2015年1月6日火曜日

朝日 エチオピアのハンセン病

朝日新聞の朝刊に、「ハンセン氏病の悲劇アフリカで今でも」という記事が載っていた。その中で、エチオピアの女性の話をエントリーしておこうと思う。

「悪い病気だから、伝統的な呪術で治すことになり、煙を浴びました。」首都から480km離れた村の農家に生まれた彼女は、ハンセン病を発症したと自覚しても、その原因が遺伝や天罰、呪いによるものだという誤解や偏見から、他の人々と同様、、本人も家族も隠していた。呪術師が訪れたのは症状が隠せなくなった1993年ごろ。改善するどころかどんどん悪化した。見かねた親族の一人がそれでは治らないと教え都市の専門家にかかることができた。3か月ほど入院し、治癒。だが、顔や足に後遺症が残った。村に戻っても友達が離れてしまう。(小)学校が好きで通い続けたが卒業を待たずに、親が勧めるまま96年に15歳で結婚、翌年出産。だが、その直後に調子を崩し、指に軽い障害が出た。もっと差別を受けるのではないかと、治療後夫や子供と別れることを決心し、村を離れた。

都市郊外のスラムのビニールがけの掘立小屋に、同じ病院で治療した女性と身を寄せた。「病気になっただけで、人として女性としても否定されたよう。教育も受けたかった。」死にたいと何度も思い、物乞いをする生活を憎んだ。転機は当事者団体エナパルとつながったこと。早期治療をすれば、後遺症もなく治ることを初めて知る。貧困対策のマイクロファイナンスを利用して、ヤギを育てたり手芸品や織物をつくったりして起業する術を知った。「人生は変わる、強くなれる」と希望が見えた。生活はまだ安定しないが、自立ができそうだ。「私にも人権がある、と訴え、社会的な見方を変えていきたい。」

…私は、アフリカの呪術は、ある意味アフリカの構造だと考えているので、否定的に見ていない。だが、この早期治療(ハンセン病は早期治療で完治する。)を遅らせたのは、間違いなく呪術であることも否定しない。彼女の15歳での結婚や村を離れるという行動も、伝統的・アフリカ的な行動である。一方で、苦難を受けながらも、都市での蘇生の話は、全く新しいアフリカ的な話だと思う。

…そして、なによりアフリカ的だと思うのは、彼女が自殺を考えながらも、そうしなかったことだ。これも極めてアフリカ的な行動だ。アフリカから学ぶべきことである。どんな苦難があろうとも、自殺などしない。それが、アフリカの人々の生き方だと思うのだ。まるで、アフリカ大陸が安定陸塊であるように、この一点は不動なのだ。

…アフリカのハンセン病は、一応全ての国で制圧(1万人あたりの患者数が1人未満)されたらしいが、エチオピアやナイジェリアがなどで、年1000人以上の新規患者が出ていると記事にあった。WHOの2012年の地図(今日の画像)では、南スーダンは制圧の数値を超えているように見える。

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