2013年1月31日木曜日

中国の大気汚染が近畿直撃

ものすごく喉が痛い。何度も咳き込む。煙草を止めて1カ月以上になるのに、なんじゃいなと思ったら、中国の大気汚染が近畿地方に流れ込んでいたらしい。このところの北京などのスモッグはひどいらしく、天安門も霞むとか。

帰宅して毎日新聞の夕刊をみて激怒した。まるで狙われているかのような「硫酸塩エアロゾル」ではないか。「濃度上昇は大陸の大気汚染物質が流れ込んだためと解釈できるが、国内の濃度は中国の濃度の汚染レベルに比べると格段に低く、健康な大人が気にするレベルではない。」というのが、国立環境研究所の説明。

絶対、違う。ゴホゴホ。無茶苦茶苦しい。
第一、私は「健康な大人」ではない。と、妻が指摘したのだった。…ううむぅ。

追記:昨日、41人目の読者が生まれました。Junko Yamamotoさんです。これからも末長くよろしくお願いいたします。

2013年1月30日水曜日

小事が大事「掃除当番」

文化祭:撤去作業開始の瞬間
諸行無常。是生滅法。我が1組も、2月中旬の学年末考査を終えると、持ち上がりではないので私のクラスではなくなる。本校の普通科は5クラスである。確率的に言ってしまえば、4/5の生徒は、他の先生方に引き継がれていく。それを考えると、どの先生にも可愛がってもらえるように、3学期に打ちこんでおきたいことがあるものだ。

昨日の放課後のことである。掃除当番が少ない。「?」二人ほど姿が見えないぞ。他の生徒は、あえて口には出さないが心でブーイングしているはず。こう言う時は、絶対皆の前で叱らなくてはならない。私が贔屓をしているように見えてはまずいのである。

朝のSHRで、毅然としかった。先ほど書いたような担任としての私の想いも静かに語った。
「私がクラスで指導する事、それは『責任ある行動』だけである。2学期の文化祭で、私は大いに我がクラス1人ひとりに、打ちこんだ。だから、文化祭が終了し講堂に集合するまでの30分間で、黒ひげ危機一髪と、海賊船と教室の飾り付けを全て撤去したのだった。生徒全員ものすごい集中力だった。自分が何をすればいいか考えて、出来ることを全てやったから片づいたのだ。そんな我がクラスの一員が普段の掃除をさぼっていいのか。信頼を裏切るな。信頼を失うとそれを戻すのは難しい。あえて、ああしろ、こうしろとは言わない。…高校生なのだ。自分で考えなさい。」

掃除をさぼった2人は、他の掃除当番にあやまってあるき、来週の掃除を2人で引き受けることにしたそうだ。…朝から、みんなささったようだ。

私は、全体に説教をするのが好きではない。個人的な指導の方が好き。だが、時として朝からこういう場面をつくることもある。普段は好々爺だが、凛とした時はかなり怖いらしい。問題はぶれないこと。生徒への愛情を隠さないこと。生身でぶつかること。こういう人間力が教師としての武器だと私は思っている。

ロジックは大切だ。だが一夜漬けのロジックや机上の空論のロジックでは、決して人は動かない。

2013年1月29日火曜日

Democrazy Simulation その後

25日(金)にエントリーした「African Democrazy Simulation」のその後を紹介しようと思う。
4組。レント(石油とダイヤモンドによる資金)が舞い込んだ大統領候補2人は、一気に内戦に突入してしまった。レントで武器を買うという。武器商人になりすました私は、その料金表を黒板に書く。注文を受けたのは牧畜民である。強い。農耕民の方も、あわてて武器を購入。じゃんけんで勝敗を決める。勝ったのは農耕民だった。地雷がまかれ、アンゴラの状況とそっくりになってしまった。うーむ。

5組。小競り合いがあったが、ほぼ話し合いで大統領が決まった。身内のエスニックグループを大臣に任用した。隣のグループからも大臣を任用。軍と警察には、そもそも大統領と敵対していた牧畜民にもポストを与えた。挙党一致をめざしたはずが、さっそく、軍が警察と組んでクーデターを起こした。大統領側は慌てて武器を購入。絶体絶命になった。私は、クーデター側が1回、大統領側が2回の勝利というハンデをつけてじゃんけんとしたが、悪運が強い大統領側が買ってしまった。隣のグループの大臣は知恵者で、さっそく、軍と警察を身内で固め、クーデター派を刑務所に入れてしまった。(うむ。African Democrazyとしては、正しい処置だ。)私は、「4年後」と宣言した。またまた大統領選挙だ。「大統領を支持しない者」と聞くと、たくさん手が挙がった。大臣は、こう宣言した。「今手を挙げたグループには、水道も電気も何もしてやらない。」おお。正しい。ブーイングに対し、「軍をあの辺に派遣します。」おお。正しい。さらに激しいブーイング。「警察で捕まえます。」おお。まったくデモクレイジーそのもの。(全くヒントを与えていないのだが…。)で、選挙した。反対派はみんな刑務所なので大統領は再選されたのだった。軍と警察を抑え、優秀(?)な隣のグループの大臣さえ離反しなければ、彼の独裁政治は続くだろう。

ちょっと辛口のシミュレーション。これは国際理解教育のアクティビティのセオリーを無視したものなので、全くWin-Winにはならない。

なぜ、紛争になるのか?貧困、教育、ガバナンス…。最後に様々な問いかけをした。みんな熱心に聞いてくれて、大いに満足だった。3年生の授業もあとわずか。

2013年1月27日日曜日

午後は京大で公開講演会その2

Fetha Negast
公開講演会の後半は、エチオピア・アジスアベバ大学のインティソ・D・ゲブレ先生の「エチオピアにおける法の多元性と慣習的な裁判」という英語の講演だった。通訳は特になされなかったが、和訳されたパワーポイントの画面も同時に映し出されるというシステムだった。もちろん、この画面に基づいて、ゲブレ先生は語られるのだがジョークや逸話なども挟まれる。時折笑い声がもれる。うーん、こういう時自分の英語力の低さに情けなくなるのだった。(笑)

さて、ゲブレ先生の講演は、太田先生の掲げる『アフリカの潜在力』に繋がるものを私に強く期待させるものだった。エチオピアには、欧米の概念を基盤にした近代法(成文法:エチオピア起源ではなく民衆にとって正統性をもたない。)があるが、同時に代替法(ADR)や慣習法がある。これが、多元性である。「紛争解決のための潜在力」として期待されるのは、この中の「慣習法」であるわけだ。

エチオピアの法の歴史は古い。1240年頃、エジプトのコプト教徒によってアラビア語で編纂されたFethe Nagast(王の法律)は、北部高地のエチオピア正教徒社会で有効だったし、1320年に書かれ、エチオピア皇帝はソロモン王の関連があること、王位の継承などを記した Kebre Negast(王の賛美)などがある。慣習法も当然、その延長線上にある。

私が感じた慣習法の特徴を挙げたい。なによりWin-Winであることだ。共同体の平穏を重視し、紛争は社会的な混乱と見なすのである。これは凄いことだと私は思うのだ。次に、儀礼(パフォーマンス、動物の屠殺、共食、武器の破壊、呪詛、祝福)を伴う事。判断は、日常の行動原理に基づく信頼関係が基盤となるが、共同体の儀礼を経ることで正義性を高めるわけだ。

もちろん、この慣習法は、エスニックグループ内の共同体では有効であるが、他のグループとの紛争などには用いることはできない。とはいえ、地方を中心にエチオピアでは広く受け入れられている。もし、ムスリム同士の問題なら上記の代替法(ADR:これらは法として認可されている。)の1つイスラム法廷で解決すればよい(商業法廷・家庭法廷というADRもある。)のだが、やはり司法のシステムとしてはややこしい。いろいろな弊害があるそうだ。

慣習法は、伝統的な共同体の価値観に基づくので、特に、欧米的近代法の普遍的な法概念とぶつかることも多い。人権(身体の自由や財産権)や特に女性や若年層の権利(彼らは裁判に参加しない)が侵害されている事例も多い。和平実現のため結婚させられることもあるらしい。慣習法で死刑判決もでることもあるという。質問の時間、慣習法と近代法との関わりという論点で、女性割礼についてゲブレ先生はどうお考えか?という質問がでた。もちろん英語での質問。うむ。さすが京大。で、ゲブレ先生は、「女性割礼は健康に関係しているという教育が必要で、普遍性と慣習法の両者の矛盾を解決していかねばならない。」と述べられた。うーむ。痛いところだったのだろう。

ゲブレ先生は、慣習法をうまく使えないか政府に提言をされているという。私は、この慣習法、問題はあるようだが、少なくとも、その裁判の着地点が、Win-Winであることに大きな希望を見る。

このところ、一方的な攻撃、相手のプライドもズタズタにするような追いつめる姿勢、これまでの実績も全てマイナスに評価するといった、まるで共生を否定するような紛争の現場の近くに身を置いている。もちろん、Win-Winが絶対的正義ではないだろうが、その発想が導入される共同体であって欲しいと思うのだ。

2013年1月26日土曜日

午後は京大で公開講演会

寒ツバキと京大稲森財団記念館
奈良教育大から、近鉄と京阪電車で京大に向かった。松本仁一氏の講演「アフリカは紛争解決能力があるのか」を何が何でも聞きたかったのである。
この「紛争解決のためにアフリカの潜在力を活用する」と銘打った公開講演会、京大アフリカ地域研究資料センターが日本学術研究会の研究補助費を受けて行っている「アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生に関する総合的地域研究」という基礎研究の一環で、今日はその代表者である太田至先生が進行されていた。(昨年9月15日付ブログ参照)

アフリカの潜在力。太田先生は、京大の先生方は誰しも実感としてもっているのだが…と趣旨説明述べられた。この問題に、日本を代表するアフリカ通のジャーナリスト、松本仁一氏がどう語るかが楽しみで、私としては珍しく前から二列目の席に座ったのだった。

「アフリカには紛争解決能力があるのか」松本氏は、まずYesと答えたのだ。その例として、ソマリランドの長老による武装解除を挙げられた。少し解説がいる。アフリカの角、ソマリアはアフリカでも珍しいソマリ人の単一民族国家であるが、紅海に面した旧英国領ソマリランドと、フランス領だったジブチ、インド洋に面した旧イタリア領ソマリアに分けて見ることができる。バーレ大統領の時代、ソ連に軍港を提供する見返りに大量の武器(特にカラシニコフ)を得たのだが、先進国の行うような武器管理は皆無の状況下で政府は崩壊、武器が大流出してしまう。これによって、武器を行使することであらゆる事が利権となった。空港の離発着料、入国、市場への出店、バスの乗車…。これを見かねたボロマ地区の長老が呼びかけクラン(氏族)ごとの対立を乗り越えようと和平会議が行われ82人の長老がボロマ宣言を出す。民兵5万人のうち、軍1万、警察5千、刑務官5千には銃を管理して与え、残りの3万丁をUNDPの協力で武装解除したのだ。10年くらいかかったが、まさに、紛争解決能力だと言える事例である。

しかし、これは単一民族故に成功した事例でしかない、と松本氏は見る。たとえばケニアではキクユ人(注:ケニア最大の人口比をもつ。)同士なら長老の話し合いで紛争解決もありえるが、ルオーとの紛争ならそれはありえない。(注:前回の大統領選挙後の紛争を見ればわかる。)ジンバブエは、人口の70%を占めるショナ人の利益代表としてムガベ(注:失敗国家にした大統領)がンデベレ人を抑えているという構図のままだ。アフリカには、パトロン=クライアント関係が、各エスニックグループの有力者と構成メンバー間にあり、ここで利益が還元されることもある(注:情の経済)。だから、アフリカでは、エスニックグループ主体の生業の構図が再生産され、エスニックグループ間で紛争となった時の解決は難しい。多文化共生が当たり前のアフリカでは、エスニックグループのそういう構図を崩す方が良いのではないかと、松本氏は考えておられる。

イギリスは植民地経営では、エスニックグループという出自より個人の能力を評価した。こういう視点が今いい方向に向かっている例がある。南アのトヨタ(現地企業)はアルチザン形式という個人の能力重視で昇進するシステムを構築し成功した。モザンビークでも、南ア資本と英日資本でアルミ精錬の会社が同様のシステムを採用し成功している。要はちゃんと働き、賃金を獲得できればアフリカの人々も幸福をつかめるのである。これらの会社は多くの雇用を創出し、1人あたりの雇用は8人の扶養を可能にしている。

松本氏は、長期的な視点から、南アを中心とした資本がモザンビークやタンザニアなどに投資し、きちんと訓練された労働力を雇用創造することが、紛争解決の手段としては有効だとされたのである。このような資本蓄積と生産性の向上にいち早く成功したボツワナは、日本政府のODA対象から飛翔した。ジンバブエにはORAP(オラップ)というNGOがあるそうだ。「人に頼るな。頑張ればやれる。」というスタンスで、村を周り、最初はホースに小さな穴をあけただけの点滴灌漑を教え青菜の種を渡す。出来た頃仲買人を連れていき、皆の前で収穫への報酬を与えるのだという。この成果に我も我もと手をあげる村人には、種を与える。生産性が上がれば仲買人は勝手に村を回るようになる。やがて生産性の高い農村が増えるという。

エスニックグループから個人の豊かさ追求へ。結局のところ、アフリカが出来るものから豊かになることだと松本氏は言われたのだ。なお、旧英領ソマリランドの武装解除の成功に比して、旧イタリア領のソマリアの紛争をどう見るか?という私の問いかけに松本氏は、ソマリアの方が圧倒的に銃の数が多かったこと、さらに利権となるものが多かったことを挙げられた。(このことは長年私の中では謎だった。)「天然資源の罠と紛争の罠がリンクしたというポール・コリア的な見方でいいのでしょうか。」と聞くとYesという回答だった。松本氏の考えは、ポール・コリアとダンヒサ・モヨの発想を是とされているようだ。アフリカの開発という問題について、私の考えは松本氏に近いと言えるだろう。

休憩時間に少しだけ御挨拶させていただいた。名刺までいただいた。いやあ、感激である。先週は水曜日をピークに、不愉快なことが多かった。それを一気に吹き飛ばした素晴らしい1日だったわけだ。関係各位に感謝申し上げたい。
(エチオピアのインティソ・D・ゲブレ先生の講演については明日エントリーしたいと思う。)

午前中は奈良教育大学

朝8時前に家を出て、奈良教育大学に向かった。10時からのユネスコスール大会に参加するためである。(昨年度12月7日付ブログ参照)奈良教育大学の前任校OBであるG君からも、受付で仕事してますとのこと。久しぶりに顔を見るのを楽しみに、JRと近鉄、それに奈良市内巡回バスを使ってなんとか開会前に到着した。全国のユネスコスクール関係者が集まり、講堂はほぼ満杯だった。開会式、ビルマの高校の先生の話、ESDの特別授業(中学生の朗読指導)と講堂でのプログラムを終えた。昼食は、協賛の企業が用意しているとのこと。ちょっと驚いた。ランチを用意するとともに、企業で取り組んでいるESDの活動を広報するらしい。

ユニクロがやろうとしている世界の難民キャンプに、学校で集めた服を届けるというプロジェクト、なかなか面白そうだ。難民キャンプも指定できるらしい。もし、このプロジェクトに参加しようとするなら、アフリカに送るという設定がぜひ欲しいからだ。なにより難民キャンプに持っていくというのがいい。普通の都市部で行われている古着のインフォーマルセクターの市場を破壊しないからだ。
担当者にもう少し聞いてみた。「あなたのTシャツはどこから来たか」という古着とアフリカの関わりを書いた本や、『タンザニアのマチンガ』という語を担当者は十分理解していた。さすがである。私の質問の意図(開発経済学的に見たインフォーマルの市場の問題)も理解した上で、難民キャンプへの支援という結論に達したと言う。いいではないか。ユニクロのプロジェクト。

1時すぎ、午後のプログラムを辞退して京都へ向かった。(本年1月10日付ブログ参照)残念だが仕方がない。とりあえずG君の元気そうな顔も見れたし…。

2013年1月25日金曜日

African Democrazy Simulation

文Ⅱの4組・5組で、新しいアクティビティを始めた。アフリカのデモクレイジーをシミュレーションしようとするものである。これまで様々な形で授業中に講義しては、質問していたことをまとめ上げたものである。もちろんポール・コリアーの指摘するところに沿っている。

あるアフリカの植民地が独立を果たす。この植民地には8つのエスニック・グループが存在する。彼らのうち、6つは、農耕民であり、2つは牧畜民である。農耕民はA系統・B系統・C系統の言語でそれぞれ豊かな村と貧しい村を形成する2グループずつ、三分類できる。牧畜民はD系統の言語で、農耕民とは言語的には繋がらない。

各グループには、英語(宗主国はイギリスと設定)がしゃべれる人が1人ずついる。また農耕民の6グループには、A・B・Cの三系統の言語がしゃべれる商売人も1人ずついる。今回の独立闘争では武装勢力が活躍し、各グループにその闘士もいる。

さて、イギリスが独立を認めた。各エスニック・グループは、新国家の大統領を決めなければならない。8人の大統領候補は多い。4名に減らすよう指示し、各グループに相談を促す。ただ、各グループには前述のように微妙な言語の壁がある。同じ言語系列の人々とは相談が安易であるので、私が何も言わなくとも、結局相談することになる。大統領候補は、4人に減った。

さて、ここで残った4人でじゃんけん。勝った2人に、私は仮想世界ゲームであまり使わない50simの札束を、わざとぞんざいに放り投げた。(あくまで演出である。)1つは、石油が出た。その開発料。1つはダイヤモンドの出る土地の使用料。イギリスの開発会社からのレントである。

ここで、教室の空気が一気に変わる。これまでオカネなど想定の外だったのに、急にオカネが登場したのだから。しかも莫大なオカネのようである。さて、大統領を決めようではないか。

教室が色めき立つ。みんなどうしていいか分からない。レントを得た大統領候補には、「自由に使えば。」と私は言い放つ。

これは、ゲームではない。勝ち負けなどない。あくまで、シミュレーションなのだ。ここで本日の授業終了。極めて辛口のシミュレーション。その後はどうなるかは、生徒次第。どう動くか。楽しみである。

2013年1月24日木曜日

暴力的言語装置としての『聖職』

聖職の碑
昨日、NHKの9時のニュースで、埼玉県の公務員の早期退職について報道していた。2月に退職しないと150万円ほど退職金が減額されるらしい。それで年度末を前にして退職する公務員が多かったと言う話だ。で、その中に多くの教員が含まれているという。

その件に対して、キャスターが『聖職』というコトバを使い、批判していた。中には学級担任をしている教員も含まれていた。児童生徒を放りだすような、そんな早期退職をしてよいのかと言いたかったのだろう。

この『聖職』というコトバ、久しぶりに耳にした気がする。私自身は自分の仕事を『聖職』だと考えているか否か?当然私は聖人君子ではない、元品の無明の凡夫である。間違いを犯すこともあるし、ベテランとはいえ不完全な存在である。だが、『聖職』についているという意識(矜持)は絶対失いたくはない。同時に自分から『聖職』についているというふう(傲慢)に口にはしたくない。だから、「先生」と言う自称(一人称)は恥ずかしいし、使わない。

すなわち『聖職』か否か?に対しては私は「空」なのだ、としか言いようがない。そもそも『聖職』というコトバは、複雑なのである。『聖職』の主体が、このように思索し、逡巡するのに、マスコミは教員の存在批判の装置として有効だと簡単にこのコトバを使うようだ。「聖職者が犯罪を犯した」というふうに。

正直、やりきれない。こんな時だけ『聖職』扱いなのだ。もちろん、私が同様の立場なら生徒を放って早期退職などできない。スローガンとして『責任ある行動』を我がクラスの黒板の上に掲げる私が、そんなことが出来るわけがない。ソクラテスよろしく毒杯を仰ぐしかないではないか。太った豚でありたくない。

埼玉県の教員にはいろんな理由があるのだろう。それを否定はしない。だが、彼らは「教員」、いや「教育公務員」であって、「教師」ではない、ましてや「教育者」ではない。NHKも『聖職』などという暴力的な言語装置は使わず、そういうふうに立て分けてもらえないものだろうか。

そんな強弁をはる私も、到底『聖職』に伴う「矜持」は、大阪の不思議な政策で、後退を余儀なくされている。(労働:あまり好きな言い回しではないが)環境は、極度に管理化され、余裕だけが喪失していっている。『聖職』というコトバを使うならば、こういう『聖職』たりえない側面をも理解した上で使用すべきではないかと私は思うのである。

『聖職』というコトバが暴力的な言語装置ではなく、本来の意味で使用されるようになることは、これからあるのだろうか。また若い先生方が、このような矜持を持てるのだろうか。教育の未来にとって、何よりの重大事だと私は思うのだが…。

アフリカ学会 市民公開講座

一昨日だったか、久しぶりにYahooメールを確認していたら、京大のアフリカ地域研究資料センターからメールが来ていた。日本アフリカ学会の研究者の皆さんを京大に呼んで公開講座を行うことは、公開講座の時聞いていたが、その細かな日程が出ていたのだった。おお。日程を手帳に控えなくては…と思っていたら、今日パンフレットが送られてきた。受講料は無料で申し込みも不要、先着150名らしい。
せっかくなので、内容をエントリーしておく。私は予定の許す限り参加するつもりである。
大テーマは『アフリカ、その魅力と可能性』である。

第1回2月19日(土)「マンドゥメ王の頭はどこにあるのか」:永原陽子 東京外大アフリカ研教授
第2回4月13日(土)「アフリカの自然が作った人間」:山極寿一 京大教授
第3回6月22日(土)「アフリカの開発と援助」:黒川恒男 JICA理事
第4回10月19日(土)「呪術ー現代アフリカの見えない力」:近藤英俊 関西外大准教授
第5回12月14日(土)「急成長で岐路に立つアフリカ」:大林稔 龍谷大教授
第6回14年・2月15日(土)「アフリカ音楽の魅力」:鈴木裕之 国士館大教授
第7回14年・3月15日(土)「民主化の20年を考える」岩田拓夫 立命館大准教授
第8回14年・4月12日(土)「お好みどおりのアフリカを作る」飯田卓 国立民族学博物館准教授

とにかく内容が多岐にわたっていて興味深い。歴史、自然、開発、宗教、経済、芸術・音楽、政治、映像・メディアと各分野を網羅するわけだ。以前、アフリカ学会会員の荒熊さんが、日本アフリカ学会の多様性の面白さを語っておられたのだが、ホントいろいろ研究されているわけだ。楽しみである。

2013年1月23日水曜日

立花隆「天皇と東大」を読む Ⅰ

だいぶ前から立花隆の『天皇と東大ー大日本帝国の誕生』(文春文庫12年12月10日第1刷)を読んでいる。なかなか進まないのは、例によって疲れていて電車で寝ることが多いからである。で、読書ノートの第1弾としたい。と、いうのも、この立花隆の著作、全4巻もあるのだった。何回かにわけて、日本の近現代史のエトスを期していきたいと思う。なかなか面白いのである。

立花隆は東大のOBである。だから気兼ねすることなく辛辣に、東大が日本近現代史に果たした負の遺産についていろいろ書いている。

そもそも幕末の洋学所が東大のルーツで、翻訳がその主たる使命。当時のヨーロッパの百科事典、ショメールの百科全書を文化8年から35年がかりで翻訳(全百巻)していたらしい。これは凄い話だ。やがて、勝海舟が東大の基礎づくりを行う。全国の著名な洋学者をリストアップするのだ。津田真道、寺島宗則、大村益次郎、西周などの人々で、その中に初代総長となった加藤弘之がいる。加藤はドイツ語(オランダ語に近いのでそんなに難しい話ではない。英語も同様。)をおさめ、幕末から明治初期にかけて啓蒙思想政治家の筆頭となった。が、後、天皇制ナショナリズムの高揚にあたっては、我が身かわいさに転向する。この加藤、明治という国家の骨組みをつくった人物だけに、立花隆が極めて強く批判する人物である。この加藤、「国賊」と薩摩のナショナリスト海江田信義に狙われた。海江田は、生麦事件で英人を惨殺した人物である。「私が間違っていました。」とあっさり学者としての命を自ら断ったのである。

さて、意外な人物の話も出てくる。例の岩倉使節団で、『米欧回覧実記』を書いた久米邦武も、東大の国史学科教授として本格的な歴史学を確立せんと頑張ったらしい。しかし、南北朝をめぐるナショナリズムtの対決で葬られてしまう。久米らの「歴史学」の抹殺が、神話を土台とした明治近代のエトスとなるのである。

さて、日露戦争前に開戦を煽り、後のポーツマス条約時にパニックを演出した東大の法科大学教授がいる。ローマ法を教えていた戸水寛人という男である。立花隆は、加藤弘之以上に彼を罵倒する。彼の演説を記した後、立花隆は次のように記している。今日(1月23日)の最後に、この文章を我がブログに残しておきたい。

「侵略シナイノガ非常ナ不道徳」第11章・P330
『これが本当に帝国大学法科大学教授の述べたことか、といいたくなるほど、驚くべき杜撰な議論である。ほとんど床屋の政談である。昔も今も、ナショナリズムはならず者の最後の拠り所といわれるように、ナショナリスティックな議論には杜撰な議論が多い。しかしそれが俗耳に入りやすい形で展開されるから、大衆からは妙にもてはやされる。戸水の議論はまさにその典型で、杜撰なのにもてはやされ、本人はそれに酔ったのか、とどめなくセンセーショナルかつ過激な言辞を弄するようになっていった。

2013年1月22日火曜日

100人の村アクティビティ

長いこと『世界がもし100人の村だったら』を教材に使っていなかった。実際にカードや大陸別に分けるロープなどを使ったりするアクティビティに参加したこともあるのだが、なんか賞味期限切れみたいな感覚があって、使っていなかったのだ。

今日は、文Ⅱの5組で、「地球家族」のフォトランゲージと組み合わせて、久しぶりに『100人の村だったら』を使ってみた。まずは、「地球家族」の8カ国の写真を4~5枚に切って、生徒に仲間を探させる。これはいつもながら盛り上がる。(笑)次に、フォトランゲージ。さてどこの国か考えさせてみた。黒板を8カ国に線引きして、予想する国名を書かせた。当たったのは1グループだけ。(この設問はかなり難しい。)当たったのはブータンである。うむ。良く当てた。ブータンの衣装を覚えていた女子生徒がいて、絶対ブータンだと主張したらしい。「10点を最初にあげよう。」と、黒板に10点と書いた。

さて、その後「100人の村だったら」の文章の一部を(   )にしたプリントを各グループに配布した。たとえば、『52人が(1    )で48人が(2    )です。』という具合。ちなみに答えは1が女性、2が男性である。25くらい(    )を作った。で、3回に分けて解答をしていく。なかなか皆真剣に討議していた。高校生には、こういう教材化もいいのではないかと思う次第。最終的に、正解の数を競った。18/25が最も優秀だったような気がする。(記録していないのであやふやである。)だが、結局最初の10点がきいてブータン・グループが優勝。見事賞品をゲットしたのだった。

賞品は前任校の教え子のお母さんにいただいた各国の紙幣。お父さんのお土産で、私の方が有意義に使えるということでいただいた。そのうちの1つで、おそらくトルクメニスタンの紙幣だと思う。それを4人に1枚ずつ。大喜びしてくれた。ブータンを言い当てた女生徒が、職員室に向かう私にこう言ってくれた。「私、建築関係に進みます。将来きっと外国で仕事したいと思っています。」嬉しいではないか。実は、この紙幣を集めたお父さんは建築関係のお仕事をされているのだった。

ちなみに今日の画像は、先日4組の南北貿易ゲームのために生徒がつくってくれた各国の国名&国旗セットである。誠にきれいに作られている。大感謝。永久保存版である。(それは無理か…。)

2013年1月21日月曜日

住友化学のマラリア蚊帳 批判

住友化学の蚊帳
今日の朝日の朝刊の「私の視点」に、国際NPO・西アフリカの人達を支援する会の則武都子氏が、「有害な農薬蚊帳を配るな」と題して、その有害性を批判していた。WHOが最も人体に害が少ない農薬と言っているピレスロイド系殺虫剤を蚊帳は使用しているのだが、その一種ペルメトリンは水生生物への毒性が極めて高く、EUでは農薬としての使用が禁じられているらしい。マウスへの実験では、このペルメトリンは脳の成長(知的能力や運動能力)に障害をきたすという研究結果が国立環境研究所から発表もされているという。小さな子供や妊婦にはきわめて有害だという主張だ。また、この蚊帳の廃棄処理や配布時に農薬が付着した袋や梱包材は、配布したWHOも再利用禁止、高温焼却炉で処理せよという指示がでているらしい。

記事では名指ししていないが、WEBで調べてみたら、この農薬蚊帳とされているものは、住友化学がタンザニアで作っているマラリア予防の蚊帳だった。てっきり他の企業のものかと思っていた。これまで私のブログでも、MDGs実現への一つとして大きな取り組みだと賛美を送ったのだが…。私はこういう理科的な分野、完全に門外漢なので、とりあえず、これ以上の論評はさけたいと思う。

詳細は、国際NPO・西アフリカの人達を支援する会
http://www.npo-supa.com/active/noyaku.html

2013年1月20日日曜日

今年のセンター試験「倫理」

ウィトゲンシュタイン
この土日はセンター試験であった。現任校はあまり国公立大学を受験しないので、センター試験対応をすることはないのだが、やはり自分のカタナを錆びつかせたくはない。と、いうわけで今年も問題を見てみた。昨年は奇抜なイスラムの十戒?といった問題が出て、息子が「そんなもん、あるか。」と専門家として批判したりして我がブログから、ボヤを出したのだった。(笑)

さて、倫理というセンター試験科目、私はかなり受験生には有利だと思っている。なによりも日本史Bや世界史Bに比べて、絶対的な学習量(記憶すべき量と言ったほうがいいか。)が少ないのである。社会を「倫理」のみで受験できる国公立大学は以前より少なくなったようだが、たしかに他に比べてアンバランスではある。

同等の学習量とされる政治経済は、時事問題などが常に加算されていくが、倫理に加算していくのはなかなか難しい。私の嫌いな分野である現代社会的な部分では新しい学習事項(カタカナの新語など)が少しあるが、一気に増えたりはしない。

センター試験をつくられる委員の先生方も大変困られているのあろう。時々ぽーんと、倫理の教師が教えないような哲学者が出題される。だいたい現代思想なので、私などは構造主義・ポスト構造主義の思想は、最低限教えるようにしていた。それでも全部教えることは難しいだろう。受験と言うのは、効率を考えることでもある。

今回は、第1問でアーレントという哲学者が出題された。予備校が学習していないだろう、難解であると指摘されたウィトゲンシュタインやハーバーマスは私は毎回教える哲学者だ。第三問では、西田幾多郎がぽーんと出た。ビッグネームだが、なかなか難解なので教えるのは難しい。私は毎回教えるので、もし教え子が受けていたらおそらく対応できたと思う。第4問では、ボードリヤールが出た。これも初めてでる哲学者。ホルクハイマーとウェーバーとの3人の思想を比較する問題だったのでなんとか類推可能。だから、もし教え子が受験していたら、アーレントが出て「誰?」と面食らうという感じかなあと思う。私は、そのうち、ポスト構造主義のデリダが出ると思っているのだが…。まあ、倫理の教師も毎年気が抜けない、ということである。(笑)

ところで、本日の画像に使ったウィトゲンシュタインといえば、有名なアフォリズムがある。『語り得ないことについては、人は沈黙せねばならない。』…語り得ないことは沈黙するしかないのだが、それを強制されるのは…。

2013年1月19日土曜日

ESDのための仮想世界ゲーム5

第3セクションまで進んだ仮想世界ゲーム。ここらでひと休憩したかった。途上国の生徒たちが自国のPRSP(貧困削減戦略文書)を仕上げてくれたのだが、もうひとつ深みがない。せっかくなので良いものを望みたい。再提出とした。と、いっても、それだけでは面白くない。ここで、開発経済学のイロハを語り、PRSPのためにワークショップの時間をとったのである。

貧困について短時間で一気に語った。1人あたりのGDP、HDI(人間開発指数)、人間の安全保障、そしてアメルティア=センの貧困の概念。さらに、開発経済学の基礎中の基礎「生産性の向上と資本の蓄積」について語った。ここまでで20分。高校生への講義としては無茶苦茶駆け足である。

PRSPのためのワークショップ。テーマは、「資本蓄積」。投資を進めるため、必要なコトをダイヤモンド・ランキングで考えるワークショップである。

たとえば、タンザニアは、今PRSPを書く上で、何を良くすれば先進国の投資が進むかを考えさせる。彼らは、外務省作成のおそらく日本語で書かれた最も詳細なタンザニアの資料を持っている。だから、それなりのコトは書ける。その上で、今先進国が投資したくなるようにもっていくには、港湾設備なのか、ビジネスを進める上で必要な法律の整備なのか等の政策の優先順位を考えるのだ。生徒は面白がってワイワイ討議していた。

今回、ダイヤモンド・ランキングで討議するために作った政策のカードは以下の通り。
治安・教育・港湾施設・市場規模・通貨の信用度・交通インフラ・法律整備・エネルギー・政治的安定・技術力・労働力・やる気・原料供給。(もう少し精査する必要があると思っている。)

先進国には、その立場から投資する上で重視する項目をダイヤモンド・ランキングさせたのだ。だから、およそ討議がすんだ頃を見計らって、7カ国それぞれのランキングを見てくるように指導した。面白かったのは、途上国の生徒がどどっと日本ランキングを見に行ったことだ。現在、日本はかなりの資金を持っている。その資金を狙ってのことのようだ。(笑)

夢中で授業していたので、カメラを持参するのを忘れた。雰囲気を出して自宅で再現してみたのが今日の画像である。

2013年1月18日金曜日

桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿

ふと、ことわざ辞典を開けると、こんなことわざが出てきたのだった。(今日のタイトル参照)桜の枝は切らずに折る方がほうが良く、梅の枝は折らずに切る方がよい。同じ切るにしても、どの木は切るのが良く、どの木は切って悪いのかを知らぬ者は馬鹿だということ。なるほど。桜切る馬鹿とはそういう物事の道理がわからぬ馬鹿者をさすのであったか。

2013年1月16日水曜日

非識字のアクティビティ

さて、仮想世界ゲームと同時並行で、文Ⅱの4組・5組にもアクティビティを中心にした授業をしている。南北貿易ゲームの次は、ケニア人生双六。毎回そうだが、ワイワイ楽しんで盛り上げっていたのが、急におとなしくなる。ケニアで生きることの厳しさを学んでもらう為のものだから、どうしてもそうなる。5組は特に元気なクラスである。時には脱線甚だしく、私に叱られることも多い。だが私は、やんちゃな男子は大好きなので信頼関係は深い。双六を終えて、感想を聞きながら、「アフリカのあたりまえ」について語るのだが、思いのほかド真剣に聞いてくれた。ささったらしい。嬉しいよなあ。

と、いうわけで、今日は久しぶりに、非識字のアクティビティをすることにした。前回のケニア人生双六をうけて、小学校に行けなかった子や中退の子供がいることを学んだからだ。

まずは、グループ分けのアイス・ブレイキング。ネパール語で書かれたバス・チケットを、3人の生徒に配ってもらう。「さあ、同じ行き先の仲間が6人いるはず。探してやあ。」と言っても、全てネパール語で書かれている6種類のチケットである。どこを見ればいいのかサッパリわからない。生徒は大騒ぎしている。結局少しずつヒントをあげる。同じ行き先の生徒には「いっしょのグループや。」生徒はどこが同じか真剣に見つめ、「わかった!ここや。」一気に、チケットに書かれている行き先の場所が、クラス内に拡がった。(笑)このアクティビティは、非識字を一気に身近なものにする。

さて、グループ分けが出来ると、昨日用意した7枚の封筒・糊・A3の紙を各グループに配布した。一切しゃべらないことを確認し、自分の封筒をあける。そこには地図の書き方を記し、ネパール語の語句の意味も書かれている紙と、ただ日本語で詩のようなことが書かれている紙の二種類がある。この時、識字か非識字に別れる。グループによってその配分は異なるのだ。非識字になった生徒が「何もわかりません」と不満をもらす。机上では、A3の紙に、ネパール語の「家」や「バス停」などの文字が貼り付けられていく。識字者の方が、ゲームとしては地図づくりに参加できて面白いのだが、非識字者の方が凄い経験をしているのだと諭す。生徒は一応に頷く。

「今日も面白かったす。」「次は何ですかぁ?」との声に、大いに満足したのだった。

教材のネタ本紹介:http://www.fis.takushoku-u.ac.jp/homepage2/kkcenter/material/study.html

2013年1月15日火曜日

ESDのための仮想世界ゲーム4

先日、ESDのための仮想世界ゲームが、個人参加からグループ参加となり、それまで考えられなかった透明人間の労働市場進出という事態が起こった。(笑)結局ダメ出しをすることにした。もう少し人口が増えることについては、メリット、デメリット対比してを考えたい。

一方、株の扱いもグループ参加故に、面白い発想をする生徒が出てきた。『日本』の首相K君の経済戦略である。これも個人単位で株を購入していた仮想世界ゲームに比べて大胆な発想だった。

まずは、今回のESDのための仮想世界ゲームでは、ゲームの平易化を進める為に、次のように決めた。先進国の各企業主は、まず労働チケットを購入していく。もちろん途上国とは市場バランスが働く。最低でも10sim(simというのはゲーム内の通貨単位。)であるが…。さらに株を一律30simで販売し、資金を集めることになる。この労働チケット数+販売した株数の合計で順位づけを行うこととした。1位は株によって得た資金×1.55、2位は×1.50、3位は×1.45とした。

これまでの仮想世界ゲームでは、もう少し複雑であるが、おおむね企業の利益率は同様に高く設定されている。つまり、仮想世界ゲームで企業は大儲けもできないが、赤字になるようには設定されていないのである。人口が変化しない仮想世界ゲームでは、マネー・サプライ(ストック)が増えるのは、唯一企業主による利益(株の資金×1.55など)である。

マニュアルを読み込んだK君は、このゲームの核心部分をついてきた。私にこのような提案をしてきて、その是非を問うたのである。「日本は、食糧・労働チケットの売買を終えてから、現金を全て株に変えます。その株(日本への投資分:債権)をアメリカに買ってもらいます。もちろん現金で。日本に置いておけば次回初めの配当はゼロですが、アメリカに売る故に配当をつけます。日本はこれで得た現金でまた日本の株を買います。それを同様にドイツに売り、現金を得ます。その現金で日本株を購入します。こういうの、どうですかぁ?」

なるほど。日本が主体となって、先進国の現金を株の投資に向かわせるわけだ。手持ち現金以上の株の購入はしないようにと言ってあるが、日本は、自国株を債権(金融商品)として少なくとも自らの現金以上の株投資を得ることにもなる。うーん。株券を金融商品化する手法といい、ちょっと信用創造っぽいなあ。だが、一気に仮想世界への資金流入が加速されることは間違いない。

こういう発想で挑戦的に取り組む姿勢はうれしい。OKを出すかどうか、前向きに考えているところである。

2013年1月14日月曜日

八瀬童子と猪瀬直樹

全国的に荒れた天気である。実はこの三連休中に、また夫婦で京都へ行く予定をしていた。先日シャガール展を見た時、同じ場所で「八瀬童子展」が行われているからだ。最終日が今日だったのだ。行きたかったのだが、日曜日夫婦共々体調不良(というほどでもないけれど…)で断念したのだった。うーん、残念。

八瀬童子は、猪瀬直樹(ついに東京都知事になってしまった。)の「天皇の影法師」の中で出てくる左京区在住の人々で、長く比叡山の雑務をしていたが、後醍醐天皇を守って延暦寺に逃して以来、地租・課役の永代免除を受ける代わりに、天皇の雑務、特に大喪の礼では棺を担ぐ役割を担う。実際大正天皇の時は棺を担いだ。ちょうと昭和天皇が崩御された時、私は八瀬童子が出るものだと思っていたが、実際はアドバイザー的存在になってしまった。

不思議な人々である。最澄が連れてきた鬼の子孫だともされ、比叡山と争った時は「結界」を貼られたり、妻の大好きな神秘主義的な立場からは、魔界京都の(風水でいうところの)鬼門にあたる。私は、そういう話には疎いので、ふーん。と言っておしまい。

それより、天皇には、八瀬童子の存在に代表されるような天皇家にまつわる神道的な部分があるのだが、WW2以後は、どんどんその衣が剥がされていっているような気がする。そういう事の方に私は興味がある。近代というのはまさにそういう流れだがら仕方がないか…。
猪瀬直樹は、そういうところに着目して様々な素晴らしい作品を残している。元々が、信州大学の全共闘委員長だから、政治家になるのは本望だろうが、私はいつまでも作家であってもらいたいし、いい作品を書いてもらいたい、都知事になってしまったのは実にもったいないと思っている。(笑)

2013年1月13日日曜日

カルチェ・ラタンの品位と魅力

金・土と、TVでアニメ映画を見た。ジプリ作品の「コクリコ坂から」と、ワンピースの「ONE PIECE FILM STRONG WORLD」である。両方ともなかなか良かったのである。

特に、「コクリコ坂から」の「時代設定」に大きな共感を抱いたのだった。1964年の東京オリンピック前。私はちょうど小学校入学前である。(小学1年:東京オリンピック、中学1年:大阪万博で覚えやすい。)横浜の私立の伝統ある進学高校が舞台だった。この頃の高校生というのは、まだまだ旧制高校的な知的伝統や自治への想いを維持していたらしい。

映画では「カルチェ・ラタン」と呼ばれる文科系クラブの部室が集まった洋館が登場する。まず、カルチェ・ラタンという名前がいい。パリのソルボンヌ大学などが集まる学生街で、ラテン語(ラタン)を話す=教養がある=街という意味であるそうな。実際、映画でも、魅力にあふれた、歴史あるゴミだらけの洋館として描かれていた。私はこういう雰囲気は大好き。

学校側が、このカルチェ・ラタンを取り壊すことへの反対運動や生徒集会の様子も面白い。教養と品を感じる。結局主人公が掃除することを提案し、生徒の強硬策が功を奏し理事長の視察が行われる。私が一番感じ入ったのが、哲学同好会の生徒と理事長のやりとりである。

哲学同好会は狭く廊下に作られた小屋の如きものであった。理事長に「(部室として)狭くないか?」と尋ねられ、部長がこう答えるのだ。「(理事長)閣下は、ディオゲネスを御存じでしょうか。」そのコトバに、理事長は納得し、「素晴らしい生徒が集まっている。」と感銘するのだ。

映画では、全くその意味を解説していない。ここで哲学同好会の生徒や理事長に解説のセリフを入れていない。その「品位」に私は感銘した。常識として処理するところが、この映画の、この時代の、教養ある品位であり、魅力なのである。こういう映画が良い。

私のブログは、そういう映画のスキマを埋めてなんぼである。だから解説する。このディオゲネスは、ギリシア時代の哲学者で樽に住んでいた。何故かと聞かれると、私は世界市民だから、家などいらないのだとうそぶいたと言う。そういう変人だったが、彼がコスモポリタンというコトバを作ったのである。よって、映画では、「哲学をやるには(樽ほどの)狭い部屋で十分です。」と言ったことになる。理事長も当然その逸話を知っていて、感銘できたのだ。私たち高校の社会科教師の役割は、こういう教養を身につけさせる、あるいは身につける基礎的素養を身につけさせることにあると思っている。

前任校では、授業中に、よくこういう教養がないとわからないギャグを言っていた。ちょっと考えてから笑えるという時間差攻撃ギャグなのだ。「5秒ギャグ」と生徒には称されていた。(笑)

2013年1月12日土曜日

ESDのための仮想世界ゲーム3

昨日は、文Ⅱクラスの5組と4組で南北貿易ゲーム、そして文Ⅰクラスの1組で「ESDのための仮想世界ゲーム(高校生版)」の第1セクションをやったという、授業時間:4時間中3時間、まれにみるアクティビティな1日だった。南北貿易ゲームでも面白い話はあるのだが、とりあえず仮想世界ゲームの話を優先したい。

今回の「ESDのための仮想世界ゲーム(高校生版)」、高校生にもできるように、元の仮想世界ゲームのポリシー的な部分まで改編させていただいている。その1つが、参加単位の問題である。今回は個人で参加しない。あくまでグループ参加で、助け合うこととしたのだ。そのほうがワークショップとして、ESDという教育目標に合致するし、何より平易だと考えたのだ。また、学校で行う場合、個人的な様々な感情のもつれがなくなる。ストレスを抜いたわけだ。本来は社会心理学のためのゲームである仮想世界ゲームにとって、この改編は大きいと私は思う。

さて、「ESDのための仮想世界ゲーム(高校生版)」でも、仮想世界ゲームのルールの基軸である食糧チケットと労働チケットというシステムを使わせていただいている。第1セクションにして早々と、この個人参加からグループ参加という改編が、大きな矛盾点として私の前に立ちはだかったのである。それは、昨日の放課後、7カ国のセクションごとの報告書を点検し、実際の封筒の中身を確認している中で判明した。

食糧チケットは、ゲーム開始時には、先進国(アメリカ・日本・ドイツ)の農園主に7枚ずつ配布した。21枚が仮想世界に存在したわけだ。ゲーム参加者は日本以外の国は4人で、計29人。と、いうことは現状では8人分不足しているわけだ。先進国の農園主が農園を拡大する(40)、もしくは途上国が個人農園をつくる(60)必要があるわけだ。( )内の数値は必要な金額。

40分間の間に、結局アメリカが+3、日本が+2、ドイツが+1、タンザニアが+1、ウガンダが+1、ボツワナは+3、合計11人分農園が増えた。人口は29のままなので、個人参加なら、3枚食糧チケットがあまることになるわけだ。

ところが、食糧チケットの半券である労働チケットの販売状況を見てみると、30人分が使用されていた。うん?1人多い。あまった食糧チケットの半券を先進国の企業に販売したわけだ。この犯人はボツワナであった。ボツワナは、ドイツから3枚の食糧チケットを購入、3枚の労働チケットをアメリカに販売し、前払いで賃金を得て、残りの資金を合わせて個人農園を3購入。残る1人の食糧チケットと本来使えない食糧チケットを得たのだ。その後日本にこれを販売している。4人しか人口のいないボツワナは5人として労働市場に参加したことになる。

個人単位だと、このようなことは絶対に起こり得なかった。供給を越えた食糧チケットは、価格を下げるだけだった。うーん。マニュアルではこういう規制はかけていない。しかし、これを許すと、仮想世界ゲームの人口が無尽蔵に拡大していくことになる。人口が拡大することのほうが面白いのだが…。うーん。どうしようか。第1回目にして大きな矛盾が露呈してきたのだった。この三連休じっくり考えてみようと思う。

2013年1月11日金曜日

英国メシは何故まずいのか史

代表的英国料理 スコッチ・エッグ
朝日新聞の朝刊に『なぜを訪ねて』という連載コラムが載っていた。ロンドン支局の伊東記者のテーマは「英国メシ美味革命」である。要するに、英国のメシはまずいという評判であるが、最近変化してきたという話であった。私は英国に行ったことはないし、まして食事したことはない。だが、嫌と言うほど英国メシのまずさについては聞かされた。アメリカでも「たいがいやなあ。」という経験は何度もしたが、それをはるかに超えるらしい。

記事の方は美食化の現状報告なのだが、私が注目したのは「英国の食をめぐる出来事」という小年表である。

1066年 仏ノルマンディー公が英国を制服→仏料理を食べるように
1649年 クロムウェルの清教徒革命→ぜいたく禁止が食文化にも影響か?
18世紀後半~ 産業革命で都市人口が半数以上に→伝統的な農村生活が失われ、「食」も衰退
19世紀 全寮制学校のジェントルマン教育で、社会的訓練としての粗食が美化される
1940年~50年代 肉、小麦粉、卵などが配給に→「質より量」に
第二次大戦後 イタリア、ポーランドなど欧州諸国から移民。カリブ諸国からも→食が多様化
90年代後半 ジェイミー・オリバーさんの料理番組スタート

この年表から、英国メシのまずさの原点が清教徒・クロムウェルであることがわかる。人はパンのみに生きてはならない。だから粗食であるべきだ。しかも都市化が進み、スローフードの伝統もしぼみ、粗食の美学が確立したというわけか。こういう世界史的な異文化理解、実に面白いと思うのだ。ちなみに、画像の英国料理/スコッチエッグは、スコットランドの名物料理ではなく、ロンドンのデパートで考案されたものらしい。(笑)

2013年1月10日木曜日

ESDのための仮想世界ゲーム2

さて、いよいよ、ESDのための仮想世界ゲームのゲームマニュアルを配布し説明する日である。うまいことLL教室が開いていたので、パワーポイントで説明することにした。先日来校いただいた岡山のH先生へのレクチャー用に作成したものだが、せっかくなので生徒に使いたい。あたりまえの話である。

しかし、説明はそんなに多くの画面があるわけでもない。そのためにだけにLL教室を1時間借りるのももったいないので、ゲームの途上国も全部アフリカ諸国だし、アフリカ全体の学習も兼ねて私の『アフリカ・バァーチャルツアー』を見せることにした。アフリカの雰囲気を感じてもらうためである。ケニア・南ア・ジンバブエ・ブルキナファソと画像を元に説明していく。

さすが3年の文Ⅰである。熱心に見てくれた。ブルキナのラスタの壁画のところで、世界史の補習を受けているA君が、マルコムXとかをちゃんと知っていたのである。いやあ、嬉しかった。
右はしの小さめの絵がマルコムX
まあ、世界史(現代アメリカ史)でも、ちょっと出てくるが、やる。なかなかやる、のである。マルコムXは、前任校でも知ってる生徒はいなかったぞ。

明日からいよいよ本番。A君は先進国の企業主である。受験も近いのに、ゲームには熱心に取り組んでくれている。明日は冷静に知恵をしぼってくると思うのだ。楽しみである。

京大アフリカ研 公開講演会

帰宅したら、京大のアフリカ地域研究資料センターから、メール便がきていた。1月26日に、公開講演会を行うそうである。例の学術振興会 科学研究費補助金 基礎研究「アフリカの潜在能力活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究」の一環であるらしい。

講演会タイトルは、「紛争解決のためにアフリカの潜在力を活用する。」
しかも凄いゲストだ。「アフリカで寝る」「アフリカで食べる」さらに「カラシニコフ」の松本仁一氏である。さらに『エチオピアにおける法の多元性と慣習的な裁判』と題してアジスアベバ大学のインディゾ・D・ゲブレ教授。

うわぁ、絶対に行きたい。15:00開会で18:00閉会は、公開講座より長帳場だが、絶対に行く。と、いうことで、奈良教育大学の方は午前中の参加ということになってしまいそうだ。うーん。仕方がない。松本仁一氏に来られては仕方がない。

2013年1月8日火曜日

続 「テルアビブから」を読む

アレクサンドリア(VA)
昨日のエントリー『朝日の「テルアビブから」を読む』の続編である。先日NHKで、普段はBSで放送している番組を地上波で流していた。在日の外国人たちが、日本人の意外な面について意見交換をする番組である。それがなかなか面白かったのだ。外国人たちは、日本人がどこでも寝ることに異を唱えていいた。

なるほど。ビデオを見ると電車の中では当然のこととして、たしかに公園などでも昼寝している日本人も多いようだ。外国人からすれば、信じられないという。南アフリカ人は、「電車で寝たりしたら、全て奪われるよ。」と発言。スタジオ内の笑いを呼んだ。南ア、特にジョハス(ヨハネスブルグ)なんかでは十分ありうると思う。日本人が公衆の面前で寝れるという背景には、日本の治安の良さがあるようだ。安心感がなければ寝たりできないという論議が続く。

昔、ワシントンDCから地下鉄に乗ってバージニア州のアレクサンドリアに行った帰り、思わず電車内で寝込んでしまい、ゾッとしたことを思い出す。後にも先にも外国でひとり近郊電車に載っていねむりをしたのは、この時ぐらいである。よほど疲れていたのだろう。一人旅では、たしかに簡単に寝たりしない。

昨日の「テルアビブから」が問いかけていることは、そういう緊張感が日本にはない、ということなのだろう。日本の長所でもあると私たちは思う島国に住む農耕単一民族故の「間合い」は、決してグローバルスタンダードではない。

テルアビブの街が、日本とは180度違う、絶えず緊張下にあるのは事実だ。エレサレムとはまた違う空気が流れていた。石合氏の言わんとする危機感は私にも伝わってくる。それは多文化共生故の緊張感だと思うのだ。

この多文化共生に最も遠い日本。だからこそ出来ることもある。イスラムやユダヤ、ヒンドゥーと無関係だからこそできる仲介外交。東チモールでのPKOや、ヨルダンとパレスチナ、イスラエルを結ぶ日本政府の働きもある。マイナスをプラスに変えることも可能である。本物の地球市民育成が急がれる。

2013年1月7日月曜日

2013年 今年のワンフェス

今年のワンフェスは2月2日(土)・3日(日)だそうです。詳細はわからないけど、今年もルー大柴がトゥゲザ-するのかな?去年はエレベーターでバッタリトゥゲザ-しました。(笑)今年のワンフェスも楽しみ。もちろん私は行きます。

朝日の「テルアビブから」を読む

テルアビブの朝
朝日新聞の中東アフリカ総局長・石合力氏の署名コラムが、今朝の朝刊に載っていた。「現代史と向き合う 内向きでいられる余裕はない」というのがタイトルだ。

昨年末にイスラエルで、蜷川幸雄・演出のアラブ系・ユダヤ系そして日本人の役者を使ってギリシア悲劇『トロイアの女たち』が上演されたらしい。その舞台稽古の話が面白い。トロイアが炎上し、奴隷として女たちが船に乗り込むシーンの初稽古。アラブ系、ユダヤ系の役者は、何度も振り返り、なかなか船に乗ろうとしない。それに比して日本人の役者はさっさと乗り込んだのだという。

蜷川氏は「彼らとは経験しているものが違う。」と言い、「現代史に向きあう」とも表現したという。3.11以後日本は激動の中東を含む世界の現代史にどこまで向き合ってきたのだろう。民主党政権下では、ついに首相の中東訪問はなかったし、外相がエジプトに一度来ただけだ。そもそも国会議員と地方首長の兼務論議をする前に、外相と議員の兼務が国益にかなうのかと、石合氏は吠えている。

燃える祖国を見てヘトロイヤの女・ヘカベがつぶやく台詞でコラムは〆られている。「アジアの中でひときわ光り輝いていたわが祖国、栄光に満ちたその名はまもなく消える。おまえは焼け落ち、私たちは奴隷として引かれてゆく」

…海外にいるからこそ、日本が見える。海外にでないと見えない日本がある。青年よ、書は捨てないでもいいから、日本から出(いで)よ。そして思索せよ。

2013年1月6日日曜日

『八重の桜』第1回を見た。

同志社大学の創立者・新島襄の妻、八重さんの大河ドラマがいよいよ始まった。幕末ものは『龍馬伝』以来になるが、第1回を見て、これから1年間続けて見ることにした。こういうドラマは、最初のつかみが大切である。

そのつかみとして「ならぬことはならぬ」という会津のモットーを出してきた。このコトバ、まるで、米国のニューハンプシャー州のモットー「自由に生きよ、しからずんば死を」と同様、その土地に住む人々の生きざまを象徴するものである。このドラマが南北戦争から始まったことはそういう意味合いもあるのではないかと思わせる。

この、伊達を始めとした東北諸藩に打ちこまれた江戸幕府の楔のような譜代大名である会津藩は、代々「松平」を名乗る。結局幕府に殉じることになる容保は、そもそも養子で、私の感覚でも、かなり良いヒトだった故に、その背負う十字架は重かったはずだ。

第1回目、そういう、会津人としての主人公のバックボーンをうまく描いていたと思うのだ。関西人のおっちゃんには、かわいい子役の会津弁は何を言っているのかよくわからなかったが、それがまた良かった。

もうひとつ、この主人公の所属する「家」は鉄砲や砲術に関わる家であり、それは幕末の動乱の中、日本の最先端・佐久間象山と結びつく。(早くも勝海舟も吉田松陰もからんできた。勝海舟は象山の門弟でありの義理の兄であるし、吉田松陰は象山の元から黒船に乗り込むことになる。)この辺は演劇的にうまく料理するのだろう。

ちなみに江戸城での開国決定シーンも、非常に演劇的な料理がされていた。水戸の斉昭の扇子の音が印象的だ。なかなか見事な演出だと思う。

幕末当時、最も封建的である会津。一方で最も先端的であった砲術の家。この背反するバックボーンをもつ主人公の少女期をうまく描いた第1回だったと言えるだろう。

2013年1月5日土曜日

ブルキナファソ政府の仲介 好

毎日新聞によると、昨年3月のクーデター以降、マリ北部のトゥアレグ人反政府勢力とイスラム原理主義が入り乱れ、西アフリカ諸国経済共同体の軍事介入も計画されている紛争で、ブルキナファソ政府が仲裁に入り、少しばかり進展がみられたようで、いいぞ、ブルキナファソ政府というわけだ。http://mainichi.jp/select/news/20130105k0000m030026000c.html

このマリ北部の反政府勢力は、トゥアレグ人の”MNLA”(世俗主義的:つまりイスラム原理主義ではないグループ)とアルジェリアを中心としたアルカイーダの組織(AQIN)に影響を受けたトゥアレグ人「主体」(つまり他の民族が参加している)の”アンサル・ディーン”が協力し合ってマリ政府に対抗していたのである。

先月、ブルキナファソ政府が仲介し、マリ政府、MNLA、アンサルディーンの三者が話し合い、国家分裂を防ぐことで合意したという。さらに、この話し合いの延長上で、アンサル・ディーンが、AQINが目指す国境を越えた聖戦とは方向性が異なると発言したというわけだ。彼らが目指すのは、トゥアレグ人社会のマリ北部での覇権にすぎないということらしい。

トゥアレグ人の分布と国境線
ともあれ、ブルキナファソ政府を始めとする周辺国の仲介で、平和的な解決が図れるかもしれない。調べてみると、私が訪れたブルキナファソの北部には、すでにトゥアレグ人の難民キャンプが、メンタオ・フェレリオと2つできている。ブルキナ政府も問題解決を一刻も早く解決したいところなのだった。

この辺は、ブルキナファソでも、トゥアレグ人が住んでいるところで、フランスが勝手にひいた国境線が、いかに混乱を助長しているかが、わかるわけだ。国境なき医師団が難民キャンプで頑張っているが、意地悪く見れば、フランスの贖罪(そもそもフランスの医師団によってNPO:国境なき医師団はつくられた。)的な意味合いもあるかもしれない。
フランスの『歴史問題』である。フランス政府はどんなことがあろうと、絶対認めないと思うけど…。
http://www.msf.or.jp/news/2012/03/5465.php

2013年1月4日金曜日

中央アフリカ 年末からの危機

年末から、中央アフリカ共和国の反政府勢力の連合体(セレカ)が首都の近郊の町に侵攻、中国人たちがあわてて脱出するわ、ガボンから仏軍空てい部隊がやってくるわで、大騒ぎになっている。うーん。中央アフリカ共和国の政権は、まさにクーデター・スパイラル。ほんと、なかなか政情が安定しない。

少し調べてみた。中央アフリカの資源はダイヤモンドもあるが、主たる資源としては木材である。ところが、見事に「内陸国の罠」にはまり経済成長がままならないことに、ガバナンスの悪さが拍車をかけ、最貧国グループから抜け出すことが容易ではない状況にある。
日本政府は、中央アフリカのPRSP(貧困削減戦略文書:支援を受ける上で、どのような国家戦略をもっているかを示す文書)の中でも「平和・ガバナンス・法の支配の促進」に注目したようで、UNDPと共に前回2011年の大統領選挙実施に資金協力している。同時に初等教育・人間の安全保障の分野の促進にも協力している。

貧しいから紛争が起こるのか。ガバナンスが悪いから貧しいのか。笑福亭鶴瓶の医薬品のCM(太りすぎと膝の痛み)ではないが、貧困と紛争を始めとしたアフリカの悪い部分の見本のような国なのだ。

ところで、中央アフリカ共和国の情報は、極めて少ないのだが、以前ここで土木工事を行っていた「てっちゃん」という方のHPがある。なかなか面白いし、大いに参考になるので紹介しておきたい。マラリアの話など最高だ。
http://www.tetchan.net/home/rca/index.html

2013年1月3日木曜日

正月スポーツTV観戦録

正月である。といっても我が家は相変わらず季節感のない家である。今日は所用があって妻と車で出かけたのだが、「そういえば”しめ縄のある家”をとんと見かけなくなったなあ。」我が家は枚方の新興住宅街にあるのだが、「旧村のほうならあるかもしれない。」と妻。うーん、そもそも我が地域自体が正月っぽくないのかもしれない。

と、なるとTVの中が正月ということになる。(笑)芸人にとっては、稼ぎ時なのだろう。そういうバラエティ番組が多い。意味もなく騒がしくて困る。こう言う時は、スポーツ番組にチャンネルを変える。

正月といえば、元旦の天皇杯サッカーであるが、ガンバ大阪は、結局優勝を逃してしまった。今季はJ2に落ちることになったし、応援していたのだが、まことに残念である。

そして箱根駅伝。暮れに本校のカイコ先生と箱根駅伝の話になった。カイコ先生は陸上部顧問。高校時代、長距離の選手だったのだ。(だから大阪マラソンなどのボランティア・スタッフである。)長距離の選手としては、どうしても関東の大学に行きたがるのだという。意味がよくわからなかったので調べてみたら、箱根駅伝は「地方大会」だということを知った。先日行われた出雲駅伝は全国大会だが歴史が浅いし、名古屋で行われる大学の全国大会もあるのだが、なんといっても「箱根」なのだという。だから、実績がある長距離選手は関東の大学に行って、「箱根」に挑戦するのだそうだ。ふーん。なるほど。「♪ なんてったて箱根~」と歌うしかない。
…私の周囲にも日体大出身の体育科教師は多い。今日は祝杯だろうなあ。

ところで正月といえば、関西では、花園の高校ラグビーだ。ラグビーの世界では、大阪府は三校も出場できる。といっても、その三校に入ることは至難の業である。これも不思議な話だったが、要するに、ラグビーは「番狂わせ」の少ないスポーツなのだ。強いものが勝つ。たとえば、高校野球なら、強豪校でも、投手の出来が悪かったら勝負の行くえはわからない。だが、ラグビーはやる前から勝敗は決まっているのだと言う。そう言っていたのは本校のラグビー部監督のM先生である。残酷なスポーツなのだとも。だからAシードとかBシードとかが決まっているのだ。もちろん、力が拮抗していれば、その結果はわからない。
大阪府予選で本校を破ったT大G高校を破り、全国大会に出場した常翔学園高校は、今日準決勝で京都の伏見工業高校になんと1点差で勝ったようだ。きっと生で見てたら鳥肌がたっただろうなあと思う。

2013年1月2日水曜日

忘れてはならないこと

シンポジウムの会場の記念館講堂
TVで、天皇陛下の一般参賀でのお言葉を聞いた。陛下が、常に東北の被災者の方々のことを、心のど真ん中においておられることがビンビン伝わってきた。

私は右翼でも左翼でもない。全くの中間派なのだが、昭和天皇に関して書かれた本を何冊か読んで、「天皇」の存在についての考え方がここ2~3年、変化してきた。昭和天皇は凄い人物だと思っているし、今上天皇の被災地への激励のお姿を見るにつけ、やはり凄い方だと思っている。陛下の被災地への想いは本当に深い。

さて、年末にメールを整理していた。宣伝や日経のニュースと、イカガワシイものばっかりである。(笑)私は、GmailとYahooのメルアドをもっているのだが、特にYahooはもうほとんど使わない。
そのYahooに重要なメールがきていた。某国立大学付属中等学校のM先生からの案内状添付メールだった。M先生の学校では「被災地は今 ~復興の現状と課題を知る~シンポジウム」を1月13日に開くらしい。主催は、学校の東日本大震災復興支援委員会という組織である。このシンポジウム、一般に開かれているわけではないのだが、関西圏の中高生で参加を希望する者は参加できるという。で、私に生徒を連れてきたらどう?というメールだったわけだ。間に合うかどうかわからないけれど、一応、新学期に声をかけてみるつもり。

産経新聞の記者による「被災地の現状と復興の課題~関西では知りえないもの・しかし知って欲しいこと(仮称)」という基調講演を受けて、小グループで意見交換を行うことになっている。

うーん、なかなか有意義なシンポジウムだ。…危うく埋もれてしまうところだった。

2013年1月1日火曜日

TICADⅤ 横浜の年に

結局大晦日の紅白歌合戦は見なかった。ナミビアからの訴えは成功したのだろうか。毎日新聞の元旦号では、「明日をひらくアフリカ」という4面刷の正月特集が組まれていた。そう、今年は、6月1日~3日、横浜で5年ぶりにTICADが開催される。
サブ・サハラ=アフリカの経済成長は、欧米や日本などの先進国と対比しても全体的に順調。アフリカが世界の中でも重要な市場と認められてきたことで、日本でもアフリカへの関心が盛り上がってきたようである。貧困や紛争だけのイメージだけでアフリカを語ることは、だんだん時代おくれになってきたわけだ。喜ばしい事実である。

とはいうものの、2013年。ミレニアム開発目標(MDGs)の期限、2015年まで、あとわずかに迫ってきた。アフリカの開発は着実に進んでいると言うものの、まだまだ『人間の安全保障』すらままならない地域もある。日本ができる協力はまだまだあるはずだ。単に資金を支援するだけでなく、これからもドミニカのLily君のように技術と人を中心に国際貢献して欲しいと思うのだ。

毎日新聞の元旦号の最後尾・32面に、ある企業の全面広告。北野武(ビートたけしではない。)が、こういうセリフを発信している。元旦にふさわしい、いいコピーだった。

「頼れる、しかも愛される」。
世界にとって、ドラえもんみたいな国に
なれるといいな、ニッポンは。

ブログの読者の皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。