![]() |
| http://math.artet.net/?eid=1421857&imageviewer&image=20120915_79752.jpg |
ポルトガルでの迫害を受け、オランダに移住したユダヤ人(スファラディ)であったスピノザの主著『エチカ』は、幾何学的方法によって証明されたという副題がついている。書物全体が、76の定義と16の公理、259の定理、70の系、129の備考から成っている。推理によって特殊を普遍から導き出す演繹的方法として、デカルトの精神を一層徹底させたもの、といえる。当然ながら、それは、高校倫理でも出てくる「汎神論」であり、第1部「神について」で、8つの定義(画像参照)が掲げられている。(P215)
スピノザは、ここで、4つの概念を定義している。まず「実体」とは、それ自身に存在し、それ自身によって理解されるもの、換言すれば、その概念が形成されるために他のものの概念を必要としないものを意味する。(定義3)次に「属性」とは、実体の本質を構成するものとして悟性が認めるところのものを意味する(定義4)さらに「様態」とは、実体の変相をいう。換言すれば、自己意以外の他のものの中に存在し、またこの他のものによって理解されるところのものを意味する。(定義5)そして、「神」とは、絶対的に無限な実在、すなわち無限に多くの属性から成り立ち、かつその各々の属性が永遠無限の本質をあらわすところのものを意味する。(定義6)淡野氏は、これをまとめて、実体は、第一に自己因であること、第二に無限であること、第三に唯一であることが論理的に演繹されているとしている。佐藤氏は、ここで出てくる悟性について、理性は到達できないものに向かうのに対して、人間が認識できるところに向かうものと解説している。(P215-6)
…アムステルダムでは裕福な貿易商の息子だったが、家業のため高等教育は受けていない。またラビとなるための訓練を受けていたが、神を自然な働き・あり方全体と同一視する立場から、ユダヤ共同体から破門(ヘーレム)され、狂信的な信者から暗殺されそうになったと、Wikiに記載されていた。
スピノザは、スポンサーもいなかったのにどうして哲学が出来たのか?それは、高給のレンズ磨きに卓越した才能があったからである。制度化された学問の外側の知識人であり、大学あるいは貴族のお雇い家庭教師とは違い、自活した在野の知識人だと言える。しかもユダヤ人でありながら共同体から破門された孤立した人だと言える。(P217 )
…「屋根裏の哲人」というニックネームを聞けば、貧困な感じがするが、当時のレンズ磨きが高給であったことには驚く。(AIによると、これは誤解や混同によるもので、実際スピノザは屋根裏に住んでいたということはないらしい。)
スピノザは、デカルトの神・精神・物体という三実体説を論理的に発展させて、宇宙全体に存在している実体の総和を神と言っているわけで、この汎神論における神は、キリスト教の神とは違うものであると佐藤氏は断じている。この世には悪があるからで、汎悪魔論となる可能性すらあるからである。ちなみに大陸合理論でスピノザに続くライプニッツはこの問題を処理しようとする。(P217-8)
淡野氏のテキストでは、このスピノザの哲学体系は、ある意味最も整った哲学体系であると言わなばならないとしながらも、幾何学的大家の汎神論の中に、「生」の豊かさをそのまま携えて入っていけるとは思えない。その体系の狭さを嘆かざるを得ないとしている。(P223)
…スピノザとライプニッツは、高校倫理では教えづらい箇所である。哲学の継続性(前者と後者の批判的つながり)を語るうえでも、デカルトからスピノザはまだしも、ライプニッツはさらに難解である。次回はそのライプニッツを取り扱おうと思う。



0 件のコメント:
コメントを投稿