2009年12月29日火曜日

「火の用心・カチ!カチ!」

このところ1年を振り返るというTV番組が多い。やはり政権交代が最大のニュース。今日、妻の用事で、のどかな団地に車を止めていていろいろ考えた。私が、民主党政権になって、最高に違和感を感じるのは、普天間基地移転問題である。社民党に引っ張られている今の政権はやはりおかしい。その理由は、純粋に軍事的な知識の問題である。普天間の海兵隊の主力は、ヘリ部隊である。中国や北朝鮮に対する抑止力という観点から、グァムに移転できるはずがないのは当然である。グァムからヘリをどこに飛ばすというのか?首相が「グァム移転はない」と言ったのは当然で、元防衛大臣が「100日たってやっとわかりましたか…」と批判したのも正しい。私は、学校のアメリカ研修旅行の前に、こんなワークショップをする。生徒1人ひとりに、豊かさ・自由・平等・平和・正義・人権などの命題を重要な順に並べ替えさせるのである。すると、平和が重要だとする生徒がほとんどになる。(アメリカの場合は、自由になるという視点から、自由について語るのである。これが本題なのだ。)戦後教育における、平和を最大の価値とする平和教育は、ほぼ完璧であるといえよう。しかし平和学は、軍事学である。戦争の本質を知らずして平和は維持できない。社民党のいう平和は、まさに絵にかいたモチにすぎないと私は思っている。日本人の考える平和は、自由と同様、アメリカから享受した空虚な平和のような気がする。私は、だから自衛隊を軍隊にしろとか、憲法9条を改定して戦争できるようにしろとか主張する者ではない。欧米の自由には、個人として立脚するスタンスと義務を遂行するというスタンスがある。自由の本質を理解できない日本人はゆるい、と言っているのである。当然平和に対してもゆるい。平和とか、第9条とか、声高に叫ぶことで平和を維持できると信じているのではないか。第9条を教える時、私は護憲・改憲両方の立場から説く。どちらにも味方しない。社会科教師の矜持である。この夏、国際理解教育学会で、JICAの教師派遣研修(JOCVではない。視察旅行である)で某アフリカの国を訪れ、現地の生徒に第9条の素晴らしさを授業したという某県立高校教員の発表を聞いた。なんとも言えない違和感があった。今夜は、町内会で年末恒例の「火の用心・カチ!カチ!」に参加する。町内はともかく日本の平和は、あの掛声とカチ!カチ!で守られるのだろうか。

2009年12月28日月曜日

今年、この1冊


先日、M新聞紙上で、私の今年の3冊という特集記事を見た。「現代アフリカの紛争と国家」を挙げた識者が2人もいた。政治学的なアプローチの本である。残念ながら私はまだ読んでいない。先日顔を見せに来た立命館大の法学部政治学科4回生で、来期インドの大学院に進みたいという某OBは、「読みました。よかったですよ。」と言っていた。ちょっとむかついた私であった。私も毎年、倫理の最後の授業で『1tの本を読め!』という推薦図書一覧を出している。かなりの枚数になるのだが、毎年最優秀本を提示している。昨年度は当然、ポール・コリアーの「最底辺の10億人」だった。今年は、「アフリカ 動き出す9億人市場」(ヴィジャイ・マハジャン著/英治出版)を挙げたい。実は、この本、マーケティングの本である。いかにアフリカにビジネスチャンスがあるか、様々な実例を示しながら紹介している。アフリカ本の中でも稀有な本である。明るい将来の展望が示されている。私のオリジナルテキスト・『高校生のためのアフリカ開発経済学』を3.0にヴァージョンアップして、この本の内容を入れて書き直そうかと今考えているくらいだ。前述のOBは、この本はまだ読んでいなかった。ちょっと安心した私であった。

2009年12月27日日曜日

有馬記念でR66


 有馬記念である。私は競馬に興味はない。もうだいぶ前になるが、前任校の職員室の仲間がみんな買うというので、適当に名前だけで買った馬が勝って、万馬券をあてたことがある。当時、私はアメリカ研究に凝っていた。で、マンハッタンカフェ。単勝。さらに連勝は?と聞かれ、アメリカンボス。みんなに「素人はこれだから…」とバカにされた。当日買ったのも忘れていたら、弟分から電話がかかってきた。興奮して、「テレビつけてください!」とのこと。近くにいた妻はその時、「買いよったな。勝ったな。」と察したようだ。慌てた私は「半分あげる。」と怯えていった。その時は結局いくら買ったのかわからなかった。翌日20万円以上勝っていたことが判明した。妻に正直に半分渡して、私は翌年の夏、タイ航空の格安航空券をゲットしてロスに飛んだ。アメリカ極貧旅行。ロスからサンディエゴはアムトラックで移動し、レゴランド・カリフォルニア、ラスベガス、フーバーダムを経由して、最終目的地のアリゾナのR66の聖地・セリグマンまでレンタカーで走った。安モーテルに泊まり食費を極力節約したが、結局予算をかなりオーバーした。今も、セリグマンのR66を守る会本部であるエンジェル理髪店に、私の名刺が貼ってあるはずである。ほんどんど車が往来しないヒストリック・R66沿いのモーテルから見るセリグマンの夕陽は、あまりにも美しく、そして悲しげだったことを思い出す。ところで、今年は久しぶりに有馬記念を買ってみた。
…マンハッタンカフェの子供は勝てなかった。

2009年12月26日土曜日

私のすべらない話 


今夜は、関西人が待ちに待った「人志松本のすべらない話」が放映される日である。私にも、授業で使う「すべらない話」シリーズがある。まずは、ニューヨーク編。息子が中学生だった頃だからかなり前である。彼はお土産にケーナ(南米の縦笛)と手りゅう弾をリクエストした。ケーナを買った店もたいがい変った店だったが、手りゅう弾は、「すべらない話NO1ネタ」になった。帰国時のJFK空港で、私は手りゅう弾をスーツケースに入れたつもりだったのだが、手荷物に入っていたのだった。チェックが入り、黒人の警官が呼ばれた。彼は、私の手荷物を開け、手りゅう弾を取り出した。アジアナ航空の同乗者の列は、思い切り引いた。「What's this?」私は思わず「It's a pinepple.」と答えた。(ご存じとは思うがパイナップルは手りゅう弾の隠語である。)息子への土産だ、アーミーショップで買ったと弁明した。フンフンと頷いた警官は、やおら手りゅう弾のネジをゆるめ、唐突に「ドッカーン!」と大声を出した。周囲はパニックになった。「ジョークだよ。ジョーク。」と彼は言い、結局手りゅう弾はアテンダント預かりとなったのだった。最後の落ちは、関西空港で、袋が破れて丸見えになった手りゅう弾をもった空港スタッフが、大声で私の名を連呼していたことである。文章にするとあまり面白くないが、授業では100%大うけするスベラナイ話である。

2009年12月25日金曜日

福沢諭吉は嫌いだ

 倫理の補習第1回目終了しました。幕末から福沢諭吉の啓蒙思想を中心に講義しました。おそらく予備校なら、さっと流すだろうなあと思います。でも、近代国家論から見れば、蘭学・洋学の意味は大きいと思うのです。日本が何故植民地化されなかったか。それは、ある一面においては江戸時代からの教育体制にあると私は思います。武士は、漢文的素養があり、いくら方言が酷くとも文書でやりとりが可能でしたし、農民や町民は一応の読み書き・そろばんが出来、後の近代国家最大の問題・国民皆兵につながると共に、教育による立身出世の基礎的可能性をもっていたことになります。封建制度の中で最も不満が蓄積していた下級武士階級からは、蘭学や洋学を武器に自己実現に走る者が出てきます。勝海舟も、竜馬も、大村益次郎も、半年だけイギリス留学した伊藤博文や井上馨もこのカテゴリーにはいるでしょうか。こういった司馬遼太郎的な視点で、倫理の授業をすると、かなりおもしろい講義になりました。佐久間象山なんて勝海舟の義兄弟であり、吉田松陰の師であり…福沢と勝は明治に入って大ゲンカするとか…日本史の授業のようになってしまいます。下級武士出身の福沢が、天賦人権論をとなえ、封建的ヒエラルキーを破壊した上で、個人として独立せよと言ったことは、まさにこの歴史のダイナミズムなのです。でも私は勝海舟の方が好きです。福沢は人間として嫌いです。少年時代、祠にあったご神体を暴いて、「ただの石じゃないか」と捨て、その辺の石と交換してから、そっと老人たちががただの石を拝むのを蔑んだという逸話や、戊申の頃、通詞として勤務していた江戸城危うしという場面で、「命あってのモノダネ」と、さっさと下城する逸話があります。彼の合理主義は、私の「人情の機微路線」とはサイクルが合いません。友達にはしたくない。私の財布に福沢君が登場しないのは、きっとその辺の事情なのでしょう。(笑)

2009年12月24日木曜日

終業式の日…補習の始まり


終業式の日です。冬休みに入りますが、私にとっては補習が始まるにすぎません。今年は、地理Bの諸君の進路が決定しているので、センター試験対応の地形図読図特訓はありません。昨年は阪大を目指して頑張っていたのがいて、大変でした。倫理の補習と合わせて2コマ3時間。準備が大変でした。問題集や過去問から適当な地形図の問題をピックアップして宿題、回答、宿題、回答…の毎日。おまけに倫理の冬季補習の範囲は、日本思想の近代編。最初の頃は、あまり詳しくないので大変でした。毎年冬は、受験生と共にあります。

2009年12月21日月曜日

仮想世界ゲーム

 今授業で、名古屋大学の広瀬教授が紹介されている仮想世界ゲームをESDの教材として実施している。このゲームはもともと社会心理学のシミレーションである。開発教育のワークショップの定番「南北貿易ゲーム」の10倍は複雑である。かなりの労力を要するが、スタッフの生徒とともに運営している。しかし、期末試験後の採点や成績処理のため40分授業なのが痛い。今日は休み時間に食い込んで、社会科教室からみんなを追い出すと、日本史BのH先生と2年生が何事かと廊下で待機していた。スミマセン。

2009年12月20日日曜日

はじめまして

 
 自宅のPCを買い替えて、性能が向上したのを機会にブログを始めることにしました。公立高校の社会科教師として、普段考えていることを、守秘義務にひっかからない程度に書き込んでおこうと思っています。私が今取り組んでいるのは、ESD(古い言い方のほうが好きなので:持続可能な開発のための教育)です。地球市民をつくることこそ、社会科教師の役割だと思っています。JICAの教員研修派遣で7年前ケニアに行きました。翌年南アとジンバブエに、貯めたマイレージを使って個人旅行をしました。今年は、担任も開けて2年目。久しぶりに、夏に西アフリカのブルキナファソに行ってきました。一応某NPOの個人スタディツアーです。追々これらのアフリカ行について書き込んでいこうと思っています。高校生にも、アフリカの開発経済学を門外漢ながら教えています。またさまざまなワークショップもやっています。ちなみに今は仮想世界ゲームという社会心理学のシミレーションをもとにESDの授業を実験中です。これらについても追々書くつもりです。タイトルは、今夏のブルキナ行の旅行記のタイトル(ブルキナファソ留魂録)を変更したものです。もちろん留魂録とは、吉田松陰の遺書です。もう二度とアフリカには行けまいという想いを込めて命名したものですが…。