2012年5月31日木曜日

日経のエッセイ「れんこんの穴」

モーニングで今日も日経を読んでいたのだが、最後のエッセイが面白かった。某企業の社長さんの寄稿だった。およその内容を伝えたい。

この社長さん、ガールフレンドでもなかった中学校の同級生である女性と今でも付き合いがあるのだという。名前もフルネームで出ていたので、どんな有名人なのかと思いきや、ある中学校の購買部のオバサンを長く務めている方で、誰よりもその中学校のことを知る「影の校長」と呼ばれているらしい。同窓会の幹事も常につとめていて、要するに世話やきのオバサンらしいのだ。社長が、アメリカに赴任した時、他の女性の同窓生2人とともにやってきて、ショッピングで英語も使わずまけさせたという武勇伝も載っていた。

その方から、社長に就任して以来、毎年れんこんが送られてくるのだ、という。「社長になったんだから、先が読めないと…。」という意味らしい。たしかに、れんこんには大きな穴もあるが、小さな穴もある。社長は、そういう小さな穴も見通すことも大事だと思っている。というようなエッセイだった。

面白かった。大企業の社長が、知人とはいえ一般庶民のオバサンの箴言を大切にしていることが凄いなあと思うし、こういう人って素敵だなと思うのだ。

先を読む。…重要なことだ。厚生労働大臣が、某有名芸人の母親の生活保護の報道を受けて、親族が扶養できる場合、生活保護を打ち切る方向性の通達を出したおかげで、各地方自治体の現場はパニックになっているという。どこに親族の収入を調査するだけの人員がいるのだろうか。その説はごもっともとしても、現場のことをちょっと落ち着いて考えればわかる話ではないか。最近公務員に対して、ヒステリックなまでに攻撃が加えられているように思う。社会の閉塞感が生んだものかもしれないが、攻撃を加えられている側はたまったものではない。

まして、特別支援の必要な児童・生徒への科学的な認識が全く欠如した条例を押し付けようとした輩に、公立学校の教師は公務員である、特別視しないなどと言われると、門外漢の私でも、基本的な法律論を出して反論したくなる。我々は、教育公務員であって、単なる公務員ではない。たしかに地方公務員法の適用はうけるが、教育公務員特例法によって、その職務と責任の特殊性に基づき様々な規定を設けられているというのは常識だ。また7つのラッパ(昨日のエントリー参照)がなっている。どこまで、教師の尊厳をふみにじるのだろうか。それがどういう結果を生むか、先のことを読んでいるのだろうか。私は甚だ疑問に思う。

じっくりと穴を見つめて、れんこんを食べるべき時であろう。

2012年5月30日水曜日

大阪の公教育の黙示録

ヨハネの黙示録
特定される恐れがあるので、Aさんとしておこう。小学校の教員希望の女性だ。彼女から教員採用についていろいろと相談を受けていた。「兵庫か奈良か京都にしたら。」というのが私のアドバイスだったのだが、結局大阪市に願書をだしたらしい。「ちょっと後悔してるんです。」これが彼女の率直な気持ちだという。教員採用試験は、キラキラと目を輝かせて受験して欲しい。私は心の奥底からそう思うのだ。

今朝の毎日新聞の朝刊にも朝日新聞の朝刊にも、大阪の教員志願者数が過去最低であるとの記事が載っていた。
http://mainichi.jp/select/news/20120530k0000m040073000c.html
http://www.asahi.com/national/update/0529/OSK201205290043.html

3月30日付のブログで、朝日新聞の小さな記事についてエントリーした。採用辞退者が過去最高だった件だ。それに続く志願者減の話となる。

私は、大阪の教育現場に、7つのラッパが次々に鳴っているような気がしてならない。
苦悶しながら、教員採用試験を受験する若い人たちがいる。あきらめた人も多いのだろう。大阪の教員のすそ野がどんどん狭まっていく。そして大阪の教育力は弱体化していくに違いない。

これが「民意」なのだろうか。

2012年5月29日火曜日

国会原発事故調とニヒリズム

Oliver Cromwell
このところ、国会原発事故調査委員会が開かれ、3.11当時の菅内閣の関係者の参考人招致が行われている。要するに、一国の想定外の危機にあたって、全く経験不足の政治家が対応しきれなかったという話だった。政治に対するニヒリズム(ここでは、ニーチェのキリスト教否定という意味ではなく日本的な解釈の虚無主義的な意味としたい。)ここに極まれりという感じなのだ。

私は、中選挙区制が小選挙区制に変わった時、金権選挙や族支配、派閥政治などのデメリットを払拭するものと考えた。たしかに、選挙費用は地域が狭くなった分、減少したと思うし、自民党の派閥力学が大きく変化した。派閥のボスが選挙費用と役職で子分を増やし、自民党総裁をめざすというベクトルは消え去った。だが、一方で陣傘(新人)から常任委員会の理事、自民党政治調査会部会の理事、各省の政務次官(今の副大臣)などを経験して、一歩一歩各省庁の政策を学び、人脈を広げるといった政治家の「学び」も無くなった。これらをバックアップしてくれる派閥が無くなり、小選挙区の候補となるのは党の中枢の覚えがめでたくなければいけなくなり、無難な発言を繰り返すことになる。自民党でさえ、こんな状況になった。政治家が力がないと批判されるようになったわけだ。民主党の方は、そういう「学び」なしに、野党から一気に政権をとったわけである。言わずもがなであろう。

こうして冷静に見てみると、私は小選挙区制のデメリットは、メリットより大きいのではないかと思うのである。政治家は政治家なりの「学び」がある。たしかに多くの問題はあるが、ここまで政治家の信用がなくなったのは、小選挙区制の弊害であると言えないだろうか。ましてや、首相公選制度をや。知名度のある素人が首相になるような制度は危険だ。

今、クロムウェルの教材研究をしているのだが、鉄騎隊で議会派を勝利に導いた、その熱狂を独裁政権に変え、彼が行ったのはアイルランドの征服である。ピューリタン的な独善主義(今ならナショナリズムかな。)は極めて危険である。

もういちど中選挙区制にもどして、切磋琢磨して本格的な政治家を育てることのほうが、はるかに現実的な道のような気がするのだが…。

2012年5月28日月曜日

地球の歩き方 イスラエル

沢木耕太郎の「貧乏だけど贅沢」(本年1月13日付ブログ参照)に、井上陽水の贅沢な旅の話が出てくる。成田空港へ、ぶらっと行って、出発便の掲示版を見ながら、「さて、どこへいこうか。」とつぶやき、その場で航空券を買って旅に出るのだという。

貧乏リーマンパッカ―(給与生活者のバックパッカーの意)には、想像すらつかない話だ。うーん、でも一度はしてみたいよなあ。さて今回のイスラエル行については、結局息子に航空便の手配を頼んだ。私が日本で手配した大韓航空便より、ロンドンの航空会社の方が少し安かった。少しでも安く行きたいという欲望は、バックパッカーのソウルである。だが私のあまり好まないキャセイ便になってしまった。(KLMよりはマシか…。)そう、バックパッカーは1円でも安くするために念密に計画を練るのだ。これも一種の贅沢である。これはこれで楽しい。

問題はホテルである。エレサレムのホテルはわりと高い。地の利を活かして、これも息子に頼んだが、「近くで安くていいのがない。ドミ(ドミトリー:ベッドだけ借りて、一室に多くの客が宿泊する形式)になるかも。」おいおい。私はともかく妻にはきついぞ。
そんな中、今日息子からメールがあった。息子夫婦の近くに住む友人のおばあちゃんが泊めてくれることを快諾してくれたらしい。だいたい息子夫婦とともに行動することになるので近いのはありがたい。「で、宿泊料は?」「無料。」「…。むりょう?」「スウェーデン系のユダヤ人のおばあちゃん。」「英語は?」「英語もスウェーデン語もハンガリー語もできる。」「うーん、ユダヤ人らしい話だ。」おばあちゃんは、あまりシナゴーグにもいかない人らしい。「?」息子夫婦の下宿のオーナーは正反対で、かなり律法に忠実らしい。いろんなユダヤ人がいるようだ。楽しみである。このことを話すと、妻は「ウルルン滞在記やな。」(笑)

と、いうわけで、航空券と泊まるところは確保した。行程については息子が考えてくれるのかと思いきや、「地球の歩き方でも買って、行程表を早く送れ。」とのこと。昔は念密な計画を立てた。特にNY行では、各博物館の定休日を一覧にして地下鉄のルートも全て考えて完全無欠の行程をつくったものだ。このところ、アフリカ行が多く、そんな行程は無意味なので「いきあたりばっ旅」に徹してきた。念密な計画を立てるのは久しぶりである。これはこれでやはり楽しい。

というわけで、amazonで「地球の歩き方・イスラエル最新号」を注文したのだった。

2012年5月27日日曜日

7月の研究大会プログラム

埼玉大学
金曜日、大山から帰ると、国際理解教育学会から封筒が届いていた。第22回研究発表大会のプログラムである。今年は7月15・16日(日・祝)で埼玉大学で行われる。今回も研究発表は午前中である。私は第7分科会であった。ピーター会(JICAのケニア研修旅行)の仲間で、親しいN女子大付属のM先生が第二司会に入ってる。いつも同じ時間に発表が入っていたり、司会があたっていたりするので、「毎回私の発表が見れない。」と言っていた。私としては歓迎するとともに、ちょっと気恥ずかしい思いがする。(笑)学会の研究発表は、できるだけ同じカテゴリーで分科会をくくろうと、実行委員会のほうで毎回苦労されているようだ。私の分科会は「現場での実践報告」といったところだろう。今回は東京近郊ということもあって、研究発表参加者が多い。私の発表時間は、めずらしく初日の午前中に設定されていた。(これまでは毎回二日目だった。)

ちょっと同じ分科会の発表のタイトルを並べてみる。( )は発表者の所属である。
「私たちにとって希望と平和とは?-ザンビアと日本をつないだビデオ製作プロジェクト-」(神奈川県立A高校)
「多文化共生する定時制高校の課題と可能性-日本語指導が必要な外国人生徒をめぐる構造の検討-」(T大学大学院)
「高校における国際理解教育の実態について」(大分県O中学校)
「現代社会の授業にける多文化共生の試み-マジョリティ側の生徒の変容のために」(神奈川県Y総合高校)

ちなみに、同時刻の第4分科会の発表は「原発問題」が主なテーマになっている。翌日の第8分科会では、知人の大阪府立の社会の先生方2名が、それぞれ「スタディツアー」について発表される。もちろん、私の分科会の司会のM先生も、翌日、「小学校外国語活動から中学校英語学習へ-地球市民の基礎づくり-」という大きなテーマで発表するようだ。シンポジウムでも発表したり、特定課題研究でも発表するみたい。理事として大いに頑張ってるなあ。

というわけで、明日には研究発表の抄録原稿を送付する予定。悩みに悩んで書きあげたのだった。

2012年5月26日土曜日

ハーレー・ダビットソンの心意気

Harley‐Davidson Museum
先の大震災の津波で流され、カナダ沿岸に漂着したハーレー・ダヴィットソンが、ハーレー社のミュージアムに展示されることになったらしい。ハーレー社が完全に修理して、所有者に戻しましょうかと言ったことも嬉しいが、日本の所有者が震災で亡くなった方々の追悼の意をこめて保存してもらうよう要請したことも、なんか嬉しい。

ハーレー・ダヴィッドソンのミュージアムは、本社のある私の大好きなウィスコンシン州ミルウォーキーにあるそうだ。そこに現状のまま展示されるという。私は原付しか運転免許がないので、ハーレーは憧れでしかない。ハーレーのオーナーを見ると羨ましいし、日本でつるんで走っているのを見るとハッピーな気分になる。でも、最も似合うのはやはりアメリカだ。サウスダコタで、あるいはアリゾナで、ハーレーをたくさん見た。なかでも、ワイオミング州には、ハーレーのオーナーにとって有名な町がある。スタージスという小さな町なのだが、バイク屋がたくさんあって、何故かと聞くと、毎年この町に全米からハーレーが集まってくるのだと言う。ここから、マウントラッシュモア(岩に4人の大統領の顔を彫刻した民主主義の神殿)、デビルスタワー(映画「未知との遭遇」で有名になったマグマの塊)へむけて、何百台というハーレーがつるんで走るんだそうだ。きっと壮観だろうなあ。

そんなハーレー・ダヴィットソン。私にはオーナーの友人が2人いるが、いつもピカピカに磨いている。太平洋を渡ったハーレーは、そんなピカピカのハーレーの中でひときわ目立つだろう。震災を忘れないためにも、そのまま展示してもらうというのは素晴らしいアイデアだと思う。ニュースでは、所有者と発見者もその展示開始の際、招待されるのだという。ちょっと商業主義的だが、根本に流れるお人好しのアメリカ風の『心意気』がそこにあると私は思うのだ。ハーレー・ダヴィットソン、万歳だ。

2012年5月25日金曜日

HR合宿 IN大山 なのだ。

雪渓の残る大山
さきほどHR合宿から帰ってきた。なかなか意義深い合宿だった。スケジュールは極めてシンプルである。目的地大山は大阪からは中国道を走るのだが、かなり遠い。4時間以上かかる。昼過ぎに到着して、大山の登山。もちろん頂上までいくわけではないが、なかなかきつい。風呂の後、夕食、その後オリエンテーション・プログラム(今回は校歌の練習と校歌のクラス別合唱コンクールである。)、翌日は朝食後、近隣のりっぱな体育館で、生徒の企画・運営によるレクリェーション大会。(大縄跳び・4人5脚競争、ドッジボールである。)昼食をとって、大阪へ向けて中国道を引き返す、というものだった。

本校に入学して2カ月もたたない1年生だが、体育科・武道科は3年生徒のキャンプでかなり本校イズムみたいなものを注入されている。礼儀はもちろん、常に個々人がリーダシップを発揮するように、また作業を頼まれることに文句を一切言わず、ハイと笑顔で引き受けるといった、かなり体育会系のスタンスである。彼らに普通科も引っ張られていくのだが、大いに感心することばかりだった。今回のHR合宿も、まさに生徒が企画・運営を行う。もちろん教員の指導が入るのだが、私の想像していた以上に生徒は全面に立って頑張っていたと思う。これが、入学して2カ月の生徒とは全く思えない。マイクなどなくとも、自然に静かになり、指示や説明を聞いている。もちろん全てが全て満足というわけではないが、我が生徒ながらたいしたものだと思うのだ。

さて我がクラスのことを少し記しておこうと思う。普通科の中ではかなり体育系で元気なクラスである。おそらく最も普通科の中で最も早くHR合宿に適応したと思われる。長いバス車中。高速に入るやいなやカラオケ大会となった。今の観光バスはかなり進んでいて、本物のカラオケより曲数は少ないものの十分楽しめる。私の知らない歌がバンバン出てきて面白かった。男女ともノリがいいので大いに盛り上がったのだった。(私も歌わされた。笑)ビンゴ大会も、同じ画面で可能だった。全くびっくりである。生徒がばんばん進めてくれるし、なかなか楽しい。ホテルに到着する前にクラスで大合唱になったのは、『アンパンマンのうた』と『ドラエもん』だった。(笑)
みんなで創った「大縄跳び」
しかしながら、校歌の合唱コンクールも、レク大会もなかなか結果が出せなかった。大縄跳びも練習で1回飛べただけで、みんないろいろと作戦を練ったり、意見を出し合いながら頑張っていた。結局本番では3回飛べたのだが、ドッジボールも含め、上には上がいて総合で8クラス中7位という惨憺たる結果だった。私は、「まあ、見ていろ。1組はこんなもんじゃない。」と思っている。文化祭でリベンジするのだ。解団式の後、そんなことをつぶやいていると「文化祭でリベンジ。」と何人かが反応してくれた。ふふふ。マイナスをプラスにかえるのだ。

2012年5月23日水曜日

シミュレーション能力を高める

明日行く大山のホテル
明日から大山で1年生のHR合宿である。中間考査を3日間で行った関係で、かなり窮屈な日程である。私自身は昨日3年生の世界史Bの答案が3冊、今日1年生の現代社会が4冊あがってきた。できれば、合宿前に全部採点しておきたいところ。結局、1冊残してしまった。月曜日からの授業の準備もしておかなくては。…と怒涛の前進だった。もちろん、HR合宿の準備も…。

さて、明日からのHR合宿に向けて試験終了後、LHRでうちのクラスにこう語りかけた。「明日からのHR合宿は大いに楽しんでくれればいい。うちのクラスのテーマは、シミュレーション能力を高めること。自分が今なにをしなければならないか、しおりを熟読して自分自身で判断し、TPOに応じた中庸を貫くこと。」かなり高度な注文だが、高校生として必要な自覚だ。アリストテレスの哲学を学習し、試験を受けた直後なので、理解しやすいはずだ。生徒もウンウンと頷いていた。

ところで、先の金曜日、本校の歓送迎会が梅田であったのだが、帰りに酔っぱらってこけてしまった。その時しこたま左足のひざを打った。打撲よりも擦り傷が痛くてたまらない。傷をかばっていて、今度は左足腰が痛くなってしまった。階段がつらい。無理せず、自然体で生徒を見守って行こうと思う。

2012年5月22日火曜日

新自由主義がアフリカ農業に牙

「資本主義のシステムそのものには、自力で均衡に向かう傾向はない。資本の所有者は自分たちの利潤を最大にしようとする。放任しておいたのでは、彼らの資本の蓄積は、事態の均衡が崩れるまでつぢけられる。」これは、今私が読んでいる佐藤優の『帝国主義の時代をどう生きるか-知識を教養へ、教養を叡知へ』(角川oneテーマ21)に出てくる引用である。(P101)
誰の引用だろうか?マルクス?フランシス・フクヤマ?それとも宇野弘蔵?いえいえ、私もびっくりしたが、ジョージ・ソロス(超有名なアメリカの投機家:出典は『グローバル資本主義の危機-危ぶまれる開かれた社会 1998年』)なのである。

WEBでアフリカの情報を検索していたら、思わず「あかん、あかん、こんなことアフリカでしたらあかん。」と叫んでしまうようなページに出来くわした。AGCOという農業機器の会社が先日紹介した、アフリカの食糧危機を改善するために世界銀行経由で出資するぞぉと言っていたG8(5月17日付ブログ参照)で、プレゼンした内容が書かれていたのだ。<勇気のある方は是非読んでみてください。>
http://www.zaikei.co.jp/releases/45129/

吐き気をもようすようなプレスリリースだ。南アはともかく、ザンビアやエチオピアでこんな農業をやったら、多くの人々が新自由主義の波に巻き込まれ、次々と溺れていくことは間違いない。土地を失い、現金収入の奴隷になってしまう。彼らの育んできた「アフリカの生業」「アフリカの知」が効率性の名のもとで死に絶えていく。

佐藤優は、引用の後、こう書いている。『ジョージ・ソロス氏の指摘は正しい。新自由主義の病理に社会が汚染しつくされないようにするためには、国家による「政治的な介入」が行われなくてはならないのです。』
ここで佐藤優に国家と名指しされているほどの力をアフリカの政府は持ち合わせていない。世銀の言いなりになってはいけない。目先の援助にくらいついてはならない。焦らずじっくりと取り組むべきだ。私は声を大にして言いたいと思う。

2012年5月21日月曜日

日経「日本は南欧化するのか?」

世は金環日食一色である。大阪は7:28がその時だというので、早めにモーニングを切り上げて、学校近くのローソンに向かった。時間切れで読み切れなかった日経の記事が気になったので買うことにしたのだ。すると、オーナーを始め近隣の方と本校の生徒が観測をしていた。(笑)「先生も使ってください。」と観測メガネを渡してもらえた。ちょっと曇っていたので肉眼でも見えた。ローソンで会った生徒とワイワイ言いながら登校したのだった。こういうの、いいよなあ。

さて、本題の日経の記事である。私の大好きなコラム「経済教室」、比較制度分析が専門の鶴光太郎慶大教授の「日本は南欧化するのか?」というタイトルである。G8の論議でもそうだが、財政健全化と社会保障費を中心にした歳出の増加の二律背反に悩んでいる先進国の構造を、この記事は見事に分析していた。
『共に大きな政府が志向されるのに、なぜ北欧と南欧では財政健全性に大きな違いがあり、英米などアングロサクソンの国では小さな政府が志向されるのかを統一的に理解する枠組みが必要になる。』フランス人の研究成果をもとに、鶴教授は、以下のように分析する。

福祉国家を考える場合、国民の公共心が重要である。公共心が高いということは、脱税や社会給付の不正受給などをしないことを意味する。国民の公共心が高ければ公務員も汚職や不正をせず、透明性が高く効率的な政府が構築されやすい。周りに公共心が高い人が多いと考えれば高い税負担とそれに応じた社会給付を受け入れる。一方、公共心のない人が多い場合、公共心のある人よりさらに強く再配分政策を求める。税負担を逃れながら給付の恩恵にただ乗りするからである。すなわち、国民の公共心の高さと再配分への支持(福祉国家の規模)は単調な正の関係ではなく、『まじめな国民・公務員が多いため、大きいが効率的な福祉国家』と『不正を働く国民・公務員が多いため大きく非効率的な福祉国家』の2種類が存在することになる.。前者が北欧・オランダといった諸国で、後者が南欧(フランス・イタリア・スペイン・ギリシア)の状況である。次のような面白いグラフが載っていた。(これが欲しくて、わざわざ買ったのだった。)

アングロサクソン諸国は、公共心の高さが中程度で国民の再分配への支持は相対的に弱く、小さな政府が志向されるらしい。実は日本もこのグループに入るのだ。これらは、「文化」的な問題なのかという疑問が起こるが、別の調査によると、欧州の移民の第一世代は出身国の影響が強いが、第二世代は地域に適応するらしい。要するに公共心は文化の影響だとはいえないらしい。では日本はというと、過去25年間ほぼ公共心の高さは先進国では中程度。しかしながら、90年代以降、政治家・政府霞が関・公務員への不信感がアップしている。「南欧化」は決して文化ではない。このまま、政治不信・公務員不信が続くと財政破たんへと進むというのが結論だった。
なるほど。90年以後自民党で首相交代が続き、民主党が政権を取ったものの、素人集団が官僚排除を行い、政府の威信は地に堕ちてしまった。今や公務員を攻撃することが流行にまでなってしまった。こんなことをやってるとますます「南欧」化していくよなあ。

2012年5月20日日曜日

ラグビーの試合に行ってきた4

高校ラグビーの聖地・花園
本校のラグビー部が、シード校決定戦まで勝ち進んだので、『花園』で試合をすることになった。高校ラグビーの聖地「花園」である。と、いっても、いわゆるメインスタジアム横のグラウンドなのだが…。それでも本大会でもTV中継されるトコロで試合。これは、万難を排して駆けつけなければ。(実は私は初めての花園である。近鉄東花園駅を降りて、ちょっとテンションが上がる。)

相手は同じ大阪市立のM工業高校。強豪であり、古豪である。いつもいっしょに観戦している事務のY先生に、「M工は体格が良いですねえ。」と言うと、「公立にしては、いいほうですね。私学などでは、体重を増やすための合宿なんかして、一気に10kg増やすとかしてるみたいです。」…その10kgは私のような脂肪ではなく、筋肉なんだろうなあ。

M工は、その重量フォワードをうまく使ってきた。モールに持ち込んで、ボールをキープしている選手をフォワードが押しこんでいく。どちらかと言えば、本校のラグビー部の持ち味は、バックスのスピード勝負なので、こういう展開は分が悪い。モールの押し返しに人数を集めると、左右に展開されてトライされてしまう。オイオイ、押されてるぞ。と言う間にそのまま押し切られトライされてしまった。この調子で、大差がついて負けてしまうのだろうか。以前60点差をつけられたとも聞いている。ところが、本校が主導権を握ると、スピードのあるバックスがうまく斬り込んでいき、トライ。混戦でもうまくボールをつなぐのだ。1年前、私学のD高校にボコボコにやられて1トライも奪えなかった頃とは違う。あきらめない。ついにハーフタイム前には同点に追いついた。取られたら取り返す。いいぞ。

しかし、後半こそが凄かった。例のモールで押し込む戦術で2トライを奪われてしまったのだ。しかし本校も必死で攻め続ける。ゴールラインまであと少しというところで、大混戦となった。ラックからボールを繋ぎ、つぶされ、辛抱し、またラック。ホイッスルは全然鳴らない。ひたすら本校が攻め、M工が守る。ラックの後方、ゴールラインにはゴールを死守すべくM工の生徒が低い体勢で構えている。そこに何度も何度も攻めていく。まるで、ギリシアの重層歩兵のような戦いだ。5分ほど、こう着状態が続いた。Y先生は「ここが勝負どころです。点が入れば、こっちにゲームが動く…。」と解説していただいた。わかる。ここで入れるかどうかだよなあ。ところが、鳴ったホイッスルは、無念にも「M工ボール」だった。(どういう状況かはよくわからなかった。)

あれだけ攻めたのに、ついに守りきられたのだった。その後も本校フィフティーンは、集中を切らさず頑張ったのだが、結局24対12で敗れてしまったのだった。

キャプテンのK君が、応援してくれた皆さんに挨拶した後、凄い表情で座り込んでいた。悔しいのだろう。そして、次に自分たちが勝つために何をすべきか、キャプテンとして深く考え込んでいるように見えた。いいぞ。キャプテン。私は、自分の教え子に、またひとつ大事なことを教えてもらった気がする。

公開講座追記:金子先生の真意

このエントリーは、昨日の公開講座の追記である。とともに、今夏の国際理解教育学会での研究発表の最も重要な部分の考察でもある。長らく考えてきたことが、昨日金子先生に質問した際はっきりしたのだ。(昨日のブログをまだ読んでいただけてない方は、是非お読みください。)

これまで私は、アフリカを主に社会科学的に見てきた。開発経済学の視点である。これは、経済学的な視点(1人あたりのGDPや経済成長率、ジニ計数などという数値的な分析が主になってくる。)と、政治学的な視点(紛争やガバナンスなどの政策的な問題が多い。)が、単に経済、単に政治として分けて論ずることが不可能になってきている。たとえば、最近のデータでは、経済成長率が大幅に上がってきている国が少なからずある。これは多くの場合、鉱産資源が発見され、生産が始まった故という場合が多い。当然1人あたりのGDPも向上するのだが、実際にはガバナンスが悪く、レントの恩恵が貧困層まで行かない場合がほとんどである。「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストv5.01」を作成するにあたって、この経済・政治を縦軸・横軸(第一の視点・第二の視点)として整理して解説したいと思っている。これは、アフリカ諸国それぞれの多様性を認識しながら、「脆弱性」を示すものとなるはずだ。

しかし、こういった数値で表現できる部分だけでは、アフリカを語れない。第三の視点は、「アフリカ=経済的貧困・紛争多発」といった見方からの脱出である。このテキストはESDのためのものである。開発教育が、単に南北問題の土俵で先進国からの上から目線の再構築をするようなものであっては断じてならないと私は考えている。

昨日の金子先生の発表は、まさにそういう意味で大きな勉強になったのだ。エチオピアの辺境に住む被差別的な社会集団の女性たちが、近くにある粘土を掘り返し、それを手仕事で日用品としての土器を焼く。(野焼きである)それぞれが専門職的なスキルを持っていて、多様な土器をつくっている。彼女たちは、客に自分の土器を売り込んだりしない。客が自分の望むものを見極め、使い方を誘発する(女の子が作った小さな土器をバターをかけるのに使うといった、新しいイメージをもたせる)場合もある。これらの土器の値段は3ブル(15円)~20ブル(100円)、市場の屋台のインジェラが1枚1ブルという物価を鑑みて、一人前でも50ブルくらいの収入である。

マクロな開発経済学からは、インフォーマルセクターの一種、市場経済の隙間くらいにしか認識されないかもしれない。しかし、この土器づくり、金子先生のコトバを借りれば『身体の動かし方』こそが、アフリカの生業なのだ。この地域にもプラスチック製や金属製の中国製品の鍋などが出回っているそうだ。多くの人は所持しているらしいが、土器の購入は決して減少しているわけではないそうである。グローバリゼーションの周縁に位置するとはいえ、着実にその波は押し寄せているのだ。だが、彼らは、土器を必要としている。社会科学的な分析を越えた、人文学的な世界。欧米的な効率性が通用しない世界。そういう世界が、アフリカにはまだまだ多く存在している。言い換えれば、我々が「アフリカに学ぶ」べき世界なのだ。

小川さんのマチンガ(路上商人)も、公開講座で知り得た牧畜民の知恵や焼畑農民の知恵、あるいは都市ゴミをまく農法など、多様な地域研究の成果は、まさに第三の軸であり、「アフリカの知」ともいえる。私がアフリカの現地で見た様々な生業。彼らはそれを「あたりまえのこと」として、生きている。このアフリカの人々のパワー。これを抜きにアフリカの豊かさを語れようか。

金子先生は、この土器の世界を講義でうまくグラフ化されていた。講義後金子先生にぶつけた最後のコトバの真意とは「こういうことですか?」と私も、グラフ化して表現した。それが、今日の画像である。X軸・Y軸の二次元ではなく、「人文学的なアフリカの知」のZ軸を加え三次元で表現したのだった。

金子先生は、「…そうそう。」と笑顔で頷いていただいたのだった。

2012年5月19日土曜日

京大アフリカ研'12公開講座5月

五月晴れの京大稲森財団記念館
朝、妻とともにH城鍼灸院に行って1週間の肉体メンテナンス。さらにNクリニックで、採血して1か月分の薬をもらい、枚方市駅近くでランチ(今日はお好み焼き・鶴橋の風月の支店)してから、京都に向かった。今日は文字どおりのサツキ晴れである。さわやかだ。

京大のアフリカ公開講座、今日のテーマは「手仕事の世界に出会う」である。金子守恵助教のエチオピアの南部、ケニアとの国境に近いアリの人々の話である。新しくセンター長になられた木村先生が金子先生の紹介をされていた。「文化人類学では、方法論が難しい。特に計量的科学的分析というのは、なかなか難しい。金子先生は、その辺をうまく記録した研究者ですよ。」という紹介だった。

金子先生は、実にさわやかな方だった。説明がうまい。澱みなく、おそらく100言いたいことのうち、10くらいにまとめる苦労を厭わず、懸命に語っていただいた。最後まで立ったまま話をされたのは、これまで私が参加した講座の中では初めてではないかと思う。その誠実さと十二分に整理されたパワーポイントにも、先生の意気ごみを感じた。

実は、正直に吐露すると、今回の講座は、アフリカ好きの私にとっても最も属性のうすい話であった。土器の話なのだ。私はアフリカ美術大好き人間だが、生活用品としての土器づくりの話かあ…。ところが、これが面白いのだ。アリの人々は、ティラと呼ばれるつぼ型の土器を始め、お鍋型のディスティ、皿型のアクシャ、コーヒーを沸かすためのジャバナなどの土器(かなり販売価格は安い。)を女性が作っているのだが、かなりディープな話だったのだ。
金子先生の著書
アリの人々の台所には、様々な大きさのティラが壁に掛けられている。葬式など儀式の際に使うコーヒー用の小さなもの、夫婦2人で楽しむもの、家族で食べるエンセ―テ(重田先生が研究されているバナナ科だが、デンプンがとれる)用のもの、大勢の客人が来た時のための大きいものなど、家庭の生活スタイルによって違うのだそうだ。金子先生は、7世帯の所有する高さと最大円周を調べ、グラフ化したうえで分析されていた。(木村センター長が言われていたのが、こういう分析力だと思う。)一方、ティラをつくる職人側からの分析もグラフ化されていた。1人の職人が、どんなティラを作るのか。コーヒー用、キャベツ用、エンセーテ用(小)と(大)、タロイモ用と、しだいにサイズが大きくなるのだが、その誤差はかなり小さいことがわかる。なかなか面白い。

さて、アリの人々の中では、農業を行う「カンツァ」と呼ばれる人々と、ものづくりを行う「マナ」と呼ばれる人々の2つの社会集団に別れているらしい。インドのジャーティ(職業的な身分階層)に似ていて、この両者は食事を共にとらないし、婚姻関係も結ばない。土器をつくるのは、マナの「ティラマナ」と呼ばれる集団の女性に限られる。若干カンツァからは、差別的な扱いを受けているようだ。しかし、彼女たちは、同時に、畏敬されている。赤く(丈夫である証拠である)、購入者にとって買いたくなるようなちょうどよい大きさのもの(「マルキ」と呼ばれる良いモノ)をつくる職人は、「手(アーニー)のよい職人」と呼ばれ、その技を評価されるのだ。この後、金子先生は、様々な職人のライフストリーを語り、彼女たちが、自分の「手」にあわせながら、それぞれ自分のライフスタイルをつくりあげていることを語った。

ところで、この地域、プロテスタント信仰(ペンテコステ派らしい)が浸透してきたという。前述のアリの社会集団の垣根が徐々に崩れつつあるという。(ちなみにエチオピアといえばエチオピア正教のイメージが強いが、全国統計では30%ほど、イスラムも30%らしい。アリの人々のうち、マナは約90%、カンツァは約80%がペンテコステ派らしい。)

レジュメに金子先生は、「今後、出会いで続けていきたいこと」として、こう書いてい織られた。『「手仕事の世界(半ば閉じられた生活空間での生業活動)が維持されているからこそ、多様なつくり方が許容されるのか?」という問い。』…ディープなコトバだ。と私は思った。幾通りにも読みとれる。開発経済学をベースにしている私が読むと、首都から2日もかかる辺境の地故に、このような伝統的な生業が成立している、これからはどうなるだろうかという危惧とも読みとれた。まさに反グローバリゼーション。また、アリの人々にプロテスタント信仰が根付き、個人として立脚するというスタンスが、伝統社会を破壊し、ますますティラマナの職人に自由を与えるだろうとも読める。で、講義終了後、金子先生に真意を尋ねに行ったのだ。

この答え、実に面白かった。私が今必死に考えていることだったのだ。

2012年5月17日木曜日

G8とアフリカ農業ビジネス

World Mapper 穀物の輸出 アフリカはこんな姿に。
NHKニュースWEBによると、G8サミットで深刻なアフリカの食糧不足対策として、民間企業が現地で農業ビジネスを展開しやすくするための資金を世銀に拠出するらしい。

インフラなどの社会資本を整備することも必要だが、民間資本がアフリカに投資し、ビジネスが活性化することは決して悪いことではない。
具体的には、現在最も食糧不足が深刻なのはサヘル地域であるのだが、この地域は地力が低い。しかも、ニジェール川の水資源問題で揺れている。以前、アフリカで緑の革命は可能か?と考えてみたが、かなり難しい問題がある。水が少ないうえに、土壌改善から始める必要があるのだが、それが本当に良いことなのか?と問われると、うーんと唸らずにはおれないのだ。「貧困問題のシンプルな解き方」(11年7月18日・21日付ブログ参照)にあるように、ドリップ灌漑という方法もあるが、これを現地で資金補助(援助ではない。補助である。)する方がはるかに有意義なような気がする。

食糧不足を補う農業ビジネス=穀物栽培ということになれば、私にはそんなに儲かるビジネスだとは思わないのだ。先進国のビジネスとなれば、広大な土地の購入に加え、効率重視の機械化が行われるような気がする。どうも、アフリカには似合わない。そう思ってしまうのだ。アフリカの各地域には、伝統に根ざしたエコで、長期的に見れば効率的な工夫が施された農業が行われていることを、京大の公開講座で数多く学んだ。

先進国の農業ビジネスの方法論が必ずしも「正義」であり「普遍」であると信じるのは勝手だが、ある意味「傲慢」である。日本は、この論議に簡単に乗るべきではない。JICAがブラジルで成功した農法をアフリカに移植する試みを進めていることを私は聞いているが、JICAは焦らずあくまで現地の状況をよくリサーチして慎重に進めている。「アフリカに学ぶ」という姿勢、パートナーシップの原点に立って進めて欲しいと思うのだ。

欧米的外科手術的な方策が、必ずしも「正義」ではない。日本はアフリカの開発協力では決して無知ではない。今こそこれまでのスキルをもとにG8を主導すべきではないだろうか。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120517/k10015174091000.html

2012年5月16日水曜日

ケニアの「歩いて発電」チップ

You can now charge your mobile phone from the sole of your shoe.
セーブ・ザ・チルドレンが、「母親になるのにいい国ランキング」を発表して、ニジェールが世界最下位だというニュースが流れた。うーん。ニジェールに続くのは、マリ、コンゴ、スーダン…。うーん。暗澹たるニュースだ。明るいアフリカの情報はないのか?と探していたら、ケニアの若いエンジニアが、歩いて携帯電話の充電をする技術を開発したらしい。なかなか面白いではないか。

圧力が加わると、電気が起こり、蓄電できる超薄型チップを彼は開発したのだ。このチップ、取り外しが可能で、どんな靴にも装着できるらしい。歩行時のエネルギーを電気に変え、靴から伸ばしたコードで携帯電話を充電できる。値段は$45(約3600円)。将来的には複数のガジェットにも充電が可能になる予定だ。ケニアの国立機関も彼に投資し、大きな期待を寄せているらしい。

http://www.africa-news.jp/news_zfIQkkiBI.html?recommend
http://www.nation.co.ke/News/Shoe+technology+to+charge+cell+phones++/-/1056/1401998/-/kbtr5d/-/index.html

ものすごくアフリカらしい話である。歩いて発電。いいではないか。凄いアイデアだ。しかも価格が、マーケティングで言うところの「アフリカ2(中間層)」くらいの人々が購入可能なくらいである。きっと、ひたすら歩いて充電するという職業が生まれると思う。もしくは、サイドビジネスで蓄電した電力を売る人も出るだろう。面白いなあ。わずかでも現金収入となるのなら労を厭わないのがアフリカのインフォーマルセクターである。

ところで、私はJICAの教員研修旅行で、ジョモ・ケニヤッタ大学などを視察したことがある。ケニアはアフリカでも有数の理数科教育、工業教育が行われている国なのだが、私たちが見たのは、日本の工業高校以下の厳しい状況だった。意気は感じだが、まだまだ環境が整っていないという感じたのだった。だが、あれからもう10年くらいたった。アフリカの開発のスピードは早い。教育環境も整って、これから、どんどんこういう人材が育ってくるのだろう。嬉しい。この「歩いて発電」ビジネス、是非とも成功して欲しいと思うのだ。

2012年5月15日火曜日

凡人?小渕首相の「沖縄」

G8 沖縄サミット
昨日だったか、NHKの報道番組で沖縄復帰40年をめぐる特集を組んでいた。小渕首相が、沖縄サミットを粘り強く開催するという話だった。小渕氏は、自民党の竹下派の七奉行の1人。田中派ー竹下派というと、なんだか金権っぽい感じがするが、小渕氏自身は、中曽根・福田(赳夫)両首相と同じ選挙区で随分苦しんだ人物だ。二世議員でもあり、早稲田大学の雄弁会出身。大下英治の政治小説はだいぶ読み込んだので、いまだにスラスラ出てくる。

総裁選では、小泉氏、梶山静六氏と三つ巴の戦いをした。この時、田中真紀子が「凡人、変人、軍人の争い」と評した。ちなみに、凡人=小渕氏、変人=小泉氏、軍人=梶山氏である。なかなかうまい表現だと当時のマスコミはこれを大きく報道した。そういう印象は恐ろしいもので、小渕氏は首相になったが凡人なのだ、大したことができないという評価が高かった。佐藤優の本などを読んでいるとなかなかの人物なのだが、風体には「華」はなかった。(政治家の風体に華が必要かどうか、私は疑問に思うが…。)

なぜ小渕氏が沖縄サミット開催にこだわったか?学生時代に自転車で沖縄を訪れ、遺骨収集などを行っていたのだ。当時のお世話になった地元の方への礼状にも、並々ならぬ沖縄への想いが感じられる。こういう志こそが、政治家にとっては本当の「華」なのだと思った次第。

アメリカが難色を示す中、粘りに粘って開催にこぎつける。沖縄の地で世界の指導者を呼び、世界平和を語り合うという「志」。それが必ず沖縄のためになるという「信念」。共に開催にむけ共闘した野中官房長官と、アメリカからOKの返事が来た時、二人して涙したという。私は、野中広務氏に好意をもっている。何冊か野中氏の本も読んだ。小渕氏同様、政治家としての「志」と「矜持」を感じるからだ。私とは、思想・信条は違っても、尊敬できる。今の選挙にしか頭にないような小物の政治家とは違う。

今日、世界史Bの授業で、イタリア戦争と『主権国家』について語るうち、つい「廃藩置県」の際の山縣有朋と西郷の対話を紹介してしまった。山縣も命がけなら、西郷も命がけである。二人の対談が、近代日本をつくる。中間的な権力である藩を一瞬にして消し去り、政府軍をもつ主権国家を作りあげてしまうのだ。善悪という範疇を越えて、その人間力に感動させられる。

私は今恐ろしくて仕方がない。ファシズムやマキャベリズムに毒された日本は、これからどうなっていくのだろうか。もう回転寿司のような政治ショーはうんざりである。

2012年5月14日月曜日

祝 杉本美香選手五輪出場

本校の武道科8期生の杉本美香選手(78kg超級)が、先日の全日本選抜体重別柔道兼五輪代表最終選考会で優勝、ついに念願のオリンピック出場を決めた。いやあ、凄いなあ。今朝の職員朝礼でも、学校長が大阪市立の高校で2人目のオリンピック選手と紹介しておられた。「二人目?」誰かと思ったら、S高校出身の阪神のキャッチャー矢野選手が野球で出場していたのだった。(笑)

それはともかく、大変めでたい。さっそく、本校の食堂の入口にささやかな応援メッセージが張られた。おそらく、校舎の最も目立つところに垂れ幕が出るだろうけど、こういう手作りの応援メッセージ、いいなあと思うのだ。生徒が貼っていたので、生徒会が作ったのかな?と思っていたら、武道科だった。(…当然か。)その中心におられたのは、なぎなた部顧問のI先生である。聞くと、杉本選手を3年間担任したのだとか。…嬉しいだろうなあ。感無量だろうなあ。I先生は、昨年、なぎなた部の全国大会三連覇(インターハイ・国体・選抜大会)を成し遂げた方でもある。凄い先生なのだ。だが、今日は元担任として嬉々としてメッセージを貼っておられたのだった。ものすごくわかる気がする。

武道科は、今春も定員ぎりぎりだった。柔道も、教育界では、危険だとか言われてなんか逆風が吹いている。ますます武道科は厳しい環境に置かれている。だからこそ、よけい杉本選手には頑張ってもらいたい。武道科だけでなく本校の生徒全員に「元気」を与えて欲しい。たび重なる怪我を乗り越え逆境から這い上がった杉本選手、大いに応援したいと思う。

追記:atmay19さん、35人目の読者登録ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

2012年5月13日日曜日

アフリカの脆弱国家の話

5月中に国際理解教育学会での発表の骨子をまとめなければならない。連休に様々な資料を集めたり、思索したりしてきたのだが、相変わらず苦しんでいる。「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストV5.01」を作成するにあたって、急速なアフリカの変化を、どういう視点で見るべきなのか。私のこれまでのテキストでは、①経済成長率と資本の蓄積、②近代国家論、③HDIやMDGsなど「貧困」、「人間の安全保障」という視点、④ポールコリアーなど開発経済学の様々な視点を基軸として組んできた。
結論としては、1人あたりのGDPをいかに向上させるか?人間の安全保障を行える場合、まずは主食たる穀物生産の生産性向上をはかり、余剰人口を第二次・第三次産業に送り出すことである。そのために、保健衛生と教育の向上が欠かせないし、またそのためにはガバナンスを良くしないとならないということになる。

大枠は間違っていないのだろうが、アフリカは多様である。アフリカの消費者を購買能力でアフリカ1、アフリカ2、アフリカ3と呼ぶように、なにより人間の安全保障が必要な国、農業生産が至上課題の国、経済成長を後押しすべき国といった縦軸(経済学的視点)の差異がある。さらに、ガバナンスの良しあし(保健衛生・教育も含めて)という横軸(政治学的視点)がある。私は、まだここに、そういう数値で測りがたい幸福度というか、ちょっと社会科学的でない(たぶんに人文学的な)第三の軸が必要な気がしてならないのであった。うーん、あまりに論点が拡がりすぎる。

そんな中、この土日は「脆弱性」ということをWEBで検索してノートしていたのだった。恥ずかしながら、「脆弱国家」という概念がすでに確立していることを初めて知った。「失敗国家」「破綻国家」という語彙は知っていたが、ちょっとニュアンスが違う。「脆弱国家」とはOECDによると、『国家の構造が貧困削減や開発、および国家の安全保障や人権の保障に必要な基礎的機能を提供する能力または意志を欠いた状況にある国』と定義されている。
特に、9.11以降、米国や主要ドナー国の危機意識がつくった概念らしい。テロの温床、あるいはその予備軍として認識されているようだ。「これは今までの開発パラダイムを大きく変えることである。すなわち脆弱国家の開発の重点が、経済から政治、また国によっては治安や安全保障に移ることを意味する。」(グローバリゼーションと国際開発研究「脆弱国家の開発戦略」研究報告書・序/秋山孝允)

現在、国際的に主権国家と形式的に認められはいるものの、国家としての体(治安維持やガバナンスの崩壊)をなしていない国、それが脆弱国家だというのだ。これらの国には「政治財」を適切に提供する必要があるという。ちなみに、世銀の脆弱国家リスト(2004~2007)に1回も入っていないのは、サブ=サハラ・アフリカでは、南アとボツワナ、モーリシャス、セイシャル、ガーナ、ガボン、セネガルくらい。(脆弱国家のリストはかなり種類があって、ハッキリこうだとは言えない。)

うーん。第三の幸福度という軸を探していたのだが、第二の横軸(政治的な視点)の近代国家論とガバナンス論が攻めてきた感じ。でも有為な視点であるだろう。ちょっと、米国や先進国の国益的な匂いがプンプンするけど…。長くなった。まだまだ書きたいことがあるが、次の機会ということにしよう。

2012年5月12日土曜日

系図で英国教会の流れを説く

西欧初バツ1・カザリン
この1週間は、ひたすら中間考査の問題つくりに時間を費やしたのだった。空き時間があると机上のパソコンに向かい、コツコツと問題を増やしていく。世界史Bの範囲は、中世の概説、大航海時代、ルネサンス、宗教改革から絶対主義への流れといった西ヨーロッパの中世から近世の範囲である。

このあたりは、やたらナントカ3世とかいう名前が多い。生徒も、何が何やらこんがらがってしまうところだ。(笑)で、昨日は、黒板に系図を徐々に書きながら、イングランドのヘンリー8世の離婚(宗教改革の1つ英国教会成立の話である。)とスペイン、神聖ローマとの関わりを説明したのだった。

主役となるのは、ヘンリー8世とともにカール5世である。このカール5世は、父方が神聖ローマ帝国皇帝を輩出(選挙で選ばれているトコロがミソだ。)するハプスブルグ家の血を引いている。と、系図を書く。一方で母方の方は、コロンブスを派遣したイザべラ女王の血を引いているので、カルロス1世というスペイン国王でもある。

一方、ヘンリー8世が離婚したがった「カザリン」(高校教科書ではこうなっている。生徒に、英語読みしてごらんというと、勘で「キャサリン」という正解が返ってくる。)なぜ、キャサリンではないのか?ここが面白い。このカザリンはイザべラの娘で、カール5世(=カルロス1世)から見れば叔母さんにあたるわけだ。ヘンリー8世はカザリンの侍女だったアン・ブーリンと結婚するが、飽きてロンドン塔で刑死させる。ヘンリー8世は「バツ6なのだ。」というと、女子生徒は大体「勝手なオトコですねえ。」と反応してくれる。全く、好きなように生きたオトコだよな。この後を継いだ息子(エドワード8世だが、黒板にはあえて書かない。系図は簡素な方がわかりやすいからだ。)は早くして病死した。その後を継いだのが、メアリー1世。刑死したスペイン出身の「カザリン」の娘である。彼女は、カトリックに改宗し、英国教会を迫害したのだった。この辺、女子生徒はかなり理解を示す。とんでもないオヤジ(ヘンリー8世)に対する憎しみを実感できるのだ。

「血まみれ」メアリー1世
このメアリー1世と、カール5世(カルロス1世)の息子であるフェリポ2世が結婚するのである。地図を横に描いて、カール5世・フェリポ2世が支配している地域を示すと、生徒が「おおっ」となる。フランスを囲むように広大な地域になる。イングランドでは、その支配下におかれることを危惧したし、フランスはイタリア戦争でこの包囲を抜け出そうとするのだが、ちょっと予告編も語っておく。幸か不幸か、このメアリー1世は5年で死去した。英国教会への凄い弾圧で「血まみれメアリー」と呼ばれた怖い女王だったわけだ。

その後を継いだのが、ロンドン塔に幽閉されていたアン・ブーリンの娘、エリザベス1世になるのだ。彼女は、その後スペインを海賊を使ってボコボコにやっつけるのだ。

なんかTVドラマみたいな話だが、この系図を元にすると、さらにルソーの宗教改革やフッガー家との関わりや大航海時代など様々な展開ができる。世界史の勉強って、こういう気付きが大事だと私は思うのである。

普段、私はプリント授業なので、あまり板書を写せなどという指示はしないのだが、徐々に書き増やしていくとわかりやすかったらしい。「なかなか面白かった。」という生徒の言に満足したのであった。

2012年5月11日金曜日

愛機CanonG12の砂対策

望遠にするとアダプターが伸びるのだ。
カメラにとって最大の敵は、水と砂だそうだ。以前、ブルキナに行く前、高校生の時の憧れだった銀塩の一眼レフCanonEFをオークションで買い求めた。もちろん中古であるが、程度が良いカメラだった。大阪のミナミに中古カメラを扱う大きな店があって、様々なグッズを買いに行った時、店員さんに「砂漠をとりたいのですが…。」と言ったら、最初のコトバが出てきたのである。「砂はカメラの大敵です。水は防げるが、砂はどこからでも入ってきます。このカメラで撮るのなら、ビニール袋でレンズだけ出して写すべきです。」とも。で、結局バカチョン・デジカメでサヘルを撮影した。サヘルの手前の村のモスクに行った時、すでに細かい砂が、ビニール袋にびっちりと着いていた。

デジカメの方は、元気に頑張ってくれた。しかし、サヘルから帰ってから、急にレンズの望遠がききにくくなった。「?」やはり微量の砂がデジカメにも影響したようだ。帰路にバオバブを撮ったのだが、レンズが開ききらなかったようで、半分真っ黒な画像になったりもした。

今夏、イスラエルに行く。砂漠地帯にも行くので、砂から愛機G12を守りたい。というわけで、フィルターアダプターとプロテクターフィルター、それとCANONのレンズキャップを買ったのだ。装着すると、これがまたカッコイイ。先に、ホットシューカバーも買った。赤いカバーは黒いG12に大きなアクセントとなった。うーん、愛機G12はかなりグレードアップし、一応の砂対策は完了したのだった。

2012年5月10日木曜日

ブルキナとネリカ米の話

奈良教育大のG君から、面白いメールがきた。JBFAからネリカ米を購入したらしい。どうやら実際に植える場所と許可も得たらしい。で、「ネリカ米やブルキナの資料はないでしょうか?」との話だった。うーん、ネリカ米の資料は全くない。アフリカ米とアジア米を掛け合わせたアフリカ向けのコメで、陸稲が主だよ、と言えるくらいかな。

ブルキナに行った時、ネリカ米を実際に植えているJICAが運営している農園の横を走った。(笑)首都ワガドゥグからサヘルへ向かう途中のことだった。私も興味があったので、現地でいろいろ聞いてみた。実は、ブルキナで主にネリカ米の栽培協力をガンガン推進しているのは、台湾らしい。JICAブルキナのすぐ側に台湾の国際協力事務所があるのだ。ちなみに、アフリカ諸国で台湾と国交を結び、中国と国交のない国は、6カ国。ブルキナ以外にスワジランド、セネガル、ガンビア、サントメ=プリンシペ、チャドである。2008年までマラウイも入っていたが断交したらしい。(この辺、中国の支援にあえてなびかず、台湾を選択して国益を追求しているとシビアに見た方がいいと思う。)そう、ブルキナでは台湾の人が頑張っているのである。空港に到着した直後、滑走路で台湾のオッサンと喫煙した思い出がある。ブルキナ=喫煙天国である。(笑)話が大きくそれてしまった。wikipediaに載ってない話をブログに書くとなると、そうなる。ブルキナのネリカ米とくれば台湾なのだ。

さて、G君の望むブルキナの資料といえば、マルシェで「アトラス」を手に入れた。地理的な様々な統計地図(降水量分布とか、土壌分布とか…自然地誌と、人文地誌もいろいろ書かれている。)などが満載の…英語版の冊子である。今日の画像はWEBで見つけたフランス語版のものだが、ブルキナではこっちのほうが一般的で、Iさんの尽力でなんとか貴重な英語版を手に入れることができた。私の宝物である。手渡すか、スキャンして添付するかしようと思っている。G君のためだし、労は惜しむつもりはない。おそらく、一般人にとって手に入る最も貴重なブルキナの資料だと思う。

ところで、ブルキナの食糧事情は案外良い。HDIが世界最低ランクなのは、主に保健医療の問題である。乳幼児死亡率や、それを改善するための成人識字率などに大きな問題がある。ネリカ米の普及による食糧事情の改善はもちろん重要ではあるのだが、1人あたりGDPを底上げする商品作物はコットンくらいしかない。うーん。ブルキナのPRSPを考えるのはかなり難しいのである。ネリカ米をもとに、様々な学びを拡大していって欲しいものだ。

2012年5月9日水曜日

ネパールの洪水に危機感

こんな美しい村が消えた
先日、日経だったと思うがネパールの洪水の小さな記事が国際面に出ていた。私は、これは地球温暖化による氷河や雪崩によるものではないか?と大きな危機感を抱いたのだ。地理などの授業で、環境問題、とりわけ地球温暖化の影響では、水位の上昇の話がまず出てくるのだが、私はこういう災害の方が心配だとよく語っていたのだ。

山間部の氷河湖などが崩壊し、一気に川沿いの村を流してしまう。日本でも専門家がネパールに行き、様々な調査が行われ、対策を練っていたと聞いている。が、その危険地域は多い。ついに起こってしまったのだ。今日の日経のWEBニュースによると、著名な登山家の野口さんが、被災した村にさっそく駆けつけたと言う。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E2EAE2E2998DE2EBE2E7E0E2E3E09180E2E2E2E2;at=ALL

野口さんのオフィシャルブログに詳細が載っていた。「轟音と共に村が消えた」まさに、被害にあったカラパニ村の人々…水牛の写真などコトバにできない悲惨さがある。我がブログのみなさんにも是非読んでみて欲しい。
http://www.noguchi-ken.com/M/2012/05/post-405.html

日本政府は、速やかに他の危険地域の選定や、有効な対策をとって欲しい。そう叫ばずにはいられない。…ネパールの村人の地球温暖化の責任は皆無に等しい。

2012年5月8日火曜日

元素記号と「悪法も法なり」

今朝のSHRのことである。我が1組はなんか熱気が充満していた。みんなワイワイと語り合っている。雑談というより、質問をし合っているという感じ。1人で熱心になんか書いている者もいる。また自信満々でニコニコ笑っている者もいた。「なんや?」と黒板を見ると、誰が書いたのか、黄色のチョークで、元素記号が順番に書かれていた。聞くと、1時間目の化学基礎で、元素記号の小テストがあるらしい。ははは。それでみんなで勉強していたのだった。挨拶をびしっとしてから、最小限の連絡をすませた。必死で勉強しているので、終わりのSHRで連絡しても間に合うものはパスしてあげた。「続けてええぞ。」というと、またまたいくつかの集合体が生まれ、質問をし合っていた。

満点でなかった者は、放課後居残りになるらしい。化学で、元素記号をマスターできなければ、英語でアルファベットが書けないのに等しい。当然だ。終わりのSHRでは、やはり何人かダメだったようで「化学教室に行ってきます。サヨナラ。」と走っていった。理科が苦手組、頑張れよっ。

新1年生はカリキュラムの変更で、理科が2教科に別れた。化学基礎と物理基礎。理科の先生方から、その学習内容の高度さ、数学との連携など、だいぶ脅されている。仕方ないこととはいえ、留年が増えるのではないかと予想されている。何故かと言うと、本校では(大抵の高校がそうだが…)3科目もしくは8単位欠点をとると原級留置になるのだ。理科と数学が苦手で…となると、一気に3教科となりレッドゾーンに突入である。急に心配になってきたぞ。

愚痴を言っても仕方のないことだ。激励するしかない。「悪法も法なり」というソクラテスのコトバを教えたばかりだ。新カリキュラムが、決して悪法だとは思わないが、とんでもない悪法が条例化しそうだったと報道されている。科学的根拠のない教育に関する条例だ。悪法が成立する前に保護者から反発を受け撤回したらしい。さしずめ「悪法は悪法なり」。というところか。

2012年5月7日月曜日

アフリカのチョコレートが動く?

「チョコレートの真実」という児童労働について書かれた本がある。現在も西アフリカのカカオ生産現場では奴隷的な児童労働が行われているという話だ。4月12日に、イタリアの食品大手フェレロが自社HPで児童の労働や強制労働を2020年までに一掃させると発表したらしい。

コートジボワールでは、フランス方式のプランテーションが行われている。世界生産の43%を占めるのだが、ブルキナファソなどから子供が騙されて連れて来られ、ほぼ奴隷として働かされているという話が、上記の本に書かれている。一方、ガーナでは、イギリス式の現地ガーナ人による個人農園が主である。ここでは、一族の子供が働いているといわれている。

「チョコレートの真実」では、こういう欧米系の食品メーカーが自らの利益の確保のため、生産価格を抑える為に黙認していると激しく糾弾している。そうか、山が動いたか。ついに動いたか。
スイスの「ネスレ」とアメリカの「ハーシー」は、農家に対する啓発をすると発表しているらしい。山はこのまま動き、ネスレもハーシーも巻き込んでいくのだろうか。あるいはどこかの電力会社のように結局動けないのだろうか。気になるところだ。

http://www.africa-news.jp/news_yBX33JHaU.html?ranking

2012年5月6日日曜日

NHKで”WALL・E”を見たのだ。

昨晩、偶然妻と共に『ウォーリー』というディズニー映画をNHKで見た。子供の日に、こういう良い映画を地上波で始めてやるとは、なかなかNHKも粋なことをするもんだ。DVDもビデオもない時代遅れの我が家では、NHKの放送料分、楽しく視聴したのだった。

私は滅多なことで映画を見に行かない人間なので、始めて見たのだが、ウォーリーの感情豊かな仕草は、ほんと良く考え演出されている。全く予備知識なしで見たので、ストーリー展開も意外だった。妻は、ウォーリーやイヴに「かわいいやん。」「かわいいやん。」と連発してうるさい。(笑)

こういう機械が感情をもつという設定、私は「ラブバッグ」という古い映画を思い出した。小学校の時だったのだろうか、体育館で見た記憶がある。フォルクスワーゲンのビートル車が意志と感情をもち、主人公を助けラリーで優勝するという話で、強く印象に残っている。たしか物語の最後のほうで、主人公の母親が「息子はインド哲学を学んで全てのものに意志があるとわかったようだけど、私はずっと前から知ってたわ。」とアメリカのおばちゃんらしく言うのだ。私は、”インド哲学”というコトバにある意味衝撃を受けたのだった。インド哲学というコトバ、私はTVドラマで初めて知った。「ケンチとすみれ」というドラマで、主人公は建築家になるのだが、青島幸雄扮する友人がインド哲学の徒となるのだった。おお、なんかワカランが、インド哲学、いいのではないか。

インド哲学…TVや映画で私の脳裏に植え付けられた不思議な「概念」。案外、こういう子供のころにインプットされた属性は重要ではないかと思うのである。子供の日に、「ウォーリー」を見た子供にも、そういう何かしらの属性が植え付けられていたら素敵だなと思ったりするのであった。

2012年5月5日土曜日

アフリカ開発経済学テキスト改訂

このGW後半は、体調を整えるとともに、7月の国際理解教育学会での発表の準備をしている。5月中に「抄録」を事務局に送らなければならない。ずっと、あーでもない、こーでもないと考えているのである。今回の発表のテーマは、私の「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストV4.01」の改訂である。4年前に私が初めて発表した時、アクティビティの罠について語り、その対案としてこのテキストを提示した。

このオリジナル・テキスト、最初のV1.0はかなり薄っぺらい。地理Bの受験範囲を終えてからの、特殊講義プリントという感じだった。開発経済学は、経済成長を重視する。資本の蓄積と生産性の向上という視点からアフリカの経済を見ることを主眼としていた。アジアの発展とアフリカの停滞という対比がテーマだったといってよい。V2.0も同様だが、アマルティア=センの貧困の定義を入れた。

本格的なテキストは、V3.01からである。(学会で発表したのもこれである。)主な視点は、①上記の経済成長から見たアフリカ経済の問題点②セン、ジェフリーサックス、そしてポールコリアーの4つの罠という開発経済学の成果からアフリカを論ずること、③近代国家論から、アフリカを論ずること、④アフリカの農業・工業などの検討などである。ここで、⑤私が重要だと思うアフリカ理解のためのキーワードを何点か挙げた。

で、前任校から本校に転勤寸前に、V4.01を作った。V3.01を元に①表現をわかりやすくすること、②「貧困とはなにか」を前面にだし、センの定義と人間の安全保障をまず学ぶこと、③開発経済学の成果に、ダンビサ=モヨを追加すること、④グローバリゼーションと中国の進出というアフリカの現状を紹介すること、⑤ブルキナのIさんの詩の挿入、などを行ったのだった。

様々なアフリカの変化や、私自身のアフリカの開発に対する研究(と言うほどのものではないが…)の積み重ねの中で、ヴァージョンを挙げてきた。今、考えているコトは、第一に経済成長という切り口や近代国家論以上に必要な切り口があるのではないか、ということである。これまでは、センとサックスの理論をもとにHDIという切り口も入れてみたが、こういう数値ではかれない部分がアフリカにはずいぶんある。
第二に、これまで地理でアフリカを学んだ生徒を念頭にテキストを作ってきたことへの反省である。『アフリカ学入門』にあるように、多くの大学生でさえ、アフリカは身近ではない、まして高校生に教えるとなれば、基礎的なアフリカ地誌を教える必要がある、ということである。また、同時に南アを除いたサブ=サハラ・アフリカを平面的に論じてきた反省もある。人間の安全保障が重要な国、経済的には成長率も上がっているが、資源の罠に陥っている国、比較的ガバナンスが良く発展が顕著な国、かなりの格差がある。

うーん。と唸るのである。このテキストをいかに再構成するか。もう1日大いに悩むつもりだ。

2012年5月4日金曜日

「帰れまテン」 in カラオケ

証拠写真。誰も歌ってないことがわかる。(笑)
このGW後半唯一の予定は、夕方からの気のおける旧友4人組でのカラオケ大会だった。何年振りだろう。最近カラオケに行くこともめったに無くなった。カラオケも日進月歩で、この前TVの「朝まで帰れまテン」で見た全国何位かを競うシステムがあったのだ。ノリの良い旧友たちは、さっそくこれで楽しもうということになった。

私自身は、自分が歌いあげる快感をカラオケに求めているので、正直気分がのらなかったが野暮ではないので、「では、『熱き心に』からいこうかな。」と十八番を所望した。だいぶ前、このメンバーで歌の得点を競ったこともある。その際100点満点を出した曲だ。(これホント。他のメンバーも軒並み90点代を出したが…。だから、みんなかなり上手いのだ。)だが、全国21位だった。(笑)しょっぱなだったし、まあいいか。他のメンバーが歌ううち、私はあることに気付いた。メジャーな曲よりマイナーな曲が有利だ。幸い全く気を使うメンバーではない。いつもは気を使って歌わないマイナーな曲をリクエストした。

すると予想どおり全国1位になったのだ。大塚まさじの『アフリカの月』。全国で歌った人は私1人。メンバーの中で最も早く1位を獲得した。なんか釣り舟で最初に小魚を釣った感覚である。洋楽を歌ったW氏も1位/1人で続いた。(笑)もう1回マイナーな曲を歌った。『シンシア』というシングルのB面で、『竜飛崎』。皆知らないので、めったに歌わないが、私の吉田拓郎の中でNo1の曲である。これも1位/1人。ははは。(今日の画像参照)

W氏と二人で、1人/1位を出していると、残る2人は焦ってきたようで、教え子のN氏もマイナーなコミックソングで1人/1位を出した。残るは同じ高校教師であるT氏のみになった。だが、選ぶ曲、選ぶ曲がたくさんの人と争うはめになっていく。余裕のW氏は「泣くで。」と一言言い、中島みゆきの『化粧』を歌いあげた。おお、10人ほどの中で1位だ。”泣いたな。”というわけで、私も中島みゆきの『怜子』を歌いあげたら、歌い手は3人だったけど、1位だった。(笑)

相変わらず、「朝まで帰れまテン」と叫び、全国1位を狙い続けるT氏だったが、キープ終了時間が来てしまった。「今晩は眠れませんねぇ」と言いいながら、帰っていった。私は、ゆっくり寝るぞ。

アフリカ留魂録別館、UPしました

先日、読者のMIYAさん(「アフリカのニュースと解説」の管理人さんです)から、常設ページの「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」の細かな資料が読みとれないので、GoogleのHP機能を使ってリンクしてもらえないかというご意見を頂きました。Bloggerの画像機能が変更になり、あまり大きく拡大できなくなった故です。

このへんのコンピュータ操作、実はあまり得意ではないので、連休中になんとかしてみますと返事をした次第。で、今日なんとかGoogleサイトというのを立ち上げ、何度かの失敗を重ね(笑)、PDFが掲載不可能ということで、JPEGで保存完了しました。画像の大きさも、「大」だと結局MIYAさんのリクエストに答えられないので、実物大になりました。少しぶさいくですが、ご勘弁下さい。なお、右のリンクの一番上に設置しています。

2012年5月3日木曜日

ダイエット進行中なのだ。

エリトリアが報道の自由の少ない「検閲国家」で北朝鮮を抜いて1位に認定されたらしい。ジャーナリストの民間が団体の認定とはいえ、あまり良い称号ではない。そもそも調べようにも調べさせないようにしている国なので、調べる気も失せてしまった。(笑)このGW後半4日間も、静養に努める予定である。無理は禁物。(笑)

ところで、このところダイエットしているのだ。といっても特に運動しているわけでもなく、トマトを食べているわけでもない。炭水化物を少なめにしているだけだが、案外体重が減ってきた。今日も、夕食に「焼き肉」を妻に所望したのだが、ゴハンなし。豚肉と鶏肉と、タケノコ、キャベツ、シイタケのみ。そもそも私は食事でビールなど飲まないので、そんなりにカロリー過多ではないと思う。

冷蔵庫のところに、私の体重を書かされている。風呂上りに強制的に量らされるのだが、ついに81.6kgまで減量したのだった。2か月で7kgほど。なんかホオがこけた気がするが、オナカ周りもかなりちぢんだ。先日、Hanesのジーンズを買ったのだがH城鍼灸院でベルトをはずしたら、ズリ落ちたぞ。おお。嬉しいが、ジーンズが腰にフィットしないのは、美しくない。まあ、70kg台まで落としてから買い変えようかと思っているのだった。

<日経のエリトリアの検閲国家のニュース>
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE2E1E2E3E68DE2E1E2E7E0E2E3E09494E3E2E2E2;av=ALL

2012年5月2日水曜日

頑張れ”君子”マツイくん。

ゴジラこと、松井選手が、フロリダのレイズとマイナー契約したと報じられた。私自身はイチロー選手の大ファンであり、大阪人として完全なる「アンチ巨人」であるので、これまで松井選手を特に応援してこなかった。ちなみに妻は松井選手大好きで、常々『マツイくん』と呼んでいる。妻に言わせると、「マツイ君のコメントは、常に冷静で謙虚である。人間的に尊敬できるやん。」というわけで、”君子”中の”君子”だということらしい。うーん。そういう形式的「巨人軍」的なるものが、私は好きではないのだ。小笠原選手が髭をそったのが気に入らないのだ。小笠原にはカミシモより、ドウタヌキを差した浪人姿が似合う。

わたしは、サムライたる求道者である、イチロー選手が好きだ。イチロー選手は”君子”ではない。”君子”であることは一流のアスリートに必要な資質ではないと思っている。でも、マツイくんのこの冬からの不遇については気になっていた。イチロー選手が今年も頑張っているのに、かたや行き先も決まらないマツイくん。そんなマツイくんに悲哀さえ感じていたのだ。ハッスルプレイで膝を痛め、成績は落ちたが、まだまだやれるハズ。会見では、やっぱり”君子”だった。この辺、さすがマツイくんだ。今回に関しては、感激したぞ。

レイズは、ダイヤモンドバックスとともに誕生した歴史の新しい球団だ。デビルレイズ時代は万年最下位だったが、デビルを取ってからワールド・シリーズにも出場した。君子・マツイくん、是非とも頑張って欲しい。妻とともに、メジャー復帰、祈ってるよぉ。

2012年5月1日火曜日

モザンビークの武器アート

舩田クラーセンさやかさんの「アフリカ教育関連情報」(リンク参照)を覗いていたら、すごい情報があった。わが大阪にある国立民族学博物館でアフリカ学会の学術大会が開かれ、モザンビークの回収武器を使ったアート作品が展示されるだけでなく、公開シンポジウムも行われるらしい。見たい。見たいぞ。

しかも、様々なアフリカ研究者の皆さんが登場する口頭発表プログラムを見てしまった。私は激しく興奮してしまった。まず湖中直哉先生。「携帯電話による平和構築」サンブルの牧畜民を研究されている湖中先生だから、携帯電話で牧畜民の生活が変化してきたという話だろうか。福西隆弘先生。「政変が雇用に与える影響」…アフリカ開発経済学の世界では論文をよく目にする方だ。無茶苦茶面白そうな話である。小川さやかさん。「政治のストリート化とストリートの政治化」…タンザニアのマチンガの話の続編だろうか。聞きたいなあ。舩田クラーセンさやか先生。「15年後のモザンビークとルワンダ」…経済発展著しい両国のこれからの展望だろうか。大山修一先生。「ニジェールのハウサ社会における動くことの重要性と人口増加の問題」…先日の公開講座の話の続編にあたるのだろうか。ニジェールは最も出産率の高い地域である。そのあたりをさらに追求していくのだろうか。

非会員として5000円を払っても大会にも参加したくなったのだった。以前、荒熊さんがアフリカ学会のことを、「いろんな分野(文化人類学、政治学、開発経済学、農学など)の研究者が集まっていて刺戟的ですよ。」と言われていた。ほんとそんな感じ。無茶苦茶面白そうである。

…だがおそらく行けないと思う。開催日が5月26日(土)・27日(日)であるからだ。この週は、月曜から中間考査試験である。1年生はこれを3日間で済ませ、24日(木)・25日(金)と1泊2日のHR合宿に行く。まだ試験の日程、要するに私の現代社会と世界史Bがいつになるかわからない。どちらにせよ7クラス分を採点し、HR合宿に行くのだ。当然土日には、疲れ切った身体で何冊か残っているテストの採点をする羽目になるだろう。もちろん、期末に向けての授業の準備も万全でなければならない。嗚呼。もう1週間ずれてくれていれば…。口惜しい。口惜しいのだ。