2018年2月9日金曜日

幕末バトル・ロワイヤル 5

久しぶりに「幕末バトル・ロワイヤル 」の書評を書こうと思う。すでにバス車中で読み切ってしまったのだが…。最後の方は、黒船来校の話が実に面白いのだが、水野忠邦の話の続きをエントリーしたい。

石もて追われた水野だが、一度首席老中に復帰している。ちょうど、大奥で火災が起こり、国家的な災害とされ修理費が必要になった。水野の後任の土井では、それをかき集める力量がなかったのである。天保15年6月、水野は再勤を将軍家慶に命じられる。江戸の街の店頭から贅沢品がまた消えたというのが面白い。他の老中は、これに抗議して欠勤する。御用部屋に1人ぽつんと座って書類の決済だけをしていたという。7月に入ってようやく後の老中になり、パンドラの箱を開けた阿部正弘らが出勤するが、何故か水野は勝手掛という財政を専管する役には就かせてもらえなかった。カネを動かせないとなると、老中首座といっても名ばかりである。結局江戸城の普請も阿部が担当することになった。水野は12月には欠勤し、2月には罷免されている。まさにブラックボックス的な期間である。

明治時代のジャーナリストの徳富蘇峰(明治26年の「吉田松陰」)や福地桜痴(明治29年の「水野閣老」)によれば、家慶はオランダからの黒船来航の情報を得て不安に思い、この危機を乗り切れるのは水野しかいないと再任したのだという説を唱えている。後世の歴史家は公式な水野忠邦日記に記載がない故に否定しているが著者はこの説に肯定的である。実は、この時『開国』を水野は訴えたのだと。徳富や福地がこの水野再勤=外交危機説を書いた当時、まだ証人となる人々もいたはずで、明治日本を代表するジャーナリストの2人が2人とも荒唐無稽な作り話を書くわけがないというわけだ。

水野の「(鎖国を貫くとなれば)この誤用部屋で今後『和』とはいえなくなるぞ。」という捨て台詞(徳富蘇峰や福地桜痴の本に出てくる)は、マクベスの魔女の預言のように、後継の阿部政権の呪縛となった、著者は主張する。

…だからこそ、阿部はこの呪縛を払うため攘夷派の徳川斉昭を幕閣に招聘することになったのかもしれない。毒には毒。なるほどと、私はそんなことを邪推するわけだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿