2015年1月17日土曜日

阪神大震災から20年の日に。

http://www.mod.go.jp/msdf/hanshin/about/saigai/
今日は、早朝から阪神淡路大震災20周年ということで、TVでは多くの特集を組んでいた。(当時から)大阪・枚方市在住の私は、震災自体の被害を全くと言っていいほど受けなかった。もちろん尋常でない揺れがあり、寝室の戸近くに丸めておいていたカーペットが倒れ戸が開かないでびっくりしたが。当時も6時過ぎには、学校に登校していたので、そのままいつもどおり最寄駅に向かったのだった。しかし、JR学研都市線は動いておらず、坂道を引き返した。妻が「えらいこっちゃ。」と倒壊した阪神高速や長田区の火事の様子をTVをつけて話してくれた。だが、インターネットなどない当時、もう一度駅に向かった。しかしまだ不通。もういちど坂道を引き返して、当時同じ学校に勤務していた親友のU先生宅に電話した。彼は比較的学校のそばに自宅があり、今から自分は自転車で向かうと前置きして、「大阪でも電話線などが垂れ下がっているところがある。もう今日は欠勤したほうがいい。私から学校には伝える。」と言ってくれた。20年前はそんなだったのだ。

今日のTVで、国や県の初動について、首相に誰も伝えなかったとか、知事も家にいて自衛隊の出動を決済できなかったとか、反省的な内容も報道されていた。学校は意外に、こういう危機管理は徹底されている。責任あるポストについている教員、近隣に住む教員で、こういう万が一の時は、集合する人員のレベルが決められているのだ。私などは遠いのでレベルが下なのだ。当時集合した教員で、登校した生徒や保護者からの連絡に対応しつつ、学校内の点検を行い、教育委員会に連絡したはずだ。これは、教員の世界は、(当時)学校長・教頭・事務長などの管理職以外は責任職であるが故に、「官僚主義」におちいらない組織の論理が働くからだと思う。管理職がいなければ、来ている教員で相談・行動し、決断も行えるわけだ。組織の効率だけを念頭に置くと、官僚主義に陥る。自分の頭で考え、行動することが難しい。

ある今日のTV番組で、当時6年生だった児童と担任の先生の話が報道されていた。クラスの女子児童が震災で亡くなった。彼女のあだ名を冠した学級新聞をみんなでつくりながらその突然の死を受け入れた話だ。そのクラスメートが結婚したのだという。小学校教諭となった新郎とピアニストをめざした新婦。式に担任の姿がある。今も、亡くなった女児の分まで、という話だ。私はこういう話に滅法弱い。卒業式の実際の映像も流れていた。遺影を胸にした卒業式だった。

被災地の小学校の教頭先生の奮闘の体験をもとに「いっせいに芽をふきだした雑草のように」というシナリオを書き、演出したことを思い出す。(11年3月31日付ブログ参照)

あの担任の先生の深い悲しみと大きな喜び…。おそらくは実際に体験しなければわからないと思う。改めて、震災の被害者のみなさんのことを祈る日となった。

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