2016年4月30日土曜日

650の通勤バスの終点まで行く。

ちょうど、次の650のバスがやってきた
朝、不動産屋のJさんが、5月分の家賃を取りに来てくれた。(何から何までお世話になっている。)その時確認できたのだが、やはりスマホから電話できない。やはり(1ヶ月たったので)SIMカードが切れているのだ。万が一ということもあるので、赤い看板の”Hot Link”の店(日本で言えば、ドコモやauの店にあたる)に行って、「プリーズ トップ アップ。」と言わねばならない。タマンデサでは見たことがないので、ミッドバレー(そもそもここでSIMガードを買った。)に出ればすむが、どうせなら、タマンデサからいつも乗っている”650”番の通勤バスで、KLセントラル駅まで行ってみることにした。

いつも降りるミッドバレーの停留所を越えると、そこは本当に未知の世界だった。少し走って川を越えると、インド人街が広がった。おおお~。さらに中華街らしき景色に。終点は、KLセントラル駅ではないようだった。全く自分がどこにいるのかわからない。それもまた楽し、である。バスの車窓からさきほど見た風景が現れた。どうやら、この辺をぐるっと回ってからゴールしたようだ。(ホント、よくわからないけど。)

なぜか観光客の白人が多い。華人のお土産屋が並んでいた。これが中華街?。(後でわかったのだが、有名なセントラルマーケットを発見したので間違いない。)その入り口に赤い看板の”Hot Link”を発見した。少し汚い店だったが、トップアップは問題なく終了。「ほら、確認よろしく」と私のスマホの電話の画面を見せてくれた。早々と今日のミッションは終了してしまった。

しかしブランチをとるという生理的欲求もある。ところが屋台の店はあまりない。飲み物やお菓子はあるけれど…。ついに横道にそれたところで、豚マンを発見した。1つRM2弱。これを一気に2つ頬張った。(笑)土曜日は、タマンデサでも、朝に豚マンを買って食べることが多いのだけれど、結局今日もそうなったのだった。(笑)

なんとなく、帰りのバスも終点から乗れた。小さな小さな冒険だったけれど、十分満足したのだった。近くのマーケットで買い物をして、コンドに着いたとたんに、雷が鳴った。その後かなり激しいスコールになったのだった。早めに帰ってきたのもよかったわけだ。

ところで、ブログを書いていて気づいたのだが、こんなときこそスマホで自分の位置を確認すればよかったのだった。何やってまんねん。(一人つっこみするしかない。笑)次回は、一度使ってみようと思う。

2016年4月29日金曜日

ついにスマホを買った日

MVモール内スマホの店の気のいいオジサン
ついにスマホを買ってしまった。昨日も、ちょっとミッド・バレーのメガモールで、携帯電話などのショップが集まっているところを覗いた。その時、気のよさそうなオジサンの店員さんがいて、ここなら、私の拙い英語で1人で来ても、親切に対応してくれるのではないかと思ったのだ。

私のカンは当たって、オジサンは丁寧に私のSIMを、買ったスマホ(台湾のメーカーのZEN fone Cというモデルだ。RM339と格安である。)に入れてくれた。設定も日本語に変えてくれたのだが、「ん?」というような顔をして、「もうじきプリペイドが切れるとメールが入ったよ。いつこのSIMを買ったの?」と言った。そうなのだ、SIMカード(どんな携帯電話でもこれさえいれれば大丈夫というカード)は4月の2日に買ったのだ。以来、一切使っていなかったけど…。期限切れ寸前で使えることになったわけで、あやうくSIMカード(RM30くらいだったと思う)を無駄にする」ところだったのだ。

「また、HELPがあったら、来てもいいかな?」とオジサンに行くと、「いつでも来てください。」と指を立ててくれたのだった。私はあまり機械を見る目はないけど、ヒトを見る目はあるようだ。

で、とにもかくにも、あわててアプリを入れることにしたのだった。一応、基本的な無料アプリで、必要なものは入れたのだけれど、SKYPEだけ難航している。マレーシアの電脳生活、なかなか手ごわいのである。

2016年4月28日木曜日

マレーシアの延長コード

昨日買ったのは赤だった。
昨晩、近くのスーパーで延長コードを購入した。RM17。ミッドバレーの日本のスーパーの値段と変わらないので、購入したのだ。マレーシアの延長コードは面白い。リールになっている。(画像参照。)ところが、これが不良品だったのだ。PCにつないだのだが、バッテリーが減るばかり。結局物理のK先生がテスターを持ってきていただき、検査していただいたところ通電していないことが判明したのだった。

帰宅後、Tシャツ姿ではなく、あえてネクタイを締めたままスーパーに行った。「プリーズ、コール マネージャー。」と言うと、ちょっと責任のありそうな人が飛んできた。事情を説明すると、レジで待っているから交換する商品を持ってきてくれと言ったようだった。で、持っていくと、わざわざ通電のテストをして渡してくれた。しかもRM1引きになっていた。握手をして帰ってきた。

いろいろあるけど、マレーシア、(人が)良いとこ、一度はおいで…やね。

2016年4月27日水曜日

「模倣される日本」を読む。

マレーシアに来て、「全てが良い、パーフェクト幸せ。」というわけではない。困っていることもある。妻が傍にいないことについては、極めて困っているのだが、妻の来馬までは、なんとかやっていくと決めて来たのだから、今更泣き言は言わない。(笑)PCのことも悩みの種だが、まあなんとか。

一番困っているのは、本である。読みたい本が読めないこと。これが一番困っている。日本の自宅にはアマゾンに注文した5冊が私を待っているはずだ。

もちろんPCで日経のニュースもある程度読めるし、情報を得ることは可能である。TVもNHKの国際放送が見れる。ただし、すべて英語。世界ふれあい街歩きも英語だし、ピタゴラスイッチまで英語だった。(笑)…私自身、情報砂漠にいるわけではない。

私は日本では、いつもバラバラに2~3冊の本を読んでいた。それができないのが苦しいのだ。情報の摂取と、知の滋養吸収は似て非なるものだ。

先日、PC修理屋さんのW堂で、古本を買った。「模倣される日本」(浜野保樹著/祥伝社新書・2005年3月発行)である。10年前のベストセラーらしいのだが、価格はなんとRM1。(悪い癖だが日本円に直すと27円。アマゾンでも時折見つける1円本扱いである。)この新書、最初は、ずーっと映画の話。黒澤明のハリウッドへの影響を語るのだが、まあ知っている話もあったりするのだが、さすがベストセラー、なかなか面白く読み応えがある。

本に飢餓している私の手元に偶然やって来た本である。なんか愛おしい。とにかくなんか愛おしい、という変な感覚のお話でした。

2016年4月26日火曜日

スコールの後、メガ・モールへ。

ミッドバレーのメガモール 北側
クアラルンプールでは、時々夕方を中心にスコールが降る。今日は少し早めの3時くらいだったけれれど、なかなか激しい雨だった。とはいえ、本格的な雨季になると、今日の雨など序の口で、ドッパーンという感じで降るらしい。私が、ケニアのナクルで経験したあのドッパーン・スコール。車のフロントガラスをいくらシャッシャカ、シャッシャカしても見えなくなるような大粒の雨。一気に道が泥沼化する。ほんと、バケツをひっくりかえしたようなスコール。きっと、そのうち経験するのだろうと思う。

さて、雨が上がった夕方に、ミッド・バレー(MV)のメガ・モールに寄ってきた。と、いうのも昨日も妻と話していたのだが、結局こちらでスマホを買うことにしたのだ。日本で買うよりは安い。もちろん、日本製ではなくて、中国製や韓国製・台湾製が主らしい。日本語に対応しているし、普通に使える。SIMカードは、来馬してすぐ買って持っている。それをスマホに入れ替えるだけでいいらしい。支払い方法は2種類あって、日本と同じように通信費を月ぎめで払う方法と、プリペイドの方法があるらしい。

月々の費用も日本ほどかかるわけではないようなので、近々買おうと思って、モールにあるその手の店に入っていったわけだ。どうも、スマホの話となると専門的な用語が必要である。そのあたりは全く無知な私は、適当なサバイバル・イングリッシュの語彙が見つからぬまま、撃沈してしまった。スタッフも困っていた。私が日本人だとわかったようで、「契約」という語をスマホの辞書で示して説明する始末。こりゃ、あかん。誰かにいっしょに来てもらわねば絶対買えない、と判断した次第。

マレーシアは英語が使えるありがたい国だが、さすがにスマホを買うには、それなりの英語力が必要だという、当たり前の話である。(笑)

2016年4月25日月曜日

私の新しい住処 タマンデサ4


お粥の10番。こういう姿で登場する。
このところ、例のタマンデサのフードコートで、毎日夕食にお粥ばっかり食べている。私は”食”に関しては意外なほどに保守的なのだということをあらためて発見した。(笑)様々なB級グルメが並んでいて、みんなおいしそうに食べているのだけれど、あれこれ店を一周した後で結局いつもの”お粥”になるのだ。今日もインド人のカレー屋に興味をそそられたのだが、辛い=後で大量の水を飲むという方程式が浮かんでは消える。マレー料理もおいしいのだが、結局辛いので大量の水を欲することになる。ならば、”おだやかなお粥”という結論が導き出されるのだった。
かき混ぜると、下にあったピータンやゆで卵が…。
それにしても、このお粥、本当においしい。私が食べる10番は、ピータンとゆで卵の”ダブル卵”のお粥だ。昨日は、不思議な豚のビーフジャーキー(変な言い方だけど…。)のようなモノが入ったお粥を食べておいしかったのだけれど、やっぱり10番である。マレーシアで一番気に入った料理。わずかRM5.5(150円くらい)の絶品である。お粥屋の気がよくて親切なおじさんとおばさんとはすっかり顔なじみなってしまった。(笑)

2016年4月24日日曜日

私の新しい住処 タマンデサ3

道の片側に屋台が並ぶ。反対側は駐車スペース。
PCが入院していた金曜日、タマンデサで夜店が出るということを、夕食をフードコートで共にした若いA先生に教えてもらった。車で連れて行ってもらったのだが、なかなかいい雰囲気である。東南アジアである。「普段はもっと出ているのですが…」との話だったが、私は十分に興奮したのである。(笑)
中国風おでん屋さん。
木曜日には、フードコートの前の空き地に少しだけ夜店がでるのだが、こっちのほうがはるかにディープである。KL市内の中華街などにいくともっと凄いらしい。うーん。妻が着たら、ぜひ探検にいこうと思う。
ドリアン屋さん。ポーズをとってくれた。
タマンデサは、どっちかというと高級住宅街なのだが、それでもいろいろな屋台が出ている。先日少しふれたが朝食・昼食の店。おやつのようなお菓子をうる屋台。インドのお菓子の屋台もあって買ったこともある。ペキンダッグを売っている屋台もある。果物の屋台も多い。マレーのお母さんがドリアンやバナナを売っていたり…。ちなみにドリアンは皆おいしいというけれど、あの蒸かしたサツマイモ風の食感と匂いはあまりいただけない。とはいえ、食べたのは20年以上前の香港での話である。再挑戦する必要がありそうだ。ちなみに妻はドリアンの匂いが大嫌い。(笑)

十年ぶりに散髪に行く。

わがコンドミニアムの散髪屋さん これでOPEN。
マレーシアは熱帯である。よって暑い。あたりまえだが、汗をかく。私の場合、人の倍以上も汗をかいているように思う。その最大の理由は太っているからだと思うが、もうひとつ、髪の毛が長いという問題を抱えていたようだ。卒業式前に、大阪の自宅で妻に切ってもらって以来だと思うので、1ヵ月半以上もほったらかしだった。髪が長いのがさすがに気になってきた。妻はまだ日本だし、仕方がないので散髪屋に行ってきた。よく考えたら、ずっと妻に切ってもらってきたので、散髪屋に行くのは10年ぶりくらいだと思う。

本当は、少し離れたところにある散髪屋(安いという評判を聞いた。ただし、バリカンで勝手に地元ヘヤーにされてしまうらしい。)に行くつもりだったのだが、我がコンドミニアムにも散髪屋があることを思い出した。C棟の1階にある。ぱっと見、休んでいるような感じだったが、覗いて見ると女性が暇そうに新聞を読んでいた。じつは、この華人の女性が散髪屋さんだった。意外だった。

そこそこ英語も通じたし、ちょうといい感じでカットしてくれた。RM20。行くはずだった散髪屋よりはきっと高いのだろうが、丁寧な仕事だし、なかなか気に入ったのだった。

突然のPCの故障と修理

日本人会のビルにあるW堂
マレーシアは電気料金がすこぶる安い。これは火力発電の原料の石油・天然ガスをほぼ自給(半島部の石油は若干不足するので輸入、天然ガスのカリマンタン島分は日本を中心に輸出)しているという事情がある。もちろん、ガソリンも安い。このあたり大いに助かるのだが、電圧は高くて、若干不安定らしい。
そんな事を知らない私は、コードも抜かず二股をしようとして、元のコンセントから火花が散った。これが二・三日前のことである。コードがPCにも繋がっていたので、これはヤバイと思っていたのだが、案の定、昨日の朝、ついに停止してしまった。日本人会のビルには、PCを修理する店もある。さっそく持って行った。修理担当は華人の青年で、温和ないい人なのである。さっそく、いろいろと調べてくれた。

入院中の私のPC
結局ハードディスクがやられていて、取り替える必要があるとのこと。データは保存できるが、最初から入っていたoffce 2013は復帰できないだろうということだった。とにかく、急いで修理すると言ってくれた。月曜が期限だったのだが、夕方他の用事で行ったら、ハードディスクが早く届いたので、(今日の)土曜日の昼には出来るとのことだった。早い。それで、今日取りに行ってきたのだった。修理代もきっちりRM400。大きな出費だが、PCは商売道具だから仕方がない。帰宅後はずっとPCに向かって、アプリを入れなおす作業に専念していたわけだ。結局、Office 365を入れることになった。無料のソフトや無料の Office onlineは断念したのだった。1月は無料なので試してみたいと思う。

というわけで、昨夜はエントリーができなかったという次第。(このエントリーもマレーシア時間では土曜日なのだが、日本時間では日曜日になってしまった。)
そうそう、関空の件(4月16日付けブログ参照)で、T君とIさんからメールが届きました。連絡してくれた卒業生に感謝。残る卒業生も気軽にGメール下さい。待っています。

2016年4月21日木曜日

日本人会のレストラン

The Japan Club KL
ミッドバレーには、日本人会の建物がある。なかなか歴史があって、複雑な構造になっているのだけれど、ここにはいろんな施設がある。私は日本人会にまだ入っていないので、図書室には入ったことがない。もちろん日本語の書籍を集めた図書室だ。大いに興味があるのだが…。
その他に、日本食を売る店や、コンピュータの修理屋さん+古本屋さん+貸漫画本屋さんの店(先日はここで古本の文庫本を買った。)もあるし、旅行業者や不動産屋もあったりするし、CAFEもある。もちろん全て日本語OKである。

そして、なにより日本料理のレストランがある。20日間ほどマレーシアに滞在してわかったのだけれど、マレーシアの外食代はかなり安い。もう日本円に直す(1リンギ×27円くらい。)のもムダのように思えてきたのだけれど、たとえば、ご飯の上にチキンや焼きそばや野菜などを乗せた簡易的なランチで、4~6リンギット(RM:地元の人はリンギと呼ぶので、以下リンギ。)くらい。この辺が庶民のランチの相場らしい。
ミッドバレーのちょっと小奇麗なフードコートのランチで同様のランチを頼んだら、10リンギ強ほど。果物ジュース(これがまた上手いのである。)をプラスするともう少し高くなる。でも15リンギほどで食べられる。まあ、日本の高校の学食くらいの値段になる感じである。

そういう庶民的な倹約的なランチに対して、ここの日本食レストランは、当然少し高い。とはいえ、ちゃんとした日本食なのである。定食など28リンギくらいするけれど、サバの塩焼きなんか日本の味そのもである。野菜がどうしても食べたくて、野菜炒め(18リンギ)+ごはん(3リンギ)を頼んだこともある。なかなか美味であった。20リンギを超えたけれど、野菜不足の外食生活者としてはうれしい。かつ丼や天丼も20リンギくらい。本物である。美味である。新聞(読売である。)や漫画本(かなりの量の蔵書である。ワンピースも全巻そろっている。沈黙の艦隊もそろっている。)が読み放題なのも嬉しい。

ちょっと贅沢なランチになるのだが、貴重なレストランである。

2016年4月20日水曜日

「人口の少ない中進国」

私の住処から見える景色 途上国ではない
マレーシアは途上国か?と問われると、クアラルンプール(それも、ごく一部)しか見ていない私には何と答えていいのかわからない。

前述のマレーシア・ハンドブックによると、この国の人口は2930万人。1人あたりのGNIは$9970とあり、日本大使館の見方は、「人口の少ない中進国」というものだった。
経済規模に比して労働人口が少ない。生産年齢人口は68%、失業率は3%と低いにもかかわらず、である。労働力は慢性的に不足している。しかも中進国なので相対的に賃金が高い。これを受けて外国人労働者が周辺国から200万人もの人々が集まっているとのこと。

マレーシアは、2020年に高所得国(先進国)入りを目指している。1人当たりの国民所得$15000を超えるのが当面の経済政策の目標である。ファンダメンタルズ(主要経済指標)は、比較的堅調で、経済成長率は近年5%台で推移、インフレ率も1~3%で推移している。失業率も前述のように低く、財政の債務残高もGDP比53.5%。(55%が法で定められた上限)となんとかもっている。

同じく住処から見た夜景 絶対途上国ではない
ESDをやってきた人間としては、マレーシアの豊かさを、HDI(人間開発指数)で測りたい。昨年末発表のマレーシアのHDIの順位は、62位/188か国。9位のシンガポール、30位のブルネイの後塵を拝してはいるが、タイ(89位)インドネシア(110位)、フィリピン(115位)、べトナム(116位)と東南アジアの中でも頑張っているといえる。そう、まさしく「中進国」なのである。

この短い滞在期間を通じても、マレーシアが「中進国」である、というのは十分納得できる。まず、モノは豊かだ。ミッドバレーのメガモールなどに行けばよくわかるが、先進国のモールと全く変わらない。市場経済バリバリである。ただ、ガバナンスもそうかというと、いろいろなところで見聞するに、まだまだなのかなあと思うところもある。公共バスは、そういった面で最高の教師だ。臨機応変に乗客を拾うところや、安全面(戸を開けたまま走ったり、乗客と会話しながら運転手が運転するとか、カーブでもスピードを緩めないなど)にやや難があったりすると、イスラエルやポーランドを思い出す。(笑)
「人口が少なく、外国人労働者が来ている」というのも、納得する。ここ2・3日650番のバスに乗っていて気が付いたのだが、どうも外国人労働者と思われる若い男性たち(バングラディッシュ人?)が、ある停留所で毎回降りることを発見した。きっと彼らの職場があるのでは思われる。工場か何かがあるのかと思ってGoogle Mapで調べてみたけれど、それらしいものはなかった。だが、間違いなく外国人労働者の人たちだと思われる。

マレーシアの富裕層は10%で、国民所得の32%を持っており、所得下位の10%の人々は2%で、経済格差が大きいという見方もできるだろう。確かに私の隣のコンドには、赤いポルシェに乗っている人がいるし、タマンデサの高級住宅街ではBMWやベンツなどの高級車もよく見かける。ジニ係数は比較的高いわけだ。これが、HDIに影響を与えた可能性がある。

私は政府の経済政策は、かなりうまくいっていると思っている。それについてはまた触れたいと思う。(久しぶりに”ですます調”をやめて”論文調”でエントリーしてみた。やはり、こちらのほうがしっくりときます。笑)

2016年4月19日火曜日

私の新しい住処 タマンデサ2

フードコートの全景
タマンデサは、いい街です。何より食に困りません。タマンデサのだいたい中央に大きなフードコートがあります。様々なB級グルメが集まっていて、私はここが大好き。中でも一番のお気に入りは、お粥屋さんです。(残念ながら今日は休みでした。)私がいつも注文するのは、ピータンと普通のゆで卵がはいった10番のメニュー。これが、ほんと癖になるほど”うまい”のです。値段はRM5.5。日本円に無理やり直すと150円くらいでしょうか。
お粥屋さん。ここのおばさんはとても親切。
一昨日はタイの焼き飯。辛いけどこれまたうまい焼き飯です。今日は中国東北地方の豚と芋の定食。両方ともRM8くらいです。200円強。これにスイカのジュース(これはほんと最高です。)RM3.5を足すと幸せが倍増します。
フードコートの中はこんな感じです。
今朝は、バス停の近くに屋台が出ていたので、昼食を買いました。ご飯に焼きそばや野菜を乗せてもらい、RM4。十分満腹になります。

私は妻がマレーシアに来るまで、ひたすら外食で頑張ろうとしています。だから住処には、コップもスプーンもありません。そんな暴挙ができるのも、タマンデサの街の魅力でしょうか。

2016年4月18日月曜日

私の新しい住処 タマンデサ

私はタマンデサという地域に住処を置くことになりました。比較的日本人が多く、車なしでも住める便利なところです。クアラルンプール中心街からは、ちょっと郊外、といったところ。そもそもミッドバレーが市街地の南の端くらいなので、そのさらに南に位置します。

先日も書きましたが、ここからバスに乗ってミッドバレーまで通っています。バス通勤は生まれて初めてですが、慣れるとどうってことはありません。

バス停は、コンドの玄関から50mほど。(上記画像)朝は、7時すぎに乗るので、いつも座れる時間帯。帰りは2~30分待つこともありますし、立ったままのことも多いのですが、それなりに楽しんでいます。今日のエントリーは短いですが、ここで終わります。(笑)

2016年4月17日日曜日

マレーシアはイスラムの国Ⅲ

南国新聞 4月7日号
私の勤務する日本語学校( I B T )は、日本人会の建物の中にあります。日本語の情報誌なんかも手に入りやすい環境です。南国新聞という、KL(クアラルンプール)では有名な情報誌(無料)で手に入ります。先日4月7日号を初めて読みましたが、なかなか面白い記事を発見しました。

3月28日にナジブ首相がマレーシア・シャリーア・インデックス(ISM)に関するレポート「ISM2015」発表会を開催したという話です。ふーん。と流し読みしようとしたのですが、これ、極めて面白い記事なのです。要するに、マレーシア政府の様々な政策が、シャリーア(イスラム法)にどれくらい沿っているかを見ようというわけです。凄いなあ。先ほど、エントリーしたヌクヌガラ文書もそうですが、マレーシアという国の背骨にイスラム法というものがきちっとあるようなのです。このISMの委員長は、マレーシアのファトワ(ウンマの合意事項:イジュマーを討議し、新たな規定をつくること)の委員長でもあるそうで、要するにマレーシアの法学者のトップだと思われます。

これによると、司法(イスラム法)では87.19%、教育が82.5%、政治が79.19%、保険衛生が73.72%、社会が68.52%、文化が66.47%、経済が65.27%、インフラと環境が62.31%だということです。2015年の政策や構想、プログラムの達成度などを勘案した、と記事にはあります。で、委員長氏は、非常に良好ではないかと発言したとか。

こういうレポートを発表しているというのも凄い。実に面白いと思った次第です。ちなみに、上の画像はミッドバレーのホテルの天井に張られたキブラ(メッカのカーバ神殿の方向)を示す矢印。こういうサービスがされているホテルの部屋の割合なんかも、ISMでは勘案の対象となったに違いないと私は思うのです。

マレーシアはイスラムの国Ⅱ

ミッドバレーのホテルの部屋から、タマンデサ方面を
望む。高速道路も多く、クアラルンプールは大都会です。
こちらに来て、昨日までWEB(TVも)も繋がらないままでしたので、全く音のない世界でした。それで、先週の土日はひたすら勉強をしていました。疲れたら昼寝という感じ。(笑)

何の勉強かというとマレーシアの地理・歴史・政治・経済・政策の変遷・産業構造など、こちらの日本大使館が編纂したガイドブックを、ひらすらノートに整理していたのでした。マレーシアの生徒に社会を教えるにあたって、マレーシアの現状を理解したうえで話したいと思ったからです。

面白い記述がありました。教育制度のところで、日本の教育基本法のような法律はないものの、1969年の人種暴動(5.13事件:急激なイスラム化政策に華人やインド人が異議をとなえ、クアラルンプールで暴動を起こした事件/実は多文化共生が実にうまくいっているようにみえるマレーシアにも、こういう過去があったのです。)の翌年発表された国家理念で、ルクヌガラ(Rukunegara)という文書がそれで、マレーシアという国の教育理念だというわけです。

我々マレーシア国民は以下の5つの目的の達成を目指す。
1)複合社会の統一された国家
2)法的に選ばれた国会による民主社会
3)全ての者に平等な機会がある公正な社会
4)多様な文化伝統を持つ自由な社会
5)科学と現代技術を志向する進歩的社会

これらの目的の達成は以下の原則によって導かれる。
1.神への信仰
2.国王と国家への忠誠
3.憲法の養護
4.法の支配
5.良き行動と道徳

宗教をことさらに政治の世界から排除しようとしている日本から見ると、驚きの目的達成の原則でした。まず神への信仰なのです。マレーシアの国王は、旧各州のスルタンから互選される任期制です。スルタンは、その州の王でありイスラムのウンマ(共同体)の中心者でもあります。国王がイスラム法(シャリーア)に従うのは当然であるわけです。憲法も神定法のイスラム法の下に制定されているはずです。これを国王も首相も公務員も守り、憲法のもとに様々な法体系をつくる(法の支配)わけで、これは近代の領域国民国家・民主主義体制であることを示しています。

イスラム教と領域国民国家(しかも工業立国して豊かで自由な国家)をいかに止揚するか。それもマレー系・華人系・インド系の複合社会です。当時のマレーシアの指導者たちはルクヌガラ文書を作るのに、大激論をかわしたのではないでしょうか。
軽々と考察できるような問題ではありませんし、私のマレーシアでの見聞も当然浅すぎますので、これからおいおい考察を加えてみたいと思います。
でも、マレーシアって、思った以上に開発経済学の対象としても、ESDの異文化理解の面からも興味深い国だと思うのです。改めて、来てよかったと思っています。

マレーシアはイスラムの国Ⅰ

ミッドバレーにあるイオン(日系)のスーパー 
手前にレジがあって、Non Halalは完全に隔離されている
マレーシアの国教はイスラム教です。したがって、モスクがあちこちにあって、朝はアザーン(礼拝の呼びかけ)が流れてきます。面白いのは、普通、日の出が最初の礼拝のハズ(世界中のモスクには、その時間の変化が掲示されていたりします。)ですが、まだまだ暗いうちに流れてきます。

と、いうのもマレーシアは半島部の他に、カリマンタン島のサバ州やサラワク州を国土としていますので、マレーシアの標準時は日本よりー1時間しかずれていないのです。夜が明けるのは7時前になります。すでに人々が働き出しています。と、いうわけで早めに礼拝の時間を設定しているようです。赤道に近いので、日の出・日の入りの時間は1年間でほぼ変化ない(これはケニアで経験済みです。)と思います。そういうわけで、臨機応変だといえます。

国民の6割のマレー系の人々、すなわち過半数がイスラム教徒ですが、他の華人やインド人は、仏教や道教、キリスト教、ヒンドゥー教を自分の宗教としています。お互い、これには全く干渉しません。自分たちの宗教を大事にしているけれど、他文化もちゃんと認めている、という感じでしょうか。バスで走っていると向こうにモスクが見え、手前に仏教の寺院があったりしますし、屋台街には道教の祠があったりします。KL中心街にはヒンドゥー教寺院もあります。(ちらっと車から見ました。いずれ行ってみようと思っています。)ただし、国教はあくまでイスラムですよ、というのがマレーシアです。

それが一番わかりやすく表現されているのが、スーパーです。ほとんどの食品はハラル認証(イスラム教徒が食べてもいいと認定されている。)されたもの。菓子パンにも缶コーヒーにもみんな認証のマークが付いています。ふと、気づいたのですが、だいたい大きなスーパーには、ちょっと隔離した感じでノンーハラル(ハラル認証外)の食品を売っているコーナーがあるのです。当然ですが、豚肉やお酒などを扱っています。ムスリムのマレー人はそんな場所には出入りしません。華人の人々が主に入っていきます。(上記画像参照)
どっこい、華人の存在感も大きい。コカ・コーラには中国語。
ハラル認証(イスラム教的なるもの)を華人やインド人に押しつけはしない。だが、スーパーのほとんどの食品はハラル認証を受けたもの。認証を受けていない食品は隔離してイスラム教徒が間違って入らないようにしているわけです。この棲み分けがマレーシアを象徴しているように感じました。実に面白いと思います。

マレーシアの第一印象

ホテルの朝食です。中華系+マレー系
マレーシアに来て17日。こうして、WEBがつながりブログを再開できたわけですが、エントリーしたいことはたくさんあります。焦らず、順に書いていこうと思います。まずは、マレーシアの第一印象について。それは、人が穏やかで親切なことです。

マレーシアは、土地の子(ブミプトラ)と呼ばれるマレー系の人々が約60%、(植民地時代に錫鉱山の採掘のために来馬した)華人(中国系)の人々が約30%、(植民地時代に天然ゴムの栽培のために来馬した)インド系の人々が約10%、という多文化共生社会です。首都のクアラルンプールでは、華人の割合がもっと高いのではないかと思います。

マレー人は、ムスリム(イスラム教徒)です。女性はトゥドウンと呼ばれるスカーフをつけています。意外にカラフルで、個性的で、おしゃれのひとつとして着用しているように感じます。しかもロングドレスの人ばかりではありません。スカーフはしていても、それ以外は西洋的な服装の人も多いので、イスラムでも、アラブ世界のイメージではありません。マレーの人々は、目があったり、挨拶するとほとんど例外なく、微笑んでくれます。バスでは、若い人は立ったままのことが多いですし、座っていても老人に席を譲ります。先日、マレーの青年に人生で初めて、席をゆずられました。(苦笑)華人の人々は、マレー人ほど、いつもニコニコしているわけではありませんが、大陸の人々よりはるかにおとなしいと思います。行列をする時も、静かに並んでいます。(大陸の人々を知る私にとっても大いに衝撃を受けました。)もちろん、屋台のおかみさんなんか、無茶苦茶愛想がいいです。常に微笑んでくれています。インド系の人々との関わりはあまりありませんが、バスなどで同乗しても全く違和感はありません。要するに、3つの民族とも極めて温和なのです。しかもやさしいのです。

4月1日。空港からKLセントラル駅に着いた私は、駅員の方にも乗客にもやさしく助けられ、無事ミッドバレーのホテルに到着しました。モールで食事しようとしたのですが、手持ちのマレーシアのお金がRM3ほど足りなくてどうしようと思ったら、後ろに並んでいた華人の青年が日本語で、「大丈夫、ワタシが出してあげますよ。」と言ってくれました。RM3は、日本円に直すと100円にも満たない金額ですが、こちらでは300円くらいの感覚です。見ず知らずの私に、「日本に行ったとき、いろいろ親切にしてもらいましたから。」と言ってくれたのです。合掌。初日から、思っても見ない親切を受けたのでした。素晴らしいマレーシアの第一印象でした。

2016年4月16日土曜日

関空で。感激と不覚。

私が乗ったLCCのエアーアジア KLIA2空港で 
4月1日に私は関空を飛び立ちました。次にその日の話をエントリーします。一刻も早くエントリーしたかったのです。…と、書いていたら、急にWEBがつながらなくなりました。なんどもPCを再起動したりしてやっと戻りました。では、つづきです。

妻と関空に着いてから搭乗カウンターで、スーツケースの荷物が重すぎて四苦八苦しました。結局本を何冊も妻に持って帰ってもらうことになりました。(関空に妻が見送りに来てくれるのは実は初めてです。)クタクタになってようやく荷物を預け、朝食をとろうとレストラン街に向かいました。妻がすこし離れた時、「先生」という声がしたので振り向くと、なんと卒業生が6人もいたのです。

関空まで大阪市内から(お金も時間も)大分かかります。まさか、見送りに来てくれるなどとは思っても見ませんでしたので、かなり動揺しました。2年生の時の5組のメンバーです。野球部・ラグビー部の男子4人と女子2人。嬉しいというより、驚いたというのが正直なところ。みんなの写真を額に入れて贈ってくれました。ほんと、もう感激。そこに妻が帰ってきました。

あの時、私は彼らと記念写真に納まって、せめてコーヒーでも飲んでと、いくばくかを渡すべきだったと、その後ずっと考えていました。無理して集まってくれたのに、もう少し何かお礼をすべきだった、答えるべきだったと…。これこそ一生の不覚です。

ゆっくり話している時間は実はありませんでした。この後手荷物検査に凄い行列がまっていましたから。ですが、もっともっと何かしてあげるべきだった。と、いくら悔いても、もう時間は戻せません。文字どおり、後の祭り。妻と朝食を食べていた時も、飛行機の中でも、マレーシアのホテルでも、そして今も、後悔をしているのです。

来てくれた6人へ。本当にごめん。感激して驚いて、パニクってしまいました。本当にごめん。この償いはいつかきっと…。みんなの写真が入った額はわが新居にちゃんと飾らせてもらっています。これからもすっとすっと飾ります。本当にありがとう。

追記1:もし、卒業生がこのエントリーを見て、関空まで来てくれた卒業生(2年5組時のラグビー部1人と野球部3/4人(T君は来れなかったけれどハンドタオルを贈ってくれました。暑いのでたいへん重宝しています。)といえば、わかるはず。)に、私がこういう思いをもっていることを何らかの手段で伝えてくれると本当にうれしい。そのメンバーから女子2人にも伝わると思います。私としては、是非この6人に思いを伝えたいのです。よろしく哀愁です。

追記2:関空の6人へ。このエントリー見たら、是非Gメールください。

マレーシアより発信します。

やっとついたケーブルTVとWEB(右の機械)
TVもやっと見れるようになりました。。
ちなみにアルジャジーラのニュース番組。
一昨日に熊本で地震があり、大変な被害が出ていることを昨日の朝、妻のメールで知りました。昨日・今日も余震が続いて被害が拡大しているそうで、被災者の方をはじめ、多くの関係者の方々に心からお見舞い申し上げます。

マレーシアに到着して、16日目にしてやっと、自宅のWEBがつながりました。学校ではつながっていたのですが、必要不可欠なメールだけしていました。私的なブログのために使うのは憚れましたので、ブログの更新は控えていました。と、いうわけで自宅のWEBがつながった今日からブログを再開したいと思います。

4月1日のことは、次のエントリーで書きたいと思いますので、まずは住処が決まるまでのことをエントリーしようと思います。2日間ミッド・バレーという大きなモールがあるところのビジネスホテルで過ごしました。2日の朝、華人(中国系)のJさんという不動産屋さんと待ち合わせて、コンドミニアムを探しに出かけました。同じ日本語学校の先生方が多く住むタマンデサという地域のコンドミニアムを2軒(それぞれ2~3部屋)見て回りました。Jさんは日本語ができるので何でも聞けます。惹かれた部屋は2つありました。まずは1軒目の眺めのいい部屋です。KLCCのツインタワーとKLタワーが望めるベランダがありました。2ベッドでRM2100(リンギット)。真下にモスクが見えます。きっとアザーンで起こされるなあと思いつつ、ほぼここに決めたのです。
右上にシルエットですが、KLタワーとツインタワーが見えます。
がしかし、2軒目のコンドミニアムは、3~4人の先生方が住んでおられるとのこと。ちょっと心強い。最後に見せてもらった部屋も、同じ2ベッドですが、もうすでに掃除済で、明日(3日)からすぐ住めるというのです。向こうはもう1・2日待ってから引っ越しする必要があるとのこと。ホテル代のこともあるし、明日引っ越せるのは大きなメリットでした。そしてなにより、ソファーが私好みだったのでここにしました。眺めはフツーなので、RM100安くて、RM2000でした。
大抵のKLのコンドミニアムにはあるのですが、プール、テニスコート、トレーニングジム、夕食もとれるCAFE、散髪屋さんもあります。もちろん、警備つき。
私の部屋から真下にプールが見えます。
A・B・Cの3棟に別れています、私はB棟の16階に住むことになりました。いままで日本では3階以上に住んだことがなかったのでちょっと高揚しました。これだけ高いと虫も上がってきません。特にデング熱を運ぶような蚊がきません。昼間は鳥は飛びまわっていますが…。

コンドミニアムの玄関(警備のスタッフが常駐しています。)を出てすぐに、バス停があります。ここから、650番のバスに乗ります。学校のあるミッドバレーへ行くのに、タマンデサの中をぐるっと一回りしてから向かうので遠回りですが、途中の景色(小学校や屋台やモスクなど)が飽きないので楽しんで乗っています。ちなみに運賃はRM1(日本円で27円くらい。)です。