2018年2月28日水曜日

北極の気温 例年より30℃UP

http://blog.livedoor.jp/pacco303/archives/71285963.html
欧州が異常寒波に見舞われ、サハラ砂漠に30年ぶりに雪が積もったそうだ。そして、北極圏では、例年と比較して30℃も気温が上昇したのだという。と、言っても零度を超えたという話だが。この零度を超える気温、1980年から2010年までに4回あったらしい。4/30の確率だが、この5年では4/5らしい。
http://www.afpbb.com/articles/-/3164416?cx_position=3

地球温暖化の影響はかなりのものだ。改めてこういうニュースを見ると衝撃を受ける。

一方で、世界はますます混迷しているようだ。シリア、ナイジェリアなのでの殺戮は完全に常軌を逸しているし、政治もまた相変わらす常軌を逸している。今は乱世なのだろうか。ふと、先日そんなことを考えていた。
だいたいにおいて、乱世に「人物」が登場している。ギリシアしかり、春秋戦国しかり、イエスもムハンマドもそれぞれの地域では乱世と読んでも良い退廃や混乱の中であった。日本でも、やはり戦国や幕末に「人物」が登場している。私のような凡人には関係ない話だが、ふとそんなことを思うほど、地球環境問題や経済格差の拡大といった構造的暴力がじわじわと迫り来る危機を感じている次第。

ちなみに、今日の画像の地球温暖化による影響を受けた南極とグリーンランドを描いたポーランドボールは涙を誘う名作。一度紹介したけれど、もう一度。http://blog.livedoor.jp/pacco303/archives/71285963.html

2018年2月27日火曜日

半休をとって日本大使館へ

先日申請したパスポートが昨日出来ている。授業の空いた今日の昼から半休をとって、久しぶりに日本大使館に行ってきた。10年モノのパスポートの切り替えである。前回は、ブルキナファソに行く前であった。一番前のページにブルキナの入国VISAがどどーんとある。なつかしいなあ。

就労VISAの方は、PBTでさっそく取得してもらえるようだ。同時に妻の家族VISAも申請することになっている。こちらは実費が必要。たしかRM1000弱必要だった。必要経費中の必要経費なので、こればかりは仕方がない。

行きはタクシーだったが、帰りは、KLCC方面にに歩いて向かった。(タクシーがつかまらなかったから、と言った方がいい。)途中、メイバンクがあったのでさっそく妻の家族VISA代をATMでおろしてきた。最高気温34℃という暑い日で、KLCCまで歩くのは難儀であったが、私はKLCCは詳しくない(これで3回目)し、ちょいとばかり未知の世界でなかなか面白い。モール内で、なかなかLRTの駅がわからなくてうろうろした。ただしビルの中はまあまあ涼しいので問題ない。それより外国人観光客(白人)の多さに少しびっくりしたのだった。やはり、KLの中心地なのだ。

こういうことをやっていると、ああ外国にいるのだなあとふと思う。在マレーシア生活も4月でまる2年になるわけで、こっちが完全に日常となっている。

2018年2月26日月曜日

アメリカの銃規制の山が動く

これまで、学校を狙った銃乱射事件が度々起こったが、全米ライフル協会は不動だった。その理由は、先日(22日付)エントリーしたように、アメリカに文化の基盤だからだと思う。しかし、今回のフロリダの件は事情が違う。彼らの支持する共和党の大統領の対応の稚拙さが全面に出て、全米ライフル協会は完全なヒール(悪役)に転じている。

今日の報道によると、全米ライフル協会と関係のある(つまりは会員に割り引き等をしている)企業へのボイコット運動に発展し、関係を絶つ企業が続出しているらしい。
https://www.businessinsider.jp/post-162787

デルタ航空、ユナイテッド航空、ハーツ(レンタカー大手)、ベストウェスタン(モーテル大手)などである。これらは、私がアメリカ旅行に行った際利用した企業ばかりだ。

12点の男は、カンニングペーパーを持って高校生と対話した。側近の書いたペーパーがないと、慰めの言葉も語れない男らしい。そんな男に教師が銃を持つべきだと言われて、黙っていれるほどアメリカの知性も理性も落ちてはいなかったらしい。

この全米ライフル協会への反抗は、その支持を受けている12点男への反抗でもある。、この両者は同じ穴の狢だと多くのアメリカ人は考え出したのではないか。「恥を知れ」と。

2018年2月25日日曜日

旧正月の花火・特等席の悲哀Ⅱ

LOT10の赤い提灯
一昨日の金曜日は、12時くらいから夜中2時過ぎまで大花火大会が続いた。熟睡していたが夫婦共々、完全に起こされたのであった。卒業生のL君からLINEが来て、「先生、大丈夫ですか?」「起こされた。ハハハ」「たぶん、三時くらいに終わります。」「3日前ぐらいから準備しています。」と実家の写真を送ってくれた。…次にF君から「旧正月の九日になったので、福建人は普通天神様の礼拝をするのです。」と自宅の祭礼の写真を送ってくれた。「今日の花火が一番すごいと思います。」「(KLの全)チャイニーズに代わって、すみません。」(F君が謝る必要はないと思うが…。少し嬉しい。2人の心優しきOGに感謝である。)
たしかに、すごい量の花火がKLの南東を見渡せる私の特等席(住処)から次々と見えたのであった。絶対、KLの空気が悪くなったと思う。(笑)
パビリオンを望む場所にあった旧正月バージョンの飲料のディスプレイ
ところで、今日はブキッビンタンに行く用事があったので、念願のパビリオンの旧正月飾り付けの写真を撮ってきた。LOT10は赤い提灯だけしか残っていなかった。ミッドバレーの飾り付けも以前撮ったので、少しエントリーしておこうと思う。やはり今年は、極力干支の戌を押さえてある。
パビリオンの装飾は毎回豪華だ。
アラブ系の女性が中国の偶像の横で子どもを写していた。(笑)
こちらはミッドバレーのメガモール
マレーシアの面白さは、やはりマレー系も中華系もインド系も、それぞれ適度な間隔をもちながら共生していることだと思う。それぞれ自分の宗教に誇りを持っていて信仰は厚いと思うが、一般的に他の宗教には寛容である。マレー系もこの旧正月・大花火大会をうるさいと思っているだろうが、中華系もまたアザーンをうるさいと思っているに違いない。だがお互いに寛容なわけで、絶対に批判しない。インド系も同様である。多文化共生が100%うまくいっているとは言えないと思うが、今の世界を見るとき、こんな国はめったにない、と思うのだ。と、同時にインドネシアやネパール、バングラディシュやミャンマー、フィリピンなどの在馬外国人労働者の目にはどう映っているのだろうか。そんなことを考えてしまう。

2018年2月24日土曜日

内田樹「時間意識と知性」

https://lgsac.exblog.jp/
19730064/
久しぶりに「内田樹の研究室」を覗いてみたら、理化学研究所での講演内容が記されていた。とても全文を記することも出来ないし、その内容を要約することはかなり難しい。
http://blog.tatsuru.com/

しかし、ここに書かれてあることは実に面白い。原文を読んで頂く方がはるかに良いのだが、あえて要約に挑戦したい。講演の枕に使われているのは、ブレードランナーという映画の話である。中で語られているレプリカントというのは人造人間のこと。この映画では、人間の人間性を担保するものは何か?ということが問われていると内田先生は説かれている。(私はこの映画を見ていないのでここでエポケーするしかない。)ここで、一神教の起源についてふれられる。神を敬う心、自分の無能や無知の自覚から生まれる「我々を存在せしめ、その生き方を教えるはずの何者かが今ここにいないことを根拠にして現実の世界を秩序づけ、倫理を基礎づけること」を『時間的意識の獲得』と呼び、これが一神教的な意味でのsingulaeity(特異性・特異点)である、と。

さらに、話が孔子に飛ぶ。(このへんが内田先生らしい。)孔子の生きた春秋戦国時代は、文字が発明された紀元前10世紀のさらに後の紀元前8~3世紀頃。文字を知り、過去を認識できる人間と、文字を知らず今ここにしかリアリティを感じれない人間が混在していた時代である。春秋の智者は「時間意識を持て」と説く。(文字を知り)現実には見聞きしえないものの切迫感を感じるべきだと言ったのだ。この文字の獲得こそが中国のsingulaeityである。

内田先生は、孔子の仁は、一神教における神を怖れる心に近いものではないかと考えておられる。そして、孔子において、その神に構造的にあてはまられるのは周公である。周公は、当時文字を持たず時間意識のない(すなわち人間性をもたない)ゆえに、殷によって動物のように扱われ殺されていた羌人を救う。周公を支えた太公望(今日の画像参照)は羌の人であり、羌の人々は(おそらく太公望によって)時間意識を持つことが出来、反対に殷を滅ぼし周を支えた。春秋時代には「宋」と名乗った羌の人々は、後々宋という王朝をつくるまでになる…。
というのが、講演の漸(ようや)くの要約といったところである。

…孔子の仁は、たしかに定義が難しい。高校の倫理では「愛」であると教科書は説くのだが、そのカテゴリーにあてはまらないものも多い。今回の内田先生の説はなかなか面白かったし、周公と孔子の関係を、神と預言者という構造で見ているところもユニークだ。

2018年2月23日金曜日

旅かえると案山子

https://youpouch.com/2018/02/13/491579/
WEBで、「旅かえる」というスマホのアプリが中国で人気だという記事を読んで、妻がこのアプリを入れている。私がPCを触っていると、時々「帰ってきた。」とか言っている。かえるに名前もつけれるらしい。妻のかえるの名前は、「わさび醤油」。(笑)かなり単純なゲームらしい。お城や天橋立の写真を見せてもらったりもしたが…。ちなみに私のスマホにインストールする予定はない。

ゲームの制作者は、出張の多い夫をかえるに見立てていたようだが、中国の若者は、このゲームで親の気持ちがわかったと言う。なるほど。さだまさしの「案山子」やな、と思う。
https://www.newsweekjapan.jp/satire/2018/02/post-15.php

この旧正月、PBTにも卒業生が里帰りしてくれた。先日はA大学の私費・国費の文系2人が元気な姿を見せてくれたし、今日は京都と東京の大学に通う2人が来てくれた。ついつい、周囲の先生も私も「案山子」状態になってしまうのであった。

2018年2月22日木曜日

教育現場に銃を持ち込む?

https://www.business2community.com/government-politics
donald-trump-baby-norwegian-cartoon-not-banned-twitter-01751008
最低の評価を受けた(12/100)大統領と呼ばれている男(昨日のブログ参照)が、また信じられない発言をした。先日の高校での銃乱射事件の遺族や高校生をホワイトハウスにわざわざ呼んで言ったことが「教師に銃のを携帯させる。」だったという。涙ながらに銃規制を訴えている高校生に向かってだ。教師のハシクレとして、この今、大統領と呼ばれる男は、人間として許せないし、異常だとしか思えない。

デトロイトで、ある高校を視察したとき、校門で銃を持ったガードマンを見聞し、金属探知機をくぐる経験もした。この現実を肯定したとしても、教師に銃を持たせるということは、全く意味が異なる。教育を行う場所の神聖さを、すなわち教育という崇高な行為そのものを冒涜するものだ。

私は、アメリカに於ける銃の問題について、そう簡単な問題でないことは理解しているつもりだ。アメリカという移民国家は、そもそも王や貴族が最初から存在していない。ヨーロッパではギリシア・ローマの昔から、貴族や市民と呼ばれ生産に従事しない「自由な個人」と生産だけに従事する「不自由な共同体」の二重構造の社会であった。自由な個人である市民は、軍事に参加する権利があった。古代ならば重装歩兵として命をはって国家を守った。これは義務ではなく、権利である。武器を持つのは昔から権利であった。アメリカ人は、建国前から黒人奴隷を例外として、白人は「自由な個人」として存在し得た。だから、フレンチ=インディアン戦争にも参加し、独立革命でも英米戦争でも、内戦(南北戦争)でも、米西戦争でも武器を取り、自らの自由のために戦うことを権利としてきた。ロックの抵抗権の思想の影響も、こういう社会的な背景を考慮すべきだと思う。
だから、フランス人が政教分離を是とするように、アフリカ人が「情の経済」を是として「呪術」を容認するように、アメリカ人は「銃を保持すること」を是とし容認するのである。これはもう文化的な問題だ。今回の事件のように、メリットよりデメリットの方が大きいのは明白だが、それを越えた問題であると私は考えている。

とはいえ、この最低な12点は、そういうアメリカの文化的背景も語らず(知らない可能性が高い)、教育現場に銃を持ち込むことを主張した。なんと短絡的な発想であろう。アメリカ国民はこれを異常だとは思わないのか?アメリカの知性を心底疑う。
http://www.afpbb.com/articles/-/3163500?cx_position=12

2018年2月21日水曜日

「大統領の日」ランキング2018

ttps://crossthex.deviantart.com/favourites/71477724/Polandballh-comics
米国の「プレジデントデー」の19日、IDのボイシ州立大学による政治学者らが選んだ「偉大な大統領」ランキングが発表された。米国の政治学会の現会員や元会員で大統領や行政機関を研究対象とする専門家の評価で100点満点である。
上位7人は2014年の前回と同様だったそうで、8位にオバマが18位から一気に上昇。レーガンが次の9位で11位からランクアップしたという。
https://www.cnn.co.jp/usa/35114933.html

興味があったので、もう少し詳しく調べてみた。( )の数字は点数/100点である。
リンカーン(95)ワシントン(93)F・ルーズベルト(89)T・ルーズベルト(81)ジェファーソン(80)トルーマン(75)アイゼンハワー(74)オバマ(71)レーガン(69)L.B.ジョンソン(69)ウィルソン(67)マディソン(64)クリントン(64)J.アダムズ(63)ジャクソン(62)ケネディ(62)G.H.Wブッシュ(61)モンロー(61)マッキンリー(55)…G.W.ブッシュ(40)…ニクソン(37)…フーバー(33)…そして最下位がTrump(12)である。
https://qz.com/1210855/presidents-day

…このランキング、極めてアメリカのプラグマティズム臭がする。戦争(独立革命・内戦も含めて)に勝った、あるいは領土を拡張した人々が上位に並ぶ。8位のオバマは少なくとも文民的ではあるが…。まあ、そういう時代だったし、アメリカの歴史は戦争の歴史でもあるから当然なのだが…。

…米国史に素人の私としては、合衆国憲法の生みの親でアメリカの三権部立の政治体制を白紙から作り出したジェファーソンはもっと高位でもいいのではいかと思ってしまう。このジェファーソンも入っている有名なサウスダコタのMt.ラッシュモアでは、T・ルーズベルトは眼鏡をかけていてなんとなく絵になるから最後の一人として入れたと日本語の解説書にあったけれど、米西戦争で活躍し領土拡大に一役も二役も買っているので専門家は評価しているのだろう。もし、今新しい5人の大統領の彫刻をつくったら、ここにF・ルーズベルトが入るというわけである。私は、感情的にはいろいろ思うところもあるが、まあ妥当だろうと思う。副大統領上がりのトルーマンの評価が高いのは、意外であるし、同じく副大統領上がりのL.B.ジョンソンの評価が高いのも意外。たしかに公民権運動を成功に導いたし、ベトナム和平の道を開いたが、JFKとニクソンのつなぎ役的な要素が高いのだ。

…最後の12点しか取っていない男の話はしないでおこう。全く無能だったフーバーの半分も得点していないのだから。

Gamailとパスポートの日

だいぶ前に、妻の一時帰国のためのエアアジア便の予約を入れたのだが、一向にメールに返信がない。不思議に思って確認したら、妻のメールアドレスの最後が、@Gmailではなく、@Gamailになっていた。かなり疲れていた日だったので打ち間違ったのだ。以来、様々な手を打ったのだが埒があかず、妻は段々不機嫌になっていった。で、今日妻は英語バッチリの知人とブキッビンタンのエアアジア・オフィスに乗り込んだのだった。すると、いとも簡単に変更ができて、妻のスマホに晴れて確認メールが届いたという次第。知人は私も顔なじみで、この話大いにウケたらしい。私のことを妻と二人で「Gamail(ガ・メール)おじさん」と呼んでいるらしい。英語が出来る知人がいるということは実に頼もしい。

さてさて、私の方も、今日は、月イチの大使館の出張受付の日で、職場のある日本人会で様々な用事ができるありがたい日である。実は私のパスポートはあと1年で切れるのだ。5月に再申請する予定の就労ビザは2年モノであるので、うかうかしていると来年大変ややこしくなる。そこで、校長と相談の上、まずパスポートを申請することになった。私の現パスポートは2月18日付で、1年前に突入したので申請が可能なのだ。(私は2月28日付だとばかり思っていたので、申請は3月かなあと思っていたのだが、今日は十分可能である。)急なことだし、久しぶりなので、全く持って写真のことを失念していた。あわててミッドバレーで証明写真を撮り、無事申請できた。来週の月曜日には出来るらしい。ただし、大使館に足を運ばねばならないとのこと。学生達も就学ビザの為、日本大使館に行く必要があるのだが、交通の便はあまりよくない。うーん、少し邪魔くさいのであった。まあ、就労ビザはKLの南にある官庁街のプトラジャヤ(車で小一時間かかる)で取得する。(マレー系の事務の方のお世話になるので、私は行かなくてすむはず。)…プトラジャヤに比べれば、はるかに近いのだけれど。

2018年2月20日火曜日

PBTの話(17)歴史分野PP2

旧正月のスクールホリデーは、祝日だった金曜日と土日以外、全日出勤している。進路関係の仕事もあるけれど、残った時間は、ひたすら歴史分野のパワーポイントの作成に勤しんでいる。まあ、趣味の世界でもある。今日の段階で、WWⅠとロシア革命が終わって、ヴェルサイユ条約とハイパーインフレのところまで来た。歴史をやりながら、政治や経済の話題を盛り込もうというコンセプトなので、ついつい凝ってしまうのだ。しかもポーランドボールの第一次大戦時の国々の国旗がもとになったレアなものや、様々な人物の面白いイラストも発掘している。単純に日本語検索だけではなく英語の検索だとヒットすることが多い。


パワーポイントは、教育実践では、やはり大きな武器である。視覚に訴えるというのは、やはり大きな効果があると思う。少しだけ、公開しようかと思う。

2018年2月19日月曜日

旧正月の花火・特等席の悲哀

昨年の旧正月は、妻も一時帰国中で、しかも西向きの部屋だったのであまり良い思い出がない。やたら深夜の花火の音に悩まされたことばかりである。
今年は、東向きの部屋に移って、窓からタマンデサの街だけでなく、KLの東南部を見下ろすことができる。8時過ぎになると、あちこちで花火が上がり、なかなか楽しめるのだ。真っ正面に高級住宅街があって、さすがお金持ちという花火が上がった。大玉で、なかなかのものだ。竜が昇っていくようなものもあって、妻と「ブラボー!」と歓声を思わず上げてしまった。

残念なのは、花火の特等席にいながら写真が撮れないことだ。今手元にあるカメラでは到底上手く撮れるはずもない。ところが、今、日本の実家で5月の妻の帰国を待っている私の次の愛機・Canon G1X markⅡは、花火の手持ち撮影も十分可能で、しかもかなり芸術的な写真も撮れそうなのだ。ここは、じっと我慢するしかない。

そんな待ち焦がれているカメラなのだが、G12を入れるのに重宝していたカメラケース(これはナショナル・ジオのアフリカコレクションの一品なのだ)が、サイズ的に無理なことがわかった。G1X markⅡは、レンズの部分が出ている(ここで様々な絞りやシャッタースピードなどの設定や微妙なぼかしのピント合わせを行う)ので、入らないのだ。で、少し大きめのナショナル・ジオのちょっと古いEarth Exploreコレクションものをアマゾンで注文した。Canonオリジナルのカメラ・カバーを求めるような趣味はないし、といってカメラを守るためには必要不可欠である。で、妻に一言申し出ておいた。(これは自分を守るために必要不可欠である。)もう発売からだいぶ経っているので、かなり安く買えたのも嬉しい。

今日は、我がクラスの大事な学生が来てくれて、これからの話も出来た。安心を得た。これまでの長い戦いを振り返って、ちょっと自分にご褒美。

2018年2月18日日曜日

米国産石油の東アジア輸出の件

http://polandball.wikia.com/
wiki/USAball
ロイター電によると、アメリカのシェール革命で石油市場に大きな変化が起こっているようだ。「焦点:米シェール革命が塗り替える世界の世界勢力図」という記事である。https://jp.reuters.com/article/usa-asia-oil-idJPKCN1G00WN

2年前まで、米国産石油輸出禁止だったのだが、日本と韓国・台湾向けに輸出を開始、さらに中国に40万バレル/日(本年1月=金額にして約$10億)と50万トン(同=約$3億)のLNG(液化天然ガス)が出荷されているという。このエネルギー関連輸出で、中国の対米貿易黒字は$255億5000から$218億9500に縮小(本年1月)に減少した。OPEC諸国は、中国に$97億の石油を輸出しており、$36.55億と比べると小さいが、OPEC諸国からすれば、アメリカという世界最大の市場を失い(輸入量は400万バレル/日を現在下回っている。)、しかもアジアの市場のシェアを食われているわけだ。このところ、米国産の原油価格は、$60.5/1バレルで、OPECやロシアより約$4安い。WTIの先物取引が益々影響力を増すだろうと予測されている。

…前々から言われていた米国のシェール革命の影響が、東アジアに押し寄せていたわけだ。日本は、プラザ合意後も米国債を買い続けるという大蔵省の司令で官民一体で国債を買い支え、アメリカの経常収支と財政を支えた。こんどは、経済産業省がOPECから米国産原油へと方向転換を打つ出すのかしらん。(と、いっても今の米国には超巨大タンカーの積み出しの為のインフラは未整備だそうで、少しばかり先の話になるとは思うけど。)軍事・食糧に加えてエネルギーまで依存するとなると、もう州の1つに再編して貰った方がわかりやすいと思ったりする。

2018年2月17日土曜日

南アのズマ大統領辞任の件

https://www.newyorker.com
/magazine/2010/07/05/
the-third-man-7
南アのズマ大統領が辞任したという。アフリカでは、ジンバブエのムガベ大統領の辞任など辞任続きである。ある意味で、民主主義が有効に作用していると言えると思われるが、途上国に於ける開発独裁、あるいはそれに近い政権で、汚職がはびこるのはある意味で当然の話であると私は考えている。日本でも明治期の政権では同様の汚職(特に長州系が酷い。)はあったし、先進国的な上から目線でただ批判するのは私はどうかと思う。ましてアフリカは「情の経済」の世界である。一族から権力者や富者が出た場合、多くの血縁・地縁者が群がるのは避けられない。これを避けたとしたら、呪術で呪われるだろうと思う。なかなか政権と汚職といっても深い文化的な問題があるわけだ。
ところで南アはアフリカでもマスコミの自由度が高いので、汚職追及については厳しい。こういう政権とマスコミの対決の経験値が、いずれ汚職を払拭していくはずである。歴史はそれを教えてくれている。まあ、「ローマは1日にしてならず」ですな。

ズマ大統領は、マンデラ大統領・ムベキ大統領に継ぐ黒人政権の3代目である。わりと低所得層に支持基盤を持っていた。彼は、中国との接近をはかり開発独裁的手法をとるが、ジニ係数が大きくなる。つまり経済格差が激しくなったのである。南アは世界第2位(74.9)である。(ちなみに、世界平均は39.5、中国47.3、アメリカ45.0、マレーシア46.2、日本37.9である。)この原因は、石油をはじめとした鉱産資源の国際価格の低下で(石油に他の国産資源価格も連動するので)プラチナなどの南アの輸出の主力である鉱業の業績が低迷したことにある。それに加えて、アメリカの政策金利が上がり、南アへの投資がアメリカに逆流したことも大きいようだ。経済的に行き詰まり、しかもストライキ等を弾圧してしまった故に人気が落ち、それ見たことかと汚職報道が過熱した故の辞任だという。ただ、次のラマポーザ氏も鉱山スト弾圧ではもズマ氏と同じ穴の狢であるらしく、南アの先行きは見えないのだという。南アはG20のメンバーである。おいおい大丈夫か?と言われ始めている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20180216-00081698/

…アフリカの開発を考える際に、ポール・コリア-氏などは、民主主義の確立を強く主張するが、私はそれはかなりの”上から目線”ではないか?と思っている。アフリカという文化的な土壌はそう簡単に変わるとは思わない。
しかも南アの経済を悪くしたのは、全て政府の責任ではない。アメリカは、ドルという基軸通貨をあやつり、(過去のパクス・ブリタニカのポンドを支えた金本位制のような制限もなく)自国に有利なように持っていける術がある。石油の価格も先物取引が主で、その売買は投機筋によって動かされているのは周知の事実である。南ア経済を悪化させたと言われるズマ氏を弁護する気はないが、そういう構造的な暴力のコードに途上国はみんな支配されていることを確認しておきたい。これは、途上国だけではなく、中進国・マレーシアも、そして先進国・日本にもあてはまるようだ。(今、そんな関係の本も読んでいるのであった。)

タンザニアのUberに日本車

ウーバー(Uber)というシステムがマレーシアにはある。スマホでUberに登録してる自家用車を呼び出して、タクシーのように使うシステムである。まあ、端的にいうと白タクである。日本では、試用したが運輸省によって中止させられたらしい。(そりゃ、そうだろうなあ。)本社はアメリカで世界70ヶ国で運用されているらしく、わりと世界標準であるとのこと。グラブという同様のシステムもマレーシアにはある。車社会のKLでは、意外に便利なシステムである。我が夫婦は英語が苦手なので、知人にお願いしたことはあっても、またスマホにアプリが入っていても使ったことがない。(笑)もっぱらタマンデサからタクシーを拾う。(我が街には優良なタクシーがたくさん走っている。タクシーに乗ろうかという顧客層が多い故だと思う。)
マレーシアでは、タクシーよりちょっとだけ安い。
で、そのウーバーと昔ガリバーと呼ばれていた中古車販売のIDOMが組むらしい。アフリカ、それも同じ右ハンドルのタンザニアで、ウーバー登録者に日本の中古車を直接取引で安価に輸出するとのこと。今、世界でこのウーバーとグラブの凄いシェア争いが行われているようだ。で、ここに強い味方・日本の中古車が助っ人に入るという構図だ。アフリカでも日本車への信頼は抜群である。

このシステムは、スマホの普及したアフリカでも有効なようだ。私は、ブルキナで、荒熊さんやIさんにタクシーに乗せて貰って、何度もダウンタウンに向かった。タクシーと言っても、乗り合いで、方向が合えばどんどんお客を乗せる。フロントガラスが割れていたり、シートがぼろぼろだったりと凄い車が多かったが、車自体はベンツだったりした。(笑)そういう乗り合いタクシーの話もきっと昔話になるのかなあ、と思う。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000030.000020448.html

2018年2月16日金曜日

ホイットマンの詩を捧ぐ。

https://www.youtube.com/watch?v=O6ETXumCqg4
私の師が愛し、私も強い感銘を受けたアメリカの詩人、ホイットマンの言葉をいくつか、私の大事なF38の学生に捧げたい。

寒さにふるえた者ほど 太陽の暖かさを感じる。
人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る。

情熱…。 それをなくして生きていると言えようか?

私は現実を受け入れる。そこに疑問は挟まない。

あなたの生き様は 偉大な詩になるだろう。

あなたの道を他人が歩むことはできない。
その道はあなた自身で歩まなければならないものだ。

2018年2月15日木曜日

いよいよ旧正月が始まる。

マレーシアは、チャイニーズ・ニュー・イヤーの始まりである。街中が赤と金の世界になっている。もちろんわが住処もエレベーターホールは赤と金。おまけにミカンの木が置いてあったりする。ミカンは、旧正月グッズの中でも中心的だ。問題は、夜の花火である。深夜に打ち上げるのだけはやめて頂きたいもんだ。(笑)

今日からスクールホリデーに入ったが、私は出勤。進路関係で気になることもあっての出勤である。VISA関係、S大学の追加合格のこと…。VISAの方は前三後一という感じ。追加合格は結局ならず。残念であるが仕方がない。前だけを向いていこうと激励した。

いろいろあった一日だったが、今日はこれまで折に触れて撮った旧正月風のスナップ写真を並べてみようかと思う。
セントラルステーションの前のモールにて
NSKのノンハラルスペースにて
ミッドバレーのメガモールやブキッビンタンのパビリオンの装飾はまだ撮っていない。もし機会があれば…。先日記したが、今年は戌年だけれども、あまり戌はクローズアップされていない。

2018年2月13日火曜日

PBTの話(16)サクラサクⅥ

http://talkoita.jiuson.com/wp-content/uploads/2011/04/oitacity.jpg
国公立大学6校目の合格発表が今朝あって、見事にサクラサク。この大学はI君の受験した2校目の大学。かなり気に入っていた大学だ。当日JRが40分も遅れて、ヒヤヒヤものだったが、大学の担当者がすこぶるやさしかったらしいし、物価も安く住みやすそうなところだとの感想を教えてくれた。

一方、今日はサクラの咲いたA大学とS大学の入学手続きの締切で、本校エージェントのおかげで無事入金が完了することができた。入学試験の手配から、入試、合格発表、入学手続き(特に入学金の払い込み)、これが住んでも就学ビザの取得と次々と様々な試練が海外の私費留学生には降りかかってくる。とにかくも、大きなヤマを越えることができたのである。正直なところ、このトコロ心配で寝れないことも多々あった。

明日も大きなヤマを控えている。気をひきしめて夕方を待つ。

2018年2月11日日曜日

熱帯のスコールの思い出

2つの感動した話をエントリーしようと思う。今日は、ブキッ・ビンタンに用事があって、その後妻と一緒にtタイムズ・スクウェア-というモールに安い食器を買いに行ってきた。以前一度だけ行った時、妻が食器の安い店を発見していたのだった。その店のカウンターで面白いセロ・テープ自動切り機を発見した。横の歯車(画像の矢印参照)を廻すと、一定の長さのセロテープが出てくる。これで、食器の新聞紙を包んでくれたのだが、なかなか感動モノであった。凄いな。見たことない。超優れものである。

その後、ブキッ・ビンタンまで戻り(モノレールで1駅分ある。)、650番のバスの始発であるパサセニまで地下鉄で行って、結局バスで帰ってきた。(あまり一般の在馬マレーシア日本人のやることではないと思う。笑)日差しも強かったし、大いにくたびれたのであった。住処に戻って、冷たいカフェオレを飲む。これが私の一番の幸せである。ところが、妻が牛乳の味がおかしい、という。そう言われれば後味が悪いような…。危険だと妻が新しく開けた2リットルの牛乳を破棄した。問題は、もう牛乳が冷蔵庫にないことである。これは困る。で、雲行きが怪しい中、近くのスーパーへ牛乳を買いに出かけたのだ。
牛乳以外に買ったもの。桃太郎の天ぷらうどん・ナタデココ・フルーツの缶詰(これらも必需品)
予想通り、買い物が終わると、外はスコールになっていた。熱帯・マレーシアのスコールである。住処から眺める分にはどうってことはないが、ここを歩いて帰るというのは多少の勇気がいる。でもまあ、10分ほどだし、意を決して帰ったのだ。すると、途中でインド系のご夫婦が運転するBMWの車が止まって、「乗っていかないか。」と言ってくれた。なんと嬉しい言葉であろうか。だが、すでにジーンズ等はびしょびしょだし、日本人的な遠慮が、「ありがとう。でもノープロブレムです。」と言わせるのである。その好意だけで十分ありがたいと思う。やはり、マレーシアの人々は素晴らしい、と思うのだ。日本に帰国してもきっと忘れないと思う。熱帯のスコールの思い出である。

2018年2月10日土曜日

マックヘンリー要塞のこと

社会科の教師には、ついついウソを本当のように語ってしまうという『罠』がある。後々に教材研究をしていて、あれ?と思うことがある。間違ったことを教えてしまったという後悔の念が湧く。十分に教材研究していたつもりなのだが、浅学故に勘違いしてしまうこともあるのだ。

マックヘンリー要塞について、つい最近そういう勘違いをしていたことがわかった。アメリカのメリーランド州・ボルチモア近郊にある星形の要塞である。私にとって、最初のアメリカ研修旅行での視察地で思い出深い所である。マックヘンリー要塞は、「星条旗よ永遠なれ」というアメリカ国歌の元になった場所で、英軍の軍艦に拘束されていたアメリカ人弁護士(フランシス・スコット・キー)が、攻撃中の軍艦からマックヘンリー要塞にはためく星条旗を見て、感動して作詞したものがベースになっている。

問題は、私はこれを独立戦争時のことだと思い込んでいたことだ。いやいや、これはヨーロッパで行われていたナポレオン戦争のあおりを受けて、米英戦争が起こったのだが、その時の話である。米英戦争は、イギリスとの貿易がストップし、その影響で、北部は保護貿易求め、一気に輸入代替工業化が進む。一方で南部は綿花プランテーションが主産業故に自由貿易化を求め、イギリスに依存することを望み、世界史上では南北戦争のきっかけをつくった戦争であるというのが重要事項であるが、実際にはネイティブアメリカンやカナダをめぐってかなり複雑怪奇な戦争である。

戦争の経過についてあまり詳しく教えることもないのだが、それにしても、教材研究の恐ろしさを今になって改めて深く感じた次第。授業というのは、一期一会である。プロとして、今更ながらだが、しかっりやらねば。

2018年2月9日金曜日

幕末バトル・ロワイヤル 5

久しぶりに「幕末バトル・ロワイヤル 」の書評を書こうと思う。すでにバス車中で読み切ってしまったのだが…。最後の方は、黒船来校の話が実に面白いのだが、水野忠邦の話の続きをエントリーしたい。

石もて追われた水野だが、一度首席老中に復帰している。ちょうど、大奥で火災が起こり、国家的な災害とされ修理費が必要になった。水野の後任の土井では、それをかき集める力量がなかったのである。天保15年6月、水野は再勤を将軍家慶に命じられる。江戸の街の店頭から贅沢品がまた消えたというのが面白い。他の老中は、これに抗議して欠勤する。御用部屋に1人ぽつんと座って書類の決済だけをしていたという。7月に入ってようやく後の老中になり、パンドラの箱を開けた阿部正弘らが出勤するが、何故か水野は勝手掛という財政を専管する役には就かせてもらえなかった。カネを動かせないとなると、老中首座といっても名ばかりである。結局江戸城の普請も阿部が担当することになった。水野は12月には欠勤し、2月には罷免されている。まさにブラックボックス的な期間である。

明治時代のジャーナリストの徳富蘇峰(明治26年の「吉田松陰」)や福地桜痴(明治29年の「水野閣老」)によれば、家慶はオランダからの黒船来航の情報を得て不安に思い、この危機を乗り切れるのは水野しかいないと再任したのだという説を唱えている。後世の歴史家は公式な水野忠邦日記に記載がない故に否定しているが著者はこの説に肯定的である。実は、この時『開国』を水野は訴えたのだと。徳富や福地がこの水野再勤=外交危機説を書いた当時、まだ証人となる人々もいたはずで、明治日本を代表するジャーナリストの2人が2人とも荒唐無稽な作り話を書くわけがないというわけだ。

水野の「(鎖国を貫くとなれば)この誤用部屋で今後『和』とはいえなくなるぞ。」という捨て台詞(徳富蘇峰や福地桜痴の本に出てくる)は、マクベスの魔女の預言のように、後継の阿部政権の呪縛となった、著者は主張する。

…だからこそ、阿部はこの呪縛を払うため攘夷派の徳川斉昭を幕閣に招聘することになったのかもしれない。毒には毒。なるほどと、私はそんなことを邪推するわけだ。

2018年2月8日木曜日

地球市民の記憶、久々更新。

忙中閑ありで、ミッドバレーのメイバンクにRM1000おろしに行ってきた。そこに、あまり聞いたことない言語を話す女性3人、男性1人のグループがいて、何語なんだろうと聞き耳をたてていた。ドイツ語に似ているようだが違う。顔つきはラテン系。うーん。我慢できなくなって、「どこから来られているのですか?」と男性に聞いてみた。最近出かけるときは妻と一緒が多いので、ブロークン・イングリッシュはあまり使わなくなった。しかし、今日は一人だし、こういう会話は久しぶりである。すると、意外な答えが返ってきた。「ローマニア」おおお。ルーマニア人だったのだ。

私の地球市民の記憶はこれで103ヶ国になった。マレーシアでルーマニア人と出会うという、なんとも不思議な出会いである。少し自己紹介をしたが、マレーシアに来てから、ついついブロークン・イングリッシュを使うことも少なくなった(PBTの中では私が最も英語が出来ないと自負している。)ので、少しばかり恐怖心もあり、ほどほどでバイバイしてしまった。でも、103ヶ国目はルーマニアとなった。なんか嬉しい。まさに忙中閑ありである。

*この「地球市民の記憶」は私のブログの常設ページにあります。これまで出会った世界各国の人々との出会いを記録したものです。

2018年2月7日水曜日

PBTの話(15)サクラサクⅤ

私の大好きな九州の街にあるN大学で合格発表があり、今日サクラが咲いた。昨年もOGが合格していて、そこに泊めてもらっての受験だった。いやあ、嬉しい。

とはいえ、合格後の入学手続きで、今四苦八苦している。大抵の国立大学は、日本国内のエージェント経由でしか合格通知等を発送して貰えない。そこからマレーシアまでさらに時間がかかる。先週はマレーシアでは2日間休日があって、さらに遅れる。なんとか書類を作っても、入学金を入金するのも国内のみという場合が多い。今朝、ふと自宅の冷蔵庫のカレンダー(日本のものを使っている)を見たら、12日(月)は休日になっている。建国記念の日だ。Fedexはマレーシアからでも早く着くが、月曜は金融機関は休みで、13日が手続きの締切という大学があって、ゲゲゲと思った。私は月曜に振込をして貰い、速達で火曜日に間に合うと読んでいたのだった。心痛で朝食をあまり食べれなかったのが事実である。

学校に着くと、すぐ大学に電話した。幸い事情を汲んで頂けた。ノープロブレム。全身の力が抜けたのだった。まさに、そんな日が続いている。サクラは咲いても、まだまだその後が大変なのである。

2018年2月6日火曜日

PBTの話(14)最後の?「檄」

これまで、多くの受験生に「檄」を送ってきた。日本では前々任校の英語科の担任をしている頃からだと思う。センター試験はほぼ全員受験だったので、男女別の代表者に「檄」の携帯メールを送って伝えて貰った記憶があるし、関関同立の受験シーズンなどは、通勤時に受験日程のメモを見ながら多くの生徒にメールを打ちまくった記憶もある。

マレーシアに来てからも「檄」を送り続けてきた。いよいよ、明日が最終の受験になる可能性が強い。(微妙な言い回しであるが…。個人情報絡みなので…。)日本は寒波が襲ってきて、積雪が凄いとの情報があるが、幸い太平洋側は大丈夫なようだ。

今回はLINEで、F38の多くの学生と繋がっている。(というか、繋がっていないと大変なのだ。)スマホを使い出したのもマレーシアに来てからだし、LINEをやりだしたのも半年前くらいからだ。私のスマホは必要最低限の最も安いものなので、LINEをやろうとするとなかなか起動しなかったりするし、キーボードが小さいので、すぐ文章を間違える。なかなか慣れないのだが、ともかくも便利であるとは思う。日本にいる学生に気軽に檄を遅れるのも、通信技術の進歩のお陰である。

ともあれ、我がクラスのアンカーのZ君には、平常心で頑張って欲しい。…あなたが負けるわけがない。

2018年2月5日月曜日

PBTの話(13)サクラサクⅣ

http://www.kato-tamaki.com/work/05/top.html
国立A大学にM君が合格した。私は、このA大学が大好きなので嬉しい。出願までに大変苦労したこともあって、喜びはひとしおである。

今日は、H君の社会学の提出レポートを見て、さらにM君と合格発表まで寮の事やらいろいろと話していた。そこに隣のクラスのP君が来て提出書類を確認、ここにS大学の2人が来て…。A大学に電話を入れて、4限目はF40Aクラスの最初の授業で…と、無茶苦茶忙しい1日だった。とはいえ、厚情の東北の地にサクラサク。

私の大好きな秋商野球部の地方大会を応援にいってもらうのが、合格後のM君との約束だ。甲子園に出場したときは、すぐ近くに住むだろうH君に応援にいってもらうかな。

2018年2月4日日曜日

米国核戦力見直し 考

https://blogs.yahoo.co.jp/
mitokosei/36569425.html
政治家という職業は大変であると思う。権力欲がなければ勤まらないだろうが、その権力を何のために使うのか、という一点で評価が分かれるところだと思う。先日、京都府選出の元代議士・野中広務氏が死去した。野中氏は町議からたたき上げた政治家で国会議員になったのはかなり遅い。かの田中角栄は地方議員出身者は首相になれないと常々言っていたそうだが、野中氏にとってはどうでもよかったのではないかと思う。被差別部落の出身であることを隠さず、弱者の立場に立ち続け、戦争体験者者としてハト派を貫いてきた。この辺は色合いは違うが官僚出身の後藤田氏とかぶるところがある。共に、官房長官の経験者である。権力闘争にも長けた凄みのある一流の政治家であったと私は思う。
https://www.j-cast.com/2018/01/26319712.html?p=all

もし、野中氏がこのところのニュースを見聞きしたらどう言っただろう。米国大統領が、通常兵器の使用に際しても戦術核の使用もありうるとの方針を示したのである。核兵器には、ICBMなどの戦略核と、攻撃機などに搭載される戦術核がある。大都市をも一気に破壊する戦略核ほどの威力はないが、ソウルを攻撃するために配置された部隊くらいなら一瞬で破壊することが可能である。これまでの米露の軍縮ではその弾頭数は制限がかけられていないし、ロシアの方が多く保有しているという報告もある。

かの米国大統領は、誰が見ても嘘つきである。前言をひっくり返すことを何とも思っていないようだ。戦術核の使用も辞さないという表明は、またまたウソかもしれない。軽い。軽すぎる。ホテルやゴルフ場の買収のために取引先を脅す不動産ビジネスとは全く次元が違う。

昔々、三木武吉という政治家がいて、鳩山一郎をかついで民主党と自由党の保守政党を合同させるという離れ業をやった。「誠心誠意嘘をつく。」という名言をもつ寝技師であった。野中氏同様、自分は最高権力の座に着く気などなかったようだ。だからこそウソをつける。それも、大義のための誠心誠意のウソである、というわけだ。

今、こんな腹の据わった政治家がいるのだろうか。三木武吉。後藤田正晴、野中広務…。彼らは修羅場をくぐり抜けながら、命を燃やして政治をやっていたような気がする。ちなみに、今の外相は、今回の米国大統領の発言を高く評価したらしい。これは「誠心誠意のウソ」ではなかろうと思う。日本は米国の51番目の州であることをあからさまに世界に示したとしか受け取れない。
https://this.kiji.is/332362404527457377

幕末バトル・ロワイヤル 4

歌川国芳は天保の改革時代の風刺で妖怪を描いた
http://s.webry.info/sp/mikmitti.at.webry.info/201106/article_7.html
「幕末バトル・ロワイヤル 」の書評の続きである。江戸幕府中枢は、意外に外交情報を長崎経由でオランダから得ていて、アヘン戦争の状況を知り愕然とする。外国船に対しての打払令を改め薪水令とすると水野忠邦は専断する。このバックには、海防掛の真田信濃守のブレインだった佐久間象山の進言があったそうだ。

さらに、英軍の長江封鎖の報を聞き、江戸湾を封鎖された場合に備え、利根川と江戸川をつなぐ物資補給ルート確保のための印旛沼掘削工事を開始する。天保14年には、江戸城最寄りの譜代大名や上層旗本の上知(あげち:領地を官有化すること)し、他に替地を与えるとした。さらに大坂周辺にも上知令が出される。江戸と大坂を幕府直轄とし、いざというときに指揮系統を統一しようとしたわけだ。これが水野忠邦を失脚に追い込む。

外患に対して、総論賛成・各論反対の世論を代表して紀州家が反対の声を上げる。同藩付家老が「当藩はいやしくも徳川御三家である。並みの大名とは格が違う。領分を召し上げられるいわれはない。国防のためと仰せになるのなら、この紀州家にお命じになればよろしい。自力で大坂でもどこでも立派に守ってみせよう。」と言い出し、水野忠邦だけでなく、大奥にも手を回し将軍家慶(いえよし)に反対論を吹き込んだ。これには水野も弱気になり、一気に政情は液化する。この紀州藩は以前の株仲間解散令で、船問屋に投資していた故に大損を被っていた。複雑な利害がからまりながら政局が動く。まさに一寸先は闇。水野忠邦は上知令を撤回し、解任される。上知令から129日目であった。

水野忠邦が老中を罷免されたという噂はあっという間に知れわたり、天保14年9月13日の深夜、西丸下の水野邸は江戸中から集まってきた夥しい数の群衆に取り囲まれた。誰からともなく石を投げ始め、ひっそりと静まった邸内に雨あられと降り注いだ。門前の番小屋も壊され、畳や障子、さらに家具まで壕の中に投げ込まれた。人出は数万に達したという。57年前の田沼意次の追放時を上回る騒ぎであったという。投石の現行犯で捕まった庶民の取り調べ記録から。「なぜお屋敷に石を投げたのじゃ?」「いいえ、石を投げた覚えはございません。意趣を返したのでございます。」

水鳥の浮き寝の夢のはかなくも覚めて驚く浜の松風。「浜」は水野忠邦の浜松藩を意味する落首である。

2018年2月3日土曜日

パジュ・メラユを買いに行く。

民族衣装の店先で。向こうに黒とオレンジに見えるのは帽子である。
バジュ・メラユとマレーシアで呼ばれる民族衣装がある。国費生が金曜日に着てくることが多いもので、集団礼拝に着ていく服である。(普段はみんなTシャツやポロシャツ姿が多い。)首もとがきちっとしまっていてながらも、ちょっとゆったりした服で私は大好きである。若い彼らは、鮮やかな原色系のものを着ている。だいたい上から被り、首元をボタンで留める。昨年、国費生の卒業式に合わせて、私も一着手に入れた。ただし太り気味の私が着るのに適した前開きのものがあったのでそれにした。ぱっと見るとわからないのがミソである。(笑)昨年、一時帰国の時、同窓会にこれを着ていったら、意外に好評だった。息子さえ、これは欲しいと言っていたそうだ。妻が、5月に一時帰国する予定なので、息子のお土産用のバジュ・メラユを買いに、昼前からマスジット・ジャメ方面に妻と行ってきた。
マレーシア最古のモスク、マスジット・ジャメ
ずいぶんと長い前置きになったが、昨年末に来馬する予定だったT先生をここに連れてきたかったのだ。マレー系とインド系が多い街である。もちろん中華系の人々も店を出していて、なかなか活気がある屋台街でもある。T先生に見せるつもりで画像を並べたいと思う。
いよいよ屋台街に突入というところ
猫の小銭入れを売っていた。こういう変な店も多い。
飲料を売る店も多いけど、このマンゴースス(ススは牛乳の意味)が最高。
これが、マンゴースス。日差しが強く暑いけど、これを飲めば元気が出る。RM5。
食べ物を売っている店も多いけど、ここのプリンが最高に旨い。1切れがRM2。
と、いうわけで、マスジット・ジャメの屋台の北端まで行って、一気にセントラルマーケットまで南下して戻ってきた。セントラルマーケットでは、息子の奥さんにポンチョを購入。こっちは外は暑いが、コンサートや映画館は冷房が効きすぎるので、実はウールのポンチョは意外に重宝する。妻と色違いのものを2つ購入したのだった。
ちなみに画像は、すでに中華街と言っていい、セントラルマーケットの十二支のデコレーション。チャイニーズ・ニューイヤーに合わせて今年の干支である戌(犬)が正面においてあったが、あくまで犬は十二支の1つにすぎませんよ、というこの辺の演出は、マレーシアというお国柄が出ている。イスラム教では、ブタほどではないが犬はあまり好かれていない。どかーんと犬だけ置くのは、ちょっとヤバイという感じが出ていて面白い。来年は猪=中国ではブタで、もっとややこしくなるのは必定。来年のことも考えて十二支をつくってしまったのではないかと私は思った。来年もこれを使わせてもらうぞ、来年はイスラム教徒の最も嫌いなブタになるけど仕方ないのだ、ゆるしてね、というメッセージを感じたのだった。

2018年2月2日金曜日

久々の大量アクセスに驚く。


今日は授業がないにも関わらず、大忙しの日だった。2日間の休日の後なので、進路指導の用事がどどどっと押し寄せてきたのだった。なかなか疲れた1日だった。

さて、昨日のエントリーの続きをと思って、ブログのダッシュボードを開いたら、なんと今日のアクセスが800を越えている。1つのエントリーに集中していないところを見ると炎上しているようではないようだ。(笑)時折、TV番組などで取り上げられた話題と私のエントリーが合体して、アクセスが驚異的に増えることもあるが、今日のはアメリカ在住の方が、コツコツと私のブログを見て頂いたように思う。ありがたいことである。こういうアクセスのグラフは珍しい。

私のブログは、広告も一切載せていないし、アクセスが増えるのは嬉しいけれど、実益には結びつくようなことは何もない。まあ、それでこそ留魂録だと思っている。(笑)でも、どんな方がエントリーを読んで頂いているのだろう。最近はコメントやリアクションはさっぱりなので、少し気になるところではある。と、いうわけで、今日は、アクセス数に驚いたという、中身のないエントリーになってしまった。(笑)

追記:結局、2月2日は、972のアクセスがあった。

2018年2月1日木曜日

幕末バトル・ロワイヤル 3

水野忠邦 
マレーシア・KLでは、この2日間は休日である。ややこしい書き方になるのは、昨日はインドの奇祭・タイプーサムの日で全国的に休日、今日はKLデーで、直轄区のみ休日であるからだ。正直なところ、休みは嬉しいが、進路指導上、銀行とかが休みなので、残高証明などが必要なビザ申請に遅れが生じてしまうので、痛し痒しである。

さて、それはさておき、「幕末バトル・ロワイヤル」の続きをエントリーしたい。いよいよ水野忠邦の天保の改革についてである。天保7年大飢饉がおこり、東北や関東から難民がどっと流れ込んできて、米はもとより、炭・油などの生活必需品も物資不足に陥った。庶民生活は窮迫し、それ以上に旗本・御家人といった収入増が見込めない武家社会の暮らし向きは落ち込む一方であった。

幕府内部では、物価が下がらない原因をめぐり意見が二つに割れた。独占価格説と貨幣インフレ説である。前者は水野忠邦ら老中と勘定奉行の説でインフレの原因は一部の問屋商人の独占的な価格形成にあり、問屋仲間を解散させれば物価は下がるという説。後者は南町奉行・矢部駿河守定謙(さだのり)の少数意見で、度重なる貨幣改鋳によって貨幣価値が下がったからという見方であった。幕府は金・銀・銅の貨幣の品質が落ちているので、(紙幣乱発同様に)インフレが起こっているというわけだ。天保12年、この対立は矢部の更迭で決着が付くのだが、それに先立つ9年に水野忠邦は、大阪西町奉行・阿部遠江守正蔵に、物価騰貴の調査を内密にさせている。米・酒・塩・炭・綿などの主要16品目の価格メカニズムを詳細に分析したレポートが提出されたが、それは13年のこと。結局政策には反映されなかった。これによると、需要(捌き口)に供給がおいついていない(生費不釣合)=需要インフレなので物価が上がるのは当然という結論に達している。

結局、水野忠邦は「奢侈禁止令」を出す。高価な品物の売買を禁止したのである。売れなければ物価は下がると見たわけだ。彼はこれで、武家社会は3~40年はもつと考えていたらしい。江戸の景気はめっぽう冷え込み、不満が高まった。さらに「株仲間解散令」を出す。海運の主力であった菱垣廻船の運行に支障が出て大消費都市江戸は壊滅するかもしれないような改革である。そのかわりに「素人直売勝手次第」とし、どんな品物も自由に売買してよろしいということになった。まさに独占禁止法である。これまでの商習慣を無視した政策で、そう簡単にうまくいかない。金融にも大きな痛手が押し寄せる。問屋が廃止され、信用経済が成立しにくくなったのである。菱垣廻船がもしもの時の損害捕縄も消滅した。物価はさらに上がっていく。さらに、物価を統制する動きにも出た。ジャコバン派の最高価格令のようなもので、物価統制+密告奨励政策が動き出す。

矢部について書かれた小説
「株仲間解散令」の時、水野忠邦と対立したのは、勘定奉行から南町奉行になっていた矢部駿河守定謙と、遠山の金さんこと、北町奉行・遠山左右衛門尉景元(かげもと)である。金さんは、政策実行をサボタージュしたかどで、将軍との拝謁を禁止されたくらいですんだのだが、主犯と見られた矢野は結局、でっちあげられた罪で南町奉行を解任され、桑名藩へお預けとなる。矢野は現地で一切の飲食を絶ち、麻上下を付け端座したまま姿勢を変えず意地を貫いて二十数日後に餓死したという。…うむ。サムライである。

…水野忠邦の天保の改革は実に評判が悪い。今の経済学の常識から見たら、もっとやり方があったろうに、と思えるのだが当時としては致し方ない面もある。所詮江戸幕府のシステム事態の矛盾が露呈しているわけだ。