2022年12月31日土曜日

今年この一冊 2022

http://www.tosyokan-navi.com/detail/hyogo/mitasiritu.html
大阪に帰ってきて、4月から、5時起きの長距離通勤の日々が始まった。最大の懸念は、通勤時の読書の調達である。昔のように書店で毎回買っていたら莫大な金額になるだろうとの懸念から、学園の図書館、市立図書館(画像参照)で貸出を受けることにした。よって、購入した新刊はかなり少なかった。今年この一冊は新刊がふさわしいのだが、今、読み進めている新刊、橋爪大三郎の「アメリカの教会」(光文社新書/本年10月)は、物凄い蘊蓄の詰まった一冊で十分その価値がありそうだ。ただ、まだ40%ほどしか読み進んでいない。よって「アメリカの教会」は除外したい。これはまた備忘録的にエントリーすることになるだろうが、かなりの数になるような予感がする。

アフリカ開発経済学関係では、「アフリカ 希望の大陸」が、かなり良かったし、PBTの教え子のJ君とL君に贈呈された「民主主義の自由と秩序」「古市くん、社会学を学び直しなさい」も実に良い本だった。

図書館で借りた本では、幕末明治維新に纏わる吉村昭を多数読んだ。その中では、「生麦事件」「彰義隊」が特に良かった。海音寺潮五郎や星新一の人物論も実に面白かった。世界史関係の本も多数読んで面白かったものも多い。読書量が多かったので、今年この一冊を選ぶのは、実に悩むところである。

というわけで、悩みに悩んで決めた今年の一冊は、10月に市立図書館で借りた「頭山満伝  玄洋社がめざした新しい日本」(井川聡/20211月:産経NF文庫)である。尊王攘夷思想と陽明学、そして島津斉彬を祖とする大アジア主義が、近代日本の思想の根底にあって、これを貫いた人物が頭山満という人物であるといえる。尊王は、明治期以来日本の普遍的な思想になった。攘夷は、西洋列強と対決することは事実上不可能なので、日本の植民地化を防ぐために、西洋の学問を取り入れる方向性と、一方で中国や朝鮮と共に近代化を進めて立ち向かうという方向性に分かれる。福沢諭吉は、途中で脱亜論を書き大アジア主義から転向する。島津斉彬の志を継いだ西郷の征韓論や福沢の脱亜論・明六社といった明治期の思想を知る上で非常に有効な本である。さらに、彼に繋がる中江兆民、広田弘毅、中野正剛といった人物論にも興味がつきない一冊だった。倫理の授業で、日本思想史を講ずるにあたって、陽明学の浩然の気を理解する上でも非常に役立った。

15年目を迎えるこのブログは、来年もまた書評が中心になっていくだろうと思う。それでは皆さん、よいお年を…。

2022年12月30日金曜日

THE ALFEEのこと Ⅱ

https://music.tower.jp/album/detail/1000141889
このところ、THE ALFEEのLIVE映像を始め、様々なYou Tubeを楽しんでいる。野外LIVEの先駆者でもあり、東京ドームのこけら落としLIVE、大坂花の万博時のLIVE、さらには毎年行われているクリスマス武道館LIVEなど、なかなか見ごたえがあった。また出演していた歌番組などもだいぶ見た。(笑)本日のエントリーは、再度試みた「THE ALFEE 考」である。

とはいっても莫大な量の彼らの曲をカバーしたわけではない。そもそも英語が多いのでわかりにくいのだが、新たにこれはいいと思ったのは「Tweat & Tears」である。LIVEの鉄板曲らしい。「THE ALFEEの人生の応援歌」である。これは絶対盛り上がる曲だ。ラストの方で三人が集まって共にギターやベースを呼吸を合わせて上下するところが何よりいい。(下記画像参照)

https://www.youtube.com/watch?v=3ORGyMi7gGo&ab_channel=%E5%85%AD%E8%A7%9
2kazu%28%E8%8A%B1%E3%81%AEWB%E7%B5%84%29
THE ALFEEは、LIVEを何より大事にしている。回数も凄いが、舞台監督、照明、音響とチームを組んで、観客が毎回来てよかったと思えるようなステージを繰り広げている。とにかく舞台装置と照明が凄い。あれだけの照明をセットするのにどれくらいの時間と労力がいるか、近大講堂などで多少イベントに関わったことがある私の想像をも遥かに超えるだろうと思う。照明のケーブルはアホほど重い。特殊効果の花火なども凄い。LIVEでは何が起こるかわからない。音響も最新の注意を払って臨機応変にミキサーを操作しているはずだ。まずは、有能なスタッフを抱えていることに心打たれた。また多彩なゲストも登場させている。私が一番ウケたのは”ふなっしー”。莫大な回数をこなしながら、常に新しい演出を考えるのは至難の技であるが、さすがプロフェッショナルである。

もちろんTHE ALFEEの3人も、プロフェッショナルである。武道館やスタジアムのような広い場所では、上手下手に3人がそれぞれ移動したり、2階席3階席への声掛けを常に心がけていることでわかる。オープニングのMCは坂崎がやることが多いが、櫻井がいつもうまく盛り上げている。下積み時代から鍛えあげたものだろう。高見沢はこういうのは苦手らしい(TVの歌番組では、オープニングで次のの歌手の歌を歌い紹介するシーンが何度もあるが、坂崎と櫻井任せである。笑)が、TV番組などでのコメントでは、いい味を出している。高見沢はほんと見た目とだいぶ違う。(笑)ファンはそれをよく理解しているようだ。櫻井はとにかく声がいいし声量もある。あるLIVEでは、クィーンのフレディをやって皆を楽しませていた。(私自身もYou Tubeで大受けした。笑)坂崎は、最高のアコギ奏者であり、櫻井がヴォーカルONLYの時にはベースも担当するし、パーカッションを担当したり、ハーモニカを吹いたり、バンジョーも弾く。無茶苦茶器用なのである。もちろん話芸やモノマネも上手い。現リーダーである高見沢は、ほとんど全ての曲を作詞作曲している。大坂国際マラソンの主テーマソングを31年年間担当(2018年当時)したことでギネス認定された。櫻井はF1,坂崎は爬虫類やカメラ・ガラス収集などの趣味をもつが、高見沢はひたすら音楽ONLYらしい。もちろんリードギターも上手い。彼の所蔵ギターは莫大で、特にカスタムが多い。有名な天使のギターは重すぎるし弾きにくい、と借用したさだまさしが証言している。(笑)櫻井は貯金するらしいが、坂崎は趣味に、高見沢はギターや衣装にギャラをつぎ込んでいる感じである。THE ALFEEが長く続いている理由は、俺が俺がというところが3人共ないことだと言っていた。歌は櫻井。作詞作曲は高見沢。口上は坂崎がそれぞれ秀でていて、それを互いに認め合っているし、この3人でなければTHE ALFEEは成立しないと確信しているのだろう。

彼らの魅力は、実はハーモニーの美しさにある。そもそも高校時代S&Gにハマっていたらしい。実に上手い。(ニューヨーク公園ではこのS&Gが大受けしたらしい。)TV番組やLIVEでもアコギで、S&Gなどを謡うことがあるが、ロックとはまた違った良さがある。彼らの曲には、ロックであっても必ずハモる場面があって、それがTHE ALFEEの基盤である気がする。

とはいえ、彼らも私より年齢が上なので、武道館を走り回ったりするのは、きついのではないだろうか。高見沢は日頃から体力維持に努めているらしい。櫻井も坂崎も髪の毛の量が心配である。(高見沢のあの長髪は安易にごまかせそうな気がする。笑)舞台監督は、そういう事も考えながらさらなる新しいステージを模索していくはずだ。

https://www.youtube.com/watch?v=3ORGyMi7gGo&ab_channel=%E5%85%AD%E8%A7%92
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最後に、LIVE映像でよく坂崎が、何かを客席に放っているシーンがある。何を放っているのか謎だったが、ある時、彼らのマイクスタンドに、「異物」がゴジラの背中のように、いくつもついているのを発見した。(上記画像参照)これはピックのようだ。(櫻井はベースで、あまりピックを使わないので数は少ない。)坂崎は、ツアー名や名前入りのピックを観客にサービスで放っているのだ。THE ALFEEの観客への想い、LIVEへの想い、まさにここにあり、である。

2022年12月29日木曜日

You Tube「放送禁止用語」

私がよく見るYou Tubeシリーズ第三弾。H氏という放送作家の「テレビ悲報」である。様々な問題を見事に言語化する人である。「意外すぎる放送禁止用語 10選」の回を覗いてみると、次のような語彙が自主規制されているのだという。
https://www.youtube.com/watch?v=PtEjIOfaV8M&ab_channel=%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E8%89%AF%E5%93%81%E3%80%8C%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%82%B2%E5%A0%B1ch%E3%80%8D

1:将棋倒し 明石市の事故以来、この語彙は将棋連盟から将棋のイメージが悪くなるとのクレームで使えなくなったらしい。
2:サラブレッド 例えば、政界のサラブレットというような表現は、優生思想につながる、とのこと。
3:女傑 女性蔑視に関わる語彙で処女作なども今は使わないそうだ。 
4:八百屋などの「屋」 見下した表現なので不可。青果店と称するようになっている。なんかせちがない。
5:肌色 ポリティカル・コレクト(社会の特定のメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策:政治的妥当性)故。 
6:ハーフ 半分という意味がいけないそうだ。ダブルやミックスを最近は使用するとのこと。
7:メッカ 2008年頃から 地名を比喩的に使うなということらしい。
8:他力本願 他人任せという意味に誤用されている故らしい。
9:芸人 本人が使うのはともかく、侮蔑的な表現であるそうな。お笑い芸人はいいそうだ。
10:外車と外人 排他的な印象を喚起するからという理由。

あくまでもTV局の自主規制だが、クレームに対する危機管理らしい。言葉狩りになっていくことの是非もあると思うのだが、こういう情報は、教師としても知っているべき情報である。いつからか登校拒否は不登校になった。こういう語彙の変化は、時代の要請なのである。ところで、同じチャンネルで、NHKの100分で名著「統合失調症という才能」も実に勉強になった。そう、分裂症という語彙も統合失調症に変化しているのである。
https://www.youtube.com/watch?v=5F55ajucpsI&ab_channel=%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E8%89%AF%E5%93%81%E3%80%8C%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%82%B2%E5%A0%B1ch%E3%80%8D

2022年12月27日火曜日

You Tube 「エゼキエル戦争」

「しげ旅」に続いて、よく見ているYou Tubeに「越境3.0」がある。中東を中心に国際情勢についての情報を取り扱っているチャンネルである。26日付の話題は、旧約聖書・エゼキエル書・第38章にある預言が来年あたり現実になるかもしれない、という話題だった。

現在の中東情勢の対立の基軸は、WWⅡ以来のイスラエル対アラブから、イラン対アラブ+イスラエルに変わりつつある。イスラエルは、イランと戦争をしたい、アラブ諸国(特にサウジアラビア)に了解を求めているという報道が、このクリスマスの時期にされたのである。

https://www.youtube.com/watch?v=t07KW7IBv44&t=633s&ab_channel=%E3%80%90%E8%B6%8A%E5%A2%833.0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%80%91%E7%9F%B3%E7%94%B0%E5%92%8C%E9%9D%96

https://tsukishiro-christ.com/blog/wp-
content/uploads/2019/06/%E3%82%A8%E3%82%BC%E
3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%AB%EF%BC%94.jpg
エゼキエル書第38章には、(現在の地名にすると)ロシアがイランと、リビア・スーダン・トルコ・ドイツと同名を結んでイスラエルを攻撃しようとする。これにアラブが味方するとある。(現実的にリビアやスーダンではロシアの民間軍事組織が強い影響力を持っているらしい。トルコ・ドイツに関しては?である。)エゼキエル書第38章の内容については、以下のHPが詳しい。

https://tehiri-mu.com/ezekierusyo-2640

私はブディストなので、聖書の文言を信じる立場にないが、全く無視はできないと思っている。アメリカの失政が中東に波及し、イラン国内が混乱しており、同時に核開発が進んでいる今、イスラエルが生き残りをかけて動く可能性は決して低くないと思うからである。

You Tube 「しげ旅」

You Tubeで、よく見ているチャンネルに「しげ旅」がある。このところずっとヨーロッパを旅しながら動画を上げている。しげ氏は33歳で、かなりの酒飲みである。(笑)その国の首都に滞在し、Googleで評価が高いレストランで食事をし、酒(最初は地元のビール、次に食事に合わせて赤か白ワイン)を飲み、だいたい歩いて観光し、カフェですでに旅した国の動画を編集し、UPしている。コインランドリーで時々洗濯、この繰り返し。基本的には、比較的安い宿に宿泊しているが、食費と酒代にはそこそこカネを惜しまない。移動は、飛行機も多いがLCCが主。バス移動も多い。貧乏旅行ではないが、贅沢な旅でもないという感じである。

今ヨーロッパはインフレで、物価が高い。宿泊費も食費も目が飛び出るほどだが、現在は東欧なので一気に安くなっている。こういう細かな旅費の情報の提供もあって、臨場感が増しているので興味深く毎回更新されるたびに見ている。ちなみに、しげ氏はグルメであるが、あらゆる食事を美味しく頂いている感じ。トリュフが大好物らしく、このところ回っているバルカン半島では安くまたよく食材として使われているので、実に美味そうである。酒の味覚も毎回うまく言語化している。そこが、このチャンネル最大の魅力かなと思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B9
ところで、私が見ているのは”その国の最新の様子”である。社会科の教師の宿命は、教える対象が日々刻々と変化することである。特に、地理や政治経済は、その傾向が強い。だいぶ前になるが、キプロス編を見ていて驚いた。キプロスは、紛争地域の1つに数えられ、しげ氏が着いた首都・ニコシアはギリシア系の南部の「キプロス共和国」にある。北部にはトルコだけが承認している「北キプロス・トルコ共和国」があって、島はグリーンラインで分断されている。…はずであり、そう私も教えていたのだが、なんとニコシアから北キプロスに徒歩で入国が可能(イミグレがある)なのだった。実際、しげ氏は北キプロスを3泊・観光している。実に驚いた。https://www.youtube.com/watch?v=4_2CWOGM81U&ab_channel=%E3%81%97%E3%81%92%E6%97%85

最近は、アルバニアやコソボ、北マケドニアなどを旅している。これらの国は、発展から取り残されているようなイメージがあるが、高層ビルの建設が進み、経済は大きく発展している様子が伺える。社会科教師は怠慢な教材研究をしていると、生徒に迷惑をかけるぞと言われたような気分なのである。

しげ旅:https://www.youtube.com/channel/UCOGRMsx2g1_FqdXvFRwiB8g

2022年12月26日月曜日

今年の漢字 2022

https://news.yahoo.co.jp/articles/9f788835c6a20bde4ff16e22f858c53bd8713dd1/images/000
今年の漢字は「戦」だろうだ。ウクライナ紛争の影響だと思われる。2月から延々報道されてきた。私はウクライナとロシアの歴史的な背景を政経の授業で伝えたが、細かな戦況は伝えていない。かなりのプロパガンダが含まれている可能性が高い故である。日本は、G7の一員としてウクライナ・NATO側に正義ありとしているが、噴飯ものであるように私は感じている。JR宝塚線の沿線にお寺があって、長いことウクライナの国旗を掲げていた。住職の思いなのだろうが、今は降ろされている。ロシアの負け戦が何度も報道されたが、今なおロシアは強気で、徴兵忌避などの情報も流れたが、未だ両手を上げる気配はない。ロシアの大国主義を信じる国民性もあるだろう。しかもサウジなどの中東湾岸諸国が、反米姿勢を取ってきた。51番目の州である日本は、正義側についているという姿勢を崩していない。…というか崩せないのだろう。

私は、昨年、米大統領選を受けて「嘘」という漢字を選んだ。(12月31日付ブログ参照)今年は、「偽」を推す。まあ、よく似た漢字だが、こういうニァンスしか浮かばない。コロナ禍は今だ続いている。日本人のDNAに内在された集団主義は健在である。ネットでは、4回繰り返されたWAの危険性が取り出たされており、多くの識者が、政治家や厚生省職員の接種率を提示せよと吠えておられる。マイナンバーカードにもこの接種情報がinputされるとかされないとか。管理社会へどんどん進んでいる。莫大なカネが、このWAに投入され、増税の噂が絶えない。「中国共産党の経世済民意識の無さ」を日本人も笑えない。

何より今年、「偽」を感じたのは、安倍首相の事件である。今だ真相は解明されていない。奈良県立医科大の診断結果と検視官の発表が異なる上、さっさとご遺体を焼却し、銃弾は消えたままである。この件を1人追っているA参議院議員は警察官部に「国会議員でこの件を問題にしているのはあなただけで、あなたのためにはなりませんよ。」脅されたという。ネット上では、どこから銃弾が撃たれたのか分析が済んでいる。ワイシャツの襟がかすかに跳ねているのもビデオで確認できる。後ろから花火のような手製の筒で撃たれたのではないことは明確である。各新聞紙の見出しが全て同じだというのも偶然の一致とは思えない。(画像参照)これが「偽」を推す最大の理由である。まあ、米中間選挙での梅田爺の偽りの公約もあるけれど…。

クリスマス商戦が終わって、迎春商戦のみになった世間では、まだまだ「偽」のタネはつきないのかもしれない。今年の明るい話題は、大谷翔平選手と井上尚弥選手とサッカー日本代表くらいだったような気がする。

2022年12月25日日曜日

ヨーロッパの原発事情 考

チェコの原発 https://www.denkishimbun.com/sp/46817
チェコは石炭資源が豊富で主要な火力発電(51%)は石炭中心。原発(35%)にも力を入れている国である。国内の電力需要は十分足りているのだが、余った電力(約30%)をオーストリアやドイツに輸出している。EU加盟国では、フランス・ドイツに次ぐ電力輸出国である。(ドイツには、高圧電線問題で悩む南部に輸出しているのだろう。)ところで、原発はオーストリア都の国境に近く、オーストリアは反原発の国で、チェコに脱原発を求めている。

ヨーロッパの電力事情を見てみると、エネルギー資源が多い(50%以上)で原発を稼働していない国は、ノルウェー、デンマーク、エストニア、アイスランド、ポーランド、ラトビア。エネルギー資源が少なく電力を輸入している国は、ギリシア、オーストリア、ポルトガル、イタリア、アイルランド、ルクセンブルグ。電髪を今は稼働しているが、脱原発の方向に向かっているのが、ドイツ、ベルギー、スイス。原発を稼働して、脱原発する予定がないのは、フランス、イギリス、オランダ、チェコ、スウェーデン、フィンランド、スロベニア、ハンガリー、スペイン、スロバキアといった国々で、電力輸出している国も多いというわけである。

様々な国が、隣り合っているヨーロッパでは、今回のエネルギー危機がどう影響するのか。エネルギーの安全保障という問題が浮かび上がる。ところで、前述の国々で、バルト三国のうちリトアニアが抜けている。リトアニアの原発事情はちょっと複雑なのである。ソ連に併合されていた時代に原発が2基建設され、国内の電力需要の70%をまかなっていた。しかし、EU加盟時に、この原発の閉鎖を条件の1つとされた。何故ならチェルノブイリと同型だったのである。安全性に問題ありというわけである。リトアニアはこれを受け入れ、火力発電に切り替えた。ところが、この燃料はロシアからの天然ガス輸入に頼らざるを得なくなり、この大会のため、新しい原発建設に進んでいるというわけである。ロシアにエネルギー依存したくないという国民感情は強いようだ。少し調べてみたが、その後建設は凍結されているらしい。

2022年12月24日土曜日

ロシア・ウクライナの原発 考

https://www.nippon.com/ja/news/reu20220225KBN2KU0FT/
「みんなの知らない世界の原子力」(海外電力調査会編/日本電気協会新聞部)のうち、興味深い国の事情についてエントリーしておきたいと思う。ただし、2017年発行なので多少古い情報になる。

まずは、ロシアとウクライナについて。ロシアは、1954年に世界最初のオブニンスク原発の運転を開始した国で、アメリカ、フランス、日本、中国に次いで世界5位の発電量である。フクシマ後も開発を進めている。その理由の一つは、資源大国(埋蔵量で天然ガスと石炭が世界2位、石油が6位)でありながら、これは外貨獲得の手段で、自国のエネルギーは原発にでまかないたいという経済的理由と、軍事力と核ミサイルが大国ロシアの基盤と考える国民が大多数であり原発に肯定的であることである。さらにロシア製の原発を輸出し、その国のエネルギー安全保障を握ろうという覇権主義的な思惑もあるようだ。ウクライナは、1986年のチェルノブイリ(画像参照)を経験しながらも4号以外はは、IAEAや欧米の批判を受けながらも運転中。ウクライナといえば、有名なドネツ炭田があるが、東部にありロシアと2014年のクリミア半島併合以来頼りにならなないし、油田やガス田はソ連時代に彫り尽くされてしまい、エネルギー不足は国家の存亡にかかわる故であるらしい。ロシア軍が原発を標的にするのも頷ける。

ドイツは、世界でも環境問題に熱心な国だ。緑の党も頑張っている。フランクフルトの空港でゴミ箱がものすごく細かく分別されているのに驚いた経験がある。ドイツの風力発電はバルト海側に多いが、電力需要は南部の大都市が多いので、送電線を建設しようとしているが、電磁波の身体への影響を懸念する住民の反対を受けなかなか進んでいない。再生可能エネルギーへの補助金も大きな国民負担を強いられ、電気料金はヨーロッパでも最も高い。肝心のCO2排出量は、火力発電の使用で横ばい状態にある。それでもなお、国民は脱原発を支持している。今回のエネルギー危機でも脱原発の流れはそう簡単に変わらないだろう。西側諸国で初めて原発を完成させたイギリスは、電力会社の民営化などで、1990年代に完成した原発を最後に停滞していたが、今は、フランスや日本の日立・東芝などの力を借りて原発を再建設している。北海の油田やガス田の生産量減少から、再生可能エネルギーへの転換も進めたのだが、これが今回仇となって、エネルギー危機となったわけだ。

再生可能エネルギーへの転換は、重要な課題であるが、コスト面や安定供給には難がある。原発にも当然ながら甚大なデメリットがある。ただ、火力や再生可能エネルギーとは別格の電力の安定供給というメリットがある故に各国の対応が分かれるわけだ。私は、政治同様、ありのままを生徒に伝え考えさせる立場にある社会科教師として、反原発派でも賛成派でもない。当然ながら、非常に難しい問題だ。

2022年12月23日金曜日

「世界の原子力」を読む。

書評を書く機会を逃していた本に「みんなの知らない世界の原子力」(海外電力調査会編/日本電気協会新聞部)がある。今年2月から始まったウクライナ紛争で、世界はエネルギー危機に陥ったが、原子力という視点から眺めてみるのもいいのではなかと思う。

第一章は脱原発を決めた国で、ドイツ、スイス、イタリア、ベルギー、台湾の状況が描かれている。第二章は原発の利用を続ける国として、フランス、スウェーデン、イギリス、ロシア、ウクライナ、アメリカ、中国、インドの状況が描かれている。第三章以下は、世界の原発を考える、福島事故と安全性、廃棄物はどこへ行く、原発ゼロということ、3E+S+2Pという考え方(3E+Sは日本政府の原発の必要性、2Pは国民の需要・牽引する政策というこの本の提案内容)。さらに付記として、スペイン、チェコ、フィンランド、リトアニア、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、韓国、ベトナム、UAE、トルコ、南アの状況も紹介している。

2017年発行なので、少し前ではあるが、ロシア・ウクライナの原発事情や、エネルギー危機の最前線に立つドイツ、エコ・エネルギーへの依存が過ぎて危機を迎えているイギリス、さらに、韓国がUAEやトルコに原発を輸出するニュースがあったりして帯書きにあるように「意外とおもしろい」のである。

2022年12月22日木曜日

ローマ教皇とオイディプス

https://mythpedia.jp/other/nazonazo.html
「世界の名前」(岩波書店時点編集部編)興味深い内容のエントリーの最終回。ローマ教皇とオイディプスの「名前」の話。

教皇選挙(コンクラーヴェ)で選ばれた枢機卿が就任を受諾した後、最初に、教皇名を決定する。個人名をそのまま名乗ることも可能だが、今は新たな名前を選ぶことが多い。すでに同名の教皇がいれば「○世」をつける。その人が初めてなら「一世」はつけない。6世紀に、ヨハネス2世となったメルクリウスまでは個人名だったが、古代ローマの商業の神と同じ名前はまずいと、異端問題で殉教(当時の東ゴート王国のテオドリックにより、教皇にされ、アリウス派弾圧を行っていた東ローマ帝国ユスティヌスのもとに派遣されたが満足な成果をおさめられず帰国、激怒したテオドリックに投獄され老齢のため死去。)した三代前のヨハネスにちなみ名を変えたのが最初である。このヨハネスという教皇名が最も多く23世までいる。(ただし、算定の混乱で、正統教皇としては、6世と20世は存在しない。)他には、グレゴリウスが16世まで、ベネディクトゥスも16世まで、クレメンスが14世まで、インノケンティウスが13世、ピウスが12世までいる。教皇名選定の理由は様々で、信心を持つ聖人、優れた先任教皇、選出された日の守護聖人、恩人などから取られることも多い。避けられる名としては、(初代教皇である)ペテロは慣例的に選ばれないし、フォルモス(美男子の意)も897年に死体裁判された教皇を彷彿させる故に忌避されている。1978年就任直後に死去したヨハネ・パウロ1世は、第二バチカン会議を開いたヨハネ23世と、それを引き継いで終了させたパウロ6世の二人の先任者の名をとった。教会改革への強い意志を込めて、2人の名を合わせた最初の教皇である。ヨハネ・パウロ2世は、1世の意思を受け継いだわけだ。

フロイドのエディプス・コンプレックスで有名な「オイディプス」の名前の意味や由来は古来より様々な異伝があり、今だ謎である。「オイデ(ィ)(ふくれ)+プス(足)」という説は、ソポクレスのギリシア悲劇「オイディプス王」の中で、父を殺すという神託故に3日もたたず捨てられた時に、くるぶしを留め金で貫かれていたため足がふくれていたとされるが、後世の合理化、後付けではないかと言われている。この「ふくれ足」に近い説に「オイデ(ィ)(ふくれた波)+パイス(子)=波の子」があり、川や海に捨てられた岸辺に漂着した子供という俗語源的解釈もある。最も意味深長なのは、スフィンクスの謎を解いた故に「オイダ(我知る)+プス(足)」で、このプスは、謎に登場する足の数(4・2・3)を意味する、というもの。あるいは、自らからを指差した答え「オイ(おお、ああ)+ディプス(二本足=人間)」もあるのだが、この両説共に仮説にとどまっている。ちなみに、レヴィ=ストロースは、「構造人類学」の「神話の構造」の中で、父の名「ライオス(左の、不吉な、不器用な)」、祖父の名「ラブダコス(L字の、足の不住な)」に、人類の誕生の謎に関わる神話の投影を読み取っているとのこと。

…最終回は、外伝風にローマ教皇とオイディプスを取り上げてみた。この新書にはまだまた興味深い話が載っていて、勉強になるのだが、ここまでにしておこうと思う。

2022年12月21日水曜日

ヨーロッパ「名前」あれこれ

http://blog.livedoor.jp/kenji47/archives/50272788.html
「世界の名前」(岩波書店時点編集部編)興味深い内容のエントリー、第四回。ヨーロッパ諸国の「名前」の話を集めてみた。

スウェーデンの姓は、「ソン」がつくものが多い。(一般的な姓の50%)多くの姓に共通の父称である。デンマークでは、父称は「セン」となる。童話作家・アンデルセンがその代表。しかし、ノルウェーでは、デンマーク語に対抗して、「ソン」。ノルウェー語は、デンマーク語に近いのだが、長く支配されてきた歴史もあって、今でも書き言葉は、ノルウェー語だけでなくデンマーク語も用いられる。父称のソンも古き北欧語の伝統、しかも古い英語・ドイツ語とも共通するかららしい。ちなみに、アイスランドも「ソン」である。だが、フィンランドは、ウラル語族なので違いが際立つ。フィンランドでは、「ネン」(nen)が父称のように思えるが、これは「小さい」を表す語で、姓の後ろにつけるつけるらしい。ジャンプ競技で有名なアホネン選手(最初に名前を聞いたときは驚いた。画像参照)のアホはグーグル翻訳では「(小さな)精算」という意味になるようだが…。ところで、フィンランドには自然(森・岩・白樺・湖・丘・波・光)などの名前が多い。

ジョージア(旧グルジア)では、父称(~の息子・娘)は「シヴィリ」。かのスターリンの姓は、ジュガシヴィリ。「ゼ」も息子を意味する。元ソ連外相のシュワルナゼ。国民のおよそ70%が「シヴィリ」か「ゼ」の語尾を持つらしい。

ルーマニアでは、誕生日以上に、名付け聖人の日(オノマスティカ)のお祝いが盛大らしい。ミハイ君、ミハエラさんには、11月8日の大天使ミカエルよ大天使ガブリエルのルーマビア正教の祝日に祝われるそうだ。ルーマニアでは、バス車中でも教会が見えると十字を切るほど信心深いお国柄なのでである。ラトビアでも、誕生日以外に名前の日があり、カレンダーにはその日の名前が示されている。(ちなみにカレンダーに記載のない名前はイチリツデ月22日。)ロシアは正教最大の国だが、オノマスティカより誕生日を祝うのが普通。

https://www.ssf.or.jp/
ssf_eyes/history/olym
pc_athlete/13.html
今日の最後は、チェコ。1964年の東京オリンピックで、チャスラフスカ(チャースラフカー)という女子体操選手がいた。エチオピアのマラソンのアベベ選手と並んで忘れられない名である。スラブ系言語では、姓には男性系と女性系があり、チャスラフスカの父親はチャスラフスキー。この姓は形容詞タイプ。名詞タイプには、作曲家のドボルザーク(ドヴォジャーク)。この家の女性はドヴォジャーコヴァーとなる。同じく作曲家のスメタナのように母音で終わる姓なら、女性系はスメタノヴァーになる。面白いのは、外国人の呼称も同様のキーやカー、オヴァー等をつける。テニスのナブラチロワ選手(ナヴラーチロヴァー)は、「返した」という動詞タイプの姓の女性形。テニス選手としては幸運な姓だといえるだろう。ちょっと可愛そうなのは、「変身」で有名な実存主義作家のカフカ。「黒丸カラス」の意。チェコ人には鳥の名前も多いのだとか。

2022年12月20日火曜日

種々紛争のある地域の「名前」

https://www.artpedia.asia/soft-construction-with-boiled-beans/
「世界の名前」(岩波書店時点編集部編)興味深い内容のエントリー、第三回。政経の授業で扱う、地域紛争というか、様々な問題を抱える地域の「名前」の話を集めてみた。

まずは、ベルギー。フラマン語とワロン語の言語紛争で有名である。2013年新国王としての戴冠を控えたフィリップ王子の名前には、Filip(フラマン語)とPhilippe(ワロン語)の2つの表記があり、国王の承認を必要とする法文書にいずれの署名をするかでが問題になった。ちなみに先代はアルベルト/アルベール:Albertで両言語統一の綴だったのである。政府は、いずれの署名でも可能とすべく法改正に乗り出し、一応の解決を見たという。

カナダ・ケベック州はフランス語圏として有名だが、同姓が実に多い。トランブレー、ガニョン、コテ、ブシャール、エベールといった姓だが、中でもトランブレーが多い。ヨーロッパヤマナラシというポプラの一種が生えている場所に由来する。17世紀に渡ってきたピエール・トランブレーという人の子孫が、15万人いると推定されている。仏系が英系に敗北後、「ゆりかごの復讐」と称して子沢山が奨励された故らしい。子供が10人以上という家族も珍しくなかったという。

今世界中の耳目を集めているウクライナは、帝政ロシア、革命後はソ連という統一国家の中で従属した立場にあり、言語的にもロシア語に近いこともあって、洗礼名に由来するイワン(=ヨハネ)のように共通するものも多いが、名字についてはウクライナ系と見分けのつく固有の語形がある。それは、語尾が-enkoで終わるシェフチェンコのような名である。日本生まれの女性タレント、マギー・ミネンコが私には最も馴染みがある。(笑)ちなみにアメリカ移民には、それとわかりにくい、ポップアートのアンディー・ウォホール(ウクライナ読みでは、ヴァルホラ)もあるし、作家のゴーゴリのような固有名詞(ウクライナ語ではホーホリ/ホオジロ鴨の意)も多いらしい。

カタルーニャ語は、ラテン語から派生しているが、スペイン語の方言ではない。カトリックなので、ファーストネームは聖書や聖人に由来するが、発音がかなり違う。ヘブライ語のペテロは、スペイン語ではペドロ、カタルーニャ語ではペラになる。同様にマルコは、マルコス、マルクとなるが、スペイン内乱時、カタルーニャは共和国側で敗北、その後フランコに弾圧される。名前もスペイン語風に変えられたらしい。スペイン語以外の洗礼名の戸籍登録も禁じられ、フランコが死んで(1975年)、民主化された1977年にこの禁止が解かれた。

同じく、バスク語も、フランコ政権時代公的使用が禁じられていた。解禁されてからは、堰を切ったように子供たちにバスク語の名前をつけた。スペイン語やフランス語系の名前をもつ大人も、バスク語的に直した人も多い。バスクには、いたるところに聖母マリアを祀るお堂があり、その場所の名前が女子名としてよく採用される。アランツァス、イサスクンなどがそれで、名を聞くとどこに縁があるのかがわかるらしい。

2022年12月19日月曜日

W杯 アルゼンチン優勝

https://www.nikkansports.com/soccer/qatar2022/news/202212180000002.html
W杯決勝戦は、凄い試合になった。前半アルゼンチンが2点リード。後半フランスが同点に追いついた。それぞれPKを献上したが、さすが決勝の審判、フェアに見ている。延長後半のメッシのゴールもオフサイドかと思われたが主審はよく見ていた。VTRでもギリギリ。後半、またフランスがハンドでPKを獲得、同点に追いつく展開。凄い試合だった。結局PKで、アルゼンチンが4-2。PKのそれぞれ先陣をメッシとエムベバが決めたが、アルゼンチンのキーパーが2人目を止めたことが大きかった。

これまで、メッシはW杯というか、代表ではなかなか活躍できなかった。今回の代表チームが最後と言われていて、若いメンバーもメッシをリスペクトしながらも、歳をとり、走るスピードが落ちていることを念頭に、これまでのメッシのワンマンチームから全員サッカーに転換できたのが幸いしたようだ。他のチームが五つ星ホテルに滞在していたのに、アルゼンチンはあえて皆で母国的なBBQができる宿舎にし、大量のマテ茶を持ってきていたそうだ。こういう体制が最終的な勝利につながったらしい。やはり、サッカーはチームワークが重要なのだ。

今回のW杯、意外性に満ちた素晴らしい大会だった。ところで次回からアジアの参加国枠が増えるようだが、私はあまり良い事だとは思えない。テコンドーサッカー以外に少林サッカーまで登場するかもしれないからだ。商業主義も程々にして欲しいところだ。

2022年12月18日日曜日

マレーシアの「名前」

「世界の名前」(岩波書店時点編集部編)興味深い内容のエントリー、第二回。アフリカに続くべきは、やはりマレーシアである。しかし残念ながらマレーシア編がなかった。最も近いのはシンガポール編である。このシンガポール編では、人口比から、中華系の人々の名前の話が主になっている。彼らのローマ字表記について、同じ中国語でもローマ字表記になると、広東語や客家語、福建語などで漢字の発音が違いややこしいらしい。香港ではローマ字表記と漢字表記が併用されるらしいが、シンガポールはローマ字表記が主であるとのこと。

ちなみに、マレーシアのでは中華系の人々は、英語系の名前を使う人もいる。在クアラルンプール時、コンドミニアムを世話してくれた方は、ジャックリーンという名前だった。何も知らなかった私は、名を聞いて白人の人だと思っていた。これは、英国植民地時代の名残で、何か合ったときのための用心で命名されたらしいとジャックリーン女史は(日本語で)言っていた。

せっかくなので、マレー系やインド系の人々について調べてみた。マレー系の人々は、バリバリのイスラム式。自分の名前+bin(~の息子)またはbinti(~の娘)+父親の名前になる。国費生の卒業式の時、名を呼ばれるが、男子の半分以上がムハンマド君だった。(笑)ちなみに、ハディースに「アッラーの99の美名」というのがあるそうで、ここから選んでいる人も多いらしい。

インド系も、自分の名前(ヒンドゥーの神、女神の名が多い)+A/L(~の息子)A/p(~の娘)+父親の名前で、A/Lは、anak lelaki A/pは、anak peeerempuanというマレー語の表記の略号。

https://www.spintheearth.net/malay-name/

…というわけで、今日は調べた内容が主になってしまったが、さらにエントリーを続けたいと思う。

2022年12月17日土曜日

アフリカ地域の「名前」

https://www.reggaem
art.net/?pid=12429717
「世界の名前」(岩波書店時点編集部編)から、興味深い内容のエントリー、第1回目である。まずは、我がブログのポリシーから、当然ながらアフリカに関係する内容。

エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝・は、ソロモン王の末裔とされ、ジャマイカの黒人奴隷の末裔に大変尊敬されていた。皇帝の本名は、ラス=タファリ・マコンネンという。ラスは尊称、タファリが個人名、マコンネンが父親の名である。父親の名前を省略して、ラス=タファリ。ここから「ラスタファリアニズム」の語が生まれた。そう、ジャマイカ、レゲェのボブ・マーリー由来の「ラスタ」である。ブルキナファソで、この「ラスタ」を文化人類学者の荒熊さんに教えてもらったのだった。(右画像参照)

ウガンダ西部のニョロ語の名前は、無文字社会故に、子供が生まれた時の様々な出来事や、親の思いをメッセージとして刻むものである。産気づいたが産科へ行く途中、道で生まれたので「道」とか、バナナ畑で生まれたなら「バナナ」など。夫婦間の葛藤が刻まれた「彼女らは嫌った」(一夫多妻制で、他の妻はみんな逃げていたっがこの子を生んだ妻は残ったの意。)などである。つけられた子供は迷惑だと思うが、アフリカ人は自分の名前は自分とは関係がないことを知っている。これは、京大の梶先生のエッセイ。こういう話を私は2011年7月(16日付ブログ参照)に公開講座で教えていただいた。

かの有名なゾマホン駐日ベナン大使の名前の意味は、「火のない所に煙は立たぬ」だそうだ。ベナンの西、ガーナでは名前で誕生の曜日と嫡出順がわかる。かの初代大統領クワメ・ンクルマは、土曜日で第9子、元国連事務総長のコフィ・アッタ・アナンは、金曜日で双子、第4子である。ガーナやスワヒリ語圏では生後8日目に命名の儀式がある。命名してからだと赤子が死亡した時、悲しみが深くなる故の習慣である。

アフリカーンス語は、オランダ語に近い南アの言語である。オランダ東インド会社(VOC)がバタビアとの中継地としてケープを植民地化したことに由来する。しかしながら、24%がフランス人を祖先にもっており、フランス語的な名も多い。これは、ケープが地中海性気候なのに、ブドウやオリーブの栽培をオランダ人入植者が苦手としていた故である。VOCは、当時、ユグノー戦争とルイ14世によるナントの勅令撤廃でオランダに逃げていたユグノー教徒に目をつけ、特典(土地を与える)付き入植者募集を行った。約180人のユグノーがケープ植民地に来たが、VOCは彼らをオランダ人農民の間に分散させ、学校教育と公文書はオランダ語のみとした。元々少数だったうえに、二世代で家庭内フランス語も消滅、オランダ移民との混血も進み、フランス語風の名前だけが残ったというわけらしい。これは面白い世界史の裏話である。

岩波新書 世界の名前

学園の図書館で、「世界の名前」という岩波新書を借りてきた。世界100の各国・地域の名前についての研究者のエッセイ集である。日本の大学で。いかに多くの文化人類学や地域研究、言語学、外国文学のエキスパートがおられるかということがわかって、実に興味深かった。

日本では、「悪魔」などとつけると、さすがに常識的なストップがかかるが、これといった法則性はない。私の名前などは姓名判断で、人の上に立てる名前ということで命名されたらしい。後で調べたら、たしかに「頭領運」らしいが、大将ではなく、小隊長くらいの頭領運で、実際、学年主任や生指部長はやったが、校長とかにはなる気もなかったので、姓名判断は結局あたっているのだろう。(笑)

通勤時に読んだのだが、このブログのネタにしようと思って付箋を張っていったら、かなりの数になってしまった。これ以後、少しずつエントリーしようと思う。

2022年12月16日金曜日

東大世界史 2012

ディエンビエンフーの記念館 https://4travel.jp/travelogue/11500449
「夢中になる東大世界史ー15の良問に学ぶ世界の成り立ち」から、もう1問だけエントリーしておこうかと思う。2012年の「植民地主義の遺産」と題された問題である。

問題 ヨーロッパ列強により植民地化されたアジア・アフリカの諸地域では、20世紀に入ると民族主義(国民主義)の運動が高まり、第一次世界大戦後、ついで第二次世界大戦後に、その多くが独立する。しかしその後も、旧宗主国への経済的従属や、同化政策のもたらした旧宗主国との文化的結びつき、また旧植民地からの移民増加による旧宗主国の社会問題など、植民地主義の遺産は、現在まで長い影を落としている。植民地独立の過程とその後の展開は、ヨーロッパ諸国それぞれの植民地政策の差異に加えて、社会主義や宗教運動などの影響も受けつつ、地域により異なる様相を呈する。以上の点に留意し、地域ごとの差異を考えながら、アジア・アフリカにおける植民地独立の過程とその後の動向を論じなさい。解答は540字以内で、次の8つの語句を必ず一度は用いること。 カシミール紛争 ディエンビエンフー スエズ運河国有化 アルジェリア戦争 ワフド党 ドイモイ 非暴力・不服従 宗教的標章法

…イギリスとインド(カシミール紛争/非暴力・不服従)、イギリスとエジプト(スエズ運河国有化/ワフド党)、フランスとベトナム(ディエンビエンフー/ドイモイ)、フランスとアルジェリア(アルジェリア戦争/宗教的標章法)の問題であることは語句を見てわかりやすいが、植民地政策と独立時、その後の展開を書けばいいわけだ。この問題のポイントは、イギリスは、インドの独立は比較的早く認めたが、スエズ運河のあるエジプトには、イスラエルを巻き込んでスエズ動乱を起こしている。同様に、フランスは、ディエンビエンフー陥落で早々とベトナム支配を諦めたが、アルジェリアには固執したことになる。

解答 イギリスはインドを分割統治で支配、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の分断を図った。ガンディーを中心に非暴力・不服従運動が展開されたが、両教徒は対立を深め、インド、パキスタンとして独立した。両国の対立はカシミール紛争に発展した。イギリスはインドの中継地点としてエジプトを支配した。第一次世界大戦後、ワフド党による民族運動を受けて独立を承認したが、スエズ運河の駐兵権は保留された。スエズ運河国有化を契機として、イギリスはイスラエルを支援して第二次中東戦争を引き起こしたが、敗北してスエズより撤退した。フランスはベトナムを支配したが、第二次世界大戦後にベトナムは独立を宣言した。フランスは再支配を狙ってインドシナ戦争を引き起こしたが、ディエンビエンフーが陥落してベトナムが勝利すると独立は承認された。だが、冷戦の影響で国家は分断されるとベトナム戦争が勃発。戦後、社会主義国として完全独立を果たし、ドイモイによる改革開放政策が行われた。フランスは、アルジェリアを同国文化を強制する同化政策を展開して支配した。アルジェリア戦争によって独立が達成されたが、フランスとの文化的結びつきは移民を増加させ、宗教的標章法などイスラム教徒の扱いをめぐる社会問題に発展した。

2022年12月15日木曜日

東大世界史 1988

 市立図書館で、「逆説の世界史2」とともに「夢中になる東大世界史ー15の良問に学ぶ世界の成り立ち」(福村国春/光文社新書)を借りてきた。通勤の車中で読んでいたのだが、東大の世界史の問題は実に深い。東大の問題は暗記した知識を求めるだけでなく、その知識をもとに新しいことに気づかせようとするというポリシーがあるようだ。また、元々官僚養成が目的だっただけに、常に「国家」を主題にしている。

問題(1988年)欧米において近代市民社会が形成されるにあたり、17世紀から19世紀初期にかけて、様々な変革が生じたが、それらの変革の様相は地域によってそれぞれ異なっていた。そこで、イギリス、アメリカ、フランス、プロイセンの4つについて、以下の設問(A)、(B)の設問にそれぞれ300字以内で答えよ。

(A)イギリス革命(ピューリタン革命および名誉革命)とフランス革命に関し、革命を引き起こした原因と、革命がめざした目標とについて両革命を比較し、それぞれの革命の特色を述べよ。さらに、19世紀初頭のプロイセンの改革の特色と思われる点を指摘せよ。(B)アメリカ独立革命に関し、ヨーロッパにおける諸変革と比較を念頭において、アメリカの場合の特色と思われる点を述べよ。

…実に興味深い設問である。ポイントとなるのは、イギリスの革命は、エリザベス1世の後継としてスコットランド王が議会に呼ばれたが、13世紀のジョン王以来の「暗黙の了解:国王といえど法の下にあり、議会の意見を聞くこと」が守られなかったことへの反発である。このイギリス革命は、他の市民革命に比べて、国際的な影響が見られないことである。フランス革命は、「フランスという国家はどうあるべきか」が問われた革命で、財政問題に端を発し、富裕層、中流層、貧困層の全ての階級が一度は革命を主導して「フランスはかく有るべき」としてそれぞれの憲法を制定したが、どれもうまくいかなかった。革命は国王の処刑以後各国の干渉にさらされたが、ナポレオンの登場で、反対に各国へ自由・平等の概念の輸出が行われたが、結局皇帝になったナポレオンは独裁者・侵略者でしかなかった。しかし、19世紀のヨーロッパの自由を求める運動や、ラテンアメリカの独立運動に大きく影響を受けた。

アメリカの独立革命は、フレンチ・インディアアン戦争の戦費を植民地から搾取しようとしたところから始まる。覇権を握るイギリスの足を引っ張るべく、フランスなどの国が支援に回った。革命の担い手は、植民地の商工業者。搾取からの脱却、独立と自由平等が保証された政府の樹立が目標である。これは、フランス革命との共通点で、普遍性を持つ。

解答(A)英革命の原因はステュアート朝の国王による議会を無視した専制政治であった。目標は王権に対する議会の優越を規定することであり、立憲君主政の樹立に至った。これは英人固有のコモン・ローの回復を目指すもので、理念に特殊性があった。仏革命の原因は財政問題に端を発した、旧制度で認められた免税特権に対する一般市民の反発であった。目標は自由・平等の上に立つ政府の樹立であり、立憲君主制を経て共和政の樹立に至った。これは人間一般の解放を目指すもので、理念に普遍性があった。普改革の原因はナポレオンの支配であり、目標は支配からの解放である。担い手は開明的な官僚・軍人であり「上からの近代化」という性格をもった。(300字)(B)米革命の原因は、英重商主義政策への反発であった。目標は独立と自由・平等の上に立つ政府の樹立であり、共和国の樹立に至った。仏革命と同様に理念に普遍性があったが、市民革命のみならず独立戦争という性格が含んでいたところに違いがあった。英革命が内乱にとどまり:、仏革命が国際戦争に発展したのに対し、米革命も当初は英帝国内の内乱であったのが外国の参戦によって国際戦争へと発展した。だが、仏革命と異なり外国の干渉はなく支援であった。英革命の影響が小さいものにとどまったのに対し、米革命は仏革命と19世紀の自由主義運動に影響を与え、さらにラテンアメリカ諸国の独立運動にも波及して、影響は大きなものになった。(300字)

2022年12月14日水曜日

祝 井上尚弥選手 4団体統一王者

https://www.sportingnews.com/jp/boxing/news/
ボクシングの井上尚弥選手が、昨夜、バンタム級4団体統一王者となった。You Tubeでこれまでの対戦を見ていて、手帳に今日の試合の予定を書き込むくらい楽しみにしていた。類まれなる選手である。なにより、クレバーなボクシングをするし、パンチ力がとてつもなく破壊的。今世界に名を馳せる日本のスポーツ選手といえば、MLBの大谷選手と、この井上尚弥選手ではないか。いずれ、この二人は国民栄誉賞をもらって当然のような気がする。(その前に、イチローにも貰ってほしいところ。)この3人の共通点は、ずばりサムライの美学を堅持していることである。

井上選手は、あえて、逃げ回ったバトラーへの批判を口にせず、反対にタイトル戦を受けてくれたことに感謝していると試合後のインタヴューで述べていた。これこそサムライの美学である。これからは、スーパーバンタム級に挑戦するという。頑張れ、サムライ・井上尚弥。

2022年12月13日火曜日

ミイラージュ(天国への昇天)

https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Iranian-Master/781911
ムハンマドの昇天についても「逆説の世界史2」には詳細に述べられている。ガブリエルの案内で天界の門にたどり着いた。最下天には。アダムがいて、地獄の獄卒のように人間の魂をよい魂と悪い霊に振り分けていた、「孤児の財産を不正に貪った人々」「利子を貪った人々」「神が禁じた女性に手を出した人々」「不義の子を夫の子と偽った女」という4つの大罪を犯した人々の罰を受ける姿を見る。第二天には、母親どうしが親類であるマリアの子イエスとザカリアのヨハネ(洗礼者ヨハネ)がいたが、ムハンマドは彼らとは会話をかわさない。そして、第三天、第四天、第五天、第六天と進が、第五天にはモーセの兄アロンが、第六天にはモーセがおり、第七天には椅子に座っているアブラハムがいた。ムハンマドは会話をかわさず、その奥の楽園に入り、神の御座に至る。主は、使徒(ムハンマド)に毎日50回の礼拝を義務として課した。帰路、モーセの横を通ると、「その礼拝は重い。お前の民(ウンマ)は弱い。主の御許に戻り、礼拝の回数を少なくしてもらえ。」と言った。そこで、ムハンマドは主の御許に戻りお願いした。主は40回にしてくれた。ところが、モーセはまだ多いと言う。そこで戻ってお願いし、さらに10回減らしてもらった。モーセはそれでも多いと言い、何回か嘆願を繰り返すうち、主は1日5回にしてくれた。5回でも篤き信仰心があれば良い、50回分の礼拝の報酬をいただけるというわけだ。

例のメッカから一夜にして岩のドームに行き、イサクが生贄にされそうになった岩からの昇天の内容である。礼拝の回数のことは初めて知った。

アリーとアイーシャの確執

ラクダの戦いhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%80
%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%
E3%83%AB:Ali_and_Aisha_at_the_Battle_of_the_Camel.jpg
「逆説の世界史2」の蘊蓄備忘録のつづきである。本日はイスラム編である。

ムハンマドの最初の妻、ハディージャが凄いという話。「預言者ムハンマド伝」によれば、ムハンマドは最初、啓示を伝える天使ガブリエルのことを半信半疑であったらしい。ガブリエルが来た時、ムハンマドはハディージャに知らせる。ハディージャは、最初左ももに座らせ天使が見えるか聞いた。見えている。次に右もも、見える。さらに胸に抱かれて座ったが、見える。その時、彼女はヴェールを取って顔をさらした。するとガブリエルは見えなくなった。「あなた、しっかりしなさい。喜びなさい。神かけて天使よ。悪魔じゃないわ。」女性が顔を見せることは、アッラーの意思に背く行為だから、信仰心がなくなることと同じである。その結果、天使は見えなくなる。ハディージャはヴェールの使い方で、見えたり見えなくなったりすることを根拠にガブリエルが本物の天使だと見破ったのである。

ムハンマドの最後を看取った最愛の(三番目の)妻であるアイーシャは、ジハードに共に従軍していた。しかしムハンマドから贈られた首飾りを失くしてしまい、引き上げの混乱の中、一人砂漠に取り残されてしまった。若い兵士が、それに気づき、彼女をラクダに乗せ送り届けたのだが、大問題に発展する。予期せぬこととはいえ、砂漠で夫以外の男と一夜を過ごすことになってしまったからである。不義を犯した場合、姦通罪は皆で石を投げて殺すのが掟である。ムハマドは、彼女の貫通疑惑を否定して丸く収めようとした。ムハンマドとアイーシャの父・アブー・バクルに皆はばかる中、離縁すべきだと主張したのが、アリーである。ムハンマドの父方のいとこであり娘婿。ここから、アリーシャとアリーの関係は険悪となる。

ムハンマドの死後、アリーは若すぎるという理由で、アイーシャの父・アブー・バクルが初代カリフになる。その後、アリーは第4代カリフとなるが、アイーシャは反乱を起こしている。これが有名な「ラクダの戦い」結局失敗に終わるが、ムハンマドの妻ということで罰せられることはなかった。ちなみに、スンニー派の女性名にはアイーシャが多いが、シーア派の女性の名にはない。

2022年12月12日月曜日

マタイの福音書とダビデ像

https://world-note.com/david-di-michelangelo-size/
「逆説の世界史2」の備忘録の続きである。今回は、キリスト教関係の蘊蓄。紀元前(B.C.)は「Before Christ」で英語なのだが、紀元後(A.D.)はラテン語で「Anno  Domini」.主イエス・キリストの年代の意である。この紀元0年がイエスの生年かというと、かのヘロデ王がベツレヘムの乳幼児を殺害する指令を出し、イエスらはエジプトに逃れたことを鑑みると、紀元0年にはヘロデ王は亡くなっているので、それ以前というのが現在の研究成果である。イエスの生年月日は12月25日になっているが、当時存在したミトラス教が冬至を祝う祭りがあり、キリスト教に取り入れられたのではないかという見解がある。ちなみにクリスマスイブ:前夜も重要視されるが、昔は1日の始まりが日没からだったことに由来している。冬至を祝う習慣は、この日をどん底にして、だんだん日が長くなり太陽の力が復活していく意味合いと考えられている。

ところで、キリスト教徒にとって、ユダヤ教徒は差別の対象になっているが、その主因は「マタイの福音書」にある、ピラトにイエスの死刑を要求する場面で「その血の責任は、我々とその子孫にある。」と民がこぞって言ったというところにあるのは周知の事実であある。著者は、それ以外のマルコ・ルカ・ヨハネの福音書には、この文言はないことを記し、マタイ以外の証言者が騒乱の中で聞き取れなかった可能性はあるものの、(もし中世のスペインあたりで、こんなことを口にしたら間違いなく死刑だろうが)子孫にまで云々という言質は常識的に信じられないとしている。

これに関連して、ルネサンス期の傑作、ミケランジェロの「ダビデ像」は、ペリシテ人の巨人ゴリアテを倒したダビデ王の少年時代の像なのだが、男性期には割礼の跡がないそうだ。ユダヤ教を「旧約」として認めながらも、当時、亡国の民であったユダヤ人への差別意識が垣間見えるというわけで、興味深い蘊蓄である。…今日はここまで。

2022年12月11日日曜日

COP27 新しい十戒?

https://www.prnewswire.com
/news-releases/global-religious
-leaders-promote-climate-a
ction-during-un-climate-confer
ence-cop-27-301677245.html
COp27がエジプト・シナイ半島で開催され、日本のマスコミでは全く取り上げられなかった重大なパフォーマンスのことを取り上げたい。シナイといえば、出エジプト記。モーセの十戒で有名なシナイ山である。ここに様々な宗教のリーダーたちが、「巻物」を持って山上へ上り、下山してその「巻物」を破ったという。

はっきりとした報道や画像はないが、この巻物は、旧約の十戒のようだ。そして、新たな、地球環境問題に関する十戒を神から授かったというパフォーマンスであるらしい。当然ながらアメリカの宗教団体などから、大きな批判が起きているようだ。

ブディストである私から見ても、これは「冒涜」に感じられる。このパフォーマンスを推進したのは、The Interfaith Center for Sustainable Development というNGOらしい。https://interfaithsustain.com/

その10の文章(英語をgoogle翻訳)は以下の通り。

1.私たちはこの世界の管理人です。2.創造は神性を現す。3.人生の全ては相互に関連している。4.危害を加えないでください。5.明日を見守る。6.私たちの世界のためにエゴを乗り越える。7.私たちの内面の気候を変える。8.悔い改めて帰る。9.すべての行動が重要。10.心を使って、心を開いて。

https://www.prnewswire.com/news-releases/global-religious-leaders-promote-climate-action-during-un-climate-conference-cop-27-301677245.html

うーん。いろいろ調べてみると、このCOP27の十戒に関連して、カトリック教会は、この旧約の十戒をカトリシズム風に変えているという動画があった。(フランス語だかスペイン語だかわからないが、日本語字幕が出ていた。)だから、問題ないのかどうか、その是非はわからない。

ただ、異教徒である私の理解では、十戒はいうまでもなく、神の言葉中の言葉である。彼らが預言者なのだとは到底思えない。上記の和訳を見る限り、地球環境問題に対して、それらしく新しい10の戒律(というかメッセージ)を作ったようにしか感じられない。とにかく今、日本のマスコミが報道しない、極めて重要だと思えるCOP27の件は、以上である。

2022年12月10日土曜日

THE ALFEEのこと

https://minkara.carview.co.jp/userid/936149/blog/27951259/
昔々、商業高校にいた頃、ある女生徒が”アフフィー”のファンであることを知った。その時初めて、そういうバンドがあることを知った。以来、全く無縁のまま64歳になって、You Tubeで坂崎幸之助のフォークの蘊蓄に衝撃を受けた。かのフォーククルセイダーズの再結成メンバーであることは知っていたが、長い間何者かと思っていた。(笑)それが、You Tubeによって、吉田拓郎や所ジョージ、研ナオコ、ムッシュかまやつ、南こうせつなどの人々とただならぬ関係を持っていて、その所属する”アルフィー”のことにも興味が湧いたのである。

https://www.kkbox.com/jp/ja/artist/DZFsigBozZZ2S9_MUB
ご承知の通り、THE ALFEEは3人組のバンドである。リーダーは最初、坂崎だったらしいが、後に高見沢俊彦になっている。結成時からのメンバー櫻井賢は、リーダーになっていない。ちなみに、3人共、同学年で(私より3年上である。)明治学院大学中退。後に名誉学士が送られていいる。(高見沢は文学部英文学科、坂崎は二部英文学科:入試の日付を間違えてこうなったらしい、櫻井は法学部法律学科)最初はフォークグループだったらしいが、高見沢がリーダーになってからロックバンドになっている。

You Tubeで彼らのライブを見て驚いた。高見沢が長髪で派手な衣装なのはちょっと知っていたが、櫻井がオールバックでサングラス、しかも一人だけスーツにネクタイ姿。で、ベースを引きながらリードボーカルをしていた。坂崎は、ライブでもアコギ(アコースティック・ギター)だった。なんという統制の取れてないバンドなんだろうというのが第一印象。こんなロックバンド、見たことがない。さらに、舞台効果の演出が凄い。レーザーや花火など滅茶苦茶派手なのだ。これにも度肝を抜かれた。

https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/91518
肝心の曲もYou Tubeで聞いた。今のところ「メリアーン」「星空のディスタンス」は、歌えないけれどイントロでわかるまでになった。(笑)他にもいい曲があるのだろうが今のところこの2曲が好き。ただ、やたら歌詞に英語が出てくるのでカラオケでは歌わないだろうと思う。英文学科出身の高見沢が作詞作曲している故らしい。高見沢や坂崎がメインボーカルしている曲もあるが、私は桜井の声がいい。顔や衣装とのアンバランスが凄すぎる。ちなみに3人組でみんなメインボーカルができるのは、キャンディーズとTHE ALFEEだけだそうだ。この比較が同性代でいい。実にいい。

さらに、You Tubeでは、様々なTV番組で彼らの人柄を知ることができる。THE ALFEEへの質問という毎年恒例の番組があって、昨日それを見て、久しぶりに腹の底から笑った。1973年くらいから、ずっとこのメンバーで下積み時代も含めてやってきている理由がよくわかった。高見沢は見た目と違い、いいかげんで、おっちょこちょいな性格である。櫻井は、見た目こそ強面だがやさしい。坂崎はコミュニケーション力に優れ器用である。毎年ライブが盛況なのは、こういう彼らの人柄とおかしさなのだろうと思う。

https://www.google.com/search?q=%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%
E3%82%A3%E3%83%BC%E5%90%89%E7%94%B0%E6%8B%93%E9%83%8E&source
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ひどく個性的な3人だが、長年、下積みの苦労を共にしてきて、同学年で互いの良さを認めあっているからこそ解散もせず、長寿バンドとしてやってこれたのだろうと思う。なにより、楽しくやっているのがいい。もっと早く彼らを知ればよかったと思う。

2022年12月9日金曜日

何十年ぶりかで鯨肉を食す。

小学生の頃は、肉といえば鯨肉が主流だった。市場に鯨肉の専門店があったし、鯨肉がよく食卓にも、給食にも、学食(鯨肉の薄いカツ)なんかでもよく出たものだ。それが、今は高嶺の花になっている。妻がたまたま手頃な値段の鯨肉を見つけてきて、今日は焼肉にして食した。ほんと、何十年ぶりだろう。

日本の食生活は、なんやかんやと豊かになった。ハンバーガーは、”ポパイ”でしか、その存在を見たことがなかった。ピザもいつからフツーになったのだろう。昔は寿司などといものは、回らない寿司屋で年に1度か2度しか食べれなかったのだが、今やフツーにスーパーなどでも手に入る。すき焼きなどは、実にご馳走の代名詞であったが、これもフツーになった。ホント反比例しているのは、鯨肉くらいではないだろうか。そんな感慨にふけりながら食した。うん、この食感、たしかに鯨肉である。なつかしい。

2022年12月8日木曜日

12月はSANTA駅

通勤で利用している神戸電鉄の三田駅に、「12月はSANTA駅」という看板が掲げられている。神戸電鉄はなかなか粋なことをしている。そもそも運転席にマスコットを置いているし…。(笑)

先日の朝は、凄い霧の朝だった。JR武田尾駅くらいから霧が出ていて、JR三田駅さらには、学園まで霧に覆われていた。美しい紅葉もそろそろ落ちきってしまいそうな12月である。「三田の冬は寒いですよ。」と先生方に脅かされている。(笑)

*是非、画像を拡大してみてみてください。

2022年12月7日水曜日

ディアスポラの原因

http://kaiga-date.com/david-goliath
「逆説の世界史2」の備忘録の続きである。前回は第1次ユダヤ戦争の話で終わった。今回は第2次ユダヤ戦争について。マサダ砦の陥落から60年後、エルサレムを訪問した、ハドリアヌス帝が善意の同情からエルサレム再建を約束した。しかし、一神教を理解するに及ばなかったハドリアヌス帝は、名前を変え、神殿も多神教のユピテル神殿とすることにした。これはユダヤ民族にとって到底容認できない状況であった。その頃、自らをメシアであると主張するコシェバという男が現れ、当時の民族信仰指導者ラビのアキバ・ベン・ヨセフが正しい主張と認めた。コシェバは救世主らしく名を「星の子」(バル・コクバ)と改め、ローマへの反乱を最高法院で承認された。紀元132年の出来事で、約4年間独立を保持した。これは、ローマ帝国側が全く想定していなかった反乱だったからで、一神教の信仰心を甘く見ていたためだとされている。

この反乱の原因に、割礼の禁止令が出たということも大きい。創世記にある、この神の命令は、直系の子孫はもちろんのこと、家で生まれた奴隷、外国から買い取った奴隷も皆生後8日目に割礼を受けなければならないとされている。この割礼禁止令は、神の命令に背くことを意味する故に、ユピテル神殿の建設と同等かそれ以上の反発を招いたわけだ。

この第2次ユダヤ戦争後、ローマは、エルサレムを「アエリア・カピトリナ」(アエリアはハドリアヌス帝の名のアエリウス+ローマの最高神ユピテルの神殿名)と改名し、第二神殿をユピテル神殿に改築、属州の名をユダヤから「パレスチナ」(ペリシテ人の土地)とした。このパレスチナという地名はローマの悪意に満ちている。ペリシテ人はユダヤ人の今はなきライバル民族で、ダビデが石のつぶてでペリシテ人の巨人兵ゴリアテを倒したとされている。(旧約聖書のサムエル記)しかも、ユダヤ人は、この地に在住してはならないし、訪問も許されないこととした。ディアスポラの始まりである。

2022年12月6日火曜日

W杯 クロアチア戦に思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3ddd7b58b6910bd82e377f8219663353d59a6d8c
PKは運も大きく作用する。だいぶ前のW杯、かのイタリアの伝説・バッジオが外したくらいなので誰も責められない。

日本代表が、クロアチアに1-1、延長線も戦い抜き、最後にPKで敗れた。3人外したが、1人で責を負わされるよりはいいな、と私などは思う。

今回もベスト8にあと一息足りなかった。しかし、事前の予想を大いに裏切って楽しませてくれたと思う。ドイツ戦でびっくり、コスタリカ戦にもびっくり、スペイン戦でもびっくりさせられた。このクロアチア戦はびっくりではなく、もはや日本に自力がついているのだという確信に変わったような気がする。欧州の厳しい環境で戦い、結果を残している日本代表選手たちに、ありがとう、よくやったよね、と言いたい。

2022年12月5日月曜日

逆説の世界史2を読む。Ⅱ

マサダ砦 https://yascovicci.exblog.jp/6161017/
「逆説の世界史2」の備忘録の続きである。我々一神教徒でない者は一神教の反対語を多神教だと考えている。だが、一神教徒にとっては「多神教」という言葉自体が成立しない。神が1つしか存在しない以上、それ以外の「神」は偽物である。多神教徒とは偽物を信じている愚か者であり、本当の神を信じていない冒涜者であることになる。クルアーンに登場する「無信の徒」はこの意味であるし、15~6世紀のスペイン人やポルトガル人が大航海時代に”多神教の人々”を虐殺した根本理由は個々にある。

一神教同士の排他性に関して、著者は面白い比喩を提示している。ダイヤモンドを持っているA・B両人が私のは10カラットだと言っても問題はない。貴重なものだが世界に1つしかないものではない。だが、ダビンチの「最後の晩餐」をC・D両人が持っていると主張した場合、どちらかが嘘をついており、ここに唯一神が介入することで、絶対的な概念(自分が善、他者が悪)に変化する。ダンテの神曲「地獄編」には、ムハンマドとアリーが登場する。「不和・分離の種をまいた罪」を犯した者が落ちる地獄である。この神曲はキリスト教世界では最高峰の文学とされているが、イスラム教世界は禁書にされている国もあるとのこと。

本書では、第1次ユダヤ戦争の話が詳しく語られているが、「マサダ砦における集団自決」について記しておきたい。ローマ軍に包囲されたリーダーのエルアザルは、集団自殺を呼びかける。くじ引きで10人の男が殺し役に選ばれ、(1人の老女と1人の母親5人の子供は洞窟に隠れていて難を逃れたが、それ以外)の約1000人を殺害し、残った10人も相互にくじを引き選ばれたものが殺され、最後の一人が自決したという。キリスト教徒は、自殺を大罪と捉える。しかし、「旧約聖書」「新約聖書」には自殺を禁じた文言はない。(クルアーンにはアッラーの言葉としてちゃんとある。)アウグスティヌスは、4つの理由を上げて否定している。第1に自分を殺すことは他人を殺すことと同じで「十戒」にあるとおり。第2にヨブ記にあるように、自殺は絶望が動機となるが神への真の信仰を持つものは絶望しない。故に自殺は信仰心の否定。第3に、自殺してしまえば、悔い改めることが出来なくなる故に。第4になにかの責任を取って自殺するのは別の罪を避けようとするものである故。トマス・アクィナスは、生命は神から与えられたものであり、それを途中で勝手に終わらせるのは神への反抗であるとした。しかし、このユダヤ戦争の時代は、このような概念はない。しかも、エルアルサルは、兵糧を残していた。絶望によって集団自決したのではないことをローマ軍に示すためである。アウグスティヌスの第2の説を予期していたかのようだ。

逆説の世界史2を読む。

市立図書館で、「逆説の世界史2:一神教のタブーと民族差別」(井沢元彦/小学館)を借りてきた。一神教については、それなりの見識を持っているが、新たな知識の発掘のためにと思ったのだ。この本は、一神教徒ではない世界の50%を占める者(一神教は作られたものだという仮説を提示できる者)としての知のアプローチである。備忘録的にエントリーしていきたいと思う。

一神教以前に、一神教は造られたという視点が提示されている。エジプトのイクナートンの宗教改革である。しかもこのアトン神という一神教は、ファラオという王という神的存在と同時に存在していたことが、キリスト教を想起させるという話だ。ミルチャ・エリアーデという著名な宗教学者は、厳密に言えば一神教ではないといっている。この宗教は二段階方式で、王はアトン神を独占的に信仰し、エジプトの民衆はアトン神と共にある王を神として信仰していた。よって、神は2つであるというわけだ。この宗教改革は失敗した。ではなぜユダヤ教は成功したのか?と言う流れで、本編が始まる。

出エジプト後の民数記第20章で、モーセは水不足で騒ぎ始めた民のために、幕屋(礼拝所)で岩より水を出すように指示を受けたのだが、この際神の意思であることを言わなかかったが故に、この罪によって、モーセも彼の兄も約束の地に入ることが出来なかった。酷い話のように思うのだが、そもそも人間がこういう感想をもってはいけないのが一神教である。人間は被造物、神によって造られたモノに過ぎないのである。パウロは、後に神と人間の関係を壺作りと壺の関係に例えている。壺が気に入らなくて壊すのは壺作りの自由なのである。善悪を決めるのは人間ではなく神であるというルールは旧約聖書からすでに絶対のものとして貫かれており、ヨシュア記では、モーセの跡を継いだヨシュアとユダヤの民は、エリコとアイの街で大虐殺を行う。こんな事が許されるのは、神が決めたことであるからだ。…つづく。

2022年12月3日土曜日

長野主膳のこと

https://www.j-cast.com/2018/07/06332615.html
海音寺潮五郎の史伝「幕末動乱の男たち」の最後に、長野主膳のことをエントリーしておこうと思う。長野主膳は、井伊直弼の謀臣とされているが、海音寺は井伊直弼を陰で動かしたように書いている。この辺は定かではないが、二人三脚で彦根藩主・大老の地位を得たことは間違いなさそうだ。

井伊直弼は、藩主・直中の庶子で十四男。32歳まで300俵の部屋住みであった。(ちなみに土佐の山内容堂も分家の部屋住みで、両者ともに極めてラッキーな経過で藩主の座についている。)この井伊直弼の国学の師となったのが、長野主膳であるが、清河八郎なみ、いやそれ以上に胡散臭い人物である。そもそも出自もの不明。自らの美男子ぶりと和歌の指導と国学で成り上がった人物なのである。

埋木舎(うもれぎのや)と名付けた邸宅でくさっていた直弼を3日に渡って、藩主になる可能性を語り、激励し、師弟関係を結んだらしい。直弼が藩主となってからは、藩校の国学方に取り立てられる。彦根藩は大老になれる家柄で、主膳は次にそれを目指す。ちょうど将軍後継問題と条約締結で揺れていたが、主膳は紀州藩と結んで、直弼を大老に押し上げることに成功した。井伊直弼自身も、山内容堂同様に才ある人物であった。こんな記述がある。「大名になって、溜間詰めになってみると、同輩の大名らはいずれも大した者はいない。大抵が普通社会に出すなら中以下の人物だ。」

しかし、そもそもが野心(幕府を動かすほどの出世を望んでいた可能性もある、と海音寺は推測している。)の塊のような男故に、直弼に一橋派や京で朝廷を動かそうとしていた尊王攘夷派への処罰を進言した。朝廷から水戸藩への密勅の件で、様々に暗躍し、関係者を脅している。梅田雲浜の捕縛に始まる安政の大獄を陰で動かした。直弼も、大老という地位を利用して江戸で傲慢にやりすぎたことは確か。結局桜田門外で殺られるのだが、長野主膳も次の代になってから、士分も取り上げられ斬首されている。そのおかげで、彦根藩はすんなりと新政府側につくことになった。

この2人の師弟コンビの野心、わからぬでもない。身分に縛られた封建制度を親の仇と言った福沢諭吉のごとき凄みさえ感じる。この長野主膳、なんとなく、現代の竹中平蔵氏を連想してしまう。

2022年12月2日金曜日

W杯 スペイン戦勝利に驚く。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221201/k10013910191000.html
W杯スペイン戦は、今日の夕方4時からだと勘違いしていた。授業でサッカー部の生徒と話をしていて、「朝4時からでしたよ。2-1で逆転勝利しました。」「ええええっ」という感じで、日本代表の勝利&決勝リーグ進出を知ったのだった。信じられない話だ。映像で、追いついたゴール、逆転のゴールを見た。両方ともホント、紙一重のゴールである。

夕食時に、ヨーロッパをひたすら旅しているYouTuberで、今はドーハに滞在している「しげ旅」を見た。生で、ドイツ戦とスペイン戦を見た感動と緊張はすごいだろうなあ。それと同時に、コスタリカ戦の敗戦は、どれだけ落ち込んだだろうと胸を熱くした次第。

https://www.youtube.com/watch?v=GR0GH30mLxM&ab_channel=%E3%81%97%E3%81%92%E6%97%85

見事にすべての予想を裏切っての一位通過である。クロアチアも強豪だが、どうなるかわからない。やっぱ「苔の一念」やで。日本のサムライは…。

2022年12月1日木曜日

伊藤博文の英語力

中公新書の「伊藤博文」(瀧井一博著)を先日、「お金で読み解く明治維新」と一緒に市立図書館で借りてきた。ビッグネームなわりに私は詳しくない。憲法制定を推進し、初代総理大臣なわりに、「哲学なき政略家」「思想なき現実主義者」という評判もあり、維新の三傑の次世代故に軽んじていた面も正直あるからだ。

今日のエントリーは、読み始めてすぐなので、長州ファイブとして英国留学しながら、四国艦隊との攘夷戦を知り、たった半年で帰国した。それゆえにテクノクラートではなく、長州藩の外交担当となり出世していくのだが、素朴な疑問であるが、伊藤の英語力や如何?

吉田松陰の伊藤評は「周旋家」の才を認めながら、学力に関してはもうひとつ評価していない。だが、英語力はコミュニケーション力によるところが大きい。伊藤は、このコミュニケーション力に優れていたようで、以前下宿していた夫人に訪英中に手紙さえ書いている。要するに、ブロークンであっても意思疎通は十分できるほどに、半年で上達していたようだ。四国艦隊との和平折衝時も高杉晋作について通訳として活躍しているし、岩倉使節団でもサンフランシスコで岩倉の代理でスピーチもしている。私も経験があるが、意外にブロークンであっても大人のネイティブは喜んでくれる。もちろん、会話力だけでなく、徳富蘇峰にトルストイの「復活」が刊行されたことを伝えたり、津田梅子に米国理解のために読むべき本として「アメリカのデモクラシー」を渡したりと、英語の図書をよく読んでいたらしい。読解力も鍛えていたことはたしかだ。また、伊藤の英文の外交文書も残っているが、著者によると複雑な言い回しはしていないが、伝えたいことを実直に、また丁寧に記しているらしい。

博文という名前は、高杉晋作が論語の「君子博学於文」(君子は博く文を学び)からつけたらしい。この名の通り、知識を得ることによって身分や藩という所与の狭い秩序を超越したのである。まさに「知は力」であるわけだ。

2022年11月30日水曜日

お金で読み解く明治維新 2

https://tanken.com/tiken.html
「お金で読み解く明治維新」の最終章は、維新で誰が得をして誰が損をしたのか?という問いかけである。

維新でかかった費用を最も負担したのは、昨日のエントリーにあったように商人である。江戸時代は、商人から税金を取らなかった時代で、時々臨時の「御用金」や「徳政令」が出たものの「いい時代」だった。しかし、その帳尻を合わすように軍費の負担を強いられた。維新後は、さらに幕府や藩が借りていた金を棒引きにされてしまう。「版籍奉還」「廃藩置県」がスムーズに行ったのは、各藩の財政が破綻していたからであり、各藩の藩札や藩債は新政府が肩代わりした。外国への返済は優先的に返済されたが、国内の商人には棒引きにされたので、江戸時代の大商人の多くは維新期に没落するはめになった。大坂の豪商34家のうち、24家が破産、絶家し、明治まで生き残ったのは9家のみだったという。

武士も商人以上に大きな損失を被った。「版籍奉還」「廃藩置県」は、新政府の財源を確保する目的があった。新政府は、旧徳川家や賊軍となった藩かの領地を直轄地(約860万石)としたが、到底足りなかったのである。「廃藩置県」で藩は廃止され、新政府が武士への俸祿を支払うことになった。とはいえ国家支出の30%にも達したから負担が大きい。段階的に減らし、明治9年に廃止し、一時金(俸祿の5年~14年分)を配布した。新政府の官職にありつけたものは、16%(明治14年の帝国年鑑)に過ぎなかった。武士階級が外国の脅威から日本を守るために起こした革命である明治維新だが、武士階級は最も多くを失ったわけだ。

薩長は得をし、旧幕府や会津など東北諸藩は損をしたように思われるが、直後はともかく、世界史的に見ても意外に平等に扱われている。新政府の官僚の3割は幕臣だし、岩倉使節団には14人もの幕臣が含まれていた。南北戦争などでは、南部の政治家や軍人は死ぬまで選挙権剥奪・公職追放されたままで、公共投資も後回し、平均所得も北部の半分以下、生粋の南部出身の大統領が出たのは、150年後のカーターまで待つことになる。日本では、盛岡藩出身の原敬が首相になったのが32年後である。江戸を首都とし、旧幕府・東北を差別するような政策はなく、全国で3番目の東北帝国大学が仙台に設立されたり、優遇されているといえる。これは世界史的には稀有なことらしい。薩長閥の政府高官が多いと言っても、ごく一部の人間で、多くの薩長藩士は他の武士階級同様であった。萩の乱や西南戦争もそういう不満の延長線上にある。

一番得をしたのは、実は農民である。「版籍奉還」「廃藩置県」により、土地は武士(藩)のものから国家(天皇)のものとなった。新政府は、無償でその土地を農民に与えたのである。さらに地租改正によって、年貢が現物から金銭に変わった。土地代の3%という税率は、江戸時代の収穫物の34%程度で同等か若干低い負担率だった。江戸時代は収穫率が上がっても年貢率も上がったのだが、土地代の3%なので、収穫率の上昇はそのまま利益に繋がる。これによって、農業生産が急拡大した。(明治6年と45年の米の収穫量は2倍以上になっている。)明治になって、これは単なる納税方法の転換ではなかったのだ。しかも、農民にも、移動の自由、職業選択の自由も与えられた。GHQの農地改革などとは比べ物にならないほどのダイナミックな「農地開放」が行われたわけだ。明治維新というと商工業の発達ばかりが取りだたされるが、農業の大発展が富国強兵を支えたのである。

著者は、武士階級が自ら既得権益を手放し、国民に各種の自由と権利を与え社会を近代化させようとしたのが明治維新であり、だからこそ国民の多くが新政府が実施した急激な社会変化を受け入れ、団結して近代化に取り組んだのだと結んでいる。…なるほど。

2022年11月29日火曜日

お金で読み解く明治維新

先日市立図書館で借りた「お金で読み解く明治維新」(大村大次郎/ビジネス社)と、海音寺潮五郎の山岡鉄舟にまつわる江戸無血開城の話を、対欧米列強外交と財政面という両面から今日は見てみたい。

慶喜の命を受けて駿府の西郷を訪ねた山岡はその任を全うするわけだが、海音寺の史伝によれば、西郷の方にも思うところがあったようだ。西郷はそもそも武家政治を終わらせるためには、相当大きな血を流す必要がある、そうでなければ人心が改まらないと考えていたのだ。しかし横浜に人を送り判明した各国の外交団の意見は、すでに恭順している前将軍を官軍があくまでも討つというのは不法である、このような不法が行われるならば、軍を持って居留民の保護にあたるという意見が強く、幕府側についているフランスは特に強硬であったとのこと。海音寺の表現によれば、「頭のてっぺんをどやされたような衝撃」を受けたらしい。植民地化を何より避けたい西郷は、方針を変える機会を待っていたのである。そこへ、西郷好みのサムライ・鉄舟が来たというわけだ。

一方、鳥羽・伏見の戦いから、1ヶ月以上たってから官軍は東征に出ている。これには、財政上の問題が大きくのしかかっていた。小栗上野介のところで触れたが、幕府財政も火の車であったが、新政府には、もっと金がなかった。孝明天皇の一周忌を行うことすら出来ない状況だったのだ。新政府側の財政は、越前の由利公正が担うことになった。これは龍馬の招聘によるもので、大政奉還の成立後、危険を顧みず越前に赴いている。龍馬と由利は勝の海軍塾への資金援助以来の旧知の仲で、由利の藩財政建て直しの手腕(農民や商工人に生産資金が不足していることを見抜き、藩の信用創造で藩札5万両を発行。貸し付けた。生産性が上がったところで、生産物を独占的に買い取り、長崎を始めとした通商ルートを開拓し、生糸、茶、麻などを海外に売り、海外から金銀貨幣を獲得し、藩財政を2・3年で回復した。)に惚れ込んでいたのである。その後龍馬は暗殺されたが、鳥羽伏見の戦いの後、新政府の東征の軍費の太政官会議に招集された由利は、300万両は必要と言い、公債を発行し商人に買い取らせることにした。1月29日、二条城に大坂・京都の商人130人を集めた。三井などを為替方(政府取り扱い銀行のようなもの)に任命し利権を与えることで味方に引き入れた。2月11日の時点で20万3512両の献金が集まったが、遠くおよばない。これ以上ぐずぐずはできないと官軍は軍費の算段がつかぬまま進撃を開始した。

官軍は2月7日、布告を出す。①兵糧については沿道の諸藩が一時的に負担、朝廷が後日返済。②幕府の貯蔵金穀を徴収する。③一般人には一切負担させない。④兵士の給料は泊駅白米4合金1朱、休駅は白米2合銭百文とする。進撃の経路にあたる藩には、兵糧を負担するか否かで、「朝敵」か否かを判断する、また1万石あたり300両を上納させた。これに応じない場合も「朝敵」として征伐されることになった。征伐された後、さらに莫大な上納金を取られるわけだ。

西郷らは、駿府で待機していた、というよりは軍資金がなく動けなかったのである。山のような請求書がたまっていたらしい。(笑)江戸城の無血開城が決まっても、江戸に入れなかったのである。4月15日、三井らから4万両の資金を得て、4月21日にようやく江戸に入ったのである。

大法馬金
http://osaka-dokkaiko.blog.
jp/archives/10183580.html
江戸城を開城した官軍は、かつて126個あったが、今は1個になったという「大法馬金」(金貨を作る元:画像参照)を探したが、勝が西郷と話をつけ持ち出していたらしい。旧幕臣や旗本が慶喜と駿府に移る時に百俵以下の者の給料にしたという記録がある。

その後も官軍の軍費不足は甚だしく、江戸の金銀座の接収で得た20万両は、和宮その他の賄料で消えたし、彰義隊掃討戦や幕府が発注していた鋼鉄戦艦の代金やらで、50万両が必要となった。海援隊の陸奥宗光が三井や鴻池などから23万4528両をかき集め、グラバー商会から20万両を借受け、朝廷の手持ち金で補い50万両を準備した。しかしアメリカは「内戦の中立」を理由に軍艦引き渡しを拒否したので、この50万両が浮いた。しかし、あっという間に軍費で消えてしまったという。

戊辰戦争の軍費のため、新政府は内国債を発行、「朝廷の財政が窮乏しているのを知っていながら、財力があるにもかかわらず」、募債に応じないものは、国恩をわきまえない不忠者ゆえ、それ相応の取り計らいをする。」という文言が付け加えられていた。脅迫である。(笑)明治2年の段階で、由利が示した軍費300万両の目標は、267万両にまで達した。これで官軍は函館まで遠征できたのである。由利の予測はあたっている。凄い財政家だったわけだ。

外交と財政、この2つが江戸無血開城という幕末のドラマに隠されていたわけで、なかなか興味深かった。戦争には、とにかく金がかかるのである。

2022年11月28日月曜日

山岡鉄舟のこと

山岡鉄舟の書 https://www.matsumoto-shoeido.jp/collections/902
海音寺潮五郎の「幕末動乱の男たち」を借りたのは、山岡鉄舟の項があったというのが大きい。私は山岡鉄舟が好きで、このブログでも何度も書いている。ところで、海音寺潮五郎のこの本、ノンフィクション的な歴史小説だと思っていたが、史伝文学というジャンルらしい。フィクションの要素を完全に排しているのである。ウィキで調べていて気づいた次第。以上11月22日のエントリーの訂正。

さて、山岡鉄舟の項を読んで、やはり凄い人物であることがわかる。これまで読んできた内容にはない話としては、十五の時に座右の銘二十則をつくったこと。これを一生貫いたのである。大谷翔平選手が高校時代に設定した野球への取り組み目標に近い。やはり一流は違う。

21才の頃、ある旗本の家に友人とともに呼ばれて饗応されたが、主人が自らの健脚を自慢し、明日江戸から成田へ、下駄を履き徒歩で参詣に行く予定だ、誰か同行しないか。鉄舟はただ一人それに応じたのだが、翌朝は激しい風雨で、主人は飲みすぎてしかもこの天候ゆえ行かないという。だが、鉄舟はせっかくだからと、1人で成田を往復する。夜11時に、下駄の歯はみなつぶれ全身にはねが上がり泥だらけになり、その屋敷に帰着報告に立ち寄ったという。この「苔の一念」的な部分が、鉄舟の一生を貫いているわけだ。

講武所の世話役として、熱心に稽古に励んだのはいうまでもない。しかし、小野派一刀流の浅利又七朗にだけは叶わなかった。剣を持つと彼の姿が浮かんで消えなかったという。それを剣禅一味の修行で、彼に勝利したのは45歳だったというから、凄い話である。これも「苔の一念」としかいいようがない。

海音寺の史伝文学として、新たな発見だったのは、1つは北辰一刀流の関係で清河八郎と親密であったという事実。鉄舟にはない魅力があったのだろうが、幕臣として彼の暴発を止める役割をしていたようだが、この事が、勝の後ろ盾だった大久保翁の疑心を生んでいたようで、勝に注意を与えていたようである。

西郷の元へ行く際のなりゆきも発見であった。これまで勝の依頼だと思っていたが、寛永寺で徳川慶喜の警護をしていた高橋泥舟(鉄舟の義兄にあたる)に、慶喜から最初声がかかる。だが、泥舟の警護ははずせないので、誰かいないかと聞くと義兄の鉄舟の名を挙げた。鉄舟は慶喜の恭順の意思を確かめた上で、役に立たない勝ったと後に語られる匿名の上役2人を訪ねた後、勝のもとに行ったようだ。前述のように勝は鉄舟を怪しんでおり、議論をしたうで西郷への手紙を託したようだ。

江戸開城がなった後、山岡は西郷の護衛に着く。恩義を感じての行動である。その後願いで、明治天皇の侍従となるが、10年だけと約束し、きっちり10年間勤め上げている。このあたりの「苔の一念」も見事である。

昨夜は、日本代表がコスタリカに不覚を取った。「苔の一念」で無敵艦隊スペインに勝しかない。頑張ってほしいものだ。

2022年11月27日日曜日

期末試験が完成した日

ここ何日か、期末試験を作っていて、パソコンにずっと向かっていた。そしてついに、倫理・政経とも完成した。私は試験を作るのは嫌いではない。と、いうより大好きな趣味といったほうがいい。ついつい凝ってしまう。この間、天候のこともあるが糖尿病対策の散歩にも行けなかった。

そこで、今日は天気が良いので妻と久しぶりに散歩にでかけたら、家猫がいる家の前から、トラ君がやってきて甘えてくれた。(ここの家猫君たちとは、夏休みの散歩時に何度か合っている)いやあ幸せのナデナデ。猫はかわいい。さて、いつもと違う道を行ったら、ヤギさんがいるお宅を発見。ご主人が小屋の掃除を、子供が鶏の世話をしていた。近くにこんなところがあったとは…。実に驚いた。いい散歩だった。

ベランダでは、妻がせっせと皮を剥いて、ホワイトリカーで消毒した干し柿が夕陽を浴びている。完成が実に待ちどうしい。

というような緩やかな日曜日。今晩は日本代表の正念場、コスタリカ戦である。

2022年11月25日金曜日

マレーシア新首相 タクシン氏

https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/world/mainichi-20221124k0000m030301000c.html
マレーシアの総選挙で 過半数をとった政党がないまま5日間。すこしヤキモキしたが、国王が、有力な国会議員と懇談後、現状では最大多数の政党・希望連盟のアンワル氏を首相に指名したようだ。マレーシアでは、首相指名権・行政権は国王にある。ただし、国王は議会の多数派の首相候補を追認するパターンが主だが、今回は大局からの判断をされたのだと思う。

なぜなら、アンワル氏は、マハティール首相のもとで副首相を務め、後継者と見られていたのだが、アジア通貨危機の際、財務大臣でIMFの指示を受けようとした際に対立。結局、マハティール氏の強硬策で危機を乗り切った。その陰でアンワル氏は同性愛の罪で逮捕された。

私がマレーシアに在していた前回の総選挙では、マハティール氏は、当時政界にまだ復帰していなかったアンワル氏を自分の次の首相と明言し、歴史的勝利を上げた。しかし、なかなか禅譲しないまま、退陣する羽目になり、後継問題はうやむやになってしまった。とはいえ、前回の選挙では、アンワル氏の存在がかなり大きかったと言えそうである。それくらいの人物なのである。

コロナ禍や世界的なインフレの中で、マレーシアの政治が混迷することは一刻も早く避けなければならない。国民の多くもそう考えていたであろうし、経世済民の思いを強く持つ国王もそう考えられたのであろう。経験もあり、様々な経緯を乗り越えてきたアンワル氏の手腕に期待されたのであろうと思うのだ。マハティール氏も落選し政界を引退するだろうから、アンワル氏が首相になることを、国民の多くは、歓迎するのではないかと思う。早速、ご祝儀相場で、リンギが上がったらしい。(習近平続投決定の時とは違う。笑。市場も好意的だということだ。)

今回のマレーシア政治の動きについて、詳しいJ君の考察を是非聞きたいものだ。

追記:今日の夕食は、マレーシアの前途を祝してナシレマである。この日本で売っているサンバルソースはなかなか辛いっ。

2022年11月24日木曜日

祝 W杯 ドイツ戦 逆転勝利

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221123/k10013901291000.html
ドーハの悲劇のリベンジというのだろうか。W杯日本代表が、優勝候補のドイツを相手に、2-1で後半逆転勝利した。LIVEで見れたわけではないし、最近の代表選手はそれぞれヨーロッパ各地で活躍しており、あまり属性がないので感動も以前のように大きくはないのだが、それでもドーハの悲劇をLIVEで体験した世代として、大いに喜びたいと思う。

森保監督に対して、マスコミもYou Tubeも、かなり風当たりが強かった。これまであまり結果が残せていたなかったからだろう。直前のカナダ戦でも負けたし…。あまりに監督への評価が厳しいかったので、マスコミや有識者のの掌返しが始まるのかと思うと、判官びいきというか、恥を知れと言いたいところだ。私などは、人間の価値基準を「美」においているので、そういう輩は美しくない。大嫌いだ。

ともあれ、日本代表と森保監督にアッパレである。…サウジアラビアの勝利もだけれど、今回のW杯、なかなかの荒れ模様である。

2022年11月23日水曜日

小栗上野介 ヒール考

http://blog.livedoor.jp/sexy2017/archives/35178679.html
どうも「上野介」と言う名前の人物は、日本史上のヒールである。吉良しかり小栗しかり。小栗は2500石の旗本で、以前は豊後守と称していたが、勘定奉行になった際に変更した。そのままで良かったと思うのだが、上野に領地があった所以かと思う。小栗上野介。幕末では、勝海舟と並び称せられる幕臣である。まあ、事実上の政敵であるのだが…。

海音寺潮五郎の「幕末動乱の男たち」(上)の最後に、小栗上野介の話が出てくる。海音寺も小栗のことを決してベビーフェイスだとは見ていない。勝の「小栗は幕末の一人物だよ。あの人は精力が人に優れて、計略に富み、世界の大勢にもほぼ通じ、しかも誠忠無二の徳川武士で、先祖の小栗又一(戦国時代の徳川軍の一番槍をを何度もしたので又一と言う名をもらった武将)によく似ていたよ。一口に言うと、あれは三河武士の長所と短所を両方そなえておったよ。」という批評に海音寺は十分納得している。

つまりは、素晴らしく有能な働きをした幕臣なのだが、幕府への誠忠無二故に、危うく日本を植民地化する可能性も生んでしまった危ない男と言うことである。…たしかに、その通りだと私も思う。

小栗上野介はたしかに有能で、あの幕末時の幕府の財政を立て直したと言われている。学園の図書館から、「お金で読み解く明治維新」(大村大次郎:ビジネス社)という本も借りていて、併読しているのだが、「怪物」と称されている。先に結末を記してしまうと、同じ幕臣でも榎本武揚は箱館戦争で最後まで抵抗したのに許され、新政府に出仕しているのに対し、小栗は戊辰戦争で、無抵抗・恭順だったのに首をはねられてしまう。それだけ新政府にとって恐ろしい男であったようだ。

海音寺の本を読んでいると、勘定奉行や外国奉行、陸軍奉行などを歴任した小栗はかなりフランスの戦略に乗っているのがわかる。フランスもまたロッシュが中心になって幕府にテコ入れをしていく。横須賀の造船所、幕府陸軍のフランス化など。フランスは、イギリスの狡猾な植民地経営ではなく、直接支配的であるというのが、よくわかる。

慶喜が鳥羽伏見から急遽江戸に戻った際、主戦論を主張する。「箱根でも碓氷峠でも防がず、全部関東に入れた後、両関門を閉ざし、袋の鼠にしてしまう。一方軍艦は長駆して馬関と鹿児島を衝く。こうすれば形成は逆転して幕威はまた振るうに至る。」この戦術を後に聞いた大村益次郎は戦慄し、「これが実行されていたならば我々は生きてはいられなかっただろう。」と言ったと伝えられている。ところが、海音寺は、これはフランス士官の入れ知恵であろうし、天才的戦術だとも言えない。西郷が久光の上京を反対した時、同様に鹿児島が攻撃される可能性を説いている。この戦術は常識的でさえあったのだ。大村益次郎の言も眉唾ではないかと手厳しい。

海音寺は、結局勤王も佐幕もなく、日本を外国の餌食にしてはならないと念じ続けていた勝海舟が幕府側の代表者となり、イギリスの力は利用しても、日本の政体改革は日本人だけでやらなければ面目が立たないとアーネスト・サトーの援助申出を断った西郷が官軍側の代表者となって話合いをつけたことは、日本の大幸運だった。小栗が幕府を代表していれば、また官軍側に小栗のようなイギリスにもたれかかった人物がいたら、真っ二つに引き裂かれていただろうと書いている。

まさに私もそう思う。日本がなぜ植民地にならなかったか、その最大の理由は、武士の存在である。生麦事件のような凶暴な一面と、世界でも類を見ない教養の高さ(勝や西郷の如き人物の存在)、農工商の人々もまた識字率が高く、資本主義的発展も見られた日本は、結局列強の「市場」となることで、まずは災厄を免れたと考えている。小栗上野介の存在は、幕臣としては正義だが、日本という存在から見ると、やはりヒール扱いになるわけだ。(画像を検索していると、上野の地元はさすがにベビーフェイスのようだ。たしかに近代化に寄与していることは間違いない。)

追記:マレーシアの総選挙があり、97歳のマハティール元首相は議席を失い、勝者なき総選挙といわれるほど、与党も野党も過半数を取れず、今は合従連衡に動いているようだ。18歳から投票が可能になって、若者の意志が前面に出てきたという報告もある。もう少し落ち着いたら、我がブログで取り上げたいと思う。

2022年11月22日火曜日

海音寺潮五郎を読む。

学園の図書館で、海音寺潮五郎の「幕末動乱の男たち」(上・下)を借りてきた。私は、この時期の歴史小説しか興味がないのである。(笑)ここで、取り上げられているのは、上巻が有馬新七、平野国臣、清河八郎、長野主膳、武市半平太、小栗上野介。下巻が、吉田松陰、山岡鉄舟、大久保利通、三刺客伝(田中新兵衛・岡田以蔵・河上彦斎)である。吉田松陰と大久保利通を除いて、なんとなくマイナーな感じがいい。

さて、海音寺潮五郎を読むのはかなり久しぶりである。「西郷と大久保」以来かな。幕末の時代小説はかなり読みこんでいるが、やはり絶対数が多いので司馬遼太郎が主である。それから山岡荘八、大佛次郎といったところになる。最近は吉岡昭も含まれる。

今回、海音寺潮五郎を読んでいて、あれっ?と思ったのは、鳥羽伏見の戦いの前後、江戸で薩摩藩屋敷を中心に浪士が集まり、江戸の治安が悪化した件。司馬遼などの記述によれば、これは西郷の陰謀説だったと記憶する。今回、読んだ海音寺潮五郎では、西郷は浪士たちを抑えるため益満休之助(山岡鉄舟と駿府に行く、勝海舟があづかっていた薩摩藩士)を送ったことになっている。(もちろん、彼らを使い挙兵することも念頭にあったと海音寺も書いている。)微妙な相違のような、大きな相違のような…。作者が違えば当然と言えば当然。

また海音寺は、鳥羽伏見の戦いを兵力数から幕府軍有利だった、と見ている。なのに、朝敵の汚名を恐れて慶喜が逃げたという書き方をしている。しかし、薩長土の兵器と幕府軍の兵器の差は大きい。もし戦わば、薩長土が一蹴したような気がする。この辺も司馬遼や山岡荘八、大佛次郎と違うところである。

この本は、資料を丹念に調べ上げたノンフィクションといった色彩が強い。歴史小説のようではあるが、新しい歴史的事実が垣間見えて面白い。