2012年6月30日土曜日

「日本の路地を旅する」を読む。

このところ読書量が減っている。最大の原因は、国際理解教育学会研究発表大会のための資金を少しづつ貯めていることである。参加費、交通費、向こうでの小遣い…。よって、自分で言うのもなんだが、本屋を覗くことを避けているフシがある。そんな中で購入した文庫本が、「日本の路地を旅する」(上原善広/文春文庫・本年6月10日付発行)である。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作だそうだ。ここで描かれる「路地」とは「被差別部落」のことである。中上健次がそう呼び、著者もこれを継承しているのである。

私の年代は、同和教育をガンガン受けた初期にあたる。小学校から「にんげん」という読本を使い被差別部落の人々の人権について指導を受けた。(この辺のことも、この本に出てくる。なつかしい。)教師になって30年以上になるが、義務教育(小中学校)ではない関係で地域とのつながりが薄い故か、私は同和問題と深く関わった経験はない。しかし正直言って、義務教育の方では様々なことがあったと知人などから聞いている。今でもこの問題にコメントするのは、かなり気を使う。対策法がその歴史的な意義を終え、最近はあまり聞かなくなった。同和教育は、人権教育という呼び名に変わった。
社会科の教師としては、日本の歴史を学べば、過去の身分差別がいかに恣意的なもので、支配のための装置であるかを教えることが出来る。地球市民を育みたいという立場からは、「屠畜」や「皮なめし」あるいは「芸能」などの職業の貴賎を論じることが、グローバルな視点から見ればいかにナンセンスかを論じることが出来る。日本独自の「ハレとケ」、あるいは仏教の「不殺生戒」が作りだした差別意識だと断じることも可能だ。

この本には、実際に全国の「路地」を歩いた著者による日本史の教科書にはない生身の「路地」の姿が描かれている。それも勉強になったのだが、幕末維新史に属性をもつ私としては、長州藩の話が面白かった。吉田稔麿という伊藤博文と同じく足軽出身の若者がいる。京都池田屋事件で新撰組に殺害されてしまうのだが、師松陰も人物を絶賛し、品川弥二郎も「稔麿が生きていれば総理大臣になっただろう。」という人物である。彼は奇兵隊に「路地」の人々を入れ、その功により身分を上げるべきだと藩に上申しているのだ。これの策は藩の認めるところとなり、「屠勇隊」を始め様々な隊名がつけられ、第二次長州征伐時に幕府と勇猛果敢に戦うのである。ところで、「解放令」が出たのが、明治4年。早い。「稔麿が生きていれば…」という長州の新政府組が推進したことは疑う余地がない。そして同時に、欧米の市民革命同様、長州の「路地」の若者は自らの血と汗で、「解放令」を勝ち取ったわけだ。いかにも長州らしい進歩的な話だと思う。

もちろん、これら松下村塾の弟子たちに影響を与えた松陰も、「路地」に対してかなり自由な発想をもっていたらしい。特に野山獄で知り合った女囚高須久子との出会いも大きかったという。著者は、松陰の「草莽」という言葉には、「大衆」だけではなく「路地の人々」も含まれていたとと考えて良いだろうと述べている。私も全く同感である。

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