2018年2月22日木曜日

教育現場に銃を持ち込む?

https://www.business2community.com/government-politics
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最低の評価を受けた(12/100)大統領と呼ばれている男(昨日のブログ参照)が、また信じられない発言をした。先日の高校での銃乱射事件の遺族や高校生をホワイトハウスにわざわざ呼んで言ったことが「教師に銃のを携帯させる。」だったという。涙ながらに銃規制を訴えている高校生に向かってだ。教師のハシクレとして、この今、大統領と呼ばれる男は、人間として許せないし、異常だとしか思えない。

デトロイトで、ある高校を視察したとき、校門で銃を持ったガードマンを見聞し、金属探知機をくぐる経験もした。この現実を肯定したとしても、教師に銃を持たせるということは、全く意味が異なる。教育を行う場所の神聖さを、すなわち教育という崇高な行為そのものを冒涜するものだ。

私は、アメリカに於ける銃の問題について、そう簡単な問題でないことは理解しているつもりだ。アメリカという移民国家は、そもそも王や貴族が最初から存在していない。ヨーロッパではギリシア・ローマの昔から、貴族や市民と呼ばれ生産に従事しない「自由な個人」と生産だけに従事する「不自由な共同体」の二重構造の社会であった。自由な個人である市民は、軍事に参加する権利があった。古代ならば重装歩兵として命をはって国家を守った。これは義務ではなく、権利である。武器を持つのは昔から権利であった。アメリカ人は、建国前から黒人奴隷を例外として、白人は「自由な個人」として存在し得た。だから、フレンチ=インディアン戦争にも参加し、独立革命でも英米戦争でも、内戦(南北戦争)でも、米西戦争でも武器を取り、自らの自由のために戦うことを権利としてきた。ロックの抵抗権の思想の影響も、こういう社会的な背景を考慮すべきだと思う。
だから、フランス人が政教分離を是とするように、アフリカ人が「情の経済」を是として「呪術」を容認するように、アメリカ人は「銃を保持すること」を是とし容認するのである。これはもう文化的な問題だ。今回の事件のように、メリットよりデメリットの方が大きいのは明白だが、それを越えた問題であると私は考えている。

とはいえ、この最低な12点は、そういうアメリカの文化的背景も語らず(知らない可能性が高い)、教育現場に銃を持ち込むことを主張した。なんと短絡的な発想であろう。アメリカ国民はこれを異常だとは思わないのか?アメリカの知性を心底疑う。
http://www.afpbb.com/articles/-/3163500?cx_position=12

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