2014年10月6日月曜日

日経 マダガスカルで露艦隊見ユ

http://www.din.or.jp/~yamapan/html/military/russianships/borodino.html
日経の最終面の文化の欄に、マダガスカルから「インド洋より露艦隊見ユ」という電報を打った赤崎伝三郎氏について書かれた記事が載っていた。これを著したのは氏の孫にあたる赤碕巧一氏である。

赤崎氏は熊本県の出身。事業に失敗し、長崎でフランス料理を学んだ。そこから上海、サイゴン、シンガポール、インド経由で植民地化されたばかりのマダガスカルへ。最も大きなディエゴ・スワレズ港で植民地軍のフランス人あいてに酒場を開き、苦労しながらも、やがて、故郷に百円を送れるまでになった。

そのマダガスカルに、ロシアのバルチック艦隊が日本に向け集結してくるのである。氏は郵便配達人や貿易商を装って、なんとか艦内に入り込もうとする。情報をまとめ、インドの日本領事館に向けローマ字で打電した。当時、軍は英国からの情報で十分に把握していたのだが、氏に対し感謝状を贈ったらしい。氏は帰国後、小学校にその感謝状を飾ってもらっていたという。

当時の感覚から見れば、氏の軍事探偵まがいの冒険譚、十分判る気がする。遠く離れた異国で、お国のために命をかけようとしたのだろう。

それより私には、日露戦争当時に、マダガスカルに日本人がいたという事自体が大きな驚きである。奇妙な感覚が残ったのだった。

喫茶店でこの記事をメモしていた時に、生徒からメールがあった。台風18号の警報が解除になったという。今日は13:00登校になった。長い教員生活で、台風の警報解除で昼から授業があったのは初めてである。これまた奇妙な感覚であった。

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