2022年6月25日土曜日

ドゥルーズの予言

ポスト構造主義のドゥルーズの「脱コード化」という命題について、少しエントリーしたい。これは、プレモダン(近代以前)には、神・王・父といった絶対的権力が社会のトップにあって命令を下すということが普通の社会である。モダン(近代)は、この神や王の位置に貨幣が君臨する。貨幣は使用されていくので、流動する。よって、プレモダンでは円錐形であった社会が、クラインの壺に変化し、貨幣が下り、そしてまた上昇を繰り返す。さて、ポスト・モダン(近代以後)は、これらのコード時代が崩壊し、パラノな世界からスキゾな世界へと移行するというのが、ドゥルーズの予言である。私がこの予言を知ったのは学生時代であるから70年代の後半である。画像は当時読んでいた「逃走論」~スキゾキッズの冒険(浅田彰)

脱コード社会という予言は信じられなかった。ふと、先日電車の中で、ほとんどの乗客がスマホを触っている姿を見て、この予言が確かに実現していることを実感したのだ。各自が様々な方向に向かっている。ゲームをしているか、音楽を聞いているのか、SNSをしているのかわからない。だが、間違いなく各人が各人の方向性に動いている。リゾームだ。昔は、通勤電車では多くの人が新聞を広げていたものだ。それとなく読んでいる裏面も覗けたりしたものだが、そんなことはめっきり少なくなった。

生徒たちに、もし今クラス全員でカラオケにいったとして、全員が歌える歌ってあるだろうかと問いかけてみた。昔は、遠足などで歌集がつくられ、ほとんどの歌が全員で歌えた。そういうパラノな世界は、今や高校生にとってみては、部活の練習と、受験の世界だけなのかもしれない。

ところで、昨夜突然水前寺清子の歌が脳裏に浮かんだ。私が大阪市立六甲青少年の家などでキャンドルサービスをする際の導入歌で、「いつでも君は」という歌である。まさかとは思いつつYou Tubeで検索したらあった。なつかしい。チータ(水前寺清子のこと)が食堂車の店員をしていたドラマの主題歌で、独特の演歌っぽい歌い方。チータは人生応援ソング演歌歌手で、この「いつでも君は」もそのはしりのような歌である。あの頃、我々は普通に何の抵抗もなく歌っていた。

♪心と心の細道に あなたの小さな親切が ぽとんと落ちて 

 きらりと燃えるろうそくの火が燃えてひろがる 

 1本が10本に 10本が100本に

 100本が1000本に増えていく 

 いつでもいつでもいつでも君は 夢見る夢見る夢見る星よ

♪涙はみんなで分け合って 小さくしようよ お互いに 

 この手で街を明るくしよう友情の手で花を植えよう  

 1本が10本に 10本が100本に

 100本が1000本になるんだね 

 植えよう植えよう友情の花 咲かそう咲かそう友情の花 

https://www.youtube.com/watch?v=m45LEN4cyk0&ab_channel=%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%81%A5

マスクをしたスマホをいじる電車の人々の姿に、昭和30年代生まれの私は寒さを感じる。冷房が効きすぎているからではきっとないと思う。だが、もうこの歌を歌える時代ではない、と思えるのだ。

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