2013年12月31日火曜日

南スーダンに平和を。

http://www.capitalfm.co.ke/news/2013/12/south-sudan-fighting-spreads-to-half-countrys-states/
南スーダン情勢が厳しさを増している。そもそもは独立時の大統領と副大統領の権力争いだったものが、当然のように民族間の紛争へと発展した様相である。それもこれも石油という「天然資源の罠」のなせるわざである。虫除けの白い灰を体に塗りつけたホワイトアーミーと呼ばれる民兵組織も動き出したりして、ますますセンセーショナルに報道されている。

国際的なPKOの緊急増派が行われ、その第一陣がバングラディシュだという。ウガンダなど周辺国も反政府軍掃討に動く可能性が高いという。貧しい国々の人々が動かされている、と感じるのは私だけであろうか。最もこの内戦の拡大・長期化を危惧しているのは、石油を欲している先進国や中国だ。結局資源を欲している国が、貧しい国の人々の命をコマにして、自らの利益を守ろうとしている。

土木工事などで頑張っている自衛隊員の方々を悪く言うつもりはないが、日本の南スーダンへの自衛隊派遣は、中国のアフリカ諸国への影響を少しでも軽減するためというのが、政府の本音ではないか。要するに「国益」である。

「国益」という言葉に最近、「民意」と同じような胡散臭さを感じる。2013年という年は、「国益」や「民意」といった、極めて主語があいまいなコトバに、教育現場も民主主義も翻弄された1年だったような気がする。これらのコトバが、ハイデッガーの言う、誰でもない、不特定多数の「ひと(das Man)」の同義語に成り下がったような1年だった。

南スーダンの悲劇も、ソマリアの悲劇も、中央アフリカの悲劇も、国家の「国益」ではなく、先進国の「民意」でもなく、「人類の叡智」によって解決されることを祈るものである。…南スーダンに平和を。アフリカ全土に平和を。

本年の最後に、長らく紹介できなかった新しい読者の方、Makoto Odagawaさん、サプリ万太郎さんのお二人にお詫びと、読者登録していただいた御礼を述べておきたいと思います。一時期、読者のガジェットが不調だった間に登録していただけたのですが、紹介する時期を逸していました。来年もよろしくお願いします。

2013年12月30日月曜日

「三代前からマーメード」

三代前からマーメード
一日中、NHKの「あまちゃん総集編」を見ていた。我が家は、今時珍しいビデオやDVDなどない家なので、実は私は、祝日と土曜日しか「あまちゃん」を見ていない。総集編を待ち望んでいたのだが、かなりの長時間(朝8時からニュースを挟んで18時まで)番組だった。私としては、大満足だった。何度涙を流したことか。(笑)

最後の鈴鹿ひろ実(薬師丸ひろ子)の歌で、「三途の川」のマーメードが「三代前からマーメード」に変わっていることを知った。実は、私は、夏ばっぱ(宮本信子)が、若い頃、北三陸に来た橋幸夫とデュエットし昔アイドルあつかいされたことも初めて知った。ドラマで鈴鹿ひろ美が、台詞の「震災」への配慮をする地味なシーンが、なぜ総集編に挿入されているのか、その歌詞変更の布石であることもわかった。ディテールに実に凝っているのだ。あまちゃんは…。

結局、ドラマの縦の糸は、三代のマーメード(海女とアイドルをかけた象徴的な言葉)が、春子(小泉今日子)をはさんで、同じような立場に立ち、同じような台詞を言わざるを得ないという、「北の国から」における「妻子ある相手との結婚」のような重要な縦糸が存在するのだった。ホント、今日始めて知ったのだった。

もちろん、青春期の疾風怒涛、恋愛、北三陸鉄道、町おこし、芸能界、大震災など様々な別の主題もあるが、それらの縦糸・横糸が見事に紡がれていた。笑いあり。涙あり。今更ながら、こりゃ、凄い人気が出るはずだと思ったのだった。仕事で見れなかったオジサンを代表して、膨大な編集作業をしてくれたNHKに感謝申し上げたい。

今年この1冊 2013

今年この1冊は、あまり迷うことがない。平野克己先生の「経済大陸アフリカ」(中公新書・1月25日発行)で決まりである。私自身、それくらい大きな影響を受けた。今年考案して実践したアフリカSDゲームは、アフリカのレンティア国家がいかに経済基盤を整え、グローバル化に対応していくかをゲーム化したものである。

先日の京大でのアフリカ学会公開講座でも、大林稔先生の「定説」として取り込まれていた。今やアフリカをアフリカという閉じた世界で論じられなくなっている。今、まだポール・コリアの「収奪の星」については現在進行形なのだけれど、レンティア国家がいかに資源の罠から抜け出せるかというのが主題である。緻密な経済学の理論を駆使して、自然資源の経済学的意味合いを追い求めている。今や、平野先生が平易に教えていただいた「レンティア国家の集合体としてのアフリカ」という見方が、現在最も「的確なアフリカ像」なのだろうと思われる。

もちろん他にも多くの書評を今年も書いたが、アフリカ関係でこの「経済大陸アフリカ」に迫るのは、「謎の独立国家ソマリランド」(高野秀行著・本の雑誌社/2月20日発行)だと思われる。次点という感じだ。著者は、もちろん開発経済学者ではなく、紀行文的なノンフィクションである。しかしながら、ソマリア問題の理解のための極めて重要な資料になった。先日のディベート実践でも、十分活用させていただいた次第。

今年は多くを読めなかった1年間だった。体調不良が最大の原因だ。こんなことでどうする?と自らを叱咤しつつ、年末恒例のエントリー「今年のこの1冊」の筆を置くことにする。

2013年12月29日日曜日

「今年この1冊」の前に

先日妻と、H城鍼灸院に行った帰りに、ダン・ブラウンの「インフェルノ(上・下)」を買ってきた。正月は中身のないバラエティ番組ばかりのTVに流されないで、静かに過ごしたいと思ったのだ。ダン・ブラウンは、やはりゆっくり読みたい。

同時に、妻が「聖☆おにいさん」を探していた。息子が日本にいない故に、この漫画を買ってこないので、ずいぶん長い間読んでいない。(笑)8・9巻の二冊、代わる代わる一気に読んだのだった。相変わらず、面白い。特に、イエス関連のの台詞が笑える。沖縄に行きたいというイエスに、仏陀が「君が急に遠くに行きたがるなんて…、立川の30代男性(2人は立川在住だ。)を皆殺しにする命令とかが出たんじゃないの?」…これはイエスの誕生を聞きつけたヘロデ王の命令のパロディだ。またホテルでオイルマッサージを受けたイエスは「確実に300デナリ以上はぬられている。」と、1日の平均賃金が1デナリなのに、こんな贅沢をしたことで、ユダに知られたら私を裏切りたくなるかもしれないとシャワーで洗い流すシーンがある。聖油を塗るという当時のユダヤ人の習慣がわからないと笑えない。

今年、「日本人に贈る聖書物語」(全8巻)を読んで、ユダヤ教・キリスト教にまつわる知識が倍増したと思うのだ。正直なところ、信仰を持たない人間にとって聖書を直接読むのは、かなりしんどい。何と表現したらよいのかわからないが、独特の表現が拒否反応を引き起こすのだ。「日本人に贈る」というタイトルは、それを排除しているという意味合いがあるのではないかと私などは推測する。この本は、非常に読みやすいというのが最大の特徴だ。

毎年エントリーしている「今年この1冊」の前に、番外編(今年の新刊ではない)として「日本人に贈る聖書物語」(中川健一/文芸社文庫)を挙げたい。書評については、今年の6月から何度かエントリーしているので参照されたい。

2013年12月28日土曜日

「命のビザ、遥かなる旅路」

敦賀ムゼウムで購入した新書を2日間で一気に読んだ。妻が待ち構えていたこともあったが、文章が読みやすく、内容もなかなか興味深かったのだ。著者の北出 明氏は観光畑の方で、元上司の大迫辰夫氏が、ウラジオストクから敦賀まで、杉原サバイバーのユダヤ難民を運んだ天草丸で、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現在のJTB)の添乗斡旋をしていたという秘話を知ったことから、話は始まる。

副題にあるように、杉原千畝氏がビザを発行しただけでは、難民は救われなかった。彼らを支えた日本人たちがいたわけだ。この本には、「あと10年早ければ…」という定句が何度も登場する。著者は大迫氏のアルバムに残されたユダヤ難民7名の写真を元に、取材の旅に出る。結局、その人たちの所在は不明のままであった。大迫氏が世話をした難民の人々も、存命なのは、当時幼い子供だった人々だけで、それも80代・90代という高齢である。しかし、アメリカでの調査で得たエピソードは貴重なものだし、様々な日本の人々とのつながりも明らかになっていく。

敦賀の人々の関わりにも多くの紙面がさかれていた。敦賀より滞在時間が長かった神戸でも貴重な資料を発掘していく。中でも山形裕子さんのユダヤ難民のことを詠んだ歌が最も印象的だった。

夏の朝近所の大きな洋館にがやがや見知らぬ外人の列
あれみんなドイツ語やけどユダヤだよ小さな声でジキオンが言う
汽車で来たユダヤはしばらくここに住むその後どこかへ行くんだそうだ
暑い日も洗濯ものも干せないで なに食べてんのユダヤの人ら
夕立に駆け込んで来たユダヤの子 破(わ)れた西瓜を抱いて
麦茶よと母さんの出すコップを受けてダンケシェーンとごくごく干した
八つかなあ九つかなあとおばあちゃんピンクの長い手足眺める
日本でも間なしにユダヤを抑えるぞ眉をひそめた父さんが言う
早うお逃げ 早うお逃げおばあちゃんユダヤの子供に蛇の目持たせた
扉を押して出て来る出て来る早朝の道路に黒いユダヤの衆が
疵だらけの革のトランク重そうなユダヤの大人は冬服姿
夕立のピンクの少年も長いズボンに長袖のシャツ
おばあちゃんのあげた蛇の目が見当たらぬ 置いてゆくのかユダヤの人よ

あえて詳しいコメントはしないでおこうと思う。いい本だった。

2013年12月27日金曜日

敦賀へ。(後編・敦賀ムゼウム)

敦賀ムゼウムの概観
昨日に続き、敦賀の話。今回の河豚ツアー、の第二の目的は、敦賀ムゼウム訪問である。昨日も書いたが、ムゼウムというのはポーランド語で資料館という意味らしい。ムゼウムというポーランド語がついているのは、1920年にシベリア動乱で家族を失ったポーランドの孤児たち約400名が敦賀に来て赤十字に救われたところから来ているようだ。よく考えるとムゼウムって、museumの完全なるローマ字読みである。(笑)

ポーランドの孤児たちに続いて、1940年(昭和15年)から翌年にかけて、有名なリトアニア領事館の杉原千畝氏の発行した日本の通過ビザを持ったのユダヤ人が敦賀にやってくるのである。新聞記事によって異なるが、最大6000人のユダヤ人がシベリア鉄道と 定期船(天草丸)で敦賀に来航したようである。多くのユダヤ人は、その後神戸や横浜経由でアメリカやカナダ、オーストラリアへ脱出した。中には着の身着のままで敦賀に到着したユダヤ人もいたようで、神戸ユダヤ人協会やアメリカのユダヤ人協会の援助を受けながら、敦賀で時計を売ったり、無料の公衆浴場で風呂に入ったりした人もいた。またリンゴやバナナを送った敦賀の果物商もいた。ナチスドイツと三国同盟を結んでいた当時の日本ではあるが、敦賀の一般の人々は、多少しへっぴり腰ながら、ユダヤ人に十分人道的な対応をしていることがわかったのだった。

館内で福井放送製作のビデオを見た。なかなか見ごたえがあったのだった。さらに、受付で新書を購入した。「命のビザ、遥かなる旅路/杉原千畝を陰で支えた日本人たち」(北出 明著/交通新聞社)この本の内容については後日。

いやあ、小さいけれど、なかなかいい資料館だった。受付で伺うと、資料には著作権のこともあるようなので、ムゼウムの概観とビデオライブラリーのトップ項目だけ撮影しておいた。ユダヤ問題に興味のある方にはかなりお勧めである。
http://www.tmo-tsuruga.com/kk-museum/

2013年12月26日木曜日

敦賀へ。(前編・河豚)

だいぶ前に、H城鍼灸院の院長先生から蟹をいただき、妻と食していたら、「蟹も大好きだけど、河豚もいいよね。」と言ったのだった。妻は大の海鮮好きである。そんな時、JRの駅で、日帰りの河豚ツアーのパンフレットを発見した。特急サンダーバードで京都から敦賀まで行き、河豚のコース料理を食べて、観光して帰ってくるというものだった。料金もそんなに高くはない。ちょっとした旅行気分も味わえる。
http://tickets.jr-odekake.net/pamph/PT13000156/index.html?page_no=1
妻は最初、そのパンフレットを見ていたのだが、そんなに乗り気ではなかった。ところが、少ししてから「敦賀に行こか。」と言い出した。パンフレットの片隅に、観光案内があり、そこに「敦賀ムゼウム」というのが載っていたからだ。ムゼウムというのは、ポーランド語で「資料館」と言う意味である。聞くと、以前TVで見たことがあるそうである。杉原千畝氏が発行したビザによってユダヤ難民が到着したのは、敦賀だったのだ。レプリカだが、「命のビザ」や、ユダヤ人を迎えた当時の様々な資料があるとのこと。「河豚+敦賀ムゼウム」が決め手になったらしい。

と、いうわけで今日二人で行ってきたわけだ。ムゼウムの話は、後編として明日に譲るとして、河豚はなかなか美味しかった。長いこと、腹いっぱい食事を取っていなかった私だが、今日は妻公認で楽しませてもらった次第。
ところで、敦賀の町には、よくわからないのだが松本零士の漫画の銅像がたくさんあったりする。銅像にシャッターを切りながら、シャッターの閉まった店ばかりで人通りが少ない商店街を、カロリー消費のために5Km弱ほど歩いたのだった。アベノミクスは、まだまだ地方都市・敦賀にまで浸透しているようには見えなかったのだ。大阪の公立高校の教員も同様だが…。

2013年12月25日水曜日

毎日 「武器の父よ さらば」

http://oka-jp.seesaa.net/article/360777650.html
カラシニコフ氏が94歳で逝去したという報道が流れた。(毎日新聞24日夕刊/ヘミングウェイをもじった粋なタイトルも、その記事のものである。)彼の手によって生み出されたAK47は、7000万丁以上が製造され、100カ国以上で使用されてきたという。軽くて丈夫、しかも部品が少なくて手入れが容易なのが特徴である。ゴルゴ13でも、米軍などが使用しているM16との対比がされている作品(第493話/激突!AK-100vsM-16)があり、たしかに史上最高の突撃銃なのだと思われる。アムネスティ・インターナショナルは、AK47を「世界で最も好まれる殺人兵器」と呼んでいる。

カラシニコフ氏は、「このAK47を作ったきっかけは、祖国をナチス・ドイツから守るためだった。今必ずしも正しい目的使われていないのは痛ましくつらいこと。戦争は(技術者ではなく)政治家の責任だ。」と生前述べていたという。

ナチス・ドイツから祖国を守ることが正しい目的だと言い切れるのか、言い切れないないのかは議論のあるところだと思うが、平和日本に暮らす私などから見ればどうも納得がいかないところがある。ソ連時代を含めてロシアでは、彼は「国家英雄」なのだという。うーん。

…エンジニアをしている知人の箴言。同じくエンジニアを目指す大学生の息子にこう言ったのだ。「我々理系の人間は哲学を持たなければならない。」私は完全文系だが、理系の友人も多い。彼の言は、ともすれば、理系の人が陥る危険性を鋭く突いていると思う。

今日の画像は、アフガニスタンの戦場の落書きの横に置かれたAK47。「天国の絶景は、地獄から見る景色だ。」

2013年12月24日火曜日

LHRで2学期の「ふりかえり」

我がクラスでの南北貿易ゲーム
私の担任するクラスのSHRは、極めて短い。ダラダラと説教したりするのは嫌いだ。私はそれより個人的な生徒との会話を好む。今年度に入っても、私がクラス全体にゆっくり話をしたのは、団活動が始まった直後、文化祭の後くらい。「姿勢を正して聞いてくれ。」が合言葉だ。それぞれ、意味がある話で、クラス経営上必要不可欠と判断した時のみである。

さて、今日は三連休と終業式に挟まれたなんとも中途半端な日であった。我がクラスの世界史Bの授業が入っているが、三学期からスタートした方がはるかにいい。そこで、珍しくLHRにしたのだ。少し、私が今考えていることを話してから、「2学期に印象に残った出来事」「(クラスの指針である)責任ある行動をとることができただろうか。」「今悩んでいること、考えていること」という三項目について生徒にふりかえりをしてもらったのだった。

つい、「明日の終業式までに、1人ひとりコメントを書くなあ。」と言ってしまった。で、言ったかぎりは約束を守るのが信条である。莫大な時間を費やしてコメントを書ききった。明日は、通知表とともに、この「ふりかえり用紙」を返却する予定である。

我がクラスは、団活動、文化祭、修学旅行、そして先日の校内球技大会などを経て、一歩ずつ階段を昇るように、仲良くなり一体感が出ていると、ほぼ全員が書いている。嬉しいし、大変ありがたいことだと思った次第。はあ~。目が疲れた。

2013年12月23日月曜日

Amebaの地理学的考察

この三連休、体を休めながら、Amebaのピグ・ワールドを楽しんでいる。このところピグワールドでは、ヨーロッパ的な建築物がイベントで登場している。画像の右上のオペラ劇場はフランス的、左下の家はイギリス的。そして今回のイベントで登場したウィンター・マーケットの家というのは、右下。壁の模様などかなりドイツ的である。Amebaのデザイン・スタッフもなかなか大変だ。

ところで、昨日走る車内でFMを聞いていたら、ドイツのクリスマスに合わせて行われるウインター・マーケットはなかなか盛大らしいとのこと。ヨーロッパの冬は寒いが、ちょっと旅情がそそられるよなあ、などと思った次第。

私はヨーロッパを本格的に旅したことはない。トランジットの時にちょっと出歩く程度。(パリは23時間のトランジットだったので1泊したが…。)いつもアフリカへの中継点でしかない。そろそろ、歳をとってきて、ついにヨーロッパに行きたくなってきたのかもしれない。

妻に「ヨーロッパ(に行くのは)はどうや?」聞いてみると、間髪入れずに「ポーランドがいい。」「?」「早く行かなければ、アウシュビッツが朽ちてしまう、と(息子が)言っていたでぇ。」…そっちか。

夜になったら、急に雪景色に。
追記:夜になったら、Amebaは粋なはからい。急に雪景色になっていた。ただし、イベントで作った観光名所の建物(時計台やオペラハウス)には雪が積もっていないでぇ。(笑)

2013年12月22日日曜日

「八重の桜」の腕相撲考

http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1127.html
NHKの大河ドラマ「八重の桜」が終わって、ちょうど一週間になる。日曜の夜の楽しみが1つ消えたわけだ。私は幕末維新史には大いに興味がある。今回の「八重の桜」は会津から見た幕末維新史であるところが、実に面白かった。もちろんフィクションも多数含まれているが、まあ目くじら立てずに全話見続けたのだった。

鶴ヶ城の決戦は最大の見せ場であると思うが、もし、最も印象に残ったシーンは?と聞かれたら、フィクションであることを十分認識したうえで、大山巌と山川捨松の結婚にかかわる、八重と大山巌の腕相撲のシーンだと答える。薩摩の大山と、会津家老の家の出身で幼くしてアメリカ留学した捨松が結婚したことは史実として知っていた。これをうまく結びつけた話だ。

捨松が、仇敵薩摩(会津は薩摩に裏切られて京を追い出され、言われなき朝敵にされる。)の雄、大山巌に求婚されるのだが、山川家は大反対である。いわゆる藩の人間だという意識のほうが、国民国家意識(日本人だという認識)に勝っているわけだ。鹿鳴館時代の頃の話である。大山は国際的なマナーを持つパートナーを探しており、留学経験もある国際派として捨松に目をつけたわけだ。結局、山川家を訪ねてきた八重が、「腕相撲で勝負をつけんべ。」と大山に挑む。レフェリーが新島襄というわけだ。優勢に進めていた八重が、捨松の「大山様」という思慕の情を直感的に悟り負けるという話。この結果、捨松の結婚が認められる。

どう考えてもフィクションで、他のブログでギャグだとコケおろされていたりするが、私はこのシーン以後、会津人、特に八重が国民国家的な日本人に変化していくように思えている。もちろん、朝敵という汚名はなかなか晴れないが…。このドラマの脚本が訴えたいことは、単に八重のスーパーウーマンぶりだけではないだろう。会津という藩が、長い時間をかけて国民国家の一員になっていく、それは、皇族以外に初めて勲章を受けた女性としての八重だけでなく、京都府政に尽力した山本覚馬や山川健次郎(後の東大総長になる。捨松の兄。)ら各個人の汚名をはらす努力もあったであろうし、やがて表に出る孝明天皇の宸翰(しんかん:松平容保への信頼を明かした書)の影響もあるだろう。

しかし、最終的には恨みを超克する精神と、長い時間がなしたものだったように思える。この腕相撲以後のドラマの展開はそう動いていると思うのだ。

そうそう、全く別の視点で「八重の桜」を見て驚いたこと。それは、徳富蘇峰が同志社出身だとことである。倫理で教える徳富蘇峰は、明治・大正・昭和の三代でジャーナリストとして、権力側から大きな影響を社会に与えた人物くらいの認識しかなかった。改めて調べてみたが、若い頃はともかく、壮年期から老年期にかけては、やはり権力側に大きく変化している。うーん。とはいえ、自由に生きる人材を育てようとした新島襄は、きっと教え子を許すような気がするのだ。

2013年12月21日土曜日

日経 「初歩からのアフリカ」

オランダ・アムステルダム観光HPページから 花屋街の様子
木曜日(19日)の日経の朝刊に、「初歩からのアフリカ」というコラムが載っていた。それだけ、日本でもアフリカ投資への関心が高まっているのだろう。10年くらい前からアフリカのことを学びだした私にとっても隔世の感を禁じえない。で、その記事は、アフリカの農業投資について書かれていたのだった。 

10月上旬にパリのOECDで開かれたアフリカ経済に関する会議で、ケニアの園芸農業を賞賛する声が相次いだと言う。「ケニアの園芸農業に学ぶベきだ。」「高付加価値型農業がアフリカを救う。」ケニアの輸出総額の17%(12年)を切り花など園芸作物が占め、紅茶に次ぐ有力な輸出産品で、EU諸国向けの最大の供給元となっている。オランダや英国の花屋にはケニアの花卉が並ぶ。ケニア政府は園芸産業の育成を推進、欧州企業の技術や物流網に加え、東アフリカの中心に位置する利点も活用し、出荷量が飛躍的に伸びた。エチオピアやウガンダも園芸作物の栽培を拡大している。

…と、まずケニアの園芸農業を持ち上げていたのだった。このケニアの園芸農業については、私が始めてアフリカの土を踏んだ時から関わりがある。JICA専門家(当時)の喜田先生(10年5月17日・23日/12年7月1日付ブログ参照)が熱く語られていた構想が、10年たって、ここまで実現したのだと、感慨もひとしおである。日経の記事には載っていないが、喜田先生をはじめとした日本の協力があったことも是非伝えておきたい。私が視察した当時の輸出用に建設された花卉用の倉庫はガラーンとしていた。喜田先生の構想は夢のような話に聞こえたものだ。おそらく、今はナイロビ近郊から農業組合経由で毎日のようにEU行きの航空便に合わせて出荷されてきているはずだ。喜田先生は、園芸農業の技術的な指導だけではなく、鮮度維持のために、栽培農家と輸出拠点と空港を結ぶ道路建設の必要性を熱く語っておられた。花を作ればいいというものではないのだ。だから、今、喜田先生はケニアで道を作る仕事をされている。(リンク:サバンナの風のブログ参照)

記事は、さらにアフリカ各国の農業投資について書かれていた。海外マネーが農業に熱視線を送っているのだという。カメルーンではインド企業が農地を獲得。エチオピアにはサウジの企業が$25億の投資を計画。スーダンではエジプト政府と企業が農地獲得。コンゴ民主共和国では中国企業とカナダ企業が農地獲得。モザンビークでは、日本とブラジルが共同農業開発…。

…前半のケニアでの園芸農業とは全くベクトルの異なる話だった。投資というビジネス感覚からは同じかもしれないが、(日本がかんでいるモザンビークも含め)後半部はまさに経済侵略に近い。確かにアフリカは、可栽農業用地が世界で最も広いと言われている。アフリカ開発には違いないが、そこで犠牲になる小農も多くいるはずだ。ケニアの園芸農業が、小農の現金収入を増やすという国際協力の出発点を持っていたのに対し、国益や企業利益が出発点になっている感が見え見えである。

2013年12月20日金曜日

久しぶりにディベート実践2

11月5日にエントリーした3年生のパネル・ディベートを、木曜日に実践した。お題は、「ケニア・ナイロビで起こったモール襲撃事件は正義である。是か非か?」。2学期の大部分をかけた一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の講義の後、この事件の背景を1時間説き、さらに2時間ほど、立論作成、反駁、結論作成にあたらせた。チーム分けは、イスラム原理主義を標榜する人々、被害を受けたケニア人、それに先進国という3チームである。

ある程度、立論作成にヒントもあげた。反駁するには、他チームの立論を予想する必要もある。それらをレクチャーしたうえで、とりあえずカタチだけはつくろうと考えたのだった。で、結果は、私としてはまあまあ満足できるものだった。

イスラム原理主義チームは活発な女子のチームで、「神に服従する者」として、欧米文化に染まっていくケニアを憂い、本来の神の共同体に戻すのが正義だという立論を立てた。ケニア人チームは、しっかりとした論理を組み立てれる男子が中心になって、ソマリアに軍を送ったのは、AUの決定であり、ケニアのモールを襲撃するのは、逆恨みである、ソマリアから難民を受け入れ、武器が流入しているケニアの実情を訴えることを中心に立論した。先進国は、元気な運動部系男子が中心。(欧米的な)人権を守るという観点から、イスラム原理主義には全く正義がないと言い張った。

多少現実とはかけ離れた議論も多少あったけれど、みんな真面目に取り組んでくれていた。全員の挙手で採点をしてみると、ケニア人チームが14票を獲得し、勝利したのだった。私もケニア人チームが最もよかったと思う。

ある生徒の保護者が、私の授業の話を聞いて、「なかなかいい授業だなあ。」と言っておられたとのこと。そういう反応もまた嬉しい。できれば、来年わが学年でも挑戦してみようかなと考えている。

校内球技大会’ 13冬

初戦 第一体育館にて
校内球技大会である。先日からの雨で、水はけの悪い本校のグランドは使えないということで、ミニサッカーの競技は中止ということになった。バスケットボールを4セット(バスケット・エントリー組男女+サッカー・エントリー組男女)で戦う方式になった。サッカーもそうだが、バスケットは、特に経験値が大きく作用する競技だ。上手い者と下手な者の差が大きい。

特に、最初の2セットは、現役のバスケット部は1人しか入れないルールだが、中学での経験者も多いし、野球部やサッカー部など本来的に、体力もあり運動神経のいい生徒が多い故、私が舌を巻くほど、上手いのだ。特に男子は見ごたえがあった。初戦は、隣の4組である。いつも体育を一緒にやっているので、手の内がわかっているし、仲良く昼休みなど球技大会にそなえて練習していた。好ゲームの末、バスケット・エントリー組男子は結局0対0の引き分けに終わった。で、女子の頑張りもあって、4セット合計で2点差で辛勝したのだった。まるで優勝したかのように我が5組は盛り上がった。夏の大会はドッジもバレーも結局6位だったしなあ。賞状が狙えるというわけだ。

準決勝は体育科とあたった。みんな本気である。観客も多いのでアドレナリンの大放出。ガンガン攻めて、ガンガン守る。結局現役のバスケット部がいない我がクラスは、リバウンドの差が出て敗退した。しかし、まだ賞状のチャンスはある。普通科対決で3位入賞を狙う。

3位決定戦前に 全員で円陣
3位決定戦前、女子が「円陣を組むでぇ。」と言い出した。男子も答える。我がクラスの団結力はなかなかのものだ。文化祭以来、男女とも仲がいい。応援も本気だ。前半戦は我がクラスがリードしていたのだが、相手の3組には現役バスケット部がいる。最後は、その経験値がリードをひっくり返し、2点差で敗れたのだった。みんな、無茶苦茶悔しがっていた。いいなあ。私は、30年以上高校生と付き合ってきたが、こういう時、いつも彼らの純粋な気持ちに心が洗われる。

SHRで、女子のクラス代表のM君が、「写真を撮りたい。」と言い出した。負けても、賞状が取れなくても我がクラスは我がクラス、No1なのだと言いたいのだろう。学校内で携帯電話は使用禁止なのだが、あえて目をつぶって生徒の携帯電話で写真を撮った。きっとLINEで流して、全員でシェアするのだと思う。ちょっとルール違反を犯したわけだが、今日はフェアプレーで頑張った生徒たちだ。許してもらえるだろう。

ところで、球技大会後、2年生だけで学年集会をもった。11月24日にエントリーした修学旅行のレクリェーションで、「H1」(Hは本校の頭文字。1は漫才のNo1を意味する。つまり、漫才コンテストである。)という企画があったのだが、時間切れで3組が演じれなかったので、その続きをやったのだ。全員が揃うまで、当日のダンス部の演技などのビデオを流し、雰囲気を盛り上げた。「(修学旅行先ではないので)やりにくいっす。」という出演者の声を受けて、せめてもの配慮である。審査をしていただいた担任外の付き添いの先生方も来ていただいて、H1を決定したのだった。音楽(軽音)部が、是非生バンドで(修学旅行のテーマ曲である)「全力少年」を最後に演奏し、全員で合唱したいと言うので、OKした。やはり無茶苦茶盛り上がったのだった。…これで、私の修学旅行もやっと終わった。演奏を聴いて、ちょっとホロッときた。(笑)集合も早かったし、節度もあるし、盛り上がるし、ホントいい学年なのだ。

2013年12月19日木曜日

GeeBeeが登場する"Planes"

白い矢印で示したのが、GeeBee
昨夜、偶然TVで「プレーンズ」というディズニーの映画の予告編を見た。「カーズ」に続く作品のようだ。ちょっとええかっこをしてしまうが、私が「カーズ」を初めて見たのは国際線の中である。ルート66のさびれた町が舞台で、なかなか面白かった。私は基本的に映画館に行かない人なのである。だから、「プレーンズ」も映画館に足を運ぶことはないと思うのだが、ものすごく気になったことがあった。それは、世界一周レースで脇役として登場するメキシカンという設定のヒコーキである。あれは、GeeBeeだ。

GeeBeeは、巨大エンジンをつんだ、着陸したら前方が見えないくらいの物凄くずんぐりしたレース用のプロペラ機である。左の画像にあるようにボディ横の扉からコクピットに乗り込む。私は、この機体が大好き。子供の頃、このプラモデルを作って長いこと遊んだ思い出がある。すっかり忘れていたのだが、ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館で、GeeBeeのミニュチュアが展示してあって、思い出して感激した。いつか本物を見たいと思っている。そのGeeBeeなのである。

いいなあ。ちょっと映画館に行こうかなあと思った次第。

2013年12月18日水曜日

朝日 レソトの闇ダイヤ

昨日の朝日新聞の朝刊「世界発2013」に、「現地証明制度 発足から10年 絶えぬ闇ダイヤ」と題した記事が載っていた。要するに、キンバリープロセスの話だ。ダイヤの原石が武装勢力の資金源となることを防ぐ目的で違法ダイヤを国際市場から排除するために原産地証明を義務付ける制度のことである。

記事は、レソト(周囲を南アに囲まれた南アフリカのスイスと呼ばれる小国である。)の首都マセルの郊外にある村で、ダイヤモンドの原石の闇取引の現場取材から始まる。この村のダイヤモンド原石は露天掘りできるくらい豊からしい。ただし、冷たい川底をあさる厳しい仕事だ。村人は生きるため、この「違法」採掘を行い、闇ブローカーが買い付ける。このダイヤは南ア経由で世界中に流通する。正式な免許をもつ正規業者に、ブローカーが売り込むのだ。また登録された正規の採掘業者が安い違法ダイヤを買い、原産地を偽って正規品に混ぜてしまうこともあるらしい。加工してしまえば、まさに「違法も合法も、同じ。」なのだという。

記事の最後のほうに中央アフリカの武装勢力「神の抵抗軍」で強制労働させられていた男性の証言もでてくる。月2回ほどヘリが来て武器、食料と交換していたというのだ。

…ダイヤモンドの国際価格は過去にはデ・ビアスのダイヤモンド・シンジケートが握っていて、価格が下がらないのが強みだった。今は様子が、だいぶ変わっているが、巨額のビジネスには変わりがない。私は、このキンバリープロセスの理念には、少し疑義を感じている。原産地の特定によって、ダイヤモンド産地を限定して、供給量の操作を行い、結局儲けようという権力をもった側の人間の欲望の深さを感じてしまうのだ。

…詳しく調べてみると、理念は崇高だが、この記事のような現実の問題をきびしく批判している人もいるようだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kimberley_Process_Certification_Scheme

…村の人々の気持ちを代弁すると、こうなる。レソト産のダイヤモンドのどこが「違法」なのか。単にダイヤモンド市場関係者が、平和の美名にかくれてさらなる儲けを生もうとしているのではないか。

…問題は、ダイヤモンド原石の価値ではなく原産地の名によって価格が下がり、買い叩かれるという構図ではないのか。このことが、新たな貧困や経済格差を生んでいる。中央アフリカは、今悲惨な状況にある。まさに鉱産資源の呪いなのだが、私には、キンバリープロセスが、さらなる新たな呪いを生み出しているように感じるのだ。

2013年12月17日火曜日

イチロー「最終戦14回表の話」

NHK HPより イチロー
何度かエントリーしているが、私はイチローの大ファンである。昨日のNHK・プロフェッショナル仕事の流儀で、イチローの独占インタビューが放送された。今年シーズンのイチローは、日米通算4000本安打を打ったものの、出場機会が減り、ファンとしても、はがゆい1年だった。ドラフト話も出ているようだが、優勝のチャンスがあるチームに移ってレギュラーとして1番をまた打ってほしい、私はそう思っている。

番組の中で、こんな話が出てきた。最終戦、優勝の可能性が無くなったヤンキースは、ベテランは誰も出場しなかった。若手の選手を試す消化試合だったのだろう。ベテラン選手はスパイクも履いていなかったという。ただイチローだけがいつでも出れるように準備し、延長14回の表には裏のロッカーで素振りをしていたという。イチロー専属の通訳兼トレーナーの話である。感動した。

イチローはまるで修行僧のような準備をする。宗教的な儀式のような準備をする。このどんな時でも準備する姿勢こそが、イチローの真骨頂である。「まだ苦しみが足りない。」とイチローは言う。凄い言葉だ。

私の座右の銘も、何度かエントリーしたが、「理想に生きることをやめた時、青春は終わる」である。理想の授業を目指して準備する。うまくいくのは、そのうち3割かなあと思う。今秋の修学旅行もやはり理想をめざして準備した。ついつい、もう少し手を抜いてもいいかなと思うのだが、やはりできる限りのことをやっておこうと思ってしまう。まだまだ「白秋」になれないのだ。

イチローが言っていた「やめる(引退する)時」とは、そういう取り組みの謙虚な姿勢が枯れた時をいうのではないかと思うのだ。私の「引退」の時期も刻一刻と近づいている。ところが、まだまだ枯れないんだなあ、これが…。今日も南北貿易ゲームやディベートの準備に燃えてしまったのだった。(笑)イチローが、苦しい野球という仕事が大好きなように、私も…。

http://www.nhk.or.jp/professional/2013/1216/index.html

2013年12月16日月曜日

中東の寒波

http://elalfanclub.blog58.fc2.com/blog-entry-260.html
エレサレムにいる息子から、妻に「雪が積もっている」と先日メールがあったそうだ。中東を寒波が襲っているらしい。遅ればせながら日本の新聞各紙も、シリアの状況と結びつけて報道していた。エレサレムの積雪は37cmだとか。凄いな。先日、長男の奥さん(古いいいかただと嫁さん)のTさんとアメーバのピグライフ上で対話したら、凄く寒いのだという。先日送ったヒートテックが役立っているとは嬉しい話だが、4日連続で学校や会社が休みなっているらしい。

エレサレムは、イスラエルでもかなり高所にあるので雪も積もりやすいのかもしれない。しかし地中海沿いのテルアビブでも降雪があったとか。エジプトのアレキサンドリアまで降雪したと新聞記事にある。凄いな。地中海沿いで雪。まさに地球はどうなっているのか、という感じだ。

ところで、息子夫婦のことも心配だが、私が気になっていたのは息子たちが餌をやっていた野良猫のことである。私たちは昨年夏の滞在中、勝手にチューチューという名前をつけていたが、賢い猫で無茶苦茶かわいいのである。今は他の人の飼い猫になっているとのことで、寒波で震えているのでは…という私の心配は杞憂に終わった。よかったよなあ。チューチュー。

2013年12月15日日曜日

ナイジェリア「セメント無敵艦隊」

現在のラゴス港
ポール・コリアーの「収奪の星」には、難解な経済理論とともに、興味深い逸話もちりばめられている。鉱産資源の収入を、ノルウェイのようにすべて政府系ファンドにして持続可能な資産に変換することを世銀などは、アフリカのレンティア国家に指導したようだが、ポールコリアーは多分に否定的な見方をしている。国家の将来のためにも公共投資するのも必要、と説いているのだ。ただこの公共投資プログラムは、うまく設計し、汚職を防ぎ実行しなければ意味はない。しかも、「業務遂行能力」が備わっていないと成功しない。ここで、その例として1975年のナイジェリアのインフラ投資について述べている。題して、「セメント無敵艦隊」。(160P)

第一次石油ブームが始まったとき、ナイジェリア政府はインフラ整備を大幅拡大する決定を下した。これは賢明な判断だったと言ってよい。だが、政府は必要量のセメントを国内の生産能力ではまかないきれないことに気づく。そこで輸入することになり、現場のことを何も知らない官僚がある遠国に必要な全量を発注し、ラゴス渡しの条件を指定した。決定権をもつ上位の官僚は誰一人として、貿易実務をわかっていなかったのである。

セメントは運んできた船から降ろすことができなければ何の役にも立たない。ラゴスは天然の良港で、船舶は安全に停泊できるが、岸壁もクレーンもなかった。セメント運搬船が次々に到着し荷役待ちの列が長く伸びてくると、荷役が終わるまでに数ヶ月、いや数年待たされることが明らかになる。そこで、セメントの売主は、おもむろに契約書を取り出して確認した。海運関係者以外はほとんど知られていない標準条項が書き込まれていたのだ。…滞船料である。船が指定の港に到着してから一定間内に荷下ろしができない場合、買主が超過の停留料金を払う規定である。

売主は、これがうまい取引であることに気づいた。減価償却が済んだ老朽船を探してきて、セメントを満載する。できれば粗悪で安価なセメントがよろしい。そしてなんとかラゴスまで運ぶ。あとは錨を下ろしてできるだけ長く停泊し、滞船料をせしめる、という段取りである。ナイジェリア人は、この船隊を「セメント無敵艦隊」と皮肉ったという。

ポール・コリアーは、資源富裕国にアドバイスしたいのは「世銀に頼ることではなく、自国にないスキルを外国から雇うことである。」と続けている。ボツワナ政府は、ダイヤモンドの活用戦略の際、外国人を雇い、それだけでは情けないと感じ、自国の人材を教育し、一緒にプロジェクトの実行に当たらせた、とも。

この「セメント無敵艦隊」の話、なかなか示唆に富んでいる。ナイジェリア政府を稚拙だと笑うなかれ。日本でもこれからも十分ありうることだと私は思っている。日本人は、お上のやることを信用しすぎているのかもしれない。大震災の復興や原発のこと、最近の法案のことなど、およそ優秀な人々がいかに稚拙な間違いをおかしているか。またそれを隠そうとしたか。だからこそ、監視する必要があるのだ、という意見には正義があると私は思うのだ。

2013年12月14日土曜日

アフリカ学会 公開講座12月

師走の残り紅葉 京大稲森財団記念館
二ヶ月ぶりの京大公開講座である。今日は、龍谷大学に3月まで在籍しておられた大林稔先生の経済学の講義である。最初に重田先生から、大林先生の経歴について紹介があった。単に経済学を修められたという方ではなく、コンゴ(当時はザイール)をはじめ、様々なポストから日本とアフリカのへの国際協力に関わってこられた方であることが良くわかった次第。

講義は大きく二部構成で行われた。ここ10年ほどの間に、アフリカの経済は大きく変化したこと。すなわち、貧困と飢餓の大陸というイメージから、資源大国、経済成長著しい投資先へという変化である。このあたりについては、10年ほど開発経済学をやってきた私にとっても十分すぎるほど理解できたつもりだ。アフリカ開発経済学の定説は今や、先進国の援助は必ずしもアフリカの開発を進めるものではないこと。ガバナンスや経済政策などの「人為的」失敗が発展を阻害していること、の2つに一応収束しつつあるらしい。

しかし、現場に長くおられた大林先生は、こういうマクロで数値的なアフリカの発展には懐疑的な立場をとられている。私が面白いなと思ったのは、サブ=サハラ・アフリカの貧困者の割合は減少していることは確かだが、経済成長率のわりに現地の人々の実感が異なることをNGOの資料(アフロバロメーターによる37カ国の調査)で示された。ここ数年で経済が悪くなったと答えたケニア人は57%、タンザニアでも51%であったそうだ。(後の質問の時間で)「成長」と「発展」は違うのだと、面白い例を示していただいた。身長や体重が増えるのが「成長」であるとすれば、「発展」は大人になることと言えるのではないか。…なるほど。箴言。

第一部のまとめとしては、①ガバナンスが重要であること②なぜ成長に転じたのか、成長は持続するのかは今後の課題③貧困を減らし格差を縮小することが求められているの三点を示され、およそ現在の開発経済学者の結論だとされた。私もこの三点はよく理解できるところである。

第二部は、大林先生が特に実感されているアフリカ人の「内発的発展」の強さをいかに生かし、アフリカ人による未来の選択を行ううえで、いかにその環境を整える努力を日本を始めとした先進国が協力していくかという話である。大林先生は、もともと1960年頃の各国の独立前後から、パンアフリカニズム、ネグリチュードと呼ばれたアフリカ統一への理想に燃えた時期から、アフリカの内発的発展の系譜があるのだと言われた。なるほど。その後、多くの国で独裁が行われ、迷走した時代にも、自らのアイデンティティの模索や尊厳の回復を求め、マンデラ氏らのアパルトヘイト廃止などに代表される民主化が進む中で、アフリカ・ルネッサンスと言える「内発的」な発展への運動が拡大していったと考えておられる。それは、具体的には、地域の文化・自然に根ざし変化に柔軟に立ち向かうコミュニティの自立的営為であり、市民運動組織の勃興である、と。

大林先生は、舩田クラーセンさやか先生とも懇意であられるらしく、モザンビークの話題も飛び出した。例のブラジルと日本がからむODA・南南協力の大農場化の話である。日本人は、援助の実態が見えないし、現地の人々の声が届かない現状を、非常に危惧されていた。要は、現地の「内発的発展」をささえる市民運動と連携すること、その「内発的発展」=アフリカのオーナーシップをサポートすることだと主張された。

具体的には、政治的には平和と安全やガバナンスの改善、参加と民主主義の拡大、経済的には物価の安定や市場の発達、公的&民間サービスの提供や小規模インフラ整備、農業では適切な農業政策と資源管理権の小農への返還、文化面では内発的発展の権利の承認、文化伝統の振興などである。

「私は純粋な経済学者ではない。」と自ら言われていた大林先生の講義。なかなか面白かったのである。日本の先生方以外にも、アマルティア=セン、ジェフリー・サックス、ポール・コリアー、そしてダンビサ=モヨといった世界をリードする著作を読んできたが、これからさらに新しい視点の開発経済学が出てきて新たな「定説」を生んでいくのだろう。しっかりとついて行かねばと思った次第。

大林稔先生、重田先生を始め京大の研究生の皆様、今日もありがとうございました。勉強になりました。感謝申し上げます。

2013年12月13日金曜日

世界史Bで南北貿易ゲームを

昨年の3年生が作ってくれた南北貿易ゲームの国々のPOP
期末考査が終わって、世界史Bは、試験を返すと残り時間は各クラスとも冬休みまで1.5時間(返却と解答確認に25分くらいかかるわけだ)しかない。近世を終えて、いよいよ近代に向かっていく。最初に近代の最大のテーマとなる近代国家論を論じようと思ったのだが、冬休みを挟んで教えるより、まず資本主義のイメージをつかませる方が価値的かなとふと思った。三学期はおよそ10時間だが、うまく取捨選択して時間配分すれば、ナポレオンの国民皆兵まで行けそうだ。民主主義の確立(権利章典から名誉革命、フランス革命)、資本主義の確立(囲い込み運動から産業革命といった生産性向上と産業資本)、国民国家(ナポレオンの国民皆兵制)の近代国家における三条件の史実をとりあえずクリア―できるだろう。

と、いうわけで、資本主義をイメージさせるため、南北貿易ゲームをすることにしたのだった。本来は、先進国と途上国の生産性の相違を中心に、構造的暴力を経験的に認識させるゲームなのだが、資本主義の概念を理解するという学習目的にも、かなっていると私は思うのだ。ゲームでの経験を、授業で何度か想起させれるような気がする。

各クラスで、まずグループ分けを行った。本来アイスブレーキングで使う、ボディランゲージ(一切コトバを発しないという条件)で、各人の生まれた月日順に円を作ってもらうのだ。我がクラスでは、これがなかなか盛り上がりすぎて、グループ分け・国(先進国・中所得国・途上国)分け後に行う戦略を相談する時間が5分間くらいしかなくなってしまった。(笑)他のクラスはだいたい20分くらい取れたのだが、私もついノッてしまって、ツッコミが何度も入り、大爆笑のグループ分けになってしまったのだ。まあいいか。我がクラスは、なかなか仲が良いのだ。

この南北ゲームの最大の面白さは、やはり獲得金額で競うというゲーム性の強さだと思う。もちろん戦略のクリエティブ性も面白いのだが、何と言っても勝敗がはっきりするところが生徒を盛り上げる。幸い、本校生は、こういうアクティビティが大好きだ。各クラスとも、真剣に戦略を練っていた。

ともすれば、無為に過ごしてしまう時間を有効に使えそうだ。

2013年12月12日木曜日

ボーナス闘争

ボーナスが出た。と、言っても実感がない。昔は、現金・札束でもらえた。先輩が「立ったぞぉ。」などと言われていたのを思い出す。100万を超えるとだいたい袋が立ったらしい。いつしか銀行振り込みの紙きれになった。私自身は、変な話だが、自分の所得を知らない。教師をやっているのは、金のためではないという、変なカタチのサムライ精神を今だ維持していて、一切見ない。家計のことは、妻に全て任せている。妻によると、あと少しで100万円大台、というところ(前々任校の時だから15年くらい前?)から、ひたすら下降しているらしい。ふーん。だからなんだ?というのが私のサムライ精神である。なんのこっちゃ。要するに、自分の使える分がある程度保障されていれば、それでいいのだった。

で、ボーナスである。これといって使い道はないのだが、先日妻が「1万円だけあげる。」と言ったのだった。「一万円だけ?」この時、随分と不服そうな顔をしていたらしい。使い道も定まらないので、なんとなくオークションを見ていたら、5年くらい前に欲しかったデルのパソコンを見つけた。当然中古である。80GしかHDがないのだが、Win7のプロフェッショナルがOSである。(XPモードがあるので、これで長いことやっていないエンパイアⅡが気軽に楽しめるようになる。)このデル、少し変わっていて、IBMのような青いポインターが真ん中にある。いいなあ。ふと欲しくなった。最近、妻と代わる代わるパソコンを使っているので、時にはストレスになっていた。どうせ、インターネット用と割り切れば、中古でもいいかと思ったのだ。価格は14800円。久しぶりに落札しよう。追加分くらいはなんとかなる。ところか、昨日愕然とした。すでに落札されていたのだった。真夜中の3時がオークションの最終時刻だったのだ。(笑)

あきらめていた矢先に、CPUの性能が良くて、しかもオフィス2013がインストールされた全く同型・同OSのパソコンが19800円でアマゾンで販売されてるのを見つけた。うーん、9800円+送料はきついなあと思っていたら、妻が夕食時に「ボーナス、2万円にしたでぇ。」「?」「不服そうな顔してたから。」

…さて、どうしたものか。…渡りに船かな。

2013年12月10日火曜日

毎日 「猪瀬直樹の肖像」

昨日の毎日新聞の夕刊に、大宅賞作家3人が猪瀬直樹東京都知事を「猪瀬直樹の肖像」と題して、ボロクソに書いていた。私はこの3人のうち野村進氏の「コリアン世界の旅」を読んだ経験がある。「コリアン世界の旅」同様、なかなか鋭い洞察で、さすがだと思った。

野村氏が知るところによれば、猪瀬直樹という人物は一貫して権力志向が強かったと記している。野村氏が始めて会った時から、足立倫行、高野孟らのノンフィクション作家の中でも、相当威張っていたという。彼の知る猪瀬直樹は、偉い人に近づいて「大宅賞をとりたい。」「選考委員になりたい。」「東大教授になりたい。」と発言し、さらに小泉首相、石原知事に近づいては出世してきたのだと言う。子供っぽい欲望を隠さない人であり、普通の大人は恥かしくてあからさまにできないのに、彼は違う。自分を客観視できないのではないか、と。だから徳州会のことも、なぜこんなに大騒ぎになるのか分かっていないのではないか。誰が見てもおかしいのに自分ではわからないのだと記している。

この「猪瀬直樹の肖像」というタイトル、ミカドの肖像を揶揄している。萩原遼氏などは、このミカドの肖像の中で彼が描いた堤康二郎こそが、批判対象ではなく憧れだったのではないか、とさらに激烈にこけおろしている。彼らが何故そこまで猪瀬直樹を批判すのか。それは、彼らがノンフィクション作家だからだ。石川好氏は言う。ノンフィクションの基本は、正確な資料の提示である。そのイロハのイもわかっていない。借用書をはじめ、不確かな資料を提示したことが許せないのだ。

ノンフィクション作家としての猪瀬直樹の作品は面白い。私もかなりの数を読んできた。だが、その人物像は、野村氏の記すところでは、傲慢と野心そのものの人物であるようだ。こんな時、同じ作家仲間に護ってもらないのは、それこそ不徳のいたすところなのだろう。

ところで、最近、毎日新聞が頑張っている、と思う。右でもなく、左でもない中途半端なところが、私をして長らく毎日新聞を定期購読してきた理由なのだが、最近は地元の話でもはっきりとした正義の主張を展開している。モーニングで、日経や朝日、読売など様々な新聞を目にするが、このところ、毎日が一番すっきりしているような気がするのだ。

2013年12月9日月曜日

ボツワナの初代大統領の話

ポール・コリアの「収奪の星」には、延々と資源の罠とガバナンスの関係が経済学的な土台の上で論じられている。マンデラ氏の死去で南アの話が様々なところで論じられ、大きく紹介されているが、私はあえて、ポール・コリアが次のように述べているところの、ボツワナの初期の指導者について、少し調べてみた。

「ボツワナは、成長の謎と言われる国の一つである。同国の特徴から考えると、悲劇に向かってもおかしくない。国は小さく、独裁者が私物化しやすい。資源が豊富で、利権政治に陥りやすい。しかも内陸国であり、ダイヤモンド採掘以外にこれといった成長機会がない。にもかかわらず、ボツワナの経済運営は世界でもトップクラスである。その理由は、私たちの分析結果からもうかがわれる。(中略)ボツワナの成功は、初期の指導者が自己の利益を顧みずに国家の繁栄に尽力したおかげではないか、と私たちは考えている。(P75)」

ここで指摘されているボツワナの初期指導者とは、セレツェ・カーマ初代大統領である。この人、実はある民族集団の王子なのだがイギリス人女性と結婚したこともあって、王位を捨てて一市民として帰国した優秀なエリートである。当時のボツワナは、南ア・ナミビア、ローデシアという白人支配の国家に挟まれた辺境の地であったと言ってよい。内陸国でもあり、周囲の国々を無視することは、不可能かつ危険であった。カーマが王位を捨てた理由も、南アのアパルトヘイト政策故、周辺国の反対が強かったからだという。彼は、一市民として、チュアナランド民主党の党首となり、独立運動をリード、やがて独立を果たすのである。

周辺国から様々な攻撃を受けながら、彼はうまくかわしていく。独立後にダイヤモンドが発見されたのも幸運だった。独立前なら併合されていたにちがいない。デ・ビアスと開発契約を結び、安定的な財源を手にすると、このレントを政府のものとし、初等教育、医療、インフラ整備に優先的に振り分けた。汚職に対しても強力な対抗策をとり、その伝統が今もクリーンなガバナンスを維持しているわけだ。(12月4日付ブログ参照)また建国当初より、人種融和をかかげ、急速な職員のアフリカ人化を進めることを避け、無理のない形で進めていった。一方で、圧倒的な支持を得ていたにもかかわらず複数政党制をとり、一度も独裁に傾かず、民主政治を貫いた。

マンデラ氏の反アパルトヘイの運動トやジンバブエの反政府活動などに理解を持ちながらも、あくまで慎重に周囲の国と融和しつつ、ボツワナを今日の繁栄に導いたわけだ。

穏健な政治姿勢で、地味だが、このセレツェ・カーマという人物、凄い人なのだった。

2013年12月8日日曜日

長崎とマンデラ氏と山本覚馬

妻が長崎に旅してから(9月30日付ブログ参照)というもの、今だ毎日のように長崎の話が出てくる。それほど長崎旅行はよかったらしい。食事も含め全てがよかったらしいのだが、何より「隠れキリシタン」の印象が強かったらしい。帰阪後、妻は遠藤周作の小説を何冊も読んで、「隠れキリシタン」のことにすこぶる詳しくなった。妻も私同様、大学以来、宗教学の徒である。これまでは、神道やチベット密教などにも詳しかったのだが、エレサレム行以来、ユダヤ教やキリスト教にも興味の範囲が広がり、長崎で「隠れキリシタン」にたどりついたと言った方が正しい。

この余波が私にも来て、「遠藤周作の女の一生」を読むはめになった。私は小説はどうも苦手なのだが、遠藤周作の文章はなかなか読みやすく、一気に読めた。幕末から明治初期にかけての「浦上四番崩れ」という大弾圧の話である。私の正直な感想は『凄惨』の一言であった。あまり読後感は良くない。

先日、南アのマンデラ大統領が逝去された。27年間の獄中生活を送りながら、自らを差別し迫害した白人政権を許し、彼らの力も借りて虹の国建設に邁進した、いう人間的な凄みは、言葉では言い表せない。人類は、偉大な人を失った。ご冥福を心から祈りたい。

今日のNHK「八重の桜」で、ドラマの上での話だが、八重の兄の山本覚馬が逝去した。彼もまた、長い獄中生活を送っている。結局彼は、薩長に融和する道を選び、新生日本に貢献する形で会津の汚名を晴らそうとしたことが、今日明確に訴えられていた。

獄中で、「隠れキリシタン」的に言えば、「転ばなかった」マンデラ氏と山本覚馬は、出獄後、敵を許した事に共通点がある。遠藤周作の「女の一生」に関わる大きなテーマも、ここにある。この事をどうとらえてら良いのか、そう簡単に答えは出せないと思っている。もう少し思索したいところである。

2013年12月7日土曜日

私の最も近くにある”アフリカ”

この数日、本来書かねばならない、発信したい、ということはあるのだれど、あえてお気楽なことを今日も書いておこうと思う。

昨日、妻と診察に向かう時に、前々から撮りたかった写真が撮れたのだ。車中からしか撮れないし、うまくその前を低速で通過していなければならない。それは、交野市にある道沿いのガレージに書かれた看板である。(画像参照)おわかりになるだろうか。ティンガ・ティンガである。タンザニアのティンガ・ティンガ。かなり本格的な出来ばえだ。何故、ここに描かれているのかわからないが、私の最も近くにあるアフリカである。

交野市には、「交野発国際親善の輪(KIG)」というボランティアグループがあって、以前ワンフェスで「ウガリ」(東アフリカのトウモロコシでできた主食)を販売していたことがある。関係あるのかなあ、などと夢想するのだが…。
http://katano-shakyo.com/common/pdf/h2508kic.pdf

2013年12月6日金曜日

月例の診察 DE 「御座候」

月一の糖尿病の診察の日である。まだまだ入院という可能性もある。この一カ月、北海道修学旅行の期間も含めて、喫煙以外は節制に努めてきた。妻の大豆大作戦(大豆粉のお好み焼きやら、大豆麺のチャンポンやら大豆メニューと野菜サラダ攻撃、炭水化物少量化など)で体重はだいぶ減少した。反対に低血糖状態に何度か襲われた。で、今日血糖値をはかると、52だった。まさに低血糖。とはいえ、先生はこの節制の結果を良し(想定内の薬の効きすぎらしい。)とされ、薬が減少することになった。また一カ月先を目指して、大豆大作戦は継続されることになった。まあ、入院(すなわち毎日のインシュリン注射の人生開始)よりははるかにマシだと思う。

さて、この診察を終えて、私は一つだけ食べたいものがあった。だから、いっしょに診察に来てくれた妻には夕食の準備はいらないと言っていた。食べたかったもの、それは、「御座候」である。この「ござそうろう」は、医院のすぐそばにある京阪枚方市駅の一階にある(大阪弁で言えば)「太鼓焼き」の店の名である。アンコがいっぱい入った「太鼓焼き」。夢にまで見た一品である。300kcalほどあるだろうし、糖分の塊なので、夕食の替りとしてもいい。それくらい食べたかった。「アホやなあ。」と妻に言われながらも、並んで1個80円の「御座候」を手に入れた。いやあ、幸せ。

2013年12月5日木曜日

東アフリカの「共通観光ビザ」

ケニアのビザ こんな感じ
少し古い、といっても11月23日配信のWEBのアフリカビジネスニュースから、私が興味深く思った話題を今日はエントリーしたい。それは、東アフリカ共同体(ケニア・タンザニア・ウガンダ・ルワンダ・ブルンジ)の観光振興というか観光開発の話である。

アフリカを旅したい、と思うとき、ひとつのネックが「ビザ」である。サブ=サハラ・アフリカ諸国にとって、極めて貴重な税収である「ビザ」であるがゆえに、だいたい高い。私が旅したり、旅を計画した経験でも、「ビザ代」は高い。初めてのアフリカであったケニアはJICAが取得してくれたので、いくらだか知らないが、南ア(南アは日本からビザなしで入国できる数少ないアフリカの国だ。)からジンバブエへ夜行バスで入国した際はUS$50だった。これは現地で取得したので、安いように思う。ブルキナファソは、NPOにお願いしたが1万円ほどかかった。大阪に住む身としては、東京にある大使館で取得する必要があり、よけい高く感じるのだ。たしか、ガーナ行きを計画した時、HISに聞くと郵送料・手数料を含めてやはり1万円と言われた。なんか、「ビザ代」は、アフリカを貧乏旅行する身としては、現地の物価が安い分、必要経費だと言われても、ちょっともったいなく感じてしまう。

さて本題。2014年1月から、ケニア・ウガンダ・ルワンダの共通ビザが発行されるらしい。予定価格はUS$100(90日間有効)。さらにタンザニアとブルンジも拡大する予定だと言う。たしかに、ケニアとウガンダを旅する予定なら、十分なお得感がある。タンザニアが入っていないのは、今のところ、ちょっと痛いかなと私は思う。タンザニアが入ったら価格は上がるかもしれない。私は野生動物にはあまり興味がないが、道祖神などが企画しているツアーの料金は少し安くなるかもしれない。ウガンダから出発して、ケニアからタンザニアへ。マサイマラからセレンゲティへ。体調と経済的理由から行けそうもないが、なんか興奮するのである。
http://www.africa-news.jp/news_YlPjERD6q.html?right

ところで、各国とも従来の各国別のビザも発行していくらしい。その辺、なかなか商売上手だ。(笑)せっかくだから、ウガンダやルワンダにも行きたくなるもの。

最近、危機感や怒りがつのるニュースばかりなので、あえてお気楽にこんな話題をエントリーしてみた次第。ビザの画像は、以下のHPより。一読したがなかなか面白いHPである。

<ビザの画像>http://www6.plala.or.jp/naopy2/africa01/afrc1-02.htm

2013年12月4日水曜日

世界腐敗認識指数 2013

上位の表/サブ=サハラ・アフリカ最高位の位置
世界の国々の政治腐敗度を監視するNGOが2013年度の世界腐敗認識指数を発表したとのニュースが今日、WEB上で流れた。世界で最も腐敗した国は、北朝鮮、アフガニスタン、それにソマリアだということだ。ちなみに日本は18位。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131204-00000030-xinhua-cn

私の興味は、やはりアフリカ諸国の状況だ。NGOの日本支部のHPに177か国・地域のランキング(英語版)が出ていた。

これによると、サブ=サハラ・アフリカ諸国で下位から挙げてみると、以下のようになる。(見落としがあるかもしれないが…。)
ソマリア、スーダン、南スーダン、赤道ギニア、チャド、エリトリア、ジンバブエ、ブルンジ、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、アンゴラ、ギニア、ナイジェリア、中央アフリカ、カメルーン、ウガンダ、ケニア、コートジボワール、<ロシア>、マリ、マダガスカル、ガンビア、トーゴ、シオラレオネ、モザンビーク、モーリタニア、タンザニア、エチオピア、ニジェール、ガボン、<タイ>、<インド>、ジブチ、ベナン、<メキシコ>、マラウイ、ザンビア、リベリア、ブルキナファソ、スワジランド、<中国>、セネガル、南ア、サントメ=プリシメンテ、<ブラジル>、ガーナ、ナミビア、レソト、モーシシャス、ルワンダ、セイシェル、<韓国>、ボツワナ、<フランス>、<USA><日本>…というわけで、サブ=サハラ・アフリカで、最もガバナンスが良い(クリーンである)のは、予想どおりボツワナだったわけだ。

私が意外だったのは、リベリアやシエラレオネの順位がかなり上がっていることである。ダイヤモンドをめぐる内乱と少年兵の悲劇のイメージはもう払拭しなければならない。
<NGOのHPはこちら> http://www.ti-j.org/

私と登別の不思議な因縁

登別から帰ってきた時計
昨日、修学旅行で泊まった登別温泉のホテルから段ボールが届いた。生徒の忘れ物が入っていた。8クラスもあると、これくらいの忘れ物があるらしい。最も多かったのはお菓子。(笑)こんなものまでちゃんと送ってくれるとは、日本の「おもてなし」は凄い。(笑)タオルやら下着やら、脱臭剤などいうのもあって、部屋ナンバーを確認しながら担任団でクラスに分けていったのだった。多いクラス、全くないクラスと様々。我がクラスは、忘れ物なし。ただし、担任(私)の忘れ物が届いた。(笑)

それは、「世界時計」である。要するに目覚まし時計なのだが、始めて海外に出る時に購入したものだ。以来、9カ国を私と共に旅してきた、思い出深い時計なのである。今回、それを登別に忘れてきたことは意識していたのだが、こういうカタチで返ってくるとは…。正直嬉しい。この時計、周りのリングを回すと、世界の地域の時差がすぐわかるので重宝である。昔は、海外から妻に無事を電話で連絡していた。その際、日本時間がこの時計ですぐわかるからである。ここ数年は海外から電話もしなくなったが…。相変わらず、目覚まし時計として旅行時に使っていたのだった。

ふと、今思い出した。昔々、今は亡き母親と北海道を旅したことがある。登別の熊牧場で、免許証を紛失したのだ。小樽で検問があって、(北海道はレンタカーのナンバープレートは「れ」になっていて、よそ者だとすぐわかる。笑)その時、免許証を紛失したことが、分かったのだ。私の名前と生年月日を言っただけで、すく私の免許証ナンバーがわかった。日本の警察の情報力は凄いなと感じたものだ。この当時、免許証と財布を別々に持っていたのだった。(以来、免許証も入る財布のスタイルに変えた。)じっと思い出して、熊牧場で紛失したのだと確信した。で、連絡したら無事発見されていて、すぐに自宅まで送ってくれたのだった。登別は私にとって、何かを無くし、戻ってくる因縁があるらしい。

あらためて、登別温泉・石水亭のスタッフの皆さんにお礼申し上げたいと思います。お世話をかけました。ありがとうございました。

2013年12月3日火曜日

眼底検査

私の「低血糖」の友 チェルシー
昨日はエントリーできなかった。勤務の後、行きつけの眼科で「眼底検査」を受けたためだ。糖尿病の専門医から、次の診断日(今週の金曜日だ。)までに、必ず眼底検査を受けるよう指示をされていた。とにかく、入院したくないので従うしかない。この眼底検査、目薬を入れて、瞳孔を拡げる。検査の後、ものすごく眩しい。一度昼間に検査を受けて車に乗った(当たり前だが、妻の運転で、助手席である。)が、とても目をあけらていられない。今回も妻に車で迎えにきてもらったのだが、幸い夜だったのでまだマシだった。とはいえ、対向車のヘッドライトなど目に入ると、思わず目を閉じてしまう。家の中も一気にルクスがアップして眩しい。そんな中で、コンピュータに向かうのは苦しい。と、いうわけで昨日はエントリーできなかった次第。

ところで、このところ、授業中に低血糖状態になることがある。今日も自分のクラスの授業中、フラッとしてしまい、教壇に手をそえてないと立ってられないような状態になった。そんなだから授業も、あたふたとしてしまう。担当医から薬を増やしたので「低血糖」になるかもしれない、と言われていたが、一か月近くになって、どどどっとその効果が出てきたらしい。激務の北海道(の修学旅行)では全く大丈夫だったのに…。休み時間にまたチェルシーを舐めるはめになったのだった。

2013年12月1日日曜日

毎日 人間の危機管理とは何か

毎日新聞の今日の朝刊・『時代の風』に、山極寿一京大教授の「人間の危機管理とは何か」と題された一文が載っていた。一読して全く同感であると思ったのでエントリーしておきたい。

大震災以来危機管理のあり方が盛んに議論されている。福島原発の汚染水漏れや情報隠し、ホテルやレストランの食事の意図的な表示の張り替えなど、人々は不安を募らせている。なぜこのような間違いが起こるのか。山極先生は、「それは人々が自分のことばかりに関心を向け、他人の安全や安心に気配りしなくなったからではないだろうか。」と言われている。

日本ではつい最近まで他人へのきくばりが自分の安全や幸福を確保すると考えていた。危機管理でも同じだった。なぜ、こういう他人への配慮が失われたのか。山極先生は「世の中が自分中心に動いて他人をおもんばかることが不効率で不確実に見えるからである。」とし、サルの世界を例にとって示される。個体の利益を最大化できるためにサルは群れをつくる。だが群れが大きすぎるとそれを守れない。サルは自分の利益を減らしてまで仲間を助けようとしない。今回の福島の事故は、人々の安全よりも自社の利益、自分の利益を優先する考えがもたらした危機ではないか。「言うならば巨大な科学技術をサルの心で操ったことによる危機」だと言われている。

「アマルティア=センは、現代の課題を「人間の安全保障」においた。かつての安全保障は国家のものだった。しかし国家は国の利益を優先ために、人間の安全保障を犠牲にすることがある。国家ではなく人間を中心に考えることが必要だと言うのだ。」

「今の日本に必要なのは機械でも技術でもなく人間の心だという事実に立ち返ることである。」「危機管理の近道は私たちの心の中にあるのだと思う。」その一言、一言が地球市民を育成しようと考えている私には箴言である。

2013年11月30日土曜日

ヨーロッパ近世の謎とき

メアリー1世
来週から期末考査である。ひさしぶりに世界史Bの授業についてエントリーしたい。今回はヨーロッパ近世が範囲である。大航海時代、ルネサンス、宗教改革それにイタリア戦争と絶対主義国家の成立が、ほぼ同時期に起こっているところがミソだ。つまり、それらが互いに連動している。

イタリア戦争の構図、フランスVSスペイン・神聖ローマ帝国・イギリスも、ヘンリー8世の離婚劇をめぐる系図が大いなる鍵となる。ヘンリー8世の正妃は、カザリンというスペイン王家の王女である。イギリスが参戦する理由は十分にある。英国教会成立後も、メアリー1世というカザリンとの娘がスペイン王・フェリペ2世と結婚している。父親のヘンリー8世には恨みをもっているので英国教会を潰そうとカトリックに改宗しているくらいだ。ただし、そのメアリの死後王位を継いだエリザベス1世はカザリンの侍女の娘である。カトリック=スペインには恨みがあるので、後にスペインの領土だったオランダ独立戦争ではオランダを支持、しかも無敵艦隊を破っている。凄いな。サスペンス・ドラマなみである。

このスペイン王というのが、ハプスブルグ家の血を引いているので、神聖ローマ帝国皇帝がスペイン王その人だったりする。フェリペ2世の父親カルロス1世である。彼は同時にカール5世で、「ローマの牝牛」と呼ばれた神聖ローマ帝国に、免罪符の販売部隊を引き込む。彼は南イタリアも支配してカトリックの総代みたいな立場である。フランスに免罪符を売れなかったのは、イタリア戦争がらみだし、何より免罪符販売のローマ教皇レオ10世は、ルネサンスの総本家メディチ家の出身。ルネサンスとルターの宗教改革は連動しているわけだ。そのイタリア=ルネサンスも、大航海時代のスペイン、ポルトガルにとって代わられ、さらには、カルヴァン派のオランダにとって代わられる。

最後のまとめで、全ての謎を明かすという授業をしていると、つい熱くなる。金曜日は、思わずふらっとしてしまった。低血糖状態である。授業後、チェルシーを舐めてなんとか治まったが、いやはや…。

2013年11月29日金曜日

沢木耕太郎氏の受賞を祝す

毎日新聞の朝刊に、沢木耕太郎氏が『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を受賞したことが報道されていた。何度かこのブログにも書いたけれど、私は沢木耕太郎氏の大ファンである。スペイン内乱で撮られた一枚の写真が、キャパという写真家を一躍有名にしたのだが、この写真について、極めて精緻に、この写真が本当に彼の撮ったものかを検証していくノンフィクションが、今回の受賞作『キャパの十字架』である。

実は、私はこの本は読んでいない。だが、NHKで特集を組んでいて、本年2月4日のブログで詳しくエントリーしている。素晴らしい内容だった。記事では、かの柳田邦男氏が「航空機事故の事故調査のように徹底的に分析」と評している。思わず「マッハの恐怖」(柳田邦男著・航空機事故を扱ったノンフィクション)を思い起こして、すこし笑ってしまったが、まさにたった1枚の写真に、そういう感じの迫り方をしていることは確かだ。

ところで、新聞に載っていた沢木氏の写真を見て、歳をとられたなあとちょっと寂しく感じた。私も同様に歳をとってしまったのだから、当たり前か。これからも沢木耕太郎氏のますますの活躍を期待したい。

2013年11月28日木曜日

南アで誕生したツワネ原則

久しぶりにモーニングで日経を読んでいたら、春秋に『ツワネ原則』というコトバが載っていた。ツワネというのは、南アの行政的首都であるプレトリアが変更されるかもしれない地名である。(さすが、この話は知っていた。)このツワネにおいて、安全保障にかかわる国家機密と、知る権利や表現の自由といった基本的人権とのバランスをどうとつかという難題に世界の研究機関やNGOが議論した成果が『ツワネ原則』であるらしい。民間レベルの取り組みだが、世界の知恵の結晶ともいえる50の原則なのだという。

すこし調べてみた。以下にアクセスすると、全文(英文と日本語訳)が読める。

文学部出身の私にとっては、クラクラする様な文書であった。春秋では特に31番から35番の独立監視機関についてのあり方を巡って、今回の国会審議を批判している。2年以上をかけて念密な審議を経たという、この『ツワネ原則』、凄い文書だなと思わずにはおれない。国家機密と知る権利・表現の自由のバランスと、いった重要な問題は、今回のようなわずかな国会審議でクリアできるような問題ではないとも思ってしまう。『ツワネ原則』の内容については、とても素人の私がコメントできるような内容ではない。興味のある方は是非、上記にアクセスしていただきたいと思う。ちなみに日経の春秋WEB版は以下のページである。

2013年11月27日水曜日

新聞VS南ア政府

南ア ズマ大統領
報道の自由を巡り、南アでも政府とメディアが激しく対立している。今日の毎日新聞朝刊の記事である。今年4月に南アでも「国家機密」を暴露した者に最長25年を科す情報保護法案が今年4月に国会を通過し、ズマ大統領が署名するか否かに注目が集まっている。この中で大統領私邸の写真報道は「法律違反」と発言したことに反発した複数の有力紙が一斉にこの写真を1面に報道したのだ。この私邸、安全面拡充の名目で多額の公金が使われたとの疑惑があり、南アメディアが追っていたといういわくつきであるそうな。国家安全保障相が「違法だ。」と発言したところ、有力紙タイムズは「じゃあ我々を逮捕せよ。」との大見出しを載せ、社説で「我々は写真掲載を続ける。止めることは民主主義の監視役という責務への背信行為だ。」と明言。政府は、「掲載自体は問題ないが、私邸の安全面の特徴を報ずるのは大統領のリスクとなる。」と、少しトーンダウンしているという。

開発経済学から見れば、メディアは、まさに複数政党制とともに、館力を監視する民主主義の重要な装置である。アフリカの諸国を民主主義という視点で見るとき、その報道の自由さが、ひとつの尺度とされている。

今回の南アの話は、決して他人ごとではない。日本の秘密保護法案もどうも不可解だ。妙に急いでいるのは何故なのか?何者かが蔭で動かしているような危うさを私は感じる。ネット社会におけるウィキリークスや元CIAの事件に関係しているのような感覚もある。誰しもが、ネットを通じてマスな情報発信力を持つ時代になったことを国家権力は危惧しているのではないだろうか。私の、この個人的なブログも、1日150~200人くらいの方の目にふれている。微々たる発信力だが、これまでには全く無かったものだ。国家によるピラミッド型の統制のコードが崩れ、リゾーム化しているのはたしかだと思う。しかし、それが法律で再構築されることが是だと言われると、なにか時代に逆行しているような気がする。その逆行の行き先が偏頗なナショナリズムであるとすると、恐ろしいことだと私は思っている。地球市民を育てたい私の想いとは全く対蹠的なベクトルだからだ。

今日が日本のカタストロフィー・ポイントとならないことを、まずは祈りたい。自由は責任ある行動を取れる個人が主体となって自ら勝ち取るものである。必要なら行動しなければならない、と思うのだった。

2013年11月26日火曜日

本校柔道部OB 溝内さんと対面

北海道では見れなったが、本校の桜は紅葉
昨日、念願かなって2011年12月3日付ブログにエントリーした本校柔道部OBの溝内さんとお会いすることが出来た。今回の帰国に合わせて2年生に是非とも講演していただきたかったのだが、ご多忙だったことと、修学旅行の日程が入ってかなわずだった。とはいえ、時間を割いて母校を訪問していただき、溝内さんの恩師・W先生の御好意もあって私にも会っていただけたというわけだ。

現在はタンザニアでJICAの調整員をしながら、研究を進めておられると言う。調整員という仕事は、JICA事務所とJOCVをつなぐ重要な仕事で、私もケニアやブルキナで何人かお会いした。そのかたわら、京大の大学院生として農村と都市の関わりについて博士論文を書こうとされている。グローバル化の波の中で、アフリカ特有の「情の経済」がだんだん薄れつつあるとのことだった。聞きたいことはいっぱいあったのだが、長く御引き留めするわけにもいかず、それでも30分ほどお話をさせていただいた。いやあ、嬉しかった。ついに念願かなったり、である。

なにより驚いたのは、現在ブルキナで調査中の荒熊さんとも飲み友達であるという事実を知ったことだった。アフリカ学会の交友関係はなかなか濃いらしい。もちろん京大の先生方や研究者の方々の話も伺った。私自身は、市井のアフリカ好きの高校教師にすぎないが、こういう交友関係(ダジャレではない。)の周辺に位置しているだけでも有為だと思う。

グローバル化がますます進展していくアフリカ。日本では伝えられない様々な貴重な情報も聞かせていただいた次第。来年夏にはまた帰国されるとのこと。是非とも生徒たちに溝内さんの生のアフリカの話を聞かせたいと思う。本校最強の国際理解教育だと思うのだ。

2013年11月25日月曜日

修学旅行余話 ホッケと近畿大会

昨日のエントリーで修学旅行の話は終わるつもりだったのだったが、少しだけ余話を。今朝、寿都の漁業組合から、漁業体験の際、生徒たちが開いたホッケの真空パックが送られてきた。放課後のSHRで配ったが、なかなか盛り上がったのだった。

左の画像は、書業組合の作業場で、一夜干しが開始されたところ。生徒たちがつくったホッケがくるくる回っているところである。

ところで、極めて本校の修学旅行らしい話を書いておきたい。今回の修学旅行で、柔道部の女子が一泊目の宿舎で夜と朝、練習をしていた。男子は試合を終えてから修学旅行に参加したのだが、女子はは帰阪後すぐ試合があり、しかも体重制限があって、好きなモノが食べられないという、厳しい修学旅行になっていたのだ。

ちょうど顧問のS先生も付き添いだったので、ロビーで共に練習。なかなか大変である。宿舎の方が、その姿に感激していただいたほど、打ち込みは早い。そんな努力が実って、近畿大会に出場することができたそうだ。よかった、よかった、というわけだ。

2013年11月24日日曜日

修学旅行 思い出にするなかれ

漁船乗船体験
本校の修学旅行の最大のヤマ場だった3日目について最後に述べておきたい。本校の修学旅行では、なにかしらのアクティビティが日程に入ることになっているらしい。今回は、酪農体験と漁業体験だった。
4か所に分かれて実施された酪農体験の方は私は行っていないのだが、付き添いの先生方に聞くと大満足の体験学習だったらしい。搾乳はもちろん、子牛に乳をあげたりする農場もあって生徒は大いに感激したと聞いた。昼食のジンギスカンも量が豊富でたいへん美味だったとか。

漁業体験の方は、一昨日の天候についてのエントリーでもふれたが、なんとか4回の漁船乗船体験も無事に行われた。この乗船体験、ガイドさんがなかなか楽しい方で、漁師さんらしく、飾り気のないコトバで生徒たちをグイグイ引っ張って行く。私が乗った時は、風が強く、しぶきが体中にかかったのだった。(それを見越してレインコートも着ている。)でも生徒にはそれが楽しく、おおはしゃぎだった。(笑)生きているホタテの殻剥き体験も、大阪では絶対体験できないものだったし、超新鮮な貝柱もヒモもすばらしく美味だった。ホッケを開く体験も、生徒たちは四苦八苦しながら楽しんでいた。一夜干しにして、それぞれ開いたモノを送付してくれることになっている。

寿都漁協の方々も、ホント素朴ですばらしい方々だった。こういう地元の方との触れ合いは修学旅行ならではだと思う。

さて、その夜は全体レクリェーションである。最後の宿舎は下見に行った我々が驚いたほどの豪華なホテルである。その食事会場が、レクの会場でもある。その会場を見た生徒たちも目を丸くしていた。ホントにこんなところでやっていいのかいな?という感じ。8F分くらいの吹き抜けになっている素晴らしい会場なのだ。

関西芸人の裾野 我がクラス代表の漫才
食事の後、いよいよレクが始まった。司会の漫才に始まり、各クラス対抗のゲーム、歌、ダンス。中でも俊逸だったのは、まずはダンス部の舞台である。全国大会に行くほどのキレッキレッのダンスに全員が盛り上がる。彼女たちは、この修学旅行中も自室でこそっと練習していたらしい。さらに「H1」(Hは本校の頭文字を意味している。M1をもじったのはさすがだ思う。)と銘打たれた漫才コンテストである。なんと7組も、このレクにエントリーしてきたらしい。担任以外の先生方の採点でチャンピオンが決定する仕組みだ。番号の札も生徒の自作。レクの準備は生徒自身の手で進められてきた。残念ながら、「H1」の方は時間がかなりオーバーしてしまい、帰校後、出来なかった3組の漫才は、LHRの時間を使って学年集会で改めてやることにしたのだった。前半戦に登場した4組の出来は、なかなかのもので、地元北海道の添乗員さんやホテルのスタッフも思わず吹き出しておられた。(笑)関西芸人の裾野は広い。

フィナーレ 修学旅行委員が前に並ぶ
最後は、男女の性別をひっくりかえした各クラス対抗のファッションショーと、「全力少年」の合唱である。全員が立ちあがってのフィナーレ。委員長のI君が、修学旅行委員の努力を称えた後、「素晴らしい思い出になった。」と叫ぶと全員が身体全体で答えた。

私は、フツーの修学旅行なら「思い出」でいい、と思うのだ。だが、彼らには来年の団活動で体育祭・文化祭のリーダーシップをとるという使命がある。時間が大幅に遅れてホテルのスタッフに多大な迷惑をかけてしまった。コーディネイターとしては、ずいぶん気を揉んだのも事実である。

この修学旅行での成功と失敗を「出発点」として大いに活かして欲しいと思うのだ。そう、人は石垣、人は城である。

2013年11月23日土曜日

修学旅行 カラオケとJR北海道

晴れ間の昭和新山
今回の修学旅行のバスは、「JR北海道バス」だった。実は、出発直前に、このバスにカラオケの設備がないことが判明して、ひと悶着あったのだ。今回の修学旅行は移動距離が長いので、カラオケは必需品であると私は考えていた。テーマ曲である「全力少年」の周知ということも念頭にあった。結局、旅行社が(後でわかったことだが、ジャパネット・タカタの一般に販売されているマイク型の)カラオケを全車に準備してくれた。これをモニターにつなぐ。全1000曲以上入っているので、バス内のレクとしては十分だった。

我がクラスでは、普段おとなしいY君が最初に『ヘイ・ジュード』を歌ってカラオケ大会開始。大盛り上がりであった。冊子になったインデックスを利用するだけではなく画面に映し出される曲目を追って、どんどん誰かが歌っていく。女子生徒はホント上手い。面白かったのは、O君という(軽)音楽部の生徒に知らない曲だろうと何だろうと歌わせるというシチュエーションだった。文句を言いながら彼はなんとなく歌うのだが、そのコメントが面白いので大ウケするのだ。初日は「やさいの歌」という童謡がとにかく凄かった。(笑)二日目は、ハングルの曲を誰かがリクエストして、それをO君が無理やり歌うのだが、なんとも可笑しい。同乗していた写真屋さんやガイドさんも腹をかかえて大笑いしていたのだった。私も、3回ほど歌った。北海道と言えば松山千春ではないか。「季節の中で」「大空と大地の中で」、そして札幌と大阪を結ぶ「中之島ブルース」である。(笑)生徒は知らないらしく、しかもあまりにも上手くてウケはもうひとつだった。(笑)とにかく旅行社の努力は十分報われたのだった。

JR北海道バスに乗り込む(ニセコ)
さて、JR北海道バスは、普通のバスより移動速度が遅いようだった。旅行社の想定をかなり下回るようで、行程に遅れが出てしまうのだ。その度に風呂や食事の時間変更が必要になる。どうも、このところのJR北海道の事故や不始末に関係しているらしい。ちょっとしたスピード違反などでも通報があったりするので、つい慎重な運行になっているのだという。親会社はJR北海道でもバスはバスで別だと思うのだが、それほど道民の怒りは強いのだろう。

では、JR北海道バスはダメだったのかというと、私の評価は反対だ。運転手さんもバスガイドさんも一生懸命に丁寧な仕事をしてくれた。なにより生徒たちを愛してくれていたと思う。コーディネーターとして、何度か他号車の運転手さんやガイドさんとも接したが、皆さん純朴で気持ちのいい方々であった。結局は人は石垣、人は城である。

私は今回の修学旅行がJR北海道バスでよかったと心から思っている。頑張れ、JR北海道バス。