2017年12月31日日曜日

日本との距離感に想う

2017年3月 以前住んでいた部屋から撮った夕日
K君のお通夜と本葬があって、その様子が刻一刻と妻のLINEに入って来る。同窓生の誰が参加していたかとかが主であるが、K君の愛犬をあづかっているMさんが本葬に連れてきたことも知った。K君の家は昔からの愛犬家で家の中で小型犬を飼っていた。彼の入院が遅れたのも、この愛犬の処置が最大の懸念だったからだ。入院時も、一度再会している。その時は顔をぺろりと舐めて後はMさんの方に隠れたという。愛犬は全てを知っていたのではないかとは妻の言である。Mさんが最後に愛犬を本葬に参加させてくれたことを心からお礼申し上げたい。

今年は11月に10日ほど一時帰国したものの、1年間ずっとマレーシアで生活している。完全に日常と非日常がが逆転現象を起こしている。とはいえ情報社会故、WEBで日本のニュースは毎日チェックしているし、たまにNHKの国際放送(英語)も見る。YouTubeで日本の映像を見ることも簡単だ。先日も岩国のフレンドシップデーの様子や1年前の「笑ってはいけない」も見た。意外にCMなど懐かしい。

私はこれ以上日本に日常的に触れようとは思わない。LINEやフェイスブックで友人や教え子と日常的に繋がったりすよりは、こちらからブログを発信し、たまに返信を頂く方が良い。日本のTVをライブで見る手軽な料金のネット・システムもあるが、特に契約しようと思わない。

時差1時間。飛行機で6時間。その気になればライブ感覚で情報も得られる。私はあくまでも、この微妙な距離を保ちながら、マレーシアで生活しようと思っている。…みなさん、よいお年を。

2017年12月30日土曜日

有朋自遠方来

JICAでケニアに行ったピーター会のT先生が、マレーシアにやってくる予定だったのだが、先日金沢から関空まで来て発熱、インフルエンザという診断が出て、急遽キャンセルになってしまった。私も妻も南国のフルーツを用意して待っていたのだが、残念である。それ以上にT先生におかれては無念の極みであると思う。

マラッカやペナンを回り、KLでは私がローカルな見所をご一緒し、1月2日には学校見学の段取りもしていた。T先生も非常に楽しみにしておられたのだが…。

マレーシアは良いところである。住んでいて何より多民族国家でありながら、人が良い。ローカルの人々はそれなりに間合いを取っているものの、笑顔で接している。見知らぬ人でも目が合い、挨拶を交わせるような空間である。「sorry」という言葉も良く耳にするし、私も使う。バスなどでちょっと身体がぶつかったりした時だ。これはアメリカなどでは考えられない。私は残念ながら東南アジアはマレーシアしか知らない。これがマレーシアだからなのか、東南アジアの共通項なのかもわからないが、とにかく気が楽なトコロであることは間違いない。もちろん、それなりに犯罪もあるらしく、完全な楽園などはないと思うが…。

T先生には、国際理解教育を志す仲間として見て欲しいものはいっぱいあったのだがだが、今はまず、お体を元に戻していただくことが何より大切である。いつしかまたリベンジしていただけると思う。と、いうわけで、タイトルは「有朋自遠方来」という現在形にしておいた。

2017年12月29日金曜日

K君へのレクイエム

K君の師匠の作品のひとつ
http://www.tyadougu.com/
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今朝、高校時代からの親友であるK君が逝った。肝臓を悪くして、入院していたのだった。11月の一時帰国の際も妻と見舞いに行ったばかりである。

私の高校時代はかなり破天荒で、決して優等生ではなかった。しかも、今風に言えばグラフィックデザイン科である。個性の強い集団の中にいた。K君もまた、個性の強い男である。1年生の初期はなんとなく対立していた。しかし、あることがきっかけで仲良くなった。それは、彼が阿倍野区役所の食堂で売っていたB-29のプラモデルを購入した時のことだ。(当時は学食が狭かったので、昼休みは自由に外食が出来た。大学のような高校だった。また、なぜ区役所で多くのプラモデルを売っていたかもよくわからない。)航空ファンであることが二人をつなぐことになる。彼の兄貴は、さらにその上をいく航空工学の徒であり、彼の自宅にはよく遊びに行った。莫大なWWⅡ時代のプロペラ戦闘機のコレクションに感動したものだ。

時は流れ、彼は筑波大学の受験に失敗した後、人間国宝の門を叩く。螺鈿などの漆芸技術を習得するという異色な道に入った。その後、民間会社に就職しその能力を活かしていく。かなりの収入があったようだ。膨大な数の鉄道模型とジオラマや海外の山歩き、その写真撮影とまさに好きなことに莫大なカネをかけていた。しかしながら、家庭的には恵まれず奥さんと離婚。体調も崩してしまい、愛犬と共に家に籠もっていた。その頃から妻(彼女も同級生である)が、何かと心配して電話などで相談に乗っていた。男同士というのは、案外プライドが邪魔して本音を吐きにくいものかもしれない。

結局、様々なストレスもあって、酒を飲み過ぎたのが最大の原因であるらしい。「我」が人一倍どころか二倍も三倍も強い奴なので、あまり人の言うことを聞かない、まさに芸術家というか職人というか、そういう面が寿命を縮めたのかもしれない。だが、一方で人情に厚い奴だった。私が高校1年の時にある事故を起こし怪我をしたとき、彼がなぜか私の母親に「私がついていながら、申し訳ありません。」と詫びてくれたのだった。私は、この時の彼を忘れない。青春時代の一時期を濃厚に共にしてきたK君のことを。

今年この1冊 2017

http://media.themalaymailonline.com/uploads/articles/2016-03/kinokuniya1703sc.JPG
今年も「この1冊」について書かねばならない。読書量は日本にいるときに比べ格段に落ちているが、ありがたいことに日本人会の無人古本コーナーのお陰で、RM1(約27円)で古本を購入できるようになった。今や常設化していて、2~3日に一度は物色に向かっている。意外に面白そうな本を見つけることになる。
その最たる例は中田考先生の「イスラーム法の存立構造」(ナカニシヤ出版:定価8300円→現在アマゾンではプレミアがついて1万円を越えている)を、RM1でゲットしたことだ。文庫本や新書などコツコツと集めている。KLCCの紀伊国屋(画像参照)では、関税の関係でぐっと値段が上がっているし、相変わらず新刊本は、私や妻の一時帰国時くらいにゲットするしかない。

と、いうわけで、新刊本は極めて少ない。荒熊さん編集の「子どもたちの生きるアフリカ」(昭和堂/本年10月25日発行)は、なかなか興味深い内容で十分エントリーに値するが、まだ全編を読んでいない。

そこでまず次点として、2月に一時帰国した妻が購入してきた「シリア難民」(パトリック・キングズレー著/ダイヤモンド社 2016年11月25日発行)を挙げたい。妻に勧められて読んだが、極めて素晴らしいノンフィクション作品であった。

そうなると、今年この1冊は、昨年棚上げした「国家と対峙するイスラーム」(塩崎悠輝著/作品社 2016年6月30日発行)のインパクトが最も強い。ちょうど昨年の今頃から、赤線を引きながら読んでいた本だ。国民国家マレーシアを考える上で、イスラム国家としてのスタンスは、各州の法学者によるファトワーで護られている。多民族国家マレーシアを理解するうえで欠かせない1冊だと思う。

2017年12月28日木曜日

「龍馬の黒幕」を読む。

先日、例の日本人会の無人古本コーナーで「龍馬の黒幕(加治将一著/祥伝社文庫)」を手に入れた。ちょうど、明治維新のパワーポイントを作っていたところだったし、「石の扉」を書いた著者故に、フリーメーソンであるグラバーの話が出てくると踏んで購入した。この本の評価は難しい。ただし、幕末・明治維新史における裏面史として信憑性はある、と思う。

当時の下級武士たち、(龍馬や伊藤、初期の西郷も含めてであるが)は藩の諜報部員であったという前提は十分納得がいく。幕末初期には江戸の道場を舞台に様々な各藩の情報を得ていたことは容易に想像が付く。それがさらに重要度を増し、複雑に絡み合うわけだ。下級武士なら、失敗をしでかした時、容易に処分できるというのもよくわかる。これは事実だと私も思う。やがて、情報を握りこれを上級武士(たとえば小松帯刀のような)の後ろ盾を得て下級武士も力を持っていった、というのもよくわかる。

本書では、同時に薩英戦争での五代友厚・寺島宗則、四ヶ国艦隊砲撃と伊藤博文・井上馨、さらに土佐の長崎の英国水夫殺害事件での龍馬と後藤象二郎など、イギリスがいかに倒幕のために、彼ら諜報員の武士を利用したかが語られる。英国公館自体は英国議会の建前もあって中立をことさら強調しつつ、アーネスト・サトウやグラバーの武力倒幕派は、裏の働きをして薩摩・長州・土佐などの雄藩に工作し、弱藩には戦艦を見せびらかしながら服従を迫っていく。奥州同盟など戊辰戦争で戦った藩は、この戦艦の姿を見ていない内陸藩であるというのも、納得がいく。新政府の後ろに英軍ありきであったわけだ。この辺も納得がいく。長州ファイブや薩摩の19人の英国留学も、そういう意図から理解できる。フリーメーソンの力も十分働いたと思われる。

核心となる龍馬暗殺の謎解きも、ありえる話ではある。私は、武力倒幕を推し進める方針を決定し、大政奉還を良く思わない、薩摩も可能性があると思っていたし、薩摩に与して大政奉還路線を捨てた土佐も可能性があると思っていた。ただし、やはり可能性だ。

一応の幕末維新史をカバーしていないと読み切れない部分もあり、結局のところ、評価の難しい本というのが結論である。でも面白かったし、一気に読んでしまった。

2017年12月27日水曜日

思想するアフリカ

東洋経済のWEBに「アフリカは資本主義の限界を見抜いている」ー日本人がアフリカ思想から学べることは多いーという記事が載っていた。11月27日に行われたトークセッションの内容が書かれている。岩波書店の雑誌「思想」の編集長らの話で構成されている。
http://toyokeizai.net/articles/-/201812

そのトークセッションの内容は、記事をご覧頂くとして、「思想」8月号<思想するアフリカ>の目次を調べてみた。これがなかなか興味深い。記事のタイトルを見ただけでおよその察しがつくものがいくつかある。
https://www.iwanami.co.jp/book/b308566.html

それらは、アフリカの情の経済を主体に取り上げているようだ。アフリカでは、個人一人だけが成功するということは難しい。血縁・地縁の結びつきが強く、これに反すると、呪術的な報復を受けることもある。こう書いてしまうとなにやら野蛮な感じがするが、平等というアフリカ的正義の問題であると私は思っている。

成功した者は、血縁に対して十分な保証をするべきだし、地縁の繋がりを重視し出身地に貢献するのがあたりまえであるというのがアフリカ的で正義である。実際、私の友人であったケニア人故ピーター・オルワ氏もそうしていた。ケニアではナイロビで成功しても、必ず出身地で葬儀が行われる。

抜け駆けは許されない。現在の資本主義の経済格差の問題を考えるとき、アンチテーゼとして、こういうアフリカ的な正義が提出されてしかるべきである。アフリカでは資本主義の前提でもある個人主義は成立しないわけだ。

おそらくはこういう視点が「思想」8月号で展開されていると思う。なんにせよ、こういうアフリカの視点が日本で評価され、アフリカから学ぼうという呼びかけがなされることを喜ばしく思う。

2017年12月26日火曜日

IBTの話(154) 本年最後の出勤

本来なら今日から年末のスクールホリデーである。一時帰国されている先生方も多い。私はと言うと、3人の学生と合う約束をしていたので出勤した。K君のビザ申請の件、受験で渡日するにあたってのI君の相談、それと休学していたK君と久しぶりに会うためである。

その間、ずっと1月からの教材研究でパワーポイントを作っていた。理系の国費生に、いかに「日本が植民地にならなかった理由」を教えようと考えていた。文系の学生は、歴史が大好きな学生もいるので、幕末から明治維新にいたる道程も示したい。
私が考えるところ、明治新政府と旧幕府は、結局のところ、戊辰戦争で英仏の介入を封じるカタチになったが、列強にしてみたら、これほど教育程度が高く、資本主義も発達しており、何より命知らずな武士と戦うにはかなりの戦力が必要で、不平等条約を結び市場として利用するのが得策、ということになったと思われる。植民地化は回避できたが、領事裁判権や関税自主権の問題は、明治政府にとっては屈辱的な半植民地化であったと思われる。この打開が新政府のテーマと成る。その打開策は、富国強兵の一言に尽きる。そのために国民国家を急ぎ、廃藩置県という王政復古以上の大革命をやってのけるわけだ。殖産興業はそのための手段であり、日清・日露戦争の勝利でこのテーマを成就する。これが、植民地化という視点から見た日本の近現代史であると思う。
ところで、IBTという名称は、2018年よりPBTと変更になるそうだ。マレーシア教育省の管轄が変わることに伴う変更だと聞いた。よって、2018年からは「PBTの話」としてエントリーしたい。また( )の数字も大きくなってきたので、来年度の初回は(1)に戻したいと思う。

2017年12月25日月曜日

1tの本を読め! 2017改訂

本ブログの常設ページに「学生時代に1tの本を読め!」という卒業生に送る読書リストがある。前々任校は、大阪市立でも有数の進学校であったので、大学進学にあたり、こういう冊子を作ったのだった。学問においても人間形成においても、やはり読書量がものをいうと私は思う。

私は学生時代、同志社大の先輩に読書量が少なすぎると、こっぴどく怒られたことがある。週1冊のノルマを課せられたのだった。以来、読書の習慣が身についた。この先輩には今も感謝している。今教えているIBTの学生達にとって日本語での読書は、我々が洋書を読むような感覚なので、厳しいことはあまり言えないが、文系の学生は、読んで、書いての繰り返しで様々な教養が身につくものだと思っている。そういう意味で、このブログもまた私の「鍛錬」のためのものであるといってよい。

ともかくも、久しぶりに改訂した。もっと増やしたかったのだが、我がクラスの学生諸君の卒業式に間に合うようにつくったので、まだまだ不十分ではある。その代わりといってはなんだが、このブログのラベルの「書評」をクリックしてもらうと、私の読んだ本とその内容についてのエントリーだけを見ることができる。今日現在で496というエントリー数になっている。持続は力なり…かな。(笑)

2017年12月24日日曜日

Xmasイヴにふぐ茶漬け

マレーシアは日本大好きの国である。日本の食品なども豊富で、かなりの種類が揃っている。今日もブキッビンタンに用事があったので、パビリオン(大型商業施設)の5F、東京ストリートまで行ってきた。妻が、調味料の補給をしたいというのである。ここには、ダイソーと正直屋があって、比較的安価にゲットできるのである。焼き肉のタレとか調理用の酒とか、昆布だしとかを購入した。(ちなみにミッドバレーでも、この2店舗があるし、イオンもあるので、かなりの日本食品をゲットできる。近くのスーパーDでも、少し品数は少ないが必要不可欠な食品は十分にゲットできる。)日本製&輸入品なので、もちろんノン・ハラル(イスラム教徒は食せない食品)である。

ところで、パビリオンに行く際は、地下のフードコートによることが多いのだが、常に満員だし、今日は特別に東京ストリート内で、「山頭火」のラーメンを食した。意外な話かもしれないが、渡馬して以来、こういうちゃんとしたレストランで日本のラーメンを食したのは初めてである。最大の理由は、マレーシアの物価から見て、極めて高いこと。しょうゆラーメン・味噌ラーメンでサービス料込みでRM61であった。下のフードコートなら2人でせいぜいRM30程度、約2倍である。とはいえ、極めて美味であった。(ここもノン・ハラルである。)水を持ってきてきてくれるし(マレーシアでは,だいたい飲料は別に注文しなければならない。)、ゆっくり味わえるし、そういう部分も価格に入っているのだろうと思う。たまには良いよね、と思う。

山頭火の近くに、宇治茶の店があって、妻が抹茶ラテを飲みたいと言う。まず目の前で抹茶を点ててくれる。茶釜から湯を入れ、茶筅を使う。そこに牛乳が入る。ローカルのお姉さんだったが、なかなか見事なお手前。(笑)これも美味だった。RM12。

なんとなく、ちょっと贅沢をしたのだった。で、夕食は、お茶漬けとなった。それも大阪の義姉が送ってくれた「ふぐ茶漬け」である。簡素だが、極めて贅沢な気分だ。

ちなみに今日の画像は、山頭火のラーメンも抹茶ラテも結局写真に撮ってないので、ふぐ茶漬けになったのであった。私も妻もブディストなので、クリスマス・イヴとは全く無関係な1日だった。(笑)

2017年12月23日土曜日

日経 モンバサの日中競調

モンバサ港 コンテナ埠頭
http://toyokeizai.net/
articles/-/15669
久しぶりに日経を読んでいたら、面白いコラムがあった。21日のオピニオンのページにある中外時評、飯野上級論説委員の「日中、援助競争より競調を」である。

ケニアのモンバサ港は東アフリカ最大の港で、ケニアはもちろん、ウガンダ・ブルンジ・南スーダンといった内陸国の海の出口である。2016年のコンテナ取扱量は109万TEU(20フィートのコンテナ換算)、日本の博多港(国内第6位)に匹敵する。2002年と比較すると3.6倍にも伸びている。日本政府は10年ほど前から同港の整備を手伝っている。267億円の円借款で第一期工事を2016年に完了、321億円の円借款による2021年をめどにした第二期工事計画も動き題している。完成すれば、コンテナの取り扱いは大阪港(国内第5位)に迫る。港周辺の道路や隣接の工業団地の開発も支援している。

はからずも、というべきだろう。(飯野氏の表現)中国もケニアを軸にインフラの整備に努めている。モンバサ=ナイロビ間を結ぶマダラ高速鉄道で、今年5月に完工した総工費38億ドル、その9割を中国輸出銀行が融資し、建設を請け負ったのは中国企業着工から3年ほどで完成させた。中国はナイロビからさらに西に延ばし内陸の国にもつなげたい考えで、本格的な貨物輸送はまだ始まっていないが、日本の援助関係者は「港と鉄道が大きな相乗効果を発揮する可能性はある。」と期待を隠さない。

一方で相乗効果の実現に向けた話合いを日中の間で持ったことはないそうで、相互不信が読み取れる。インドネシア・ジャワ島の高速鉄道建設を土壇場で中国に取られたのが2年前である。またスリランカのハンバントタ港は中国の援助で整備されたが返済に行く詰まり、中国の国営企業に売りわたされ、潜水艦も入港したことがあり軍事利用かという懸念まで浮上している。

こうした事態を避ける上でも、日本が助言をしたり、中国とインフラ輸出を競うことは意味がある。このモンバサ港と鉄道も、競争ではなく協調すれば当事国、さらには東アフリカの内陸国にとって大きな利益となるはずである。もっと大きく言えば、中国の一帯一路構想と、日米の自由で開かれたインド太平洋戦略が「競調」が問われている。

…モンバサは、私たちがJICAの教師研修で2003年にケニアを訪れながら、テロ事件があったために行けなかった都市である。おそらく行けていたら、この港の開発状況を視察していたに違いない。中国のアフリカ進出への危惧が叫ばれて久しいが、こういう「競調」という視点があることを確認しておきたいと思い、エントリーした次第。問題は日中のメンツや利益ではなく、アフリカ諸国の持続可能な開発なのである。

追記:このモンバサ港の工事施行に関わっていた日本人社員が強盗に襲われ死去されたらしい。(記事は12月23日付けだが、7月15日の日中の話らしい。)モンバサの治安は、特にソマリアの影響もあって未だに回復されていないようだ。こうしてマレーシアにいると、海外駐在員の方とも接する機会がある。マレーシアの治安はすこぶる良いが、決して人ごとではない。ご冥福を心から祈りたい。
http://toyokeizai.net/articles/-/15669

2017年12月22日金曜日

国連 エルサレム首都撤回決議

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21日、国連総会で、アメリカ政府のエルサレム首都認定撤回決議案が採択された。賛成が128ヶ国、反対9ヶ国、棄権35ヶ国。

大統領はこの決議案に対し賛成票を投じた国への金融支援を打ち切ると脅したにも関わらず、金融支援を受けているエジプト、ヨルダン、イラクなどは賛成票を投じた。

棄権したのは、オーストラリア、カナダ、メキシコ、アルゼンチン、コロンビア、チェコ、ハンガリー、ポーランド、フィリピン、ルワンダ、ウガンダ、南スーダンなどとロイターは報じている。
反対票は、アメリカ、イスラエル、グアテマラ、ホンジュラス、マーシャル諸島、ミクロネシア、パラオ、ナウル、トーゴ。
https://jp.reuters.com/article/un-assembly-idJPKBN1EF2TI

日本は今回、北朝鮮の問題を抱えながらも賛成票を投じた。軍事と石油の問題を天秤にかけて、賛成票を投じてもアメリカとの信頼関係は崩れないとの判断をしたのだろう。ポチである日本にとって、この踏み絵は意外に難しい判断だったのではないか。第4次中東戦争の時も日本はアラブ側についた。そういう過去を政府は追想し、事前にアメリカに確認をとったかもしれない。日本の現状は棄権に回ってもおかしくないが、非常任理事国として、次の次の改選を睨んでのことかもしれない。

オーストラリアやカナダ、メキシコなどアメリカの重要なパートナー国は一応に棄権している。チェコやハンガリー、ポーランドはイスラエルというかユダヤ系への親近感や贖罪意識が強いのかもしれない。反対票を入れた太平洋の島嶼国は、WWⅡで日本統治を離れた後はアメリカの委任統治領であった故に、植民地的な感情が残存しているのかもしれない。アフリカ諸国であるトーゴ、棄権したルワンダ・ウガンダ・南スーダンなどは何故だか気になるところ。

このような世界中の反対を押し切り、しかも金融支援の停止をちらつかせるアメリカのやり方は、極めて美しくない。美学で物事を判断する極めて日本人的な私などから見ると、アメリカの没落は、そう遠くないと思ったりする。

2017年12月21日木曜日

IBTの話(153) 私費生卒業式’17

最後のHRで撮ったクラスTシャツでの写真 私はもの凄く気に入っている。
卒業式の日である。担任として迎えるのは7度目になる。いつもながら、寂しい思いと学生の好意とが錯綜するような1日であった。今回の卒業式から、着任順ではなく、担任は前の方に座るようになったので、和服姿のK先生の横、つまり2番目の席で式を見させていただいた。私より長く初級から世話して頂いた先生方を差し置いて前に座るのは私の趣味ではないのだが仕方がない。

今回も昨年にも増していい卒業式だった。ラザク先生のご子息も来ていただけて、我がクラスのI君にラザク奨学金を付与いただいた。そのI君が答辞をやってくれたのだが、文学的でしかも笑いや涙ありの素晴らしい答辞だった。保護者に対する感謝の言葉も、日本語、マレー語、中国語でそれぞれ語ってくれた。後で指導を担当していただいたK先生にお伺いしたのだが、マレー系の私費生もいるので、マレー語を加えたいという要望が本人から出て、友人にコーチしてもらったのだそうだ。凄いな、と思う。私の経験した三十回近い卒業式の答辞の中でも最も良かったのではないかと思う。
今年の歌はゆずの「栄光への架け橋」、我がクラスのH君とK君が中心になって頑張ってくれていた。昨日のリハではどうなるかと思っていたけれど、当然本番は成功するのである。素晴らしい歌を披露してくれた。涙腺が緩くなっているのでちょっと危なかった。(笑)

式の後、今年もいろいろな好意を学生から頂いた。俳句集。お母さんが焼いて頂いたバナナケーキ。絵はがき…。写真もいっぱい撮った。最後のHRをして、成績証明書を渡し、少しだけ話をした。彼らが入学した昨年4月、マレーシア最初の夜、中華系の青年に、ミッドバレーで吉野家の牛丼を頼んだはいいが、お金が足りなくてRM3払って貰った話。彼に担任として頑張ったこの8ヶ月を捧げたい。日本語が少し話せた彼のご恩に少しでも報いることが出来たような気がする。たった一人のインド系のL君もいるが、最初の友人になってくれたのはインド系のナイスガイである。彼のお陰で朝のバスが楽しくなった。彼にもこの8ヶ月を捧げたい。そんな話である。F38Aの諸君にも日本で、いい人に出会って欲しい。そんなことを話した後、「理想に生きることをやめたとき青春は終わる」という私の人生訓を今回も贈った。IBTで担任をもつとは思っても見なかったが、良い学生に囲まれて、本来なら定年の年に、こうしてまた「青春」の日々を送れたことに、深く感謝したい。F38Aの学生諸君、本当にありがとう。これからも長い付き合いをしていきたいと思う。

2017年12月20日水曜日

IBTの話(152) クラスTシャツ

卒業式の予行の日である。昨年経験しているので、少しは楽な気持ちで臨んだ。今回は私費生の担任団として、校長先生役をやることになった。修了証を全学生に手渡す役である。いやあ、なかなか大変だった。新校長であるS先生、大丈夫かなあと心配になった。かなり足がパンパンになったのだった。

予行修了後、我がクラスの学生からクラスTシャツを手渡された。明日はこれを着てみんなで記念撮影をしたいそうだ。最初、Tシャツの背に大きく「責任ある行動」と書く予定だったのだが、日本ではちょっと着れないと思ったので、「小さくした方がいいよ。」と助言したら、前に書かれることになった。(笑)で、背には大阪弁で「もういっぺんやったらええやん、がんばりや。」と書かれている。これは、何度も何度も再テストに苦しんだIBTの思い出なんだそうだ。大阪弁は私を表現しているとのこと。(笑)ちなみに「がんばりや。」という台詞は私からの助言である。がんばりやを入れた方が、なんか前向きだからというのがその理由。

思えば、前任校では団Tシャツがあったが、クラスでTシャツを作ることになったのは、前々任校でアメリカに研修旅行に行った時以来だと思う。4月から担任をさせてもらって、いろいろなことがあった。ホント濃厚な時間だったと思う。たった8ヶ月間だが、2年にも3年にも感じる。このTシャツ、学生みんなの気持ちが入っていて嬉しい。いよいよ明日は卒業式である。

2017年12月19日火曜日

IBTの話(151) サンタさん

以前エントリー(12月4日付ブログ参照)したが、同じ日本人会にある幼稚園からサンタさん役を仰せつかった。正直なところ、小さい子供たちは苦手なので最初は圧倒されたのだが、まあなんとかやりぬいたと思う。ちょうど、EJUの結果を受け取りに来た3人の学生もマネージャーとして参加することになった。後で知ったのだが、H君がビデオをとってすぐLINEで流したらしい。サンタさんをした後、学生からのメールには、全てサンタさんという語句が入っていた。

さて、サンタさんの入場の後、園児から質問を受けた。サンタさんはどこから入るのですか?「マレーシアは煙突がないので、クーラーから入ります。」と言ったら、うちのマネージャーたちには大いに受けた。園児らは「えー」と大騒ぎになったけど。ステージママとして参加したT先生は、ナイスなアドリブだと絶賛してくれたが、園児に受けたかどうかはわからない。

プレゼントを渡して、「あわてんぼうのサンタさん」という歌を園児が歌ってくれて、最後に、昔々、高校時代にキャンプファイヤーのエールマスターとして慣らした頃覚えた「ネコジャ」をやった。実は今は鉄工所をやっているO君の持ちネタなので、私は初めてやったのだが、これは十分に受けた。(笑)
「オヒゲ・もじゃもじゃ、ネコジャー、ネコジャー。お耳ぴんぴん、ネコジャー、ネコジャー。あ~ネコジャー、ネコジャー、ネコジャー、ネコジャ。」という短いものだが…。もうすぐ還暦だというのに、こんなことをしていいのか、と思う。来年は、途中写真を撮りに来て頂いたM先生にこの役をば、是非ともお譲りしたいと思った次第。

IBTの話(150) FedEx便への杞憂

https://media.bizj.us/view/img/10079537/2048px-fedexa310-200n420fearp*1024xx2048-1152-0-130.jpg
先日少しエントリーしたが、クロネコヤマト・マレーシアは極めて信用できない。アジアなら3日で着くと宣伝しながら、土日は休みで貨物を空港で紛失したので遅れたという報告を平気でする。少なくとも日系企業ではないし、学生の人生をかけた進路の書類をこんな会社に任すことは出来ない。それで、少し高いのだが、FedEx便を使うように、我がクラスの学生には指導している。

さて、KG大へのビザ申請をH君がFedExで送付した。ところが、検索してみると到着したようにあるが、UBAーJAPANという場所に着いているという連絡が来た。なるほど。不可解。彼が調べるとそれは山口県の宇部空港のコードだという。なんという見当違い。そこで、今日は朝から、KG大に確認した。するとまだ到着していないとのこと。それで宇部空港に電話して、ANA、さらにJALの貨物管理の事務所に電話した。マレーシアでは英語が主だが、日本語なら全く問題ない。(笑)で、結局行方不明のママだった。で、やっとWEBでFedExの神戸のカスタマセンターの連絡がわかった。事情を説明すると、すでに到着しているはずだ、受け取りのサインも報告されているとのこと。その旨をKG大に連絡し確認してもらうことになった。このUBAーJAPANは、個人情報保護のためあまり関係ないとのこと。

結局、KG大学には送った翌日に早々と到着しており、書類の確認も出来た次第。結局杞憂に終わったわけだ。クロネコヤマト・マレーシアが全く信用できないので、FedExにまで疑心暗鬼になってしまったわけだ。神戸のカスタマセンターにはご迷惑をおかけしたが、丁寧な対応をしていただいたし、これまた丁寧な対応をしていただいたKG大にもいらぬ心配をおかけしてしまった。私は、H君を責める気など毛頭無い。要するに、マレーシアから日本に進学書類を送ると言うことがどれだけ気をつかう事かということである。

FedExは十分信用できる。それを確認した、そんなこんなの1日だった。

2017年12月17日日曜日

ラインラントの悪魔?

ラインラントにある
悪魔のテーブルいう岩
今日のエントリーとは
全く関係ありませんが。
https://www.jiji.com/
jc/p?id=20171018090833
-0025262222
先日、某国会議員がアフリカの人々に差別的な発言をして顰蹙をかっているが、WEBでナチスドイツによる黒人差別の事実を発掘した記事が載っていたので紹介しようと思う。米国や南アなどの黒人差別はかなり知られているが、ナチスの場合、ユダヤ人へのショア(ホロコーストの方が一般的だが、こう呼ぶ方が良いと私は考えている。)が語られることがあっても、ロマの人々、さらに障がい者や同性愛者を絶滅収容所に入れ虐殺した事実はあまり語られていない。ましてや黒人に対する差別や虐殺の事実おや、である。

ナチスの黒人差別の中心は、ラインラントにある。WWⅠ後のベルサイユ条約締結後、フランスはラインラントに植民地の黒人兵を組織し置いた。彼らとドイツ人女性の間に生まれた人々が存在する。ナチスは彼らを「ラインラントの悪魔」と呼び、1937年ゲシュタポによってドイツに集められ、400人以上の「殺菌」と称した虐殺行為を行っているとのこと。また、WWⅡ中は、フランス軍の黒人兵はドイツ国内でなく、フランス国内の収容所に入れられていたという。
http://tocana.jp/2017/12/post_15320_entry.html

まあ、同じ白人でもポーランド人などのスラブ系に対しても人間扱いしなかったナチス故に、十分考えられる事実だと思う。もちろん、このような歴史問題は、今のドイツ政府やドイツの人々の評価や価値をことさら下げるためのものではない。ナチスという狂気の時代の話である。とはいえ、欧米の白人間には未だにアフリカ系の人々への差別感情が根強く残っているようだ。一方で、ある識者が、某国会議員の差別感情について、欧米ではそういう差別主義者であることへの批判も同時に強く、そう見られることは特に公職につく者にとって屈辱となっているとあった。日本ではそういう差別主義者への批判はまだまだ弱いと言う。

果たしてそうだろうか、と思う。私たちの年代は、人権問題については徹底的な教育を受けた。特に日本国内の同和問題が中心的内容だったが、同時に様々な差別に対して同様に学んだ。よって、日本にも差別主義者への違和感は十分にあると思うのである。
どちらかというと、日本人は表だって批判することを徳目に入れていない故ではないだろうか。だが、時として声を大にして発すべきことがあると私は思う。
いやいや、たとえ東大法学部に入れる学力があったとしても、人としての重要な学びを置き忘れている公僕も実存すると理解しなければならないのか、とも思う。…だが、これはあまりに悲しい。

2017年12月16日土曜日

親友の奥さんの訃報を受けて

H君の奥さんが入院していた病院
http://www3.kmu.ac.jp/kansai-
ortho/hirakatahospital.html
大学時代からの親友のH君の奥さんが亡くなられたことを、新潟のK君からのメールで知った。喪中葉書が届いたそうだ。彼女は、私が結婚式の司会をしたこともあって、懇意だったし、マレーシアに来る前、妻と病院に見舞いに行った。状況が悪いことは知っていたが、やはり…という想いである。H君も我々夫婦が日本にいない故に、あえて連絡してこなかったのだろう。

新潟のK君も、手術をしたりして体調は万全ではないようだ。我々は同世代でありみんな定年の歳である。何かしらの持病を持っていても不思議ではない。私はと言うと、これまで莫大な回数の入院した友人・知人の見舞いには行っているけれど、まだ入院するような大病を患ったことがない。糖尿や虫歯、タバコの吸いすぎ(マレーシアに来てから喫煙が復活してしまった。)で肺気腫の疑いなど健康上、気になることは多いのだが、なんとかやっている。

ところで先日、朝に歯を磨こうとして、間違って整髪用のジェルを歯ブラシに付けてしまった。(笑)いやいや、笑い事ではない。これは衝撃的な事実であった。歳をとると言うことに、だんだんと重みを感じてきた。とはいえ、やれるところまで現役教師でやっていこうと改めて決意する次第。

マレーシアのウユニ湖ツアー

夜明けとともにクアラ・セランゴールを出港、マングローブの対岸
M先生からお誘いを受けて、現地の観光業者のパンダバスで、「マレーシアのウユニ湖」のツアーに夫婦で参加した。ちなみにウユニ湖というのはボリビアの塩湖で状況によって、鏡のように映るトコロである。
マレーシアのウユニ湖は湖ではなく、西海岸・マラッカ海峡にある干潟である。朝早くKLを出て、クアラ・セランゴールという街に着いた。川を高速船で下り、マラッカ海峡に出た。干潟が引き潮で上陸できる時間に合わせて行くわけだ。マレーシアの太陽はストロングなので、晴れた方がいいのだろうが、適当に曇っていて実はありがたかった。色とりどりのTシャツを着た中華系の人が多い。派手なTシャツのほうが写真で映えるからである。私たち夫婦は、こういう場所で大はしゃぎすることはない。どちらかと言えば、マンウォッチングの方が楽しい。なかなか面白いところだった。海の真ん中に多くの人が立っていること自体が凄い光景である。
その後、早めのランチを取って、場所はよくわからないけれど、海辺にある道教系の幸せの木を訪れた。期待薄だったのだが、これがなかなか面白い。小銭型のおもりを両端につけた赤い布を木にひっかけるのだという。なかなか壮観だった。ブティストである我が夫婦は当然やらなかったのだが、引っかけようと頑張っている人々を見ていると、これまたなかなか面白い。
さらにマレーシアの製米工場に行った。マレーシアは意外に国産米の生産は少ないそうだ。プランテーションの商品作物の方が盛んであるからだが、年中高温多雨のマレーシア故に、稲穂が垂れている田の横に、青々しい成長期の田やすでに刈り取られ休耕中の田があったりと、日本では到底見られない水田風景は実に興味深い。かなり機械化が進んでいて、土地生産性・労働生産性共に高そうだ。
まあ、大人の遠足といった風のツアーだった。RM180は、十分価値があったと思う。今回もお世話になったM先生とS先生に本当に感謝である。

2017年12月15日金曜日

IBTの話(149) 1月分の教材研究

我がクラスの進路指導も一息ついたので、パワーポイントを作成しながらコツコツと1月からの国費生のための授業準備をしている。昨年同様、文系だけでなく理系の学生にも教えることになっている。狭い校内だし、顔なじみなので楽しみである。もちろん、私費生の国立大学小論文対策の授業もあるのだが、まずは国費生から取りかかっている。

理系のクラス担任のS先生から、近現代史から日本を見るような授業をしてもらいたいとの要請があったので、今回は日本が何故植民地にならず、近代国家化に成功したか?というテーマでやろうと思っている。私の専門が倫理故、まずその背景となる日本の思想文化を語ることにした。日本の思想文化は多重構造である。記紀にある「清き明き心」が農耕民的多神教で培われ、その上に大乗仏教、さらに儒教(孔子・孟子・朱子学・陽明学)がある。これらの思想は集団主義と武士道を生んだというのが大筋だ。西洋的な個人主義は、その後に付け足されていると感じである。
ついつい詳しく論じてしまいがちだが、今回はそのエキスを語ろうと思っている。清き明き心は記紀を説くのもいいけれど、「舌切り雀」でいこうかなと思っている。武士道も、今年我がクラスから参加したI君にもらったリーダー塾で語られた国際日本文化センターの笠谷先生の武士道の講義レジメから、2013年7月のJRの南浦和駅での話や東日本震災をはじめとした被災した日本人は決して略奪や暴動に走らない忍耐強さををみせるという事例を引用させていただこうと思う。その他に、仏教や儒教もいろいろ事例を用意しているのだけれど、それは教育実践後に、その反応も含めてエントリーしようと思う。

2017年12月14日木曜日

IBTの話(148) 卒業文集のこと

先日の研究発表/中江兆民と平塚らいてうの研究発表の様子
国費生の修了試験の点数も出て、今日は我がクラスの何人かの学生の進路指導をしていた。その合間に、F38の学年(私費・国費生・全5クラス)の卒業文集の我がクラスの進展を見る機会があった。I君とZ君がクラスのみんなと担当の先生方の似顔絵を描いているのだった。これがなかなか上手い。どんな内容になるか実に楽しみである。

私も卒業文集に贈る言葉を考えた。昨年は川柳でという話だったので、引用だが「不可能を辞書に加えて卒業す。」と書いた。今年は、そういう制限が無く、スペースが大きい。昔、T商業高校時代に「私が教えたこと」というタイトルで書いていたことを思いだした。こんなイメージである。

私が教えたこと。神定法と人定法。ヨーロッパの社会類型(自由な個人と不自由な共同体)、近代国家論。アメリカの大統領制。日本国憲法と議員内閣制。ロックの抵抗権。G-W-G' G'-G。需供曲線。リカードの比較優位。ケインズの有効需要。市場の失敗。株式会社。信用創造。マネーストックから見た金融政策。アジア通貨危機。FRBの金塊。ISの構造。公民権運動。HDI。センの貧困。人間の安全保障。構造的暴力。持続可能な開発。
さらに、アリストテレスの中庸(ハンバーガーショップにて)。デカルトの神の存在証明。先天的認識方式。カニ先生と道徳法則。焼きなすびと弁証法。典子は今-対他存在。人間は自由の刑に処せられている。It's Pineapple in NY.
そして、「責任ある行動」という言葉とその「実践」かな…。

私の教え子諸氏には、十分意味が通じると思う。今年は公民と哲学講座に偏っているけれど、結局同じようにスベラナイ話シリーズをやったのがバレバレ…。(笑)

2017年12月13日水曜日

セネガルのクルアーン学校

http://www.kw.undp.org/content/kuwait/en/home/blog/2017/6/9/Saint-Louis-Senegal-the-challenge-of-sustainability.html
国費生の修了試験が昨日から始まって、今日は私の「公民」の試験だった。その採点を終えてから、早めに帰宅させて頂いた。かなり体力面でのダメージが貯まっているようだ。住処で少し仮眠をとったらだいぶ楽になった。と、いうわけで、「子どもたちのアフリカ」の書評を続けたい。本書に3編あるクルアーン学校シリーズの最後は、セネガルの話である。

第1部乾燥地に生きるの第2章「小さなイスラーム教徒たち-セネガルの農耕民ウォロフと遊牧民フルベ」と題された阿毛香絵さんの論文である。舞台はサンルイ市という北部のモーリタニア国境に近い、かつてはフランス領西アフリカの首都だった街である。ここのクルアーン学校はサンルイ市とその近郊で200近くあり、ダーラと呼ばれる。ここで学ぶ子ども達はタリベと呼ばれ、教師はマラブーと呼ばれる。ダーラは、昨日エントリーしたマリのジュンネのクルアーン学校のような塾形式ではなく、ブルキナファソのワガドゥグ-のクルアーン学校に近い共同生活を行っている。ここで語られるキーワードは「良い苦痛」である。

国際組織や政府から多くの批判があるものの、サンルイではダーラは伝統的な教育として息づいている。ダカール(セネガルの首都)など人の繋がりが薄い地域では、子どもの搾取としって良いくらいのダーラもあるようだが、サンルイでは地域住民のマラブーがひどいことをしていないかという監視の目とサポートがあるようだ。

タリベ達が目差すのは、クルアーン全章を暗唱、読み書きできること(ウォッチ・クルアーン)である。親類一同や地区の人々の前で暗唱のテストを受ける。これは大変名誉なことで、その後「知識(ハムハム)」というクルアーンの内容、シャリーアをアラビア語で学ぶ第二段階に入る。

さて、キーワードの「良い苦痛」について、ダーラで学んだ経験のある大学生がこう言う。「教育には二種類ある。学校で学ぶ知識もあるが、もう一方で、人間として生きていく上で正しい振る舞い方や考え方、信仰心を育てる教育、人間形成がある。ダーラの目的は二番目の教育をすることだ。」

近代社会には教育=学校へ行くことと同一視されるが、ウォロフ語のジャング(学ぶ・教育する)には、いくつかの異なった意味があるそうで、1つ目は社会的マナーや価値観、人間としての器量あるいは生きる知恵を得ること。ウォロフ語では好ましい人格を表す言葉として「ヤル」(貞淑さ・謙虚さ・相手を敬う態度)「テギン」(落ち着いた態度、何事にも動じない姿勢)などがある。ダーラでの厳しい集団生活がこれが養われるという。2番目が先ほどのハムハムで理性を養う教育である。数学や語学などの一般的知識、さらにシャリーアの法体系を学ぶという意味がある。最後に、最も大事な「ディーン(信仰心)」を養う教育である。セネガルのムスリムは神秘主義(スーフィー)が根付いており、「タルビーア」という修行を通して神に近づくための魂の教育を行うのだそうだ。

…アフリカに学ぶことは多いと思う。この小論もまさにそうで、欧米的なるものが、普遍的・絶対的な正義である、とは私は言えないと思うし、また日本や欧米の教育の目差すところとも共通点は多い。本書にあるクルアーン学校について書かれた三編を比較しながら読むだけでも実に味わい深いのである。

タリベ達にとっての「良い苦痛」についての記述は、新刊故に今回もエントリーを控えたい。スミマセン。

2017年12月12日火曜日

ジュンネのクルアーン学校

https://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/01/64/b9/cf/djenne.jpg
このところ、一念に億劫の心労を尽くしてきた問題が今日の午前中についに100点満点で解決した。で、ボロボロだった体調も一気に回復した次第。と、いうわけで「子どもたちの生きるアフリカ」のエントリーを再開したい。かの有名な世界遺産のジュンネのモスクのお膝元のクルアーン学校の話である。

第4部水辺に生きるの第2章「クルアーンを詠唱する子どもたちーマリの古都ジュンネで」と題した伊藤未来さんの論文だ。水辺とは、ニジェール川を指している。ジュンネはニジェール川が形成する内陸三角州の南端に位置している。支流パニ川のさらに分流に囲まれた街なのである。人口は15000人ほど。商業と稲作が生業のソンガイ人とマルカ人が約40%を占め、牧畜民のフルベ人が約20%、漁民のソルコ人15%、畑作民のバナマン人が5%、その他にも有名な書数民族のドゴン人、マリンケ人、ブア人が住んでいるが、ほぼ全員がムスリムである。民族は違っても、ムスリムは平等である。言語も生業も違う人々を取り結ぶ社会的基盤となっている。

意外だったのは、有名なジュンネのモスクは街唯一のモスクであることだ。クルアーン学校の教師をジュンネ語でアルファと呼ぶ。とても身近な存在で名付けや割礼の儀式を行ったり、教え子の婚活も行うそうだ。また葬儀でも中心的な存在になる。クルアーン学校の教師と行っても兼業で、小学校とは別に、子ども(7歳くらいから)にクルアーンとアラビア語を朝夕教えている塾のようなものである。

本編では、この後様々な子どもたちの日常を追っていくのだが、これまた読者の皆さんには是非とも荒熊さん編集のこの新刊本を購入して頂きたいので、ここまで筆を置きたい。スミマセン。

2017年12月10日日曜日

エルサレムに平和を

https://gunosy.com/articles/Rr2wb
アメリカ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認める宣言(神殿の丘は現状維持・2国家案は放棄しない)をした。テレアビブにある大使館の移動には数年かかるだろうし、その頃にはこの大統領はその座にあるはずもない。要するに世界で最も巨大な権力を握ってしまった男の意思表明に過ぎないのだが、何故この時期に?という問に、「オリーブ山便り」で石堂さんがちゃんと解説してくれている。http://mtolive.blog.fc2.com/

この宣言は、12月6日に行われた。この歴史的タイミングについて、エルサレム東西統一50周年、来年は建国70周年。今年はバルフォア宣言から100年目にあたる。そのイギリスがパレスチナにユダヤ人の祖国を建設するとしたバルフォア宣言の約1ヶ月後英軍を率いて、アレンビー将軍がエルサレムをオスマントルコから解放したのが、5日後の12月11日である。この時アレンビーは軍人としてではなく、巡礼として入るとして馬を下り、徒歩で入場を果たしたという。この12月11日頃は、ユダヤ人をシリアの暴君からたった5人でエルサレムを解放したマカビー家を覚え祝うハヌカの祭りの時期で、アレンビー将軍は今もハヌカの英雄と重なるイメージがあるらしい。(第三者の悪意をもって見れば)大統領も、その英雄に自分を重ねようとしているわけだ。

イスラエル政府はもちろん、右派などは大歓迎であるが、世俗派など普通のイスラエル市民は、この問題で平穏が乱されるのをを望んではいないようだ。当然ながら、パレスチナ人の反発は大きい。特にハマスの支配するガザ地区からはロケット弾が発射された。(アイアンドームで迎撃されたが、駐車場に落ちたものもあるらしい。ショックを受けて手当をされたイスラエル市民はいるようだが、死者・負傷者なし。)これに対してイスラエルはガザに空爆で報復している。負傷者が多数出ている。ガザの抗議デモで、イスラエル軍の実弾威嚇で2人が死亡、2・30人者の負傷者が出たらしい。ヨルダン川西岸の各地でも「怒りの日」のデモは行われ、多数の負傷者を出しているが、現在のところガザよりは比較的平穏のようである。国際社会に目を移すと、アラブを中心としたイスラム諸国は当然のように猛反発しているし、先進国や国連も、この宣言を厳しく非難している。マレーシアでも日本国大使館から、デモが予想される故、アメリカ大使館に近づいてはいけないという注意喚起がなされている。

たとえ、歴代のアメリカの政策(エルサレムをイスラエルの首都とするという議会での決定)であったとしても、大統領の一言が、事実上の戦争を引き起こしている。どこかの国が戦争犯罪人として国際刑事裁判所に訴追してはどうかと思う次第。鄧小平のように、尖閣諸島の問題を棚上げにする叡智をもっていないと大国の指導者はつとまらない。いたずらに正義(私はエルサレムの首都問題ではこれが絶対的な正義だとは思わないが…)をふりかざし、多くの罪のない人々を殺し、傷つける選択をするのは、愚者のやることだと思うが…。

2017年12月9日土曜日

IBTの話(147) 日本語研究発表

優勝チームの発表風景
昨日一昨日と、我がクラスではK先生の日本語の授業で5チームの研究発表が行われた。行われた順に記しておくと、①高度経済成長時代の政治家/池田勇人・田中角栄チーム、②日本を代表する国際人/新渡戸稲造・杉原千畝チーム、③近世日本の礎を築いた武将/織田信長・豊臣秀吉・徳川家康チーム、④明治維新の中核/西郷隆盛・大久保利通・坂本龍馬チーム、⑤日本の人権運動の先駆者/中江兆民・平塚らいてうチームである。

みんなの投票結果から決まった優勝チームは、新渡戸稲造・杉原千畝チームだった。他のチームも良かったのだが、このチームは十分な資料集めをしたうえに、寸劇を入れたりして演出面もよかった。私も知らなかったのだが、新渡戸さんも千畝さんも、洗礼名がパウロらしい。だから、タイトルが「二人のパウロの物語」になっていることだ。私が一番褒めたいのは、こういう普段の学習成果を踏まえた上での、その「一歩先に進んだ部分」だ。

K先生と感想を話し合っていたのだが、その中心は各人の日本語能力の問題である。資料を調べ、これを自分の言葉に直して語るということは極めて難しい。日本語能力が不十分だと資料を棒読みするしかない。たとえ、内容が理解できていたとしても、自分の言葉にするための語彙力が必要である。昨年と違い、今年は学生一人ひとりのおよその日本語能力を私もわかっている。4月以来の日本語の先生方からの様々な授業での情報もあり、そんな目で発表を見ていると、学ぶ方・教える方、両面から見た日本語学習の大変さが理解できる。私と言えば、そういう日本語学習で言う聴解能力や読解能力、語彙能力などはあまり考えずに社会科の指導をしている。学習内容が高度(およそ日本語の上級レベルが中心になるだろうと思う。)故に仕方ないと言えばそれまでなのだが、3年目になる来期はそろそろそういう面でのさらなる工夫も必要かなと思った次第。

IBTの話(146) 最後の授業

この3日間、ブログを更新できなかった。進学指導上のとある大きなアクシデントがあって、帰宅がかなり遅くなり、初日はブログ更新できる状態ではなく、次の日はその解決の糸口が見つかりホッとして、さらに昨日は以前のものよりは大きくないが、新たなアクシデント発生して、という感じである。少しばかり私の体調も悪化している。そんなことより、これまでなにかと弱気だった学生本人が、解決に向けてすごく前向きに取り組んでくれているのが何より嬉しい。
ところで、この件はさておき、この3日間はなかなか濃い3日間だった。昨日で私費生(つまり我がクラスの学生は全員)の授業は終わりである。実は、K市外大に合格したK君は最終日、渡日し入学手続きに行くことになっていたので、一昨日にポスト構造主義のドゥルーズとデリダの哲学史講義をやり終えた後、残りの時間を使って、昨年同様、ウーリーシンキングを実践したのだった。B組にもマレー系を中心とした4人の私費生がいるので同様にした。これまで何度も実践してきたアクティビティだが、いつも盛り上がる。この毛糸を巻いた棒を日本からスーツケースで運んできたことを知った我がクラスの生徒が感動してくれていた。こういう純粋な学生達を教えていることの喜びもまた格別である。
昨日のK君抜きの我がクラスでは、ちょっとディベートをしてみた。JICAの高校セミナーなどでやった複数のチームで行うものだ。これからのアジアはどうあるべきか?日本・中国・マレーシア・アメリカチームで、それぞれ立論させてみた。日本は現状維持、中国はアメリカの影響排除・アジア諸国でまとまっていくこと、マレーシアはさらなるASEAN諸国の経済発展を先進国の協力のもと進めること、そしてアメリカは各国が福祉を増強してそれぞれ経済発展より国民の幸福を追求すべしという立論だった。

なかなか面白い。反駁はアメリカに集中した。(笑)

2017年12月5日火曜日

知立国家イスラエルを読むⅡ

オランダの紙幣となったスピノザ http://www.yoism.org/?q=node/273
「知立国家イスラエル」(米山伸郎/文春文庫)の書評の続編である。第4章にはユダヤ人の優秀性の謎について書かれてある。ユダヤ人が優秀なのはノーベル賞などの人口あたりの獲得数などで実証済みであるが、実に面白い論が載っていた。

ユダヤの律法の体系は膨大であることは周知の事実である。面白いのは、この律法の解釈は極めて自由であることである。ラビは当然いるわけだが、イスラームでは、法学者のみが論議可能なことが、ユダヤ教では一般の信者同士でも論議されるらしい。子供のどんな質問に対しても親は丁寧に答えることを旨としている民族性をもつとのこと。たしかに、内田樹先生のレヴィナス氏に関する本を読んでいて、その議論への執念のようなものを感じたが、ユダヤ人の強さはまさに、この徹底した論議、徹底した真理追究の精神にあるようだ。

ところで、スピノザである。彼がユダヤ系であることは知っていたが、彼の科学的指向が世俗主義をもたらしたという主張があるそうだ。スペインにいたスピノザは現地での宗教弾圧からキリスト教に改宗した。(ウィキの記述ではポルトガル出身で、ユダヤ教徒としてオランダで破門されたとされており、矛盾しているが…。)当然律法を犯したことになるが、スピノザには神からの罰が下らなかったので、ユダヤ人が科学する動きが芽生えたのだという。

なかなか面白い視点である。とにかくも、この自由な議論への徹底した執着こそがユダヤ人の大いなる資質だと言えることは間違いない。

2017年12月4日月曜日

IBTの話(145) INFOデーの日に

INFOデーである。昨日・一昨日とKLCCで大学のインフォメーションをしていた日本の大学が、IBTを舞台に様々な紹介活動をする日である。1年生の私費・国費生も昼から授業も休講になって様々な大学の説明を聞いていた。もちろん外部の方もやってくる。我がクラスからも通訳を引き受けてくれた学生が数人いて、頑張って中国語や英語で担当の大学の説明を行っていた。

私はと言うと、秋田大学や中央大学の先生方と様々な話をさせていただいたが、毎度おなじみの駐車場係が主任務である。今日は曇天で助かったが…。そんな私に、突然日本人会併設の幼稚園の先生が駆け寄ってきた。後でわかったのだが、幼稚園の入り口から私が立っているのが見えて、「サンタクロース」にぴったりの人だと感じられたらしい。(きっと体型だ。笑)昨年のサンタさん役が今年は無理らしく代役を捜していたとのこと。そこで私の写真をこそっと撮って、IBTのS先生に画像を送り、私の名前を聞いて、さらにノリがいいかどうかまで尋ねられたのだという。と、いうわけで、なんとなく19日の日本人幼稚園のクリスマス会でサンタクロース役を引き受けることになった。ちょうど授業もなく、断りようがない。校長やK先生も大笑いで賛成頂いた。まあ、IBTと幼稚園は同じ屋根の下で教育活動をする仲なので宜に断れないわけで…。

そんなこんなのINFOデーであった。

2017年12月3日日曜日

アフリカ学会の抗議文を支持。

日本アフリカ学会の有志が、先日の「なんであんな黒いのが好きなのか」発言に対し、抗議文を送ったという情報が昨日くらいから流れた。しかも現在の日本アフリカ学会の会長は、なんと京大の太田至先生であることを知った。太田至先生の遊牧民の世界の講義は公開講座で何度か受けさせていただいた。私の大好きな先生である。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/02/yamamotokozo_a_23295286/

アフリカ研究に一身をささげてきた先生方にとって、この代議士の発言は到底許すことができないものであろうことは、市井のアフリカ大好き教員の私にも容易に想像がつく。徹底的に、その差別的な精神構造を暴くべきだと思うし、謝罪をさせるべきだ。現在、日本がアフリカに対して、非常な熱意をもって協力していこうとしている時でもあり、認識の低さは甚だしい。

太田先生はじめ、日本アフリカ学会有志の抗議文は、現時点では、学会のHPには発表されていない。私は、このような軽薄な輩が二度と現れないように公に発表されてもいいのではないかと思っている。
http://african-studies.com/

これは、個人攻撃ではない、公僕たる代議士の無理解で差別的な発言への正当な抗議である。というわけで、私は日本アフリカ学会の抗議を断固として支持する。

たとえ、微々たる力しかなくても、一人ひとりがこういう声を上げることが、民主主義社会において極めて重要であると私は思う。
<追記>アフリカ学会有志の抗議文。
https://drive.google.com/file/d/1foWXrJdcOaijTsUk63ekib-eFE9nXyWc/view

100%日系企業 メガネの三城

私の眼鏡は、大阪・枚方の「メガネの美城」で昔々購入したもので、マレーシア・KL、それもミッドバレーのメガモールにも支店がある。パッドというらしいのだが、鼻あてが取れた時も、「日本のミキで買った。」といっただけで、丁寧に直してくれて、しかも無料だった。このところ、眼鏡の座りが悪いなと思ってふと見たら、右側の鼻あてのアーム(パッドアームというらしい)全体が無くなっている。気づくのが遅いことにちょっと歳を感じた次第。

とにかく直してもらいに、妻とミッドバレーに行くことになった。中華系の女性スタッフに相談したところ、結局新しい眼鏡を買うしかないことになった。客への対応は極めて日式(日本的)である。幸い、今日は日本人のスタッフもいてくれて、全く日本同様に検査から遠近両用の調整までしてくれた。新しい眼鏡は1週間くらいはかかるらしい。丁寧な対応に感謝である。

KLに進出している日系企業は多いけれど、日本人社員がどうマネジメントしているかで、大きく違う。メガネの三城は、中華系のスタッフも親切でよく気が付く。(待っている間に妻の眼鏡をクリーニングしてくれし、日本人スタッフは私の眼鏡のフレームもさらに安くていいもの=鯖江産を勧めてくれたりした。)100%日本的で優秀。しかし百貨店のそごうなどは完全にローカル化して名前だけ残っている感じだし、クロネコ・ヤマト・マレーシアなどは日本人マネージャーがベトナムに行ってしまい不在らしく、完全に日系の名を汚している。
ところで、このところ、KLはクリスマスムードである。ミッドバレーも上記画像のような感じ。先日妻と言ったNSK(業務用スーパー)では、極めて中華系のサンタを発見。こういうのもいいやん、と思う。

2017年12月2日土曜日

日経 「時論」から学ぶ。

久々に日本経済新聞の記事についてエントリーしたい。このところ忙しくて目を通していなかったのだが、1週間分自宅に持ち帰ってきた。11月28日の「時論」は、地理学者・ジャレイド・ダイアモンド氏のインタビユーであった。氏の「銃・病原菌・鉄」という本には以前から興味をもっていた。(残念ながらまだ読んでいない。)この記事の中で、私が特に衝撃を受けたのは、中国とヨーロッパの地理的な対比である。(以下抜粋)

中国の沿岸部はなだらかな線になっているが、欧州の地形は半島が多い。だからイタリア、スペイン、ギリシャの各半島は異なる言語を持つ、異なる国家になった。異なる実験が進んだのだ。また欧州は大きな河が多い。それらはアルプス山脈から流れ、ライン川やローヌ川、ポー川、ドナウ川が異なる社会を持つ国家を生んだ。一方、中国には主要な河川が2つ(長江と黄河)しかなく、2000年以上前に運河でつながった。結果として、欧州は政治的に断片化していき、中国は紀元前221年に政治的に統合された。

…この後、中国の統一は強みでもあり、弱みでもあることが語られていくのだが、上記の抜粋部分は、目から鱗の大局的視点であると私は思う。これまで、地理でヨーロッパや中国を語ってきたが、こういう視点はなかった。なるほどと思う。この3月で本来なら定年なのだが、まだまだこういう面白い視点を学生に語ることができるわけで、改めて自分の身の幸せを感じる次第。

ナイロビ キベラの子とも達

車窓から撮影したキベラスラム遠景(2003年)
「子どもたちの生きるアフリカ」の書評第二弾は、ブルキナに引き続き私が実際に経験したケニア・ナイロビのキベラスラムについて書かれた章を挙げたい。大場麻代氏の「スラムで学び、遊び、働く-ケニアの首都ナイロビで」(第5部/都市に生きる)である。著者は帝京大学講師であるらしい。ちょっと遠いが同じ帝京大学グループの一員でもある。(笑)印象に残った内容をエントリーしておきたい。

首都ナイロビの人口はケニアの8%に該当する370万人(2015年現在)、その6割がナイロビの土地面積のわずか5%に相当するスラムに住んでいる、とのこと。キベラスラムはアフリカ最大規模のスラムである。キベラの歴史は、イギリスの植民地政府の傭兵だったヌビア人(現在のスーダン南部に住んでいた人々)に、恩給としてこの土地を与えたことから始まる。土地面積はおよそ2.2平方キロだが、そこに数十万の住民がいる。(この記述は貴重な情報であると私は思う。)

現在の家賃の相場は1部屋あたり500~1000ケニア・シリング(1ケニア・シリング=1円相当)これに電気代が300シリングつくようだ。ちなみにキベラ周辺のアパートを借りたとすると10倍はするらしい。居住者の収入は日雇い労働で1ヶ月3000シリングに満たない者もいれば、公務員で15000シリングの収入がある者もいる。低所得者ばかりというわけではないが、その割合は高い。

…この論文を読むと、私がケニアを訪れた2003年当時より、だいぶ義務教育の無償化が進んでいるようである。しかし、給食は有償だし印刷経費なども徴収するようで、年間2000~4000シリング、さらに制服代(ケニアではイギリス式で制服がある。制服と言うにはちょっといい加減ではあるが、ネクタイやスカート・ズボンなどの色が指定されている。制服を用意できないために小学校に行けなかった子供の話も聞いた。)の負担が500シリング必要になるらしい。とはいえ、公立の学校の就学者数は大幅に増加したが、教育行政がうまくいかず、教育の質の低下が指摘されているらしい。

そこで、民間(私立)の小規模な小学校がスラム内にあって、経費は1000~8000シリングと高いものの熱意をもった教員(公立の教員の1/3~4の給料なので無資格の者も多いらしいが…。)への期待が高く、こちらに通わせる親も増えているらしい。

この後に続くスラムの子ども達の姿に関しては、例によって新刊なのでここまでにしておく。興味のある方は是非とも「子どもたちのアフリカ」(昭和堂)を購入してください。

2017年12月1日金曜日

ブルキナのクルアーン学校

ブルキナファソ/ゴロンゴロンの家畜市の様子
マレーシアでは、今日はムハンマドの誕生日で休日である。朝から、K君の合格の報、さらに渡日中の国立大学受験生のS君から、あるアクシデントの連絡があり、その対応のためIBTに出勤した。とはいえ、今日はイスラム教関連の休日である。
イスラムと言えば、先日、日本で購入した荒熊さん編集の「子どもたちの生きるアフリカ」の書評を書こうかなと思う。荒熊さんの項のクルアーン学校の子どもたちの話が面白かったからだ。
この本には十数編のアフリカの様々な子どもたちの報告が綴られている。凡そ、乾燥地域やサバンナ、都会といった風に風土にそって編集されていて、非常に興味深い。アフリカの多様性を感じるための編集方針だそうだ。

「乾燥地に生きる」の第3章「ストリートに生きる子どもたち-ブルキナファソの最大民族モシ」と題されたものが荒熊さんの論文である。実は、私はブルキナファソに行った時、荒熊さんのフィールドワークに付き添ったという貴重な経験をしている。また以前京都の地球研で研究発表も聞かせていただいている。したがって、およそ既知の話なのである。とはいえ、面白い記述がちりばめられているので趣意で紹介したい。

(ブルキナファソの首都の)ワガドゥグは、ムスリムの通商民族だったハウサの人々の強い影響を受けてきたわけだが、一方で「ムスリムがマジョリティのクリスチャン都市」(文化人類学者スキナーの言)で、とてもイスラーム的とはいいがたい文化的状況を示しているとのこと。
…たしかにビールを出す店が大通りに並び、町の隅々で豚肉を焼く様子が見られる。マレーシアも同様だが、異文化が共存しているのと事情はかなり違う。

…記されているクルアーン学校の子どもたちも実際この目で見た。
彼らは喜捨の受け手であり、大人たちは彼らを忌避の対象としながら、一方でバラカ(祝福)を与えてくれる聖なる存在でもある。ワガドゥグ北部のクルアーン学校のタリベ(生徒)たちは、毎朝決まってガソリンスタンドにやってくる。朝のGSはバイク通勤の多いゆえに人が最も集まってくる場所である。全ての客が小銭を扱い、つり銭が出ることも多いので、喜捨を受けるのに最も都合がいいらしい。回転率がいいのである。説教する大人もすぐに立ち去るとのこと。

このクルアーン学校の子どもたちの行為については、ムスリムの中でも評価が大きく分かれているらしい。本来教育を受けるべき時間に物乞いを行うのは人間の尊厳に良くない、という意見。他方で、イスラームの宗教的要請として物乞いを捉え、言い換えれば仏教における托鉢のような意義をもつという意見があるそうだ。ちなみに、金曜日とその前日である木曜日は、タリベたちは物乞いを行わないらしい。…なるほどである。マレーシアではこういう子どもたちの姿を、少なくともKLでは見たことがない。ブルキナファソとは経済的な立場もあって大きく違う。

…続いてストリートチルドレンの話に移るのだが、新刊だし、多くの方に購入を呼び掛けたいので、エントリーはここまでにしておきたい。
…嗚呼。ブルキナファソの青い空とワガの喧騒を思い出したのだった。

IBTの話(144) 祝 K市外大合格

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朝から、嬉しいニュースが飛び込んできた。K市立外大にK君が合格したのだった。この大学は、前々任校で多くのOGを送り込んでいる。国公立の外国語大学では、およそ全国3番目の難関である。私費留学生の入試では、EJUの成績も全く関係なしで、独自の英語・小論文試験を課し、面接もある。K君は、6月のEJUで、日本語も総合科目も高得点をたたき出したのだが、結局独力で勝ち取ったわけだ。併願を考えていたD大学出願で、アクシデントがあった故に、喜びもひとしおである。

マレーシアからの私費留学の道は険しい。日本国内在住の留学生は、様々な手続きも比較的容易だが、マレーシアからは書類ひとつ送るのも日数がかかり大変である。入学検定料なども、クレジット決済で海外送金が可能な大学もまだまだ少ない。

この後、入学手続き・就学ビザ習得という壁が立ちはだかってくる。IBTは「自立」を教育目標のひとつに掲げている。こういう様々な問題をクリアーしていくために、学生には自立した精神が必要になるからだ。

2017年11月29日水曜日

新しい電子レンジ

日本に一時帰国する前に、我が住処の電子レンジが故障した。動いているのだが、ちっとも暖かくならないのである。電子レンジがないと、お米を炊いた後の残り(適当な分量にわけて冷凍しておくことになっている。)を暖めることが出来ないので、妻は非常に困っていた。大好きな桃太郎の天ぷらうどんを作ることも不如意である。日本から帰ってきて、コーディネーターのJさんに見て貰ったら、「これダメね。オーナーに連絡して新しいの買ってもらうね。」と少しばかり助詞の少ない日本語で答えてくれた。

で、今日、新しい電子レンジが入ったというわけだ。マレーシアのコンドミニアムは、家具や電化製品などオーナーの趣味で揃えられている。これまでは、中国だか台湾だかわからないが、中国語表記主体(一応英語表記も小さく書かれている)の電子レンジで、なんとなくチャチな感じがしたが、今回はシャープである。おお、日本製といいたいところだが、台湾資本になっているし、そもそも生産国はどこだか解らない。(笑)とはいえ、前よりはるかに電子レンジらしい。(画像参照/上にあるのはK先生よりいただいたフィリップスのオーブン・トースターである。)

せっかくなので、最近の生活の改善状況も記しておくことにする。一時帰国した際に、枚方のイズミヤで「のれん」を買ってきた。キッチンの入り口にかけてある。料亭みたいで私は気に入っている。(本日の画像参照)ダイニングテーブルにも、NSK(業務スーパー)で購入した「ランチョンマット」があって、これまた高級感がある。のれんもマットも高価なモノではないが、なんか心が豊かになる。

今日も忙しかった。始業前から国立のS大学の経済学部のための面接指導。面接を受ける本人も大変だが、担任の気苦労も人一倍である。まあ、こういう気苦労こそが担任の醍醐味であるわけだ。そして、様々な気苦労を回復してくれるのは、落ち着ける我が住処という生態系になっている。

2017年11月28日火曜日

IBTの話(143) 偶像崇拝

マスジット・ジャメ http://kuala-lumpur.seesaa.net/article/287197626.html
哲学講義は、A・B両クラスともアリストテレスまで終了した。次はヘブライズムなのだが、4月にすでに教えている。しかもマレー系ムスリムのB組では、釈迦に説法というか、そんな感じである。モーセの十戒のところで、ちょっと私から「偶像崇拝」について質問してみた。(シナイ山を下りてきたモーゼが偶像崇拝するユダヤ人に激怒する話からだ。)

たとえば、「キティちゃんのぬいぐるみは、偶像崇拝になるのか否か」?大多数の学生の回答は、「子どものおもちゃとしてならば問題はない。」…なるほど。ならば、「キティちゃんが大きく書かれたTシャツなどはどうか?」これも大多数の学生の意見は、「普段着としては問題ない。(ただし、彼らはそういう柄の服装はほとんどしない。)」ではと、私が質問した。「マスジット(=モスク)・ジャメ(KLで最古のモスク)の入り口に、人の顔や動物などが書かれた衣服での入場禁止と書かれていたが、偶像崇拝ではないのか?」これに対し、数人の学生の意見。「モスクにおいては礼拝の集中を妨げるが故に禁止されている。」…なるほど。では、「(礼拝中に最も視界に入る)背中にそのような柄があったり、おしりに書かれていたり、靴下の裏なども、そのような柄は禁止か?」「当然である。(笑)」

まるでシャフィーイ派法学のフィクフを聞いているような感覚である。この時ばかりは私と学生の立場が完全に逆転である。(笑)ソクラテスの無知の知を語った後だし、イスラム理解は、疑問点を学生に聞くのが最も早いのだった。

2017年11月27日月曜日

IBTの話(142) 大車輪

EJUが終わっての2週間のスクールホリデー明け初日である。今日は変則的な時間割で、1限目が我が担任の私費生のA組、3・4限目が国費生のB組。今年も哲学講座の開幕である。(以前からの学生の希望である。)センター試験対応ではないし、大学の教養で哲学をとっても差し支えないようにするという程度の基本ポリシーなので、一気に進めていく。哲学の命題は、自然・社会・自己自身という3つあるという話から始めて、1コマだったA組は、ソフィストのプロタゴラスまで、50分多い2コマのB組は、ソクラテスまで終わった。途中、ギリシア神話ではエディプス神話とエディプスコンプレックスを教えたりしたのだった。(心理学をやりたいという学生を減らすために、EJUが終わるまで教えなかったのだ。特に国費生は心理学希望者が多いが、もう既に志望先は決定している。)かなりのスピードの講義ではある。

これに5限目は、日本語の研究発表の準備で、会議のあるK先生に代わって私がA組に入った。入試で日本に行ってまだ帰国途上の学生もいるので、全員が揃っているわけではない。とにかくこれからの準備を進める上での計画を立てさせることを主題にした。特に西郷・大久保・龍馬組などは、かなり日本史を教えておかなくてはならない。少しばかり講義した。かなり大変だと思う。一方、スクールホリデー中の2週間、よく調べてきている班も多々あったりして、なかなか期待大である。特に、新渡戸・杉原千畝班などは、日本語大好きのI君が、私が貸してあげた新渡戸稲造の名著「武士道」(岩波文庫)を読破してくれていたりする。

と、いうわけで、今日は4/5コマの授業だったわけだ。大車輪というタイトルは、そういう状況を表現してみた。

ところで、今日は休み明け故にクラスの学生から様々な報告を受けた。予想外に早く私大の合格通知がきたという嬉しい報告や、一方で書類が間に合わなかったのでD大の受験が不可能になったという心臓に悪い報告もあったし、合格した私大への申請書類の質問もあった。就職活動の報告もあったし、明後日に渡日する国立のS大学に、11月のEJUの結果を成績登録する旨の連絡(国際電話とメール)も送って話をつけた。さらに別の国立のS大学の特別入試が今日から始まり、その指導にも追われた。と、いうわけでゆっくり休憩する暇もなかったわけだ。追い打ちのように、卒業文集や私費生の卒業式の歌の係も決めなくてはならなかったし、日本から妻が送った荷物も届いたりと、いやあもう大変。(笑)

身体は大いに疲れたけれど、楽しい一日だった。妻の手料理に舌鼓を打ちながら、そんな風に振りかえれること自体が幸福なような気がする。