2014年11月30日日曜日

ボコハラムとアルシャバブの相違

昨日の夕刊に、ボコハラムが、28日、ナイジェリア北部の中心都市カノのモスクで自爆テロを行い、少なくとも120人の死者を出したという記事が出ていた。28日は金曜日であり、イスラムの安息日である。多くの礼拝者が集まっていたのだと推測する。このモスクではナイジェリアのイスラムの中で最高レベルの権威者が説教を行っていて、最近ボコハラムに対抗するよう説いていたという。先日のアルシャバブのケニアでのバス襲撃では、イスラム教徒は殺害を免れた。今回のボコハラムは、批判されていたといたとはいえ、イスラム教徒への攻撃を行った。

アルシャバブがソマリア南部で統治の経験があること、ボコハラムにはそんな統治の経験がないこのとの差があるのかもしれない。それにしても、である。

これまでにも、多くの宗教的・政治的なセクトを見てみると、近いセクトほど近親憎悪が大きいのが世の常である。マルキシズムの中でも、スターリン主義とトロツキー主義に別れ、トロツキー主義の中でもセクト間の対立が、激しいうちゲバとなった。だからこそ驚くべきではないかもしれないが、極めて短慮な行動だ。どうも、ボコハラムには戦略も戦術もなく、やみくもに虐殺を行っているとしか見えない。彼らは、何と戦っているのか。

先日、イスラム原理主義を考察しつつ、あえて先進国の立場ではなく中間的な立場から、彼らの行動は、(彼らが意識しているしないに関わらず)構造的暴力への反発だと私は考えていることをエントリーしたのだが、イスラムの平等主義を推し進めるのではなく、単なる暴力をもて遊ぶ集団と呼ぶしかない場合もあるようだ。

2014年11月29日土曜日

豪・アデレードASCの葛藤

ASC HPから
http://www.asc.com.au/
結局、私も妻も体調が芳しくなく、今日のアフリカ・ミート・カンサイ(15日付ブログ参照)のイベントに行けなかった。とてもアフリカンミュージックとダンスを楽しめるような体調ではないのだ。非常に残念である。昨日は、TVで「幸福の黄色いハンカチ」を夫婦で見た。このところ、労わり合うということが多くなった。で、そういう日々の話とは全く関係ない、今日のエントリーである。

毎日新聞に、先日エントリーした(11日付ブログ参照)日本とオーストラリアの潜水艦の話が載っていた。視点は日経とは全く違う。オーストラリアの雇用問題といった趣である。日本の「そうりゅう型」潜水艦を12隻導入すると総額数兆円にのぼるプロジェクトなのだという。アデレードにある国営の潜水艦企業(ASC)では、早くも雇用が失われるとの心配の声が出ている。

以前、アデレードには、三菱自動車の生産拠点があったらしい。2008年に操業を停止した。理由は、賃金上昇である。オーストラリアの労働者賃金はアメリカのように週給制らしいが、時給にすると最低賃金は1700円。東南アジアに押されて二次産業の国際競争力を失ったわけだ。GMやトヨタも生産拠点を移すらしい。このASCは、そういった中にあって、三菱自動車の工場から労働者の受け皿になったという。

まだ、どういう方法で日本の潜水艦を建造するのか決まっていない。日本で製造するのがオーストラリア軍にとっては理想だろうが、アデレードに数百人規模で日本人技術者が来てくれないものかと市長は期待している。技術の機密の問題や、ASCの技術力への不安(オーストラリアの国防相の発言)など論義が過熱しているらしい。

…国民国家と経済のグローバル化のコンフリクトの実態を教える上で、格好の教材ではあるが、実際問題、アデレードの人々だけの問題ではなく、こういう産業の空洞化は先進国でも経済格差問題を生んでいるわけで、やはりうーんと唸らざるを得ない。

2014年11月28日金曜日

WFP エボラ3カ国の食糧難を憂う

日経の朝刊に、APを通じてWFPが、エボラ出血熱の感染地域である西アフリカ3国の100万人が食糧難に陥る恐れがあると伝えたという記事が載っていた。現在、3カ国の隣接国は国境を封鎖しており、人や物資の動きを制限しているのが、最大の原因である。一部の航空会社も運行を停止しているほか、コートジボワールのアビジャンも3カ国からの寄港を禁止したという。要するに、感染地域は極めて孤立を深めているというわけだ。

…WEBで、3カ国の穀物自給率を調べてみた。少し古い統計になるが、2003年現在で、最も高いギニアで73,0%、シエラレオネが39.2%、リベリアが21.5%となっている。もともと、アフリカの穀物自給率は低い。アフリカの貧困の最大の原因は、農業生産性が低く、穀物自給率の低さを他の財で外貨を稼がざるを得ない故である。常に飢餓の危機が襲うわけだ。(平野克己先生の開発経済学の中核である。)

こんな状況下で、隣接する3カ国が閉鎖された場合、当然穀物価格が上昇するし、3カ国の財が不足分を補えるとは思えない。シエラレオネとリベリアのダイヤモンドの輸出は今も健在なのだろうか。WFPとしては、当然のようにその辺をシミュレーションしていることだろう。緊急事態ではあるが、3カ国の穀物生産が崩壊しない程度に、慎重に食料支援をしてもらいたいものだ。というのも、無料の食料が一気に供給されると、高騰していた穀物価格が一気に下がり、穀物を生産する農家の収入が不安定になり、持続可能な農業が破壊される恐れがあるからだ。善意の支援策が現地の農業を破壊することがよくあるのである。

「市場を飼いならす」とは、かのアマルティア=センの名言である。今やクレイジーだといっていい金融資本に操られたグローバル経済を飼いならすことは不可能に近いが、緊急事態の閉鎖された3カ国での市場を飼いならすことは十分可能ではないか、と考える次第。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM1601E_W4A810C1FF8000/
<世界の穀物自給率マップ2003年>
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0319.html

2014年11月27日木曜日

「アメリカニズム」の終焉を読むⅡ

http://matome.naver.jp/odai/2140849465241990001
昨日エントリーした「アメリカニズム」の終焉(佐伯啓思著/中公文庫)を読んでいて、示唆的な箇所に遭遇した。「アメリカの没落?」と題された章で、政治学者A・ハッカーがの『アメリカ時代の終わり』という書物の内容を紹介した箇所である。書かれたのは60年代末期である。少し引用したい。

第1に、現代(1960年代)のアメリカは巨大な株式会社組織の時代である。個人は生活や価値観を組織に依存しており、もはや独立した個人ではない。、これらの「組織人」は巨大な中間層であり大衆社会をつくりだした。

第2に、こうした「組織人」になれない「余分のアメリカ人」がいる。成功することにしか名誉を与えないアメリカでは、この経済的な敗者はほとんど社会から相手にされないことになる。

第3にアメリカ人の個人主義的、自由主義的な傾向は、政府に対する不信感をかもしだす。「アメリカ人はほとんどすべての政府機関を本質的に非合法なものとみなしている。」人々は新たに獲得した自由を権利とみなし、それと対照的に、公共的活動、政府の活動はそれをおびやかすものとみられる。しかも、政府は民間の人々の生活に責任をもたねばならないと考えられている。

第4に、アメリカには個性のイデオロギーとでも言うべきものがあって、個人主義、個人の能力や権力が強調される。しかし、実際には「大部分の人は平凡である。そして、平凡な人々は彼らが住んでいる時代や社会や環境にかかわりなく、どこまでも平凡である。」現代では人々は個性のイデオロギーに踊らされ、自分が非凡な何者かだと思いたがっている。個性にこだわりすぎた結果、誰もが、その個性が実現できないのは社会が悪いからだと考える。自分は社会によって不利益をこうむっていると考える。

第5に、デモクラシーの成果として、学問はどんどん凡庸なものになる。平凡な学者が恐れるのは他人から批判されることである。だから彼らは間違いを指摘されることのないことしかやらなくなるだろう。

著者の佐伯啓思は、このような状況はますます深刻化していると指摘し、アメリカでは、ただやみくもに自分の権利と利害ばかりに敏感で、政府の仕事に反対さえすれば個人の自由の拡大になると錯覚した自己中心主義者を作り上げてしまった、またデモクラシーは、凡庸であることがむしろ賞賛すべき社会的権利であるかのような精神を生み出してしまったと嘆く。問題なのは、精神なのだと。

このところミズーリ州の黒人青年が白人警官に射殺された事件から起こった暴動とその抗議デモの拡大のニュースが流れている。その事件の核心はよくわからない。だが、「第2」に書かれた人々にアフリカ系アメリカ人の問題がからんでいることは間違いがない。アフリカ系アメリカ人の未だに解決されないいらだちも理解できる。しかし、オバマ大統領が何の解決策も見せていないという批判が全米中でおこっているとの新聞記事もあった。こうしてみると、この5つの指摘、極めてあたっているといえるだろう。マスコミの凡庸さも含めての話だが…。

2014年11月26日水曜日

「アメリカニズム」の終焉を読む。

佐伯啓思の「アメリカニズム」の終焉(中公文庫/本年10月25日発行)をこのところ集中して読んでいる。初版は93年4月なので、書かれてからだいぶたつが、なかなか勉強になる。通勤時に赤線を引きながら読んでいる。はっきりいって社会思想の学術書である。私の読解力で消化した部分について、エントリーしてみようと思う。

本書では、アメリカの「リベラル・デモクラシー」が論考の中心となっている。極めて乱暴に言ってしまうと、リベラリズムとは自由を求める自由主義のことであり、デモクラシーとは平等を求める民主主義である。この歳まで不勉強で、この二つをかなり混同していた。リベラリズムは、専制権力(中世的な宗教的権威や神聖ローマなどの貴族階級の支配)からの自由・解放を謳う。一方、デモクラシーは、人民主義・平等主義である。思い起こされるのはフランス革命時の急進的なジャコバン主義である。この二つは、実は、ヨーロッパでは実はかなり対立する概念なのである。貴族的なものーリベラリズムーデモクラシーといった階級的な理解も可能である。リベラリズムには、デモクラシーへの恐怖があるわけだ。

このリベラリズムを中心に、デモクラシーを抑えつつ(労働者の権利の主張を穏健に抑えながら)世界に覇権を唱えたのが19世紀のイギリスであり、20世紀はアメリカの世紀となった。アメリカはリベラリズムとデモクラシーを結びつけ、「リベラル・デモクラシー」として普遍的な概念に高めていった。

アメリカには、ヨーロッパのような専制的な権力(貴族階級)がそもそも存在しなかった。大衆的なポピュリズムが強いアメリカは、権利において同等、生活においても同等という人々が大衆社会を形成していた。産業の発展とともに、リベラリズムは、もっぱら消費者としての自由、生活設計者としての自由、ビジネスの自由といった経済的自由に転換されていく。またデモクラシーは生活の均質化、所得配分の平等化といった経済的平等となった。

この「リベラル・デモクラシー」は、アメリカが普及させたというよりは、他国が追随したといってよい。特に、日本はこの優等生であり、当のアメリカ以上に成功させたというわけだ。

…師走の総選挙である。我が国民が、選挙の争点としていることは、毎回同じだが、景気回復であり、社会保障である。なるほどなあと思う。

2014年11月25日火曜日

毎日 アルシャバブとタリバン

辞任した国防長官
このところ、世界史Bでイスラム原理主義の動きを論じている。毎日新聞に、昨日ソマリアのアルシャバブの動きの記事が載っていた。ケニアとの国境近くで、ケニアの乗り合いバスが襲われたという。イスラム教徒以外の28人が射殺され死亡したという。おそらくAU(アフリカ連合)がらみの報復だろうが、なんとも息苦しいニュースである。

今日の朝刊、アフガニスタンでも、バーボール大会で自爆テロが起こり、子供を含む50以上が死亡したという記事があった。こちらはタリバンに同調する武装勢力の関与が疑われている。タリバン本体は西部で400人を超える部隊を率いて、警察署や検問所を襲撃、カブールでは警察本部内部で自爆テロ、厳重な外国人居住区でも自爆テロがあったという。新政権へのゆさぶりだろうが、これも息苦しいニュースである。

…同時に、アメリカのヘーゲル国防長官が辞任したという。共和党の元上院議員でありながら、イラク戦争時に米軍派遣に反対したという変わった人物だ。しかしシリアへの対応でホワイトハウスと対立していたという。彼の辞任で、一気に陸上部隊派遣ということにはならないと思うが、アメリカも混乱している。

…このような息苦しい事態がいつまで続くのだろうか、と思う。グローバル化の中で、ますます構造的な暴力が拡大していく。富の再配分が十分に行われない限り、終わりそうにないと絶望的な感想を書かざるを得ないのだけれど、生徒にはこの事実をぶつけるしかない、と思っている。

2014年11月24日月曜日

映画「あなたへ」を見る。

この三連休、私も妻も体調が芳しくない。結局、行こうと言っていた京都や兵庫での展覧会にも行けなかった。今日も、野球部の引退試合(2年生との練習試合)があるのだが、風邪気味なので遠慮することなった。

昨日は、TVで高倉健さんの遺作となった「あなたへ」を夫婦で見た。以前NHKのプロフェッショナルで高倉健特集をやっていて、この映画の撮影現場を見ていたので馴染みがあった。長崎県平戸の話であることも知っていた。特に大滝秀治さんとのやりとりは凄みさえ感じたくらい印象に残った。

「あなたへ」は、いい映画だった。内容を詳しく書くのは、これから見る方もおられるだろうし、悪趣味だと思うので書かないが、高倉健さんの妻を失った喪失感が痛いほど突き刺さる。平戸の写真館で、妻の昔の写真に、グーでタッチするシーンと、(大滝秀治のセリフに出る)平戸の美しすぎる海は、この映画のハイライトだろう。

しかも、今日NHKで、高倉健さんのプロフェッショナルを再放送していた。改めて、昨日の映画を見たような気がした。健さんの姿を見ているだけで、人生というものを考えてしまう。

ホント、このところ妻の体調が芳しくない。ずいぶん痩せてしまった。いたわり合いながら、日々を過ごしていかなければ、と思うのだ。高倉健さんの最高の演技に感謝したい。合掌。

2014年11月23日日曜日

毎日 ユネスコスール世界大会

船橋の方の投稿ということで…
http://cdn.mkimg.carview.
co.jp/carlife/storage/453024
/plus/63d52bc1fa.jpg
毎日新聞の朝刊に千葉県船橋市の高校教員による投稿記事があった。およそ、次のような内容である。

先日、千葉市でユネスコスクール世界大会・スチューデント・フォーラム千葉県ウェルカムパーティーがあった。千葉県のユネスコスクール加盟校の高校生が中心になって、南アフリカ共和国、ニュージーランド、ベトナムから来日した生徒・引率教員を受け入れて歓迎行事を開いた。

司会の生徒は流暢な英語で進行し、教員の挨拶を通訳する生徒、日本文化を紹介する生徒など、初対面とは思えないくらい自然に打ち解けていた。こういう生徒を見ていて投稿者は「地球市民と言ってよいと思えた。」と感想を述べられている。さらにこう続けておられる。「若者が内向きになっていると言われているが、若い世代に国際感覚を身につけている人が出てきているのを感じた。こうした芽をまず教育の場で育てていかなければならないと思った。」

…私もこういう交流の場に何度も立ち会った経験がある。高校生の間に、こういうつながりを持てることは幸せだし、地球市民というのは、こういう経験こそが大切なのだ。一人ひとりの個人的なつながりが、なにより共生の心を育むのである。

2014年11月22日土曜日

エボラの泥沼 西アフリカ3国

抗マラリア剤のひとつ
http://www.bestdrug.org/falcigo_plus.htm
毎日新聞の朝刊に「15歳のニュース」として、”エボラの泥沼 西アフリカ3国”の状況が書かれていた。備忘録としても是非エントリーしておきたい。

ギニア 最初の感染者の二歳の男児はリベリアとシエラレオネの国境に近いギニアの南部の村に住んでいた。三歳の姉、母、祖母が相次いで感染して死亡、特に祖母の葬儀後に一気に感染が広がった。村外の親戚と治療した医療従事者からさらに拡大したと見られている。親を亡くした子供は親戚が面倒を見るのが普通だったが、エボラで親を失った子供は拒否されるようになった。エボラが人道や社会のつながりを破壊しつつあるのだ。

リベリア 西アフリカでは、マラリアによる死者も多い。リベリアの新聞によると、マラリアとエボラの初期症状は似ているため、マラリアなのにエボラの検査を受け感染するリスクが高まっている。エボラを怖れて病院に行かずマラリアで死ぬこともある。首都モンロビアでは、国境なき医師団が抗マラリア薬を貧しい人々が住む地域に配布し始めたと報じている。

シエラレオネ 平均寿命が最も短い国として知られてきたシオラレオネであるが、内戦が終了し、WHOデータで現在は46歳、新生児と乳児死亡率は現在でも1位である。内戦で、医療システムが破壊されてしまい、これがエボラの感染をさらに拡大と言われている。現地の新聞の社説では、エボラで死亡した家族の遺体を路上に出して回収されるのを待つのだが、午後6時を過ぎると翌朝まで放置されているのだという。遺体はエボラウイルスの製造工場ではないのかと憤りが記されていたという。

…それぞれ、各国別に細かな事情が書かれており、貴重な情報である。リベリアでは、感染が鈍化したという情報もあるが、厳しい状況には変わりがない。ひたすら関係各位の尽力を心から祈るばかりである。

2014年11月21日金曜日

続 沢木耕太郎 「246」を読む。

沢木耕太郎 「246」を読み終えた。一気に読むのがもったいないほどの面白さであった。この「246」という作品は、1986年の1月から9月の沢木耕太郎の私生活が書かれている。「深夜特急」が第2巻まで出版され、「馬車は走る」が出来あがり、「血の味」が少しずつ書かれ始め、「キャパ」の翻訳が開始されている。重要な沢木耕太郎の作品がどんどん出てくる。同時に、書こうと思っていたことをあきらめる話も多かった。

そして、時折挿入されてくる3歳前の娘との、寝る前のお話。最初は奇異な感じがしたが、なかなか面白い。途中で、彼女が生まれてすぐ外国に出たことが明かされる。最もかわいい時を知らずにいたことへの反省から、時間のある時は彼女と過ごすことになるのだ。

今回のエントリーで特に書いておきたいのは、深夜特急への出発時に「$100札」をもらう話だ。パスポートに偲ばせ、結局使わなかったのだが、旅のお守りのようになり、$100以上の価値をもったという逸話である。私も深夜特急でこれを読み、なんとかっこいい餞別なんだろうと思ったのだ。その贈った人が明かされていた。文芸春秋社の松浦氏という編集者であった。沢木耕太郎は、松浦氏の高校2年生になる息子に、出来上がった深夜特急を贈呈する。息子は野球とザックをかついでの一人旅に熱中していると聞いたからだ。これもまた、いい話だ。

今まで、何度か留学する教え子に餞別を渡してきた。できれば、その国の通貨で贈りたいと思って阿倍野まで両替に行ったこともある。と、いっても$100も出せないので、両替するだけもったいないのだが…。(笑)

最後に、沢木耕太郎の話に出てくる本や映画のパンフレットのカラーの挿画が素晴らしいということもつけ加えておきたい。(本日の画像参照)

2014年11月20日木曜日

Democrazy Simulation’14


内戦になってしまった6組
戦闘力に応じたじゃんけんで勝敗を決める
政治経済で、今年もデモクレイジー・シミュレーションをやってみた。今年の政治経済は選択者の数関係で、3クラスで全体の人数が異なるが、およそ4チームに分けた。それも生徒の代表に決めてもらった。農耕民A、農耕民B、遊牧民C、遊牧民Dで、およそAはBよりも数が多く全体の2/3ほど。遊牧民は同数で少なめに設定した。

今回のポイントは、戦闘力と言う概念を挿入したことである。戦闘力は、ドラゴンボールでべジータがつけていたスカウターで判別する、例の数値である。遊牧民は全員が戦闘力3とした。農耕民は全員1である。つまり、10人の農耕民のチームは、4人の遊牧民のチームと、銃器などの火力を持たない場合闘うと、10対4×3で負けてしまうという概念である。

こういう状況を作った上で、突然独立を迎えたアフリカの国で、大統領選挙を行うように指示した。投票はチームの人数で争われる。戦闘力は関係がない。あまり状況がわかっていない生徒は、とりあえず、チームごとに候補を立てる。当然農耕民Aが勝利する。あまりたくさん政府のポストをつくっても意味がないので、大統領に、財務大臣(金を握る)と、軍・警察長官を選ぶように指示し、札を7枚ほど渡した。最初の予算である。

この時点で、黒板に、各チームの人数、戦闘力を整理して書き出す。そして、こう宣言した。「私は武器商人だ。カラシニコフ銃1丁は1マネー。戦闘力は+3な。」「?」みんな唐突な展開に驚く。「機関銃つきの戦闘用ジープもあるぞぉ。5マネーで戦闘力は+15.」

この辺で、戦闘力の概念に気づく生徒が出てくる。多くは成績の良い者を集めるように指示した農耕民Aチームだ。「もし、遊牧民が攻めてきたら…。何もないとやられる。」遊牧民も「おーい、組まへんかぁ?」遊牧民には元気な男子生徒を集めてもらっていたのだ。結局、農耕民Aは政府のポストを独占し、銃やジープを手に入れることになる。

「では、大統領選をもう一度やろう。」「大統領を取ったら、予算が手に入るんですかぁ?」「あたりまえや。」と私。10分後に選挙をする。急に教室がざわざわする。各チームのメンバーが折衝に動く。多数派工作。おどし。買収。なかなか生活力がある。

もともと、このシミュレーション、ストーリーはない。ここからは、3クラスで動きが異なった。遊牧民同士で組むクラスや、遊牧民が農耕民Bと組むクラス、そして農耕民Aが遊牧民を買収するクラスなど、いろいろだ。

1時間目の最終間際、農耕民Bや遊牧民の地域で、いきなり石油が開発される。私は隠し持った札束を放り投げ、「石油が出た。」各クラスとも、大騒ぎになる。「それはウチのものだ。」と主張する農耕民Aチームもいれば、唖然としてしまうチームもある。そこから、デモクレイジーの本番だ。

ちょっと過激なシミュレーションだが、この後レンティア国家と紛争の罠について講義する。おそらくこれまで以上に理解が進むはずだ。

2014年11月19日水曜日

卒業アルバムに向けて

今月中に卒業アルバムのクラスページを完成させなければならない。我がクラスでも、いろいろな案が出てきた。大枠が決まったので、今日のLHRでは、3の4という人文字を急遽撮影することになった。最初はグランドで、という話だったが、第二体育館が空いていたので、そこで撮影することになった。

面白いのは、今回のアルバム製作は完全に女子生徒主導だということだ。二階から、女子の委員がカメラを構え、下でも女子がテキパキと指示する。男子は言われるまま、「ハイ。」といって動く。(笑)

我がクラスは、というより本校は男女の仲がすこぶる良い。私の高校時代などはもっと緊張感があったように思うのだが…。とにかく、クラスのページの左上にこれをプリントしてコラージュするそうだ。ほとんど顔がわからないと思うが、それでいいらしい。

2学期の終わりには、みんなでパーティ的なものをやろうか、という声が上がっている。受験で必死な者もいるが、期末考査後は少し落ち着くだろう。当然、「まかす。」と私は答えた。こういう感じで、LHRの企画が進んでいく。

2014年11月18日火曜日

北海道 夕張を追憶す

夕刊を見て驚いた。高倉健氏が死去したのだ。ショックである。高齢とはいえ、ショックである。沢木耕太郎のエッセイにも度々登場する高倉健氏の人柄には、まさに君子というしかいえない魅力があって、本当に尊敬できる人だったのだと思う。

昔、北海道にハマっていた頃、夕張に行った。少し寂れた夕張の石炭村もよかったが、なにより、「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地が良かった。

映画を最後のシーンを思い出す。。一時は帰宅することをあきらめた高倉健さんだが、桃井かおりに叱咤され、倍賞美津子が待つ炭鉱住宅へ向かうのだ。高倉健さんがじっと目を閉じ、下を向きながら「次の角を曲がって…」などと、赤いファミリアを運転する武田哲矢に指示するのだ。そして、目に映るのは…。

私はあまり映画を見る人ではないのだが、この「幸福の黄色いハンカチ」は何度見ても感動する素晴らしい映画だと思う。何より、高倉健氏の演技と、にじみ出る人間的魅力の賜物だろう。

合掌。

2014年11月17日月曜日

毎日 南部アフリカフォーラム

http://macs.mainichi.co.jp/space/web/054/random.html
昨日の朝刊に、10月28日に東京で行われた南部アフリカ・フォーラム2014の様子が掲載されていた。南部アフリカ開発共同体(SADC)加盟15カ国中日本に在外公館を置く12カ国(SADCでは、モーリシャス・セイシェル・スワジランド以外の国々)が参加したようだ。

今回の記事で面白いなと思ったのは、ペコ南ア大使の発言だ。「SADCは、各国が様々な分野で科学技術を必要としている。例えばアンゴラは水資源がアフリカで一番豊富だが、漁業や水力発電の技術を必要としている。モザンビークは石油化学や製油所の技術を要している。マラウイは、マンゴーを作っているが付加価値を高めてパウダーにしたり、マンゴーと別の材料を混ぜ合わせて商品化したりするためには技術が必要だ。ザンビアは製薬業界の育成をしていて、創薬で動いている。レソトはダイヤモンドを科学技術を使って産業界で使えないか検討している。アフリカでは食料の安全保障が重要だ。植え付けをしても収量が上がらない、干ばつに耐えうるような植物がない-という問題を解決するため、日本がパートナーになってほしい。アフリカにはイノベーション(変革)が必要である一方、未来に向けた問題の解決策が見つかるのもアフリカだ。一緒に何かを作る”世界の実験室”であるアフリカに是非来ていただきたい。」

…南ア大使の発言は、各国がPRSP(貧困削減戦略文書)よろしく、まるで日本の地方創生案のように、様々な事業を起こそうとしていることがわかる。こういう方向性は極めて良いと私は考えている。農業の6次産業化や産出する鉱産資源や天然資源の有効活用で、自国の産業と雇用を得ようと必死で動いているわけだ。日本の国際協力が、企業進出というカタチに進化していく必要を強く感じる次第。南部アフリカは、現在は治安も安定していて、日本企業が投資するには大いに環境が良い。中国とは違う、日本の持続可能で共生を目指した国際協力ビジネスを是非とも推進して欲しいところだ。

2014年11月16日日曜日

AFRIKA Meets KANSAI

昨夜、車でラジオを聴いていたら「AFRIKA Meets KANSAI」というイベントのCMが一瞬流れた。こういうのを聞き逃してはいけない。さっそくWEBで検索してみた。

京橋の松下IMPホールで11月29日(土)の14:30~20:30まで、アフリカの音楽ライブ(タンザニア・セネガル・中央アフリカのリンガラ・ギニア)を中心に、講演やパネルディスカッション、物販ブースやアフリカンフードのコーナーもあるらしい。入場料は若干高いけれど、都合がつけば是非行ってみようと思う。

http://afrikameetskansai.org/

2014年11月15日土曜日

日経 オーストラリアと海中の契り

海自の最新鋭艦・そうりゅう型
http://www.mod.go.jp/msdf
/formal/gallery/ships/ss/
soryuu/501.html
日経の「真相深層」に、興味深い記事が載っていた。12日の首脳会談でオーストラリアと潜水艦を含めた装備品の開発協力で一致したというのである。タイトルは「海中の契り」である。

潜水艦というものは、最高機密中の機密である。アメリカがステルス機のF22を、いくら安全保障条約を結んでいる日本であっても、FX(次期戦闘機)選定時、購入させなかったように、日本にとっては、ディーゼル潜水艦の技術は世界的に優秀で、他国に簡単に渡せるものではない。

ディーゼル潜水艦は、水上は空気を取り込んで、ディーゼルで航行する。海中はモーター走行である。原子力潜水艦のように、長期間潜ることはできない。だが、その静粛性においては、原潜に勝る。日本の潜水艦が優秀だと言われるのは、その静粛性にある。エンジン、モーター、スクリューの技術に優れているためである。

これをオーストラリアと共有する、という話なのだ。オーストラリアは、コリンズ型というディーゼル潜水艦を6隻保有しているのだが、旧式なので15年後をめどに順次新型艦に変えていくらしい。そこで、協力関係を結ぶというのだが、これには深いわけがある。中国である。

中国は潜水艦を66隻(うち原潜を5隻)保有しているが、最近インド洋にも進出するようになった。なにかと問題が起こっている東シナ海、南シナ海だけでなく、インド洋まで進出してきたことは、日本のシーレーンにとっても重大な危機となる。日米豪の三カ国は、この状況を受けて、日本が東シナ海、オーストラリアが南シナ海とインド洋、アメリカはグァム島にロス級の原潜を4隻母港化して全体を見渡すというシナリオを描いたというわけだ。ちなみに、オーストラリアは、魚雷や巡航ミサイル(これは魚雷発射管から発射できる。)をアメリカから入手するとか。

グローバル化が進んで、もはや国家間どうしの戦争は、経済的リスクが高すぎる。私は、国家間の戦争は、もう出来ないと思っている。全く無駄な話のような気がするのだが、日本政府は、それでも中国をかなりの脅威だと認識していることがよくわかる。

それにしても、日本にとって虎の子の技術をオーストラリアに差し出すという、凄い話である。

2014年11月14日金曜日

本年度世界史Bの着地点

昨日のエントリーの続編である。本年度世界史Bの最終プリントを今日完成させることができた。期末考査の後は、ESDのアクティビティをやる予定なので、これが最終のプリントというわけだ。イスラム原理主義(この言い回しはアメリカの悪意が含まれているようだが、日本では普通に使われているので、このコトバを使用している。)が、何故欧米を敵視すのか?といのがテーマだ。同時に、2年間に渡って教えてきたヨーロッパ史の総まとめという意味合いも込めてつくってみた。

まず「キリスト教は、律法がないので神の設計図を求めた。これが自然科学である。」という項目。キリスト教・イスラム教の律法を比較しすると、キリスト教は明確な神の教えがない。だからこそ人(教会)の支配が可能になるし、公会議やコンクラーベなどでは、多数決で重要な決定が行われることを教えたい。イスラムは、コーランにコンパクトにまとめられており、シャリーアの体系(イスラムの律法)でもイジュマー(共同体の合意事項:神の意志がそこにあるとされる決定)は全員一致でなければならない。要するに、キリスト教は、神の設計図を求めて、各個人が理性を発揮する傾向があるのだ。ここから自然科学が生まれる。言ってみれば、ルネサンス以降の自然科学・技術の発達が欧米の覇権の源である。

次に「キリスト教は、ギリシア以来の『上個人下共同体の社会構造』を補完した」という項目である。これは、昨日エントリーした内容。これに、カトリックがラテン語で統一したことが商業資本の発達に大きな影響を与えたこと。(ギリシア語で統一しなかった正教会の東欧と比較したいところ)さらに、合理的な銀行や株式会社などのシステムを運営する上で、キリスト教の律法がないことが有利に働いたこと。宗教改革後、敗者が新大陸に移住したこと。

そして、「ヨーロッパで生まれた民主主義は『上個人下共同体』の境界線の変化」。近世から近代、現代と国民国家が誕生していく過程は、富の増加によって、「下共同体」から「上個人」へと、市民、労働者が上昇していく過程でもある。現在は、最下層の「下共同体」が非西欧社会となっていることは、昨日エントリーしたところだ。

最後に、「構造的暴力」について語りたいと思い、国際理解教育学会の現代国際理解教育事典を参考にさせてもらった。なんと、この項は尊敬する兵庫県のY先生であったのでびっくりした次第。

今回の最後のプリントは、「武器としての社会類型論」加藤隆著/講談社現代新書と、「ふしぎなキリスト教」(橋爪大三郎×大澤真幸/講談社現代新書をもとに書いてみた。ヨーロッパの歴史を一神教から見ると、こんな感じかなという程度のものだが、とりあえず今年はこれで着地としたいと思っている。今読んでいる本の「リベラリズム」と「デモクラシー」の相違から、欧米の政治思想を解説した本が面白いので、これも止揚したかったのだが、これ以上複雑にすると、不明確になりそうなので自粛した次第。

2014年11月13日木曜日

エボラ出血熱と構造的暴力

http://www3.nhk.or.jp/news/html
/20141112/k10013131911000.html
NYでエボラ出血熱にかかっていた医師が回復し退院したとのニュースがNHKで流れていた。現地で懸命な治療に関わっていた医師であるし、貴重な人材を救えたわけで、大いにめでたいことである。アメリカで治療を受けた9人中8人が回復したという。ドイツでも患者が回復したらしい。ところが、現地ではまだまだ拡大しているわけで、先進国でケアしたら回復するが、現地では厳しいのだという推測が十分なりたつ。

医療設備などを考えると、当然過ぎる話なのだが、こんなところにも構造的暴力があるのだ、と私は考えてしまう。どうにもならないほどの経済格差に、我々は気づかなければならないと思うのだ。

世界史Bでは、イラン革命から始まるイスラム原理主義にまつわる歴史を語っている。翌年のソ連のアフガン侵攻、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、そして「9.11」。聞くと、今の3年生は、「9.11」の時、5歳だったそうだ。彼らは、ライブでの「9.11」を知らない。

二極化から多極化、バクス・アメリカーナと、その崩壊。イスラム原理主義の欧米への反発の意味を最後に説こうと準備している。

最も基本的には、構造的暴力への反発だと私は思っている。あまりにあからさまな経済格差。「武器としての社会類型論」から見ると最も判りやすい。欧米の「上個人下共同体」というギリシア以来の社会類型はキリスト教によって補完され、現在は、ほとんどの先進国の国民は、労働者も含めて「上個人」として、富と自由を手にしている。この類型は、搾取すべき「下共同体」、昔は奴隷であったわけだが、現在は非欧米諸国・開発途上国になっていると言ってよい。

イスラム社会は、(ユダヤの律法に比べて極めて)コンパクトな神の掟に従う「掟社会」である。たとえ、カリフや国王といえど、神の前では平等である。だからこそ「喜捨(ザカート)」が五行に入っているわけだ。イスラム原理主義の人々の味方をするわけではないが、異文化理解を重視する地球市民としては、こういう理解の方法があるということを生徒に伝えたいと思っている。

2014年11月12日水曜日

日経 サウジの原油安戦略

http://www.allposters.com/-sp
/Saudi-Arabia-Army-Royal-
Saudi-Air-Force-F-15
-Eagle-Fighter-Jet-Posters_i9075929_.htm
昨日の日経のGLOBAL EYE(松尾博文編集委員)は、なかなか示唆に富んだ内容だった。サウジアラビアの原油価格引き下げの意味を問うものである。この原油安、当然サウジにとっては減益になるわけだが、2つの外交戦略が見て取れるとのこと。

サウジは、アメリカの求めに応じて「有志連合」として、イスラム国への空爆を行っている。アブドラ国王は「イスラムの道を外れた過激派は根絶する。」と述べており、サルマン皇太子の王子の1人ハレド・ビン・サルマン王子が、空軍パイロットの1人(8機が参加したそうだ。)としてシリア空爆を行ったという。王族が先頭に立って軍事行動を行っているわけで、その強い意志が見て取れる。アメリカを強く後押しているわけだ。

この原油安は、ロシア・イランにとって、大きな痛手となっている。ウクライナ情勢・イランの核開発に対しても、欧米の後押しである、といえる。

しかし、一方でしたたかな戦略が見え隠れするという。それは北米のシェール・オイルを押さえ込む意図である。シェールオイルの採掘は、原油よりコストが高い。1バレル$80を切れば、採算確保が難しくなるらしい。ロイヤルダッチシェルやシェブロンなどが北米の権益を一部手放す動きもあるそうだ。

アメリカに「イスラム国」「ロシア」「イラン」といった敵に対し、後押しして恩を売りつつ、北米産のシェールの需要を押さえ込むというわけだ。巧妙なパワーゲームをサウジは展開しているのである。

…こうして見ると、サウジといい、中国といい、巧妙な外交戦略を発動していると改めて感じる。アメリカはこのところ後手後手に回っているし、まして日本においておや、である。

2014年11月11日火曜日

ユネスコ世界会議での文相発言

秋田商業高校HPから 世界大会の様子 http://akisho.ed.jp/
日経に、次のような小さな記事が載っていた。ユネスコ世界会議で下村文部科学相が記者会見し、世界で優れたESD活動をする表彰する制度を来年から創設するとのこと。5年間、個人や団体から毎年3者を選び、各5万ドルの奨励金を贈り活動を後押しするそうだ。さらに、ユネスコスクールを5年間で1万校に増やしたいとも述べたという。

…ついに、こういう時代になったことを率直に喜びたい。ESDがようやく市民権を得たような気分だ。それにつけても、この10年間積み上げた研鑽の成果を、新らしくユネスコスクールになろうとしている現場で活かしたい、そう思ってしまうのだ。この記事を読んだ、正直な感想である。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10H5U_Q4A111C1CC1000/

2014年11月10日月曜日

アフリカのブッシュミートの話

http://conservationmagazine.org
/2008/07/people-eat-more-
bushmeat-when-fish-are-scarce/
政経でHDIの話をしていて、アフリカにおける保健・医療の話になった。マラリアの感染の仕方とか、HIVエイズの生産人口への影響とか、エボラ出血熱の感染の仕方など、保健の授業みたいになった。

WEBでアフリカのニュースを検索していると、「エボラ出血熱とアフリカの食文化の関係」という白戸圭一氏の論文を発見した。エボラ出血熱の自然宿主はコウモリで、最初の発症者の家族はこのコウモリの狩猟を生業にしていた。熱帯雨林地域のアフリカでは、こういう野生動物の狩猟を行う人々もいる。その数は決して多くはないが、人口増加や所得の増加で、蛋白源としてのブッシュミート(野生動物の肉)の需要が拡大しているようだと、白戸氏は見る。当然ブッシュミートの需要拡大の統計資料などないので、白戸氏の主観でしかないのだが、森林資源開発による森林の減少で、ブッシュミートの狩猟が容易になり、供給が拡大したわけだ。

クジラを嗜好する日本民族にとって、海外から余計な干渉が加えられていると感じるならば、ブッシュミートを嗜好するアフリカの人々を批判することはありえない。まして、貴重な蛋白源であり、同時に現金収入の糧であるならばなおさらであると私は思う。

しかし、白戸氏が主張するように、この問題の奥底に、アフリカの人口問題と食糧問題がある。この解決がなにより重要であるというのは私も全く同感である。なにも、欧米先進国的な緑の革命を行う必要はないと思うが、在来知を総動員しながら、少しでも生産性を拡大できる道を探るべきだと思うのだ。森林資源の過度な開発、野生動物の絶滅、エボラ出血熱の増大…。負のスパイラルそのものではないか。

当然、これらの理解を進める教育の重要性も問われる。結局、良きガバナンスに帰着するんだよなあ。アフリカの開発経済学は…。

http://www.huffingtonpost.jp/foresight/ebola-africa_b_5693558.html

2014年11月8日土曜日

ユネスコスクール世界大会 続報

岡山大学
奈良教育大学の教え子のG君から、岡山のユネスコスクール世界大会に出席しているとのメールが届いた。奈良教育大学でESDキャンプを実施しているのを報告するそうだ。

もうひとつ、彼からの報告で、秋田商業高校が発表する分科会に参加してきます、とのこと。もしかしたら、大堤先生や大田先生も参加されているかもしれない。WEBページを見ると、秋田商業高校も着実にESDを進められておられる。

私が岡山に行けなくとも、こうして教え子が参加してくれていることに心から感謝したい。

追記:現在、私のPCでは、Google Chromeを使っているのですが、我がブログが表示されない事態になっています。何度か解決に向かって対策しているのですが、どうもうまくいきません。読者の方に不便をかけているのではないか、と心配しています。できれば他の方法でアクセス下さい。

DNS ルックアップでエラーが発生したため、africaryu-kon-roku.blogspot.jp にあるサーバーを見つけることができません。DNS は、ウェブサイトの名前をインターネット アドレスに変換するためのウェブ サービスです。このエラーはほとんどの場合、インターネットに接続されていないか、ネットワークの設定が間違っていることが原因です。ただし、DNS サーバーの応答がない、ファイアウォールによって Google Chrome からのネットワーク アクセスがブロックされている、などの原因で発生する場合もあります。

追記の追記:翌朝には、自然に復旧していました。ご迷惑をおかけしました。

忌野清志郎展 in 宝塚

エントリーする機会を逃してしまった話だが、3日の月曜日、「駅伝」を応援しに行った後、妻と宝塚に行ってきた。手塚治虫記念館で、忌野清志郎展をやっていると車のラジオで聞いたからである。十三から阪急宝塚線に乗って行く。これまで、何度か幼い息子を連れてファミリーランド(今は閉園してしまった遊園地である。)に来たことはあるが、車で行くことが多かったので、沿線の町並みも実に新鮮であった。

手塚治虫記念館は、駅から見て、宝塚歌劇場の向こうにあった。初めて行ったが、展示方法もなかなかすばらしい。マニアなら垂涎の博物館である。私はマニアというほどではないので、あまり時間をかけなかった。目指すは企画展である。3Fの決して広いスペースではなかったが、清志郎のアルバムや衣装、絵画などが展示されていた。

実際の衣装の前で、清志郎のLIVEが流れている。スローバラード、トランジスタラジオ、そして雨上がりの夜空に。…いやあ、泣けてくるではないか。思わず妻と見入ってしまったのだった。

http://www.city.takarazuka.hyogo.jp/tezuka/kikakuten.html

2014年11月7日金曜日

朝日 ユネスコスクール世界大会

岡山でESDに関するユネスコ世界会議が始まったようだ。今朝の朝日新聞に、ユネスコスクールの世界大会が開かれ、関西から4校が合同で発表するとあった。大阪教育大付属高校池田校舎、府立住吉高校、府立佐野高校の3校と神戸の葺合高校である。葺合高校以外の3校については、前任校で「仮想世界ゲーム」を行ったつながりのある高校である。

以前にもエントリーしたが、ユネスコスクールに前任校をするため、おおいに踏ん張ったのだが果たせなかった。現任校でも、昨年ハランベー・プロジェクトをやったりして動いてみたが、やはり体育系の学校なので、ユネスコスクールにすることは極めて厳しい状況だ。

そんな中、こういうニュースに接すると、どうしてもうらやましく感じてしまう。ちょっと愚痴っぽくなってしまった。とにかく、今は政経で、アマルティア=センの貧困の概念とHDI(人間開発指数)の関連について熱く語るしかないのだった。

http://www.asahi.com/articles/ASGC4454WGC4PPZB00M.html?ref=rss

2014年11月6日木曜日

奇妙な朝と「応援歌」

このところ、妻の体調が芳しくない。夜熟睡できないようで心配している。昨日も一人で起きた。その後、AmebaPiggの刈り取りなどをして、自宅を出た。29分の普通に毎日乗るのだが、乗客が多い。しかも28分発になっている。「また学研都市線が遅れているのだ。」と思い、次の区間快速に乗ったのだ。で、放出駅に着いたのだが、何か変だ。本校生徒の姿が多い。ふと、時計を見ると8時になっている。「ゲッ。1時間ずれている。」

要するに5時に起きたつもりが、6時だったのだ。(笑)モーニングをパスしたので、遅刻することはなかったが、なんとも奇妙な朝であった。

5限目、学年の総合的学習は、本校の「応援歌」の練習であった。生徒手帳に載っているのだが、誰も知らない。そこで音楽の先生である我が4組の副担任のY先生に、歌唱指導をお願いしたという企画である。私は悪くない企画だと思うが、生徒のノリはいまひとつである。歌う機会が二度となさそうだというのが最大の原因であろう。なんとなく盛り上がりにかけるのは仕方ないかなと思う。

武道科の女子たちが4階の音楽室から第二体育館までキーボードを運んでくれた。音楽の選択者が、事前に練習したらしく、まず歌ってくれた。私も始めて聞いたが、生徒に言わせれば「軍歌」のようだった。来年、中学校に正式採用されることになったY先生にとっても、大きな試練になったようだ。300人相手というのは大変でした。とY先生。

ちなみに、我が4組は、(副担任が指導しているということもあって)「真面目に取り組んでいましたよ。」とY先生。うむ。当然であるが、ちょっとほっとした。なんか、朝に続いて、奇妙な総合的学習の時間だった。

2014年11月5日水曜日

沢木耕太郎 「246」を読む。

沢木耕太郎の新しい文庫本が出た。「246」という日記風のエッセイである。「国道246号線」を歩きながら、深夜特急を書いていた1986年の記録である。じっくりと読んでいるので、当然まだ完読していないが、少しエントリーしておきたい。

と、いうのも「深夜特急」にまつわる重要な記述があったのだ。2月13日付のところだ。なぜ、沢木耕太郎が、香港からロンドンまでバスで旅するという酔狂な旅に出たかを説明する部分がある。沢木耕太郎は1日で会社をやめ、フリーランスのライターになるのだが、そのことを詳しく書いた部分を編集者と協議して全部カットしていたのだった。だから私も含めた読者はなんとなく謎めいた沢木耕太郎という人物に惹かれつつ共に旅することになるのだった。

もし、この部分がそのまま残っていれば、沢木耕太郎と言う人物が、もう少しわかりやすくなる。そのカットされた部分の内容をここで書くのは悪趣味なのでやめるが、私は沢木耕太郎という人物が一気に近いものに感じられたのだった。あえて、沢木耕太郎という人物の内面が謎めいていたほうがたしかに面白い。

ところで、その次の2月14日の項には、新田次郎を偲ぶ会の話が出てくる。ここで、びっくりするような話が載っていた。新田次郎の死後、「一瞬の夏」が新田次郎賞を取った関係で、授賞式に顔を出す話だ。沢木耕太郎は、こういうパーティーにはあまり出ないらしい。生前沢木耕太郎は、新田本人に偶然会い、出版直後の「人の砂漠」(私はこの作品は沢木耕太郎の名作のひとつだと思う。)を読んだと聞かされる。驚いた沢木耕太郎は、その理由を知る。実は新田の次男も同時期に本を出し、それを読み比べていたというのだ。その本が、藤原正彦の『若き数学者のアメリカ』である。ほんと、びっくりした。『若き数学者のアメリカ』は随分前に読んだ。なかなか面白いアメリカ滞在記である。まさか新田次郎の次男だったとは…。

2014年11月4日火曜日

秋晴れの「駅伝」を見に行く。

3年生の運動部員・最後の公式戦は、陸上部の「駅伝大会」である。我がクラスのK君、隣のクラスで1・2年担任だったT君が出場する。以前から、この駅伝を応援することを決めていた。場所は、十三駅近くの淀川河川敷である。三連休最後の昨日は秋晴れだった。

河川敷には、往復のコースが作られていて、ちょうど第三走者のT君から第四走者のK君にタスキが渡されることになっていた。その場所で是非タスキを渡すシーンを撮りたかったのだが、諸事情であきらめた。

駅伝を始めて見たが、TVでは、中継車が追ってくれるので面白いが、定点で応援するとなると、ほとんどが待ち時間である。アタリマエであるが、なかなか大変だ。気の短い私にはあまり向いていないことがわかった。(笑)

最後までいなかったので、今日いろいろ聞いてみた。結局本校は出場97?校中、33位だったそうだ。第一・第二走者が意外に力をだせずに終わったらしいが、第三走者・第四走者の両君がだいぶ順位を上げたんだとか。K君によれば満足できる試合だったそうだ。

TVでよく見る学校名の入ったのぼりがいくつも立っていたりして、なかなか良い雰囲気だった。保護者の方もたくさん来ておられた。「マツコの知らない世界」ではないが、「私の知らない世界」をまたひとつ覗いたような感覚だった。

K君、T君ご苦労様。年がら年中、学校前の公園を走りぬいた成果だ。最後まで頑張ったことを誇りにして欲しい。

2014年11月3日月曜日

ブルキナファソの政変について

ワガドゥグの新官庁街
http://dxing.at-communication.com/en/
XT2CML-Burkina-Faso/
毎日新聞の朝刊を見て唖然とした。ブルキナファソで、長期政権を担ってきたコンパオレ大統領がさらに2015年の大統領選に向けて任期延長を可能にする法案を提出したところ、野党や市民グループが反発、軍が出てきてクーデーターとなったようだ。大統領はコートジボワールに亡命し、政権が崩壊した。さらに軍内部でも、暫定政権のリーダーを巡ってもめているようで、結局若手将校のジダ中佐という人物が軍を掌握したようである。野党や市民グループは、軍政を望んでいるわけではないと反発、大規模なデモで抗議活動が再燃しているという。

そもそも、コンパオレ前大統領の評判は、私がブルキナを訪れた際もあまり芳しいものではなかった。ワガドゥグに新しい官庁街をつくり、奇妙な建造物(本日の画像参照)を建てたり、立体交差の道路を建設したりと、その前に教育や保健医療、インフラの整備など、やるべきことがあるはずだと、NPOの事務所の大家の息子で大学で経済を学ぶインテリの青年が厳しく指摘していた。政治家が「ハコモノ」好きなのはどこも一緒なんだと妙に納得したものだ。

サヘル(サハラ砂漠南縁)への旅の際は、オマーンが、大統領のワガドゥグ近郊の故郷の村にも寄ってくれた。大邸宅の中には、動物園があるそうだ。ブルキナは、本来極めて治安がいいところだ。意外にマスコミが平気で政権批判しているし、みんな大統領の蓄財や親族の優遇も良く知ってたはずだ。市民運動がこの政変を主導したことも頷ける。同時に、軍は市民から怖れれらていた。ニュースを見て、こんかいの騒動、意外な感じはしない。

調べてみると、コンパオレ前大統領も盟友の前大統領を殺害、クーデターで政権を得ている。新聞報道によると、対外的(マリの武装勢力との仲介など)には様々な貢献をしており、欧米の信認も扱ったようだが、今回のクーデターによる失脚を欧米はやむをえないと感じているようだ。

…いずれにせよ、友人のオマーンたち一般市民に死傷者が出ないことを祈るしかない。

http://mainichi.jp/select/news/20141103k0000m030040000c.html
http://www.huffingtonpost.jp/2014/11/01/burkina-faso-protest-photos_n_6085884.html

2014年11月2日日曜日

「武器としての社会類型論」Ⅲ

申命記(דברים) http://www.cmy.on.ca/page/5/
この三連休、妻とどこかの美術館に行こうと言っていたのだが、天気が思わしくない。結局自宅でPCの前に座っているわけだ。前からエントリーしようと思っていた「武器としての社会類型論」加藤隆著/講談社現代新書2164(12年7月発行)の「掟社会」について、じっくり考えてみたい。

著者の加藤先生は、この「掟社会」のモデルをユダヤ教社会においておられる。キリスト教の神学を研究されている故に当然すぎるほど当然であるのだが、いくつか重要だと思われる箇所を挙げてみたい。

「掟社会」の「掟」はメンバーとなる者たちにとって本来的に存在するものではなく、「与えられる」ものである。したがって、この共同体のメンバーでない者でも、その「掟」が自分に与えられることを受け入れるならば、その者は共同体のメンバーになれる。掟の客観性。また、この掟はたいてい成文化されている。この掟はメンバーの生活スタイルを拘束する。人間の生活スタイルは一様ではないので、客観的な規範として、それをメンバー全員に強制すると社会は成り立たない。人間や社会を取り巻く環境も一定ではない。(…つまり時代によって変化する部分がある。)

この掟は、人間の側の価値判断が行えない領域に、掟の権威を位置させなくてはならない。儀式は重要な要素であって、個々人の一生に一度と言うような儀式、共同体で行われる一年から数年に一度といったいくらか大掛かりな儀式、日常生活で絶えず確認できる儀式的意味の活動(たとえば、食物規定、服装規定)などが組み合わされることが多い。

「掟社会」では、「人による人の支配はない。神の前での平等、掟の前での平等がメンバー全員に実現している。メンバーは、掟に従うことだけが余給されている。規模の小さな掟がよいと考えるのが自然である。

しかし、ユダヤ教においては複雑な律法が存在していて、重要なのは、掟を守ろうとする姿勢であると、加藤先生は言われる。キリスト教的な立場から言われているのかと思ったのだが、次のような文献学的な事実からである。

ユダヤ教の「律法」の「聖書」の部分が最終的に決定されたのは紀元後一世紀末である。その正典である申命記16章に、三大祭の時には全てのユダヤ人がエレサレムの神殿に行かねばならないとある。しかし神殿は、「ユダヤ戦争」の時(紀元後70年)に破壊されている。つまり、決定時には存在しない神殿に行かねばならないという規定がされたことになる。権威ある掟に、このような規定を入れたのは、掟全てを守る必要はない、掟の拘束は相対的なものだという立場を示しているというのである。したがって、メンバーは、掟を守ろうとする姿勢が重要で、逆説的に言うならかなりの自由を許容する掟である、ということが出来るわけだ。

富と価値も、その自由な範囲内で行われる。優秀なユダヤ人科学者は多い。ただ、それが認められるのは「掟社会」の中ではなく、西洋世界の枠内のものであるというわけだ。

この後、「救われる」という概念を巡って詳細な議論がなされていくのだが、ともかくも「掟社会」という社会類型については、ここまでとしたい。ユダヤ社会について、極めて面白い指摘であると私は思う。

イスラム社会と「掟社会」について、(専門外だということで)加藤先生はほとんど書かれていない。だが、素人の私から見れば、この「掟社会」、おきてが規模が小さい、儀式的意味から見ても、イスラムの社会類型と言った方がわかりやすく見えてしまうのだ。これが最も率直な感想である。いやあ、一神教社会の話は深い。

2014年11月1日土曜日

毎日 カナダの国是は多民族融和

昨日の毎日新聞の「金言」(西川恵客員編集委員)に、カナダの国是は多民族協和であるとあった。なるほどと思ったので、エントリーしておきたい。今月10日から北京で首脳会議が開かれるが、11日に戦没者追悼記念日があり、ハーバー首相は自国で過ごしたいと欠席を決定した。いかにカナダが、先日の議事堂の事件を深刻に受け止めているかがわかる、というのである。

アメリカとカナダは、行ってみると明らかに違う。おとなしいアメリカ人とカナダ人を評することもあるが、カナダ人は極めてアメリカ人と見られることを嫌う傾向がある。カナダ人ALTの多くがそうだった。

これはどうやら同じ多民族国家・移民国家でありながら、その歴史に関わる問題らしい。カナダはフランス人がケベックに入植した。後にイギリスが入植、争いの果てにイギリス領となった。アメリカのほうは、南部はイギリスの貴族階級のコロニー、北部は主に宗教的な理由でイギリスから脱出してきた感が強い。結局本国の植民地政策に独立戦争で対抗した歴史を持つ。アメリカが、カナダ諸州に独立を呼びかけたこともあるそうだ。だが、カナダはイギリス王室と関係維持を決める。カナダ人歴史家は、「カナダは欧州との結びつきを強めることに、アメリカは欧州と断絶することに国づくりの理念を求めた。方向は正反対だ。」と指摘している。競争や効率一辺倒だけではない寛容の精神がカナダ社会にあるのは、底に欧州の精神が流れているからだという。

3500万人の人口のカナダは、毎年25万人の移民を受け入れている。多民族融和と多文化主義は、国の安定の上でも国是となっている。「社会のちょっとした緊張も見逃さず、すぐ手を打つことが大切だ。」とは民族問題を担当する大臣が来日時に語った言葉である。私立学校で、ユダヤ人生徒がキッパをかぶるのを禁じた際も政府がすぐ間に入って学校に撤回させたという。

今回の議事堂事件は、寛容な社会の土台を揺さぶる事件である。戦没者追悼記念日は、多民族融和と多文化主義を再認識する日になるだろうと西川氏は結んでいる。

…私が、よく実践するアクテビィティに「ウーリー・シンキング」がある。これは、様々な概念が互いに結びついている事を再認識するものだ。カナダ生まれのアクティビティである。「金言」の内容で妙に納得したのであった。

…今日の画像は、wooly thinking school で検索して見つけたもの。カナダの地理の先生のブログの画像でウーリーシンキング実践の様子。他にも私と同じようなアクティビティでの実践をされていることに、強い親近感を覚えたのだった。
http://edcp432.wordpress.com/