2012年2月29日水曜日

水説「アフリカの資本主義」

毎日新聞朝刊の「水説」に、ダンビサ・モヨ女史の話が出てきた。今日のコラム担当は、潮田道夫専門編集委員である。7日付けのフイナンシャル・タイムズに彼女の寄稿があったらしい。タイトルを今風に意訳すると『アフリカを見れば資本主義が分かる』。中身は、例のデビュー作『援助じゃアフリカは発展しない』のフォローアップというところだとか。アフリカが直接投資によって急速に発展していることを例示し(援助ではなく)むき出しの資本主義こそ発展の原動力であることがいよいよ明らかだと主張しているとのこと。

この投稿より数週間前、ビル・ゲイツ氏が1月26日付のニューヨーク・タイムズに「海外援助の真実」と題して寄稿している。援助の非効率性を避難し役に立たないという人は多い。しかし援助は確実に世界の貧困を減らしている。彼の財団はインドとバングラで洪水に強い米を開発中だが、これが出来れば3000万人が飢餓から救われるという。援助問題は不当に歪曲されている、真実を伝える努力が必要だ、と。

ここで、両者を比較しながら潮田氏は、「市場の論理だけでなく援助の論理でなければ手の届かない分野はある。しかしながら、モヨ氏の主張の力強さは魅力的だ。」と言う。

『先進国が忘れてしまった資本主義を追求する中で、孤立の大陸が繁栄しつつあるのを見ると、苦さとともに甘露の味がする。』とはさきの論文の一説。さんざんアフリカを収奪してきたヨーロッパが今、資本主義の荒々しい精神を忘れ、花見酒の経済に浮かれたあげく、借金地獄にのたうちまわっている。モヨ氏の述懐には多少「ざまあみろ」と言いたげな気分を感じる、とも。

折からメキシコ市でG20が開かれている。欧州危機対策が協議され、中国と日本で何とかならないかという話がでてきている。人を馬鹿にした話で先送りとなった。とは言ってみたものの日本人が、モヨ氏の尻馬に乗ってはしゃぐのも変な話で、資本主義の元気を忘れてしまった点では日本も欧州並みかそれ以上なのだと結んでいる。

…今日の水論、結局「荒々しい資本主義」の活力について語ろうとしているのであろう。なるほど、確かにモヨ氏のいうように、一部のアフリカ諸国で、直接投資が進み、「荒々しい資本主義」が開発を大いに進めている。開発経済学で言う「飛翔」をするためには、それなりにエンジンの回転数を上げなければなるまい。だから私は、この「荒々しい資本主義の活力」を否定するつもりはない。
しかし、私はアフリカの多くの人々が求めているのは、荒々しい資本主義そのものではないと思うのだ。それ以後も見据えた開発、持続可能な開発こそアフリカが求めているものである。私はそんな風に感じた次第。

2012年2月28日火曜日

昭和天皇 第三部 読後メモ

文春文庫の福田裕也「昭和天皇」第三部を読み終えた。いやあ、暗かった。これが第一印象である。昭和初期の経済不況による暗さが、昭和の始まりから血盟団事件までのこの巻に鬱積しているといってよい。例によって、様々な視点から昭和天皇とその時代を詳細に描いている。今回のエントリーも印象に残った箇所をメモしておきたい。

天皇は、四方拝を始めとした神事を行っていることは有名だ。私は長い間、新嘗祭にまつわる農事もその延長線上にあると思っていたが、天皇が田植えや稲刈りを行うということは、昭和からのことだった。侍従次長(当時の皇太后付)の河井弥八が提案したものらしい。豪農の生まれで内務省に入った人物だが、その父は地元農民の利益を訴え続けた人物で田中正造が1カ月泊まりがけで応援演説をしたという。当時、皇太后は、昭和天皇の家族的な皇室改革(女官制度をなくしたこと)に対し、批判的で、皇太后と天皇の対立をさける意味合いもあって、牧野伸顕内大臣も賛成した。もとより、生物学者であった昭和天皇は喜ばれたし、明治以来(最重要輸出品である)養蚕を続けてきた皇太后も喜んだわけだ。(この養蚕・絹布を織りあげることは皇后によって今も続いているという。)初めての田植えは、昭和2年6月14日午後1時30分のことであった。

F・ルーズベルトが、ニューヨーク州知事に立候補することになった理由の話。共和党のフーヴァーと闘う民主党の大統領候補アルフレッド・スミスが、同日選だったニューヨーク州知事選にF・ルーズベルトを担ぎ出すのである。このスミス、アイリッシュでカトリックで不利だっただったのだ。その担ぎ出し方が凄い。秘書との愛人問題で離婚の危機にあった妻のエリノアに頼むのだ。離婚しないでほしいという義母と参謀のハウに懇願され妻の座にいるだけだったエリノアがYESと言えば出馬することになると。大統領候補は、ルーズベルト家の事情を読み切っていたのである。

ご成婚7周年にあたって、昭和天皇は恐慌下にあることから一切の祝賀行事を止めさせた。しかしごく内輪の内宴を行う。女官や侍従が模擬店を出して興じるというもので、武官はうどん屋を出した。この時、不器用な手つきで、うどんを茹でていたのは、終戦時の陸相で切腹した阿南惟幾であった。(ちなみに彼の息子が、以前駐日大使になっていたのにはびっくりした記憶がある。)

三月事件、十月事件が挫折した後、陸軍大尉だった秩父宮(昭和天皇の次弟にあたる)が、参内し昭和天皇に「御親政が必要です。」と言ったらしい。「必要とあれば憲法を停止していただきたく存じます。」天皇親政のもと、憲法を停止し財閥の活動を抑制し、農民の生活を向上させ、産業を労働者本位に振興して、庶民生活の基盤を整えていただきたい、と訴えた。昭和天皇は声を高くして、「宮は何を学んできたのか。憲法停止などと口にする軍人がいるとは、朕は想像したこともなかった。汝は皇族ではないか。皇族たる身分の本分、帝国軍人たることの責任を全く学んでいないのではないか。明治さまが定められ、守り育ててきた憲法を停止するなどと。」「陛下、帝国軍人と仰りますが、その内実は空(から)も同然です。兵の、その家族の窮状は言語を越えております。在営中に姉が、妹が、酌婦、芸者に売られてしまう。そのような地獄を味わった兵に国のために死ねというほどの偽善、欺瞞はありますでしょうか。」…やり取りは激烈であった。明治維新以来、有力な皇族同士が、ここまでもはげしく議論したためしはなかった。それはまた国論の分裂と迷走を象徴するものだった。

…この第三章も、様々な人物の名前が出てくる。現代史の教材の宝庫だった。今回も当然、その全てを伝えられない。興味のある方にはお勧めの一冊である。

2012年2月27日月曜日

3.11 空気を読んだ航空管制

朝日新聞HPより
今朝の朝日新聞の一面を読んで私は思い切り驚愕した。3.11の震災直後、羽田空港と成田空港が閉鎖され、この2空港に向かっていた86機が他空港へ着陸したのだが、うち14機が燃料不足で「緊急事態宣言」を出していたことが国土交通省への取材でわかったという。この「緊急事態宣言」というのは、トラブルによる着陸の優先権を得るために出すのだそうだ。専門家によると、燃料不足で14機もの「緊急事態宣言」が出たと言うのは、他に例がないのではないかと言っているそうだ。

日本という国は、もう少ししっかりしていると私は思っていた。この国に危機管理能力はあるのだろうか。そう憤懣をぶつけるしかないではないか。たしかに原発に関しては、全く初めての事故であり、よくわからなかったというのも理解できないことはない。とはいえ、アメリカの専門委員会の報告のニュースや、議事録をとっていない(とっていても出せない。)という馬鹿げたニュースを聞くと、あいた口がふさがらないが、少なくともこの航空管制の話よりは若干マシだ。86機。大変な数のようだが、誰かが一元化して責任をもって指揮をとればもっとスムーズに運べたはずだ。一人で全部指示する必要などない。有能な部下に、さっさと割り振ればいいだけのことではないか。燃料きりきりで航空機が目的地に飛ぶはずはない。およそ馬鹿な指示によって、右往左往させられて燃料を無駄に使わされたんだろう。

昨日のエントリーと重なるが、空気を読むこと(人間関係を重視すること)は、危機管理には有害である。危機管理はサバイバルゲームなのだ。責任感の強い者が勝つ。人命を守るの前に空気を読むことに精力をかたむけてどうするのだろうか。

これまで、私の経験した教育現場でも、そういう危機管理的なことはあった。そんなときにその人の人間力が解る。逃げたらアカン。何度そうつぶやいたことか。

このニュース、今さら出てきたわけだが…あらためて思う。教育の場で、単なる競争原理によって秀才を輩出しても、人間力がなければ危機に際してクソの役にも立たない。本物を育てなければ…。私が、担任になると指導するキーワードはただひとつ。『責任ある行動をとれ。』…毎回これだけだ。そこに全てが凝縮されている。

http://www.asahi.com/national/update/0227/NGY201202260029.html

2012年2月26日日曜日

日本人の空気を読む能力

Air IN ?
昨夜、TVで「たけしのニッポン人白書」という番組をやっていた。その感想をちょっと書き留めておきたく思った。バラエティとはいえ、それなりの学びがあったからである。

どうも日本人は島国に住む単一民族(あくまでステレオタイプ的に言ってしまったが…)故に、『空気を読むこと』を非常に大切にしているらしい。(笑)友人が2人で話しているところに、うまく空気を読んで会話に入ることを、若い人たちは”Air IN”と言うらしい。なるほど。こういう能力に欠けていると、人間関係がうまくいかない。在日外国人も、”はじめにコトバありき”ではない、そういう日本で暮らすことの難しさを語っていた。『人間関係』の重視も大きな日本人のキーワードだ。

人間関係を重視するあまり、日本人は常に責任回避の罠に陥る。個人攻撃をさける故である。個人主義より集団主義。これはメリットとなる場合もあるが、デメリットの場合も多々ある。先の震災の原発事故への対応など、世界からかなり奇異な目で見られたはずだ。この辺の話は私も、常に意識していたので、そう目新しいものではなかったが、次の『不安』というキーワードは面白かった。

日本人は、世界中で最も『不安』を感じる民族なんだと言う。これを科学的に立証しようとした企画では、日本人ネグロイド(黒人)とコーカソイド(白人)のグループで、不安を感じる割合を測定しようとする。さらに、DNAの解析を行うのである。日本人は、世界的に見ても『不安』を感じる割合が遺伝的に高いらしい。これは、アフリカから人類が分かれ、空間的にも時間的にも、かなりの苦労の足跡を経たからではないか、という仮説も紹介されていた。なるほど。では、南米のインディオはもっと『不安』感が強いのだろうか?(笑)

異文化理解を常に考えている私などからすると、DNA分析という視点が実に新鮮だったのだ。

さて番組の最後に、先の大震災で宮城県で罹災した旅行中のドイツ人家族を救った日本人の姿が紹介されていた。大いなる美談だが十分ありえることだ。津波の際に自己犠牲を貫いた男性や、避難所で献身的な対応をしてくれた男性にも、温かく迎えた若い家族にも、私は日本オリジナルの朱子学的なモノの考え方を感じたのだった。

そう、空気を読む能力は、ちょっと理気二元論的ではある。(笑)

2012年2月25日土曜日

「偶然のザイール河」田中真知

道祖神のDODOWorldNews2月号が届いた。今回の特集は、田中真知(男性である。)氏の「偶然のザイール河」というエッセイである。田中真知氏は、『アフリカ旅物語』(中南部編と北東部編)で知られる作家である。私も以前読んだ。現在もカイロに在住している。この『偶然のザイール河』、短いが、なかなかの名エッセイである。話はカイロのフランス文化センターで見た短編のアニメーションから始まる。

『結婚した若い二人が小さな丸木船に乗って旅立つ話だった。舟を漕ぐ二人の前に様々な困難がふりかかる。嵐、巨大な魚の襲撃、不和や不信、悪魔の誘惑、あげくの果てには互いに殺し合いそうになったりもする。やがて二人は年老いて、平和な日々がやってくる。二人は舟を漕続ける。そして、ある穏やかな夕暮れ、夫が静かに水に飛び込む。舟のまわりを気持ちよさそうに泳ぐ夫に、年老いた妻が舟上から微笑む。満ち足りた表情で夫は、長旅をともにしてきた妻に別れを告げ、水中に沈んでいく。』

この記憶が遠く響いたのかもしれない。と、田中真知夫婦は、コンゴ川(昔旅した記憶からあえてザイール河と旧名で彼は呼ぶ。)を、同じように丸太舟で旅するのだ。初日の上陸から蚊の大群に襲われたが、流域の村々では数々の親切を受ける。この旅で、彼が最も感じたのは、そういうのどかで牧歌的な暮らしが、偶然の死と隣り合わせだということであった。村を訪れると、大抵病人に引き合わされる。外国人なら薬を持っているだろうと思われていた。マラリアや風土病で、子どもたちは簡単に命を落とす。そうした「気まぐれなふるい分け」を宿命として受け入れる、それがここで生きるということだった。

そういう偶然の死は彼らのそばにもあった。妻がマラリアを発症した。持参の薬で助かったが、なくしたり、盗まれたりしたら確実に命にかかわった。降雨によって増水した河は洪水のような濁流となる。岸辺にいた村人に、雨だと言われて村に接岸して助かった。偶然の死のかたわらに、偶然の生が存在していた。

26日間の旅を終えて、田中真知氏は、体力と精神力を思い切り無駄使いした愚にもつかない旅だった、と思う。『もう二度とこんな旅はできないことはわかっていた。そう、もうこんな幸福な旅はもう二度とできないのだ。死ではなく、偶然の生をもたらしてくれた丸木舟に、僕たちは別れを告げた。それは自分たちの「若さ」と呼ばれるものとの明らかな決別でもあった。』

…そうなのだ。齢を重ねてこそ知る「若さ」というものがある。でもいいなあ。到底今の私たち夫婦には絶対出来ない旅だ。とはいえ、フランスのアニメーションのような旅を私たちもしているような気がする。いつか、私も妻に感謝しながら水中に沈むんだろうなあ。いやあ、いいエッセイでした。

2012年2月24日金曜日

ブルキナファソの「牛丼」追記

ブルキナのありし日の孤児施設にて 右がIさん
昨日のIさんのTVのことを書いたエントリーには、今現在106件のアクセスがある。それだけ多くの方がIさんの戦いを見てくれたのだと思うと嬉しい。民放的な演出過剰の部分を差し引いても、なかなかいい番組だったと思う。私は、これまでIさんのことを何度か書いてきた。よければ見ていただければと思う。

ブルキナの赤い土1(2010年4月7日)
ブルキナの赤い土2(2010年4月11日)
ブルキナのサヘルで井上陽水(2010年4月17日)
ブルキナの赤い土3(2010年5月27日)
アルジェリアのらくだは旨いぞ(2010年7月27日)
私はアフリカに人間を見に行く(2010年9月26日)
ブルキナの赤い土4(2010年12月12日)
教え子の友人ブルキナへ(昨年2月27日付)
檄!教え子の友人ブルキナ行(昨年4月4日付)
49ersとブルキナの地図炎上(昨年4月29日付)
ブルキナのIさんTVに再登場(本年2月5日付)

「理想に生きることをやめた時、青春は終わる」私は、この毎年卒業生に贈る言葉を、今は無き「和が家」の壁に書いた。Iさんの所望だった。ブルキナに来た日本人の落書きでいっぱいにするのが、当時のIさんの希望だったのだ。Iさんの青春は、まだまだ続いている。私も負けてはいられない。

追記:Iさんのブログが再開した。「西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし」
http://blog.goo.ne.jp/burkinaoyaji

2012年2月23日木曜日

ブルキナファソの「牛丼 」

Iさんの孤児院のあった村で
ブルキナファソのIさんの番組が今終わったところだ。私も開店前にペンキ塗りを手伝った居酒屋「和が家」も、開園目前だった孤児施設も、昨年の軍の暴動騒ぎで失われたことを知った。現金を持ち逃げした信頼していた友人…、彼のことだろうか、いやあの人かもしれないと、想像してしまう。なんということだろう。

ところがどっこい、Iさんは、サンドリン(私がブルキナに行った時は家政婦さんだった。その後和が家の中心スタッフになった。良く笑う未婚のママさんだ。Iさんからしたらブルキナでの娘みたいな女性である。)たちと、ワガドゥグの町で小さな牛丼屋を開くことになったのだ。

今回の番組は、ちょっと民放くさい演出もあったけどそういう新たな再起のドキュメンタリーになっていた。感無量である。また孤児院のための新たな土地を無料でいただけたらしい。Iさんが財産を失っても、ブルキナの人との友情は変わらない。それが何より嬉しい。

Iさんの生きざま、そして友情に篤いブルキナベ(ブルキナ人のこと)…。久しぶりにTVを見て泣いたのだった。

2012年2月22日水曜日

雑誌 PEN を読む

先日妻のメールに、息子から「PENという雑誌でエレサレムの特集をしているから買うように。」という連絡が入った。私が京大の公開講座に行った日曜日に妻とランチをした際に買い求めた。もちろん初めて買う雑誌だ。おちついたなかなか高級そうな雑誌だった。630円。

特集の内容は、ほぼ知っていることばかりだったが、カラー写真も綺麗だし、うーん、行きたいぞ、エレサレム。(急に宮田珠巳風になってしまった。)アブラハムがイサクを犠牲にしようとした岩を中心とした嘆きの壁と、岩のドームを見たいのはもちろん、聖墳墓教会もダビデの墓も見たいし、ヴィア・ドロローサ(イエスがゴルゴダの丘に向かった道)も歩きたい。最後の晩餐の部屋も残っているし、イスラエル博物館もホロコースト博物館にも行きたい。

今回は、専門家の息子がいるので、ユダヤ教の様々なモノが展示されているイスラエル博物館では、ニューヨークのユダヤ博物館のように、英語の長文読解が必要ない。すぐに説明してくれる日本語ガイドがいる。(笑)実は妻も詳しいので、基本的な説明抜きで、ズバッと説明してくれるだろう。写真も撮れそうだ。

こんな雑誌を見ていると旅情が極めて強く刺激される。うーん。なんとしてもエレサレムに行きたいのだった。そうそう、息子夫婦に妻をまかせて、私はどこか一人歩きをしたい。うーん、バックパッカーの血がさわぐ。オーソドックス・ジュー(正統派ユダヤ人)の町に潜入したいぞ。

ところで、明日は前期入試である。雨の音がする。午前中は学力テスト、午後は体力テストである。グランド、だいじょうぶかなあ。

2012年2月21日火曜日

Ameba ピグライフの社会学

スタートのオーバーオールとチョコレートの服
妻とAmebaのピグライフを楽しんでいる。我が家で今インターネットにつながっているPCは1台だけなので、おそらく休みの日など数十回ももユーザーの切り替えをしていいる。(笑)こういうのを「はまる」と言うのだろうか。先日(2月14日付ブログ参照)、「ピグライフの経済学」と題して書いたが、今日は「社会学」と題して書いてみたい。ピグライフは、庭いじりというか、庭造りというか、様々な作物や草花を作って、料理を作ったり、裁縫で洋服をつくったりできる。庭も様々に個性的に飾れる。生産性拡大のために、他の参加者の手伝いも行われ、仮想世界のコミュニケーションがはかれるわけだ。

この他の仮想世界においては、個性ある匿名性のアバターが自分を全て代理する。アバターの顔や髪の毛などは自分で好きなように製作できるので、全く別の人格を作成できる。個性豊かなアバターも多い。ただ、ピグライフ(庭を中心とする世界)では、服装(靴・服・帽子)などは最初の設定が決まっていて、これを変えるのは、クエストと呼ばれる一定期間内のイベントをクリアーすることが必要になる。これによって、この仮想社会には、一定の格差が生じるのである。すなわち、当然のことであるが、長らくこのピグライフに参加し、一定のレベルに達している参加者は土地も広いし、様々なスキルを駆使して早くクエストをクリアーすることができる。
前回のバレンタインデーのクエストは、チョコレート色の靴、服、帽子、クリアー記念の庭の飾りの順で4段回に別れていた。自分の庭を離れて、水やりの仲間を探しに広場などへ行くと、どんどんチョコレート色の服、帽子をかぶっているアバターが増えていく。(笑)

ある意味、ちょっと怖いのだ。全参加者が、同じ目的に向かって走っているのである。極めてパラノな社会構造なのである。新参者も、その波に乗れるようついつい頑張ってしまう。他の参加者の庭を見たりすると、あこがれを感じてしまうのだ。(笑)

自分の個性と、パラノな全体性のバランスがうまくとれているからこそ、このAmebaのピグライフは成功しているのだろうと思う。

ところで、Amebaには、どっちが表なのか裏なのかわからないが、PIGGと呼ばれる様々なコミュニケーションの場所(カジノや浅草、北海道、競馬場やお風呂もある)が設定されている。こちらは個性満開。ただし、服装やアクションをさらに個性的にしようとすると、うまくお金がかかるようになっているので、私と妻はあまり参加していない。ときどき覗くだけだ。(笑)

この仮想世界をもとに「社会学」の論文を書いても、きっと面白いものができると思う。学生諸子、いかがかな?

2012年2月20日月曜日

日経の高校教育の記事を読んで

南北貿易ゲームに興じる
今朝、日経の「高校の課題を聞く」という続きもので、『勉強しない学力中位層』という国立大財務センター教授(中央教育審議会委員)の金子元久氏の署名記事を読んだ。金子氏は、高校教育の最大の問題点は、中位層が勉強しないことである、と指摘されていた。おりしも東大の9月入学が論議され、国際的な競争に打ち勝つために、必要な施策は何か、秋田の国際教養大学の学長が様々な提言をされていた。その後ろに、こういう記事が載っていたわけだ。…うーん。

昨年まで、私は秋田の国際教養大学に生徒を送るような学校にいたわけだが、今年は金子氏のいう「学力中位層」の学校にいる。正直、金子氏の指摘するように、本校生も「生徒や保護者のアンケート調査」によると、普段「自宅学習」をほとんどしないという生徒が多いらしい。今日も私の学年末試験があったのだが、たしかに勉強不足だなあと思ってしまう生徒もいる。

中位層の学校でどう育てていくべきなのか。金子先生は、「グローバル化が進み、本来中位層の高校生が就職していたような職能が、どんどん海外に移転している。中位層の子たちは、これからどうしていくのだろうか。」という危機感をもっておられるのだ。この話、私はよく理解できる。

いうなれば、上位層はいい。競争社会でもまれ、パラノに頑張ればいいわけだ。私の経験からも、阪大や神大に現役合格するような優秀な子は、どんな教師が指導しても自分の力で伸びていく。中位層の子は、そうはいかない。激励し、うまくもっていけば難関私大にも合格するし、ほおっておけば、どんどん学力が落ちていく。基礎ができていないのなら、基礎を固める必要もあるだろうし、向学心を植え付けるために様々な授業の工夫も必要だ。

今はまだ金子氏の意見に答えることはできない。ただ、理屈ではなく、現場の実践で答えるしかないと私は思っている。来年度1年担任になれたら、現代社会という2単位もので、倫理をやろうと思っている。全ての社会科の基礎として、異文化理解のための基礎知識が絶対必要だと私は思っている。中学校の社会の焼き直しではなく、高校の社会って面白いな、と学習意欲の低い生徒にも思わせたい。(今年の世界史Bは、それだけはほぼ成功したようだ。)これまでの前任校で使っていたプリントでは、正直きびしい。難しすぎる。もっともっと書きこみを増やし、手も、頭も、口も動かして参加できる授業にするために、先週からコツコツと準備しだした。これもなかなか楽しい作業だ。まだ見ぬ生徒の顔を想像しながら…。

2012年2月19日日曜日

4月 エチオピアコーヒーの楽しみ

昨日の京大公開講座の時に、センター長の重田先生より2つの案内をしていただいた。1つは、昨年の大震災で延期になっていた「アフリカ研究はアフリカの危機にどう対処するか」というフォーラムの案内である。全て英語で行われるらしいが、内容はものすごく面白そうだ。この24日(金)のウィークデー開催である。手帳を見たら、本校の入試の二日目(本校では体育科・武道科の実技試験が行われる。)である。あちゃー。どうにもならんがな、とがっくりしたのだった。
もう1つは、重田先生が関わっておられる日本ナイル・エチオピア学会の公開シンポジウムである。「エチオピアのコーヒーをたのしむ」と題して、アジスアベバ大学の教授の講演「遺伝学からみたコーヒー」(同時通訳あり)や、京大の伊藤先生の発表もある。エチオピアの村や街角に見られるコーヒーの画像も是非見たい。しかも休憩時間には、本場のコーヒーセレモニーの実演もあるらしい。こちらは、少し先で4月21日(土)である。申し込み不要、参加無料ということで一般にも参加しやすいシンポジウムになっている。私としては行く気まんまんである。

2012年2月18日土曜日

京大アフリカ研'12公開講座2月

雪の残る京大稲森財団記念館
毎回楽しみにしている月イチ京大の公開講座の日である。シリーズ「出会う」の第2回は、近藤 史(ふみ)先生の『暮らしを守る女性の知恵に出会う』。南部タンザニアの高原の村に住む女性たちの話だった。近藤先生は農学部出身で、学士時代はジャガイモの研究をされていたのだが、原点に立ち返りたい、生活に密着した農業について学びたいと、遠いアフリカに志をいだかれたそうだ。アフリカ地域研究科に進まれてから、美しい棚田をつくる人々に魅かれ、タンザニアへ。どうも語学に難があったらしく、男性より女性の輪の中へ入るよう指導教官に言われたことが今回の研究の出発点だと大声で笑われた。(笑)

タンザニア、イリンガ州キファニャ村。この地に長期滞在して、女性の暮らしと農業について調べてみると、男性は現金収入を得るため、製材や建築など多岐にわたる職業についていた。食糧生産は女性の仕事になっていたという。この村には植民地時代にオーストラリアから移入されたモリシマ・アカシアという有用な木(成長も早く、薪や炭にも使え、枝葉は焼畑に使う)が多い。その植林地を焼畑にし雨季の畑とするそうだ。シコクビエを1年目、トウモロコシを2・3年目に植えるらしい。共に成長するアカシアが大きくなる4年目はもとの植林地となるそうだ。要するに植林しながらの農耕というわけだ。

さてさて、この村には谷地(やち)の畑がある。雨季に降った天水が地下水となり、谷地を乾季でも潤す。村の夫人たちは、男たちに酒を振る舞うことで協力も得て、この谷地に排水溝をほり、乾季でも農耕が可能な畑をつくったのだ。「婦人の畑」「ママの畑」と呼ばれるこの谷地の畑では、暮らしに密着した農耕が行われている。日々の食生活を豊かにしたい婦人たちは、様々なアブラナ科の葉菜類(キャベツ、西洋アブラナ、ダイコン)をはじめ、カボチャやジャガイモ、サトイモや、焼いて食べるためのトウモロコシなどをつくる。どこに何を作るか?婦人たちは様々な試みを繰り返しながら、作物の生育ステージをずらし、乾季でも毎日新鮮な葉っぱをGETするのだという。これらは自家消費するだけでなく、ちょっとした現金収入にもなる。村のキオスクに置いておき、店の人に勝手に売ってもらい、そのお金で塩や石鹸などをその店から購入するという。

この谷地畑の最大の特徴は、インゲンマメを乾季の最も高値の時に収穫できることである。彼女たちは、そのへんを良く心得て、品種別に収穫・乾燥・脱穀を行い、商品価値を高めたうえで、都市からくる商人に販売する。もちろん、携帯電話も使い、価格動も調べているそうだ。(笑)

このような村の生活は、いわゆるウジャマー社会主義政策で、集住化が進められたことで、従来の焼畑だけではが食糧の確保が危ぶまれたことに由来するらしい。1996年以後経済の自由化以降、マメの生産が大きな収入源となった関係で、この谷地は面積も拡大し、化学肥料も使用されるようになり、かなり商業的になっているわけだ。とはいえ、この村の婦人たちは「効率」より「多様性」を求めている。儲かるマメだけ作るより、いろんな野菜を作って食生活の豊かさを得る方がいいと考えている。楽しみながら稼ぐし、いろんな試行錯誤も面白いと考えている。仲間との協力も、自然で、無理のない”つきあい”なんだそうだ。

…始めてアフリカを訪れた時、女性の働く姿ばかり目にした。頭にバケツを乗せ運んでいる女性。国道で野菜などを売る女性。男性はどこで働いているのだ?という感覚を持った思い出がある。近藤先生に質問したところ、タンザニアにも買婚のシステムは生きているそうだ。しかし、ウジャマー時代に男女平等が謳われ、10軒ほどの最小単位の行政区で夫の暴力行為が起こったら、酒20ℓとニワトリ1羽を全員に振る舞って、妻にワビを入れるんだとか。離婚したら、元妻の半径1m以内に近づけないとか、面白いルールもあるようだ。

…(国内の食糧生産における)商業的農業を、無理なく、自然に、そして明るく楽しくやっているという婦人の話。そのおかげで、男性の働く製材業なんかも機械が導入され、持続可能な発展が進んでいるようだ。…なんか、ほのぼのとして、希望のもてる話だったのだった。やはり、アフリカに学ぶことは多い。近藤先生、貴重なお話ありがとうございました。

2012年2月17日金曜日

マダガスカル 最小のカメレオン

朝日新聞の今日の朝刊に面白い記事が載っていた。マダガスカルの北部の島で、体調15mm、くるりと巻いた尾っぽまで入れて全長30mmの新種のカメレオンが発見されたんだとか。食糧が少ないと動物は小型化するらしい。それにしても凄いなあ。餌は何なんだろう。カメレオンは、だいたい虫を長い舌でつかまえて食べる爬虫類だけど…。

世銀が、昨年6月に生物多様性保護を目的に5200万ドルの融資をしたそうだ。政変で混乱しているマダガスカル。南部ではイナゴの大量発生で殺虫剤が大量にまかれたこともあったようだ。

商業主義的に売買されることなく、マダガスカルでひっそりと暮らしてほしいと思うのは私だけだろうか。
http://www.asahi.com/science/update/0216/TKY201202160554.html

2012年2月16日木曜日

結局「後漢」で終わった世界史B

韓信の股くぐり
2単位ものの2年生の世界史Bが、5クラス中3クラス終了した。結局、「後漢」まで行って終了したのだった。超スローレッスンである。(笑)
と、いうのも中国の風土、とりわけ農耕地帯と遊牧地帯の関わりをまずきっちりとやった。(1月7日付ブログ参照)この構造を理解しないと中国史はわからないからだ。
殷、周、春秋、戦国と歴史的な事項を追うわけだが、易姓革命的な思想を殷と周のところで語った。周のポイントは、封建制という政治制度と、宗家・宗法という中国の伝統的なしきたりである。どうも中国を国家として見るのは無理がある。中国をヨーロッパと比較して教えてみた。ヨーロッパをある程度統一できたのは、ナポレオンとヒトラーくらいだ。地方で分立している姿こそがフツーだと言って良い。春秋時代と戦国時代の相違を宗家・宗法という視点で語る。分立していても一応のタガがあった春秋時代と、それさえはずれた戦国時代。この辺が中国史の面白いところだ。

春秋時代とくれば、諸子百家である。普通はさらっと流すところだろうが、倫理の教師としてはそれでは物足りない。儒家と道家にしぼって話すことにした。孔子、孟子、荀子。老子、荘子。仁の意味や、四端の心、五輪・五常。無為自然、無用の用。胡蝶の夢。日本の多重性の文化構造にも触れて、朱子学の理気二元論も説明した。漢文などでは習うらしいが、私はこれくらいの中国思想は最低限の教養だと思う。

一方、故事成語もこの辺が起源のものも多い。呉越同舟や臥薪嘗胆。秦の終わりには、項羽と劉邦の話から四面楚歌や乾坤一擲、韓信の股くぐりや陳勝のコトバなど。国語の授業で意味だけ教わるより世界史でやった方がいいと私は思う。京劇の紹介もした。虞美人草など、教養として知っていて欲しいと思うのだ。

秦がなぜ国家統一できたのか。ちょうど古代の技術革新期で辺境にあったことが幸いした。農業生産の拡大が容易だったからだ。人口支持力の拡大が、人口増、軍事力の増大へと結びついていくのである。こういう唯物史観的な視点も重要だ。

秦は法家で理論武装し、焚書坑儒した。秦を倒した劉邦とその一味は道家を好んだが、武帝の時代になると儒家が官学になる。王莽は、宗家が違う故に皇帝位を禅譲されたが、新という別の王朝を作ることになったが、そもそも周への回帰を訴えた儒家だった。こういう変遷も興味深い。

中国の王朝のつぶれ方の法則のようなものがある。宦官と外戚の横暴により中枢がマヒする。遊牧民の侵入。最後の決め手は農民反乱。全部が当てはまらないこともあるが、だいたいこういううカタチになる。実に面白い。

そんなことをやっているうちに学年末考査になったという次第。まーいいか。世界史受験希望者には春休みにガンガン補習するつもりである。

2012年2月15日水曜日

スティグリッツの補習やっと終了

「スティグリッツの入門経済学」の補習をここ2週間以上、 毎日放課後に1時間半から2時間やってきた。授業を3~4時限やった後で毎日続く補習というのは、教師歴32年の私にとっても初めての経験で、正直きつかった。

「スティグリッツの入門経済学」は、たしかに大学で経済学を学ぼうとする学生には、なかなか良いテキストである。最後の今日の補習は、インフレーションと失業がテーマの最終章である。おりしも、今日の各新聞の朝刊の一面は、日銀がインフレ目標を1%としたというニュースだった。こういう現実的な経済問題をこのテキストは、多く取り入れている。経済学的見方をほぼ身につけてくれたN君は、このインフレ目標1%の目指すところ、予想されるメリット、デメリットを回答できた。と、いうわけで私は満足である。

高校生にはさすがに、このテキストは難解だ。なぜなら経済学の法理・法則というのは、現実の様々な「経験値」と、関連する「知」がないと、うまく理解できないからだと思う。3年間クラブに頑張ってきた本校の生徒は、そういう「経験値」と「知」に欠けるのは、仕方がないことだと思う。だからこそ、こういう補習が有効なのだろう。当然、文学部出身で、系統的に経済学を学んだ経験がない私にとっても、大きな経験となった。しんどかった分、大きな自信になった。そういう機会を与えてくれたN君に感謝したいと思う。「共に学んだ」日々であった。

ところで、武道科のS君が難関私立大のR大学に合格したとの報が入った。4回受験して全て合格だったとか。夏休みから、コツコツ政経の補習をしてきただけに、本当に嬉しい。教師冥利につきる1日だった。

2012年2月14日火曜日

Ameba ピグライフの経済学

うちの牛の名前は「どら猫大将」のチューチュー。
このところ、Amebaの庭造りを夫婦で楽しんでいる。自宅のPCが1つなので、とっかえひっかえユーザーを切り替えて、自分の庭に行っている毎日だ。最近は息子夫婦もイスラエルでやっている。変な家族である。アバター(自分のキャラ)を使って挨拶したり、コメントも出来るので、日曜日の朝(日本時間)など、息子夫婦と息子の庭で会話した。奇妙な仮想世界である。

このAmeba ピグという仮想空間には、それなりの経済学があるようだ。メンバーは、自分の限られた土地に、任意に畑や果樹を植えることができる。また牛乳や卵、綿花を生産する家畜も育てることができる。様々な野菜や花、果樹等が用意されており、レベルに応じて植えれる種類が設定されている。単に植えているだけでは収穫量は最小単位だが、水をやると生産性が上がる仕組みだ。この水やりや土地の開墾の労働は、レベルに応じて制限されている。ただし、5分ごとに1労働単位が回復される。時間軸で、この庭は支配されているといってよい。作物も収穫可能になる時間が異なる。イチゴのように5分間で収穫可能なものから、植えて収穫できるのに3日かかるものまである。

生産性をあげるには、土地を広げること(なかなか大変である)、水を何度もやることが必要になるわけだ。さて、そうなるといくら暇でも、(作業時間を無視した場合)最大1日に288回が限界である。ここに、他のメンバーとの交流という発展性が生まれる。マルシェ、裁縫通り、ガーデンといった多くの仮想空間が設定されており、自由に行き来できる仕組みがある。ここで、自分の庭に水やりに来てくれるメンバーを探すのだ。勝手に手伝いに行くことも可能。履歴が残るので、時間差で水やり交流も生まれる。このようにしてさらに水やり回数が増え、さらに生産性が拡大するわけだ。(交流数が多くなるとレベルがあがり、植えることができる草花の種類が増えたりするし、他のメンバーの庭を見るのもなかなか面白い。)

一方で、メンバーが生産性を拡大する動機となるような、様々なイベントが用意されており、レベルに応じて庭で作る作物を指定されたり、生産した作物を使って料理を作ったり、作りたい服など裁縫をしたり、交流を促されたりする。

もちろん、自由度が高いので、そういうイベント(経済学的に言えば政府の政策かな。)に参加しないのも自由だが、イベントをクリアーすると様々なアイテムがもらえたりするので、これが各メンバーの利潤追求の動機となることは間違いない。

このピグライフを経済学的に本格的に解析すると、きっとおもしろい論文ができると思う。(笑)

今日はバレンタインデー。チョコレート色の帽子がもらえるイベントの期限は、明日朝10:00である。かなり難しいイベントで、条件をほんとんどクリアーしているのが、チャの木の新芽が1枚足りない。明日の朝、出勤前に収穫できるかどうかにかかっている。うーん。

追記:Amebaのメンテナンスもあったので、妻が私に代って、頑張ってくれたのだが、結局手に入らなかったのだった。うーん。

2012年2月13日月曜日

聖餐のパンとブドウ酒の話

ディーリック・バウツ 聖餐の秘跡
佐藤優の「はじめての宗教論・左巻」を、相変わらず読んでいる。主なる内容は、非キリスト者である私などには難解なシュライエルマッハーの神学の講義なのだが、時々内容に関係して横道にそれる。それが、なかなか面白いのだ。
日本のプロテスタント教会の中で、今激しい議論になっているのは、聖餐のパンとブドウ酒を洗礼を受けていない人に対して行って良いのかということらしい。佐藤優は、儀式は信者だけに限られると言う立場をとるのだという。重要なことは、この聖餐のパンとブドウ酒という象徴のもとで、キリスト教が歴史的に何を行ってきたかということをきちんと押さえることだと、佐藤優は言う。

カトリック教会では、洗礼を受けていない人にはパン(ホスティア:イースト菌が入っていないのでウエハースのようなものらしい。)とブドウ酒を飲み食いさせることは絶対にありえないそうだ。これは、実体変質説という考えに基づいていて、パンはキリストの本当の身体、ブドウ酒は本当の血に変わっていると考えるからである。パンをもって帰ろうなどする輩がいれば、キリストの身体を穢そうとする者かもしれないので、神父は羽交い絞めにしてでも持ち帰りをゆるさないのだという。またカトリック教会は、ようやく最近になってブドウ酒を飲ませるようになった。12世紀あたりから、信者の手が震えてこぼしてしまうおそれがあったので、ブドウ酒を出さなくなり、信者の方も冒瀆にならないようブドウ酒を辞退するのが普通になっていたらしい。

英国国教会(アングリカン)では、ブドウ酒を大きな杯に入れて出すそうだ。カトリック教会と同じく実体変質説をとっているので、飲み残すことはできない。最後に残った分は牧師が飲み干すらしい。参加者の読み違いがおこると、無茶苦茶大変らしい。

改革派(カルヴァン派)の中でも、ツヴィングリの系統は、パンとブドウ酒は単なるシンボルと考えている。(象徴説)それに対してカルヴァンは、信仰をもって口にしないとお腹をこわすという立場だった。信仰があれば、それは自分の血となり肉となる、そういう形でキリストの血と肉を実感するのだと言ったらしい。一方、ルターは佐藤優によれば、もともとずるいから混合説をとる。半分はパンで半分はキリストの肉、半分はブドウ酒で半分は血がブレンドされているという解釈だとか。

倫理の教師から見れば、なかなか面白い話である。

追記:アフリカネイションズカップは、ザンビアが勝ったらしい。今頃大騒ぎだろうなあと思う。(ザンビアの桐生先生、現地報告を期待しています。)

2012年2月12日日曜日

コートジボワールの国民国家化

SONYの『世界遺産』、今日はケニアのトゥルカナ湖をやっていた。なかなかいい。ナイルパーチのでかさなど、ビデオにとっておきたい内容だった。(だが、我が家にはそういう電化製品がない。笑)
ところで、産経新聞のWEBニュースで、『サッカーと独裁者 アフリカ13カ国の「紛争地帯」を行く』の書評が載っていた。ちょうど、アフリカネイションズカップの決勝戦に合わせてだと思う。私の応援していたニジェール(本年1月3日付ブログ)もブルキナファソも全敗で決勝トーナメントに進めなかった。決勝は、ザンビアVSコートジボワールである。
http://members.jcom.home.ne.jp/wcup/AfricaNationsCup2012.htm

決勝に進んだコートジボワールのことが、上記の本にこう載っているらしい。「サッカー強豪国となることで国家の統一を実現することが出来たコートジボワール」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120212/bks12021208000011-n1.htm

私は、ふっと思い出したのだった。今は大学3回生になっている前任校の英語科3年の生徒たちに地理演習(2単位)で、本格的なWHE(世界遺産教育)をやったことがある。WHEは、様々な取り組みがある。世界遺産そのものを学ぶことが主流のようだが、私は世界遺産を「通じて」学ぶことを主眼としたのだった。世界の危機遺産リストから、その原因を導き出しながら、生徒にアフリカの危機遺産の1つを選ばせたのだった。彼女らが選択したのが、コートジボワールの「コモエ国立公園」であった。密猟、過放牧、管理の欠如などによって危機遺産指定された世界遺産である。ここで、アフリカ開発経済学と合体させたわけだ。

彼女たちは、様々な質問を私にぶつけ、話し合い、このコモエ国立公園を危機遺産から脱するための方策を考えた。最後は入試直前となったため、きっちりした文書には残さなかったが、彼女たちが考えたコートジボワール版のPRSP(貧困削減戦略文書)のようなものができた。面白かったのが、近代国家論から、コートジボワールの国民国家化をはかるのに、サッカーを利用するというのがあったのだ。政府がナショナルチームを強化することで、国民意識を強くする、と言うのだ。その時、私は高校生らしい意見だなあと微笑んだのだった。ところがどっこい、コートジボワールでは、本当に国民意識を強めるためにサッカーは役だっていたのだった。

この『サッカーと独裁者 アフリカ13カ国の「紛争地帯」を行く』という本、面白そうだ。ちょっと高いので、すぐ手が出ないが、アマゾンで中古本が出る頃注文しようかなと思っている。

2012年2月11日土曜日

ワン・フェス2012 その3

ワン・フェスから1週間である。ちょっとブログに書いておきたいことがあったので、「その3」として記しておこうと思う。毎回毎回、ワンフェスでは、散財するのである。連れて行った生徒にエスニック料理をご馳走したり、教材のためにアフリカ関係の民芸品を買ったり…。それも毎回の楽しみである。

今回も、ザンビアの染物を2500円で買ってしまった。ザンビアの染物はタンザニアのティンガ・ティンガ風でありながら、ちょっと素朴。私のお気に入りである。ティンガティンガといえば、今年もまたサンジバルで頑張る柔道家の島岡さんを支援するNGOのブースで、ティンガ・ティンガのデザインのマグカップを1500円で買った。OGのG君も同様に買っていたのがおかしい。「こんなん買ったんですよぉ。」と見せてくれた。(笑)

今回、おもしろいものが手に入った。しかもタダである。これを是非とも紹介したい。「その1」にも少し書いたが外務省のブースで手に入れたODAシールである。JICAの教員研修旅行でケニアに行かせてもらった際に、何度も見たシールで、要するに、『この物品は日本のODAによるものですよ』という印なのだ。ケニアは英語圏なのでJAPANなのだが、その他の言語のものは始めてみた。授業で絶好の教材になると考えている。外務省のブースでは、『ありがとう』を他言語で言って、ポラロイドカメラで写真を撮って、その写真を張り付けたカードに、震災への支援へのなんらかのメッセージを残すというイベントをしていた。私は当然スワヒリで「アサンテ・サーナ」にすると言った。(笑)カードには、以前書いた(昨年3月31日付)ケニアの寒村からの豆支援についてコメントしたのだった。すると、スタッフとじゃんけんして、勝ったら民芸品がもらえて、ハズレがODAカードなのだと言う。「勝ったら、ODAカードを5枚欲しい。」と言って無理やり了承させたのだった。(笑)翌日、前任校のU先生を外務省のブースに連れて行き、同様の方法で、このシールをGETさせることに成功した。こういうシールが、開発教育の教材になるとは、外務省は思いもよらなかったらしい。U先生も無茶苦茶喜んでいたのだった。ところで、今日の画像の下の地図もWFPのブースで、100円で手に入れた最新版の飢餓状況の地図である。U先生は、自分のクラスと隣のR先生のクラスの分も買っていた。私も自分のクラスが出来たら、ザンビアの染物とともに教室に貼ろうと思っている。いいなあ、担任は!

ところで、このODAシール、英語、フランス語、スペイン語、アラビア語そしてもうひとつはポルトガル語だと推測するのですが、間違っていましたら是非ともコメントで指摘してください。

2012年2月10日金曜日

佐藤優「はじめての宗教論」左巻

佐藤優の「はじめての宗教論」、右巻を読んでだいぶ経つ。右巻が書店でなかなか見つからないので、しびれを切らしてアマゾンで購入した。コツコツと読んでいるのだが、今日の帰宅時になかなか面白い個所を見つけた。

バルト神学で有名なカール・バルトは、火宅の人だったという事実。キルシュバームという未亡人の看護婦をモノにして、「こいつがいないと俺の研究が出来ない。だから今日から家に住まわせる」と奥さんに言って、自分の寝室の隣に彼女の部屋を作って、夜中でも何か思いつくことがあったらすぐ筆記させるという生活を送っていたのだという。日本では、バルトは神格化する傾向が強いので、この話は封印されていて、ブッシュという人が書いた「カール・バルトの生涯」という本の中には「キルシュバームが来たことによりバルト家には大変な試練がもたらされた。」と二行くらい書かれているらしい。彼女は最後には精神病になってしまい、『教会教義学』は完結できなかった。最終巻には、奥さんのネリー・バルトに捧げるという献辞が書かれているらしい。(P96)…凄い話だなあ。佐藤優は、「相当ヘンじゃないと良い哲学や神学は出てこないのでしょうと」述べている。

と、いうわけで、カントの話も出てくる。カントは生涯独身であったが、その理由は女性のスポンサーが複数いたかららしい。結婚するとスポンサーの数が減るので、あちこちのスポンサーの家に行って面白い話ばかりしていたらしい。カントが生真面目というのは大うそで、彼の論考の中には、女性のストッキングは、黒の方が興奮するとか、そういう話も出てくる。なかなかハンサムでモテたらしいのだ。(P98)

象徴と本質は一致しない話の例として、鳩の話。鳩は平和の象徴だと言われているが、実際の鳩は、コンラート・ローレンツの『ソロモンの指標』によると、きわめて攻撃的で、鳩どうしの喧嘩というのは残虐極まりないとある。たとえば、鷹は自分たちのクチバシがいかに危険か知っている。だから同族どうしで喧嘩しても、致命傷をおわせるような攻撃はしない。それに対して鳩は突いて突いて、相手がボロボロになるまで攻撃し、殺した後もなお攻撃するそうだ。(P100)

…なかなか面白い話である。授業では使いにくいものもあるが…。佐藤優の本は、視点も面白いが、こういう意外な話が満載なのでついつい読みたくなるのである。

2012年2月9日木曜日

知的構想力という武器で戦争?

龍谷大学の松井堅一名誉教授が、今日の日本経済新聞の経済教室(このところ、エネルギー問題論が続いている。)で、こう書かれていた。『グローバル化とは、知的構想力という武器を使った戦争であり、厳しい弱肉強食の世界に行き着く。』…思わず手帳にメモしてしまった。

東大が9月入学に向けて動き出し、旧帝大系の大学を始めとして、多くの賛同を得ているようだ。…私は悪くないと思っている。ふと、そのことが脳裏に浮かんだ。「知的構想力という武器を使った戦争」…日本の知的構想力の強化のために9月入学という構造的再構築が必要だということではないだろうか。

ところで、戦争の主体は、個人なのか、あるいは国家なのか…。おそらくは、「個人」なのであろうと私は思う。先日書いた『新しい中世』論によると、「近代国家」はすでに解体されつつある。

国家が「知的構想力」のある戦士を育成し、彼らが成功することで、格差を認めつつ弱者にも利益を配分する。いずれ、そうなるのだろうか。いや、すでにそうなっているのかもしれない。

2012年2月8日水曜日

マリのトゥアレグ人と「 MNLA」

ブルキナの北部・サヘルに近い村にて
痛ましいニュースである。マリのトゥアレグ人の武装集団『アザワド開放国民運動』(MNLA)が、北部で反政府活動を活発化させているらしい。MNLAは、アルジェリアのアルカイダ系組織『イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織』の支援を受けており、しかも、昨年のリビア内戦でカダフィ側についていた民兵が武器を持って帰還し、合流したという。すでに難民が生まれ、ニジェールに1万人、モーリタニアに4500人、ブルキナに1500人移動したと赤十字国際委員会が報告している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120207-00000070-mai-int

実に痛ましい。私は、ブルキナのサヘル(サハラ砂漠の南縁)地帯で、トゥアレグ人と出合ったことがある。彼らのターバンも所持している。ほんと素朴な人々である。難民の多くは、家畜とともに移動したのだろうか。牧畜民であるトゥアレグ人にとって最重要な家畜を連れての移動だと私は思うのだ。私の訪れたサヘルの村は、なんとか牧畜をやれている、という感じの村だった。ちょうど雨季だったので、そう感じたのかもしれない。人間が生きるうえでは、かなり厳しいところである。そんなところに難民が家畜を連れて入ってきたら、またそぞろ揉めるのではないだろうか。ゴロンゴロン(ブルキナの北部の町)に住むトゥアレグ人の長が、すでに調停に向かっているのかもしれない。

マリ、ニジェール、ブルキナの三国はHDI(人間開発指数)で世界の最底辺を争う国々である。様々な政治的思惑が、貧しくも普通に生きる人々の生活を壊す。これが私には痛ましいのだ。今日の画像は、サヘルに近い村で撮った女の子たち。彼女たちは今どうしているのだろうか。心配である。

2012年2月7日火曜日

アマルティア・セン氏の来日

日本経済新聞を今朝読んでいて、ハーバード大学のアマルティア・セン教授が来日していることを知った。今日・明日と開かれる「世界文化フォーラム2012」の総合議長をするそうだ。開発経済学を多少かじっている私からすれば、たとえノーベル経済学賞受賞者であることを差しい引いても、ビッグネーム中のビッグネームである。今日の記事は、日経記者によるセン教授へのインタヴューであった。タイトルは、『市場経済の価値 不変』これを読んで、特に意外だなという感想はない。セン教授は、「市場を飼いならす」という立場で、公正な分配(特に途上国の貧困撲滅)を主張しているのであるから当然だろうと思う。特に、以下の発言は、セン氏らしい。

『必要なのは市場と公的セクターの役割をうまく融合することだ。例えば市場が関知しない起訴的な教育、保健医療サービスなどは政府が提供しなければならない。市場を安定させるためには金融機関の活動に一定の制限を加えることも考えるべきだろう。何でも市場原理で自律的に回復するわけではない。』

要するに、「市場を飼いならせ」と言っているのだ。記者は、「記者の目」で、『セン教授は、グローバル化が「生活条件の大きな進歩につながっている。」と述べているが、一方で必ずしも貧困者の利益につながらない現状を率直に認めている。インタヴューでは経済格差を是正する有効な手段には触れなかった。民主主義と市場経済に代る新しいシステムが見えない限り、貧困という不正義の解消策は大きな課題として残る。』と批判的なコメントで締めくくっている。
http://www.nikkei.com/news/interview/genre/article/g=96958A96889DE1EAE4E0E2EBE7E2E2E5E2E0E0E2E3E09494E3E2E2E2;p=9694E3E3E2E1E0E2E3E2E7E4E4EA;o=9694E3E2E2E1E0E2E3E2E7E4E7E3

要するに、今の欧米や日本の政治家は、とても市場を飼いならしているとは思えないという批判であろう。私も同感だが、記者の言うようなパラダイムは、すぐにはおこりそうもないと思うのだ。

私は経済の専門家ではないので、これ以上コメントできないが、今日の同じ日経の経済教室で、エネルギー資源の新たなパラダイムの話が載っていた。シェールガスなどの非在来型の新資源が、世界の資源地図を塗りかえるのではないかという話だった。中東から、米・加に比重が移ると言うのだ。日本にも非従来型の資源がありそうだとも。(この日経のWEBニュースは有料ページみたいである。)

世界は激動している。もしかしたら記者の言うようなパラダイムが秘かに進んでいるのかもしれない。だが、私は現状ではセン教授の「市場を飼いならす」という立場こそが、王道だと思うのだが…。

2012年2月6日月曜日

アンゴラで「丸紅」が頑張っていた

在アンゴラ大使館 フォトギャラリーより
モーニングで日経を読んでいると、アンゴラのビジネス関連記事を発見した。丸紅が、サトウキビ・プランテーションと製糖工場・バイオ燃料工場の建設を受注したらしい。

丸紅というと、関係者には誠に申し訳ないが私たちの年代は、R事件とセットになって記憶されている。しかし、今アフリカで頑張っているんだと嬉しく思った次第。アンゴラは今、ガンガン経済成長しようIとしている国だ。このプロジェクトで、砂糖の自国生産や雇用創出にも貢献できそうである。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819696E2E6E2E3E58DE2E7E2E0E0E2E3E0869891E2E2E2;at=ALL

ちょっと調べてみた。在アンゴラ大使館の12月の経済報告はなかなか面白い。2012年の実質GDPの成長率はIMFの予想は10.8%、世銀は8%と予測している。外貨準備高は増加傾向にあり、昨年11月時で232.7億ドル。債務総額は314億ドル。海外直接投資はアフリカで第一位。ただし、ビジネス環境についての評価はまだまだ。世銀のレポートでは171位/183カ国。これは、首都ルワンダが3年連続で世界一の外国人滞在者の生活費が高い都市であることや、100万ドル以上の投資額が必要な新投資法も関係しているのかもしれない。電力不足は発電所の建設で克服できそうだし、航空アクセスもかなり改善されつつある。インフレ率も年々かなり改善されている。
http://www.angola.emb-japan.go.jp/document/201112angola_keizai.pdf

このプロジェクト、決して良いことばかりではないだろうが、アンゴラ政府にも丸紅にも、アンゴラの人々の貧困撲滅のために頑張って欲しいと率直に思うのだ。

2012年2月5日日曜日

ブルキナのIさんTVに再登場

前回の放送・読売TVのHPより
ブルキナファソのIさんが、またまたTVで紹介されるそうだ。2月23日(木)、19:00から、TBSテレビのスパモク「世界の果ての日本人・ここが私の理想郷」という番組だそうで、楽しみだ。以前、読売テレビの、「ぐっと地球便」で放送されたことがあるので2回目となるわけだが、さてさてどんなIさんの姿が見れるのだろうか。
(まだTBSのHPには載っていないので前回の読売テレビのHPは以下のとおりです。)
http://www.ytv.co.jp/chikyubin/oa/091129.html

忘れないように手帳に書き込んでから、えらいことに気がついた。2月23日と言えば、本校では、というより大阪府下の公立高校の前期入試の日である。本校のやり方がわからないので、さてさて19:00までに帰宅できるだろうか。いざとなれば最寄駅からタクシーを飛ばしてでも見るつもりである。なぜなら今時珍しいが、我が家には、ビデオもDVDもないのだ。(笑)

ワン・フェス2012 その2

WITHのワークショップ
ワンフェス(ワン・ワールド・フェスティバル)2日目である。今日は、私も若干関わりのある(2010年3月23日付ブログ参照)高校生の国際ボランティア団体WITHのワークショップに顔を出すこと、前任校のU先生が来るはずなので合うこと。この2点だけが決まっていた。現地に着くと、U先生から「ルー大柴の講演を聞いています。」とのこと。会場の大ホールを除くとすぐのところにいて合流完了。以後ずっと行動を共にした。語り合いたいことがたくさんあったのだ。

昨日は、U先生と担任を組むR先生と、私のクラスのOGで、近々日本を離れ嫁ぐO君、某事務機メーカーに就職が決まったM君とゆっくり話した。この年1回のワンフェス、私にとっては、同窓会的な意味合いもある。たくさんの知人や教え子と出合うのだ。今日も某国立大付属中等学校のM先生夫妻や府立S高校のK先生、JICAのセミナーで一緒だった私立M高校の生徒や、JICA大阪のスタッフ、もちろん前任校の現役生(U先生とR先生の英語科2年生である。)多数、さらに昨年度の国語科のOB・OGなど、たくさんの知り合いが参加してくれた。

なかでも奈良教育大学のG君は、わざわざWHE(世界遺産教育)の教材セットを持参してくれていた。昨年の京都での国際理解教育学会の時ご挨拶した担当教授からの私への贈呈だという。ありがたい話である。くれぐれもよろしく伝えてください。

K先生とコーディネーターK君(ブログ紹介了承済み)
また某国立大学付属高校のK先生とF先生が、NGOのブースにいてビックリした。「STAND UP TAKE ACTION」という、貧困撲滅のためのNGOのネットワークで、会社や学校など様々な組織でキャンペーンをしているのだという。2010年度では世界74カ国、日本では1万8240人が集まり一文字を作ったりして、具体的なアクションを起こしているのだと言う。「先生も生徒集めて写真をとって送ってぇな。」とK先生。なるほど。U先生とともに2校が参加する約束をした。(笑)
http://www.standup2015.jp/

こういう出会いがワンフェスの魅力である。私の『地球市民の記憶』(常設ページ参照)も、93カ国に増えた。思えば、数年前、一人で参加して以来、前任校、本校と一滴のしずくが河の流れのように続いている。本当にありがたいことだ。そうそう、こんな出会いもあった。WITHのワークショップに行こうと国語科OB・OGとU先生と移動中、講演を終え控室にもどるルー大柴氏とばったり出来わし、ぶつかりそうになったのだ。芸能人と言う感じのない人だった。サドンリーだったので、サプライズしたが、ほんと、ソーリーという感じだった。(笑)

2012年2月4日土曜日

ワン・フェス2012 その1

ワンフェス(ワン・ワールド・フェスティバル)に行ってきた。今日はワークショップに参加するというよりも、先日のJICA高校生セミナーに参加できなかった生徒を連れていく事が主眼だった。連れて行った2人は、私の政治経済の授業というよりアフリカ開発経済学講座の優等生である。
毎年おなじみの「JICAの研修員を探せ」の”パスポート”(研修員さんの国旗シールとサインをもらう用紙)を手に、さあ誰かいないかと探すと、ブルキナの研修員さん2名と出合った。彼女たちにとってブルキナは認識の上では最も近いアフリカの国の1つである。大喜びだ。フランス語なまりの英語のリスニングは少し難しかったようだ。(笑)

聞くと、是非とも民族衣装を着てみたいとのこと。着替えのコーナーに向かう。彼女たちが衣装を選び着替える間に、私はレソトの研修員さんやマリの研修員さんと話したり、外務省のコーナーで、ODAのシールを5種類ゲットしたりした。そうそう、シャンベを持ってタクシーから降りてきたアフリカ人がいて、聞くとギニア人らしい。(彼の演奏は12:30からだった。なかなか素晴らしい。生徒にも生のアフリカ音楽を聞かせることが出来た。これも嬉しい。)着替えがすんで、JICAの研修員さんと次々に遭遇した。彼女たちの民族衣装が華やかなので、研修員さんの方から写真を撮ってほしいということで、なかなか盛り上がった。ブルンジやジプチの研修員さんなど、かなりレアな方とも会えて私は大いに満足である。約束通り、昼食を共にした。授業で紹介したケバブやクスクスなども口に出来た。良い経験になったと思う。私も約束が果たせてホッとした。

K君が「大学で、国際貢献のことをもっと学んで、できればそういう仕事がしたいと思っています。」と言ってくれたことに、このところの疲れがふっとんだ1日だった。

JICA新理事長の「新しい中世」2

JICAの新理事長田中明彦氏の「新しい中世」を読み終えた。わりと長くかかったのは、田中明彦という人物像を知ろうとかなり細密に行間を追ったからである。この「新しい中世」に描かれた世界観というか、国際政治の理論は非常に興味深かかった。1月18日のエントリーで、この概説を調べて書いたが、実際に読むと、その論の前提部分がかなり長く、かつ面白い。冷戦の意味、冷戦崩壊後の世界の考察、アメリカの覇権、さらにアメリカの覇権衰退という事実を受けて、「相互依存」をキーワードに論は進む。この相互依存の進展と制度化によって、「新しい中世」と呼ばれる先進国の状況が説明されるのである。さらに、この示された三圏(新中世圏・近代圏・混沌圏)の相互作用について検討が加えられ、日本の周囲である東アジアについて考察が加えられていく。

1996年春時点での考察であるが、決して古めかしいなどとは思えない。つい最近も企業では外国人の社員を大幅に採用していくというようなニュースが流れている。これなど「新しい中世」的現象以外の何物ではない。先進国=新しい中世圏では、国家という枠組みは当然あるものの、経済だけでなく、政治面でも「相互依存」が進み、近代国家=国民国家という概念からはみ出しているのが現状である。外政問題は、すでに内政問題である。タイの洪水も実は日本の問題であるし、EUの危機も、アメリカ大統領選挙も「相互依存」がこれだけ進めば、遠い他国の話ではない。田中氏の指摘は、今も正しいと思う。

実際手にとって読んでみて、一番印象に残ったのは、三圏(新中世圏・近代圏・混沌圏)の分類上の手法である。世界の国家群を、平均寿命を60歳以上と未満、1人あたりのGDP1万ドル以上と未満の2つのカテゴリーで3分割した後、さらに体制自由度(高・中・低)で3分割し、計9分割する。そのうち、平均寿命を60歳以上かつ1人あたりのGDP1万ドル以上かつ体制自由度が高いグループが、新しい中世圏となっている。反対に、平均寿命を60歳未満かつ1人あたりのGDP1万ドル未満かつ体制自由度が低いグループが、混沌圏である。残りの7グループは全て近代圏となっている。(右図参照)当然、1996年当時の統計によるものなので、たとえば、ジンバブエの体制自由度は低であろうとか、ブータンは王制だが体制自由度はもっと高いのではないかなどの疑問がわくのは当然である。とはいえ、この資料、断然面白い。思わずスキャンせず自分で作成してしまった。(笑)

さて、肝心の田中氏のアフリカ諸国など混沌圏への視点は、極めて常識的な視点だった。最後の最後にそれは出てくるが、1996年当時の視点として甚だ妥当なものだと思われる。氏の就任会見を楽しみにしているところである。

2012年2月3日金曜日

パリの朝の写真が出てきた

NHKの世界ふれあい街歩き(イタリアのシエナ編)を見ていて、ふと、ああヨーロッパの歴史的な街っていいなあと思った。私は、アムステルダムとフランクフルトとパリしか知らない。それもみんなアフリカ行のトランジットだ。(笑)

PCの画像を探していて、ふとパリで撮った朝の街かどの写真が出てきた。アメリカの町並みはイギリス風が主なので、見慣れているが、フランス風もなかなか趣があるなあなどと考えながら、わざと逆光でシャッターを押した記憶がある。

今日は、補習もあってクタクタの体に、鍼治療もしたので、疲れが増している。鍼は温泉と一緒で体にきくが疲れも増すとは妻の言。(笑)と、言うわけで今日は画像をアップして、明日からの2日間のワンフェスに備えようと思う。

2012年2月2日木曜日

最後の授業で聞きたかった事

文化祭の時 本校正門より
本校の先生方に聞くと、3年生の最後の授業というのは、どうやら特別なものではないらしい。荀子ばりの礼治主義の本校なら当然の事だと思うのだが、特にどうということなく普通に終わるらしい。私の感覚では、3年生最後の授業は、担任のクラスでなければ、「言葉」を最後に贈るべきだと思うのだ。ところで、今日の最後の授業は試験範囲の最後まで5分ほど授業してから、残りの時間を自習とした。私は、こういう時間も好きだ。生徒の机間を回り、雑談する。ちょっと聞いてみたいことがあったのだ。本校は中堅校で、ほんと入試時の学力は大阪平均ど真ん中。私の「アフリカ開発経済学」の話や「日本国憲法第一条はなぜ天皇なのか?」といった、一応政治経済だが、まあ特別な授業を彼らはどう感じたのか、難しかったのではないか?授業で使うコトバが難しくないか?わりと居眠りしていたけど、もっと書く時間が多い方がいいのか?といった疑問である。いくら自分では良いと思っていても、生徒に受け入れられなければ意味がない。

本校では、板書をたくさん書いて寝かせないというような授業が多いらしい。そこで、1学期の中間以後はプリントに書きこませる個所を増やしてみた。前任校では、プリント授業でも、バァーと書かせて後は講義ONLYだったのだが、本校ではできるだけ内容を分解して、書く。聞く。答える。笑う。そして書く。聞く。笑う。といった感じで行く方がいいらしい。できるだけクイズ形式で答えさせたりする。だんだん私も本校生に慣れてきたのだが、3年生は概ね、私の授業を好評価してくれていた。「一方的な授業ではない。」「発言するよう求められるのはいい。」「内容は難しいこともあったが、興味深いこともたくさんあった。」という感じだった。ちょっと嬉しい。

徳治主義の前任校でも、法治主義の前々任校でも、私は最後の授業では「言葉」を贈ってきた。私のOB・OGならみんな知っている。今回も最後の5分だけ使って、「理想に生きることをやめた時、青春は終わる。」と語りかけた。「私も教師でなくなる日まで、この思いを持ち続ける。すでに53歳。青春と言うには似つかわしくないが、青春のつもりで君たちの母校を守りたい。私はここで骨を埋めるつもりだ。」普段以上に、真剣に話を聞いてくれた。最後の挨拶は気持ちよかった。やはり、最後の授業はこうでなくてはいけない。

2012年2月1日水曜日

毎日新聞「水論」ドル外し?

久しぶりに毎日新聞の署名コラムについて書こうと思う。今日は「水論」である。昨年末、野田首相が温家宝首相と「日本の円と中国の人民元の直接取引の拡大」について取り決めたことについてである。国際金融の世界は米ドルが支配する世界である。日本を米ドルに、さらに人民元に替えて決済するのがスタンダードだ。これを米ドルの介在なしにやろう、もちろんいっぺんには出来ないので徐々にやろうという話だ。中国が「米ドルによる世界支配」に揺さぶりをかけているわけだ。実際、パキスタン、ウズベキスタン、韓国など多くの国と提携済みだとか。だが、日本円の重みは違う。準備通貨としては米ドル、ユーロ、英ポンドに次ぐ地位にある。現在輸出の半分くらいは円建てになっている。「日本政府としては、面白いゲームを始めたものだ。」と専門編集委員・潮田道夫氏は述べている。

日本は米国の通貨覇権に弓引くつもりはないだろう。だが、円の役割増大は商機の拡大につながるし、日本がアジアの経済大国であることを、時々米国に認識させるのも無意味ではあるまい、とも。

しかし、こんな話もあるそうだ。米国のイラク攻撃はフセイン大統領が石油取引を米ドルからユーロ建てに変えたからだ、米ドル防衛があの戦争の本質だという説があるそうだ。イランもユーロ建てに変えて石油市場での米ドルの独占的地位を脅かしている。だから「次の標的」になっているのだ、とか。で、「水論」最後の結びは、「虎の尾を踏まないように注意しましょう。え、張り子のトラだろうって?」と書かれている。

…うーん。最後の結びは、どうも私の感覚とは違う。うまく表現できないが、私はこんなにライト感覚な反米的な結びは好きではない。今日の「水論」、内容が面白かっただけに、よけい違和感があるんだよなあ。