2012年5月13日日曜日

アフリカの脆弱国家の話

5月中に国際理解教育学会での発表の骨子をまとめなければならない。連休に様々な資料を集めたり、思索したりしてきたのだが、相変わらず苦しんでいる。「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストV5.01」を作成するにあたって、急速なアフリカの変化を、どういう視点で見るべきなのか。私のこれまでのテキストでは、①経済成長率と資本の蓄積、②近代国家論、③HDIやMDGsなど「貧困」、「人間の安全保障」という視点、④ポールコリアーなど開発経済学の様々な視点を基軸として組んできた。
結論としては、1人あたりのGDPをいかに向上させるか?人間の安全保障を行える場合、まずは主食たる穀物生産の生産性向上をはかり、余剰人口を第二次・第三次産業に送り出すことである。そのために、保健衛生と教育の向上が欠かせないし、またそのためにはガバナンスを良くしないとならないということになる。

大枠は間違っていないのだろうが、アフリカは多様である。アフリカの消費者を購買能力でアフリカ1、アフリカ2、アフリカ3と呼ぶように、なにより人間の安全保障が必要な国、農業生産が至上課題の国、経済成長を後押しすべき国といった縦軸(経済学的視点)の差異がある。さらに、ガバナンスの良しあし(保健衛生・教育も含めて)という横軸(政治学的視点)がある。私は、まだここに、そういう数値で測りがたい幸福度というか、ちょっと社会科学的でない(たぶんに人文学的な)第三の軸が必要な気がしてならないのであった。うーん、あまりに論点が拡がりすぎる。

そんな中、この土日は「脆弱性」ということをWEBで検索してノートしていたのだった。恥ずかしながら、「脆弱国家」という概念がすでに確立していることを初めて知った。「失敗国家」「破綻国家」という語彙は知っていたが、ちょっとニュアンスが違う。「脆弱国家」とはOECDによると、『国家の構造が貧困削減や開発、および国家の安全保障や人権の保障に必要な基礎的機能を提供する能力または意志を欠いた状況にある国』と定義されている。
特に、9.11以降、米国や主要ドナー国の危機意識がつくった概念らしい。テロの温床、あるいはその予備軍として認識されているようだ。「これは今までの開発パラダイムを大きく変えることである。すなわち脆弱国家の開発の重点が、経済から政治、また国によっては治安や安全保障に移ることを意味する。」(グローバリゼーションと国際開発研究「脆弱国家の開発戦略」研究報告書・序/秋山孝允)

現在、国際的に主権国家と形式的に認められはいるものの、国家としての体(治安維持やガバナンスの崩壊)をなしていない国、それが脆弱国家だというのだ。これらの国には「政治財」を適切に提供する必要があるという。ちなみに、世銀の脆弱国家リスト(2004~2007)に1回も入っていないのは、サブ=サハラ・アフリカでは、南アとボツワナ、モーリシャス、セイシャル、ガーナ、ガボン、セネガルくらい。(脆弱国家のリストはかなり種類があって、ハッキリこうだとは言えない。)

うーん。第三の幸福度という軸を探していたのだが、第二の横軸(政治的な視点)の近代国家論とガバナンス論が攻めてきた感じ。でも有為な視点であるだろう。ちょっと、米国や先進国の国益的な匂いがプンプンするけど…。長くなった。まだまだ書きたいことがあるが、次の機会ということにしよう。

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