2011年4月30日土曜日

早めの『母の日』

息子夫婦は、もうすでに海外である。タイに行っているらしい。先日、玄関に「花」が置いてあったのに気付いた。妻が「母の日で”Tサン”が送ってくれてん。」と行っていた。”Tサン”とは、息子の奥さんである。どうも私は「嫁」というコトバは、あまり使いたくない。一応ジェンダーの立場からだが、使わないとかなり文章が複雑になる。(笑)
うちの夫婦は、息子夫婦に対して、おそらくかなりフランクに接していると思われる。細かいことは、あまり言わないし、それなりの距離感を保って見ていこうとしている。今回の帰国では”Tサン”は水戸が被災したこともあって顔を見れなかった。で、「母の日は海外なので、早めですが…」と気をつかって花が送られてきたらしい。「そんな気をつかわんでいいのになあ。」と妻は言いつつ、喜んでいた。妻は花が好きである。(笑)

昨日、妻とコーナンに行った。妻がいろいろ買いたいものがあるのだという。テーブルクロスや棚や籠などを選んだ後で、トイレのコーナーで何か探している。聞くと、『トイレに入った時に鳴らす水の音を出す装置』らしい。説明文が広辞苑のようだが、私が「なんでそんなモンいるの?」と聞くと、女性には必需品らしい。妻は、H城鍼灸院にも買っていったことがあり、女性の患者さんに喜ばれているそうだ。ふーん。オトコにはよくわからんのだが、不特定多数が集まるH城鍼灸院はともかく、なんで我が家にいるのか?と聞くと、「アホやなあ、”Tさん”が来た時にあったら、気をつかわんでええやろが。」…なるほど。

と、いうわけで我が家には、玄関に花と、トイレに「流水音発生器」があるのだった。

2011年4月29日金曜日

49ers とブルキナの地図炎上

昨夜は前任校の歓送迎会であった。(と、いうわけで昨日はブログ更新ができなかった。)ワケあって、私は1時間ほど遅参した。大幅に教員が入れ替わり、なんだか昔のワイワイガヤガヤという雰囲気ではない。遅参したので、挨拶は短めにしておいた。「H高校はいい学校です。生徒も礼儀正しいし…。生徒会の顧問をしています。人を育てるという原点に立ち返って頑張りたいと思います。空とぶ家のカールじいさんというあだ名がつきました。」と結ぶと大いにウケた。だいたい、前任校の歓送迎会での離任の挨拶は、愚痴が多い。赴任校より前任校の方が良いという話ばっかりだ。だから、私はあえて前任校の名前を出したくなかった。未練がましいのは美しくない。

歓送迎会後、仲の良いY先生の「しきり」で歌いに行った。Y先生とこれまで何度こういう「しきり」をしたことか。2人で適当に気を遣い、適当に楽しむ。それが二人のカラオケに対する共通認識だ。OB・OGの読者もいるので、参加者については伏せるとして、私の選曲を書いておく。「よろしく哀愁」、「落陽」、「キャンディーズ・メドレー」、「中之島ブルース」、「バス・ストップ」である。最初の曲はマイク1本だが、吉田拓郎の落陽はキノコ先生との、後の3曲はY先生とのデュエットである。(笑)
「バス・ストップ」という曲は、Y先生と自然に肩を組んで歌った。何も言わなくともよい。阿吽の呼吸で入れた2人の別れの曲である。それが分かり合える人である。Y先生には本当にお世話になった。同じ33年3月生まれ。49才の時に校内のバドミントン大会で49ers(フォーティーナイナーズと読む:サンフランシスコのアメフトのチーム名)を結成した。今は53ersだが…。校外で喫煙し、共に外食し…。無制限に信用できる人だ。いっしょに仕事をしていて、こういう人がそばにいるだけで安心できる。今は前任校で重責を担っているが、是非とも本校に来て欲しい。そうワガママを言ってしまいたくなる人だ。おっさん同士で「別れがきたのねえ~」と歌いあげたのだった。(笑)


ところで、荒熊さんのブログを読んで、ブルキナの状況が悪化していることを懸念していた。外務省のHPを見ると、ついに安全状況を示す地図が真っ赤である。JICAの方々も国外にいかれているようである。おそらく、京大のEさんも待避されたであろうが、和が家のIさんも待避されたのであろうか。非常に心配である。ブルキナの皆さんの無事を心から祈りたい。

あんなに治安の良かった、というより「治安の良さ」=ブルキナであったのに、北アフリカからの風がよほど強いのであろうか。ともかくも推移を見守りたい。

2011年4月27日水曜日

第1回生徒議会と肉体美

今日は、健康診断の日であった。授業はなく、1日中身体測定や眼科検診や内科検診などを行うのだった。前任校と比べて生徒数が倍だし、男女比率はほぼ同じなので、時間がかかる。前任校では、いわゆる校医さんの検診は、わりとアトランダムに、今日は内科全学年、明日は歯科で1年だけとかいうふうに行われたので、授業がポコポコ抜けたりしたのだが、本校は、一気に行うわけだ。これに、クラス写真の撮影もはいる。非常に合理的である。前任校で同時にやっていたスポーツテストは、次の月曜日、授業は3限までで、その後に、体育科の先生方が中心になって行われるそうだ。

私の担当は身体測定(もちろん男子)の体重だった。びっくりしたのは、生徒の肉体美である。さすが、運動をしまくっているだけあって、V字型の生徒や、腹筋が北斗の拳のケンシロウのようにわれている生徒も多い。特に武道科は無駄がない。たいしたもんだ。内科検診でも同様。まだ1年生は体が出来ていないが、3年生にもなると全然違う。鍛えに鍛えたという感じである。

さて今日の本題は、第1回生徒議会である。最初に生徒会顧問の私から選挙結果と執行部の紹介をして挨拶をしてもらってから、議事を執行部に託す。なるほど。そのセレモニーが終わってから、生徒会費の決算、前期選挙管理員の選出、校内球技大会の是非、日時、種目などを決めていく。さらに募金の件、体育祭と文化祭が合同したイベントのテーマについての執行部一任案など、どどどっと決めていく。事前に特別活動部長のO先生のシナリオをもとにリハーサルしたとはいえ、まずまずのスピードで進んでいくのである。まあ、執行部がパニくった場面も何度かあったけれど…。

だんだん執行部の「力」というものが見えてきた。毎日のように顔を合わせているし、本校のやり方みたいなモノが朧気ながら見えてきたからである。O先生の一声で、その場(会議室)で、反省会をもつことになった。細かな議事の進め方のスキルや、個人的な反省など様々な発言もあったけれど、私は最後に2点だけ述べさせてもらった。シミュレーション能力を高めること。特に初めての1年生にも判るよう、また様々な日程を打ち出す時、一瞬に先を読むこと。もう1つは、「公」と「私」である。前に立って仕切る場合、その人間の力量が顕わになる。「公」なのか「私」なのか、本気なのか、本気でないのか。つい、倫理の教師らしく哲学的な話になってしまう。まあ反省ばかりしていても仕方がない。前を向いて頑張っていこうや、執行部。結局、人は石垣、人は城なんだなあ。

2011年4月26日火曜日

本校初のアクティビティ実践

3年生の政治経済では、アフリカ開発経済学テキストV4.01を使って授業をしている。正直、本校生には、なかなか難しいようだ。今日は普通科の26人の選択クラスで、本校初のアクティビティをやってみた。ケニア人生双六である。アマルティア=センの「貧困」、HDI(人間開発指数)、人間の安全保障と授業でやってきた。それを受けてのアクティビティである。

久しぶりに、ケニア部族カードも使ってみた。本当は「民族カード」とすべきだが、8年前に作ったもので、改訂しないまま、そのまま印刷してしまった。(反省)本当は、このカードには、スワヒリ語がしゃべれるか否か、英語がしゃべれるか否か、またケニア国内の人口比によって枚数を変えるのだが、今回は、アイスブレーキングとグループ分けのために、各民族語の挨拶だけを残して使用した。画像には3種類しかないが、5種類を用意した。

袋にこの5種類のカードを入れて、自分のカードを抽選みたいに引いていく。この間、無言。私の合図で、挨拶を連呼し仲間を探していく。これがなかなか盛り上がったのだ。グループが分かれたところで、ケニア人生双六を渡す。カラーのピン(各自のコマの代用である。:双六は段ボールにカラー印刷されている)とサイコロも。

オリジナル教材/ケニア人生双六
いつものことだが、最初は無茶苦茶盛り上がる。「マラリアで1回休みやて!」「俺、エリートや。中学へ進めやで。」ところが、中盤からは、農村のルートや都市のルートに入り込み、1回休みや2回休みが続き、みんなブツブツ言い出す。実は、これこそが、このアクティビティの狙いである。

20分ほどやってから、ふりかえりを行う。ふりかえりの用紙を配る。まず、自分で気付いたことを書かせ、グループで話し合わせる。実は、これは、本校での大きな実験だった。このようなシェアリングが可能か否か。グループを回っていると、案外話し合いはうまくいっている。ある生徒に聞いた。「こういう授業を本校でした経験はある?」ニコッと笑いながら「小学校以来です。こういう授業いいですよね。」
…手応えを感じた。率直に嬉しい。

その後、私は、このケニア人生双六について語った。単純に「ケニアに生まれなくてよかった。」というような感想を持たないで欲しい。これはあくまで仮想シミュレーションである。ケニアの実情を知って欲しいが、これが「貧困」であると簡単に結論づけないで欲しい。実は、彼らは自分たちを「貧困」であるとは感じていないと思う。あたりまえに懸命に生きている。そのことを知って欲しい、日本人はこれだけ豊かでも、自殺する人も多い。だがアフリカで自殺者はほとんどない、豊かさとは何か考えて欲しい、と結んだ。本校初のアクティビティ、ますは成功と言えるのではないか。

以前、このケニア人生双六は、このブログで少し画像でも紹介したことがある。(昨年の2月22日付けブログ参照)今回は、使用に耐えるくらいの大きさで掲載した。もし、私の意図をくんで使っていただけるなら、ESDを実践をしている先生方に使ってもらえれば幸いである。

2011年4月25日月曜日

『ギルガメシュ』で3連発

ギルガメシュ
恐怖の月曜日の午後。世界史Bの授業3連発の日である。今日から、いわゆる「オリエント」を教える。言語の前に、文明の興りを「culture(耕す=農業)」という立場から教えている。世界で最も早く文明が興ったオリエントは、乾燥した土地であり、灌漑農業の必要性から、専制君主が必要となったことを教える。何といってもオリエント=専制君主である。これは、ヨーロッパから見た東方(オリエント)の強いイメージである。後にギリシア・ローマが民主主義や「法」を生み出した故に常に対比されるわけだ。ヨーロッパ文明の礎石は、なんといいってもギリシア・ローマだが、オリエント、特にヘブライズムの影響も大きい。

これだけ解れば、あとは枝葉末節であると私は思っている。とはいえ、世界史「B」である。細かいことも教えなければならない。シュメール、アッカド、ヒッタイト…。とりあえずメソポタミアの都市国家や王朝の興亡をやらねばならない。今日の授業では、興味付けとして、オリエント(特にシュメールやアッカド)に、ヘブライズムやギリシア神話のルーツがあることを紹介した。

その主役はギルガメシュである。ギルガメシュ叙事詩。某RPGゲームでもボスキャラで登場する。(もう古いのか生徒は知らなかった…。あちゃー。)このギルガメシュ叙事詩には、ノアの方舟の元になったのではという洪水の話が載っている。また、こんな話も…。
ギルガメシュは、友人のエンキムドゥと共に木材を求めて旅立つ。そこでレバノン杉を発見する。ところがこのレバノン杉の森には、森の神フンババがいて森を守っている。そこでエンキムドゥと戦い、フンババは頭を切り落とされて殺されてしまう。エンキムドゥはフンババの頭を金桶に押し込めた。その後エンキムドゥはたたりで殺されてしまう…。
生徒に聞く。「どっかで聞いたオハナシとちゃうかあ。」…そう、宮崎駿の映画、もののけ姫である。
ネタばらし:http://www.geocities.jp/timeway/kougi-4.htm

さらに、アッカドのサルゴン1世。彼は生れて籠に捨てられる。こんな話もあるよと、ギリシア神話のエディプス神話にもっていく。脱線はさらにフロイドのエディプス・コンプレックスという心理学まで進んでいったのである。なかなかウケた。そもそも神話が有名だし、スフィンクスのなぞなぞも面白い。

てなわけで、プリント授業でもキーワードを板書する回数を増やし、面白い話題をふんだんに入れてちょっと授業を改良したわけだ。ふー。うまくいくと疲労も少ない。

追記1:ブルキナに行っていたF君が無事フランスに戻ってきましたと、メールをもらいました。酷暑の中で生き抜くブルキナべに感激し、ワガの大学生や村の教師と対話を重ね、彼は本当に『貧困』なのかという疑問を五感で感じたようです。もちろんIさんの凄さも。ちょっと下痢をしたようですが、体調も特に大きな問題もないようで安心しました。
追記2:元キャンディーズのスーちゃんの死の直前のコメント、TVニュースで聞きました。私も大ファンだったので、涙なしには聞けませんでした。ご冥福をお祈りします。

2011年4月24日日曜日

参議院本会議場で各国に御礼を

久しぶりに読売TV(東京では放送していないらしい。)の『そこまで言って委員会』を見た。以前はよく見ていたのだが、某大阪府知事を番組が応援していることに違和感を感じ、見ないようになった。(大阪府在住の公立高校教員で彼を好いと言う人に私は出会ったことがないのである。)コメンテーターはかなり右寄りの人物が多いのだが、読売TVなので許されると思う。(笑)大阪では人気番組である。歯に衣せぬ意見がバンバン飛び出す。

さて、その番組で、今の大震災に対してどのようなリーダーシップが求められるかというような話題をやっていた。この番組でも、政権交代前は少なからず民主党を応援していた。それが、180度転換して、大本営はボロクソにコケ下ろされていた。(まあ、誰が見ても当然だと思うが…。)首相は早くやめるべきだという意見が大勢を占めた。だが、某政治評論家氏によれば、やめさせられないのだという。不信任決議案が可決しても、総辞職せず解散するであろうが、東北地方の各自治体は選挙を行える体制にない、とのこと。なるほど。さらに、「無能」な馬鹿と「無能」な馬鹿でない者がいるのだという論が出た。K首相は、まさに「無能」であり、しかも馬鹿だという。それは、阪神大震災の時のM首相のように、自分が「無能」であることを知っていて、有能な者にゆだねるということもしていないからだと痛烈に批判したのである。アホほど検討する会議をたくさん作って、何ができんねん。諸外国は、こんなアホな政府なのに、各省庁が短時間(5日間ほど)に食料(農水省)や交通アクセス(国交省)や人命救助(防衛省)を行ったことに驚嘆しているんや、という意見も出た。そりゃそうだ。

さらに、こんな意見が出た。衆議院と参議院に分かれてごちゃごちゃ審議するような暇があったら、非常事態宣言をハッパッパと出して、一本化し審議せよ。そもそも参議院は憲法においても補完的な役割である。…なるほど。
ただし、参議院本会議場で行え。審議の前に、支援してくれた各国大使を呼んで、天皇臨席のもと(天皇が臨席できる本会議場は、貴族院の名残で参議院だけである)、政府、衆参国会議員が集合し、まずお礼を述べよ。日本の震災に世界の注目が集まっている。天皇臨席に大きな意味がある。天皇は各国に人気がある。一気に日本の好感度があがるというのだ。

凄い意見だが、面白い。天皇も膝をおられて各地の避難所を回られている。大本営のトップが、やっと訪問したと思ったら罵倒され、関東軍のトップも非難轟々。だが、天皇の訪問は全く違う。「私」のない「公」の凄さである。おそらく天皇も各国の支援に感謝されていると思う。いち早くビデオで国民へのお言葉を流すよう指示されたくらいである。国民を代表し、世界各国への感謝を述べられることは天皇も深く望まれているような気がする。

誰が言ったのか覚えていないが、審議一本化はともかく、「世界に参議院本会議場からお礼」…なかなか良い意見ではないか。昨日ドイツの気象庁の画像のことを書いたが、それくらいのインパクトを与えないと、このままでは、日本が沈没してしまうのではないかと思ってしまうのだ。

追記:高藤篤幸さん、読者登録ありがとうございます。元テレビ東京勤務の方で、松岡正剛さんを読まれるとのこと。ツイッターをバンバン発信されている方のようです。よろしくお願いいたします。

2011年4月23日土曜日

ドイツ気象庁の放射能予報図

たまたまいろんなWEBを見ていたら、凄い画像を発見した。発信元は、ドイツの気象庁のHPである。この日本地図、おわかりだと思うが放射能の風による移動を表している。それぞれの色の濃度とか、危険度については、はるか昔に大学で4年もかかってやった私のドイツ語ではよくわからない。
http://www.dwd.de/
翻訳機能で和訳したら凄い日本語になった。
トップ:伝播/ 23/04/2011 00 UTCにモデルの実行から日本では月曜日の朝に相対的な濃度の予測

中国沿岸のコアとうつ病の端をオンに月曜日の朝、福島県の海岸の北に置くことができるので、南南西に再び風は、放射性雲に影響を与えます。 月曜日の曇り曇り放射性粒子が洗浄できるとwerden.Imコースは風が粒子が太平洋上でドリフトする傾向があるように、西よりにシフトします。

写真中央:伝播/相対濃度の予測日本の火曜日の朝には2011年4月23日00 UTCのモデルから実行
火曜日の朝は、粒子は、主にその日の太平洋werden.Imコースには、フローは福島県の沿岸部の北に放射能雲に影響を与えることができるよう、南西に向かって南の詳細を回すように、最初の南西の流れがある。 午後や夜にはシャワーでは、それが簡単に浸出して来ることができました。

6時間の時間ステップ(画像をクリックすると下)のイメージアニメーションは福島私は250メートルHöhefür三日間の発電所から出発し、拡散放射性空気が終了積んだ示しています。 重要なのは、注:発光の強さは不明であるため、値は相対的な分布と濃度未知のソースのとしてのみ希薄化後をzuinterpretierenされます。 地面にtatsächlicheradioaktive負荷に結論はことは不可能です!位置に関する情報は、BMU(www.bmu.de)のウェブサイト上で見つけることができます。
へCopyright(c)ドイツ天気予報サービス

ドイツという国、あまりに生真面目である。しかもドイツ人は自ら構築した論理で動く。彼らは国を挙げて反原発という論理を貫いている。おそらく、このドイツ気象庁のサービスは、日本在住のドイツ人向けであろうが、大本営や参謀本部、そして関東軍からすると、大いに迷惑に違いない。

しかし、この画像が、さまざまな通信手段で、WEBからさらに漏れ出すのは時間の問題であろう。なぜなら、私を含めた普通の市民も、おそらくこういう事実があるはずだと思っているからだ。遠いドイツで解析できるこのような情報を、大本営が開示していないことに非難が集まることは必至である。

2011年4月22日金曜日

暗中模索の世界史B

世界の言語地図/世界史の導入としては極めて有為だ
暗中模索している。授業の話である。先日本校の校長が「本校生徒は学力的には、市立高校でも全国平均でも、ちょうど平均に位置する。」と言われていた。「スポーツや礼儀正しさでは当然上位だが…。いかに勉強させ、進路保障をするかが、これからの大きな課題」とも。長らく、進学校にいた私としては、あたりまえのことが、平均の本校ではあたりまえではない。
そもそも、私はずっとプリント授業をしてきた。黒板に板書すると、進度が遅くなるし、邪魔くさい。私は板書には世界地図を書いたり、絵を書いたりすることが多い。(笑)ところが、プリント授業で板書が少ない分、生徒は眠くなるのだ。なるほど、他教科も含めて多くの先生方は莫大に板書するらしい。本校の平均的な授業は、しーんとした静粛の中、ひたすら板書するらしい。(生徒の言である。)だから、休み時間や特に昼休みなど、のびのびとして賑やかである。授業中は修行の時間らしい。(笑)

授業中、即身成仏(睡眠)する生徒が、前任校よりはるかに多い。私は、積極的理由から起こさないことを旨としている。最初の授業で「人間は自由の刑に処せられている」というサルトルの言を語り、自分の責任で授業に臨むことを要求しているからだ。どのクラスでも何人か熱心に聞き入っている生徒がいることが救いである。(笑)とにかく、このままではいけないと思い、プリントで書き写す箇所をコツコツと増やしている次第である。

さて、世界史Bでは、世界の言語の話をしている。資料集をプリントでまとめ、解説している。インド=ヨーロッパ語族やセム・ハム語族、ウラル語族、アルタイ語族など地図を書き、言語の特徴を述べながら、それにまつわる話などを、これまでの体験談で面白おかしく語っている。地球市民を育むという大目的と、地理的な分野を補うという意味合いと、これからの世界史学習に不可欠な民族のつながりなど、極めて重要な「導入」であると思う。

一応5クラス全て、世界の言語をおよそ終了した。しかし講義だけでは不十分なようだ。試験前に白地図を配って中間試験対策用に提出させようと思う。前任校の経験を生かしたいが、一度白紙にもどして考えようと今、思っている。問題は、この「平均」をいかに「平均以上」にするかである。そのために何でもするぞぅ。

2011年4月21日木曜日

ODA削減に異議あり

昨日、毎日新聞の社説「復興財源 ODA削減は再考を」を読んだ。私は完全に同意したい。毎日新聞の社説の要旨は、およそ次のようなものである。
政府・民主党は、大震災の復興に向けた第一次補正予算の財源に充てるため、ODA(政府開発援助)を500億円削減する方針である。だが、ODAは、日本の国際社会での存在感を高める極めて重要な手段である。震災後の日本の振る舞いに世界の耳目が集まっている現在、対外支援を減らさないことが震災に負けない姿勢と平和と繁栄に非軍事的な貢献を行うというメッセージになる。今回の震災で途上国からも支援が寄せられたのは、その日本への恩返しという側面もある。日本のODAは以前世界一の規模だったが縮小を続けている。日本人は国際貢献への関心を失い、内向き志向が強まっているのではないか。無償援助の対象上位国は紛争や災害で困窮にあえぐアジア・アフリカ・中東の国々で、中国ではない。今こそ、日本はどういう国なのかということを世界に発信することが、長い目で見た国益につながるはずである。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110420k0000m070161000c.html

今回も大本営の、「国家戦略のなさ」・「短慮」が、見え見えである。日本はいかなる国であるべきか。私は、日本がアジアを牛耳ろうとしている覇権国家の道を走っているとは思えない。日本は人材しか資源のない国である。たゆまぬ努力で技術力を確保し、丁寧な仕事で高度な加工貿易で生き延びてきた。そういう意味の尊敬を世界から集めているといえるだろう。一方で、欧米や中国のような国益をむき出しにした外交は控え、優柔不断に見えつつも、集団主義と独自のネゴシエーション民主主義の伝統をもち、それなりの「美学」をもつ国であったはずだ。

今回の大震災で経済的な打撃を受けたこと、財政赤字の問題、それらの経済的な苦境も理解しうるが、ここで、ODAを削減するというというのは、社説にあるように、「長い目で見た国益に反する。」ことは間違いない。それは、国際的な日本の「美学」を失うことでもある。

注:このODAについては、実は悪しきガバナンスの国には決して有為ではないことを理解しつつ、あえてこの毎日新聞社説に同意したい。日本のODAは、それなりに悪しきガバナンスの国には分別をもって対処しているようであるが…。(1月31日付ブログの赤道ギニアの例を参照)

2011年4月20日水曜日

アフリカのバイオ燃料の話

ジャトロファ
先日の京大の公開講座で、太田先生が懸念されていたジャトロファの話を少し書こうと思う。私が最初にジャトロファの事を知ったのは、車で聞いていたラジオからの情報という「偶然」だった。思わず妻にその名前をメモしてもらったことを思い出す。だいぶ前、5年くらい前の話だ。「乾燥した荒地でも栽培できる、バイオ燃料となる草木。毒性があり、食料とはならない。」そういう情報だった。少しずつ勉強していくと、夢のバイオ燃料と思えてきた。小規模農家でも、農地にならないところに植えれば現金収入になるではないか。単純にそう考えたのだ。

3年前にブルキナファソに行くことを決めた理由のひとつに、当時オランダだったかアメリカだったかのNGOが、ブルキナでジャトロファを実験栽培していることをWEBで確認したからだった。残念ながら季節が合わなくて栽培現場を見れなかったが…。ジャトロファの詳細については…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%AE%E3%83%AA

私にとって、ジャトロファはアフリカの農業再建のひとつの光だった。そういう風に書いているWEBも多い。実際、日本の環境省も委託事業として、タンザニアでプロジェクトを立ち上げようとしている。
http://www.afreco.jp/2-5tanzania.pdf

これをよく読んでみると、ジャトロファを栽培し、持続可能な利益を上げるためには、かなりのインフラ整備と投資が必要なことがわかる。要するに大農園が成立して初めて、小規模農家にも栽培のチャンスが回ってくることがわかる。そんな大農園を成功させるには、いくら乾燥した荒地でいいとはいえ、採算や生産後の輸送コストを考えると、どこでもいい、辺境の地でもいい、ということにはなるまい。(環境省委託事業は、なかなか、その辺をよく考えているといえると私は思うけれども…。)

うーん、夢のプロジェクトはなかなか難しいのである。
日本政府のTICADⅣでも、「民間セクターとのパートナーシップにより食料安全保障と両立するジャトロファ生産の可能性調査」という項目があり、ケニアも日本企業とのパートナーシップによるジャトロファ・プランテーションの促進をうたっている。(プランテーション!である。何度も書くが、やはり小規模農家の現金収入増大のためには大農園を基盤とするしかないのであろう。)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/report/status/PR000269.html

私が旅したブルキナのサヘルへ向かう道。それは、農耕地帯から、ミレットやソルガムしか取れないような乾燥地帯を通過し、それさえままならない牧畜民トゥアレグの土地への道だった。

太田先生の言われる「ジャトロファの危惧」は、牧畜民との利害の対立であろう。
牧畜民にとっては、おそらく何のメリットもない。ジャトロファのプランテーションが増えれば彼らの土地が侵食されるというデメリットしかない。それ以上に、ジャトロファというバイオ燃料生産という現金収入の魅惑・市場経済の進展の中で、牧畜民はますます周辺化するしかないのである。たしかに牧畜民に持続可能な開発はあるのか、と思わざるを得ない。今日もまた、うーんと唸るのである。

2011年4月19日火曜日

花冷えの日に、悶絶の一鍼

野外活動実習へ出発する体育科
花冷えの1日であった。本校では、今日から体育科・武道科の3年生と1年生が、野外活動実習に出発した。体育科は3泊4日、武道科は2泊3日である。それぞれ、3年生が1年生の面倒をみるらしい。なかなか良いではないか。1年生がバスに荷物をうまく積めないでいるらしい。体育の先生から3年生に叱咤が飛んだ。「何をしとる、お前らの責任やろがっ!」いいなあ。そういう訓練、私は若いころに責任感をビンビンに鍛える訓練を受けることは非常に大事だと思う。さて、というわけで、今日の3年の体育科と武道科の政治経済の授業がぶっ飛び、4時間授業のはずが3時間授業となった。一応ラッキーであるが、普通科と授業時間に差が出るので喜んでばかりもいられないのである。

ところで、本校は前任校より広いし、放出駅からも距離がある。月曜・火曜と8時間(今週は7時間だったが…)授業を終えると、かなり身体も足もくたびれてしまう。そこで、火曜日の夜も、ホームドクターであるH城鍼灸院に行くことにした。H城先生は、私の身体の異常に「経絡(けいらく)」という方法でアクセスする。手を握って、脈を診るのである。で、「これは…いけませんねぇ。なんとかしないと…」と、今日はこれまでで最も痛い「鍼」をあるツボに打ったのである。悶絶した。しかし、身体中の張りが一気に緩んだのである。まるで筋肉弛緩剤を打たれたようだ。あんなに痛かったふくらはぎも、腰も一気に楽になった。北斗の拳のシュウみたいだ。…えらいもんである。
H城鍼灸院:http://www.eonet.ne.jp/~honjo-shinkyu/

鍼灸院から帰宅したら、前任校の後輩の口の悪いI先生からメールがあった。英語DE南北貿易ゲーム、完璧にできたそうだ。細かい交渉まですべて英語でガンガンやりあったらしい。今日はゲームだけだが、次回はその「ふりかえり」をさらに全て英語でやるらしい。…えらいもんである。

追記:ToshikazuTANAKAさん、読者登録ありがとうございます。私が行かせてもらっている京大の公開講座のアフリカ地域研究の博士課程の方です。気が引き締まります。これからも、よろしくお願いいたします。

2011年4月18日月曜日

2通の嬉しいメールと新生活

今日は嬉しいメールが2通来た。早朝から、奈良教育大学の風をつかまえた前任校のOB・G君から「一般教養で、ESDと世界遺産教育を取っている。」とのメールがきた。前回の講義では、修学旅行中に課題としたカナダのセヴァン・スズキのスピーチが教材だったという。さすがは奈良教育大学である。彼自身は完全文系の国語科だったので、物理を高校時代全くやっていない。大きなハンデだが、それは覚悟のうえである。なかなかハードな学生生活を送っているらしい。そんな中で沢木耕太郎の『深夜特急』を読んでいるとか。うふふ、いいぞう。諦めの悪さは人一倍のG君であるから、コツコツと自分の道を切り開いていくだろうと思う。楽しみである。

夕方に、前任校の後輩の口の悪いI先生から、「ALTの発案で、南北貿易ゲームを英語でやることになった。」というメールがきた。発案したALTは、昨年から来ているシンガポールの方で、そもそも地理の先生である。向こうでも何度かやったそうな。英語DE南北貿易ゲーム。伝統になるかも。私の撒いた種が意外なところから動き出したわけだ。嬉しいなあ。また後輩の口の悪いI先生が、そういう知らせを届けてくれることもありがたい。(ちょっと不本意だが褒めておきたい。)前任校のESDも着実に発展しているわけだ。

てなわけで、今日は、前任校の話題になってしまった。…これはいかん。新生活である!

本校では、恐怖の5・6・7限世界史B三連発の月曜日であった。疲れがひどく、私は、いくぶん低血糖状態になってしまったのである。汗が出て頭髪が乱れて、周囲の先生から「お疲れですねぇ」と心配されたほどである。いつもの公園にワイシャツを腕まくりして喫煙に行った。おまけに雨が降ってきた。一気に寒くなってきたのであった。ふー。月曜日の放課後は、チェルシーを舐めることにした。(放出駅に着くころには十分回復した。メデタシ・メデタシである。)

ところで、今日の画像は、本校における最近の私の机上の写真である。前任校での私の机上を知る先生方や生徒諸君からは驚きの声を上げられるだろうことは想像に難くない。ふふふ。いらんものはすべて社会科準備室においてあるのだ。机の中も整理してある。どうだ、文句あるか、後輩の口の悪いI先生!

G12用のウエストポーチと、バッグ用のレインカバー

机上の右奥のバッグが、例のお気に入りのナショナル・ジオ・グラフィックのカメラバッグである。その近くのミニュチアのようなバッグは、G12用のバッグ(実はウエストポーチ)である。親亀と子亀がいるような感じ。かわいいでしょう。しかも、雨用にレインカバーも購入したのである。(このバッグ布製なので雨に弱い。)さっそく今日使って帰宅したのであった。新生活もなかなか良いのである。

追記:荒熊さんのブログに、詳細なブルキナの情勢が載っています。
http://cacaochemise.blogspot.com/
ブルキナにいるF君、京大のEさん、くれぐれも気をつけてください。もちろん、和が家のIさん、外出禁止令で商売あがったりですが、気をつけてください。JICAの皆さん方も騒動に巻き込まれませんように。

2011年4月17日日曜日

ラグビーの試合に行ってきた

寝屋川市の高台に同志社香里高校のラグビー専用グランドはある
せっかくスポーツの盛んな学校に来たのだから、生徒が頑張っている試合を見たいということで、今日はラグビーの試合を見に行ってきた。同志社香里高校で完全アウェーの対戦であった。まず驚いたのは、人工芝の専用ラグビー場であったことだ。青空に芝の緑が美しい。さすが私学・伝統校である。大学と同じ色のシャージで、体も声もでかい。気合いが入っている。
本校のラグビー部は、紺とピンクのジャージである。なかなか良い。保護者の皆さんも紺とピンクの旗を振っての応援をするようだ。G12を取り出して、なかなか期待が高まるではないかと笑顔でキックオフのホイッスルを聞いた。
G12でシャッタースピード(1/500)優先で撮影
ところが、1分もたたないうちに左隅にトライを決められてしまった。?何が起こったのかわからないくらい早かった。オイオイ。同志社香里の応援団が大歓声である。私はラグビーは全くの素人だが、これでリズムが狂ったのだろうか。たしかにフォワードも押しが強いし、バックスもめちゃくちゃ足が速い。気合も凄い。よく声が出ている。完全アウェーで、ボコボコにトライを決められていく。時折、なかなか良いプレイも出るし、相手もノッコンをしたりするのだが、流れは完全に同志社香里である。
結局、凄い点差で負けてしまった。マネージャーに聞くと、こんなに大敗したのは初めてだという。前回の試合大阪朝鮮高校とは27対10。全国大会に出る強豪に、最初リードして善戦したというのに…。
このラインアウトもシャッタースピード優先で撮影
試合後、顧問のM先生が、指導されているのをいっしょに聞いた。結局基本が大事だということ。たしかに同志社香里は身体も脚力も本校より上で、しかもラグビーを良く知っているかもしれない。だが、それ以上に基本に忠実なプレイをしていたとのこと。そういう取り組みへの姿勢が勝敗を決定するとのことだった。なるほど。M先生は怖そうだが、生徒への指導はソフトである。高校時代や学生時代は、殴られながら強制されて練習をやってきたと言われた。しかし本校のラグビー部にはそういう指導はしたくないのだそうだ。ラグビーは残酷なポーツで、キックオフのホイッスルが吹かれたときに、すでに勝敗は決まっているのだという。いくら負けていても最後まで戦わねばならない。まさに今日の試合がそうだった。だが、生徒たちは最後まであきらめず、タックルし、向かっていった。悔しくて泣いていた生徒がいた。負けたのは、お前のせいではない。監督のせいだときっぱり言われた。悔しかったら基本に忠実に、明日からまた練習しよう。練習の成果が試合の結果そのものなのなのだ、と。

私も大いに勉強になった。いいなあ。ラグビー。青春だなあ。ちょっとハマりそうである。

2011年4月16日土曜日

京大アフリカ研公開講座 4月

鴨川から桜越しに京大稲森財団記念館を望む
京大のアフリカ地域研究資料センターの公開講座に行ってきた。『アフリカ研究最前線』「生きる」というテーマで毎月、計5回行われる。今日は新年度・第1回。太田至先生の『サバンナに生きる』であった。太田先生は、ケニアの牧畜民トゥルカナの研究を長年続けてこられたアフリカ牧畜民研究の第一人者であられる。
トゥルカナは、トゥルカナ湖の西方、スーダンとウガンダに国境を接する地方(面積は九州程度)に約30万人が暮らしている。乾季には礫砂漠といっていいほど乾燥する。私が以前紹介した静岡県立大の湖中先生が研究している同じケニアの牧畜民サンブルより、さらに過酷な土地である。何よりインフラが悪く、ナイロビに出るのに2日かかるという。太田先生は、「牧畜民」の暮らしを一般の方にも解るよう豊富な画像で説明された。私は、湖中先生の本を熟読し、またブルキナで牧畜民のトゥアレグの村にも足を踏み入れた経験もあって、よくわかった。たしかに牧畜民の暮らしを、日本にいると、全くイメージできない。一から説明するのは大変だ。
面白い話も満載だった。コブ牛ゼブのこぶは脂肪の塊であることは知っていたが、食べると「大トロ」のような味らしい。(笑)彼らは自分の所有する牛や羊、山羊の顔を記憶しているという。また乳を搾る際、子供にまず飲ませ、子供を離して絞るのだという。もし子供が死んだら、その革で人形をつくり、それに母の小便をかけたりして騙すらしい。人間の生きる知恵は凄い。去勢のやり方も教わった。睾丸を切るのではなく、木のハンマーでたたき精索(血管と輸精管の束)を内部で切断するらしい。200回ぐらい叩くそうだ。(痛)
日本で「雨」という語が様々にあるように、彼らのコトバには、家畜の模様や、角の生え方をそれぞれ意味するコトバ(名詞)があるそうである。また去勢した特別な牛に宗教的な価値をもっていたり、独特な文化を形成している。私は、こういう話が大好きだ。 

ところが、この牧畜社会、「開発」という面から見るとかなりキビシイ。完全に周辺化してしまっているわけで、これからどうなっていくのかという課題が山積みである。この辺、時間が足りなくなってしまった。休憩の後質疑応答で…ということになった。 

私は、次のような質問を書いた。アフリカにおける携帯電話の普及は著しい。トゥルカナではどうか。家畜商とのやりとりなど、マーケットへのアクセスに有利だと思う。ちなみに、サンブルのように家畜商はキクユ人(ケニアのマジョリティ)が握っているのか。
太田先生は、他の方の質問も踏まえ、およそ次のような話をされた。教育事情も30年前とは格段に良くなったこと(とはいえ、現在でも60人の集団がいたとして、英語は2~3人、スワヒリは50%が解るというレベルらしい。)携帯も普及しており、それまで歩いて情報を交換していたのが、大きく変化したという。と、この辺で時間切れになった。
終了後、一番にかけつけて質問した。サンブルよりはるかに周辺に属するゆえに、まだまだマーケットにのれないらしい。またジャトロファー(バイオ燃料に期待される毒草)の話題になり、「これは今大問題なのです。」とおっしゃった。この件については改めて書きたいと思う。

センターの研究員さんと、スーダンにNGO職員として行かれており一時帰国されているお嬢さんを交えて、懇談することになった。ワインなどを手になかなか素敵である。(私はジンジャエールだったが…。)スーダンのお嬢さんは、難民の世話をしていたとのことで、人間の安全保障的な国際協力から、「開発」へとNGOが発展するのかどうかの瀬戸際だと言われた。牧畜民に農業支援をしょうかという話になっているらしい。研究員さんは、実際そういう遊牧民が農耕民化して、ある日突然やめてしまったという話をされていた。なるほど。そう簡単にいかないと私も思う。彼らにはカインとアベル以来の相克がある。

太田先生と語らう中で、アフリカの牧畜民が、近代国家や市場経済の「周辺」として大きなお荷物視されている現状を確認した。うーん。どうすればいいのだろう。大きなテーマをまたいただいた。主食たる穀物生産の生産性を拡大し、自由な賃金労働者を生み出し、投資を呼び寄せて工業や商業でGDPを増やすのが、一応の開発経済学のセオリーであるが、牧畜民は最も土地生産性の低い集団である。とはいえ、彼らの伝統や人権や生業を否定することは難しい。うーん、と唸るのみである。

ちなみに、研究員のみなさんは、前回の公開講座で再会したEさんを通じて私のブログをご存じだった。(Eさんはブルキナに先日発たれたという。頑張って!Eさん。)かなり恥ずかしい。あくまで市井の独学の高校教師のブログです。お手柔らかに。

2011年4月15日金曜日

昭和天皇 第一部 読後メモ

昭和天皇 第一部(福田和也/文春文庫)をやっと読み終えた。日本近現代史のみならず世界史ともからめたドキュメントの傑作である。これはメモしておきたいと思った箇所を紹介しておきたいと思う。

昭和天皇が戦時中すごした御文庫の執務室に2つの胸像があった。1つはダーウィン。生物学の研究をしていた天皇らしいが、もう1つはリンカーンであった。ルーズヴェルトが執務室にガタルカナルから送られた日本兵の髑髏を置いていたことと比べて、凄みを感じる。想像を絶した無私の境地である。(著者と同感。)

昭和天皇の生母は、九条家の出であるが、華族女学校中等部の全ての生徒の中から最も健康な女生徒だとして、侍医・橋本綱常によって選ばれた。この橋本の長兄は、安政の大獄で有名な橋本左内である。橋本は伊藤博文に「橋本の身体から医学を差し引いたら零じゃ」と言わしめた奇人でもある。(このへんの明治という時代の面白さを感じる。)

大正の元号をスクープしたのは、大阪朝日新聞の新人記者緒方竹虎である。(後の緒方を知っていると面白い事実ではないか。)

昭和天皇の帝王学・倫理の初講義は「三種の神器」について語られた。鏡が知を、玉が仁を、剣が勇を「実物に託して垂示せられるもの」だからである。知・仁・勇は中国での徳の最たるものであるとともに、西洋でも知と情と意思を兼ね備えた人格を完全なるものとしている。ゆえに知仁勇は人類に普遍的な徳である。知を磨くには学問を好きになること、仁を育むもは「下民」を愛しいたわること、勇を養うには恥を知ることと具体的な方法が挙げられたという。(倫理の教師としては、なるほどと思った。)

リヒャルト・ゾルゲもヒトラーと同様第一次大戦でイーブル攻防戦に参加した。負傷し、ケーニヒスベルグの病院でヒトラーが受けたのと同じ第二級鉄十字勲章をもらった。マルクス主義者の看護婦に感化され、彼は勲章に大した価値を見出さなかったが、後にこの勲章のおかげで、在日ドイツ大使館の武官を籠絡するのに絶大な威力を発揮した。(この逸話、凄い。いつか授業で使わせてもらおうと思った次第。)

昭和天皇の妃・良子皇后を選んだのは、大正皇后らしい。皇后は数人の学習院女学部の生徒を呼び、掌を見分した。1人だけあかぎれができていた。それが良子皇后である。他の者がいやがるので毎日便所の拭き掃除を引き受けていた故のあかぎれであった。乃木が冬でも湯を使わせなかった故らしい。(トイレの神様の話を思い出す逸話である。)

実は、この天皇と皇后は、幼い時(昭和天皇が6歳くらい)に同席している。弟(後の秩父宮)が皇后の妹にいたずらを仕掛けているのだが、2人とも全く動ぜず楽しげに笑っているだけだったという。(こういう話、個人的に好きである。)

他にもたくさんあるのだが、これから読まれる方もいるだろうし、これくらいにしておきたい。お勧めの1冊である。第二部の発行(5月10日)が待ちどうしい。

2011年4月14日木曜日

喫煙する近くの公園にて

本校の南側にはちょっと大きな公園がある。ヘビースモーカーの私としては、信号を渡って、この公園まできて喫煙することになる。ちょうど灰皿のあるベンチがあり、そこに座る。
朝は、近くのご老人が来ていることが多い。今日などは、犬を連れてきているおじいさんたちと話していた。桜もまだ咲いているし、のどかな春の日差しが和ませてくれる。自然と会話が進むのである。
昼からは、子供連れのお母さん方が来る。小さな子供が走り回っている。これはこれで微笑ましい。

ところで、この公園は本校生の絶好のランニングコースでもある。毎朝、テニス部や野球部の生徒が朝練なのだろうか、ランニングしている。私に気づいて、挨拶をしてくれる生徒もいる。汗だくで走っているので、挨拶なんていいから、と思ってしまう。今日の画像は、桜もあと少しだからと思い、昨朝G12で撮影したものである。散歩する近所の方々をすり抜けて生徒たちが走っている姿である。

こういうスポーツに情熱を傾ける高校生がいるのだ、というのは私にとって極めて新鮮な事実である。時間がたてば、それが普通になるのだろうが、生徒の純粋な気持ちを大事にしたいと思う。
前任校でもそうだった。…高校生は純粋である。今という「時」を真剣に生きている。いいよなあ。だから高校教師はやめられない。

2011年4月13日水曜日

団抽選と新入生歓迎会

団抽選の結果 G12no魚眼レンズ風で撮影
今日は、午前中授業の後、5・6限の総合的な学習の時間、LHRを使って、「団抽選」と「新入生歓迎会」が行われた。団抽選は、すごい盛り上がりだった。普段は、礼儀正しくしつけられている本校生だが、この時ばかりはと、特に3年生はウサギの耳をつけたり、馬や牛、大仏などのかぶりものをして、鳴り物を持って講堂に入ってきた。生徒会執行部は、この抽選会を運営するわけだ。
無茶苦茶盛り上がる3年生たち
予想外だったのは、色のついたボールを引く時、必ずギャグを入れることである。ドラムロールに合わせて、箱に手を入れるのだが、カイロをだしたり、手を出して「肌色」とやったり。そのたびにウケる。しかも、3年生を中心に応援が行われ、そのギャグをあおるのだ。無茶苦茶盛り上がっていた。私は愛機G12で写真を撮りながら、今年新規採用された本校OBのI先生と話していた。「凄いねえ。」「普段はピシッとやられていますから、この団抽選は先生方もあまり何も言いません。」(笑)3年の抽選が終わった。次に2年生である。体育科と武道科が重ならないように、3年6・7・8組の引いた色のボールが箱から抜かれる。そのうえで、体育科と武道科のクラスがまず引く。もちろん、一発芸のオンパレードである。2年の体育科を引き当てた普通科3年は、狂喜乱舞である。I先生が「2年の体育科が同じ団になったので普通科クラスが喜んでいるわけです。」と解説してくれた。なるほど。一糸乱れず喜びのコールを連呼する。(笑)と、言う感じで1年生まで引いていくのだが、普通、1年生はギャグなどできるはずもなく、おとなしいらしいのだが、今年の1年生は、雰囲気に圧倒されたのか、一発芸を披露していった。I先生も「1年生がこんなことをやるのは、初めて見ました。」とのこと。おかげで、おおいに時間が延びてしまった。生徒会顧問としては、痛し痒しである。(笑)

新歓にてラグビー部
その後、新入生歓迎会へと続いた。2・3年は一応退場し、クラブ員のみ着替えたり、道具を用意したりと大忙しである。リハーサルを見ているので、安心していたがどんどん時間が経過していく。このままだと4時を過ぎるのではないかと思ったほどである。私たち着任した教職員向けのオリエンテーションも予定されており、運営を途中で抜ける羽目になってしまった。武道関係のクラブを見れなかったのは残念であるが、仕方がない。

オリエンテーションが終わり、職員室に戻ると新入生歓迎会も終わっていた。次は金曜日の生徒会選挙の段取りである。それが終わったのが、5時30分。昼休みの準備から休憩なしであった。(当然喫煙もストップしたままであった。ふへー。苦しい。)一服して、さあ下校しようと思ったが、ふとグランドに出たくなった。その他大勢の顧問になったラグビー部が練習していた。春休みに見ていた時とは、すこし様子が違う。教えている生徒もいるし、カールじいさんとして顔も売れてきた。みんな笑顔で挨拶してくれる。結局30分ほど、フォワードやバックスの練習をずっと見ていた。先週の大阪朝鮮学校には善戦したが負けたそうだ。リーグ戦の次の相手は同志社香里らしい。怪我で練習に参加できない部員が次は勝ちますよと、フォワードマシンの重りになるため走って行った。

2011年4月12日火曜日

授業第2日目と団長会議

授業第2日目。今日で今年担当する全部のクラスで授業することができた。なかなかノリがいい。プロとしては、ついついサービスしてしまう。特に、2年1組は文Ⅰという普通科文系の中でも成績の優秀な生徒を集めたクラスで、なかなか反応もいい。実は、私はこの1組の副担任(担任の先生がお休みの時ホームルームなどを代行する)を仰せつかっている。生徒たちはそれを知っていた。で、授業の終わりに、遠足の話が出た。本校では、クラスごとで遠足の場所を決めるのだそうだ。私の母校でもそうだったが、教師になって32年目、初めての体験となる。「どんなところがいいですか?」と聞かれたので、「山登り以外。」と答えたら、ウケた。(笑)

今日も、3456限と昼休みをはさんで4連発授業だった。さすがに、昨日今日と疲労が溜まっている。くたくたである。さて、放課後は、団長会議だった。本校は1学年8クラス。縦割りではなく、抽選で「赤」や「青」などの色名の団活動を中心に、体育祭・文化祭を行う。文化祭では、学年ごとに、舞台や模擬店、展示とあらかじめ決められていて、団ごとで得点を争うそうだ。明日、その団抽選会をやるので、3年生の各クラスの団長を集めて会議が行われたわけだ。特に体育祭では、体育科や武道科が強いので、うまくばらける必要がある。明日の抽選会は、大いに盛り上がるそうだ。楽しみである。

団長は大変な役目だ。かなりの責任を負わされる。聞いていて、なかなか大変だと思った次第。ちなみに団長はみんな男子である。女子が中心になっていた前任校から見ると新鮮であるし、なかなか頼もしい。

ところで、通勤時間が短くなったので、読書時間も短くなってしまった。今、「昭和天皇・第一部」(福田和也/文春文庫・本年2月10日第1刷)を読んでいる。無茶苦茶面白い評伝である。著者は、昭和天皇を「彼の人」という表現で、出生から描いている。細かな評伝で、明治後期から大正にかけての様々な逸話が満載である。

先日、天皇が埼玉の避難所を訪問された。最近、私の天皇観が大きく変化しつつある。天皇という「生き方」は、やはり極めて「日本」そのものなのだと思うようになった。歴史的用語を使えば「国体」と表現されるのであろう。なんとなくわかってきた。天皇という存在は「公」そのものなのである。天皇と皇后が膝をおられ、被災者と同じ目の高さで、極めて自然に激励されている姿に感動せざるをえない。

関東軍や参謀本部、そして大本営(4月5日ブログ参照)の「私」を離れられない姿とは、完全に一線を画しているように私は思うのだが…。

団長となった生徒諸君にも、できるだけ「私」を捨てて、「公」の立場で自らの責任を全うしてほしいものだ。それが、リーダーとして最大の「学び」だと私は思うのだが…。

2011年4月11日月曜日

世界史をなぜ学ぶのか

メガネを壊したサンディエゴ
授業が始まった。月曜日は、恐ろしい時間割である。3限目政治経済(3年体育科・武道科選択クラス)、5限目世界史B(2年普通科4組)、6限目世界史B(2年普通科3組)、7限目世界史B(2年普通科2組)。世界史Bの三連発である。ひぇー。
本校生の元気さや礼儀正しさは良くわかったが、さてさて授業はどうであろうか。興味津津であった。ありがたいことに、離任式・対面式が予定外に早く終わったので、月曜日は7限授業なのだが、2時限目がカットされ、3~7限授業が繰り上げで実施され、6限授業となった。つまり、私の3連発は、昼休みをはさんで分離されたのである。ラッキーである。

全体的には、特に2年生はクラス替えがあった直後だったので、硬かった。みんな猫をかぶっておる。(笑)ギャグも受けない。(これは困る)最初の4組はやりにくかった。反応がない。みんな世界には目が向いていないのか…と、近くの公園でタバコを吸いながら、ちょっと暗い気持ちになった。しかし、3組、2組と授業をするうちに反応が出てきた。猫が取れてきたのだろうと思う。次回の4組もきっとほぐれていると思う。

今日の世界史Bのテーマは、自己紹介を兼ねながら、なぜ世界史Bを学ぶのかという話をした。春休みにずっと考えていたのである。(指導要録には、正解らしき事が書いてあると思うが、社会科準備室の段ボールの中に埋もれている。)本校生と私にとっての学ぶ理由をずっと探していた。結局、「地球市民」を育むためという結論に達した。『共生』のための正しい知識を身につけるための世界史Bでありたい。

で、地球市民とは何かを熱く語ることになったのであった。ところで、本校生はあまり世界に目が向いていないようである。(というより、前任校が目が向きすぎていたと言うべきであろう。)何より英語がネックらしい。地球市民は、外国語ができることは、大きな要素ではない。サンディエゴでのメガネを壊した話をした。なかなかウケた。(昨年度の4月12日付のブログ参照。ちょうど1年後に同じ話をしている。衝撃的な事実だ。)これからも、そういうアレルギーをほぐしていこうと思う。

普通の学校で、私のESD実践の真価を試したい。ガンバロウ、日本。ガンバロウ地球市民。

2011年4月10日日曜日

駒ヶ根で学ぶLily君を応援する

外務省海外安全HPより
いよいよ、教え子のLily君が長野県駒ヶ根でJOCVの研修に入ったようだ。彼は、ドミニカ共和国に行くので、スペイン語を学ぶことになる。彼の語学力は半端ではない。しかも、かなり準備もしたようだ。以前ロゼッタストーンという教材で、スペイン語を事前に学んでいた。(私もスワヒリ語をやろうかなと、ちょっと考えたが、きっと続かないと確信してやめた。)語学というものは、日々の積み重ねがなにより重要である。私のような気分屋には向かない。
はるか昔、中国語をやろうとTV講座をビデオで撮ったが無駄になった。かなり昔に、イタリア語をやらねばならないことになって、教則本などを手に入れたが、結局ファンタスティーコ(素晴らしい!)という語彙しか残っていない。先年のブルキナ行きのフランス語など撃沈である。シィルブプレ(プリーズ)が、エールフランスの機内で通じなかった。最低である。あーあ。

Lily君の話であった。彼はドミニカ共和国に行く。ちょっと外務省のHPで治安状況を調べてみた。全く問題はない。西側のハイチがハイチなので、心配だったが、地図は真っ白である。(問題があると色がつく。コートジボアールなどは現在真っ赤である。)ちょっと安心した。これから徐々にドミニカ共和国についてもブログで書いていこうと思う。リンクしているが、改めてLily君のブログを紹介しておきたい。:http://lily-international-cooperation.blogspot.com/

ところで私が読者登録しているブログがもうひとつある。荒熊さんのブログである。ブルキナの治安についての最新情報が先日書かれていた。
荒熊さんのブログ:http://cacaochemise.blogspot.com/
いつもは、ドミニカ共和国と同様、真っ白な地図だったブルキナが、ほとんど黄色になっていた。F君、そんなに心配することはない。私がジンバブエに行った時も真っ黄色だった。アフリカではこれが普通である。とはいえ、ブルキナの地図が黄色いのを始めて見たのだった。珍しい。(私の行ったサヘルの村あたりは、もうすこし危険だということになる。)

Lily君、駒ヶ根という素晴らしい場所での研修、楽しみながら、頑張って欲しい。(もう十分頑張っていると思うよ…。)F君、ブルキナでの研修(あえてそう呼ぼう。)、有意義なものになりますように。
私も、自分に出来ることを懸命にやりたい。まずは、明日の政治経済や世界史Bの授業で、地球市民のことを熱く語ることだ。

2011年4月9日土曜日

島田先生の本、発見さる

息子が、新学期の諸手続のために、今日一時帰国してきた。イギリスは、太陽がないと、モロッコに行ったり、カストロが生きている間にとキューバにいったり、フランスに寄ってモンサンミッシェルを見たりと、優雅な身分である。妻にいろいろ話していた。海外でも日本の大震災のニュースは大きく取り上げられており、WEBのニュースでも詳細にチェックしていたという。息子の奥さんは、実家が水戸なので成田から直接、実家に戻ったとのこと。

優雅そうにみえるが、きっちりと知人の被災者の申し出を受けて、避難用バスチャーター代など、金額は言えないがかなりの額を義捐金として出したようである。

帰国して、息子が家にたまったアマゾンに注文し届いていた莫大な本を整理していると、私が注文して「なかなかこないなあ」と諦めていた本が出てきた。「これ、お父さんの本や。」先日公開講座を聞いた京大の島田先生の『アフリカ可能性を生きる農民』である。妻が間違えていっしょに保管していたようだ。おいおい。ずっと待ってたんやぞ。

ところで、先日、京都の学生時代からの親友のお母さんが、他界された。86才のご高齢ながら、全く病気もされないまま、浴室で心臓麻痺で急逝されたという。親友と電話で話したが、「大往生だ。」と言っていた。今日は葬儀の日である。本当は妻と共に駆けつけたいのだが、急なことで予定がつかないし、親友からも「無理しないように」と言われたので、遠慮することにした。彼は、私の母が最後に入院したとき、「関西に来たついで」と言って、見舞いに来てくれた。

妻と話をしていて、夏に新潟に行き、線香をあげに行くことにした。結婚30周年記念の旅は、新潟になりそうである。

2011年4月8日金曜日

カールじいさん&大地讃頌

生徒会執行部の大震災募金に始まったハードな1日だった。本校生は自転車通学が多く、なかなか募金が集まらないようだ。しかも運動部が多く、合宿や遠征費、ユニフォームなどの出費が多い上に、帰宅前にジュースなどを飲むので、余計金欠状態らしい。よくわかる気がする。(笑)
始業式では、私が着任の挨拶をした。一気に顔が売れてしまった。式の後、女生徒2人が、「先生、カールおじさんに似てますよね。」「そっくり!」と声を掛けてきた。最初お菓子の「カール」だと思って「似てないやん。」と言うと、「空飛ぶ家のカールじいさんですよ。」と言われた。「…。たしかに白髪と眼鏡だけ似ている。」と苦笑した。ついに『じいさん』になってしまった。ちょっとショックである。(笑)

入学式は素晴らしかった。本校のHPに『新年度は、この風景から始まる』2年生全員による合唱・・・(大地讃頌)という箇所があって、いつやるのかと思ったら、入学式だった。リハーサルを覗いてみた。凄いのである。混声四部合唱だろうか。鳥肌がたつほど感動した。(本番も当然よかった。)本校の売りはスポーツなのだが、この合唱は凄い。1年で合唱コンクールをやって、半年をかけて、ここまで仕上げるのだという。15年前から始めた伝統だそうだ。いい学校に来た!とまたまた思ったのであった。
入学式後、水曜日の新入生歓迎会のリハーサルをやった。特別活動部の仕事である。これがまた、面白い。生徒会執行部は運営で、何度もパニックに陥ったが、運動クラブの元気さが半端ではない。硬式野球部、サッカー部、ラグビー部、バスケットボール部…わけがわからないほどに元気だ。武道関係も凄い。剣道部が見事に突きをど真ん中に決めていく。さすがインターハイ大阪代表である。柔道部も凄い迫力だったし、なぎなた部の演技は美しかった。仕事なのだが、生徒の顔を見ているだけで心から満足した。当日も楽しみである。2日続きで、下校が7時過ぎになった。それも良しである。(ちなみに昨日は、政治経済の授業用にアフリカ開発経済学テキストを印刷、製本して遅くなったのだが…。)
一方、前任校の様々な学年のOGから、毎日携帯や自宅のPCにメールをもらっている。本当にありがたいことである。私は元気で、頑張っているよぉ。それにしても…カールじいさんかぁ。ショックやなあ。(笑)

2011年4月7日木曜日

岡村大使の無事を喜ぶ

コートジボアールの日本大使公邸が傭兵に襲われたが、仏軍に救出されたというニュースが入ってきた。岡村大使は、日本外務省の数少ない希望の星である。(昨年12月6日・25日付ブログ参照)無事でなによりである。朝日新聞のWEBが最も詳しいので、これを転用したい。
ートジボワールの最大都市アビジャンで6日午前7時(日本時間同日午後4時)過ぎ、武装した集団が日本の岡村善文大使(53)の公邸に侵入した。敷地内で避難していた岡村大使らは6日午後10時(日本時間7日午前7時)過ぎにフランス軍などによって救出された。コートジボワールは昨年11月の大統領選をめぐって混乱が続き、事実上の内戦状態となっている。外務省によると、大使公邸に侵入したのは、落選を認めず大統領職にとどまり続けているバグボ氏側の兵士数人とみられる。兵士は公邸敷地内から外部に向け、機関銃などを発射していたという。岡村大使は現地職員や警備員7人とともに公邸内に避難し、国連の要請で出動したフランス軍のヘリで全員救出された。警備員1人がけがをしたとの情報がある。岡村大使は保護された後、外務省に対して「兵士側からの接触はほとんどなかった」と話しており、日本を攻撃対象にしたのではなく、交戦の拠点に使おうとしたとみられるという。AFP通信によると、岡村大使は公邸内で避難中に電話取材に応じ、「兵士はロケット砲を撃ちながら公邸に侵入し、私を含めて約10人は防弾ドアのある部屋に閉じこもっている」と語っていた。日本大使館は安全確保のため3月31日に閉鎖し、岡村大使は公邸に待機していた。公邸はバグボ氏の自宅と同じココディ地区にあり、周辺地域では国際社会が当選を認めたワタラ元首相側との間で断続的に戦闘が続いている。外務省によると、日本大使館員を含む在留邦人は全員無事が確認されているという。
…アビジャンの情勢はまさに魑魅魍魎である。ところで魑魅魍魎といえば、日本の政府も変わらない。なぜ莫大な義援金を今まで放っておけるのか、理解に苦しむ。今日やっとそのための検討委員会を立ち上げたという。被災者の把握はすでに100%とはいえないまでも、ある程度はできているはずだ。とりあえず当面の生活資金を渡すくらいの機転がきかないのかと、理解に苦しむ。官僚主義、ここに極まれりである。

私には、これは「政治主導」を振りかざした与党に対する官僚のサボタージュにしか見えない。私は官僚の味方をするわけではないが、「政治主導」と威張って言えるほど与党の政治家には、基本戦略も展望も能力もないのではないかと思っている。今は政府の中枢機構がズタズタになっているが、昔なら事務次官等会議で、官僚のドンである内閣官房副長官が、各省庁の意見を調整し、一気に義援金を振り分けていただろう。
これは官僚の逆襲である。その官僚のエゴ(我こそ国家なりという意識)は、もろ刃の剣なのである。官僚の中には、岡村大使のように立派な人物もいる。(某元ケニア大使のように魑魅魍魎もいるが…。)要は、それを使いこなす政治家の力量が問題なのである。

2011年4月6日水曜日

放出の喫茶店を渡り歩く

これまでの行きつけの京橋の喫茶店
転勤による生活の変化は、学校のことだけではない。通勤経路は、かなり短くなった。これまで6時前に起きて6:30くらいの電車に乗っていたのだが、そもそも早い電車に乗っていたのは、座って読書するためだった。それからモーニングに寄って、地下鉄に乗り換えると前任校には7:50くらいに着く。ちょっとした仕事の準備が出来る時間帯なのでちょうど良い。
自宅の最寄駅から本校最寄駅の放出(HANATENと読む)駅まで区間快速では、25分。これでは、あまりに早く着いてしまう。妻もゆっくり寝たらと言うので7:00くらいの電車で行くことにした。ところが、この時間帯になると座れない。まあ立っていても25分くらいなので問題はないのだが、ますますモーニングでもして、いっぺん座ってホッとしたくなる。学校まで15分くらい歩く必要があるから余計にそう思うのである。50を過ぎたおっさんの唯一の贅沢である。

今日発見した放出の喫茶店
本校初日、駅前の小さな喫茶店にモーニングしに入った。客は私一人だけで、陰気な感じの店だった。380円でトーストとゆでたまごは高い。これまでの京橋の行きつけの店は、同じメニューで350円だった。週に1回くらいは気分によってホットドッグにすると380円。しかもゆで卵の皮がうまく剥けない。これは致命的な問題である。うーん、と唸ったのだった。今日、この店に一応行くつもりで駅を降りたのだが、シャッターが下りていた。まさかつぶれたのではないと思うが…困った。もう少し行くと、新しい店を発見した。明るい雰囲気で、若い女の子が3人で接客している。「モーニングを。」と私が言うと、「パンはどれにしますか?」と聞かれた。「? トーストでいいよ。」と答えた後、良くメニューを見ると、トーストのほかに、サンドウィッチやロールパンなどもある。なるほど。しかもレーズントーストというのもあった。レーズントースト!なんと素晴らしい響きであろう。みんな同額であった。ただし、ゆで卵付きで400円。あちゃー。これは高い。しかし、彼女たちの明るい応対も値段のうちだろう。ミスタードーナツのマニュアル化された無茶苦茶丁寧な応対も悪くはないが、自然体で明るいほうが私は好きだ。(完全におっさんの理屈になっている。)
と、言うわけでこの店に当分通うことにした次第である。なんのこっちゃ。

さて、学校の方は着任した先生方(16人もおられた。)を代表して、僭越ながら職員会議で挨拶した。実は、再任用(定年を迎えられた先生方で、改めて任用される方式。給料は一気に低くなる。)の先生方を除くと、私が最高齢だとか。衝撃の事実である。もうアホはできんなあと思うのであった。

8日の始業式では、全校生徒の前でまた着任の挨拶をすることになった。うーん。授業はともかく、全校生徒となると、さすがの私も気が重い。

生徒会顧問としての初仕事は、特別活動部長のO先生と共に生徒会室でミーティングだった。みんな、なかなか元気である。楽しみだ。本校の執行部は変わっていて、生徒会の役職も定員もはっきり決まっていないらしい。会長は1人だが、後は適当に役職を決めて、チームとして役員選挙に臨むらしい。今は、会長1、副会長1、書記2、会計1、総務2という陣容だと説明を受けた。増えても減ってもいいらしい。やる気のある者に門戸を広く開く、なかなか面白いシステムである。

2011年4月5日火曜日

コートジボアールと関東軍

コートジボアールのPKO部隊
毎日新聞の夕刊によると、コートジボアールで、ついに旧宗主国の仏軍が軍事介入を開始したらしい。アメリカが主導権を握るのでは、という私の予想(4月2日付ブログ参照)は見事に外れてしまった。現地に駐留するPKFの任にあたっていた仏軍が4日、アビジャンの前大統領派の拠点を攻撃したもの。攻撃は現地のPKO部隊との共同作戦で「国連事務総長の要請に基づく地元住民や国連職員保護のための措置」だという。仏国防省筋によると、ヘリ4機で前大統領派の基地を攻撃したほか、装甲車や兵舎などを破壊したという。生々しい話である。

ブルキナでは、きっとアブさん(彼は長いことコートジボワールに居たらしい。)がIさんの「和が家」に新聞を持ってきて大騒ぎしているんじゃないか、と思う。ブルキナのTVもこの話でもちきりだろう。人心が動くと、危ない。ブルキナも治安は他国よりはるかに良いといっても脆弱な社会だからだ。F君、くれぐれも気をつけて。反対に貴重な空間にほりこまれている、ともいえる。よく観察しておいて欲しいと思う。

社会科準備室の私物
さて、今日は後輩のU先生の車と力を借りて、引っ越しをした。莫大な私の私物を前任校から本校へ運び出した。U先生はキャンプ用に自前のキャスターを持っていてまさに最高の引っ越しパートナーである。3階にある社会科準備室に2人で運んだが、さすがにくたびれたのであった。私の愛車には自宅に持って帰る本が100冊以上積み込まれていて、帰りの道では極めてハンドルが重かった。

関東軍の重大発表
コートジボアールの紛争解決の件は見事に予想が外れたが、大震災の原発事故への私の杞憂は見事にあたってしまった。(3月14日付ブログ参照)私は、こう書いた。『ただ、最悪の事態を常に想定した指示は必要だと思います。なんでもソフトランニングしていこうという日本的な責任の分散だけは、避けてほしい、と私は言いたい。』
自分で何とかすると言いながら、決死の職員の食事や寝場所、ガイガーカウンターさえ用意していない関東軍。関東軍の動きをつかめず、あやふやな説明を繰り返す参謀本部。これらを全くリードできない大本営。まさに責任の分散である。海に汚染水を流すというような世界中が注視する中での極めて重要な情報を、大本営でもなく、関東軍司令官でもなく、責任のない中堅の参謀が涙を流して発表するなど、グローバルスタンダードから見れば、全く考えられない。冷徹なマーケットは鉄槌を下した。関東軍の株価はストップ安で最安値を更新したという。当然である。大本営は、大政翼賛会を組織したいようだがうまくいかない。当然である。
なんという責任の分散。日本は、あの戦争からいったい何を学んだのだろうかと私は思ってしまう。

2011年4月4日月曜日

檄!教え子の友人 ブルキナ行

ワガの朝の喧噪
フランスにいるA君の友人、F君がブルキナへ旅立つというメールを今朝受け取った。パリ発の夜の飛行機だから、今頃機上の人かもしれない。ブルキナのIさんのコーディネートで、首都ワガドゥグで少し過ごしてから、10日間コムシルガというワガドゥグから30キロメートルのところにある村でステイし、小学校の様子や診療所の様子を直に体験するスタディツアー組んでもらったようである。彼はフランス語が堪能なので、通訳などをつけないということで格安のツアーになったようだ。
ところが、ワガドゥグの治安が悪化しているようなのである。外務省の最新のHPでは、次のようにある。
1.ブルキナファソにおいては、本年2月下旬以降、学生による抗議デモや軍関係者による破壊活動や威嚇発砲が各地で連続して発生しています。現地報道によれば、3月29日深夜から30日未明にかけて首都ワガドゥグ市で発生した軍による暴動では、治安当局、軍及び地方自治体の幹部自宅が襲撃され、負傷者も発生した模様です。今後も同様の事件が発生する可能性があり、十分な注意が必要です。なお、同30日夜に、午後9時から翌午前6時までの間の夜間外出禁止令が発出されています。
2.つきましては、ブルキナファソに渡航・滞在を予定されている方は、最新の治安情勢の入手に努めつつ、不測の事態に巻き込まれることのないよう、渡航の安全性を慎重に検討してください。また、滞在中の方は、デモや軍関係者による抗議行動等の実施が予定されている場所には決して近づかない、その他大勢の人が集まる場所にはなるべく近づかない等、自らの安全確保には十分な注意を払うとともに、万一、デモや軍の威嚇発砲等の現場に遭遇した場合は速やかに現場から離れてください。更に、状況が悪化する場合に備え、自宅や職場に一週間分程度の飲食物その他緊急用備品の備蓄をお勧めします。
まだまだ『注意喚起』にすぎない。他の国に比べれば、安全なのだが、それでも気をつけて欲しい。おそらく、ワガではIさんの『和が家』に滞在すると思う。1回くらいは、ガーナへ続く国道の屋台街まで連れていってもらうかもしれない。自転車で10分ほどかなあ。あの真っ暗なデコボコの夜道を私は死にそうになって運転した。(笑)排気ガスの中、ヤギの焼き肉を食べながらビールを飲み、国際協力を語り合った。子供達のインフォーマルセクター(物売り)が、のべつ幕なしにやってくる。でも、9時までに帰らないといけないんだ。ブルキナでも、軍はたしかに危険だ。従順なブルキナベも軍を極度に恐れている。十二分の注意を払って欲しい。我々は特に目に付く。若いからと無茶をしないように。
とはいえ、五体で五感でブルキナを感じてきて欲しい。きっとこれからの人生にとって貴重な体験になるはずだ。何を得るかは、F君次第である。

2011年4月3日日曜日

アフリカンモバイルの話 2

2月7日付のブログで、アフリカンモバイルの話を書いた。それに続く第二弾である。
今日のWEBニュースで、アフリカンモバイルが保健医療に利用されているという記事が出ていた。『モバイルヘルス』というシステムらしい。クリニックの予約サービスやHIVエイズの問題、緊急手術の手配など利用価値は極めて高い。非電化地域でのデータ管理も可能らしい。しかも患者1人あたりにかかる通信コストは約12円。凄いではないか。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2793829/7041722

アフリカンモバイルの利用価値は極めて高い。金融(銀行のかわり)、保健医療、農産物価格の情報源、生産性とくに流通の合理化…。アフリカの人々にとって、無限大のチカラとなるはずである。

ところで、このところ転勤のこともあって、OG達と会うことが多かった。学生である彼女たちの語る情報・通信の様々なアイテムの話に全くついて行けなかった。(笑)
私などは、PCのブログで発信するのみで、携帯はそもそも日常的にインターネットに繋いでいない。(基本的にもったいないと思っているからだが…)したがってツイッターやフェイスブックなどは別世界である。ただ携帯電話だけでも十分大きな可能性があることはわかる。大都会大阪では、電車の中でもみんな携帯をさわっている。ちょっと異常じゃないかと思うこともある。だが、モバイルは各人に無限大のチカラを与えているのだろう。

アフリカンモバイルにとって、なにより問題は識字率、とりわけ女性の成人識字率の向上である。モバイルヘルスを拡大するための障害は、患者がメールを読めるか否かである。日本にいると『識字率』は意識外にあるが、アフリカの現実はなかなかきびしい。
だが、私は、このモバイルヘルスのメールを読めるようになろう、という識字率克服の波が、やがてアフリカ、特に女性の間に起こってくるような気がするのである。

春の箏曲と毎日新聞社説

春の箏曲を聴いてきた。3月24日にわざわざ駆けつけてくれたS君との約束である。彼女たちOB・OG組は、13:00からの部で中島みゆきの「地上の星」を演奏してくれた。現役や今年のOGたちの演奏も見事だった。今年は震災の影響で、提灯もなく、高津の宮としても、寂しい桜フェスティバルになっていた。桜も満開とまではいっていなかった。とはいえ、なかなかいい時間を過ごせたと思う。ありがとう。演奏が終わった後「来年も絶対やりますから…」というS君に、「じゃあ、見に来るね。」と約束してしてしまった。きっと娘を持つ父親というのは、こういう気持ちなんだろうと思う。(笑)

さて、このところ、ブログで『G12で撮影』とかいうコメントを画像に入れている。魚眼風の写真もあったりするのだが、これは一眼レフではないが、ちょっと良いデジタルカメラ『Canon PowerShotG12』のことである。
今日の毎日新聞でついに「震災後の景気ー消費で日本を支えよう」という社説が載った。震災に対し、義捐金を捻出するのも重要だし、節電するのも重要だと思う。しかし、被災者のことを考えて我慢我慢と消費を押さえるのは、経済のダイナミズムを破壊する。このままいけば、経済は極めて縮小し、被災のための資金をつくれない。消費は美徳とまでは言わないが、消費を無理に押さえることは美徳でも何でもないと言えるだろう。

このカメラをWEBで買った(もう少し詳しく言えば注文した)のは震災の前だが、震災後にカバンも思い切って買った。非常勤講師さんもカバンを替えられたようだが、新しい気持ちになるにはカバンを替えるのが一番だ。私も転勤を期に気分一新したかったのである。
G12のストラップを購入するため、カメラのナニワ心斎橋店を覗いたときに、ナショナルジオグラフィックのカメラバックが気に入った。布地でセンスがいいのである。帰宅後、WEBで見ていると昨年新しいシリーズが出たとあった。それもNGアフリカコレンクションある。痺れてしまった。で、結局買ってしまったのだった。ちょっと義捐金に回した方がいいかなと思ったが、上記の経済学的な意味合いもあり購入に踏み切った次第。
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100901_390558.html

アフリカを愛する私としては、このバッグを非常に気に入っている。軽いし、我がPCも持ち運べるし、JICAのセミナーでは、キャスター付の小スーツケースの上に、後ろに通すためのベルトがあるのできっちりとフィットしてくれるしで極めて重宝したのである。なにより、アフリカと共にいるようで嬉しい。

今日の春の箏曲は、アフリカコレクションのバッグを肩に、G12を駆使して何枚も写真を撮った。ブログに使う写真も常に必要だし、いつもG12を持って、こういう楽しみ方をしていきたいと考えている。

追記1:K市立外大のE君が4日、アメリカ留学に旅立つ。カリフォルニアである。頑張って欲しい。
追記2:Lily君がいよいよJOCV研修のため旅立つ。準備も進んでいるようだ。
追記3:3月31日付・ケニアの寒村から「豆」支援の記事へのアクセスが、今現在、3136件。あっという間に「コンゴのオナトラ船と猿論争」の総アクセス数2830を超えた。ちょっとビックリしている。

2011年4月2日土曜日

アビジャンに平和を

コートジボアールの情勢に変化が見られてきた。今朝の毎日新聞の朝刊・国際面には「元首相派、全土掌握」とある。「前大統領は孤立」とある。陸軍参謀総長も南アへの亡命の止めるなど、軍が離反しているようである。平和学では、紛争解決について、紛争が起こりそうな時に止めるのを最善策としている。だが、起こってしまった時、すぐに止めにはいるのは紛争に巻き込まれ解決のためにはよくない、次善策としては紛争の勝敗がある程度ついた時だとする。これがセオリーである。アメリカは、これを今だと見たのであろう。WEBニュースでは、アメリカが紛争解決のシグナルを送っていることを奉じている。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011040100115

ワシントン時事】カーソン米国務次官補(アフリカ担当)は31日記者会見し、コートジボワールが全面的な内戦の危機にあるとして懸念を表明、大統領辞任を拒むバグボ氏に対し、主要都市アビジャンに暴力が拡大すれば責任を追及すると警告した。同次官補は、コートジボワールが内戦に突入した場合、難民流出のほか、シエラレオネやリベリアなどの周辺国に政情不安が飛び火する恐れがあるとの見方を示した。また、大統領選で勝利したワタラ元首相の支持勢力がアビジャンに迫り、軍高官の亡命も相次ぐ中、バグボ氏の立場は著しく弱体化していると指摘。「アビジャンでの広範な流血と権力奪取をめぐる戦いを回避して辞任する機会は残されている」と強調した。(2011/04/01-07:23)

このへんのアメリカの外交感覚はやはりたいしたものだと私は思う。最近のオバマのアメリカは、「世界の警察であること」に少し自嘲気味である。リビアへの攻撃に対しては最近EUの後方支援に回っているし、今回の大震災、自国の原発推進政策や普天間問題もあって「トモダチ」に徹しているのも、結局は国益に帰着するのだろうが、昔のちょっと怖い保安官よりはいいと私は思ってしまうのである。

それより問題は、コートジボアールである。誰がどうひいき目に見ようともバグボのわがままである。これ以上悪しきガバナンスの被害者をだしてはいけない。アメリカの紛争解決能力に、ここは期待したい。サルコジは自国の”原子力中華共和国”という立場を守るのに精一杯のようだから。

H高校初日の印象

H高校/今日から本校である
本日より、私の「本校」はH高校である。今日は新年度初日であり、H高校に新校長が赴任されるセレモニーがあった。H高校は運動クラブが盛んな学校である。放送で校内にいる生徒が正門前に集まった。およそ100人以上。新校長が校門をくぐられると、野球部の代表が歓迎の言葉を述べた後、全員で校歌を合唱したのである。私は大いに感激した。元気な良い学校である。
学校内を1人で散策したり、ラグビー部の練習を30分ぐらい見学したりしていた。スクラムマシーンにぶつかるフォワードの生徒達。天高くパントをあげるバックスの生徒達。見ていて飽きない。変なおっさんがいると思っただろうが、ちゃんと挨拶してくれる。なかなか礼儀正しい。

昼から新しい校務分掌の会議があった。私は、特別活動部というところに入った。生徒会の主顧問をやることになった。20代前半の頃以来である。正直嬉しい。生徒と真正面からぶつかることの出来る部署である。生徒諸君の持つ力を大いに引き出していきたいと思う。膨大な資料をいただき、説明を受けた。部長は旧知のO先生で非常にやりやすい。

先生方の様子を職員室でウォッチングしていると「俺・お前」の会話が流れている。もちろん女性の先生方も多いのだが、やはり体育会系の構造があって、私には過ごしやすい。H高校、なかなかいいではないか。そんな思いを胸に夕方、京橋に出た。

夕方から前任校の先生方有志で私のために送別会をもっていただいたのである。飲んで、食べて、歌ってこんな時間に帰宅したという次第である。有り難いことである。後輩の口の悪いI先生の提案で、最後はアカペラで前任校の校歌を歌った。「♪若人よ明るい理智よ…」

校歌で始まり、校歌で終わった1日であった。