2012年6月30日土曜日

「日本の路地を旅する」を読む。

このところ読書量が減っている。最大の原因は、国際理解教育学会研究発表大会のための資金を少しづつ貯めていることである。参加費、交通費、向こうでの小遣い…。よって、自分で言うのもなんだが、本屋を覗くことを避けているフシがある。そんな中で購入した文庫本が、「日本の路地を旅する」(上原善広/文春文庫・本年6月10日付発行)である。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作だそうだ。ここで描かれる「路地」とは「被差別部落」のことである。中上健次がそう呼び、著者もこれを継承しているのである。

私の年代は、同和教育をガンガン受けた初期にあたる。小学校から「にんげん」という読本を使い被差別部落の人々の人権について指導を受けた。(この辺のことも、この本に出てくる。なつかしい。)教師になって30年以上になるが、義務教育(小中学校)ではない関係で地域とのつながりが薄い故か、私は同和問題と深く関わった経験はない。しかし正直言って、義務教育の方では様々なことがあったと知人などから聞いている。今でもこの問題にコメントするのは、かなり気を使う。対策法がその歴史的な意義を終え、最近はあまり聞かなくなった。同和教育は、人権教育という呼び名に変わった。
社会科の教師としては、日本の歴史を学べば、過去の身分差別がいかに恣意的なもので、支配のための装置であるかを教えることが出来る。地球市民を育みたいという立場からは、「屠畜」や「皮なめし」あるいは「芸能」などの職業の貴賎を論じることが、グローバルな視点から見ればいかにナンセンスかを論じることが出来る。日本独自の「ハレとケ」、あるいは仏教の「不殺生戒」が作りだした差別意識だと断じることも可能だ。

この本には、実際に全国の「路地」を歩いた著者による日本史の教科書にはない生身の「路地」の姿が描かれている。それも勉強になったのだが、幕末維新史に属性をもつ私としては、長州藩の話が面白かった。吉田稔麿という伊藤博文と同じく足軽出身の若者がいる。京都池田屋事件で新撰組に殺害されてしまうのだが、師松陰も人物を絶賛し、品川弥二郎も「稔麿が生きていれば総理大臣になっただろう。」という人物である。彼は奇兵隊に「路地」の人々を入れ、その功により身分を上げるべきだと藩に上申しているのだ。これの策は藩の認めるところとなり、「屠勇隊」を始め様々な隊名がつけられ、第二次長州征伐時に幕府と勇猛果敢に戦うのである。ところで、「解放令」が出たのが、明治4年。早い。「稔麿が生きていれば…」という長州の新政府組が推進したことは疑う余地がない。そして同時に、欧米の市民革命同様、長州の「路地」の若者は自らの血と汗で、「解放令」を勝ち取ったわけだ。いかにも長州らしい進歩的な話だと思う。

もちろん、これら松下村塾の弟子たちに影響を与えた松陰も、「路地」に対してかなり自由な発想をもっていたらしい。特に野山獄で知り合った女囚高須久子との出会いも大きかったという。著者は、松陰の「草莽」という言葉には、「大衆」だけではなく「路地の人々」も含まれていたとと考えて良いだろうと述べている。私も全く同感である。

2012年6月29日金曜日

小事が大事「教室の時計 続編」

これと同じ時計です
昨日のブログで、教室の時計が壊れたことを書いた。本校は不思議なことに担任が時計を用意するのである。私は入学式前に100円ショップで、かわいい300円の時計を買ったのだった。それが「風」によって壊れたのだ。期末考査中でもあるし、困ったのだが、昨年卒業生を出された体育のF先生の机上に、使われていた同じような時計があったのを思い出した。朝、1日だけお借りしたいとお願いしたら、快諾しただいた。「動くかなあ?」と心配されていたのだが、F先生の予想どおり駄目だった。F先生は、まだいくつも持っておられたようで、「じゃあ、これを。」と違う動く時計を貸していただけたのだった。大感謝である。

さて、試験が終わって、昨日時計が壊れた時にいた男子2人が、ドライバーを借りに来た。「直るような気がするので…。」と言う。10分後、実際時計を直してきた。(拍手)「凄いなあ。アイスでもおごるぞ。」というと、「いえ、きっとそういう話にはなりません。」「…?」すると、昨日のもう1人の男子が暗い顔でやってきた。手にしているのは、今朝借りたF先生の時計。「すみません。壊してしまいました。」「ゲッ。えらいこっちゃ。」「うーん、F先生に直接、謝ってこい。自分の責任を全うせい。」…ということになった。

ところが体育館に謝りにった男子は、30分以上全然帰ってこない。どうなったのだろう。体育館に行ってみた。すると体育館のロビーに彼は立っていた。F先生はバレー部の顧問である。普段は好々爺そのもだが、バレー部の指導中は鬼のように怖い。とても「時計を壊しました。」と言いにいける雰囲気ではない。「しゃあないな。責任ある行動を貫くのは大変なことや。」と言うと、「…はい。練習が終わるまで待ってます。」

結局1時間半ほどして、練習の合間にお詫びできたようである。報告にきた男子を抱きしめてやりたい気分だ。手塩にかけて育てるというか、この数日やんちゃな彼と、大きな信頼感みたいなものが育まれたような気がする。…小事が大事。

F先生に私からも改めてお詫びした。私の机上には、再び動き出した時計が置いてある。

2012年6月28日木曜日

小事が大事「集団失踪事件」

明日は物理の試験だ
今日から期末考査。我が1組では、放課後に勉強を教え合うことを奨励している。一週間ほど前から、運動クラブに入っていない生徒たちが毎日残ってワイワイやっている。時々見に行くのだが、勉強してるのか、遊んでいるのかよくわからない。(笑)だが、楽しそうにやっているので、担任としては温かく見守っているトコロである。試験が始まる前、一気に教室を整理整頓した。試験の雰囲気を盛り上げなくてはならない。ところで、このところ毎日付き合っているので、疲れがたまっているようで、「今日は5時まで。」と伝えておいた。で、5時前に教室に行くと、誰もいない。10人くらいの鞄が置いたまま。机もあちこち集まっていて、不思議な空間になっていた。まるで「集団失踪」。練習を終えた野球部の2人が「物理教えてもらいに帰ってきましたぁ。あれ?みんなどこすか?」「オレが聞きたいよ。」「探してきます。」と、図書館や明日の物理の試験の関係で理科の物理教室などを探しに行ってくれたのだが、「いませんでしたあ。」「うーん。」5時になった。頭にきたので、教室の鍵を閉めて職員室に戻ったのだった。

結局居場所がわかったのは15分後だった。物理教室ではなく、生物教室で理科の若手の先生に教えてもらっていたのだった。校内放送で全員呼び出した。男子4名、女子7名。男子は前列に並び、どやされるのを覚悟で女子を守る体制である。その姿勢や良し。勉強していたのだから、それはそれで褒めてやった。しかし、「時間を守り、それまでに教室をきちんとするのが、責任ある行動だと思うが…。なにか言いたいことがあるなら聞いてやるから、言え。」と言うと、「ありません。」私の指導は一切ぶれない。約束を守る。5時と言ったら5時だ。『責任ある行動』、これしか言わない。「では、教室にもどり、明日の試験のため、きっちと掃除してもらおう。」と言うと、全員がほっとしたようだ。ダッシュで教室に戻っていった。男子が「清掃終わりました。」と報告に来た。「…?」手に教室用の時計がある。「実は…、風が吹いて、時計が落ちまして…壊れました。」「…?」「風が時計を壊したんです。」

「この風が時計を壊したという言い方、まるでムスリム(イスラム教徒)やなあ。」と全員が揃った前で私が言った。何人かが微笑んだ。「?」という顔をしている女子に、「インミッシャ・アッラー(神がそう望みたもうなら)やで」と男子。「?」「神が時計を壊したたもうたという感じの言い方やん。」と男子。おいおい、私の社会科の勉強もしときや。(笑)

ところで、壊れた時計について「これ高いねんど。」と私。「いくらですか?」「…300円」そこで、吉本新喜劇のようなこけ方をするのが大阪人のDNAである。(笑)

みんな笑顔で「さよならー。」「気をつけて帰れよー。」…担任っていいよなあと思うのである。

2012年6月27日水曜日

仕事中のいねむり


このところ、5時すぎに起床している。なんとなく習慣づいてしまった。就寝するのは10侍半くらいだから、6時間~7時間くらいの睡眠である。歳をとると早起きになるらしいが、ウィークデーはそんな感じである。土日も5時か6時に起きてしまう。体内時計がそう設定されているらしい。

だから、学校では少々眠くなることもある。だが、いねむりをすることはない。実は、本校の職員室では、いねむりをする教員が少なからずいるのだ。私はあまりいいとは思っていない。若い頃、師とあおぐ方のコトバ、「仕事中にいねむりをする者は、人生の落後者と知れ」を胸に刻んだからである。本当に厳しいコトバだ。でも、人生の指針のひとつにしている。

ところで、生徒によると、私の声は実にいい波長らしい。ついウトウトするんだとか。自分の本当の声は、録音されたものでしか認識していないが、耳に心地よいらしい。褒められているのか、授業が難しいのか。(笑)いやいや、本校の運動部員は朝から学校の外周や公園の500mの遊歩道を走っている。サッカーやラグビー部も朝からボールを追いかけている。柔道部も剣道部も朝けいこしてから授業開始だ。なんぼ若くて元気でも、そら大変。ウトウトしてしまうよなあ。

今日の画像:http://www.google.com/imgres?num=10&hl=ja&biw=1135&bih=645&tbm=isch&tbnid=dbUbTUNdPXwR2M:&imgrefurl=http://thashimoto.blog51.fc2.com/%3Fno%3D1274&docid=Gqalpll81iwxUM&imgurl=http://blog-imgs-41-origin.fc2.com/t/h/a/th

2012年6月26日火曜日

NYのロシア正教会の話

どうも今年の期末考査までの授業時間は1~2時間少ないように感じる。本校では、体育科・武道科の水泳実習が期末考査の最終日から組まれている。これに今年は、曜日の順列が重なって期末考査までの授業日数が少なくなってしまったらしい。(教務部長H先生の弁)

と、いうわけで現代社会の一神教理解の授業は、どうもあわただしくなってしまった。語りたいことがあったのだが割愛してしまったことも多い。特にキリスト教の歴史については、駆け足だった。東方正教会(オーソドックス)のローマ・カトリックとの比較(民族教会・イコンなど「像」の否定)などは、なんとか話したのだが、実際にロシア正教会に行った話はできなかった。ところが、先日の台風や杉本選手の壮行会で授業が抜けた2組と6組は、明日から放課後に補習することになっている。ちょっと余裕があったので、オーソドックスの教会の雰囲気を伝えたのだった。こんな話である。

NYCのセントラルパークの北東、スパニッシュ・ハーレムの近くにロシア正教の教会があった。玉ねぎ型の屋根。いかにも、ロシア正教会という感じだ。教会の扉は閉じていた。玄関のチャイムを何度か押したのだが、誰も出てこない。せっかくの訪問だが仕方がないと諦めて立ち去ろうとした時、玄関が開いたのだ。ビックリした。こんなに色白で美しい人がいるのかというほどのスラブ美人だったのだ。生まれたばかりの赤ちゃんを抱いている。私は恐縮して自己紹介をし、内部を見学したいと申し出たのだった。(もちろん、サバイバル・イングリッシュである。)スラブ美人は、笑顔で了承してくれた。

中は真っ暗だったが、彼女が照明をつけてくれた途端、私は息を飲んだのだ。左右の壁面に、イコンがズラーッと並んでいる。ロシア正教の聖人なのであろう。みんな後光が差している。スラブ美人は、わざわざイコンの前にある赤いろうそくの列に次々と火をつけてくれた。そして、照明を落としてくれた。ろうそうくの炎が微風にゆれて、イコンはさらに神秘的な輝きを増す。凄い。感激した。神父の奥様であるだろうスラブ美人さんは、いろいろと親切に説明してくれた。決して大きな教会ではないが、念願のオーソドックスの教会に潜入できたのだった。丁寧にスラブ美人にお礼を述べて辞したが、ルンルン気分だったことを思い出す。その後、スパニッシュ・ハーレムの通りに出て、怖そうな兄さんに睨まれて、一気にルンルン気分はぶっとんだが…(笑)

2012年6月25日月曜日

ケニアに大韓航空が直行便

ケニア・ナイロビ/ジョモ・ケニヤッタ国際空港
ナイロビのジョモ・ケニヤッタ空港に韓国の仁川空港から大韓航空の直行便が週3便運航するらしい。なかなか良い話題だと思っている。私がJICAで行かせてもらった時は、成田からアムステルダムのスキポール空港経由だった。アフリカに行くのは、だいたい、ヨーロッパ経由が普通だ。

日本からも一気に近くなる感じ。ソウルに行くのは、大阪からなら北海道の千歳空港に行くのと時間的にそう変わらない。韓国の航空会社はなかなか面白い。イスラエルに行くのにも、大韓航空が最も安くて、ソウル経由で行く予定を一時たてたくらいだ。

韓国のこういうチャレンジ精神というか、日本がグズグズしている間に、ガンガン攻めていく姿勢は凄い。南アでも、プレトリアのバックパッカーズで韓国の女の子2人組と話したことがある。ケープタウンの話をしてくれたことを思い出す。ブルキナでも、韓国の若者のボランティア軍団と会った。中国人も多く会ったけれど、若い韓国の人々が世界に飛翔している姿は、なかなかたくましいと思った次第。日本の若者も、元気だそうぜ。

http://www.africa-news.jp/news_B8ClwY03l.html?right

2012年6月24日日曜日

リオ+20が閉幕したが…

今回のリオ+20は、大した成果もなく終わってしまったようだ。「グリーン経済」への以降の工程表は結局棚上げされた。相変わらず先進国と途上国の国益が、「環境」と「開発」と名を変えてぶつかり合う姿ばかり目立つ。
世界一の二酸化炭素排出国である中国は、相変わらず自らを「大きな途上国」と主張している。一方で宇宙開発では自前の宇宙ステーション開発計画をぶちあげたり、さすが「2の文明」(10年12月17日ブログ参照)の国の面目躍如である。(笑)

私自身はアフリカ諸国に足を運んだ関係で、「構造的暴力」という先進国優位が、あらゆるグローバルスタンダードの根底に潜んでいることを十分理解できる。今回の結果も絶対的な経済格差が、途上国の疑念を払しょくできていないことの表れだと考えている。+20年という時間では、到底解決できなかったわけだ。それどころか、先進国も様々な問題を抱えている。グローバルな「環境」会議に真贄に向き合うタイミングではなかったと言ってしまえば悲しすぎるだろうか。

「衣食足りて礼節を知る」とは古臭いコトバだが、物質的な余裕がなければ、こういう議論は成立しないのだとも言えるだろう。決して途上国の話だけではない。EUやアメリカ、日本も含めて、先進国の政治家にも全く余裕が見られない。

「民主主義」と「資本主義」は、グローバル的には「普遍的な正義」となりえているが、これを支えている哲学的な部分は、私はヘブライズム(ユダヤ・キリスト教)とヨーロッパ合理主義だと考えている。ここには、暴力の肯定と、選民主義(国家間・人種民族間・宗教の相違など広い意味でのセクト主義)が、内在していると思っている。地球市民の育成とは、こういう部分を排除する戦いでもある。そんなことを考えたりした「リオ+20」の閉幕であった。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120623-OYT1T01183.htm

浪速区長になるヒトの発言

大阪市 浪速区
毎日新聞の23日夕刊に、こんな記事が載っていた。
『大阪市浪速区の公募区長として8月に就任予定の経営コンサルタント会社社長、玉置賢司氏(45)がインターネットの短文投稿サイト「ツイッター」に「管直人(前首相)を殴る」と書きこんでいたいたことが分かった。玉置氏は「東日本大震災への政府の対応が遅れていることにいら立って書いた。社会人として言葉の選択が誤っていた」と陳謝した。玉置氏は昨年4月9日、ツイッターに「近頃の日本は右翼があかん政治家を殺したりせえへんようになった。今の時代に殺す必要は無いのかもしれんけど、管直人は正直殴ったらなあかんと思ってる。SPの人には悪いけど私の前に来たら必ず殴ります。覚悟しとけよ。ボンクラ政治家!」と書きこんだ。市が公募区長の就任予定者を発表した21日、ツイッターのアカウントを削除した。玉置氏は奈良県出身。公募区長の選考では、自警団を使った治安回復策などを提案したという。(原田啓之)』

コメントなしで、全文をそのまま掲載しておきたい。それで十分。

2012年6月23日土曜日

イスラエルのアフリカ系難民

今日のネタ本
本来なら、今日は道祖神のカルチャースクールで藤井さんの話を聞きに行く予定(本年3月10日付ブログ参照)だったのだが、所用ができて行けなくなってしまった。予約してあったのに誠に残念である。藤井さん、道祖神の皆さん、すみません。

ところで、6月20日は「世界難民デー」だった。毎日新聞には、その関係もあるのだろうか、『閉じる移民国家-イスラエルのアフリカ難民』という記事がここ2日掲載された。その記事を要約すると、以下のようになる。
『イスラエルは、国連難民条約批准国であり、アフリカと陸続きであり、しかも豊かな先進国であることが主な理由となって、エリトリアや南スーダンを中心に難民申請が増加し、ここ2年で約3万人、計6万人のアフリカ系難民が、テルアビブ南部の低所得地区に集まっている。しかしエリトリア人のレイプ事件をきっかけに暴力行為が頻発しており、「侵入者」として厳しい目にさらされている。世界中で迫害されたユダヤ移民が築いた「約束の地」は決して「安住の地」にはなっていない。』

この記事を書いたH記者の(要約における最後の)コメントは、日本人の意識の大きなずれを感じざるを得ない。私は、アフリカの人々を深く愛する日本人だから、このような記事を読んで憤慨すべきなのだろうが、実は違う。イスラエルの実情を学ぶうちに、暴力行為は非難すべきだが、たしかに彼らは「招かざる客」に他ならないと思われるのだ。

イスラエルには、黒人のユダヤ教徒がすでにいる。エチオピアのユダヤ人である。彼らは1991年5月23日、周到な計画のもとイスラエル軍とエルアル航空の無標識の旅客機が、膨大な買収費を使いアジスアベバ空港に飛来、山奥で何世紀もひっそりとユダヤ教の律法を守り続けてきたが、政変で非難、首都でスラム住まいしていた彼らをこっそりと武装しつつバスで連れだし、30機の旅客機で36時間かけて1万5千人を空輸して連れて来られたのだ。「ソロモン」作戦という。(これ以前にも「モーセ」作戦が実施された)中には1000人を1機に詰めて飛び立った機もあったそうだ。パイロットは「一人も置いておきたくない」と語り、はからずもギネス記録を作った。彼ら、エチオピアのユダヤ人は、タルムード(ヘブライ語の律法の膨大な解説書)が出来る以前にエチオピアに移っていたので、第二次大戦後移民してきた他のユダヤ系の人々と違い、当然ヘブライ語が出来ない。このような国家を挙げての史上最大の極秘救出作戦でイスラエルという「約束の地」に戻ってこれたにもかかわらず、同じユダヤ教徒でありながら苦難の日々を送ることになる。もちろん、国家もまた彼らの教育に莫大な費用を投じた。アムハラ語からヘブライ語へ。数々のエチオピア系ユダヤ人に対する政策を行い同化への道筋を拓くのである。もちろん他のユダヤ人からの批判もあるが、イスラエル政府は「選民」である彼らへの支援を行った。高等教育こそがイスラエルで生きていく必須条件である。優秀なエチオピア系の青年も生まれているが、一方では未だに最も貧しい層であることは間違いないようだ。電気も水道もない貧しい村から、理念は同じでも言葉の通じない超ハイテクの先進国へきたエチオピア系ユダヤ人。さそかし帰ってきた者も受け入れた者も大変だったと思われる。

このように、エリトリアや南スーダンからの難民と、エチオピア系ユダヤ人の立場は全く異なる。それは「選民」か否かである。エリトリア人にとっては、たとえキリスト教徒であっても「約束の地」ではない。そこは、先進国の中でも特殊な地である。エジプトのブローカーによって、イスラエルに入国した人もいるという。決して良い選択だったとはいえまい。

最大の問題は、難民を輩出している「悪しきガバナンス」の国々なのである。それを見失ってはならないと、アフリカを愛する日本人として強く思うのだ。

2012年6月22日金曜日

「効率」という名の電車

「欲望」という名の電車
JR西日本の「学研都市線」を私は通勤に利用しているのだが、もうええ加減にして欲しいと思うのだ。今朝も6:29津田駅発の普通電車に乗った。不幸は突然やってくる。ウトウトとしていたら、車内放送があった。また、線路に人が立ち入ったとか、そんな話だと思ったら、線路が陥没しているのだ言う。「…陥没?」おいおい。京橋駅と鴫野駅の間らしい。

住道(すみのどう)駅という、快速と普通が接続する駅でずっと停車したままになった。幸い私は座っているのだが、快速電車が隣のホームに入ってきた。よくわからないアナウンス。「この普通電車は、尼崎行きですが、変更になるかもしれません。」こりゃ、えらいことになった。快速に移ろうかなあ。と思ったが、快速電車はどんどん乗客が増えていく。まあいい。焦ってもしゃあない。と本を読んでいたら、急に「この普通電車は、快速電車に先だって『徳庵(とくあん)』までまいります。」うーん、よくわからない。とにかくも私の行くべき放出駅の1つ前までいくようだ。ガラガラの普通電車は走り出した。結局30分遅れで徳庵駅着。7時20分くらいだった。

となりのプラットフォームには、四条畷発の普通電車が停まっている。動き出す気配もない。学校前のバス停は徳庵橋行きだったことを思い出した。バスで学校まで行けそうである。ところが、バス停の位置を探そうと駅構内の近隣地図を見ると、本校の案内が載っている。以外に近いのだった。歩いても十分行けそうだったので、結局20分くらい歩いて登校したのだった。

と、いうわけで今日の「陥没」パニック、私自身は歩く時間が少し長く、モーニングに行けなかったというだけで終わった。しかし、学研都市線は、その後上下線も完全にストップしたらしい。結局本校では、期末考査前だというのに授業開始時間が大幅に遅れた。我がクラスでは8人ほど電車通学の生徒が延着した。最後に到着した生徒は10:15くらいにやっと到着した。駅は超満員で、電車も恐ろしいほど混んでおり、無茶苦茶にされて到着した。生徒の話を聞くと怒りがこみ上げてくる。


こういう電車の遅れ、関西ではホント、JR西日本ばかりである。京阪や近鉄など聞いたことがないぞ。大体、今回の陥没、台風による大雨の影響らしい。なら、事前に検査するべきではないのか。今回の陥没は、通勤途中の係員が6:20頃に発見したという報道が流れている。もし、それが真実なら、JR西日本の保線の専門家は何をしていたのか。国鉄時代、人が余っていて、健全経営にほど遠かったらしい。しかし、こんなことはなかった。安全のために本当に必要な保線人員もかなり減ったのではないか。そういう疑念が起こる。

効率性を重視するあまり、路線を変えることができない弱者である乗客に、こういう迷惑をかけるのは、いい加減にして欲しい。あの尼崎の事故以来、「安全の確認」というコトバを何度聞いたことか。必要な人員は確保し、本当に大切なコトには金をかけるべきだ。

行政といい、電力会社といい、JRまで、大阪はホント、「効率」という名の電車に乗って、どこへ行ってしまうのだろう。
http://news24.jp/nnn/news8894505.html

2012年6月21日木曜日

世界史Bはフランス革命に突入

世界史Bの方は、期末考査直前だがアメリカ独立革命からフランス革命に突入している。今回の期末試験のテーマは、近代国家論と市民革命といったところだ。民主主義を欧米の人々が獲得していく過程はなかなか興味深い。

ここで見逃せないのは、カトリックとプロテスタントの宗教戦争をいかに各国が早く乗り越えたかという歴史的側面だ。カルヴァン派の自立が早いほど、開発経済学的に言えば『飛翔』が早い。近世にカトリックの雄だったスペインとの独立戦争に勝ったオランダ。英国教会を成立させ、さらにピューリタンが革命を起こし、一時政権を握ったイングランド。フランスはユグノー戦争で一応の決着を見せるが、ブルボン朝で反動が起こり、大量のユグノーがオランダに流失してしまう。ドイツに至っては、三十年戦争で疲弊し、ルター派はともかくカルヴァン派は自立したとはいえない。まあ経済構造が低価格の農業生産に依存していたわけで、ユンカー(地主貴族)の支配と領邦国家による分裂が続く。こういう歴史的な後進性が、後のWWⅠ、WWⅡへと進むわけだ。近代ヨーロッパ史は実に面白い。

イングランドが、オランダを追いこせたのは、国力の他に、モルッカから追われインドで綿製品に出会ったという幸運も大きい。綿織物工業でリードできたわけだ。これが、アメリカ南部の綿花プランテーションと結びつき、奴隷貿易をからめた三角貿易に発展し、資本の蓄積、工業の発達と進む。もちろん、倫理の教師としては、ベーコンを祖とするイギリスの経験主義的な科学技術への貪欲な精神や功利主義的な発想も重視したいのだが、そこまでは期末考査までには語りきれない。(これは試験後のお楽しみ。)

一方で、イングランドを追う絶対主義のフランスは、第二次英仏百年戦争で軍事費がかさみ、フランス革命へと導かれていく。その二次的な産物が、七年戦争から波及したフレンチ=インディアン戦争で、その戦費調達に怒ったアメリカ植民地が独立戦争を起こすわけだ。ここでも、カルヴァン的で個人意識の強いマサチューセッツでの偶発的な衝突が独立戦争に13州を引きずり込むことになっている。

やはり、一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)理解が深くないと、世界史はわかりにくい。と、倫理が専門の私などは思うのである。

2012年6月20日水曜日

原発・報道管制の怖さ

毎週金曜日に首相官邸前でツイッターの呼びかけによる反原発デモが行われているらしい。大きなニュースであると思うのだが、消費増税やオウム犯逮捕のニュースで、TVも新聞も覆い隠されてしまったような感さえある。こういう報道管制、私は実に恐ろしいと思うのだ。
日本のマスコミは『知る権利』というコトバが大好きだが、どうやら報道管制を引かれると、そういう大切なポリシーを捨ててしまうらしい。この話、実は妻がブログで知り合った友人からの情報として私に教えてくれたのである。私は妻とは違い、『反原発』に与する人間ではないが、こういう報道管制の裏にオドロオドロした事実があるのではなかと邪推してしまう。

行政は政策で『安全』を保障する立場にある。政治は『安心』を保障するのが仕事だ。こんな状況では『安心』は得られないと私は思うのだ。

先日(6月14日)の日経の記事に、J・S・ミルのコトバ(一橋大学の斉藤誠氏の「言論の作法」)が載っていた。彼のコトバを今日のエントリーの結論としたい。

どのような意見を持っている人であっても、反対意見とそれを主張する相手の実像を冷静に判断して、誠実に説明し、論争相手に不利になることは何一つ誇張せず、論争相手に有利な点や有利だと見られる点は何一つ隠さないようにしているのであれば、その人にふさわしい称賛を与える、以上が公の場での議論にあたって守るべき真の道徳である。(「自由論」第二章)

デモの様子は、以下のYOUTUBEに詳しい。
http://www.youtube.com/watch?v=WCr6rMpvDic
今回の画像は、以下のブログから借用させていただいた。
http://blogs.yahoo.co.jp/neverland20050918/29674614.html

2012年6月19日火曜日

ケニア・トゥルカナ湖の危機

トゥルカナ湖の国立公園群
先日の京大公開講座の話は、エチオピア、ケニア、ウガンダ国境が舞台だった。ここにはトゥルカナ湖という世界最大の砂漠湖がある。この湖が危機に瀕している。ここに水を供給するエチオピア領内のオモ川上流に、ダムが建設されるらしい。

ケニア政府はここから電力供給を受ける契約でダム建設に合意したらしいが、ダムの完成60年後にはトゥルカナ湖は消滅するという。それでなくとも、干ばつが続いた関係で水位が減少しており、周辺の牧畜民の生活を脅かし、水の争奪の争いが起こっているという。
http://www.africa-news.jp/news_BOJXoGIkW.html

先日の公開講座で、佐川先生は最後にこういう「開発」による新たな問題を『構造的暴力』という、非常に厳しいコトバで非難しておられた。ダサネッチの民から見れば、自分たちの営みを否定するような話なので、広い意味で『構造的暴力』という言い方も当然かもしれない。
通常、『構造的暴力』というコトバは、先進国と途上国の富の分配、経済格差を揶揄しつつ、先進国が途上国に対し、「暴力」的なまでに周縁化していることを意味する。おそらく、佐川先生は、エチオピア政府を先進国に、国境周辺に住む周縁化したダサネッチを途上国とイメージして言われたことと私は解するのである。

さて、このダム建設、是か非かという問題は非常に難しい。大きな環境問題であることは間違いがない。反対運動をしている組織もあるようだ。「開発」か「伝統的生活の維持」か。アフリカで常に議論となるところだ。とても私ごときに、結論は出せない。

ところで、今日は台風4号が大阪に近づき、暴風警報が出たので授業は午前中で打ち切りとなった。うちのクラスの生徒は狂喜乱舞。5時間目の水泳(女子の体育)も、清掃も、放課後の部活もぶっとんだわけで、まあ突然の休日、なんか嬉しいわな。夕方まで大阪は、ほんとに警報が出てるんかあ?という感じだったのだが…。全国的にたいした被害がないことを祈りたい。

2012年6月18日月曜日

杉本選手五輪壮行会

多忙な中、本校OGの女子柔道の五輪代表である杉本選手が来校。生徒中心の壮行会が6時間目に行われた。学校長の杉本選手の紹介・挨拶の後、柔道部を中心に在校生からの応援メッセージ、同窓生やPTAからの記念品贈呈、花束贈呈、杉本選手の言葉、そして野球部3年生によるエール、校歌斉唱。シンプルだが、なかなか中身の濃い時間となった。

面白かったのは、教頭からネクタイ着用は自由という指示が出ていたので、SHRでもその点は私は何も言わなかったのだが、本番では1組全員がネクタイ・リボンを着用していたことだ。どうやらクラブの先輩から緊急連絡で、生徒が自主的に着用を決め、全員に流したらしい。なかなか嬉しいではないか。

PTAからは、オリジナルTシャツが杉本選手に贈られた。最も大きなサイズで、バックプリントに本校の名前が書かれている。杉本選手は大喜びだった。これには、生徒も大ウケだった。

さて、現役の柔道部の方は、団体戦は4回戦で強豪東海大G高校に敗れたそうだ。個人戦もベスト8が最高だったとか。朝稽古に顔を出したら、「ふがいない成績で申し訳ないっす。」と3年生に頭を下げられた。女子も個人戦は突破できなかったらしく、ちょっと元気がない。せっかく杉本先輩を迎えるのに…と意気消沈ぎみだった。とはいえ、今日の挨拶は立派だったし、みんな若いのだ。スポーツの世界は厳しいが、さらに成長のノリシロさえあればまだまだ伸びる。杉本先輩も多くの苦難を乗り越えてきた。まだまだ、これからやで。

本日の画像は以前、晴れの日に写しておいた本校の誇らしげな垂れ幕である。杉本選手には、五輪後またお土産をもって戻ってきてほしいものだ。頑張れ。杉本選手。

2012年6月17日日曜日

大阪国際交流センターのチラシ

先日、大阪国際交流センターから私宛に封書が届いた。開けてみると、7月に開催されるサマースクールのチラシが入っていた。テレビでもおなじみの戦場カメラマン渡部陽一氏が講演するらしい。さっそく、教頭の許可を得て、1年生の普通科5クラスに教室掲示(体育科・武道科は土日は100%部活なので、行ける可能性がない。知らせてあげるだけ、行きたい者がいたらかわいそうであるからだ。)して、あとは生徒会と3年生の英語関係のコミュニケーション科目担当のY先生に託した。

ただ、このサマースクールの『未来を担うこどもたち、国際人になろう』というキャッチフレーズは、いただけない。小・中学生にも参加を呼び掛けていることを差し引いても、「国際人」というコトバ、もうそろそろ死語にしてもええんとちゃうか、と私は思うのだ。

前任校の後輩の口の悪いI先生によれば、『国際人』という英語はないそうだ。確かに英語がネイティブの人々は、世界のどこへいっても我が物顔である。わざわざ国際人などという概念をもつ必要もないことを、南アのゲストハウスのリビングルームで実感した。そこにいたのは、オーストラリア人、アメリカ人、ウェールス人。彼らは南アのTVを普通に見ている。当然TVは英語だし、まるで自国のようなものだ。「国際人」という語は、日本が作った”少し無理のある概念”のような気がする。

それなら、今や世界的に認知されている『地球市民』(Global citizen)の方がいい。せっかくのサマーセミナー、『地球市民』の意味も含めてキャッチフレーズにしてもらいたかったと思うのだ。大阪の国際交流の情報発信基地だからこそ…あえて苦言を呈したい。

http://www.ih-osaka.or.jp/news/20120530_2416/

2012年6月16日土曜日

京大アフリカ研'12公開講座6月

梅雨どきの京大稲森財団記念館
柔道部のIH予選会場から、京都へ向かった。今日は毎月楽しみにしている京大の公開講座の日である。梅雨の季節であるし、柔道会場の熱気が残っていた関係で、ケニアの地ビールのロゴ入りTシャツのまま稲森財団記念館に着いた。「出会う」シリーズ第6回のテーマは 佐川徹先生の 『牧畜社会の戦争と平和に出会う』である。ダサネッチという、エチオピアの、ウガンダ、ケニアの国境地帯に生きる牧畜民の話である。

以前、本ブログでも書いた(11年6月15日参照)が、東アフリカの牧畜民には、レイディングという家畜の暴力的な奪い合いというライフスタイルがある。ダサネッチの人々は、トゥルカナの人々に対しレイディングを行っていることはまちがいない。そこで、いきなり話が前後するが、講義後の私の質問の内容から入りたい。それは、今回の「牧畜社会の戦争」がレイディングであることを確認することだった。佐川先生は、それに対し、レイディングだけでなく、現地語で「負債」と呼ばれる様々な怨恨も含まれると回答していただいた。最初に、このことを確認しておきたい。すなわち、ダサネッチの人々は、生業として暴力行為を行わざるを得ないだけでなく、他のエスニック・グループと日常的に他の理由でも暴力行為を行うという事実である。その暴力行為は、まさにカラシニコフ自動小銃を使用する戦争行為というにふさわしいものである。こう書いてしまうと、アフリカの負の一面が独り歩きしてしまう。重田元センター長も、その辺を憂慮されていたようで、これまた話が前後するが、最後の挨拶で、「彼らの暴力的な行為を日本では当然の”人権意識”だけで判断されることのないよう。」と言われていた。私も全く同感である。

さてさて、佐川先生の講義内容は、なかなかユニークなものだった。
彼らの暴力行為を伴うライフスタイルは、極めて矛盾に満ちている。家畜のための水や草といった自然資源の相克から生まれたであろう、敵を攻撃することを称賛する文化をもちながら、家畜キャンプで他のエスニック・グループと共生したり、相互の居住地を訪れて交易したり、結婚・養子などの親戚関係(ダサネッチの5割が該当する)、親密な友人関係(同じく7割)を持っているのである。なのに、なぜ彼らは暴力行為におよぶのか。

佐川先生は、『グオフ』という、男性が少年期から植え付けられる戦士としての身体の高揚・恒常的な興奮状態を説明された。彼らは自らの身体を管理できないと言うらしい。グオフにスイッチが入れば、一気に暴力的になってしまうのだという。しだがって、ダサネッチの男性ならば一度は戦争に参加しているわけだ。(年代別に詳細な聞きとりデータが示される。)一方、そういう戦争体験で、グオフにならない「臆病者」も出現する。だが、彼らの社会では『他人の胃は違う』と、各個人の意志決定を肯定するのだ。「臆病者」も認められるし、「他のエスニック・グループの親しい友人とは戦わない」ということも認められる。だが、彼らにとって最も重要な家畜が、トゥルカナの牛より脂肪(セブーのコブ)が小さいと、彼らの『グオフ』にスイッチが入るらしい。『我々を殺させるのは家畜じゃないか。家畜の脂肪が我々を怒らせ大地を熱くするんだ』とは、そういう意味らしい。管理不可能なものに殺し殺され、生かし生かされるという、家畜と共に生きる人々という点で、ダサネッチもトゥルカナも同じなのである。

…遊牧というのは、地球上で食を得るための最低レベルの生業であると私は思う。そういう場所で『生存のための暴力』は必要悪であるのだと歴史は教えている。アダムの息子、カインは人類最初の殺人を犯している。十戒でも「殺すなかれ」は6番目である。殺生戒がDNAに組み込まれた農耕単一民族から見れば極めて不可解であるが、これが彼らの文化なのだと納得するしかない。…しかし、これが今回の公開講座の私なりの結論ならば、あまりに面白くない。で、帰路、ずっと考えていた。あえて、重田先生の言われた”人権”の逆手を取って考えてみたら次のようになったのである。

そもそも肉体的暴力的能力の格差から人類が開放されたのは、欧米的な視点で言えば、ルソーの主張した「一般意志」の確立以来のことである。人間は平等であり、全員が生存権を持っているという大前提が、各人それぞれの意志である「特殊意志」を超克し国家を動かす力となったわけだ。
ルソーという視点で、ダサネッチの人々を見てみると、彼らの「特殊意志」である「臆病者」「友人を殺さない」などは、肯定されているわけだ。だが、彼らの社会の一般意志はあくまで「家畜とともに生きる。」というものである。そのためには自らの生存権すら否定したものになっているのではないか。

佐川先生は、北海道から「家畜とともに生きる人々」を研究したくて京大に来られたと言われていた。それが社会の一般意志となって自らの生存権すら否定していしまうほどの、まさに究極の「家畜とともに生きる人々」に出会われたわけだ。素晴らしい「出会い」ではないか。『戦争』の話ばかりで、『平和』まで手が回らなかったが、今日の公開講座、私はこのように受け取った次第。

柔道部 IH予選を見に行く2

本校の1回戦試合の様子
先週の女子の大阪府予選に続いて、今週は男子である。団体戦が今日、個人戦が明日。男子は参加校が多いので、門真のなみはやドームのサブアリーナが会場だった。着いたのはちょうど開会式が始まるところだった。いやあ、凄い熱気である。本校の柔道部の1・2年生が観覧席に陣取っていて、そっちへ移動して観戦した。開会式では、本校の名前が出た。オリンピック出場が決まった杉本選手の話がでたのだ。私などは、何の関係もないのだが、ちょいとばかり誇らしい気持ちになる。生徒やOBに聞くと、東海大G高校が強いらしい。本校はベスト16に残れるかが、ひとつのハードルなんだとか。とはいえ、同じ市立のS高校とならんで公立高校では、やはりビッグネームらしい。

結局、時間の関係で1回戦、2回戦だけ見た。中堅のN君の体調が悪く全勝ではなかったが、難なく勝ち抜いてくれた。見事な一本勝ちも何度も見た。選手たちも観客席に一息つきにきてくれて、激励もできた。満足である。後ろ髪を引かれながら、なみはやドームを後にしたのだが、さてさてどうなったのだろうか。WEBではまだ結果がわからない。

ところで、同じ武道科では、剣道部も気を吐いている。3年生の主将が名門私立高の選手を破り、個人優勝したのである。凄いぞ。大阪チャンピオン、インターハイ出場である。柔道部も頑張ってや。

2012年6月15日金曜日

教育実習シーズンなのだ。2

I先生に贈った写真
昨夜は、前任校で教育実習を終えたI君の御苦労さん会を、U先生、Y先生と共にしていた。(というわけで昨日は、バーボンのせいでブログ更新ができなかったわけである。)教えていた3年生にも会ったりしてなかなか有意義であった。I君は、U先生より戦後の日本の経済を3時間で論ずるという、恐ろしく難しい課題を与えられていたようだ。U先生や私から次々と、とめどなく出てくる戦後日本経済の話に、I君は舌を巻いていた。(笑)共に飲んでいたY先生は、数学の先生なのだが、これまた凄い読書家であり、かつ極めて優秀な人なので、我々社会科教師と議論していても全く遜色のない応答が返ってくる。I君は、前に置かれた飲んだこともないワイン同様、かなりビビったのではないか。 うむ。読んでいる本の絶対量が違う。学生時代に1tの本を読め、1tの本を。(笑)

本校の方でも、養護教諭を目指すI先生が、今日実習最終日を迎えた。最後のSHRで、記念写真を撮った。今日の画像がそれである。駅前の写真屋さんで少し大きくしてもらい、額に入れて贈呈させてもらった。テプラ―で、本校名と『元気と皆勤 1年1組』を作って貼ったのだが、なかなか良い。こういう機微を、生徒たちは皮膚呼吸していくものだ。

I先生には、今回の経験を生かし養護教諭として頑張ってもらいたいと思う。きっと優しくて専門知識も技能もある良い先生になられると思う。…2週間本当にありがとうございました。

2012年6月13日水曜日

スティグリッツとJICAのコラボ

息子から、「父の日になんか本を買うたるで。」というメールが妻に来たそうだ。昨年は京大のアフリカ研の『遊動民』というようなとても買えないような本をシャレで言ったら、送ってくれた。このところ、新しいアフリカ本を読んでいない。と、先日紹介したJICA's Worldにこんな情報が載せられていた。

「コロンビア大学スティグリッツ教授と(JICA研究所)の共同研究が書籍化」
アフリカがアジアの成長から学べることは何かー。コロンビア大学政策対話イニシチアブ(IPD)とJICAの共同研究をまとめた書籍が、オックスフォード大学出版会から発刊された。
『Good Growth and Governance in Africa』(アフリカにおける良い成長とガバナンス)

JICA研究所のWEB上の論文は、時々読んでいる。これに、あの3学期に補習でいやというほど親しんだステグリッツ教授がコラボしているわけだ。読みたい。今、一番読みたい本はこれだ。ただ、大きな問題がある。まだ日本語版が出ていないという、どうしようもない現実がある。

秋田の国際教養大学などでは、この原書を授業で読むんだろうなあ。在学していた教え子が『貧困の終焉』なども原書で読みましたなどと言っていた。(笑)私にはそんな英語力がない。なんとか早く日本語版を出していただきたい。切なる願いである。

http://www.jica.go.jp/topics/2012/20120423_02.html

2012年6月12日火曜日

1万頭のモスラsを見る

本校の生物の先生でH先生という方がいる。大学時代からの専門は養蚕であるそうで、明治の殖産興業の話で盛り上がったことがある。以来、実際に理科の準備室でカイコを育ているということを知っていた。是非一度見たいと思っていたのだが、私はどうも幼虫系は苦手でついつい敬遠していた。

放課後、世界史の期末考査をつくっていたら、H先生が職員室に戻ってきて「今からカイコの餌をつくりにいくんですよ。」と言う。カイコの餌と言えば、桑である。どんなものなのか興味があったので、意を決して愛機G12を手に、共に準備室に行くことにしたのだった。

どういう感じで飼育しているのかと思ったら、プレートにウシャウシャいた。カイコが這いまわっている土のように見えるのが餌である。フンは黒い粒子のようなものである。比較的小さいのから丸々太ったものまで、かなりの数である。「どれくらい飼ってるの?」と聞くと、「1万頭くらいですかね。」「1万匹ちゃうの?」「カイコは、家畜あつかいなので『頭』と言います。」へー。知らなかった。カイコが繭をつくれるくらいの大きさになると、「アパート」と読んでいるボール紙で作った棚に入れるそうで、今は1頭が繭を作り始めていた。たくさんの昨年出来た繭も見せてもらった。

いよいよ、1週間に1度つくるという餌である。作り方はシンプルで、餌となる抹茶のように思える粉末(名前が凄い。「シルクメイト2M」。桑の成分が入ってるので抹茶みたいな色をしているとのこと。)を大きなタライに入れて、蒸留水で捏ねて、その後、これを蒸すらしい。先日、当番で校内を回っていたら、凄い臭いがしていた。蒸すと臭くなるらしい。

いやあ、勉強になった。生物学って大変だ。こういう研究を地道にしている先生が傍にいるって素敵だなと思うのだ。

2012年6月11日月曜日

ウガンダのアルコール手指消毒

先日、JICA's World6月号が手元に届いた。今月の特集は『希望と発展の大陸 アフリカ』というなかなか魅力的なタイトルだ。面白い記事がたくさんあったのだが、1つだけ紹介したい。ウガンダの話である。この10年の経済成長率の平均は約7%。首都カンパラを中心に経済発展が著しい。
しかし、約40%の人々が貧困ライン以下の生活を送っている。5歳未満の乳幼児死亡率は11.5%もある。まだまだ保健医療サービスは地方で厳しい状況なのだ。「下痢性疾患」「急性呼吸器系疾患」が2大要因と言われる。その7割が予防可能だという。公的医療機関でさえ手洗いが徹底されず、新生児や妊産婦が感染症の危機にさらされているからだという。ここに、大阪のサラヤという企業がユニセフのサポーター企業として支援に乗り出している。

ユニセフが普及してきたのは手洗いを適当なタイミングで行う事。しかし石鹸を使うには「水」が必要だ。安全な水を十分得ることが出来ない地域が多いウガンダでは、全く現実的ではない。そこで、サラヤが支援したのが「アルコール手指消毒剤」である。新型インフルエンザが流行って以来、よく置いてあるポンプ式の消毒剤である。

途上国支援に有効なBOPビジネスをJICAが支援する制度、すなわち「協力準備調査」でモニタリングを開始した。様々なJICAの現地ネットワークを使って、病院の意識改革を進めている。現在は日本で製造されたサラヤの製品を輸入しているが、将来的にはウガンダの特産物の1つ、サトウキビの搾りかすを原料とすることで、産業振興・雇用創造に貢献したいとのこと。

いいよなあ、こういう話。特に最後の現地の産業振興・雇用創造に結び付くところがいい。

<サラヤの手洗いプロジェクト>
http://www.saraya.com/news/2010/images/saraya20100403.pdf

2012年6月10日日曜日

昨日 大阪天満宮駅でのこと

関西の鉄道いろいろブログさんより
昨日、柔道の試合を見に行ったあと、東西線で帰ってきた。このところ、JRはダイヤが乱れることが多い。快速が8分遅れとのこと。大阪城公園を横断したので、とにかく座りたい。先頭の車両に乗り込んだ。さて、発車という時になって、斜め前に座っていた30歳くらいの男性が、急に私の横に飛んできた。変な表現だが、そうしか表現しようがない。そして、仰向けに倒れたのだ。

周囲の乗客もびっくりしたようだ。私は、「車両停止ボタンを」と叫んだのだが、発車寸前だったので、1人のオジサンが運転席をドンドン叩いて運転手に緊急事態を知らせ、電車はストップした。さて、これは『てんかんの発作』だと私は思った。男性は、ぴくぴくとけいれんをおこしている。口からもすこし吐血している。

誰も近くに医療関係者はいないようであった。オジサンが動かそうとしたので、「動かさない方が良いです。」と私は言い、シャツの襟元のボタンをはずした。他のオジサンは「ベルトもゆるめたほうがええやろか。」と聞かれるので、「ええ」と答えた。「だいじょうぶか。」「ここどこかわかるか?」とオジサンたちが聞くので、「あまり話しかけない方がいいです。」と私。1分ほどして、男性は落ち着いたようだ。けいれんはとまった。運転手の連絡で、やがて駅員が来て男性は運びだされたのだった。

後でWEBで確認したが、私のとった指示はほぼ正解だったようだ。てんかんの発作症状もそんなに激しいものではなかった。昔は、舌をかまないように口にハンカチをつめるようになどと習った気がするが、すでに口から少量の血が出ておりすでに遅かったし、嘔吐もなさそうだった。嘔吐しそうなら、横にだけ動かすのが正しかったようだ。いずれにせよ冷静に対処することが重要である。

30年近く教師をしていると、様々な事故や疾病にも関わることになる。「てんかん」もその1つ。昔々、20代前半の時遠足先で激しい「てんかん発作」に遭遇した。隣の組の女生徒がジェットコースターに乗った後突然発作をおこし、他の生徒と共に取り押さえるのに難儀したことがある。凄い力だった。その後、生徒を病院に連れて行き、自宅まで送り届けた記憶がある。それが四条畷駅で、当時「えらい田舎やなあ。」と思ったものだ。今はその四条畷駅を毎日通過している。(笑)

2012年6月9日土曜日

柔道部 IH予選を見に行く1

今年から柔道部の顧問に名を連ねた。というわけで、インターハイ予選を見に行ってきた。本校の柔道部は男女の生徒がいる。今日は女子の団体の試合である。大阪城天守閣の入口にある修道館が試合会場である。入って右が柔道、左が剣道の道場である。

朝の10:00から開会式と聞いていた。1本電車に乗り遅れたのと、大阪城公園内の濠を越えたりする道順が複雑だったりして11:15くらいに着いた。なんとすでに2回戦が終わっていた。女子の団体は3人ずつで争うのだということをはじめて知った。大阪でも、出場校はそんなに多くないようで、やばいなあと思って本校の生徒を探した。いたいた。聞くと、今さっき2回戦に勝利し、次は準決勝だという。教えている1年生に記録を見せてもらうと、6回戦って、優勢勝ちが1つ、あとは全て一本勝ち。やるではないか。「もう3位以上は確定です。」と言ってくれた。なるほど。なんとかギリギリ間に合ったわけだ。柔道の試合はテンポが早い。

さて準決勝の試合が始まった。団体戦は体重が関係ない。相手はみんな重そうだ。本校の生徒は全員が、軽量級から中量級。これは、不利だよなあと思っていたが、みんな寝技に持ち込まれてしまう。寝技は圧倒的に体重がものをいう。結局3人が3人とも負けてしまった。

顧問のS先生は、「体重差があるからと負けとったら、柔道おもろないやないか。」と指導されていた。「泣くな。泣いても強よならん。」とも。明日は体重別の個人戦である。帰る際、S先生と話していて、「あれだけ悔しがっていたので、明日は期待しています。」とのこと。頑張れ柔道部。明日は私は用事があって行けないけど朗報を待つ。

2012年6月8日金曜日

「いろはす」の『みかん味』

最近、ミネラルウォーターを持参して授業をすることが多くなった。私の授業は50分間しゃべりっぱなしなので、喉が痛くなるのだ。教頭先生の許可も得て、生徒にもあらかじめ了承してもらっている。(生徒はちょっと心配してくれたりしている。ありがたい話だ。)このところ、ローソンで売っている「いろはす」の『みかん味』を買い求めることが多い。普通の透明なミネラルウォーターなのだが、微妙に”みかん味”が美味しい。(一度『りんご味』を買ったが、やっぱりみかん味の方が私は好きだ。)

今日も全4時間、全精力を費やして授業をした。3年の世界史B3時間と現代社会で自分のクラス1時間。世界史Bのほうは、3クラスとも進度が揃っていて、ピューリタン革命。クロムウェルの話だ。クロムウェルは、議会派の中で頭角を現して、結局議会派を勝利に導いた。1時間目がちょうど団活動で我がクラスと同じ5組だったこともあって、結局社会はサバイバルゲーム、責任感が強いものが勝ち残るという話、士気を高めるという話、それとクロムウェルが穏健派の長老連中を追いだして国王を処刑した話から、結局自分と意見の異なる味方を抱え込めなかった故に、人物としては一流とは言えないのではないかという話をした。まあ歴史から学ぶ人間学である。団活動に活かしてほしいリーダー論である。

クロムウェルは、その後アイルランドに侵略していく。その結果アイルランドは、人口が半減し、イギリスの植民地化していくのだが、そのピューリタン的なえげつなさから、あまり評判が良くない。
ちょっと横道にそれる話もした。第二次世界大戦でナチスドイツにイギリスが苦境に立たされていた頃、ケネディ大統領の父親が在英大使をしていたことがある。パパ・ケネディは、チャーチル首相の「アメリカも参戦して欲しい。イギリスを助けて欲しい。」との懇願を何度もけっている。これは、ケネディ家がアイルランド系であったからだという説が強い。そのルーツはクロムウェルに遡るわけだ。

現代社会(まあ事実上倫理だが…。)では、ユダヤ教の基本的な構図みたいな話や律法の内容を語っていた。救世主をヘブライ語でいうとメシアになるのだが、ギリシア語では?という設問を投げる。こういうクイズ形式は、うちのような元気なクラスでは一気に盛り上がる。最初みんなポカーンとしていたので、4つのマス目を黒板に書いた。「ヒント下さーい。」と言うので、3つ目のマスに「ス」と入れた。すると、クラス代表で野球部のT君が、「カリスマ!」と答えたのだった。大爆笑。「おいおい。」と2つ目のマスに「リ」と入れたら、「やっぱり、カリスマじゃないですかあ!」これまた大爆笑となった。もちろん正解は「キリスト」である。たまにこんな偶然の盛り上がりもあったりする。こういう時、ニコニコしながら、「ごめん」と言って、「いろはす『みかん味』」をゴクゴクと飲むのである。(笑)

2012年6月7日木曜日

タンザニアの天然ガス発電所

モーニングで日経を読んでいたら、住友商事がタンザニアで国内の天然ガスを利用して発電する複合型の火力発電所を受注したようだ。設計・機器調達・建設・運用メンテナンス・人材育成までを一括して提供すると言う。この複合発電所というのは、ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせたたものらしい。

首都のダルスから南西30kmほどの地に建設し同国最大の発電所となるようだ。重要なのは、日本企業が、こういう受注を通じて、現地の人材育成を行い様々なスキルをアフリカに提供することだと思う。中国のように、アフリカであからさまな国益優先のインフラ整備を行うのではなく、『損して得取れ』の姿勢で、タンザニアをささえて欲しいと私は願う。タンザニアも国内の天然ガス資源を、まずは国内の電化促進に使うというのは極めて懸命な政策だと思う。

円高で日本経済はヒイヒイ言っているが、EUやアメリカ、中国などの経済が厳しい中、何といっても日本に対する世界的な信頼が回りまわって円を押し上げている面もないとはいえない。ついつい悲観的になってしまうが、こういうアフリカの未来を拓く日本経済のニュースを聞くと、ちょっと嬉しくなってしまうのだ。
<住友商事のプレス・リリース>
http://www.sumitomocorp.co.jp/news/2012/20120607_110001.html

2012年6月6日水曜日

ユダヤ人のアイデンティティ

どうも体調が良くない。特に鼻の調子が悪いのである。今日は昼から団活動、第一回進路説明会(吉本の「いちごみるく」という漫才コンビが、面白可笑しく進路についてコントをしてくれた。生徒は大受けだった。)、SHR、清掃と一気に仕事を終えてから、1時間休をとって16時に学校を出た。耳鼻科はかなり混んでいて、読書が進んだ。(笑)息子が、イスラエルに来る前に読んでおくべき本として指定してきた本で、妻が先に読み終えた本だ。昨日書評を書いた被曝の本と立場がよく似ている。(笑)「乳と蜜の流れる地から」非日常の国イスラエルの日常生活(山森みか:新教出版社)である。

ユダヤ教は律法を守ることが中心の宗教である。正統派のようにきっちり守っている人々もいれば、いいかげんな人もいる,という事実はアメリカのユダヤ人を通じて知っていた。さて、この本に、こういう表現があった。『イスラエルというユダヤ人国家が建設されてからは、ユダヤ人が日常生活の諸規定を自らの拠り所としなくてもよくなったのは事実である。』…ディアスポラ(離散)で世界中にちらばったユダヤ人は、律法を守ることで自らのアイデンティティを保持してきた。それがイスラエルに住むユダヤ人にとって、ことさら重要ではなくなったということらしい。

『何を食べ、何を食べないかに対して個々のユダヤ人が下す態度決定は、ユダヤ人社会の中で自らが宗教や伝統、あるいは政治的側面でどのような立場を取るのかに関わる問題となった。エレサレムで豚肉を売る店を焼き打ちする超正統派ユダヤ人と、テルアビブの寿司バーでイカのにぎりやエビの天ぷらに舌鼓を打つヤッピー風ユダヤ人の立つ地平の隔たりは単純ではない。そしてその両極の間には、この程度なら自らのユダヤ人としての自意識と折り合いを付けられるという程度の規定順守を行っている大勢の人々がいる。』…こういう事実は面白いし、ちょうどユダヤ教を教えてるところなので絶好の教材研究になったわけだ。

ところで、こんな一節もあった。『イスラエル発着の航空機の中では必ずといってよいほど清浄食(ユダヤの律法にのっとった機内食)のトラブルがある。多くの場合オーダーした清浄食が足りないのだ。(エル・アル・イスラエル航空に限っては全てが清浄食なので問題はない。)』…げっ。予定では、香港から先はエル・アル・イスラエル航空で行く予定やねんけど…。きっとスカスカの、血を抜ききったステーキがメインやな。

2012年6月5日火曜日

「被曝治療83日間の記録」

世界環境デーである。偶然ではあるが、『朽ちていった命-被曝治療83日間の記録-』(NHK東海村臨界事故取材班著・新潮文庫)を読み終えた。妻がamazonで注文した文庫である。妻は大震災以来、反原発的な発言が目立つ。私は、いつもウーンと唸っている。なんとなく置いてあったので読んでみたのだった。

1999年9月東海村の住友金属鉱山の子会社のJCOで、きちっとした安全指導されないまま、核燃料開発機構の高速実験炉で使うウラン燃料の加工作業中に『臨界』事故が起こった。バシッという音とともに青い光(チェレンコフの光)が放たれ、中性子線が作業員大内さんら3人が「被曝」したのである。

この本は、被曝した大内さんの闘病記であり、東大病院の緊急医療のプロ前川教授を始めとしたスタッフの治療の記録である。

中性子線は人体の中にあるナトリウムをナトリウム24という放射性物質に変えるという。大内さんの被曝量は染色体検査などから20シーベルト(年間で浴びる限度の2万倍)であり、血液中の細菌やウィルスなどの外敵から身を守る白血球のうちリンパ球が激減していた。
被曝すると、細胞分裂の最も活発な部分から影響が出るらしい。免疫をつかさどる白血球、腸の粘膜、皮膚などである。前川教授は、何よりこの免疫力を取り戻すため、造血幹細胞移植(他の人から血を取り、患者の体内で白血球を改めて作り出す治療。妹さんの血を使う事になる。)を行う事を決断する。現時点での最高の治療を施すのである。

皮膚が腫れ、やがて皮膚細胞がはがれていく。包帯で身体を包むのだが、体液や血液が1日2リットルも流れ出してしまう。被曝60日後には1日10リットルも流れ出てしまうのである。背中はちゃんと皮膚があるのに、被曝した部分は細胞がどんどん失われていく。染色体自体が壊されていくのである。様々な出来る限りの薬も投与されていく。ずっとマラソンをし続けているような強心剤。看護師たちも大内さんの姿に「治療」の意味を根底から考えさせられるような状況になる。

大内さんの家族が凄い。最後の最後まで希望を捨てず、前川教授ら日本最高の医師団を信頼し、共に闘うのである。感動的な本であった。

これは、「事実」の記録である。原発の再稼働というのは、本当に難しい問題だ。安全と安心を混同して議論するのは私は間違っていると思う。だが、実際に被曝した大内さんの闘いを読むと、その恐ろしさは実感できる。大内さんの壮絶な死を無駄にしてはならないと深く深く考えた一冊だった。生徒にも是非読ませたい一冊である。

2012年6月4日月曜日

教育実習シーズンなのだ。

先日の団活動時の様子(魚眼風)
本校では先週から教育実習が始まっている。相変わらず体育科の実習生が多い。私は直接関係なかったのだが、今日から大阪市立大学の医学部看護学科の4回生のIさんという実習生をクラスに受け入れることになった。養護教諭をめざしているとのこと。知的で美しいお嬢さんだ。さっそく、朝のSHRで自己紹介をしてもらった。保健の授業もするそうである。終わりのSHRでは、教室の清掃にも協力いただいた。我がクラスは、とにかく元気なのでちょっと驚いた様子だった。(笑)

さて、前任校では、I君が教育実習を先週の金曜日から始めている。もちろん指導は弟分のU先生である。こっちの方はかなり心配である。ちゃんとやってるかあ?おそらく3年生の現代社会で、何人かの生徒にとっては受験科目でもある。U先生に迷惑をかけないよう頑張って欲しいものだ。最終日には、私も前任校に出向いて反省会に出席するつもりだ。頑張れー。

2012年6月3日日曜日

アフリカの失業率60%を読む

アフリカの失業率は60%にものぼっており、約4000万人の若者が失業し、2200万人が仕事を探すことをあきらめている、という報告が、「アフリカの経済見通し2012」(AEO:アフリカ開発銀行・OECD開発センター・国連アフリカ委員会・UNDPが共同で作成している。)やBusiness Liveが報告・報道しているという。

普通に読めば、アフリカの経済に悲観的にならざるを得ないわけだが、この失業率60%という数字に、たいして私は驚かない。先進国の尺度で見れば失業率60%ということである。

そもそも脆弱なガバナンスのサブ・サハラ=アフリカ(今回の統計には南アも地中海沿岸のホワイトアフリカも入っていると思うが…)では、GDP等の経済統計に入れることが可能な企業活動=政府が税金を徴収できる企業と言い換えてもよいが、先進国のように全てがきっちり把握されているわけではない。把握されていないインフォーマルセクター(日銭を稼ぐ小規模商業活動が多い。)は都市部を中心に盛んで、それらを掌握できていないだけのことである。

アフリカでは、農村と都市の往来も我々の想像以上に多い。農村に帰れば彼らはりっぱな農業従事者であり、失業者とはいえない。都市での雇用、特に、GDPを押し上げる工業の雇用が少ない故に、このような結果になっただけのことである。先日も、ソマリランドにコカコーラが進出するとか、ナミビアで新飲料が開発されたというニュースもあったが、これらは装置工業であり雇用数が少ない。飲料水産業は、重量が重く消費地近郊に立地するので、アフリカ各国でも工場経営が成り立つ。だが、雇用が少ないという大きな問題を抱えている。そう簡単にどこでも雇用創出できるわけではないのである。で、若者はインフォーマルセクターに吸収されるしかないのである。

OECD開発センターのディレクターが「アフリカ諸国が効果的に労働力を拡大し、あらゆる規模の企業に焦点を当て、若者の雇用に取り組むための協調戦略を練る必要がある。」と言っているらしい。うーん。開発経済学をかじっただけの私でも、教科書的な綺麗ごとに聞こえる。報告書には「起業家精神の可能性を述べ、インフォーマルセクターに焦点をあてることが重要だ。」と報告しているらしい。あたりまえの事実をあたりまえに言われてもなあ。OECD開発センターなんて組織いらないんじゃないか。職員の給料はそんなに高くはないが、少なくとも先進国の税金の無駄遣いだ。そんな金があれば、NGOやアフリカでビジネスを企画している起業家に投資したほうがいい、と私は思ってしまうのだ。

http://www.africa-news.jp/news_ACUvK1i6A.html?recommend

2012年6月2日土曜日

イスラエル北部の魅力

世界遺産 アッコーの町
(5月28日付ブログのつづきである。)イスラエルという国は、だいたい四国くらいの広さである。地球の歩き方を読んでいると、なかなか面白そうなトコロがたくさんある。エレサレムは当然そういうところが満載であるが、その他の町にもある。妻は、死海は当然、「ガリラヤ湖の方にも行きたい。ベツレヘムにも行きたい。」と言っている。移動はほとんどバスになりそうだ。そんなに距離はないので、今思案中である。こういう思案が楽しい。

夜遅く入国するベングリオン空港は、テルアビブに近い。エレサレムに着くのは深夜になるので、ホームステイ先のおばあちゃんに最初から申し訳ない。で、テルアビブ近くに宿を取ることになると思う。息子もそう考えているようだ。テルアビブでは、私はなにより「地中海」を見たい。妻は、バウハウス(ドイツのデザイン運動である。高校時代、バウハウス式のデザイン教育も我々夫婦は受けた。)の建築があると聞いて、是非見たいと言っている。それは私も賛成。全く変な夫婦である。私は、テレアビブにある面白そうな博物館に足を運びたい。「ディアスポラ博物館」テルアビブ大学のキャンパス内にあるらしい。各地域、各時代ごとのシナゴーグの精巧な模型があるらしい。各地のユダヤ音楽の違いもわかるらしい。絶対行きたい。うーん、マニアックな博物館である。(笑)

ガリラヤ湖の方にも行きたいのだが、イスラエル北部にある。ここは、テルアビブから向かう方が近い。ナザレには受胎告知教会があるし、ガリラヤ湖畔には山上の垂訓教会、パンの奇跡教会、最も歴史の古いキブツ、マグダラのマリアの生まれた村もあったりする。うーん、いいなあ。妻のリクエストしっかりと聞きたい。
北部の海岸沿い、すぐ北がレバノンという所に、アッコーという、紀元前からフェニキアの港町として栄えた古い町がある。十字軍の遺跡も多く世界遺産だ。スークもあって、アラブの香りもするらしい。うーん、NHKの世界街歩きの世界。息子はアラビア語も堪能なので是非とも行ってみたい。ちなみに、妻はマグダラのマリアの事も、十字軍の騎士団の話も私より詳しい。

死海もベツレヘムもエレサレムから近いので、遠出となると、北部かなと思う。南部にはネゲブ砂漠や、アラビアのロレンスで有名なアカバ(ヨルダンになるが…)もある。「紅海」(アカバ湾だが)を見るのもいいが、全体のバランス(なんといっても、エレサレムの見どころが多すぎる。)から厳しいかもしれない。うーん。幸せで贅沢な悩みである。

ハルマゲ丼

授業プリントから「創世記3・ノアの箱舟」
現代社会の授業では、一神教をやりはじめている。旧約聖書・創世記の解説からである。生徒には、異文化理解の重要性を語りつつ、度々脱線しながら進めている。このところ、こう言う質問が多い。「…英語でもらおうか。」と、アブラハムの名前を書いた後で聞いたりする。スペルも書く。「?」という生徒の顔を見ながら、頭文字のAを丸で囲んだりしてヒントを出す。「エイブラハム!」という声が上がる。「正解。」「では、エイブラハム…とくれば有名人は?」「背が高い。」(これではわからんわな。)「髭が濃い。」(これでもわからんわな。)「アメリカ人」「暗殺された」「南北戦争」このあたりで、リンカーンが出てくる。(笑)イサクも同様である。英語で「Then,an apple fell.」そう、ニュートン。アイザック・ニュートン。生徒には、私のクイズ大会、なかなか好評である。中間考査を終えて、私がこういう風に教えたのが試験に出るとわかったらしい。プリントにコリコリとメモっている。(笑)

さて、授業での話としては前後するのだが、ノアの箱舟を教えて『終末』を語る。「…英語でもらおうか。」生徒は全く想像がつかない。「この前、テレビで映画やってぞう。」と言いながら、5つの箱を書いて、最後に「ン」を書く。すると、TVを見ていた生徒がいて、「あ、アルマゲドン!」とだいたい答えてくれる。そう。ヘブライ語では「ハルマゲドンという。」そうだ、この前オウム真理教の特集をNHKでやっていた。というわけで、「ところでオウム真理教って知ってるか?」と聞くと、地下鉄サリン事件時、生まれてないはずなのだが、「サリンをまいたんですよね。」と知っている。「麻原ショーコーでしょ。」と案外詳しい。「じゃあ、そのオウムが食堂を経営していて、こんなメニューがあったそうだ。」と言って、黒板に『ハルマゲ丼』と書いた。半数くらいが大爆笑した。残りの生徒はピンとこなかったらしい。まあ、ええか。(笑)

WEBで調べたら、食堂は「うまかろう安かろう亭」という名のラーメン屋だった。ハルマゲ丼は春巻き丼だったらしい。まあ、ブラックユーモアの極みのようなネーミングだと、今でも思う。

2012年6月1日金曜日

アフリカ初のコレラ予防接種

ギニアで、アフリカ初のコレラの予防接種が行われたというニュースが流れた。国境なき医師団の話である。このコレラの予防接種は間隔をあけて2度接種しなければならないので大変だが、コレラがすでに流行している地域でも、なかなか有効らしい。また、このコレラのワクチンは、基礎的な研修を受ければ、接種することが現地スタッフでも十分可能らしい。こういう持続可能な取り組みは大切だと私は思う。
http://www.asahi.com/business/pressrelease/PRT201206010108.html
と、いうわけで、今日は私もサポーターである国境なき医師団について書こうと思う。フィールド・レポートがちょうど届いたのでいくつか紹介したい。まずは国境なき医師団のフランス事務局長の女性医師が「ル・モンド」紙に寄せた論説記事の要約が載っていた。サヘル地帯の栄養危機の話である。(要約をさらに私なりにまとめてみた。)

国境なき医師団の基本スタンスは、緊急援助活動である。長期的に取り組む医療活動ではない。サヘル地域では度々緊急援助を行ってきた。チャド、セネガル、モーリタニアなどの国々である。だが、2011年のニジェールでは、生後6カ月から2歳未満の子供のなんと3人に1人が重度の栄養失調を発症しており、これはもはや公衆衛生の問題であるといってよい。より長期的に、継続可能な対策を講じなければならない。今後、国境なき医師団としては、緊急援助に加えて、医療従事者でなくとも実行可能な治療・予防モデルの開発と推進を行うべきである。この(緊急援助主体の国境なき医師団としては)前例のないアプローチが、サヘル地域のターニングポイントになればと考える。

国境なき医師団も大きく変化しつつあるわけだ。もうひとつ。日本支部の財務報告の中から。53.1億円の収入があり、援助活動に49.4億円が支出したらしい。20カ国に資金援助をしている。第1位はコンゴ民主共和国。第2位はハイチ。第3位はジンバブエと、まさに脆弱な国家が続く。第4位はケニア。そしてなんと第5位は日本である。これは大震災への緊急援助活動らしい。さらに、コロンビア、中央アフリカ、エチオピア、マラウイと続いていく。割合ではやはりアフリカが62%とダントツであった。