2024年1月30日火曜日

馬場辰猪の不遇

「近代国家を構想した思想家たち」(鹿野政直著)には、よく知った人物も多く描かれているが、土佐藩士で藩から逸材と認められた馬場辰猪(たつい)のことは初見であったので、エントリーしたい。

馬場は、藩からの江戸(東京)遊学で、福沢諭吉の慶応義塾で英語を学んでいる。福沢は、馬場に眉目俊英、気品高潔、文思緻密と最高の賛辞を送っている。1870年、同じくの藩から海軍機関学の修業の名目でイギリスに留学生となる。慶應義塾時代に、哲学や経済学に興味が移っていた馬場は、岩倉使節団來英時に直訴、法律を専攻することと身分を政府留学生に切り替えてもらった。かなり幸運な人である。

満9年にも及んだ英国生活で、英国法の組織や法律家の教育方法の研究、政治家の集会に出席して民衆にとって代議士を有することの利益を観察している。同時に日本人としての意識を強め、在日イギリス人のもつ日本人への偏見や不平等条約の不当性を訴えたり、古事記の英訳とともに、駐米大使だった森有礼の日本語廃止論に対し、近代国語として豊かにすることで母語を通じての国民教育を主張、文法の体型を作り上げようと主張している。勤勉さが際立つ人である。

しかし、その勤勉さは留学生仲間の一人と諍いとなり、傷害事件を起こし拘留され、帰国を余儀なくされた。帰国後は、啓蒙派知識人として活動を開始したが、集会条例や遊説で接した人々の権利意識の未熟さが、直接的な政治活動へと踏み切らせた。1881年の自由党結党では議長、翌年の自由新聞の主筆となる。

馬場の主張の特徴は、多くの民権家が使う「国家」ではなく「社会」という語彙をしきりに使っていることである。彼にとって「社会」は自由を保証する組織であり、「国家」の制度の改革だけでなく習慣(特に封建的慣習)の改革にも目を向けていたわけだ。やがて、民権家の中でも孤立し、板垣の洋行(政府の懐柔策)に反対し、自由新聞を終われ、党からも離れる。
彼は変革の可能性に絶望し、亡命同然に米国に渡るが、生活苦の中、結核で客死することになる。

…なんとも純粋で、優秀な人物。結局のところ不遇をかこった人である。そんな感想を持った次第。

2024年1月29日月曜日

渡辺崋山の悲哀

http://www.bios-japan.jp/omoshiro2.html
「近代国家を構想した思想家たち」(鹿野政直著/岩波ジュニア新書)の最初に、渡辺崋山が挙げられている。三河の田原藩の末席とはいえ家老の出自である。幕末維新に活躍した人物群は圧倒的に下級武士が多い。上士としてすっと浮かぶのは、土佐藩の板垣退助、後藤象二郎、長州の高杉晋作、長岡藩の河井継之助、薩摩藩の小松帯刀といったところ。土佐は、山内氏と長宗我部氏の家臣の軋轢が強く、尊王の志士は圧倒的に長宗我部の家臣だった下士が多い。山内容堂は倒幕寸前まで徳川についていたが、機を見るに敏で板垣らが動く。長州は”そうせい候”の元、自由奔放に志士が動く。家老は何度も責任だけ取らされる。薩摩は、事実上の藩主・島津久光への反発が大きく、斉彬子飼いの西郷や大久保が活躍し、倒幕後最終的には久光を裏切る。藩ごとに事情は違うが、基本的に上士は藩主に対して責任を取ることが多い。

さて、渡辺崋山は聡明な人であり、藩政改革に取り組み、海防掛になった頃から蘭学を学ぶ必要性を感じ、蘭語を学ぶ時間がなかった彼は高野長英らの翻訳書をもとに、外国事情を研究・考察するのだが、これが極めて的を得ている。ここまでわかってしまえば、当時の幕政批判にならざるを得ない。蛮社の獄で繋がれ、後、罪人として故郷で蟄居させられるが、藩主に類が及ぶことを恐れ「不忠不孝渡辺登」(画像参照)という遺書を残し、自害するのである。家老らしい責任の取り方ではあるが、先駆者の苦悩というには、あまりに有能な人故、悲しすぎる結末であると私などは思う。

2024年1月27日土曜日

鹿野政直 アプレゲール

学園の図書館で借りた「近代国家を構想した思想家たち」(鹿野政直著/岩波ジュニア新書)の”プロローグ”が非常に興味深かったので、今日はその内容についてエントリーしたい。
鹿野政直氏は早稲田の教授で1931年生まれ。旧制中学2年生時に終戦という戦後派=アプレゲール(仏語で戦後の意:当時の大人からは、無軌道で無責任、退廃的で享楽的というマイナスイメージの焦点として使われた。)である。当時アプレと略されていたのだが、氏はこの印付けをあえて引き受けて生きていこうとひそかに決意を固めたとのこと。その理由は、戦前の価値基準、特にモラルのドレイと痛感していたが故に、そこから自分を解き放ちたいという想いである。戦前とは異なる戦後をという時代を目指したが、社会を変えようとの志向に直結するものではなかった、とのこと。

すぐ年上には、国家に殉じて「散る」ことを使命とも宿命ともした「戦中派」世代がいた。敬意をかきたてられつつも、その美しさとひたむきさ自体が国家の陥穽(かんせい:落とし穴のこと)に自ら投じる心理を準備するところがなかったかと思い、そこを見つめなければ同じ轍を踏むだろうと自分に言い聞かせ、美しくもなくひたむきでもなく生きるという意味でも戦後派であろうとした。これらのことが、氏を大学進学にあたって国史を専攻する動機となった。

https://hanga-museum.jp/
exhibition/past/2018-341

戦時中、兵士になることを納得させようと努めてきた氏は、しばしば『ピンでとめられた昆虫』を連想したそうだ。後に、「生き身をピンでとめられた存在」(ふるさとの女たち:古庄ゆき子)という記述や「ピンでとめられた芋虫の兵隊像」(画家浜田知明/右記画像参照)に接して思いの外、過剰反応したという。軍が栄光を独占するようになった体制は、どのようにしてつくられ、どのように縛って、自分たちを無力感の虜囚としたのか、その課題への執着が、「近代日本軍隊の成立」という卒業論文になったという。

…我々は、戦後派などより遥かに新しい「紛無派」(安保闘争などの紛争が無い/終わった世代)で、しかも反戦フォークソングではあるが、ソフトなイメージの『戦争を知らない子供たち』を、まだ明石家さんまやオール巨人・阪神が新人の頃のヤング・オーオーというTV番組で聞いていた世代である。(上記の曲はもちろんギターで弾けるが、今は恥ずかしくて歌うことはできない。)”戦争を知らない子供から大人になった”私にとって、戦争はまさに書物の中の世界でしかない。それは幸せなことでもあるが、危険なことでもある。ともすれば、国家の陥穽に陥るかもしれないからである。そんな事を考えながら、加川良の『教訓Ⅰ』を聞きながら、この本を読んでいこうと思う。(久ぶりに聞いたら、ジェンダー的に問題があるよなあと痛感した。昭和の曲なのでご勘弁。)

教訓Ⅰ:https://www.youtube.com/watch?v=FSaMY7TRgFI 

2024年1月26日金曜日

Sang Harimau の執念

https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2024/
01/25/gazo/20240125s00002000675000p.html
サッカーのアジアカップ、マレーシアの代表チームが、残りわずかのところでゴールを決め、3対3で韓国に引き分けた。とはいっても予選敗退なのだが、最後に執念を見せてくれた。マレーシアに滞在中は、サッカーの話題はあまり出なかった。聞くと、「代表チームは実に弱いのです。」と学生たちは言う。代表チームのニックネームは、「マレーの虎」(Sang Harimau:日本語ではハリマオに聞こえる。)と強そうなのだが…。ワールドカップ出場など夢のまた夢で、学生たちは、ワールドカップでは、旧宗主国であるイングランドを応援するらしい。(この辺の気分は、植民地時代、そして独立時とイギリスはマレーシアにおいては、かなりうまく立ち回った故と推察できる。)

「マレーの虎」が話題になるのは、実に久しぶりなのではないかと思う。マレーシアはとにかく日中は暑いので野外で運動などできない。だからサッカー熱はそれほど高くないし、競技人口も少ないのではないかと思う。反対に体育館でできるスポーツ、特にバドミントンは競技人口も多いし、世界でも強豪国のひとつである。前々回のオリンピックの決勝戦の時はフードコートのTVにみんな注目していた。この時は結局銀メダルに終わり、みんな一斉にため息が漏れた。後から聞くと、もし金メダルを取っていたら国中が祭日になるらしい。実にいい国だと思ったのだった。(笑)さてさて、フードコートのTVは、そもそもサッカーの試合を流していたのだろか…。

ONE WORLD FESTIVAL

https://onefes.net/
マレーシアに行って以来8年ぶりに、ワン・ワールド・フェスティバルに行こうかと考えている。もう31回目だそうで、今回は梅田スカイビルで行われるとのこと。大阪プロレスも来るらしい。(笑)日曜日には、ニジェールの講演があるようなので、楽しみ。

2024年1月24日水曜日

中東料理店で意外な発見

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/0f7f7ee6d9a97b43ef536e41d6da83261bb6350b
この日曜日から火曜日まで3日間は、後輩のM君、PBTの教え子L君、そして息子夫婦と来客が続いた。昨日の夜は、息子夫婦と京田辺市にある後輩のM君の自宅のすぐ近くのアラブ料理屋に行ってきた。シリア人の店らしい。ケバブ(ただしビーフとチキンで、羊肉ではなかった。)を食したが、なかなか美味であった。息子夫婦はイスラエルに長く在住していたし、トルコにも長期滞在していた関係で中東の料理には詳しい。

さて、意外だったのが、客が我々以外は、全てアラブ人であったことだ。隣席にはヨルダンの男性が2人。後から来た客もどこかはわからないが中東系。後から聞くと、京田辺の北隣の八幡市に多くのアラブ系の人がいるらしい。この辺は、かなり微妙な話になるようだ。アラビア語が堪能な息子が一切アラビア語を話さなかったのも頷ける。少し調べてみると、八幡市にはモスクがあるようだ。イスラミックリサーチセンタージャパンというらしい。https://www.facebook.com/islamic.reserch.center.japan

近くにありながら、この状況は全く知らなんだ。とりあえず、シリアの人との出会いは初めてなので、「地球市民の記憶」(我がブログの常設ページ)は、106カ国・地域となった。

英国産業革命時の経済成長率

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO72650120X00C21A6BC8000/
1962年、イギリスの経済成長の推計を扱った書物が上梓され、産業革命期のイギリスの経済成長率は思ったより低かったことがわかった。「先生も知らない世界史」のエントリー第10回目は、なぜ低かったのかという話である。(もとより残存するデータは少ないので正確な数値はだせない。)1984年、アメリカの計量経済史家のジェフリー・ウィリアムソンは、イギリスは戦争を遂行しながら工業化を進行できるほどの資源がなかったという結論を出した。戦争により戦費が急増し、クラウディング・アウト(大量に国債を発行したために、市中の金利が上昇し民間の資金需要が抑制されること。)が発生したと主張した。現在の日本でも、国債が大量に発行されているが市中金利は低いので、クラウディング・アウトは起こっていない。すなわち、借金の多さと利子率には直接の関係はない。利子率が高くてもそれ以上の利益率が得られると考えられれば企業は設備投資を行う。実は産業革命時の資金は巨大な資本市場から得たものではなく、家族や友人などから集められたらしい。しかも、戦争の時代、イギリスは島国ゆえに戦場になることはないと考えられていたので安全な投資先で、前述のようにオランダなどから投資が集まっていた。

17世紀の間、イギリスの商品はオランダ船によって運ばれていた。クロムウェルの航海法によりオランダ船が排除されたが完全ではなかった。18世紀になるとイギリス船の比率は飛躍的に伸びたが、それでも経常収支は赤字だった。フランス革命からナポレオン戦争時には、戦費と工業化のための資金不足で、所得税を導入するほどに逼迫したのだが、大陸封鎖令(画像参照)でイギリス国内の外国資本は国内に留まることになり、その資金で鉄・運河・港湾の改善などのインフラ整備に回され、工業も消費財から軍需品生産などの重工業に中心を移した。大陸封鎖令はイギリスにとって、反対に大きなメリットになったわけである。国内的には、海外投資が行われず国内に向かい、富裕層の税負担増とあいまって借金依存度が減り、戦争遂行を容易にしたし、19世紀になると債務国から債権国に成長したのである。というわけで、産業革命期のイギリスは、クラウディング・アウトなど、なかったわけだ。戦争という経済的な負担、大陸封鎖令といった経済封鎖を乗り越えてイギリスは産業革命を低成長ながらも乗り越えたわけで、玉木俊彰氏は、その陰にスウェーデンなど中立国の船をつかった密貿易の可能性を示唆している。

…この戦争と経済封鎖という状況は、当然ながら、違いはあれど、現在のロシアを彷彿とさせる話である。現在のロシアも人手不足による供給減と野菜や果実などの輸入減などでインフレに苦しみながらも、今のところ、低成長ながらまあまあ経済は順調のようだ。

2024年1月23日火曜日

銀と世界の一体化

https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%88%E3%82%B7-133725
「先生も知らない世界史」のエントリー第9回目は銀の話。銀の流通の世界的権威ウィリアム・アトウェルによれば、日本を除けば、世界一の銀生産地域はボリビアのポトシ(画像参照)で、1571~75年の年平均生産量は40148kgだったのが、1591年~95年では218506kgと大幅に増加している。ところで16世紀後半から17世紀前半の中国では銀はほとんど生産されていない。しかし17世紀初頭には、年間57500~86250kgが後述のマニラから流入したとされている。

ボリビアなど(メキシコも銀の生産で有名)の新世界から東アジアに運ばれる銀のルートは3つ。第1は、メキシコ西岸のアカプルコから太平洋を横断して、フィリピンのマニラへ送られるルート。この銀は中国の絹や陶磁器、リネンなどと交換された。第2はメキシコからパナマ地峡経由でスペインのセビーリャへ。ポルトガル経由で喜望峰をあわりインドのゴアへ。ポルトガル人の手でゴアからマカオへ、このルートで16世紀後半から17世紀初頭にかけ6000~30000kgが運ばれた。第3は、セビーリャから、ロンドンやアムステルダムへ運ばれ、英蘭の東インド会社によって東南アジアで、中国の絹や陶磁器と交換するというもの。これらは、主にスペイン船による輸送で、明の鄭和以降中国は海運事業は行っていない故に日本からの銀の輸送もポルトガルやオランダ船によるものであった。当時のマニラは、絹と銀の交換が行われる異文化間交易の中心であった。これでスペインはかなり儲けたわけだ。

やがて銀が中国に大量に流入することになる。16世紀末から17世紀初頭の中国とスペインの金銀比価は、広東で、中国が金1:銀5.5~7であったのに対し、スペインは1:12~14であった。すなわち中国の金の価値のほうが高かった。よって欧米は銀を使用することで安く絹を買えたわけだ。近世においては輸送費が現在より遥かに高くついたので、もし中国が輸送を担っていればもっと莫大な利益を得たに違いない。この輸送をヨーロッパ人に委ねたことも、アジアとヨーロッパの豊かさの逆転、「分岐点」になったと玉木俊明氏は見ている。たしかに銀は世界を一体化したのだが、17世紀の時点では中国はヨーロッパの世界経済に組み込まれたというのは早計で、イギリスの産業革命で綿製品が世界製品となった18世紀後半まで待たねばならないし、従属化はアヘン戦争以後のことになる。

2024年1月22日月曜日

英のライバル ハンブルグ

https://setsu-shika.com/beat.html
近世ヨーロッパにおける自由都市・ハンブルグの重要性について、「先生も知らない世界史」のエントリー第8回目。前述のようにヨーロッパ最大の製陶所を有していたハンブルグには、最終的に多くの地域からサトウキビが運ばれてきた。戦争に明け暮れたヨーロッパで、中立都市であったハンブルグには、アムステルダムやロンドンの商人が避難し商業を営んだ。旧来の商人ネットワークの中心であったハンブルグのライバル関係にあったのは、ロンドン。後背地を控えた首都であり、統合された国民経済をもつ近代的メトロポリスであった。

17世紀のハンブルグの最大の取引先はオランダで1/3を占めていた。しかし18世紀には、現ハイチからの砂糖キビが入る貿易港・フランスのボルドーとの取引が、フランス革命時には25%を占めるようになっていた。17世紀にはオランダからブラジル産の砂糖を輸入してたフランスだったが、ハイチでの生産量が1714年の7000tから、1750年には40000t、1789年には200000tへと驚異的に伸びたからである。中立都市ハンブルグが、ユグノーの亡命先になったのも大きい。ハンブルグは、ルター派にしか市民権を与えなかったが、他の宗派でも商業を続けつことが可能で、オランダが交戦中の時は、スファラディー(元スペイン等にディアスポラしたユダヤ人)がアムステルダムから避難してきたという。またポルトガルやスペインの商人とも深い関係を持っていた。イギリスのロンドンとは相互補完関係にあり、「小ロンドン」とも呼ばれるほどで、18世紀には、イギリスの主要貿易港は、アムステルダムからハンブルグに変わっていたのである。

フランス革命時には、フランスとの貿易(前述の砂糖貿易)は激減したのだが、アムステルダムがフランス革命軍により占領されると、ハンブルグは漁夫の利を得た。しかし、ナポレオンの登場で、ドイツが占領され、中立を認められていたハンブルグも占領され、大打撃を受ける。さらに大陸封鎖令である。1808年ハンブルグの商人たちは、中立国でナポポレン支配下ではなかったスウェーデンのイェーテボリに移動する。

ナポレオンの時代が終わると、ウィーン体制下で、ラテンアメリカ諸国が独立し、スペインやポルトガルの手を離れ、ロンドンやハンブルグと直接貿易をするようになり、ハンブルグは復活した。しかし、中心はあくまでロンドン。ハンブルグはサブシステムとなり、結局のところ、国家を後ろ盾にしたイギリスに商人ネットワークは敗北をきすことになったのである。

…18世紀のフランス支配下のハイチのサトウキビ栽培の驚異的増加には、恐るべき搾取システムが機能していたのは間違いない。でないと現在のハイチのラテンアメリカ随一の貧困状況を説明できないからである。

…イギリスとハンブルグと聞くと、私たちの世代ならビートルズ(画像参照)を連想するに違いない。港町リバプールで誕生した初期のビートルズが、歴史的に関係の深い「小ロンドン」とも呼ばれていた多種多様な商人の溢れる街ハンブルグに一時身をおいたのもようやく頷けるわけだ。彼らにとっては、もちろん稼げるからだったらしいが…。

2024年1月21日日曜日

主権国家と近代世界システム

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57562
「先生も知らない世界史」のエントリー第7回目。主権国家が先か、近代世界システムが先か?という視点についてのエントリー。主権国家=近代国家=領域国民国家であるが、教科書で抜け落ちている部分は、税金との関係であると玉木俊明氏は指摘する。主権国家の領域は、中央政府が税金をかけることができる範囲であるといえる。しかも戦争によって近代が出来上がったと言っても過言ではなく、税金の多くが戦費に費やされた。一般に近世の軍事国家としてプロイセン・フリードリヒ大王の名が挙がるが、軍事大国としての(軍隊を維持する)経済的システムの構築には失敗している。これは自国内に製糖所を建設したのだが、ハンブルグの製糖業との価格競争に破れたからである。

オランダ(画像参照)は最も早く財政制度を近代化した国で、スペインからの独立戦争の戦費捻出(1690年代の国家予算の90%が軍事費)のために重税国家となったのだが、貿易取引には課税せず、経済的繁栄を維持しながら、公債を発行し戦費に資金を回すというシステムを構築した。比較的下層の国民も公債を買っていたという。このシステムこそ近代世界システムなのである。これを継承したのが、国債で戦費を賄っていた前述のイギリスである。フランスの税制は、直接税である地租が中心で、奢侈品に対する消費税中心だったイギリスと好対照で、フランスは戦費調達方法がが前近代的であったため、革命前には財政破綻に陥っていたわけだ。

近世において、ヨーロッパの多くの地域経済を包摂した巨大な経済単位である「世界システム」が機能したからこそ主権国家が成立したと見なすべきで、経済的には、主権国家は世界システムのサブシステムとして機能した。主権国家成立が存続するためには、近代世界システムが不可欠だったいうのが結論である。

2024年1月20日土曜日

世界史の「大分岐」その2

https://tabichannel.com/article/824/antwerp
「先生も知らない世界史」のエントリー第6回目。ヨーロッパが何故アジアより発展したか、についての玉木俊明氏の説が紹介されている。そもそもヨーロッパの方が、アジアより貧しかったという、ヨーロッパ中心の歴史観を覆す必要がまずあるという。ヨーロッパはアジアから香辛料を輸入すしていたが、アジアの方はヨーロッパから輸入するべきものはなかった。しかし、ヨーロッパはそれを克服した。その理由を探ろうというわけだ。

大分岐の第一段階は、最初はベルギーのアントワープ(=アントウェルペン/画像参照)、その後はアムステルダムを中心とする商業情報の発展である。アントワープでは、年数回巨大な市が開かれていたが、商品が増え毎日のように市を開く必要性から、手書きの安価な価格表が登場した。1540年代にアムステルダムに移動したアントワープの商人は、取扱範囲を新世界からアジアにまで拡げ、このアムステルダムの取引所での価格を印刷するようになる。経済学的に言えば、情報の非対称性が少ない社会になったのである。経済活動がしやすい社会とは、人々が市場に参入しやすい社会だといえる。そのような社会がヨーロッパに誕生したことが大きい。

大分岐の第ニ段階は、単純にイギリスの産業革命であると言われていることは認めつつも、もっと長期的な理由を玉木俊明氏は考える。なぜ工業化が推進されたのか?それは、ヨーロッパとアジアの風土の違いである。ヨーロッパはアジアより植生が豊かではない。ゴルフの発祥地はスコットランドのセント・アンドルーズであるが、日本のように除草剤を撒く必要などなく、そもそも雑草が生えない。この植生の貧しさは、生産性の低い小麦・大麦生産と大きく関連しており、カロリー面においてもアジアの米より人口支持力が低いので、人口が少ない。よって、人間は希少材である。アジアでは、人口が多いので安価な労働力を得るのは容易いが、ヨーロッパでは、機械化を推進し、(アジアより)高賃金の労働者の雇用を抑えようとしたといえるのである。

…なるほど、と膝を叩かずにはおれない。エンクロージャー以後、産業革命期の「自由な賃金労働者」の背景はここにあるわけだ。

2024年1月19日金曜日

世界史の「大分岐」その1

https://mag.japaaan.com/archives/57474
玉木俊明の「先生も知らない世界史」のエントリー第5回目。ヨーロッパが世界を支配するようになった「分岐点」について。現在の経済史の論争の種となっているのは、2000年に発表されたケネス・ポメランツの「大分岐ー中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成」における、西欧と中国の揚子江地域、日本(畿内・関東)は平均寿命、1人あたり綿布消費量、識字率などで、ほぼ同様の経済状態にあったが、1750年頃からイギリスで国内の石炭が利用できるようになり、大西洋経済を発展させることが可能になり、資源集約的で労働節約的な(=機械化)経済成長を遂げることができたという説であるとのこと。

面白い数値が書かれていた。1522年から1644年にかけての西欧の書物生産量は約3570タイトルで、同時代の中国の推定値の40倍も多いというオランダの歴史学者の主張がある。清では、1644年から1911年にかけて126000部新版が出版されており、これを年平均に換算すると470タイトル。西欧の1644年の6000タイトルに比べてたしかに少ない。なお、日本の場合、出版点数は1720年代から1815年にかけて年平均300ほど。西欧では、印刷術の改良により書物の価格は安価で、有用な情報を提供しており、アジアよりはるかに知識社会だったというわけだ。玉木俊明氏は、一つの指標から西欧のほうがアジアより進んでいたという単純な歴史学を自分は好まないと書いている。この時代の日本の識字率は西欧より高く、中国の農書を中国人の手を借りずに読解し農業技術を向上させたりしているからだ。(識字率に関しては江戸期の日本:60%に対し、西欧2~30%というところらしい。)…つづく

2024年1月18日木曜日

大英帝国は、蘭・葡の賜物

https://www.tourismmalaysia.or.jp/area/melaka_01.html
マレーシアでも、マラッカは非常に興味深いところだ。そもそもイスラム教に改宗した地であるし、ポルトガル(葡)、オランダ(蘭)、そしてイギリスに支配された歴史を持つ。歴史的な遺産も、かのザビエルがいたカトリック教会(セントフランシスザビエル教会・セントポール教会)やポルトガルが建設したサンチャゴ砦があり、オランダ支配下時代に建てられた教会(オランダ広場の赤い教会で有名だが、当時はカルヴァン派の、現在は英国国教会の教会/画像参照)、さらにはイギリス支配下に建てられた英国国教会も多数ある。玉木俊明の「先生も知らない世界史」のエントリー第4回目は、そんなマラッカの歴史にリンクした内容である。

本書では「近代世界システムーヘゲモニー争奪戦の真実」というタイトルである。米国の社会学者・ウォーラーステインの「近代世界システム」は、欧米の先進国とアジアやアフリカの途上国の国際分業体制であり、このシステムでは、工業・商業・金融業の三部門で他を圧倒する経済力をもつヘゲモニー国家(彼によれば、17世紀中頃のオランダ、19世紀終わりからWW1勃発までのイギリス、WWⅡ後からベトナム戦争勃発時までのアメリカ)が出て、周辺(途上国)と半周辺(他の先進国や中進国)が存在すると言うわけだ。玉木俊明氏は、工業・商業・金融業の三部門で圧倒的でなくとも、時代の変化の中でヘゲモニー国家は他にも存在するのではないかと考えているようだ。

さて、本題。イギリスはいかにしてオランダからヘゲモニーを奪ったのか。オランダはバルト海貿易で穀物をヨーロッパの多くの地域に輸送して、ヨーロッパ内部でのヘゲモニーを確立した。このシステムをイギリスは世界に拡大するのだが、実は、イギリスのヘゲモニーに関しては、オランダとポルトガルが大きく貢献したと考えられる。全て自力で勝つ取ったのではなく、ニ国の成果をうまく利用できたからこその大英帝国なのだというわけだ。

近世のオランダは地方分権的国家で、中央政府は商人の動きをコントロールできるほどの権力がなかった。オランダの商人は国内の利子率が低い故に、有利な投資先としてイギリスを選んだ。イギリスは名誉革命が発生した1688年頃からナポレオン戦争が集結した1815年までフランスと戦争状態にあり、第二次百年戦争と言われる。世界中のマーケットをフランスと争っていた。イギリスは、戦争遂行のため国債を発行し、オランダが購入していたわけで、最初のヘゲモニー国家が次のヘゲモニー国家の誕生を促進したといってよいわけだ。

…フランスが朕は国家なりの絶対主義国家で、ルイ14世が好きなように戦費を取り立てて財政破綻しフランス革命を呼び寄せたのに対し、イギリスは国会が国債の発行を行い戦費を賄った。この国債の返還のためにフレンチ・インディアン戦争分をアメリカ植民地に払わせようとしたので独立革命が起こったのだが…。とにかく、オランダがイギリスの戦争を後押ししたのは事実。フランスのカルバヴァン派・ユグノーが追い出され、オランダに移りゴイセンとなった故に、カトリックのフランスより、仲間のピューリタンや一応プロテスタントの英国国教会の方が味方しやすかったのだろうか。いや、そういう一面もあっただろうが、おそらくは金利という経済的な側面が強いと思われる。

ポルトガルは、ヨーロッパ諸国に先駆けて、武力によるアジア・アフリカの諸地域を征服したので、国家が先頭に立って商業を強化した国家のように思われがちだが、現在の歴史研究動向では、当時の王室の財政は不安定で、政治力も小さく、商人自らが組織化して乗り出したために生じたとされている。ポルトガル海洋王国は、商人の帝国だったのである。そのため、他国に海外領土が征服されてもポルトガル商人の影響力は依然として残った。事実18世紀末までアジアでもっと話されていた言語はポルトガル語だったと言われている。

イギリスは、国家の力で領土を拡大し、大艦隊を有して植民地を保護したので、ポルトガルの商人ネットワークとは大きく異なるが、ポルトガルが開拓した航路を使い、領土を奪った。しかも、1703年のメシュエン条約がイギリスにとって大きな利益を産んだ。このメシュエン条約は、イギリスがポルトガルからワインを低関税(フランスの1/3)で輸入し、ポルトガルはイギリスの毛織物の禁輸措置を解除した条約。ポルトガルはこれによってイギリス依存が強まり、輸入超過となったが、ブラジル産の金をイギリスに渡すことで経済は破綻しなかった。この金が産業革命の資本また金本位制の確立に番っていく。政経で教えるリカードの比較生産費説で、このワインと毛織物の例がよく使われる。

https://gentosha-go.com/articles/-/10314
まさに、ヘゲモニー国家のモデルの提示と英国債を買ってくれたオランダと、航路・植民地開拓とブラジルの金を差し出してくれたポルトガルのおかげ、イギリスはでヘゲモニー国家になれたわけだ。

2024年1月17日水曜日

イタリアは何故衰退したのか

16世紀頃まで、ヨーロッパの先進地域であったイタリアが何故衰退したのか。玉木俊明の「先生も知らない世界史」のエントリーを続ける。フィレンツェなどは毛織物工業が発展し、問屋聖手工業への金融業からの資金貸付などが行われており、産業革命まであと一歩という状況だった、とスウェーデンの歴史家・マグヌソンは言っている。しかし、イタリアは都市国家であり、国家の力が小さく、国家が経済に介入して経済成長を達成することができなかったとも言っている。主権国家は、時に武力を用いて市場を保護し市場活動を円滑にすることに成功したが、イタリアにがそれができなかったというわけだが、違う側面から玉木氏は考察を進める。

まず、金融・保険業から。ジェノヴァで創設されたサン・ジョルジョ銀行が世界最古の銀行と言われているが、為替や貸付、投資機能は大きく発展したものの、信用創造制度は発達しなかった。通貨供給量が増えないという弱点があった。海上保険業も発達していたが、確率論を欠いており、保険率をきちんと計算できなかった。通説とは異なり、イタリアの金融・保険業は決して近代的なものではなく、過大評価しないほうがいいと言うわけだ。海運業も、森林を伐採するとそれまでという資材不足から衰退していく。16世紀末には造船技術でも北ヨーロッパに追い越され、また囚人や奴隷など安価な漕ぎ手でガレー船を運行していたが、供給不足で自由民を雇う流れのなかで、コストが上昇していく。イタリアのそれまでの先進的だった金融業・保険業・造船技術・海運業といった強みがことごとく弱っていったのである。

さらに、近世におけるエネルギー問題では、木炭や石炭が、イタリアでは枯渇状態ならびに非生産であり、それにも増して、人口増による慢性的な食糧不足が発生する。ヨーロッパ全土に蔓延した食糧不足はイタリアでは他地域よりかなり深刻で、北ヨーロッパからの穀物を輸入せねばならなくなった。このことがきっかけで、(地中海の)貿易の海運は、北ヨーロッパ(イギリス/オランダ/スウェーデンなど)に握られてしまい、致命傷となったのだった。

…イギリスがまだヨーロッパの田舎だった頃、貴族の子弟は、イタリアに旅することが流行した。これを請け負ったのが、かのトーマス・クック社(世界最古の旅行会社)である。田舎者が当時最高の芸術に触れ、帰りにフランスでテーブルマナーを学ぶという修学旅行の原点であるそうな。ローマ文明とルネサンスの先進国・イタリアへの憧れは今なおヨーロッパ人の中に存在するに違いない。

…「帳簿の世界史」(画像参照)という本を一時期呼んでいたのだが、ある程度の簿記の知識が必要のようで、途中で挫折してしまった。そこに、イタリアの金融業の話が出てくるのだが、かなりいいかげんな帳簿管理をしていたようだった。それくらいの記憶しかないのだが、イタリアの先進性がことごとく踏み潰されていく様子は哀れだとしか言いようがない。国家統一の遅れも当然重要だが、こういう経済史からの視点は実に面白い。

2024年1月16日火曜日

ヘロドトス「歴史」への懐疑

https://tini18.hatenadiary.com/entry/2022/12/13/005849
倫理では、西洋哲学史を語る際には、ヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教)とヘレニズム(ギリシア・ローマ思想)がその根底に位置する二大潮流だと教える。一神教の概念とロゴス&合理主義がその基盤にあるからなのだが、世界史でも同様に捕らえている場合が多い。

いやいや、オリエント文明こそが古代のルーツであり、ギリシア文明というのは、その末端に位置するものでしかないと、「先生も知らない世界史」の最初の方で玉木俊明氏は言う。ヨーロッパ文明が世界を席巻して、歴史についてもヨーロッパに都合の良い史観が成立しているからで、日本の世界史教科書もこれに準拠しているゾ、というわけだ。

ギリシア文明は過大評価されている。たとえば、民主主義発祥の地だとされている。18歳以上の男子が参加する民会による直接民主制は、女性の参政権はなく、奴隷制度の上に立脚していた。またヨーロッパの歴史学では、アテネ研究がほとんどで、他のポリスの状況はほとんどわかっていないのが実情である。たしかに、他のポリスもそうだったのかは定かではない。

ところで、ペルシア戦争について詳しく記しているのはヘロドトスの「歴史」のみである。ヘロドトスは、この戦争を、ギリシアのポリスが自由を護るため連合して打ち勝ったという視点で書いている。しかし、歴史家の多くは、アケメネス朝ペルシアとギリシア・ポリスの帝国主義的な勢力争いだと見ている。穀物が不足しがちなギリシア・ポリスでは、植民市を地中海各地に配置していた。オリエントを統一した大帝国であったアケメネス朝ペルシアに対して、イオニアの植民市が反乱を起こしたのがきっかけで、「戦闘」が起こった。重装歩兵のマラトン、サラミスの海戦、プラタイアの戦いと勝利し、「戦争」に勝ったとされている。カリアスの和約があったらしいが諸説ある。「戦闘」に勝ったのと「戦争」に勝ったというのは、少し意味が違うというわけだ。

そもそもこのペルシア戦争、ギリシア側には大事件であったが、アケメネス朝ペルシャにとっては、西端で生じた小さな戦争であり、将来に大きな影響を及ぼしたものでない。だが、ヨーロッパ人にとってインパクトが大きく、(ヘロドトスの主張する)自由のための戦いに勝利した、と後世のヨーロッパ人は錯覚した。ここから、自由の担い手はヨーロッパであり、オリエントさらにアジアには自由はないという妄想が染みついてしまった。ヨーロッパ人の「自由」とは彼らに都合の良い観念であり、それを生み出したのがペシア戦争だと言えるわけだ。

…なるほど。高校の世界史は、そういうヨーロッパ史観だけでなく、これまであまり顧みられなかった東南アジア・中央アジア、ラテンアメリカ、アフリカなどの歴史も学ぶようになっている。生徒からすれば、学習範囲がかなり増大したに過ぎないのだが…。

2024年1月15日月曜日

地元図書館で玉木俊明を借りる

京産大の玉木俊明氏の著作は、世界史における刺激的な発見が多い。今回、地元の図書館で「先生も知らない世界史」という非常に挑発的なタイトルの新書を借りてきた。

このところの共通テストで、思考力を問うというコンセプトが強くなっているということは、授業で教えない=学ぶ側も知らないことを問題化するということと言い換えることができる。たしかに、教える側が定期考査や模擬問題などを作成する場合も、教科書にない、あるいは授業ではふれていない資料を使うことになる。それだけ、教える側のさらなる研鑽が必須になってきた、ということである。

地歴にしても公民にしても、現実の世界が凄いスピードで動いており、それらの把握だけでも大変なのだが、教材研究として、地道にこういう刺激的な発見を続けていくしかないわけだ。まさに社会科教師残酷物語であるが、そういう苦悩がまたこの仕事の魅力でもあると私などは思っている。

2024年1月14日日曜日

共通テスト2024 政経

政経の問題も、思考力を問う問題がかなり増加しており、数値を計算する問題も増加してきた。とりあえず、経済の問題から1つ感想を記しておきたい。国内の生鮮野菜の需要曲線が、輸入冷凍野菜の解禁によって、どう変化するかという問いである。そんなに難しい問題ではないと思う。正解は②である。まず、問題文に「生鮮野菜の価格が高いほど冷凍野菜を好んで購入する。」とあるので、③と④は省かれる。生鮮野菜は、冷凍野菜の安さに引きずられていくし、(以前の需要曲線は便宜上45度になってはいるが)生活必需品故にその角度は鈍角になるはずだ。ちなみに、この問題は、倫理政経の試験では省かれている。これから、さらにこういう問題が増えるんだろうなあ。

共通テスト2024 倫理

共通テストの倫理の問題が明らかになったので、今年も講評というとおこがましいが、感想を記しておきたいと思う。まず、全体的には、細かな問題が多く、また選択肢も非常に微妙なものも多い。要するにいやらしい問題が多い。

今年の倫理はこれまで以上に授業のスピードをあげつつ、多くの思想家をやったので、ロールズやマッキンタイヤー、レヴィナスなどの問題にもなんとか対応できるだろうと思う。やっぱりというか今年も倫理政経では省かれていたが、西田幾多郎が出題された。ドイツ観念論のシェリングは、カントからヘーゲルの流れの中でしか説明していない。現場から見ると、どこまで対応せい、と言うのかと感じてしまう。倫理のカリキュラムとして4時間くれるなら別だが…。本当に教科書に準拠した問題なのだろうかと思う次第。

気になった問題はたくさんあるのだが、2題だけ挙げてみる。上記画像は、レヴィナスの問題。正解は①。レヴィナスのいう「他者」は神である。それは生徒たちも理解していると思うが、③と間違いやすい。「異質なもの」という表現に気づいて①を選んでくれていれば、と思う。ちなみに倫理政経の問題では省かれている。
アマルティア=センの問題。正誤を問う問題だが、アが正だというのはわかりやすい。イは実に微妙な表現になっている。開発経済学的に、途上国の貧困は、特にアフリカなどでは農業が主因でこの文章をさらっと読めば正だと思うはずだ。ただし、よくよく問題文を読むと「飢饉に苦しむのは」とある。センはインド人の経済学者であり、インドにおける飢餓は、気候面が主因である。さらにいやらしいのは、最後に「一因」という表現があることで迷いを増幅させる。結局、誤であるわけだが、このような問題が高校生に適切なのだろうか、と現場の人間は思うのである。こちらは倫理政経の問題にも入っている。

2024年1月13日土曜日

日本人選手のヤンキース離れ

https://allgoodpost.com/yankees-logo-by-tiffany/
MLBに挑戦する選手のヤンキース離れが進んでいるように思う。WBCの決勝に先発した今永投手が、シカゴ・カブスに入団した。カブスのほうが年俸的には低かったようだが、ヤンキースを避けた格好である。昔は、伊良部、井川、そして田中マー君、黒田といった日本人投手をはじめ、松井、イチローまで在籍した名門だが、ワールドシリーズMVPで、未だNYで人気の松井以外は、退団に際しては冷淡な対応をしてきたといってよい。特に伊良部や井川にはひどかった。レジェンドであるイチローに対しても、である。もちろん常勝軍団であるゆえに、ファンやNYのマスコミなど周囲の雑音が厳しいのもあるだろう。

今回のMLBのストーブリーグは、日本でも注目が高かった故に、実にバリバリのビジネスであるという現実を見せつけられた。いくら活躍しても年俸との兼ね合いで冷酷に掘り出される、実に厳しい世界である。今永がカブスを選んだ理由はまだよくわからないが、ヤンキースに行かなくて良かったよな、という感想を多くの日本人が感じたのではないだろうか。

2024年1月12日金曜日

オリジナル倫理模擬問題2~5



いよいよ明日は共通テストである。毎年のことだが、社会から始まる。文系の生徒は、9:30~11:40という時間帯で、地歴と公民の2教科受験の生徒がほとんど。だいぶ前に授業で演習したオリジナルの問題をエントリーしたが、残りの4題(2・4と5の後半は政経)もエントリーしておくことにした。いずれもかなり難解。もし、実際の問題と重なったらお慰みだが、まあありえないと思う。(笑)教え子たちの奮闘を願って、明日は祈りの日となる。

ヤットさん 現役引退の報

http://riceballman.
fc2web.com/AA-Illust/
Data/Endou.html
長くGAMBA大阪でMFとして、また日本代表として戦ってきたヤットさん(遠藤保仁)が現役を引退するという報道が流れた。またひとつ、私の青春の思い出が消えていくような寂寥感がある。私は、中村俊輔と共に遠藤保仁が大好きだった。フリーキックやコーナーキックの巧みさは、まさに日本代表の二枚看板。中田のキラーパスは相手の隙を突く凄みがあるが早い。セリエAでは活きても日本代表ではなかなか活きなかった。それに対して、ヤットさんのパスは優しく的確に攻撃陣に吸い寄せられていく。まさに剛と柔。

今の日本代表は大幅に進化し、最強との呼び声もあるが、ヤットさんらに憧れて、今の選手がある。風貌はガチャピン(画像参照)で飄々とした性格で慕われた存在でもある。現役引退は残念ではあるが、あれだけ試合に出て活躍できたので本望だろう。これからはGAMBAのコーチに就任するらしい。

昔は万博東口の素朴な球技場で対浦和戦を見たが、今はパナソニックスタジアム吹田となって、随分立派なスタジアムになっている。まさに時の流れ…。長いことJリーグを見に行っていないけれど、久しぶりに足を運ぼうかなという気になったのだった。

ONE PIECE考 宗教学的考察

https://xn--gck3an4dt260bnjua.
gamematome.jp/game/968/wiki/
ワンピースの世界を宗教学的に考察してみたい。宗教的なエピソードはあまりないが、十字架の存在は目立つ。最強の剣士・ミホークの「夜」は十字架の形状だし、ゾロとの最初の対決で使った小刀も十字架の形状。しかも胸に十字架をかけている。バーソロミュー・くまは、バイブルを持ち、一時期教会の牧師をしていたというエピソードもある。視覚的には、(牧師という名称もあって)プロテスタント教会であるようだ。とはいえ、くまは、太陽の神・ニカを信じていたようだが…。

ワノ国では、仏教的な(タイなどで有名な)灯籠を飛ばす行事が見られるし、破戒僧海賊団のウルージは、イメージとしてインドのカルト集団的な存在である。ワンピースの世界は、決してキリスト教的統一世界ではない。

これらは、物語的には大きな意味はないように思っていたのだが、昨日あるYou Tubeの考察チャンネルで、くまが非道な五老星に対して事実上の娘であるボニーを助けるために爆死し、彼の死によって残された悪魔の実(ニキュニキュの実)がウソップに引き継がれ、その肉球の能力で「復活」するのではないか、というのがあった。うーん、かなり高度な考察である。実際にどうなるかは分からないが、もし「復活」となれば、ゴッドと呼ばれたウソップの本領発揮、バーソロミュー・くまはイエス的な存在になる。くまの悲惨な過去をあれだけ描いたのだからあり得る考察だと私は感心した次第。https://www.youtube.com/watch?v=75E65hrsLfw

もし、このとおりになれば、ワンピース最大の宗教的な「物語」となるだろう。ワンピースは、様々な民族の神話や伝説、民俗学を含む文化人類学的な要素が集積しているので、ありえない話ではない。

2024年1月11日木曜日

ONE PIECE考 世界人気投票

https://animeanime.jp/article/2021/05/06/61173.html
ワンピースには、主人公である麦わらの一味以外にも、膨大なキャラクターが登場する。 原作1000話記念ということで、2021年1月現在での世界投票の結果が上記画像である。(拡大可能)調べてみると、この1000話は、ワノ国編でルフィーがヤマトと邂逅する場面である。ヤマトがカイドウの子供でありながら、その死の場面を目撃し、「おでん漫遊記」を手に入れ、「光月おでん」と自称するようになった旨、また義兄エースとの過去の出会いなどが描かれている。

投票方法は、ハガキまたはWEB。両方できるとあったので、個人がキャラ1人だけに投票するという方式ではないようだ。ある程度の恣意的・組織票的な投票もなかったとは言い難い。まあ、目くじらをたてるほどのこともあるまい。

ベスト10の最終結果は、およそ妥当な結果だったように思える。ルフィが1位なのは主人公として当然。ゾロもサムライとしての矜持と志が魅力だし、事実上のヒロインである3位のナミも、優しく機転が利く両翼の4位、サンジも当然。3位4位はひっくりかえっていても驚かない。5位にローが入っているのも納得である。シャボンディ編以来、一味と関わり頂上戦争後にルフィを助け、パンクハザード編、ドレスローザ編、ゾウ編からワノ国編へと同盟を組んできた。そのシャイなキャラや過去の逸話など実に魅力的に描かれっている。6位のロビンも、アラバスタ編の最後に仲間入りしたものの、エニエス・ロビー編以降、最も仲間を愛している感じが出てきて好感度が倍増しているといえる。7位にはルフィーを愛する女帝・ボア・ハンコック。8位には、ゾウ編・ホールケーキアイランド編、ワノ国編で活躍したミンク族で、可愛さが強調されたキャロットが入っている。日本でより海外の人気が高かったようだ。そして、9位が義兄エース、10位が同じく義兄のサボ。この2人は、物語の脇役ながら、実にいい味を出している。

11位から20位には、15位ウソップ、16位チョッパー、18位ジンベエと一味が入っている。ちなみに、ブルックは26位、フランキーは28位である。これは意外。裏方的キャラにはあまり人気が集まらないらしい。ヤマトが11位なのは、前述のように登場した直後であったことが大きい。実に特異なキャラだし、今なら10位以内に入るのではないか。反対にすでに11位だというのが凄い。登場した時点から時間が経てば経つほどに、人気は薄れていく。今現在なら、過去が明らかになったバーソロミュー・くまが上位に来てもおかしくない。人気投票とはそういうものであると思う。だから、アラバスタ編のヒロイン・ビビは21位だし、魚人島編のヒロイン・しらほしは50位、ドレスローザ編のヒロイン・レベッカも68位だったりするわけだ。

https://onepiec.animepopn.com/926/
…ここからは個人的見解。私が投票するとしたら、(ゾロやサンジは絶対優位なのであえて)一味ではブルック。もうひとり、女性キャラなら、海軍のたしぎ(38位)である。ブルックは、一味の中で裏のMVPのような人物である。戦略・諜報活動に長けており、何より船長を立てて忠義を守っているので、大好きである。たしぎは、メガネをかけた海軍の剣士(刀剣マニアでもある。)で、スモーカーの副長的存在。ゾロの幼馴染とそっくりで、微妙な空気を醸し出している。パンクハザード編では、ナミに許しを請い、子供たちを故郷に返す役割をしている。こういう潔さは、このワンピースの清涼感を醸し出していると私は思う。

2024年1月10日水曜日

「紅の豚」考 左翼の消化

https://www.cinemacafe.net/movies/14610/
You Tubeで、岡田斗司夫の「紅の豚」の深い考察を見た。「紅の豚」は言うまでもなくスタジオジブリ・宮崎駿作品である。この作品は、そもそもJALの国際線での観賞用に作られたもので、他の作品のように子供相手を想定したのものではない。そういう意味で異質な作品であるのだが、私は好きな作品のひとつである。

舞台はイタリア・アドリア海。この作品の背景には、WWⅠで大活躍した多くのパイロット達が反戦ムードの中で失業し、かのサン=テグッッジュベリが「夜間飛行」で描いたような危険な飛行による悲劇が起こっていた時代である。

このタイトルにある「紅」は、左翼の別称を意味している。当時のイタリアでは共産主義者を「赤い豚」と呼んでいた。主人公の通称:ポルコ・ロッソはそのままの意味である。岡田は、この作品は宮崎駿の私小説だと言っている。それは、宮崎駿も高畑勲も学生時代に左翼となり、東映では激しい組合活動に従事していたし、左翼であることは、数々の宮崎駿の発言からも十二分に読み取れるというのが大前提。(詳細はウィキに詳しい。)

主人公のポルコは、WW1でのパイロットたちの仲間に対し、空賊(航空機を使う海賊)の取締を仕事にしている。これは、「夜間飛行」で犠牲となったり、空賊として生き延びている元仲間に対する裏切り行為であるというわけだ。若い頃の左翼思想を大人になってどう消化するか。これが、この作品の隠れたテーマであるわけだ。

この大きな矛盾こそが、(左翼思想を捨てて資本主義の走狗として戦う)JALの国際線に乗るビジネスマンへのアイロニーであり、私小説的に見れば、宮崎駿の左翼に対するスタンスということになる。(宮崎駿は、スターリン主義でも毛沢東主義でもないが、かなり強烈なリベラリストであると言える。)

こういう感覚は、今の若い世代は理解し難いように思える。倫理の教師である私は、左右のど真ん中を標榜してきた。国際理解教育の世界は、どちらかというとリベラル志向が強い。だが、リベラルにも潜む罠があって、我々はうまく乗せられているのではないかという感覚も持っている。宮崎駿同様、軍事、特に航空機に対しての愛着は強いが、戦争には反対である。ただ、憲法論議については、ドグマに陥らない思索が必須だと思っている。

我々の世代には、まだまだ左翼あるいはリベラルな思想を堅持している人が多い。改めて、自らを「紅の豚」と考えているわけだ。ちなみに、豚に対応する人間は、ナショナリズムに埋もれている人を指すようだ。愛国債を買わないかと言われた主人公は、これを人間のものとして拒否している。

もう、右か左かという時代ではなくなった気がする。政治は右も左も利権に走り、まさにチャーチルの言うどうしようもない「民主主義」の様相を呈しているからだ。…結局、暗澹たる末筆になってしまった。

2024年1月9日火曜日

ONE PIECE考 ウソップの存在

https://www.enskyshop.com/products/detail/18541
ワンピースの麦わらの一味の中で、私はウソップを「道化」的な存在と見ていた。ところが、作者によると、一味の中で唯一フツーの人間という位置づけらしい。

たしかに、一味はとんでもなく強い。主人公のルフィーは、言わば、「一途な無謀さ」を体現している。同様の無謀さを持つ義兄弟のエースやサボに「手を焼くだろうが…。」と表現されているくらいだ。(笑)ルフィの格率は、仲間や友達、弱い者を守ることで全てであり、そこには相手が、世界政府であろうと、天竜人であろうと四皇であろうと些かの躊躇もない。そこが常人と異なるところである。もちろん強いからこそ体現できる格率である。

両翼のゾロもサンジもむちゃくちゃ強い。物語が進むに連れさらに強力になっている。ジンベエも強い。元王下七武海である。この4強だけでも凄いのだが、サイボーグであるフランキーも実に強いし、ブルックも護衛船団の元団長、剣士としても一流である。ロビンも戦闘時には、ハナハナの実の能力をうまく使っており決して弱くない。ナミも、昔は弱かったが雷の攻撃がだんだん強力になってきている。チョッパーも変身することで、攻撃力を上げてきた。

そんな一味の中で、唯一段違いに弱いのがウソップである。有能な狙撃手として、時たまいい仕事(エニエス・ロビー編で世界政府の旗を撃ち抜いたり、海楼石の手錠の鍵を一瞬で届けたり、あるいはドレスローザ編で、人間をおもちゃに変えるシュガーを気絶させたり)をしているが、普段は「臆病」を全面に押し出しているネガティブ・キャラである。だが、このルフィーの無謀に対するアンチテーゼが、ウソップの口から出ることで、一般読者にとっては物語が中和されているというわけだ。一般読者が物語に入り込むための装置といっても良い。彼は決して「道化」という位置づけではないわけだ。

私は、ウソップが好きではない。そもそもネガティブな発言が嫌いだからだが、なるほどと思った次第。

2024年1月8日月曜日

「歩」によるチェックメイト

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231219/k10014292071000.html
イエメンのフーシ派による西側諸国の船舶への攻撃が、世界経済に大きな影響を与えている。すでに大手の海運会社が、スエズ運河ー紅海の通行を全面的に中止している。これを、アメリカの某国際アナリストが、日本の将棋で言う「歩」による王手(実際にはチェスの用語を使っている)だと表現したそうだ。フーシ派という一復古主義勢力が、西側経済に大打撃を与えているというわけだ。

紅海が封鎖されれば、アフリカ南端経由になる。この紅海を通過する貿易量は世界の海運の40%と言われており、流通の距離拡大と遅れは、供給に多大な影響を与え、コスト・プッシュ・インフレを発生させるのは必定である。

まだ、ホルムズ海峡の方は問題なさそうだが、日本にとっては生命線が絶たれることになる。イランもロシアも沈黙を守っているが、万が一、イスラエルやアメリカが暴発した場合封鎖されることは容易に想像がつく。そもそもイランは親日国なのだが…。もはやアメリカの属国と化している現在、共に流されるしかない。自らの利権にしか興味のない政治家ばかりで、心もとない。国士はどこに隠れているのか。

2024年1月6日土曜日

もういらない。紅白と万博。

https://jaa2100.org/entry/detail/030396.html
大晦日の紅白歌合戦は、その存在意義を失っているように私には映っている。紅白歌合戦は戦後、国民の士気向上のためNHKが始めたラジオ番組に端を発している。国民的番組となったのは、昭和時代を通じて同様の社会コードとしての意味合いが存していた故である。(当時は歌謡曲が主流であって、誰でもが知っている歌が多かった。)平成時代以降、音楽界のリゾーム化が進み、国民の様々な志向が番組の編成に無理を強いてきた。2023年は、某アイドルグループ集団の事件もあって、さらに視聴率は低下したらしい。そう、もう紅白歌合戦の存在意義は限りなく減少しているのではないだろうか。ちなみに私はもう10年以上見ていない。

ところで、大阪では万博を中止すべきだという論議が湧き起こっている。万博は、近代社会の誕生とともに始まった。ロンドンやパリで、最新の建築技術(ガラスや鉄鋼建築)が発表され、各国が国威を示す様々な科学技術の展示会としての、時代の要請から生まれたものだ。大阪で万博が開かれたのは、高度経済成長期にあった1970年。私は中学1年生であった。このころは、当然簡単に世界的な情報を得ることは書籍等以外ほとんど不可能だった。(TV番組でも、海外ロケなどは少なかった。)だからこそ、万博開催の意義は大きかったと思われる。

初めて万博会場に近づき、三菱未来館を見たときの興奮は、未だに覚えている。10回近く行ったように思う。ちなみに三菱未来館では、3D映像を始めてみた。ソ連館の威容に驚き、アメリカ館の月の石展示に続く行列を横に見ながら、各パビリオンの様々な巨大スクリーンに映る映像に圧倒された。わたしが一番印象に残っているのは、日立館のフライトシミュレーターである。最後の着陸を担当したこともあって大いに印象に残っている。今や、PCのゲームで楽しめるが、当時は大変な技術だった。空港などで珍しくない動く歩道も万博会場で最初に乗って驚いた。また、アフリカ諸国の小さなパビリオン集合体のことも印象に残っている。先進国の巨大パビリオンに比して、なんとも小さなスペース(ほとんど観光案内所という感じだった。)に黒人女性がぽつんと立っていた。この格差に当時中学生だった私は驚いた。1970年の大阪万博は、様々な学びの場となったのだった。

https://hide333a.sakura.ne.jp/expo70_j01.htm
あれから54年。今の中学生が、万博に足を運ぶ理由が見えない。世界各国の地理を知りたければ容易に検索できる。新しい技術が知りたければ、これも検索可能。当時は、世界各国から観光客が来ていて、新鮮に映ったが、今やこれも日常。ほんと、万博の存在意義はないに等しい。

なのに、府政や市政を握る某党は万博を無理やりでも推進しようとしている。財政的にも完全な無駄遣いであり、様々な赤字計上が予想されているのに、である。利権構造上に万博があるのは明らかである。誰のための万博か。…時代とともに存在意義を失ったものは、もういらない。利権が絡むのであればなおさらである。

2024年1月5日金曜日

ONE PIECE考 ユングの老賢人

https://one-piece.com/charact
er/Silvers_Rayleigh/index.html
ユングは、人間の集合的無意識のなかには基本的なイメージの型が存在するとし、元型(アーキタイプ)と名付けている。ワンピースの中で、その元型が最も顕著なのは、老賢人(オールド・ワイズ・マン)である。

まずは、冥王シルバーズ・レイリー。元ロジャー海賊団副船長にして、覇王色・武装色・見聞色の覇気の達人。ルフィが頂上戦争後に修行し実力を一気に上げることができた、師匠である。さらに、ワノ国編で登場したヒョウ五郎親分。ルフィに流桜(触れずに相手の内部を破壊する武装色の覇気の上位)を伝授した。2人共、ユングの老賢人のイメージ(ひげの老人)にぴったりである。

コビーやクザンにとって、ガープ中将も、老賢人というイメージだし、サンジにとってのゼフ、ナミにとってのウェザリアでのハレダス、フランキーにとっての船大工トムも同様である。ちなみに、ゾロにとっての師・ミホークは、老賢人というには若すぎるよな。(笑)

2024年1月4日木曜日

ONE PIECE考 緑牛の台詞

https://renote.net/articles/243243
年末から、You Tubeでずっとワンピースの無料アニメが繰り返し放映されている。時折開いてみているのだが、知らない箇所もたくさんあるのでなかなか有り難い。You Tubeでは、ワンピースの考察したりランキングしたり、読者の意見を紹介するチャンネルがいくつもあって、なかなか深く興味深い。かつてこんな漫画があっただろうか。これから、漫画の上の話であることを前提に、少しずつ私なりの考察をしていこうかと思うのである。

タイトルに「緑牛」とあるのは、現海軍大将・アラマキの通称である。海軍の最高戦力の1人で、もちろん悪魔の実(モリモリの実)の能力者である。ワノ国編が、光月家の赤鞘衆と麦わら一味らの活躍で平和裏に終了しようとしているまつりの夜に、突如登場した時の話である。将軍・モモの助、赤鞘衆そしてヤマトらがその気配を察知、いち早くワノ国を守るべく、緑牛に戦いを挑むのだがほぼ返り討ちにされる。(ヤマトは助太刀をモモの助に阻まれる。麦わらの一味も気づいていたが、あえて手出しをしなかった。)結局、近くにいたシャンクスの覇気に身の危険を感じ逃げ出すのだが、この時の緑牛の台詞が、今日のメインである。曰く「世界政府未加盟のワノ国の人間には人権などない。」という台詞(趣意)である。

私が違和感を感じたのは、台詞の「人権」という語彙である。読者にとっては極めてわかりやすい台詞だが、ワンピースの世界は、世界政府という独裁政治機構が存在し、加盟する国の多くが「王国」である。革命軍が各地で動いているが、民主主義の国は未だ登場していないと思う。よって、人の支配下にあるこのワンピースの世界で、人権という概念は一般的に認識されていないはずである。

別に目くじらを立てているわけではないのだが、大きな違和感があったのだ。だから、どうしたと言われればそれまで。(笑)自由を何よりも重視する主人公のルフィーが目指す物語であるから、さらにその先にある人権がここで語られるのは早急、というだけの話である。

2024年1月3日水曜日

THE ALFEEのこと Ⅹ

https://ameblo.jp/alfee1220/entry-12834495449.html
つらい話題が続いている。ここでTHE ALFEEの年末の大阪城ホールでのLIVEの様子が伝わってきたので、少しだけエントリー。メモリアルの武道館100回公演を終えて、最後の最後は大阪で千秋楽となるLIVE。武道館と同じく、”ジェネレーション・ダイナマイト”で華々しく幕を開けたようだ。もし、私が大阪城ホールに行ってたら絶対感動していたと思う。そして6曲目で”シュプレヒコールに耳を塞いで”をやったようだ。行っていたら、きっと涙していただろうと思う。かなりメタルをやったようだ。曲層の暑さが凄い。アンコールは、アリスの谷村新司への追悼のチャンピオン。大定番の”星空のディスタンス”から"SWEAT & TEARS"盛り上がるだろうなあ。そして、なんと”トラベリング・バンド”「たどりついたぜ大阪」と桜井が歌いあげたらしい。ああああ、無理しても行けばよかった。

地震の次は羽田空港の事故。

https://www.traicy.com/posts/2014121414065/
地震の次は、事故である。昨日羽田空港での、千歳から着陸してきたJAL機と被災地に向かう海上保安庁の機が、管制塔のミスか海上保安庁の機長のミスかで、C滑走の先端でぶつかり炎上した。JALの方は、負傷者が出たものの、全員脱出に成功したのは不幸中の幸いというべきだろう。この辺はさすがJAL。

被災者救援の任にあたって命を落とした海上保安庁の乗組員に深く哀悼の意を示したいと思う。

知事の要請を受け、自衛隊はまず1000人体制で被災地救援に駆けつけている。最大で1万人規模になる見込み。輸送艦も5隻以上派遣するとか。すでに倒壊現場での救援の成果もでている。今朝時点で死者は57人を数えている。まだまだ増えるかもしれない。頑張れ自衛隊。

我が家では、反原発の妻が、志賀原発の地震前の火災事故後に起こった地震故に、かなり心配している。異常なしという報告が出ているが、疑心暗鬼にならざるを得ないところ。…それにつけても、なんとも呪われた正月である。

2024年1月2日火曜日

最悪の元旦、石川県地震。

https://mainichi.jp/articles/20220620/k00/00m/040/050000c
元旦の16:00すぎに、アラームがけたたましく何度もなった。石川県・能登半島の先端を震度とする震度7の地震が発生したからである。枚方も揺れるという予報が入り、気味悪く横揺れが起こった。その後、何度かの余震と津波警報で、アラームは鳴りっぱなしだった。

火災の映像を見て、阪神大震災の神戸市・長田区の様子を思い出した。年明け、それも元旦から被災された方々の痛みは想像を絶する。実は、震源地に近い珠洲市は、高校時代にクラス単独で行った修学旅行先である。輪島や穴水といった地名には、それゆえに馴染みがある。多くのクラスメートも同様の想いを抱いたはずだ。(上記画像は、能登のシンボル・見附島の土砂が崩れた様子。)石川県には、ピーター会のT先生、また新潟方面の三条市にも親友が在住である。震度5強というから、かなりの揺れがあったはずである。

改めて、被災者の方々に心からお見舞い申し上げたい。関係各位のご尽力にも大いに期待したい。

2024年1月1日月曜日

あまり希望のない2024年に。

https://www.pinterest.jp/pin/1040472320141089018/
新年明けましてオメデトウございます。これが日本式の新年の慣例の挨拶であるわけですが、オメデタイと言うには国内外の現状は厳しすぎます。

前回の米大統領選の欺瞞から始まったおかしな動きは、コロナ禍、ウクライナ紛争と拡大し、昨年さらにイスラエルとハマスの泥仕合へと加速していった様に思います。G7諸国の中で、順調な国はひとつもありません。カナダでは、アメリカへの不法移民がカナダに流れ込み大混乱を引き起こしていますし、イギリスではエネルギー問題で苦境に立たされています。ドイツは、中国経済の停滞が経済面で響き、ドイツ銀行が危ないなどという憶測すら流れています。フランスは、西アフリカの旧植民地諸国が二分され、介入せざるを得ない状況にあります。イタリアは最も早く一帯一路に乗ったお陰で経済が低迷、そしてアメリカは、過激な左翼的政策で、不法移民の流入、治安の悪化、民主党支持層と共和党支持層の対立激化が顕著で、内戦化する可能性があります。インフレは収まりつつあるようですが、イスラエルとウクライナのニ面作戦はいかにアメリカといえど負担は大きすぎるといえます。

日本は、そのアメリカに引きずられ、まさに傀儡。与党のP券脱税事件で大荒れの国会の裏側で、日本製の自衛隊用の高性能ミサイルをアメリカが購入、ウクライナに送ろうとしているという報道もあり、武器輸出三原則もクソもない状態です。以前ラジオで原爆投下を涙ながらに批判したダウンタウンの松ちゃんがスキャンダルに巻き込まれたのも今更ながらおかしい話で、国民の目を欺こうとする情報操作の疑いが濃いと思われます。

一方で、中国の経済崩壊は近いのではないかと思われます。このままさらに経済の崩壊が進めば、失うものがない人々は、座して死を待つか立ち上がるかしかありません。目をそらすための台湾侵攻は否定できませんが、リスクが高すぎますし、占領するには輸送用船舶が少なすぎます。BRICS+つながりで、イランと連携してなどという線もなくあありませんが、おそらくイラン・ロシアには武器輸出に徹するような気がします。サウジもここに来て、OPEC+での減産の思惑をアフリカのナイジェリアやアンゴラに反対され、アンゴラは得るものがないとOPEC+を脱退してしまいました。産油国の盟主の影響力低下が見られます。ロシアも、労働者不足からインフレが進んでおり、紛争の影響はじわじわと押し寄せています。

2024年のシナリオは、アメリカと中国どちらが先に崩壊するかといったものかもしれません。暗い話題ばかり書きましたが、未来ある教え子のために、平和を祈り続ける1年でありたいと思います。本年もよろしくお願い致します。