2011年7月29日金曜日

トーキング・ドラムと「諺」の話

5日間にわたる教員免許更新講習が終わった。最終日は、機器の不具合があったりして、かなりストレスがたまる講習だったので、詳細には触れないでおきたい。ところで、昨日のブログで非言語的コミュニケーションといえば、私は「トーキング・ドラム」をすぐ連想したと書いた。今朝、Y先生に聞いたら、すぐ思いついたのは『手旗信号』だったらしい。暗号にも詳しい数学のY先生らしいではないか。ちなみに、後輩の口の悪いI先生は『ウインク』だとか。気色悪い答えである。(笑)さて、そのトーキング・ドラム、私はブルキナのサヘルの村にあるドイツが支援して作られた博物館で、大きなモノを見た記憶がある。残念ながら、このPCにはその画像が保存されていない。一般的には、今日の画像にあるようなタイコである。

左肩がかなりマシになったので、電車の中で久しぶりに本を読みながら帰宅した。先日京大の公開講座で手に入れた梶先生の『アフリカをフィールドワークする』である。ちょうど、このトーキング・ドラムの話が書かれていた。”アフリカ人と諺(ことわざ)”という一文である。ちょっと引用したい。
『モンゴ族、ンゴンベ族など、ザイールの森林地帯では、太鼓によるメッセージの伝達がよく行われているが、この子音、母音を省略した声調のみによる伝達にも、多くの諺がちりばめられている。』
無文字社会では、諺が、口頭で民族の文化を伝承する上での知恵となっていて、挨拶を諺でする民族もあるらしい。モンゴ人の間では、若者が目上の人に「おはようございます。」と挨拶するかわりに”losáko”(これは荘厳な挨拶の意味)と言うと、挨拶された人は、普通の挨拶ではなく、諺で返さなければならない。しかもその諺はその人の人生観に裏打ちされたものであるという。たとえば、「象は、自分の象牙が重いからといって、泣き言をいったりはしない。」(意気地のない若者に対して、自分自身に備わった才能を見極め、それをのばすように努力しなさい、という人生の先輩からの忠告)と答えたりするそうだ。無茶苦茶、面白いなあと、私は思う。

今回の「特別支援教育」の講習、私の向学心のなさもあって、結局良くわからなかったのである。だから、スワヒリ語の「諺」で締めくくろうと思うのだ。

Usilolijua litakusumbua.

このスワヒリ語の諺の意味は以下のHP参照としたい。
http://www.africafe.jp/kotowaza.html#kakugen

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