2014年10月31日金曜日

チッチとサリーが司会です。

いよいよ10月が終わろうとしている。体育祭・文化祭が終わり、中間考査も終わって、3年生の高校生活は残り少なくなってきた。今日は、ハロウィンだというので、お菓子が飛びまわっていた。(笑)隣のクラスには、オレンジ色のカボチャのちょうちんがかかっていたりする。ちょっとやりすぎのような気もするが、異文化理解という視点で見れば悪いことではない。

さて、11月は、卒業アルバムのクラスページの製作、音楽鑑賞会、そして次の受験生を迎えて学校説明会などが行われる。学校説明会では、毎年3年生が司会進行する。教務部から依頼があって、学年会が選んだのは、共に2年生の時私のクラスだった男子生徒と女子生徒である。実はこの2人、3年生に進級する前からつきあっているそうだ。元担任でありながら、だいぶたってから私は知った。こういうことに私は疎い。いつも生徒に「えー、知らなかったのですかぁ?」と笑われる。男女比がほぼ同数の本校では、こういう男女交際が当然ながら活発に行われている。(変な表現だが…。)これまで、女子ばかりの商業高校、男子ばかりの工業高校、そして女子の多い進学校と渡り歩いてきたので、下校時に男女のカップルを見ると未だに不思議な感覚になる。4年たってもなかなか慣れない。(笑)

さて、数日前、説明会の司会の人選を聞きに教務部長のH先生がやってきた。2人の名を告げると、隣のクラス担任(女性である)のT先生が、「チッチとサリーね。」と言われた。私は大笑いしたのだ。たしかに、男子生徒は背が高く、女子生徒は小さめである。(かなり身長差がある。)それを、昔はやった漫画の主人公の名で表現されたのだった。H先生も笑っていたので、知っているらしい。若い先生方は、何ですか?それ?ということになった。

みつはしちかこという作家の「小さな恋のものがたり」という漫画だ。少女マンガなのだが、なんとなく流行っていて私も読んだことがある。言い当てて妙とは、こういうことだと思った次第。

2014年10月30日木曜日

日較差

昨日は、ブログを書いていて、あと少しで書き上げるというところで、急に体調が悪くなり、結局エントリーできなかった。このところ、気温の日較差が大きいからだと思う。日較差というのは、1日の差を意味する地理の用語である。日本の気候は、日較差より年較差の方が大きい。つまり四季が明瞭なわけだ。

朝、交野の山あいにある我が家(枚方市だが…)の気温はすこぶる低くなる。霜がおりているような朝もあるくらいだ。ところが大阪市内の学校で授業をしていると汗をかく。そんな毎日を過ごしていると、さすがに体調も思わしくない。クラスの欠席者もこのところ増えていて、「簡単に休むな。」といつも言っている手前、ぐっと克己心を高めて頑張っているところだ。

世界は広く、気温の日較差の方が年較差より大きいところもある。砂漠気候である。私は、ブルキナファソの北部、サハラ砂漠の南縁まで行ったことがある。昼の気温は40℃を超える猛暑である。影が無茶苦茶濃い。だが、夜は、一気に冷える。その砂漠気候の地で、野宿することになったのだ。正確に言うと、ちゃんとマットレスを引いてくれて、蚊帳もつくってくれたので、地面に直接寝たわけではないのだが、家屋やテントの中で寝たわけではない。

そこで、私は持参した衣類を全て着こんで、寝袋にくるまった。それでも夜明け前の朝は寒い。もし、薄着なら絶対風邪を引いていたことだろう。共に野宿したガイドのオマーン氏や運転手たちは半そでで全く平気だったが…。ただ、太陽が昇ると、一気に気温があがった。やはり、砂漠気候は凄いのだ。

ふと、日較差というコトバから、そんなことを思い出したのだった。

*今日の画像は、ブルキナファソで活躍しているNGO「緑のサヘル」のHPから借用させていただいた。エントリーに登場する地域はこんな感じである。
ahelgreen.org

政経DEアフリカ開発経済学

中間考査終了後、政治経済では、アフリカ開発経済学を講義している。夏休みに開発した新しいゲームを行ううえで、基礎的な事項を学ぶほうがいいだろうと考えたのだ。これまでのアフリカ開発経済学テキストの成果をもとに、できるだけわかりやすいように工夫しながら進めている。

今回は、まずアフリカの地図を出して、重要なサブ=サハラ・アフリカの国々を書き込ませることから始めた。東アフリカ、南アフリカ、中央・西アフリカ…。政経の資料集に国名が書かれた世界地図があるので容易だ。続いて、アフリカの気候の話。赤道の位置をクイズ形式にして聞いてみる。ゆとり世代のフツーの学力の生徒たちの地理の知識は、恐ろしく低い。そのうえで、赤道からAf(熱帯雨林気候)、Aw(サバナ気候)だけ詳しく説明する。さらに砂漠の位置と、BS(ステップ気候)の気候についても解説する。これらは面白おかしく解説して頭に入れさせる。AwとBSはアフリカの農業を考える上で、極めて重要な気候だからだ。

農業のレベルの話を次に持ってきた。カロリーが最も高く、人口支持力が大きいのは米である。小麦は、栽培条件が容易になるがカロリーは低くなる。さらにトウモロコシ、雑穀、遊牧という、カロリーから主食たる穀物のレベルである。米が作れるなら米、ダメだから小麦、というふうに大局的に見ると法則性がある。このカロリー、人口支持力の話をしたのは、アジアとアフリカの相違を説くためだ。

開発経済学は、アジアをモデルに発展した。緑の革命で飛躍的に農業生産力が拡大したアジアでは、余剰労働力を都市に送り出すことに成功した。以来、低賃金労働者の供給から工業生産額があがり、第三次産業の発達、ガバナンスの改善へと進んだのである。では、アフリカはどうだろう?というわけで、Aw・BSの気候、天水にたよる農業、ラトソルなど知力の低い酸性土壌の多さなど自然環境に関わる違いから、生産性の低さ、人口支持力の低さを語るわけだ。

問題は、社会的な問題である。緑の革命を容易にできないわけは、何も自然環境だけではない。最大の問題は教育・識字率の問題だが、アフリカの土地の共有制度(個人所有の土地ではなく、村の長がみんなのモノの土地管理している。)も大きい。(これは開発自体には不利だが、移動が多いアフリカの人々にとって良きアフリカの在来知でもある。)また、一部の者だけが富を独占することを社会的に制限する呪術の存在もあるだろう。これも、非合理だと切り捨てる問題ではないと私は思う。今は、そんなことを語っている。

アフリカの慢性的な食糧不足と貧困の関連性は重要である。食糧不足故にその不足分を補う外貨が必要となるのだが、それが上手くいっていないのが1990年代のアフリカであり、最貧国と呼ばれる国々の現状であるからだ。(ただし、石油などの鉱産資源の輸出で儲けているレンティア国家の誕生で最近は大きな変化が見られる。)

だが、その前に、アマルティア=センの「貧困」の概念をもとに、HDI(人間開発指数)やMDGs(ミレニアム開発目標)、さらに人間の安全保障の概念も語るつもりである。貧困とはなにか、をはっきりさせたうえで、現状を語るべきだと思うからだ。

2014年10月28日火曜日

日経 習近平と前漢・宣帝

中国の習近平体制が2年。「めざすは中興の祖」昨日の日経の朝刊にこんな記事があった。
(中南海では)習近平の評判はいいらしい。憲法では国家主席の任期(5年)は2期となっているが、是非3期にして、2027年までやってはどうか、あるいは党規約では、総書記の任期はないので、プーチンのように国家主席と首相を交互にやるというのはどうか、などといった声が出ているのだという。たった2年で、かなり党中央を押さえ込んでいるわけだ。

「わきまえを知る者、時に応じて変化し、知恵ある者、事に応じて法規を変える。」習近平が好んで引用する故事だそうだ。これは、前漢・中興の祖といわれる宣帝の言葉らしい。どうも、習近平は、宣帝と自身を重ね合わせているらしい。宣帝は、在位25年の法家主義者で、腐敗施策を徹底した皇帝だ。

実は、宣帝は、皇族の生まれでありながら親族の不祥事で追われ、民間で育った。後に、この経験が専売品だった塩の価格を下げ民衆におおいに喜ばれたという。習近平も、文革時に父が失脚、16歳で下放されている。こういう点でも似ている、というわけだ。

ただ、中国史を見てみると、法家(法治主義)の皇帝は多くは短命だという声もある。秦は15年で滅んだ、というわけだ。

…先日もエントリーしたが、加藤隆千葉大教授の「武器としての社会類型論」では、中国は、上共同体下個人という社会構造である。この見方、極めてよくわかる。現在の中国で言えば、共産党員、とくに高級幹部の中南海の住人は、支配を手にしており、社会を管理する役割を担っている。しかし自由はない。富については、あまりにえげつない蓄積を行うと、摘発される。今、習近平は、その辺のガバナンスの舵取りをしているといえるだろう。中国の下層部は自由な個人。支配はないが、ある程度富を獲得できる。これも、現在の中国をよく表している。サンゴを求めて小笠原まで来るぐらいだもの。

2014年10月27日月曜日

日経 イスラム国心理学的考察

http://www.albawaba.com/news/interview-islamic-state--605763
日経に、「なぜ今イスラム国なのか」という日経本社の脇祐三氏のコラム「核心」が今朝掲載されていた。今日のタイトルにあるように、社会学的、そして心理学的な考察がされており、これはこれで面白い視点だと思う。

コラムでは、まずイスラム圏の出生率の高さの問題を提起している。このことは中東や北アフリカ地域における失業率と関連しており、若者の閉塞感を生んでいるのだと。「社会がおかしいのは、政治指導者や社会制度がイスラムの教えに従っていないからだ」とするアピールが求心力を生む土壌があるわけだ。リーマン・ショック後の欧米のイスラム移民社会も同様である。

若者たちが過激になるのを理解するツールは、神学ではなく心理学だと脇氏は言う。米政府のテロリズム分析作業に関わるメリーランド大学のエイリー・クルグランランスキ教授によれば、「人間は問題について、明快な解を求め、あいまいさを嫌う傾向がある。迷いを断ち切りたい欲求から、あれこれ時間をかけて考えるのをやめ、行動を選択する。行動自体が目的だと感じると、プラスの感情がわく。心理学の認知や動機付けの理論はイスラム国に引きつけられる若者にあてはまるかもしれない。」

しかもIT革命によって、イスラムのあり方が変化している。最寄のイスラム聖職者から、サイバー空間にある多様な言説へ、若者は道を求めていく。しかも、ツイッターなどのやりとりは字数が限られる故に、ますます主張がとんがってくる。さらに非日常的な空間にいざなうわけだ。

イデオロギー以外の側面から見ることも重要ではないか、というのがコラムの要旨である。

…なるほどと思うところがある。社会学的考察、心理学的考察、さらにITの役割の分析。さすがである。だが、私は、やはり構造的暴力・欧米的な価値観の普遍化への反発こそが、核心だと思う。イスラム国にはせ参じようとする若者には、そこまでのロジックはないとしても、である。

2014年10月26日日曜日

オタワの国会議事堂事件考

http://perleyann.com/parlhill.htm
イスラム国に行くことを止められたカナダの若者が、オタワの国会議事堂で銃を乱射するという事件を起こした。オタワの国会議事堂には、私も行ったことがある。静かで、荘厳なところだ。議事堂内部には、英語とフランス語の同時通訳装置が傍聴席にもついているところがカナダらしい。およそ、アメリカにしても、カナダにしても、国会議事堂などに観光客をかなり自由に入れてくれる。さすがは民主主義が進んだ国だと、20年ほど前には感激したものだ。

カナダでは、モントリオールでも、この事件の前にイスラム国がらみらしいテロ事件が起こっている。ニューヨークでは、地下鉄で斧を振り上げ警官を襲った事件も起こった。アメリカを中心とするアングロサクソンを中心とした有志連合各国では、イスラム国への渡航を制限したとしても、イスラム国に行きたがる若者が本国でテロ事件を起こすという、すごい構図になってきた。

イスラム国の問題は、すでに「構造的暴力」という富の先進国への極端な偏在と、自由と民主主義、資本主義、国民国家という欧米の近代国家の価値観、それはキリスト教的な(特にプロテスタンティズムの)価値観に呼応したものであるといえると私は思うのだが、これら欧米世界全般への最大のアンチテーゼとなっているのではないだろうか。

少し、偉そうに言うかもしれないが、このことを理解するのは、かなり難しい。朝の報道番組で、メインの解説者が同様のことを言おうとした。「かなり複雑で、難しくなりますが…。」とメイン解説者は、結局明言をさけた。たとえ2時間もらえても語りつくせまい。経済問題、政治問題、一神教を中心にした人文学的な問題、これらを大局的に理解しなければ、こういう見方は出てこない。だが、そのどれもが重要である。

なぜ構造的暴力と呼ばれるような経済格差が生まれたのか。なぜイスラム諸国は、近世以後経済的発展が出来ず取り残されたのか。ではなぜ欧米諸国が勝ち組になれたのか。(WWⅠ後の英仏による)サイクス=ピコ協定によって引かれた国境線を越えて(アラブ人の)イスラム国が成立してなにが悪いのか。クルド人問題とは何か。アメリカの中間選挙と空爆の問題。有志連合とはいかなる国家連合なのか。アラブの非民主国家はなぜ「イスラム国」を敵視するのか。イラン革命以来のイスラム原理主義の動き。過激派ではない一般のイスラム教徒はどう考えているのか。…などなど、一神教や文明的な構造など巨大な問題を除いて、すぐ思いつくだけでこれくらいはある。

日本の普通のTVニュースでは、事件を表面的に取り上げ、イスラム国の暴力的側面を強調し、恐怖をあおるだけである。でも、立ち止まって考えてみたい。たしかに暴力的な面は私も大きな声で非難すべきだと思う。がしかし「構造的暴力」という絶望的な問題に対して、彼らは暴力で答えているとも見て取れる、と私は思っている。としても、それが正義だとは思わないが…。

2014年10月25日土曜日

アフリカ教育研究フォーラムに行く

京都の秋 総合地球環境研究所
京都の総合地球環境研究所でのアフリカ教育研究フォーラムに行ってきた。朝8:30に自宅を出て、まずはJRで京田辺へ。近鉄の新田辺から竹田で京都地下鉄に乗り換え、終点の京都国際会議場まで。そこからバスで地球研前まで。約2時間かかったのだった。ちなみに往路は、叡電で出町柳駅経由、京阪で枚方市駅まで。そこからはバスで最寄り駅まで。とにかく京都とはいえ、なかなか遠いのだった。(笑)

私が、聞けた発表は、広島大のOさんの英語での発表の途中からだった。いくら日本の方とはいえ、英語での発表のリスニングはきつい。おそらくザンビアで妊娠した女生徒への友人や教員の差別の問題を話しておられたようだ。続いては京大のXさん(中国か韓国の方のようだった)。マサイにおける教育事情についての、これも英語の発表だった。”Indigenous ecological knowledge”という語彙が何度か出てきた。これは、京大のアジア・アフリカ地域研究科で大きなキーワードとなっている「在来知」のことだと直感した(13年4月20日付ブログ参照)。要するに、マサイでは、学校での教育とマサイとしての知の両方を学ばせているようだ。その内容の詳細な報告であるようで、男子は何歳から、こういう在来知(たとえば乳の搾り方とか、家の作り方とか)を学んでいるかといった内容だった。なかなか面白かった。

次はいよいよ荒熊さんの発表だったのだが、先に午後の内容についても少し触れておきたい。大阪大学のKさんのマラウイにおける孤児の生活と就学支援。マラウイでは、孤児の定義は、父、母、または両方を失った子供だそうでである。日本でいう母子家庭・父子家庭も含まれるわけだ。彼らの支援についての詳細な発表だった。夏休み中に、学校の図書館で独学した農業技術でトマトを栽培して学費を稼いだ生徒の話は、同じマラウイの”風をつかまえた少年”(11年1月7日・13日・14日付ブログ参照)の話を髣髴とさせた。こういうアフリカに学ぶ話はいい。次に大阪大学のK先生の、マラウイの無資格教員の話も面白かった。ジャイアンからスネオ、しずかちゃんへというのが結論である。(笑)地域社会の中で、ある程度信頼できるガキ大将のような人材を無資格ながら教員として採用していたのだった。それが大きく変化しているという報告だった。さらに東京農大のI先生の南アの学校農園の話、大阪大学のS先生の南スーダンのオルタナティブ教育(日本で言う夜間中学のような学齢期外の教育)の話、京都女子大学のU先生のソマリア難民がケニアからアメリカへ移民するまでの第3国定住システムの話と続いた。

荒熊さんの発表は、ブルキナファソ・ワガドゥグでのストリートチルドレンの統計調査の報告だった。どうも雨季には数が減っているようだ、というのを確認する話。30名あまりのNGOスタッフで調査をしてみると、彼らのうち30%近くが農繁期の実家の村に戻っていることが判明したのだ。家庭事情でストリートチルドレンになっている、のではなくインフォーマルセクターの一種のようなカタチで存在する者もいるわけだ。後で、お聞きしたのだが、この調査のアンケートを作製したソマという人物とも私はお会いしたことがある。また協力したNGOには、緑のサヘルにおられた日本人・M氏も入っておられて、妙に懐かしい発表だった。このアンケート調査の様子が目に浮かぶようだ。

荒熊さんと久しぶりにお会いできた。このフォーラムの責任者で忙しそうだったが、私にも時間をさいていただいて申し訳なかったと思う次第。来年もまた参加できれば、と思う。

2014年10月24日金曜日

LHRは腕相撲トーナメント

久しぶりにクラスのことをエントリーしようと思う。今週は中間テストが終わって、答案が返却され、学習が再開された。体育祭・文化祭が終わって、我がクラスはかなり仲良くなった。しかも、クラブを引退した男子連中は、大きな重石が取れたように、以前にもまして自由闊達になっている。(笑)私自身は、そういう雰囲気は嫌いではない。とはいえ、公募推薦入試にチャレンジするメンバーもいるので、あまりダガが緩まないようには気をつけているところ。

さて、水曜日のLHRも、生徒に完全に任せておいた。どうなるかと思っていたら、クラス全員で腕相撲大会をすることになったのだ。本来はグランドで何かするつもりだったらしいが、天気予報では思わしくないとのことだったので教室でということになったそうだ。チャイムが鳴って、クラスに入ると、黒板にトーナメント表が書かれていた。組み合わせは、男女別で出席番号順らしい。

せっかくなので、優勝者には何か出そうかと、クラス代表に提案した。皆、食堂のアイスクリームがいいというので、男女の優勝者に進呈することにした。

トーナメントが始まった。男子も女子もなかなか真剣で盛り上がったのだった。団長のA君やクラス代表のT君が、なかなかユーモアに富んだコメントを発するし、みんなの声援も凄い。男子などは、適当にちょけて(大阪弁で「ふざけて」の意)、場を盛り上げてくれる。聞くと、男子は、生徒会役員のN君や、公務員志望のK君が強いだろうということだった。女子は、中学時代陸上部だったT君やテニス部のK君が優勝候補だという。意外な生徒が勝ったり、優勝候補がその強さを見せ付けたりと、対戦は進んだ。結局、男子は、優勝候補の対決となり、N君が、女子はK君がそれぞれ優勝したのだった。

たいした準備をしていないLHRだったが、意外に盛り上がったのだった。来週は、グランドでキックベースボールをするそうだ。前回のバスケットボールのチームで対戦するらしい。さっそく体育科にグランド使用と用具使用の申請を済ませたのだった。

2014年10月23日木曜日

朝日 オピニオン中田考氏の主張

中田考氏 http://cismor.exblog.jp/i7/
イスラム国を巡って、今朝の朝日の朝刊に中田考氏の主張が載っていた。極めて、率直にイスラム国について述べている、と感じた。この9月にシリアの支配地域に入ったこと。その理由はスパイ容疑で拘束された日本人男性の裁判の通訳をイスラム国側から依頼されたこと。5回目の訪問であること。支配地域には、中田氏のイスラム名を書くだけで携帯電話の使用も制限されなかったこと。イスラム教徒の来訪は拒まず、入国が認められれば支配地域で安全が保障されていること。

中田氏の証言は、極めて率直である。イスラム国のリーダーも世界中から集まっている人々も「サラフィー・ジハード」主義者で、武力闘争を辞さないと考える。出身国で迫害され居場所がない人々である。イスラム教徒ならば国籍や民族で差別されることはない。「イスラムの元の平等」がコーランの教えの核心である。富の格差を認めず、近代にできた国境も認めない、そうした理想を実現できる場所と期待すればこそ集まる。

ただ集まった人々はカリフ制再興への実感は薄く、コーランの表面的な規定を忠実に実現できる場所が誕生したことを喜んでいるように見えた。支配地域で暮らす人々は、サラフィー・ジハードには無関心で、戦闘や空爆に巻き込まれて亡くなる人も多く、「イスラム国」支配に積極的に抵抗しないものの、迷惑に感じているような空気もあったとのこと。

最後に、中田氏は「暴力を肯定するサラフィー・ジハード主義の考え方は日本社会には受け入れがたいでしょう。けれども、イスラム国での実現が期待されているイスラムの理想には学ぶ価値があると私は考えています。」と述べている。

…中田考氏と内田樹氏の対談「一神教と国家」(集英社新書)を読めば、中田考氏の言っていることがよくわかる。今、世界史BでWWⅡ以後の世界のプリントを作製してる。大極的に見れば、WWⅡ以後の世界は、東西冷戦という二極化から多極化へ、そしてソ連の崩壊で一極化、さらにグローバル化し、構造的暴力と民族的・宗教的対立がリゾームに激化していくスキゾな過程だといえると私は思っている。この流れの中で重要なことは、ベトナム戦争でアメリカが失速したと同時に、ソ連はアフガン侵攻で崩壊のきっかけを作ったことだ。アフガン侵攻の直前にイラン革命が起こっている。私は、実は、このイラン革命こそが、戦後世界の分水嶺だと思っている。反欧米的なイスラム原理主義の派生はここから始まっている。

…中田考氏は、イスラム法学者として率直に、欧米的な価値観によらず、イスラムの側の平等主義を学ぶ価値ありと堂々と主張しているわけだ。日本では稀有で重要な存在だと私は思う。

…だが私は、イスラム原理主義を普遍的な正義だとは思わない。同時に欧米先進国の理念、自由と民主主義も資本主義も国民国家・ナショナリズムもまた「絶対的・普遍的」な正義だとは思わない。地球市民としては、どちらにも組しないで、きちんと見ていくことが重要だと思うのだ。

2014年10月22日水曜日

朝日 内田樹氏のカジノ法案論

昨日の朝日新聞に、内田樹氏の「オピニオン・カジノで考える民主主義」というインタビューが掲載されていた。一日寝かせたうえでエントリーしたいと思う。内田樹氏の発言は、毎回感じるのだが小気味よい。内田樹氏の論旨は、次のようなものである。

賭博をやめろというような青臭いことは言わない。賭博欲は人間の抑止できない本性の一つ。法的に抑制すれば地下にもぐるだけである。公許で賭博をするというのは、計量的な知性がはじき出したクールな結論である。ただし、今回のカジノ法案には反対である。

法案は賭博を「日の当たる場所」に持ち出そうとしている。パチンコが路地裏で景品を換金するのを「欺瞞だ」と言う人がいるかもしれないが、あれはあれで必要な儀礼である。やむを得ず限定的に許容されていることを確認するために必要なのである。賭博はあくまでグレーゾーンに留め置くべきものであって、白昼堂々、市民が生業としてやるものではない。法案は賭博をただのビジネスとして扱おうとしている点で、賭博が分泌する毒性についてあまりに無自覚である。

賭博は何も生み出さない。何も価値あるものを作り出さない。一攫千金の夢に迷って市民生活ができなくなる人間が増えるほど儲かるというビジネスモデルである。不幸になる人々が増えるほど収益が上がるビジネスである以上、そのビジネスで受益する人たちは「賭博に淫して身を滅ぼす人」が増大することを祈ることを止められない。国民が不幸になることを受益するビジネスを国が率先して行うという発想が信じられない。

安倍政権の経済政策は武器輸出三原則の見直し原発再稼動などいかに効率的に金を稼ぐかにしか興味がない。戦争や麻薬など人倫に逆らうビジネスほど金になる。でもいくら金が欲しくても、あまり「はしたないこと」はできない。その節度が為政者には求められる。安倍政権には節度も謙虚さも何も感じられない。

…カジノ法案への私の不信感を内田樹氏は見事に表現されている。ホント、小気味良い。

…日経だったか、安倍首相が視察したシンガポールのカジノは、前年同期比で27%減益だというニュースもあった。中国の景気減速・観光客の資金回収が遅延してることが最大の原因らしい。国のトップが日本の経済成長に資すると発言するほどのものではないと私は思う。

…今日の毎日・朝刊の「水説」(中村秀明論説副委員長)では、ランドセルが外国人に意外な人気商品となり、また正露丸や龍角散、目薬などが品質にうるさい日本で愛用されているという理由で台湾をが中心に人気だという。日本にはまだまだ外国人の興味を引く面白いものがたくさん眠っている。そんな「普通の国」でない日本に、どうしてよその国のまねをしてカジノを持ち込みたいのか。日本の良さをおとしめ、名を汚す。まさに国益をそこなうのではないか、というコラムが載っていた。

…まさに同感。カジノ法案などは不要だと思う。人倫に逆らうビジネスを国が推進する必要はない。政治家の知性を問いたい。

http://www.asahi.com/articles/DA3S11412485.html
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO75882700Z10C14A8FFE000/
http://mainichi.jp/opinion/column/ushioda/archive/

日経 皇后陛下の怖れと覚悟

皇后陛下の傘寿の所感を、日経の春秋で取り上げていた。極めて示唆に富む内容だと思うので、全文エントリーしておいきたい。

10月20日の誕生日に発表される皇后陛下の所感にいつも考えさせられる。ことしはA級戦犯に対する東京裁判の判決をラジオで聞いた中学生の日を振り返られた箇所があった。「(そのときの)強い恐怖を忘れることが出来ません」。そう書いたあと、続けられている。
▼「戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈(はず)はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖(おそ)れであったのだと思います」。考えたのは次のような幾つかのことである。
▼靖国神社参拝という今日の政治問題につながりかねない東京裁判について触れる勇気。66年前の少女のころの感情にまっすぐ向き合う誠実さ。その感情を的確に言葉で表す力。「国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場」への怖れとは、自身に対しても持ち続けられてきた感情かもしれぬ、と思いもした。
▼皇太子妃時代にはあった誕生日に際しての記者会見が、「皇后の誕生日会見は前例がない」という理由で、平成に入るとなくなった。そのことに納得はしていない。しかし、担当記者たちがつくる質問に答える形の文書に、とくに最近、質問が望む以上の内容があると感じる。伝えるべきことを持つ表現者の覚悟を感じる。
…国と国民という、個人を超えた所のものに責任を負う立場への怖れこそ、今の政治家に求めるべき覚悟だと私は思うのだ。

…あまりに拙速、朝令暮改で短期的な経済的効率や自らの名利で動く政治家が多い。これはなにも国政だけのことではない。

2014年10月20日月曜日

世界史B Atomic Soldier

中間テストが終わって、今日は午前中3クラスで世界史の試験を返し、午後は2クラスで政経の試験返しである。世界史は、結局第二次世界大戦終了が試験範囲になってしまった。と、いうのも台風で3クラスの授業がぶっとんでその収拾のためというのが最大の原因。本来はもう少し進んでいたのだが、キリのいいところで止めたのだった。よって、クラスによって進度がマチマチである。5組は最も進んでいたので、つい、大きく脱線してしまった。

第二次世界大戦が残したものというテーマで、イギリス・フランスの衰退、中国の分裂などはもう終わっている。次の原爆の話だった。原爆と言うと、日本史では、その悲惨さがテーマになることが多い。もちろん、平和学習として重要な話だ。これは、すでに第二次世界大戦で話している。ドイツも日本も原爆製造に邁進していたことも話してある。ドイツでは責任者がヒトラー嫌いでサボタージュしているうちに研究所がB-17に爆撃されてしまう。日本も理研で研究していたが、人形峠のウラン産出量が微量すぎたのと濃縮の際の方法にまよっているうちにこれも研究所が破壊される。日本は単なる原爆の被害国ではなく、加害国になる可能性もゼロではなかったわけだ。これが、歴史的事実である。

今日話したのは、ニューメキシコ州のロスアラモスに原爆博物館があること。近隣のネバダの核実験場で、戦後アトミック・ソルジャーという軍が編成され、死の灰舞い散る爆心地に突撃の演習を重ねていたこと。当然被爆したこと。その後ネバダ、アリゾナなどの砂漠地帯に死の灰が堆積し、西部劇のロケで、多くの役者が被爆、肺ガンで死亡したこと。以来、西部劇が製作されなくなったことなどを話していたのだ。ラスベガスの話もした。さらに近くにあるエリア51の話。(ロサンジェルス・ドジャース傘下の)AAAのチームは「51s」であることなどを語っていたら、チャイムが鳴ったのだ。

当然、一切の資料無しで語るわけだ。まあ、時間を調整したつもりなのだが、案外重要な事柄も含まれているような気がする。ふと原爆関係だけで、かなり本を読んできたんだなあと、我ながら感心するのだった。

2014年10月19日日曜日

アフリカ教育研究フォーラム

京都の総合地球環境研究所で、アフリカ教育研究フォーラムが、来週の10月24日(金)・25日(土)の両日行われる。このブログの読者で文化人類学者の荒熊さんのブログを拝見していて知ったのだが、教育関係者としても興味深い内容である。24日の金曜日は無理だが、25日の土曜日ならば行けそうである。

先日、荒熊さんからメールが届き、詳しい内容もわかった。荒熊さんの発表をメインに、京都まで行ってみようかと思っている。発表者の多くは、名古屋から広島までの大学院の博士課程の前期・後期課程の研究者の方々である。英語での発表はともかく、日本語の発表ならなんとかついていけそうである。

京都と言っても、地球研はかなり北にある。京都産業大学へ向かう道だ。荒熊さんの発表は、ちょうど昼食前の午前中・最終なので、間に合いそうだ。「ワガドゥグにおけるストリート・チルドレンの統計調査、調査結果報告」という成果発表である。
せめて昼食後すぐの「マラウイの孤児の生活と就学支援」や「教職と地域社会の関係性ーマラウイ農村部の無資格教員を事例に」の2つの発表も聞いて帰ろうかと思っている。

http://www.chikyu.ac.jp/publicity/events/etc/2014/1024-25.html

2014年10月18日土曜日

毎日 ボゴ・ハラムの停戦合意

http://abcnews.go.com/topics/news
/world/boko-haram.htm
毎日の夕刊に、ナイジェリア政府がボゴ・ハラムと停戦合意したというニュースが報道されていた。ボゴ・ハラムといえば、何と言っても270人もの女子生徒の拉致事件であるが、この件については、開放合意、交渉中、少なくとも無事と、どうも情報が錯綜しているようだが、とにかくも停戦合意が事実ならば、ビッグニュースである。

イスラム国を支持し、女子高校生拉致事件以後も北部で村を襲い続けていたボゴ・ハラムが、何故このタイミングで停戦合意をしたのか謎だ。単なる軍事的な戦略なのか、資金面での問題なのか、拉致者との身代金獲得目的なのか、いずれにせよ、彼らが軍事行動を以後も停止するとは到底思えない。

このところ、イスラム国を中心とした、イスラム原理主義過激派の連携が話題に上っている。ボゴ・ハラムの戦闘員が、ソマリアのアルシャバブ、シリア内戦、さらに遠くパキスタンまで関わっていることは、WHOの調査によるナイジェリア特有のポリオの世界的拡大でも証明されている。(本年3月19日付ブログ参照)何らかの連携があるのかもしれない。

とにかくも、女子学生たちが一刻も早く親元に戻れることを、遠く日本から念願するものである。

2014年10月17日金曜日

お好み焼き屋の裕ちゃんの訃報

藤井裕氏の訃報が今日の毎日新聞の朝刊に載っていたのを妻が見つけた。藤井裕氏は、上田正樹とサウストゥサウスのベーシストである。と、言ってもご存知の方は少ないかもしれない。私と妻は古くからの上田正樹氏の大ファンである。ちなみに私はあるイベントの演出(無償のボランティアである。)をしていて、上田正樹氏本人と直接お会いし、話をしたこともある。(ちょっと自慢である。)

その上田正樹氏のファ-ストアルバムが、「ぼちぼちいこか」である。これは、ホント、名盤である。このベースを担当しているのが、藤井裕氏なのであった。このアルバムは、有山淳司と共に、70年代の大阪を歌い上げている。全曲大好きだが、藤井裕氏の名前が登場するのは、「俺の借金全部でなんぼや」という曲である。それも一番最初に出てくる。

♪お好み焼き屋のゆうちゃん(藤井裕氏のこと)から5000円借りてきて、
 全部パチンコで負けてもうたから 
 乾物屋の中西(中西康晴氏:キーボード)に8000円借りた。 
 そやからゆうちゃんに3000円返して 
 2000円だけだけ競馬をやったら 19000円勝ってしもた 
 その中から6000円中西に返して 
 残りで飲みに行ったら 3000円足れへんかった 
 なじみの店やし 明日払うわ 言うて 帰りに車代1000円借りた 
 途中でアルサロのくんちょう(くんちょう氏:ギタリスト)に会った 
 くんちょうがポーカーをしようと言うたので 
 オカマの五郎ちゃん(正木五郎:ドラムス)と朝までやってしもた 
 結局5000円負けてしもた 
 あくる日 有山(有山淳二:ボーカル)に6000円貸した中から 
 なんぼか返してくれと言うたら 3200円返してくれた 
 俺の借金全部でなんぼや 俺の借金全部でなんぼや 
 俺の借金……全部で……なんぼや~
  
   *アルサロというのは、アルバイトサロン略語である

高校時代、私の友人が、この歌を聞いて、謝金の額を計算したことがある。暇な話である。(笑)

一度エントリーしたことがあるが、プライベートファイルというLP(現在はCDになっている)に録音されている大阪フェスティバルホールでのライブでは、ベースとドラムがジャマイカからのゲストだった。藤井裕と正木五郎外れていたのだが、結局2人とも合流してくれてほっとしたのを覚えている。ジャマイカの2人も凄かったが、キー坊(上田正樹)のバックは、何と言ってもこの2人なのだ。おりしも、サウストゥサウス再結成とライブ開始が進んでいた中でのことである。もう一度雄姿を見たかったなあ。

、「お好み焼き屋のゆうちゃん」の逝去。心からご冥福を祈りたい。 

http://www.masakiueda.com/information/info/20141016220359.html

2014年10月16日木曜日

日経 「友好」と「裏切り」

http://www.aliexpress.com/w/wholesale
-collection-playing-cards.html
日経の朝刊2面に、外交に関する好対照の記事が出ていた。「友好」と「裏切り」。

まずは、「真相深層」というコラム。これまで安倍首相は「日中友好」という語を使わなかった。「友好」は中国の反発を避けようとした外務省や自民党ハト派の対中外交を象徴するコトバであり、不満だったからと言われる。それで「戦略的互換関係」に変えたのだ。安倍首相は「友好」というコトバに、日中友好に反することをやってはならないという強迫観念をかられると言う。日中友好に反しているか否かは中国が決めることになるとして、「友好は手段であって目的ではない。」とも発言していた。そんな安倍首相が、9月29日の所信表明演説で、ついに「友好」という語を使い出したのだという。この変節をどう見るか。

その下には「迫真」というコラム。タイトルは「プーチンの執念」。森元首相との会談で、プーチン露大統領は「彼ら(欧米)は信用できない、日本はなぜ(欧米の)言いなりになるのか。」と言ったそうだ。プーチンは、KGBの職員としてドイツに駐在していた思い出を語り、1990年、ゴルバチョフはNATOについて、欧米から東欧への拡大はないという確約を得たので東西ドイツ統一を受け入れたのだと語った。ソ連崩壊後、その東欧が次々とNATO入りした。プーチンは情報収集のプロとして「裏切りによって(ロシアは)軍事的に包囲される。」と強く感じている。ウクライナ政変でも親米派と親ロシア派大統領の間で混乱が生じたとき、その収拾で合意を得た直後に親米派が合意を破棄し、政権転覆に動いたと主張した。ある外交専門家は、プーチンという人物は、「仁義を重んじ、裏切りを最大の罪悪とする価値観を体現している。」という。

…日中外交とロシア外交。違う視点から見ると、こうも見えるのだ、という絶好のコラム2題だった。それぞれ、なるほど、と私は思えるのだが…。

2014年10月15日水曜日

朝日 TTP幹部のイスラム国支持

http://bdnews24.com/world/2013
/08/21/european-embassies
-in-bangladesh-threatened
モーニングで、朝日新聞を読んでいたら、パキスタン・タリバン(TTP)の幹部数人が、イスラム国のカリフを支持すると表明したという。先週、TTPの指導者が、アフガンのタリバン最高指導者オマル師への支持を表明したばかり。と、いうことは、例のマララさんを襲った武装勢力幹部間で、イスラム国とタリバン・アルカイダを支持し合い、分裂の兆候があるわけだ。

イスラム原理主義武装勢力間で「イスラム国」との関わり(同時に「アルカイダ」との距離)が大きな問題となっている。他の武装勢力にも大きな影響を与えるだろうとの論評もある。

どうも、イスラム国のカリフも、おそるおそる「カリフ宣言」をしてみたらしい。某イスラム学者の情報がWEBに載っていた。うーん、全くよくわからない。イスラム原理主義も大混乱している感じ。カリフ宣言などというと、私などは凄い決意と決断だと思っていたのだが、うーん。

2014年10月14日火曜日

IMF アフリカ経済の見通し

在タンザニア日本大使館HPより http://www.tz.emb-japan.go.jp/letter/letter_5.htm
ロイターのWEBニュースによると、IMFのサブ=サハラ・アフリカの経済成長率は今年が5.1%、来年は5.8%という見通しを発表した。インフラ投資による効率向上とサービスおよび農業の発展がその成長率アップの理由、という事だ。ただし、西アフリカのエボラ熱感染拡大による、ギニア、リベリア、シエラレオネの経済は大きな打撃を受けており、これが影を落としているとも。感染拡大が長引いたりすると「劇的な影響」をおよぼすと警告している。

今日は、新聞が休刊で、モーニングではスポーツ新聞しか読めなかった。そんなスポーツ新聞にもアフリカ関連のニュースはある。来年1月以降にモロッコで始まるサッカーのアフリカ選手権(主催はアフリカサッカー連盟:CAF)が予定通り開催されることになったというのだ。モロッコ政府は、エボラ・ウイルスの感染が国内で広まるのではないかとの危惧をもち、延期を要請していたのだ。…サッカーの世界にもエボラ熱は「深刻な影響」を及ぼしているわけだ。

エボラ熱の拡大のニュースは、エントリーするに耐えないほど多くなってきた。ところで、それに負けず劣らずの死者がアフリカの近辺で出ているのだ。それは、地中海の難民である。以前、日経で少しだけ記事になっていた。少し調べてみた。UNHCRの発表によると、今年に入って800人以上が航海中に死亡または行方不明になっているのだという。主に、シリア、エリトリア、マリ、リビアなどの難民が多いらしい。これらボートピープル難民の死者の多くが子供だという。

…今こうしている間にも、地球上で様々な構造的暴力の犠牲者が拡大している。こういうことを生徒に伝えていきたいと思う。

<ロイター電のIMFのサブ=サハラ・アフリカ経済見通し>
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKCN0HW1HM20141007
<UNCHRの地中海難民報告>
http://www.unhcr.or.jp/html/2014/07/ws20140724.html

2014年10月13日月曜日

「悪名の棺 笹川良一伝」を読む2

槙枝元文
以前(9月25日付ブログ参照)エントリーした「悪名の棺 笹川良一伝」の書評を書きたい。よほど、笹川良一という人物、悪名がとどろいているのだろうか。私の書評エントリーでもペ-ジビューが少ない。(笑)全部読んでから、あらためて書評を書くつもりだったが、なんとなく間をおいたのは、そんな微妙な空気のようなものもあったのだった。

巷では、カジノ法案なるものが提出されている。毎日新聞などは今朝の社説で、「(カジノ)解禁ありきに反対する」という論を張っている。私自身は推進派といわれる政治家集団に不信感を抱いているので、同感なのだが、ギャンブルでカネを稼ぐという発想は悪なのだろうか。たしかに難しいところだ。

この本の中に、なつかしい名前が出てくる。槙枝元文である。元日教組委員長である。私は組合員ではないし、特に恨みもないのだが、彼は笹川に対し、総評新聞や様々な機会で、笹川のCM(私たちの世代にはなつかしいCM「一日一善」)などを非難中傷している。その後、「功なり名を遂げて」現役を退き、日中勤労者交流センターという財団法人を旧労働省を動かして創設し、理事長に就任した。しかし、2年後に資金難に遭遇。幹部職員から笹川平和財団に援助を求めるように言われた槙枝は、これを受ける。当時の財団は三男が理事長であったが、CM攻撃のことなどおくびにださず助成金だけを出した。しかし、その後も、槙枝は、笹川を「ギャンブル王」呼ばわりし続けるのである。

私は、こういう人物を信用できない。自分の信念を曲げただけでなく、恩を受けながら、それを仇で返すという変わり身、いや、変わり身を隠す保身というべきか。この点、何も言わず内容を吟味して支援した笹川側に少なくとも、男の美学という点から、軍配を上げる。

思想信条では、私は笹川氏を尊敬することもないし、ことさらギャンブルで儲けたカネが汚いという気もない。それがハンセン氏病などの様々な公益や福祉に使われてきたことは事実である。槙枝という人物の不義も含めて、事実を事実として受け入れていくだけのことだ。そんな乾いた感想をもった次第。

「武器としての社会類型論」Ⅱ

加藤隆先生の「武器としての社会類型論」を少しずつ読んできて、ようやく「掟共同体」にまで進んだ。この「掟共同体」こそ、この本の主題なのだが、その前に西洋社会・中国・日本・インドといった文明圏の社会類型を整理しておきたい。この類型は、国際理解教育の異文化理解に大きく役立つと思うし、社会科学全般にも有効だと思う。

加藤先生は、西洋社会を「上個人下共同体」という二重構造で説明しておられる。ギリシアの自由で、暇があり哲学が可能だった個人で構成された支配層と、奴隷として労働を強いられた不自由な共同体とに完全に分離している構造である。
…これまで、経済史では奴隷経済として学び、私自身はこういう奴隷制は古代の話だと信じていたのだが、よく考えると、ローマから中世の農奴制にいたるヨーロッパに根付いた社会構造である。この打破の動きが民主主義を成立させたわけだ。とはいえ、こういう二重構造はイギリスだけでなく、今でも存在するのだと思う。ヨーロッパの植民地経営もこの延長線上にあるわけだ。

さらに、何度も膝を打ったのは、中国、日本、インドの社会構造論である。中国は、「上共同体下個人」と、ヨーロッパと逆の二重構造である。しかしながら、この上下は移動可能である。科挙という国家試験の存在は、下層に生まれても上層部に移動することが可能であるからだ。ところが、この上層部は「君子」として、個人としての自由を奪われ、社会を管理しなければならない宿命をもつ。下層部に位置しているものは、個人としてある程度の自由も価値創造も富の蓄積も可能な社会である。なるほど。
日本には、こういう二重構造は存在しない。「全体共同体」と称されている。同じ共同体に属するという「場」が重視され、個人という存在は成立しない。よって自由はない。優秀なものは上層に立つが、それは機能的なもので、タテ社会となる。富は密かに享受される。これも、見事なほどの分析である。

…現在の中国にも、この社会構造はあてはまる。科挙の変わりに共産党員という資格で、上共同体に属するのである。儒教は否定されつつも、社会を管理する使命は存在している。意外に、下層の個人は自由である。だからこそ、政府は民主化を恐れるのであろう。ここでも、西洋的なるモノへの敵愾心が存在するわけだ。日本の「全体共同体」には、全く批判の余地がない。

インドは「資格共同体」と呼ばれる。この資格はジャーティー(仕事別による身分)を意味する。このジャーティーには、それなりの上下はあるのだが、ヨコ社会が重視されており、人による支配の構造は働かない。またジャーティーによって、自由な自己実現が未然に封じられている。とはいえ、自由に伴う不安や挫折もない。
…インドで、IT産業が盛んなのは、彼らが数学的に才能があるということだけではなく、このジャーティーによるヨコ社会の構造から見ると、新しい職業であり、拘束力が弱いからだと、加藤先生は言われる。実力主義で優秀なものが集まるわけだ。長いこと、このインドのIT産業におけるジャーティーはどうなっているのだろうという疑問があったのだが、極めてジャーティー感覚が弱いのだということがわかった。ある意味、このインドの社会構造を覆すものとなるかもしれない。

ここまでの内容だけでも十分面白い。「掟社会」の内容が楽しみである。

2014年10月11日土曜日

広島県警に教育権を問う

広島県警HPより
教育権を訴えたマララさんに、ノーベル平和賞が贈られた昨日、極めて不愉快な事件があった。私のクラスの生徒のことで、広島県警のM警察署・刑事課から電話があったのだ。生徒の自転車が、広島に存在していたらしい。盗難車としての確認を本人から直接したいという。14時30分くらいの話である。「授業中ですでの無理です。」「今すぐお願いしたい。」「授業中に呼び出したりできません。15時5分に授業が終わり、SHRがあります。その後20分くらいになったら、本人に電話をさせます。」「…(上司に相談しているようである)今すぐ、お願いできないでしょうか?」「何故ですか、どんな重要事件か知りませんが、教育を受ける権利があります。」「そこをなんとか。」あんまりにしつこく、教育現場のことなど配慮できない姿勢に腹が立ったので、「協力できません。」と電話を切ったのだ。

この日は、来週明けから始まる期末考査に向けての指導や、出来上がった進学のための調査書の手渡し、台風への対応、とくにこの三連休に入試のある生徒への注意などSHRで語らねばならないことは山ほどあったし、その後に受験補習も入れていた。さらに土曜日の入試でプレゼンテーションする生徒の指導もあったのだ。20分に職員室に戻るのが精一杯の状況である。広島県警・M署の刑事課はその”少しの時間”が待てないらしい。何様のつもりなのか。

ようやく時間が取れたので、17時を過ぎてから生徒の保護者に連絡をとった。保護者のお話だと、(防犯関係から電話番号を調べたらしい)3回も自宅に電話がかかってきて、生徒本人に確認したいとしつこかったらしい。学校では、授業中だし、そもそも携帯電話の使用を禁止されているので、そんなことはできないと拒否されたそうだ。そこで、学校にまで電話をしてきたのだという。

何を考えているのか、と私は思う。教育関係者なら当然だろう。15時20分まで、なぜ待てないのか。教育を受ける権利というものを知らないのか。学校で決められた携帯電話使用のルールを守ることを広島県警は平気でやぶらせようとするのか。広島の学校ならOKなのか。私には、警察権力の傲慢、理不尽だとしか思えない。

まして、その生徒は、受験のための小論文指導で、その後遅くまで国語科の先生に指導を受けていた。そういう状況下の話である。結局、校内で携帯電話を使って、回答せざるを得なかったという。生徒は「すみません。校内で携帯電話を使いました。」と詫びた。本来なら、携帯電話を取り上げ、反省文を書かせる指導が伴うが、私は当然不問にした。生徒は、自転車を盗難された被害者である。その被害者がなぜ、このような侘びの言葉を口にしなければならないのか。広島県警に、その全ての責任がある。

昨夜、広島県警のHPの苦情申請に、この旨をメールしておいた。教育関係者として、このような理不尽な行為を、見逃すことは出来ない。広島県警、ならびにM署に、生徒、保護者、学校に対して、誠意ある謝罪を要求する。

マララさんのノーベル平和賞

象徴的なマララさんの写真・EUの旗の下
http://www.ibtimes.co.uk/
top-12-quotes-2013-1429655
パキスタンの少女、マララさんがノーベル平和賞を受賞した。12年10月23日以来何度かエントリーしている教育権を訴え、タリバンに銃撃され、イギリスで手術を受け、現在もイギリスで高校生活を送る少女だ。ノーベル平和賞は、欧米・西側先進国のひとつであるノルウェイ人の意向が大きく左右する賞であるので、普遍的な価値を持つとは言いがたい面もあるけれど、私自身は、地球市民の一人として、この受賞を祝したいと思う。理由は、暴力に対し屈せず、女性の教育の重要性を訴えたということだ。途上国において、イスラム圏であるなしにかかわらず、女性の識字率は男性に比べて低い。それゆえに、保健衛生の面で、特に乳児死亡率が高くなり、平均寿命を低くしている。すなわちHDI(人間開発指数)が低くなっているという現実がある。女性の教育は、開発にとって極めて重要なのだ。

今回のノーベル平和賞受賞について、おそらくは、マララさんを銃撃したタリバンだけでなく、イスラム原理主義過激派をひっくるめての批判がさらに多く語られると思われる。イスラム国、ボゴハラム、アルシャバブ…。だが、私は思う。真に語られるべきは、女性の教育の重要性である。

2014年10月9日木曜日

総合学習は団T・仮装で「数学」

 昨日は、5限目は学年での総合学習、6限目はLHRであった。第2回目の総合学習の担当は、数学のS先生である。全員を第1体育館に集めて数学の総合学習?私たちの知らない間に、生徒たちには団Tシャツで参加、仮装OKという連絡が流れていて、団長たちは気合の入った仮装をしていた。ちなみに我がクラスの団長・A君はミッキーマウスになっていた。(笑)そういえば、前日の放課後、我がクラスを覗くと、S先生のクラスのM君をはじめ、我がクラスの学級代表のT君もなにやらシナリオ作りに追われていた。「何してんねん?」と聞くと、「明日の総合学習の司会のシナリオです。」とのこと。彼らが、前に出て、数学の問題を出し、クラスで相談して団長が回答し、1位から3位まではメダルが贈られるのだという。なかなか面白い企画だ。

ところが、第1体育館には音響設備がない。ここがネックだった。問題や回答がよく聞こえない。とはいえ、各クラスはなんとか問題を確認し、回答をしていく。問題は、なかなか面白い。月3000円のこづかいをとるか、毎日2倍になるこづかいにするか?というのが最初の問題。初日は1円、二日目は2円、3日目は4円…。みんな計算に追われていた。さらに見合いで、最も気に入る女性と何人目に出会うかといった確率の問題などが出た。音響は悪いものの、盛り上がったのだった。いいなあ、こういう総合学習。

さて、6限目、我がクラスは、第2体育館に移動してバスケットボールをすることになった。生徒には、卒業までの残る日々を自主的に考えて決めていくように指示してあったのだ。すでにチームわけや試合順などを決めてあるという。自主的に準備し、進めていく。男女合同で4チームを結成していた。前半女子・後半男子の校内球技大会の方法だ。完全くじ引き制だったそうで、勝敗は度外視して楽しむというポリシーらしい。我がクラスには、男子の元バスケット部員が5人もいる。彼らは、自分で決めるのではなく、他のメンバーにパスをしていく。いいなあ、こういう配慮。だから、へたくそなメンバーも大いに楽しんでいた。女子の言。「パスは、無茶苦茶かっこいいけど、シュートは決まらんね~。」(笑)バスケット部員が多いからと言って、そのチームは決して強くないのだった。

試験一週間前のLHRで、他のクラスは自習しているところが多い中、我がクラスは大いに楽しんでしまったわけだ。担任としては、決めるところは決めて、メリハリをつけていこうと思う。

2014年10月8日水曜日

毎日 ケニヤッタ大統領 ICC出席

http://time-az.com/main/detail/39319
ケニアの07年の大統領選による暴動を巡って、ケニヤッタ初代大統領の息子で、現大統領のケニヤッタ氏が、ICC(国際刑事裁判所)で開かれるヒアリングに、私人として8日参加するという記事が、今日の毎日新聞朝刊に出ていた。

当時、ケニヤッタ氏は政党の幹部として暴動を指揮したとして訴追されていたもの。人道に対する罪として訴追されていた。11年、副首相というポストにあった時、起訴前の聴取に応じている。主任検察官は先月証拠不十分で公判は難しいという見解を示していた。同時にケニアが十分な資料を提出していないので、起訴自体は撤回できないとして出席を促していた。

…要するに、大統領がヒアリングに出席すれば、証拠不十分で起訴が取り下げられる可能性が高いわけだ。AU(アフリカ連合)は、現職大統領を訴追すべきではない、として公判中止を求めていた。ケニヤッタ氏は全ての権限を副大統領に一時的に委任、私人として参加するのはAUへの配慮である。また、ケニアはICCを規定するローマ条約加盟国であり、ICCの法手続きを順守する姿勢を見せることで、国際的信用を得ることもできる。

…これらを鑑みてのケニヤッタ氏の政治判断というわけだ。

…ケニアのエスニック・グループの構成は、ケニヤッタ氏の属するキクユ人が最も多い。キクユ人は、マウマウ団以来ケニア独立の中心的存在で、初代ケニヤッタ・二代モイ・三代キバキとキクユ人の大統領が続いてきた。特にキバキは、キクユ人優遇の政策を取った故に、かなり政治が混乱する。07年の大統領選挙では、ルオ人である大統領候補オディンガ氏との選挙となり、予想を裏切り、キバキ氏が勝利した。選挙に不正があったという野党側とそれを抑えようとする政府側でおおきな騒動になった。(ケニア危機)今回、ICCが問題にしているのは、キバキ側についていたケニヤッタ氏の当時の指示内容であるわけだ。

…1000人以上が犠牲となったケニア危機について、どうケニヤッタ氏は語るのだろうか。おそらくは、無罪を主張するだろうし、ICCもこれで不起訴として決着をはかる可能性が高い。アフリカのデモクレイジーのひとつの象徴的な事件であるわけだが、私としては続報を待ちたい。

2014年10月7日火曜日

「武器としての社会類型論」Ⅰ

息子に「この本なかなか面白いで。」と渡されたのが、「武器としての社会類型論-世界を五つのタイプで見る-」加藤隆著/講談社現代新書2164(12年7月発行)である。なんとなく社会学の本かと思ったら、著者の加藤隆氏(現千葉大学教授)は、東大でフランス文学を修めた後、フランスで神学を学んだ方だった。「ルカ文書」について論文を書いた際のことである。この「ルカ文書」、ローマの支配の二重構造をキリスト教が採用する話らしいのだが、この点はフランス人の教授たちにすんなりと受け入れられた。が、しかしこの二重構造は「西洋的で特殊なこと」である、と主張してもわかってもらえない。彼らにとって、文明に西洋的である以外の可能性があるなどということは思いもよらないのだった。そこで、加藤氏は(西洋人にに西洋の文明が相対的なものであることを証明するために)諸文明の類型化に取り組むことになったのだった。いやあ、なかなか面白そうな始まりではないか。私は、こういう話が大好きである。

まだ70ページほどしか読んでいないのだが、通勤時には必ずこの新書を開くことになった。まずは、西洋的な社会類型の話である。「上個人下共同体」と名づけられた類型の話の中で、ギリシア語の話が出てくる。社会の上部に位置する自由な個人は、「町の事」について検討する。町とはギリシアであるから、当然ポリスである。「ポリスのこと」をギリシア語では「ポリティコス」となる。英語に直せばポリティックスで「政治」となり、これが語源なわけだ。一方、下部のオイコス(家の意味で、奴隷たちの労働・生産の場である。)では、掟・法則にしたがって富を効率よく生じさせることが求められた。掟・法則はギリシア語ではノモス。オイコスのノモス(家の掟)は「オイコノミア」となり、英語のエコノミーで「経済」なのだという。

今朝のモーニングでは、朝日新聞しかなかったので、早々と読み終わり、この新書を読んでいた。ここの段になって、思わず赤線を引きそうになって止めたのだった。これは息子の本である。(笑)

2014年10月6日月曜日

日経 マダガスカルで露艦隊見ユ

http://www.din.or.jp/~yamapan/html/military/russianships/borodino.html
日経の最終面の文化の欄に、マダガスカルから「インド洋より露艦隊見ユ」という電報を打った赤崎伝三郎氏について書かれた記事が載っていた。これを著したのは氏の孫にあたる赤碕巧一氏である。

赤崎氏は熊本県の出身。事業に失敗し、長崎でフランス料理を学んだ。そこから上海、サイゴン、シンガポール、インド経由で植民地化されたばかりのマダガスカルへ。最も大きなディエゴ・スワレズ港で植民地軍のフランス人あいてに酒場を開き、苦労しながらも、やがて、故郷に百円を送れるまでになった。

そのマダガスカルに、ロシアのバルチック艦隊が日本に向け集結してくるのである。氏は郵便配達人や貿易商を装って、なんとか艦内に入り込もうとする。情報をまとめ、インドの日本領事館に向けローマ字で打電した。当時、軍は英国からの情報で十分に把握していたのだが、氏に対し感謝状を贈ったらしい。氏は帰国後、小学校にその感謝状を飾ってもらっていたという。

当時の感覚から見れば、氏の軍事探偵まがいの冒険譚、十分判る気がする。遠く離れた異国で、お国のために命をかけようとしたのだろう。

それより私には、日露戦争当時に、マダガスカルに日本人がいたという事自体が大きな驚きである。奇妙な感覚が残ったのだった。

喫茶店でこの記事をメモしていた時に、生徒からメールがあった。台風18号の警報が解除になったという。今日は13:00登校になった。長い教員生活で、台風の警報解除で昼から授業があったのは初めてである。これまた奇妙な感覚であった。

2014年10月5日日曜日

アエロフロート航空の広告

毎日新聞の朝刊に、ロシアのアエロフロート航空の広告が載っていた。そういえば、TVでマンチェスター・ユナイテッドの選手も出ているCMを見たことがある。アエロフロートも頑張っているようだ。その広告を妻が見ていて、大笑いしていた。コピーの下に、少し小さな文字でこう書いてあったのだ。

「お客様へのサービスにはご利用クラスや航空機の種類によって異なります。アエロフロート保有機の90%以上が、平均機体年齢約5年のボーイング社製およびエアバス社製航空機で構成されています。」

なるほど、これは笑える。アエロフロートといえば、私たちの世代のイメージは、ツポレフ、イリューシン、スホーイといった旧ソ連の航空機メーカーの機体を使い、おそろしく古く、サービスも悪いというイメージがあるのだ。ヨーロッパへ、アエロフロートで行くというのは、かなり節約するというイメージが強い。

それが、今や、(敵視していた)ボーイング社、エアバス社の機体を使っているわけだ。時代は変わったんだなあ。私たちの年代には、「アエロフロートの保有機の90%以上は…」のコピーをでっかく書いた方が、はるかにインパクトがあると思うのだが…。

2014年10月4日土曜日

「雨傘革命」と米中外交戦

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NCQEVZ6TTDSC01.html
香港の「雨傘革命」と呼ばれる民主化運動に私も注目している。香港には、中国に返還される前に行ったことがある。一国二制度という、社会主義と資本主義を両立する鄧小平の提案に、香港は安堵したはずだった。今回の選挙制度改革は明らかにその時の原則を踏みにじるもので、学生や一般市民が立ち上がった気持ちは大いに理解できる。

なぜ今、こういう選挙制度改革が必要だったのか、よくわからない。それだけ中国政府内部で危機感が強まっているのだろうかと危惧するところだ。あるいは、現中国の指導者は、鄧小平ほどの器がないのだろうか。しかし、鄧小平も事実上天安門事件を容認した。この辺の、民主化と中国共産党の独裁を守る決意のほどは、日本に住む第三者にはわかりにくい。

産経新聞のWEBニュースで、17歳の学生リーダーの話が出ていた。米CIAの関与など様々な憶測が流れている。ならば、デモ隊を排除しようとした商店主たちにも人民解放軍が混じっているとも限らない。

このタイミングで、11月に中国・北京でAPECが開催される。毎日新聞には、オバマが「ただ乗り中国論」を8月に冗談交じりにNYタイムズ紙のインタビューで述べたという記事が載っていた。米政府は、イスラム国の問題でイラクに石油開発で巨額の投資を行い、世界第5位の輸入量を誇っている中国はもっと積極的に関わるべきであると、国際貢献には受身だった中国に、もうフリーライダー(ただ乗り)が功を奏した時代は終わりだ、と言ったわけだ。

香港の「雨傘革命」は、「イスラム国」とともにそんな米中首脳会議の主要テーマになるのではないか、と毎日新聞・坂東賢治専門編集員は「外事大事」というコラムで語っている。外交というものの本質を見事に示唆する話だと思う。

2014年10月3日金曜日

カズの「昔の名前で出ています」

http://blogs.yahoo.co.jp/
triple6kiriko/35432100.html
日経の朝刊のスポーツ欄に、カズの「サッカー人として」というコラムが時々載る。私は、現役にこだわるキング・カズが大好きなので、必ず目を通すことにしている。京都をカズが訪れた話から始まる。京都ではなじみの店に寄ると「おかえり」と迎えてくれるそうだ。神戸でもそうらしい。カズは、クロアチアに行った後、1年間、京都パープルサンガに所属した。その後、神戸ヴィッセルへ。それまで、日本代表やヴェルディ川崎、セリエAのジェノバといった陽のあたる場所から、決して強くはない京都・神戸と渡り歩いたわけだ。

「カズはもう死んだ」とか新聞に書かれたらしい。ところが得点を重ねると、「カズはまだ死んでいない」と書かれたり、とにかく、毀誉褒貶が激しい。まあ、カズ自身はそういうことを気にしないようにしていたらしいのだが、強いチームから自由契約になったわけで、気分が良いはずはない。だが、そんな京都や神戸にもいい選手やいい人々との出会いがたくさんあったという。だからこそ、優しくなれたとも。カズの生き様は、どんな環境でも常にベストを目指して努力する凄さがある。

今回のコラムは、最後に笑わせてくれた。小林旭の演歌で「昔の名前で出ています」というのがある。カズは、こう書いていた。京都にいるときゃ、キングと呼ばれたの 神戸じゃ…。横浜(ハマ)の酒場に戻ったその日から…。今、カズは現在、横浜FCの所属である。京都、神戸、横浜とまさに歌詞どうりだ。(笑)おもわず、ウマイ!と心の中で叫んだのだった。カズは、やはりキング・カズ。昔の名前のままで出続けてて欲しい。

2014年10月2日木曜日

インド経由DEアフリカ・ビジネス

http://plaza.rakuten.co.jp/isbrics/diary/?ctgy=1
「最後の市場アフリカ」(野村修一、ジェームス・クリア著/日本実業出版社)を少しずつ読んでいる。なかなか面白い。アフリカ市場へのアプローチ方法として、インド+アフリカという選択肢があるそうだ。インドの1人あたりのGDPは$1500である。これを上回る国はアフリカには12カ国ある。さらに$1000~2000をインドと同程度と仮定すると、このゾーンに12カ国ある。すなわち、アフリカの中のかなりの国がインドと同程度か、それ以上の所得水準にあることを意味する。

本書の資料によると、インドを上回る国は以下の通り。リビア、ガボン、セーシェルがブラジル($11358)と同程度。南ア、ボツワナ、アンゴラ、アルジェリアが中国($6071)と同程度。チュニジア、カーボヴェルテ、スワジランド、コンゴ民主共和国、エジプト、モロッコがインドネシア($3593)と同程度だという。

…私が主に考察しているサブ=サハラ・アフリカだけでなくホワイトアフリカも混じっているし、石油などによるレンティア国家が多い。かなりジニ係数も高そうだ。(一部の富裕層が多く、経済格差が大きい。)とはいえ、市場規模という視点からは意味のありそうな統計結果である。

一方、インドと同程度の国は、スーダン、南スーダン、ジブチ、チャド、カメルーン、ナイジェリア、ガーナ、コートジボワール、モーリタニア、セネガル、ザンビア、レソトの国名が挙がっている。

これらの国では、インドで売れるものが近いのではないかという推測が成り立つわけだ。人口構成も似ている。インドの企業、たとえばタタ財閥はアフリカ進出を進めているし、日本企業(スズキやトヨタなど)もインドの現地法人からアフリカを目指しているらしい。しかも、アフリカの旧イギリス植民地には印僑のネットワークが出来上がっている。さらに、インド・ルピーが対ドルで史上最安値を更新している。インドで生産したものを売るには大きなビジネスチャンスになっているわけだ。

ここで、インド系が多いモーリシャスが注目を浴びている。インドとは、二重課税防止条約が結ばれているので、インド企業にとって進出が容易で、実際モーリシャス経由でアフリカに投資する企業も多いらしい。モーリシャスは、IPPA(投資保護協定)を多くの国と結んでいるので、武力紛争や暴動時の損失補償が規定されているし、モーリシャスの企業にはキャピタルゲイン課税(30%ほど)がかからない。またアフリカ37カ国とも二重課税防止条約を結んでいる。さらに、モーリシャスはCOMESA(東南部アフリカ市場共同体)、SADC(南部アフリカ開発共同体)に加盟しているし、何より、世銀が毎年発表しているビジネスのやりやすい国ランキングで世界20位(アフリカでは1位)、日本やドイツよりランキングが上である。

…すなわち、インド発モーリシャス経由アフリカ大陸というビジネスはかなり魅力的なわけだ。面白い。ちなみに、こんな記述もあった。1人あたりGDPとそこで売れる商品の位置づけの関連。$1000を超えると女性用の衛生商品や赤ちゃんのオムツ、モーターバイクが売れ始めるという。$3000を超えると乗用車、$10000で介護ビジネス、大人のためのオムツが売れるようになるそうだ。こういう、経営学のグローバルな経験と知識の蓄積は凄いな、と思う。

2014年10月1日水曜日

3年総合的学習でアフリカ学入門

10月である。本校の総合的学習は、上半期の団活動と下半期の選択講座の二本立てである。ただ3年生だけは、学年単位で、消費者教育や映画による人権教育などを行うのだが、今年はその主会場である講堂が工事中である。つり天井を取り除くのだそうだ。仕方なく、今年は第一体育館に学年全員を集め、担任が1持間ずつなにか担当することになった。トップは私が努めることになった。自分で手を上げたのだ。

本当は、1年生ぐらいから、学年全体でESDをやりたかったのだが、ままならなかった。たった1回のESD実践である。これまで何回か使ってきたアフリカのプレゼンテーションをもとに、画像を見せながら語りかけることにした。たった1回なので、印象深いものにするために最後に、ブルキナファソ在住のIさんの詩を入れることにした。

ガーナに続くワガドゥグの国道沿いに並ぶ屋台の店に、貧しい子が残飯をもらいにくる話だ。店の人にさんざん痛めつけられることになるのだが、その子はトマトの缶にいれてもらった残飯を離さない。幼い兄弟に分け与えるためだったのだ。私は、この詩を声に出して朗読することが出来ない。感情が高ぶってしまう。実際に行ったことのある身にとって、あまりにリアルな話だからだ。そこで、国語科のT先生に詩の朗読をお願いしたのだった。

ケニア、南ア、ジンバブエ、そしてブルキナファソを画像で紹介した後、我々はアフリカから学ぶことがある、と説いた。それは、サヘル旅行で友となったオマーンの言葉だ。(苦しい日々であろうとも)あたりまえに、生きるという自然体のアフリカ人の姿だ。そして、ゆでたまごを売っている女の子の画像をバックに、T先生にこの詩を読んでいただいた。薄暗い第一体育館。風通しも悪く暑苦しいのだが、生徒は真剣に聞いてくれた。

放課後、食堂の前で、体育科の元野球部の主将と会った。「アフリカの話、よかったです。」と言ってくれた。この3年間、様々に関わり、かわいがってきたが、ついに彼の授業を持つことはなかった。おそらく彼に授業するのは最初で最後である。その思いを持っていたと伝えると、「ありがとうございます。嬉しいです。」と握手を求めてきた。普段の何倍も精力を使い果たしたが、報われた気がした。