2013年10月31日木曜日

教え子の採用試験突破を祝す

本校の第一・第二体育館
本校に勤務する常勤講師の教え子が府の採用試験を突破したという報告を、今日受けた。非常に優秀な教え子なので、大丈夫だと思っていたが、実に嬉しい。

院で英語教育を研究していたので、府立高校のセルハイ(スーパーイングリッシュハイスクール)のどこかに赴任が決まればいいなあと思っている。面接を前に、自分の研究成果をアピールするよう、私もアドバイスしたのだ。中堅校である本校では英語が苦手な生徒も多い。弱音は聞いたことがないが、苦労していることだろう。だが、そういう経験も重要だ。校内の分掌でもよく仕事をこなしていて、かわいがってもらえている。

周囲を見ると、教師には持って生まれた星のようなものがある。進学校に最初から赴任して、転勤してもまた進学校というふうに受験指導のプロ化していく先生もいれば、困難校を渡り歩く先生もいる。中堅校や商業高校ばかりの人もいる。私などは、商業、工業、進学校、中堅校とバラバラだ。(笑)私には、それなりの意味があると思っている。教え子が、どういう道を歩むかはわからないが、せっかくの英語の専門性が活かせるような道を歩んで欲しいなと思うのだ。

2013年10月30日水曜日

早川千晶さんのアフリカトーク

何度かエントリーしているケニア・ナイロビ在住の早川千晶さんが、11月4日に講演会をおこなうという記事が昨日の毎日新聞の朝刊(大阪版)に載っていた。ハービスプラザ3Fの「旅のセミナールーム」で午後2時から4時まで。道祖神の主催かと思いきや、大阪ユニセフ協会主催だそうだ。参加費500円で定員(50人)があるので、大阪ユニセフ協会に連絡を入れる必要がある。(以下のHP参照)

早川さんのキベラスラムでの教育活動には大いに興味があるし、久しぶりにお顔を拝見しに是非行きたいところだが、どうも体調が思わしくない。今日も分刻みで仕事をしていた。明日は修学旅行付き添い教員の打ち合わせがある。そのための資料づくりと、ハランベープロジェクトの発送準備に追われていた。資料の方は、総42Pの資料となった。これを明日の放課後までに25部ほど用意しなければならない。さすがに学年団の先生方にも協力願うことにした。

今はとにかく修学旅行に向けて体調を整えておくことに最大限努力したいと思っている。疲れたまま指揮をとると判断に狂いが生じることは、これまでの経験で痛いほどわかっているからだ。

と、いうわけで、早川さんとの再会は断念した次第。もし読者で行かれる方があれば是非。

<大阪ユニセフ協会HP 早川千晶さんのアフリカトーク>
http://www.unicef-osaka.jp/act/index.html

2013年10月29日火曜日

アフリカへ古着を送ろう 12

先週、ユニクロの事務局から追加の専用段ボールが到着した。生徒たちが相談して、今日古着の選別とパッキングが行われた。生徒たちが、毎日毎日きれいにたたんでいたし、およそ選別もしていたので、作業は順調に進んだようだ。何人か男子生徒も手伝ってくれて、保管していた倉庫から、我がクラスに運んでくれたし、何着集まったのか確認もしてくれた。

総計753着であった。PTAも大いに協力していただき、難民キャンプの子供たちにとっても、なんかおめでたい数になった。(笑)

喜んで作業に励んでくれたハランベープロジェクトの生徒たちを誇りに思う次第。明日、さっそく段ボールに送付用のシールを貼り、運送業者連絡しようと思う。

2013年10月27日日曜日

「岩倉使節団」を読む。(その後)

木戸のブロマイド
泉三郎氏の「岩倉使節団」は文庫本ながら760Pにも及ぶ。ロシア行を読み終えた後、長らく放置していた。今日のエントリーは、その後について少し書いておきたい。岩倉使節団は、ロシア訪問の後、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア、スイスと巡っている。で、マルセイユから往路では完成していなかったスエズ運河を通過し、帰国の途についている。

最初は欧米の技術力に圧倒された使節団だが、途中から欧米に対して批判的な視点で見ているのだが、それが頂点に達する。インド洋からさらにアジアの植民地ベルト(インド、スマトラ、香港、上海)と帰港していくにしたがい、帝国主義の弱肉強食を目の当たりにしていくのだ。この辺、実は岩倉使節団、さらに明治政府にとって、大きな意味があるようだ。

さて、岩倉使節団の留守中には、征韓論などが沸騰していて、政権も江藤新平や大隈重信といった肥前が幅をきかしていた。早めに帰国した大久保は、有馬温泉につかったして岩倉の帰国を待つ。この辺はやはり全身が政治家と言われた男だ。凄い。木戸は病床にあったが、「国家の非常時の時、三条に代えて岩倉を立て、大久保の奮起を促して協力させるべし。」と伊藤に知恵を授ける。伊藤は、大久保と岩倉の間を駆け回り、岩倉は、やがて自宅に押し掛けた西郷、江藤、板垣らを相手に征韓論を打ち砕く。「まろの目玉の黒いうちは、お主らの勝手にはさせませぬぞ!」という咆哮は、西郷をも男の勝負の爽やかな想いにさせたようで「右大臣、よくぞ頑張りもうしたな。」と言ったという。外遊組の結束力が格段に違ったわけだ。

その後の岩倉は「開化風」に吹かれなかった。木戸、大久保、伊藤らの推進する斬新的開化・立憲君主制には懐疑的で、あくまで王政復古の守護神、天皇権力擁護の立場を変えなかった。明治14年の政変では、プロシア憲法を下敷きにした欽定憲法案をよしとし、大隈の急進的な案をつぶすのである。明治15年、伊藤が憲法調査に出発する時、西園寺公望を同行させた。岩倉がこの時点で国家経営のバトンを伊藤に、公家華族の統領を西園寺へと考えていた証だとする説ある。明治16年、死去。臨終を看取った医師は、あえぎながらもしっかりと遺言を語る岩倉を評して「公の全身はただこれ鉄の意思だった」ともらしている。

その後の木戸は、明治6年の政変(征韓論をぶっとばし薩長が再び政権につく。)で大久保政権が誕生したものの体調がすぐれず思うような活動はできなかった。しかし、大久保の専制を抑えれるのは木戸だけで、大阪会議以降、共和的な「漸次国家立憲の政体」樹立を進める。明治10年西南戦争勃発の最中死去。維新前は「開明派」の総帥、欧米視察後は「保守派」となり漸進主義になった木戸は「文明は一朝一夕にはならず」と主張していた。木戸は市井の人々に人気があり。死後ブロマイドが書店で売られたという。

その後の大久保は、西南戦争を圧伏させ、強力なリーダーシップで近代化を推進した。しかし明治11年凶刃に倒れる。透徹したリアリストであり、驚異の粘り強さで政策を実現させた稀有な政治家であり、上からの殖産興業で富国強兵を目指すと言う日本の進路はまさしく大久保の引いた路線である。

その後の伊藤は、岩倉を後ろ盾に大隈と二人三脚で大久保の路線を引き継いだ。明治14年の政変で大隈を退けた後はトップリーダーとなる。明治22年、訪欧して明治憲法制定にこぎつける。岩倉使節団帰国後に、木戸が「日本だけの」大久保が「日本独自の」とそれぞれの意見書に書いた共和制でも君主制でもない憲法であった。伊藤は、仏教や神道は(欧米のキリスト教のような)宗教としての力をもたない。だから「我が国においては機軸とすべきは独り皇室あるのみ。」と述べている。憲法を補う形で「教育勅語」が制定され、「和魂の砦」としたのだった。幕末以来のスローガンだった「和魂洋才」は、これによって始めて社会に具体的な形として根を下ろしたのだった。

このように、岩倉使節団の影響は甚だ大きいわけだ。さっそく日本史研究の授業に活かすことにしたい。

2013年10月26日土曜日

アフリカ向けウィキペディア

ケニアで、一般の携帯電話のショートメッセージ機能を使ったウィキペディアを利用できるサービスが試験的に始まったらしい。パソコンやスマホがなくても、利用できるところがミソである。やがて、このサービスは、ケニアからアフリカ全土に広がり、7000万人に利用されるだろうということだ。

なるほど。なかなかいいサービスだと私は思う。ところで、この7000万人という数字が興味をそそる。現在10億人と言われるアフリカの人々の7%である。人口ピラミッドで見れば、アフリカは子供の数が多いので、5億人はまだ子供だと仮定すると、生産労働力人口の14%。年配者を省いたら少し増えるだろうから20%くらいである。パソコンやスマホを持っている人々には無用なので、実際のところ生産労働人口の4人に1人くらいが利用できることになるというわけだ。かなりアバウトな推論だが、私には免罪符がある。

最近、サブ=サハラ・アフリカ諸国の統計が、かなりいい加減だということが指摘されている。ガーナのGDPが一気に上昇し、中進国レベルになったりしているからだ。まあ、アフリカの正確な統計はかなり難しいということで、おゆるしいただくとして…。

この生産労働人口の4分の1という数値は、スマホなどの高級機種ではなく、プリペはイドの携帯電話使う人々のうち、英語やフランス語、ポルトガル語などの公用語が読める人口と解していいと私は思う。最近はアフリカ3(貧困層)も携帯を利用しているが、公用語が読めるとなれば、このような数値になるのだろう。

ケニアで言えば、スワヒリ語でウィキペディアが表示されるとは思わない。(莫大な翻訳が必要だし利用人口を考えると気の遠くなるような作業となる。)スワヒリ語化しても、どうしても専門用語は英語になる。要するに、この7000万人は、公用語が読めるアフリカ1(高所得者)になる予備軍だといえるわけだ。今、彼らこそがアフリカの消費拡大を担っている。

このサービスが、その価値を失う時、アフリカはさらに開発が進んでいるのだろうと思うのだ。
<アフリカ向けウィキペヂィアのニュース>
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131026/k10015575171000.html

2013年10月25日金曜日

全力少年

放課後に、修学旅行委員のレクリェ-ション係が集まった。18日付ブログで紹介したが、みんなで歌う歌を決めた。なんとかメロンの「粉雪」?など私の知らない曲ばかりが黒板に書かれていく。(笑)で、結局ピタゴラスイッチじゃない、スキマスイッチの「全力少年」という曲に決まった。

どんな曲なのかYouTubeで聞いてみた。
http://www.youtube.com/watch?v=VYVcHpOTXw0

担当のI先生が、歌詞を検索して、「なんか過去の良さを歌っていて、ふさわしいかどうか微妙ですねえ。」と感想を述べていた。うーん、なるほど。でも、生徒がこれでいいと言うのだから、私はいいと思っている。

そう言えば、最近はやっている曲とかは私は全く知らない。昔(20代かなあ。)は、生徒を理解するために、TVの歌番組も見たていたし、少年ジャンプも読んでいたのだが、最近はそういう努力を怠っている。せっかくだから、この曲カラオケで歌えるようにしようかな。

2013年10月24日木曜日

「捨てる」日本料理

詩人 草野心平
今週はひたすら空き時間は修学旅行の書類(しおり)づくりに追われている。根をつめての作業なので、疲れる。今日など1・2時間目集中に集中して、生徒用の行程表を完成させた。その後昼休みをはさんで4時間授業が続いた。さらに放課後も…。老体に鞭打ってというより、自分で寿命をちぢめているのではないかと思ってしまう。だが、私にとっては、何が何でも見やすくて美的な「しおり」にこだわるのだ。B型というか、デザイン科卒の芸術肌というか…。

と、突然話題を変えたい。日本料理が無形文化遺産と認定されるらしい。今朝の日経の「春秋」に詩人草野心平が、「日本料理は捨てる料理である。」と書いているという話が載っていた。なるほど、日本料理の素材を活かす道は、捨てるという過程が不可欠である。

今週は超多忙だったのだが、先日放課後に我がクラスの男子生徒とじっくり対話した。その生徒が急に髪型を変えてきたのである。聞くと中間考査が終わり、以前からあこがれていた髪型にしたのだという。本校は、生活指導がきびしい。当然朝、正門をくぐったら指摘されたという。私が朝のSHRで驚いたぐらいだから当然である。私は、どちらかというと生徒の方に降りて行く方なので、まずはじっくりとその思いを聞いた。で、私はこう言ったのだ。

「人生とは、ある意味で捨てることの連続ではないか。」誰しも希望や夢はある。それを追い求めることは当然だ。だが、すべてがかなうわけではない。ひとつひとつ価値の低い希望や夢を捨てていく。そして捨てられないものだけが残る。これがその人間のアイデンティティだと私は考えている。髪型というものが、彼にとってどれくらい重要なものなのか、私には推し量れない。だが、「今の自分をじっと見つめてみて、どうしても捨てられないのなら、それは仕方がない。だが、もっと重要なことがあるというのなら、捨てられるのなら捨ててしまうべきだ。」と私は言ったのだ。

翌日、彼は髪を切ったわけではないものの、ぐっとおとなしい髪型にしてきた。そこまでは捨てれたのだろう。日本では集団の中で、こういう経験が人間を作って行く。

日本料理も、そういう集団の中での長い伝統がつくったような気がするのだ。「捨てる」ということ。それはある意味、その素材を極めるために必要な、日本の「無形のカタチ」かもしれない。そして捨てられず残るものは、美しい。日本の「有形のカタチ」だと思う。

2013年10月23日水曜日

JICAの湾岸諸国・国際協力考

水曜日に行く喫茶店にて 思索する貴重な時間
先日(21日)、日経の記事で首相が訪れた湾岸諸国5カ国に、高度な技術協力を行うという記事が出ていた。所得が高い湾岸諸国(サウジやUAE、カタールなど)に国際協力を行うことは、ODAが実施される所得制限の壁があって、JICAも湾岸諸国には協力できなかったという。

今回、コストは湾岸諸国が負担するということで、日本に研修員が派遣されるらしい。当然、こういうスキルは、JICAが最ももっているわけで、JICAが窓口というかその国際協力全般に関わることになるのだろう。

日本の国益(湾岸諸国との関係強化=エネルギー政策)に繋がることだし、日本の技術が生かされることなので良いことなのであろうが、私自身はどうもしっくりこないのだ。

JICAの組織は外務省所管の独立行政法人というスタンスである。これまで、途上国のODAに深くかかわってきた。国益のためだけでなく、どちらかというと途上国の現場側に立ってきたと私は信じている。それが、だんだん国益のための組織になっていくような感じがするのだ。税金を使っているのだから当然という意見も正当なものだ。しかし、と私は思う。

今、世界中でナショナリズムが高揚している。その波にJICAが呑まれてしまったような気がするのだ。青臭い書生論のようだが、国際理解教育・地球市民育成という観点でJICAと10年以上関わってきた私の実感である。この思いは、少し時間を置いて思索したが変わらなかった。で、今日エントリーした次第。

ところで、今日の画像は、水曜日だけ行く喫茶店の内から、雨に煙る外を写したもの。アンパンマンたちもプーさんも「また台風が近づいてますねえ。」と言っているようだ。いろんな事を思索してから、「ヨッシャー。」と心の中で言って、いつも学校に向かう。

2013年10月21日月曜日

日経 エンハンサー塩基配列

日経の看板コラム、「私の履歴書」をこのところ執筆しているのは、利根川進先生である。なかなか専門用語が多くて、完全文系の私などにはかなり難解な内容である。若いころから話は進んで、今日の時点ではMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授になられている。MITは、私の憧れの大学で、ボストンのMITの博物館にも行ったことがある。利根川先生って凄いなあと素直に思う。

さて、今日の話の中で、突然「エンハンサー」というコトバが出来てきた。遺伝子の中にある塩基配列で、それが遺伝子の発現を強く促進するのだという。これを利根川先生が発見したらしいのだ。
私は、思わず、目を見開いてしまった。と、いうのも、我が家では長らく、ニュースキンというアメリカの会社の製品を愛用しているのだが、その中に『エンハンサー』という保湿ジェルがある。

不思議な効果がある保湿ジェルで、たいへん重宝している。ネーミング上、この塩基配列と関係があるのではないかと思った次第。

2013年10月20日日曜日

ケニア・マチャコスの研究書

昨日の公開講座で、京大研究者の博士論文書籍(京都大学アフリカ研究シリーズ)を1冊購入した。坂井紀公子氏の「マーケットに生きる女性たち-ケニアのマチャコスにおける都市化と野菜商人の営業実践に関する研究」である。

何よりもまず、「マチャコス」の文字が私の目に飛び込んできたのだ。ピーター会(JICAの教員視察旅行で私と共にケニアに行かれた先生方の会)のメンバーなら、思わずおおっと懐かしむはずである。そう、私たちは、マチャコス市に立ち寄った経験があるのだ。ナイロビの近郊都市である。

私たちは、ここでストレート・チルドレンの子供たちを見た。ガイド役のピーター・オルワ氏が、「彼らはストリート・チルドレンやね。」と教えてくれたのだった。マチャコス市は観光都市ではないので、我々日本人は珍しいらしい。子供たちが寄ってきたので、ピーター氏が、私たちに迷惑をかけないように、つかず離れずうまくあしらっていたのを思い出す。

300ページを超えるこの本の内容に関しては、まだまだコメントすることはできない。序論だけ読んだに過ぎないが、面白そうだ。アフリカ研究書の中でも、私はこういう都市とからんだ開発経済学的な研究に大きな興味をもっている。しかもあのマチャコスの市場の研究である。実に楽しみだ。

2013年10月19日土曜日

アフリカ学会 公開講座10月

紅葉などまだまだ 京大稲森財団記念館
久しぶりの京大である。アフリカ学会の第4回公開講座は、関西外国語大学の近藤英俊准教授の「呪術-現代アフリカの見えない力」であった。

呪術というと、近代と対立的な概念と見られている。アフリカでもやがて呪術は無くなるのか?この問いかけから本格的な講義が始まった。実は、反対に増加しているらしい。少し過激な例を3件紹介された。キンシャサでは、ストリート・チルドレンの大多数が農村から追い出されたウィッチ(超能力的な存在)だと言われている。(ベルギーの文化人類学者の説)またガーナ東北部トーゴとの国境近くの村に、おばあさんのウィッチの村があり、行き場をなくした彼女たちの様子をBBCが報道している。また、南アでは、ウィッチがらみの殺人事件が急増しているとのこと。

近代化(開発)が進むアフリカで、なぜこのような呪術現象が増加しているのか?それは、社会的な変化によるものだと欧米の多くの研究者が指摘している。近代化は即ち生産関係の変化を生む。そこに必然的な経済格差が生まれる。カメルーンの呪術を研究しているオランダの文化人類学者によると、都会で成功した人物は、実家のある村でパーティーを開き大盤振る舞いをする。貧しい親族からの嫉妬を恐れ、自らの富を分配するのだ。当然、呪術的な報復を恐れてのことである。呪術は、ある意味でそういう道徳性をもつわけだ。ところが、経済格差はますますグローバル化の中で拡大している。カメルーンでは、クペ山の中腹に謎の農園があり、金持ちの呪術により、魂が集団労働(つまりゾンビである。)させられているという噂が流れているそうだ。
この噂は同時多発的にアフリカで話されている。アメリカの研究者によると、前述の南アの呪術的殺人事件は、(ゾンビ労働の噂を受けて)魂を序々に盗む悪いウォッチ(老婆が多いらしい)によって自分が失業していると主張する若者による事件が多発しているというのだ。

すなわち、様々な不平等をアフリカの人々は、彼らにとって常識的な呪術で説明するのである。もちろん社会問題としての経済格差の原因は、当然経済学や社会学の視点から十分説明可能である。しかし彼らが無知だから、そう考えるのではない。彼らもそういう知識は持っている。

たとえば、日本でも事故が起こった時、重傷の人と軽傷の人に分かれたりする。何故、彼が重傷にならねばならなかったのか?その因果関係の理不尽、不確実性、不可解な部分を彼らは問題にするのである。これを言葉に直すと「もしかしたら呪術かもしれない。」となるのである。欧米人なら偶然として片づける事項だが、彼らはそれを呪術で説明しようとするのだ。

およそ近藤先生の講義の主旨をまとめると以上である。なかなか興味深い講義だった。しかし私が今日、最も感銘を受けたのは、いつもの質問に答えるコーナーでの話だった。

「ウィッチと見なされた人は、どう思うのか?」という質問に、近藤先生は、こう答えられたのだ。「(先生が主に調査された)ナイジェリアではごく普通につきあいも続きます。告発される場合もありますが、村八分や袋叩きに遭うこともありません。ただ、ウィッチの力を冷やすことがあります。中和するという意味です。腹の中にウィッチがあるので、死や再生のモチーフを使う儀式を行い、生き直すのです。この生き直す(やり直す)というスタイルは、(肉体が生まれ変わっても)希望がつないでいるということです。希望の次元とでもいいましょうか。」

私は、「生き直す」「希望がつなぐ」「希望の次元」というコトバに、アフリカの人々に学ぶ重要な人生スタイルがあるような気がする。原因や結果を論理的に明証する欧米的なスタイルではなく、必要なら「生き直すこと」が可能なアフリカの生き方に魅力を感じる。現に最もHDIの高い北欧では自殺率が高い。HDIの低いアフリカでは、疾病や内戦による死は多くとも、自殺は極めて少ない。アフリカの人々は、どんなに苦しい生活を強いられていようと、「希望の次元」を失わないのだ。

呪術というと、極めて野蛮な遅れたイメージが付きまとうが、呪術があるからこそ、アフリカの重要な人生スタイルが形成されてきたように私は思うのだ。近藤先生、貴重なお話、ありがとうございました。また重田先生はじめ京大の関係者の皆様、ありがとうございました。

2013年10月18日金曜日

第3回修学旅行委員会

小樽/クラス写真撮影予定場所
中間テストが今日終了した。2年生にとってはいよいよ修学旅行本番である。と、いうわけで、放課後、第3回修学旅行委員会を開催した。議題は、まず二日目の昼食のメニューをどうするか?である。実はもともとジンギスカンの予定だったのだが、酪農体験のアクティビティの生徒にはジンギスカンが昼食としてふるまわれる。で、他のメニューに変更することにしたのだった。幕の内弁当やカツカレー、屯田ナベなどというのもあったのだが、結局全会一致で「牛肉と海鮮陶板焼き」に決定した。最もボリュームのあるメニューである。さすが体育系。(笑)もうひとつの議題は、バイキングの際を除いて、食事の際に「いただきます」「ごちそうさま」を言うとともに様々な諸注意・連絡事項を伝える係を決めることだ。昨年のHR合宿以来、生徒が食事を進行するのが本校の伝統だ。議長役の生徒が、結局じゃんけんでクラスを決めてくれた。早い。文句をぐちゃぐちゃ言う者などいない。修学旅行委員は男女2名ずつなのだが、各クラスで相談したところ、男子がやることになった。うちの男子は女子に優しい。(笑)

さらに表紙のデザインの話になった。先の文化祭の時、2年生は模擬店をやったのだが、各店のチケットのイラストはなかなかのものだったので、表紙も8クラスの合作にすることにした。各クラスで、今回の訪問地のイラストを描いてもらい構成することにしたのだ。札幌・旭山動物園・白老アイヌコタン・登別温泉・ニセコ羊蹄山・農業体験・漁業体験、そして小樽の8か所である。修学旅行委員が抽選して各クラスの分担が決定した。

本校の修学旅行では、3日目の夜、レクリェーションを行うのが伝統。いろんな出し物(漫才やダンスなど)、ゲームで大いに楽しむ予定になっている。委員長が、様々な提案をした。だいぶ考えてきたのだろう。いいぞ。これらをクラスに持ち帰って意見を集約していくということになった。こういう生徒主体の修学旅行っていいなと私は思う。

その中で提案された1つに、みんなで最後に歌を歌おうというのがあった。本校では文化祭でもフィナーレの最後に『星になれたら』という曲が毎年歌われる。修学旅行でも、なにか歌おうというのだ。どんな曲になるのだろう。楽しみである。私なら、行き先が北海道だし、松山千春か「熱き心に」を推すが…。生徒は知らないだろうなあ。

2013年10月17日木曜日

毎日 「あまちゃん」批評を読む2

恐竜の骨を見て驚く勉さん
毎日の夕刊に連続して「あまちゃん」の批評が掲載された。斎藤環氏の「東北」というコラムである。斎藤氏の論点は、ヒロインのアキは空虚な中心であり触媒なのだということだ。朝ドラの中心でありながら結婚も出産もせず、あえていえば「成長」もしない。にもかかわらず周囲の人々を変えていく存在。

このドラマにはまともな家族が出てこないと斎藤氏は言う。弱くてダメな人間像。しかし、だからこそ希望がある。恐竜の化石発見という意表を突くラストは「何が起こるか分からない」という真の意味での希望を与えてくれたのだと言うわけだ。アイドルとは、そんな空虚な日常をつないで続けてくれる象徴かもしれないと…。

一方、東北(久慈市:ドラマでは北三陸市)出身の斎藤氏は、震災の描き方にもふれている。これは私も思ったことだが、被災シーンは直接描かれず、東京での揺れと、トンネル内で列車が停止するシーン、破壊されたジオラマだけで表現され、演出のテクニック以前に細やかな「配慮」が嬉しかったと書かれている。被災地の表現では「向き合う」と「押しつける」が常にせめぎ合うのが通常だが、さらりとしたバランス感覚が絶妙だったと斎藤氏。

だからこそ、「あまちゃん」を語る人々は、みんな同じ目線になる。誰の感想が正しいとか、誰ん深読みが凄いとか、あっちのドラマと比べてどうとか、割とどうでもよくなる風通しの良さがあった。視聴者を参加させて、共同作業で一つの空気を作って行くような連帯感があったのだという。

…空虚な中心としてのヒロインがつないだ日常の希望。さらに視聴者も参加したこの「空気」こそが、「あまちゃん」の魅力だというわけだ。なかなか面白い。いろいろな批評があるんだよなあ。

<画像は昨日同様、以下のブログより。>
http://ottsan.blog.so-net.ne.jp/2013-09-28-6

2013年10月16日水曜日

毎日 「あまちゃん」批評を読む。


毎日新聞の今日の夕刊・宇野常寛氏の「新時代を読む」というコラムに、「あまちゃんと現代日本/30年の精神史 批評的に描く」と題した先日終わったNHKの連続ドラマ「あまちゃん」の批評が載っていた。

宇野氏の批評を概説すると、この物語はヒロインのアキの母・春子の物語であり、「失われた20年」と重ね合わされる。80年代に夢見た「明るい未来」を手にできなかった日本の姿とローカル線廃業の危機・東北のコミュニティーの衰退を「春子」は体現していたというのだ。

アキが、春子の果たせなかった夢を実現するために上京するのだが、それは、「失われた20年=テレビの時代=歌番組アイドル」の過ちを、「現代=インターネットの時代=地下アイドルの時代」の新しい想像力で修正していくことに他ならないというわけだ。

なるほど、そういう見方があったか、と思った。いつか、こういう「あまちゃん論」が出てくるのではないかと、私はひそかに願望していた。宇野氏の評論は他の部分(大震災との関わり・東北という地方の問題など)にも及んでいるのだが、その中心的な部分は、「失われた20年」を基軸としている。

私も、海女カフェで、鈴鹿ひろみが歌う際に、春子に手渡されたワイヤレスマイクの電池が飛び出し、フトマキ氏の額を直撃したシーンが、その過ちの精算の瞬間だったような気がする。

妻は「あまちゃん」が好きで、よく鼻歌で「潮騒のメモリー」を歌う。(笑)実は私も歌える。(笑)あまちゃんの魅力はストーリー、登場人物の魅力、ディティールのコミカルさ、そして音楽と、全てが優れていたからだと思う。宇野氏が最後に、個人的な見解だが、としたうえで、バトンタッチを受けたアキたちが震災後の社会をどう生きていくのか続編を見たいと述べている。私も全く同感である。まずは、年末にでも、もっと長い総集編を放送して欲しいな。なにせ土曜日の分しかライブで見ていない私である。(笑)

<本日の画像はフトマキ氏の額に電池が直撃した瞬間:以下のブログより>
http://ottsan.blog.so-net.ne.jp/2013-09-25-4

2013年10月15日火曜日

モ・イブラヒム賞とカーボヴェルテ

アフリカの引退した優秀な指導者に贈られるモ・イブラヒム賞の受賞者が、該当者なしということで今年も見送られたというニュースが流れた。アフリカのガバナンス改善のために、引退した優秀な政治家に個人年金として莫大な賞金が贈られ、汚職や不正蓄財を防ごうという試みだ。私は、意義深い、凄い賞だと思っている。

今回のニュースにははっきり記されていないが、これまで、モザンビーク、ボツワナ、そしてカーボヴェルデの元大統領が受賞している。

今日のエントリーは、カーボヴェルテの元大統領ペドロ・ピレス氏が何故この賞を受賞したかについて私の推測を記しておきたい。カーボヴェルテは、セネガルの西に位置する島嶼国家だ。滋賀県ほどの面積しかない。もともと奴隷貿易の中継地であった。これといった資源や産業もなく、ポルトガルから独立後も最貧国のひとつだった。

まず、彼は複数政党制に道を開いたこと。ただし、彼は一度野党に転落しているが…。その後、この島を観光の拠点に変えて大成功させた。ヨーロッパからのリゾートとして自立し、GDPの75%を観光を中心とした第三次産業が稼ぎ出す。今やアフリカでも有数の1人あたりのGDPを誇る。

今年の受賞者(引退後3年以内という制約がある)がいなかったことは残念だが、モザンビーク、ボツワナ、カーボヴェルテと、いかにもアフリカの経済成長の優等生がならぶのは壮観だ。こういう国がどんどん出てきて欲しい。次にくるとしたらどこだろうか?セーシェル?モーリシャス?それともアンゴラ?ガボン?ちょっと問題を含むが、ルワンダ?もちろんこれらの国の指導者が引退したらの話だけど…。

<モ・イブラヒム賞のニュース>
http://www.afpbb.com/articles/-/3001448

2013年10月14日月曜日

「悪魔」という言葉の力

明日から中間考査である。世界史Bは2単位ということもあって、ヨーロッパ中世だけが今回の範囲である。十字軍の話も出てくる。この十字軍、極めて残忍な虐殺を行っている。昨日、日本人の「空気」について、一神教からの批判の書である山本七平の本の話をエントリーした。一神教世界では、神のことは絶対的だが、他は日本のような「空気」は醸成されず相対的であるというのが結論である。

反対に言えば、「神のことについては絶対的」という部分は、日本以上に強烈な「空気」を醸成するわけだ。それが、十字軍の虐殺に現われている。以前、キリスト者と話していてびっくりしたことがある。キリスト者は敵対する者に対して普通に「悪魔」というコトバを使うのだ。以前読んだ「日本人に贈る聖書ものがたり」でも、「悪魔」というコトバが幾度となく出てきて、アブラハムやその一族との戦いを描いている。つまり、一神教世界では、神と言う完全な善に対して、「悪魔」という完全な悪の設定があるわけだ。この言葉の力は極めて強い。

十字軍の話だけでなく、イスラム原理主義の動きを見ても、イスラエルの生存のための戦いを見ても、全く容赦がない。敵対するものを「悪魔」であると規定しているとしか思えない。一神教世界が生き残りを常に宿命づけられた遊牧民の風土の上に立脚しているとはいえ、我々多神教の農耕民から見ると、やはり「悪魔」という完全な悪の存在は理解しがたい部分がある。

ところで、昨日NHKの番組で、中国の人々がキリスト教(カトリックもプロテスタントも)や儒教によって道徳心を取り戻そうとしているドキュメンタリーを見た。中国の途方もない人口圧の中、小皇帝(一人っ子政策)と拝金主義と利己主義が渦巻く世界で、中国の人々は病んでいる。私などは中国を旅するだけで、疲れる。中国に住む人々も慣れているとはいえ疲れるに違いない。凄いストレス社会なのだと思う。経済成長にともなう、なんらか心の安らぎや道徳の確立が中国にとって必要だと私も思う。

だが、この人民の宗教組織化は中国政府が最も恐れていることでもある。儒教はともかく、キリスト教は、これまでの中国史でもいくどか反乱の主体となってきた。キリスト教には「悪魔」という敵対するものへの概念をもつ。弾圧すれば、政府は「悪魔」化しかねない。

昨日の番組を見ていて、ふとそんな不安を覚えたのだった。

2013年10月13日日曜日

P資料とJ資料

山本七平の「空気の研究」(文春文庫)を読んでいて、長年の謎にちょっと答えが見つかったような気がした。長年の謎と言うのは、旧約聖書の創世記にある天地創造の話と、アダムとイブとエデンの園の話が、大きく矛盾していることである。天地創造では、最後の6日目に人間が作られ、世界の被造物を支配することになっている。一方、アダムとイブの話では、土くれから人間(アダム)が作られ、それにふさわしい助け手として後にイブをアダムから創造したことになっている。創造物(魚や家畜など)の作成順もかなり異なる。人間を尊厳なる完成品とする第1話。不完全な試作品の男とそれを補完する女ができて人間が完成したという第2話。前者をP資料、前者をJ資料と言うのだそうだ。キリスト者ではない私からみると全く不思議な「矛盾」であった。山本七平は、この矛盾は人間のもつ矛盾を表わしたものであるし、さらに旧約聖書にある箴言とヨブ記を挙げている。私はこれらを読んだことがないので、コメントしがたいのだが、箴言には「豚に真珠」などの格言的な常識がちりばめられている。「正義は必ず勝ち、努力は必ず報われる世界」であるが、その箴言を守り生きたヨブは不幸になる話がヨブ記であるらしい。

このP資料・J資料や箴言とヨブ記の旧約聖書内の矛盾は、神を絶対とし、神以外のことは相対化する一神教の立場を説明するものらしい。この「空気の研究」は、日本人のもつ「空気」(KYなどと呼称する空気である。)を、一神教の立場から批判した日本人論である。

一神教の立場からすると、日本人はアニミズム的に、様々なモノやコトバを絶対視する傾向がある。一神教では神に関しては絶対的であるが、他の事には相対的である。だから、日本には「空気」が醸成され絶対視されるが、一神教世界では「空気」は存在しないのだという。

この本の書評については、以下の社会学者大澤真幸氏の書評が素晴らしい。是非ご一読されたい。
http://book.asahi.com/ebook/master/.html

2013年10月11日金曜日

誰かが見ている。カズの箴言。

カズのクロアチア時代のユニフォーム
日経のスポーツ欄に、カズの「サッカー人として」というコラムがある。今日の朝刊では、カズがクロアチアのチームを解雇され、1年間ほどヨーロッパを放浪したという話から始まっていた。様々なサッカーチームの練習やテストに参加していたのだと言う。あのキング・カズらしからぬ話なのだが、そこに億万長者になる機会がころがっている、とカズは考えていたという。一生懸命やっていれば、誰かが見ているとカズはいう。

今所属しているJ2のチームで、若い選手がさらに下のチームに移籍する時、「また必ずもどってきます。」と決意を述べた。カズは、それは違うと言う。そのチームで全力で頑張って「頼むから戻らないでくれ。来年も是非いてほしい。」と言われるようにしなければならないとカズは考えている。実際、ブラジルで「給料を2倍にする。残って欲しい。」と言われてきた。誰かが試合だけでなく、練習まで見ている。オファーを受けたこともある。プロ・サッカーの世界は、そういう世界なのだそうだ。

カズは言う。今回の日本代表の欧州遠征は、選手にとって大きなチャンス。練習も含めて、様々な人が選手を見つめている。練習で手を抜いていたら評価もさがる。だからこそ、全力で頑張れるのだと。ザック監督も、最初「過去の人」と呼ばれていた。それが母国と好試合をして、次のイタリア代表監督の声がかかっている。ザックも今の立場で全力で頑張っているのだ。

「誰かが見ている。そう思っている人にはチャンスはある。世界が近くなった今、なおさらだね。」

カズのこの言葉、ちょうど目を痛めて、他のメンバーと別メニューで調整していた本校の11番の生徒に伝えることができた。授業も教えている3年生である。一週間後に大一番を控えながらの別メニュー。気が焦っているとのこと。だが、ちゃんと見ている人がいるぞ。チャンスを逃してはもったいないと伝えると、少し元気になってくれた。

このカズの話、サッカーの世界だけの話ではないと私は思うのだ。

2013年10月10日木曜日

水俣条約とイトムカ鉱業所

毎日新聞の夕刊一面にに『水俣条約採択』とあった。世界規模で水銀の使用や輸出入を制限することになるのだそうだ。国連環境計画(UNEP)が主導したものであるらしい。日本政府は、この条約を早期批准する予定だとのこと。

私はこの記事に接して、北海道のイトムカ鉱業所のことを思い出した。イトムカ鉱業所は、日本でも珍しい「水銀」のリサイクルを行っている場所。息子が小学生の時だから、20年以上前、大雪山系のまさに山の中にあるイトムカ鉱業所を訪問した。夏休みの自由研究をしなければならい息子を北海道に連れていくひとつの理由としたのだ。毎年のように夏休みに北海道に行っていたので、息子はかなり嫌がっていたのだった。(笑)自由研究にいいぞ、というわけだ。

蛍光灯や電池の山に、我が家族は驚いた。こんな山の中に…。水銀の比重は大きい。液体化しているモデルを持たせてもらい感激した。もちろん、その年の息子の自由研究は、なかなかのものになったのだった。

細々とリサイクルで生き延びてきたイトムカ鉱業所も、この水俣条約でどうなるのだろうか。水銀の廃棄事業でしぶとく生き残るのだろうか?まさに諸行無常を感じる次第である。
<イトムカ鉱業所のHP>
http://www.nomurakohsan.co.jp/business/itomuka.html

2013年10月9日水曜日

サロペットと靴のサイズ

HPより サロペットと長靴、こんな感じらしい。
いよいよ北海道修学旅行が迫ってきた。行程の詳細な計画、3泊分の部屋割りなどは、夏休み中にほぼ出来ていた。微調整が何度も必要だったが、まあいつでも「栞」にすることは可能だ。ただややこしい問題があった。

3日目、ニセコでアクティビティを行うのだが、酪農体験と漁業体験に分かれて実施する。これがちょっとややこしい。終了時刻も農場にって違うだろうし、3泊目のホテルに到着した時、同室者が漁業と酪農に分かれていては、鍵の問題などで大変だ。そこで、最初から酪農の者は同じ酪農の農場に行く者どうしの部屋、漁業は漁業の部屋(漁業は一括で移動するので楽チンだ。)と分けて部屋割りをしたのだ。この部屋割りを基本に、8台のバスを4台ずつ酪農と漁業に分け、人数調整。希望調査をしたら、うまいこと半々くらいに分かれてくれたので案外うまくいったのだった。もちろん、付き添い教員の配置も十二分に考慮した。

最後の大仕事は、酪農も漁業も、サロペット(つなぎのジーンズ)と長靴を身につけることになっているので、その調査である。男女別に修学旅行委員に調査してもらった。それを今日、バスの号車ごとに入力する作業をしていたのだった。当然、一覧表は用意していたのだが、弾丸下見ツアーに共に行ったI先生に協力してもらっても、まるまる1時間かかった。ふぅー。

試験の解答をして、間違いがないか確認してから、印刷しなければならないのだが、同時進行でこういう仕事をしている毎日である。教育現場はこんなものである。

2013年10月8日火曜日

2014 アフリカの経済成長率

ロイターの「アフリカ・GDP成長率地図」
世銀が2014年度のサブサハラ=アフリカの経済成長率を5.3%と予想したらしい。前回の発表よりさらに0.2%アップしている。民間投資も公共投資も堅調だということだ。世界全体が2.3%だから二倍近い。アフリカは、今、世界で最も熱いわけだ。ただ、憂慮すべきこともあるらしい。一つは、商品相場の変化である。多くの国が輸出の5割以上を単一商品に頼っているということ。もう一つはFRB(アメリカ合衆国の連邦準備銀行)の量的金融緩和政策が、将来、縮小する可能性があり、そうなれば、アフリカ経済にとって大きなリスクとなるという。

単一商品に頼っているというのは、たとえばナイジェリアやアンゴラやガボンが「石油」の輸出で成長していることを指す。他の国でも鉱産資源によるものが多いからだ。これらの市場で大きな相場の変化があれば、脆弱なアフリカ経済は一気に冷え込む。また「量的金融緩和縮小」というのは、アメリカ経済の金融状況によっては、FRBが所有する当座預金額が縮小するということである。(デフレで)金利が低い場合、各国の中央銀行(アメリカではFRB)は、当座預金の額を買いオペ等で増やすことが多い。この当座預金に比例して市中銀行は融資を拡大することができる。つまり、マネーサプライを増やすことが可能なのだが、世銀は「縮小」の可能性があると分析している。つまり、アメリカからアフリカに流れている資金が減少する可能性は否定できない、と言っているわけだ。また世銀は、アフリカの人口爆発を抑え、健全な1人あたりのGDPアップへと向かうよう提言している。

とはいえ、アフリカの経済成長が今のところ、順調であるということは良いことである。

先日、日本史(近代史)の試験を作っていて、ふと改めて思ったのだが革命の実行と、開発ということを比べると、はるかに後者の方が難しい。歴史から学ぶということは、そういう実感のような気がする。このことについては、またいずれエントリーしたいと思っている。

<ロイターの記事>

2013年10月7日月曜日

新島襄と「紙パック」

昨日は、日本史の中間考査を朝7時から作成していた。さらに生徒用の中間考査対策プリントを日本史・世界史とつくり、さらに3年生の現代社会演習のプリントをつくっていたら、夜10時になった。「ワンピース」の視聴と鍼治療と「八重の桜」の視聴以外は、ほぼPCに向かっていたわけだ。と、いうわけで昨日のエントリーはさすがに出来なかった次第。

ところで「八重の桜」は、今や同志社英学校の草創期の話になっている。アメリカからの資金援助が廃校の危機を生むし、一方では牧師育成が少ないとアメリカ側からも指摘されるしで、新島襄の校長の資質を問われる大変な状況だったわけだ。教員側の要請で牧師養成のクラスをつくることになるのだが、教室確保のために習熟度別の授業を一括しなければならない。学生は大きく反発し、ストライキを決行する。

まさに踏んだり蹴ったりなのだが、新島襄は、ストライキを打った学生の罰は自分が受ける、全て自分の責任であると、自ら左手を木で痛打するのだ。何度も何度も…。この行動に、学生も教員も、新島襄の校長としての人間的深さを認めざるを得なくなるという話だった。

教師のはしくれとして、新島襄の行為を私は感動をもって見ていた。そうなのだ。教え子のためには、何があろうと決して逃げてはいけない。すべてを自分の責任だと思いきることこそ教師の人間力なのだと思う。現代の教育界から見て、自らの手を痛打することは奇であるが、当時では決して奇をてらったものではないだろう。私はそう思う。

さて、新島襄に比べれば、はるかに小さな話だが、金曜日、私は「紙パック」をトートバッグに入れて枚方の自宅まで持って帰ってきた。本校のある大阪市では、10月からゴミの収集に大きな変更があり、再生紙と、一般ゴミ(再生不可能な紙類など)しか、ゴミ収集車が回収してくれなくなったのだ。ペットボトルも紙パックも一切持って帰ってくれないのだという。本校では、その話が9月の職員会議で急に出てきた。文化祭でもゴミの件では大騒ぎだった。生徒に聞くと、紙パックの飲料は、ペットボトルよりかなり安価なのだという。「飲むな」とも、「買ったコンビニに捨ててこい」とも言えないまま、とりあえず教室でまとめていたのだが、結局私が責任をとって持って帰ったのだった。

今朝のSHRで、枚方へ持って帰ったというと、教室はシーンと静まった。「だから、これからは紙パックやペットボトルの処理はたのむなあ。」と言ったのだ。ちょっとだけ「新島襄」をしたわけだ。

2013年10月5日土曜日

小松基地 航空祭で行列に並ぶ

今週はずっと石川県の気象情報をチェックしていた。長いこと5日の天気は「雨」だという情報だった。雨の中、ブルー・インパルスを見るのはつらい。そう、今日は石川県・小松基地の航空祭の日だ。朝6:00にバスで出発である。なかなか日帰りツアーはつらい。なにより基地が一般の空港と隣接している故に、プログラムを見ると、ブルー・インパルスの演技のみしか見れそうにない。(11:00までにはF15の編隊飛行などが組まれているが、13:00までの飛行予定は空白である。航空管制上の問題だと思う。)早朝から見たい…小松基地の航空祭である。

途中、北陸道を走るバスに雨が降ってきたりして不安だったが、なんとか曇天とはいえブルー・インパルスの演技を見ることができた。私は2回目だが、やはり死ぬまでに一度は見たいブルー・インパルスである。今回は、TVドラマで取り上げられたこともあって、女性が多い。いかにも、という軍事オタク(私もその中に入るかもしれないが…。)だけでなく、華やかだった。

1番機から4番機がダイヤモンド型編隊を組み離陸。いよいよだ。
とはいえ、小松基地近くの空き地につくられた臨時駐車場と基地を結ぶシャトルバスの時間待ちが凄かった。行きは1時間弱。帰りは1時間半。私の生涯の中で最も長い行列にならぶという経験をした。関係者の方々も大変だったと思う。それくらい、ブルー・インパルスは凄いのだ。演技が終わった途端、席を立つ人もいたが、私は着陸する彼らをやはり拍手で迎えたい。そんなこんなで1時間半も行列に並ぶハメになったのだが、それは仕方がない。なぜなら、ブルー・インパルスだからだ。行列が長かったからこそ、彼らが松島基地へ離陸していく勇姿も見れたのだ。みんな行列には辟易としていたが、その時ばかりは、笑顔で手を振る。ありがとう、ブルー・インパルス、というわけだ。ほんと、信仰に近い。(笑)

私の大好きなF2なのだ
こんなことを言う人もいた。「きっと、私たちが駐車場に着く前にブルー・インパルスは松島に着くんやろうなあ。」私もその通りだと思う。(笑)でも、いいのだ。ブルー・インパルスだから。

蛇足:展示されていた岐阜基地のF2も、行列の最中に離陸した。凄い垂直上昇を見せてくれた。「おいおい、空自はブルーだけじゃないぜ。」とでも言うように。凄い爆音と航空燃料の匂いをまきちらしながら…。

2013年10月3日木曜日

ガンビアで関西中小企業頑張る。

今日の日経朝刊の「ZOOM関西」という地方版の記事に、ガンビアで頑張る中小企業の話が載っていた。ガンビアは、西アフリカのフランス語圏・セネガルに囲まれたガンビア川の周囲が国土という英語圏の国だ。一度渡航を考えたこともあるので、興味深く読んだ。ちなみに、ガンビアはアメリカのTVドラマ「ルーツ」で、アフリカ系アメリカ人の主人公の祖先の地域に設定されていたので有名な国である。

BMCのHPより これが無線端末らしい
さて、日経の記事。BMCという関西の企業が開発したのは、小売業者のレジに取り付ける無線端末とその端末を通じて当局(税務署)に売上情報のデータを送るシステムである。来年4月から500台が導入される予定だという。アフリカでは、小売業者の消費税のごまかしが多く、さらに徴税者のちょろまかしも多いらしい。このシステムによって、そういう不正が改善され、ガンビア政府の試算では、4億円ちかい税収増が見込まれているとのこと。この無線機は暗号処理されていてデータの改ざんができないらしい。さらに、レソト、スワジランド、ナミビアなど10カ国で導入を交渉中なのだとか。

BMCは、まずガンビア、レソトやスワジ、ナミビアといった人口の少ない市場を相手にしているようだ。こういうガバナンス改善のためのビジネス、なかなか面白い。効果が大きければ、さらに大きな市場にも進出する可能性も高いと思うし、必ずや健全な財政の発展に寄与できるはずだ。日経には、さらに関西の中小企業が関わる「水」ビジネスの話も載っていたが、今回はBMCの話一本で締めくくりたい。
<BMCインターナショナルのHP> http://www.bmcinc.co.jp/

2013年10月2日水曜日

総合的学習「アメリカ学入門」

水曜日の5限目は、団活動から総合的学習の時間らしく、各教科による講座に今日から転換した。私が担当するのは、2年生限定「アメリカ学入門」である。多くの先生方から講座一覧表を見られて誤植ですか?と聞かれた。「アメリカ」ではなく「アフリカ」だろうという指摘である。いやいや「アメリカ」です。(笑)2年生には、来年度「アフリカ」をたっぷりやりたい。

アメリカ合衆国の研究も、10年くらいやってきた。その成果を少し出してみたいと思うのだ。まずは、イントロダクション。前任校の地理Bでアメリカをやる時と同じく、州のコードから始めたい。アメリカの州には、州コードというアルファベット2字の略称がある。住所の最後に州コードがくる。それをアルファベット順に書き込めるように一覧表にしたものと、州コードだけの地図を載せてプリントしてものがある。それで最初の講義を行った。

最近の高校生は、当然本校生も含めて、ゆとり教育の徒である。中学地理のゆとり化は甚だしく、高校で教えるには基礎知識が少なすぎる。アメリカの州の名もあまり知らない。多くの生徒が、NY(ニューヨーク)、CA(カリフォルニア)、TX(テキサス)がせいぜいである。まあ、WI(ウィスコンシン)なんて知ってたら反対に授業にならないのだが…。(笑)

でもクイズ形式で盛り上げる。KY。空気が読めないではない。(笑)これはすぐわかった生徒がいた。フライドチキンのケンタッキーである。OK。牧場ではない。私の大嫌いなフォークダンスの曲にある。オクラホマ(ミキサー)。こんな感じで盛り上げていくのだ。

ある程度クイズを終えると、地図帳で調べてもらう。わいわいと調べるのも楽しい。解答をして、最後に私のカープレートのコレクションを見せた。ファーストステートと書かれたDE(デラウェア)、ファースト・イン・フライトと書かれたNC(ノースカロライナ)、4人の大統領の顔が掘られたMtラッシュモアが描かれたSD(サウスダコタ)などを見せた。なかなか盛り上がったのだった。