2013年1月23日水曜日

立花隆「天皇と東大」を読む Ⅰ

だいぶ前から立花隆の『天皇と東大ー大日本帝国の誕生』(文春文庫12年12月10日第1刷)を読んでいる。なかなか進まないのは、例によって疲れていて電車で寝ることが多いからである。で、読書ノートの第1弾としたい。と、いうのも、この立花隆の著作、全4巻もあるのだった。何回かにわけて、日本の近現代史のエトスを期していきたいと思う。なかなか面白いのである。

立花隆は東大のOBである。だから気兼ねすることなく辛辣に、東大が日本近現代史に果たした負の遺産についていろいろ書いている。

そもそも幕末の洋学所が東大のルーツで、翻訳がその主たる使命。当時のヨーロッパの百科事典、ショメールの百科全書を文化8年から35年がかりで翻訳(全百巻)していたらしい。これは凄い話だ。やがて、勝海舟が東大の基礎づくりを行う。全国の著名な洋学者をリストアップするのだ。津田真道、寺島宗則、大村益次郎、西周などの人々で、その中に初代総長となった加藤弘之がいる。加藤はドイツ語(オランダ語に近いのでそんなに難しい話ではない。英語も同様。)をおさめ、幕末から明治初期にかけて啓蒙思想政治家の筆頭となった。が、後、天皇制ナショナリズムの高揚にあたっては、我が身かわいさに転向する。この加藤、明治という国家の骨組みをつくった人物だけに、立花隆が極めて強く批判する人物である。この加藤、「国賊」と薩摩のナショナリスト海江田信義に狙われた。海江田は、生麦事件で英人を惨殺した人物である。「私が間違っていました。」とあっさり学者としての命を自ら断ったのである。

さて、意外な人物の話も出てくる。例の岩倉使節団で、『米欧回覧実記』を書いた久米邦武も、東大の国史学科教授として本格的な歴史学を確立せんと頑張ったらしい。しかし、南北朝をめぐるナショナリズムtの対決で葬られてしまう。久米らの「歴史学」の抹殺が、神話を土台とした明治近代のエトスとなるのである。

さて、日露戦争前に開戦を煽り、後のポーツマス条約時にパニックを演出した東大の法科大学教授がいる。ローマ法を教えていた戸水寛人という男である。立花隆は、加藤弘之以上に彼を罵倒する。彼の演説を記した後、立花隆は次のように記している。今日(1月23日)の最後に、この文章を我がブログに残しておきたい。

「侵略シナイノガ非常ナ不道徳」第11章・P330
『これが本当に帝国大学法科大学教授の述べたことか、といいたくなるほど、驚くべき杜撰な議論である。ほとんど床屋の政談である。昔も今も、ナショナリズムはならず者の最後の拠り所といわれるように、ナショナリスティックな議論には杜撰な議論が多い。しかしそれが俗耳に入りやすい形で展開されるから、大衆からは妙にもてはやされる。戸水の議論はまさにその典型で、杜撰なのにもてはやされ、本人はそれに酔ったのか、とどめなくセンセーショナルかつ過激な言辞を弄するようになっていった。

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