2016年12月29日木曜日

マレー・ジレンマ (8)

「ラーマンとマハティール」(萩原宜之著/岩波書店)の連続書評エントリーの表題とした第4代首相マハティールの著書「マレー・ジレンマ」(The Malay Dilemma)は、1970年刊行されたが、すぐ発禁となった。しかしシンガポールでは読むことができ、多くのマレー人の眼にふれ、マハティールが政権を握ってからは、マレー人必読の書として今日に至っている。ここは極めて重要な個所なので、原本の内容をできるだけに忠実に記しておきたい。

「序文」ではマラヤ大学経済学部長(後の学長)アジズ教授との1966年対談し、マレー人学生の成績が良くない理由は、マレー人の同族婚とその生活環境にあることだと、まず記している。

次に「何が間違っていたか」の章で、5月13日事件に至る歴史を振り返り、まず民族間に寛容と適応と交換はあったが、真の調和はなかったとした上で、日本占領時代にマレー人の一部が親日となり、中国人の多数が抗日となったことで亀裂が始まり、戦後イギリスが復帰し、マラヤ共産党の反英運動が激しくなり、マラヤ連合を収拾しようとして失敗し、マレー人と中国人の関係が悪化したとする。UMNOが結成され、UMNOとMCAの協力により両社の関係は改善されたかに見えたが、60年台に入ると再び、与野党対立の形で再燃し、マレー人は政府が中国人に有利な政策をとって両者の経済格差を拡大させたと考えて不満を増大させ、中国人側は政府に更なる譲歩を求めて対立し、ついに5月13日事件に突入したとする。政府が、民族間の調和を過信し過ぎたとしている。

「マレー人にとっての遺伝と環境」の章では、豊かな自然の中でコメに恵まれ、イスラムを受け入れてきたマレー人の社会に移民として中国人が入り、商業の分野に進出し、マレー人は多くの農民とごく少数の都市で働く役人に分かれた。イギリスは、スズとゴムを中心に経済を発展させ、農村を放置したため、マレー人の多く住む農村の環境は極めて悪いものであった。そしてマレー人の経済的ジレンマは土着のマレー人が主として農業に従事し、移民してきた中国人が商工業を握り、植民地支配者であったイギリスが貿易、海運、金融などを握った結果、豊かなマラヤでマレー人が貧しいというジレンマが起こったとしている。

「民族間の平等」の章では、このジレンマを破って、マレー人を豊かにするにはどうしたらよいか。歴史的につくられた民族間の経済格差を解消するには、マレー人優先の政策をとらざるを得ないとしている。この章の終わりに、マレー人と中国人の対比がされており、①前者(マレー人)は精神活動を重視し、後者(中国人)は物的生活を重視し、②前者は寛容であり、後者は攻撃的であり、③前者はのんびりしており、後者は労働意欲をもっている-としているが、これはマラヤにおけるステレオタイプの相互認識だといる。

「国民統合の基礎」の章では、まず言語とこれに関連した文化について統一した上で、暫時、統合を進めていくとしている。

「マレー人の復権とマレー人のジレンマ」の章では①マレー人の封建的側面を改革し、②イスラムを改革し、③アダット(慣習法)と結びついたと結び付いた伝統的価値観を改善し、④マレー人の都市化、商工業への参入を促進し、⑤中国人のビジネス・スキルや倹約から学び、⑥中国人のビジネスの下でも働く気持ちが必要である、としている。

「マレー人の問題」の章では、マレー人は礼儀正しく、目立たないように振る舞い、貴族趣味なところがあるが、これをイギリス人はマレー人の弱さの表現だと誤解した。このマレー人の性格は、自分および自分の民族のなかにひきこもろることになるとともに、極限においては内面の葛藤と苦しみの外面的爆発としてアモック(狂熱)になることがあるとしている。そして、中国人とインド人は年齢と富に敬意を払っている、とする。彼らは自分たちの労働なしには、マラヤの発展はなかったと考えているが、それは①マレー人が移民に対し寛容であったこと、②彼らの富の蓄積を認めたこと、③イギリスもマラヤの発展に寄与したこと-などを無視してはいけないと警告している。

「マレー人の倫理と価値体系」の章では、マレー人が精霊信仰やアダットや慣習を基礎として、①イスラムとアダットを守り、個人より社会を優先させること、②形式と儀礼を尊重すること、③快楽主義を否定して、イスラムの教えに従って精神生活を送ること、④宿命論をもっており、状況に適応し、来世を信じていること、⑤謙虚で、控えめで、他人に自分の意思を押しつけず、妥協をいとわないこと、⑥何もせず、コーヒーを飲んで話し合うことが習慣になっていること、⑦死をおそれながらも、それに対して闘うこともなく、甘受するが、死への恐怖から一時アモックに陥ること、⑧土地をもつことが富と財産であって、現金や宝石には関心がないこと、⑨地位を重んじ、封建的でヒエラルキーの社会であること-について述べたうえで、これらの価値体系と倫理がマレー社会の発展のための障害になっているとしている。

「コミュナルな政治と政党」の章では、マレーシアの政党は全てコミュナルなベースでつくられ、民族間の問題にどのような政策をとるかで分かれており、当面はマラヤ連合党によって国民統合を進めていくより他にないとしている。

マハティールの「マレー・ジレンマ」は、マレーシアにおける民族問題を歴史的、構造的に分析し、マレー人の劣位の原因をその族内婚と伝統的な価値観と安易な生活態度にあるとして、その自己変革を求めたものである。この民族問題への根本的な問い直しは、民族間の融和とイギリス植民地時代からの民族間の分業体制の延長線上で問題を解決しようとするラーマン体制への批判であり、この分業体制が独立後も続いたために、経済格差は増大し、マレー人に大きな不満が蓄積されたとの指摘である。マハティールの分析は、事態の本質をついたものであり、そこからマレー人の貧困解消と経済構造の変革を目指すプミプトラ政策が日程として上ってくるのである。

…このマハティールのマレーシア社会の構造的な分析、さすがは医師である。この後、彼は結局UMNOに返り咲き、その政治家としての才能を開花させることになるわけだ。

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