2012年10月31日水曜日

日本のインテリゲンチャの怪

Gabriele D'Annunzio
臨時国会が開会し、与野党や第三極をめざす動きなどがぐちゃぐちゃに鳴動している。いったいなんなんだと思ってしまう毎日でストレスが溜まっていく。昨日も、民主党から2人の衆議院議員が離党したそうだ。つい最近、300万円の選挙資金を党から受けとった後の話らしい。

私は民主党支持者ではないし、レイムダックの内閣など早く解散したほうがいいと思っているので、内閣不信任が可決するため、後6人早く離党してくれ、もう「近いうち」というコトバを聞くのはたくさんだと思っているのだが、さすがに彼らの行動にはあきれる。仁も義もない。ただ保身あるのみ。まったく美しくない。まして比例区選出の議員にいたっては、有権者への裏切りどころか、詐欺に近い。それでもなおかつ政治的信念で離党するなら、議員辞職し、300万円は受け取らないというのが「人」としてのスジだ。

野党も結局は権力が欲しい故のチキンレースを延々とやっている。何度か書いたが、この小選挙区制の「対自」が、衆参のねじれや、官僚を統御できない無力な政治家、あるいはプロパガンダだけで権力を握ろうとする輩など、様々な弊害を露呈していて、もうたくさんだと思ってしまう。

今日、世界史Bでロシアのインテリゲンチャの伝統について話していた。単なる知識人ではない。学問をする機会を得た人間には、それなりの矜持があるはずだ。自らの保身に走るのではなく、世のために、その頭脳を活かすという覚悟がロシアにはある。一般大衆との格差が大きいだけ、そういう伝統が生まれたのだろう。この辺は佐藤優の本を何冊か読めばわかることだ。

たしかに今の日本には大卒の人間など掃いて捨てるほどいる。政治家となったインテリゲンチャとの格差は、当時のロシアと比ぶべきもない。しかし、今の日本の現状はあまりになさけない。

どんどん世界の潮流から逆流し、20世紀的な近代国家へと戻っていっている。来週くらいには、ダヌンツィオやムッソリーニやヒトラーの話をするのだが、今の日本には、それぞれ恐ろしいほど当てはまる人物がいる。授業で口が滑らないように気をつけようと思っている次第。

なんだが、まとまらないエントリーになってしまった。ストレスが溜まっている。お許し願いたい。

2012年10月30日火曜日

イスラエルのスーダン空爆

The Jewish Press.com
先日、妻が「イスラエル軍がチュニジアを攻撃したらしいで。NHKのニュースでやってた。」と報告してくれた。「チュニジアに攻撃?」なんか変だ。WEBで調べたら、スーダンだった。「チュニジアとちゃうやん。」と言うと「家事しながらやったから聞き逃した。」とのこと。だいぶ違うが…。(笑)スーダンならありうる。イスラム原理主義が強いので、ハマスがらみなのだろう。で、だいぶたってから今朝の毎日新聞に、英・サンデータイムスの報道だとして、デカデカと載っていた。(いつも毎日新聞の報道は遅い…と私は感じている。)

ハルツーム南部の軍需工場を24日未明イスラエル空軍のF15戦闘機が4機が1トン爆弾を搭載し、さらに4機が護衛役として紅海から、スーダンに侵入。万が一の墜落事故に備えヘリ2機が現場周辺で待機、スーダンの防空レーダーに対し妨害電波を出す電子戦のための空軍機が1機、紅海上には空中空輸機が1機という作戦体制だったという。

この軍需工場ではイランの弾道ミサイル・シャハブが製造され、ガザに密輸される予定で、ガザへの武器密輸阻止というのが建前だが、将来イランの核施設を空爆する予行演習を兼ねていたと西側軍事筋が明かしているらしい。確かにハルツームまでの直線距離とテヘランなどイラン中部の直線距離はほぼ等しい。もちろん、イスラエル軍は、この攻撃自体を認めていない。(当たり前である。)

この攻撃、爆発で2名が死亡したそうで、当然非難されてしかるべきだろうが、私は違う面からこの空爆を考えている。予行演習説に疑問を感じるのだ。もちろん、政治的にはイスラエルは成功したと思う。アメリカの大統領選挙にともなうイランへの制裁の”ぬるさ”に我慢できず、軍事パフォーマンスを行って見せた。”予行演習”というコトバで、イランはもちろんアメリカにも脅威を与えたことは間違いない。
しかし、実際のところ、イランの核施設を攻撃するとして紅海からアラビア半島を回って行くには、あまりに距離がありすぎる。空中給油が絶対的条件になる。いくら護衛機がいたとしても、全機が空中給油するのには大きな危険が伴う。スーダンの防空レーダーくらいなら妨害電波でどうにかなるかもしれないが、軍事国家イランではどうか全く未知数である。直線距離が同じくらいだから予行演習というのは、どうも納得できない。
私は、案外アメリカが禁輸を決めているF22をイスラエルが持っているような気がする。F22ならその点全く問題がない。ヨルダンだろうがシリアだろうか、イラクだろうが、レーダーにはゴルフボールくらいにしか見えない。直線距離で突撃となるだろう。実際イランを攻撃する気ならイスラエルはF22を使うだろうと思うのだ。F15・8機でこのような作戦を取ったと、手の内を明かすような愚をイスラエルが犯すとは思えない。イランを油断させる作戦かもしれないという推測も成り立つ。

一方、今日の毎日新聞の夕刊には、クラスター爆弾を大幅削減するとイスラエル軍高官がAP通信などに明かしたという報道が載っていた。そもそもイスラエル軍は06年のレバノン侵攻時に、400万発のクラスター爆弾を使用、イラク・コソボでの紛争と合わせて国際的な非難を浴びた。オスロ条約が締結されるきっかけにもなったわけだ。軍高官は、レバノンのヒズボラへの攻撃にクラスター爆弾を使用する空爆は有効ではない、情報活動に基づくピンポイント爆撃に力点を置く、すでに計画が準備されているということを示唆したという。

このスーダン空爆の報道と、それに続くクラスター爆弾削減の報道。イスラエル軍の恫喝ともとれるし、国際世論の反発をギリギリのところで回避しつつ、アメリカ大統領選もにらんでのパフォーマンスだと私は思うのである。

2012年10月29日月曜日

コンゴ共和国のブッシュミート

ヌアバレ・ヌドキ国立公園
今朝の朝日新聞朝刊に、コンゴ共和国(元フランス領)北部の世界自然遺産ヌアバレ・ヌドキ国立公園の近隣地区で、ブッシュミートと呼ばれる野生動物の肉が食されているというニュースが載っていた。もちろん違法である。しかし、内戦終了後人口が100万人も急増し、貴重なタンパク源として密猟が相次ぐらしい。このままでは絶滅危惧種はもちろん森の生態系すら変えかねないという警告のルポであった。

かなりショッキングな書き方をしていたのは、その市場での風景である。野生動物の肉を販売するのは違法であるという看板の横で、オバサンたちがワニ、カメ、ウシ、猿などをさばいているという風景だ。値段はぶつ切りで150円ほど。牛肉はこのあたりでは手に入らないと書かれてあった。アフリカの熱帯雨林はツェツェ蠅の住処で、牛は放牧すると眠り病にかかって死んでしまう。鶏肉は価格が高いらしい。ブッシュミートは、地元民が手を出すことが可能な唯一のタンパク源だというわけだ。

この事実は人間の『業』のような話である。牧畜が気候的にも地形的にも十分可能で、シモフリなどという牛肉を食する我々が、簡単に論評できる話ではないと私は考えてしまう。世界遺産という認定は重要なことだし、その自然は守られるべきだと思うが、そこに住んでいる彼らにとっては今のところ何のメリットもないわけだ。彼らに肉を食する権利はないのか。世界遺産だから駄目だというのか。という彼らの声が聞こえてきそうだ。

頭から、彼らの違法性だけを強調するのは私は違うと思うのだ。

2012年10月28日日曜日

白クマラーメンを食す

先日義姉が「白クマラーメン」を枚方市内で発見し、我が家にもおすそわけしてくれた。以前、テレビで、最もおいしい即席ラーメンと報道されていた。妻は、ラーメン好きではないが、そういう謂れがあってすでに作って食べたらしい。「お父さん好みの麺やで。」

と、いうわけで今日作ってみた。普通の即席ラーメンとはちがい、「生麺」である。妻は5分くらい茹でた方が良いと言っていたが、まさにそのとおり。全く、即席麺だとは思えない。これは、日本一と言われるだけある。

WEBで調べてみると、通販もしているようだし、新千歳空港でも買えるようである。この製造元の藤原製麺は旭川に本社がある。ところが札幌の円山動物園を応援していて、そもそもそこで販売していたらしい。うん?旭川と言えば、旭山動物園である。この「ねじれ現象」は何だろう。

来月、来年の北海道修学旅行の下見にいくことになっている。3泊4日の日程だが、1泊2日で回る弾丸ツアーである。旭山動物園にもよる予定。さて、おみやげに白クマラーメン、買ってこようかな。

2012年10月27日土曜日

仮想世界ゲーム 再考中

11月9日に、岡山県のU高校のH先生が来校されることになっている。私の仮想世界ゲームに関心をお持ちで、その実践を模索されているのだ。メールをいただき、U高校が進学校ではないことを知った。仮想世界ゲームは、基本的に大学生レベルのシミュレーションなので、前任校の3年生の実践でも、あるいは国立の優秀な高校をはじめ8校合同で行った実践でも、必ずしもうまくいったとはいいがたい。そこで、これまでの仮想世界ゲームをそのままやっていただくより、以前前任校のU先生と2人で考えだした「ESDのための仮想世界ゲーム(高校生版)」をもとに、マニュアルをつくり、事前学習の構想を含めてレクチャーしようと思っている。この「ESDのための仮想世界ゲーム」は、仮想世界ゲームを基盤にしているが、大きな違いがある。(私は、ありがたいことに名古屋大学の広瀬先生に、2010年夏の時点でゲームルール等、自由な活用の許可をいただいている。)

まず、「仮想世界ゲーム」が個人戦であり、ゲームの勝者は個人であるが、「ESD」の方はグループである。つまり、グループ単位でゲームを行うのだ。高校生には、その方がうまくいくと思う。心理学のためのゲームではなく、あくまでESD教材としては個人間の葛藤を少なくした方がよいと判断したのだ。
また、先進国3と途上国4を基本に、ゲームの方向性をある程度決めてある。それは、先進国が途上国の持続可能な開発を進めるというものだ。よって自由度は「仮想世界ゲーム」よりかなり低くなる。先進国の勝者はその国の富ではなく、途上国への貢献度で決める。途上国の勝者は開発度(富)で決めるが、自国の投資を進める為簡単なPRSP(貧困削減戦略文書)を書いたり、観光会社をつくったり、「仮想世界ゲーム」では先進国にしか設置しない企業をつくれたりするようにした。かなり開発経済学の実際に近づけてある。

先週から、空き時間に新たな「マニュアル」を制作している。これまでの2回の実践体験からいかにすれば、普通の学力の生徒がこのゲームを楽しみ、学べるかを考えている。本校でも、3学期に実践するつもりでいる。

企業の収益を計算するのが大変だったので、少人数でも経営が可能なように、一気に簡単にした。また、食料チケットの価格も、先進国のメンバーなら10sim以上、途上国のメンバーには10sim未満とした。やはりある程度自由裁量をもたせたい。また、餓死(2回連続して食料チケットを購入出来ない場合餓死するルール)することのないように、農園主が農場を拡大するように誘導するルールをつくった。

数値バランスが命のシミュレーションゲームである。また、現実と仮想のバランスも重要である。H先生が来校される日まで、何度も推敲を重ねながら、考え抜きたいと決意している次第。

2012年10月26日金曜日

アフリカの熱帯高地DE小麦栽培

ケニアのハイランド
「アフリカの熱帯高地は小麦生産に適している。さらに生産量を増やせば穀物輸入依存度が高いアフリカには有為ではないか。」メキシコに拠点を置く国際小麦トウモロコシ改良センター(CIMMYT)が、こういう研究成果を発表した。

CIMMYTは、農地が生態学的に小麦栽培に適しているかどうかをコンピュータでシミュレーションした結果、最も高い収穫高を示したのが東部および中央アフリカの高地生産だったというのだ。ルワンダ、ブルンジ、ウガンダ、エチオピア、ケニア、それにマダガスカルが該当するらしい。熱帯高地では、日当たりが良い一方で夜冷えるのがいいそうだ。これらは、灌漑設備がなくとも条件がよいそうで、各国に少なくとも50万haほどの小麦に適した農地があるという。
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/121026/mcb1210260505025-n1.htm

アフリカの穀物生産の中では、小麦は決して多くはない。『図解アフリカ経済』(平野克己・日本評論社)によると、小麦生産が盛んなのは、南ア、ケニアくらいである。私自身、ケニア山の麓のハイランドと呼ばれる地でイギリス人が経営する広大な小麦プランテーションを視察したことがある。だから、アフリカの小麦生産というと、ついそういう感覚で見てしまう。

CIMMYTの立場は、そういうなプランテーションを想定していないように見えるのが嬉しい。生産活動における最大のネックを「肥料」の確保においていることが、それを証明している。これらの国では、肥料はまだまだ「ぜいたく品」であると指摘している。すなわち現地の農民の生産を前提にしているからだ。国際資本のプランテーションなら、そういう問題をなんらかの方法でクリアするはず。

ブルキナファソの農村
ブルキナで、まだIさんが孤児院をつくろうとしていた頃、近くの農地で様々な作物の栽培実験をしておられた。ゆくゆくは孤児たちの食料や養育費の為に、土地を提供してくれていた現地の人に栽培実験を依頼されていたのだった。
その時、Iさんは近くの店で肥料を購入された。その時の価格など今さらながら聞いておけばよかったと思っている。そのあたりはブルキナの中緯度なので、おそらくブルキナでも中程度の土地だったと思う。(ブルキナでは降水量の関係で、南部の生産性が高く、北部になるほど生産性が低くなる。)Iさんが日本人で金持ちだから肥料を購入したわけではいと私は推測している。なぜなら肥料は商品として普通に並べられていたからだ。

ブルキナは、アフリカでも最貧国の1つに数えられるのだが、食料生産に関してはアフリカではマシな国である。様々な穀物を食べる。米も食べるし、キャッサバなどイモ類も食べるし、雑穀も食べる。もちろんフランスの植民地だった関係で、フランスパンもおいしい。だから、肥料もある程度流通しているのではないかと思うのだ。アフリカもいろいろだが、内陸国のブルキナで、そうであるならよっぽど罠にハマっている国でなければ、およそ他の国も同様ではないか。もちろん、CIMMYTが言うように十分ではないだろう。アフリカが少しでも豊かになるのなら、地域社会と環境を破壊しない程度で小麦生産が進展することは、大いに歓迎すべきことだと思うのである。やはり、アフリカの開発は農業からだ。

2012年10月25日木曜日

アフリカの「サバクバッタ」危機

サバクバッタの発生分布 
久々にアフリカの話題である。といってもいい話ではない。またまた大量のバッタが発生しそうだというのだ。このバッタ、「サバクバッタ」という奴らしい。FAO(国連食糧農業機関)によると、このままだと、数週間以内にアフリカ北西部に大打撃を与えるという。そこで、FAOは、チャドで殺虫剤散布を行うと共に、ニジェールでも軍隊の護衛付きで同様の散布を行っているという。また、アルジェリア・モロッコ・セネガルなどの殺虫剤の備えをもつ国に働きかけ、WFP(世界食糧計画)とも連携しながらチャドやニジェール、マリなどに贈与し、国際連携で被害を防ごうとしているようだ。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2908938/9728996?ctm_campaign=txt_topics

なかなかいい取り組みだと私は思う。FAO・WFOには是非とも頑張ってもらいたい。ところで、このサバクバッタという奴、とんでもない奴である。モーリタニアからインド北部まで分布していて、60カ国に被害を与えているらしい。必ずしもいつも集団発生するわけではないようだが、雨季の雨が多いと、集団発生し、世代交代(1年で2~5世代)しながら集団を拡大していくらしい。自分の体重と同じくらいの緑の植物を食べる。緑色の植物ならなんでもありで、さらに排せつ物で植物を腐らせるらしい。風に乗って移動するので、1日100~200kmも移動するという。
http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%BF

まったくとんでもない奴なのだ。幼虫のうちに対策をとればいいとか、フェロモンを利用して集団をつくらせないとか、様々な取り組みもあるようだが、そういう対策を取るべき国が概してガバナンスや治安が悪い。エリトリア、スーダン、ニジェール、チャド…うーんと唸ってしまう。人間の安全保障から対処しなければならない最底辺国が多い。そうれどころではないと言う感じだ。そこからさらに不幸が拡がっていく図式になっている。こういう不幸のパラダイムを先進国がまずなんとかしていかないと、と私は思う。豊かな人間は自分の利益にならないことには、できるだけ目をつぶるらしい。

2012年10月24日水曜日

反日暴動被疑者報道の裏に

今朝のモーニングで朝日新聞を読んでいたら、反日暴動で日本車を襲撃した青年の話が載っていた。日給は350円ほどの最下層の青年。バイク用のU字ロックで乗っていた中国人の頭部を乱打して、傷害罪に問われたという。

彼は、幼いころから反日映画をよく見ていたという。中国では膨大な反日のTV映画が作られ流されている。もちろん、学校教育でも反日教育が行われている。中国では、反日は民族的正義であるわけだ。父親は、この反日映画が大好きだった息子に同情的だ。無意識に映画の影響を受けていたのではないか。それに日ごろの鬱憤が犯行およんだ背景だと語る。

昨日、パキスタンの少女とタリバーンの話をエントリーした。その結論は「貧困」から無理解や独善、暴力肯定を生むということだ。これを克服するのはちゃんとした教育であるということでもある。今日の記事を見て、中国の反日暴動もまた同様の病根があると確信した次第。

私は「愛国無罪」という反日の人々が発するスローガンに底しれない反理性や教育のゆがみを感じる。教育者のはしくれである私は、同様にいかような怒りがあろうとも他者に対して「鬼畜」などという無慈悲な表現を使うことにも反理性と教育のゆがみを感じるのだ。

2012年10月23日火曜日

私たちはマララ

パキスタンの保守色の強い北西部で、女子の教育を制限しようとするタリバーンの脅迫に怯えながらも学校に通う日常生活を送っていることをブログに綴っていた活動が認められ、パキスタン国内で18歳未満の未成年を表彰する「国家平和賞」を受賞していた15歳の少女(マララ・ユスフザイさん)が、学校のワゴン車に乗っている所をタリバーンの武装集団に襲われ、銃撃された。

このニュースを私は昨日NHKの報道で知った。現在彼女はロンドンで治療を受けているのだが、世界中で彼女の回復を祈る活動が行われている。「私たちはマララ」という新聞社から始まった支援活動である。かなり重症だったようだが、現在はだいぶ回復したらしい。

パキスタンでは、このタリバーン掃討作戦を強化すべきという意見と対話によって解決すべきという意見に二分されているらしい。

…開発経済学から見れば、女性の教育は重要な視点である。子供の命を守る保健衛生面からもそうだし、女性の労働によって蘇生した村も多い。もちろん、ジェンダー・人権という面からも様々な支援がなされている。当然、私はこれに異を唱えるものではない。

…一方、イスラムの女性観については、私は数冊の本を読んだにすぎないが、「女性を守る」というスタンスが貫かれていると感じている。一夫多妻制も、ジハード(聖戦)で夫を失った女性を守るためであったらしいし、ヘジャーブも同様であったと思っている。だが、イスラム共同体が国家となっていくにつれ、女性の権利が制限されていったらしい。

…今回の事件、私は「私たちはマララ」の対場に立つ。いかなる意見の相違があれ、暴力で対処するのは野蛮きわまりない。この点、原理主義者のタリバーンの非は明らかである。しかし、イスラム教全てが、女性の教育を否定しているわけではない。イスラムに対する無理解が拡大しないかと心配する。また過激な原理主義者が何故生まれたのか。それも考慮に入れなければならないと私は思う。タリバーンは、イスラム教の教義だけ学んだ兵士が多い。原理主義的な教義しか知らない。他者を理解する能力に欠けている面がある。多くは貧困な家庭に生まれ、神学校で育てられた人々である。教育の力がいかに大きいかを感じるのだ。

…貧困に苦しみ、そこから脱出するため学びたいと思う女性が、貧困の中で原理主義に染まりあがった男性に襲撃された。問題は、「貧困」にある。これだけは間違いないと私は思うのだ。

2012年10月22日月曜日

IQ84と中国の「微博」

今朝の日経朝刊の本社コラムニスト土谷英夫氏の書いた「核心」はなかなか面白かった。概要を伝えたい。
村上春樹の世界的ベストセラー『IQ84』(私は村上春樹は、ノルウェイの森以来読んでいない。)の中国語版が、北京の書店で平積みされていたのに一時姿を消したそうだ。この小説の下敷きは、英国作家・ジョージ・オーウェルの『1984年』である。その小説の中で設定された国では、テレスクリーンと呼ばれる装置が各家庭にあり、常時「党」の宣伝を流す一方、十人の言動を監視する。「党」の最高指導者は、ビッグ・ブラザー。中国語風に直訳すれば「大兄」になる。
中国のネット人口は、5億人を超えているという。多くがミニ・ブログの『微博』(ウェイボ)を利用しているらしい。当局がほうどうを抑え、ネットを検閲し、集会やデモの呼びかけを封印する姿は、「1984年」を彷彿とさせる。

…土谷氏は、いつまでも中国がこんなことをやっている場合ではないという意味で、こんな話を出している。1820年台、清の乾隆帝の頃、中国のGDPは世界の1/3を占めていた。もし、あの頃西洋の科学技術を取り入れ産業革命に取り組んでいたら世界史はかなり変わったはずである。中国が公表しなくなったデータが2つある。ひとつは、ジニ計数(国内の経済格差をはかる:1が最大値)がある。改革開放初期には0.3であったものが、現在は0.5ほどに悪化したと推測されている。これは、中南米やアフリカ諸国並みである。もう1つは、集団抗議行動の統計で、03年にはおよそ6万件、05年では8.7万件。最近の非公式推計では18万件となっている。
中国の人口のは、この2015年で最高値となり後は下り坂になる。様々な経済的問題を克服するには、現在の統治機構そのもの(中国共産党の一党独裁)の改革が必要だと西側のエコノミストは見ている。最後にギリシアのペリクレスの言葉を引いて、民主化の普遍性を訴えている。

…書かれている順序を私なりに再構成してあるが、概ねこういう内容である。IQ84の下敷きが「1984年」だったとは知らなかった。(読んでないのだから当然であるが…。)この辺のくだりは実に面白い。たしかに、そろそろ中国も変化しないと大変なことになるのかもしれない。でも、それはそれで大丈夫なんだろうか。リビアやエジプトが民主化後、混乱しているのとはるかにスケールが違う。うーんとまた唸ってしまうのである。だがもう「大兄」に頼ってばかりの時代ではないということか。

2012年10月21日日曜日

イチローの来年に期待する

今年のイチローの戦いが終わった。マリナーズからヤンキースに移籍したことにはびっくりしたし、屈辱的な8番バッターで出場したことには、さらにびっくりした。しかし、さすがはイチロー。サムライである。なんなく打率を上げて、最終的に2番に座った。不動の1番はキャプテンのジーターだからそれで十分、イチローの実力をヤンキースに認めさせたと思う。

ジーターが骨折して精神的支柱を失ったヤンキースは、アメリカンリーグの優勝決定戦では、一気にタイガースに負けてしまったが、イチローには是非ヤンキースに残留して来年度ワールドシリーズを制覇して欲しいと思う。ヤンキースの83%のファンもそう望んでいるらしい。

イチローの背番号が31になってしまったのは極めて残念である。大阪人としては「31」は掛布である。(笑)私はTVを見ながら、31という背番号を51にイメージしながら見て応援している。(笑)やっぱり、イチローは「51」なのだ。来年も、イチローらしいプレーを期待したい。

2012年10月20日土曜日

舩田先生の「米国対日戦略」

朝のTV番組で、前財務相で現民主党の幹事長代行のAなる政治家が、例の復興予算の他への流用について稚拙で醜い言いわけをしていた。司会者に逆効果だと指摘されるまでもなく、「政治家主導」を標榜していた政党の財務相だったとは到底思えない。「なさけない。」というのが全てだ。

ところで、モザンビークをはじめとしたアフリカの平和学の研究者で、「アフリカ学入門」の編者である東京外大の舩田クラーセンさやか先生のブログ「アフリカ教育関連情報」に、面白い「視点」が載っている。
舩田先生の私見の要旨を述べると、「今回のオスプレイの話は、アメリカが、民主党に二度と復帰できないほどの打撃を与えるためだ。官僚も民主党政権に打撃を与える為わざと下手に動いている。アメリカにとって平和で助け合う日中韓関係は極めて都合が悪い。(WWⅡ後協力に復興支援しながらも、米国に対抗して団結した)EUの二の舞を作るわけにはいかない。日本はポチとして、隣国に嫌われておくべきである。そういう状況下で米軍基地を必要不可欠と思わせキープしたい。そんなアメリカに追従するのは、危険この上ない話である、というアメリカの対日戦略の話である。」
http://afriqclass.exblog.jp/16479446/

なお、この話の続きは、http://afriqclass.exblog.jp/16496958/にある。アメリカの対日戦略のさらに詳しい話になる。民主党がボロボロにされていくのは、アメリカの戦略だ、アメリカへの追従に対抗できる「憲法上の制約」のカードを、ポスト冷戦世代の自民党(今回の総裁選で党を背負うようになったタカ派と言われる総裁や幹事長をさす)は、放棄すべきではないとという結論となる。

私はなかなか鋭い視点だと思った次第。この「私見」は海外では、そんなに突飛な意見ではないそうだ。実は、世界中で最も危険な国籍は、各地で紛争を仕掛け、復讐の対象となっている米国で、アメリカンスクールの看板をかかげていない国の方が多いらしい。私自身は護憲派でも改憲派でもないので、なるほど…と頷くだけである。何回かエントリーしたが、民主党政権になって、官僚の仕事があまりにサボタージュというか、考えられないほど能力低下しているというか、おかしいのではないか、そういうことを指摘してきた。もし、その遠隔操作がワシントンでされているとするば、まさに属国たる面目躍如である。今回の復興予算の話も、官僚がわざと予算配分して、NHKにリークして…などと深読みするとちょっと怖いが、全くありえない話でもないか。

ちゃんとした研究者の様々な意見を知っておくことは社会科教師としては大切なことだと思う。もちろん、自分の政治的な意見は公立高校の教師としての仁義で一切授業では言わない。念のため。

2012年10月19日金曜日

校外学習はクラスでBBQ

クラス全員で「乾杯」
中間考査を終えて、今日は校外学習である。行き先は、昨年私が副担任で行った二色の浜である。今回はできるだけ生徒主体で校外学習を運営して欲しかった。担当生徒に下見に行ってもらい、先導をまかせた。スーパーの買い物の時間も、事務所に申請書と料金を持っていくのも、炭の分配も、海で遊ぶ時間も、みんな生徒に検討させ決定した。

クラスでは、文化祭以後、リーダーがたくさん育っている。それ以外の生徒も自分が何をすればいいのか考えながら動けるようになった。ありがたいことである。なにより自分のクラスに誇りと愛着を持ってくれている。
イカやタコ、ホタテに、カキのバター焼きも
BBQは大いに盛り上がった。焼き鳥を楽しむ班もあれば、女子班らしい細やかな用意をする班もあるし、キムチやきそばが美味しい班もあった。運動部系男子班は、ひたすら女子班の余った肉を焼いていた。(笑)天気も最高。昨日の雨がウソのようで、私も顔が真っ赤になってしまった。(笑)ポカポカしていたので、BBQ場の前の海に行った生徒たちは、足だけ海に入れて楽しんでいた。キラキラと光る海に逆光姿の生徒たち。なかなかいいものだ。
関空の連絡橋を望む
帰りは予定より遅くなった。電車の中で、生徒が携帯を見て盛り上がっている。「?…何や?」「LINEです。」「?…何それ?」「アプリです。」生徒に聞くと、LINEというのはメンバー限定のコミュニケーションツールであるらしい。今日、撮ったスナップ写真や集合写真、あるいはメールを、そのLINEに乗せると、メンバー全員に瞬時に配信されるのだという。我がクラスでもLINEが成立していて約80%の33人が参加しているのだという。みんな次々配信されてきた画像に盛り上がっている。車内である。声を出して盛り上がるな。というわけで各人自重しつつ、ニコニコしながら携帯を見ている。(笑)うーん、たしかに便利だし、今日などは特に役に立つよなあ。50代のオジサンとしては、時代を感じるのである。

2012年10月18日木曜日

「岩倉使節団」を読む。(露国編)

St.Peterburg
さて、岩倉使節団の旅も最終コーナーである。このロシア行の前に、大久保と木戸に帰国命令がでる。井上馨と江藤新平の対立が尖鋭化し、国内組ではどうにもならないところまで来ていたのだ。大久保は、とりあえず、紙幣の印刷状況をフランクフルトで確認してから帰国の途に就く。木戸は、帰国命令をけり、ロシアまでついていく。木戸の中では、引退を決め、最後のご褒美旅行という気分に堕ちいっていて、ロシアではサウナ風呂にご機嫌だったようだ。

ペテルブルグで久米はこう書く。「英、仏、白(ベルギー)、蘭は平民に人物富豪の多きこと貴族を超える、故に全地みな繁昌して民権もまた盛んなり、独逸(オーストリアも兼ねる)、以太利(イタリア)は貴族の官平民に越ゆ、故に文物の観るべきもの、全国なお貧なるを免れず、因って君権は民権より盛んなり。ロシアは全く貴族の開化にて、人民全く奴隷に同じ、財貨は上等の民に包覧(所有)せられ、専制の下に圧抑せらるるも、この成形(成り立ち)による。」そこで、ロシアの貿易や商売はほとんど外国人によって独占され、ぺテルブルグの主だった店はわずかな英国人の経営を除いてはほとんどがドイツ人の経営だという。ドイツ人はロシア人を軽蔑すること甚だしく、ロシア人もドイツ人の傲慢虐待に怨恨を抱くほどだという。文化的にはなんといってもフランスを敬慕し、仏の文明が全ヨーロッパに覇を唱えている状況だという。…三帝同盟時代のロシアとドイツの関係が見事に描かれている文章である。なかなかこんな良い世界史教材はない。

このロシアの貴族の裕福さと、民の経済格差の大きさについて、久米は「西洋人は欲望が強く、その性情を矯しようという意識が低い。だから君主も、所有する土地やそこに住む人民から高い税を取り立て、膨大な財宝を懐に入れている。その様子はあくなき貪婪(どんらん)さだと言っても過言ではない。欧州の人民の間に自由論が激発し、王権を奪って民権を全うしようという議論が沸き起こる原因もそこにある。」と書き、「東洋人種は情欲の念が薄く、君主は道徳を重んじ、むしろ節倹を旨として、民の幸福を願うもの」という観念があり、西洋人種はその対極にあると解釈している。さらに、ロシアの政教一致の絶対王政を批判的に見る。「朝廷に臨みては帝となり、寺に入りては教王となり、宗教も支配下においているのはロシア一国である。」久米は、どうも宗教を支配の道具にしているケースが多く、この仮面を以って愚民を役使していると極言している。、

…かなりボロクソに久米はロシアを見ているわけだ。輸入の利をドイツに制せられ、海上の商権は英人に占領せられてしまっているロシアは、不凍港がないこと、黒海は英国人に制せられ、ボスポラス海峡はトルコに支配され自由に航行できないことがネックなのだ。クリミア戦争で、その突破口を開こうとしたが、国民一般に気力がなく破れてしまった。それもこれも貴族に富を集中し、人民が貧しく自立の力に乏しいからだと結論付けている。

開発経済学的に見た時、当時のロシアは悪いガバナンスに完全に毒されていた途上国だったと言えるだろう。一行は、ドイツに戻る道すがら、ロシアの荒野を見ながら思うのだ。地球は広い。大繁栄している英仏などの開化した都会は、ほんの一部だ。日本はまだまだこれから発展していく。必ず追いつけるはずだと。

2012年10月17日水曜日

「岩倉使節団」を読む。(独国編)

Waterloo
さてさて、今日はドイツ編である。フランスから使節団は、ベルギー、オランダを経由してドイツに入る。ベルギーでは、ワーテルローの話が面白い。今日のエントリー(ベルギー・オランダ・ドイツ編)を貫く逸話がある。「木戸日記」には、大久保、久米らと共に行ったことが書かれている。連合軍の本陣跡に三角錐状の高塚があり、225段の階段を登って頂上に立つ。頂上には仏軍から分捕った大砲を潰して鋳造したライオン像があり、砲弾を踏んでパリの方をにらんでいた。オランダからベルギーが独立戦争を起こした時、フランスが援軍を出し、この間にライオン像をこわそうとしたらしい。しかしベルギー人が保護しこわさせなかったという。そこで、今(使節団当時)に至るまで仏人で訪れる人はなく、英国人やドイツ人は来る人が絶えないという。…ベルギーはフラマン人(オランダ語に近いフラマン語)とワロン人(フランス語圏)に別れている。ワーテルローのある地域ははどちらかと調べてみたら、ワロン人の地域に入る。私はてっきりフラマン人の地域かと思っていた。

久米は、オランダでこう書いている。「オランダにいたれば、九州の筑肥四州に比すべき人口にて塗泥の中に冨庶を謀る景観を見る、皆、我の心思に、多少の感を与うるなり、ああ、天利に富めるものは人力に怠り、天利に険なるものは、人力を勉む、これ天の自然に平均を持するゆえんか。」久米の感想は一行の多くにとっても同じだったらしい。…この二小国が大国の狭間で頑張っていることに大いに学ぶことが多かったらしい。

ドイツで一行はエッセンのクルップの工場を訪ねている。わずか14歳で小さな鋳物工場を継いだアルフレッド・クルップは、スプーンの圧延機を発明して企業の基礎を固め、鋳鋼砲の製造を手掛けていく。プロシアのの富国強兵策に乗じて発展する。50トンの大ハンマーで大砲の大筒が叩かれ、地響きを立てていたという。英国でアームストロング社を見学していた一行は、まだ後進と思っていたドイツにもこのような同様の巨大な兵器工場があることに目を見張ったのである。普仏戦争で勝利したドイツは一躍世界の脚光を浴びていた。日本も陸軍の手本をフランスからドイツに変更していくのである。アルフレッド・クルップがここまで発展させるのに25年かかっている。しかし25年あれば小さな町工場が世界に冠たる巨大工場に発展しうるということを彼らは学ぶのである。

しかし、首都ベルリンではやはり後進の二等国という印象が強かったようだ。当時は戦勝気分でタガがゆるんだのか、巨額の賠償金でにわか成金風になったのか、退廃の気分が蔓延しており、兵隊と学生が我がもの顔で歩き、公園では酒を飲んで放歌高吟、路傍に小便を垂れ、ポルノ写真まで売りつけられたのである。このころのドイツはまだまだヨーロッパの田舎者だったのだ。

とはいえ、ビスマルクと会い、「文明の城、法治国家も、文明の掟、万国公法も、いずれも力の背景があってこそ、思えば国内法といえども守るには力がなくてはならず、いわんや国際間において法律のみを信じるわけにはいかない。その裏付けに軍事力があってこその万国公法である。」という彼のスピーチに、うすうす感じていたヨーロッパ列強のロジックが、判然としたのである。

久米はつらつら思うのである。『勝つものは之を誇耀し、破れる者は憤恨し、一の銅像、互いに奪い互いに復せんと、怨恨の種を植えて、世のおわるまで除かず、そもそも是を毀って恨を銷さば、あに他日保和の善謀に非ざらんや、西洋の列国の政は、民に聴いて成る、血をふみて凱旋する際には、人気激昂し、これらの挙をよくするに非ざれば、軍気を鎮すべきないか、将来ベルリンの銅像を、仏人再び之を仏国都に置かんと欲し、この庫の銅像、デンマーク人もまたこれをその都に恢復せんと欲する、かつてやまざるなり、これあに終極あらんや。』仏教的な寛容の精神や儒教の教えからくる調和論からすれば、まことにあきれ果てた愚かな論理だと漢学者・久米は言いたいらしい。
…改めて、今年、『EU』がノーベル平和賞を受賞した意味を深くする一文ではないだろうか。

2012年10月16日火曜日

「岩倉使節団」を読む。(仏国編)

Paris 1873
3日連続で「岩倉使節団」の教材メモをエントリーしたい。今日は、フランス編である。久米の『米欧回覧実記』には、ドーバー海峡を渡り、カレーに着いた途端に別世界に入ったと感じたとある。こうも雰囲気が変わるものか、第一に言葉の感じが違う。久米には英人の発音は「沈鬱」に響き、仏人のそれは「激越」に聞こえた。意味がわからないだけに、音感の変化が一層強く感じられたらしい。「食膳の設けもとみに調味を変ず。」ともあり、ワインに始まってカフェに終わる昼食は、トーストと紅茶中心のつつましやかな英国の食事とはおのずから趣を異にしたのだろう。…久米の「漢学者としての表現」がすこぶる面白いと私は思う。

当時のパリは、普仏戦争で敗れ、しかもパリ=コンミューンを制圧した直後である。ドイツに賠償金50億フラン(9億5000万ドル)を課せられていた。使節団はうらぶれて意気消沈したパリを創造していたらしい。ところがパリはクリスマス前ということもあって、華やいでいたのだ。久米は、ロンドンは活力に満ちていたが、こうしてパリに来るとまるで鉄臭煤気の喧騒の工場から緑陰清風の都、雅な離れ座敷へでも出てきたような感じであるとも書いている。どうやらパリの魔力に魅せられたようである。…私はロンドンを知らないので何ともコメントし難いが、たしかにパリには、そういう魅力があると言えなくともない。(私はあまりパリが好きではない。笑)

ところで、この普仏戦争の賠償金は、久米が教えを請うた経済学者ブロック博士によると、次のような話になる。「そもそもドイツ国民は貧乏でフランス人の資金を借りて経済のやりくりをしている。平和の際はフランス人も別に貸金の取り立ても厳しくないが、今回のようなことになって大金がドイツに流入すると、これらの債権の取り立てを厳しくする。さすれば、いったんフランス政府からドイツ政府に金が流れても、結局個人の手で取り戻すことになる。まあ、50億フランといっても7年もあれば全額回収してしまうだろう。」事実、フランス政府がドイツへの賠償金を払うために国債を募ったところ、これがたちまち売り切れた。それは国民がそれだけの財力をもっている証拠であり、国家の信用が高いということでもある。この間フランはほとんど下落せず、ビスマルクやグラッドストーン(英国首相)を悔しがらせたのだという。
…ここで、昨日書いたロンドンの貧民街視察の話が出てくる。使節団は、英国の貧富の差、富の偏在が大きいことにすでに気付いている。

英国人の8割は商工業に従事しており都市中心であるが、フランスの工業は4割程度、農・工・商のバランスが取れている。
フランスの土地は豊かで気候が温暖であること、フランス革命とナポレオン1世によって自作農が多く生まれ、勤労意欲も高く生産性も高いことによってフランスの自作農はまさに小金持ちになっている。この土地資産も含めた農業の強さこそが、フランスの冨の基礎なのである。…久米は、様々な学者から学び、受け売りとはいえ見事な分析をしているわけだ。

さて、フランスで木戸も、ブロック博士に教えを乞う。書生気質で気軽に出かけるところが木戸なのだが、岩倉も自分から行くと言いだした。「文明開化も、独立自由も、よくよく考えてやらぬと大変なことになる。」という木戸の思索に影響されたらしい。木戸は、この頃からかなり慎重な考えに陥っていたようだ。…木戸のこういう姿勢は、帰国後も続くことになる。だから維新の三傑でありながら、大きな仕事ができていないわけだ。

一方、大久保は「先のことは心配してもよくわからないから、当面できることからどんどんやっていくしかない。取り込むだけ取り込み、その弊害が出ても十年か十五年後には必ず人が出てそれを修正し、害を除いてくれるだろう。そう信じてやるしかない。」と腹を決めたようだ。木戸日記によると、両者は、この点でかなりの議論があったようだ。洋行前、開明派だった木戸が保守化し、保守派だった大久保が開明化していくのである。大久保は、それにしても、英米仏は開化すぎて、日本が直接師とするにはちょっと手が届かない。ドイツやロシアあたりが手頃かもしれないという予感をもっていくのである。…英国で自信喪失したリアリストの大蔵卿・大久保が腹を決めたのはフランスでの話なのである。今度は反対に、木戸がかなり神経質になっていく。司馬遼太郎は木戸のこう言う資質を何度も指摘しているが、ここにルーツがあったようだ。なかなか面白い。

2012年10月15日月曜日

「岩倉使節団」を読む。(英国編)

昨日の続きを書こうと思う。今日は英国編である。久米の『米欧回覧実記』は相変わらず鋭い。英国のビクトリア時代の議会政治を鋭く分析している。貴族院が隠然たる力を持っている理由を『貴族の国会に最も権力あるは財力にあり、およそ国のために公益を興すも、国安を保持するも、威力を伸べるも、商議の結局は財用に帰す。』と書いている。下院に対しても同様で、国民の一番の関心事は要するに租税であり、それをいかに徴収し、いかに配分するかが政府の最重要の問題だとしている。米英では、商工業者が大きな力をもっている。そこから生み出される冨、財産が民権のもとであるという分析は、当時としては凄い洞察力なのだと私は思うのだ。

木戸は、長州の後輩、青木周蔵をベルリンからロンドンに呼び寄せている。憲法をつくることを念頭に、青木の講義を受けるのだ。『米仏は自由主義の度合いが強くて共和制度であり、英独は互いに似て君主・貴族制度の度合いが強い。イギリスでは個人の自由は十分に尊重するけれども平等に権利ある者とは考えない。フランス人の言う自由主義、平等主義も結構だが、全国民を十把ひとからげにして同じ権利を認めるというのは、結局社会の秩序を根本的に変えることを意味する。』これに木戸は感涙したという。木戸は、自由が過度にわたり、忠孝の道がすたれのではと心底心配していたらしい。この辺も当時の状況から見て大いに理解できるところだ。で、経験主義的な実体的な条文しかない英国より、理路整然としたドイツ憲法を翻訳するよう青木に託すのだ。…実は、この辺に大日本帝国憲法の源がありそうである。

女王が不在故に、使節団は英国をなめるように視察していく。リバプールについて。『毎日平均ニューヨークへ34隻におよび、ボストンへは8隻、他の港に11隻、計53隻ずつ、日々連綿として大西洋に旅立っている。』とある。実はこのリバプール、かつては国王承認の海賊の基地であり、18世紀後半には奴隷貿易の要港となり、アメリカ移民の基地となり、産業革命後は綿や羊毛と工業製品の交換の要衝となっていた。クレーンを始めとした港湾設備に感激し、日本の港湾のインフラについて考え、荷物の包装の重要性について考えている。…最も英国で使節団がビンビン感じたのが、こういう設備投資の格差だっただろうと思われる。

ニューカッスルで、工場見学をした際、案内する人にいろいろ聞いてもわからないことが多い。それぞれの専門があって、自分の専門以外のことはわからないくらい分業が進んでいることに気づくのである。これこそ生産性の高さの秘密。…こういう本質を見抜く力は、やっぱり凄いよなあ。

大久保は英国で、引退を口にしたことがある。当時43歳。大久保の真意は、米英の富強の本はわかってきた。これに追い付く法もないわけではない。しかし先立つものはカネである。岩倉も木戸も、現実にカネの心配をする官職についたことはない。しかし大久保は現に大蔵卿である。極めて現実的なリアリストである大久保は、米欧の様々な工場やインフラを見て、いかほどの資本が投下されたかを考えたに違いない。後に殖産興業の先頭に立ち、独裁とも揶揄された大久保も、あまりの格差に茫然自失していたということらしい。…責任をもつ男の悲哀である。これを機に再び立ち上がる大久保は、やはり維新最強の男だと思うのだ。

英国との不平等条約の折衝では、トルコやエジプトがしきりに引き合いに出された。日本より10年先だってトルコも同様の不平等条約を結ばされており改正交渉を進めていたのだ。同列におかれていたということだろう。…これは不勉強を恥じるところ。なるほどと思った次第。

『実記』には、「英国は日本と人口、形勢、位置、広狭などが近い、ところが営業(経済)力は格差が甚だしい。英国の労働人口は891万だが、動物船車の力は4400万人に匹敵し、蒸気器械の馬力は人口11人につき平均1馬力をもつ。植民地の面積を総計すればロシアの広さをも凌駕し、日本の76倍、総人口は2億4332万人となる。と久米は書き、米国での視察が予習の役を果たし英国では冨の源泉について学んだ。」と感想を述べている。しかし、こんな言葉で結んでいる。『著しくこの景象を生ぜしは、わずか四十年にすぎざるなり。』…よく調べてある。さすが久米である。最後の「四十年」に、サムライの意気が感じられる。

最後に、使節団はロンドンの貧民街まで視察している。この話、後の仏国編に繋がっていく。長くなった。本日はここまで。

2012年10月14日日曜日

「岩倉使節団」を読む。(米国編)

今、「岩倉使節団-誇り高き男たちの物語-」(泉三郎/祥伝社黄金文庫/本年9月10日初版)を読んでいる。全775ページのぶっとい文庫本である。これまでにも、岩倉使節団について書かれた本は何冊か読んだが、ここまで詳しい内容ではない。数多くの逸話が盛り込まれており、日本史あるいは世界史の教材としては一級品である。と、いうわけで、何回かにわけて、教材として使えそうな逸話集をエントリーしておこうと思う。

このノンフィクションは、久米邦武という肥前出身の漢学者で、鍋島閑叟の秘書のような立場にあった人の公式記録『米欧回覧実記』を中心に書かれている。

サンフランシスコで歓待された話は有名であるが、その後シエラネバダを超えソルトレークシティで大雪のため止め置かれることとなった。1971年の正月をここで迎えている。一夫多妻のモルモン教に驚きながらも、温泉があったのが救いだったようで、なかでも木戸は痔に悩んでいて好都合だったという。…木戸は長身の色男だったはずだが、おもしろい逸話である。

ワシントン滞在中、久米の大使付の仕事に幕末の薩摩の留学生の一人、畠山義成が通訳として加わった。条約改正交渉で自由な時間があったので、この際米国憲法を翻訳しようということになった。畠山が口訳し久米が筆記した。ここに木戸が「おれも参加させろ」と熱心に通ってきた。「ジャスティス」を正義としたものの、「ソサエティ」の訳語が決まらず苦労したらしい。…後に憲法を定めることを大目標とした木戸の逸話としては最高の話だ。

木戸はこのころ英会話を習っていたが、新島襄と出会う。森有礼の紹介で随員となったのだった。木戸は以後、彼の堅実で着実な考え方がすっかり気に入り贔屓にしていく。…木戸の話が多いが、こういう人材を見出し、世に出す能力は木戸の最大の魅力である。

ワシントンで非常に目立つことのひとつに黒人の多さがあった。久米は人口11万のうち4万4千としている。ある日、黒人学校を訪れている。しかも、久米はこの奴隷制の顛末を書き記し、その未来までも推量している。「こくじにも英才輩出し、白人の不学なるものは、役を取るに至らん。」…私はワシントンに3度行っているが、今も変わらない。と、いうよりこの頃からそうだったことに驚いた。

一方、伊藤博文の軽率な勇み足で、条約改正を行おうとして大久保と一時帰国したわけだが、全く理解されず進退きわまって困窮の極に達した。切腹するしかないというところまで追いつめられたらしい。二人の面子上、委任状を出した新政府だが、軽々しく使えないように厳しい条件をつけた。…伊藤はともかく、大久保までこの軽率な行動に乗せられ、切腹寸前まで行ったというのが驚きである。

使節団滞米中、大統領の予備選挙中で、アメリカの政治制度を学ぶちょうど良い機会となった。久米は、こう評している。「一見すれば真の共和国であり、理想の形態のように見える。が、よくよく実態を聞けば、なかなか理想のようにはいかないようだ。」と、ポピュリズムや衆愚政治に陥る危険性を指摘する。事実、マーク・トウェインが「金メッキの時代」と名付けた金・金・金の時代であった。…久米の指摘は鋭い。漢学者であるが、やはり一流の人物の目は鋭い。

ニューヨークでは聖書の出版社も見学している。久米はキリスト教の狭義には批判的だが、こう分析している。「情欲が盛んで権利意識の強いアメリカ人の間では宗教がそれを中和し、バランスをとるに不可欠なものであることを痛感する。」人々が品行を保つ上でも実効があるとすれば、大いに学ぶに値するとしている。…これも久米の分析の鋭さが際立つ。

…すでに、アメリカの民主主義の問題点や、宗教の問題など、さらには「自由と民主主義」を拡げることを国是とすることまで見抜いている。明治5年という時代を考えると、やはり凄いとしか言えない。と、今日は、とりあえず米国編までの逸話でお開きとしたい。

2012年10月13日土曜日

男の顔の形而上学

Amebaピグでの自画像
「男は自分の顔に40歳になれば責任を持たなければならない。」とよくいわれる。リンカーンが部下の推薦した男の『顔が気に入らない』という理由で拒否した時、言った言葉らしい。最近、なるほどと思う事があった。

新内閣の法相の暴力団との関係が云々されている。初めて、TVで法相の顔を拝見した時に、リンカーンの言葉が浮かんでしまったのだ。なんとなく…感じるものがあったのだ。妻も同意見だったので、私だけの感覚ではないみたいだ。

最近TVに出てくる政治家の顔にも同様の感想をいだくことがある。人柄というものは、どうしても顔に出る。ちょっととカント風に言えば、イケ面とか、そういう感性が感じる感覚的質量ではなくて、悟性が構成する経験的対象であるように思う。男の顔にも、美醜があると思うが、内面からかもしだされる経験がミックスされる。土台が美であっても醜であっても、そういう部分が、40歳を超えると蓄積されるのだろう。

私が鏡で自分の顔を見るのは、朝のひげそりの時くらい。さきほど妻に「肌の手入れくらいしいや。」とクリームを渡された。なるほど、50歳を過ぎると肌にも責任を持たなければならないのか。(笑)

2012年10月12日金曜日

ウガンダの同性愛とハッカー

ウガンダ首相府の現在のHPより
ウガンダでは、同性愛が法的に禁止されている。(11年1月29日付ブログ参照)禁錮14年という罰則規定だったが、さらに厳しく死刑・終身刑にしようとする法案(ゲイ殺し法と呼ばれているらしい。)が提出されたという。これに、アノニマスという国際的なハッカー集団が、ウガンダ首相のウェブサイト、ならびにJLOS(ウガンダ司法秩序協会)のデータベースをハッキングしたという。
GlobalVoicesの10月11日付の記事である。
http://jp.globalvoicesonline.org/2012/10/11/16609/

日本語のタイトルは、『ウガンダ:ありがためいわくな「アノニマス」の同性愛活動支援ハッキング』とある。日本でも、ウィルスによる第三者のPC操作などが話題になっているが、ウガンダの同性愛者を支援している人々からも賛同の声は聞こえてこないようだ。

私は、欧米的な人権の普遍性もよく理解しているつもりであるし、一方でウガンダの地域で育まれてきた伝統的な価値観を否定することは出来ないと思っている。そう簡単に是非を決めれるとは思わない。この辺、多分に日本人的なあいまいさを持っている。だが、この「あいまいさ」に価値を見だす事こそが異文化理解の重要なスタンスではないだろうかと常々思っている。

「アノニマス」に参加している人々は、おそらく自らを、絶対的正義、コンピュータの世界では万能の力をもつと信じているように見える。彼らを含め、善と悪という二元論で、この世界を判断することの危険性を感じざるを得ないのだ。

2012年10月11日木曜日

世界史Bじゃがいも飢饉の脱線話

Aran Islands
中間考査が間近に迫ってきた。今回の世界史Bの範囲は第一次世界大戦前夜までのヨーロッパ史である。今日はイギリスのビクトリア時代の話をしていたのだが、アイルランドのじゃがいも飢饉の話でおおいに脱線してしまった。100万人の餓死者を出した悲しい歴史である。そもそもアイルランドは、古代ローマ帝国から疎外されたヨーロッパの田舎である。イギリスに併合されてしまうし、土地も悪い。そんなアイルランドの悲哀を象徴するのが、アラン諸島である。

実は、息子が高2の春休み、かねてからケルト文化に興味をもっていたので、夫婦して一人旅に出したことがある。一人っ子故に、勇気をもって旅に出したのだった。私がアメリカに行く為、HISに、ばら売りの海外保険を申し込みに行ったら、エールフランスの航空券が特別価格で出ていたので、ポンと買ってしまったのだった。このへん我が夫婦は思い切りがいい。(笑)一週間で、小遣いは500ユーロポッキリ。1泊目だけダブリンのユースホステルを予約しておき、あとは高校生バックパッカーにお任せ。(笑)その息子が目指したのが、アイルランドを横断し、大西洋岸のゴールウェイから、アラン諸島であった。我が息子ながらなかなかいいコースだ。

アラン諸島は、岩盤で出来た島で、風が強い。土は風で飛ばされてしまう。畑を石垣で囲み、岩盤を砕いて、海藻を敷き詰めてまでして農業をしている。凄い島なのだ。アイルランドの汗と苦労が凝縮したような島なのである。

さて、アラン諸島の話から、さらにアメリカへの移民の話になる。じゃがいも飢饉は、この移民を促進した。対岸のイギリスの港・リバプールがその移動基地となる。だから移民できなかった者もいて、リバプールには在英アイリッシュが多いわけだ。で、ビートルズの話になる。リバプールからニューヨークへの旅。移民の玄関・エリス島の話もすることになる。ニューヨークにアイリッシュが多くなり、白人の中でも最下層に置かれることになる。ちなみに、大陸横断鉄道を東から敷設した労働者はアイルランド移民が最も多い。(西からは中国人の苦力である。こんなことも教えておきたい。)あの9.11の際も、犠牲になったNYCの警官や消防士はアイリッシュが多かった。それは、犠牲者の追悼式がカトリックの三位一体の教義を名に冠したトリニティ教会で行われたことでもわかる。

St .Patorick's Day Parade
今では、アイルランド系アメリカ人は、本国より人口が多い。私のアメリカ人の友人の中でも40%くらいはアイリッシュの血が混じっているという感覚がある。最後に聖パトリック(アイルランドにキリスト教をひろめた聖人)デーの話をした。アメリカでも緑色の衣装を着て盛大にパレードが行われる。もちろんアイルランド系以外の人も参加するし、大リーグでも緑色のユニフォームを着てプレイする。今や、アイリッシュは、アメリカという国の超重要な構成要素になっているわけだ。

そんなことをしゃべっていると時間が押してきた。あちゃー、明日は世界史Bの3クラスとも最後の授業である。全力疾走で50分間走り抜けなかれば…。

2012年10月10日水曜日

日本のできる知的国際協力

IMFと世銀の総会が開催されているからだろうか、今朝の日経に、大塚啓二郎政策研究大学院大学教授の『途上国支援 技術移転軸に』という論文が載っていた。大塚教授は、世銀の「世界開発報告2013」の中心メンバー8人のお一人である。今回の開発報告は、Jobs(仕事)がテーマらしい。この論文で、大塚教授が特に主張されているのは、東アジアの発展を分析した開発経済学の普遍性である。世銀では、世界中の地域にあった開発経済学が存在すると言う理論が主流らしい。

東アジア的な開発経済学とは、日本や台湾、韓国、中国などが歩んだ開発の道筋である。すなわち、工業の発展段階は、まず繊維工業などの労働集約的な工業から始め、次にその設備投資に関連する機械産業、その素材たる製鉄などの金属工業などを発展させ、教育水準の向上とと共にIT産業やサービス業へと発展するという『雁行形態』である。日本も、他の東アジア諸国も同様の開発形態をとり、発展してきた。

ところで現在、世界経済は重大な局面にあると、大塚教授は言われている。世界の工場である中国から他の国へ産業が移動しつつあるのだ。日本では、70年代に45%をピークにしてGDPにおける工業生産比が下降し、韓国も90年代に40%から同様に下降、中国もまもなく下降に転じる可能性が濃厚である。おそらく、他の途上国へとさらに産業移転が進むはずである。

そこで、大塚教授は、日本はこの産業移転を支援することに期待していると言われている。同時にこの東アジア的雁行形態の決定的重要性のデータを示していく必要性を説かれ、これこそが日本ができる最大級の知的国際協力であると結ばれているのである。

…私の学んだ開発経済学は、まさに大塚教授の言われる東アジアモデルの『雁行形態』である。これをアフリカにあてはめた開発経済学を学んできたわけだ。反対に、それ以外の開発経済学モデルがあることの方が不思議なくらいだ。ソ連や鄧小平以前の中国が重工業化から開発するという愚行を実践したため、開発は一向に進まなかった。アフリカでも、モーリシャスなどはまさにこの雁行形態の縫製業で発展した。この論文にもあったが、エチオピアではイタリアの技術移転で革靴加工が生産を伸ばしているという。

たしかに、日本の技術移転・マネジメントやマーケティングなどをどんどん進めるべきであろうと思う。それは、これからの日本の生き延びる道ともいえるがが、同時に途上国との共生の道でもある。

2012年10月9日火曜日

IMFアフリカの成長率を下方修正

ロイターのWEBニュースによれば、今東京で世銀と総会を行っているIMFが、今年のアフリカの経済成長予測を5%以下に下方修正したという。主な原因は、ユーロ危機で世界的な需要減になっていること、特にヨーロッパに天然資源等を輸出しているアフリカとしては、その影響をかなり受けるだろうという予測だ。さらに、食料価格が上昇に転じており、南ア以外は圧倒的な穀物輸入国であるサブサハラ=アフリカは、その直撃を受けることになり、貿易収支の悪化が予想されるからである。さらに、中国経済が停滞し、中国からの直接投資が多いアフリカは、これまたかなり影響を受けるのではないかという予測もある。
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK824636720121009

うーん。全く良いとこなしである。あの成長著しかった韓国の経済も停滞しているようで、若者の失業率も上がっているようである。日本だけが悪いわけではない。(アメリカの住宅事情は、かのリーマンショック以来の底から這い上がったらしく、、まだ少しばかり上向きらしい。)日経を読んでいると、国際経済面では特に暗いニュースが多い。

ところで、今年は、世界の指導者の選挙ラッシュで、かなり構造変化が起こりそうだ。私が危惧するのは、不況をナショナリズムの高揚で乗り切ろうなどという、時代錯誤の指導者が跋扈することだ。経済はすでに、ボーダーレスの時代に入っている。今さら、ナショナリズムでもないだろう、と私は思っている。

地球市民として、自分の国家だけでなく世界の発展を志向する指導者こそ、未来を拓くと思う。まだまだ時間がかかるだろうが、私の役割は、教育の場でその底上げをすることだと考えたりする。

追記:土日と、本校のラグビー部の試合があったのだが、私は所用があって残念ながら応援に行けなかった。土曜日は、大阪市立の体育大会の決勝で、前回府予選でフォワードに押し切られ完敗したM工業高校が相手だった。なんと、顧問の先生にお聞きすると素晴らしいねばりで勝ったらしいのだ。宿敵を倒し、選手たちは皆泣いていたとか。もし、私がその場にいたら、きっと泣いていたと思う。それぐらいのリベンジだったわけだ。ラグビーの試合を二日続けてはキツイ。だが、日曜日の府予選、府立のT高校と対戦し、なんとほぼ完勝だったらしい。凄いなあ。強くなったなあ。次は、いよいよ全国大会常連のT・G高校との対戦である。

2012年10月8日月曜日

コンゴ民主共和国 エボラ出血熱

コンゴ民主共和国で、またエボラ出血熱が拡大しているようである。同国保健省の発表によると、北部のイシロ付近を中心に、9月29日現在で81人が発症が疑われ、36人が死亡したと言う。

このエボラ出血熱、私自身は最も恐ろしい感染症だと思っている。口や目、耳などから出血して死亡するという光景自体が、極めて恐ろしい。エボラウイルスは、コンゴ(ザイール)川の支流であるエボラ川の名を付けられたように、コンゴ民主共和国を中心に中央アフリカで過去10回くらい突発的に流行してきた。

空気感染はないのだが、感染者の体液(血液や分泌物)、唾液、排泄物から感染するので、宇宙服のような防護服で治療する。サルやコウモリなどが宿主だとされているが、未だ解明されていない。

アフリカのこのような話題をエントリーするのは気が進まないのだが、現実である。すでに、国境なき医師団が現地で戦っているそうである。犠牲者を一人でも救えるよう頑張って欲しいと祈らずにはおれない。

2012年10月7日日曜日

ビートルズ デビュー50周年

ビートルズがデビューして50周年なんだそうだ。(正確には、デビューシングルの”LOVE ME DO”の発売日が62年10月5日故)車で、FMを聞いていると、それを記念して、ビートルズのナンバーがずっとかかっている。、私としては非常にハッピーである。今日は忌野清志郎の”GET ME DOWN”なんかがかかってきたりして、おおおっという感じだ。

私がビートルズを知ったのは中学生のころ。それまでは、なぜかクラッシックにハマっていた。友達が、ロックやフォークに夢中だったが、クラシックの方がかっこいいと何故か思っていた。今でも、モーツアルトの”アイネクライネナハトムジーク”などど早口言葉のような曲名がすぐ出てくる。有名な曲なら、ぱっと何だかわかる。教養と言う面では、決して無駄にはならなかった。

とはいえ、私も時代に大きく流されていく。友だちが、HELPのジャケットを持っていて、妙に印象に残った記憶が鮮明にあるし、東芝が”LET IT BE”を広告の基本コンセプトにして、ガンガン流していたことも記憶している。やはり、ホンモノだったからだろう。やがて、高校時代、ビートルズに改宗することになった。ビートルズを知ってこそ、フォークの拓郎も陽水もかぐや姫もある。そんな時代だった。

ところで、私の好きなアルバムは、何といっても名盤中の名盤、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドである。実験的なアルバムであるが、ストーリー性といい、芸術性といい素晴らしいの一言に尽きる。最近、歌手をアーチストと呼ぶが、このアルバムがなかったら、果たしてそういう言い方をしただろうか。それくらい、ビートルズは音楽の世界を変えたと思っている。

好きな曲は山ほどあるが、私はシンプルなロックン・ロールが大好き。ゲットバックなんて鳥肌が立つ。解散直前のけだるい雰囲気の中で、最後にろうそくが燃え尽きるような輝きがある。サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドの中に、タイトル曲の短いリプレインがあるが、これもロックン・ロールで大好き。

このところ、パッと明るいニュースもなかったので、ちょっと気楽にエントリー。やっぱりビートルズはいい。

2012年10月6日土曜日

ケニア 植民地時代の賠償請求

Mau mau Uprising
毎日新聞の夕刊に、ケニア人3人が、植民地時代の独立闘争(マウマウ団の乱)で拷問などを受けたとして、ロンドン高裁に賠償請求をしていた問題で、高裁は賠償請求権を認めたというニュースが載っていた。
http://mainichi.jp/select/news/20121006k0000e030205000c.html

イギリス政府は上告するようだが、植民地政府の責任はケニア政府が引き継いでいるというイギリス政府の立場はかなり厳しい立場に立たされた感じだ。ケニアなどの途上国でも、こういう人権の問題が大きく取り上げられることは、普遍的な正義であると私は思う。

世界史Bで、ビクトリア時代のイギリスの話などを講義していると、つくづくイギリスは『先進国』なのだと思う。次々に起こる様々な問題にぶち当たりながら世界のトップを走ってきたわけで、その間に様々な失敗を重ねてきたし、それを克服してきた。ホント、経験主義的な国だ。

人権という概念も、一気に確立したわけではない。先進国では、強者から順に人権を獲得してきた。植民地で搾取されてきた人々は、最弱者の立場にあり、最もおきざりにされてきた。今回の判決は、ケニアだけでなく多くの旧イギリス植民地へ飛び火するだろう。さらに、フランスやその他の帝国主義政策をとった国にも飛び火するだろう。これもまた『先進国』の業というもののような気がする。

ところで、NYCのど真ん中、タイムズ・スクゥエアーに韓国の団体が、日本の従軍慰安婦の問題をアピールする看板広告を設置したというニュースが流れた。日本にとっても決して他人事ではない。

2012年10月5日金曜日

『ハイデガー拾い読み』を読む

新潮文庫の新聞広告に「ハイデガー拾い読み」(木田元著)という新刊が載っていた。これは読まなくては…と思った。私の高校時代の倫理社会の恩師は、ハイデガーの徒である。私自身もハイデガーの「世界内存在」という考え方、「ひと」に堕してしまう生き方を克服する実存主義哲学は、サルトルの次に好きだ。ハイデガーの哲学を基本コンセプトとして『ミカドはジグソーパズルがお好き』というオペレッタの脚本を書いたこともある。

さて、この「ハイデガー拾い読み」は、久しぶりに読む哲学書であった。ハイデガーの講義録をもとに、著者がアトランダムに議論を進めていく。私は、少し行儀が悪いのだが、文庫本を読み進める時、面白いと思ったページに折り目をつけてしまうのだが、かなりの量になってしまった。さて、エントリーでは、どの話を書こうかと思ったのだが、そのどれを取ってもかなり難解な文章になると思われる。

で、この本のアウトラインを少しだけ書くことにする。第一に、ハイデガーはアリストテレスを中心とした文献学者であること。それも、かなり強引な解釈をしていること。第二に、コトバというものがいかに、いいかげんで真意を伝えていないか、特にギリシア語・ラテン語・ドイツ語・日本語というラングの相違によって、かなり変化してしまうということもわかる。第三に、プラトン、アリストテレスの存在論の相違。プラトンのイデア論を存在論的に見る時、アリストテレスの「形相と質料」は、プラトン以前の存在論への回帰であること、などが印象に残った。うーん、ものすごく平易に書いたつもりだが、結局うまく伝えられない。(笑)

この本にはかなり多くの哲学者の話が登場する。プラトン、アリストテレス、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、シェリング、ニーチェ、キルケゴール…。倫理の教師としては、一応普通に通読できるのだが、おそらく、哲学を専攻する学部生以上でないとかなり難解であろうと思われる。だが、私の倫理の授業をちゃんと学んだ生徒なら、ぐっと我慢すれば読めそうだ。今3回生をやっている前任校の国語科の生徒なら、特に四天王と呼ばれた優秀な男子生徒諸君なら、専門外だが十分読めるのではないか、などと思った次第。

2012年10月4日木曜日

ケニアのUshirika International

ウシリカ HPより
毎日新聞の朝刊に、矢野敏行さんという方の記事が載っていた。タイヤメーカーの駐在員としてマネジメントをしていた方だそうだ。ケニアで定年退職後、そのままケニアに残り、支援活動をされていたようだが、タンザニア国境に近いロイトキトクという町で3年前に学校をつくった。現在園児から小学5年生まで約190人が通うという。今春児童の母親をリーダーにした主婦グループを作り、家畜のヤギや羊を渡している。交流する裁縫の訓練施設では卒業生に賃金を払い、タオル用の布地を提供している。駐在員時代は、自分が使う機械は自分でメンテナンスの責任を持つ「マイ・マシン活動」を進めた。学校では算数を教えることもあり、子供に人気だが、「工場で機械の使い方を説明するのと一緒」と照れる人らしい。

私が、いいなあと思ったのは、学校を作っても保護者の協力が不可欠だということを、矢野さんが実践されていること。ブルキナで教育省の方(JICAの取り組みを見学した後お話をさせていただく機会があったのだ。)と語り合った時、子供への教育の重要性を認識してもらうこと、同時に大人にも識字率を広めること、貧困を克服するための地域的な取り組みなど、保護者との関わりは極めて重要なことだという結論になったのだ。

もうひとつ、矢野さんが、ケニアで「メンテナンス」をすることを推進していることだ。ケニアの国土地理院のような役所で日本人専門家から、「スワヒリ語にはメンテナンスにあたる語彙がないんですよ。」と教えてもらったことを思い出す。語彙がないと言う事は、そういう概念が、スワヒリ語世界にないことを意味する。科学技術(経済と言い換えてもいい。)を発展させるためには、メンテナンスの習慣は必須だ。

学校と保護者の関わり、メンテナンスの重要性。こういう「開発経済学のミクロな部分」に矢野さんがきちんと対応されていることに、私は嬉しく思った次第。矢野さんが代表を務めておられるNGOは、Ushirika International(ウシリカ・インターナショナル)というらしい。ウシリカとは、スワヒリ語で「一緒に」を意味するそうだ。矢野さんのますますの活躍を期待したい。
http://ushirika.jimdo.com/

2012年10月3日水曜日

『サラエボ・ハガダー』

Sarajevo Haggadah
今朝モーニングで、ふと日経の「春秋」に目が行った。思わずコーヒーを飲みながら、手帳に写してきた。是非ともエントリーしておきたい。

20年前、独立間もないボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボは、激しい民族紛争の焦点となっていた。砲弾や銃弾が飛び交い、街のあちこちが破壊される混乱の中、市内の図書館で保管されていた1冊の本が行方不明になった。「サラエボ・ハガダー」という。

ハガダーとはユダヤ教徒が過ぎ越しの祭りで読む冊子だそうだ。14~15世紀に制作されたとされる。「サラエボ・ハガダー」は、その時代のハガダーとしては画期的な美しい挿絵入り。人類の秘宝ともいうべき文化財だ。図書館が砲撃を浴びている最中、これを安全な場所に移して守り抜いた学芸員がいた。イスラム教徒だった。

実はこの本をイスラム教徒が救ったのは、この時が初めてではない。街がナチスの支配下にあった70年前、ユダヤ人を目の敵にしていたナチスに奪われないよう保管していた博物館の学芸員が命をかけて隠した。学芸員の名前をデルヴィッシュ・コルクト。持ち前のすぐれた語学力がナチスの手を逃れるのに役立った。彼はナチスの迫害で家族を失くした娘を自宅にかくまい、安全なところへ逃亡するのを助けたこともある。宗教や民族の違いを超えた人と文化の深い愛情に打たれる。

…少しだけ原文を割愛しているところもあるのだが、およそこのような話である。イスラエルに実際行って、いくつかの博物館で、ユダヤ教の美しい書物を見せてもらった。まさに人類の秘宝と言ってよい。装飾的なヘブライ文字を書いているビデオも見た。素晴らしい技術だった。一方で、ユダヤとイスラムの深い溝も体感してきた。しかし素晴らしい文化財は、宗教や民族を超えることも学んだ。

多文化共生の難しさを強く感じつつも、結局は人と人なのである。互いを理解する余裕と教養こそが重要だと思うのだ。そういう地球市民教育をしていきたいと改めて思った次第。今日から、週1回の総合的学習で、一神教講座が開始された。1年生で私が担当していないクラスの選択者が対象である。

2012年10月2日火曜日

なぎなた部 国体V2 

大阪日日新聞より
本校のなぎなた部が、岐阜国体で競技の部、二連覇を果たした。昨年は合同チームだったが今回は単独チームである。昨年のインターハイ全国制覇以来、国体、選抜大会、今年のインターハイ、国体と全国制覇を連続で5回続けている。
漫画のドカベンの明訓高校みたいな話である。
あっぱれ!ホント、あっぱれ!

今日は、歯の詰め物が急にとれて歯科に行ってきたところ。短いエントリーになってしまいました。

2012年10月1日月曜日

農林省は「フクシマ」の敵か?

モーニングで朝日新聞を読んでいて怒りが込み上げてきた。「限界にっぽん 第一部 福島が問う政府6 『農地を領地だと思っている』」という記事である。以下抜粋。

福島県川内村の耕作放棄状態の牧草地をメガソーラー(大規模な太陽光発電所)の用地にする計画を進めてきた。ドイツ政府などの寄付が縁となって、ドイツのエネルギー会社『エコセンターNRWを社』から進出を打診してきたからだ。村が持つ牧草地を提供することとし、3月両者の間で基本合意した。建設費用は向こう持ち、地元には地代と売電収入の一部が落ちるという。遠藤幸雄村長にとって復興の一助になる「渡りに船」の案だった。さっそく村内6か所の牧草地を候補地に考えた。多くが木が生えて森林化したところだ。
農地だったところを農業以外の目的で使うことができるようにする「農地転用」は難しいと知っていたが、東日本大震災からの復興を促す「特区法」は、復興に必要なら簡略化された手続きで転用を認める緩和策を打ち出していた。だからできると思っていた。
村の東側は、福島第一原発から半径20km圏の警戒区域に指定され、3000人の村民は避難を指示された。今年1月に帰村宣言し、4月に警戒区域が解除されたが、戻った人は750人だけだ。39戸の畜産農家は7戸になり、300頭を超えた牛は100頭に減った。牧草地は300haもあるが、放射能汚染を恐れて牧草の代りに購入した飼料を餌にしている。
村長が耳を疑ったのはこの夏、復興庁と協議の席上だった。「牧草地の転用はできません。復興特区法で農地転用できるのは、津波被害を受けたところだけです。」そう復興庁の官僚が告げた。川内村は放射能被害を被ったが、内陸部のため津波被害は受けていない。対象外だというのだ。
「霞が関はまったく現場がわかっていない。仮に除染しても担い手農家がいなにのに…」せっかくドイツの会社が進出すると言ってくれたのに、復興の青写真が遠のいてゆく。

復興の足かせになっているのが「農地の呪縛」だ。農水省の「食料・農業・農村基本計画」は、2008年度に41%だった食料自給率を20年度に50%に高め、農地も計画策定時の461万haを維持することを掲げている。そもそも農地法は優良農地の転用を原則「不許可」としているうえ、09年の法改正では学校などの公共目的の農地転用ですら簡単に認めないよう規制を強めた。

農家がなくなっても、農水省が守る農地だけは確固として残っていく。

…食料自給率の話は、そもそも農水省の省益のためのデマであることは間違いない。彼らはどっちを向いて仕事をしているのだろうか。民主党政府は、政治主導と言いながら、放射能汚染に苦しむ川内村の小さな復興事業の後押しさえできないらしい。今日内閣改造があったが、農水相は留任したそうだ。