2017年1月31日火曜日

アフリカの話題を纏めて4題。

http://culturetrade.net/afirka_rose_event/
今月は、アフリカの話題を1つもエントリーしていない。ブログのタイトルから、恥ずかしいかぎりである。いい話を中心にエントリーしようと思う。

まずは、ガンビアで選挙に負けた元大統領が居座っていた話。やっと新大統領が帰国できたとBBCが伝えている。よかったなあ、と喜んでばかりもいられない。国庫に納められていた1100万ドルが消えていたとの情報もある。赤道ギニアに亡命したとの情報もあるけれど、国庫のカネの情報ともどもBBCは確認していない、とのこと。もし、それが事実ならば、逃げれると思っているのだろうか。自分のやることのシミュレーションができない指導者は悲劇を生む。自分だけならまだしも国民を巻き込むからだ。世の中には、そんな政治指導者が南北を問わず生息しているようである。うーん、いい話ではないなあ。

関西ペイントの除菌塗料の話は、以前エントリーしたことがある。(16年10月10日付ブログ「南アで命を救う日本の塗料」参照)ウガンダの建築用塗料大手のサドリングループを買収し、いよいよアフリカでのビジネスに乗り出すようだ。これは、朗報。ビジネスとして成功はもちろんだが、アフリカの保健医療のために、大いに奮闘してほしいところである。

パナソニックも、アフリカで低価格($100くらい)のスマートフォンの販売を拡大しているらしい。これらはインドの工場で生産されたもの。知名度を上げて、さらにインドで生産した白物(エアコンや冷蔵庫、洗濯機など)の販売に繋げたいとのこと。まさにグローバルな話である。いずれは、アフリカにも工場がつくられるはずだ。関西の企業はアフリカで、頑張っているのだ。

さて、最後は静岡とウガンダを結ぶ話。ウガンダで、シングルマザーの支援として手作りのバッグを生産している長女の製品を、母親が静岡の伊勢丹百貨店のバイヤーに飛び込みで談判、販売することになったという話。(今日の画像参照)なんと催事コーナーで、初日用意した20個が完売したというのである。このバッグ、なかなか派手で個性的。RICCI EVERYDAYという会社だそうだ。私は、どちらかというと、ポール・コリア-の影響もあって、「フェア・トレード」というカタチより、こういういい製品を作ってビジネス的に成功させるのが王道だと思っているので、すばらしい話だと思う。
価格は8700円~12000円らしい。(もちろん日本での小売価格)シングルマザーは1週間くらいで1つ作るとのことなので、彼女らが手にするのはどれくらいかはわからないが、現地ではかなりの収入増だと思われる。
RICCI EVERYDAY、これからも頑張って欲しいな。

2017年1月30日月曜日

トランプ=プロレス政権論

http://wedge.is
media.jp/articles/
-/8192?page=3
東洋経済のWEBに、在米の投資銀行家の山口正洋氏の記事(トランプ政権の「化けの皮」はすぐに剥がれる)が載っていた。なかなか興味深い内容で、在米の人ならではの、トランプ政権をめぐる人々やマスコミに対する冷静な俯瞰が述べられている。さらに続いて、こんなことが書いてあった。

トランプ政権は、あのWWEのようなプロレス政権だというのである。「お前殺すぞコノヤロー!」と過激にショーアップして、とんでもない技をかけてくるが、真剣にやらないのがプロレス。つまり手を抜き、相手が受け止めれる範囲でかけてくる、というトランプ=プロレス政権論である。

…たしかに、プロレスの「アングル」(興行を盛り上げるための、抗争などの筋書)よろしく、プアー・ホワイトを熱狂させたが、閣僚の実態を見ると、結局、嘘つきとしか言いようがない。プワー・ホワイトとはかけ離れた政権である。

…WEB上のニュースでは、例のシリアを始めとしたイスラムの人々の入国禁止を受けて、空港が大混乱し、抗議デモが起こり、裁判所がこの大統領令に対して異議を申し立てている。違憲だという意見も強い。もう無茶苦茶だ。おそらく、トランプは、水攻めの拷問の件のように、言うだけ言って閣僚に後の処理をまかすのだろう。

山口氏は、このシーンをトランプのTV番組「アプレンティス(見習い)」と同じだと記している。素人を集めて金を渡してビジネスをやらせ、かなりの無理難題を押し付ける。ダメになると「お前はクビだ。」となる。これをホワイトハウスでもやろうとしているのではないか、それが山口氏の危惧である。

サポートしている共和党の人材がなんとかしてくれるという楽観視するむきもあるが、トランプ政権は自動ブレーキやABSなどの近代的な安全装置が全くついていない馬力だけがでかいアメ車のようなもので、ガソリンだけガバガバ食ってぶつかったら大破する、という覚悟が必要、と山口氏は主張している。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170128-00155851-toyo-bus_all&p=1

…なるほど。まったく、とんでもないことになったもんだ。だが、アメリカの三権分立、就中、裁判所の違憲立法審査権の効力を私は信じたい。今や、ジェファーソンの残した偉大なシステムだけが、世界を救うかもしれない。

2017年1月29日日曜日

チョウキットのシーク教寺院

先日、マレーシアの下町と言われるマスジッド・ジャメ周辺を歩いたが、今回はさらにその北にあるチョウキット周辺をあるいてみようということになった。旧正月で、華人の店は閉まっているが、マレー系、インド系は関係がないからだ。「地球の歩き方」の地図を調べていた妻が、「シク寺院って書いてあるで。近いで。」と言い出した。おお。シーク教の寺院があるらしい。中に入れるかはともかく、宗教学の徒としては、是非とも行ってみたい。と、いうわけで、またまた650番のバスで出かけたのである。今回は、セントラル駅で降りて、モノレールの「チョウキット」駅(終点の1つ手前である。)まで一気に向かうことにした。
シーク教寺院の外観
チョウキットは、高床式の古い住宅が残っていたりして、なかなか趣のある町だった。(上記画像参照)少し迷ったが、マレーのおじさんがシーク教の寺院への行き方を教えてくれた。なんとなく入れそうな雰囲気だった。入り口にいた人が、「入ってもいいよ。」と言ってくれたのだった。超ラッキーである。ただし、裸足になること、手を洗い清めること、さらに妻にはスカーフ、私にはバンダナを被ることが条件だった。うーん、シナゴーグでキッパは何度か被ったが、シーク教ではバンダナを被るのである。1階(日本で言う2階)が礼拝場だった。入り口から絨毯がまっすぐひかれ、その先に祭壇というか、天蓋のあるベッドのような場所があって、宗教者指導者らしきおじいさんがいた。そこで礼拝をするようだ。ここまで導いてくれた若者は、賽銭箱にRM1札を入れ、イスラムに似た礼拝をしていた。そして、ヒンドゥー教のように、その周囲を回ってさらに礼拝。シーク教は、イスラムとヒンドゥーの中間的な宗教だという意味がわかる。礼拝者が礼拝するたびに、宗教指導者のおじいさんは、扇子のような、いやハタキのような道具で祝福をしている風に見えた。その一方で、右の一角でパワーポイントを使って説教が行われていた。

後で、調べると、ちょうど週に1度の礼拝の時間(11時くらいから)だったようだ。礼拝の対象は、ユダヤ教のトーラーのように経典であることがわかった。またグランドフロア(日本で言う1階)は食堂になっていたが、これは無料で食事が振る舞われるとのこと。ヒンドゥー教のジャーティ(日本で言われるカースト制度)では、身分の違う者同士は一緒に食事をしないが、それへの批判であるらしい。シーク教もなかなか興味深い。

マレーシアのシーク教徒は、穏やかである。異教徒の私たちにも、容易に笑顔を返してくれる。今までの経験では考えられない。いやあ、なかなか貴重な体験をしたのだった。

その後、有名なチョウキットの市場を覗いた。噂通り牛の頭や羊の頭ごと売っていた。さすがに写真は撮れなかった。シーク教の寺院内と同じで、あまり興味本位的な写真を撮って喜ぶのは多文化理解を教える身としてはふさわしくないような気がしたのだった。
さらに、先日歩いたトゥンクアブ・トゥル・ラーマン通りの屋台街を南下した。先日より屋台が少ない。おそらく華人の屋台が出ていないからだと思われる。客も、もちろんマレー系かインド系のみ。前回買ったプリンがおいしかったので、また買おうと言っていたのだが結局出ていなかった。かわりに購入したのが、RM5のマンゴー牛乳。これがすこぶる美味で、スムージー状で冷たくて、暑い中歩いてきた我が夫婦には、まさに「生き返った感があるほどの絶品」(妻の言)だった。

インド人街の日本食レストランで、昼食をとった。最近出店したばかりの店で日本人オーナー夫妻の苦労話つき。(笑)私は天丼、妻はお好み焼き。なかなか美味しかった。このあたりは、日本人もいないし、華人も少ないので、日本食レストランが成功するかは未知数。大変そうだ。是非頑張って欲しいと思う。…そんなこんなの「ふれあい街歩き」であった。

2017年1月28日土曜日

朝鮮日報の記事を読む。

http://polandball.blog.fc2.com/blog-entry-193.html
このところ、日韓の雲行きが怪しい。何度かエントリーしているように、私は被害者の立場を理解すべきだと信じる立場である。だが、韓国の情治主義的な主張には、おそらく多くの日本人は辟易としてると思われる。正直、私も少し違和感を感じている。そんな中、WEB版の朝鮮日報(もちろん日本語版)に興味深い記事が出ていた。朝鮮日報は、韓国で最も部数の多い新聞である。

まずは、1月21日付けのソンウ・ジョン論説委員のコラム。「韓国の歴史上、日本を軽視した時に何が起きたか」である。かなり長いコラムなので、その趣旨をまとめるのは大変だが、韓国が日本の植民地支配を受けいて以来、「親日」はタブーであり、社会的に葬られるのを覚悟しなければならないほどになったと歴史を紐解き、。故に、日本の実体から遠ざかってしまっていると主張する。日本の現場で7年経験した氏は、こう書いている。「日本は強い国だ。経済の強国、文化の強国だ。憲法を改正すれば、すぐに軍事強国にもなる。国際的に尊敬も集めている。私たちは、そんな国の大使館前に70年ほど前のあやまちを追求する造形物を設置した。適切に解決されるように努力すると国として約束したにも関わらず、総領事館前に新たに設置した。かつて日本はあやまちを犯した。だが、私たちと同じような苦難を経験した他のどの国も、相手にこんな風にはしていない。韓国はそうしても構わない国なのだろうか。今、日本が落ち着こうとしている理由は、私が知る限りひとつだ。韓国が米国の同盟国だからだ。」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/20/2017012001474.html?ent_rank_news

http://polandball.blog.fc2.com/blog-entry-2026.html
もうひとつ。1月22日付のキム・テフン世論読者部部長のコラム。「ナミビア人に笑われる”謝罪するドイツを日本は見習え”論」である。韓国の最大野党の発言をとらえて、こう書いている。(趣意)「心が込められた謝罪がそうでない謝罪よりも良いのは当然だ。しかし、国と国との謝罪にも心を込めなければならないのだろうか。外交と倫理を混同してはいけない。謝罪に応じない日本を非難するとき、我々はドイツのことを良く引き合いに出す。しかし、ドイツも実際にはいつでも謝罪に応じているわけではない。ワルシャワのユダヤ人慰霊碑には膝をついたが、一方、旧植民地のナミビアには謝罪などしてこなかった。1904年からの4年間に75000人以上の虐殺をしたが、100年以上その事実を認めず、昨年やっと謝罪したのだ。今月5日、ナミビアの部族長らが米国で損害賠償を求めて訴訟した。ナミビア人の前で、ドイツを見習えなどといえば笑い者になる。国家間の謝罪とは本来そういうものだ。日本は昨年広島にオバマ大統領を謝罪は必要ないので来て欲しいと呼びかけた。ベトナムも(米国に)戦争中の被害について正式な謝罪を求めてはいるが、中国の南シナ海問題で訪問を求めた時、この問題については一言も触れなかった。韓国もまた達成すべき目標がある。北朝鮮の核兵器を破棄し大韓民国を統一することだ。そのためには、時に怒りや失望にも耐えなければならない。この目標を果たせば、日本はわれわれをこれまでとは違った目でみるだろう。」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/20/2017012001627.html?ent_rank_news

この両コラムは、日韓関係の真実をついていると思う。韓国にもこういう知性に基づいた意見があることを知っておくべきだと私は思うのである。

2017年1月27日金曜日

ライオン・ダンスを見に行く。

マレーシアは、明日から旧正月である。IBTも今日からスクール・ホリデーに入った。今日は出勤してもよかったのだが、このスクール・ホリデー中に妻が一時帰国する予定になっているので、休みを取ることにした。昨年度(マレーシアは1月がら年度が変わる。)の有給休暇も余っているし…。

といっても、別段ホリデー中にどこかに行く予定はない。妻は、今日はミッドバレーに買い物に行きたい、とのことなので付き合うことにした。取り立てて記しておくほどの買い物でもない。(笑)だが、ミッドバレーのメガ・モールでは、旧正月の飾りつけが奇麗なので、写真に撮っておきたいと思っていた故、これ幸いである。うまくいけば、M先生から教えていただいた華人系の出し物も見れるかもしれない、そう思ってバスに乗ったのだった。
上の画像のライオン・ダンス部分を拡大したもの
ちょうど12時すぎにモールに着いた。奥のセンターコートから中国系のシンバルの音が鳴り響いていた。少し速足で行くと、やはり「ライオン・ダンス」をやっていたのだった。中国版の獅子舞(きっとこっちが本家だと思うが…。)である。日本のものより、かなりアクロバティックである。私は初めて生で見た。

クアラルンプールでは、旧正月が近づいてから、やたら赤色が目立つ。華人の人々は赤色が大好きである。ミカンも目立つ。何でも、発音がお金と同じらしく、福を呼ぶと縁起物らしい。住処から見える道教寺院も赤いテントが林立していて、旧正月の雰囲気を盛り上げている。実は、我がコンドミニアムのグランドフロア(日本でいう1階)のエレベータ乗り場も、だいぶ前から完全に旧正月仕様になっている。そういう例をあげればきりがない。(笑)

問題は、夜の花火である。どんな恐ろしいことになるか、今からビビっている。

2017年1月26日木曜日

トレンガヌ州のニュース

トレンガヌ州 https://www.expedia.co.jp/Redang-Island.d6142189.Travel
普段、マレーシアの国内ニュースは、南国新聞や「Mtown」などの日本語フリーペーパーから情報を得ている。IBTのある日本人会館には、それらが置いてあるので、非常に便利である。

最新の「Mtown」誌に、興味深いニュースが載っていた。M先生に教えていただいたのだが、トレンガヌ州で、二輪車に乗っていた未婚のカップル26組を宗教局が拘束したとのこと。同州の2001年シャリーア刑法第34条に定めるわいせつ罪に該当すると判断したという。12日の夜9時から未明にかけて同局と陸運局が取り締まりをした結果、後部座席の座る女性が運転する男性に密着したり男性のポケットの中で手に触れていたりしていたらしい。拘束されたカップルは、その後教戒され、宗教局の取り締まり記録文書に署名後、釈放されたとのこと。
M先生と、この記事について少し話し合った。トレンガヌ州というのは、マレー半島東岸にあり、マレー系の比率が高く、イスラム法も他州より比較的厳しい地域だというのが共通認識。さもありなんと言うわけだ。クアラルンプールでは、中国系のカップルはかなり自由にイチャついているものの、マレー系の男女はそういうことはない。だが、こちらでも夜の二輪車でそういう行動をとっている若いカップルがいる可能性は否定できない。

日本から見れば、意外なハナシだとは思うが、マレーシア滞在が長くなるにつれ、特にトレンガヌ州のことだし、これが隣のケランタン州であっても別段驚くに値しない、至極当然のような気持になっている私がいる。

2017年1月25日水曜日

IBTの話(78) 国費生卒業式

F36国費・卒業生の合唱
今回も日本人会館のゲートに立った。卒業式に来られる保護者を案内するためである。オープン・スクールや、私費生の卒業式では、英語で対応していたが、今回はマレー語で対応することにした。と、いっても、私の知っているマレー語は、妻に教えてもらった左(キリ)とまっすぐ(トゥース)、右(カナン)くらいである。案内するにはそれでなんとかなるが、おはようございます(スラマッ・パギ)、ようこそ(スラマッ・ダタン)、卒業おめでとうございます。(スラマッ・タマッスコラ)をプラスした。「旅の指さし会話マレー語」で調べたのだが、結局「卒業おめでとうございます」は、寮からバスでやってきた国費生に向けて発することになった。最初私の発音が悪かったようで、うまく伝わらなかったが、ジャパニーズ・カタカナ・マレー語だと解ってくれたようで、大いに喜んでくれた。(笑)

保護者には、「おはようございます」と「ようこそ」を使ったが、十分笑顔で受けていただけた。遠いところを来ていただいたのだ。そういう「オモテナシ」の心がなにより重要だと私は思う。

卒業式は、予想通り素晴らしいものになった。私費生と大きく異なる点は、全員がJPAから支給されたスーツ姿であったこと。なかなか壮観である。女子学生も足を見せてはならないというシャフィーイ派法学に則って、スカートではなく、パンツのスーツ姿であった。それから、マレーシア国歌の斉唱があったこと。司会は、日本語とマレー語で行われたこと。(私費生の時は英語であった。)来賓の挨拶も、英語とマレー語であったことなどが挙げられる。私費生の卒業式では、来賓の挨拶についてすこしエントリーさせてもらったけれど、そういうわけで、今回の来賓の挨拶で語られたことについては、私にはさっぱりわからなかった。(笑)A先生やM先生も同様のようだった。

卒業生の日本語の歌も実に素晴らしかった。(画像参照)ふと、私の前任校・3年4組の卒業式後のHRでの合唱を思い出してしまった。ところで、その後の写真撮影までは、私はスーツ姿だった。写真撮影が終わって、急いで着替えたのだ。国費生の男子学生が金曜日によく来ていた礼拝用のマレーの衣装に、である。先日マスジット・ジャメに行ったことをエントリーした(1月14日付ブログ参照)が、この時に妻が選んでくれたもので、サプライズで、卒業生を喜ばせてあげたい、と思ったのだ。

実は昨日、B君が私にプレゼントしたいと、自分の礼拝用の服を持ってきてくれたのだ。その気持ちはものすごく嬉しかったけれど、気持ちだけ頂いた。彼といっしょにいた(私のけがの時カカシのあだ名をくれた)A君の二人にだけ、実はすでに服を買ったこと、明日着ることを打ち明けてその想いに答えたのだった。今でも、B君の気持ちが嬉しい。私と体型が似ていてる彼の服をみて、よく「いいなあ、格好いいなあ」と言っていたのだ。(笑)全ての学生が、私のサプライズに喜んでくれた。こういうサプライズは、実は日本の茶の心にも繋がる。ちょっとしたことだけれど、やはり日本的な「おもてなし」の心だと思う。これは少しばかり自画自賛がすぎるかもしれない。(笑)でも、私なりに全力で国費生の卒業式に参加させてもらったわけだ。

「理想に生きることをやめた時、青春は終わる。」私の座右の銘は、観念ではない。行動を伴ったものである。最高のクラスをつくって卒業させた2年前以来、失いそうになった、理想への思いをを、マレーシアでまだまだ行動に移していることに幸せを感じる次第。また、それを支えてくれている妻にも、いつもお世話になっているIBTの先生方にも改めて感謝したいと思う。

そして、F36の私費生・国費生の諸君にも…。

2017年1月24日火曜日

IBTの話(77) 百人一首

朝一番から、国費生のT大学希望者の面接指導をしていた。なんでもスカイプの面接があるらしい。さらに、1限目は、私費生のS大学の入寮についての書類を見て、いろいろと相談にのっていたのだった。
授業はなくとも、なんやかんやと忙しい。T大学の資料をプリントアウトして、休み時間に教室に持っていったら、日本語の授業で百人一首をやるのだという。おお。なかなか面白そうだ。

S先生も是非と言うので参加した。と、いっても、私は読み手に徹することにした。いくら国費生文系が日本語が上手くなったといっても、やはり百人一首の読み手をやるのは大変だろうという判断だ。かくいう私も初めてだが…。(笑)前々任校には、かるた部があって、しかも近畿大会出場の常連校だったこともあって、百人一首と無縁だったわけではない。やってみると意外に、なんとかそれらしく読めたのであった。

最初は男子チームである。マレー系の学生は、男女の体や手が触れ合う事がタブーであるので、こういう場合、どうしてもこんな構成にならざるを得ない。この辺が日本とは違うところだ。意外にみんな私の読む歌を集中して聞き、札をとっていく。やはり札をとれると嬉しいものだ。彼らの日本語の聞き取り能力は、百人一首をやれるまでに進歩したということなのだろう。少しずつ歌の解説も入れながら楽しんだのだった。その後、女子の3チームが次々と入れ替わって、ずっと読み手をやっていた。途中、S先生がミネラルウォーターをそっと持ってきてくれて助かったのだった。(笑)

昼からは卒業式のリハーサルであった。国費生は、文系理系とも寮住まい。まさに”同じ釜の飯を食った”仲間なので、団結力もかなりのものだ。スムーズに進んだと思う。彼らとの日々も、いよいよ明日が最後かと思うと、やはり寂しいものだ。

天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめん。(第12句:僧正遍昭)

今の気持ちを百人一首から無理やり選ぶとすれば、この句になるかな。ただし、「乙女」という語のシニフェには、男子生徒も入ってくるのだけれど…。(笑)

2017年1月23日月曜日

IBTの話(76) 最終講義2

5限目は、いよいよF36の国費生Cクラス最終講義だった。もう明日は卒業式のリハーサルである。これまで、冗談でアラビックで挨拶したことはあったが、最後なのでマレー語で挨拶した。”Selamat Petang”(昼の挨拶:スラマッ・プタン)である。IBTは日本語学校である。あくまで挨拶は日本語であるべきだが、最後の講義だ。彼らは、そんな心遣いに素直に喜んでくれる。大ウケした。

SDGsの17目標を、マレーシアの立場で検討するこのアクティビティ(1月20日付ブログ参照)。各グループにマレーシアが長じている項目と、早急に対処すべき項目にわけて黒板に書いてもらった。意外に「貧困」については問題ではないという結果になった。女性の地位向上も各グループとも十分だと考えているらしい。「環境問題」は、およそ各グループで問題視されていた。
さらに他のグループと討論することになった。7つのグループなので、3・2・2に再編成しての討論。これまたなかなか盛り上がったのだった。意見の違う人とどうコミュニケーションをとり、納得させるか、あるいは意見を受け入れるか?これがこのアクティビティの重要なところである。結局、問題点だけを記しておくと、「教育問題」「環境問題」「消費問題」がそれぞれのグループの最も重要度の高い目標であるとの結論となった。

全体討論。各グループの代表が、自分のグループの意見を解説する。皆、男子学生だったが、なかなか説得力がある。嬉しいかぎりである。これに反駁や賛成意見を募る。どうやら、「教育問題」への賛否の意見が多い。ひとつには、彼らの受けてきた教育制度が、後輩たちでは大きく変化しているらしい。たとえば、自然科学はこれまで全て英語の授業だったのが、今は全てマレー語(科学用語も、日本語同様にマレー語化されているらしい。)になっているとか、暗記中心の授業から思考重視になっているとか。この変化の是非とともに、政策的な問題で急激な改革への批判的な意見も出た。もっと時間をかけての移行やその成果の分析が必要ではないかなどといった意見もあった。まさに、日本に留学するにふさわしい国費生としての討論だったと思う。

結局、タイムアップになったので、多数決でF36Cの最終結論を決めることにした。「環境問題」(5人)や「消費問題」(7人)を抑えて「教育問題」(10人)ということになったのだった。私としては、先日のエントリーで述べたように、結論云々というより、こういう議論を経験してほしかったのだ。彼らには国費生として、是非ともこれからのマレーシアを背負う人材に育って欲しいという強い思いがある。最終講義は、十分にその目的を果せたと思う。

授業の最後は"Terima Kasih"(ありがとう:トゥリマ・カシ)という、マレー語で締めくくったのだった。

2017年1月22日日曜日

IBTの話(75) 謝恩会

学生手作りのスイーツが並んでいる
昨夜は、F36国費生の「謝恩会」であった。会場となる彼らの寮は、タマンデサにあるので、妻と徒歩で向かった。ケーキなどは朝から、それ以外は午後から女子学生が手料理作ってをくれた。男子学生はおそらく会場の設営やら、運営をやってくれていて、まさに学生による手作りの謝恩会であった。文系の学生は、昨年4月から、理系の学生も今月になって授業をしているので、全員顔なじみだ。料理やスイーツ、フルーツやジュースなどをいただき、いろいろと懇談した。妻も何度かIBTの先生方ともお会いしていて、顔なじみなので、私が自由に動いても、妻は妻で十分楽しんでくれていた。
ブラック・マジック中
面白かったのは、A君がやり始めた「ブラック・マジック」である。この秘密を知っている者は、司会者と回答者に別れて、知らない者が指定するなにか(たとえば身につけているもの、コップ、人など)を的確にあてることができるというものである。
A君が、私に「なにか指定してください。Aさんが当てます。」と言う。そこで、私がスプーンを黙って指定する。「わかりました。Aさん、目をあけてください。」「これですか?」「いいえ。」「これですか?」「いいえ。」「これですか。」「ハイ。」おおお~。当たったがな、という感じである。私は50回くらいやってもらって、その謎がやっとわかった。なるほど、「ブラック・マジック」である。最初は目の動きや、指の差し方、あるいはコトバに秘密があると思った。だが、全然違う。A君に「これは、イスラム法・シャリーアで許されている黒魔術か?」と聞いて大笑いされた。(笑)マレー系の学生の半分くらいが、この「ブラック・マジック」を使えた。全く、イスラム教とは関係がない。念のため。(笑)
学生手作りの料理 サテ-もあるよ。
今年の学生は、極めて優秀らしい。学業もそうだが、こういうイベントの運営もなかなか団結してうまくやってくれた。こういう学生に最初に接したことは、以後の私のIBT生活にとっても、大きな財産になるだろうと思う。彼らが卒業した後、このF36に追いつき、追い越せということになるだろうと思うのだ。

2017年1月21日土曜日

マレーシア空軍博物館 閉鎖中

http://blogs.yahoo.co.jp/tec100jp/35752029.html
以前から、マレーシア空運博物館に行きたいと思っていた。この博物館、我が住処からかなり近距離にあって、ハイウェイを走るといつも見えるのである。空軍基地内にあって、しかも入館無料。アメリカの航空博物館に比べると、古い機体が多いし、ワイルドなのだが、航空ファンとしては行きたい場所のひとつだった。

IBTのF先生も航空ファンなので、妻と3人で行くことになった。朝10時、我が住処前から、タクシーで行く。ガネーシャ神を運転席に貼り付けているインド系のおじいさんが運転手で、英語も不安定、運転もちょっと不安定。しかし、おそらく最短コースであろう早さで、空軍基地のゲートにたどりついたのだった。

喜びもつかの間。なんと閉鎖中なんだそうだ。M1ライフルをもった穏和そうな兵士が、伝えてくれた。うーん、怒りにくい。仕方がないので、住処までUターンした。タクシー代RM25の30分間ほどの朝のドライブとなってしまったのだった。あーあ。F先生にも申し訳ないことをした。

本来なら、画像のような感じの見学ができたばずである。一昨日公式ホームページにアクセスして、開館時間等を確認したが、閉館中などと言う情報はなにもなかった。電話すべきだったと思うが、私の英語力ではまず無理かなあと思う。今日改めて、ホームページにアクセスしてみたら、アクセス不能になっていた。この無駄足が他の方のお役にたったのかもしれない。ふう、と言う感じである。またの機会を気長に待とうかなと思う。楽しみは残しておくのもいい。

2017年1月20日金曜日

IBTの話(74) 最終講義

昨日、私費生の国立大受験の特別講義3コマ目が終了した。90分×3コマで語れることはそう多くないが、私としては満足している。残る国費生理系の講義も月曜日を残すのみ。私費生のパワーポイントを転用しつつ、国際情勢を語っている。
そして、4月からずっと講義し続けてきた国費生文系も今日と月曜日にで終わりだ。もう少し、トランプの言っていることと、その危険性を中国を中心に語る予定だったのだが、WEB上でいいコラムがあったので、それを読ませてまとめさせるほうがいいと判断。土日の宿題とした。それは、読売新聞の”「アメリカ・ファースト」を制御する”という岡本道郎氏のコラムだ。今のところ、トランプ新政権に対する危惧を、これ以上うまく整理した日本語の文章はないと思う。
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20161125-OYT8T50008.html?page_no=3

で、残る時間を私の最も教えたい事に使うことにした。持続可能な開発目標(SDGs)である。これまで、EJU対策でも触れてきたが、17の目標をきちんと教えてきたわけではない。公式な英語の翻訳がなかなか出てこなかったこと、そして出てきたもののすこぶる難解な日本語になっていることなどが、その理由である。「包摂的」とか「衡平」とか、普通の日本人でも、なんじゃこりゃ?というような語がちりばめられている。そうい
うわけで、日本語を学んで20か月弱の学生に対して、なかなか解説しにくかったのだ。しかし、これが最終講義。なんとか理解に漕ぎ着けたかと思っている。17の目標を概説した上で、現在のマレーシアは、この目標をどれくらい達成しているかを問うた。A~Eの評価をつけることで、その到達度を考えさせることにしたのだ。個人的に評価した時点で、前回のマレーシアBOXのグループで討議。互いの評価を見せ合いながら、グループとしての評価をつけるというアクティビティに変化させていく。次の時間は、他のグループと議論し、やがて全体討論へともっていく予定だ。

3人のグループ内でもなかなか白熱した議論が行われていた。さすがは、昨年4月から全魂を傾けてきた国費生文系クラスである。4月から、国際関係や政策学、経営学などに進む学生が多いので、様々な視点から討議が行われていた。マレーシアの最大の課題は何か?それを議論しながら、F36国費生文系としての最終結論に昇華させたいと思っている。

貧困問題になるか、環境問題になるか、強靭なインフラか、エネルギー政策か?私にとっては、どんな結論がでてもいい。日本に学びに行く学生たちが、SDGsを元に思索し、議論することで、改めて問題意識を高めていくこと自体が重要だと思っている。この最終講義、私の理想にすこぶる近い。

2017年1月19日木曜日

イスラエル入植地建設に中国?

http://polandball.blog.fc2.com/blog-entry-1721.html
妻は、このところ、凄いニュースをキャッチしてくる。「イスラエルの入植地に中国人労働者が数千人派遣されるらしいで。」ん?全く信じられない。中国は、先日の国連安保理の入植地非難決議で入植について賛成票を投じたばかりだ。

イスラエル経済は堅調であるらしいが、住宅費の高騰が国民の不満をかっている。新たな住宅地建設が急務らしい。現在は、東欧からの労働者がかなり入ってきているらしいが、さらに中国人労働者を入れるというわけだ。

中国としては、非難決議の立場を崩していないが、イスラエルとは地政学的には関係が薄いし、イスラエルの軍事技術やIT技術を考えたとき、組んで悪い相手ではない。イスラエルも、アメリカのオバマ政権が拒否権を行使しなかったことで、トランプ政権になることも含め、一気に国際社会に反撃に出たともいえる。この辺は、一筋縄ではいかない外交戦の応酬だ。

…いずれにせよ、イスラエルは生き延びるために最大限の努力と知恵を絞る国である。うーん、と唸ってしまうが、なんとなく納得してしまう呉越同舟な話である。ちなみに、今日の画像は、ポーランドボール・イスラエルと中国で検索したら出てきた画像である。ポーランドボールのルールでは、イスラエルは球体では描かれない。それも凄い話だな。

http://parstoday.com/ja/news/world-i24169
http://meirojin.com/archives/16240684.html

2017年1月18日水曜日

IBTの話(73) 新渡戸稲造

http://tenmei.cocolog-
nifty.com/matcha
/2016/01/post-1b44.html
今日の日本語の研究発表は、青色発光ダイオードを発明した中村修二と新渡戸稲造だった。新渡戸稲造は波乱の人生を歩んだ国際人である。その人間の魅力は、国際連盟の事務次長にまで上り詰めた後にこそ、真骨頂があると私は思う。「武士道」(右の画像参照)を書いた人らしく、自分の信念を貫いて、最後は客死する。自分の掲げた「仁」と「義」に生きたわけだ。そこには、たとえ、当時の政権とは意見を異にしても日本と言う国家に対する「忠」もある。中村修二氏とはある意味対極にあるわけだ。

さて、私はその人間の価値は、ポストにあるような気がしている。ここでいうポストは「肩書」ではない。「その後」と言う意味でのポストである。新渡戸稲造が国連事務次長の職を辞して、その後一人の国際人として、自らの正義に生きたところがサムライなのである。だから美しい。

最近は、国連の事務総長まで上り詰めたヒトが、その「元の肩書」を表面に出して、某国の大統領選挙に出るのだという。私個人の意見としては、「国連」ってその程度のものなのかと思う。このヒト、そもそも事務総長時代には、やたら自国のヒトビトを縁故採用して批判を受けたり、数々の国際的な困難には、極めて無能ぶりを発揮して、世界中のマスコミから批判されていたという。しかも故国の国連への滞納金比率も極めて高い。全く褒めるところがない。

今回の「像」の問題に対して、ウィーン条約など知らぬ存ぜぬで、「日本に十億円を返すべきだ。」などと発言している。信念として女性の人権を守るという姿勢があるのならまだしも、国家間の合意も、外交辞令も、大統領選挙に勝つためには全く無視できるらしい。少なくとも、元国連事務総長だったヒトの発言とは思えない。極めて醜悪である。某国が法治主義ではく、情治主義と国際社会から揶揄されるのも無理からぬところだ。

人間の価値とは、ポストではない。そのポストから外れた後に残る人間力であると、元国際連盟事務次長だった新渡戸稲造とこの元国際連合事務総長を比較して、つくづくそう思うのである。

追記:今日、浪人生のA君からセンター試験の結果報告がメールで届いた。私は思わず、「やったなあ」と飛び上がって喜んだ次第。いよいよゴールが見えてきた。

2017年1月17日火曜日

IBTの話(72) 日本語研究発表

国費生の日本語の授業では、研究発表が行われている。今週は毎日5限目がその発表である。テーマは「代表的な日本人」である。アイウエオ順(敬称略)に、イチロー、緒方貞子、杉原千畝、津田梅子、中村修二、新渡戸稲造、本田宗一郎、松下幸之助、水谷修、向井千秋、湯川秀樹…。この選定作業に私も入ったのだが、強く押したのは、「緒方貞子」「新渡戸稲造」である。(1月6日付ブログ参照)日本語のT先生もS先生も、女性であるので、文系は女子学生も多いことから津田梅子や向井千秋も入れたいとのことだった。3/11人が、多いかどうかは難しいところだ。

昨日の「緒方貞子」の発表は、なかなかよかった。私が提示したアマルティア=センと緒方貞子氏の設定した基本概念「人間の安全保障」も十分に入れてくれていたし、日本人を超えた「地球市民」としての像が浮き彫りになっていたように思う。今日は、杉原千畝氏と津田梅子氏であった。両者とも指導したグループである。これまた、実によくできた発表だった。

日本のシンドラーと題して、杉原千畝氏の紹介。様々な顕彰も紹介していて、敦賀のムぜウムの話も出てきた。質問で、「杉原氏はユダヤ教徒になったのか?」と熱心なムスリムのB君が聞いたのが面白かった。千畝氏はユダヤ教徒ではないが、日本でこのユダヤ難民のビザ延長などに尽力した人物で、小辻節三氏は、(満州にユダヤ人を呼ぶという国策のため)ユダヤの専門家で後に改宗、高位の聖職者(ラバイ)となり、エルサレム近郊に墓がある。私なら、そう答えたところだ。(笑)

津田梅子氏の方は「良妻賢母」をキーワードに、これまた、よくまとめられていた。またまたB君が、「あなたは、妻に良妻賢母であることを求めるか?」と言う質問をした。シャリーアに、そのような規定があるのかもしれない。だが、もっぱら興味は彼ら(グループには3人の男子学生がいた。)がどう答えるか?に移っていた。(笑)彼らも青春真っ盛り。やはり男女の恋愛は重要な関心事なのだろう。大いに盛り上がったのだった。意外にも?基本的に、女性の自由を尊重するという意見が多かった。

国費の文系Cクラスの次の授業は金曜日だが、気づいたことを話しておこうと思う。ちなみに今日の画像は、小辻節三のことを書いた「命のビザを繋いだ男」である。

2017年1月16日月曜日

どうしてこんなに稚拙なのか?

https://hiveminer.com/
Tags/arte,caricatura/Interesting
トランプ次期大統領の就任式が近づいてきた。希代のポピュリストの国内の不支持率は51%だというし、公民権運動の英雄の欠席表明にも、かみつく品位の無さにあきれるばかりだ。

それ以上に、「1つの中国問題」発言をめぐって、中国の警戒感は極めて強くなっている。不利益を承知で対応するという、国営新聞の論調も出てきた。一般紙にもそれなりの中国政府の意志は込められている可能生が中国のマスコミにはあるが、ついに国営の新聞である。かなりの警戒心が働いていると見える。日本が集団的自衛権で巻き込まれるおそれも全くないとはいえない。

一方、それ以上にリスクを孕んでいるのが、在イスラエル大使館をエルサレムに移動するという発言である。いくら先日の安保理でオバマ政権が拒否権を行使しなかったからといって、あるいは親族にユダヤ系の婿がいるといっても、これは「1つの中国論」同様、完全に中東情勢の一線を越えた暴論だ。
現在、全ての国のイスラエルの大使館は、テルアビブにある。これは、エルサレムの東側は、第三次中東戦争以来、イスラエルが占領している地で、中東情勢にとって極めて微妙な場所であることに由来する。現在、比較的イスラエルと友好的な立場をとっているヨルダンが岩のドームを管理しているが、そんな不安定なエルサレムにわざわざ米大使館を置くと言うことは、親米的な隣国ヨルダンを含めた中東諸国にとって、極めて不愉快なことだ。佐藤優氏によれば、第五次中東戦争の火種にないかねないと、警告を発している。「1つの中国」への疑義同様、外交の「間合い」を踏み違える暴挙だといえる。
http://www.sankei.com/premium/news/170115/prm1701150032-n1.html

どうして、こんなにも稚拙なのだろうか。彼のツイッターの一言二言が、株価とドルを乱高下させている。それが、世界経済に大きく関わっていく。しかも、少なくとも、この「1つの中国問題」と「イスラエル大使館問題」では、無実の人々の生死にかかわる可能性すらある。ポピュリストが近代を逆走させて行くのを、黙って見ているしかないのがもどかしい、そう思っている世界中の人々がきっと大勢いると思うのだ。

*もし、同感ならば、下のリアクションにチェックを入れてください。

2017年1月15日日曜日

センター試験「倫理」2016年度

http://okmusic.jp/musichubz
/artists/55598/images
試験に出た科学哲学者クーン
今年もセンター試験の「倫理」についてエントリーしようと思う。私は、マレーシアにあってセンター試験対策としての受験の「倫理」を教えることはなくなったわけだが、浪人生のA君も受験したことだし、コメントしておきたいと思う。この毎年恒例のエントリーも最後になるかもしれない。

昔なら、倫理の平均点は他の地歴公民の他教科に比べて十分高かった。暗記科目と揶揄される地歴公民科の中で記憶すべき項目量が圧倒的に少ないというが最大の魅力であった。倫理の内容が面白いと思えれば、そんなに苦痛ではなく有利であった。問題は、私大と併願することはほぼ不可能で、国公立一本で受験する場合、あるいは地歴・公民それぞれ2教科を受験する余裕のある生徒が、倫理を選択することが多かった。リスクはあるが、90点獲得も十分可能、それがセンター試験の「倫理」であったわけだ。ところが、国立の最難関校が、「政治経済・倫理」という公民の合併科目を必須としだした。「倫理」1教科だけで受験できる国公立校が減少したわけだ。この「政治経済・倫理」の合併科目は、「倫理」の大問4つのうち3つ、政経からも同じくで、全く同じ問題が出題されている。

センター試験を運営している側からすれば、地歴公民科のどの科目の平均点も同様の方がいいわけで、この「政経・倫理」の誕生後は、特に難化していったように思われる。それが、選択肢の増加、とりわけ3つの文章の正誤を全て当てる問題や、それらの問題の1つ1つの文章の長文化が挙げられる。昔は、いわゆる秒殺問題のような単純な問題も多かったのであるが、今はそういう傾向はほとんど見られない。一方、長らく倫理の教科書を見ていないのだが、試験に登場する哲学者が、重箱の隅をつつくようなマイナーな人まで出るようになった。センター試験の出題範囲は、基本的に教科書対応しているはずである。何社かある教科書の一種にでもに載って入ればいいらしいが、今回の新顔、果たして載っているのだろうか?今となっては確かめようもない。(ちなみに私はいつかデリダが出ると思っているか、まだ出てこない。これのほうが不思議だ。)今日の画像は、米の科学哲学者クーン。彼のパラダイム論なるものが出題された。残念ながら私は初めて知った。こういう新顔を入れることを否定するつもりはないが、哲学史の流れをきちっと抑えていくことの方が、大学生になった後有意義だと私は信じている。

これからも、「倫理」の受難は続くのかもしれない。昔は通常補習で教えた生徒が、どんどん90点台を取っていたが、「倫理」の傾向をもっと精査して対応しなければならなくなるし、「倫理・政治経済」を選択する大学・受験性も増えていくような気がする。少し、寂しい気持ちになった、そんな今年のセンター試験の感想である。

2017年1月14日土曜日

マスジッド・ジャメ周辺散策。

色とりどりのマレー系の生地屋さん
日本では、センター試験の日である。1時間時差があるので、こちらでは9時40分から、浪人生のA君の「倫理」の試験が始まった。彼が力を出し切れるよう祈っていた。その後、妻と650番のバスでチャイナタウンの終点に向かった。今日の目的は、終点からさらに北にあるトゥンク・アブトゥル・ラーマン通りへ行くことである。ここは、マレー系の人々が多い下町で、たくさんの生地屋さんが集まっているところだ。

たくさんのマレー系の屋台が集まっていて、様々なモノが売られている。ジュース屋さんやスイーツ屋さん、ケバブの店なんかも多い。生地屋さんは、その屋台の後ろに控えている。この辺はチャイナタウンとよく似ている。生地屋さんのほうも、人が集まるので邪魔だとは感じていないらしい。意外と共存関係にあるんだとか。(住まいと暮らしで見る多民族社会マレーシアの記述より)
カラメルのプリンケーキ(RM3)はなかなか美味でした
妻は、ここがかなり気に入ったらしい。バスの終点からひたすら歩いた。LRTの一駅分歩いて、日本のSOGOまで行ってきた。ここはミッドバレーのイオンなどに比べて日本の製品は少なくて、本当に「そごう」なの?と思うくらい、地元になじんでいた。この辺りは、かなりマレー系の人々が多い。普段、タマンデサやミッドバレーでは中国系の方が多いので、違和感というのではないが、ちょっと感じが違うのである。妻に言わせると「マレーシアらしい街やねえ。」同感である。途中、イスラム系の本屋さんに立ち寄った。もちろん、書籍はクルアーンを始めとした宗教書だし、アラビア語やマレー語なので手に取って見てもよく分からない。タイトルを見て、これはハディースの本だなとを見当をつけるくらいである。面白かったのは、木製のムチのようなものが売られていたことだ。RM60。数珠の集合体のようなカタチ。本当にムチなのかどうか、また国費生の学生に聞いてみようと思う。

帰路、マスジット・ジャメに寄ろうと思った。マスジットとはモスクの意味である。KL最古のモスクである。だが、入ったところが悪かったのか、細かな禁止事項が書いてある。妻もショールを持っていないと言うので(頭髪を隠せないという意味である)、今回はやめにした。Tシャツは無地でないといけないともあって、私もサウスダコタのバッファローのTシャツだったのである。(後で調べたら観光客用のレンタルの礼拝服があるようだった。うーん、残念)

クアラルンプールの下町。なかなか趣があって良かったのだった。次は、もう少し北にあるチョウキットと呼ばれる市場に行ってみようと思う。

…さて、A君の1年間の戦いの総決算。結果が楽しみである。

2017年1月13日金曜日

IBTの話(71) ファトワー

昨日の「マレーシアBOX」の授業の最後に、私の「マレーシアBOX」も発表した。4月に渡馬して以来、最も興味をもった問題も「国家と対峙するイスラーム」を読み終えて、一応の結論に至ったからである。その問題とは、マレーシアは、近代国民国家なのか、イスラム国家なのか、という命題である。独立以来のマレー系・華人系・インド系の三民族の共生をはかる国民国家であることは明白である。しかしながら、国教をイスラムと定め、イスラム法・シャリーアもまた、マレー系の人々の中にしっかりと根付いている。二者択一の結論を求めたわけではない。だが、少なくともどちらに比重が置かれているのか、ということを私は知りたかったのである。「国家と対峙するイスラーム」はその謎を真っ正面から説いた本で、実に興味深い内容だった。

まずは、マレーシアを自然・産業・文化の視点からまとめた文章を私も書いてみた。

熱帯雨林気候で、しかも近辺で香料が取れたことが災いし、ポルトガル・オランダ・イギリスの侵略を受けた。さらにスズの産出、天然ゴムの栽培に適していたことで、中国系・インド系の移民政策がとられた。現住のマレー系は、スルタンを頂点としたイスラムの伝統社会をつくり、温厚で寛容であったゆえに最も経済的に恵まれない立場におかれていたが、独立に際しては人口的に優位かつまとまりが維持されていた故にその主体となった。近代国家を目指し、第二次・第三次産業化を目指す上で、プミプトラ政策を実施、農村から都市へとマレー系の人々は進出した。しかし、経済力をもつ中国系・インド系との国民国家形成を進める上で、経済的なジレンマとともに、イスラムを国教とする国家としてのジレンマもかかえている。

そして、私の選んだマレーシアBOXの中身は、「ファトワ-」である。

独立時に、イスラムを国教としたものの、中国系・インド系移民を国民国家として統合したマレーシアは、シャリーアを根本とするイスラム国家である、とは現状では言い切れない。歴史的にはマレーシアはシャフィーイ派法学が強いが、5月13日事件以後のPAS(マレーシア・イスラム党)の運動は、与党のイスラム化政策に大きな影響を与えてきた。しかし、現在のマレーシアは近代国家としての世俗的な憲法の方がシャリーアより強いと言える。なぜなら、ファトワーが各州の行政機関によって独占・統制されていることや、官報で公告されたファトワーに、ムスリムが従う義務が定められており、これを批判すると罰則が定められていることが挙げられる。(近代国家の法制の中に本来自由が認められているファトワーが隷属しているといえる。)また、最近のファトワーは、(本来ファトワーが拠り所とするのは、シャリーアの法体系や過去のファトワー集であるはずなのに、政治的な意図から)「公共の福利」がその理由として挙げられることも多くなっているからである。

「国家と対峙するイスラーム」の内容は、かなり専門的なので、それを簡潔にまとめると上記の文章のようになった。ちなみに、「ファトワー」とは、クルアーンやハディースなどを研究したウラマ-(法学者)の中から、これを発することを認められたムフティーが、ムスリムの人々の発する様々なな問題の解決に向けて、シャリーア(イスラム法)の立場から発する返答である。(今日の画像は、どこかの州のイスラム協議会が書面として出したファトワーである。少しマレー語を翻訳してみたら禁煙についてのファトワーだった。)F36Cの国費生の学生諸君は、なるほどと、私の言いたいこと、研究したことをよく理解してくれた。ただ、この人定法と神定法のせめぎあい、すなわち世俗的な近代領域国民国家と、イスラム復古主義の対立は、まだまだ続いて行くように思う。

2017年1月12日木曜日

IBTの話(70) マレーシアBOX

マレーシア初の国産車「カンチル」
国費文系Cクラスで、マレーシアBOXの発表会を行った。自然・産業・文化などの視点から、マレーシアとは何か?という論理的結論を導き出し、それを象徴するようなモノを発表するアクティビティである。本来は、日本の生徒にジャパニーズBOXとして実施してきたものである。

AからGまで約3人組でグループをつくった。男子学生が全員で7名いることも大きい。1人ずつ男子が入っている。印象に残った発表についてエントリーしておきたい。

まず第2位となったFグループは、寸劇風で発表した。自然や産業などをうまく表現していた。彼らは実際BOXを用意していて、その中身は緑色のツインタワーだった。緑色なのはマレーシアの自然の豊かさを示すそうだ。

混ぜこぜのマレー料理 ロジャック
3位だったGグループは、最初の国産車「カンチル」をBOXの中身にしてきた。小さいけれど、マレーシアの発展を表すのだという。特に、現在マレーシアはリンギ安だけれど、マレー・中国・インドの三民族の若者が団結してマレーシアの再生に向かうべきだという、なかなかの主張だった。

あまり評価は高くなかったけれど、自然は安全・産業は安心・文化は民族の協調、そして、「平和」がBOXの中身だと主張したBグループや、カンポン(村のこと)について語り、ロジャックといういろいろな食材の入っているマレー料理がBOXの中身だとしたCグループもなかなか印象的だった。

優勝したのは、12色入りの色鉛筆をBOXの中身だとしたAグループ。彼らは、マレーシアの結論部分をを世界的な評価を得ているビジネスに適した環境=投資しやすい国ということに置いた。なかなか文系的(経済学的)でいい。多民族を色鉛筆の各色にたとえ、必ずきれいな絵が描けると力説したことも、文学的で好印象を与えたようだ。

各チームとも、なかなか工夫がされていて、面白かった。まずは大成功であったと思う。

2017年1月11日水曜日

日本大使館のインテリジェンス

在マレーシア日本大使公邸 http://www.satokogyo.co.jp/works/detail.php?id=101&parent_id=1&category_id=4
昨夜、日本大使館での新年会に妻とともに出席した。在外大使館は、もちろんその国との外交の拠点であるが、情報を収集・分析という任務もある。今読んでいる「国家と対峙するイスラーム」の著者もマレーシアの日本大使館の専門調査員として在籍していたそうである。私は、こういう情報の収集・分析は極めて重要な仕事だと思う。

ところで、週刊ダイヤモンドのWEBで、元韓国大使の武藤正敏氏の記事を読んだ。「慰安婦像を巡る韓国の市民活動は民主主義を逸脱している」というタイトルである。この記事を要約すると、およそ次のようになるかと思う。

今回の在韓日本大使・総領事の帰国(ならびにスワップ協議の停止など)の措置は、一昨年12月の慰安婦問題合意について、見直し論には応じないという日本政府の強い抗議の姿勢を示したものである。長い目で見た場合、日韓関係を正しい方向に導くものである。なぜなら先の合意で、(領事関係に関するウィーン条約22条に反するので)大使館前の像を撤去するよう努力することで合意しているからである。しかも日本が、(像の撤去への努力を信じて、それ以前に)10億円を拠出した「和解・癒し財団」は問題解決に努力していたのだが、この信頼関係は、市民団体の暴挙によって崩されてしまった。

この問題を複雑化しているのは、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)である。「和解・癒し財団」によると、昨年12月23日、マスコミに現在の生存者39人(合意時点では46人)で34人が支援金を受け取る意志を表明し、その中には挺対協と行動を共にする「ナヌムの家」の支援を受ける5人が含まれていることも明らかにした。すなわち多くの元慰安婦はこの合意を受け入れており、挺対協とともに批判をしているのは、ごく一部の少数派である。挺対協は、アジア女性基金が設立されたときに解決を妨害し、その償い金を受け取った7人に様々な嫌がらせを行い、日本の償い金を拒否し、韓国政府に見舞金を提供させながら、しかもそれを渡さなかった。到底、慰安婦の支援団体というより政治活動家としての性格が強い。アジア女性基金は、これら挺対協の嫌がらせの後、54人に償い金を渡したが、(挺対協の同様の嫌がらせの再発を防ぐ目的で)事実を公表しなかった。

(大使帰国の決定後、)野党の政治家が、挺対協と迎合して大衆をあおっている。その中心は「共に民主党」である。そもそも韓国の市民運動家の行動は行き過ぎている。(大統領弾劾要求のように)力ずくで何でもできると考えるようになったら非常に危険である。韓国の一部の政治活動家に支配された現状を打破する必要があるし、理性的な対処を求めたい。
http://diamond.jp/articles/-/113740?page=4

…私は、この慰安婦問題については、慎重な立場を取るべきだと思っている。ナショナリストの論客のように、嫌韓的感情をあおったり、この問題自体を否定的には見ていない。なぜなら、学校現場の人権教育では、いじめは、いじめた側ではなく、いじめられた側につくのが原則だからである。本多勝一的に言えば「いじめられた側の論理」に、耳をかすことが身にしみているのである。
…その一方で、日本は、過去を水に流すことが美学であると信じているところがある。戦後70年たっても、韓国や中国が戦争中の日本軍による被害や歴史認識の問題を持ち出すことに嫌悪感を抱くのは、そういう日本的信条のなせる業であると思っている。とはいえ、「反日無罪」的な行動が、国内政治から目をそらす手段として繰り返されてきたことも事実だと思う。社会科学においては、必ずしも正義は1つではないし、様々な角度から考えるべきである。

…だが、これは元韓国大使の記名記事である。かなり信用度の高い情報だと思われる。韓国でも、POST TRUTH(真実が重要ではない)の波が押し寄せているように感じるのは私だけだろうか。

2017年1月10日火曜日

マレーシアの民族的「間合い」

「多民族国家マレーシア」より
今、「国家と対峙するイスラーム」と「住まいと暮らしからみる多民族社会マレーシア」(1月3日付ブログ参照)を併読している。読後感は、かなり対蹠的な両者である。前者はまさに論文であり、後者はやわらかい文章でエッセイ的に綴られている。とはいえ、両者とも私の今の最大の関心事について述べられているので、両者を読み比べることで、至福のひとときを過ごしている。

私が今、意識していることは、民族間の「間合い」についてである。「間合い」とは、剣道などで言う間合いと同様の意味である。「住まいと暮らしからみる多民族社会マレーシア」の中で、何箇所か重要だと思われる箇所があった。今日は、それについてエントリーしたい。

マレーシアでは、法に定められた住宅団地開発のガイドラインにのっとり、郊外の住宅団地には、様々な施設が住宅とともに一緒に建設されることになっている。商店や学校、公園や緑地、一定幅の道路も計画される。この整備水準は(建築の専門家の著者から見て)国際的にみても遜色はないそうだ。

たいていの住宅団地の中央にはモスクがつくられ、マレー系を中心に信仰の場となっている。ただ、中国系やインド系の廟やヒンドゥー寺院が公費で建設されることはなく、団地や周辺の住民たちが自主的に寄付を行ってショップハウスの一部を改造したり新たに建てたりするとのこと。マレー系が優先的にいちばん立地のよい団地の真ん中にモスクが建つことに不満をもつ人もいるようだが、寺院の維持を寄進でまかなってこそ本物の信仰だという意見もあって、一筋縄ではないようである。もちろん、モスクの管理はマレー系の人々が汗をかいて担っている。(この箇所も含め、本当は”です・ます”調で書かれている。)

プミプトラ政策で、農村から都市への移動促進政策の状況がよく見てとれる内容である。

ちなみに、シンガポールの団地で、中国寺院、ヒンドゥー寺院、モスク、それにキリスト教会をひとつの建物に入れた施設がつくられたことがあったのだが、今はもうないらしい。やはり、お互いに適当な距離が必要だということだ。

住宅団地に住むインド系の会計士の話が載っていた。「みんながひとつの家に住むことは出来ない。それでも近所に違う民族の人が住んでいるのは問題ない。都市では宗教も母語も異なるけど、みんな混ざり合って住んでいる。離れすぎず接触しすぎないのがいちばんだろうね。」多民族の行為や考え方の違いには一定の理解を示しながら、一方では自らの民族集団の文化は家族を中心とした小さな社会単位で守られると考えているとのこと。

なかなか示唆的な話である。中国系の夫婦げんかの仲裁に入るマレー系の人の話も出てくる。夫婦喧嘩に民族の違いはないそうだ。(笑)またデング熱の消毒作業を近所で民族関係なく協同で行うことも常らしい。デング熱に民族の差はないからね、というわけだ。

これらが示す民族間の「間合い」。私にも、皮膚感覚でなんとなく理解できるようになった次第。

2017年1月9日月曜日

EVでシーク教徒と出会う。

http://www.j-sd.net/motorcycle-helmet/
マレーシアには、インド系の人々も1割弱住んでいる。クアラルンプールはもう少し比率が高いと思うが、その多くはインド南部のタミル系の人々である。とはいえ、北部のパンジャブにルーツをもつシーク教徒も時々見かける。男性はターバンを巻いているので、すぐわかるのだ。

これまで、世界各地でシーク教徒の姿を見た。香港やナイロビなど、シーク教徒が多いのは、当然ながらイギリスと関係の深い土地である。

私のコンドにもシーク教徒が住んでいることがわかった。帰宅時のエレベーターでいっしょになったのだ。思わず、「シーク・ピープルかい?」と聞いてみた。実はシーク教徒はなんとなく威厳があり強面(こわもて)であることが多いのだが、マレーシアに住む彼は、かなり温厚な感じの人だった。「そうだよ。」「私は世界中でシークの人々と会ったよ。ナイロビとかトロント(カナダ)とか。」「おお、トロントにはいっぱいいるよぉ。」という感じで会話が進んだのだった。「じゃあ、バイバイ、またね。」と彼は先にエレベーターから降りたのだった。

いやあ、久しぶりにシーク教徒と話したのだった。ところで、マレーシアのシーク教徒はおもしろい。バイクに乗っている人を時々見かける。もちろん、マレーシアでもヘルメット着用は義務なようであるが、シークの人は被っていない。いや、被れないのである。

以前、学生たちに、「シーク教徒はヘルメットは免除なのかい?」と聞いたことがある。すると、「どう考えても…無理でしょうねえ。」と笑っていた。きっとポリスもそう思っているはずだ。こういう多文化共生のための”ゆるさ”みたいなものは、南国のマレーシア的で、私は好きだな。

2017年1月8日日曜日

爬虫類脳

ヴィシュヌ神の第二の化身
亀のクールマ
ヒンドゥー教のヴィシュヌ神は、十の化身をすると言われている。叙事詩・ラーマヤーナのラーマや、クリシュナ神、あるいは仏陀などが有名だけれど、魚や亀、イノシシなどの化身もある。このあたりのインド人の知恵というか、宇宙のダルマ(法)を見いだそうという過程で生まれた洞察というか、凄いなと思う。
人間は、母親の体内にある十ヶ月で生命の進化の過程を再現しながら成長するという。だから、人間の脳には、爬虫類脳と哺乳類脳と人間脳の三種類があるそうだ。
この中で、最も働くのが生存をすかさどる爬虫類脳だという。ただし、この脳は本能的で攻撃的である。以下のWEBでは、ドラえもんのキャラを使って極めてわかりやすく解説してくれている。
http://xn--u9j9edet7q9c3hl649bundou2e.net/archives/161

さてさて、中国の北京で「雷洋事件」と呼ばれる警官による殺人事件に関するWEB記事が載っていることを妻が昨日教えてくれた。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50585

この事件が本当かどうか、私には確認しようがないけれど、もし本当ならこの何倍もの同様の事件が起こっているに違いない。雷洋氏はインテリなので、仲間が立ち上がり、「秒柵」(ネット上の記事が当局に消去されるという流行語らしい。)されようとも、怒りを発信しているからだ。

私は、思わず「爬虫類脳」的な所業である、と感じた。たしかに多くの中国の人々が怒っているように法治国家とは言い難い。私は、何度かエントリーしているように、基本的に中国の社会類型(下部に自由な個人、権力を握る上部に不自由な共同体という構造になっている。)と、人口圧(人口が多い故に、どうしても自己中心的にならざるを得ない状況)から見て、強権で押さえつける政治体制が、絶対的な否だとは考えていない。欧米的な論理だけで中国を判断するのは間違っていると思っている。もちろん、人間の安全保障の観点から、基本的人権は認められるべきであるが、あれだけのエネルギーのある膨大な人々を制御するシステムが必要悪として存在せざるを得ないと思っている。ただ、権力側が爬虫類脳で動くと、それは大きな爬虫類的反動を呼びこむのは当然の理である。

このような事件が起こっているという事は、中国は、かなり危機的な状況にあると思う。このまま行くと中国政府は、国内の不満をもっと他に向けなければならなくなる。一方、アメリカのトランプ新政権は、極めて理解しがたい、それこそ爬虫類脳的なナショナリズムに回帰しているし、中国外交で強硬に対処する可能性も高い。中国の国内問題の不満を対アメリカ(これは同時に日本も含まれる。)に向ける可能性も強い。由々しき事態だ。

ところで、別のWEBの記事。ホーキング博士の警告である。経済格差が広がり、EUを離脱させたりトランプを大統領に選んだ人々の怒りを考察したもの。インターネットの普及で豊かな暮らしをする人々の生活を見せつけられている人々は、不平等の克服や、移民を求めるがその門が閉ざされている。そういう非エリートの怒りが、これからさらに増幅するという危惧である。ホーキング博士の意見に私は大いに賛同する次第である。
http://gigazine.net/news/20161205-stephen-hawking-concern/

今、世界に必要なのは、ポピュリズムでもなく、ナショナリズムでもなく、すなわち、爬虫類脳ではない、人間脳を働かす地球市民のスタンスである。

2017年1月7日土曜日

IBTの話(69) チェラマ

昨日は金曜日。IBTでは、金曜日の時間帯は、他のウィークデーとは異なる。午前中の休み時間が5分であるし、4限目も50分授業で昼休みが長くとられている。これは、ムスリムの男子学生が金曜礼拝のために、寮の近くのモスクまでバスで往復するからである。IBTの屋上には、男女別の礼拝所もあり、普段はそこで昼の礼拝(アスル)を行うのだが、金曜日は特別である。礼拝のための服装で学んでいる学生も多い。

ちょうどバスの車中で、「国家と対峙するイスラーム」(塩崎悠輝著・作品社/2016年6月発行)を読んでいて、クアラルンプールなど連邦直轄区のシャリーア刑法の第14条に、「男性の金曜礼拝への欠席が理由無く3週間続くこと。」というのがあることを知った。この辺の詳細については後述するとして、この本を読んで、国費の学生に聞きたいことが山ほどあった。授業の合間に質問することもよくある。まさに”学生から学”んでいるわけだ。(笑)

1つは、「チェラマ」である。チェラマというのは、マレーシアのムスリムの公共圏のひとつである。公共圏とは、ハーバーマスが言い出した世論形成のための空間である。もちろん欧米社会のそれとは一線を画しているが、マレーシアでは、1970年代以降のダァワ運動(イスラムへの回帰や社会規範として取り入れようとする運動)が起こり、ウスラ(家族)やハラカ(円座)といわれる少人数の定期的な集まりがあったり、チェラマ(法話)とよばれる説法の集いがあるとのこと。学生たちは、こういう集いに参加しているのだろうか?というのが私の疑問だった。彼らの答えは、任意で参加します、とのことだった。よく行く学生もいれば、あまり参加しない学生もいるとのこと。ここでは、政治的な話も出るらしい。(マレーシアでは21歳から選挙権が与えられる。)日本人は、ステレオ的に、イスラームとは直訳すると「神に服従する」だし、なにやらガチガチのルールに縛られた生活をイメージしがちだが、彼らの自由度は意外に高いのである。「チェラマ」も行きたければ行くわけだし、金曜礼拝も理由があれば休んでいいし、(連続2回までなら)サボってもいいわけだ。

シャーフィイー派法学についても聞いてみた。もちろんIBTの学生は、イスラム法学の徒(そういう学校や大学もマレーシアにはある)ではないので、他の法学派との相違までは明確には答えられないけれど、たとえば女性の服装では足を見せてはいけないという規範があるそうだ。うーん、まだまだ研究していかなければ…。

2017年1月6日金曜日

IBTの話(68) 武士道

http://universalpeace.co.jp/shishin/blog150505/
国費生の文系・理系の学生に、日本の思想的な背景として、「武士道」を教えた。狭義には「文武両道の鍛錬を欠かさず、自分の命を以て徹底責任を取る」広義には日本人のDNAに刻み込まれた「この考え方を常識とする日本独自の思想」ということで、恥の文化とともに紹介した。学生諸君は、なるほど、という感じで頷いていたのだった。

ところで、国費生は、文系・理系が入り交じって、日本語の授業で、代表的な日本人についての調べ学習をしている。湯川秀樹や松下幸之助、イチローなど著名な人物を調べるのである。聞くとプレゼンの時間は30分だという。なかなか本格的である。実は、この人物の選定の時には私も相談を受け、日本語の先生方とともに選定作業に参加したのだった。私が特に押したのは、新渡戸稲造と緒方貞子である。

すでに、ウィキなどを元に学生諸君はだいぶ調べていた。今日、いくつかのグループから質問を受けた。まずは、その新渡戸稲造グループ。「武士道」という海外でのベストセラーとなった日本紹介本を書いたことが大きい。T/ルーズベルトが、彼の本を愛読していて、日露戦争の仲介に労を惜しまなかったことも有名である。しかも札幌農学校以来のクリスチャン。(後にクウェーカー教徒になっている。)そういうこともあって、国際連盟の事務次長にもなっている。WWⅡ前には、アメリカで日本の立場を唱えるが、失意の中でビクトリアで客死した。学生から様々な質問があったけれど、結局武士道そのままの人生であったような気がする。特に晩年の客死は、日本を代表する国際人としては、本懐であるといってもよい。細かな質問が多かったが、ひとつひとつ丁寧に答えた。

杉原千畝についても、そのグループから質問があった。彼もまた、外務省本省に逆らいユダヤ人を助けたが、その責を問われることに覚悟を決めていたわけで、忠義という観点はともかく、武士道を貫いた側面がある。ところで、なぜソ連に対して、ユダヤ人たちが恐怖心をもっていたかについての質問。ソ連のポーランド東部への侵攻と、過去のボグロムについて説明した。

さらに緒方貞子、津田梅子についても質問があった。緒方貞子の凄いところは、やはり人間の安全保障という概念をセンとともにつくり、広め、実践したところにある。島国の日本を飛び出した地球市民であるところに彼女の凄みと人間力の深さがあると思う。津田梅子に関して、学生は「良妻賢母」になりきれなかったことに疑問を持っていた。6歳で渡米させられた津田は、アメリカ人女性であるといっても過言ではない。国策としての外交上必要な欧米的教養をもった道具としての女性であることを善としなかったわけだ。この辺の洞察は、明治の初期の日本の外交政策を理解していないと、またアメリカ人の好む自立した女性像がわからないと難しいところだ。これも丁寧に説明した。

マレーの学生は、調べるだけ調べて、ディープな疑問をぶつけてくる。かなり高度な質問で、大いに嬉しかったのである。ところで、やっぱり、日本人のDNAには、武士道的な精神構造が生きながらえている、と再確認した次第。

2017年1月5日木曜日

IBTの話(67) 寿限無

http://www2.odn.ne.jp/~nihong
odeasobo/jugemu/jugemu.htm
私費生の国立大学志望者の特別講義は1限目だった。パワーポイントを使うということは、その準備にも労力を使うということだ。事前にチェックに行ったら、ホワイトボードがない教室であった。居合わせた学生に他の教室から運ぶのを手伝ってもらい、無事に講義ができたのだった。理系私費生は、極めて優秀な学生たちで、社会科は久しぶりとはいえ、理解力は大したものであった。満足のいく講義ができた。次回の講義も楽しみである。

さて、4限目に久々の国費文系のCクラスで授業をした。心が落ち着くという感じで、つい張り切ってしまい、1限に続いて大汗をかいた。聞くと、5限目は、日本語で「落語」の授業だという。面白そうなので、S先生の授業を見学させてもらった。彼らは全くの落語ビギナーなので、ビデオを見せながら解説から始まった。

江戸落語の定番中の定番、「寿限無」であった。意外にも国費生は、面白いところで笑う。かなり日本語能力がついていることがわかる。さらに、「饅頭怖い」をプリントにしたがってコトバの解説をはさみながら、読み込んでいく。みんな大きな声で読むのが、気持ちいい。これらの落語の「オチ」も学生たちは、ちゃんとわかっている。なかなかたいしたもんだ。

最後に「寿限無」の長~い名前の暗唱である。私などは、こういう暗唱は大の苦手だが、学生は必死に覚えている。マレーの学生はホント真面目である。短時間で3人の男子学生がマスターした。凄いぞ。きっと日本の大学に行ってから、自己紹介の時などに暗唱出来たら、ウケること間違いない。(笑)EJUも修了試験も終わって、卒業までのゆるやかな時間、国費生はなかなか、有意義な時間を過ごしているのだった。

追記:1月の新年度から、「生徒」という呼称を「学生」に変えたいと思います。最大の理由は、IBTでは多くの先生方がそう呼ばれているからです。新年度に際して、ブログでもそれでいきたいとおもいます。
なお、タイトルのIBTの話の( )内の数字は本年3月末まで連番でいきたいと思います。私の1年間の報告という意味合いを大事にしました。ラベルに関しては、”2017”に、この1月分から変更します。ちょっとややこしいですが、よろしくお願いします。

2017年1月4日水曜日

日本人会会館のスタッフに捧ぐ

クアラルンプール日本人会館 正面玄関側 HPより
我がIBTは、クアラルンプールの日本人会の会館内にある。ここには、事務局を始め、セキュリティや、清掃・メンテナンスのスタッフ、テナントのスタッフなど多くの人が常時働いている。

ところで、マレーシアには、マレー系、中国系、インド系の三大エスニックグループの人々の他にも様々な国の人々が働いている。正直なところ、私には、なかなか見分けがつかない。

いつも挨拶をする管理のスタッフのボスがいる。、「センセイ、オハヨウゴザイマス。ゲンキデスカ?」と言う感じで話しかけてくれる愉快な人だ。新年になって、掃除の女性スタッフが変わったようだ。マレー系の女性だったのだが、トウドゥン(スカーフ)を被っていない。で、ボスにサバイバル・イングリッシュで聞いてみた。すると「彼女はインドネシア人ですね。」「なるほど。セキュリティのスタッフには、ネパールの人もいるよね。」(これは、セキュリティスタッフが先日教えてくれた。)「いますね。私はバングラディシュ人。」「ええ~!?マレー人だと思っていたよ。」ボスは、金曜日には、いつもイスラムの礼拝服を着ているので、マレー系だと私は信じていたのだった。もちろん、バングラディシュ人もムスリムであるが…。見た目では、全く判別がつかないのだ。多民族共生のマレーシアの一面を覗かせてもらったのだった。

ちなみに、セキュリティや清掃管理スタッフの人々と私は、すこぶる仲がいい。いつも笑顔で挨拶し合う。おそらくは、上から目線で彼らと接していないからだと思う。一日中、セキュリティは入り口で見守ってくれているし、清掃スタッフはなにかしら会館内を清掃してくれている。おかげで、会館内はいつも安全、かつ清潔に保たれている。感謝するのは当たり前だと私は思っている。そういう気持ちが、彼らに言葉を超えて伝わっているのだと思う。同時に、彼らの賃金はどれくらいなんだろうと、経済格差の問題をついつい思慮してしまうのだった。

ESDだ、地球市民だなどと、偉そうに言っても、そういうところから始めなければ、何も変わらないと私は信じている。

2017年1月3日火曜日

ところで、今日の本題。

IBTは、今日が仕事始めである。F39の1年コースの入学式の日でもある。マレーシアは、日本のような4月はじまりの「年度」ではなくて、1月が全ての始まりである。なんとなく新鮮ではある。私は、たまたま授業がなかったので、ひたすらパワーポイントの作業をしていた。年末年始以来、自宅か職員室かの差だけである。(笑)

朝、ちょっとかしこまった封書が机上に置いてあった。日本大使館の新年パーティの招待状だった。私はこういうのは大の苦手である。しかも大使公邸でのパーティーとなると、2003年にJICAの教員研修旅行で行ったケニアでのパーティーを思い出す。あまりいい思い出ではない。で、行くつもりはなかったのだが、M先生に伺うと、奥様と参加されるという。妻にメールしてみたら、「行ってもいいやん。」てっきり、「行きたくないなあ。」という返事が返ってくると思ったのだが…。聞くと、多くのIBTの先生方が参加されるらしい。意外だった。と、いうわけで、その大使館主催のパーティーに参加することになったのだった。

ところで、今日の本題。ちょっと韻を踏んでしまったが、「本」の話題である。(笑)義姉から、荷物が学校に届いたのだ。(事務所には申し訳ないが、いつもこうしてもらっている。)その中に、妻が読みたがっていた本(P・キングスレーの「シリア難民」)と、私が読みたかった「住まいと暮らしから見る多民族社会マレーシア」(宇高雄志著・南船北馬社/2008年6月発行)が入っていたのだった。ちょうど、息子夫婦が帰国していて、アマゾンで届いた2冊を義姉の元に届けてくれたのだった。いやあ、嬉しい。昔読んだケニア・ナイロビの人々の暮らしを建築家が描いた「ムチョラジ!」のマレーシア版のような本である。専門書ではないので、スラスラ読める。夕食の用意が整うまでの間に、25ページまで、すっと読んでしまった。もったいないので、もっとゆっくり読みたいところだ。今、ペナン島・ジョージタウンのショップハウスの安宿の話である。実に興味深い。

すでに、印象深い箇所を発見した。イギリス植民地時代、マレーシアの鉄道建設はインド系の人々の仕事だったようで、鉄道基地にはインド系の街が出来上がってきたらしい。なるほど、それで、クアラルンプールのセントラル駅周辺がインド人街なのだ。私にとっては、大きな発見である。こういう発見が読書にはある。やっぱり本のある生活はいいな。

2017年1月2日月曜日

日経 元旦の社説を読む。

https://www.technologyreview.com/s/601519/how-to-create-a-malevolent-artificial-intelligence/
マレーシアに来て以来、日経を手にする機会が極端に減った。電子版も多くの記事が無料で読めるのは途中までなので、ついつい疎遠になった。現地企業に勤めているビジネスマンではない私としては、他の無料のWEB記事に流れてしまうわけだ。とはいえ、元旦の社説くらいは目を通したい。

予想通り、不確実な世界情勢への危惧から社説は始まっている。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO11258530R00C17A1PE8000/

日本は、、アメリカやEU、ロシアや中国がどうあろうとも、自由経済の旗振り続ける責務を負っている、と社説は説く。まあ、想定内の年頭社説である。しかし面白いのは、その後の部分であった。

加速するデジタル社会への対応の話である。米のジャーナリストであるトーマス・フリードマンの新著から「iPhoneやAndroidが生まれた2007年は、グーテンベルグ以来の技術的な転換点の年だった。」と指摘。20世紀の生産性向上がブルーカラーの肉体労働の代替だったのに対し、これから本格化するのは人工知能(AI)によるホワイトカラーの頭脳労働の代替である、というわけだ。

…こういう指摘は理解可能ではあるが、失業率の低いマレーシア(若干、非効率ではあるが、雇用を多く維持している社会だと私には見える。)に住んでいると、これから先の世界の人口増と雇用の問題を逆指摘せざるを得ない。それは、持続可能なのですか?と。

…今、日本で工学を学ぼうとするマレーシアの学生たちへの教材を作成中である。たしかに彼らは、社説にあるように、「デジタルネイティブー物心ついたときからデジタルに親しんできた人材-」であり、IT関係を学ぶことを希望している学生も多い。社説にある「第4次産業革命」を担うのであろうが、彼らが忘れてはならないのは、持続可能な開発か否かという社会科学的視点であると改めて痛感した次第。

2017年1月1日日曜日

元旦なのでプールへ入る。

元旦の朝です。朝日に照り返るビル群。
新年あけましておめでとうございます。マレーシア・クアラルンプールでは、新年になると同時に、あちこちで花火が上がりました。日本の「ゆく年来る年」のような除夜の鐘、「諸行無常」も「わび・さび」などの趣は、微塵もありません。(笑)妻と二人、16階の住処から、様々な思いで花火を眺めていたのでした。朝は晴天。朝日の照り返しが美しい。(我が住処は西向きなので…。)

そんな元旦なので、絶対日本ではありえない正月を迎えようと思い立ちました。住処のプールで久しぶりに泳ぎ、いや(左肩が痛いので)歩きました。まるで、お正月はハワイじゃん、というセレブみたい。(笑)
トッポギを使ったぜんざい。
日本のお餅もミッドバレーで売っていたのですが、近くのマーケットには無かったので、韓国のトッポギがお餅代わり。砂糖醤油もなかなかいけます。日本製の小豆のつぶあんと合わせて「ぜんざい」にしても美味でした。

とはいえ、理系の国費生向けの教材作りに追われています。正月なのに、あまり非日常的でないのは、日本にいても同じです。…という感じのマレーシアでの元旦です。読者の皆様、今年もよろしくお願いします。