2017年1月18日水曜日

IBTの話(73) 新渡戸稲造

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今日の日本語の研究発表は、青色発光ダイオードを発明した中村修二と新渡戸稲造だった。新渡戸稲造は波乱の人生を歩んだ国際人である。その人間の魅力は、国際連盟の事務次長にまで上り詰めた後にこそ、真骨頂があると私は思う。「武士道」(右の画像参照)を書いた人らしく、自分の信念を貫いて、最後は客死する。自分の掲げた「仁」と「義」に生きたわけだ。そこには、たとえ、当時の政権とは意見を異にしても日本と言う国家に対する「忠」もある。中村修二氏とはある意味対極にあるわけだ。

さて、私はその人間の価値は、ポストにあるような気がしている。ここでいうポストは「肩書」ではない。「その後」と言う意味でのポストである。新渡戸稲造が国連事務次長の職を辞して、その後一人の国際人として、自らの正義に生きたところがサムライなのである。だから美しい。

最近は、国連の事務総長まで上り詰めたヒトが、その「元の肩書」を表面に出して、某国の大統領選挙に出るのだという。私個人の意見としては、「国連」ってその程度のものなのかと思う。このヒト、そもそも事務総長時代には、やたら自国のヒトビトを縁故採用して批判を受けたり、数々の国際的な困難には、極めて無能ぶりを発揮して、世界中のマスコミから批判されていたという。しかも故国の国連への滞納金比率も極めて高い。全く褒めるところがない。

今回の「像」の問題に対して、ウィーン条約など知らぬ存ぜぬで、「日本に十億円を返すべきだ。」などと発言している。信念として女性の人権を守るという姿勢があるのならまだしも、国家間の合意も、外交辞令も、大統領選挙に勝つためには全く無視できるらしい。少なくとも、元国連事務総長だったヒトの発言とは思えない。極めて醜悪である。某国が法治主義ではく、情治主義と国際社会から揶揄されるのも無理からぬところだ。

人間の価値とは、ポストではない。そのポストから外れた後に残る人間力であると、元国際連盟事務次長だった新渡戸稲造とこの元国際連合事務総長を比較して、つくづくそう思うのである。

追記:今日、浪人生のA君からセンター試験の結果報告がメールで届いた。私は思わず、「やったなあ」と飛び上がって喜んだ次第。いよいよゴールが見えてきた。

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