2012年11月30日金曜日

パレスチナの記念すべき日に

国連で、パレスチナがオブザーバー国家として認められた。正式な国家ではないが、国連内では投票権はないものの国家扱い(バチカンと同様)となった。反対した9カ国は、イスラエルとアメリカ、カナダ、チェコ、パナマ、それと太平洋の島嶼国(これ以上わからない。)だということだ。イギリスやドイツは棄権したという。

別に、それに合わせたわけではないのだが、今日はパワーポイント教材「イスラエル考現学」をLL教室で使いながら、どどっと4時間(3年生の世界史3クラス+1年現代社会1クラス)授業したのだった。おまけに放課後武道科の生徒で、柔道や弓道の試合のため公欠だった6人の生徒への補講もやったので、1日5回公演…。同じ話を5回もすると、クタクタになったのだった。(笑)

一番盛り上がったのは、我が1年1組であった。キッパ(ユダヤ教徒が頭に載せている)を五厘刈りの野球部にかぶせたりしたら無茶苦茶盛り上がったのだった。こういうやりとりが出来ると一層楽しい授業となるのだった。

パレスチナ自治区の壁アートも、なかなか印象深かったようだ。今夜TVでニュースを見た生徒は、きっと属性を感じたと思うのだ。

2012年11月29日木曜日

離煙 第2ミッションへ

Amebaブログ 落書き部屋さんより
離煙ミッションも、第2段階に入った。1~31までの離煙パイプを使いきったのだ。ここから6mmのマイルドセブンを1mmに落とし、21の離煙パイプから再スタートである。ここまで、順調に、ニコチン依存症を克服してきたようだ。

はっきり言って、1mmの煙草なんて、本当は全く吸った気がしないのだが、まあまあ満足できるのである。と、いうより、朝6mmの煙草が3本残っていた。もったいないので自宅を出る前に全部31のパイプで吸ってしまった。ちょっときつくて、ゲホゲホと言う感じ。モーニングでは1本(1mmを21パイプで)煙草を吸うのがやっとだった。いつも3本くらい吸うのだが…。

なんとなく離煙できそうな気分である。無理してストレスを増やすよりは、ゆっくり地道に時間をかけて…。

2012年11月28日水曜日

「オードリー・若林」のタレント

http://yaplog.jp/t0m0blog2/archive/1777
「世界は言葉でできている」というTV番組、毎回楽しみにしている。騒がしいバラエティー番組が多い中で、有名人のコトバを超える自分のコトバを考える比較的知的な番組だ。バナナマンの設楽とオードリーの若林がだいたい出ている。初めて見た時、設楽に関してはなるほどと思ったが、若林なあ…。と思ったのだ。しかし若林、毎回いいコトバを発するのだ。オードリーという芸人コンビは、相方の春日が強烈なので、若林は全く目立たない。中川家の兄みたいな存在だと思っていた。ところが、ほんと、若林のタレント(才能)には、驚きを隠せない。大したコピーライターである。

春日の方もただの怪人かと思っていたら、スポーツ、特に水泳などの能力はかなりのものである。これまで、芸能人をタレントと呼ぶことには違和感があった。本当に才能があるのか?そう思っていたのだが、なかなか大した才能を見せてくれる。(もちろんタレントと呼ぶにふさわしくない芸人も多いと思うのだが…。)

人間には様々な才能があるはずだ。心理学者がいうように、まるで氷山の如く使われていない能力が眠っているのだろう。教師の仕事は、ソクラテスが言うのように引き出すことである。教育の英語の語源は、この『引き出す』という語だ。

若林の才能を引き出したTV局の人間はたいした教育者だよなあ、などど思うのである。

2012年11月27日火曜日

日経 今回の総選挙の構造

3年生で、政経で難関私大を受験したいといっている生徒が2人いる。冬休みに補習する約束をしているのだが、彼らが言うには、現実の政治経済に即して語って欲しいとのこと。今朝の日経の経済教室は絶好の教材だったので、モーニングで読んだ後、わざわざローソンで買い求め、コピーして手渡した。

タイトルは「総選挙 混迷政治の打破なるか 政権の事後評価で判断を」という平野治学習院大学教授の論文である。平野先生は政治行動論が専門。面白い視点だった。論の要旨は以下の通りである。

まず「有効政党数」という指標である。議席を持つ政党の数と大きさの両方が反映されるもので、ある国がだいたい何党制であるかが判断する際に便利なものである。09年の日本では小選挙区では2を割っている。比例代表では3。全議席では辛うじて2を超える状態である。

さて、今日の日本のような民俗、宗教、階級など社会の中に構造化された利害の亀裂がない社会において二大政党間での政権交代システムを機能させるには、政権に対する「業績評価」に基づく「合意争点型政治」が望ましい。この事後評価に基づく政治は与党が一体として有権者の評価を受ける覚悟が必要である。これがないと説明責任が確保されない。今回民主党議員が選挙前に離党したが、説明責任の観点から認め難い行動であると言わざるを得ない。

離党し新党を旗揚げしても、前述の有効政党数にあるように小政党の生き残りは難しい。新党間で連携や合併が模索されることになる。そこでは生き残りが目標となり政策的なすり合わせは二の次になりやすい。

歴史的な経緯から、日本の場合、都市部の大企業(すなわち市場での強者)と農業や中小自営業(すなわち再配分に依存するセクター)の双方から支持を得た自民党政権が長期化した。前者には政治経済的な体制の維持を保障し、後者には前者から吸収した資源を再配分した。

経済のグローバル化や少子化により、政治的に配分可能な資源が逼迫し、市場強者と再配分依存セクターとの対立が顕在化している。社会保障と税の一体改革、TPPへの参加、原発の是非を含むエネルギー問題などは、いずれも経済・社会的なコストと便益の問題で、政治的対立軸として前面に出てきた。

これらはいずれも限られたパイを奪い合うゼロサム的様相を呈してきているので、明確な政策的立場を打ちだすにはリスクが大きい。こうした改革は重要だが、短期間に成し遂げることがいかに困難かは民主党政権が身をもって示したとおりである。

と、高校生にはなかなか高度な教材だが、まずは読んでみてわからんトコロを質問に来るように言っておいたのだった。おそらく、何がわからないのか、わからないかもしれない。(笑)

2012年11月26日月曜日

シエラレオネの風を捕まえた少年

以前、マラウイの「風をつかまえた少年」について4回エントリーした。(11年1月7日・13日・14日、2月6日)素晴らしい少年の話だった。中学に進学しながら、飢饉のため退学を余儀なくされ、町の図書館に通いエレクトロニクスを勉強し、ガラクタを集めて風力発電を成功させたという少年の実話だ。

WEBニュースに、シオラレオネでも貧困に負けず、廃品の中から集めた金属片や空き瓶などを使ってバッテリーや送信機、発電機などを作った少年が出現したという。ケルビン・ドウ君15歳。彼の天才を認めた同じシオラレオネ出身のMIT(マサチューセッツ工科大学)博士課程の青年が、3カ月のプログラムに客員研究員として参加できるように計らった。MITのメンバーも彼の才能に驚愕したとらしい。

マラウイの青年とよく似た話なのだが、こういう若者がアフリカにまだまだ埋もれているのだろう。素晴らしい話だが、開発には、何よりもアマルティア=センの言うように「潜在能力を発揮できる」環境が必要だ。「貧困」から抜け出すには、教育しかない。改めてそう思うのだ。

家族のために生活設備を整えたいと語る彼は、マラウイのウィリアム君のやったように風力発電の風車を作り、地域に貢献したいと言っているそうだ。アフリカの人々のやさしさと強さ、そしてなにより生きる力を実感させる話ではないか。久々に嬉しいニュースである。

http://rocketnews24.com/2012/11/26/269413/

2012年11月25日日曜日

パパ・ケネディのスタンス

ジョセフ・パトリック・”ジョー”・ケネディ・シニア。要するにケネディ大統領のパパである。第二次世界大戦緒戦、英仏軍がドイツに破れ、ダンケルクの撤退から”バトル・ブリテン”(ドイツ空軍の爆撃を受けながら防空戦を展開していた頃)中の駐英アメリカ大使である。

このババ・ケネディは資産家で、フランクリン・ルーズベルトの古くからの知り合いでもあった。当然自らの将来をかけて大統領選挙を応援し、猟官するわけだ。で、在英の大使にまでなるわけだ。

大森実の『人物現代史』の中で、アイルランド移民としての意地でチャーチル英首相に強くあたる場面が出てくる。こういう民族的な恨みを個人的にはらすというのは、歴史的な面白さであると私は思う。世界史Bの先週の授業で、生徒に清教徒革命やクロムウェル、じゃがいも飢饉の話などを思い出させて、第二次世界大戦の話をしていたのだった。

ところで、パパ・ケネディは、失言で大使の座を棒に振ったことになっている。多分に反ユダヤで、親ナチ的な政治姿勢もその背景にあるらしい。「民主主義はイギリスで死んだ。アメリカにはまだあるかもしれない。」という談話であるという。うーん。「じゃんけんで決めてもいい。」よりはマシだし、失言への批判に「言葉のセンスがない。」などと、さすがパパ・ケネディは居直ったりはしていない。

2012年11月23日金曜日

LEGOが好きなら見てほしい

Amebaピグライフにアクセスしようとしたら、偶然Amebaの情報が目に入った。面白いというか、凄いYouTubeの投稿を紹介した記事である。LEGOで作った金閣寺と東大寺が飛び出す絵本のように飛び出すのだ。私も大のLEGOファンだが、こういう動的な作品は初めて見た。

もし読者の方が、見てみようと思われたら、まず金閣寺、それから東大寺にアクセスして下さい。
その方が楽しめると思います。

http://www.youtube.com/watch?v=uYlA3NV0rFA
http://www.youtube.com/watch?v=K3PXYvuxivg

北海道弾丸ツアー余録

登別のホテルの修学旅行食事モデル
今回の北海道弾丸ツアーでは、登別温泉に宿泊した。温泉をゆっくり楽しむ余裕などなく、翌朝修学旅行時の細かな打ち合わせや部屋や食事場所を視察して、ニセコへ移動したのだった。ところで、この登別から洞爺胡のあたりは、元首相H氏の選挙地盤である。解散した後だったし、選挙ポスターがたくさん貼られているのである。

美しい洞爺湖とは見事なミスマッチの赤を基調としたポスターだった。(笑)地元・北海道の方に聞くと「北海道の恥」と言うコトバが返ってきた。そう言えば、前日の北海道新聞にも、元オリンピックのスピードスケート選手だったH氏が立候補していて苦戦しているという記事が第一面に載せられていた。

で、こりゃH氏は負けるよなあと思っていたら、ニュースでH氏は不出馬ということになったのだ。TPPへの参加の問題などで民主党ともめたあげくの話らしいが、北海道9区を実際に肌で感じてきた私にはきびしい勝負から逃げたという感想をぬぐえない。こんなことになるのなら、ブログ用にポスターの写真を撮っておけばよかったと後悔している。

この北海道9区はH山ファミリーの牧場があり、H山神社などというのもあるらしい。この地の開拓者の子孫で、「殿様」選挙。超金持ちで、母親からこづかいをまだ貰っていた「殿様」もついに、選挙民に見放されたらしい。沖縄の普天間問題、国連総会での発言、首相をやめてからもイランまで行ってイラン事を言ったり、常軌を逸した政治を行い日本を混乱させたのだから、まあ当然の話である。

政治家の資質とは何なのか。H氏には近衛文麿のような先天的な弱さを感じる。頭脳は優秀なのかはしらないが、苦労知らず。先祖の栄光だけでチヤホヤされ神輿にかつがれると、なにか自分の中で誤解をしてしまうのだろう。

こういう政治家の自己誤解は何も先天的な因だけではあるまい。よく妻が「何様のつもりやねん。」とTVに向かって罵っている。(笑)私も同感である。政治家の最も重要な資質は、真面目に物事を考えている人々の声をくむ謙虚さではないかと思うのである。

2012年11月22日木曜日

ケニアの地熱発電

ケニアのオルカリア地熱発電所1号機
ケニアのナイロビで、アフリカに地熱発電を推進する国際会議が21日から開かれているそうだ。ケニアでは、国内の全発電量の10%くらい地熱発電でまかなわれているそうで、日本の技術への期待が高まっていると言う。なかなか良いニュースではないか。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121122/k10013676921000.html

ケニアの地熱発電について調べてみた。ナイバシャ湖のすぐ近くのオルカリアという地域で行われているらしい。グレイトリフトバレー(大地溝帯)にある火山帯で、休火山だが噴気活動は続いているらしい。81年に1号機が稼働して以来、ケニアではこの地熱発電に力を入れていて、日本はODAで送電線なんかも支援しているらしい。

地熱発電は、当然火山帯が必要なのでどこでもできる発電形態ではないが、ケニアからの大地溝帯の延長線上にあるエチオピアも有望であるそうだ。日本にとっても、大きなビジネスチャンスであり、持続可能な開発の最たる試みでもある。
それにしても、あの有名な観光地ナイバシャ湖のすぐ近くに地熱発電所が出来ていたとは驚きである。

2012年11月21日水曜日

ルワンダの話題 ×2

ルワンダ・カガメ大統領
ルワンダがアフリカで最もインターネットのダウンロード速度が早い国家らしい。アフリカでは、こういうITの状況が凄いスピードで改善されている。今年3月の調査では、長年首位だったケニアがガーナに抜かれ、今回はガーナも、リビアやエチオピアに抜かれて4位らしい。それだけ各国政府が頑張っているということだろう。

このルワンダのカガメ大統領、先日アフリカの若者のオンライン投票で「アフリカ平和パーソナリティ賞2012」を受賞したという。
http://www.emeye.jp/disp%2FOAA%2F2012%2F1121%2Fstockname_1121_006%2F0%2F1/

たしかに、カガメ大統領はあの虐殺事件を乗り越え、ルワンダという小国を大いに発展させている。私も長らく評価してきた。(本年4月16日付ブログ参照)だが、その裏の姿もだんだんと見え始めてきた。それはコンゴ内乱にまつわる事である。今日の毎日新聞の記事によると、どうも、ツチ人とフツ人の対立はルワンダ国内では鎮静化してきているのだが、混乱時に隣国コンゴ民主共和国に逃げ出したフツ人に対抗するため、ツチ人の武装勢力がコンゴ人民共和国の政府軍に編入された。この武装勢力が今度はコンゴ人民共和国政府軍から離脱、コンゴ内で反武装勢力M23を結成、20日にゴマ市に侵攻し、6万人にもおよぶ難民が生まれたという。カガメ大統領のルワンダ政府は、この反コンゴ政府武装組織のM23を支援している可能性が高いようだ。そもそも、このあたりは金やダイヤモンド、レアメタルなどの鉱産資源が豊富で、ルワンダとウガンダが紛争に乗じて資源を奪い輸出して大きなレントを得ているというのだ。(本年7月23日付ブログ参照)
http://mainichi.jp/select/news/20121121k0000e030166000c.html

となると、どこが「アフリカ平和パーソナリティ賞2012」なのか、ということになってしまう。真偽のほどはなかなかわかりにくいのだが、もし事実なら残念でならない。

追記:muchさん、39人目の読者登録ありがとうございます。機会があれば、コメントをしていただければ幸いです。

2012年11月20日火曜日

北海道弾丸ツアー報告

ニセコの体験学習の牧場から羊蹄山を望む
昨夜は、結局9時過ぎに帰宅した。宿泊施設や体験学習の視察を中心に回ったのだが、いやあ疲れた。昨夜はとてもエントリーできる状態ではなかったので、2日間お休みさせていただいた次第。で、ちょっとだけ報告編。最も面白かったのは、体験学習の視察であった。ニセコで農業体験や漁業体験を修学旅行に斡旋してくれる団体を、私が企画段階でリサーチしたことから話が始まった。ただ11月というシーズンオフなので、心配していたのだった。実際行ってみると、農業体験は時期が悪いとのこと。そりゃそうだ。だが、酪農体験でMAX200名、漁業体験もMAX200名受け入れ可能ということだった。本校の生徒数は320名。一気に体験が可能になった。

漁業体験は、実際漁船に乗ってクルージングもしてくれるらしい。海が荒れていても内海で必ず乗せてくれるらしい。魚群探知機なんかも見せてくれるし、漁業組合の海産物の選別の仕事やホッケなんかを三枚におろしたりと、なかなか面白そうだ。ツナギや長くつも貸してくれると言う。しかも面白いと思ったのは、木のチップなどを海に撒いて「海の肥料」の実験をしるそうで、「環境問題」を前面に出していることだった。話を聞いていてESDを推進する社会科教師の立場からはかなり嬉しかった。もちろん利益を出すのだろうが、基盤にそういう「理念」をしっかりと持ってくれているのはホント嬉しい。

「ベコ」に飼料をあげる
酪農体験のほうは実際に連れて行ってもらえた。羊蹄山がどどーんと見える牧場だった。最初は乳牛に干し草をあげることから始めるらしい。面白そうだ。干し草だけではなく、豆などの様々な餌を近くまで寄って、手であげたりもするそうだ。もちろん作乳体験や、時には子牛が生まれることもあるらしい。ここでも「食育」を念頭に体験させてくれるそうだ。

ちなみに漁業体験は海鮮バーベキュー、酪農体験はジンギスカンの昼食もつくそうで、なかなかいい。ただ、体験する漁港や農家などはニセコ一帯に散らばっているらしい。観光バス8台を駆使し、班ごとに組み替えた生徒集団を次々と体験場所に降ろしていかねばならない。担当者としては、運営も面白そうだ。

牧場で、担当者のMさんが、熱心に「食育」を語ってくれた。「先生はどんなことを生徒に学ばせたいと思っておられますか?」と聞かれたので、間髪をいれず「地球市民ですね。」と答えたら、ちょっとびっくりしてから大いに喜んでくれたのだった。(笑)

ところで今日も4時間授業だった。クタクタだったが、なんとかやりとおした。何といっても、1年生の現代社会は、私自身が大好きなサルトルの授業だったので…。ふぅー、である。

2012年11月17日土曜日

北海道1泊2日弾丸ツアー

明日から、修学旅行の下見で北海道に出張である。本校は今日は体験入学の日で、出勤日だった。月曜日が代休なので、1泊2日なら授業に穴をあけることもない。と、いうわけで3泊4日の日程を一気に走ることになった。

いくつかの観光地はパスすることになるが、旅行社に完全に任せても大丈夫なところだ。やはり宿泊するホテル等やアクティビティの確認が主である。事前に学年会で、下見すべき項目を全てあげて検討してもらった。面白い指摘。内線電話を全部切ってもらえるかという指摘。テンションが上がって、いたずら電話をする生徒が昔いたらしい。(笑)

ところが、明日から北海道は一気に気温が下がり、場所によっては吹雪になるという。ひぇー。安全第一。体調第一。20:00頃に第2日目の宿泊ホテル着の予定。と、いうわけで明日はエントリーできないだろうと思う。

エレサレムにロケット着弾

エレサレムのチューチュー
(様々な事情により、本文を削除しました。)

あえて、ガザに平和を、などという空虚なコトバを書く気はない。できるだけ傷つく人々の数が少ないことを祈りたい。

2012年11月16日金曜日

ゲッペルスが今生きていたら

ゲッペルス
ナチス=ドイツの話は、第一次世界大戦・第二次世界大戦の範囲では、最も重要な部分だと私は思っている。世界史を学ぶ意義を最も感じるところである。ナチスが、いかにして権力を握って行ったか。ミュンヘン一揆の失敗で、合法的手段をとる方針を固めたヒトラーは、結局巧みなプロパガンダによって、その階段を上って行く。もちろん暴力装置としてのSA(突撃隊)、SS(親衛隊)も持っていたが、特にSAを活用したのは初期であって、ムッソリーニの黒シャツ隊よろしく社会主義者攻撃に使ったが、レーム大尉を粛清してからは、暴力装置というよりは制服好きのドイツ国民へのディスプレイとして使って行く。ブラスバンドを使ったローマ的なパレードや、紙爆弾、演説会場の演出など、当時としては斬新なアイデアである。

そこで語られた大きなウソは、実は『当たらずと言えど遠からず』なものだった。ナチスの最大の政策目標は、ベルサイユ条約の破棄と大ドイツの再建である。社会不安を背景に、これをユダヤ人迫害に結びつけ、敵視を増幅していく。第一次世界大戦のドイツの敗北は、塹壕戦での敗北にあらず。キール軍港などで起こったドイツ革命にある。このドイツ革命を主導した社会主義者たちにはユダヤ系の人が多かったのは事実。もちろんマルクスやトロツキーも有名なユダヤ系である。それを一気にユダヤ人の起こしたドイツ革命で負けたと言ってしまう。こういうスローガン的な単純化が効果的だと言う事をヒトラーは熟知していた。莫大な賠償金による超インフレや大恐慌の波及での経済的危機を、ドイツ金融界の陰謀とした。もちろんロスチャイルド以来、金融界にユダヤ資本が根を張っているのも事実。これまた見事にスローガン化してしまう。我々の経済危機はユダヤ人金融資本の陰謀。ここから、アーリア人の優位と大ドイツ建設の障害となるユダヤ人排除の論理に結び付けていく。共通の外敵に目を向けさせるのは、内政危機時の常套手段である。

このナチスのプロパガンダ戦略は今の日本にも十分当てはまると思っている。もし、ゲッペルスが今生きていれば、マスコミをいかにうまく使うかを考えるだろう。毎日のようにマスコミに登場し、刺戟的でスローガン的な発言をして、世論をあおる。反応を見ながら微調整し、次々と話題を提供する。マスコミに騒がれること自体がプロパガンダの成功である。あとは大衆心理。

こういう笑えない事実が今、進行していると私は感じているところである。

『大脱走』とゲシュタポ

世界史の授業で、ナチス=ドイツの話をしている。ゲシュタポの話になった時、つい脱線して、名画『大脱走』の話になった。テーマ音楽を口ずさむと、何人かの生徒が知っていた。この大脱走の話で、ゲシュタポの怖さを感じるシーンがある。

捕虜収容所から、艱難辛苦の上に脱走したイギリス空軍士官が、町に出てからゲシュタポに呼び止められるのだ。身分証明書の提示を求められるのだが、精巧なニセ証明書は見破られることはなかった。もちろん、全てドイツ語での会話だ。ゲシュタポは、「ありがとう、問題ありませんね。」と言い、脱走した士官も「どうも。」と答える。ほっとした時その時、ゲシュタポは英語で「気をつけて。」と言うのだ。これについ、英語で答えてしまうわけだ。凄いインテリジェンスである。

子供のころから何回もこの『大脱走』が好きで見ているが、このシーン、かなり恐ろしい。そんなしょうもないことも話していたのだった。

2012年11月15日木曜日

明日の『紫のふくさ』と憂鬱

明日、久しぶりに『紫のふくさ』が登場する。”紫のふくさ”とは、衆議院解散時に、天皇から衆議院を解散する旨の詔書が本会議に届けられる時に使われるものである。今日は授業で、TVニュースで流れるかもしれないので、めったに見れないから見ておくようにと、そんなことも話していた。

一時期、こういう日本政治に関する細かな面白い話を集めていたことがある。今はもう、ワケがわからなくなってしまったが、自民党の長期政権下では、高校の政治経済の教科書に載っている事項だけでは、新聞を読んでもよくわからないことが多かった。政治に興味を持たせようとすると、自民党の党内の構造をあきらかにする必要があったのだ。だからかなり勉強した。

自民党の当時の構造の柱は、党の政務調査会。これらの部会は、各省庁、ならびに衆参の委員会と密接な繋がりがあった。新人議員は、2つの部会に所属した。たとえば、大蔵部会(昔の大蔵省関係)と逓信部会(昔の郵政省関係)といった感じである。人気があったのは、金や票に密接に繋がる部会である。先の二部会や商工部会(昔の通産省関係)や建設部会(昔の建設省)、農林部会(農水省関係)などである。ここで、官僚と共に政策協議をやる。官僚から専門的知識を学び、官僚との人脈を繋ぎ、国会の関係する委員会に所属したりしながら”力”をつけるのである。所謂”族議員”である。

後に、この政官癒着が問題視されたわけだが、この政務調査会を束ねる政調会長は党内でもかなりの力を持っていたわけだ。大臣というのは聞こえがいいが、実際には政策に関しては政調会長のOKなしでは、各省庁から出される法案は提出できなかった。一方、党務全般を束ねるのは、総務会長。政調会長に比べれば地味だが、各派閥の意見調整は総務会で行われた。そして、最大の権力を握っていたのは、幹事長である。党の資金、人事、そして選挙を担当する。ヒト、選挙区、カネを握っていたわけだ。この三者を自民党三役といった。予算も、この三役の決済が必要だった。この構造、教科書にも資料集にも載っていなかったが、極めて重要な事項だったのだ。

今は、小選挙区制になって派閥の権力が弱まり、こういう構造は空中分解したようだ。民主党では、こういう競争社会的な議員育成はされてこなかった。官僚とのしがらみはないが、国会議員としての力(官僚のもってくる政策を審議する力や、法案を実際に成立させる能力など)は磨かれない。だから、「最低でも県外」とか「2位じゃだめなんですか」などの信じられない浅い認識の迷言が出てくる。国家機構を動かすと言うのは、そんな簡単なものではない。石の上にも3年と言うがこれを衆議院の平均任期とすると、大臣となるのに自民党政権下では6期以上だから18年かかる。私の教員経験から見ても妥当な年月だと思う。それくらい、ベテランとなっていろいろな専門的な勉強をして、人脈を築いてなんぼのものである。民主党の大臣は、経験不足で専門的な見識が磨かれないのは当然である。「政治主導」という綺麗なコトバだけが先行して、主導したい政治家が浅学なのだから、大混乱となる。官僚もとことんボロボロに傷つくことを待つことになる。

誤解のないようにしたいが、私は自民党支持者ではない。今回の解散に至った経過について論じているのだ。民主党の国会議員にそのような資質が欠けていて、この3年間日本が迷走したことに、首相がやっと終止符を打ったという実感がある。前回の選挙で風にのって当選した1回生議員は何をしていたのか。おそらく長期自民党政権下の1回生議員より何もしていないはずだ。自己の将来に汲々とし、離党している輩を見ると、誰のために、何のために政治家をやっているのかといいたい。同時に、第三極と呼ばれる風にのろうとしている素人にも、たとえ当選したとしても同様の未来が待っていると私は思うのだ。このままではヒトが入れ替わるのみ。

中国の権力構造が習体制となり、大いに変化した。だが、中央委員云々などと言われる人々は地方で行政の実績をかなり積んでいる。日本の政治家に比べればプロ中のプロだ。過激なコトバや思いつきの美麗美句で飾るしかない素人が勝負できる相手ではない。憂鬱である。日本はどこに流れて行くのだろうか。

2012年11月14日水曜日

ケニア警察 レイディングに死す

Tuareg
朝日新聞に、ケニアの警察官が盗賊に襲われ42人死亡したという記事が載っていた。牛の盗難捜査中に盗賊に襲われたという報道だが、ケニア北西部であるし、おそらくはレイディングでの話だろうと思われる。

本年6月16日付けの『京大公開講座』の報告ブログや、11年6月15日の『レイディングの衝撃』で紹介したが、ケニア北部の乾燥地帯では、遊牧民によるレイディングが常態化している。遊牧民同士の家畜の奪い合いなのであるが、時には今回のように自動小銃を使用し、死者が多数でることもある。彼らにとってはそれが善悪を越えた生業であり文化的伝統である。

私はこの事件が、ケニアのガバナンスの分水嶺になるのではないかということを強く感じている。ナイロビなどの都市部ではケニアはガバナンスの改善が進み、近代的な開発が進んでいる。一方で乾燥地帯である北部では、中世的な遊牧民の世界がそのまま存在しているという、大きな矛盾を抱えていた。ケニアを、開発経済学的に見た時、経済・政治というX軸・Y軸で表される空間から、この遊牧民の世界はこれまで除外されてきたように思う。今回の事件で、これらの地域が一気に開発の対象、すくなくとも治外法権ではなくなることになるのではないだろうか。

一方でイスラム過激派が掌握しているマリ北部に、AUが西アフリカ諸国経済共同体の軍事介入を承認したという報道もあった。遊牧民のトゥアレグ人をイスラム過激派が先導しているらしい。こちらも遊牧民からみだ。

この2つの事件、アフリカが遊牧民世界と、アフリカの開発を推進する勢力との対自そのものだと私は感じている次第。

2012年11月13日火曜日

過激な政治家の発言が怖い

毎日新聞の朝刊の『みんなの広場』という読者投稿欄に次のような記事が載っていた。「過激な政治家の発言が怖い」大阪府の熊取町の66歳のYさんという人の意見だ。指摘されている政治家の名前以外はそのまま転載したい。

「何とも”過激な”な人たちのがそろって政治の表舞台に出てきたものだ。しかも、この人たち、日本の明日を決めることになるかもしれないというのだから、怖いような気もする。
”右寄り”の言動で知られ、東京都知事を電撃辞職し、国政進出を表明したI氏。一度、政権を投げ出しておきながら、自民党総裁に返り咲いたA氏。テレビタレントの頃から世間の耳目をひくことに巧みだった大阪市長のH氏らである。
「官僚支配の打破」に「現憲法の破棄」「外交安保や領土問題に毅然とした対応」。「日本再生のために国の仕組みをリセット」などは実に大仰で勇ましい。日ごろからマスコミでの露出度が高い人たちからの発信だけに、理屈抜きに私たち国民の中に浸透しやすい。だから、なおさら怖いと感じるのだ。私たちは、平和や暮らしの視点から、政治家たちの発信を検証する必要があるのではないだろうか。最近、特にそう思う。」

2012年11月12日月曜日

受験の朝鮮史を教えねば

先日、難関私大を目指して受験勉強に奮闘しているA君が来て「朝鮮史を教えて欲しいのですが…。」と言われた。朝鮮史なあ。中国史はともかく私はあまり勉強したことがない。困ったなあと思いつつ、とりあえず「各国別の世界史Bサブノート」を引っ張り出してきた。他の国は何ページかにおよぶのだが、朝鮮史は見開き2ページのみ。「えっ、こんなに少ないのかなあ。」と「詳説世界史Bノート」のほうをパラパラめくってみたが、量的にはあまり変わらない。どうも、受験世界史では、「朝鮮史」としてピックアップすると、かなり少ない学習量で、中国史のおまけみたいな扱いである。門外漢もいいところなので、それをどうこう言うわけではないが、教える側からすると、唸ってしまうのだった。

このままでは上っ面の自信のない講義になるので、先週木曜日に前任校の弟分のU先生に会った時に「朝鮮史」について質問してみた。彼はそもそも日本史が専門である。各国別世界史ノートの話をすると「そりゃあ、そうでしょうねえ。中国史と日本史との関わりの中で教えるのがいいです。倭寇なんか大きなテーマになります。」とのこと。うーん。よけい困るぞ。(笑)

で、今日の放課後、梅田のJ堂書店まで行ってきた。『日本・中国・朝鮮の東アジア三国志』という本を見つけてきた。なかなか平易で、しかも三国の関わりの中で学べる。ちょっと高かったけど、読んで教えて、その後は、A君にプレゼントしようかと思っている。

2012年11月10日土曜日

京都にシャガール展を見に行く。

前々から、シャガール展を見に行こうと妻と約束していた。いつも間際になるので今日あたりというわけだ。疲れ気味だが、近鉄京都線+京都市営地下鉄で行くことになった。悲しいかな、こういう時にかぎって電車が混んでいたりする。立ったまま京都へ向かうことになった。

赤いユダヤ人

京都文化博物館の本館3F・4Fがシャガール展の会場だった。土曜日ということもあって、かなり混んでいる。ちょっと立ちっぱなしで並んで見るのはツライのだが、なんといってもシャガールである。作品が素晴らしいし、なによりシャガールが、ユダヤ人であること、キュビズムの影響を強く受けていたことを学べるような展示にしてあったことが素晴らしいと思う。シャガールがユダヤ人であることは、我々夫婦にとっては当然の話だが、キュビズムの影響は面白かった。特に印象に残った作品は、まず『赤いユダヤ人』を挙げたい。圧倒的な存在感がある。シャガールの作品は、隅の方に小さな画像がちりばめられていて、その作品の趣旨がわかる仕掛けがある。この『赤いユダヤ人』も、ヘブライ語で後ろに律法が書かれている。それが美しい。

今回の展覧会の目玉展示は、モスクワのユダヤ劇場の壁画である。様々な紆余曲折を経て現存する壁画を当時の配列のママに転じしてある。必見である。33歳の頃の作品故、特に『ユダヤ劇場への誘い』などは、シャガールのキュビズム的な代表的作品であると言っていいだろう。

いやあ、よかった。だが疲れた。足がパンパンである。(笑)

「鄧小平秘録」下巻を読む。

今週は、血中酸素濃度が低いのか体調があまり良くなかった。通勤でもついウトウトしてしまい、読書速度が遅くなる。なんやかんやと言いながら、「鄧小平秘録」下巻を読みきった。下巻の構成は第四部「毛沢東死す」・第五部「長老たちの暗闘」・第六部「先富論の遺産」となっている。下巻は時間的配列がそのままなのでまだ上巻よりは読みやすかったかもしれない。

第四部には、四人組逮捕の様子が詳細に描かれている。この逮捕劇の中心になったのは葉剣英であることが明確になった。やはり国家権力のエンジンは軍だということか。当然ながら、中国共産党の第一世代は、長征、延安、八路軍、国共内戦と軍人として生きてきた戦略家であるし、第二世代もその元で軍事行動に長けている。西側では、シビリアンコントロールが定着しているので、この辺が経験的に理解しがたいのだが、「20世紀的近代国家」ではあるものの、法治主義というよりは「人治主義」の色合いが濃い中国ならではの話である。ただ、この四人組逮捕には、かなりの抵抗があったようだ。権力移譲がこのような「軍」を背景にした「暴力装置」でなされることへの抵抗である。生々しい権力闘争を繰り広げた中国だが、基本的には政治局員などがコンセンサスを元に中南海というコップ内で争うのが、中国の流儀なのだ。四人組の逮捕劇は異例中の異例だといえるわけだ。

「世界に百数十の国があるが、我が国の平均収入は下から数えて二十数番目だ。」「われわれはあまりに貧しく、立ち遅れている。正直言って人民に申し訳ない。」1978年9月の鄧小平の言である。第五部は、華国鋒の毛沢東の言葉や指導は全て正しいとするドグマに挑戦し勝利した鄧小平の戦いを描いている。ところで、中越戦争について、私は何故中国がベトナムを攻撃したのか、カンボジア側についたことを知っているくらいで、よく分からなかったのだが、これは対ソ連がらみだったようだ。実際極秘に中ソ国境に100万の兵を置いた上で、ベトナムに侵攻し、ソ連の出方を伺っている。結局ソ連は中国に戦争を仕掛けなかったが、本気で中ソ戦争が起こりうるか否かを確かめる為に侵攻したらしい。6000の兵を犠牲にしたが、それは中国の指導者にとっては全く問題ではなかったという。基本的に軍人である鄧小平は、そういう冷酷さを内在していたわけだ。
この頃の鄧小平は、アメリカの投資を何より重要視していた。日本との友好は、まさにその延長線上にあった。胡燿邦、趙紫陽といった昔からの部下を従え、左派の陳雲らと折り合いをつけながら改革・開放路線を前三後一の歩みで進めていったわけだ。

そして第六部は、様々な鄧小平の改革・開放の矛盾をえぐっているのだが、ひとつ気がついたことがある。江沢民のことである。彼がこの改革・開放路線を守りつつ、東欧の社会主義崩壊の影響を極力排するためにとった道が、反日愛国教育政策だったことだ。自国の政治不安を解消する方策としては対外的な敵を設定し、そこに目を向けさせることは権力の常道である。その江沢民が胡錦涛と共に先日の第18回共産党大会に姿を表した。うーん。こりゃ、当分日中の対立は続くなということか。

2012年11月9日金曜日

仮想世界ゲーム レクチャーの日

岡山のU高校のH先生が、本校に来校された。私の授業が詰まっているので、15:00から16:30までの1時間半という短時間だったが、パワーポイントをもとに、マニュアルを説明させていただいた。もちろん、全ての資料はCD-Rに保存してお渡しした。

昨夜は、この仮想世界ゲームを共に実践した前任校のU先生とも、今回の改定版について論議した。ESDを考えさせる上では、十分だと思われるが、ゲーム性という点では若干物足りないなあというのが二人の結論だ。とはいえ、まずは、この「ESDのための仮想世界ゲーム」、私自身が3学期に3年生で実践してみようと思う。

H先生は、広瀬先生経由で、私を訪ねて来られたことを知った。全く恐縮してしまう。広瀬先生のご苦労の結晶である仮想世界ゲームをずいぶん簡単に、またストレス性を省いてしまった感がある。誠に申し訳ないと思う次第。

ところで、本校では明後日の日曜日に、大阪市の昇任試験が行われるとのこと。教室を徹底的に掃除し、机の中や横につるしている私物など全てを持ち帰るか後ろのロッカーに入れなければならなかったのだが、私はH先生との対応をしていた。副担任のA先生にSHRをお願いし、金曜日の掃除当番と手伝える有志生徒に託していたのだが、終了後教室に行くと、『完璧』に仕上がっていた。いやあ、嬉しい。思っていた以上の出来だ。何人か有志生徒が残っていた。思わず、「なんか飲んでおいで。」と奢ってしまったのだった。本校では、こういう生徒に奢ることは奨励されていないのだが、今日ばかりは…ええやんと思う。(笑)

2012年11月7日水曜日

国民健康保険を買うアメリカ人

さきほど、オバマ氏がアメリカ大統領選を制したらしい。ところで、本校にオーラルコミュニケーションを教えにきてくれている先生は、マサチューセッツの出身ということもあって、ロムニー氏を強く支持していたらしい。(英語のY先生の話。)

彼と大統領選の話になって、まず出てきたのは民主党の国民健康保険制度批判である。Y先生によると、彼は「健康保険」に「買う」という動詞を使うらしい。もし、一律にすれば、同じ医療しか「買う」ことができなくなる。それは医療の質が低下につながると主張した。「どう思う?」とY先生。

私は、彼の考えは極めてアメリカ的であると思う。何故彼は「買う」という動詞を使うのか?実は、この根源には『近代国家論』が潜んでいる。国民健康保険という制度は、そもそも何故生まれたのか?それは、資本主義社会において、貧困に苦しむ労働者階級への『アメ』なのである。ビクトリア女王時代のイギリスやビスマルクのドイツ以来、だんだん制度化されてきた。それはすなわち各国政府にとっては、社会主義化を防ぐための『装置』の1つだったのである。

ところが、アメリカには、そういう『装置』自体が必要なかった。アメリカは資本主義の総本家だという意識が強く、アメリカ共産党という組織はあったが、事実上社会主義化の危険性をアメリカ連邦政府は全く感じていなかったのだ。貧困から抜け出すためには、努力すべしというピューリタン精神が主流で、「赤狩り」などということが平然と行われたし、ニューディールなんかはかなり社会主義的だが、アメリカのプラグマティズム的精神で許容されたのだと思われる。だから『アメ』の必要がなかったのだ。

彼が「健康保険」や「医療」に「買う」という動詞を使うのは、したがって当然である。資本主義は自由な競争が何より重要視される。そして全ては商品経済なのだから。アメリカを身近に感じている日本だが、こういう(世界史的知識が必要だが)地味な異文化理解、面白いではないか。

2012年11月6日火曜日

聖墳墓教会の水道料金15年分

地味だが、これが聖墳墓教会の入り口
相変わらず毎日新聞は報道が遅いようで、今日の夕刊に載っていたのだが、エレサレムの聖墳墓教会がモメている。そもそも聖墳墓教会は、オスマン=トルコ時代から水道料金が免除されていたらしい。第三次中東戦争で、エレサレム旧市街がイスラエルの支配下に入った時、エレサレムの市当局もその伝統を踏襲していたようだ。ところが、1990年代に設立された水道会社が、最近になって、この伝統を認めず水道料金を請求。15年前からの分を合わせて、なんと900万シュケル(1億8500万円)。聖墳墓教会の銀行口座も凍結されてしまい、ギリシア正教の教会は司祭に支払う給料も停まってしまった。教会は、これに抗議し、閉鎖を検討中で、イスラエル観光省が仲裁に入っているという。

おばさんが祈っているところがゴルゴダの丘の十字架のあったところ
なるほど。イスラエルに行った際、観光客のほとんどはキリスト教徒だったように思う。ロシア正教の団体、韓国のプロテスタント教徒の団体、コロンビアのカトリックの団体も見たぞ。キリスト教徒にとっては、聖墳墓教会にあるイエスのお墓は最も重要な巡礼の場所だ。おそらく全てのキリスト教徒は、この聖墳墓教会に足を運ぶはず。そこが、水道料金未納で閉鎖とは、イスラエル観光局にとっては、大損害だ。黙って見ているわけにはいくまい。
これがその十字架の立てられた跡の穴
この水道会社が何故、急に水道料金を請求したのかは、今のところ日本に入ってくる報道ではよくわからない。息子にでも聞いてみようと思う。(笑)銀行口座の凍結という非常手段に出ているところから、イスラエル政府もいっちょかんでいる感じだが…。

それにしても、唐突な話である。まるで、日本の江青、文科相の大学不認可ようだ。権力を振り回すだけが、自己実現と考える輩にはうんざりだ。

2012年11月5日月曜日

アフリカのイブラヒム指数

IIAG概念図 http://www.moibrahimfoundation.org/downloads/2012-IIAG-structure.pdf
今朝の日経に、アメリカのクリントン国務長官がアフリカの国々を訪問し、中国の進出に歯止めをかけようとしているという記事が載っていた。あんまり目新しい内容でもないとメモすることはなかったのだが、ふと見たこともない語彙に目がいった。…「イブラヒム指数」

で、調べてみた。このイブラヒム指数(IIAG)、モーイブラヒム財団というところが策定したアフリカの国々のためだけの指数で、ガバナンスの質・進歩具合を測り、格付けするために開発されたのだという。指数測定のための観点は、次の4つ。①国の安全・治安・法治・政治の透明性、汚職②市民参加と人権③持続可能な経済発展④人間開発。…なるほど。

最近は、アフリカのガバナンスも良くなってきているらしい。アフリカ53カ国中、2004年以後悪化しているのは、わずか11カ国だという。中でもアンゴラの改善が素晴らしく9位にまで伸びているという情報もある。ある情報では、モーリシャスが1位、カーボベルテが2位、セイシェルが3位、4位ボツワナ、5位南ア、6位ナミビア、7位ガーナなどとなっている。HDIとあまり変わらないのは、あたりまえか。(笑)

2012年11月4日日曜日

ラグビーの試合に行ってきた6

万博公園東口の競技場で、ラグビー部の府予選の試合があったので応援に駆け付けた。相手は全国大会常連のT大G高校である。会場には、J学園や大阪T高校などのビッグネームが終結していた。いつもなら、紺とピンクの本校のラグビー部のジャージが強そうに見えるのだが、今日ばかりは軽く見えてしまうのだった。主顧問のM先生によると、大阪代表どころか、高校の日本代表に選ばれている選手もいるという。「胸にサクラ、つけてるんだ。」「ええ。」今日は相手校の取材でNHKも来ているらしい。うーん。

凄いとは思っていたが、まず体格が違った。突進を止めるのに1人では当然無理。2人、3人がかかってやっと止めれる。凄いパワーである。「何を食っているんやろう。」と思わず言ってしまった。でかいだけでなく、ムチャクチャ俊敏である。ボールの回しも、駆け抜ける走力も凄い。くやしいけれど「こりゃ、あかん。」

ノーホイッスル・トライを決められては、ペナルティキックも確実に決められていく。途中から点数を数えるのをやめた。勝敗はともかく、せめてワン・トライでもと思ってしまう。前半、後半1回ずつ、あわやというシーンもあったのだが、結局ボコボコに負けてしまった。だが、最後まで本校のラグビー部はあきらめず、汗まみれ土まみれで最後まで走り抜いてくれた。

3年生はこれが最後の試合であった。随分残酷な試合になってしまったが、全国常連校が相手である。その高く厚い壁にぶち当たっただけでも大きな経験になったと思う。私も、最後まであきらめず走りきった3年生の姿を忘れない。感動をありがとう。

2012年11月3日土曜日

ガーナの海水淡水化事業

ガーナのヤムイモ市場
WEBニュースによると、日本とスペインの企業が、ガーナの首都アクラで海水を淡水化するプラントを立ち上げることになった。昔、知人がオマーンで同様のプロジェクトに関わっていて長期出張していたこともある。海水を淡水に変え利用すると言う、地味だが重要なプロジェクトである。

このプロジェクト、アフリカ初らしい。アクラの水事情は都市化で逼迫しているという。こういうプロジェクト、そのうちダカールなど海岸部にある都市にも拡がるだろうと思う。安全な水が供給されていくことは喜ばしいことだし、日本の技術力が役にたっていくことも嬉しい。

さて、この記事を読んでいて気になったのが資金面の話である。「世銀グループの多国籍間保証機関(MIGA)の非常危険保険」を利用したとある。少し調べてみた。この多国籍間保証機関というのは、国連の機関でワシントンDCの世銀・IMFビル内に本部がある。国際復興開発銀行や国際開発協会、国際金融公社、国際紛争解決センターといった組織と共に世銀グループを形成しているという。なんか行革で指摘された特殊法人みたいな印象をもつが、なんと代々長官は、宮沢喜一氏の肝いりで日本人が勤めている。ガバナンスが悪かったり、内戦など治安の悪化によるリスクに対する保障を投資家やドナーに提供し、途上国への投資を促進するのがこの機関の役割だと言う。一方、途上国側からは投資のための情報(経営状況・財務状況・業績動向など)を提供(インベスター・リレーションズ)することを促進しているらしい。なるほど。

そのMIGAの非常危険保険を利用したというわけで、おそらくアクラやガーナ政府の資金繰りはかなり厳しいが、50万人分の飲料水を確保する淡水化施設は絶対必要だということなのだろう。アフリカでの重要な実験的な取り組みであることが推測される。

ところで、「ESDのための仮想世界ゲーム(高校生版)2012」では、先進国がODAや、緊急援助、投資などを行うと「持続可能な開発ポイント」というのを獲得する仕組みになっている。先進国はこのポイントでゲームの勝敗が決まるのであるが、今回私は、投資のポイントを最も高くした。途上国へのODA援助には、メリットだけでなくデメリットがあると批判が集まっている今の開発経済学の流れをゲームの構成に反映したつもりだ。

多少リスクがあっても投資を通じで途上国に国際支援することが重要だと思う。だからこそ、このプロジェクトの成功を祈りたいし、MIGAの活躍も期待したいところだ。
http://jp.ibtimes.com/articles/36837/20121101/1351773654.htm

離煙

昨日は、いつもなら日曜の朝が定番なのだが、夜の8時にH城鍼灸院に行ってきた。うーん、車の運転もおっくうで、妻の運転してもらった。これが正解。いつもどうり、脈診をしたH城先生がひきつったのだ。「?」「悪いすか?」と聞くと、「凄い疲労ですねえ。」いつもの右の人差し指に挟む血中酸素濃度測定器を出してきた。「ゲゲゲ。」と冷静なH城先生がびびったのだった。「(数値は)いくら?」「…見せれません。」なんと、89だったのだ。自己最低値である。(100が健康体。80台などと言うのは、高山病のレベルらしい。一瞬意識が飛んでしまう状態だという。)

その後、ふくらはぎの裏にまで吸い玉されたり、いつもとは違うところに深い鍼を何本も刺されたりして帰院時、96にまで上昇した。(うーん、さすが鍼の神様である。)糖尿病で言う血糖値も気になるが、最近はこの血中酸素濃度の方が気になる。ちょっと健康がやばいのである。疲労については、あんまり思い当たる節がない。このところ秋らしくなり気温も下がってきたので、ヒートテックのシャツを着ている。それで授業をすると汗びしょになり、サウナに入った感じ。空き時間は、ひたすら仮想世界ゲームのマニュアルやゲームカードの制作をしていた。クラスはいい雰囲気だし(小さなことはいろいろだが…)、生徒に激怒することもない。(笑)だが、とにかく濃度が低くなっていたわけだ。

ふっと気付いた。同じ担任団のO先生と今週の月曜から『離煙』しているのだ。O先生に12000円+税で、阪急百貨店で「離煙パイプ」なるものを買ってきてもらったのだ。このパイプ、番号がついていて、毎日変えていく。(ちなみに今日は6番。)すると、だんだんニコチン依存が3%ずつ減って行くらしい。一気に禁煙するのではなく、吸いながらやめれる、というわけだ。私は、マイルドセブンの6mmを吸っているので、31番まで行ったら、吸う煙草を1mmに代えて、もういちど21番くらいからやるといいらしい。まあ40日くらいの計画である。

このシステム、私のようなヘビースモーカーにはいいと思うので、愛用している。ところが、どうも煙草の燃え具合というか、減りが早い。「あれ?もうフィルターまできてる。」と一気に吸ってしまう感じ。だから2本一気に吸ったりしてしまうのだ。結局本数が増えているような気がする。

これも産みの苦しみ、乗り越えねばとせっせと「離煙」しているわけだ。さすがに今日は本数が増えない。

2012年11月2日金曜日

「鄧小平秘録」上巻を読む。

さて、昨日に続き、書評を書きたい。上巻はまず、第一章で天安門事件について書かれている。この中で最も印象に残ったのが胡耀邦死去をうけて追悼の献花を人民英雄記念碑にした最初の様子だ。「反革命扇動」の発端とされたことの理由のひとつが、花輪につるした『マオタイの小瓶』だったという話。「小瓶」は『小平』と同音で、鄧小平への侮辱、攻撃だというのだ。このあたりのいいがかりは、すこぶる中国らしい。中国では、こういう些細な上げ足をとり、「反革命」という一言で攻撃される。ある意味、恐ろしい世界である。

全編にわたって、様々な言質、記事、手紙等が詳細に記述されているが、本音を語ることが、いかに中国では難しいかということを痛感させられるのだ。それはこの大阪の地では決して他人事ではない。

第二章で、最も印象に残った話。東欧の無血革命が起こっている中、武力で独裁政権を守った中国は完全に孤立した中で、鄧小平は、タンザニア革命党のニエレレ議長と会談。国際情勢についてこう話す。「冷戦終結を願っているが、今は失望している。別の冷戦が始まっているからだ。西側諸国は、社会主義国に硝煙なき第三次戦争、つまり和平演変を行っている。東欧の変化は意外ではなく、遅かれ早かれ表面化したに違いない。」鄧小平は、中国もブルジョワ自由化の「動乱」が起こったが、断固として阻止したと言い、再発しても断固阻止すると強調した。武力鎮圧への確信は不変だった。とある。実は、鄧小平は、改革開放で中国を豊かにすることをライフワークとしていたが、どんなに毛沢東派に攻撃されても、毛沢東への尊敬・忠誠については人後におちなかった。もちろん、毛沢東の全ての言・指示が正しいと言う盲目的な追従ではない。しかしプロレタリア独裁という面では毛沢東の後継者であることは間違いない。毛沢東も、劉少奇には容赦ない攻撃を仕掛けたが、鄧小平にはそういう面で信頼を置いていたとあった。わかる気がする。

この「紅」と「専」の両輪をバランスよく推進できればいいのだが、莫大な人口をもつ中国と言う地で実験するには、その調合が極めて難しい。大躍進政策や文化大革命、天安門事件などは、化学実験に例えれば、間違って爆発が起こってしまったということだ。毛沢東も、鄧小平もそのスタンスは「紅」「専」と異なるが、バランスの良い調合を目指したという面では共通である。毛沢東も、鄧小平も、そういう面で違いがあるからこそ、補完しあえる仲というか、互いを認め合っていたのだろうと私は思うのだ。

第三章は文化大革命である。この章を通じて、むなくそが悪くなるのはやはり江青の存在だ。自己顕示と権力欲の権化のような、文革期のコトバで言えば、まさに「牛鬼蛇神」(妖怪変化を意味するらしい。)であり「毒草」である。今日のNHKニュースで、文科相が新設大学を突然不認可にしたことを知った。江青と同じような、自己の権力を誇示する姿勢に、教育に携わる者として、怒りが込み上げる。たしかに大学が増加しており問題がないなどと言うつもりはないが、省が認可の方向で進め、この時期なら、それぞれの大学に入学を決めている生徒や短大からの編入生もいるのは、教育関係者なら周知の事実だ。TVで流れた短大から新大学に編入する予定だった女子学生は、「いまさら就活もできません。」と困惑していた。真面目に学ぼうとしている学生を泣かせてよいのか。それが正しい教育行政なのか。自己顕示で権力を振り回して、被害をまき散らすようなことはゆるせない。まさに江青の日本版である。一刻も早い罷免を望みたい。センセーショナルな言動、行動が今の日本政界にあるれている。特に教育については、センセーショナルな政治家の空中戦はやめてもらいたい。地に足を付けて真面目に頑張る生徒や教師にとって、文革期のコトバで言えば「毒草」以外の何物でもない。「鬼畜」よりは、表現としてまだ品が良いかなと思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121102-00000105-mai-soci

2012年11月1日木曜日

「鄧小平秘録」を読む。

私が大学に行っていた頃は、中国でプロレタリア文化大革命が華やかなりし頃であった。日本では左翼的な学生運動も、下火になっていた頃で、私自身は関わったことはない。だが、社会思想全般に興味はあった。鬱勃たるパトスというか、青年らしく、この世界をいかにすべきかという理想を追い求めて様々な思想を学びたいと思っていたことは時期でもある。そういう時期は人生にとって絶対必要だと思う。何の力ももたない貧乏学生だったが、京都の下宿で隣人の学生と牛乳を片手に(二人とも酒は飲まない。)ロックンロールを聞きながら夜遅くまで世界情勢について語り合ったことを思い出す。あまりかみ合わなかったが、充実した時間であった。そういう時代だったのだ。

その延長線上で、教師になってから一時中国現代史にハマったことがある。アヘン戦争以降がテリトリーだが、かなり乱読したと思う。結局四人組裁判くらいまでは、かなり勉強した。それ以後は、他に興味が移り、それ以後の中国現代史については置き去りにしてきた。
中国現代史の、特に1949年の中華人民共和国成立以後の歴史は、「紅」という社会主義的を強調する路線と、「専」という実務的というか経済成長優先路線の権力闘争で、左右に振れながら動いていく。水滸伝よろしく様々な人物名が登場し、権力を握り、また失脚していく。しかし、周恩来が死に、朱徳が死に、そして毛沢東が死ぬに及んで、興味を失ってしまったのだ。極悪役の江青や張春橋らも死刑になってしまった。もうあんまり面白くはないと、中国ウォッチを止めたのだった。その後の主役は鄧小平である。

今、中国と日本がモメテいる。久しぶりに「その後」を勉強したくなった。で、文春文庫の新刊(本年9月10日第1刷)の『鄧小平秘録(上・下)』(伊藤正著)を手に入れて読んでみた。今朝、やっと上巻を読み終えたところである。

前置きが長くなりすぎた。かなり時間がかかったのは、産経新聞に連載された記事がもとになってているのにかなり専門的な内容だったことと、上巻は三章立てだが、時間が再構成されていることが大きい。上巻の最初は「天安門事件」の話なのだが、私にとって「天安門事件」はどうしても鄧小平が三度目の失脚に追い込まれた周恩来への追悼がきっかけとなったプロ文革時の第一次天安門事件になる。新しい方の「天安門事件」は、不勉強なので、人名も初めてのものが多い。ちょっと苦しんだ次第。第二章はさらに新しく南巡講話で同様にうーんと唸りながら読んでいた。第三章は文革の話で、これはスラスラ。と、いうわけで、それなりに中国現代史に精通していないと読み進むのは難しい。まあ、勉強というのはこういうものだ。久しぶりに、中国の濃い権力闘争の話に疲れたというのが実感。何度かに分けて、この本の話をエントリーしようと思う。