのアンチテーゼとして教えたり、無神論的な実存主義(ハイデッガー・サルトル)の思想の根底に、フッサールがいることなども、かなりレベルが高い。フッサールはユダヤ系であり、先日エントリーしたようにユダヤ教の伝統としての全てを批判的に見る精神が、現象学を生み出した。デカルトは、神の存在証明をしたゆえに物体の存在証明をした。これに対してのフッサールのスタンス(無神論的なあまりに無神論的な)として理解すると比較的容易に説明できるのである。

ユダヤ教・キリスト教の概念をきっちりやっておいてよかったし、教科書にないデカルトの神の存在証明をやっておいてよかったと思うのである。倫理の授業はこれまでの教師生活の集大成と言えそうだ。

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