2022年5月31日火曜日

イスラエル人の国民性 考

こちらは市立図書館で借りた「イスラエルがすごい~マネーを呼ぶイノベーション大国」(熊谷徹/新潮文庫)である。イスラエルの情報技術と軍の関係については、すでに何冊か読んでいるが、この本には、国民性のことが書かれていて、実に面白い。

イスラエル国防軍には、8200部隊やさらに士官候補生のためのタルビオットと呼ばれる特殊な技術教育プログラムがある。タルビオットは、第四次中東戦争で情報収集を疎かにしていた故に奇襲をゆるしたという反省から生まれた独創性を重視するエリート教育プログラムである。

著者は、これらの軍組織の出身者からベンチャー企業が生まれ大成功している理由として、「既成の考え方にとらわれない自由な発想」があると考えている。8200部隊に配属された18歳~20歳前後の若い兵士たちは、上官から極めて難しい課題を課される。たとえば、「X国のサーバーに入り込んで、データを取ってこい」という命令。この時、上官は課題を与えるだけで、どのようにして敵のITシステムに侵入すればよいかなどの細かい指導は一切しない。若者は自分の頭で考え、解決策を求められる。これまで誰も成功したことがないような課題を求めることもある。もし、解決策を考え出す者がいたら儲けものである。こういった訓練を受けた兵士が除隊後にベンチャー企業を立ち上げる。ゼロからの出発はすでに経験済みなので起業家として成功する確率は高くなる。20歳前後という多感な時期に、国の安全保障をめぐる課題について厳しい知的訓練を受けることは、心に大きな刻印を記す。民間経済の世界でも一見不可能と思える課題に挑戦することにためらいを感じなくなるだろうというわけだ。

従来の常識や伝統を超えた発想ができることを「箱の外」の発想といい、8200部隊に入る上で最も重要な条件だそうだ。これは、ユダヤ人の価値観(=あらゆる権威を疑う、政府・上司の言う事も絶対に鵜呑みにせず、質問攻めにする)から来ている。

…たしかにユダヤ教には、こういう伝統があって、タルムードはその結果生まれた膨大な聖書の注釈書である。この伝統はユダヤ人の学問的な長所となっているし、ノーベル賞受賞者が多いのもこの伝統上にあるといえる。

また、彼らの価値観には年功序列の原則はない。成果がすべてのメリトクラシー(功利主義)が徹底した社会だといえる。ある意味で民主的な社会であるし、出る杭は打たれるのではなく、出ない釘は出世しない社会である。彼らに美辞麗句や社交辞令は通じないし、フッパー(ヘブライ語で、大胆さ、厚かましさ。鉄面皮という意味)という語があって、知性や論理性に裏付けされた物怖じない態度が良しとされる。さらに中世以来の迫害も背景にある。結局生き延びるためには、一芸に秀でる事が必要になる。医者や弁護士が多いのもそういう理由もある。

…こういう国民性はイスラエルという移民国家でさらに磨かれたようで、ゼロからのスタート、失敗を恐れないメンタル面の強さなど、現在のイスラエル、ユダヤ人理解の大きなポイントであるようだ。

2022年5月30日月曜日

生麦事件(上・下)吉村昭 Ⅱ

JR宝塚線・東西線・学研都市線はどうかしている。今日も帰路、尼崎駅のアクシデントで電車が停まった。Ⅰヶ月で3回目である。ところで、今朝、住道あたりで 生麦事件(上・下)を読み切った。

今回は、意外だった、というか私の不勉強で間違った認識をしていた話も含めて記していきたい。薩英戦争時に、薩摩藩の虎の子の3隻の蒸気船が英軍に拿捕される。この時の責任者は、結局英船に乗り込み、亡命めいた手段に出る。それは、後の外務卿・寺島宗則と著名な実業家。五代友厚で、謎が多い。この2人はかなりの外国通であり、例の結婚式で同席したN氏の著書にもボロクソに書いてあった記憶がある。この3隻の拿捕が薩英戦争開始のきっかけとなっている。

一方、長州ファイブのうち、井上馨と伊藤博文が急遽帰国して、高杉と伊藤が四国連合艦隊へ折衝に行くのだが、途中で攘夷論者を恐れ逃亡していて結局最初だけだった話。井上が瀕死の重傷を負わされるのだが、これも攘夷論者によるものと思っていたが、俗論派によるものだった。このあたりの詳細な話はあまり読んだ記憶がない。さらに、四国連合艦隊との砲撃戦で、以外にも奇兵隊の幹部となっていた山縣有朋が砲撃で戦果をあげていたことも初耳。こういった後々に有名になる人物(当然名前も変わっている)の若かりし頃の話が面白い。

さて、この「生麦事件」全体を通して、かなり詳細な資料をもとに書かれているがゆえに認識を新たにしたこと、それは当時のガバナンスの良さである。幕府の評定はかなり遅いが、薩摩藩などのガバナンスは見事で、様々な書類・報告書が、薩摩・京・江戸、さらには久光のいる地に送られていることだ。勝手な動きは決してしない。上層部のどこまでで決済されるかを見極めながら、いわゆる官僚制がきっちりと引かれている。薩摩藩恐るべしである。こういうガバナンスに、当時の武士階級は慣れていたのであろうし、それが四民平等となってからも、明治の中間管理職としての地位を確立したのであろうと再認識した次第。日本が植民地化しなかった理由の一つに、武力だけではないこういった武士階級の能力があるといえるのではないだろうか。

2022年5月29日日曜日

生麦事件(上・下)吉村昭 Ⅰ

先週、学園の図書館に返却した時、吉村昭の生麦事件(上下巻:新潮文庫)を借りた。帰路、読みだしたら止まらなくなり、結局先日の東京行でも読み続け、8割方読破した。

幕末維新史に関しては、それなりの知識を有しているつもりだったが、吉村昭の詳細な記述を読んでさらに理解が深まった。この「生麦事件」は、そもそも島津久光が、斉彬の公武合体政策を推し進めるために、勅使大原重徳の随従として江戸に向かい、徳川慶喜の将軍後見職、松平春嶽の政事総裁職をなんとか認めさせた後の事件である。例の、西郷が無位無官の久光をジゴロ(田舎者)と愚弄した京・江戸への進出の帰路である。(よって、西郷はこの小説では、ほとんど最後まで登場しない。)

タイトルだけ見ると、生麦事件が起こって、薩英戦争になって…と内容が予期できるのだが、実は、長州や幕府、ならびにイギリスなど外国政府を巻き込んだ、「攘夷」について書かれてた本と言っても過言ではない。尊皇攘夷運動は、そもそも周の時代の言葉だが、尊王である水戸の烈公が、「攘夷」を声高に唱え合体したイデオローグで、孝明天皇が「夷狄は嫌いじゃ」と言われたことで、攘夷はゼロ記号化する。孝明天皇は、親幕府的で、当然ながら蘭学・洋学の素養はなく、攘夷に関しては空想的攘夷だと言えよう。それが水戸藩や長州藩、薩摩藩、土佐藩などの江戸留学組に広まり、ゼロ記号となったといえる。このゼロ記号が薩英戦争や下関戦争で痛い目を見た薩摩と長州が、ゼロ記号を捨てるわけだ。

生麦事件は、公武合体派で、斉彬以来の海事防衛の必要性を認識しつつも、攘夷を旨としていなかった久光にとって、災難としか言いようがなかったであろう。実際、この事件後、横浜村の外国人勢力が暴力的報復を実行しようとしており、予定していた宿泊先をキャンセルし、先の宿場町とし、さらに本陣から宿舎をこっそりと移すことに同意もしている。意外に柔軟で高所から物事を見ている。

司馬遼太郎の小説では、久光は斉彬と比較して、暗愚な俗物としているように感じる。決してそのような人物ではなかったのではないかと思われる。確かに西郷という視点で見れば、出自(庶子)からくる呪術的な問題(お由羅の方が正妻の子斉彬に呪いをかけたという話がある。)もあって、藩内の対立(これには大久保利通の一家も絡んでくる)を生んだのは事実である。

この本の第一印象は、吉村昭の詳細な記述故に分かった、島津久光は、なかなかの人物であったということに尽きるのである。

2022年5月28日土曜日

近場の源氏の滝まで歩く

このところ、体重も三崎の頃よりぐっと落ちている。血糖値も下がっている。それは、毎日通勤で駅まで歩いているのと、学園の坂を登り下りしているからとしか言いようがない。土日も起床時間・就寝時間を変えずに、しかもできるだけ歩くようにしている。

自宅の周囲にはそういう散歩やサイクリングの道がたくさんあって、適度に坂もある。今日は、妻が久しぶりに、源氏の滝まで一緒に歩こうと提案してきた。そんなに遠くはない。15分から20分程度である。滝と言っても、大きなものではない。(画像参照)子どもたちが、初夏を楽しんでいた。(笑)

滝の横の階段を登ると不動明王が祀られているらしい。あまり気が進まなかったが、鍛錬だと思い登ってみた。すると、懐かしい名前の石碑があった。…山田無文。高校末期に凝っていた禅の老師である。非常に簡明に記された本を何冊か読んだ記憶がある。そのキーワードは、「衆生本来仏なり。」白隠禅師坐禅和讃から来ていると思う。

てなわけで、今日・明日は少し歩くことを継続しながらも、先週の疲れをひたすら回復させようと思っている次第。

教え子の結婚式 in 東京

5月26日は、M高校の教え子の結婚式の日であった。結婚式は久しぶりである。(在マレーシア時代にも、M高校の教え子からお誘いがあったのだがさすがに電報でゆるしていただいた。)だいぶ前から決まっていたので、学園には、早くから授業の振替をお願いしてあり、快く変更していただけた。経路は日帰りで新幹線にした。今は”のぞみ”になっているのでで、かなり早い。

今回結婚したOGは、非常に優秀な子で今は獣医である。馬術をやっていて国体に出たこともあり、M高校の中庭で送別会をやったこともある。お母さんもPTA会長をしていただいていた。有楽町のPホテルに着くと、OGがすでに来てくれていた。最初誰だかわからなくて、じーっと顔を見たらわかった。(笑)OGといっても、30歳を超えて母になっている子もいるわけで、街であってもわからんなあ。

結婚式は、アメリカ人の神父さんが執り行っていた。最上階で東京の街並みをバックにプロテスタント的な十字架が設定されていたので、てっきりプロテスタントの牧師さんだと思ったが、後で確認したらカトリックの神父さんであった。結婚の儀式的なことは大差ないとのこと。チェロやハープ、賛美歌の生演奏もあり、さすが香港で最も有名なPホテルだと再認識した次第。

披露宴は、参加者の簡単なプロフィールも書かれていて、私は「高校時代の恩師」となっていた。一番前でOGたちとは同じテーブルだが、新婦側主賓の横でもあった。最も驚いたのは、新郎の知り合いで、スタンフォード大学のフーヴァー研究所教授のN氏が来られていたことである。氏の著作も読んだことがあるが、今回はお声がけは遠慮した。

新婦の叔父さん(アメリカ人)が、余興でウクレレを演奏してくれた。その際、新婦からのリクエストということで、その旋律を聴いて、OGたちと顔を見合わせた。「オーバー・ザ・レインボー」であった。アイオワ州への修学旅行の時、我がC組が歌った曲である。いやあ、感動した。さすがに、新婦と叔父さんにお礼を申し上げた次第。

このPホテルの披露宴には、今まで経験したことのない演出がいろいろあった。新婦のお色直し中に、新郎がキッチンでメイン料理を作って同時中継され、お世話になった方に食べていただいたり、ご両親への最後のあいさつ時には、生まれたときの重さのPホテルのマスコットのティディーベアをそれぞれ渡したりと粋な演出がなされていた。

いい結婚式だった。新婦の選んだ新郎は、幼稚舎からのG大育ち。たしかに生まれも育ちも良い、馬術を趣味とする好青年であった。千代田区に住むそうである。うーん、かなりお金持ちなのだろう。最後に、司会から本日のご祝儀は全て寄付に回されるという言もあった。単なるお金持ちではなく、エスタブリッシュメントであるようだ。

二人に幸多かれと祈る。新婦のご両親にも同様に…。

2022年5月25日水曜日

アフリカの日に寄せて

5月25日は、OAU(現AU)の創立記念日で、「アフリカの日」である。”オメデトウ、アフリカ”と言いたいところだが、本年1月に国連経済社会局が発表した2022年・2023年の経済成長率は、それぞれ4.0%、3.6%であり、全世界的なコロナ禍の影響を受けていること、その脆弱性が指摘されている。

ワンクチン接種率は、13億人の中で、1回でも受けた比率は10%前後、多くの国で5%に満たないのだという。私はワクチンに関しては懐疑的なので、コメントしようがないが、先進国からの危険感があるゆえに、観光業などへの影響は大きいようだ。

https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/01/ef17a54c8d80c02d.html

アフリカの医療状況(私はケニアやブルキナファソくらいしかわからないが…。)を鑑みるに、10%という数字には納得である。南アなどは、ほぼ先進国なので、接種率は高いだろうが、他の国では、都市住民でもあまり受けないだろうと思う。そもそも、ケニアなどではマラリアの熱が定期的に襲ってくる土地でもあるので、コロナなのか、マラリアなのかさえわからないに違いない。まして、ブルキナなどでは病院に行くことさえ拒否的な人々が多い(JICAの看護師さんの言)。そう簡単に接種が進むとは思えない。しかもアフリカの人々は、免疫力が高そうだし…。

ただ、コロナ禍による経済の停滞によって、様々な問題が浮き上がってくるように思う。先進国の経済停滞による国際支援の縮小、ウクライナ戦争による食糧問題などもアフリカに影を落とす可能がある。心配である。まあ、アフリカに限らず、全世界的な問題であるわけだが…。

2022年5月24日火曜日

おおさか東線に乗った日

https://mainichi.jp/articles/20190316/k00/00m/040/055000c
帰路、またまたJRがストップした。今回は、JR東西線の新福島駅でトラブルがあったようで、宝塚線で尼崎駅に着いてから、この事実がわかった。いつもなら快速電車が停まっていはずなのに、松井山手行きの普通電車が停まっていたので、運転手に聞くと、隣のホームに停まっている京都行きの普通に乗って、大阪駅で環状線に乗り換え、京橋から学研都市線で行かれるが良いと教えてくれた。要するに尼崎ー京橋間の東西線だけストップしているということだった。

で、京都行きの普通電車に乗り込んだのだが、ふと思いついた。新大阪まで行って「おおさか東線」に乗ってみよう。

…昔務めていたH高校のある放出駅(はなてんと読む)は、そもそも学研都市線の駅だが、おおさか東線が乗り入れていて、南の久宝寺と結ばれていた。これには近鉄奈良線や近鉄大阪線に乗り換えるために2回ほど乗ったことがある。私がマレーシア&三崎に行っている間に、北の新大阪まで延長されたのである。

新大阪から新幹線に乗る機会がなかなかないのだが、いつか乗りたいと思っていたのである。(私の自宅からだと、近鉄京都線で京都駅に行く方が近い。新幹線利用時は京都駅経由となることが多いのだ。)

新大阪を出て、JR京都線(まあ東海道本線である)東淀川駅の横をすり抜け、南吹田駅へ迂回する。この線は元々城東貨物線で、JR貨物のみが走っていたのである。阪急の淡路に対してJR淡路、京阪の野江に対してJR野江というのが面白い。意外と車内は混んでいて、需要があったことが伺えた。

まさに”瓢箪から駒”。アクシデントが、生んだ「おおさか東線の旅」。ちょっと”非日常”を楽しませてもらった。

東チモールの言語問題

https://www.mui-motosumi.co.jp/hpgen/HPB/entries/223.html
「世界街かど地政学NEXT」は、実に面白い。著者が地域エコノミストであるので、地域経済学的な視点から見ているのである。先日エントリーしたNYCのハイラインでも、(書き忘れていたのだが)近隣の地域で地価の上昇という外部経済が働いたことが記してある。ちなみに、ハイラインはウエストサイドにあり、私が訪れた時は注意すべきエリアであった。(イントレピッド航空博物館には、安全を期してTAXIで行った記憶がある。)今や、このウエストサイドの地価が上昇し、所得の高い住民が増え、治安が向上するという流れができたようである。

さて、今日の主題は、東チモールの話。アジアで最も新しい独立国(ポルトガル領からインドネシア支配下より独立)。この国の通貨は何の関係もないUSドル(硬貨は独自発行している)だそうだ。

地元民の言語は、テトゥン語(インドネシア語と同じオーストロネシア系だが相互には通じない)だが、口語で経済用語や学術用語の語彙に乏しい。スワヒリ語みたいなもので、中等教育以上には使えないらしい。ポルトガル語は少数の高齢者エリート層と独立後に教育を受けた若者中の優等生しか通じない。インドネシア語は20年強の支配を受けていたので中年層にしか通じない。しかも、それら以外に岩手県程度の国土に15もの言語が存在しているらしい。

テトゥン語と類似性があるインドネシア語で教育を行い、第二外国語として英語を普及させれば、インドネシアやオーストラリア、シンガポールなどと交流が活性化するに違いない。実際、島の西半分は同じテトゥン語が最大限語で、インドネシア領である故インドネシア語と英語での教育が行われている。だが、ポルトガル植民地として450年過ごし、インドネシアによる血の弾圧の記憶を克服するには、やはりポルトガル語で教育することが良いと言う事になったようだ。これは、我々がとやかく言う話ではないが、国富・経済効果という観点からは決して良い選択だとは言い難い。

https://www.eurasia.co.jp/travel/tour/AE08
さて、地域エコノミストとしての著者は、ほとんど開発経済学の視点で東チモールを見る。以前インドネシアとオーストラリアが開発した油田・ガス田があるのだが、枯渇しているものもあって、それ以外には何もないという貧乏な島国なのである。著者は、独立時にいたムスリムが西チモールに移住したため、90%がキリスト教徒であること(つまり、飲酒や豚肉も提供できること)、豊かでのどかな自然が残っていること、国際線のフライトがあることなどから観光立国というプランを立てている。ただ、観光立国のためにはインフラの整備や教育への投資が必要である。石油収入をうまく配分して成功するのはなかなか難しい。そんなことを考えていたようだ。開発経済学をかじった私としても同様のプランに行き着くだろうと思う。

2022年5月22日日曜日

ベトナムのドンホー版画

https://www.scuti.jp/blog/6291798
ベトナム在住のT先生から、校外学習の付き添いで、版画で有名なドンホー村に行ってきたとのメールが来た。短いVTRも合わせて送ってくれていたが、もっと知りたいと思い、調べてみた。

なんでも無形文化財であるそうだ、紙も特殊で帆立貝の粉が使われ、色もみんな自然から作られるという。いやあ、素晴らしい。

当然、説明なんかは全てベトナム語であり、生徒に通訳してもらっていたのだとか。わかるわかる。私もマレーシア校外学習で、同様の経験をした。(笑)こうして日本にいると、そういった海外生活の何気ない発見、何気ない喜びが懐かしくもある。

ところで、妻が昨日You Tubeでペナン島の屋台のチャンネルを見ていて、マレーシアの屋台料理の美味しさが話題になった。日本にしかないものもある。関西でしか味わえないもの、四国でしか味わえないものもある。そして、マレーシアでしか味わえない絶品もあった。きっと、T先生ご夫婦も、そういう絶品を見つけられると思う。(食事ではないけれど)このドンホー版画も大事なベトナムの絶品だと思うのだ。

2022年5月21日土曜日

NYCのハイライン

https://forum.10plus1.jp/
renovation/forum/repo014
-highline/report014.html
市立図書館で、「世界まちかど地政学NEXT」(藻谷浩介/文藝春秋)という本も借りてきて読んでいる。こういう地理系のノンフィクションは実に面白い。毎日新聞の有料インターネットサイトに掲載されていた紀行文集だそうだ。今日のエントリーは、NYCの話。

私がNYCを旅したのは、まだツインタワーが健在だった頃なので、はるか昔になってしまった。NYCには、ハイラインという観光名所ができているらしい。1934年から80年まで、使われていた貨物線が今や遊歩道というか公園になっているとのこと。

ハドソン川のほうの34丁目くらいから、南へ2.3㎞ほど。ハイラインという名がNYCらしい。単純でわかりやすいと著者。日本なら堅苦しい正式名称と愛称がついて、ゆるキャラも公募されるだろうと書いてあったのが納得。

様々な木のベンチ、幅が広いところは芝生が張られ寝そべることも可能な空間もあり、様々な木や植物が植えられ、高架から様々な景色が楽しめるようだ。貨物線の跡が残されているところもあるようだ。そもそも使われなくなって、木が生えてきたところもあったようだ。アメリカ人は、こういう自然の「挑戦」が好きらしい。

https://dailyportalz.jp/kiji/170526199712

https://mainichi.jp/premier/business/articles/20180119/biz/00m/010/042000c
クアラルンプールにも、こういう高架の歩道がある(歩いたことはないが…)が、公園化しているわけではない。NYCは凄い。もう行くこともないだろうが…。

2022年5月19日木曜日

サッカー部の練習を見る

学園はかなりの進学校であるが、同時に文武両道で、部活も重視している 。学園のサッカー部は、かなり強いらしい。私の教えている生徒にもサッカー部員が多いし、かねてから練習を見たかった。今週は中間試験中ではあるのだが、兵庫県総体が近いので特別練習許可がおりているようだ。

私は商業高校や工業高校でこれまでサッカー部の顧問をしてきた関係もあって、自分ではできないが見る目は養われている。各自の技術力やフォーメーションもよく見えるわけだ。一昨日と今日、それぞれ30分くらいグランドの片隅から練習を見せてもらった。

一昨日は、ヘディングやスローイン、ロングバスの基礎的な練習を見ていて全体的な技量の高さを感じた。もちろん、トラップもかなり上手い。今日は、6対6のパス回しの後、紅白戦をやっていた。

ちょうど、その休憩時はキー練(キーパー練習)をやっていて、シュートを止められなければ、グランドを走るという練習のようだった。キーパー候補もかなりの数であった。ところが、シュートを打つコーチがこれまた凄い。ありゃあ、取れへんでというような凄いコースに飛んでいた。しかもキーパーたちはかなりの速さでグランドを走る。

たまたま、ボールが私の方に転がってきた。驚いたのはピーコック(試合球)であったことだ。(少なくとも私が顧問をしている頃は)公立高校はビンボーなので普段はピーコック(練習球より少し小さめである。もちろん高価だ。)を使わない。さすが、私立と感じ入ったのだった。

紅白戦を見ていて、彼らのロングパスはかなり長いし、正確であった。縦パス、サイドチェンジも上手い。フェイントやドリブルもかなりのもので、こりゃあ凄いと感じ入った次第。総体、頑張ってほしいなあ。

2022年5月18日水曜日

大学生のための日本国憲法入門

学園のすぐ近くに市立図書館がある。学園の図書館でも本を借りているが、通勤時間が長いので読書量が半端ない。次々に読み切っている。そこで、ここでも本を借りることにした。私は市外の人間だが、勤務地が市内なので貸してもらえるのである。なかなかいい本が揃っている。

今回借りた本の一冊に「大学生のための日本国憲法入門」(吉田成利/慶応大学出版会)がある。ちょうど、中間考査明けの政治経済の授業が、憲法の平和主義だったからで、その資料として借りたのだ。帰路どんどんと読み進めた。なかなか平易で、高校生に勧めてもよいくらいだ。高校の参考書や資料集にはあまり載っていない、第9条が分析・解釈があった。これは、政府見解というか、個別的自衛権を認めるものである。フツーに読むと、自衛隊は違憲的存在のように思えるのだが、なるほどと思った次第。

戦争の放棄における戦争とは、国権の発動たる戦争=日本が戦争を起こすことであり、他国が生じさせた戦争に巻き込まれることは放棄しようがないということ。武力による威嚇または武力行使を放棄することについても、国際紛争を解決する手段として、という条件が付けられている。これは独立国家における自衛権は認められるということを意味する。第二項の陸海空軍その他の戦力はこれを保持しないというのも、前項の目的を達するために、という条件がある。この前項の目的とは、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求することである。これに違反しないような自衛のための戦力は保持できるというわけである。

そもそも国連憲章の第51条に、個別的自衛権と集団的自衛権が認められると明記されているので、この解釈は妥当ということになる。問題は集団的自衛権である。2014年に日本は、これを国家存立を条件に細かな規定を作って認めている。

…集団的自衛権と言えば、ウクライナ戦争に揺れるNATOである。フィンランドとスウェーデンがNATO加盟に動いた。加盟には全加盟国の酸性が必要だが、これにはトルコが反対を表明した。その理由は、トルコにとって最も懸案であるクルド人武装勢力をスウェーデンが支援していると言われているからであるそうな。なるほどと思った次第。

…話がそれたが、月曜日からの授業ではこの教材をもとに授業をするつもりである。右でもなく左でもなく、真ん中から語りたい。

2022年5月16日月曜日

スーパー弁護士 花井卓蔵

https://www.sankeibiz.jp/
compliance/news/140403/cp
d1404032218010-n1.htm
星新一の「明治人物史」が面白い。今朝の通勤時間は「花井卓蔵」を読んでいた。もちろん初めて聞く名である。話は、明治一代女で有名な「花井お梅」から始まるが、同じ苗字ながら何の関係もない。唯一関係あるとしたら、花井卓蔵は、大弁護士で刑事事件の第一任者であることか。たしかに、凄い人物である。星新一のと父・星一との関係は、星製薬の冤罪裁判に関わり、冤罪を晴らしてくれた弁護士(後半は息子の忠)なのである。

明治18年、英吉利法律学校(中央大学の前身)に入学。自然発生的な特待生といったカタチの苦学生で、後母校に巨額の寄付をしている。憲法発布の翌年の23年、代言人(後の弁護士)試験に合格。明治31年、30歳の若さで郷里の広島で代議士に当選。だが、党派に属さず人権の養護と憲政のあり方について発言し続けた唯一の存在である。明治33年、かの足尾銅山事件の弁護を行っている。一時期政党政治のくだらなさに立候補を中止したが、翌年日露戦争時の解散を受けて再び出馬。国士である。ポーツマス講和条約への日比谷国民大会(数万の人が集まり、焼き討ち事件を起こした)を主催した代議士河野広中を弁護、「大会が開かれなかったらあの暴動は起こらなかった。主催者だった被告はその結果の責任をとらなかればならない。」という検事の主張に、「いや、一犬虚に吠え、万犬実を伝えた場合、吠えた犬は他の万犬の責任まで引き受けなければならない理由はない。」と看破したという。

すごい勉強家で、かなり個人的に論文も発表していたが、弁護士として名を上げるとともに、法学博士の学位を42年に受ける。それまで官学の出身者に限られていたが、法学博士会のほとんど全員の賛成・推挙によるものであった。

幸徳秋水の大逆事件、シーメンス事件の弁護も行っており、大正4年には大政党に属さないのに衆議院副議長に推され二期務めている。ある地元の銀行の倒産事件で親戚の弁護を行ったが、商行為の失敗が無罪となり批判の声が上がった。一人の人権を守るために、22年にわたった議員生活をあきらめる。星新一は、このことが最も感嘆させられたと書いている。弁護を断るか他人にまかせるかすればいいと知りながら、あえて自己の職務に忠実に生きる、これがスーパー弁護士・花井卓蔵なのである。

大正11年、貴族院議員に任ぜられた。法制局長官、司法大臣、中央大学学長の就任は全て固辞。これまでの法律改正につくしたことに勲一等瑞宝章。官職についていないので位階なしという極めて珍しい例となった。昭和4年弁護士会を退会(=弁護士業を辞める)。

私が最も感銘を受け、彼のことをエントリーしようと思ったのは、次の記述による。「憲政有終の美には、普通選挙の実子や貴族院の改革も重要ですが、最大の問題点は、天皇を輔弼する内閣の責任についてです。現在は、軍機軍令に対しては、陸海軍大臣のみ補筆の責任を持っている。軍艦系の制度、予算に関しては内閣は口を出せない。これでは立憲政治とは言えない…」内閣官制の第7条を改正し、陸海軍の大臣の特別扱いをやめ、総理大臣の監督下に置くべきであると主張し、軍部大臣の文官制を考慮するとの答弁を引きだしている。そして、「…統帥権に関する補筆責任という問題は、憲政実施以来ずっと不明確で、いずれは重大な暗礁となりかねない。」と結んでいる。花井は反軍的な人ではない。同調する議員がもっと出てくれば、その後の日本の悲劇は避けられたかもしれない。

…大日本帝国憲法の最大のポイントを突いている。こういう人物がいたのだという感激。これは一大予言となり、5年後の昭和5年、ロンドン海軍軍縮条約に関して、統帥権問題で国論が分裂。浜口雄幸首相が狙撃されるのでさる。軍部独裁が始まっていく。花井は、統帥権の末路を見ることなく昭和6年に死去した。

今、危惧せざるをえないこと2

https://hagamag.com/series/s0057/8341
567禍も、腑に落ちないことばかりである。「都市伝説」として片付けられてしまうような話がだんだん真実味を帯びてきたような気がする。ダボス会議で語られていた内容(グレート・リセット)が、明確にそれを示しているようだ。表面的には綺麗事が並んでいるが、その内実は恐ろしい。

開発経済学では、「構造的暴力」という概念があって、ほんの一握りの人間が世界中の富をほぼ独占していることは周知の事実である。寅さんによって、D・Sと呼ばれ、一般名詞化した集団は紛れもなく存在しているようである。彼らが描く世界の未来像がダボス会議で語られている。そこには、AI化が進み、生産を機械に託した世界が語られ、世界連邦政府によって人権を管理された社会が語られている。世界人口は予測されるように爆発せず、現在よりも少なく見積もられているといってよい。

今回の567禍は、このD・Sのグレート・リセットのプランによって引き起こされている茶番劇の様相を呈している。そもそも、このウィルスの写真や実体が発表されていない。陽性がどうのこうのとマスコミが騒ぐが、PCR検査を考え出した医学者は未完成であることを吐露し、すでに消されている。最初厚生省は陽性=感染ではないと言っていたがウヤムヤになり、マスコミは陽性=感染とプロパガンダしている。567による死者数増加という脅しのためかなり数がもられているようだし、反対にワクチンによる死者や後遺症の方をほとんど認めない。マスクの有効性はない(医師会がそう言い始めている)のに未だ半強要されている。ワクチンを打ち始めて、(高齢者の方を中心に)死者数が確実に増加(特に2月)しているという報告も出てきた。これから先このワクチンが人口減少にどう変化していくのか、全く打っていない私などは危惧するしかない。大事な親族や友人や教え子に累が及ぶ可能性があるのだ。さらに、私が愛するアフリカの人々に、これからどんな魔の手がさらに伸びてくるやもしれない。

日本では、70兆円を超える税金が、このワクチン接種に使われたようだ。製薬会社、医師会、関連団体に莫大な利益を与えた。おそらく、また新種の株が出て、このような人体実験が続くのであろう。飲食店を始めとした経済も破壊していくのだろう。(食料危機や半導体などのサプライチェーン崩壊、コストプッシュ・インフレなどが現実化している。)この70兆円は増税で賄われ、ますます構造的暴力は拡大していく。日本の政治家は無能なのか売国奴なのかのどちらかであるようだ。

ところで、ロシアはウクライナに侵攻した時、まず生物兵器の研究所に向かった。ロシアに対する生物兵器への防衛だと言っていたはずだ。ウクライナは、梅じいの息子が深く関わってきた国だ。D・Sによる不正選挙で今の地位を得た彼の政府は、戦争を引き起こすために裏で暗躍していた可能性が高い。判官びいきではないが、世界中がロシアを悪者に、ウクライナを善者に仕立て上げているのが、あまりに不自然である。プーチンは、以前ダボス会議で、「ロシアはロシア・ファーストで行く。あなたがたの言うなりにはならない。」という旨の発言をしている。寅さん同様の反グローバリゼーションのスタンスを取ったといってよい。この時からすでに、何が何でも寅さんを引きずり下ろし、梅政権を作り出し、プーチンのロシアを戦争に巻き込み、潰そうとするプランが出来上がっていたのではないか。もちろん、ロシアとウクライナの人々の流した血の上に、軍産複合体が大きな利益を上げていることは言うまでもない。

今、私が書いている夢想は、ネット上では意外に広く受け入れられている。ネットの情報が絶対正しいなどと言うつもりはないが、TVや新聞を見ないですんでいる私は意外にまっとうな情報リテラシーの元にあり、このような危惧を持っているのかもしれない。

2022年5月15日日曜日

今、危惧せざるをえないこと

https://mobile.twitter.com/hashtag/
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大阪・三田・山口などの上海電力による「エネルギーの安全保障」への危惧。しかも「砒素」による環境破壊・一次産業への影響も懸念されている。

上海電力の話から飛び出した、大阪港の「一帯一路」取り込み。世界各地で騒動を起こしている悪名高い覇権構造。これらは、最悪のポピュリズム政党とその主催者たるHの売国奴的所業である。中国共産党が日本を侵略しようとしている。それも密かに、親中派売国奴を使ってで、ある。

私は、頑なななナショナリストではないのだが、中国共産党の日本進出には危惧せざるをえないと考えている。中国共産党は、自国民のために必要なサービスを行わず、資金を様々な海外工作にまわしている。日本では、北海道を始め土地を買い漁り、日本の安全保障上の驚異となっている。これを許している政府はその危険性を強く認識すべきだ。その上で、わたしはが危機感をさらに強めているのは、「国防動員法」である。居住している国が中国と紛争になった際には、海外在住の中国人は中国政府の命令に従い、その国を攻撃する工作活動を行わななければならない、という法律である。たとえ、善良な留学生であっても、家族が本土に残っていれば、人質を取られているようなもので、工作活動を行わねばならないだろう。

私は、このような中国共産党支配下の中国人を受け入れることに反対である。なぜこんな法律を定めている国の人間を大量に日本は受け入れているのであろう。当然外国人への土地の販売(特に安全保障にかかわるような土地:空自の基地を併設している千歳空港近辺など)にも反対である。なぜこのような暴挙を許しているのだろう。無批判、平和ボケも甚だしい。あるいは、親中派議員は、中国マネーやHTで支配されているのだろうか。そういう「私」しかない政治家は掃いて捨てるべきだと思う。

今回の上海電力や一帯一路問題で、中国共産党の企みが白日のもとにさらされ、最悪のポピュリズム政党の知事や市長、売国奴H、そしてこれを助けたとされている自民党の太郎が国会で証人喚問されるべきだである。蛇足だが、私が批判しているのは中国共産党とその反社勢力であって、特にマレーシアから来ている私の中華系の教え子ではない。彼らは当然、国民動員法とは関係がない。

再度、繰り返して主張したい。中国は、昔の友好すべき中国ではなくなった。反社勢力となりさがった中国共産党、経世済民を考えない中国共産党、人権無視の中国共産党の支配下にある中国は、実に危険な存在である。まず、危惧せざるをえないこと、それは中国の日本侵略を阻止することである。

2022年5月14日土曜日

星新一による新渡戸稲造(後)

「内観外望」という本(新渡戸の講演集)の「新自由主義」という章で、欧米の主要なる思想、学説、社会変化を説明した内容がある。これが面白い。

…フランスのルソーの説になってくると、対他関係がおろそかになり、人間を豆とすれば、入れてある籠が社会であり国家だ。豆はその中でバラバラと動き回り、それをもって自由としている。しかし、カントと、なると、同じ豆でも重箱の中の納豆みたいなもの。ひっくりかえしてもバラバラにならない。そのためドイツではフランス革命のようなことは起こらなかった。その度の進んだのがヘーゲルである。豆をすりつぶして味噌にしてしまった。そして、これを国家と称した。すなわち国家あって個人なしという説で…。

倫理の教師としては、こういう説明をされると妙に納得する。カントの納豆は、定言命法による道徳法則によって制御された「人格」による「目的の王国」であり、ヘーてゲルの味噌は、法の哲学に解かれる「人倫」で、家族と市民社会が止揚された国家を表現したものである。上手い例だと思う。

明治44年カーネギー平和財団の日米交換教授として在職のまま渡米。各地で160回もの講演を行った。排日的な移民法の制定を吹き飛ばしたと言われる。明治天皇崩御をうけ帰国、神経衰弱の再発もあって大正2年一高校長を辞す。それから5年ほどは東大の法学部教授として少し講義を受け持った程度で静養する。大正5年養子の孝夫がハーバードを卒業し帰国、徴兵検査を受け1年の兵役後、星製薬の社員となっている。その後ジャパンタイムスに移っている。大正7年、東京女子大学の学長に就任、翌年後藤新平とWWⅠ後の世界を見に行っている。どうやらウィルソンと会談しているようだ。ところで、国際連盟設立の準備がロンドンで進められており、西園寺公望と牧野伸顕の両全権は、主要国から出すことになった数名の事務局次長の人選に悩んでいたところ、そこにひょっこりと新渡戸が顔を出して決まった。新渡戸にとっては、牧野に説得されるのは一校校長以来二度目となる。英国出身のドラモンド事務総長は、連盟の精神啓蒙の講演のほとんどを新渡戸に依頼する。寛容なクウェーカーで夫人はアメリカ人、むらみに日本の国威を発揮せず、慈愛の人として尊敬されていたのだった。アインシュタイン、キュリー夫人、ベルグソン、ロイド・ジョージ、ポアンカレー、ロマン・ロラン、H・G・ウェルズ、ナンゼンなどとの交遊した。アインシュタインの来日も新渡戸の影響である。大正13年、アメリカが移民法を可決、激怒した新渡戸は、一時帰国の歳、スエズ航路で帰国し武士道を貫いた。日本人排斥をして新渡戸は歓迎という理屈はないと、多くの招聘を断ったのだった。大正15年次長を辞任。在任中に、学士院会員、貴族院議員に勅任される。

その後太平洋会議を通じて平和に尽力するが、カナダで腹痛を訴え、BCのビクトリアで緊急入院。逝去した。満州事変が起こり日本が国際連盟を脱退した昭和8年のことである。

どうやら、新渡戸を最後の切り札として駐米大使にという案があったようだと星新一は書いている。外相広田弘毅と星一は郷土少年期からの旧友で、新渡戸と星は連絡を取っていたらしい。もし実現していれば日米関係は一時的に改善しただろうが、もっと悲劇的な立場に陥ったのではないか、いい死に時だったのか、と星新一は書いている。

最後に、一周忌の頃、星新一は父とともに、メリー改め万里子と名乗っていた奥さん(軽井沢在住)に挨拶に行き、共に墓参している。(星新一は幼かったので記憶に無いらしい。)その万里子さんも昭和13年死去。日本の土となった。

星新一による新渡戸稲造(前)

https://www.shinchosha.co.jp/writer/5203/https://www.nitobebunka.jp/about/history/
星新一の「明治人物史」を借りた理由の一つに、新渡戸稲造について書かれていることがあった。PBTで日本に留学する学生に、調べて欲しい日本の偉人として、私が推薦したのが新渡戸稲造と緒方貞子(そしてイチロー)であった。新渡戸は、「武士道」を書き、日露戦争を終結に導いたセオドア・ルーズベルトを親日派に導いた人だし、国際連盟の事務次長を務め、日米戦争を止めるべく個人として働きかけた人物である。

さて、星新一の描いた新渡戸について今日はエントリーしたい。南部藩士の末っ子として生まれた新渡戸はかなりの暴れん坊だったようである。叔父(大田姓)の養子となり、東京で東京英語学校(後の東大の予備門)に学ぶ。1年上に佐藤昌介という先輩がおり、養父の要請で寄宿舎を出てともに下宿生活をする。暴れん坊故に問題を起こしたのかもしれない。ちょうと、明治9年、明治天皇が郷里を巡察、祖父と父が開拓した地に立ち寄り「これからも農業に尽くすように」というお言葉と金一封を賜った。この頃から、身を慎み修養に励むようになった。佐藤先輩が、札幌農学校1期生となり、2期生として続く。さて、1期生は、全員クラーク博士の元、「イエスを信じる者の契約」に署名しており、2期生も署名することになる。同期の内村鑑三は「余は如何にして基督教徒となりしか」の中で「彼らは署名するように余に強制し、余は屈服した…」と書いているとはいえ、比較的抵抗なしに受け入れたようだ。しかし新渡戸は理性で信仰を理解・解決しようとした。修業僧とあだ名されるほどかなり深刻に読書に励んだ。同様に信仰不信を克服した英国のカーライルの「サーター・リザータス」によってようやく納得できたという。

札幌農学校卒業後、役人となりイナゴの大発生に対策したり、農学校の予科の教員になったりしたが、向学の意思が強く東大に進学する。将来農政学をやるために、経済、統計、政治学などを学ぶ。(当時の日本には講座がなかった。)最優秀の成績を収めたが養父に米国留学を打診、認められて明治17年22歳で渡米。PAのミッドウィル大学に入ったが、佐藤先輩が通っていたMDのジョン・ホプキンス大学に移る。佐藤は院を出て帰国し、新渡戸の留学費の不足を後の中央大学創立者・初代学長の新渡戸家の親戚である菊池武夫に頼んでくれた。決して多い額ではなかったがなんとか留学生活を続けることができた。

ここで、新渡戸は、クウェーカー(フレンド派)教徒になる。同教徒のフィラデルフィアのモリス家で、後の妻・メリーと知り合った。佐藤先輩は帰国し、札幌農学校の教授になっており、新渡戸を助教授年3年間の官費によるドイツ留学を北海道長官に進言、認められた。ボン大学で農政、農業史、農業経済学を学ぶ。学問上尊敬するベルギーのラブレー教授と懇意になり、後に「武士道」を表すきっかけを掴む。ベルリン大学、ハレ大学でさらに学び、メリーと婚約。日本では兄が死に実家を相続する必要に迫られ、大田姓から新渡戸姓に戻る。(養父はいさぎよい人であると星新一は書いている。同感である。)ハレ大学で博士号を得て、農業振興視察を兼ね、カナダ、アメリカ経由で帰国する。フィラデルフィアで、メリーと結婚式をあげた。

帰国後、札幌農学校教授となり、大活躍する。(札幌にはなかった)中等教育のための私学の校長、夜間の学校、女子教育機関などにも関わり、北海道開拓やスケートの普及、もちろん学者として本分を尽くし佐藤先輩とともに日本初の農学博士の学位を受けた。6年間走り続け神経衰弱に陥ったので、(実子は早逝したので)甥を養子とし、一家でアメリカ・CA南部に移住した。ここで「武士道」を執筆する。ちなみにこの本は、養父・大田時敏に捧げられている。フィラデルフィアの出版社との交渉で東部に来たときに、NYコロンビア大学にあった星一と邂逅している。星が発行していた「日米週報」の取材である。たちまち尊敬の念にとらわれ、星一の大学卒業時の写真は新渡戸そっくりの格好(髭や縁無しのメガネ)だったそうだ。(画像参照:大学卒業時ではないが似ている。笑)ちなみにフィラデルフィアの前述のモリス家は日本人留学生の月一回の集会が開かれ、星一も野口英世も内村鑑三も出入りするようになり、隠れた日本近代化の隠れた恩人ではないかと書かれている。

新渡戸は、帰国し札幌農学校の教職に戻る予定だったが、農商務大臣より台湾の児玉源太郎・後藤新平のもとで台湾殖産局長就任が寄せられ、1年の猶予をもらい熱帯農業の成果を調べ帰国した。砂糖を大産業に仕上げる計画を立て児玉に提出し、ハワイから改良品種を輸入現地農民の意識を変え軌道に載せた。一時帰国した星一も後藤新平の知遇を受け台湾に同行、新渡戸と後藤のアメリカの製糖事業視察にも同行している。新渡戸は、その後京大教授となり法学博士も受ける。明治39年、文部大臣牧野伸顕の熱心な説得で第一高等学校校長に就任する。まだ「武士道」の翻訳・出版は2年後のこと。学者として農学が専門だろうが実に幅が広い。この辺一高の学生には最初新渡戸の偉大さが理解しがたかったのかもしれない。

講演集から星新一が引用している面白い記述があった。…長くなった。この話以後は次回に。

2022年5月13日金曜日

今年のドラフトに注目している

https://news.yahoo.co.jp/articles/fdfd4626a873e9e1caba7584c4d196dec547ad6c?page=3
高校野球の選抜大会で、大阪のOT高校がむちゃく強く、他の強豪校から戦力差がありすぎて面白くない、などという批判が噴出しているらしい。私の前任校・大阪市立のH高校は、公立の雄であるが、常にOT高校やR高校にぶち当たっては甲子園への夢を絶たれてきた。高校野球の純粋さや教育の一環としてのあるべき姿など、いろいろと考えさせられるのだが、WEB記事で意外な事実を発見した。

H高校出身の東洋大学のH投手が今年のドラフト1位候補なんだそうだ。身長188cmの長身で、156㎞の速球を投げ、フォークもあるらしい。今年4回生なので、私はマレーシア&四国に行っていた故当然知らない。H高校時代の戦歴も書かれている。主戦投手となった3年夏時は3回戦でR高校に敗退している。(毎度のことである。)阪神や西武、ソフトバンク、広島などのスカウトが有望視してくれているようだ。今は抑えをやっているらしいので、できれば阪神に入って、藤川球児投手みたいになってくれれば、と期待が膨らむ。

https://draftrepo.blog.fc2.com/blog-entry-3552.html

星新一の「明治の人物史」

学園の図書館で、星新一の「明治の人物史」(新潮文庫)を借りて、通勤時間に読んでいる。これがむちゃくちゃ面白い。星新一と言えば、ショートショートである。その星新一が、明治の人物を10人挙げてその人物像を書き記している。ショートショートとは全く違う作品である。なんか変だなと思いつつ先日借りたのだ。

中村正直、野口英世、岩下清周、伊藤博文、新渡戸稲造、エジソン、後藤猛太郎、花井卓蔵、後藤新平、杉山茂丸というラインナップである。野口英世、伊藤博文、新渡戸稲造、後藤新平、そしてエジソンはビッグネームだが、他の人々は聞いたことがない。この人選が不可解で、後の解説から読み出した。

この10人は、新一の父星一と関係が深い人物たちであったのだ。父・星一はアメリカに留学していて帰国、星製薬会社を起こした明治人である。アメリカに長年いた関係で、多くの著名人との関係が結ばれ、帰国後もそういった人脈でつながっていた。息子である新一が、父のためにそういう人物を掘り起こし、明治という時代の良さを書き連ねているのである。

それぞれ興味深いのだが、中でも、新渡戸稲造についての記述は実に面白い。他の人物も含めて、少しずつエントリーしていこうと思う。

さてさて、ちょっとだけ学園のことにも触れておきたい。この一週間は、中間考査直前で、しかも2・3年生の記入式の模試が行われた。何年ぶりだろうか、模試の監督をしたのは…。懐かしい思いにふけっていた。先日You Tubeを見ていたら、関関同立合格者総数で、我が学園はかなり頑張っていて、上位に位置していた。大したものである。久しぶりに見た他教科(特に英語/100分)の問題などかなり難しかった。生徒諸君は。果敢に挑戦していた。さすがである。

2022年5月11日水曜日

移民の世界史


昨朝のアクシデントの間、すっと座って学園の図書館から借りた本を読んでいた。「世界史を移民で読み解く」という玉木腸と産業大学経済学部教授の本で、「物流は世界史をどう変えたのか」の作者である。物流の本は実に興味深かった。今回借りたのは、そういう前書の延長線上にあるとともに、L君が「移民・難民」のゼミに入ったからである。第一部は、教科書の世界史的な共通部分が多いのでぶっ飛ばして、第二部から読んだのだが、印象に残った内容をエントリーしておこうと思う。

ポルトガルは大航海時代の敗者ではない:ポルトガルと言えば、大航海時代である。しかしながら、オランダ、イギリスに、スペインと共に敗れた国家というイメージが強い。しかしながら、アジアなどでは、ポルトガル人が残って商業ネットワークを形成していたわけで、この話は以前、東南アジアの華僑・印僑ネットワークについて書かれた本(マラッカ海峡物語等)で知っていた。ところで、このポルトガル人ネットワークは、ニュークリスチャン(レコンキスタ後にキリスト教徒になった人々:主にユダヤ人)であったこと、新世界(主にブラジル)と本国とアジアが結ばれていたこと。すなわち、オランダはアジア限定だったのに対し、はるかに巨大なネットワークを国家というバックがなくとも築いていたことなどが描かれていた。

黒人とユダヤ人が起こした「砂糖革命」:世界史上最大の移民といえるのは奴隷として渡った黒人であろうと著者は述べている。ところで、黒人奴隷という言葉から最も連想されるのはアメリカ南部の綿花プランテーションではないだろうか。事実は、砂糖のプランテーションの方が主であった。最初、大西洋・モロッコの西方にあるポルトガル領マディラ諸島(奄美大島くらいの面積で温暖な気候である)で行われていたが、次にギニア湾にあるサントメ島(現サントメ・プリンシペ)、そしてブラジルへと拡大していった。黒人奴隷の移動は、17世紀から18世紀にかけて、イギリス領のジャマイカ、フランス領のハイチ、スペイン領キューバなどカリブ海への移動が増加している。これらが砂糖プランテーションである。オランダは、第二次英蘭戦争後、スリナムと現ニューヨークを交換したが、カリブ海のオランダ植民地でスファラディー(15世紀にイベリア半島を追放されたユダヤ人)が砂糖栽培をすでにやっており、オランダの植民地でのプランテーション経営を成功させるとともに、他国の植民地に移住、プランテーションを次々に成功させた。タイトル通り、黒人とユダヤ人が砂糖革命の主体だったのである。

大英帝国に拡散したスコットランド人:スコットランドの歴史家によると、17世紀の人口は100万人程度で他国に渡った人口は20万人だという。そもそもスコットランドは農業生産性が低く、移民はセーフティーネットであった。スコットランド人は傭兵としてオランダで重宝された。同じカルヴァン派であったことが大きい。北欧のプロテスタント国にも多く、30年戦争でも活躍している。面白いのは、その後大英帝国(=イングランド)が覇権国家となっていくとともに、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどに移民していくことになる。しかも一箇所に集まらず拡散したようだ。
もちろん、従来どおりイングランドにも移民していて、蒸気機関の改良者として有名なワットはスコットランド人である。企業家も多かった。彼らはプレスビテリアンであるがゆえに、英国国教会にしか許されなかった公職には付けなかった。イングランド人とスコットランド人の区別をつけることができなかった明治日本にもお雇い外国人としてエンジニアが多く来日している。ちなみにグラバーもスコットランド人である。イングランド人とは微妙なスタンスであったが、その興隆を利用して飛躍したといえよう。

…こういう蘊蓄を大事にしたい。長距離通勤は疲れるけれどこういう読書の時間が確保できることに感謝したい。

2022年5月10日火曜日

今朝のJR宝塚線遅延

https://www.bigjiro.xyz/takedao_spring/
6:39に津田駅を出て、9:50すぎに三田駅到着。とりあえず座っていたからいいものの、 3時間以上かかった今朝の通勤であった…。車内放送によると6:44に塚口駅でお客様と接触云々。その後、この新三田行きがどうなるかも含め情報が二転三転。JRもかなりパニックになっていたようだ。我が新三田行きは、大阪天満宮で長い間停車していた。最初はJRのみの振替輸送の案内が、地下鉄や阪急、阪神、近鉄まで名前が出てきた。どう乗り換えても三田には行けないので、動かざること山の如しと決めた。

最初は尼崎までの東西線の各駅に電車が1つずつ停まっていたようだ。ようやく事故現場の検証が終わって、一駅づつ進んで尼崎に着いた。私の乗った新三田行きは回送にはならず、そのまま宝塚線に入った。遅れを取り戻すべく急いで走ってくれたのだが、今度は新三田の手前の駅で、また電車がつながっているようで結局、武田尾駅でまたずっと停車していた。…やれやれ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4f5fd2a32f228d13f89e68bed74e9c920616de66

8:00すぎに、学園に連絡を取った。今日は2限目から授業があったのだが、どうも授業時間には間に合いそうもない。できれば後の時限に動かしていただけないかとお願いしておいた。中間考査が近いのである。授業がぶっ飛ぶのが一番困る。

三田駅について、神戸電鉄に乗り換えようとしたら、驚いた。駅に学園の生徒がたくさんいたからである。聞くと、みんな遅延らしい。さきほど書いたように宝塚線が動き出したのはかなり遅かったし、新三田手前では駅ごとに電車が詰まっていて、1時間ぐらい最寄り駅で待った生徒もいたらしい。私だけが遅延だと思っていたのだが、生徒は無茶苦茶多い。(後で知ったのだが、今日の1時限目は全校的に自習となったらしく、明日は7限目までの授業となり7限目に今日の1限目の授業となった。)

問題は私の2限目である。15分ほど遅れて教室に向かったら、ありがたいことに、電話の内容が3学年の職員室にちゃんと伝わっており、私の代わりに(本来なら3限目の)数学の授業が行われていた。そう、私の授業は3限目に変更になっていた。ありがたいことである。…いい学校である。

2022年5月9日月曜日

昨夜のサイレン

上が高速、側道が下になっている。この辺だと思われる。
我が自宅のすぐ近くに高速道路と側道が走っている。この側道、ライダーにとっては交通量が少ないので走るのを楽しむのには格好の道らしい。夏などはB族らしき多くのバイク音が聞こえたりすることもしばしばである。

昨夜23時頃だろうか。改造バイクやスピード違反を取り締まる警察が近くで張り込んでいて、急にサイレンを鳴らし、停車をアナウンスした。パトカーなのか白バイなのか全くわからないが、とてつもなく大きく聞こえた。

こっちは5:00起きの身で22時には絶対就寝している。寝込みを襲ったサイレン音。以来、寝付かれず今日の通勤ではコックリコックリとしてしまった。警察の立場もわからないのではないが、うんざりしていることも事実である。…先日の地震の際よりもその後寝付けなかったのだった。

2022年5月8日日曜日

スターリニズムは死んでいない

https://globe.asahi.com/article/14393000
ここ2日間、沿ドニエストル共和国の話題をエントリーしたが、共産党独裁という政治体制には、必ずスターリンの亡霊がつきまとうと私などは思っている。目的のために手段を選ばない。他者(国民)の人権や幸福実現の権利は、すべて共産党のイデオロギー(というより権力維持と党存続といったほうが正確だろう。)より下位に置かれ、ドクマ的に抹殺される。

沿ドニエストル共和国には、言論の自由などが憲法に記載されているが、それは実際には守られない。それどころか、ソ連時代のような密告が奨励されて、反政府的・半社会主義的な言動は弾圧される。プロレタリア独裁というとなにかお花畑的に聞こえるが、何のことはない、職業的革命家(ボルシェビキ)がノーメンクラツーラに変化したに過ぎない。中国でも、紅軍はには当時正義があったかもしれないが、今現在の共産党はは同様のノーメンクラツーラで、もっとはっきりと反社会団体化しているといったほうがわかりやすい。(でないと、上海を始めとした地獄のようなロックダウンやナチ以上のウィグル弾圧は説明できない。)

スターリンは、恐ろしく猜疑心の強い独裁者であり、反対者を粛清し続けた。ソ連邦内外を問わず社会主義国では、人間性を破壊するような密告と猜疑の警察社会を作り上げた。ウクライナもその例にもれないと私は思う。ロシアへの敵愾心は、スターリンの大飢饉政策や民族移住政策以来のものだ。ロシア系住民もまたウクライナへの敵愾心を植え付けられている。報道機関はプロパガンダ機関にすぎず、国民は真実を知らされない。それ故猜疑心が増幅されていく。これらは、ソ連時代以後先天的な国民感情となっている。グルジア出身のスターリンは、民族問題の専門家で、レーニンに認められたという経歴を持つ。非支配民族は常に敵なる民族を作り出され、その対立構造の中で、ある時はこちらの民族、ある時は違う民族に援助することで対立を恒常的に煽ってきた。仕組まれた政治的な混乱があれば支配が強化できるからに過ぎない。スターリンの死後もこの状況は変化していない。

ソ連時代、ロシア系住民を各共和国に移住させたのもその一環である。沿ドニエストル共和国では、ウクライナ系も移住した。軍という暴力装置を十分にきかせてモルドバをルーマニアに取られないための措置である。ソ連・ロシアはエネルギーをその支配装置として使っている。結局のところ、「私」なのである。少なくともマルクスが目指した共産主義の「公」は存在していない。

独裁制は、人間性をも破壊する。エゴのみが国民の自己保存の糧となる。権力者主体の政治体制は実に危険であると私は思う。だから、ウクライナ戦争についての真実を知ることは不可能のように思えるのである。共産党独裁さらにその後継たる地域の、陰険かつ狡猾なスターリニズムは死んではいないのだ。

マレーシアにいた頃、開発独裁の政権下にあった。外国人である私にとっては直接関わりはなかったが、言論の自由は、国王・国教・国語・ブミプトラ政策などについて制限されていた。ただ、それ以外は自由で政権批判も普通に行われていた。だから、同じ独裁という語が使われているが、ソ連・ロシア・各共和国や中国、北朝鮮などとは決定的に違うと思う。マスコミがちゃんと存在意義を発揮しているからだ。

今の日本は、開発独裁ではないが、マスコミが何かに忖度して本来の機能を失っている。本来報道すべき内容を報道していない。ここ何年かそういう状況が続いていて、私は民主主義の存続に大きな危機感を持っている。もしかしたら、SNSが発達してきたからこそそれが見えてきたのかもしれない。日本にもひたひたとスターリニズムが迫っているような、嫌な悪寒がする。

大阪、三田、岩国を結ぶ元地方政治家のHが関わる上海電力の問題など、その最たるものだ。

https://www.youtube.com/watch?v=vSK4E0qYQew&ab_channel=WiLL%E5%A2%97%E5%88%8A%E5%8F%B7

2022年5月7日土曜日

沿ドニエストル共和国 考 2

https://tabippo.net/transnistria/
沿ドニエストル共和国は、未承認国でありながら完全に国家の体をなしている。91年の独立以来スミルノフの独裁が続いたが、2011年シェフチュク、2016年にクラスノセリスキーがシェリフという国内のコングロマリットの支援を受けを破り当選。2021年再選された。スミルノフの時代は北朝鮮並みの独裁体制であったが、幾分自由化が進んだようである。とはいえ、レーニン像が立ち並び、現在でもソ連内国家が存在しているような感じであるらしい。

経済面では、ヨーロッパでは最貧国なみだが、モルドバの他の地域に比べパフォーマンスがよいので、商品も豊富にありモルドバより価格も安い。ただし、全員が平等なのではなく、極度に裕福な層と底辺に二分され底辺の人々が平等に貧しいという状況である。

現大統領を支援し当選させた国内の大企業「シェリフ」(建設業・カジノ・スーパーマーケット・ガソリンスタンド・スタジアムとサッカーチーム経営・通信事業など)は、スミルノフ元大統領の一族の経営であるらしい。第二代大統領のシェフチュクが黒幕だという話もあるらしい。またワインやコニャックをつくる有名企業「クヴィント」もある。工業生産物の輸出はモルドバより多い。

一方ロシアの武器を莫大に貯蔵しており、国際的な武器密輸疑惑で非難されている。今回のウクライナ戦争でも、どういう動きをしているか微妙なところで、情報が出たとしてもその真実は不確実である。様々な憶測が憶測を呼ぶ。日本や欧米の感覚では信じられないほど相違があるそうだ。これは、旧ソ連諸国共通の体質ともいえることであるらしい。

2022年5月6日金曜日

沿ドニエストル共和国 考1

https://www.ryman-traveler.com/entry/2018/07/21/151954
ウクライナ戦争について、私は言いしれぬ不信感を抱いている。それは、もたらされる情報が真実なのか否かがわからないからだ。ロシアもウクライナもどうも信じがたい側面がある。だから、日本のマスコミが言うように、ウクライナ:善、ロシア:悪といった二元論に与したくないのである。先日も、You TubeでWWⅡ時代トレブリンカ絶滅収容所でウクライナ人がナチに協力していた事実を知った。ロシアは当然ながら、ウクライナの手も汚れているのである。

https://www.youtube.com/watch?v=iPlxKoH43nk&ab_channel=%E3%82%86%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%81%E3%81%AA%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%A7%A3%E8%AA%AC

今、ロシア軍が沿ドニエストル共和国という国際的な未承認国を占領するというニュースも出ている。沿ドニエストル共和国というのは、モルドバの東部、ドニエストル川とウクライナの国境の間の細長い土地(南北約200㎞、東西は広いところで20㎞、狭いところで4㎞で埼玉県くらいの面積)に位置する。国際的にはモルドバ共和国の一部である。

この地は、18世紀にはロシア帝国の国境地帯で、ロシア人やウクライナ人が多く植民した。また、19世紀の露土戦争でオスマン・トルコが割譲した地でもある。ルーマニアから見れは未回収のルーマニアでもある。ロシア革命時、モルドバはロシア連邦内の共和国として成立を宣言したが、一ヶ月もたたないうちにロシア連邦から独立,ルーマニアとの統合を決定したが、ソ連はそれを許さず、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国内のモルドバ社会主義自治共和国とした。

当時はモルドバでは、ルーマニア語の学校もあり、そもそもモルドバ語はソ連がキリル文字を強制したので、ラテン文字のルーマニア語と異なる言語のように見えるが同じで、ソ連解体後はラテン文字に戻っている。つまり、モルドバ人はルーマニア切っても切れない存在である。

ソ連崩壊後、沿ドニエストル地域のロシア系住人は危機感を覚えた。ソ連時代の自分たちは一級市民だったのが、ルーマニアの支配下に入ると落ちぶれると危惧したのである。そこで90年に2回の「国民」投票が行われ、96%、98%という圧倒的多数でモルドバからの独立を決議したのである。(このような危惧はウクライナ東部の未承認国でも同様であるようだ。)

モルドバは、沿ドニエストルもろとも91年ソ連から独立(ソ連はなし崩し的に承認)した。モルドバのGDPの40%・電力の90%の供給源を占める沿ドニエストルを手放せるわけはなく、内戦となる。沿ドニエストルに駐留していたロシア軍第14軍の支援を受け、勝利のうちに停戦、モルドバ政府はロシアの条件をのみ、ロシア・ウクライナ・沿ドニエストル合同の平和維持軍により停戦監視が行われた。この沿ドニエストル問題の背景にあるのは、民族問題というよりも体制のあり方の問題で、ルーマニアやEUに接近し欧米型の体制を志向するか、親ロシアで旧来の体制を守るかということであるようだ。なぜなら、沿ドニエストルの民族構成は、ルーマニア系=モルドバ系が31.9%、ウクライナ系が28.8%、ロシア系が30.4%であるからである。ちなみに、ここでのモルドバ語は、従来のキリル文字を使っている。

本日はここまで。参考にしたのは通勤時に読んだ「強権と不安の超大国ロシア 旧ソ連諸国から見た光と影」(廣瀬陽子:光文社新書2008年)である。

2022年5月5日木曜日

フランシーヌの場合

皐月フェスの往路、先日ちょっと紹介した「国マニア」を読んでいた。昔存在した国ということでナイジェリアのビアフラを取り上げている項目の中に、「フランシーヌの場合」という昔はやった歌のことが出ていた。このフランシーヌは、ベトナム戦争とビアフラ問題に講義して焼身自殺をしたらしい。

調べてみた。1,969年3月30日の朝、パリでフランシーヌ・ルコントさんという30歳の女性がシンナーをかぶり焼身自殺した。AFP電により日本に伝えられ、それが歌になった。プロテスト・ソングの1つである。私が聞いていたのは新谷のり子のものである。

https://www.youtube.com/watch?v=fIYFbDQPNJg&ab_channel=GSiloveyou

♪フランシーヌの場合はあまりにもおばかさん フランシーヌも場合はあまりにもさびしい

 3月30日の日曜日、パリのの朝に燃えた命ひとつ フランシーヌ

♪ホントのことを言ったらオリコウになれない。ホントのことを言ったらあまりにも悲しい

 3月30日の日曜日、パリの朝に燃えた命ひとつ フランシーヌ

♪ひとりぼっちの世界に残された言葉が 一人ぼっちの世界にいつまでもささやく

 3月30日の日曜日、パリの朝に燃えた命ひとつ フランシーヌ

♪フランスーヌの場合はわたしもにもわかるわ フランシーヌも場合はあまりにもさびしい。 

 3月30日の日曜日、パリの朝に燃えた命ひとつ フランシーヌ

今や、SNSの発達によって、「ひとりぼっちの世界に残された言葉が 一人ぼっちの世界にいつまでもささやく」という孤独感は払拭されているように私は思う。だが、「ホントのことを言ったらオリコウになれない。ホントのことを言ったらあまりにも悲しい」というのは、今も生きているように思うのだ。

…このコ●ナ禍と●●●●接種も、前回の●大統領選挙も、●ィグル問題も●海のロックダウンも、そして●クライナ戦争も…。

2022年5月4日水曜日

皐月フェスに行ってきた。

学園の「皐月フェス」が郷の音ホールで行われる日だった。メインとなるのは、吹奏楽部の第50回定期演奏会で、3年生の生徒からチラシを渡されて是非と言われたので、最初迷っていたのだが、行くことにした。生徒との約束を守るのが教師としての私の心情である。

16:30開始の演奏会まで、鉄道模型部や写真部、美術部、物理部などの展示も見て回った。写真部は意外に良い作品が多く、コメントが作品を引き立てていたし、物理部のサッカーをやるロボットはすごかった。ロボコンで世界大会に出場したそうだ。理系の優秀な生徒を学園は大いに育てているようだ。

少し時間があったので、軽音楽部のコンサートも覗いてみた。ちょうど3年生だけのバンドで、旨い。ドラムスは女子生徒だった。You Tubeでディープ・パープルに合わせてドラムを叩く子がいるが、彼女を彷彿とさせるくらい旨い。驚いた。

いよいよ大ホールでの吹奏楽部。第1部は現役生だけ、第2部はOB/OGも交えての演奏だった。どの曲も素晴らしいものだった。第1部では、3年生がソロで演奏する場面もあり、ピッコロ、クラ、ペット、ボーンなど緊張の中見事に演奏していた。比較的クラシックは少なく、アニメや映画、そして嵐の曲など楽しめるジャズっぽい曲が多かった。やっぱりホルンやオーボエ、サックスもソプラノ・アルト・テナー・バリトンに分かれていたりすると音域が違う。第2部では、これにファゴットやハープ、ピアノも入ってさらに音域と迫力が増した。どの曲も良かったのだが、千と千尋の神隠しの曲が最高に良かったと思う。パーカッションが効いていたし、ユーフォやテューバ、コントラバスといった低音組も大いに活躍していた。久しぶりに生の大迫力の演奏を満喫できたのだった。…ほんと行ってよかったと思う。

You Tubeのシミュレーション

You Tube を見ていて、現実にはありえないけど面白いチャンネルがある。私が好きなのはスポーツのシミュレーション。サッカーでは、W杯日本代表の最強チームを作ってベスト16を超えれるかというのがあった。ウイイレというアプリゲームで設定されているらしい。かなりリアルである。

https://www.youtube.com/watchv=Xf9qEGcJkOc&ab_channel=%E3%82%B5%E3%82%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E9%83%A8

キング・カズが11番をつけて選抜されているのが素晴らしい。FWは、岡崎、柳沢、高原、大迫。(私も岡崎の泥臭さは大いに買うところ。)MFは、10番をつけるのは中村俊輔。中田ヒデ、本田と揃ったら豪華絢爛。ここに遠藤保仁も嬉しい。この4人だけでも凄いが、守りの要に長谷部もはずせない。さらに香川、三都主、稲本…。(個人的には代表ではあまり活躍できなかったけれど、香川が好き。)DFでは、長友は当然。中澤・闘莉王・内田・駒野・酒井、そして吉田麻也。GKは川口が1番をつけ、楢崎と川島。…という布陣。こうしてみると、日本はFWよりMFの層が厚い。

https://www.youtube.com/watch?v=rMpG7bkxSXE&t=14
3s&ab_channel=%E3%81%BE%E3
%81%97%E3%82%85%E3%82%8B%E3%82%80
こういうありえない日本代表が戦うというのがいい。野球では、9人全員がイチローVS大谷翔平なんていうのがあって、実に楽しい。イチローも高校時代は投手だし、凄い戦いになっていく。こちらはパワプロというアプリで作られている。

2022年5月3日火曜日

14歳からの天皇と皇室入門

学園の図書館から借りた本の中で、通勤時間には読みにくい大判の本がある。「図解でわかる14歳からの天皇と皇室入門」という本である。これまで、かなり多くの天皇関係の本を読んできたが、意外に知らないことが書かれていたりする。ちょうど、政治経済の授業で、大日本帝国憲法と日本国憲法の話をするので、教材研究のために借りてみたのだが、なかなか面白い。

たとえば、三種の神器。その存在は十分認識していたのだが、八咫鏡(やたのかがみ):天照大神が天の岩戸に隠れた時、すきまからこれを見せて出てきてもらったという由来があり、伊勢神宮の御神体。草薙剣(くさなぎのつるぎ):須佐男命(すさのおのみこと)が退治したヤマタノオロチの尾から出てきたという由来の剣で、第12代景行天皇の皇子日本武尊(やまとたける)が、東国の野原で的に囲まれ火に襲われたときに草を薙ぎ払ったという由来もある。名古屋・熱田神宮に祀られている。八尺瓊勾玉(やさかにのまがだま):天照大神が天の岩戸隠れの時作られたという由来の装身具。
皇居の宮中三殿の賢所(かしこどころ)に八咫鏡のレプリカ(形代:かたしろ)がおかれている。皇居の御所、天皇の寝室の横にある剣璽(けんじ)の間に、草薙剣のレプリカと、八尺瓊勾玉(これはレプリカではない)が置かれている。

元旦の四方拝について、何度か授業でも話したのだが、詳細は次のとおり。宮中三段の西側・皇霊殿のさらに西にある神嘉殿(しんかでん)で、朝5時から、天皇だけに切ることを許された黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)という衣冠束帯(いかんそくたい)で臨まれる。干支を北斗七星に配置した属星から拝礼されるとか。私的行為としての宮中祭祀であるが、そもそも皇族を宮家というが、宮は神をまつるという意味である。この本では、イギリスの国王の戴冠式=聖別式(神によって特別の人として選ばれる)がウェストミンスター寺院で行われること、アメリカ大統領の宣誓式で聖書に手を置き、祈りの言葉を述べるといった世界の例を上げている。これは、「14歳からの」というスタンスとして、右でもなく左でもなく、すこぶる妥当だと思った次第。

2022年5月2日月曜日

GM連休の合間にて。

GWの連休の合間の一日である。私などは、休みより、学校へ行く方が好ましい。理由は長距離通勤もさることながら、枚方の自宅から駅までの下り・上り、学園の門から高校校舎までの上り・下りで十分に歩けることである。歩くと、体の調子もいい。血糖値も下がるわけだ。何より、授業が楽しい。今日は4コマあったのだが、楽しくまた高度な授業ができた。

今日は、少しだけ時間があったので、図書館に寄ってきた。先日借りた本を返し、また4冊ほど借りてきた。と、いうのも長距離通勤でどんどん本を読み進めているという背景があるからである。文庫本なら2日で1冊読んでしまう。(笑)今日は、自宅から、息子が買ったらしい地理系の文庫本を持っていたのだが、面白いので3/5くらい読んでしまった。この本の書評もいずれ書こうと思う。

どうも最近のブログでは一気に書評のエントリーが増えた。PBTや三崎高校では私的な広報活動という側面もあったのだが、学園のことを書くと、いろいろ不都合があるかもしれないので自粛しているのである。書きたいことはいっぱいあるのだが…。ご理解いただきたいと思う次第。

2022年5月1日日曜日

菊地寛 大衆明治史を読む5

伊藤博文は、吉田松陰から周旋の才ありと評されたが、日露戦争が開戦となった直後、金子堅太郎を呼び、すぐにアメリカに渡航することを求めたという。すでに講和の事を考えていたわけだ。イギリスは同盟国であるのでダメ、フランスはロシアの同盟国であるからダメ、ドイツは皇帝がロシアをそそのかしたらしい、となれば頼むところはアメリカになる。セオドア・ルーズベルトとハーバードの同窓の金子に予備交渉を頼み込むのである。このあたりの周旋の才は尋常ではない。日露戦争の開戦には伊藤は極めて消極的であったことが知られている。その立場から打ったこの手はあたった。

「大衆明治史」の下巻は、日露戦争について詳細に記されている。日清戦争の陸軍の大功労者は川上操六であるが、日露戦争においては児玉源太郎である。

…この児玉源太郎について、菊地寛も司馬遼太郎と同様べた褒めである。たしかに魅力的な人物である。私は児玉のことを描いた文庫本を読んだこともあるが、長州閥とは言え支藩出身で出世は遅かった。西南戦争で熊本城の天守閣を戦略上燃やしたのは児玉ではないかとも言われている。戦略家として一流の行動力である。日本陸軍を育てたドイツの軍事顧問モルトケも児玉を絶賛している。一方で、台湾総督としてうまくやっている。この前任者が乃木希典で、乃木は総督としては無能だったようだ。(司馬遼の乃木の評価は極めて低い。)菊地寛はそこまで低くはない。児玉は、乃木の軍人としての姿勢をリスペクトしていたとしている。この辺は微妙だが、児玉は常に乃木をかばっている。戊辰戦争以来の友情である。常に一歩先に出世していたが、日露戦争のときには逆転している。

…桂太郎のように、児玉が総理になる可能性は十分にあったと思うが、彼の人生はこの日露戦争で燃え尽きてしまったようだ。2年後に死去している。明治の英傑の第二期と人物だといえるだろう。

…詳細な日露戦争の内容につては、エントリーする気はない。この本がGHQに発禁された理由は、特に下巻の内容だと思われる。連合国側に最後についたソ連=ロシアへの配慮であろう。もうひとつは、ハリマン協定を小村寿太郎が破棄するようポーツマスから帰国後動いたことの記述にありそうだ。このハリマン協定の件は、少し自分で調べてみたい。