2015年1月31日土曜日

「明治天皇という人」を読む。Ⅳ

山岡鉄舟
http://shisly.cocolog
-nifty.com/blog/
2008/03/post_e168.html
「明治天皇という人」には、様々な資料をもとに、明治天皇の人間としての側面を描写した箇所がある。明治天皇は好き嫌いがはっきりしておられたらしい。

著者の松本氏の洞察によると、天皇は、西郷隆盛を愛し、そして彼の推挙で侍従となった山岡鉄舟を鎌倉時代の郎党のようにを愛していたらしい。山岡鉄舟は、江戸無血開城の際、勝海舟に依頼され、幕臣として西郷に命がけで駿府に向かい交渉にあたった人である。西郷から、「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない。」と称賛された。実際、皇居火災の時は、すごい速さでかけつけ、天皇に「飛行術でも心得ているのか。」と言われるほどだったという。また皇居に向かい、結跏趺坐(禅の姿勢)のまま死去したという「忠臣」であった。

西郷は西南戦争で逆賊になってしまったが、大久保とともに天皇の信頼は死後も極めて強かったらしい。岩倉も含めて、天皇が信頼した維新の功臣亡き後、天皇が信頼したのは、伊藤博文だけであるようだ。陸奥宗徳などはかなり嫌われていたようで、黒田清隆、西郷従道、川村純義、井上馨も性格がよくないとされ、大隈重信も山縣有朋も決して好かれていない。伊藤も、最初はあまり信用されていなかったようである。

…だが、伊藤は吉田松陰に「周旋の才」を認められていたように、事を進めるにあたって、慎重にネゴを重ねていく。私がこの書で最も印象に残った話のひとつに、憲法制定にあたって、伊藤は天皇と竹馬の友で、同じ学問的素養をもった侍従の藤波言忠を憲法理解のために1年間ウィーンに留学させるのである。もちろんドイツ語の通訳をつけてだが、この通訳は畜産の専門家で、法律用語が難解すぎそのドイツ語は用をなさなかったらしい。結局、通訳が英語でやりとりし、それを日本語で藤波に伝えたようだ。藤波は、この内容を、一年かけて天皇・皇后に進講した。天皇は熱心に耳をかたむけ何度も質問を重ねられたという。この辺の伊藤の深慮遠謀、凄いと思うのだ。

乃木希典について、明治天皇の思いは、山岡鉄舟に対する郎党に近いと著者松本健一氏は見ている。この話も面白い。日露戦争の際、天皇は乃木の解任に対し、「(そんなことをしたら)乃木は死ぬ」として反対したという。天皇は「忠臣」乃木を愛していた。だが、乃木は「元帥」になっていない。山縣や大山巌、西郷従道、東郷平八郎などは元帥になっているが、乃木はなっていないのだ。大元帥・明治天皇は、乃木を郎党と認識し、昭和天皇の教育を託し学習院院長に任じたが、軍務顧問(優秀な軍人)とは認識していなかったのだ。

…天皇は、横井小楠の弟子にあたる元田永孚らに若いことから「論語」を学んできた。だが、革命の原理を含んだ「孟子」を学んでいないのだという。だからこそ「忠臣」を深く好まれたのだのかもしれない。意外な話だったのは、北朝に繋がる明治天皇が、南朝を正統としたことだ。これも、天皇が忠臣・楠正成を愛する嗜好が影響したのかもしれない。

2015年1月30日金曜日

イチローのコトバに共感

イチローが、マイアミのマーリンズに行くことになった。どこであれ、またイチローの雄姿が見れることに私は大きな喜びを感じている。昨日、東京で入団会見が行われた。TVで見たイチローは、ファンにメッセージをと言われて、少し考えた後、「新しい場所に行って、新しいユニフォームを着てプレーすること決まりましたが、これからも応援よろしくおねがいします…とは僕は絶対言いません。応援していただけるような選手であるために、自分がやらなくてはならないことを続けていく、ということをお約束して、それをメッセージとさせていただいていいでしょうか。」とのべた。

そうなのだ。それでこそプロである。

よく、定期考査の際、授業の感想を最後に書かせる先生がいる。だいたい生徒は、そこで先生にお礼を述べたり、称えることが多い。なにかそれを強要しているようで私は大嫌いだ。だから3年生の学年末考査でかす論文試験でも、そういうことは一切書くことを禁じている。

教師は批判を受け入れることは極めて重要だ。だが、礼讃されることを欲することは堕落である。私はそう思っている。信頼される行動をとることはあたりまえ。礼賛されることは全く必要ない。

だからこそ、イチローのファンへのコトバ、実にすがすがしく感じ、私は共感するのである。

ところで、今日3年生の授業がすべて終了した。今年も、お世話になった先生方に礼をつくして最後の挨拶を行うことを、クラスのリーダーたちに含ませておいた。これは巧言令色ではなく、人としての道だ。あたりまえのことだと思っている。今や、4組では、それをちゃんとやったかなどと確認する必要もない。

いよいよ来週から学年末考査である。教室の清掃をするのに、金曜日の掃除当番だけでは無理がある。みんなで協力してよろしくたのむ、との一言で、クラス代表や団長や、多くのメンバーが手伝って、試験を受ける空間を創造してくれた。こういう行動こそ、彼らからのメッセージである。私は、それが何よりもうれしい。

2015年1月29日木曜日

日経 ケニア・キベラの学校壁画

http://africaze.ti-da.net/c140342.html アフリカの風より マゴソスクールへの募金募集中
今朝の日経の文化面に、ミヤザキ・ケンスケという壁画作家が、ケニアのキベラスラムの学校で壁画を描いているという記事が載っていた。さっそく、調べてみた。

ケニア在住の日本人から壁画を描いてほしいという依頼が云々…。うん、早川千晶さんかな?と思った。するとやはりマゴソスクールという学校は、早川さんの学校だった。ミヤザキさんの失敗談も載っていた。最初、フィリピンでうけたドラゴンを描いたら、子供たちが怖がってよりつかなくなったという。そこで、一度塗りつぶし、ソウや世界の街を描いたのだという。

壁画のおけげで子供たちが嬉々として集まるようになり、このプロジェクトは大成功だったらしい。

…久しぶりにケニアのキベラスラムの話をエントリーした。このキベラスラムや早川千晶さんは、私のアフリカの学びの原点である。なつかしく、WEBページを読んだ次第。

ミヤザキケンスケ氏のHP http://www.miyazakingdom.com/project/
マゴソスクールのWEB http://africaze.ti-da.net/c140342.html

2015年1月28日水曜日

4組、最後のLHRを楽しむ。

来週から学年末考査である。今日を入れて授業は3日間となった。そろそろ最後の授業だという教科もあり、生徒もちょっと感傷的である。正規のLHRも今日が最後だ。一応学年末考査に向けて自習という日程だが、私は生徒に任せている。本当はテニス場でテニス大会をしたかったらしいが、体育科からNOと言われてしまった。本校のテニス場は第二体育館の屋上にある。へたくそがやると、民家にボールが飛んでいくこともあるそうで、LHRでの使用は認められなかった。もっと早くアポをとればいいのにと思うのだが、昨日は私が所用で初めて有給休暇をとったので不在だった。私の責任でもある。とりあえずプランBを考えなければならない。

結局、椅子取りゲームやフルーツバスケットをやることになったらしい。昨年の2年5組も最後にこれをやった。かなり盛り上がったのだが、3年4組ではどうだろうか、と思っていたが、おとなしい女子生徒にも男子がウィットにとんだ野次をとばしたりして、クラス代表を中心に見事な盛り上がりを見せていたのだ。

結局、いろいろあったけれど最後のLHRを生徒は、自分たちの力で大いに楽しんでいた。遠心力による指導も、ある意味なかなか大変だが、これでいいのだと思う。

2015年1月27日火曜日

朝日 常岡浩介氏の「異見」

常岡氏がアフガンで拘束された時の本より
昨日の朝日新聞に、今回のイスラム国の事件についてジャーナリスト・常岡氏へのインタヴューが掲載されていた。特に重要だと思う部分を中心にそのまま引用しておきたい。

安倍晋三首相の勇ましい言葉が、今回の事件の一因になったと私は考えています。17日に訪問先のエジプトで、「イスラム国」への対応として難民支援などに総額2億ドルの無償資金協力を行うことを発表したときです。
これ自体は民生支援であり、人道的ないい内容だと思うんですよ。ところが、首相は演説で「ISIL(イスラム国の別称)と闘う周辺諸国を支援する。」とうたい上げた。イラクの英字メディアも、そこを見出しにとりました。
すでに日本人の人質をとっていた「イスラム国」は、きっと手ぐすね引いて身代金を要求する機会をうかがっていたはずです。そのさなかに、敵対的な言葉が首相の口から飛び出した。思慮の足りない、浅はかな言動だったと思います。
そもそも湯川遥菜さんが拘束されたのは昨年8月でした。後藤健二さんの誘拐情報も昨年11月には政府が把握していたのは間違いない。今回ネットで2人の映像が公開されると、政府は慌てて現地対策本部を立ち上げましたが、ではこの間、いったい何をしていたのでしょうか。私には貴重な時間を無駄にしていたように思えてなりません。
私は昨年9月、「イスラム国」が支配するラッカに入りました。拘束された湯川さんの裁判に立ち会うよう「イスラム国」側から求められたためです。実は湯川さんはイスラム教に改宗しており、そのほか有利な交渉材料もあったのに、言葉の問題もあって伝わっていなかった。和や市は現地できちんと説明すれば解放の可能性はある、と思っていました。
あいにく裁判は延期になり、いったん帰国して再び現地入りしようとした。その矢先に、私は警視庁の家宅捜索を受けたのです。北海道大学の学生が「イスラム国」の戦闘に加わろうとしたとして、私戦予備・陰謀の疑いで事情聴取された際です。パソコンや携帯など62点を押収され、「イスラム国」との連絡もできなくなってしまいました。
あの邪魔さえなければ、湯川さんを救えたかもしれない。そうすれば後藤さんも無理して現地入りする必要がなかった。その可能性を思うと本当に悔しく、腹立たしくてなりません。
北大生を紹介されたのは、その2か月も前でした。同行取材することになったのですが、海外旅行をしたこともなく、イスラムへの関心も見られず、本当は現実逃避型で現地に行く意思はないんだなと思った。案の定、8月の出発直前にキャンセルになりました。
そんな若者であることは、警察も重々承知していたはずなんです。何度も接触していましたから。ところが公安は、まるで「イスラム国」のリクルートの手が日本にも伸びているかのような「事件」にして発表した。これが欺瞞だったのは、北大生も含め一人も、いまだに送検すらされていないのを見れば明らかでしょう。国際テロを担当する外事3課は5年前、内部情報の大量流出事件を起こして醜態をさらした。何とか存在意義を示したかったのでしょう。(以下略)

…常岡さんは、この後日本での反イスラム感情が広がることを恐れていると語り、不要なリスクをつくりださないこと、武器輸出も進める安倍首相の「積極的平和主義」が今後具体化し、平和国家ニッポンのイメージが失われた時、そのリスクを背負わされるのが海外で働くNGOであり、観光客であり、国民だと主張する。中東の親日感情は強く、これを壊してはいけないと結んでいる。

「明治天皇という人」を読む。Ⅲ

松本健一著「明治天皇という人」(新潮文庫/本年9月1日発行)を先日やっと読破した。今日の日のために様々な作業があった故なのだが、とにかくも伊藤博文と二人の「井上」(1月11日付ブログ参照)を、書評のⅡとして、今回のエントリーはⅢとしたい。 
この松本健一氏の著作は文庫ながら670Pにも及ぶ。とても一回や二回のエントリーで書評を書くことはできない。そこで今日は、この書の非常に重要な部分である大日本帝国憲法の第一条についてエントリーしておこうと思う。

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス 

松本健一氏は、こう書いている。『この「万世一系ノ天皇」という国体論こそ、伊藤博文=井上毅のいちばんの苦心のしどころであり、のちに大きな問題を残すことになる仮構(フィクション)であった。』

そもそも、井上毅の草案は、「万世一系ノ天皇之ヲ治ス所ナリ」であった。この「治ス」は「しらす」と読む。古事記に、「…天(あめ)の下(した)治(し)らしめしき」とあり、治者(君主)と被治者(国民)の支配関係を超えるコンセプトを見出される。天皇は統治しない。神と国民の間に立って「しらす」のである。井上は日本の天皇は史上一度も権力的な統治・支配(和語で、うしはく:領く)をしてこなかったと考えていたのである。

だが、伊藤は、近代憲法の前提は、国家権力が国民を統治し、国民は国家権力を制限するという関係において成立していると考えていた。井上の「しらす」は近代憲法の前提を否定する破壊力を内包していたのである。伊藤はドイツ人顧問ロエスレルの提案した「之ヲ統治ス」を選択する。近代国家論の上に立つことを選択したのだ。しかし、ロエスレルが削除を主張した「万世一系」(天皇制をシステムとして永続性をもたせればいい、という天皇機関説)を削除しなかった。天皇を天皇たらしめているものが「万世一系」だとし、天皇がこの憲法を制定する正統性を確保したわけだ。

しかも伊藤は天皇の統治大権を認めつつ、同時に「天皇の大権を制限せざるべからず」と考えていた。天皇=国体論にたち主権を認めながらながら、近代国家論的な天皇機関説的な運用、すなわり立憲君主を天皇に期待していたのだ。この矛盾が特に日露戦争後の近代日本を危うくしていくわけだ。…つづく。

2015年1月25日日曜日

ボコハラム 192人解放?

このところ、アクティビティの報告やクラスの動きなどをエントリーしてきた。ナイジェリアのボコハラムは、その間チャドやカメルーンに侵攻したり、連日のようにナイジェリア北部の村を襲撃したりとますます暴力的になっていた。そのボコハラムが、北部の村で拉致した女性ら192人を解放したという報道が流れた。

ちょうど昨日の白戸圭一氏の講演で、テロと紛争の相違について学んだばかりである。ちょっと気になることがあるのでエントリーしたい。テロ組織は、領土を重視しない。大衆との関係も軽視あるいは無視し、心理的な恐怖心を与えるだけだという。まさに、ボコハラムそのものだ。しかしながら、この解放はちょっと異質である。何を意味するのか。

私は、イスラム国との関わりの中で、領土的野望をもったのではないかという疑義を持ったのである。ボコハラムによるアフリカの飛び地的イスラム国化。だからといって、一気に住民にやさしくなるわけではないだろうか、国家として存立するためには、破壊と恐怖だけでは不可能である。

白戸氏はボコハラムをイスラム過激派ではなく単なる犯罪者集団と見られていたが、実際のところイスラム国の指示が出ているのかもしれない。なにせ彼らは、どういう理由であれ、イスラム国のカリフを認めているのだから。

2015年1月24日土曜日

京大公開講演会'15 1月

”寒椿”の後方に 京大稲森財団記念館
久しぶりに、京大の公開講演会で稲盛財団記念館に行ってきた。「アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究」の一環として、白戸圭一氏が講演された。今回の講演のタイトルは「現代アフリカの暴力を考える」である。先日、我がクラスの男子生徒が、白戸氏の書かれた新書を持っていて驚いた。進学先のT大学の課題図書なのだという。

白戸氏は明快な解説をする方だった。元毎日新聞の特派員で、現在は、三井物産戦略研究所の主任研究員をされている。白戸氏は、現在の職場を「満鉄調査部のようなものです。」と冗談で言われた。私は、見事な比喩であると思ったし、そこから話に引き込まれたといってよい。満鉄調査部は、日本の満州経営のシンクタンクである。植民地経営という当時の時代背景はさておき、優秀な分析者・研究者が集まっていたまれにみる魅力的な組織だ。日本の商社も、グローバルなビジネス展開のための、こういうシンクタンクを組織しているわけだ。白戸氏の冗談は、あくまでシンクタンクの側面を強調されたものだろう。

さて、白戸氏の講演は2部形式で行われた。「蛸壺的に深めていくと全体が見えないので、まずアフリカ全体を素描したい。」ということで、人口動態、資源による経済成長の状況、農民が多いアフリカの現状などについて、グラフとデータで説明された。もちろん、こういう話は、アフリカ開発経済学の基礎なので、私にとっては周知の話である。

面白かったのは、サブ=サハラ・アフリカのGDP総額と原油価格の相関である。グラフ化してみると、かなり相関性が高い。相関係数で見ると、サウジが0.9755、ナイジェリアは0.9718、サブ=サハラ・アフリカ平均では、0.9583と極めて高い。世界平均は0.8651、日本では0.5892である。講演後の質問で、産油国以外の国も影響を受けているのはなぜかという質問が出た。簡単に言えば、スピルオーバーであるが、白戸氏は、この経済用語を使わず、明快に説明されていた。もうひとつ、第1部で面白かったのは、ナイジェリアのGDPが東京都とほぼ同じ経済規模であること。同様に南アが大阪府、アンゴラが静岡県、スーダンが福島県、ケニアが鹿児島県、エチオピアが富山県といった具合だった。こういう比較は面白い。以前、ブルキナファソの財政規模が東大阪市と同規模だという事実を調べたことがあるが、生徒に伝える際には極めて有効だ。

さて、第2部、いよいよアフリカの紛争とテロについてである。テロリズムの定義はかのアメリカの国務省と国防省でも異なっているほどで、難しいわけだ。時間軸で見ても差がある。近代最初のテロは、ジャコバン派による国家テロであった。権力側から行われた。WWⅡ以前は、反植民地闘争。反権力闘争などで、ベクトルが逆になる。サラエボ事件や伊藤博文暗殺などが代表的である。また、権力側からのテロもあった。ソ連の粛清や日本の軍部によるテロなどが代表的である。これらは、共に非無差別な要人テロである。WWⅡ以降は、民族解放や新左翼などのテロで、明確な政治的目標があるが、無差別で不特定多数の民間人も標的になった。冷戦後は、さらにより無差別となり、独自の価値観をもつようになる。攻撃側については正当かもしれないが、被攻撃側からはテロとなったりする。紛争との相違については、目的においては紛争が国家権力掌握や分離・独立など現実的であるのに対し、テロは独自の思想に基づく世界の具現化で、理念的な場合が多い。規模や領域支配、大衆との関係、攻撃の目標、相手に与えるダメージなど、表で対比すると相違がよくわかった。

さて、アフリカも1990年から2000年代には、いくつか紛争があったが、現在は紛争は極めて少なくなっている。紛争が終結後、宗主国や国連のPKOによって、多くの武装勢力は政党化した。武装を解かない勢力などは、あまりメディアで報道されなかったが武装ヘリまで動員して、かなり駆逐されたらしい。政府も治安維持のできる協力な軍や警察をもった。しかし、生き残った武装勢力は、この「非対称性」の中で、テロリスト集団化せざるを得なかったのではないか、と白戸氏は仮説を立てる。テロは、非対称性(強い政府に対し、圧倒的な弱者)を強いられる故に起こる。さらに、アフリカ各国が経済成長したといっても雇用創造性が低い故に、格差が進み、テロリストの再生産が進んだのではないかというわけだ。テロは、少数派の暴力であり、弱い側からの戦争なのだ。

最後に、ボコハラムの話が出てくる。白戸氏は、ボコハラムは、最初今ほど暴力性をもっていなかったと言われた。反対に、ナイジェリア軍の過剰なまでの掃討作戦で肥大化したとも。ナイジェリア軍は情報収集を行わず、かたっぱしから攻撃したようだ。これによって多くの関係ない人々が殺された。軍に反発した多くの若者がボコハラムに入ったらしい。創始者のユスフはリンチのような処刑をされた。これも、ナイジェリア政府にはマイナスに働いた。今や、ボコハラムは、刑務所を襲い凶暴な受刑者をリクルートした犯罪者集団になっている。だから、白戸氏の感覚では、イスラム過激派というのは正しい認識ではないそうだ。

現在のアフリカの紛争とテロについて、明解な解説をしていただいたと思う。なかなか興味深い話で、「アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現」を考えるうえで、極めて有効な前説的講演であったといえる。

白戸さん、貴重なお話をありがとうございました。また京大アフリカ地域研究センターのみなさん、お世話になりました。

2015年1月22日木曜日

卒業文集作成 ワード大会

卒業文集をつくることは、例の文化祭で優勝できなかった日(昨年9月20日付ブログ参照)に決断した。熱い思いのままに書いた生徒の文章をシナリオとともに残しておこうと思ったのだ。だから、すでに生徒の文章は集まっている。最大の問題は、手書きの文章をWORD化することである。昔、工業高校時代は、全て自分で打って編集したこともある。実は私はこういう文章を書いたり、編集したりすることは大好きなので一向に苦にならない。

予餞会が終わり、学年末考査一週間前に突入する前の2日間、すなわち今日・明日が、WORD化する絶好の日程である。年明けから、この日の放課後、情報処理の教室でWORD化させてもらうことを担当のM先生にお願いしてあった。生徒へのアナウンスも早めにしてあった。このWORD大会、参加自由である。私は、こういうことを強制するのは嫌いだ。やれる者がやればいい。そう思っている。

今日放課後に残ってくれたのは、20人ほど。つまりクラスの半数である。自分の文章を入力して帰る者もいれば、次々と友人の分を入力する者もいる。面白いことに気付いた。昨日予餞会で、ダンスを踊っていないメンバーが多いのだ。彼らは、それなりにクラスに貢献することを、「責任ある行動」だと判断したのだろう。うれしいではないか。まさに、「全員で取り組んだWICKEDの4組」は死なず、である。

本校のネットワークの共通ファイルの中にM先生が作っていただいた3年4組ONLYのフォルダがあり、そこに保存されたWORD文書は、29人分。今日一日で約3/4が、WORD化されたわけだ。明日も大会を開催するが、残った分は私自身がやるつもりである。(もう、十分なくらいだが…。)というわけで、今日も担任としてはハッピーだったわけだ。

追記:2月23日 今日の大会第二日目も多くの生徒が参加してくれて、ほぼWORD化が終了した。

スーパー南北貿易ゲーム 報告

4組での実践 後方から見る
我が4組で、スーパー南北貿易ゲームを今日実践した。これで、普通科5クラス、すべて終了したことになる。ゲームの詳しいルールについては、今月8日のブログを参照願いたい。スタンダードの南北貿易ゲームをグローバル化という現実に即してグレードアップした私のオリジナル・アクティビティである。

5回の実践で、ゲームバランス上、大きな問題だと思ったのは、三角の部品をつくる上質紙が、アメリカとクウェートにしか存在しないことである。分度器をもち、作れるはずの先進国である日本には、上質紙がない。クウェートが、そのまま上質紙を市場に出さないと、アメリカの独占を許すことになる。1組では実際、そういう事態が起こった。そこで、2回目からは、事前に指導して、早めに市場に出させるようにした。

とにかく、莫大な資金をもつクウェートがどう動くかが重要である。最初の1組では、結局大きな動きをしないまま、その隙をついて、インドが部品を集め、競売でのりも手に入れて勝利した。2組では、早めに上質紙を市場に流し、部品を買い集め、元金(5000M)以上の利益(250M)を得た。意外にうまく動いたのが5組で、のりを6本1000Mで一気に買占め、これを利益をのせて市場に流した。自らも儲けながら、市場をうまく操作したと言える。最も完成品(四角形+円形+三角形)が私のもとに届き、各国それぞれに差があるものの利益を得た。我がクラスでは、こののりの買占め価格(1本300M)が、アメリカとせりあい、高くなった。多くの資金を使ってしまっていた中国やインドはのりを購入できなかった。時間が短く、もたもたしていると完成品を生産できない。結局、最初からクウェートと組んでいた日本とベトナムはなんとか利益を得たが、クウェート自体は損失を出してしまったのだ。「すみません。減価償却できませんでした。」と、クウェートの一言。この辺が難しい。

5組での実践 教卓から見る
50分間で、以前スタンダードな南北貿易ゲームをしたことがあっても、このゲームを行うのはかなり難しいことがわかった。もう少しスパンがあれば、完成品も大量に生産できたはずだ。

「地球家族」のフォトランゲージを使って、チーム分けをするわけだが、リーダーシップや政経の知識などが、その国の動きを大きく作用する。全くの偶然性でチーム分けをしたが、クウェートの人選(定員2名)だけは、市場を動かせそうな政経選択者を1人だけ指名した。それでもなお、なかなか難しかったのが事実である。

今日の4組・5組の画像を見てもわかるように教室の後方の途上国に人が集まっている。労働賃金が安いので、安く部品が生産できるからだ。ところで、我がクラスの「ふりかえり」の時、日本がクウェートと組んでのもうけたことに対して、S君が「構造的暴力や。」と一声上げた。平常点をやらねば、と思った次第。

機会があれば、また挑戦してみたいと思っている。

2015年1月21日水曜日

予餞会なのだ。

本校では、3年生は生徒自身の手で最後のイベント・予餞会を行うのが伝統になっている。昨年はいろいろあったようで行われなかったが、我が学年としてはこれを復活させたわけだ。8分間のリミットで、クラスごとに出し物をだし、3分間の幕間も担当する。

昨年から我が4組でも、どんな出し物をするか喧々諤々だったが、結局ダンスをすることになった。担任としての指導は「楽しむように。」…これだけ。まさに遠心力である。一応、男子はエグザエル、女子は「ちびまる子」と決まったようだ。昼休みや早朝、放課後に、練習をしていたようだ。中でも、男子にダンスを伝授していたダンス部の女子は大変だったようだ。ダンスが苦手な者もいるので、全員参加ではなかったが、なかなかいい出来だった。男子は激しい動きに練習の成果を見たし、女子は自分の娘たちが踊っているような感覚をもった。無茶苦茶盛り上がったのだった。

やはり4組はいい。取り組みが真面目だし、やるからには真剣だ。他のクラスもそう感じたと思う。「文化祭でのWICKEDの4組は死なず。」というところだろうか。

他のクラスも、軽音の部員が多い1組は、素人2人をボーカルにバンド演奏。2組は3部合唱。3組はアームレスリング大会、5組も真面目な生徒たち(HR運営委員らしい。)がクイズ大会など、それぞれ嗜好を凝らして楽しかった。武道科の6組は、各武道の演技を見せたあと、柔道部に投げられたい生徒を舞台に上げた。(笑)体育科は7組も8組も全員参加のコントで盛り上げた。最後に、テニス部が制作した5分間ほどのビデオを見て、お開きとなった。

生徒だけの手で、充実した2時間のイベントを運営したわけで、担任団から見ても、これまでの指導効果を十分感じれたのだった。学年としても、我が4組としても、ハッピーな1日だった。

2015年1月20日火曜日

未来予想図 実践報告

先日(15日付ブログ参照)報告した、アクティビティ「未来予想図」は、結局3クラスで実践した。文Ⅰ(進学クラス)の1クラスだけ、2時間連続で行った。前回は中途半端な終わり方をした。生徒が最も推進するべきという項目が3つに分かれたまま終わってしまったのだ。それは、以下の3つである。

1.世界のエネルギーの50%が、クリーン・エネルギー(太陽光・風力・地熱・水力など)で発電されるようになり、自動車も50%が水素を燃料とする燃料電池車となり、地球温暖化がようやくストップした。

2.遺伝子工学の進歩で、まったく新しい食肉用の家畜が生まれた。短期間でしかもまずかな飼料で大量の食肉の生産が可能になった。

3.グローバル化が進展し、ますます経済格差が拡大、各地で暴動が起こった。アメリカ合衆国では、ついに高額所得者に対し、所得税(90%)が課せられた。それでもなお、資産が増え続けているので今度は資産に課税することが検討されている。その税金は、国内の貧しい人々や世界の途上国開発に使われる。

教室の机の配置を、左右に分けてディベート風にして、1項目ずつ賛成・反対で討議することにした。項目ごとに席を移動する。これがなかなか効果的だった。

1の論点は、温暖化の是非になりそうだったが、私が修正した。クリーンエネルギーのコストの問題や、燃料電池の希少金属の問題などにすると、討議が沸騰した。
2の論点もは、人口の爆発と遺伝子工学の是非になるだろうと思ったら、これまた変な方向に向かってしまう。(笑)
3の論点は、全世界の1%(そのうちの30%がアメリカ人)が世界の50%の富を独占している事実がよくわからないらしい。また資産も不労所得が多いことが不明確である。(笑)結局、うまくかみ合わなかった。

こういう討議は、普段の問題意識や様々な知識が要求される。とはいえ、かなり真剣に取り組んでくれた。最初はどうなることかと思ったが、まあ満足している。

2015年1月19日月曜日

今年のセンター試験 倫理’15

今年も倫理のセンター試験についてコメントしておきたい。昨年より、少し難しくなったかな、と言うのが率直な感想である。今年もあまりメジャーではない思想家が数多く登場している。実証主義のコントなんて久しぶりだと思う。

倫理の教師として、センター試験にどう対応していけばいいのか?という質問を生徒に問われれば、やはり大筋の理解から始めるしかないと答える。西洋の哲学史を時間軸で教えていくのが、王道だ。当然、一神教の理解がなければ、中世以降は理解不可能。現代哲学など、ポンと学んでも理解は難しいだろうと思う。まずは、ベーシック。そこから、他の思想家をくっつけていくしかない。日本・中国の思想も同じ。センターで出そうな思想家をベーシックな流れに、こつこつとくっつけていくしかない。

秒殺問題(一瞬にして回答できる)は少なくなったなあ、と思う。また90点獲得を目指して、血眼で補習してみたいもんだ。とはいえ、きっとベーシックな部分ではじっくりと、思想の面白さを伝えることになると思う。なにより倫理に興味を持つことが最重要だから。

2015年1月18日日曜日

アフリカSDゲーム2014 報告Ⅱ

政治経済の授業でやっている新ゲーム、アフリカSDゲーム2014の方は、早いクラスで4時間目まで経過した。ゲーム性を高めるため、毎回ドッキリカードの内容を変化させている。ゲームボードのどっきりカードに入ったら、トランプを引く。Aから10までの数字によって、指示が書かれたペーパーを毎回配布している。

その中に、ブタ・サイコロを振れ。という指示のものを3回目から入れた。これは、どこだったか忘れたが、美術館のショップで手に入れたもの。5匹のブタのサイコロである。(画像参照)大統領の汚職が発覚・海外に亡命したという設定で、サイコロでその被害額が変わるという設定だ。

もちろんブタ・サイコロは1セットしかないので、ファシリテーターの私に申請することになる。だいたい、大声で「デェー!」とか「ブタが出た!」とかいう声が聞こえるのですぐわかる。(笑)

ふつうに振ると、ブタは横になる。時々四本足で立つ場合もある。あるいは仰向けや、まれに他のブタに寄り掛かるように鼻で立ったりする場合もある。1匹でも四本足やそれ以外であれば、被害額は減額される、という仕組みだ。

これは、案外ゲーム性を高めている。3回目は1/10の確率だったのでゲーム中2回(なんと同じグループが連続でブタを引いた。笑)、4回目は3/10にしたら、ゲーム中5グループがブタを引いた。なかなか盛り上がるのである。

詳細報告の方も、着々と進めている。各グループに集約報告書を提出できるよう用意をしているところ。どういう動きをしたか、各グループで考察させようと思っている。

2015年1月17日土曜日

阪神大震災から20年の日に。

http://www.mod.go.jp/msdf/hanshin/about/saigai/
今日は、早朝から阪神淡路大震災20周年ということで、TVでは多くの特集を組んでいた。(当時から)大阪・枚方市在住の私は、震災自体の被害を全くと言っていいほど受けなかった。もちろん尋常でない揺れがあり、寝室の戸近くに丸めておいていたカーペットが倒れ戸が開かないでびっくりしたが。当時も6時過ぎには、学校に登校していたので、そのままいつもどおり最寄駅に向かったのだった。しかし、JR学研都市線は動いておらず、坂道を引き返した。妻が「えらいこっちゃ。」と倒壊した阪神高速や長田区の火事の様子をTVをつけて話してくれた。だが、インターネットなどない当時、もう一度駅に向かった。しかしまだ不通。もういちど坂道を引き返して、当時同じ学校に勤務していた親友のU先生宅に電話した。彼は比較的学校のそばに自宅があり、今から自分は自転車で向かうと前置きして、「大阪でも電話線などが垂れ下がっているところがある。もう今日は欠勤したほうがいい。私から学校には伝える。」と言ってくれた。20年前はそんなだったのだ。

今日のTVで、国や県の初動について、首相に誰も伝えなかったとか、知事も家にいて自衛隊の出動を決済できなかったとか、反省的な内容も報道されていた。学校は意外に、こういう危機管理は徹底されている。責任あるポストについている教員、近隣に住む教員で、こういう万が一の時は、集合する人員のレベルが決められているのだ。私などは遠いのでレベルが下なのだ。当時集合した教員で、登校した生徒や保護者からの連絡に対応しつつ、学校内の点検を行い、教育委員会に連絡したはずだ。これは、教員の世界は、(当時)学校長・教頭・事務長などの管理職以外は責任職であるが故に、「官僚主義」におちいらない組織の論理が働くからだと思う。管理職がいなければ、来ている教員で相談・行動し、決断も行えるわけだ。組織の効率だけを念頭に置くと、官僚主義に陥る。自分の頭で考え、行動することが難しい。

ある今日のTV番組で、当時6年生だった児童と担任の先生の話が報道されていた。クラスの女子児童が震災で亡くなった。彼女のあだ名を冠した学級新聞をみんなでつくりながらその突然の死を受け入れた話だ。そのクラスメートが結婚したのだという。小学校教諭となった新郎とピアニストをめざした新婦。式に担任の姿がある。今も、亡くなった女児の分まで、という話だ。私はこういう話に滅法弱い。卒業式の実際の映像も流れていた。遺影を胸にした卒業式だった。

被災地の小学校の教頭先生の奮闘の体験をもとに「いっせいに芽をふきだした雑草のように」というシナリオを書き、演出したことを思い出す。(11年3月31日付ブログ参照)

あの担任の先生の深い悲しみと大きな喜び…。おそらくは実際に体験しなければわからないと思う。改めて、震災の被害者のみなさんのことを祈る日となった。

最後の総合的学習は百人一首

先週の水曜日の総合的学習は、国語の先生による「百人一首大会」だった。写真を写したのだが、カメラを持って帰るのを忘れて、少し遅いエントリーとなったが、報告しておきたい。(講堂の天井板工事の関係で)8人の担任で順に担当した総合的学習もこれで最後である。

いつもの第一体育館に、5時限目の予鈴には3年生全員が集合した。なにせ8クラスでやるのだ。大変である。クラスで1人×8人が1つのシートで戦う。それが20×前・後半。運営は生徒で行うということで、HR運営委員が司会進行や準備を行っていた。我がクラスのHR運営委員は、事前準備で札の確認を20箱分、昨年中に済ませていた。各クラスでも出場エントリー表を昨年中に提出。長い長い準備期間だったのだ。

百人一首を読むのはもちろんT先生だが、途中で生徒が登場した。ラグビー部やサッカー部の体育科生徒である。あの独特の節で読もうとするのだが、何を言っているのかわからない。みんな吉本新喜劇のように、ずっこけたのだった。(笑)とはいえ、なんとか進んでいった。

生徒も百人一首の読みを手伝う
気温の低い第一体育館で、防寒着を着ながら生徒は楽しんでいた。前後半なので、待ち時間は大変だ。待機組も応援に行って、ぐちゃぐちゃになっているところもあった。T先生は「うちの生徒はじっと待つということができないのねえ。」とため息をついておられたが、やはり8クラスでやるのは、これが限界だろうと思う。じっと待っているのはつらいよなあ。

私も数学のS先生とともに結果の集計を手伝った。T先生は3位までクラスにポケット・マネーで賞品を用意しておられたのだ。実はT先生は、今年でご退職になる。思いのこもった総合的学習であったわけだ。賞品をもらったクラスは大喜びであった。
…T先生に心をこめて「ご苦労様でした。」と述べた次第。

2015年1月16日金曜日

日経 途上国の経済発展8条件

IMFデータより作成。65年のインドネシアは67年のデータ。
日経の経済教室で、久々に開発経済学の論文が載っていた。モーニングでは、メモする時間がなかったので、コンビニで改めて買い求めたのだった。中野武彦ADB(アジア開発銀行)総裁の「途上国の経済発展に8条件」である。

アジアは絶対貧困の人口比率(1日当たりの所得が$1.25以下)が90年当時で55%だったが、10年には19%まで低下した。日本などを含めたGDPの世界比率は70年の約15%から、13年には30%強に達した。08年の世界金融危機以後の成長も強固である。とはいえ、各国間の発展には差がある。それの理由を解明しようと、中野氏はADB総裁になって以来各国を回り、今回この8条件を提示しているわけだ。

第1は、インフラ投資。GDPに占める比率(2010年)を見ると、中国の22%に対し5%以下の国も多く、それらの国の発展は遅れがちである。インフラ投資をGDP比で1%高めると、成長率は1.3ポイント上昇する。

第2は、教育や保健など人的資本への投資である。ほとんどの国で小学校への入学率は高くなっているが、卒業率・中等高等教育の質は課題が多い。また、医療へのITの活用と国民皆保険制度への移行などをADBは進めているそうだ。

第3は、マクロ経済の安定。インフレ率が2ケタであったり、財政赤字が大きく金利が大会ようだと将来のための貯蓄や投資は阻害される。

第4は、開放的な貿易・投資体制、民間セクターの促進である。インドやインドネシアでも社会主義や反植民地主義の影響から輸入代価政策、価格統制、産業の国有化などを進めていた時期があり、成長を大きく妨げた。今は市場機能が基本であることを理解しない指導者はいない。ASEANの経済共同体構想は、関税の引き下げや通関手続きの簡素化、基準の標準化などに大きな役割を果たすだろう。

第5は、政府のガバナンス。汚職は社会正義に反するのみならず、人々のエネルギーを非生産的な行動に向け、成長を阻害する。政府や国有企業の透明性、説明責任の向上も不可欠。中央アジアを含む多くの国で、この問題に取り組む機運が高まってきている。行政の執行能力や規制の質が各国のパフォーマンスと密接に結びついている。有能な職業官僚集団の存在も重要である。

第6は、社会の平等度である。資産家と庶民の格差があまりに大きい国では、成長という目標が国民に共有されないし、教育や技術習得への意欲は弱まり、労働者の質も高くなりにくい。公教育の強化、税制による所得の再分配、農村と都市の格差是正、農家や中小企業向けの金融などが必要である。健全な中間層は、消費をけん引し、政治的な安定性をもたらす役割もある。

第7は、将来へのビジョン、戦略である。韓国やシンガポールを見れば明らかである。自国の強みを生かした発展させていく政府の責任は大きい。

第8は、むしろ最初にくるべき条件で、政治や治安の安定、周辺国との良好な関係である。スリランカは、09年にタミル人との内戦が終結した後平均7%台半ばの高成長を続けている。ミャンマーも国際社会との関係を改善したことで投資ブームを招いた。最近のフィリピンのミンダナオ島のイスラム勢力との包括合意も明るいニュースである。

これらの政策をきちんと実行すれば、多くの国が高中所得国のレベルに到達できると考えられる。しかし、指導者はわかっていても、既得権益に手をつけることになり、政治的な対立に巻き込まれがちであることも事実だ。

…今回の「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストV6.01」は、アジアの開発から説きだし、アフリカとの相違を論じている。この8条件、私も当然認識している話だが、現実に奮闘されているADB総裁の言である。心してエントリーしておいた次第。

2015年1月15日木曜日

アクティビティ・未来予想図

3学期の授業は、当然のことながらクラスによって授業時間数に差がある。そこで悩むのが、どういうアクティビティをやるか、ということだ。今年の世界史Bのアクティビティ授業は、ケニア人生双六、ESDゲーム大会、地球家族のフォトランゲージを使ったグループ分けとグローバル化を挿入したスーパー南北貿易ゲーム、そしてウーリーシンキングというメニューが中心である。最も時間数の少ないクラスは、これに最後の講話を入れるとこれで終わりである。だが、いくつかのクラスではプラスαが必要になる。

今回は、識字や難民のアクティビティも考えたのだが、グローバル・クラスルームという本から「未来予想図」というアクティビティを初めてやってみることにした。本では、「私が生きている間に」という前置きで、10の出来事が書かれている。環境問題・平和問題・人権問題・多文化共生・開発問題・食糧問題・人口問題・保健医療などである。これについて、その実現性を4段階で考え、さらにその実現を望むか、望まないかという問いかけがある。

実施にあたり、20年後に前提を変え、内容も国際関係を入れて、現実的なものにした。こういうアクティビティは、常に実施する生徒に合わせて行うべきものだと私は思っている。

この表を生徒に配布し、まず自分で考え、それぞれの項目に○をつけさせる。その後、2人組もしくは3人組で語り合い、共通認識をつくるのが、このアクティビティの目指すところである。様々な意見があることを再確認するのだ。次に、他のグループと語り合い、特にもっとも実現すべきことを主張しあう。

我がクラスでは、地球温暖化を防止するクリーンエネルギーや燃料電池車の話が最終的に残った。これに対抗したのが、熱帯雨林やタイガ地域などの自然環境の保護、経済格差の是正、IPS細胞による保健医療の進歩というところか。

案外、みんな真剣に取り組んでくれたという感がある。最初から難しいと投げてしまう生徒もいないことはなかったが…。

2015年1月14日水曜日

アフリカSDゲーム2014 報告Ⅰ

政治経済で実施しているアフリカSDゲーム2014は、なかなか好評である。練習と質問に1時間、実際にスタートして、3つの選択クラスで2時間ずつ実施した。嬉々として、サイコロを振り、ゲーム版の指示を小まめに報告書に記録していく。

「つぎは5、頼むで。」「あちゃー、農村の格差がまた増えたで。」「やったー、石油ゲット!」などと大騒ぎしているが、決算で、ガバナンスボードを見ながら、討論も真剣だ。「まずは、農業ポイントをあげておくべきだ。」「いや、格差をなくしておくべきや。」などとやりあっている。

2時間目を終わった時点で、農業P-人口P+商工業Pを示す総合Pは、三桁に到達したグループが多い。やはり、レント収入が大きな位置をしめる。それだけ多くのガバナンスを実施できるからだ。中にはすでに油田を5つも開発しているグループもある。

1回目と2回目では、カードの内容を変えた。ゲーム性を高めるために、増減するポイントや金額も大きくした。詳細はまた、実際の報告書を整理したうえで行いたい。

2015年1月13日火曜日

毎日 マリの英雄と「昨年7000人」

http://www.boredpanda.com/charlie-
hebdo-shooting-tribute-illustrators-cartoonists/
パリの、ユダヤ人向けスーパーたてこもり事件で客5人を冷蔵庫にかくまって救出に導いたマリ出身のイスラム教徒の男性が賞賛されているという記事が、今日の毎日の朝刊に載っていた。記事によると、4年前マリから移民した彼はスーパーの倉庫係として働いていた。襲撃の時、地下で礼拝をしていたという。地下に逃げ込んできた客が避難できるよう、大型冷蔵庫の冷却装置と照明を切りかくまった。地下から外部に通じるエレベーターで脱出を勧めたが、客たちはそのまま冷蔵庫に潜むことを選択。彼は1人で脱出したが、アフリカ系の風貌のため共犯者と誤解され30分拘束されたという。誤解が解けた後は店の見取り図を描き警察に全面協力したという。

彼の言葉である。「イスラム教徒もキリスト教徒もユダヤ人もみな兄弟だ。ともに寄り添って困難を克服しなければいけない。」彼に、勲章をという声も出ているという。

一方、同じ朝刊に、エレサレム支局の大治朋子氏の「ユダヤ人・最後の砦」というコラム(発信箱)が載っていた。イスラエルは、早くから欧州でのテロを予測していたことが書かれている。欧州では最近反ユダヤ主義が再燃している。特にフランスでは、昨年のガザの戦闘を期に大規模なデモが起きたり、シナゴーグが襲われたりしている。身の危険を感じてイスラエルに移住したユダヤ人の数は昨年7000人以上に上り、一昨年の倍以上に達したという。

ナチスのホロコーストの時代と今の最大の違いは、ユダヤ人が仮に世界中で迫害を受けても、彼らを必ず受け入れるイスラエルという国があることだろう。イスラエルとパレスチナの紛争は宗教というより土地をめぐる争いだと感じることが少なくない、と大治氏は言う。イスラエルはユダヤ人にとって「最後の砦」だ。そのことを常に意識しないとイスラエルを正確に理解することはできないと改めて感じていると結ばれている。

…最後に、もう一度、マリの男性・ラサナ・バティリ氏の言葉を噛みしめたい。「イスラム教徒もキリスト教徒もユダヤ人もみな兄弟だ。ともに寄り添って困難を克服しなければいけない。」

2015年1月12日月曜日

今年のワンフェスは2月7・8日

今年のワンワールド・フェスティバルは2月7日(土)・8日(日)、場所はいつもの国際交流センターではなく、関テレ扇町スクエア・北区民センター・扇町公園で行われるとのこと。まだ、完全なプログラムはできていないようだが、いくつか、プレスリリースとして紹介されていたので、私の興味を引いたものを中心にエントリーしたい。

KIDSリズム☆セッション:アフリカのジェンベ、中南米のコンガなどのパーカッションを使って誰でも参加できる即興のセッション。大人もOKらしい。…久しぶりに叩いてこようかな。

フクサポ:今回は、古着を集めてアフリカや東南アジア・日本の被災地に送るイベントをするらしい。…途上国の古着ビジネスの原資となるわけだ。一昨年はユニクロ経由で子供服を学校で集めた。今回は私のLLサイズやカバンも可なので持っていこうかな、と思う。

企業のCRSのプレゼンテーション大会。今、実際のところ、どんなCRSが行われているのか、興味がある。ちょっと覗いてみたい。

対話型ファシリテーション超入門:ミーティングをしても上滑り、悩みを聞いてもその先に進めない、そんな方にお勧めの対話方法らしい。新しい感覚で興味深い。

そしてなにより、高校生のユネスコ会議参加報告。これは7日・8日両日にわたってあるそうだ。これは絶対聞き逃せない。

http://www.interpeople.or.jp/owf/program.html

2015年1月11日日曜日

新テキストV6.01 脱稿

とりあえず、冬季休業中から取りかかってきた「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストV6.01」を脱稿した。もちろん、これから推敲作業に入るのだが、とりあえずほっとしたところである。新テキストについては何度かエントリーしてきた。脱稿に際して、第3の視点・アフリカを文化人類学的視点から見る-アフリカの知の章について書いておこうと思う。

いろいろ考えたのだが、まず、以前から教材として使っているスイス航空の宣伝コピーから入ることにした。
スイス航空は、なぜアフリカの十七か国へ飛んでいるのでしょう。それは、ここには石油、金、ダイヤモンド、銅、鉄、プラチナ、木材、ココア、ナッツ、ゴム、タバコ、スパイス、果物、コーヒー、綿花、それに珍しい動物やすばらしい砂浜があるからなのです。(デア・シュピーゲル誌の広告1972年9月/アフリカの選択:マイケル・B・ブラウンからの引用)

生徒には、この広告の意味を問いたい。もし、日本の航空会社ならどう日本に行く意味をどう描くかから考えさせる。すると、よくわかるのだ。見事に、人間や文化という視点が欠けている、ということが…。

(1)は、アフリカから学ぶ、である。峯陽一先生の「アフリカから学ぶ」という同タイトルの著作から、次の言葉を生徒に送ることにした。「アフリカが好きな人は、アフリカを一方的に変えようとはしないし、アフリカを利用して自分だけが利益をあげようともしない。むしろ自分が出会ったアフリカとの関係を大切にしながら、アフリカ人に自分の感じたことを伝え、変化するアフリカに寄り添い、アフリカの経験から学び、自分の生き方を反省していくはずだ。その結果自分の価値観が大きく変わってしまうこともある。」

(2)は、「京大アフリカ地域研究資料センター・公開講座での学びを中心に」と題した。様々な著作からの引用をもと文化人類学的な視点を構成することも考えたが、結局のところ、京大の先生方の著作が主となる。ならば、これまでの毎回の公開講座ごとに「学び」をこのブログで整理してきた研鑽の成果を、このテキスト上でカタチにするのもいいかと考えたのだ。多くの講座で学んできたが、およそ、次のように再構成した。

①アフリカの脆弱性を乗り越える知
 島田周平先生のアフリカ地域研究の総論的な内容。
②アフリカ遊牧民の知
 太田至先生・佐川徹先生の遊牧民研究の成果を中心に。
③アフリカ農耕民の知
 掛谷誠先生・大山修一先生・近藤史先生の研究成果を中心に。
④アフリカの構造的知 情の経済と呪術
 平野美佐先生・関西外大の近藤英俊先生の研究成果を中心に。
⑤アフリカ学・「伝統」と「開発」の二律背反
 梶茂樹先生と金子守江先生の研究成果をもとに、文化人類学的視点と社会科学が目指すアフリカの開発の視点の問題点を探る内容。今回のテキストの3つの視点の意味を明らかにする趣旨を含む。 
⑥アフリカの潜在力・在来知
 太田至先生とZAIRAICHI掲載の神代ちひろさんの研究内容、ならびに松田素二先生のアフリカの潜在力の特性の定義をもとに、京大が目指す地域研究からアフリカの社会科学を見直す取り組みを。

最後に「まとめ」として、ブルキナファソで知り合ったIさんの詩を載せた。学びを終えて、生徒諸君はこの詩から何を想起するかと問いかけた。アマルティア・センか?HDIか?インフォーマルセクターか?あるいはアフリカの人々の生き方か?そこに、このテキストの「理想」を問いたいと思う。

参考文献・関連図書一覧(130冊)と、最後のアフリカ地図を含めて、全72Pとなった。

伊藤博文と二人の「井上」

長州ファイブ
先日、NHKの歴史秘話で、伊藤博文と井上馨の話をやっていた。大河ドラマの番宣がらみだと思うが、今年はNHKは長州に力を入れるんだろう。伊藤博文という人は、松下村塾では、桂小五郎や久坂玄瑞、高杉晋作の下にあって、イギリス公使館焼き討ちや吉田松陰の刑死後遺体を運び出したりと、いわば実働部隊的役割を担ってきた。井上馨とイギリスに渡って、半年で帰ってきたことも知っていた。TVでは、井上馨が鬱勃たるパトスもってイギリス行を主張。伊藤の提案を受けてイギリス行の渡航費用(5人分)を藩から得たとなっていたが、藩の留守役であった大村益次郎を半ば脅迫して志を遂げたらしい。

どうも井上馨には、そういう無茶な意思を通すパトスがかなり強い。だいたいが、長州人の気質なのかもしれない。高杉しかり、久坂しかり。脅迫された大村益次郎も戊辰戦争では、西郷相手に大いに我を通した。下関戦争にあたって、半年で伊藤とともに帰国するのも凄い決断である。この時の決断が、その後の高杉の元での活躍もあって、維新後の二人を政治家として底上げさせるわけだ。井上馨の感はするどいが、英国行のような金への無頓着さは、後に西郷に「三井の番頭」と呼ばれるほどになる。この辺も長州人の気質なのかもしれない。薩摩人とはかなり違う。

政治家としては、「(吉田松陰に)周旋の才あり」と言われた伊藤博文が、桂、大久保といった大物に重用され、憲法を作り初代首相となるので、井上馨より出自身分は低かったが、大成したと見るのが妥当だろうが、井上馨について調べてみると、毀誉褒貶はあるが伊藤博文の盟友として、しんどい仕事をいくつもひきうけている。TVで何度も主張されていた出自を超えた二人のの友情は本物であったと思う。

井上毅
ところで、「明治天皇という人」(松本健一著・新潮文庫)を読み進めていくと、伊藤博文にとってもう一人の重要な井上が出てくる。井上毅である。井上毅は熊本の出身であり、開成学校に学んだ官僚である。大久保、岩倉、伊藤に重用され、教育勅語・大日本帝国憲法などの制定に携わり、明治国家のグランドデザインを伊藤とともに描いている。松本健一氏は、半藤一利氏らと文藝春秋誌上で「代表的日本人100人」を選ぶ際、この井上毅を強く推したという。この明治国家のグランドデザインについては、別にエントリーするとして、伊藤は井上毅の能力を極めて高く評価していたようだ。

グランドデザイン作成には井上馨は出てこない。それどころか、井上同士で争うこともあった。不平等条約改正時に治外法権撤廃を実現するために外国人裁判官を任用するしないで、外相だった井上馨と法制局長官だった井上毀が対立、結局、憲法草案作成中故に、馨が辞任することになる。このへんの井上馨の進退、伊藤との友情を重んじた男の美学を感じる次第。私としては、「三井の番頭さん」を見直すところだ。

2015年1月10日土曜日

閉話休題 昨夜のアクセス数

昨日は、月イチの糖尿病の専門医に通う日だった。金曜日の時間割は2時間しか授業がないので比較的余裕のある日なのだが、超多忙だった。政経の「アフリカSDゲーム2014」の授業の方は机間巡視のみで余裕だったが、世界史Bの「ESDクイズ大会」は50分間コーディネーター役で楽しく盛り上げたので、普段の2時間分くらいのパワーを使った。しかも空き時間は、「スーパー南北貿易ゲーム」と「ウーリーシンキング」の準備に忙殺されたのだった。くたくたで学校を後にして、京阪経由で枚方市駅へ向かう。混雑時の特急なので立ちっぱなし。診察は結局問題なかったが、1か月分の薬を手に入れ、迎えに来ていた妻と食事をしてから8時過ぎに帰宅した。ふぅ、という感じである。

TVをつけたら、オードリーの春日がまたアフリカを訪ねて、ピンクのベストを村中に配っていた。春日は、偏見なくアフリカの人々と接していて私は、芸人としてではなく人間として好感をもっている。どこの民族なのだろうと見ていたら、ダサネッチだった。ああ…あのダサネッチか、と私は思った。

さて今日もブログをエントリーしようとPCを開けたら、びっくりした。一気にアクセス数が上がっているのだ。昔、「遊動民」という文化人類学の本を読んでエントリーした「ダサネッチのコーヒーライフ」。あわてて、検索ページを見たら、私のエントリーが3番目にあったのだ。(笑)凄いな、TVの力は…と思った次第。というわけで、昨夜は、なんとなくエントリーする気力がなくなったのだった。この3連休で4エントリーしようと思っている。

2015年1月8日木曜日

スーパー南北貿易ゲーム

世界史Bの時間、ESDのアクティビティということで、冬季休業中に構想してきた「スーパー南北貿易ゲーム」を今日から始めることにした。実施予定は2コマである。今日は、その最初の1コマ。まずは、「地球家族」の写真をもとにチーム分けする。今回は、日本・アメリカ合衆国・中国・インド・ベトナム・キューバ・エチオピア・クウェート。それぞれの写真を人数に合わせて、パーツ化したうえで、封筒に入れてある。これを全員が引いて、さあ仲間を探そうというわけだ。かなり盛り上がる。
とりあえず写真が出来上がったら、どこかを考えさせる。日本は当然あたるが、他はなかなか難しい。教室内に各国の位置を指定し、準備ができた時点で、プリントを配布する。(今日の画像参照)

2年生の時に、資本主義理解のために、すでにスタンダードな南北貿易ゲームは一度やっている。(2013年12月13日付ブログ参照)三角形や円形、長方形(それぞれ角度や大きさが指定されている)を、様々な文房具を使って、ザラ紙に書き、ハサミで切って、世界銀行に渡すと代金が支払われるという開発教育では超有名なゲームだ。ただし、先進国は資金も多いし、文房具も充実している。途上国はその逆だ。そういう不公平な条件下で行われるのがミソである。

今回の「スーパー南北貿易ゲーム」は、グローバル化を念頭に再構築したもの。多国籍企業が、新興国や途上国に生産拠点を移している現状を学ぶのがねらいだ。
それとゲーム上の問題だが、世界銀行のメンバーは最初暇で仕方ない。後半は多忙で、いつも大変である。(一度やっているので、あまりやりたがらないだとうと推測した。)できれば、その役割を無くしたかった。この二つを止揚したのが、今回のオリジナルゲームである。

新ゲームのカギは3つある。第一に、先進国・新興国・途上国での生産コストを決めたことである。たとえば、途上国で(たとえ他国の人間であっても)生産すれば、三角形は50M(マネー)、円形は20M、長方形は10Mで生産される。先進国では、三角形は90M、円形は60M、長方形は50Mで生産されることにした。これらは、部品である。その原料も、三角形は上質紙、円形はザラ紙、長方形は新聞紙とした。
第二に、商品として利益を生むのは、これらをのりで貼り、完成品とした場合にした。これをコーディネーターである私が買い取ることにした。不良品を見つけやすいような図形を考えた。のりは、開始20分後に競売にかけようと思う。もし、先進国Aがすべてを国内で生産した場合、200Mかかる。これをのりを購入して完成させてもその代金は220M、利益は20Mにしかならない。途上国ですべてを生産すれば80M、利益は140Mになる。この(仮想の)生産コストの差を現実化してくれるのが、第三のカギ、レンティア国・クウェートの存在である。彼らには5000Mという莫大な資金を与えた。ただし、自らの生産を禁じてある。彼らには、開始20分までの世界銀行的な役割を担ってもらおうと思う。おそらく、部品を買い集めるはずだが、たとえ、買い集めなくても彼らの存在が生産コストを現実のものとしている。彼らがその資金をどう使うかは、おそらくゲームの行方を左右するはずだ。

チーム分け。チーム内で戦略会議、さらに他国との折衝開始。質問を受けながら、大いに盛り上がっているところにチャイムが鳴ったのだった。ゲームの実施報告は、来週以降になると思う。

2015年1月7日水曜日

日経 トヨタのFCV特許無償提供

http://osaka.way-nifty.com/blog/2009/06/post-53a3.html
日経の朝刊に、トヨタが燃料電池車(FCV)の特許(5680件)を無償で提供する旨の記事が出ていた。ちょうど、昨日・今日とI君に,「経済学」に続いて「経営学」の講義をしていたのだが、絶好の教材でもある。日経の記事と毎日の記事を読み比べてみると、日経に書かれていて毎日に書かれていないのは、ハイブリッド車のことだ。日本では好調な売れ行きのハイブリッド車だが、全世界の車の販売台数でみると、わずか2%に過ぎないという「事実」であった。このニュースを理解するために極めて重要な事実だと私は思う。

ハイブリッド車には、特殊なインフラ(水素ステーション)は必要ないが、販売比率は2%である。燃料電池車をいくら開発し先行したとはいえ、、インフラが絶対不可欠故に販売台数を増やすことは至難の業である。大量生産できなければコストは下がらないし、水素ステーションが増えなければ、需要自体が絶対的に伸びない。いくら日本最大の企業であるとはいえ、トヨタ一社でできることではない。そこで、特許の無償提供という戦略になるわけだ。

昔、私が子供のころ、未来予測のイラストがあふれていた。家庭にロボットがいて、TV電話があって…。(かなり近づいてきたなあ。)そして、エアカーが走っているのだ。(鉄道ではリニアモーターカーはできたけれど、ホバークラフトもできたけれど…。)ところが、道路を走る自動車にはまだ車輪が付いている。

ある意味、その燃料電池車、そのエアカーより凄いかもしれない。地球環境を考えた場合、極めて有効だからだ。トヨタは、自社の利益を当然考えたはずだが、それを補ってあまりある貢献と名誉が与えられるはずだ。持続可能な社会を目指すうえで、重要な第一歩を記した日ではないかと思うのだった。

2015年1月6日火曜日

朝日 エチオピアのハンセン病

朝日新聞の朝刊に、「ハンセン氏病の悲劇アフリカで今でも」という記事が載っていた。その中で、エチオピアの女性の話をエントリーしておこうと思う。

「悪い病気だから、伝統的な呪術で治すことになり、煙を浴びました。」首都から480km離れた村の農家に生まれた彼女は、ハンセン病を発症したと自覚しても、その原因が遺伝や天罰、呪いによるものだという誤解や偏見から、他の人々と同様、、本人も家族も隠していた。呪術師が訪れたのは症状が隠せなくなった1993年ごろ。改善するどころかどんどん悪化した。見かねた親族の一人がそれでは治らないと教え都市の専門家にかかることができた。3か月ほど入院し、治癒。だが、顔や足に後遺症が残った。村に戻っても友達が離れてしまう。(小)学校が好きで通い続けたが卒業を待たずに、親が勧めるまま96年に15歳で結婚、翌年出産。だが、その直後に調子を崩し、指に軽い障害が出た。もっと差別を受けるのではないかと、治療後夫や子供と別れることを決心し、村を離れた。

都市郊外のスラムのビニールがけの掘立小屋に、同じ病院で治療した女性と身を寄せた。「病気になっただけで、人として女性としても否定されたよう。教育も受けたかった。」死にたいと何度も思い、物乞いをする生活を憎んだ。転機は当事者団体エナパルとつながったこと。早期治療をすれば、後遺症もなく治ることを初めて知る。貧困対策のマイクロファイナンスを利用して、ヤギを育てたり手芸品や織物をつくったりして起業する術を知った。「人生は変わる、強くなれる」と希望が見えた。生活はまだ安定しないが、自立ができそうだ。「私にも人権がある、と訴え、社会的な見方を変えていきたい。」

…私は、アフリカの呪術は、ある意味アフリカの構造だと考えているので、否定的に見ていない。だが、この早期治療(ハンセン病は早期治療で完治する。)を遅らせたのは、間違いなく呪術であることも否定しない。彼女の15歳での結婚や村を離れるという行動も、伝統的・アフリカ的な行動である。一方で、苦難を受けながらも、都市での蘇生の話は、全く新しいアフリカ的な話だと思う。

…そして、なによりアフリカ的だと思うのは、彼女が自殺を考えながらも、そうしなかったことだ。これも極めてアフリカ的な行動だ。アフリカから学ぶべきことである。どんな苦難があろうとも、自殺などしない。それが、アフリカの人々の生き方だと思うのだ。まるで、アフリカ大陸が安定陸塊であるように、この一点は不動なのだ。

…アフリカのハンセン病は、一応全ての国で制圧(1万人あたりの患者数が1人未満)されたらしいが、エチオピアやナイジェリアがなどで、年1000人以上の新規患者が出ていると記事にあった。WHOの2012年の地図(今日の画像)では、南スーダンは制圧の数値を超えているように見える。

2015年1月5日月曜日

毎日 ボコハラム、カメルーン侵攻

カメルーン空軍が所有するアルファジェット機
毎日新聞の朝刊に、ボコハラムがカメルーン領の5か所の町や村に侵攻したとの記事があった。これまで、ゲリラ戦を中心にしてきたボコハラムが、ここにきてイスラム国同様の国境を越えた拡大戦を開始したわけだ。カメルーン軍も、そこは抜かりなく精鋭部隊を国境に配置していたようで、空爆により撤退を余儀なくさせたということらしい。だが、ますます緊張が高まっている。

…ボコハラムは昨年末にも少年を誘拐したり、暴れまわっていたようである。これまでも、アフリカでは少年兵の悲劇が何度もあった。少年兵の使い方として、彼ら少年兵が前線の最先頭を行かされた可能性も高い。やるせない思いにかられるのは私だけではないだろう。

…ところで、外務省の資料で調べてみると、カメルーンの軍事予算は2007年度で$3億2400万である。1$=¥100換算では、324億円。GNIは世銀の2011年資料で$252億。資料の年度が違うので単純比較できないが、GNIの1%以上を軍事費に使っていることは間違いない。
空爆を行ったという報道から、カメルーン空軍を調べてみたら、少数ではあるが、旧型のジェット攻撃機も、戦闘ヘリももっている。維持費だけでもたいへんだ。もちろん兵士も志願制で12500名を養っている。

…持続可能な開発という観点からは、できるだけこういう支出は抑えたいところだ。カメルーンの軍事支出は、決して突出しているわけではないが、今回のボコハラムの侵攻は、大きな経済的痛手でもある。

…このところ、ずっと「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストV.6.01」の執筆をしていたので、こんな感想を抱いたのだった。

2015年1月4日日曜日

冬季休業中 新テキスト執筆3

冬季休業最終日である。明日から登校して新学期に備えるとともに、1年ぶりに今年は、経済学を個人講義することになっている。今年は、あの分厚いスティグリッツの経済学入門ではなく、一気に薄くなった。「高校生のための経済学入門」である。私の講義を受けるI君には、休業中に質問を箇条書きにしてまとめておくことを指示しておいた。

さて、「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストV.6.01」の執筆のほうはだいぶ進んだ。A4版で現在51Pというところ。今回はのテキストは、経済学的な視点、政治学的な視点、文化人類学的な視点の3つから書いているのだが、全2項目をほぼ仕上げた段階である。2つのアクティビティの内容も挿入してみた。まだまだ訂正する可能性はあるが、今現在の目次は次のようになっている。

1.はじめに
2.アフリカを経済学的視点から見る-アフリカの「貧困」と「発展」の原因を探る
(1)開発経済学はアジアから始まった-開発の方程式
(2)アフリカの気候・土壌
(3)アフリカの農業
(4)アフリカの都市産業
(5)アフリカの「貧困」の主原因
(6)<発展学習>「貧困」の定義とHDI・MDGs・人間の安全保障
(7)グローバリゼーションの進展と中国のアフリカ進出
(8)アフリカの鉱産資源とレンティア国家
(9)ダンビサ=モヨ女史の「援助じゃアフリカは発展しない」
(10)アフリカの「発展」の原因
3.アフリカを政治学的視点から見る-アフリカの開発を妨げているのは何か?
 ■アクティビティ デモクレイジー・シミュレーション
(1)ポール・コリアーの最底辺国の4つの罠
(2)デモクレイジー
(3)良きガバナンスが、アフリカを発展させる
 ■アクティビティ アフリカSDゲーム2014  
4.アフリカを文化人類学的視点から見る-アフリカの知
(1)アフリカから学ぶ

…と、ここまでである。これまでのテキストの内容を使ったところもあるが、基本的には大幅に書き換えた。ただ、なんとなく、だんだん難解になっていっている感がある。まあ、しゃあないか。(笑)これは、学術論文ではなく、ただの市井の高校教師が作っている「教材」である。さて、今日の画像は、明日講義する「高校生のための経済学入門」(小塩隆士/ちくま新書)。なんとなくタイトルが似ている。(笑)

2015年1月3日土曜日

ガンビアのお騒がせ大統領

ガンビアの市場の画像 http://shotaharada.com/archives/1804
WEBでアフリカのニュースを検索していたら、ガンビアでクーデター騒ぎがあったようだ。当の大統領は、ドバイへ外遊中で無事だったらしい。

ところで、このガンビアのジャメ大統領、WEBサーフィンしてみると、言動がたびたび注目されている。

2013年1月21日のロイター電。公務員を週休3日(金・土・日)にすると声明を出した。祈りや農業にささげる時間ふやすとのこと。2007年には、煮出したハーブからエイズ治療薬を発見したと発言。欧米からどえらい非難が沸き起こった。

2014年3月15日のAFP電。公用語から英語を外すと発表した。2013年10月には、「植民地主義の延長だ。」と英連邦からの脱退を表明。英国は人権について語る「道徳的土台」が備わっていないとも発言。その大統領は西側から人権侵害や報道抑圧を非難されている。2008年、同性愛行為が発覚したものは「斬首する」と述べ、同性愛者に国外撤去を求めた。

2009年11月17日のAFP電。政府が支援していると見られる「魔女狩り」が数か月間続き、全土を震え上がらせている。政府の命令で武装した男たちに守られた、自称「呪術師」らが、1000人以上の村人たちを誘拐、拘束、幻覚剤のようなものを飲まされたらしく、腎臓や胃に障害が起きた被害者も多く、8人の腎臓障害による死者が出ているという。この「呪術師」、ギニア人で、大統領が叔母の死を魔女のしわざだとして、呼び寄せられたとのこと。

2008年12月31日のAFP電。英国人宣教師が、ガンビア政府を批判したとして扇動罪で1年の重労働刑と罰金約85万円の判決を下した。ちなみに、ガンビアはイスラム教徒が80%である。

このジャメ大統領もクーデターで政権を握っっており独裁政権が20年以上続いている。ガンビアは、あの「ルーツ」で有名になり、欧米人の観光が主な産業である。…まったく。こんなんでいいのかね。

2015年1月2日金曜日

「かもめ食堂」を見る。

昨夜、妻が「かもめ食堂」という映画を、KBS京都で見ていた。KBS京都では、昼間も「大阪ハムレット」という映画をやっていた。主要地上局ではバラエティ花盛り。地方局としては、せめてマイナーだが、良い日本映画を正月の茶の間に、というコンセプトなのだろう。これが、なかなかよかったのだ。

と、いっても、ずっと「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストV.6.01」と執筆しながら、ちらちらと見ていたのだが…。

「かもめ食堂」は、フィンランドが舞台だった。ヘルシンキの日本食堂に、奇妙な縁でつながる3人の日本女性が織りなす不思議な映画であった。フィンランドの北欧的な奇妙な生活感が新鮮である。

特に印象的だったシーンは、荷物が届かない女性が、フィンランドの森に行く。そこでキノコをたくさん見つけるのだが、結局すべてのキノコを持って帰れなかった。どこかに忘れてしまったのだという。そして、ついに届いた荷物を開けると、そこにキノコだけが入っているのだ。彼女が、そのことを航空会社に電話していると、いつも散歩しているオジサンに猫を託される。まだまだフィンランドにいるべきだという、極めてフィランドの妖精の仕業のような不思議な話だが、この逸話が全く不自然ではないのだ。

妻の感想は、「この映画の流れるようなリズムが心地よいのだ。」とのこと。うーむ。言い当てて妙である。

2015年1月1日木曜日

2015年はMDGsのゴール

2015年はMDGs(ミレニアム開発目標)のゴールの年である。高校生のためのアフリカ開発経済学テキストV.6.01の資料集めということもあって調べてみた。地域別に一目でわかる資料は、上記の外務省HPである。サブ=サハラ・アフリカ地域に限って言えば、HIV/エイズの蔓延防止は2015年内に達成できそうだが、他は極めて厳しい状況にあるわけだ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs/about.html

とはいえ、全世界的には、最大の目標であったターゲット1Aの、「1990年から2015年の間に極度の貧困(1日$1.25で生活する人)を半減させる。」というのは、47%から22%へと、ほぼ達成されつつある。実数にして7億人である。これは、国連のDESAの統計部副部長の大崎さんの資料から。日本語でしかもプレゼンテーション資料なので簡潔でわかりやすい。
http://www.unic.or.jp/files/MDGreport2014-_Japanese.pdf


最も詳細な資料は、国連から出ている英語の資料だ。サブ=サハラ・アフリカ地域では、以前より減少しているとはいえ、まだかなりの数の1日に$1.25で生活する人がいることがわかる。画像が小さくてわかりにくいが、赤の矢印の部分でグラフに線が引かれているところが(半減の)ゴールである。また、初等教育の男女共の完全普及についても、高い伸び率を示してはいるものの、100%(右隅)まで届かなかったことがわかる。
http://www.un.org/millenniumgoals/2014%20MDG%20report/MDG%202014%20English%20web.pdf

今年、さらに持続可能な開発のアジェンダが制定されると思われる。注視していきたいところだ。

…あ、読者のみなさん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。ホント季節感のない人間なので、最後になってしまいました。