2013年12月27日金曜日

敦賀へ。(後編・敦賀ムゼウム)

敦賀ムゼウムの概観
昨日に続き、敦賀の話。今回の河豚ツアー、の第二の目的は、敦賀ムゼウム訪問である。昨日も書いたが、ムゼウムというのはポーランド語で資料館という意味らしい。ムゼウムというポーランド語がついているのは、1920年にシベリア動乱で家族を失ったポーランドの孤児たち約400名が敦賀に来て赤十字に救われたところから来ているようだ。よく考えるとムゼウムって、museumの完全なるローマ字読みである。(笑)

ポーランドの孤児たちに続いて、1940年(昭和15年)から翌年にかけて、有名なリトアニア領事館の杉原千畝氏の発行した日本の通過ビザを持ったのユダヤ人が敦賀にやってくるのである。新聞記事によって異なるが、最大6000人のユダヤ人がシベリア鉄道と 定期船(天草丸)で敦賀に来航したようである。多くのユダヤ人は、その後神戸や横浜経由でアメリカやカナダ、オーストラリアへ脱出した。中には着の身着のままで敦賀に到着したユダヤ人もいたようで、神戸ユダヤ人協会やアメリカのユダヤ人協会の援助を受けながら、敦賀で時計を売ったり、無料の公衆浴場で風呂に入ったりした人もいた。またリンゴやバナナを送った敦賀の果物商もいた。ナチスドイツと三国同盟を結んでいた当時の日本ではあるが、敦賀の一般の人々は、多少しへっぴり腰ながら、ユダヤ人に十分人道的な対応をしていることがわかったのだった。

館内で福井放送製作のビデオを見た。なかなか見ごたえがあったのだった。さらに、受付で新書を購入した。「命のビザ、遥かなる旅路/杉原千畝を陰で支えた日本人たち」(北出 明著/交通新聞社)この本の内容については後日。

いやあ、小さいけれど、なかなかいい資料館だった。受付で伺うと、資料には著作権のこともあるようなので、ムゼウムの概観とビデオライブラリーのトップ項目だけ撮影しておいた。ユダヤ問題に興味のある方にはかなりお勧めである。
http://www.tmo-tsuruga.com/kk-museum/

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