2011年7月31日日曜日

新潟行を断念する

キャンセルした湯田中温泉の宿
先週からの肩痛は、H城鍼灸院の神様のおかげで、激痛はおさまり、だいぶましになったが、まだまだ車を運転できるような状態ではない。友人に連絡し、予約していた宿をキャンセルした。鉄道の利用も考えたのだが、結局、8月2日からの新潟行きを断念したのだった。あーあである。
そんな時に、新潟県と福島県を豪雨が襲ったのである。友人の家は、三条市にある。思いもよらずTVで、行くはずだった三条の様子が何度も流れた。心配になって連絡をとってみた。友人の家はどうやら大丈夫らしいが、かなりきびしそうな状況である。市全体が断水というニュースも流れた。

先々週だったか、枚方の中心街に出た時、妻が”るるぶ”を三冊も買ったのだ。北陸編、新潟編、信州編である。つまり、北陸自動車道で、富山まで行き新潟との県境辺りの温泉で一泊する予定だった。日本海の夕日を見ながらゆっくりして、糸魚川、長岡を経由して三条へ入り、友人の御母堂の霊前で供養させていただいた後、信州の湯田中温泉に向かう予定だったのだ。湯田中温泉は、妻が幼少のころ一時期過ごしたところである。できれば安曇野によって必要ならもう一泊して下阪する予定だったのだ。フォッサマグナ博物館や長岡の河井継之介の記念館に是非行きたかったのであるが…。

「なあに、また会えるさ。」という友人の言葉を大切にしたい。

2011年7月30日土曜日

それはルワンダ人に違いない

昨日書いた梶先生の『アフリカをフィールドワークする』には、普段接することない逸話がたくさん載っていて、私には非常に興味深かった。今日は、その中の話を紹介したい。
言語調査という世界は、非常にディープである。梶先生は、コンゴ民主共和国(当時はザイール)の東部、ルワンダとの国境沿い(今は、極めて危険な地域である。先日私のブログの『紛争鉱物』でふれた地域になる。)のテンボ人の言語調査をされていた。人口5万人、主に焼畑耕作を生業としている人々である。世界的にテンボ語は未調査であった。で、重要になるのは『インフォーマント』と呼ばれる協力者である。彼をたよりに、様々な語彙や文法的な構造を探るのである。梶先生が最初に出会ったインフォーマントは29歳の青年で学歴は小学校3年まで。これはこのあたりでは標準的な学歴であるそうだ。コンゴの公用語、フランス語はほとんどしゃべれないが、地域共通語(コンゴ民主共和国には4つの地域共通語がある。)であるスワヒリ語は自由に話した。知らない言語を調査するには、まず語彙調査から始めるのが妥当らしい。その過程で、音韻や文法の情報を集めて、その言語の全体像を探るのだとか。(なんと地道で、根気のいる作業なのだろう。)

テンボ語は、他のバンツー語の言語と同様、単数と複数で接頭辞によって示される。英語のように後ろにSがつくのではなく、前にMUとかBAとかがつくのである。この複数形の系統で名詞のクラスは20あるのだという。さて、調査表をつくって、梶先生が語彙調査を進めていた時、「聾唖の人」という単語が出てきた。インフォーマントは、単数形をすっと答えた。梶先生は複数形をすぐ想像できたが、ここは彼に言わせなければならない。「その複数形は?」と尋ねると、「それは言えない。」と言うのである。「なぜ?」「私は聾唖の人をひとりしか知らない。」

梶先生はキレそうになったらしい。で、いろいろ工夫して、名詞のクラスを知るために「では背の高い聾唖の人は何と言うのか?」と聞いた。それには、彼はこう答えた。「それはルワンダ人に違いない。」…というのも、この辺りには、ルワンダから移り住んだ長身族が多く、テンボ人にとって”背の高い人間”はルワンダ人となったらしい。

梶先生は、こう書いている。『彼は何事につけてもまじめであった。カトリックであったから、私のなけなしのタバコも吸い、酒に酔ってクダをまくこともあったが、一つひとつの出来事を自分自身のこととして、真摯な態度で臨んでいた。たとえ言語調査とはいえ、無責任なことは言えななかった。(中略)彼らにとっては全てのものは具体的である。抽象的なものが考えられないということではない。たとえ目に見えない死者の霊であれ、それは恐れ、そいて敬う対象となる。そしてコトバとは、それによって喜び、悲しみ、生きるものであって、言語学者のお遊びは許さない。』

いやあ、面白い話だと私は思う。今日もスワヒリ語の諺で締めくくりたい。

Bandu bandu humaliza go go

意味は、このHPを参照されたい。

2011年7月29日金曜日

トーキング・ドラムと「諺」の話

5日間にわたる教員免許更新講習が終わった。最終日は、機器の不具合があったりして、かなりストレスがたまる講習だったので、詳細には触れないでおきたい。ところで、昨日のブログで非言語的コミュニケーションといえば、私は「トーキング・ドラム」をすぐ連想したと書いた。今朝、Y先生に聞いたら、すぐ思いついたのは『手旗信号』だったらしい。暗号にも詳しい数学のY先生らしいではないか。ちなみに、後輩の口の悪いI先生は『ウインク』だとか。気色悪い答えである。(笑)さて、そのトーキング・ドラム、私はブルキナのサヘルの村にあるドイツが支援して作られた博物館で、大きなモノを見た記憶がある。残念ながら、このPCにはその画像が保存されていない。一般的には、今日の画像にあるようなタイコである。

左肩がかなりマシになったので、電車の中で久しぶりに本を読みながら帰宅した。先日京大の公開講座で手に入れた梶先生の『アフリカをフィールドワークする』である。ちょうど、このトーキング・ドラムの話が書かれていた。”アフリカ人と諺(ことわざ)”という一文である。ちょっと引用したい。
『モンゴ族、ンゴンベ族など、ザイールの森林地帯では、太鼓によるメッセージの伝達がよく行われているが、この子音、母音を省略した声調のみによる伝達にも、多くの諺がちりばめられている。』
無文字社会では、諺が、口頭で民族の文化を伝承する上での知恵となっていて、挨拶を諺でする民族もあるらしい。モンゴ人の間では、若者が目上の人に「おはようございます。」と挨拶するかわりに”losáko”(これは荘厳な挨拶の意味)と言うと、挨拶された人は、普通の挨拶ではなく、諺で返さなければならない。しかもその諺はその人の人生観に裏打ちされたものであるという。たとえば、「象は、自分の象牙が重いからといって、泣き言をいったりはしない。」(意気地のない若者に対して、自分自身に備わった才能を見極め、それをのばすように努力しなさい、という人生の先輩からの忠告)と答えたりするそうだ。無茶苦茶、面白いなあと、私は思う。

今回の「特別支援教育」の講習、私の向学心のなさもあって、結局良くわからなかったのである。だから、スワヒリ語の「諺」で締めくくろうと思うのだ。

Usilolijua litakusumbua.

このスワヒリ語の諺の意味は以下のHP参照としたい。
http://www.africafe.jp/kotowaza.html#kakugen

2011年7月28日木曜日

教員免許更新講習なのだ 3

昨日のランチは、イタリアン
肩の激痛がとれて(まだ万歳はできないが…)、教員免許更新講習を、引き続き受けている。昨日から選択科目に突入している。正直な話、全校園の全教科教員対象だということは知っていたのだが、当日まで何を学ぶのか知らなかった。全くいい加減な話である。同じ歳で同じ3月生まれのY先生と一緒なら、絶対大丈夫だというだけで、申し込んだのだった。(笑)後輩の口の悪いI先生に「まったく、典型的なB型」と揶揄された。まあ、言い返すコトバが見つからない。

で、問題の講座のテーマは『特別支援教育』だった。本校には、特別支援教育委員会というのが設置されている。前任校では設置されていなかったし、「ADHD」とか「アスペルガー症候群」とか、なんとなく聞いたことがあるが、詳しくは知らない。まあ、この際、勉強しとこか、というくらいの向学心である。というわけで、全く属性がないというわけではないくらいの私であるが、講習会場に集まった先生方の多くは、特別支援教育に関わる小学校の先生方という印象をもった。我々高校教員は、なんとなく浮いている感じだ。

今日のランチは讃岐うどん
そういうシチェーションなのであるが、いくつか面白いことを学んだ。基礎的用語や概説的なことはちょっと置いておいて、印象に残った話を記しておきたい。言語聴覚士という仕事があるそうだ。結局良くわかならなかったのだけれど、コミュニケーション・テクニックの演習があった。設問は、非言語コミュニケーションを5つあげてください、とのことだった。全国の教室から得た答えを講師が黒板に書いていく。笑顔や声の大きさ、拍手、イントネーション、ハグ、絵を描く、文字で示す、うなずく、ウインク、姿勢、間(ま)などという回答だった。ふーん。
私の答えは、何といっても『トーキング・ドラム』である。それと『のろし』、さらに『握手(アフリカでは、親しい友人のしるしを示す独特のものがある)』、『喜びのダンス』『悲しみのダンス』なども浮かんだのだ。まるでアフリカの文化人類学の徒である。”非言語コミュニケーション”と名うたれれば、こういう回答になるのは当然であろう。私は、他の先生方のあまりに日常的な回答に、反対にびっくりしたのであった。

今日の講義は、医学的な立場からの発達障害が午前中あった。講義もボソボソで、専門用語ばっかりだったが、私は面白かった。昔の大学の講義はまさにこんな感じ。コツコツとコメントを聞き逃すまいと書き込んでいく。中枢刺激剤コンサータの副作用についてなど、全くどうでもいいのだが、聞いてると面白い。午後は、応用行動分析学(ABA)の講義だった。これもなかなか面白い。特別支援教育では、行動を客観的に記述することが重要だそうだ。なるほど。そのうえで、問題行動を先行事象→行動→後続事象という三段階の物差しで見るというのである。ここに「強化の原理」「行動の機能」というが出てくる。うーん、最後の方は時間がなくてぐちゃぐちゃになって、よくわからなかった。残念である。(客観的に記述するのは難しい。笑)講習会場からの帰路、3人で論争になった。数学、英語、社会の教師の論点のとらえ方が微妙に違う。私には、このほうが面白かったのだった。

2011年7月27日水曜日

鍼灸の神様の痛ーい祝福

参考画像です
昨夜、ブログを更新した後の話である。ホームドクターであるH城鍼灸院へ妻の運転で行った。(私は運転できる状態ではない。)治療のベッドに座るのさえ難儀な肩の痛さである。他の患者さんもいたので、じっくり治療をするため、レントゲン撮影と鎮痛剤の注射と鎮痛剤をもらってくるように言われた。午後9時。誰もいなくなった鍼灸院に、絶叫が木霊することになる。おそろしや。おそろしや。


まずは、左肩の筋肉をゆるめる数本の鍼。ぎえぇぇぇー。
最も痛い個所へのお灸。6連発。無茶苦茶熱い。ぐあぁぁぁっー。
むくんだ左腕への鍼。あちゃぁぁぁぁー。
そのうえで、「鍼の神様」は脇に足を入れて、強引に引っ張りながら肩を入れ直す。凄い角度である。あぎゃぁぁぁぁっー。
仕上げは、鍼による電気麻酔。ふぅっっっっ。

1時間半におよぶ「鍼の神様」の施術は終わった。自宅に帰ると、階段をあがるだけで激痛が走ったのに、大丈夫だ。痛みが急にひいていく。まさにゴッドハンドである。久々にゆっくり眠れたのであった。

今日の教員免許更新講習、真上には左手はあがらないまでも、机の位置までは十分痛みもなくあげることができるようになった。無理な体勢になっても激痛はもうない。さすが、ゴッドハンドである。

一部始終を見ていた妻は、終始笑顔だった。なんでやねん。

2011年7月26日火曜日

教員免許更新講習なのだ 2

今日のランチはガストだった。
肩が、ホンマ痛い。日々悪化の一途をたどっている。ちょっとしたことで激痛が走っている。しかしここで挫けるわけにはいけない。東北の方々も、なでしこジャパンも、ソマリアの国境なき医師団も頑張っているのだから、と無理やり理由づけして、生活をかけての5日間の修行である。ふう。

今日は必修の「教育の最新事情」の第2日目。3コマの講義と1コマの試験であった。今日も面白かったことを書こうと思う。小学校の先生方はホント大変だと思う。ストレスも凄いらしい。で、2コマ目で15分ほど『ワーク・アウト』を行った。ワーク・アウトとは、「ちょっと仕事から離れて…」という意味で、「まじめな雑談」「ざっくばらんなミーティング」というアクティビリティらしい。テーマは、「私のストレス解消法」だった。またまた仲のいいY先生や後輩の口の悪いI先生とワークアウトした。(ホント、やる気が感じられない。)当然二人のストレス解消法を私は知っている。(個人情報なので今回は伏す。)I先生に「ブログが解消法でしょ。」とズバリ当てられた。こののブログにはそういう側面がある。(笑)

3コマ目は、発達心理学の講義だった。私の学んだ発達心理学はもう古い。(30年以上前である。)大きなテーマとしては「認知」についてである。まるで、カントの先天的認識形式を心理学が追従したような話であった。(関係者者のみなさん、失礼。)視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の五感、すなわち「感覚」を、刺激のひとかたまりの有意味な対象としてつかむ働き=「知覚」がつかみ、知覚された状況を過去の記憶しているデータと照合し、社会的、文化的影響のもとに意味づけること、これを『認知』というのだそうだ。「時間と空間という直感形式を、感覚的質量として感性が感じ、それを悟性が後天的なカテゴリーで経験的対象をして再構成する。」カントとそっくりである。
私は、まずそう認知したのだが、講師の先生は様々な画像やアラビックの文字認識などを使って興味深く説明していだけた。なんかよくわからない絵を見た。何か全くわからない。だが、赤線の輪郭を挿入すると牛だとわかった、次に見た時は牛にしか見えない。アジア諸国の変な日本語の看板や商品も、文字認知のいい題材になっていた。なるほど。脳科学の進歩は、だいぶ進んでいるのだった。不勉強を恥じた次第。

追記:先ほど東アフリカの飢饉に対して日本政府として500万ドルの無償資金援助を行うと外相の発表のNHKニュースを見た。やっとかいな。世界銀行の1200万ドルの約半分。金額もそうだが、ぶすっとしたイヤイヤ金を出す風の会見を見て、またまた日本はあかんなと思った次第。もし、私が外相ならアフリカ諸国の大震災への支援の気持ちへの御礼を改めて述べて、日本国民の理解を得ながら金を出す。そういう機微を今の政治家はわかってないのだろうか。(怒)

2011年7月25日月曜日

教員免許更新講習なのだ

今日のランチは皆で「天下一品」
今週は、連続5日間教員免許講習である。前任校でK老子やR先生も受講したという通信制のS大学の大阪会場を早めに申し込んでいたのである。だいたい、こんな教員免許の更新が必要なのか、と現場の教師はほとんど思っている。そんな暇があったら、補習やクラブ指導に時間をさきたいとふつう考える。しかも自費で30000円以上振り込んだ。昨日書いたが、交通費も自費である。(職免と出張の違いはここにある。まあ、年休をとると覚悟していたので、ちょっと怒りは収まったが…)教員への嫌がらせだとしか思えない。

というわけで、非常に気が重かった。昨夜は左肩が破壊的に痛くて痛くて眠れなかったし…。(自宅では妻に介護されているという感じである。)初日の今日は必須講座で『教育の最新事情』90分4コマの講義を受ける。インターネットのTV会話システムで講師の先生方が講義をする。午前中は福岡会場から、午後は大阪会場からで、つまり午後はライブだったわけだ。
ところが、これが思いのほか面白かったのである。講師の先生方(S大学の準教授)は、我々がイヤイヤ来ていることもよくわかっておられるし、内容がなかったり、話術が下手だったりしたら、見事なしっぺ返し(次年度の参加者減、すなわち収入減)を受けるわけで、必死に頑張っておられた。(笑)

ちょっと面白かった内容を記しておく。2コマ目、ワークショップがあった。PBL(プロジェクト・ベース・ラーニング)というアメリカ・ミネソタ州で行われている教育実践の紹介である。生徒が、自分が研究したいプロジェクトを自ら考えて立てる。これを、アドバイザー(教員)やグループメイト(友人)がカンファレンス(対話・会議)しながら、より良いプロジェクトにしていくのだ。具体的に書かないと難しいので、仲のいいY先生、口の悪い後輩のI先生、そして私の3人で行ったワークショップで示してみよう。Y先生は、子どもの頃人工衛星を打ちあげたかったらしい。その内容をプレゼンする。このプロジェクトで身に着く力は何か?「大気圏を超える為の推進力のための物理、燃料の問題やロケットの構造のための化学、軌道計算などの数学」…I先生と私は、様々な質問をY先生に浴びせて、書くべきレポート等をともに決めていく。さらに調査すべき項目はないか、スケジュールは?と発展していくわけだ。ちなみにI先生は「身長をのばすプロジェクト」(全くアホなプロジェクトである。)私は「東アフリカの干ばつ被害支援プロジェクト」をプレゼンした。普通なら、こういうワークショップは見ず知らずの人とやるもんだが、いかに我々に意欲がないかご理解いただけると思う。(笑)こういう「カンファレンス」を導入するのは面白い。プレゼンテーターの他に、ペアレント(褒めまくる役割)、コーチ(ひたすら質問する役割)、アドバイザー(課題を見つける役割)の他、クラウン(ジョークを言って場を盛り上げる役割)、ソフィスト(プレゼンテーターを否定していく役割)なんてのもあるそうだ。自分の考えをまとめ、それをうまくプレゼンする能力こそがアメリカの教育の本義である。単なる自由研究の域を超えた生きる力と学力が共に伸ばされる取り組みということらしい。国際理解教育にも役立つ内容であった。

2011年7月24日日曜日

ノルウェイの移民状況

衝撃的な事件だった。ノルウェイはHDI(人間開発指数)で見た世界一の国である。北海油田の収益もあって、要するに統計上世界一開発の進んだ国といえる。そのノルウェイで、極右の男が、政府の移民推進に異議を唱えて大量殺人を犯した…らしい。では、ノルウェイの移民状況はどうなのか調べてみた。
http://www.ssb.no/english/subjects/00/minifakta_en/jp/main_03.html.utf8#tab0313
2010年の移民1世で見ると、第1位はポーランド人。(49309)次はスウェーデン人(29763)。ドイツ人(21341)。イラク人(20443)、ソマリア人(18349)デンマーク人(17774)、パキスタン人(17098)と続く。なんだヨーロッパ系が多いではないかと見るのは短絡的である。そのあと、1万人を超える移民はイラン、ボスニアヘルツェゴビナ、ロシア、ベトナム、フィリピン、英国、タイ、トルコ…と続く。ところが、移民2世の統計をみると、多いのは、パキスタン(13963)、ベトナム(7208)、ソマリア(7147)、トルコ(5620)、スリランカ(5166)、モロッコ(3197)、コソボ(3302)という数字になる。

ノルウェイの移民状況をこの表から整理すると、次のようなものになると思う。①成人の移民については、ヨーロッパからの移民が比較的多いことがわかる。②しかし移民2世(ノルウェイ生まれ)については、パキスタンを筆頭に、アジア・アフリカ系の途上国の人々が俄然多くなる。③さらに、ノルウェイの移民は、ボスニアやコソボを含め、ソマリアやパキスタン、アフガニスタンなど紛争当事国が多く含まれている。

なんだか、センター試験の地理Bの統計問題読み取りの指導みたいだが、要するに、ノルウェイの移民状況は、単なる経済的なグローバルセーションの結果ではなく、ノーベル平和賞を発信する国としての矜持だろうか、紛争当事国からの難民受け入れに積極的な姿が浮かんでくる。ノルウェイの亡命希望者という資料もある。2009年度では、アフリカが7180人、アジアが7157人。ノルウェイは有言実行というか、知徳合一というか、そういう国だったのである。

ユーロ圏が揺れている。ノルウェイの通過はクローネで、EUには未加盟である。EUの経済統合の利益に懐疑的なのと、農業・漁業へのEU的規制を嫌ったらしい。とはいえ、以前より人的交流は盛んになっている。(ヨーロッパ系移民の増加はその表れである。)経済的不況で、特にイスラム圏からの移民に対抗し、ナショナリズムが台頭しているようである。

今回の犯人の男のことは世界が注視しているので、これからも報道されていくだろう。ノルウェイ政府の移民政策は、極めて「地球市民」的なものである。ある意味豊かな国の理想を実現しようとするものであると私は思う。テロなどに負けるな、ノルウェイ政府と言いたいところだ。

追記:ところで、明日から教員免許更新講習で、5日間梅田へ出る。もちろん、出張費など出ない。金曜日に、有休の手続きに事務所に行ったら職免だということになった。前任校の仲の良いY先生や後輩の口の悪いI先生と一緒である。と、ここで、突然左肩が上がらなくなった。無茶苦茶痛い。台風の日に、弓道場で試しに3回ほど矢を射たのが、今頃出てきたらしい。H城鍼灸院に行くと1週間以上かかるとのこと。あちゃー。しかも校内球技大会やら野球の応援やらで顔と手が真っ黒に焼けている。前任校ではありえない状況なので、転勤したんだと強く印象付ける事態である。イテッ。今、左肩が変な角度になった。(笑)

2011年7月23日土曜日

マラウイのカメレオン民主主義

マラウイで、大統領退陣を要求したデモが起こり、死傷者が出ているようだ。WEBニュースをいくつか読んだが、その理由の詳細(物価高騰やガソリンの高騰、あるいは経済政策の失敗など)や死傷者の数に違いがあるので、とにかく代表的なロイターの記事を挙げておきたい。
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnTK896131720110722

今日は土曜日である。WEBでアフリカの研究をする日だ。ニュースを受け、マラウイの政治状況について調べてみた。今日の教材は、JICA研究所の客員研究員の中山嘉人氏の「キャパシティ・ディベロップメントから見た教育マネジメント支援」という報告書。この第3部に、マラウイの政治状況についての論説が載っている。この報告書の内容自体が凄い。かなり勉強になるのだが、主題の教育行政マネジメントについては今回はふれないでおこうと思う。興味のある方は、以下を参照されたい。
http://www.jica.go.jp/jica-ri/publication/archives/jica/cd/200703_aid.html

さて、マラウイだけでなくサブ=サハラ・アフリカ諸国の国家モデルを「ネオ家産国家」というそうである。かのM・ウェーバーの概念である「家産国家」(絶対君主制のようなパトロン=クライアント関係/権力者の支配と側近の国家運営 を通じた統治)の応用版で、”ネオ”がつく。旧来の「家産国家」との違いは2点挙げられるそうだ。近代国家の官僚制度や行政制度、法体制が存在するのだが、国民に国家の富がいきわたらないことが第1点。さらに、表の政治システムとは別のパトロン=クライアントでの裏の取引で政治的決定がなされるのが第2点だという。
さらに、アフリカ地域全般で特徴的な問題として「ビッグマン症候群」を挙げている。植民地からの独立闘争を戦った権力者が、長期政権を期待し、その周囲も依存してきた状況をいうらしい。

そしてマラウイの政治状況では、この「ビッグマン」の典型として64年から94年まで大統領だったバンダが挙げられる。冷戦終結後、マラウイでも複数政党制が導入され、ムルジ大統領が生まれたが、マラウイの政治家の特徴として、野党であっても、それまでの政策や主張を変え権力に近付き何らかのポストを得ようとするらしい。要するに選挙時だけ複数政党選挙の態をなすのだ。これを『カメレオン民主主義』と揶揄するらしい。なかなか面白いネーミングだ。日本でも使えるかもしれない。さて、2004年、ムルジの後継となった現ムタリカ大統領、院政をひこうとしたムルジと対立しているらしい。どっちも「ビッグマン症候群」なのだろうな。

マラウイ湖と女性
今回の事件、さてその本質は、「ネオ家産国家」としてのガバナンスの悪さに、ついに国民がしびれをきらしたのか。「ビッグマン症候群」の大統領の圧政にノーを突きつけたのか。「カメレオン民主主義」に嫌気がさして、大統領の政党の事務所を襲ったのか。はたまた、前大統領ムルジが、現大統領ムタリカを揺さぶっているのか。日本にいる私などは推測とも言えない推測をするばかりである。どうあるにせよ、マラウイの人々の「人間の安全保障」だけは守ってもらいたいものだ。赤道の北では干ばつ被害、南ではデモで死傷者。アフリカを愛する者としては暗澹たる気持ちになるのである。

追記1:前任校英語科のオーストラリア研修旅行、無事帰国したそうです。U先生からメールをもらいました。無事がなにより。彼らにとってがここからが分水嶺。希望の進路へ走り出して欲しいな。
追記2:今日の朝刊で、秋田商業高校野球部がベスト4で敗退したことを知りました。O先生、ご苦労様でした。この夏、大阪で宴会は出来なかったけど、来春こそ甲子園へ来てください。楽しみにしています。

2011年7月22日金曜日

「遊動民」レンディーレの小家畜

レンディーレの人々
夏季休業に入って、私は職員室で朝からひたすら2学期の教材研究三昧である。世界史Bのギリシア・ローマ史のプリントをじっくり作っている。さすがに午後3時くらいに集中力が切れた。で、久しぶりに『遊動民』を読んでいた。第10章「レンディーレと小家畜の比定関係」(佐藤俊:現筑波大学教授)が面白かった。レンディーレは、ケニア北部のソマリ系の言語を話す牧畜民で、らくだと小家畜を主に飼育し、副次的に牛も飼育している。この論文では、小家畜(ヤギと羊)をどのように差異化しているのかが書かれている貴重なものだと私は思う。

ブルキナで、1泊2日でサヘルに行って帰った夜、Iさんが「緑のサヘル」というNGOのMさんを呼んでくれて、ヤギ肉(焼き肉)を食べた。臭みもなく美味しかったのだった。Mさんはサヘルの専門家である。Iさんの心遣いに大いに感謝したのだった。さっそく私は、ミレットとソルガムの耕し方の違いなどを質問したのだった。もうひとつ、よく覚えている会話がある。私は「ブルキナにはヤギしかいないのですか?」と聞いたのだ。Mさんは大笑いして、こう答えた。「良く似ているので間違えやすいのですが、耳が垂れているのが羊です。私も最初不思議でした。」そうなのだ。私にとって、アフリカの羊とヤギの違いは「耳」なのだ。(笑)

羊は耳が垂れている。ヤギは立っている。 レンディーレの画像より
この論文には面白いことがたくさん載っていた。レンディーレ社会では、ヤギや羊は明確に差異化されている。彼らはヤギには社会性がある、と考えている。羊はすぐ集団になりたがる”群がりの家畜”である。歩行中のヤギや羊の前に立ちはだかってみると、ヤギは速やかに迂回する。羊は障害物を気にせずそのまま歩行を続け、股の間を強引に通過しようとする。屠殺される時、ヤギは激しく泣き叫ぶが、羊は比較的おとなしくなされるままである。ヤギのオスは日に何頭ものメスと交尾するが、羊は1日1頭のメスとしか交尾しない。ヤギは利巧だが、羊は馬鹿だと考えている。だから、彼らは、ヤギには、らくだや牛と同様の系譜を付与するが、羊は個体の特徴だけで言及する。

また、レンディーレでは、家畜の「冷熱分離」を設定している。ヤギは「熱系」、羊は「冷系」である。たとえば、ヤギの血は「熱系」なので、冷涼な雨季に飲むのがよろしい。羊の血は「冷系」なので灼熱の乾季に飲むのが良いとされている。脂肪や肉も同様、ヤギは「熱系」で精力がつき、体が太ると評価されている。羊は腹もちの悪い冷たい食材だと考えられている。面白いではないか。

ブログで、レンディーレの社会構造を詳細に書く余裕がないので割愛するが、青年期の男性は原野で過酷で危険な遊動生活を送るので、ヤギが比定されている。一方、家庭をもった男性(長老)は共同体的なまとまりを維持し穏やかな人格が期待されるので、羊が比定されるという。通過儀礼でもヤギは原野で、羊は集落内で供養される。…なるほど。

ところで、こんな記述があった。彼らは、『乳製品と肉を一緒に調理することはない。また肉食のあとには、半日くらい乳製品の摂取をさしひかえる。そうしないと、腹痛をおこすからである。』私は、この記述から、ユダヤの律法(食のタブー)を思い出した。出エジプト記23章「子ヤギをその母の乳で煮てはならない。」腹痛を起こさないための長年の遊牧民の知恵から来たのであろうと思うのである。

レンディーレの画像:孫暁剛氏のHPより
http://www.africa.kyoto-u.ac.jp/~sun/jrendille.htm

レンディーレによると、羊は「冷系」で馬鹿らしい。私の星座はおひつじ座で、さらに動物占いは「羊」なのだが…。(笑)

2011年7月21日木曜日

貧困問題のシンプルな解き方2

IDEの足踏みポンプ
台風一過の後、大阪は鉛色の曇り空だった。いつ雨が降るかと思うのだが、結局雨は降らずだった。蝉はその辺、良くわかっているのだろう。喫煙に公園に行ったら、ハードロックなみの大音響で鳴いていた。まったく蝉の持つ自然のセンサー能力に脱帽である。

さて「世界一大きな問題のシンプルな解き方」(ポール・ポラック著 英治出版)を完読した。今日は18日付ブログの続編を書きたい。

要するに、ポラック氏は、貧困問題こそ、世界の様々な問題に関わっていると言う。この貧困問題を、先進国や国際機関は途上国政府を経由して支援している。その結果は、汚職にまみれたガバナンスを生み、健全な市場をつくれなかったし、インフラを整備しても、最も支援すべき1日$1以下で生活する、国連のミレニアム開発目標がターゲットとする人々には届かない。
1日$1以下で生活する人々の多くは、1エーカーの小さな農場で自給自足する農民が最大多数である。この事実を抜きにして、貧困問題は解決できない。彼らの望んでいることは、収入増である。彼らが購入(投資)可能な低価格の灌漑設備から始めるべきだ。そこで、ポラック氏はIDEを立ち上げ、そのための地球規模で持続可能なデザインを開発する。足踏みポンプや低価格のドリップ式灌漑設備などである。乾季に小規模な土地でも野菜を育てることが可能になり、即効的に収入増を計ることができた。ネパールやバングラディシュなどで成功を収め、自らの投資によって現金収入を増やし、1日$1以下の生活から脱出できた彼らは、保健・医療や教育、輸送、エネルギー、環境問題などの改善に進んでいった。世界中の支援は、およそ政府間支援が80%、民間投資が20%である。これを逆転させるべきだ。BOPビジネスに、大学や企業の目を向けるべきである。…と、いうのが、およその概要である。私は、ポラック氏の提案に全くもって同意する。たとえば教育の充実は「開発」にとって極めて重要だ。しかし、いくらインフラの充実で学校のハコモノが出来ても貧困の根をまず断たねば、子供たちは通えないし、給料が払えなければ良い教師を雇えない。ポラック氏の方法論はまさに、シンプルで的を得ていると言わねばならない。同様のことが、他の問題(保健・医療など)にもあてはまる。

ポラック氏の率いるIDE(International Development Enterprises)は、インドやネパール、カンボジア、ミャンマー、ザンビアで足踏みポンプを助成金なしで販売してきた。ケニアに本部がある「キックスタート」は、バングラからケニアにまで運び、現地の状況に合うように設計し直してケニアとタンザニアで600万台発売した。マラウイ政府も75000台を販売している。開発組織の「エンタープライズ・ワークス・ワールドワイド」は、ナイジェリアなど西アフリカの国々で足踏みポンプを製造販売している。(セネガルで600台、ニジェールで1200台、そしてなんとブルキナファソで15250台)

ドリップ式灌漑設備(IDE HPより)

ブルキナのサヘルへの道をたとえ1泊2日という短期間でも経験した私としては、1万5000台もの足踏みポンプが販売されていることに、大きな驚きと喜びを感じる。ブルキナの気候は、南から北へ向かうに従って降雨量が減少する。どのあたりで利用されているか物凄く興味がある。おそらくは、首都ワガの近郊や南部だと思う。ブルキナは比較的食糧事情がいい。さらに現金収入が増える農家が増加することは喜ばしいことだ。ブルキナは、サブ=サハラ・アフリカでは、穀物(主食)自給率がもともと高いほうだ。ポラック氏の意図が大きく花開く可能性がある。

アフリカの1エーカー農家(IDE HPより)

しかし、アフリカ全体の農業の最も大きな問題は、穀物(主食)自給率の低さなのである。今回の東アフリカの干ばつでも露呈したが、需給バランスが狂うと大きく穀物価格が上昇する。1エーカー農家の所得が増えれば、徐々にではあるが、自給率も上がっていくと私は農学の門外漢ながら確信している。教育レベルも向上するだろうし、資金さえあれば様々な地域にあった生産性の向上(低コスト・低リスクの緑の革命)が図れるからだ。農業の生産性が上がり、自由な賃金労働者が排出されれば、さらなる都市居住者の経済発展も期待できる。彼らの豊かさへの努力、パワーに私も期待したい。

JICAのケニア視察の際、水田プロジェクトを見たことがある。ものすごく広いパイロットファームだったが、見事に失敗したようだ。朽ち果てた耕運機が印象的だった。面白かったのは、この農場の周囲に自然に水田が広がり、見よう見まねで頑張っている農民が出てきたという話だった。彼らは懸命に働き、収入を倍増させたらしい。そう、彼らには、大きなパワーがあるのだ。

この「世界一大きな問題のシンプルな解き方」、なかなかのお勧め本である。K大のO君、タンザニアに行く前に読んでおくことを勧める。アフリカに足踏みポンプやドリップ式灌漑設備を見に行くというのも、なかなかオシャレな目的になるのではないか。(笑)
IDE(International Development Enterprises)のHP:
http://www.ideorg.org/(ただし全部が英文です)

2011年7月20日水曜日

US、ソマリアをついに支援?

モガディシュの戦いを描いた映画 Black Hark Down
東アフリカの干ばつによる食料危機に対して、アメリカが重い腰をあげたようだ。これで、外交が閉塞状態にある日本政府も動かざるを得まい。うーん、喜ばしいような喜ばしくないような。
記事の内容については、WEB版の毎日新聞を参照されたい。
http://mainichi.jp/select/world/news/20110721k0000m030011000c.html

ここからは、高校生に現代史の授業をしているつもりで書きたい。
干ばつの被害が最もひどいのが、「アフリカの角」と呼ばれるソマリアだが、ソマリアは、まさにアメリカにとって鬼門のような国だ。

ソマリアは、アフリカでも数少ない単一民族(ソマリ人)国家である。紅海沿いの旧イギリス植民地と、インド洋側の旧イタリア植民地に分かれていたが統一国家となった。クーデターで政権を握ったバーレが大統領となり、大ソマリ民族主義を煽った故に、エチオピア在住のソマリ人が反乱を起こし、エチオピアと戦争になってしまう。これがソマリアの悲劇の始まりである。ソマリアはこの戦争に敗れ、経済がひっ迫するのであるが、南部出身のバーレは、北部の資源(バナナや動物)で得た外貨を南部の自部族のために運用し延命を図った。で、北部(ソマリランド)の離反を招くわけだ。で、バーレは失脚したが、ここからは権力闘争で内戦となり、無茶苦茶になる。1992年、国連は、PKOを実施し内戦を抑えにかかるのだ。その主力が、冷戦終了直後で「世界の警察」を自負するアメリカだった。ところが、このPKOで大問題が起こる。モガディシュ(首都名)の戦いである。この時、アメリカ軍のヘリが墜落して死亡した兵士が裸にされ住民に引きずりまわされるという映像が全世界に流れた。アメリカの”ママ”たちが、「なぜ、アメリカが関係のないアフリカに行き、息子たちがあのような目に逢わねばならないのか?」と叫びだしたのだ。この事件以来、アメリカは国益にからむ自国の戦争以外に兵隊を送れなくなったし、それ以上に兵士が死ぬことに極めて敏感になった。イラク戦争でアホほどトマホークを打ちまくったのも、その影響だ。

ソマリア内戦は、その後国際世界から見放される。「世界の警察」アメリカが抜けて、国連も手が出せなくなったのだ。とはいえ、周辺国は、この影響を受けている。隣国ケニアの治安が悪化したのもソマリアからの武器流入が大きい。何度も内戦解決に向けて会議がもたれたが、今やイスラム原理主義が台頭してきて、さらに話はややこしくなっている。イスラム原理主義はアメリカの最大の敵である。今回の干ばつに対しても、支援は受けないと頑として撥ねつけていたのだ。この5日にやっと、支援を受け入れると表明したので、国連が大きく動いたのだった。

アメリカにとって、ソマリアは鬼門というのは、そういう2つの事情があるからだ。だが、やはりアメリカが動かなければ世界が動かない。おそらく、政府部内には、イスラム原理主義への外交戦略がこの支援の奥に潜んでいることは当然だろうが、アメリカの世論は、極めて単純な人道主義と正義感で動くところがある。(私は、アメリカのそういうところが好きでもある。)まあ、いい。理由はどうあれ、飢えている子供たちを一刻も早くなんとかしてあげて欲しい。アホほど食料をばらまいて、周辺国に広がる異常な穀物高騰を抑えて、”市場を飼いならして”欲しいものだ。本格的な支援については、BOPビジネスに任せて、とにかく、先進国政府には外科治療的な支援をお願いしたい。

ただひとつ残念なのは、今回も日本がイニシャチヴをとれなかったことだ。

2011年7月19日火曜日

インターハイ出場選手 壮行会

台風が接近しているようである。かなり人ごとのような書き方であるが、どうせ明日は万難を排して登校するので、こういう書き方になる。暴風雨警報が出て、学校が休校になっても、我々教員は休業日になるわけではないのである。そういう意味では、デカダンな気分。要するにどーでもいいのだ。(笑)

とはいえ、時期が悪い。明日は終業式である。校長・教頭は、この状況下で、短縮授業で4時間の授業をした上で、「集会」という名で終業式をすることを決められた。終業式なしで夏季休業に入ることは避けたいという決断だ。通知表も渡さねばならないし、学期末は様々な連絡もある。3年生などは進路が絡むので大変である。特別活動部の私としても、あわてて夏季休業中の作業の連絡と確認を行った。

さて、実質上の終業式が講堂で行われた。クラブの表彰、インターハイ出場生徒への壮行会、校長の話、生活指導部長の話と続いた。中でも私が、感銘を受けたのは、インターハイ出場生徒への壮行会である。ソフトテニス部、なぎなた部、柔道部の生徒が壇上に並ぶ。むし暑い中、ネクタイをきちっとしめている。
彼らにエールを送るのは先日引退した野球部の3年生である。主将のK君が大声でエールを送り、野球部、そして全校生徒が『カンバレ・ガンバレ』と合わせる。いいなあ。何がいいって、引退した野球部の3年が、学校の顔は自分たちであるという矜持を保っているところがいい。100人近い野球部を仕切ってきた主将のK君の想いが顔に表れている。私は、そういう生徒たちと、同じ学び舎に存在していることに誇りを感じるのである。

もちろん、インターハイに出場する生徒たちも頑張ってほしいが、精一杯の大声で彼らを讃えた一度も試合に出れなかった全てのクラブの3年生にも頑張って欲しいと私は思うのだ。…君たちはまだ負けたわけではない。

2011年7月18日月曜日

「貧困問題」のシンプルな解き方

『世界一大きな問題のシンプルな解き方』(ポール・ポラック 英治出版)を読んでいる。ホントは完読してからブログを書くつもりだったのだが、このところ疲れがたまっていて、出勤や公開講座や野球の応援に行く際も目を閉じていることが多かった。半分くらい読んだ時点での中間報告をしておきたい。
この本は、貧困問題についてその対処法が書かれているのだが、開発経済学の本ではない。ビジネス書に近い。と、いって著者は、ビジネスマンではなく、父親がホロコーストの生き残りというユダヤ人の精神医だという不思議な本だ。

まえがきに、こうある。『貧困に関する本で、読後に罪悪感を持つような本は好きではない。無味乾燥で眠くなってしまう学術書も嫌いだ。貧困撲滅の仕事は、生き生きとして、刺激的で、新たな希望や感動を生みだすものだ。陰気なものでも、悲しいものでもない。貧困についての真実を知ることで、破壊的イノベーションを生み出せる。それは貧しい人たちの生活を豊かにするが、それ以上に豊かな人たちの生活も豊かにする。』この文章の意味するところ、それは著者のポール・ポラック氏の生き様のような気がする。彼は、1日$1以下で生きる人々の話を聞き、その問題を十分把握し、貧困撲滅のアイディアを地全体の市場規模をもとに考えてきた。従来から行われてきた政府や国際機関主導のトップダウン型の大規模な国際開発とは異なり、現地の人々の目線に立ったボトムアップ型のアプローチである。

『1日$1以下で暮らす人たちの4分の3は、小さな畑で暮らしを立てている。広さが5エーカー(約2万平方m)未満の農場は、中国では全農場の98%、バングラディシュでは96%、エチオピアでは87%、インドでは80%である。1日の稼ぎが$1未満の人たちのうち8億人は、その稼ぎのほとんどを1エーカーの農場から得ており、その農場も4つか5つの小さな区画に分散している。』彼の目線は、貧困に苦しむ人々の最大多数を手助けするという発想に向く。ここで、彼は、彼らの購買力や期待するものを検討する。彼らが購入(投資)することが可能で、しかも目に見えて良い影響をもたらされるようなプロジェクト。それは、$25の市場価格の足踏みのポンプであり、コストが従来の5分の1の小さな畑にも設置できるドリップ灌漑システムであったのだ。

彼は、寄付によって人々を貧困から救えるというのは誤解だという。
先進国や国際機関の巨額のインフラ投資、大型農業プロジェクト、大規模灌漑などは、1エーカーの農場で生計をたてる人々素通りしていく。反対に援助資金によってガバナンスが悪化し、腐敗や賄賂で市場が歪み、その投資の効果が打ち消される。多くの組織が手押しポンプを寄付したが、2年後には80%が使用されていない。所有者が明確ではないので故障しても誰も修理しないからである。だからこそ、彼は、貧しい彼ら自身の個人投資にこだわる。…納得する。その通りだ。

さらに彼は国家の経済成長が貧困を無くすというのは誤解だという。
国家規模での経済成長は、ほとんどが都市部の工業化によっている。中国やインドは驚異的な経済成長を達成しているが、未だに両国で5億7500万人もの1日$1以下で生活する人々がいる。僻地の農村や都市のスラムの人々の所得を増加させない1人あたりのGDPで、貧困を計ることは間違っている。…これは、現在のジェフリー・サックス的開発経済学への大きな疑義である。私はこれに反駁したりする知識をもたないが、現実問題として納得できる論である。

現地の人が何を必要としているかを見極め、それを持続可能な形で提供し、貧困から脱却する手助けをしている彼の提案には、説得力がある。これからのBOPビジネスをけん引する物凄いパワーを感じた次第。

今回はここまで。完読したら、また続編を書きたいと思う。特にアフリカという視点から書きたい。

2011年7月17日日曜日

野球部 R高戦を応援に行く

プレイボール直前
硬式野球部の応援に行ってきた。2回戦、相手はここ1年間に夏・春甲子園連続出場のR高校である。授業で、エースの生徒に、「勝ったら新聞にデカデカと載るな。」と言ったら、ニヤッと笑っていた。調子はいいらしい。1回戦は、私学のK高校に延長10回接戦勝ちで乗り切った。2回戦から登場のR高校に比べて、その点は有利との話だった。監督のI先生は、「勝てる確率は、20%くらいですかね。」と謙遜していたが、やってみないとわからないのが高校野球ではないか。と、いうわけで灼熱の万博球場に、勇んで乗り込んだのだった。万博球場はえらく混んでいた。なんといっても前回の甲子園出場校と春季大会準優勝校の対決、2回戦屈指の好カードである。

しかし、さすがR高校、甲子園連続出場校である。強い。初球から、見事にレフト前に運ばれてしまった。金属バットの音が違う。おいおい。その後も連打され、1点を早々と献上してしまった。しかし、そこはさすが公立の雄である。最少得点に抑えて1回の表を終えた。裏は、本校の攻撃である。R高校の流れを止めた。ここは、一気にこっちに流れを引き寄せたいところだ。ところが、三者連続三振。私のような素人には全く分からないのだが、後で聞くと、すこぶるストレートが切れていたらしい。あちゃー。向こうのピッチャーの調子もいいらしい。

1点、また1点と小刻みに点数が入っていく。本校の守備は良く鍛えられているので、なんとかピンチでも最少得点に抑えるのだが、それでも点差が開いていく。「うーん、一枚も二枚も上ですねえ。」と隣で見ていた体育のM先生。前回の春季大会決勝戦でも聞いたようなセリフである。やっぱり私学の凄みをいやというほど見せつけられるのである。6回、ついにエースが完全に捕まった。…そしてまさかまさかの7回コールド負けを喫してしまったのである。

悔しい。野球部の生徒がいつも走っている姿を、この1学期間見ているだけに、よけい悔しい。これで3年生は、引退である。全ての学校の硬式野球部のルールなのだ。彼らが、高校生活をかけてきた「野球」が、今日終わった。レギュラーとして活躍した生徒は少数である。最後まで補欠として、応援団としてしか活躍できなかった生徒も多い。みんなまとめて強制的に終了である。定めとはいえ、残酷である。私は何もしてやれない。だが、これが人生なのだと思う。また新たな道に生徒たちは向かっていく。それでいいのだろう。だが、今日くらい、ゆっくりと自分の「野球」を振り返って、1人泣いてもいいのではないか、と思う。明後日は、また笑顔でお互い挨拶しようぜ。

2011年7月16日土曜日

京大アフリカ研公開講座 7月

夏空の京大稲森財団記念館
今日は祇園祭りの宵山である。私には全く無縁なのであるが、「月イチ京大」の日と重なった関係で、思いのほか京阪電車が混んでいた。(笑)今年度の公開講座も4回目になる。加茂川沿いに桜の花が咲いていた第1回目の4月から始まって、梅雨の季節を過ぎ、夏の空に綿菓子のような真っ白な雲が浮かんでいる。季節の移ろいを感じるのである。と、無理して文学的に記したところで、今月の公開講座は、梶 茂樹先生の『言葉に生きる』である。

息子は、言語学の徒であり、グラマーピープルであるが、私は言語学的素養は全くない。接頭辞がどうの、音韻がどうのという話なら勘弁して欲しいなあというのが、正直な気持ちだった。しかし毎回参加しているし、きっと何か得るものがあるはずだと思って、気合いを入れて、ケニアのタスカー(地ビール)のロゴのTシャツを着て参加したのであった。(笑)

とはいえ、梶先生の話は面白かった。私の恐れていた専門的な文法の話など一切なし。まず、梶先生はSILというキリスト教の団体が、聖書を翻訳するために調査した世界の言語統計を示された。なかなか面白いのである。これによると、世界の言語数は6909、100万人以上で使用されている言語が264、それだけで世界人口の93.8%を占めてしまう。残りの言語が、少数言語だといえるわけだ。こうしてみると、言語95%ほどが少数言語だということになる。国ごとに言語の多様性を見ると、パプアニューギニア、バヌアツ、ソロモン諸島がベスト3である。オーストロネシア系言語はかなり多様なのだ。で、その次に中央アフリカ、コンゴ民主共和国、タンザニア、カメルーン、チャドなどが続く。アフリカは、かなりの多言語社会だといえるわけだ。ところが、アフリカの言語の系統は4つしかなく、北アメリカのネイティブ達が50系統にも分かれているのに対して少ない。このあたりは、面白い現象で、その分布状況から、人の移動の様子が読み取れるわけだ。

さて、梶先生の講義の中で、特に印象に残ったことを3つ挙げたい。
ひとつは、言語=民族ではないという事例。一般論としては、言語=民族なのだが、先生の調査の中では、言語の違いというよりは、同一言語で、若干方言のような差異が認められるのだが、歴史的にそれぞれが王国をつくり、民族的アイデンティティが明確な場合があるということだ。たとえば、ウガンダのニョロ語、トーロ語などの5つの地域があげられるとのこと。なるほど…。

さて、そのウガンダで、先生は様々な説話を収集されているそうだ。時間の関係で今回は紹介をあきらめたとおっしゃっていたが、少しだけ紹介していただけた。面白かったのは、『男はなぜハゲるようになったか?』という説話。「昔々、飢饉になった。カボチャを奥さんが見つけてきて、それを鍋で蒸していた。そこへ夫が帰ってきて、それを独り占めしようとした。鍋を頭にかついで持ち去ろうとしたのだ。ところが熱い鍋が髪の毛にひっついて大騒ぎになった。結局、髪の毛が鍋に貼りついてしまい抜けてしまった。だから、男はハゲになるんだよ。」大笑いした。

最後に、梶先生は、これまで講演していただいた京大アフリカ地域研究資料センターの先生方の中でも、最も文化人類学的立場(アフリカの伝統的な部分を残していくべきであるという立場と言い換えてもいい。)の方だという印象を、私がもったことである。
京大のアフリカ地域研究の先生方は、アフリカの良さを論じられている中で、彼らの伝統的な価値観や生活様式を守る立場をとられている。当然であるが、前回の大山先生は、そういう中でアフリカ「開発の意味」を問い直す試みをされていた。梶先生は、クラウスという言語学者の少数言語の生き残りへの危機感に対して、アフリカについては、エスニックグループが人口に関わらず対等な立場をとっており、”陽気なエネルギー”がこれからも存続させていくだろうという楽観論を提示されている。いわゆる少数言語である部族語、共通語たるすなわちスワヒリ語やハウサ語などの商業語が重層的に使われていることには理解を示されたが、英語やフランス語などの旧宗主国の公用語には否定的であった。セカンダリースクールなどでの英語・仏語教育は、無理があり、公用語で行うべきではないかとおっしゃっていた。私は、開発を進める上では必要だと思っている。したがって、梶先生は『開発』より『伝統』を重視するというスタンスをとられている、と強く感じた次第。

以前、私は昨年4月29日付ブログで、『コンゴのオナトラ船と「猿」論争』という内容で、伝統と開発の二律背反した立場について書いたことがある。ありがたいことに、この投稿には、TVでオナトラ船の放映があったらしく、今日現在2859人のアクセスをいただいている。(全期間を通じて第2位のアクセス数である。)私にとって、梶先生は、この中に登場する人類学者氏を彷彿とさせる方だったのだ。アフリカの少数言語という世界を研究対象にされている以上、当然のことであると私は思う。伝統的社会を保持することと、(アマルティア=セン的)貧困に対処することは、様々な点でぶつかり合う。私は、こういう二律背反を生徒に伝えるしかない。答えは生徒に考えさせたいし、ある意味、永遠の命題であると思うのだ。

ところで、梶先生の著作『アフリカをフィールドワークする』を特別価格で講座の際に入手した。帰りの京阪電車で読んだのだが、無茶苦茶面白い。(言語学的な部分は難解で斜め読みしたけれど…)またまた楽しみが増えたのであった。休憩の時いただいたエチアピア・コーヒーも、すこぶる美味であった。次回9月の講座も万難を排して行こうと思う。

2011年7月15日金曜日

人権講演会と担任するゾ宣言

今日の3・4時間目、全校生徒対象の人権講演会が開かれた。金正美さんという、ハンセン氏病の深い後遺症をもっておられる桜井哲夫さんの「孫娘」として深く関わってこられた方の講演だった。講演では、NHKで放送された人間ドキュメント「津軽 故郷の光の中へ」(45分間)も上映された。
http://www.sbrain.co.jp/theme/T-19736.htm

金さんは、講演の中で、正直な自分の気持ちを吐露されていた。短大時代、なんとなく訪れたハンセン氏病の療養所。最初は桜井さんの顔をまともに見れなかったという。ただ、桜井さんが、金さん(彼女は在日朝鮮人3世である。)に、「あなたは私より差別の中で生きていかねばならない。」と言われたことが、桜井さんとの深い関わりのきっかけになったと言われていた。すなわち、桜井さんは療養所の中に入れることで外界と隔てられているが、金さんは社会の中で差別と闘うことになるだろうという桜井さんのコトバである。

さらに、様々な桜井さんとの関わりの中で感じたことを述べられ、もし私が当時の村人だったら、ハンセン氏病の方が村から出たということで、差別する側にまわっていたかもしれない。差別は普遍的なものである。私もあなたたちも差別する側に回る可能性がある、と結ばれていた。

すばらしい人権学習だった。生徒の聞く態度も、暑く長時間にもかかわらずなかなか良かったと思う。放課後、私が副担任をしている2年1組のM先生が、アンケート結果をもってきてくださった。氏名の記入欄はないのだが、席順でだいたい判明してしまう。何人か、いい感想を書いていた。「やっぱり、この子はいい子ですねえ。よくわかっている。」などど話していたのだった。またまた思った。いいなあ、担任は…。

ところで、本日、前任校の英語科2年生が、オーストラリア研修旅行に旅立ったはずだ。先日、弟分・妹分である、担任のU先生、R先生に激励メールを送った。R先生の返信の言。「やっとここまで来た感じです。」その気持ち、よくわかる。いいなあ、担任は…。

来年は、絶対担任をするゾ宣言をしておく。(笑)

2011年7月14日木曜日

政府は東アフリカ干ばつ支援を

今回もG12魚眼で撮影
校内球技大会である。朝7時30分頃からの準備の時は、少し曇り空だったのだが、やがて夏の空になってしまった。生徒は、8つの団カラーのそれぞれのオリジナルTシャツを着ての参加である。なかなかカラフルで壮観である。と、その感想を書きたいところだが、今日は、それどころではない。

以前から指摘されていた東アフリカの干ばつ被害の悲惨さが、日本でなぜもっと報道されないのか。私は大きな不満を持っている。あれだけアフリカ諸国からも、東日本大震災に対して様々な支援があったのに。いくら震災後で、原発問題などで大変だといっても、日本政府は、ここは大いに東アフリカを支援してもらいたい。WEB上で、日本政府が支援をしたという情報が流れていないのが、私は残念でならない。自分の延命ことで汲々としている馬鹿な権力者のもとであろうと、優秀な外務官僚や経済官僚は、絶対いるはずだ。

今日付けの東京新聞のWEBニュースでは、過去60年で最悪の干ばつに見舞われている様子が報道されている。ソマリアやケニア、エチオピアで多くの子供が死の危機に直面しているのである。難民キャンプに数週間あるいてたどり着いても力尽き、1日以内に死亡する子供が続出しているという。なんということだ。しかもケニアの一部では、干ばつに加えて北アフリカの民主化の影響もあるのだろう、穀物価格が過去5年間の平均価格に比べ8割も上昇しているという。食料危機も深刻だ。是非一読願いたい。私の怒りが伝わると思う。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011071402000030.html

もちろん、単純に食料の支援を行うだけでなく、特に難民キャンプなどの保健状況を絶対なんとかして欲しい。飢餓では、実は飲み水など保健状態の不備から疾病で死ぬ人が多いのだ。アマルティア=センの飢餓の研究では、結局”市場をいかに飼いならすかが重要”ということが指摘されている。
私は、干ばつ被害に対して、この際、様々なBOPビジネスの支援もして欲しいものだと思っている。今、読んでいる『世界一大きな問題のシンプルな解き方-私が貧困解決の現場で学んだこと』(ポール・ポラック/英治出版)の内容のまえふりを実はこのところ続けている(昨日のブログの”工夫の話”や、一昨日の”BOPビジネスへ期待”の話)のだが、単純な義理的・人道的な支援ではなく、馬鹿な権力者ような”思いつき的”な支援ではなく、彼らが干ばつを防ぐ持続可能な手立てとなるようなBOP的灌漑設備に自ら投資できるように、日本が補助金(1家族当たり$20くらいでいいのだ。)を出すようにしてほしいと私は願うのだ。その詳細な理由については、また後日述べたいと思う。
重ねて要望する。優秀な外務官僚、経済官僚は、東アフリカの人々のために、持続可能な支援を早急にプランニングして欲しい。それは、必ず日本の矜持のため、国益のためにもなるはずだ。

2011年7月13日水曜日

マネージャーの知恵とアフリカ

明日は、校内球技大会である。生徒会も大車輪で準備に追われていた。私も、第1体育館、第2体育館(本校には、体育館が2つもあるのだった。これにまだ、独立した建物では、なぎなた部の格技場と柔道・剣道部の思斉館もある。)を回って、準備状況を見たりしていた。真夏日である。汗が吹き出る。ふと見ると、このストロングな日差しの中でラグビー部が練習をしていた。思わず、G12を取りに行ってシャッターを押した。まあ、ぶつかり稽古みたいな練習である。いいなあ。

謎のウォータークーラー
生徒会室へ行こうとしたら、一階のウォータークーラーがなんか変である。誰もいないのに、冷水が出ている。なるほど、足で踏むところに石が置いてあり、重しになっている。側面を切り取ったペットボトルが微妙な傾きで置かれていて、切り取った部分に冷水が入っていく。このペットボトル、斜めになっているので、飲み口から溜まった冷水が下に落下している。それを受けるのは、なんとヤカンである。見覚えがある。ラグビー部のヤカンだ。

女子マネージャーがやってきた。手慣れた感じでヤカンを手早く取り替えていく。聞くと、代々のマネージャーに受け継がれてきた方法なのだという。私は感心してしまった。「おばあちゃんの知恵」ならぬ、「マネージャーの知恵」である。大したものである。

こういう工夫を見て、私は2つのことを考えるのである。1つは、生徒から学ぶことが多いということ。教師というものは、どうも上から目線で生徒を見がちだ。私は、それは違うと常に思っている。生徒から学ぶという姿勢を失ったら、傲慢な教師になってしまう。
もう1つは、アフリカでも、こういう工夫をしているに違いないと思うのだ。今あるもので、できるだけのことをする、それがアフリカの良さでもある。ペットボトルという『資源』は、彼らにとって極めて重要なモノである。我々先進国の人間から見て、それが、貧しさと映る場合も多いが、それこそ先進国の人間の傲慢というものであろう。

今あるもので、精一杯の工夫。なかなか良いではないか。

2011年7月12日火曜日

コンゴ民主共和国の「紛争鉱物」

モーニングで、今朝は久しぶりに日本経済新聞を読んでいた。アフリカの地図が載っている記事があったので、思わず熟読した。要するに、アメリカ政府が、コンゴ民主共和国を中心とする9カ国から産出した(もっと具体的に言うと、コンゴ民主共和国で産出したものを、周辺国産出ということにして輸出する場合も含めて…という意味である。)金、錫、タングステン、タンタルの4つの鉱物を、「紛争鉱物」と指定し、反政府武装勢力の収入源を断とうとしているらしい。アメリカの株式市場で上場している企業は、これの「紛争鉱物」を使用していないか、報告義務が発生するらしい。パナソニック、京セラ、ソニー、トヨタ、ホンダなどが、さっそく対応策を練っているという記事だった。
この流れは、その下請けの中小企業などにも大きな影響を与えるだろうという。取引先から、その調達先の確認を求められることが増えるだろうという。その記事の下に、たしか、そういう確認をする専門のビジネスが立ち上がるともあった。

このコンゴ民主共和国の紛争は、アフリカでも大きな問題である。ポール・コリアーの最底辺の10億人でも「紛争の罠」として大きく取り上げられている。たしかに、この「紛争鉱物」のために、多くのアフリカ人が死に、また難民となっている。そういう紛争の根っこから退治しようという意味では大いに評価できる話である。

ただ、この9カ国(ルワンダはもちろん、ウガンダやタンザニアまで入っていた。)以外にも、経済回廊を使って、たとえばモザンビークとか、ガボンとか指定されていない国に波及していくのではないのだろうかと私は懸念する。ますます調査は複雑になっていくし、周辺国にどんな影響を与えるのだろうかと思う。反対に、アフリカのガバナンスが透明化していくきっかけにもなるかもしれないし、BOPビジネスにさらに光があたるかもしれない。

ともかく、この「紛争鉱物」、これからどうなるか注目していきたいところだ。
日本経済新聞のWEBサイト
http://www.nikkei.com/news/category/article/tc/g=96958A9C889DE1E0E2E2E6EBE0E2E3E0E2E5E0E2E3E38698E2E2E2E2;av=015;bu=BFBD9496EABAB5E6B39EBB8888EBE19DA291FD829FA8FD98F995E09

*この記事は、途中から会員限定になります。注意して下さい。ちょっと手間をかければ無料で会員になれます。(月20本の記事まで無料だそうです。)

2011年7月11日月曜日

今日定食は唐揚げやったりして

今日は暑いので職員室で昼食をとった
短縮授業である。本校では、なにか理由があるのだろう、わざわざ作った短縮授業の時間割で授業が行われる。(普通月曜日の1限目から4限目とかいう感じで機械的である。)面白いことに、一回も行かないクラスもあれば毎日のようにあるクラスもあったりする。こういう時間割をつくる作業は、極めて大変なのである。私も何度かそういう仕事をしたことがあるので、その苦労がしのばれる。だから文句など言ってはならないのだ。さて、その毎日のようにあるクラスが、今日もあった。実は明日もある。(笑)3年武道科・体育科の政治経済である。アフリカ開発経済学も、いよいよアフリカの農牧業、工業に進んできた。ところが、武道科も体育科も、カリキュラム的に地理の選択がないので、全く地理的な素養がない。で、時間もあるので、農業のイロハを教えているのだ。

穀物の降水量との関係。穀物のカロリー対比。カロリーから導き出される有畜農業。牧畜と降水量の関係。家畜、特に牛・豚・羊・山羊、ニワトリも含めて、その飼料消費と肉のでき方。その価格との関係などなど。つい、時間があるので、家畜の屠殺方法について語るはめになった。

前任校の私の地理の弟子たちには、懐かしい話題かもしれない。最近のえげつないニワトリの飼育方法。窓のないビルの中で、電灯をつけたり消したりして、1日を3日ほどに感じさせ、唯ひたすら太らせる。その屠殺方法もひどい。牛の屠殺方法は、歴史があって、最近は、狂牛病対策の関係で、一気に脳髄からセキズイまで貫く方法が取られている。…などなど。寝ていた連中がムクッと起き上がって聞いているのが面白い。(ちなみにこの牛の話のネタ本は、世界屠畜紀行という本である。最近文庫本化されたようだ。)

ところで、ニワトリの話をしていて、こんな冗談を言った。「今日の定食、唐揚げやったりして…」生徒は大笑いしていたのだが、…唐揚げ定食だった。(今日の画像参照。ホントはここに味噌汁がついて、350円。大阪は連続四日目の真夏日。食堂が蒸し風呂のようだったので、職員室で食べることになったのだった。)

この話題、一応滑らない話シリーズなのだが、一度だけ思い切り滑ってしまったことがある。今は2回生になった筝曲部のY君が、顔を真っ赤にして嫌がったのだった。ホント純粋ないい子なのである。Y君、あの時は、調子に乗ってこめんね。

2011年7月10日日曜日

南スーダンの元少年兵に学ぶ

独立を喜ぶ南スーダンの人々
南スーダンの様々な記事を読んでいて、重いコトバを見つけた。毎日JPの記事にある元少年兵のダニエル・ボウル氏の言葉である。彼は、エチオピアに難民として非難した後、13歳の時に少年兵として「スーダン人民解放軍」に加わった。2年間戦闘に参加した後、除隊し、故郷に戻った。しかし北部軍の虐殺行動にあい、ケニアの難民キャンプへ。2005年和平合意で、ようやく故郷に戻ったが、30歳になっていたという。

『自由を得るということは責任を伴うことでもある。内戦では銃をもって和平を追求したが、子供たちには対話で物事を解決してほしい。』…極めて重いコトバである。

『自由』という言葉の意味を改めて、彼のコトバから学ぶべきだ、と私は思う。

今日の毎日新聞朝刊では、与良正男論説副委員長が『旧社会党病が政界に蔓延している』というタイトルで、「反射鏡」というコラムの中で政界の無責任性を論じている。旧社会党が当時の政府・自民党を批判さえしていればいいという無責任体質を持っていたのは周知の事実である。
都合の悪いことは、すべて他人に責任を押し付ける首相も首相だし、経済産業相も、はたまた野党もすべて同じように責任を他に押し付けるばかりである。たとえこの後、首相が代わっても同様の政治状況が続くと予想され、悲観的にならざらるを得ないとコラムは結ばれている。…全く日本は何をやっているのか。

現在ケニアとの食料を輸入する貿易会社を起こしているダニエル・ボウル氏は、こうも言っている。「経済は成長し、教育制度も拡充したが、民主主義のシステムは生まれたばかり。赤ちゃんが何でも吸収して成長するように、少しずつ周辺国から学んでいきたい。」

自由を自らの手で勝ち取ったからこそ出てくる彼らの謙虚さに、学ぶべきことは多い。
http://mainichi.jp/select/today/news/20110710k0000m030090000c.html

2011年7月9日土曜日

南スーダンの地ビール

南スーダン共和国が独立した。各紙の報道によれば、南北の宗教対立といった文字が並ぶ。アフリカにおける内乱の原因を、エスニックグループの違いや宗教の違いなどで、ステレオタイプ的に指摘することが多い。(6月16日付ブログ参照)だが、それが本当に事実かどうか、危うい場合も多いわけだ。
しかし、南スーダンの分離独立については、たしかに歴史的な経過から見ればわかりやすい。スーダンは、エジプト(北部)とイギリス(南部)の共同統治以来、イスラムでアラブ人(白人)の北部と、イギリス統治下でキリスト教を宣教した結果、在来の信仰とともに混ざり合った黒人の南部という色分けが顕著な地域だった。最大の問題は、スーダンが独立した際、北部のアラブ系が政府の実権を握り、シャリアーア(イスラム法)を南部にも強要したことだと言われている。
おそらく、今回私の世界史Bの授業を受けた生徒や、私が倫理を教えたOB・OGには容易に理解できるとことだと思うが、これはかなり厳しい話である。かなりの食のタブー(豚肉やウナギなど)や、禁酒・禁煙など、日常生活に大きな縛りが科せられる。社会的な規範もシャリーアで規定される。そういう律法的な縛りから、本来的に解き放たれてるキリスト教徒から見れば、相当の違和感であったはずだ。
本来、イスラムは、あまり自分たちの宗教を強要しなかった。剣かコーランか?ではなく、剣かコーランか税金(人頭税:ジズヤ)か?というのが、マホメット(ムハンマド)以来の聖戦(ジハード)におけるウンマ(共同体)拡大の図式である。その図式から見れば、独立当時のスーダンのイスラム共同体は、かなり過激であるといえる。国民国家化するという大義が強かったのだと私は推察するが、まあ、ウサマ=ビン=ラディンが一時身を寄せていたくらいだから、ある意味で、原理主義的な傾向が強かったのだろうと思われる。
イギリスは、当初ウガンダと南スーダンを合併させるつもりだったらしい。頷ける話である。この辺のボタンの掛け違いが、後に大きな悲劇になっていったわけだ。今更、誰が悪いなどという詮索をしても仕方がない。掛け違いのボタンははずされたのだ。

南スーダンでは、地ビールで大いに乾杯しているという。今回の画像はその地ビールのラベルである。南スーダンで牧畜が盛んなセブー。白い牛である。シャリーアで禁じられていた飲酒が自由になったという象徴でもある。

とはいえ問題は山積みである。特に、先日(6月29日付ブログ参照)紹介した、広域な干ばつ被害が心配だ。

2011年7月8日金曜日

生徒会による節電ポスター

だいぶ前になるが、学校長から、「生徒会でなにか節電の取り組みはできないか」との依頼があった。結局、ポスターを校内に貼ることになった。生徒会執行部で検討の結果、各クラスの厚生委員2名とHR委員4名にポスターを描いてもらい、2枚は各教室に、他の4枚は特別教室や廊下などに貼ることになった。なぜ厚生委員とHR委員なのかと聞くと、最も仕事がない委員なのだそうだ。(笑)

事務所にて
どんなポスターを描いてもらうのか、どこに貼るのか、いつまでに?どうやって収集するのか?実際問題としては、なかなか大変である。一応、生徒会顧問の私としては、こういう時、丸投げしてみる。出来上がった草案を検討し、詳細を詰めていく。何から何まで、こちらでおぜん立てするのは簡単だが、それでは人は育たない。かといって、じっと待っていても進まない。この辺が難しいところだ。結局、一番大変なのが、誰が出してくれて、誰が出してないのかという集約の問題だった。生徒会の呼びかけだといっても、教育活動の一環なので、その辺はいいかげんにできない。結局、私の提案で、ポスターの表ににクラスと名前を書いてもらうことにした。名前が出るので、生徒をもいい加減なポスターが描けないし、一石二鳥である。

締切までにかなりの数が集まったが、70%というところ。各クラス6枚×8クラス×3学年=144枚を集めるのは大変だ。3日ほど、朝の職員朝礼の前に、生徒会会長に担任の先生方に協力の呼びかけをさせた。さらに、出していない生徒の名前を挙げてのメモを何日かばらまいた。で、ほとんど集めることに成功した。ふぅーという感じである。

図書館のカウナターにも…
期末考査が終わった午後、生徒会執行部が手分けして、特別教室や廊下の電源スイッチの近くにポスターを貼っていった。いい出来のものは、よく目立つ所に貼るように指示しておいたら、職員室から離れれば離れるほど、厳しいポスターになっていく。(笑)校長室にも貼りに行くよう言ったら、素直に突撃していったらしい。学校長が、わざわざ来こられて、笑って報告していただいた。どんなポスターを貼ったのか、私は知らないが…。

来週の14日は、校内球技大会である。この運営も生徒会の仕事である。ミニサッカーとバレーボールをトーナメントで楽しむ。前任校のように、負けたら終わりだと最初思っていたら、負けたチームも最後まで順位を争い、各学年で優勝から8位まで決めることになっている。準備が大変である。もちろん、節電ポスターの仕事と同時並行で準備してきた。月曜日は、役員を集めて指導会である。審判役のサッカー部とバレーボール部、各クラス2名の体育委員、各クラス4チームのキャプテン。総勢250人…。私の授業以外の仕事は、こういうことをやっているのである。ふへー。

2011年7月7日木曜日

雨の日の正門指導

体育・武道科の水泳実習 本校HPより
昨日から(すなわち彼らだけ期末考査を1日短縮して)2年生の体育科と武道科が2泊3日の水泳実習に行っている。体育の先生が、みんなそっちに行かれている。昨日、今日と、大阪は2日続けて雨である。大丈夫だろうか。特に遠泳訓練もあると聞いているので、波浪や雷など、大丈夫か心配である。

ところで、本校では、生活指導の先生方が毎朝8時くらいから正門に立って、挨拶指導、服装指導などをされている。体育の先生がみんな出払っているわけで、生活指導部も3人抜けている。大変だ。で、昨日、昔取った杵柄で、私も傘をさして、正門に立った。本校では自転車通学の生徒が多いので、雨の日は特にあぶない。傘をさして不安定だ。(私よりはマシだと思うが…)近くの交差点の信号が変わり、トラックが正門前を通ることもある。ヒヤヒヤするのである。

本校生はきちっと挨拶してくれる。超まじめな生徒は、自転車からすばやく降りて挨拶してくれる。オイオイ、よけい危ないからやめてくれ。(笑)今日、ふと気がつくと、多くの先生方が応援に来ていた。別に生活指導部が頼んだわけでもないのに、集まってくるのである。生活指導部長のT先生の人望もあるだろうが、いい学校だなあと私は感心するのである。『人情の機微』こそ教師にとって最も大切な徳目であるとは、T生活指導部長との共通認識。これからも特に雨の日、時間が許せば、できるだけ協力していこうと思った次第。

追記1:フランスに留学していたA君が無事帰国しましたとの報告をうけました。ひとまわり大きくなって帰ってきたと思います。落ち着いたら、ゆっくり報告してなあ。
追記2:奈良教育大学のG君より、WHEを講義していただいているN先生(6月19日付ブログ参照)とゆっくり懇談できたとの報告がありました。深夜特急も読破したそうです。奈良に来てよかったと実感しているようです。是非夏に、浪人組のA君の激励も兼ねて会いたいね。
追記3:明後日、いよいよ南スーダン共和国が独立します。毎日新聞でも朝日新聞でも前夜祭的に関連記事が載っていました。どちらも、『日本人のためのアフリカ入門』(6月16日付ブログ参照)にある指摘があてはまるような記事だという感触を受けました。さてこれからの新聞紙面が楽しみです。

2011年7月6日水曜日

弓道部を見に行く

期末考査最終日、どどっと5クラス分の答案が返ってきた。こつこつと記号問題を採点していると、弓道部の顧問のT先生から、「弓道部を見に行きませんか?」と声をかけていただいた。「なかなか見に行く機会がないので、誘ってくださいね。」と私がお願いしていたのだった。採点という嫌な作業からの現実逃避でもある。(笑)ホイホイとG12を持ってT先生についていったのだった。

実は、弓道部の顧問は普通科の教員ばかりである。武道科の専門科目なのだが、専任の教員はいない。授業の際は、非常勤の指導者がこられるのである。顧問のT先生(国語)やK先生(理科)からすれば、一人でも多くの教員を顧問に迎えたい、できれば弓道にハマりそうな教員を、という思いがあられる。まあ、オルグ(今や死語かもしれない)みたいなモンである。(笑)
実は、私は、本校に転勤が決まった時、弓道部の顧問をしようかなと思っていた。K書店で弓道の本をパラパラめくっていたのである。あんまり体力勝負じゃないし、オジサンの私でも、なんかできそうな気がしたのだった。

弓道場は、本校の北の端にある。5つの的があって、本格的なものである。1年生に、3年生が指導しているところだった。3年生の中には国体選手もいるそうだ。はかま姿がかっこいい。ピーンと張り詰めた空気もいい。練習の合間は、アットホームな雰囲気なのもいい。
とはいえ、なかなか難しそうである。アントニオ猪木ほど昔(ロング・ロング・アゴー)、一度だけアーチェリーをやったことがあるが、その時は全然だめだった。しかし、私は射撃は意外に得意である。(昨年8月7日付ブログ参照)うーん、やったらハマるかもしれない。1年かけてじっくりと考えようかな。

2011年7月5日火曜日

タンザニアのマチンガの話 4

タンザニア・アルーシャのマーケットの画像
小川さやかさんの『都市を生き抜くための狡知ータンザニアの零細商人マチンガの民族誌』を読んで、実は私は考え込んでいる。小川さんは、荒熊さんと同じ、都市の文化人類学の研究者である。私が毎月通う京大の公開講座を行っているアジア・アフリカ地域研究科出身の方である。だから、その結論は、地域研究、あるいは文化人類学としての結論となる。それは当然なのだが、、”開発”をスタンスとした浅学の現場の高校教師としては、どうしてもこう考えてしまう。このマチンガたち、アフリカのインフォーマルセクターの問題を、今後どうしていけばいいのだろうか?

小川さんのこの『マチンガ』の研究をこんな短いブログで全部紹介などできない。この本では、先行研究の成果を確認することから始まって、第一部では、マリ・カウリ取引をミクロな商実践を事例として明らかにし、第二部ではタンザニアの歴史的な背景を明らかにしながらその変化を明らかにし、第三部では同じ空間を形成している他のアクターとの関係に位置づけて「隙間産業」としての立場を明らかにしている。見事なくらい論理的に積み重ねてある。再確認しておくが、素晴らしい研究書なのである。終章で、小川さんは、かの松田素二先生(私は、「都市を飼いならす」や「抵抗する都市」を読み、感銘しだことがある。)の「生活の論理」等を引き合いに出しながら『ウジャンジャ・エコノミー』として、この研究をまとめられている。

小川さんは、終章でこう述べられている。『本書が対象としてきたのは、アフリカの諸都市においてありふれた商行為である。市場商人、露天商、路上商人、行商人、定期市商人ー彼らは、公設・私設市場だけでなく、あらゆる路上に拡散し、アフリカ諸都市の活気ある商世界を形成している。この商世界は、先進諸国の人々が発展途上国のイメージとして、独特の匂いや喧騒とともに真っ先に思い浮かべるもののひとつではないだろうか。しかし、この商世界の内実が、それを構成している人々の日常的でミクロな商実践から十分に検討されることはあまりない。その理由は、この商世界がいとも簡単に貧困の深刻化や都市整備の遅れなどの途上国らしさにおいて了解されてしまう傾向にあるためである。』また『自由主義経済の論理に従えば、マチンガのような人々は容易に排除されるか、安価な労働力として組み込まれる。しかしマチンガは、不安定ながらも自律的な活動領域を認められ、それを維持しつづけている。』

そうである。全くそうなのである。しかし、私はあえて小川さんにさらに聞いてみたいと思うことがある。先行研究のところで、小川さんは、この商行為は「情の経済」と見るゴラン・ハイデンの見方を紹介し、この研究潮流から生まれるであろうマチンガ像は「縁者との関係」に埋め込まれた「道徳的」な人々となることを示し、後に他の先行研究とともに否定的な立場(というより新しい立場)を取っておられる。なぜなら、中間卸商と小売商の関係にはあまり地縁・血縁関係が見られないことが実証されているからでもあるが、私は、アフリカという風土が生んだ平準化や情の経済的なる社会構造が、やはりあるのではないか、としか思えないのである。
そして、それが、良いことなのか悪いことなのか。普通の経済学者なら、小川さんの指摘するように、悪しき社会構造と切って捨てるだろう。私は決して、そういう見方をしない。上記の「途上国らしさ」故ではない。こういう生き方があっていいのではないかという”理解する立場”からの意見なのである。先進国の効率的な構造こそが普遍である、という立場には反対したい。とはいえ、このままでいいのか、開発が進むのか、と問われると、うーんと考え込んでしまう。

今日、公園で喫煙していて、大阪空港に着陸する航空機を見ながら、ああやっぱり効率や合理的なスキルが、開発には必要なのかなー。などと考えていたのだった。

2011年7月4日月曜日

アルーシャに行くべし

教え子のK大のO君から、メールがあった。秋にアフリカか南米に行くつもりだという。バックパッカーではなく、友人(彼女も私の教え子でブラジルに行っている。)から教えてもらったボランティアツアーに参加するつもりらしい。で、その行き先について意見を求めてきたのだった。まことに嬉しいではないか。

その候補がまた面白かった。タンザニアのアルーシャ。ガーナのアクラ。エチオピアのアディスアベバ。ボリビアのコチャンバンバ。これまで文献で読んできたコトと、現状を肌で感じてくることを目標にしているとのこと。ますます面白いではないか。

で、私はニコニコしながら返信した。私が勧めたのは、タンザニアのアルーシャである。アフリカに行くとすれば、まず東アフリカから攻めるのがいいと私は思っている。まず、英語圏であるということ。一般の人々も、ブロークンでも英語を解するので、多少なりとも語り合うことが可能だ。気候も高原なら過ごしやすい。エチオピアは、その点できびしい。アムハラ語は難しい。しかも、古い単性論のエチオピア正教会の世界なので、少しばかりアフリカに行ったという時、少々特殊な趣があるのである。ガーナもいい。英語圏だし。しかし、気候がかなり厳しい。暑い分、風土病も多い。ボリビアは、南米の中でも息子のあこがれの地であるが、思い切り治安が悪い。あの息子がビビッているくらいだから、ちょっと勧められない。O君はスペイン語ができるので、いいかもしれないが、私としては勧められない。

タンザニアはいい。なにより、アルーシャだというのが良い。アルーシャは、初代大統領ニエレレが、独立宣言(タンガニーカ時代)や、サンジバルとの合併(現在のタンザニア)した歴史的都市でもあり、なによりウジャマー社会主義を宣言(アルーシャ宣言)した地である。結局、ウジャマー社会主義は失敗するのだが、その理想に燃える姿勢は、タンザニアを国民国家とすることに成功した。タンザニア人は、ケニアやウガンダみたいにエスニックグループが大きく幅をきかさない。我々は、タンザニア人だと称する。もちろん出自のエスニックグループも民族語も存在しているが、スワヒリ語と英語を主に話し、多民族ながら国民国家となったアフリカでは稀な社会である。しかも、キリマンジャロの近くにある。登るのは大変だが、その雄姿を見ることは十分可能だし、コーヒーのプランテーションもある。(但しキリマンジャロ・コーヒーの産地だが、現地で飲めるのは三級品らしい。)

というわけで、私は熱烈にアルーシャを推したのだった。どうやら、O君もその気になったらしい。イエローカードが、今は必要ないらしいが、打っておいた方がいいと思う。(10年有効やし。)マラリアの薬は現地で調達すべし、などと返信したのだった。タンザニアは面白い。資料もたくさんある。ウジャマー社会主義など行くまでに調べておくとかなり面白い。是非ともタンザニアを知るための60章を読んでみてほしい。フフフ。いいなあ。キリマンジャロの雪は、さらに少なくなっているのだろうか。

梅田のJ堂書店にて


J堂書店のあるビル
期末考査の真っ最中である。とはいえ、試験監督の仕事が午前中に1時間あるだけである。私の残りの試験(世界史B5クラス)は最終日である。先日(金曜日)の政治経済2クラスは、採点も終了した。エクセルの整備(成績をつけるための各クラス用のシート)も終えたし、やることはほとんど終わった。
と、いうわけで、昼から振り替え休日(国際理解教育学会の発表を日曜出勤扱いにしてもらえた故)を取ったのである。

こういう日は、必ず本屋に行く。放出駅で「さあ、京橋まで出てK書店に行こか」と、ふと料金表を見たら、『北新地』まで行くのと10円しか違わない。ならば、もっと大きいJ堂書店に行くことにした。通勤で読む文庫本を探すだけでなく、せっかくJ堂に行くのなら、アフリカや開発経済学関係の新刊が出てないかを確認することにした。

梅田のJ堂書店には莫大な文庫本があるので、かなり目移りする。金さえあれば大いに散財したいところだが、そうもいかない。結局太めの2冊を購入した。1冊は、かなり以前(2003年初版)の本で『刑務所の王』(井口俊英/文春文庫)、もう一冊は本年6月10日初版の佐藤優の『交渉術』(文春文庫)である。できればゆっくりと読んでから書評をまた書きたいところである。

その後、アフリカ関係と、開発経済学関係の書棚を覗いてみた。だいたいここの書棚は値段が高いので、手帳にメモするだけのことが多いのだが、今日は思わず買ってしまった。『世界一大きな問題のシンプルな解き方-私が貧困解決の現場で学んだこと』(ポール・ポラック/英治出版)である。この本は開発経済学の学術書ではない。『従来から行われてきた政府や国際機関主導のトップダウン型の大規模な国際開発とは異なり、現地の人々の目線に立ったボトムアップ型のアプローチである。現地の人たちが何を必要としているかを見極め、それを持続可能な形で提供し、貧困から脱却する手助けをすることだ。』(日本語版への序文より)
以前5月21日付ブログで書いた室井先生の視点や、6月18日付ブログで書いた大山先生の視点と共通するものがある。私の開発経済学の興味が、脱政府支援の方向に向いてきているのは確実である。うーん、読んで見たい、という気持ちが抑えられなかったのである。あちゃー。また妻に…。

2011年7月3日日曜日

秒読 文庫本 「動物の値段」

先週の金曜日、奈良まで所用があって行ってきた。ちょうど『都市を生き抜くための狡知ータンザニアの零細商人マチンガの民族誌』を読みえた直後で、帰りの電車で読む本がなくなった。困って本屋に駆け込んで文庫本を買い求めた。『動物の値段』白輪剛史/角川文庫)という本である。
著者は、動物商で、動物園や水族館、ペットショップなどに世界各国の野生動物などを卸している人である。なかなか面白い商売である。いわゆるワシントン条約や、検疫の話など普段では知り得ない話が書かれている。輸送方法やその費用などが莫大にかかる動物は、その費用も価格に反映されるわけだ。なるほど…である。

私は、子供のころ、イヌやカメや文鳥などを人並みに飼っていたことがある。ただし、飽きっぽいのか、世話をしくなるので、今は亡き母親によく怒られた。以来、ペットとは無縁の生活を送っている。

一番印象に残ったのは、ピグミージェルボアの話である。パキスタンから著者が初めて輸入して大当たりした、500円玉くらいの小さなトビネズミである。小さい、かわいい、臭わない、おとなしいというパーフェクトなペットである。卸値29800円。小売り価格6万円ほど。しかしアフガンのカンダハル近くに生息するわりに弱い動物で、大ヒットしたものの、数年後には暴落(2000円くらい)、さらにネズミ類の全面輸入禁止という憂き目にあった動物らしい。

ところで、イグアナ。私は飼いたいとは思わないが、意外に安く2980円だとか。雑草や果物も食べるし、ペットショップにはイグアナフードも売っているらしい。ただ、3年で大人になり、最終的には2mくらいになるらしい。でもほとんどそれまでに死んでしまうのだとか。

そんな私でも、『ナマケモノ』は飼えそうだと思った。キュウリが好きだそうだ。問題はカビ臭いことと、25℃くらいの温度にしておくこと。また、なめてかかると噛みついたりすることがあるらしい。ただし価格は65万円。
…もし、65万円もオカネに余裕があるなら、私はアフリカに人間を見に行く。(笑)

タンザニアのマチンガの話 3

ブルキナのワガの「マチンガ」たち スコールがあがった後動き出す
昨日のタンザニアの「マチンガ」の話の続編である。またまた、授業で生徒に説明する風に書きたいと思う。前回、ふれたように、マチンガは、中間卸売商と信用取引(マリ・マウリ取引)を行う。そのあたりが面白い。今回は、両者のウジャンジャな駆け引きの実際の事例を引いてみたい。(論理だけで説明すると、よくわからないのである。)小売り人が、卸売商に仕入れ代金(例のAグレード2000シリングといった約束の金額×売れた枚数)を支払い、卸売商が売れ残り枚数と支払い金を数えた後の事例である。

卸売商「(販売枚数)は5枚か…。」(支払い金額が300シリング足りない)小売り人「それは今日のウガリ(昼食代)に消えた。そしてオレは、今日の夜は空気を食べるんだ。」卸売商「エマは7枚、ドゥーラは帰ってこない。ここのところ、いったいどうなっているんだ。」(卸売商はポケットに支払い代金をしまう)小売り人「おい、(仕入れ代金を)全部持っていくのか?友だち(自分のこと)は(夕飯に)空気を食べるのにお前はビールで乾杯かよ。」卸売商「文句ばかり言うなよ。俺だってたいへんなんだ。今週は全然売れてないんだ。」小売り人「へこむなよ。ここ最近、客のみんなが、カネがないって嘆いているんだよ。1枚1250シリングでは売れないことを理解しろよ。」卸売商「じゃあ、1200シリングずつにすれば満足なのか?」小売商「1000、1000にしてくれれば、明日もこれ(今日の売れ残り)を売ってやるよ。」卸売商「なら、今日は1200ずつ返してくれればいいさ。でも明日もとりあえず1200シリングずつで粘ってみろよ。」小売り人「じゃあ、オレのカネくれよ。」卸売商「わかった。(卸売商は、5枚×50シリング=250シリングではなく、生活補助として2000シリングを渡した)明日は早く帰ってこいよな。」

小売商にとって、ウジャンジャ(狡知)な交渉とは長々と言い訳を並べることではない。「友だちは空気を食べるのにお前はビールで乾杯かよ。」などのコトバは、互いの境遇の不平等や自らの置かれた状況を端的に表している。ウィットのきいた文句やことわざ、格言を駆使して、個別の事情を普遍的な理に変換することも、よく観察されるそうだ。

この信用取引(マリ・マウリ取引)は、資本ゼロで小売り人はスタートする。しかも売れなければ返品可能、生活援助も必要である。資本主義的な通常の発想では、中間卸売商は極めて不条理な立場におかれている。しかも、ひどい時は、小売り人はそのまま商品を持ち逃げすることもるのである。この中間卸売商と小売り人は、血縁や地縁でつながっていないことが常である。全く初めて会った人間とも取引が行われる場合もある。(小川さんの詳細なデータで証明されている。)なぜ、このような不確実な取引を行うのか?以下、小川さんの推察である。

中間卸売商は、「ビジネスはギャンブルだ」と確信していて、小売商に能力主義を採用しないのである。その理由は、①小売商の販売結果が思わしくないのは、必ずしも本人の販売努力や販売能力の問題ではなく、、ある程度は運の問題だと認識していること。②中間卸売商たちが不確実な都市社会を生きるマチンガとしての仲間意識のうえに小売商の事情と行為に共感していること。③中間卸売商自身がこのような方法でうまく稼ぐことに自信をもっていること。だから、このマリ・マウリ取引というゲームを動かすために、ウジャンジャな嘘や騙しを織り込みずみのものと考えているのだ。ただし、その嘘や騙しには、適切なタイミングがあり、適切なやり方があることを理解しているものがムジャンジャ(ウジャンジャを身に付けた者)なのである。

実際、小川さやかさんは、小売り商も、中間卸売商もやっておられる。後半に出てくるが、この取引、無茶苦茶難しいらしい。結局、何も考えず、その場になって初めて対応する方がいいそうだ。その場の空気を読んで、全精力であたると、ウジャンジャなやり取りが出てくるらしい。

最後の最後に、小川さんは、このウジャンジャ、日本にもあるよね~と書いておられる。窮鼠猫を噛む。追いつめられた生徒のウソを見抜きながら許すことも多かったなあ。30年も教師をやっていると…。騙されるのも教育のうちなんて、自分を正当化してきた。(笑)でもその余裕が、生徒との信頼関係を形成していくのである。これって、中間卸売商的ウジャンジャ?

2011年7月2日土曜日

同志社大学の英断

私は、いつも朝時間に余裕がないので夕方に朝刊を読むことが多い。今日は土曜日で休みだったのだが、日ごろの習慣で、またまたそうなった。相変わらず、政治面を読んで暗澹たる気持ちになるし、なでしこジャパン、凄いな、などどと思ってめくっていくと、最終面に、まことに個人的に大きな朗報が載っていた。

『博士課程無償化へ・同志社大学「すでに受給」でも奨学金支給』
来年度から、同志社大学の博士課程後期で、ほぼ全学生に学費などに相当する奨学金を支給し、実質無償化すると発表した。他の機関から奨学金を受けていても対象となる。全国初の制度という。後期博士課程入学時で34歳未満の学生が対象で、(中略)神学、文学、社会学などの文系は総額223万円、(中略)返済不要。対象は在学中の学生も含め約200人。(後略)

うひゃひゃひゃと私は笑った。この約200人の親の一人だからだ。息子は、某所から奨学金(研究費)も受けている。詳細は妻に任せてあるが、我が家の家計の負担が少なくなることは確からしい。

博士課程後期に進む学生が、不況のあおりを受けて、全国的に危機的に瀕しているらしい。たしかに、学問をするのには金がかかる。海外の大学では、生活費も含めて優秀な学生を集めるらしい。同志社の学生支援センターの英断に感謝したい。

これで、来年こそは、夫婦で、結婚31周年記念海外ツアー実施じゃあー。

タンザニアのマチンガの話 2

ブルキナ・ワガの『マチンガ』 なぜが女性下着屋さん
『都市を生き抜くための狡知ータンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(3月22日付・付6月26日ブログ参照)を読み終えた。いやあ、面白かった。最高である。膨大な数の赤線を引いた。この本の内容をうまく伝えれるとは思わないが、今回の『マチンガの話2』では、マチンガとは、どういう人たちなのかを授業で語るとすれば、こんな感じかなというイメージで描きたい。私は文化人類学の研究者ではないし、現場の高校教師だからだ。

マチンガというのは、タンザニアの都市で、様々なもの(古着とか時計とかバッグとか)を小売りする商人のことである。こういう人々を、私はケニアやジンバブエやブルキナファソでたくさん見た。要するにインフォーマルセクターに従事する人々なわけだ。だいたい30歳台くらいまでの若者が多い。彼らは、卸売商から商品を受け取り、それを販売する。路上でシートを広げて販売したり、商品を持ち歩いて行商したりする。儲けは少なく、せいぜい日々の生活費を稼げる程度である。

彼らの商売は面白い。この本に書かれている古着販売では、卸売商は、マチンガと信用取引を行っている。つまり、古着の中からグレード(6月26日付ブログ参照)ごとに、いくらといった商品の値段の基準を決め、手渡す。その日のうちに売れた枚数分の金額をマチンガは卸売商に渡すわけだ。たとえば、その日のグレードAは1500シリング、Bは1000シリング、Cは500シリングだとする。マチンガは、Aを2000シリングで売ったとすると500シリングの儲け、Bを1200シリングで売ったとすると200シリングの儲けになる。だが、ここが面白い。金のありそうな客からは、うまく騙して(?)Aを3000シリングで売ることもある。反対に、貧乏な客からはCを卸値の500シリングで売ったりもする。その客によって価格を変えるのは当たり前である。もちろん売れ残ったり、ひどい時はまったく売れない時もある。こういう時、卸売商は、マチンガの返品を受け付けるし、生活費を援助したりすることもある。この信用取引をマリ・カウリ取引というらしい。
この辺の、客とのやりとり、さらに卸売商とのやりとりが、ウジャンジャと呼ばれる狡知である。これが面白い。口八丁手八丁、一瞬の機知。会話の裏の真意を見抜く知恵。
ちょっと、具体例をあげよう。顔見知りの日雇労働者とマチンガとのやりとり。

客「いくら?」小売商「1800シリング、おれのお客さん」客「ちっ、なんでそんなに高いんだよ。1000シリングでどうか。」小売商「1000シリングじゃ儲からない。オレの親友、あんただって、服の値段くらい知っているくせに。」客「頼む、1000シリングで同意してくれよ。俺たちディ・ワーカーだろう。最近、俺本当に運がないんだよ。」小売商「友達よ、死にそうなんだよ。あんたの値段じゃ、オレが死んじまう。1500シリングにしようぜ。」客「わかった。そんじゃまたな。」小売り商「おい、ちょっとだけ足してくれよ。」客「もういいよ。俺ほんとに金ねえもん。」小売商「わかったよ、出せよ、その金。」

結局、この顔見知りの客に1500シリングの値で卸売商から仕入れたAグレードの古着を1000シリングで売ったのである。この会話には、数々のスラングが使われているらしい。そのスラングからマチンガは、客が本当に金がない状況を瞬時につかみ取り、将来常連客となるとふんで、赤字をだしながら販売したのである。こういう客の判断を『リジキ』というらしい。

閉話休題。ブルキナのワガで、私は地図や教材のためのブルキナの英語のガイドブックを、ワガの「マチンガ」から買った。たしか地図が日本円になおすと1枚1000円、アトラスが2000円だった。Iさんの紹介なので無茶はしてないだろうが、きっと私の『リジキ』を彼らは、それくらいなら買うだろうと判断したのだと思う。どっちみち、ブルキナに金を落とせるだけ落とすつもりだったので文句はないが、きっとそうだ!と私はそんなことを考えて、読んできたのだった。

とてもとてもこんな短いブログでは語りつくせない。…つづく。

2011年7月1日金曜日

I want to ride my bicycle.

放出駅/不動産屋さんのHPより拝借
このところ雨が降らない日が続いた。妻が「梅雨明け待ってたら、7月が終わるで。」と言ったので、先日購入した自転車をとめる駐輪場と契約することにした。先の月曜日のことである。月2300円だという。近くに2500円のところや、3000円のところもあったのだが、毎日行く喫茶店との距離を考えて、その駐輪場にした。なんと元パチンコ屋である。きっと昔々つぶれたのだと思う。その廃品利用のようなカタチで駐輪場になっているらしい。まあ、大阪らしいというか、何というか…である。朝行くと誰もいない。私は、そんな気を使わないのがいい。

昨日は、かなり晴天だった。ストロングな太陽が朝からガンガン照りつける。ところが、車輪の小さな私の自転車でも、一応風をきって走る。ちょっと運転するのには不安定だが、なかなか爽快であった。
今日は、放出駅を出るとポツポツと雨。傘をさすほどではない。そのまま駐輪場に行き、自転車の鍵を外し、モーニングへ。私の愛用のアフリカ・コレクションの鞄(4月3日付うログ参照)は、そこそこ大きい。前使っていたパソコンが入るほどの大きさである。カゴなどつけていないので、たすき掛けで自転車をこぐ。1分もしないうちに喫茶店についた。ところが、モーニングを終えて外へ出ると、かなり雨脚が強くなっているではないか。鞄にレインカバー(これも、ナショナルジオグラフィック・オリジナル)をつけ、傘をさして運転することになった。なかなか危ない。(笑)もともと不安定なのに、さらに不安定である。だが、3分ほどで学校に着いた。思ったより苦痛ではない。「どしゃぶりならともかく、少々の雨なら、自転車やな。」と、心の中でつぶやいた私であった。